このファイルは、掲示板巡回ソフトのログファイルを元に再構成したものであり、投稿時の状態(フォントサイズ、文字の色、リンク等)をすべて反映しているわけではありません。
お坊さん 間違いなら、ごめんなさいね…この世は仮の世さんちゃうの?
もしー、仮りの世さんなら 次のサイトにおいでよ!おいでおいで↓(招き猫ニャンちゅ)
あ!大文字ナンさん お元気そうでなによりです。PEPEさん とシンさん やっぱりいないですね、見かけましたら、連絡下さいませ。。8月末限定 消費期限のゆみちゅんでした。失礼いたします。
m(_ _)m
http://6327.teacup.com/josh3jpn/bbs
追伸、駒大苫小牧ベストeight進出☆やったぁー!
見せなくなりましたね
ごく限られた人しか投稿しないようで
トトロさん見てますか?
お坊さんを見てると上方落語の「軒付け」を思い出すのう・・・
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
デケデンデンデーン♪
へぃ、どなたはんでっか?
なぐさみにぃ〜♪ 浄瑠璃をやらせてもらいますぅ〜♪
お断りしまっさ。
お代はいただきません〜♪
うち病人がいてまんねん(;;)
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
>そうだとすると幸せというものも脳の作用に過ぎないということになるでしょう。でもこの説明で皆さんは満足できるでしょうか?なんだか人間をおとしめる思想のように感じないでしょうか?
哲学的には、独我論というのもありますね。自分以外は実は存在しないのだと。ひょっとすると、わたしという存在は、どこかの惑星のタンクの中にプカプカと浮いている脳だけであり、コンピュータが神経に適当な信号を送り込んだ結果として見ている夢幻がこの世界であり、自分以外の他人かも知れません。
まぁ、私は独我論を正しいと考えているわけじゃありませんが、正面切って批判しようとすると意外と面倒だったりするんですよね。
それからある説が正しいか否かと、「なんだか人間をおとしめる思想のように感じ」るかどうかとは別の話でしょう。例えば、「吉永小百合もトイレに行く」というと、吉永小百合さんをおとしめるような気がするんで、「いいや、吉永小百合さんはトイレになんか絶対に行かないんだい!」とかいい張る熱狂的なサユリストさんの気持ちもわからないではありませんが、人間である以上、吉永小百合さんもトイレに行くだろうことは確かです。
皆さん今幸せですか?幸せな人もいれば出口の見えない葛藤の中で暮らしてる方もいらっしゃることでしょう
ところで幸せの正体って何だろうと思いますか?幸福の科学では努力即幸福とか幸福とは悟りの別名であるとか愛は幸福の卵だとか教えてます。「私は幸せです。だから宗教なんて必要ありません」と胸を張って言える人に、その根拠を聞けば、過去学生時代に体を鍛えたり苦学をしたりして努力をしたからだとか、まじめに必死で働いて他人様のお役に立っているからだとか、私が働くことで家族の幸せそうな顔が見れるからだとかいろいろな答えが返ってくるだろうと思います。ところで、心は脳の作用に過ぎないという説明で満足してる人が世の中にはたくさんいますが、そうだとすると幸せというものも脳の作用に過ぎないということになるでしょう。でもこの説明で皆さんは満足できるでしょうか?なんだか人間をおとしめる思想のように感じないでしょうか?
私が幸福の科学に正式に入信する前は不幸感覚のまっただ中にいて自殺願望が終始渦巻いていました
当時は仕事をしていて金には困らない状態でしたが、「自分はお金をもらうために生まれてきたんだろうか?情けない」という想いで心の中はいっぱいで仕事はあっても幸せじゃないという状態でした
幸福の科学に正式に入信してから変化が起きました。最初はわずかな心境の変化で私自身も気づかなかったんですが、最近、福岡市を一望できる西戸崎の海岸から福岡市を眺めてる時に幸せを感じるようになりました。これは心の平静という名の幸せだろうと思います
そこで幸せの正体って何だろうという話になります 幸福の科学では苦しみの原因はこの世への執着だからその執着を捨て去って逆に与えれば幸せになれると説いています 執着とは奪いたいもらいたい欲しい俺の物だといつも心の中に去来する想いです 西戸崎の海岸から福岡市を一望してる時の私には福岡市に対する執着というのはありません 心に執着という名の心の曇りがないので霊天上界の光がサアッと射してきます 霊天上界の光は仏から来ているものです 仏の光は慈悲満つる光です それで私は幸せを感じます 皆さんの幸福感の正体も同じ原理で働いてます
>主なる神を信じたばかりにこの世的には不幸な死に方をしたわけです ここに宗教の真の存在意義があります
いくらなんでもそりゃアサハカすぎっていうか、ガキの理屈だよ?
本望って言葉があるの、知ってる?他人からは不幸に見えるようなことであっても、本人が望んでそれを行い結果的に死んだんであれば、それは本望でしょ。はたから見て薄っぺらい価値観で「この世的に不幸」とか云ってる愚図が説法なんてのは片腹痛いね。
挙句にそれが「宗教の存在意義」なんてんじゃ、んなもんないほうがいいな。
>お祖母さんは、あなたと雑談したいわけじゃないでしょう。孫が自分のことを気にして訪ねて来てくれたというだけで十分なんじゃありませんか。
ありがとうございます
>天気の話でもいいし、自分の身の回りの話でもいいでしょう。話すことがなければ、黙って一緒に座っているだけでもいいじゃありませんか。
そんなものですか ありがとうございます 今度祖母を訪問してみます
>どうしてお坊さんは、まず第一に、ご自分の人生問題を解決しようとしないのでしょうか?
>なぜまず最初に、自分自身の人生相談を受けつけないのですか?
自分の人生相談も自分で受け付けてます ブログとかで自分が悩んでることを投稿したりして自分で解決策を模索してます
>私は雑談とかあまりしない人間なんで老人ホームに行ってもどう雑談をしたらいいのか分からないんです 祖母がかわいそうです
お祖母さんは、あなたと雑談したいわけじゃないでしょう。孫が自分のことを気にして訪ねて来てくれたというだけで十分なんじゃありませんか。恋人同士でも、テーブルをはさんでお互いに黙って食事をし、時間を過ごしている例も見ますが、あれなども別に仲が悪いわけではないでしょう。黙っていても、心は通じている、どこかでつながっているという感じだと思います。本人たちはあれで満足しているんでしょう。
ですから、雑談ができないといって悩む必要はないと思います。お祖母さんのことを気にしてあげる気持ちだけで、十分伝わっているんじゃないでしょうか。天気の話でもいいし、自分の身の回りの話でもいいでしょう。話すことがなければ、黙って一緒に座っているだけでもいいじゃありませんか。
※あと、1つの文(センテンス)が終わったら、「。」を打った方がよいと思います。読みにくいので。
すっごく悩んでることがあるのです。
どうにも、お坊さん自身が、大抵の悩み多い人たちよりも遙かに大きな人生の問題を抱えているように思えるのですが、
どうしてお坊さんは、まず第一に、ご自分の人生問題を解決しようとしないのでしょうか?
なぜまず最初に、自分自身の人生相談を受けつけないのですか?
お坊さんがお坊さん自身の人生問題を解決できたら、きっとその経験は、いろんな人の人生を救う役に立つと思うのですけど。
まずは、「自活する」という課題、とか。
宗教では、例え根拠が無くても信じ切ることが必要なのでしょうな。
科学の世界では、しっかりとした根拠がなければ相手にされません。
例え根拠があったとしても、その確度に応じて信用の度合いが強まるだけで、信じ切ったりはしませんな。
お坊さん の言うことには全く根拠がありませんので、誰も本気で相手にしてません。
管理人でもないのに僭越ですが、布教活動をしたいのなら、他でやって貰えませんか。
統合失調症について語りたいのであれば、ツリー式掲示板の方でお相手をしても良いですよ。
今回は「信ずる者は救われる」という言葉の意味を書きたいと思います 宗教の使命は魂の救済にあるのであって病気治しとかホームレスの救済とかこの世的な救済にあるのじゃありません そういうことは医療とか政治の仕事です
キリストや過去のクリスチャンは磔(はりつけ)に架かったりして同時代の人に殺されて悲劇のうちに一生を終えています
主なる神を信じたばかりにこの世的には不幸な死に方をしたわけです ここに宗教の真の存在意義があります
創価学会は信心して題目を一心に唱えれば病気が治るなどといって布教に題目を利用しているようですが、日蓮宗の開祖日蓮はそういう布教の仕方はしてないはずです 題目を唱えることによって意識が仏神の世界に通じて(一念三千と関連)死後天国に還れる(救われる)という風に布教したはずです
仏神と我々では上下関係がはっきりしています 病気を治すかどうかは仏神の御心次第であって信心すれば病気が治るというものじゃないのです(了)
>不正な手段で富を得る典型的な会社でしたが一人の老人に感謝されるだけのことはしたそうで我々はそういうところを学ぶべきですね
「(大川リュウホウ大先生は、嘘八百予言と馬鹿説法という)不正な手段で富を得るという典型的な屑教祖でしたが一人の痴呆に感謝されるだけのことはしたそうで」
などと読み替えてみる(げらげら
うむ、実に一貫しているぞ>お坊さん
大川先生を支持するならば、豊田商事の悪口をいっちゃいけにゃーよ。
統合失調症(精神分裂病)は「心の病気」であるからして、薬にはそれほどの効果が無い(心理療法のほうが効果があるのだ)といった誤解は結構いきわたっているようです。実際、薬ではなかなかうまくいかない症例や、不適切な薬の使い方をされている例もあります。しかし、もともと統合失調症は有病率の高い疾患(だいたい1%くらい)であって、ほとんどの症例が服薬によって普通に社会生活をおくれています。抗精神病薬の登場以前には、治療らしい治療はありませんでした。↓こんな感じ。
>精神障害者に対する偏見と差別は時代とともに変遷してきました。欧米では19世紀末から20世紀初頭にかけて、精神障害者が人里離れた巨大な精神病院(5,000〜10,000床)に隔離されるという閉鎖的な施策が取られていました。しかし1952年のクロルプロマジンの使用以後、激しい興奮や混乱を示す患者が激減し、作業療法など社会療法の導入も容易となったため、社会復帰活動が積極的に行われるようになったのです。やがて1960年頃より脱施設化運動が展開され、巨大精神病院を縮小または廃止し、コミュニティで精神障害者を支えるために多様な居住施設が各地に造設され、多くの慢性患者が地域社会で生活するようになっていきました。
http://e-medicine.sumitomopharm.co.jp/e-medicine/consonance/vol3/
抗精神病薬は現代薬理学の偉大な勝利であって、これと並ぶのは抗生物質ぐらいでしょう。薬の中では、きわめてよく効く部類に入ります。さらに言うなら、統合失調症の再発の原因で一番多いのが、自己判断での服薬の中止なのだそうです。他の病気であれば、服薬を中断して症状が悪化すれば、また服薬を再開します。しかし、病識の欠如がこの病気の症状のひとつなので、服薬を中断しても症状に変わりはない、あるいはかえって調子が良いと本人は思うのです。
>まあ薬はないよりはましといった程度で毎日服用してます
>何とかの頭も信心とか言いますからね
>私の薬に対する評価はその程度です
評価はともかく、薬を服用しておられることはよいことだと思います。
あなたの評価がどうかとは関係なく、薬の効力は効力として発揮される
わけですから。
いくら手段(お年寄りの話し相手になる)が正しくとも目的(財産を掠め取る)ことが間違っていれば正当化できません。財産を掠め取りはしないがお年寄りの話し相手になろうともしない連中に対する皮肉って言うなら分かりますがね。
>一人暮らしの老人の話し相手になれるっていうのは私にはまねができません
>そういう能力ってうらやましい限りです
>私もそうなりたいです
そして、全財産を金の引換券と取り替えるんじゃな。
見習うなら、そこまで見習わないとだめじゃな。
一人暮らしの老人の話し相手になれるっていうのは私にはまねができません
そういう能力ってうらやましい限りです
私もそうなりたいです
私には二人祖母がいて一人は老人ホームに住んでるんですが話し相手になることができません 私は雑談とかあまりしない人間なんで老人ホームに行ってもどう雑談をしたらいいのか分からないんです 祖母がかわいそうです
わしが思うに、お坊さんは美辞麗句を並べるだけで
「あぁ、なんてチミはすんばらすぃーんだ」
とか、
「アァ、ボクチンカアイソカアイソ」
とか言ってもらいたいだけなんじゃろ?
その裏で、大勢の人が泣いてるんでしょう?
アンフェアーな方法で商売するのは悪いこと。
それがアンフェアーだと気づけるのが
「おかしいことは突っ込む」
という考え方。
こっちを学んで。
お坊さんへ。
話相手になってくれたことに感謝している老人がいるからって、
豊田商事のやったことは正当化できませんよ。
だいたい、その若いのがなんでそれだけその老人に親身に
なったと思います? その老人が自分に心を許したことを
利用して、お金を巻き上げるためですよ!
そういう、人の道を踏み外した連中の薄汚い行為を、間違っ
ても「学ぶべき」なんて言っちゃいけません。まさに人道に
悖る、という奴です。
ミケさんありがとうございます
悪徳商法で思い出しましたが和田秀樹氏の「ビンボー脱出のルール」によると豊田商事に感謝してる老人もいるそうですね
一人暮らしの老人の話し相手になってたそうです
不正な手段で富を得る典型的な会社でしたが一人の老人に感謝されるだけのことはしたそうで我々はそういうところを学ぶべきですね
お坊さん へ。
このタイミングでその引用、
もしかして皆さんの指摘を「キツイ・厳しい」と感じたんでしょうか。
あなたにレスした人たちは、あなたに敵意があるわけじゃないですよ、たぶん。
ただ、この掲示板では、
「主張(特に科学的な議論における主張)がおかしいと感じたら突っ込む」
というのが礼儀みたいなカンジになってるだけなんです。
間違った知識や非論理的な考え方によって不利益を被ることはよくあります。
悪徳商法とかが良い例ですね。
厳しいと見えることも、実は後で役に立つって場合もあるわけで。
全然見当外れの発言だったらごめんなさい。
まあ薬はないよりはましといった程度で毎日服用してます
何とかの頭も信心とか言いますからね
私の薬に対する評価はその程度です
折角金を出してもらったんだから使わないと損ですからね
その程度ですね
本当は通院やめたいんですが生計のめどが立たないから現状維持をしてるだけです
>あなた自身の考えは?
書いてあることに共鳴しました 人生はまさにひとときの思い出、ひとときのメルヘンです だから生きている間にできるだけ優しい思い出を残さねばならないと思います 書いてある言葉を常に心の中においておきます
>私は一時通院をやめていた時期がありましたが通院してもしなくても症状に変わりはありませんでした 薬はあってもなくても関係ありません
患者さんが自己判断で通院や薬の服用を止めるのはマズイんじゃありませんかね。統合失調症には詳しくありませんが、うつ病の場合、副作用があるからといって薬の服用を止めたり、眠れないからといってアルコールに頼ったりすると、症状が悪化して、突発的に自殺を図ったりすることがままあります。少し前に、ポール牧さんが自殺されましたが、あの方の場合、抗うつ薬を酒と一緒に飲んでいたようですね。
たまたま症状に目立った変化がなかったからといって、「薬と症状とは関係ない」とか短絡的に結論しない方がよいと思います。まぁ、薬を飲むだけで、病気が根本からよくなるわけでもないでしょうが、きちんと服用すれば、少なくとも症状を抑えることはできています。それは十分に意味のあることでしょう。
>自分が人にそうされたいが如く、他の人にも優しくあろうではありませんか
言ってる本人がまるで実践できてないのが玉に瑕じゃがな。
?
あなた自身の考えは?
他人の文章を写しただけでは引用にはなりませんよ。
再登場からの流れを見るに、万が一、人生相談されても、
幸福の科学の本を薦めるだけしか出来ないのではないかと。
今回はこのチラシのタイトルのもとになった大川隆法先生の御著書「愛の原点」から引用します
「愛の原点」第8章愛と光と優しさと 4常に優しき人となれ
「地上という世界は、一時(ひととき)の思い出です。あの修学旅行のように、あの楽しかった学校生活のように、一時の思い出であり、一時のメルヘンでもあります。みなさんは、そうした、つかの間の人生を地上で生きているのです。
そうであるならば、何ゆえに、それほどまでにギスギスとした生き方をするのですか。何ゆえに、それほどまでに厳しい人生を送るのですか。何ゆえに、それほどまでに他人に対して厳しく接するのですか。
やがて去っていく世界であるならば、できるだけ優しい思い出を残していこうではありませんか。自分が人にそうされたいが如く、他の人にも優しくあろうではありませんか」
このチラシの感想受け付けてます、無料で人生相談受け付けてます
PCメルアドzeldahime2001@yahoo.co.jp
http://gold.ap.teacup.com/elcantare/
お坊さんのモットー
ボキがわからないことは間違っているんだもんね
たしかにお前さんは三国一の幸せ者じゃな。
>いえ、えめさんのリンクしたサイトは専門用語の羅列で私には理解できませんでした。
ふうむ...お坊さんは、理解できないものも情報と呼ぶんだ...。
んじゃ、ボクがもっと情報をあげよう。
はふにちゅぬぬけろうしゅもあうげあじょび。みゃにゅれんぽうっしゅきききむにゅする。
情報提供有り難うって、ボクにも感謝してくれるんだろな♪
決して、おまえの言ってることはわけがわからん!なんて言わないはずだ。
...ま、この文章を書いた意図自体が理解できていない可能性もあるから...。
>えめ殿の意見に対する見解はないのか?
いえ、えめさんのリンクしたサイトは専門用語の羅列で私には理解できませんでした
>情報提供ありがとうございます
>えめさん調べるの上手ですね
>どうやって調べたんですか?教えてください
をいをい、えめ殿の意見に対する見解はないのか?
それから、発言するときは慎重にしたほうがええぞ
と、人生アドバイスしてみたりする。
情報提供ありがとうございます
えめさん調べるの上手ですね
どうやって調べたんですか?教えてください
■精神疾患と投薬の関係
副題について、私は懐疑的な見解を示してきました。また、今も「すべてにおいて」こころの病気に対しての投薬が「良い結果を生む」とは思いません。しかしそれは、ごく当たり前の話であり、おおよそ「効果があるから投薬が治療法として確立されている」という事実に対して疑義を挟むものではありません。
#良い結果は生めなくとも、なんらかの効果があることに違いはない〜つまり、化学物質が精神に「具体的作用を持つ」ことはマチガイがない。
自分に身近なハナシであればあるほど、個別事象に過ぎない「ひとつの事実」が全体を現すかのように思えてしまうことは私にも経験があります。しかしそれが科学であろうとなんであろうと、個別の事象は個別の事象に過ぎず、自分の考えを補強してくれるようなデータだけではなく、むしろ自分の考えとは対立するデータにこそ真実が隠れているかも知れないこと、つまり、自分は「間違っている可能性が高い」と思うことこそ、知的で冷静なものの見方だ、と私は思います。
耳に心地の良い話ほど、嘘かもしれないという構えこそ、妄執から抜け出すための秘訣なのではないでしょうか。
軽くググって見たのですが
抗うつ薬
デシプラミン(詳細は以下で)
http://neo.pharm.hiroshima-u.ac.jp/kusuri/desipramine.html
この薬の効果を分析している所で統計に言及している部分については
http://www.fuanclinic.com/ronbun2/r_38.htm
より引用
---------------------------------------------------------
2) NA再取り込み阻害薬
Kalusら13)はもっぱらNAの再取り込みを阻害するdesipramineのパニック障害に対するオープン試験をおこなった。15人のパニック障害患者に6週間投与し、80%の患者に全般的な改善を観察した。この改善は不安や恐怖症といったパニック発作以外の症状に著明であった。Lydiardら14)はプラセボ対照研究をおこなった・・・(略)
---------------------------------------------------------
結果が知りたければ自分でお読みください
薬効は対象郡と区別され結果、統計により効果があると判断されたものが使用されています。統計の出所を知らなくとも、差があると判断されたものは何らかの信頼に足るソースがある、と考えませんか?。勿論、「通常の医学」としての話なんですが。
>「薬物治療をしている人の2/3が社会復帰をしている」ということは、比較対照群である「薬物治療をしていない人」は、2/3よりも遙かに少ない人数しか社会復帰できていない、という統計結果があるはずです。
薬物治療をしてない人に対する統計というのを見せてください
>薬物治療をしている人の2/3が社会復帰をしているということは、この事実だけを見れば薬で治ったと解釈できますが、実際は時間がたったので自然に治ったという解釈もできます。
「薬物治療をしている人の2/3が社会復帰をしている」ということは、比較対照群である「薬物治療をしていない人」は、2/3よりも遙かに少ない人数しか社会復帰できていない、という統計結果があるはずです。
薬の効果判定は、いいかげんなものではありませんよ...。
それと、
あなた個人には効かなかったかもしれませんが、そのことだけを証拠に、「2/3には効く」ということを否定できないことは分かりますよね?
>でも、トランキライザー等である程度の効果はあるんじゃろう?
トランキライザーは、いったいどこに作用しとるんじゃろうなぁ?
私は一時通院をやめていた時期がありましたが通院してもしなくても症状に変わりはありませんでした 薬はあってもなくても関係ありません
>自然治癒は自然治癒です 霊の効果とはいってません
了解
>薬で治ったんじゃない、薬と治病との因果関係は立証されてないと言うことです
でも、トランキライザー等である程度の効果はあるんじゃろう?
トランキライザーは、いったいどこに作用しとるんじゃろうなぁ?
自然治癒は自然治癒です 霊の効果とはいってません
薬で治ったんじゃない、薬と治病との因果関係は立証されてないと言うことです
>薬物治療をしている人の2/3が社会復帰をしているということは、この事実だけを見れば薬で治ったと解釈できますが、実際は時間がたったので自然に治ったという解釈もできます
>何と言っても心の病ですから2/3の人は薬物治療をしなくても自然に治ったという解釈もできます
そうかもしれんのう、だから?
まさか、自然治癒は『霊の効果』とかおっしゃっているのか?
>> 治療法の進歩で、約3分の2の人が社会復帰しています
統合失調症にかかった人の、約3分の2の人は回復したり軽度の障害を残すだけです。それには薬物による治療とリハビリテーションが大きな鍵を握るといわれています。
http://www.pref.kyoto.jp/health/health/health03_a.html
>という記述をどう解釈しますか?
薬物治療をしている人の2/3が社会復帰をしているということは、この事実だけを見れば薬で治ったと解釈できますが、実際は時間がたったので自然に治ったという解釈もできます
何と言っても心の病ですから2/3の人は薬物治療をしなくても自然に治ったという解釈もできます
>心が脳の作用ならおかしいとは思いませんか?
ガンの原因が分かることと、ガンを治せるかどうかは別。
心の病の原因が分かることと、それを治せるかどうかは別。
まして、心の病の原因が分かっていてそれを治せるとしても、
さっさと治るかどうかはまたさらに別の話。
もっと分かりやすそうな例を挙げると、
例えばパソコンがあればインターネットできるって分かっていても、
パソコンを買うお金がなければインターネットはできない。
お金が余っていても、ネットできる環境を整えるのに色んな準備とかで数ヶ月かかる人もいる。
お坊さん、おかしいと思うのはあなたの勝手です。
また、あなたが「心は霊的な何かだ」と思っていても何の問題もありません。
でも主張する(同意を求める、説得する)のであれば反論されることもあります。
特に、その主張が不合理である場合は。
残念ながら今の医学では、単なるけがでさえも、「薬で直す」までには至ってませんよね。
体が自分で直す働きを「部分的に」助けるだけです。
で、「部分的には、助けることが出来る」のは、体が薬により、医者がデザインしたとおりに「影響を受ける」から、でしょう?
> 治療法の進歩で、約3分の2の人が社会復帰しています
統合失調症にかかった人の、約3分の2の人は回復したり軽度の障害を残すだけです。それには薬物による治療とリハビリテーションが大きな鍵を握るといわれています。
http://www.pref.kyoto.jp/health/health/health03_a.html
という記述をどう解釈しますか?
私は精神科のデイケア(統合失調症の患者)に通ってる者なんですが、そこには通院歴30年という人がいます
心が脳の作用ならとっくに治ってないとおかしいはずです
通院歴10年以上っていう人ざらにいますよ 心が脳の作用ならおかしいとは思いませんか?
もちろん、脳内麻薬様物質って、「物質」ですよね。
精神安定剤系のお薬も「物質」ですよね。
それらの「物質」を、飲んだり注射したりすることによって、
「心」がいろんな影響を受けるんですよね。
不安感が無くなったり、心が落ち着いたり、冷静になったり(アルコールは逆の作用だけど物質には違いない)、
「明日はこんなことをしよう!」という「決断」さえ変わったりする。
たましい、や、精神、って、本当に「物質的ではないなにか」なのですか?
もしそうなら、そんな「物質でない、天上界のなにか」が、どんな機構でもって、
どんなつながりでもって、
「物質」の影響を受けることが出来るのですか?
情報提供ありがとうございます
勉強させて頂きます
>エンドルフィンとか脳内麻薬とか言うのは単なる仮説の域を出ないと思います
>そういうものが電子顕微鏡で観察できたとでも言うのでしょうか?
谷庵さんがご指摘の通り。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%BB%E3%83%AD%E3%83%88%E3%83%8B%E3%83%B3
↑セロトニン
http://www.drugsinfo.jp/contents/qanda/a/qae1.html
↑エンドルフィン
http://trauma.or.tv/1nou/3.html
↑脳内麻薬様物質〜GABAの記述もあり。
この辺は「仮説」とはあんまり云わないだろうねぇ。あるもんはあるんだから、実証された事実だろう。で、なにを電子顕微鏡で観察すればいいのかな?分子構造?それとも作用について?
キミがキミの考える幸せをどう定義してくれようと一向に構わないんだが、それをあたかも「科学」であるかのような言葉で表すからボロが出る。宗教ってのは地上のことについて明言しないほうがいいんだよ。ていうか幸福の科学信者だって脳内麻薬様物質のことくらい知ってると思うけど。
心の基本単位にはもう一つあって、ソウルはMKSA単位系で、sgi単位系にチャガマというのがあります。
茶釜に入った水を1度上昇させるエネルギーが1チャガマと定義されています。
問題は、その茶釜にどれくらいの水が入っているかで、これがまだ不明で、、、
まったくお祭り状態やね。
>シヤワセとは、人生相談にかかわろうとしない状態である!!!!
wadja的には、
シャーセとは、宗教を拒むことの出来る状態である!!!!
としときます。
>エンドルフィンとか脳内麻薬とか言うのは単なる仮説の域を出ないと思います
>そういうものが電子顕微鏡で観察できたとでも言うのでしょうか?
化学物質というものは化学的に定性・定量出来るのですな。
βエンドルフィンも脳内麻薬の一つですが、実在します。
電子顕微鏡で観察できるかどうかは知りませんが。
知りもしないことについては発言を控えた方が良いと思います。
キバヤシ
「……そ、そうか!…つまり『へそで茶を沸かす』ってのは
精神エネルギーは他のエネルギーに変換出来ると言う事を示唆した
太古に存在した超文明の残滓なんだ!!即ち日本に超古代文明が実在したとする竹内文書は真実の書だったんだッ!!」
一同
「なんだって――――――ッ!!」
終わり
※元の漫画はあまり読んだ事無いんですけど
お坊さん へ
>エンドルフィンとか脳内麻薬とか言うのは単なる仮説の域を出ないと思います
>そういうものが電子顕微鏡で観察できたとでも言うのでしょうか?
学説は全て仮説です。仮説でない学説は学説じゃない
脳内麻薬については様々な実験により観察されている筈です。
詳しくは忘れましたが、脳内麻薬の働きなどは脳に関する入門書を読むと出ていますよ
幸福とは、他人の不幸を見ているとわき上がってくる感情。
>それはまだ示されていません
なんと!
遅れてるぅ〜
>つまり心は定量化できると
心の「基本単位」はなんだろう。
それはまだ示されていません
>クスリで得た「生理活性」と、座禅や過酷な修行の末に起きるエンドルフィンやらその他の脳内麻薬の分泌による恍惚感との間に、いったいどんな違いがあるというんだろう?
そもそも恍惚になることがシワワセなの?
エンドルフィンとか脳内麻薬とか言うのは単なる仮説の域を出ないと思います
そういうものが電子顕微鏡で観察できたとでも言うのでしょうか?
心の基本単位として、私は「ソウル」(sl)を提唱する!!
100人のうち1人に涙を流させることができたら、それが1sl。
エネルギーですから、もちろんジュールに変換可能で、当研究所で1slが何ジュールに当たるのか研究中であります。
>心は脳内現象じゃありません 心は知性を持ったエネルギー体です
>幸福の科学の科学は霊界科学の科学です
つまり実際の科学じゃなくて「ただの言葉の雰囲気」な訳だ
科学だと言い張るならば
>心は知性を持ったエネルギー体です
-線内はフリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』より
--------------------------------------------
1.エネルギー (energy) は、物理学を中心に、自然科学全般で取り扱われる物理量である。
2.物理量(ぶつりりょう、physical quantity)とは、質量、長さ、体積、圧力、時間などの客観的に測定できる量、およびその量を用いて算出できる量のこと。その物理量に対する測定器があってはじめて成立する。
一般的なエネルギーの単位はジュールである。しかし分野によっては他の単位が用いられることもある
---------------------------------------------------------------
つまり心は定量化できると
心の「基本単位」はなんだろう。
>「満ち足りた状態」も又、脳内現象ではありませんか?
「うっとりとした満ち足りた状態」を指す言葉でもありますよね。
心は脳内現象じゃありません 心は知性を持ったエネルギー体です
幸福の科学の科学は霊界科学の科学です
シヤワセとは、人生相談にかかわろうとしない状態である!!!!
シワワセってなんだ?
そんなことを考えなきゃならんようじゃシワワセになりようがなさそうだなぁ(笑。
クスリで得た「生理活性」と、座禅や過酷な修行の末に起きるエンドルフィンやらその他の脳内麻薬の分泌による恍惚感との間に、いったいどんな違いがあるというんだろう?
そもそも恍惚になることがシワワセなの?
>哀れを誘う状態でしかありません
>幸せといえるためには主観的にも客観的にも幸せといえる状態じゃないといけないようですね
な〜にを云ってんだか。
寝たきりだろうがなんだろうが、苦しみがなけりゃシワワセだろ?
キミの場合、キミの欲しているすべての執着と妄執から抜け出してはぢめてそれを感じられるんぢゃないかな。こだわりはシワワセを生まないと思うぽん(あ。
>そんなもので得た幸せが幸せであるはずはありません。
何故でしょう?
宗教ではなく、科学としての回答を頂きたく思います。
「満ち足りた状態」も又、脳内現象ではありませんか?
「うっとりとした満ち足りた状態」を指す言葉でもありますよね。
陶酔よりもその度合いは遥かに身体的且つ強烈ですが
>オウム真理教の信者や統一協会員も恍惚の心理状態になっていたのではないかと
-------------Web辞典より---------------------
トランス【trance】
(1)催眠やヒステリーなどの場合にみられる,常態とは異なった精神状態。宗教的儀礼の忘我・恍惚(こうこつ)の状態にもいう。
-----------------------------------------
そういやあ酒なんか無かった昔、ヒトの集団が「酔えた」のは宗教的トランス状態だったんじゃないかと書き込んだのを思い出した(クハ72さんのと所で書きましたね)
>オウム真理教の信者や統一協会員も恍惚の心理状態になっていたのではないかと
恍惚という言葉は悪いイメージがありますね 認知症の老人に対して恍惚の人とか
でもそういう意味で恍惚という言葉を使ったのじゃなく何かをしていてうっとりとした満ち足りた経験があるかどうかということです オウムの信者や統一協会会員にそんな経験があるかどうかは本人に聞いてみないと分かりません 彼らが何の目的で入信したのかも関係ありますが
http://gold.ap.teacup.com/elcantare/
>>幸せといえるためには主観的にも客観的にも幸せといえる状態じゃないといけないようですね
>主観的には本人は幸せであると主張している人がいるのですが、客観的に見てとても幸せだとは思えないのです。その人は幸せなのでしょうか?
幸せの内容が問題でしょう えめさんが例示した幸せは薬によるものでしたが、そんなもので得た幸せが幸せであるはずはありません 本人も幸せだとは言えないでしょうハイであるとは言えるでしょうが でもNATROMさんが例示した人の幸せは根拠が示されてないので何とも言いようがありません
オウム真理教の信者や統一協会員も恍惚の心理状態になっていたのではないかと。
>幸せといえるためには主観的にも客観的にも幸せといえる状態じゃないといけないようですね
主観的には本人は幸せであると主張している人がいるのですが、客観的に見てとても幸せだとは思えないのです。その人は幸せなのでしょうか?
薬によるのでなく恍惚になってる心理状態です
たとえば私が住んでる西戸崎(さいとざき)には福岡市を一望できる海岸があるんですが
それを眺めてる時うっとりとしたことがありました
そして「福岡市と一体になりたい 福岡市には高天原の神々がいる 福岡市民の幸せのために一生を捧げたい」と思いました
そして海岸を去る時には福岡市に向かって合掌礼拝を繰りかえしながら去るようになりました
渡部昇一はこのうっとり感を小恍惚感・ピークイクスピアリアンスと呼んだようです
ただのチャチャだと思って流してくれても構いません。
ボク自身、こういう話題について真剣に考えることのできない頭の持ち主なので。
>>幸せってどういう状態?(by えめ さん)
>主観的にも客観的にも幸せといえる状態(by お坊さん)
この論法を、人はトートロジーと呼ぶ。
幸せの定義の中に、「幸せ」ってコトバが入っちゃマズイでしょ。
たぶん、うまく考えがまとまってないだけなんだろうけど。
『主観的にも客観的にも幸せといえる状態』という言い回しの中の「幸せ」ってどういう状態?
>幸福とはいかなる状態を指すのか
例えば薬物によって副作用も無く「ハイ」でい続ける事が可能なら
(寝たきりでチューブで栄養補給しながら恍惚”ハイ”の状態)
それは個体にとって幸せとは言わないのだろうか。
言わないならそれは何故か
宗教ではなく、幸福の「科学」としての回答を頂きたく思います。
寝たきり状態で副作用なしでハイで居続けたとしても看護してる側の人間から見たら客観的に見てとてもそういう状態は幸せとは言えないんじゃないでしょうか 寝たきりじゃあね
哀れを誘う状態でしかありません
幸せといえるためには主観的にも客観的にも幸せといえる状態じゃないといけないようですね
レスありがとうございます
ご意見、ご要望がございましたら、掲示板か、 e-mail:natrom@yahoo.co.jpへどうぞ。