進化論と創造論についての掲示板ログ304

2005年04月15日〜2005年04月25日
このファイルは、掲示板巡回ソフトのログファイルを元に再構成したものであり、投稿時の状態(フォントサイズ、文字の色、リンク等)をすべて反映しているわけではありません。いくつかの書名にアマゾンのアソシエイトのリンクを張らせてもらいました。
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鉄ちゃんではないので  投稿者:wadja 投稿日: 2005年04月25日23時19分

ただの憶測だけど。

>車体が軽けりゃ遠心力も小さいだろうし、台車の方が相対的に重くなって重心も下がるだろうから、車体の軽量化は脱線防止に有利に働くと思うんだけど。

なんか台車自体軽量化されてるみたいですよ。電車ってハンドルが無いので、適切に遠心力
が働かないと回転できない。いずれにせよ、まだ救出を待っている方もいるようなので、早く助けてあげて欲しい。


222ゲット  投稿者:たんぽぽ 投稿日: 2005年04月25日21時51分

わあい、きり番だ〜。

鼻と耳を使って、眼鏡をかけることを考えた人って、
とっても賢いんじゃないかと思うの、わたしだけかな...?


訂正  投稿者:匿名希・望 投稿日: 2005年04月25日20時26分

正確には浮かす力に変わる比率が一定なら重さにも比例します。
ただその比率自体が重さで変化するので。


専門家じゃないですが  投稿者:匿名希・望 投稿日: 2005年04月25日18時30分

車体が軽いと、浮き上がりやすくなりますから。
重さ二倍でも車体を浮かす力になるのはその一部ですが、
車体を抑える力はそのまま二倍になりますから。


(無題)  投稿者:茉莉花 投稿日: 2005年04月25日17時42分

今朝、最初にニュースを見たときは、「死者は2~3人」と書かれていて、「亡くなった方の人数を言うのに2~3人って表現はなんとなくいやだなぁ。二人もしくは三人とか書いて欲しい」とか思っていたのですが・・・、なんか酷いことになっていますね。

うちのサイトより富樫さんのサイトの方がカウンターの回りがよい・・・。ぐすん。


脱線事故  投稿者:Kosuke 投稿日: 2005年04月25日15時59分

大変な事故ですね。スピードの出し過ぎが疑われているようですが。

> JR関係者の間では「電車はやや急なカーブで速度を出し過ぎ、軽い車体だったため、曲がりきれなかったのではないか」との見方も浮上している。

私には??なんですが。
車体が軽けりゃ遠心力も小さいだろうし、台車の方が相対的に重くなって重心も下がるだろうから、車体の軽量化は脱線防止に有利に働くと思うんだけど。
空気抵抗とか、振動的挙動なんかが関係してくるのかしらん。専門家の詳しい説明を聞きたい。

>富樫さんのサイト
【祝アクセス200突破!】


それだけ。


Re:反論  投稿者:大文字ナン 投稿日: 2005年04月25日11時19分

>富樫くん

 議論に参加もせず、具体的な反論反証に応ずることもせず、ただ自説(というほど立派なものには見えんが)の脳内補完に基づく補強(しかも読者には補強には見えない)をいくらしたところで、貴殿の主張はなんの普遍性も帯びんよ。

 背伸びすると、背が伸びないゾ!


Re:人工世界論    投稿者:えめ 投稿日: 2005年04月25日10時38分

反論と言うか、なんていうか…「論」に値する内容とは思えませんでした
(すみませんね)
具体的にはあり杉なんで書きませんが、要するに
「耳」が顔の両脇に存在するのは、神が、眼鏡のつるを掛けるのに丁度よいようにと考案された為としか思えない。故に神は存在する。というハナシを真剣に語っているんですか?

例え自体随分と言い古されたネタなんだけど

        尼崎で大事故だ。大変だ


人工世界論  投稿者:富樫 投稿日: 2005年04月25日 2時35分

http://homepage2.nifty.com/sinseigingateikoku/において、新しい神の存在証明と可能な反論について書きました。もし反論が可能なら、どうぞ。


(無題)  投稿者:ニコデモ 投稿日: 2005年04月23日 1時06分

もう少しで18才。


アウラ神  投稿者:diamonds8888x 投稿日: 2005年04月22日20時38分

 あれっ、九州と何か関係がありましたっけ?

 100巻はしばらく前に出てしまたが、あきさんの思わぬ趣味がわかってしまった。


133  投稿者:あき 投稿日: 2005年04月22日14時23分

>こんなのを年配の人が見たら、またまたアニメやらデジタルやらの評判が落ちるぞ。

同意(w。中途半端にアニメやえすえふされてるみたい。

ところで九州は地震が多いですね。これはアウラ神のたたりではないでしょうか?
早く100巻そろえて祈るのです。
そうすれば来世はきっといいことが・・・


やるのぅ  投稿者:ハッター 投稿日: 2005年04月22日 8時29分

最近の17歳^^。


いやはや  投稿者:wadja 投稿日: 2005年04月22日 0時29分

> ロリのことは知っていても、ショタややおいの世界は知らんと見える。

多分…わしも知りとう無いな。ゲホゲホ


富樫くんは  投稿者:tema 投稿日: 2005年04月21日23時13分

> ロリのことは知っていても、ショタややおいの世界は知らんと見える。

 いや、多分、一生知りたくない世界だと思います。


富樫くんは  投稿者:たまごちゃん (^-^)ノ 投稿日: 2005年04月21日21時14分

ロリのことは知っていても、ショタややおいの世界は知らんと見える。
まだまだ青いな(w
本当に美しい美少年と美少女は境がはっきりしないものなのだよ。


ドグマって  投稿者:diamonds8888x 投稿日: 2005年04月21日19時36分

>ドグマっていうのは科学者が自説を主張する時に使うべき言葉じゃないでしょう。宗教やイデオロギー上の対立の時に飛び交う言葉ですよ。

 辞書的には"dogma"には、教理、教条、信条の他にも、定説と言った意味がありますね。語源はギリシャ語で「真実と思われるもの」という言葉だとか。自然科学でも強力な定説とか、原理くらいのニュアンスで使われています。そして研究者にとっては、ドグマを覆すのが夢。

 でも確かに自然科学における「中心原理」や「指導原理」の意味で"dogma"を使ったのはクリックが初めてなのかも知れません。それだけ意気込んでいたのでしょうか? そしてそれ以来、辞書にも「定説」の意味が載るようになったのだという可能性はありますね。


Re:人工世界論  投稿者:diamonds8888x 投稿日: 2005年04月21日19時34分

 「神」を「この世界の創造者」と定義しているわけですね。人工的なものと神工的なものでは違うんではないかい? と、信心深い人達からは突っ込まれそうな。

 こんなのを年配の人が見たら、またまたアニメやらデジタルやらの評判が落ちるぞ。


111♪  投稿者:おずおず 投稿日: 2005年04月21日19時29分

虚数が人工数?
自乗したら負の数になるだけのことで、あとは実数と同じじゃ?
それをいうなら、実数も人工数じゃないのかなあ?宇宙には実は連続はないようなのだ。
さらにいうなら自然数も人工数じゃ?
実際にあるのはたった一匹のネコ、一個の石、一本の木。
全く同じ二匹目のネコ、二個目の石、二本目の木、なんて、自然界には存在しない。


97  投稿者:とんからりん 投稿日: 2005年04月21日13時09分

>科学が発展すればいずれにせよ人工的な世界を創ることになる、そして一度でも人工世界が出来てしまえば、あとは無限時間ずっと人工世界が存在する世界になる。従って人工世界が存在しない基底現実世界というのはただの一回切りであるから、無限時間に対してその一回切りの世界に生まれるというのは確率的にいって不可能である。

科学が発達すれば人工世界を作るというのは想像。人工世界が無限に続くというのも想像(たぶんどんな文明も有限だと思う)。
基底現実世界が一回切りというのも想像。宇宙の様々な場所で高度な科学文明が誕生する可能性は否定できるほど低くない。

“哲学的証明”と言っているが、全く証拠によらない証明なんて存在しないと思うぞ。

髪の短い知的生命体しか存在できなければアニメキャラの書き分けができなくなるなら「一休さん」はどうなるんだろう?


アニメのキャラ分け  投稿者:JA50 投稿日: 2005年04月21日13時02分

>神様ってアニメのキャラ分けの心配もしてくださってるんですね

当然!

なんたって、全知全能なんだから。


ためになるなぁ  投稿者:ハッター 投稿日: 2005年04月21日 9時53分

>造物主の存在表明をするなら、「オイラーの等式」の方が説得力がありそうです。

そうですね。うーん。

もう古い話題かもしれませんが、
新しい法王様が決まりましたね。賭けを行っているブックメーカーの人が先代を”ジャン・ポール”とおっしゃっていて最初何のことかわかりませんでした。


世界が人工物であることを証明するんなら  投稿者:ゆん 投稿日: 2005年04月21日 8時59分

宇宙像にモアレがあるから!
くらいのインパクトある証拠が欲しいな(笑


85番でした  投稿者:いど 投稿日: 2005年04月21日 8時35分

なんか皆さんで新しい遊びをやっているようなので参加(w

>しかし純客観的に、神が存在するか、存在しないかということは答えられる、なぜならそれは単に科学的な問題だからである。

「幽霊が存在しない」という事にも答えられないのに!?
否定命題の証明って相当難しいと思うんだけど。例えば、「現在既知の測定技術全てで測定しても検出できない => まだ未知の測定技術があるかもしれない(ないとは言い切れない)」とか…

>神が介入せず、因果律にのみ従って知的生命体を生むと、髪の毛が短い知的生命体しか生まれず、アニメなどでキャラ分けが全然できなくなる

すげぇ
神様ってアニメのキャラ分けの心配もしてくださってるんですね


79げと  投稿者:大文字ナン 投稿日: 2005年04月21日 2時07分

 ってナニをげとしたんだか意味わかりませんが!

 で、人工世界論ですが、最初の数行でもうダメダメです。そもそも数字は実態を伴う現実ではありません。数字はある事実に割り振られた「ラベル」であり、関係性を抽出することによって得られる「影」のようなものです。

 有限代数を用いれば、10=0になる数学を使って計算することができます。これを発展させていけば、群論にたどりつきます。数学のルールは、ある事象をよりうまく説明するためのものであり、数学によって自然が支配されるわけではありません。

 そもそも
 『数学者、科学者によれば、自然な論理は+、−、×、÷、=の五つで、二乗して−1になる虚数iは物理的に存在せず、数学の中だけで出てくるもので、これは人間が人工的に発明したものである、ということになっている。』
 という部分が、数学をまったくなにひとつこれっぽっちもわかっていないことの証左でしょうね。

http://www.interq.or.jp/wild/nan/


Re:人工世界論  投稿者:tema 投稿日: 2005年04月21日 1時22分

 77番です。

 量子力学の世界で虚数が出てくるのは、単に2次元空間の表記法として使い勝手が良いからなのではないかと思うのですが、どうなのでしょうか?
 なお、造物主の存在表明をするなら、「オイラーの等式」の方が説得力がありそうです。


地震お見舞い  投稿者:soft_tractor 投稿日: 2005年04月20日23時00分

九州地方の方には、遅ればせながらお見舞い申し上げやす。

最近震度5くれえじゃ、あんまり驚かなくなっちまいやしたが、そんなこっちゃあいけやせんね、用心用心。

#66のゾロ目ゲト


変な  投稿者:wadja 投稿日: 2005年04月20日22時49分

遊びがはやってるなー62人目。

花形満は牛だったのか…
http://ninotika.exblog.jp/1650397/

みなさんご無事で何より。


68番目  投稿者:RYU_TI_SYU 投稿日: 2005年04月20日22時20分

なぜ、リンクを踏んでしまったのか後悔の臍を噛む今日この頃、


虚数  投稿者:流木 投稿日: 2005年04月20日20時54分

*(人工世界論  投稿者: 富樫  投稿日: 4月20日(水)15時20分37秒 )

 虚数が出てくるから、人工的?何だか分からない議論ですね。虚数は必要にせまられたフィクションの1つです。長さだけあって幅のない線は実在しませんが、あれも話の都合上のことです。それとも、虚数以外は実在するとかお考えなんでしょうか。

 そもそも、科学的反論を云々しておられますが、「神が存在する」という主張に科学的に反論なんかできませんよ。神は人間の認知能力の外の話なんですから、その存在も不在も科学的には証明できません(とカントは証明したわけです)。あとは、信じるか信じないかだけです。まあ、「いないなら信じてもしかたないから、いてくれないと困る」という発想があるかも知れませんが、いるかいないか分からなくても信じたっていいじゃありませんか。例えば、海の事故で行方不明になった息子を「どこかで生きていて、きっと帰って来る」とすがるような気持ちで信じている母親がいてもいいじゃありませんか。それは愚かですか。それではダメなんですか。

 あくまでも科学的云々にこだわるのなら、「わからない」というのが最も科学的かも知れませんね。わからないことはたくさんありますから。


ゆけゆけみつる♪  投稿者:えめ 投稿日: 2005年04月20日20時44分

58人目だ
>例えば音質感だけで何万種もあるのに、原子は100あまりしかないというのは不可解

例えば英語辞典は十万以上の言葉を収録しているのにアルファベットは26文字しかないのは不可解

>原始人にハサミやカミソリなどという文明の道具ないので、長く伸びた前髪を切ることができず、視界がさえぎられ狩りができなくなる。

ゆえに
 花形満は文明人である
            証明終わり

         地震大変ですね… まあこっちもそろそろか


実は  投稿者:ハッター 投稿日: 2005年04月20日20時05分

25人目でした。
虚数に関して、谷庵さんに同意します。最近こらえ性がなくなったのか目がすべって内容を追えませんでした。


Re:人工世界論  投稿者:ニコデモ 投稿日: 2005年04月20日18時15分

 僕は41人目でした。

「神(らしきもの)は存在する」と思っている人は結構大勢いると思います。

僕は、科学や哲学の証明を信仰基準にしようとは思いませんけどね。


17:55  投稿者:たまごどん 投稿日: 2005年04月20日17時57分

40番目だピョン。ロリな声から神を証明していて、凄いんだピョン。


17:34  投稿者:たまごちゃん (^-^)ノ 投稿日: 2005年04月20日17時35分

36人目ゲット!!


Re人工世界論  投稿者:Kosuke 投稿日: 2005年04月20日17時28分

17:25分現在35人


Re人工世界論  投稿者:谷庵 投稿日: 2005年04月20日17時00分

まだ28人しか見に行ってないのね。
とても全部読む気はしないから最初の部分だけ。
虚数は人が作ったと言うより、概念が発見されたと言ったほうが良いんじゃないかしら。
「ゼロの発見」なんて本があったような気がするけど、それと同じじゃないかな。
で、虚数を含む複素数を使うと電磁気学が説明できる。
別にどうってこともないと思うのだが。

ここに書いたから、40人くらいにはなるかもね。訪問者の数が。


人工世界論  投稿者:富樫 投稿日: 2005年04月20日15時20分

 人工世界論をhttp://homepage2.nifty.com/sinseigingateikoku/において公開しています。科学的反論を期待していますので、ぜひ見てください。


見えます報告だったりなんだったり  投稿者:いど 投稿日: 2005年04月20日 8時29分

お久しぶりです

わたしは第二のほうは見えてます
ここはたまに見えなくなったりします
ただteacupさんのところ(ようはここ)って前からしょっちゅう見れないことがあったので
それを考慮に入れると変わりはないと思いますが

http://www.tenki.jp/qua/

わわ、地震あったのですね
RYU_TI_SYU さんはご無事なようでとりあえず何よりです
皆様が無事でありますように


叩き起こされた・・・  投稿者:RYU_TI_SYU 投稿日: 2005年04月20日 6時40分

うちのところは、前回の地震より被害が大きかったな。

まあ、被害と言っても、コップや茶碗じゃがな。
ただ、現在電話は不通じゃ。

というわけで、人的被害はない。

NATROM御一家は大丈夫じゃろうか?


お、またちょっと揺れた。


震度5って  投稿者:wadja 投稿日: 2005年04月20日 6時17分

大きいね。九州のみなさん大丈夫?


豚のせいだ!  投稿者:wadja 投稿日: 2005年04月19日23時53分

To:パラドックスさん

>しかしながら科学者は、時に自分の専門分野における研究方法、研究対象の枠組みの中に知らず知らずに自分を閉じ込めていってしまうこともあると思います。

それは大いにありだとwadjaは思ってます。個人的には、グールドが古生物学者であり、ドーキンスが動物行動学を専門とするところに、彼らの主張の違いの一番の理由がありそうに思ってます。日常的に進化を考える時間の尺度が全然違うので、お互いの時節に対する確信度合いが理解できないのかな?と言ったようなレベルですけど。同じ日本語を話していても、専門が違うだけで意外に真意は伝わりにくいものです。

#この間の遺伝研の講演での物理学者(?)と生物学者のやり取りは結構楽しめた。

しかし、モノーがどういうコンテクストで「大腸菌にとって正しいことは象にとっても正しい」といったのかは知りませんが、「セントラルドグマ」でワトソン・クリックを研究者生命終わりとまで言ってしまいますか(今現在は…確かに終わってますけど)?うーん、その辺りの感覚には正直ついていけません。もう少し寛容になっても良いのでは?まあ、ある種のメタファーだろうな位に。あんまり厳しいこと言ってると、エルドリッジの本なんて読めませんですよ(実際読むに耐えない部分はたくさんあるけど)。

To:All

メインの掲示板は、時間帯によっては駄目ですね−。これはトラフィックのせいかな?でも掲示板2はみなさん見えますか。wadjaはツリーまでは見えたり、トップのバナー(?)しか見えなかったりですわ。時間のあるときにIEの設定もいじってみますが、絶対ホリエモンを「豚豚豚豚」と連呼してるせいだきっと(笑)


伝言  投稿者:キンシャチ 投稿日: 2005年04月19日21時49分

アカネさんからの伝言です。

>ところで、長谷川眞理子氏の「進化とはなんだろう」お手元にある方いますか?本の中のコドン表のことで、ちょっとお聞きしたいことがあります。手元にないとダメなのです。

>確か、NORTON3rd さまが、長谷川眞理子氏のファンのはずですが、いつも、クハ72さんのリンクから、NATROMさんのとこに行けたのに、最近全く行けません。なぜかしら?こちらでもお待ちしてますとお伝えくださいませ。

伝言ここまで。
こちらとは、クハ72さんの科学と信仰ちゃんねるです。
http://jbbs.livedoor.jp/study/5614/

科学と宗教談義をまったりとやっています。皆さんいらしてください。ニコデモさんもどうぞ。


↓注  投稿者:ミケ 投稿日: 2005年04月19日19時41分

>DNAからタンパクまでの情報の流れは、「逆転することはない」(獲得形質の否定が根拠だと思う)。

これは、「当時の彼らがこう想定していたのだろう。」というミケの推論です。念のため。
この「ドグマ」、現在ではちょっと修正されてるってのはご存知のとおり。


横レス科学的手続きと科学的精神  投稿者:ミケ 投稿日: 2005年04月19日17時39分

こんにちは、パラドックス さん。

パラドックス さんは今、誰かの発言を誤解した上でそれを批判する、という状況になってると思います。

>半世紀前の分子生物学革命の立役者の一人であるモノーは、「大腸菌にとって正しいことは象にとっても正しい」とまで言い切っちゃいました。素人の単なる好奇心で進化論の本を読んでいるだけの自分だけど、いくらなんでもこの発言は失笑ものではないでしょうか。

「正しい」の意味を、発言者の意図と違う意味でとっていませんか?モノーの発言の「正しいこと」は、「科学的に正しいと示されたこと=メカニズムとか現象のこと」であって「倫理的に正しいこと=価値観に根ざしたもの」ではないですよ。モノーの発言は、厳密には正しくないけど失笑するほど的外れでもないです。


>ワトソンとクリックがDNAの二重らせん構造を発表した時に、遺伝情報の流れが
  
だということを自ら<セントラル.ドグマ>と宣言しました。ドグマっていうのは科学者が自説を主張する時に使うべき言葉じゃないでしょう。宗教やイデオロギー上の対立の時に飛び交う言葉ですよ。

セントラル・ドグマはあくまで名前。DNAからタンパクまでの情報の流れは、「逆転することはない」(獲得形質の否定が根拠だと思う)。「逆転しない=覆らない」からドグマという言葉を導いた、いわゆる連想ゲームじゃないんですかね(想像ですけど)。
少なくとも、彼らのネーミングセンスを指して知的傲慢というのなら的外れのように感じます。


科学的手続きと科学的精神  投稿者:パラドックス 投稿日: 2005年04月19日12時29分

To wadja さんへ

>>“進化理論におけるグールドとドーキンスの違いは、科学自体の評価基準の違いによって拡大されている。”(P.22)ここで言う「科学自体の評価基準」とはすなわち、パラドックスさんの言う啓蒙主義・懐疑主義の違いでしょうから、哲学的な主義の違いが、彼らの論争に無関係だとはいいません。しかし、まず学問的に重要な違いがあり、その上で哲学的な違いが二人の論争をより激しいものにしてきたということだろうと、wadjaは思います。 >>>>

そうかもしれませんね。科学上の手続きを踏みながら研究成果を発表すれば、結局は他の研究者を説得できるだけの証拠を示すことができるかどうかによって、その理論の正しさが一応決められるわけですから、どんな哲学や価値観を持っていても、それはその科学者にとっては副次的なことですね。

しかしながら科学者は、時に自分の専門分野における研究方法、研究対象の枠組みの中に知らず知らずに自分を閉じ込めていってしまうこともあると思います。

半世紀前の分子生物学革命の立役者の一人であるモノーは、「大腸菌にとって正しいことは象にとっても正しい」とまで言い切っちゃいました。素人の単なる好奇心で進化論の本を読んでいるだけの自分だけど、いくらなんでもこの発言は失笑ものではないでしょうか。ワトソンとクリックがDNAの二重らせん構造を発表した時に、遺伝情報の流れが
  
だということを自ら<セントラル.ドグマ>と宣言しました。ドグマっていうのは科学者が自説を主張する時に使うべき言葉じゃないでしょう。宗教やイデオロギー上の対立の時に飛び交う言葉ですよ。彼らが成し遂げた業績がとてつもなくすごいのはわかりますけど、こういう知的傲慢さが露骨になった時点で、もう研究者生命は終わったも同然ですね。


見えます  投稿者:えめ 投稿日: 2005年04月19日 0時45分

別に問題はないっす
かえってここの方が開きにくかったりします
(具体的でなくてすいません)


見えやすよ  投稿者:soft_tractor 投稿日: 2005年04月19日 0時37分

>wadjaさんへ
>みなさん掲示板2はちゃんとご覧になれます?
あっしのPC(XP+IE)じゃあ、ツリー式掲示板、とりあえず見れやす。
書き込みはしてねえんでわかりやせんが・・・。
ジャバスクリプトやアクティブX・コントロールを使わねえようにしてみたらいかがでやしょ?
あれで、時々新しい窓が開いたりしやすんでね。

#「掲示板2」を勘違いして2chを見に行っちまったバカなあっし・・・


wadjaさんへ  投稿者:PEPE 投稿日: 2005年04月19日 0時27分

ちゃんと見れますよ、自宅のパソコンも会社のパソコンも問題なくIEで開きますね。


ところで  投稿者:wadja 投稿日: 2005年04月18日22時43分

みなさん掲示板2はちゃんとご覧になれます?

wadjaのPCだとかならずIEがフリーズしてしまうのだが…
ファイアーウォールのセッティングのせいかしら?
はたまたホリエモンの祟りか?


宗教談義  投稿者:谷庵 投稿日: 2005年04月17日16時28分

え〜、私自身も板ズレであることは意識していまして、どう切り上げるか悩んでいたところです。
まあ、たぶんこのまま何となく終わりそうな予感もしていますので、それもいいかと。

それだけだと何なので、昨日読み終わった本の報告でも。
カブトムシと進化論―博物学の復権」河野 和男
虫好きの植物育種家による「漸進論で種の壁を越えられるのか」という疑問と言ったところでしょうか。
結構おもしろかったです。


投稿者名間違い  投稿者:投稿者 投稿日: 2005年04月17日11時38分

 単数化してしまった。


禍福はあざなえる縄  投稿者:diamond8888x 投稿日: 2005年04月17日11時35分

 自分自身に起こることならば、悪いことも例えば試練と都合良く解釈することは、精神衛生上よろしいでしょうね。また、悪いことにもめげずに立ち直るためには有効な処世訓です。


覆ってどうする…  投稿者:大文字ナン 投稿日: 2005年04月17日10時26分

 ×覆います
 ○思います


Re:宗教談義  投稿者:大文字ナン 投稿日: 2005年04月17日10時25分

 非常に単純にいって…
 雑談・脱線・暴走OKなこの掲示板において「その話題はタブー」とするのは妙だと思います。(ただ、扱いに注意しないと余計な紛糾になりかねない話題については、常に意識すべき、とも覆います)


宗教談義について  投稿者:かくり 投稿日: 2005年04月17日 8時38分

微妙なところですねえ〜>JA50さん

ここはタイトルの通りの掲示板なので,宗教については本来取り扱うべきではないのでしょうが,聖書をバイブルとするキルスト教(一連)は宗教の一つなので,どうしても触れざるを得ない時があるでしょう.
その時注意することが一つあって,科学については,科学とは何ぞやということを話しているのか,細分化されたそれぞれの分野について話しているのか,比較的はっきりしています.
しかしながら,宗教の場合については,宗教とは何ぞやということを話しているつもりになっているのにも関らず,細分化された宗教について話しているにすぎない事がままあります.

宗教について話すときは,何について話すつもりなのか,そして意図したことを話せているのか,よく吟味する必要があるでしょう.特にバックボーンとして何らかの信仰を持たれている方は,その信仰している宗教が,宗教そのものと混合しがちになってますので,頭の中でしっかり切り分けないといけないのかもしれません.

上手くまとめられなかったため,この辺りで


超亀レス  投稿者:wadja 投稿日: 2005年04月17日 0時43分

To:パラドックスさん

遅くなりましたがやっと「ドーキンスvs.グールド」(ちくま学芸文庫)を読み終わりました。まず、良い本を紹介してくれてありがとうございます。お礼を申し上げます。

進化論の現代の大御所ドーキンスと、彼と双璧を成していた故グールドの主張の違いについて、非常に客観性を保ちながら簡潔にまとめてある本だと思いました(たったの187ページ。なのに読むのに1週間以上かかったorz)。ドーキンスやグールドのファンが、今一度二人の主張の違いについて確かめたいと思った時には、とても役に立つ本だと思いました。

この本を読んでwadjaが思ったことを簡単にまとめさせてもらいます。

wadjaの結論としては、「ドーキンスとグールドの、科学の担うべき社会的役割に対する認識や、彼ら自身の一般大衆に対する啓蒙活動への考え方の違いは、彼らの哲学的な違い(啓蒙主義vs.懐疑主義)を反映しているかもしれない。しかし、彼らの進化に対する考え方の違いは進化生物学的な見識の違いであり、哲学の入り込む余地は余りなさそうだ。」と言うものです。

著者のステルレルニーは、同書の第1章で、
“ドーキンスとグールドの衝突は、両者の考えが本質的かつ重要な部分で一致しているとはいえ、進化生物学における二つの非常に異なった視点の衝突に他ならないのである。”(P.15)
と、哲学的な話では無く、進化学上の論争であると書いています。確かに、
“進化理論におけるグールドとドーキンスの違いは、科学自体の評価基準の違いによって拡大されている。”(P.22)
とも述べていますし、ここで言う「科学自体の評価基準」とはすなわち、パラドックスさんの言う啓蒙主義・懐疑主義の違いでしょうから、哲学的な主義の違いが、彼らの論争に無関係だとはいいません。しかし、まず学問的に重要な違いがあり、その上で哲学的な違いが二人の論争をより激しいものにしてきたということだろうと、wadjaは思います。


ここって宗教談義(論議?)する場所なんか?  投稿者:JA50 投稿日: 2005年04月16日12時22分

場違いな感じがするんだが、、、


横からこんにちわ  投稿者:えめ 投稿日: 2005年04月16日11時28分

ニコデモさん、はじめまして

難しいですねぇ、言葉だけのコミニケーションちゅーのは
皆さんとの一連のやり取り、又他の方同士のやり取りも"どうも言葉が通じ合っていない"掻痒感を感じながら読んでおりました。

このような(信仰と価値観の)話を眼にするたびに思うのですが、立脚点が違うのか、互いの意識のズレが大きいですよね。
のほほ〜んと読んでいるせいか、当事者同士が掛け合っている言葉に角度差を感じ、結局その角度差を埋められないまま徒労としてそれぞれの世界に引き戻っていく過程を見るに付け(今回がそうだとは、又、いつもそうだとも申しません)むつかしいなぁ、と顎を撫でてしまいます。

>神の計画は人には計り知れないものです
>民族は民族に、国は国に立ち上がる時が来て…やはり主の計画には逆らうことはできません。
これらはクリスチャンにとっては常識でしょう。でもクリスチャンでないものにとっては突拍子もないことなのです。
ですからあなたが
>もちろんこの考えを押し付けるつもりはありません。
>宗教全般に嫌悪を感じられる方の気持ちもわからなくはありません。
と他所で述べていても、どうしても「神は云々…」に反応してしまいます。

どーゆーことか、例を挙げましょうか。
ある兄ちゃんが考えている世界観は「自分の中に全宇宙がある」です。兄ちゃんは自分の姿は「裏返っている」と考えています。
眼は「自分の内部が見えているんだ」と信じています。この兄ちゃんと世界観を語り合う上で、兄ちゃんがいくら「この世界観を信じるのは自由だし、人に強制するつもりもない」と言っても、…どうしても反応しませんか? W)

これは凄まじく極端な例ですが、何となくでもクリスチャンではない者の心のニュアンスが解りましたかね。

価値観、あるいは正しさの”押し付け”(たとえ発言者にその意図が全くなかろうとも)に対し、まず感情として反発=意見してしまう。それは何も宗教についてのみ言えるのではなく、書き言葉、話言葉を脳内で「意」として翻訳した時、その意に違和感を覚えた時に反応する。ほんでね、言語の脳内変換は個人の経験により微妙な、又は相当の差を持っている、という現実を、人はしばしば忘れてしまうんです。話し合い、あるいは討論は違う認識を持ったもの同士が自らを含めて解り合う為にあるんで、それには話し合いのテーブルに付く所からではなく、テーブルを作る所から始めなくてはならない場合もあるんではないかと、めんどくさくてもね。

自分もクリスチャンでは有りませんが、クリスチャンにとって「信仰」とは対象を選びうる物ではなく、神を唯一の主君としてひたすら仕える「忠心」を指すのである。と言う一文を読んだ時、ああ、と得心しました。武士道みたいなモンかいなと(誤解を招きそうな言葉やねぇ)んで納得したんですけれど。ほら、しばしば眼にするクリスチャンの方の高飛車な印象の物言い、(神を信じない人は地獄に落ちるんですよ、とか)の訳をね。それで言葉に対する違和感はかなり減りました。ただ自分は、信仰そのものは尊いかもしれんが、信仰しているというだけでその人意見が「正しい」とは全く考えていませんし、事象に対する認識=価値観の基準は科学にしろ宗教にしろ唯一であるとも考えません。そんな簡単なもんじゃねぇよなぁ此の世は、みたいな
(※高飛車なクリスチャンとはニコデモさんの事ではありませんよ)

以上何か取り留めのない話になりましたが、今回の話し合いが自分を含め、皆さんにとって世界を広げるものに働けばいいなぁと考えている者として横レスでした。

             40過ぎて尾崎(15の夜とか)初めてまともに聞きつつ


おはようございます。  投稿者:ニコデモ 投稿日: 2005年04月16日 7時02分

 谷庵さん、 (ぱ) さん、おはようございます。

不思議に思われていることを、十分なものではないですが、僕なりに答えたつもりです。
宗教的なものが含まれています。嫌悪を感じるかもしれません。
だから先に謝っておきます。また、絶対に読んでくださいというものでもありません。

神の計画は人には計り知れないものです。
何がどのように働くのか、ということも、そのときが来るまでわかりません。
人は、小説の表紙を見て、購入して読む小説を選びます。
しかし人は皆、浅はかですから、表紙をみて結末までわかったような顔をします。
そして、これは面白くない小説だ、言います。
これは未信者をさしているわけではありません。
むしろ、クリスチャンでもそういうことはよくあると思います。
患難が訪れると、ダメだ、もう嫌だ、と呟くことがあるからです。
それは、乗り越えた先にあるより良いものを知らないからです。
その良いものとは、人が限界の努力で得るもの以上に優れたものだと思っています。

天災や戦争、殺戮、それらの酷いことは起こります。
僕も、明日には死ぬかもしれません。また、明日も生きているかもしれません。
それは主の御心次第ですから明日、あれこれしようとは思いません。
主の御心なら明日も生きて、あれこれしようと思います。

でも、僕は肉しか殺せないものは恐れません。むしろ魂まで自由にされる方を恐れます。
少なくともそうありたいと思っています。
もちろん苦しいこと、痛いことは嫌です。
そういう事が誰の上にも起こらないことを願っています。
しかし、そのような苦しいことでも神が天で報いを与えてくださると信じています。

民族は民族に、国は国に立ち上がる時が来て、飢饉や災害が起こる、と聖書にあります。
しかし、それは産みの苦しみの初めです、ともあります。
それらがないことを神に望みますが、やはり主の計画には逆らうことはできません。

僕は、目に見えるものでなく、見えないものにこそ目を留めます。
それは、見えるものは一時的で、見えないものはいつまでも続くと信じているからです。
最後まで残るものは、信仰と希望と愛だと信じています。

もちろんこの考えを押し付けるつもりはありません。
宗教全般に嫌悪を感じられる方の気持ちもわからなくはありません。
しかし人が成したことが神が成したことだという誤解は極力避けたいと思っています。
信仰なら何を信じてもよい、と思っているわけでもありませんし、個人的に、
あれをして、これをして、と人が神に命令するような宗教は好きではありません。
また、クリスチャンの方でも、祈ったところで無駄だと思うなら正しいとは思いません。
それは鼻から神の全能を否定することだからです。

僕がどの程度の覚悟で神に信頼しているかは自分でもわかりません。
僕個人は「覚悟」には大した意味を感じていません。
信仰とは心から信頼することなのだから「覚悟」は必要ないと考えています。
「覚悟」とは心配や不安に対して使う言葉だと思っています。
神が「わたしはあなたを愛するがゆえに、保証人となり、保護者となる。」
「だから、安心しなさい。何も思い煩う必要はないよ。」と言われるのに、
心配だ心配だというのは甚だ失礼だと思っています。
しかし僕自身、弱い人間ですから、簡単にそうはいかないのも事実です。
僕の信仰する道、その入り口は狭いものかもしれません。
キリストも「狭き門より入れ。」と仰います。
しかし、狭いところへ入ってつぶされよ、とは仰いません。
その出口は広く、明るい場所へ繋がっていると信じています。

長たらしい文章ですみません。


未承諾広告?  投稿者:たまごちゃん (^-^)ノ 投稿日: 2005年04月16日 5時10分

http://www.ils.uec.ac.jp/WP2005/wplight.htm

面白そうだから、参加しませんか?
他の人にも宣伝しよう。


大災害を抜かした  投稿者:谷庵 投稿日: 2005年04月16日 4時58分

>強姦や虐殺は人がすることなので、ニコデモさん的には

>>それは自由意志を持つ人が成した業です。神は愛ある方、誠実な方です。

>ということで筋は通っているように思います。

昨日の朝の「すべては神が」の下書きの段階では、後半は夕方の「不思議なだけです」の内容プラス大災害についても述べたものが入っていました。
けれども、ニコデモさんがどの程度の覚悟で神を信じているのか不明なため、やめておいたのです。
帰宅してニコデモさんのレスを見て、夕食前に書き込んだのですが、大災害についてはすっかり忘れてしまいました。
昨夕のニコデモさんへのレスであれば、大災害こそ書く必要があったのに。

酒が入ればだらしないのは当然ですが、もう少しで酒だと言う時にもだらしなくなるようです。(笑 


Re:不思議なだけです  投稿者:(ぱ) 投稿日: 2005年04月16日 0時45分

>世の中には強姦や虐殺が日常的にある場所もあるというのに、

強姦や虐殺は人がすることなので、ニコデモさん的には

>それは自由意志を持つ人が成した業です。神は愛ある方、誠実な方です。

ということで筋は通っているように思います。

しかし、先日のスマトラの地震のような天災も、神の業なんでしょうかね...


不思議なだけです  投稿者:谷庵 投稿日: 2005年04月15日19時04分

>神や信仰を否定することが谷庵さんの目的であるなら、互いにとってそれほど有益なことだとは思いません。

いや、別に否定をしようと思うわけではないのですが、世の中には強姦や虐殺が日常的にある場所もあるというのに、
「ただ、悪いと思うことでも、それはまた何か別のものを得るための出来事だったかもしれません。いわゆる試練というものかもしれません。また、単なる害かもしれませんが、神はそのようなことでも益となさる、そう思っています。」(改行省略)
と言うことが出来ることが不思議なのです。

ニコデモさんの主張は「すべては神の意志だ」というものではないようですが、虐殺の現場を前にしてそんなことを言うやつがいたら、殺意を抱くでしょうねえ。

私の宗教に対する気持ちを言えば、基本的には嫌いです。
どうしても排他的な要素がありますから。
素朴な宗教は好きなんですけどね。お地蔵さんとか。


(無題)  投稿者:ニコデモ 投稿日: 2005年04月15日18時30分

 *谷庵さん こんにちは。

>そうだとすると、世の中で起きている悪いことも神のせいだということになりますが。
それは自由意志を持つ人が成した業です。神は愛ある方、誠実な方です。
ただ、悪いと思うことでも、それはまた何か別のものを得るための出来事だったかもしれません。
いわゆる試練というものかもしれません。
また、単なる害かもしれませんが、神はそのようなことでも益となさる、そう思っています。

>もし、何となく神を信じているなら、・・・
僕にとって「なんとなく信じる」というのは信じていることとは思いません。
自分には「信仰」がある、と思って自惚れたり驕ったりしているわけではありませんが、
走ることが「信仰」なら、「なんとなく信じている」というのは、
走りたいと思っているか、はや歩きという感じでしょうか。
「信仰」は神に「信頼」することだと考えています。
「信仰」の反対は「無神論」ではなく「心配」することだと考えています。
僕は、精神安定剤や気休め程度に思って信じているわけではありません。

>これ以上私とやりとりをするのはやめた方がいいかも知れません。
僕がどの程度信じているか否かは別にして、神や信仰を否定することが谷庵さんの目的であるなら、互いにとってそれほど有益なことだとは思いません。

変なところに突っ込みをいれるようですが、互いに認識の違いがあるということを知っていただけたらと思い、書きました。
気を悪くなさらないでくださいね。

 *パラドックスさん、こんにちは。

>新書版の最近出た進化論の本を何冊か読んで勉強されてはどうでしょうか。
そうですね。お小遣いができたら探して買ってみようと思います。
受験が終わったら十分な時間ができると思うのでそのときになるかもしれませんが。

新約聖書は教会でも無料でもらうことができます。
きらしていることもあるかもしれませんが。
旧約聖書は、中川健一さんの「日本人に贈る聖書ものがたり」がわかりやすいと思います。
聖書の解説なら、三浦綾子さんの著書がわかりやすいと聞きます。
「聖書入門」みたいな名前だったと思います。
脚注の解説などが詳しいものは値段が高いんだと思います。


聖書−横レス  投稿者:あき 投稿日: 2005年04月15日16時32分

>それにしても聖書ってどうしてあんなに分厚くて高いのでしょう。自分は一番安そうなやつを買いました。高いのだと1万数千円もするんですね。

ホテルに泊まると聖書が置いてあることがありますよね?
関心があるのならば持って帰っていいと何かのときに聞いたことがあるのですが、デマなのでしょうか?
ちなみにずいぶん前に法華クラブに宿泊したときは仏典のような物が置いてあったような気がします。


相手の懐に飛び込もう  投稿者:パラドックス 投稿日: 2005年04月15日15時29分

>>神には人格があるというか、感情ある方だと信じています。つまり、神の奇跡も啓示も信じています。感情のない神に感情豊かな者を生み出すことはできないと思うわけです。>>>

とりあえずアマゾンで口語訳の聖書と解説書を注文しました。相手の価値観を理解することは大事ですからね。ニコデモさんも、新書版の最近出た進化論の本を何冊か読んで勉強されてはどうでしょうか。それにしても聖書ってどうしてあんなに分厚くて高いのでしょう。自分は一番安そうなやつを買いました。高いのだと1万数千円もするんですね。


すべては神が  投稿者:谷庵 投稿日: 2005年04月15日 6時25分

ニコデモさん、おはようございます。
ニコデモさんの考えは、すべては神が行っているということでよろしいでしょうか。
そうだとすると、世の中で起きている悪いことも神のせいだということになりますが。

このまま続けると、どうして私が宗教を信じないかを具体的に語ることになりますし、宗教の害悪についても語ることになります。
(そんなに大層なことじゃないんですが)
もし、何となく神を信じているなら、これ以上私とやりとりをするのはやめた方がいいかも知れません。
確固たる信念があるのなら、何を言われても平気でしょうが。


敢えていうなら(横レス)  投稿者:大文字ナン 投稿日: 2005年04月15日 2時45分

>こういう考えは科学に疎い馬鹿者のいうことなのでしょうか・・・。

 卑下することはないでしょう。それもひとつの考え方です。
 ただ、私にも「信仰がない」という信仰があるとしたときに、私の考え方とニコデモさんの考え方とでは「違う」ということがわかります。これはどちらが優れているとか馬鹿だとかということではありません。また、お互いに「ひとにはひとの考え方があるんだな」ということを理解したり、知ることもできるはずです。

 また、ニコデモさんの考え方に立ったとしても、ヒトである我々に「見えるモノ」が科学であり、それが非常に有効なツールであることを認められるのなら、科学によって進化が解き明かされていくこともは、信仰を侵害したり妨げるものにはならないだろう、と思います。

 さて、いささか宗教的に私の考え方をお話しますと、宇宙のはじまりも生物のはじまりも、再現不可能な事象です。科学は最も可能性の高い仮説(モデル)を提唱するにとどまります。特に宇宙のはじまりにおいては、いまある科学のほとんどすべてが通用しない特異点が存在することを、私たちの科学自身が示唆しています。
 そこには、ある種の「創造」もあり得たでしょう。それを科学は否定しません。しかし、私が考える「もし神がいるとしたなら」は、最大限の努力を払ってでも「この世の事象には干渉しない」のではないか?と思うのです。

 もしも神が「限りなく完全」ならば、あちこちで手出ししたり横槍を入れたりしなくても、世界は複雑さを増し生命が生まれ、生命自身が自らを育むようにしたのではないだろうか?と思います。つまり、それが進化です。
 私は(あくまで私の範疇において)、ヒトが特別だとか地球が特別だとかという「優遇性」を好みません。ユニークさ(独自さ)という点において、あらゆる生命・個体がユニークであり、同じモノはないでしょう。つまりすべてが特別なので、すべては平等でもある、というのが私の基本的な考え方です。

 このような考え方に立つ時、進化の原則である「突然変異と自然淘汰」は、時に星や惑星系を形成し、時に高分子の淀みをつくり、時に生命の兆しを生むこともあれば、絶やすこともあるでしょう。それほど進化のメカニズムは自然界のあらゆる事象に影響を与えているものであり、見方を変えれば「進化のメカニズムこそ、神の最大の恩恵」ではないだろうか?と思うのです。


すみません・・・、  投稿者:ニコデモ 投稿日: 2005年04月15日 2時33分

また例のアドレスが載ってしまいました・・・。
特に関係ないので、気にせず、無視してください。

 いま、みなさんの書き込みを読ませていただいています。
 言葉も内容も多少難しいですが、とても興味深く、勉強になります。
 僕は文系で理系科目は受験でもほとんど使いませんが、
 学校での勉強とはまた違う触れ方ができ、うれしく思っています。

 おやすみなさい。
 明日も皆さんがとってよい1日を送ることができますように。


こんばんは。  投稿者:ニコデモ 投稿日: 2005年04月15日 2時19分

 *谷庵さん こんばんは。^^

僕が言いたいのは、科学というメガネで世界を見ると進化があったと見えるということ。
そういう仕組みになっていると思っている、ということです。
僕の考えはこうです。あくまで個人的な考えです。

 実際には進化はなかった。
 しかし科学というメガネで見れば、進化があったことは確実なことだと見える。
 僕は神があえてそのようにされたと考えています。
 つまり神は6日間で天地を創造しましたが、
 人の目にはあたかも何百億年もかけて宇宙ができ、何十億年もかけて地球ができ、
 進化があったように見せている、ということです。
 それは科学によらず、人が神を探し見つけるようにさせるためです。

こういう考えは科学に疎い馬鹿者のいうことなのでしょうか・・・。

 *パラドックスさん はじめまして。こんばんは。^^

僕の場合、科学の法則も常に神が支えていると考えています。
決まった仕組みをおいておくのではなく、
持ち上げた物が、手を離したときに落ちることも絶えず神が働いておられるからだと、
そういう風に考えています。全知全能の神さまだということです。
その目どこにでもあり、自分の息よりも近いところにおられると信じています。
理神論ではなく、神には人格があるというか、感情ある方だと信じています。
つまり、神の奇跡も啓示も信じています。
感情のない神に感情豊かな者を生み出すことはできないと思うわけです。
聖書のことばを用いるなら「神は愛」です。
科学の話から随分それてしまいました。すいません。

http://plaza.rakuten.co.jp/iljpage/


ご意見、ご要望がございましたら、掲示板か、 e-mail:natrom@yahoo.co.jpへどうぞ。


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