進化論と創造論についての掲示板ログ245

2004年08月27日〜2004年08月30日
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半化石、とか  投稿者:PDX. 投稿日: 2004年08月30日16時53分

To シンさん

 中途半端に古いため、化石になりつつあるものは「半化石」と言われています。
 どこまで「半化石」で、どこからが「化石」なのかという明確な一線はないでしょうね。
 リニアに連続した変化の中に明確な境界線がないということで。

 半化石で検索したらHITしたページの1つ。
 http://www.ogasawaramura.com/Minamijima/Minamijima.html
 こちらの例では1,000〜2,000年というオーダーですね。

 琥珀は、植物の樹脂(ヤニ)が化石化したものですが、これにも「半化石」というべき Copal があるそうです。
 http://www.kuji.co.jp/amber/santi.html

>世間話

 まぁ真面目な話ばかりでは窮屈ですし(笑)
 私は以前から、アニメ・漫画ネタのヨタ話も振りまいてますしね(^_^;
 というかこの掲示板のヲタねた担当になりつつある悪寒…… orz


RE恐竜?  投稿者:シン 投稿日: 2004年08月30日16時21分

JA50さん こんにちは

>>一応、この場合の人類の定義をします。が、それは記録を神話のようにあいまいに残している時代までの人類です。

>となると5千年くらい前、長くても1万年前くらいになるんかな。

>これくらいで化石化可能なんだろうか?

そうですそのぐらいの期間のことです。そしてそれはシーラカンスと同じで別に化石があってもなくてもいいのです。意味不明にさせてしまいました。混乱させてすみません。

とりあえずPDXさんの
>>ロストワールド
>もちろん私個人としても、現代に恐竜が生き残っていたら楽しいだろうなぁと思います。
 それこそ「だいな・あいらん」のような世界だったら愉快だろうと(^_^;
 ただ、フィクションとしてそれを描くとき、どのようにして恐竜が生き残っていたのかという考証を真面目にやろうとするとかなり大変かなぁと思います。

このレスは明確に私の世間話を理解して答えてくれたものになっています。

それだけのことです。あまり気になさらないでください。


恐竜?  投稿者:JA50 投稿日: 2004年08月30日15時37分

意味不明になってきたなぁ、、、

恐竜と言わない方がいいんじゃないですか?
シンさんがイメージしている動物を。
なんか、恐竜とは似て非なるもののような。
恐竜というのなら、恐竜と言われている動物の定義を知って、それに合うように話すべきじゃないかなぁ。


RE鳥に恐怖を感じる?  投稿者:シン 投稿日: 2004年08月30日14時40分

JA50さん

ちょっと定義の趣旨が違います。変に受け取らないでください。
そういう意味ではないです。素直な定義はあなたの考えるとおりです。私は違う意味で定義しました。できれば文脈を読んでください。

仮に恐竜が5メートルでも10メートルでも30メートルでもおそらく恐いものは恐いので巨大でなくていい、と書いたまでです。恐怖の定義は毒がある、とか嫌い、ではなく、力が強そうで、かなわない、逃げろーという程度です。ライオン、象より強そう、ぐらいで十分です。

失礼します。時間が、、、また後で


鳥に恐怖を感じる?  投稿者:JA50 投稿日: 2004年08月30日14時12分

>一応、この場合の人類の定義をします。が、それは記録を神話のようにあいまいに残している時代までの人類です。

となると5千年くらい前、長くても1万年前くらいになるんかな。

これくらいで化石化可能なんだろうか?

>そして恐竜の定義ですが人が野生動物より恐怖を感じるぐらいの恐竜のことです。大きさは巨大である必要はありません。少なくとも現生動物より人が恐いと思うぐらいで結構です。

私は恐竜たちに恐怖を感じないです。

クモに恐怖を感じる。
ヘビにもちょっと感じるけど、これはどうもサルの仲間に共通みたいですね。

そうそうジュラシックパークに出てきたベロキラプトル(主人公たちを追い回したやつです)は、もしかすると羽毛で覆われていたかもしれない。
それとあのティラノサウルスも。

鳥みたいなやつだったら、シンさんは恐怖を感じますか?
恐怖を感じないのは恐竜でないとしたら、今や恐竜の代表みたいになっているティラノサウルスやベロキラプトルは恐竜じゃないことに?


おおっと  投稿者:シン 投稿日: 2004年08月30日14時03分

トトロさん ありがとうございます

下のレスは無駄でしたね。尻すぼみですがちょっとパソコンから離れます。
みなさん、ありがとうございました。


あれこれ  投稿者:PDX. 投稿日: 2004年08月30日14時00分

To シンさん

>フィクション

「事実は小説より奇なり」とよく言いますが、作家の山本弘氏に言わせると、小説はその作品本来の作り話の部分以外のところはリアルに描かないと「現実味がない」と言われてしまうものだそうで。だから、時として現実のほうがフィクションよりもとんでもないことになってしまったりもするとか。

>ロストワールド

 もちろん私個人としても、現代に恐竜が生き残っていたら楽しいだろうなぁと思います。
 それこそ「だいな・あいらん」のような世界だったら愉快だろうと(^_^;
 ただ、フィクションとしてそれを描くとき、どのようにして恐竜が生き残っていたのかという考証を真面目にやろうとするとかなり大変かなぁと思います。


To トトロさん

>深海魚の化石

 わははは(^_^; 知多半島の先端の南知多町って、うちの田舎だよ(笑)
 中学校のすぐ前に大きな路頭があって、地層がよく見れるうえに断層が3本も走っていたので理科の授業で観察したり、化石の採取をしたりしたものです。

 でもあの地層って風化しやすくて表面ボロボロだから、大きな地震が来たら大丈夫かしらんとか思ってました……。


RE想像ですが……  投稿者:シン 投稿日: 2004年08月30日13時58分

PDXさん ありがとうございます。

私も深海魚の新生代の化石がない(としたら)そのように予想します。
しかし、それを認めると中生代以前の深海魚(に見える)ほぼ全ての化石は今と姿は似ているが、深海魚ではない、と考えなければなりません。
多分古い地層では深海生物(に見える)化石はかなり多いように思えます(予想ですが)。シーラカンスの化石は多いみたいですが、昔のほとんどのシーラカンス類が今と機能が違い浅い海に生息していたのでしょうか(検証は難しいですが)。

考え方に修正が必要ならご教授お願いします。


ガブトガニの誤り  投稿者:トトロ 投稿日: 2004年08月30日13時48分

すみません。間違いでした。

マルオてミナミカブトガニ(間違い)
マルオカブトガニ(正解)


Re.ありがとうございます  投稿者:トトロ 投稿日: 2004年08月30日13時44分

To.シンさま

シーラカンス類は、古生代デボン紀(約3億8000万年前)以降から知られており、現生種 Latimeria chalumnae を含み、これまで121種が報告されています。Axelrodichthys araripensis Maiseyという化石はブラジルの北東部のセアラ州セリエ・アラリペで産出したものですが、このシーラカンスは浅い海か 淡水域に生息していたと考えられています (Maisey, 1986; 1991)。

シーラカンスに関しては(上野輝彌、1992、『シーラカンス はるかな古生代の証人』、講談社)などを読んでいただければよいかと思いますが、浅海に多く生息しており、全てが深海魚というわけでは無いと考えられています。

私の考えを言わせていただければ、大絶滅以前に、シーラカンスは浅海から深海まで広い範囲に生息していました。しかし、何らかの理由による大絶滅により浅海性のシーラカンスは絶滅してしまい、ごく僅かの深海性シーラカンスが生き延びたのではないでしょうか。

> 新生代の地層には深海魚の化石が残りにくかった

新生代の深海魚化石は結構、産出しており、例えば、知多半島の先端の南知多町には、師崎層群と呼ばれる新生代第三紀中新世の地層が分布しています。今から1600万年ほど前に堆積した地層です。ここから産出した化石には発光器を持った深海魚も発見されています。

故に、「新生代の地層には深海魚の化石が残りにくかった」という事は無い様に思います。それよりも、個体数が著しく少ない魚の場合、化石になる率の問題で、現在まで見つかっていないのではないでしょうか。


深海魚ではありませんが、生きた化石と呼ばれるものでは

・オオサンショウウオ

新生代の化石が知られています。化石種と外見上の特徴が大きく変わらないことから「生きた化石」としても知られており、世界的にも有名な動物です。ヨーロッパでは長い間化石でしか知られていませんでしたが、シーボルトが日本から持ち帰ったことから知られるようになりました。

・カブトガニ

新生代の化石としてミナミカブトガニやマルオてミナミカブトガニが知られています。詳しくは(ttp://www.city.kasaoka.okayama.jp/0012/0001.html)をご覧下さい。


恐竜について  投稿者:シン 投稿日: 2004年08月30日13時39分

やはり予想通りの答えでしたね。そう返ってくると思ってました。
トトロさんJA50さん ありがとうございました。

一応、この場合の人類の定義をします。が、それは記録を神話のようにあいまいに残している時代までの人類です。

そして恐竜の定義ですが人が野生動物より恐怖を感じるぐらいの恐竜のことです。大きさは巨大である必要はありません。少なくとも現生動物より人が恐いと思うぐらいで結構です。
小さくて恐くなさそうなのも恐竜は恐竜ですが、ここでは定義にはしません。

ロストワールドは今の時点ではフィクションですが、フィクションには、<かもしれない>という要素が必要です。それゆえ神話などの怪獣が恐竜を表現していたのではないか、という程度の空想を許容すれば、<かもしれない>が働いて、作り話を面白くできるのではないか、と考えました。だから<空想を許容>してもらう必要がありました。

この内容について突っ込むにはやはり地層年代についての議論をしなければ、私自身明確な考えが出せません。しばらくしたら、必ずやります。実はそれにつなげるためのシーラカンスの話題だったりします。私は都合が悪い事から、出来る限り逃げませんので、恐竜のことは今の時点では、ここまでにさせてください。


想像ですが……  投稿者:PDX. 投稿日: 2004年08月30日13時32分

To シンさん

 深海魚は、環境の厳しさ(餌の少なさなど)により普通の魚よりは個体数が少ないのではないかと思われます。チョウチンアンコウの独特の生態などは、棲息密度の低さゆえのものと思われますし。(雄が雌に寄生するような形で依存して生活する、など)
 そのぶん化石として残る数も減るのではないかと思われます。

 ただ、シーラカンスを含む一派も最初から深海魚だったわけではなく、浅い海から深海までいくつかの種が分布していて、たまたま深海の種だけが現在まで生き残ったのではないかとも思えますけどね。


ありがとうございます  投稿者:シン 投稿日: 2004年08月30日13時07分

トトロさん こんにちは

ありがとうございます。やはり思ったとおりでした。他の細かい情報もありがとうございました。自分で調べるべきでしたよね。

1 ところでシーラカンスは深海魚らしいのですが(下のサイトから)新生代の地層には深海魚の化石が残りにくかったのではないでしょうか。

2 深海魚は他にも生きた化石と呼ばれるものがあるみたいですが。古い地層からしか見つかってない気がするのですが、実際どうなんでしょうか。

1と2について、何か知っている人がいたらよろしくお願いします。

http://www.jin-net.co.jp/coelacanth/


>生きている化石  投稿者:JA50 投稿日: 2004年08月30日13時02分

>そしてそこから導きたいのは恐竜のいくらかは人類が発生する頃まで生きていた、という空想を許容できるかできないか、ということです。

まず、人類の定義、恐竜の定義をきちんとすべきじゃないかな。
人類ってのを、直立二足歩行するサルとすると、人類はほぼ500万年前に出現したってのが定説だから、6500万年という長い年代と比較したら、今もいるって言うのとそう違いはない。

恐竜はどう定義するかも問題ですよ。
うまく定義しないと鳥も恐竜の仲間になってしまう。
そうなると、「恐竜のいくらかは人類が発生する頃まで生きていた」どころか今も人類とともに生きているてなことになってしまう。

でも、大型の竜脚亜目や獣脚亜目が新生代に入って6000万年間も生き続けていたってのはいくらなんでも無理じゃろう。
ああいう大きなやつは、それを支えるための広大な、そして豊富な環境が必要だから、そんなのが生きて続けているってことは他の多種多様な恐竜類も生き残っただろうし、そうなったら新生代に入っての哺乳類の適応放散なんてのは不可能だったんじゃないかなぁ。ひいては人類の進化なんてのもできたわけがない。


Re.生きている化石2  投稿者:トトロ 投稿日: 2004年08月30日12時50分

To.シンさま

> そしてそこから導きたいのは恐竜のいくらかは人類が発生する頃まで生きていた、という空想を許容できるかできないか、ということです。
>
>それが完全否定できなければ、結構面白そうなフィクションを本気で書けるな、とか考えています。引き続きよろしくお願いします。

化石が産出しなくなったことをもって、「絶滅した」といえないことはシーラカンスの例から見ても明白です。現代まで生き延びた「絶滅種」とされるものがいても不思議ではないと私は考えますが、ある時期を境に化石が産出しなくなった場合、その時期に個体数が著しく少なくなって、以降、盛り返すことが無かったという推測ができます。このため、必然的に絶滅したと考えるのです。

シーラカンスは、深海に生息したため、1938年に捕獲されるまで、その存在が知られませんでした。でも、陸上の生物ではどうでしょうか。昆虫のように小さな生物ならともかく、大型の爬虫類や哺乳類が生息するためにはそれなりの個体数が必要であり、餌場も必要です。

「恐竜のいくらかは人類が発生する頃まで生きていた」かどうかは、相当数の恐竜が生息するのに必要な条件を備え、人と殆んど接触せずにすむ土地があるかどうかです。20世紀初頭までなら、そのような人類未踏の土地はいくらもありましたが、現状では難しいのでは、と私は考えます。

因みに、ロストワールドなど、恐竜と人類が接触したSFは結構あります。フィクションである限り、厳密な科学的証拠を必要としないので、”人類が発生する頃まで生きていた、という空想を許容”する必要は無いのでは、と考えますが・・・


Re.生きている化石  投稿者:トトロ 投稿日: 2004年08月30日12時37分

To.シンさま

> シーラカンス、サメ、ゴキブリは新生代の6500万年間化石になる機会を与えられていない

新生代のサメの化石は新潟県佐渡郡相川町平根崎,下戸層(前期−中期中新世)などから相当見つかっており、オオワニザメ、ホホジロザメ、アオザメ、ムカシオオホホジロザメ、メジロザメなどの種類が特定されています。詳しくは「矢部英生・小林巖雄(1994)新潟県化石図譜:5 新第三紀の板鰓類(サメ・エイ類)化石.新潟県地学教育研究会誌,第28号」などを調べてください。

サメは軟骨魚のため、骨格が化石として残りにくく、歯の部分だけが発見されることが多いようです。

新生代のゴキブリの化石は中国のものがよく知られています。国内でも産出例はあるようですが、ほとんど新生代のものだそうです。山口県の美祢市歴史民俗資料館には古生代から新生代までのゴキブリなど多くの化石が展示されています。


生きている化石  投稿者:シン 投稿日: 2004年08月30日12時10分

みなさん情報ありがとうございます。

とりあえずはシーラカンス、サメ、ゴキブリは新生代の6500万年間化石になる機会を与えられていない。でいいのですか?私の質問は<古くから姿を変えていない生き物>だけでなく、6500万年間、化石になる機会のなかった、今現存、もしくは人類史に絶滅の(ドードーとかモアのような)記録のある生物だったのですが。

新生代と中生代の両方の地層に今いるサメ、今いるゴキブリの化石ぐらいはありそうな気がするのですが。

そしてそこから導きたいのは恐竜のいくらかは人類が発生する頃まで生きていた、という空想を許容できるかできないか、ということです。

それが完全否定できなければ、結構面白そうなフィクションを本気で書けるな、とか考えています。引き続きよろしくお願いします。


恐竜土偶に関する参考文献  投稿者:流木 投稿日: 2004年08月30日10時56分

*PDX.さん(ついでに 投稿者:PDX.  投稿日: 8月29日(日)23時05分31秒)

 こんにちは。

 参考文献のご紹介、ありがとうございました。探してみたいと思います。

 「東村武」さんではなく、どうも「東村武信」さんのようです。1990年に同じ学生社から改訂版が出ているようですね。

 あと、「Die Peso」は、「De Peso」か「Di Peso」のようです。


生きている化石  投稿者:JA50 投稿日: 2004年08月30日10時34分

サメはどうでしょう?

シーラカンスやゴキブリなんかよりよっぽど代表選手としてふさわしいと思うんですが。


生きている化石  投稿者:流木 投稿日: 2004年08月30日10時08分

*シンさん(恐竜土偶について 投稿者:シン  投稿日: 8月30日(月)01時20分35秒)

 こんにちは。

 生きている化石って、シーラカンスを持ち出すまでもなく身近にもいますよね?ゴキブリくんですよ。ゴビ砂漠で石灰紀後期のゴキブリの化石が発見されていますが、基本的な形態は現在のゴキブリくんと変わりません(翅が大きいとか産卵管を持っているとか違いはありますが)。ゴキブリくんは、ペルム紀になって現在の大部分の昆虫の先祖が登場したにもかかわらず、現在まで生き残って来た「生きている化石」です。

 もっとも、シーラカンスのはく製を見るために、博物館に足を運ぶ人はいるでしょうが、ゴキブリくんの標本を見るためにわざわざ出かける人は少ないかも?今度見つけたら、スリッパで叩く前に、少しは畏敬の念を持って見てあげて下さい。


とりあえず  投稿者:流木 投稿日: 2004年08月30日 9時54分

 こんにちは。

 ほんの少しばかり調べて見ました。米国のYahoo!から「Mexico Acambaro」で検索すると、恐竜土偶(Dinosaur Figurines)を「恐竜と人類とが共存していた驚くべき証拠!(Amazing evidence that dinosaurs and humans coexisted!)」とか述べている創造科学支持者さんのWebサイトがいろいろ見つかりました。

 http://www.bible.ca/tracks/tracks-acambaro.htm

 中身は、日本の同種のものよりは詳しいかなと思いますが、「What evolutionists have said if man and dinosaurs co-existed」として、ドーキンスらの発言を引用しています。

Richard Dawkins, Oxford "alleged human bones in the Carboniferous coal deposits. If authenticated as human, these bones would blow the theory of evolution out of the water." (Free Inquiry, V.21, No.4, 10/11/2001)

Richard Dawkins, Oxford "…there are certain things about the fossil record that any evolutionist should expect to be true. We should be very surprised, for example, to find fossil humans appearing in the record before mammals are supposed to have evolved! If a single, well verified mammal skull were to turn up in 500 million year old rocks, our whole modern theory of evolution would be utterly destroyed. Incidentally, this is a sufficient answer to the canard, put about by creationist and their journalistic fellow travelers, that the whole theory of evolution is an 'unfalsifiable' tautology. Ironically, it is also the reason why creationist are so keen on the fake human footprints, which were carved during the depression to fool tourist, in the dinosaur beds of Texas," (The Blind Watchmaker, 1986, p.225)

 恐竜土偶への直接の言及ではありませんし、進化論の反証可能性について述べただけだと思うんですけどね…。


Re.熱ルミネッセンス法での誤差  投稿者:トトロ 投稿日: 2004年08月30日 8時43分

以前に縄文草創期の遺跡発掘現場を見学した時に学芸員の方から聞いた話ですが、
熱ルミネッセンス法での年代測定はよほど条件の良い試験体でも10%位、通常は
20%以上の誤差が出るとの事でした。

また、この方法は100年より新しい試験体には使用できないそうです。
試験体ごとの測定値のばらつきが大きいため、複数の測定を行って平均を出すそう
ですが、新しい試験体ではばらつきの幅が大きくなって、有意な結果を求められな
いとのことです。

「一寸、古い瓦なんかを測定すると、3〜6千年程度古いという結果が出てきます。
多点測定して、統計処理をすることで信頼性のある年代を導きます」と言われてい
たのを今でも覚えています。

故に、私は誠実に処理する限り熱ルミネッセンス法による年代測定は20%程度の
誤差を含んだ有意な結果をもたらすと考えていますが、資料ごとの測定ばらつきが
大きいという点から、トンデモな結論を得やすい方法だと認識しています。


恐竜土偶について  投稿者:シン 投稿日: 2004年08月30日 1時20分

私は恐竜土偶が本物だったらいいなあ、と考える立場ですけど、下のような懐疑的な記事も一通り目を通していました。おそらく捏造だろう、と考えるのが一番普通だと思います。その確率は高そうに見えます。特に擁護する気もありません。

ただ、シーラカンスを例にあげさせてもらいますが。(下のサイトからの引用)

> 「シーラカンス」と言えば生きている化石の代名詞のようなもので、いまさら説明するまでもないように思えるほどである。古くは古生代のデボン紀(約4億年前)に出現し、中生代の終わり(約6500万年前)に絶滅したと思われていた総鰭類(ソウキルイ)と呼ばれるグループに属している。

6500万年以降の化石がなくても<生きている化石>として6500万年間生き残っているのですから、恐竜のいくらかも人類が出現していて、且つ、記録(を残す能力)がはっきりする以前にまだ生き残っていた。のではないか、というぐらいまでは言ってもいいんじゃないですかね。検証が難しいので断定はできませんが想像ぐらいは許されるのではないでしょうか。

鳥類として生き残った、という仮説も読みましたが、その意味でなく、です。

<@> とりあえず、シーラカンスは新しい地層からも見つかっている、という情報があれば上の<想像>はかなりの根拠を失ってしまいます。
また他にも新生代の地層にはなくて中生代以前の古い地層に存在し、なおかつ今、地球上に存在している生物は、他にもあるのではないでしょうか。

考え方としては個体数が少なくなったり、環境の変化などで6500万年間化石になる機会を与えられなかった、という考えもできますが、それならば、いくつかそんな例を調べればなぜ化石に残らなかったのだろう、という検証もしやすくなります。

ちょっとみなさんの立場に対し懐疑的な問題提起で悪いと思ってますが、もし何か知っていましたら、よろしくお願いします。

6500万年前にあった、とされる大量絶滅は絶滅したものと全然被害にあってないものの相関関係に理由が推測しにくく、それが恐竜の絶滅の謎を深めている、と本で読みました。
(恐竜と哺乳類、虫、淡水魚の多くは絶滅。わに、亀、両生類はほとんど被害なし。海水魚はその本に書いていなかった。)参考 図解雑学 恐竜の謎 古生物学者 平山廉

学者さんでもわからない内容は別にいいです。とりあえずは<@>の段落のシーラカンスと他の生物の情報があれば、よろしくお願いします。

http://www.eco.goo.ne.jp/wnn-z/files/dino/living/living_5.html


ついでに  投稿者:PDX. 投稿日: 2004年08月29日23時05分

To 流木さん

 先の記事での引用部についての参考文献ですが、1つ目が

 東村武「考古学と物理化学」
 (学生社、一九八〇年)

二つ目が

 Charles C. Die Peso 「American Antiquity」
 (18:383-389, 1963)

となっています。参考になれば。

 なお、他の部分で面白いと思ったのが、この文。

=== ここから ===
 また、アカンバロの恐竜土偶とひと口にいっても、出土される土器のデザインは恐竜だけではない。
 象やワニのような顔を持った半人半獣の土偶や、翼のある龍など、とても実在したとは思えない姿の土偶も多数混じっている。
 もし恐竜土偶を空想の産物ではないとするのなら、象人間、ワニ人間も実在の生物としなくてはならないだろう。
=== ここまで ===


熱ルミネッセンス法での誤差  投稿者:流木 投稿日: 2004年08月29日22時37分

*PDX.さん(アカンバロの恐竜土偶 投稿者:PDX.  投稿日: 8月29日(日)20時53分30秒)

 こんにちは。レス、ありがとうございます。

 なるほど、土器が生焼けだと、年代が古く出ることがあり得るわけですか…。天然放射線量は測定したんですかね。炭素14年代測定法だと、試料を素手で触ったりしていると、年代の誤差が大きくなったりするようです。なかなか難しいものですね。

 もし、これら(生焼けではなかったのか?天然放射線量をきちんと測定したのか?)について、疑わしいとなれば、 残る疑問は恐竜土偶の数が多い(発掘当初は3万数千点あったといわれる)ように思えることぐらいでしょうか?

 1日10個作って、1年で3650個。3年で10950個ですよね。1日30個作れば、3万個作るのには3年ほどあればよい(6年あれば、1日15個でよい)わけで、十分可能な量ですが、「そこまで作るか?」という気もしないでもありません。まぁ、売るつもりで家族総出でせっせと作ったんなら、分からなくもありませんが…。

>>土偶が出土している部分の土にはっきりとした埋め戻しの跡が見られ、土偶は「つい最近、明らかにそこに埋められた物だ」と指摘されている。

 この話は聞いたことがあります。恐竜土偶支持者は認めそうにありませんけどね。

 今、『トンデモ超常現象99の真相』はひとに貸していて手元にないので参考文献は調べようもありませんが、海外のサイトなども当たれば何とかなりそうなので、できる限りで調べてみます。


アカンバロの恐竜土偶  投稿者:PDX. 投稿日: 2004年08月29日20時53分

To 流木さん

 と学会の「トンデモ超常現象99の真相」という本の中で、アカンバロの恐竜土偶についての記述があります。
 その中から、熱ルミネッセンス年代測定法で誤差が生じることについての問題点を記載している部分を抜粋します。(句点ごとに改行を挿入しました)

=== ここから ===
 熱ルミネッセンス法は、C14法と異なり、土器そのものの年代を測る方法である。
 土器が焼かれてから後に浴びた放射線の量を、発光という形で捉える測定法だが、土器が生焼けだと測定値が古く出る事がある。
 また、土地の天然放射線量がわからないと値が出せないので、発掘された同じ土地に線量計を一年間埋めておく必要がある、とされている。
 アカンバロの恐竜土偶の熱ルミネッセンス測定は、こういった基礎条件が守られたうえで行われたものなのかどうかよくわからない。
=== ここまで ===

 あと、その項目は次のような記述でしめくくられています。

=== ここから ===
 なお、アカンバロの土偶に関しては、発掘中の現地を見学した学者による批判論文が一九五三年に発表されている。
 その論文によると、土偶が出土している部分の土にはっきりとした埋め戻しの跡が見られ、土偶は「つい最近、明らかにそこに埋められた物だ」と指摘されている。
=== ここまで ===

 上記引用部2点については、どちらも参考文献の示されていますので、もっと詳しく知りたい方はそこを調べてみてくださいませ。


マスコミは信用できない?  投稿者:たんぽぽ 投稿日: 2004年08月29日20時42分

ヘルメス☆さまにかぎらず、最近、なにかにつけて
マスコミは信用できない、というかたは、ときどき見かけますけどね...

そういう「マスコミ不信論」については、つぎのサイトの指摘が、
だいたい当たっているのではないかと、わたしは思いますね...
http://www5d.biglobe.ne.jp/~DD2/neta2.htm


ちょっとだけ引用しておこうかな...
========
マスコミがらみで何か不祥事があると
「だからマスコミは信用できない」と反応する人を時折見かけます。
マスコミ悪者論は、一面の真理を含んでいるのかもしれませんが、
しかし現状で、総合的に判断してマスコミ以上に信頼できる
ニュースソースも存在しないと思います。
人伝の話は、このサイトの内容からも分かるように誤報が多いものです
========


Re:オラ、畠から万引きしただ(事例的根拠?)   投稿者:おずおず 投稿日: 2004年08月29日20時21分

>という子供時代を50年代以前に過ごした人はありふれてるみたいですよ。柿の実を盗むとかは大人の方もイタズラとは見ても犯罪とは見てなかったでしょうね。まあ大戦直後の食糧難時代だと命がけだったかも。

ボクのアニキは、よそのサツマイモ畑でイモを抜いてたら、隠れて見張っていたらしい鎌を持ったおっさんに「このがきゃー!」と怒鳴られて、相当長い間追っかけまわされたと言ってました。捕まったら確実に殺されると思って死にものぐるいで逃げ切ったとのこと。

多分50年代前半の時代...。


反抗的な女の子は  投稿者:diamonds8888x 投稿日: 2004年08月29日18時44分

 はんこうてきーな、おんなのこは、いい科学しゃーになれるって
 17才で成長が止まった場合はその限りにあらず

 福沢諭吉のエピソードを思い出しました。神社のお札を踏みつけるとばちが当たると言われて、本当かどうか試してみたとか。偉人伝なので、少年時代から合理的思考の持ち主だった証と評価されてましたが、別の面からはいけないことなんだぞ、ワルガキ諭吉君。まあ子供だから許されるけど、力を持った大人が踏みつけることを強制したりしたら・・・。もってのほかですよ。

 しかし学校での非行がからむ推理小説の真犯人みたいな子供だったんですねえ(^_^)


オラ、畠から万引きしただ  投稿者:diamonds8888x 投稿日: 2004年08月29日18時39分

 という子供時代を50年代以前に過ごした人はありふれてるみたいですよ。柿の実を盗むとかは大人の方もイタズラとは見ても犯罪とは見てなかったでしょうね。まあ大戦直後の食糧難時代だと命がけだったかも。その辺はよく知りません。
 今や畠から盗むのはプロの集団という時代ですなあ。

 これ単なる私の感触に過ぎず、統計的根拠はゼロですから、そのつもりで。

 それと過去に甘く見過ごされていたことも見過ごされなくなってきているのが今の時代の流れだし、それは正しい方向でもあると私は思います。賄賂とか、役職に伴う甘い汁とか、会社のためなら何をしてもいいとか、セクハラとか、ですね。


著者ではなく内容で  投稿者:diamonds8888x 投稿日: 2004年08月29日18時38分

>  「マスコミを鵜呑みにする人もイタいが、頭から否定する人もまた同じだけイタい」
>  っていう風に理解しとりまつ。

 そういうこと。自然科学にたずさわる者にとって記事の著者ではなく内容で判断するというのは当たり前の話。それが社会的現象が対象であっても同じ事。
 しかし。昔は日本の新聞にも署名記事というものは少なかったけど、それじゃあ責任の所在が不明で信頼性に乏しいとの考え方が優勢になってきて署名記事が増えてきたという経緯だと理解していましたが、署名記事の方が信頼できないと考える人もいるとは知りませんでした。


紀伊國屋書店で・・・  投稿者:この世は仮の世 投稿日: 2004年08月29日 7時37分

「ワイス博士の過去生退行瞑想」CDというのを買った。3150円(税込み)
このCDの中に朝の5分間瞑想というのがあってその中のフレーズにはっとさせるものがあった。
CDの中の台詞の正しいフレーズは忘れてしまったが、「昨日のことは過去のこと・・・(今日からは新しい一日が始まる)」という趣旨のフレーズだと思う。
このフレーズから導き出した悟りは「1年365日、日々生まれ変わるチャンスを我々は与えられている。1年365日・365回生まれ変わるチャンスが与えられている。昨日は失敗の一日だが、今日はその失敗の教訓から立ち直るやり直せるチャンスを与えられている。今日の朝は昨日の失敗から得た教訓を今日の生活に生かすよう決意しよう」というものだ。


熱ルミネッセンス年代測定法  投稿者:流木 投稿日: 2004年08月28日23時54分

 ところで、熱ルミネッセンス年代測定法が間違うのはどういうときなんでしょう?

 熱ルミネッセンス年代測定法は、天然放射線を浴び続けた蛍石や石英といった自然の鉱物が加熱すると蛍光を発するという性質を利用したものです。蛍光の強さは、その鉱物がそれまで受けてきた放射線量に比例するので、その鉱物に放射線を照射したときの蛍光の強さと比較することで、蓄積されてきた放射線量を測り、年間の自然放射線量から逆算して、蓄積に要した年数を推測するわけですね。

 土器でいえば、粘土は窯で摂氏500度以上に加熱されたときにそれまでに蓄積した自然放射線に比例して発光しますから、一旦リセットされるわけです。その後、年間の自然放射線量が一定であると仮定すると、加熱したときの蛍光の強さは土器が製作されてから経過した年数に比例することになります。

 熱ルミネッセンス年代測定法は骨董陶磁器の真贋鑑定などに応用されているようですが、ニセものを作る側も巧妙になっているようで、新しい贋作にエックス線を照射したり、添加剤を注入したりして、加熱した際に蛍光を放つように細工するケースもあるそうです。

 http://www.peopleschina.com/maindoc/html/200207/zhuan34.htm

 恐竜土偶の場合、作成者が熱ルミネッセンス年代測定法について詳しい知識を持っていたとは考えられませんし、エックス線を照射したり、添加剤を混ぜたりすることもムリでしょう。とすると、年代測定に誤りがあったとすれば、測定前にその試料(恐竜土偶のサンプル)が別の検査でエックス線を照射されていて、それが見過ごされた可能性ぐらいしか思いつきません(鑑定内容の詳細が分からないので)。

 恐竜土偶が捏造だと仮定して、熱ルミネッセンス法で年代測定に誤りが生ずる場合としては、他にどういう可能性が考えられるのでしょうか?


石原発言  投稿者:たんぽぽ 投稿日: 2004年08月28日23時16分

石原の「三国人」発言についての、
毎日新聞の自社オンライン・ディベートって、まだあるでしょうか...?

もしログが残っているなら、原物を見てみたいので、
ぜひ教えていただけたら、と思います。


少年犯罪は凶悪化しているか?(2)  投稿者:たんぽぽ 投稿日: 2004年08月28日23時14分

> http://www.alpha-net.ne.jp/users2/knight9/toukei.htm

この資料だけど、「少年の凶悪犯検挙人数」のところで、
つぎのような考察が、添えられていますね。

|少年の凶悪犯の検挙人数は、昭和34年(1959年)の7684人をピークに
|ほぼ一貫して減少してきたが、平成3年(1991年)から増加傾向へ転じ、
|5年連続で2000人を超える水準で推移している。

「強盗」は約1600件なのに対し、「殺人」「放火」は100件前後ですから、
全部たし算して、「5年連続で2000人以上」などとしたら、
けたのちがう「殺人」「放火」は、誤差に埋もれてしまって、
意味がないんじゃないかな...?
(これをもって、凶悪犯罪の検挙数が増えたとは、結論できないと思います。)


「増加した凶悪犯」の8割を占めるのが、「強盗」なんだけど...
http://psychology.jugem.cc/?eid=48

1997年に少年法が改正されて、それまで「窃盗」だったものを、
「強盗」として扱うようになった、つまり、それ以前までは
凶悪でなかったものを、凶悪とするようになった「時代背景」の影響だ、
という判断は、妥当のようだと、わたしも思いますね。


少年犯罪は凶悪化しているか?(1)  投稿者:たんぽぽ 投稿日: 2004年08月28日23時13分

>(3) 少年犯罪は凶悪化しているか
> http://www.wako.ac.jp/souken/touzai01/tz0113.html

なるほどねえ...
(戦後約半世紀のあいだの、少年犯罪の質と数について、
ひととおりのことが、ここで考察されていますね。)


1970年代くらいまでは、経済的に貧しいことが原因の
少年による殺人が多く、1980年以降は、
おそらくは学歴社会などが作る、管理や競争と考えられる、
文化的抑圧が、少年による殺人のおもな原因とありますね。

高度経済成長とともに、社会が豊かになるにつれて、
経済的な貧しさからの殺人が、減ってきたからでしょう、
それまで目立たなかった(もともとからあったようですが...)、
文化的抑圧による殺人が、マスコミや社会の注意を
惹くようになってきた、ということのようです。

文化的抑圧が原因で、殺人を犯す少年は、
いわゆる「ふつう」か、それ以上に恵まれている家庭の子のようだし、
90年代に入ると、被害に遭うほうも不特定化してきた。
それで、自分も被害者や加害者(の親)になるかもしれない、
という不安や恐れが、「凶悪化した」「増加した」と、感じさせるもののようです。


いずれにしても、数の上ではグラフの示すとおり、
少年による「凶悪な」殺人事件は、1950-60年代のほうが、
いまよりずっと多かったとして、いいのではないかな...?

「時代背景のちがい」を考えて、
「現在の少年犯罪の凶悪化」を議論したいなら、
すくなくとも、80年代のはじめから見ていくのが妥当でしょう。
それを見るかぎり、少年の殺人事件の検挙数が最近になって
とくに増えたとは、思えないですね...
(増加したのは、「凶悪な少年犯罪」ではなく、
「世の中のオトナたちの疑心暗鬼」のようですね...)


ものの道理  投稿者:地下に眠るM 投稿日: 2004年08月28日23時10分

「うっかり」というのは「わざと」するものだというのが、ものの道理というものだにゃ


む?  投稿者:大文字ナン 投稿日: 2004年08月28日22時19分

>>僕なんてこの歳になってもうっかりすると人前でチンコを・・・

 わざと、でしょ?


A_shift様へ  投稿者:ジェイソン太郎 投稿日: 2004年08月28日21時59分

70年代の挿絵を基にしているみたいですしね。最近だったら、走っている奴なんでしょうね。


流木様へ  投稿者:ジェイソン太郎 投稿日: 2004年08月28日21時54分

詳しくご説明いただきありがとうございます。最近、流木様にお世話になっているような・・・


善川三朗の霊言3を拝受しに   投稿者:この世は仮の世 投稿日: 2004年08月28日21時42分

幸福の科学の支部に行った。支部では丁度大川きょう子先生の御法話拝聴会をやっていたので誘われて見た。あれ?と思った。大川隆法総裁先生がいわなかた地獄が紹介されたから・・・これからの生活で参考になる教えだったが、ノートしてなかったので今は忘れた。
支部に行くとやはり普段の自分の出してる波動と支部の会員さんの波動が違う。自分の小ささを思い知らされる。帰りの汽車の中でそのことを考えてると「支部の会員さんの波長に自分の波長を合わせなさい」という教えが説かれているように感じた。
うちに帰ると長年自分の慣れた波長が出迎えていつもの自分の波長に戻った。自分が出してる波長って父母の住む家の波長そのままだなと気づいた。動物かな?頭に霊的になんかすっぽり被さってる感じだ。バイクのヘルメットみたい・・・
善川先生の霊言も参考になった。総裁先生の本の参考書になる。自分の普段の心自体が悪いと反省した。
今日は別のことを話すつもりだったが、支部に行くといつも反省させられるのでこういう事を書いた。最後に一言「支部は天上界そのものだ!」終わり


うっかり?  投稿者:wadja 投稿日: 2004年08月28日21時32分

wadjaも万引きはしなかったな。小学生になる前に、堂々と店前に並べてあるお菓子をその場で食べて、店の人にこっぴどく叱られた経験はあるけど。

>僕なんてこの歳になってもうっかりすると人前でチンコを・・・・

自然選択には適ってるんだが…

#ああ、下ネタだとすぐ反応してしまう。


あ、訂正  投稿者:地下に眠るM 投稿日: 2004年08月28日21時29分

連続投稿だけど、重要な訂正なので

前の投稿の
「創造論」
をすべて
「創造科学」
に訂正


創造論とメディアリテラシー  投稿者:地下に眠るM 投稿日: 2004年08月28日21時25分

にゃっはっはっは、連続投稿スマソ

創造論を批判的に見る、というのも立派なメディアリテラシー教育の一環にゃんね。
「公教育を批判的に読み解く」というのはメディアリテラシー能力の最終的な目標のひとつといっていいかもしれにゃー。

合衆国でメディアリテラシー教育が盛んでないことと、創造論がイキオイがあることとは無関係であるはずがにゃーだろうね。

などと自分が荒らしたことを回復しようとするいたいけな僕。


なんだかよくわからんが  投稿者:クハ72 投稿日: 2004年08月28日21時22分

「マスコミを鵜呑みにする人もイタいが、頭から否定する人もまた同じだけイタい」
っていう風に理解しとりまつ。


小学生の万引き  投稿者:地下に眠るM 投稿日: 2004年08月28日21時14分

僕は万引きしなかったのだにゃ。
でも、虫や蛙をいびり殺すことは大好きだったにゃー。

ガキのころの万引きって、虫をいびり殺したり人前でチンコを触ったりするのと同じようなものではにゃーかと思わにゃーでもにゃーな。

そのまま大人になっても常習化することもあるだろうけどね。
僕なんてこの歳になってもうっかりすると人前でチンコを・・・・


メディアと美術  投稿者:地下に眠るM 投稿日: 2004年08月28日21時06分

それにしても・・・・

************************************
1)メディアはすべて構成されたものである。

2)メディアは現実を構成する。

3)オーディアンスがメディアから意味を読み取る。

4)メディアは商業的意味をもつ。

5)メディアはものの考え方(イデオロギー)と価値観を伝えている。

6)メディアは社会的・政治的意味をもつ。

7)メディアの様式と内容は密接に関連している。

8)メディアはそれぞれ独自の芸術様式をもっている。
***************************************

こりゃ、このまんま現代美術論だにゃ。にゃっはっはっはっはっは。
ま、当然か。美術とはメディアの構成様式にゃんから。

実は僕は美術教育の周辺で飯を食っているんだけど、美術教育の目標とメディアリテラシーの目標って重なっているよにゃー。
「メディアは現実を構成する」なんてのはしびれるにゃ。


メディアリテラシー  投稿者:地下に眠るM 投稿日: 2004年08月28日20時56分

wadjaの引用も悪くにゃーのだが、「メディアを創造する能力」というのも大事なところだと思うにゃ。ある媒体を制作する能力が身に付くということは、そのメディアの裏がわかるということを意味するにゃ。
英国やオーストラリアなどの英語圏では、メディアを作りだす教育に力をいれているようだにゃ。批判力を養う方法としては正しいでしょうにゃ。

ちょっと長いけど、以下にマルチメディアインターネット事典から引用

***************************************************
マルチメディアを効果的に組み合わせて自由な表現ができる能力。メディア・リテラシーとは、メディアが伝えるメッセージや情報を市民が社会的文脈でクリティカル(批判的/critical)に分析し、評価し、メディアにアクセスし、多様な形態でコミュニケーションを創りだす力である。また、そのような力の獲得をめざす取り組みもメディア・リテラシーという。メディア・リテラシーの取り組みの方法は、相手である各種メディアの発達段階、制度や企業としての成り立ちが国や地域によって違っていることから、世界各地でさまざまに異なっている。

1)メディアはすべて構成されたものである。

2)メディアは現実を構成する。

3)オーディアンスがメディアから意味を読み取る。

4)メディアは商業的意味をもつ。

5)メディアはものの考え方(イデオロギー)と価値観を伝えている。

6)メディアは社会的・政治的意味をもつ。

7)メディアの様式と内容は密接に関連している。

8)メディアはそれぞれ独自の芸術様式をもっている。

と、基本概念を定義している。


うーん勉強になった  投稿者:wadja 投稿日: 2004年08月28日20時00分

いきなり荒れて、最初は意味が良く分かんなかった。

メディアリテラシーってそんな意味があったのね。知らんかった(恥)
最初に見たときは、デジタルディバイドみたいな意味かと思ってたもんで(要はメディアにアクセスできるかどうかみたいな)。いやー、この掲示板は勉強になるなー。

検索しているうちに、ちょっと変わった定義を見つけたんで上げときます。

“メディアリテラシーとは

 情報が流通する媒体(メディア)を使いこなす能力。メディアの特性や利用方法を理解し、適切な手段で自分の考えを他者に伝達し、あるいは、メディアを流れる情報を取捨選択して活用する能力のこと”

ttp://ew.hitachi-sysstem.co.jp/w/E383A1E38387E382A3E382A2E383AAE38386E383A9E382B7E383BC.html

ですと。まあ、IT用語辞典の定義だから、あんまり一般的ではありませんが。

犯罪検挙率の低下についてですけど、確かに検挙率は下がっているけど、検挙件数は若干増えてるんですね。小説やドラマで見る刑事はみんな家庭が崩壊する程忙しいので(W)警察官の人数を増やして、よっぽど優遇しないと駄目かもね。


少年法という制度への誤解  投稿者:地下に眠るM 投稿日: 2004年08月28日18時22分

少年犯罪の手続きなり刑罰がなぜ簡便なものなのかということについて、一般的に誤解されていることがらがあると思うので、この際だからかいておくにゃ。

まず、タテマエとして「子どもは保護すべきもの」という考えがあるのは当然のことだにゃ。
ただ、これは別に「人権屋」の考えではにゃー。大岡越前の裁きを見ても、子どもの犯罪は罪を軽減していたのだにゃ。責任能力という発想は、別に近代人件論の専売特許ではにゃーのだ。合理的に考えるということはそういうことなのだにゃ。

で、実際的な理由なんだけど
戦後の混乱期は、べらぼうに少年犯罪が多かったのだにゃ。特に窃盗ね。
社会全体が貧しく、親も死んじまったガキに保障もできてにゃーのだから、ガキが盗んででも生きるのは当然のこと。この犯罪はむしろ社会がワリイといっていい。
しかも、こうしたガキどもを正式な手続きで告訴し、刑務所に収監するような能力が当時の司法にはなかったのだにゃ。いまだって、ガキの犯罪をすべて正式に行なう事務能力や収監能力があるとは思えにゃーが。

つまり、少年法における簡易的な手続きなどは、人権論のタテマエというよりも、現実的な司法の事務能力による要請という側面が強かったと考えられるのだにゃ。
で、だんだんとタテマエのほうがクローズアップされてきた、と。

少年法は人権屋が云々、という「お話」は、起源としてはマチガイであると考えていいと思われますにゃ。

ただ、現段階で少年法がこどもの人権を守る役割を期待されているのも事実だにゃ。
これに反対するなら、警察権力や司法の能力を強化して(つまりより税金を投入して)ガキをぶち込むということになるにゃ。そしてその結果、本当に再犯率を下げることができるのか? ちゅう政策的な問題となるわけにゃんね。
なな の提示してくれた資料によれば、少年犯罪の再犯率は少ないようなので、だとしたら現代日本の少年犯罪への対応は概ねうまくいっていることになるにゃ。あまり制度をいじる必要はにゃーということになる。
むしろ、被害者のケアに力を注ぐべきだということになるにゃんね。


犯罪の記事  投稿者:diamonds8888x 投稿日: 2004年08月28日17時43分

 ななさん御紹介の以下の記事はじっくり読む価値がありますね。
  (3) 少年犯罪は凶悪化しているか
  http://www.wako.ac.jp/souken/touzai01/tz0113.html

 犯罪が質的に身近になったので不安感が増した、という説は説得力がありますね。

  (2) 強盗・殺人増加統計が示す−「教育」の視点で論議必要−
  http://www.jca.ax.apc.org/toudai-shokuren/dekigoto/000909n.html

 こちらは一見して諸々のものをごっちゃにして論じている印象があります。それをきちんと批判しようとすると手間がかかりますけど。

 私は少なくとも以下のものは区別して論じるべきと考えます。

   殺人の状況
   強盗や窃盗の増加
   少年非行の状況
   凶悪少年犯罪の状況


信用性  投稿者:diamonds8888x 投稿日: 2004年08月28日17時42分

 ちょっと荒れたみたいですが、そもそもはヘルメス☆さんの8月26日(木)10時01分52秒の発言の主旨がはっきりしないことが原因でしょう。一般論として「マスコミこそが信用できない」こともあるのは正しいでしょうけど、では、

 ヘルメス☆さんの信用するのは何?
 「当局の発表は疑って掛かるのに」という批判は、当局の発表はマスコミや、“識者”よりは信用性が高いと考えているからですか? もちろんそういう場合もありますけど。
 具体的に引用した2つの記事を特に疑う理由は? もっとまともに批判していれば実のある議論に発展したと思います。
 ななさんが紹介した相反する見解を示す1)〜3)の記事のうちで、どれを信用しますか? またその論理は?

 ようするに具体的にどの意見もしくは見解を批判しているのかが全く不明確なのです。

 なおマスコミでは過去十数年間ほどは「少年犯罪は年々凶悪化している」という報道が多かったと私は認識しています。それに疑いをはさんだ毎日の記事などは、ようやく最近でてきましたか、という感じですね。で、ヘルメス☆さんがどちらの見解の記事も「マスコミこそが信用できない」との理由で信用しないとすると、御自身はどういう見解になるのでしょうか?

 ちなみに意図的なフィルターの少ないデータは、ななさんも紹介した犯罪白書や以下からたどれるサイトにありますから、いろいろな記事でこれらのデータがどう加工されたかと言うことは、その気になれば確認できます。しんどいけど(^_^)
http://cpmserv.cpm.ehime-u.ac.jp/sato/link/

 ちょっと古めだし、「殺人だけが問題じゃない」とかいう批判もあてはまりはしますが、この掲示板にふさわしいお人の研究も紹介しておきましょう。

http://www.asahiguma.com/syouron/ron-031020-q.html
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4783502188/250-8165381-2581069
http://www.athome.co.jp/academy/zoology/zoo08.html


もう1ついえば…  投稿者:流木 投稿日: 2004年08月28日16時42分

 クリック博士らの「意図的パンスペルミア」説について、もう1ついわせてもらえば、「地球に生命の胚種を送り込めるほどの科学技術を持つ知的生命体が、無闇に他の惑星の生態系に干渉するのか?」という疑問も残ります。

 宇宙人の地球侵略というネタは、地球人が同じ地球人を侵略していた時代の反映ともいえますが、恒星間飛行をも可能とした知的生命体が帝国主義時代の地球人程度の意識の持ち主というのも、何だかなぁという感じです。

 まぁ、地球には、まだ生命のカケラもなかった時代だから、「送ってもいいんじゃないの?」と決まったのかも知れませんが。いずれにせよ、知的生命体とやらが生命の胚種を地球に送り込んだ理由もよく分かりません。自分たち以外の生命の可能性を求めて、探査機でも送り込むのならまだ分かるんですけどね。


(ぱ)さんへ  投稿者:たまごちゃん(^-^)ノ 投稿日: 2004年08月28日16時26分

亀レス失礼♪
話の本筋が中高生くらいの少年犯罪やメディア・リテラシーに移っちゃったから、レスつけるかどうか迷ったんだけど。っていうか、最初から、小学生の話をしていたのは私とおずおずさんだけ?

>>万引きや自転車泥棒をやる奴らは、人生を捨てるべきだとお考えなのでしょうか?

>そんなことは言っていません。前段からのつながりをよく読んでください。
>捕まったらとてつもなく面倒なことになるであろうことは予測できるのに人
>を殺すような奴は、厳罰化しても意味がないと思うけど、万引きや自転車泥棒>をやる奴らは人生捨ててないだろうから、「禁固1ヶ月」みたいな刑になると
>なりゃ抑止力になるんじゃない? と言っているだけです。

少年院なり鑑別所なりへ1ヶ月入る事により子供が主にダメージを受けるのは、1ヶ月間の拘束によってではなく、その後ずぅーーっとつづく後ろ指によってだと思います。本当にそれで人生をぶち壊しにしてしまう子だって少なくはないんじゃないのかな?
だけど、何かしでかす前の子供には往々にしてそこら辺が見えてなかったりして、「たかだか1ヶ月の禁固」と思ってしまいがちなものなのではないでしょうか?(多くの場合には抑止力にはならないのかもしれません)

ちなみにね、万引きが見つかったら大抵の場合「1ヶ月の拘束」よりはずっと重い罰が与えられますし、やる方だってそれくらい分かってやっていると思います。だけど本当につらいのは、罰それ自体ではなくずっと続く後ろ指の方だってことに気がつけない子供というのは少なくはないんじゃないかな?


>悪いけど全く同意できません。
>小学校低学年なら、そりゃ「店の人はこれで生計を立てているんだ」というこ
>とはわかってないかもしれない。でも、その年代なら、逆に「親や先生がダメ
>だと言うからダメなんだ」というルールで動いててよさそうに思います。
>そうやってすりこまれたモラルの中には理不尽なものも多かったけど、そうい
>うのは大人になるに従って自分が合理的だと考えるものに修正していけばい
>いと思います。

小学生にもなれば、大人が自分たちよりも大して賢いわけでも正しいわけでもなく、ただ圧倒的に腕力が強いだけなんだっていうことを理解し始めるのでは?(後付で考えると、正しいかどうかはともかく、やっぱり大人の方が知識や判断力では勝っているのだけど)
んで、それまで「親や先生がダメだと言うからダメなんだ」というルールで動いていた反動で、「大人がダメだって言うから」という理由でいろんなことをやりたがったりするものなのでは?

それが禁止されているというそれだけの理由で禁止事項をやりたい。(ぱ)さんにはそういう時期がなかったのですか?まぁ、ない人もいるのかもしれませんが…。
私の場合は、小学校低学年がその時期でした。年齢が上がるにしたがって「禁止されているから」というくだらない(大人が禁止しているからやらないというのと同じくらい主体性がない)理由でなにかをすることはなくなり、万引きも止まりました。
どうして万引きをやめたのかははっきりとは覚えていませんが、反省したからではなく、おそらく「楽しくなくなったから」です。本当に「悪かった」と思うようになったのはやめてからさらに2〜3年後だったように思います。

子供はいろんな能力が一様な速度ではなく成長していきますからね。そのアンバランスさゆえに一過的に犯罪行為をしてしまうことがあっても不思議はない&それほど問題視するほどのことでもないように思うのですよ。(もちろん、被害者の方には申し訳ないことではありますが…。)
尤も、子供のそのような犯罪を見つけた場合には、変に理解を示したりせずに、きっちり叱ってあげるのがその子のためだとは思っていますよ。


>「いーけないんだいけないんだ、せーんせいにいってやろ」の世界ですな。
>私が子供の頃にはこういうのは健在でしたが、時代の差ですかね。

いましたよ。クラスに何人かは。すぐに先生にちくる子。
ただ、肯定的には捉えられていなかったですけどね。

普段は魚が腐ったような目をしているくせに、ちくるべき悪戯や粗相をみつけた時とちくられた子が怒られている時だけは目をキラキラさせちゃって。私はちくられるのとは無縁だったけど、あの目は厭らしくて本当に嫌いだったなぁ。
尤も、私自身が「ちくり」と間違えられたくないって常に思っていたから、余計に厭らしく見えただけなのかもしれないですけど。

子供の頃、「ちくり」っていうのは、一番貼られたくないレッテルの一つでした。私は成績も素行もよくて(万引きしていたのに素行がよかったというのもおかしな話ですが、そういったことが一度もばれていませんでしたから)、教師からの信望が厚かったので、同級生に「ちくり」と思われないようにっていうのは死活問題だったんです。


生命宇宙起源説  投稿者:流木 投稿日: 2004年08月28日16時18分

*ジェイソン太郎さん(流木様へ 投稿者:ジェイソン太郎  投稿日: 8月27日(金)21時25分13秒)

 こんにちは。

 元の番組を見ておりませんし、ネットで検索しても、既にページがなくなっていようですが、クリック博士が「意図的パンスペルミア」説を発表したことだと思います。

 「パンスペルミア」説は、「地球の生命は、宇宙空間を通り抜けて地上に到達した生命の胞子から進化してきた」という説で、スウェーデンの化学者アレニウス(1859-1927)が著書『発達過程の宇宙』の中で提唱しました。彼の説は、一時注目を集めましたが、1920年代に入ると、旧ソ連のオパーリンらから厳しく批判されました。批判のポイントは、どこかの惑星で進化した生命の胚種がその惑星の引力を振り切って恒星宇宙まで飛び出せるとは考えられないこと、宇宙空間の強烈な放射線や極低温などの厳しい環境に耐え抜いて何十万年も生命の胚種が生き延びられるとは考えられないこと、そして、生命発祥の地を地球から他の惑星に移しただけで、生命の起源そのものには何も答えていないことなどでした。天文学者のカール・セーガンなども同様の立場からパンスペルミア説に対して否定的な見解を述べています。

 それに対して、クリック博士と米国サーク生物学研究所のL.オーゲルが唱えたのが「意図的パンスペルミア」説だったのです。彼らの説が「意図的」と呼ばれるのは、アレニウスの説では星の光圧によって生命の胚種が自然に宇宙にバラ撒かれたのに対して、どこかの惑星に生まれた知的生命体が生命の胚種を宇宙に送り出し、その1つが地球に到達したと考えるところにあります。

 クリック博士らの唱えた「意図的パンスペルミア」説はその後、さまざまな批判を受けて後退を余儀なくされましたが、今日でも、英国のフレッド・ホイルが「生命の彗星起源説」を唱えるなどしており、完全に消え去ったわけではありません。

 個人的には、意図的パンスペルミア説が正しかったとしても、「じゃあ、生命の胚種を送り出した惑星の生命はどうやって生まれたんだ?」という点は謎のまま残りますから、アレニスウの説に対するオパーリンの批判は意図的パンスペルミア説に対してもその点ではそのまま妥当すると思います。


遅まきながら、カブレラストーン  投稿者:A_Shift 投稿日: 2004年08月28日 8時26分

ティラノサウルス、直立していましたね。日本のゴジラモードで。
もう少し最近に発見されたのなら、GODZILLA の様に走る絵の石が見つかったのでは。


流木様へ  投稿者:ジェイソン太郎 投稿日: 2004年08月27日21時25分

返答ありがとうございます。鑑定に来たペルーの学者さんは一体・・・・。そういえば、あの番組で聖書の暗号を取り扱った時、フランシス・クリック博士が「現在のDNAの構造は複雑で、地球誕生の46億年前から生命誕生の38億年前の8億年間で誕生したとは考えられない。」と述べた、といっていますが、これの詳細をお願いしたいのですが・・


荒れるんで簡単に横レス  投稿者:クハ72 投稿日: 2004年08月27日20時47分

不法入国した外国人が全て凶悪な犯罪者とは限りません(多いかもしれませんが)。
結果的に外国人差別を煽っちゃうかもしれませんし、都知事たるもの表現は慎重に選ばないと。


RE:カブレラストーン  投稿者:流木 投稿日: 2004年08月27日20時40分

 ということで、

>>そもそも、熱ルミネッセンス法の測定結果が正しいとすると、(中略)そう考えてもかなりムリがありそうです)

は、私の間違いですね。訂正し、お詫びいたします。


ご指摘に感謝  投稿者:流木 投稿日: 2004年08月27日20時31分

*(^ヮ^)ノさん((無題) 投稿者:(^ヮ^)ノ  投稿日: 8月27日(金)15時26分58秒)

 こんにちは。

>>一般的には、6000年前は天地創造ですよ

 ご指摘、ありがとうございます。その通りです。


今注目の政治家  投稿者:この世は仮の世 投稿日: 2004年08月27日20時11分

鳩山邦夫のサイト 大川隆法先生は豊臣秀吉の生まれ変わりといってる
http://www.authority.ne.jp/hatoyama/

小林興起のサイト 大川先生は織田信長の生まれ変わりといってる
http://www.kobachan.jp/

徳川家康の生まれ変わりは住博司(ひろし)という政治家だが、病死している


石原発言  投稿者:EzoWolf 投稿日: 2004年08月27日18時59分

>毎日新聞もいつぞやの石原都知事の「三国人発言」で“発言の一部だけを”馬鹿騒ぎして、
挙句の果てに自社のオンライン・ディベートで思いっ切り突っ込まれて全発言を掲載し
   て、「で、これの何処が問題なの?」みたいな突っ込みうけてるし。

都知事ともあろうものが差別発言をしたら騒ぎになるのは当たり前。

もしもニューヨーク市長が
「不法入国した多くのジャップや、外国人が非常に凶悪な犯罪を繰り返している。」
なんて発言をしたら、ヘルメスさんも心穏やかではいられないんじゃない。


「俺」って誰だ?  投稿者:地下に眠るM 投稿日: 2004年08月27日15時50分

一言ですませれば、みっともにゃーな となるよにゃー。

>俺、これは反論したんじゃなくて、自分の感想を言っただけなんだけど???

あっそう、感想なの、ふーーん
僕は感想なら感想だと事前に断るけどにゃ。
後出しジャンケンで「あれは感想でした」かー。
いくらなんでもハズカシイと感じにゃーかね?
しかも、「感想」だったとしても、チミがメディアリテラシーの重要さには当時はまったく触れていにゃーことは明らかにゃんが。

>世間一般の人間の大部分がメディア・リテラシーを考えた上で報道や新聞を読むようになれば理想的だけど、現実ってそうか?

これもヒデエにゃー。
僕はチミの話をしている。世間一般の話などしてにゃー。チミだって、いつ「世間一般」の話をしていたんだ?
僕はね、文脈からいってメディアリテラシーの重要性を否定し、「俺はマスコミを信じない」と発言したチミに対してモノをいっている。
自分の拠って立つ文脈をシカトしたと思ったら、今度は「俺」を世間一般にずらすのかい?(嘲笑

>人がやってもいない事とか、自分がそう思う、感じたってだけでレッテル張るのやめたら?
>俺が「俺の意図と違うんだけど」って言ってるのに、最初の自分の貼ったレッテルをはずそうとしないように見えるんだけど?

僕は文脈を踏まえてアタリマエの読解をしただけだにゃ。
僕の読みにマチガイがない以上、僕のしていることはレッテル張りでもなんでもにゃー。

>・・・って言う以前に、「あなたの意見からは○○のように受け取れるんだけど、それってちょっと外れてんじゃない?」みたいな聞き方するのが常識じゃないのかい?

僕が失礼だっていうなら、まったくもってソノトオリ
否定するつもりも謝るつもりもにゃーよ。

>さぞ、親御さんは教育するのに苦労されたんだろうなぁ。(溜息)

スジさえ通せばなんでも言うことを聞くガキだったってさ。
スジがとおらにゃーと買収もきかなくて面倒このうえなかったらしいけどにゃ。
(今は買収がきくようになったにゃ。大人って汚いね)


ヘルメス☆さまへ-横レス失礼します  投稿者:いど 投稿日: 2004年08月27日15時35分

>で、そんな人が多いと俺は思ってるけど、そんな人達に向けて、そもそもフィルターの掛かった情報が垂れ流しになってることがより重要な問題じゃないのか?って疑問なんだけど。

とありますがフィルターのかかっていない情報などありえるのでしょうか? 世界の全てのニュースを余す所無く真実のまま伝えられる報道などありえません。伝えられるのは誰かの造った原稿の言葉ですし、時間によっては報道されない部分もあります。これは避けようの無い事実であって、これもフィルターに他なりません。こういったことはフィルターではないと言うのであれば、件の少年犯罪に関しても「ここ10年少年の凶悪犯罪が増加している」というのは事実です(しかし数十年前はもっと多かったという事を隠していますが)。であるならこういった情報もフィルターにかけられていない情報ということになります。
「そもそもフィルターの掛かった情報が垂れ流しになってることが"より"重要な問題じゃないのか?」と仰られていますがフィルターのかけられていない報道が成立しないとするならばメディアリテラシーこそが重要だとわたしには思えるのですが如何でしょうか?

>時代背景とかも影響するんじゃないの?
>自身でも言ってるように、凶悪性って主観的な要素が絡んできてるジャン。
>昭和30年代が今と殆ど変わらない社会情勢、経済状況なら単純比較も意味があるかもしれんが、そもそもの土台からして違うんじゃないの?

そもそも時代背景を問わずその件数を問題としているのは「最近の少年は凶悪になった」と主張する人々です。彼らの土俵に立つとするならば逮捕者の罪状や理由などは問わず、その件数だけを注目すべきです。件数だけを注目している人々の土俵に立てば数十年前の少年のほうが凶悪という事になります。地下に眠るMさん自ら「近年の増加と凶悪化という、それ自体は正しい(としておく)」と「最近の少年は凶悪になった」と主張する人々と同じ土俵で議論する事を仮定していますので、「時代背景とかも影響するんじゃないの?」という突っ込みは妥当ではないと思えますが如何ですか?。


(無題)  投稿者:(^ヮ^)ノ 投稿日: 2004年08月27日15時26分

はじめまして、こんにちは。

>RE:カブレラストーン 投稿者:流木  投稿日: 8月26日(木)22時30分11秒
> そもそも、熱ルミネッセンス法の測定結果が正しいとすると、今から4500年前(紀元前2500年ごろ)に作られたとのことですから、創造科学者のいうノアの洪水(今から6000年)よりあとになり、「化石はノアの洪水で死んだ生き物のもの」との説と矛盾します。

一般的には、6000年前は天地創造ですよ。

> 何でも飛びつけばいいってもんじゃないわけで、よく考えてから取り上げないと、墓穴を掘ることになると思うんですけどね…。

( ̄□ ̄;)


訂正  投稿者:ヘルメス☆ 投稿日: 2004年08月27日13時34分

誤)で、そういった人たちは情報を簡単に信じ込む。

正)で、そういった人たちは見聞きした情報に簡単に影響を受けやすいと思う。


まじ、寝る・・・  投稿者:ヘルメス☆ 投稿日: 2004年08月27日13時32分

よーわからんなー

>>>私たちの犯罪や治安に対する認識というのはもっぱら警察当局からの情報や(それを無批判に流すことが多いと私自身は思っている)マスコミの報道によって影響され、形成されたりする傾向が強いと思います。
>>>犯罪統計情報やそれに関するメディア報道をどう捉えるかは、結局のところ、メディア・リテラシーの問題になると思うんですね。

>これに対するチミの反論が以下のもの

>>俺、マスコミやコメンテータとかの方こそ信用してない 投稿者:ヘルメス☆  投稿日: 8月26日(木)10時01分52秒

>>それにマスコミは都合の良い情報を都合の良いように変更したり加工したりして報道するのが常なので、私はむしろマスコミこそが信用できないですが。


>僕はこの文脈を受けて、チミを馬鹿にしたのだにゃ。

俺、これは反論したんじゃなくて、自分の感想を言っただけなんだけど???
たしかに誤解を招きやすい文脈だったな、と改めて思ったが。。。

これはななさんにも言いたいことなんだけど、メディア・リテラシーは大事だけど、普通の視聴者はまず、そんな事を考えてメディアなんか見ちゃいないと思うんだが。。。
そりゃ、世間一般の人間の大部分がメディア・リテラシーを考えた上で報道や新聞を読むようになれば理想的だけど、現実ってそうか?
世の中の人間がすべからく地下に眠るMさんのように深く物事を洞察するわけじゃないと思うけど。

で、そういった人たちは情報を簡単に信じ込む。
世間一般の人間の振る舞いを考慮に入れないのはまずかろう、と思うわけなんだけど。。。

>ななさん、(ぱ)さん
>「当局の発表は疑って掛かるのに、“識者”の発言は疑わない」って誰のことでしょう?

文脈からそう読んでましたが、勘違いなら訂正します。
メディアや当局の発表を疑って、識者の発言なら受け入れる、という印象を受けましたので。。。


ついでに、地下に眠るMさん
人がやってもいない事とか、自分がそう思う、感じたってだけでレッテル張るのやめたら?
俺が「俺の意図と違うんだけど」って言ってるのに、最初の自分の貼ったレッテルをはずそうとしないように見えるんだけど?

>で、文脈上明らかにチミはメディアリテラシーの重要性を否定し、マスコミは信用できないと発言しているわけだにゃ。批判的に読み込むことの重要性を否定し、信用できないといっているんだから、「聞く耳を持たない」と僕は解釈したわけにゃんが、僕の解釈のどこがどうおかしいのか明らかにしてもらおうか?

さっきも書いたけど、世間一般の人はまず、そこまで高度な分析も詳細な追跡もしないと思うけど、その俺の認識って間違ってる?
で、そんな人が多いと俺は思ってるけど、そんな人達に向けて、そもそもフィルターの掛かった情報が垂れ流しになってることがより重要な問題じゃないのか?って疑問なんだけど。
確かにメディア・リテラシーは重要だと思うけど、それが一般的に浸透していないんじゃ、あまり意味がないのじゃ?って素朴に疑問がある。だから、最初の根本であるマスコミの報道そのものが信用できない(=偏向されてるって前提で見る)という考え方。
言っとくけど、俺が言ってるのは「マスコミの報道は嘘八百でありえない事をさもありなんって言っている」っていう意味の信用する、しない、じゃない。ただ、マスコミの報道は印象を意図的に操作するような加工をするうえに、映像や文章、発言を切り張りして都合のいいように加工することもやる、だから、鵜呑みにしない、という意味での「信用しない」。
まー、こういう風に説明しても「駄目駄目、チミの意見はまるでなっていないにゃ」って風に受け取るんだろうけどね。人の説明を受け入れる気があるのかって、多分無いんだろうね。

・・・って言う以前に、「あなたの意見からは○○のように受け取れるんだけど、それってちょっと外れてんじゃない?」みたいな聞き方するのが常識じゃないのかい?
さぞ、親御さんは教育するのに苦労されたんだろうなぁ。(溜息)


文脈ってコトバ、知ってる?  投稿者:地下に眠るM 投稿日: 2004年08月27日12時28分

>ただ、信用してないのと聞く耳持たないのはぜんぜん意味が違うって事知ってるか?

はあ? いまさら何いってんの?
で、チミの発言の文脈がどうだったか憶えているかい?(嘲笑


>メディア・リテラシーの問題? 投稿者:なな  投稿日: 8月26日(木)04時19分12秒

>私たちの犯罪や治安に対する認識というのはもっぱら警察当局からの情報や(それを無批判に流すことが多いと私自身は思っている)マスコミの報道によって影響され、形成されたりする傾向が強いと思います。
>犯罪統計情報やそれに関するメディア報道をどう捉えるかは、結局のところ、メディア・リテラシーの問題になると思うんですね。

これに対するチミの反論が以下のもの

>俺、マスコミやコメンテータとかの方こそ信用してない 投稿者:ヘルメス☆  投稿日: 8月26日(木)10時01分52秒

>それにマスコミは都合の良い情報を都合の良いように変更したり加工したりして報道するのが常なので、私はむしろマスコミこそが信用できないですが。


僕はこの文脈を受けて、チミを馬鹿にしたのだにゃ。

いいか?
なな はメディアリテラシーの重要性について、タイトルの上でも文脈上も最大の価値をおいたものになっているにゃ。それに対するチミの反論のどこを見てもメディアリテラシーの重要性には触れずに、「マスコミこそが信用できない」といってるだろ?
つまりな、チミはメディアリテラシーの重要性を否定したという読み方しかできにゃーのだよ。これが僕だけの読み方でにゃーことは、なな がチミの発言を受けて、メディアリテラシーについて再発言していることからも明らかだにゃ。

メディアリテラシーというのは、メディアの発表を鵜呑みにしないで「(いわゆる識者のコメント情報も含めて)メディア情報を批判的に読み解くこと(なな)」ということにゃんな。
で、文脈上明らかにチミはメディアリテラシーの重要性を否定し、マスコミは信用できないと発言しているわけだにゃ。批判的に読み込むことの重要性を否定し、信用できないといっているんだから、「聞く耳を持たない」と僕は解釈したわけにゃんが、僕の解釈のどこがどうおかしいのか明らかにしてもらおうか?

チミの馬鹿レスについてはツッコミどころ満載にゃんが、面倒だから細かいことは無視しておくにゃ。(第三者からの要請があれば、あの馬鹿レスにツッコミを入れてもいい)。
ただな、自分の拠って立つ文脈をシカトして、その場限りの言い訳レスをするような輩が「マスコミ批判」なんてワリイ冗談だよにゃ。馬鹿や卑劣漢を見るとどうも黙ってられにゃーのよ。確かに愛かもね。


ヘルメス☆さんへ  投稿者:(ぱ) 投稿日: 2004年08月27日12時26分

私の質問、およびななさんの
>「当局の発表は疑って掛かるのに、“識者”の発言は疑わない」って誰のことでしょう?
の回答もよろしく。火曜でいいですから。


(無題)  投稿者:タックス 投稿日: 2004年08月27日11時48分

use it or lose it則なら、簡単なのかな。能動的変異というのは。
ドーキンスの話で、獲得形質をゲノムに変換することが原理的にできないとあったような期がするんですが。
消化酵素とか、遺伝子が形質に直結してて、使うものほど、重複しやすい的なら、可能なのか。一部は。しかし、生殖細胞の分離があるのか。分離してないのなら、大丈夫なのか。しかし、生殖細胞の分離っていうのもよく知らないんですが。これも、本当にそうなのかな?生殖細胞とか、卵巣とかについて、学んでみてもどこらへんが、分離されているのかよくわからない。


あと、ついでに  投稿者:ヘルメス☆ 投稿日: 2004年08月27日11時08分

俺、今週末はマンハッタンで遊ぶ予定だから、レスが出来るの火曜日以降になる


ご意見、ご要望がございましたら、掲示板か、 e-mail:natrom@yahoo.co.jpへどうぞ。


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