このファイルは、掲示板巡回ソフトのログファイルを元に再構成したものであり、投稿時の状態(フォントサイズ、文字の色、リンク等)をすべて反映しているわけではありません。
ハスキーと雑種の例の場合、人為選択という淘汰圧がかかり続けるからハスキーが存在し続けるのであって、人間がハスキーと他の犬種との雑種を放任し、結果としてハスキーの純血が滅んでしまったとしても、人為選択という圧力がかからなくなったという環境の変化があったわけで、優位ではなかったということにはならないのではないでしょうか?
これもどの範囲までを変化にするかだと思いますが、次の代には消えてしまうような形質を、進化的に優位な戦略だというのに、無理があるのではと思います。突然変異が起こってある形質が発現しただけで、それが進化だといえるかということです。
いえ。
だってそのミツバチはたぶん2〜3代後に形質が大きく変わると思えないから。
品種改良と言うのは、極端に淘汰圧の強い状況と捉える事ができます。
本来個体の繁殖には大きく影響しないであろう「実の美味しさ」
「収量の多さ」「花の綺麗さ」と言った形質が人間の干渉を受ける
ことによって正の淘汰圧になり、その結果変化速度が極端に早まる。
これってまさに集団遺伝学などで語れる現象で、立派に進化論の
文脈で解釈できるお話かと思います。
進化とは細かい変化の累積です。
種分化が完了したというのは、変化が蓄積した結果二つの集団間で交配が
不可能になったというあくまで「結果」でしょう。
種分化が完了したケースについてしか進化論では語れないという考え方は
正直ぴんと来ません(種分化が重要なファクターだと言う事は否定しませ
んが)。
いえ。
だってそのミツバチはたぶん2〜3代後に形質が大きく変わると思えないから。
>人為的に品種改良した生物って、イネであれ、イヌであれ人間の文化の環境のみの
>世界で存在しており(野生化したものもあるだろうが、期間的に淘汰を受ける時間
>はないのでここでは無視)、種としては不完全な安定の仕方なので、普通の進化論
>として考えていいのかが疑問です。
ミツバチは特定の花(ミツバチの種により蜜を集める花は異なります)に依存した生活
還を持っています。それは、特定の花の環境のみの世界で存在していると言えます。
その花が絶滅してしまえば、その花に依存していたミツバチの種は生き残れません。
妥当?進化論さんは、そのようなミツバチの種が、不完全な安定の仕方であり、普通
の進化論で考えるべきではないと思われますか?
TO たまごちゃん(^-^)ノさん
せっかく教えてもらったのに、サイト内検索でひっかかったものから種レベルの変化を探すことができませんでした。まあ、流し読みをしてたからでしょうが。あとで時間があるときにゆっくり見ます。
ちょうど1年前くらいに シロウトさん なるひとが頑張っていたのですね。もう書き込みはしないのかな。
人為的に品種改良した生物って、イネであれ、イヌであれ人間の文化の環境のみの世界で存在しており(野生化したものもあるだろうが、期間的に淘汰を受ける時間はないのでここでは無視)、種としては不完全な安定の仕方なので、普通の進化論として考えていいのかが疑問です。
不完全な安定とは短期間の世代のうちに、元に戻ったり、まったく形質の違うものになったりするということです。例えばハスキーに違う雑種のイヌを掛け合わせを2〜3代すれば、ハスキーらしさがかなりないイヌになると思うので(あくまでも想像ですが)。
そんな形質をさして、進化的戦略が優れていた、とまではいえないんではないかと考えます。
皆さん、哺乳類の歩き方の説明、ありがとうございました。
昨日、カラスが歩いているのをじぃーーっと見ていたら、例の経済学部(そんな部活ヤダ)の後輩に見つかってしまった。変な奴だと思われたに違いあるまい。
シャオさん、はじめまして。
>そして仮に妊娠したとしても小型犬の場合は子宮が小さすぎ、大型犬の場合は出口(・・・)が広すぎるために、無事出産することはあまりないらしいです。
私は、小型犬(♀)×大型犬(♂)は不可能だけど、大型犬(♀)×小型犬(♂)は可能だと聞いていたのですが、そうか、出口(・・・)の問題もあったのか。じゃあ、帝王切開してあげればつくれるのでしょうか?見てみたいなぁ(心無いことを言ってる?)。大きさはともかく、形が全く想像できない。
「花は 人間のような かけひきが ないからいい ただ咲いて ただ散ってゆく から いい ただになれない 人間のわたし」
相田みつをがこんなことを言っていて、花って駆け引きの塊みたいなものだけどなぁ。と思ったことがありました。駆け引きの塊だからこそきれいなのでしょうね。
ところで、花なら花粉媒介昆虫との関係や品種改良でどうとでも言えるけど、もし「神は存在する。なぜなら空から舞い降りる雪の結晶の美しさは人間の英知を超えている。」と言われたら、どう応えるのが一番良いのかな?
To 妥当?進化論さん
>ヒトの文化までひっくるめて進化の結果というのなら間違いなく「進化」だと思います。
>園芸とか家畜とか農業とかは、その生物の本来の行動とは無関係に、ヒトが意図を持ってその生物の生殖やら何やらを決定しているのだから、ヒトの文化を「進化論」で考えるのに近いような気がします。
その結果集団内の遺伝子頻度に変化が生じたのなら、淘汰の圧力になっているものが人間の文化でもそれ以外のものでも進化には変わりないだろうっていうだけのことで、人間の文化を「進化論」で考えるというのとは違うように思います。
>ヒトの文化でも、他の生物とかかわるところは、他の生物にとっては「進化」だという考え方もできるけど。
他の生物でなくても、人間の文化によって、ヒトの集団の遺伝子頻度に変化が生じたならば、それも進化だと思います。
>ただ、人為的操作で「種」をこえて変化した生物っているんだろうか?
最初は一種だったショウジョウバエが実験室内で互いに任製のある雑種を作れない二種に別れたって話が、このサイトで何度か紹介されているので、サイト内検索をしてみるといいですよ。
人為による影響であれ、それが個体の生存に有利に働くのならば、現れた変化(表現型)は適応的だ、ということなんでしょうねぇ。より美しい花(という人間の評価)が生き残りやすいのならば、そういう花が繁殖していくのかな。
逆説的だけど、美しい花を人間が喜んで大事に育てるならば、花から見て人間の行為は拡張された表現型とさえ言えるのかも知れない。んまぁ共生ってほどぢゃないんでしょうが。
>神は存在する。なぜならこの世にあふれる美しい花々は人間の英知を超えている。
神が存在するかどうか、と人間の英知の限界は別の話でしょうね。人間の理解や影響の範囲を越えたモノがあるからといって、それがそのまま神や超越者の存在を証明することにはならない。単に自然というイレモノに対して人間が小さい、と分かるだけぢゃないかな。
ヒトの文化までひっくるめて進化の結果というのなら間違いなく「進化」だと思います。
園芸とか家畜とか農業とかは、その生物の本来の行動とは無関係に、ヒトが意図を持ってその生物の生殖やら何やらを決定しているのだから、ヒトの文化を「進化論」で考えるのに近いような気がします。
ヒトの文化でも、他の生物とかかわるところは、他の生物にとっては「進化」だという考え方もできるけど。
ただ、人為的操作で「種」をこえて変化した生物っているんだろうか?
>それ打差らに観賞用のものは動植物問わずヒトにより「美しくさせられた」ものであり
>明らかに人為的なものだと思うのですが。
「人為」も「環境」の一環ですからそれへの「適応」は立派に「進化」の範疇でしょう。
普通に人為的な品種改良という意味です。
> 観賞用のものは動植物問わずヒトにより「美しくさせられた」ものであり
どうやって人間の力だけで美しくしたのか、方法を知っていたら教えて下され…
(「だけ」とは言ってない? それは良かった)
このHNで進化論を語るのは、おこがましいのですが・・・
顕花植物の花びらは、昆虫を集めるために葉が変化したものだと読んだことがあります。杉などが行う風媒よりも虫媒の方が受粉させ子孫を残すのに都合が良かったのでしょう。
生殖器官をより目立たせるためのものでしょう。実際に昆虫は色が学習できるようですし。(そんな実験問題を大学入試で解いたような気がする)
それ打差らに観賞用のものは動植物問わずヒトにより「美しくさせられた」ものであり明らかに人為的なものだと思うのですが。
しろうとの頭にふと浮かんだ質問なのですが・・・
あるクリスチャンの方が「神は存在する。なぜならこの世にあふれる美しい花々は人間の英知を超えている。」とおっしゃっていました。神の存在自体にけちをつける気は毛頭ありませんが、美しい花々(及び美しい・珍妙は動植物)は、たまたま他の動植物が環境への適応能力を高めていったのと動揺に、人間の美的感覚に訴えるものが人間によって保護・繁殖された結果この世に繁栄するに至った、立派な生存戦略・進化論に他ならないのではないかという考えに至りました。
つきましては学問的な見地からはどのように判断されるのか、簡単にご示唆をいただければ幸いです。
雑種の例というか、交配の例はあると言うお話ですね、これだと(汗)
無事出産、生存したというお話は今のところ聞いたことが無いです
でも居たとしても、あまりに痛々しすぎるかもしれません。
数ヶ月前からずっとロムっていたのですが興味のある話題が出たので
カキコしてみました。
あくまでも聞きかじった程度のお話なのですがチワワとセントバーナードの雑種のような
大型犬と小型犬との雑種の例は一応あるそうです
と言っても人間側が興味本位で交配もしくは人工授精させた例ばっかですが。
自然に交配することは互いの性器のサイズ上とかの理由により、物理的に不可能なのです
(ドウキョウオサムシみたいですね)
そして仮に妊娠したとしても小型犬の場合は子宮が小さすぎ、
大型犬の場合は出口(・・・)が広すぎるために、無事出産することは
あまりないらしいです。
二重投稿・・・
何でだろう?
うさしゃぶ殿
>今の中学校の教科書を見る機会があったら驚きますよ。
>ほとんど絵本みたいで・・・
ゆとり教育って奴か?
>高校生だって化学を全く勉強しないで卒業する生徒はごまんといます。
実は、わしも、物理は習ってなかったりする・・・
>あくまでも感覚的なことなのですが、進化が完全に連続的であれば、例えば1000年前の生物と現在の生物にわずかでも違いがなければならないような気がするのですが。そういう事例はないのでしょうか。
アキタコマチは無かったぞ。
人為的な品種改良は、気が付かなかった・・・
これもずーと気になっていたんですけど、チワワとセントバーナードの雑種っているんでしょうか。くだらない質問ですいません。
たしか「と」とは、本人の意図していることとは違うところで笑ってしまうような理論を持っている人のことですよね。なので自分ではどうなのかは判断できないことのようなので、みなさんの判断次第なんでしょうね。
TO 大文字ナンさん
決して悪意はありませんので、今後も様々な意見をいただきたいと思います。
>あくまでも感覚的なことなのですが、進化が完全に連続的であれば、例えば1000年前の生物と現在の生物にわずかでも違いがなければならないような気がするのですが。そういう事例はないのでしょうか。
アキタコマチは無かったぞ。
中学校では習っていないようです。
今の中学校の教科書を見る機会があったら驚きますよ。
ほとんど絵本みたいで・・・
高校生だって化学を全く勉強しないで卒業する生徒はごまんといます。
本当に指導要領を見ていると、日本政府は化学を巧妙に取り入れてものを売る人間と、テレビや広告の化学っぽいコピーで購買を判断してしまう消費者を分けたいのではないかと思ってしまいます。
妥当?進化論さんが「と」だとは思いませんし、仮に「と」だとして、それのどこが悪いの?とさえ思います。問題は、イってるにせよそうではないにせよ、悪意的であるかどうかなので、私の場合。
科学や諸学説について知識があろうがなかろうが、それがナニ?と思います。むしろ問題は、ちゃんとした「会話」が成立するかどうかじゃなかろうか(笑。ただ、お互いに知りたいことや疑問なこと、議論のカタチで話しあいたいことについて、フォローしあえればイイな!と思うし、誤解してるなぁ、されてるなぁ、があれば指摘したり、されたり、でイイんじゃないでしょうかねぇ。
種レベルの進化において、平均してどれくらいの期間で次の種へ移行するのか。に関して何か仮説とかでもいいのであるのでしょうか。
またもし進化は連続的な変化の積み重ねであるならば、100年くらいの期間の間で、DNAレベルくらいの変化は認められるのでしょうか。まあDNAの二重らせん構造が発見(?)されてちょうど50周年ですが、やっぱり10年や20年ではその変化は見られないのでしょうね。
あくまでも感覚的なことなのですが、進化が完全に連続的であれば、例えば1000年前の生物と現在の生物にわずかでも違いがなければならないような気がするのですが。そういう事例はないのでしょうか。
>まあイオンを教えてもらっていない生徒たちには、化学はどんどん鬼門になっていくんだろう。
ありゃま、今時の学校ではイオンを習わないのか?
電気分解や化合物の結合をどうやって理解するんじゃろう?
じゃからマイナスイオンに、みんなひっかかちまうんじゃろうなぁ・・・
>私は、妥当?進化論さんに「と」の臭いをあんまり感じないのですが、
最初のハンドルネームが強面過ぎたのでいつものパターンと思われたのでしょう。
私もてっきりそうだと思ってましたから。
分子生物学の創始者の中には物理学者もいて、その人が分子生物学を始めた動機は
生命現象の中にはまだ知られていない物理法則が隠れているのではないかと
いうものでした。(ソース忘れた)
妥当?進化論さんの疑問もそれに近いものかな。生命現象の中には(原理的にも)
物理法則に還元しきれない部分があると考える人は結構いるのでは。
県と市の医師会の主催する学術講演会の日程を見ましたが,6月15日ってのはなかったです.
別の日なのかな?講演者の名前は告示されてないことも多いしなあ・・・
To うさしゃぶさん
(^_^;
生物の体内だろうが化学反応は化学反応だろうに(汗)
To 妥当?進化論さん
医師会で何の講演をするつもりなのやら。
創造論も少し勉強しようかなと思い、のぞいたところこのHPの掲示板に
例の反創造論の某という人のいる福岡に乗り込んで医師会で講演を
行いに行く途中です。
のようなものがありました。
この某というのはもしかしたら・・・
今日、定期考査対策に質問してきた生徒に、
「好気呼吸って何ですか?」
と聞かれ、
「酸素を利用して、グルコースなどからエネルギーを取り出す化学反応だよ。」
と教えたところ、
「生物なのに化学反応という言葉を使わないでください。わからなくなります。」
といわれた。
彼女にとって生物のしくみは化学反応で説明できない方が幸せらしい。
まあイオンを教えてもらっていない生徒たちには、化学はどんどん鬼門になっていくんだろう。
だから化学反応で生物の様々なことを説明できない方が、生徒的には歓迎されるであろう。
>>#ところで数学って、今でも人文科学だよね?wadjaは応用数学の人から聞いて、そう信じて
>いるのだが。
>えっ?そうなんですか??自然科学の中に数学を含ませる人は多いけど、人文科学の中に含ませ
>るというのは聞いたことがないです。じゃあ、論理学も人文科学ですか??(私自身は、数学や
>論理学は自然科学でも人文科学でもないと思っていた。&今も60%くらいそう思っている)
>科学を経験科学と形式科学に分けたとき、私の知っている数学以外の人文科学はすべて経験科学
>に含まれているのですが、じゃあ、人文科学は経験科学と形式科学の両方にまたがっている
>の??
現在自然科学と呼ばれるものと人文科学と呼ばれるものは、数学を除いては、数百年前までは哲学という一つの学問だったそうですよね。ところが、数学は2000年前にはもうすでに、哲学とは別のもう一つの学問として考えられていたらしいです。論理学という分野が哲学の一分野にありますが、数学の似た分野の、記号論理学と比べると、かなり遅れているように感じます。
人、サル、熊などは「かかと」の部分も地面につける 蹠行性で
犬、猫などはかかとの部分を上げて指の部分だけを地面につける指行性
という歩き方ですね(^ ^)
厳密な意味での爪先立ち(バレリーナとかのような)
は馬など指先の爪だけで立つ 蹄行性という歩き方になりますが
http://www2.ocn.ne.jp/~eup-vet/theory05.htm
普通の爪先立ちにはかかとを上げただけでも言うことはありますので
この場合あやふやかと(^ ^)
かかとを上げるポーズは空手などでは猫足立ちといいまして
うまく言い表していると思います
TO たまごちゃん(^-^)ノさん
調べ直したら、フィルヒョーでした。一応高校の教科書をひもとくと(物持ちがいいので)シュライデン、シュワンに続いて彼の理論により細胞説は確立されたと書いてあります。
つま先立ちについて
イヌやネコは正確には半手のひら立ちではないのかな。
本当の意味でつま先立ちをしているのはウマのたぐいかな。中指一本つま先立ち。
>「伏せ」の時には前足のかかとも地面につけてる。
??前足のは、肘だったかな?
To たまごちゃん(^-^)ノ
>犬や猫の歩行は爪先立ちではないと思うのですが、
犬や猫の、後ろ足が特に顕著ですけど、人とは逆に(「く」の字ではなく、逆「く」の字に曲がってる)曲がっている、その折れ曲がり点が、かかとだと思います。小さなこぶ(親指?)が、そのあたりにあって、足の先には4本指だけ。
で、座ってるときには、後ろ足のかかとを地面につけてる。「伏せ」の時には前足のかかとも地面につけてる。
僕も、妥当?進化論 はべつに「と」ではにゃーと思う。
ニンゲン、切れる刃物をもったら、いろいろあちこちぶった切って見たくなるものだにゃ
進化論は相当に切れる刃物なので、タケウチクミコもメシが食えるわけだにゃん。
マルクスとかフロイトでも切ろうと思えば何だって切れるし・・・にゃっはっは
自然科学ちゅうのは実によく切れる刃物だけど、よく切れるがゆえに手続きが必要なんだよね。ちゅうか、カガクのエッセンスはその手続きにあるといってもいいくらいで。彼は手続きより切れ味にしびれてしまっているわけで、こりゃまあ最初はしょうがにゃーだろう。
あと、数学は「演繹的」なガクモンであることにその特徴があるにゃー。
演繹的な方法論をもつのは、僕の知るかぎり、テツガク・数学・神学くらいだにゃ。
テツガクや神学を人文科学とカテゴライズするなら、数学も人文科学かもしれにゃーね
「論理とは形式である」ちゅうのも有力だけど
「論理とは意味である」ちゅう話もあってにゃ。
一応人文科学にいれといてもいいかもしれにゃー
私は、妥当?進化論さんに「と」の臭いをあんまり感じないのですが、なんで皆さん「と」扱いなんだろう?私の嗅覚が鈍すぎ??
妥当?進化論さんが言っていることって、古典的な「機械論か?生気論か?」「(実際に私たちが説明できるかどうかはともかく、原理的には)生命現象は物質同士の相互作用に還元することができるのか?」って類なのでは?新鮮味はないかもしれないけど、「と」ではない気がします。
>そうしたら、パスツールの説とか、何とかフック(人名を忘れた。コルクを観察したヒトじゃない人)の細胞説(すべての細胞は細胞から生ずる)は否定されたことになるのかな。
レーウェンフックのこと?もしそうだとしたら細胞説は唱えてないよ。レーウェンフックは精子の中に小人さんがいると思っていたのだ。細胞説はシュワンとシュライデン。
>鳥人論争を期待してくれた人ありがとう。でも姫が素に戻っちゃったんで終わりかな?
じゃぁ、そろそろ終わらせますか?wadjaさん、相手をしてくださってどうもでしたm(_ _)m
鳥人論争を楽しんでくださった方、「おいおい^^;」と思いながらも大目に見ていてくださった皆さん、ありがとうございました。
>#ところで数学って、今でも人文科学だよね?wadjaは応用数学の人から聞いて、そう信じているのだが。
えっ?そうなんですか??自然科学の中に数学を含ませる人は多いけど、人文科学の中に含ませるというのは聞いたことがないです。じゃあ、論理学も人文科学ですか??(私自身は、数学や論理学は自然科学でも人文科学でもないと思っていた。&今も60%くらいそう思っている)
科学を経験科学と形式科学に分けたとき、私の知っている数学以外の人文科学はすべて経験科学に含まれているのですが、じゃあ、人文科学は経験科学と形式科学の両方にまたがっているの??
>鳥に限らず多くの哺乳動物の歩行様式は、人間に例えるならつま先立ちです。この点が人と鳥との違いであることは、幼少の頃からクリスマスに鶏の腿の丸焼きに慣れ親しんできたwadjaはとっくに気が付いていた点です。
ところで、これ(↑)って本当?犬や猫の歩行は爪先立ちではないと思うのですが、他の哺乳類の歩くところはよく観たことがないのでわからない。ネタなのかネタじゃないのか判らずコメントできなかったのでした。
馬肉で儲けたヒトなら…
>もう一度完全に同じ場面を再現できたとしても、違う結果になるかもしれませんねえ?単にそれは、起こりうる事象の一つが実現したに過ぎないかもしれない。
苦し紛れの一点買いでマンシュウGET
鉄板と思っていたら、軸馬競争中止・・・
狂喜と失意の中でわしゃ「神」を見ているのかもしれない・・・・
なんちゃって
>#ところで数学って、今でも人文科学だよね?wadjaは応用数学の人から聞いて、そう信じているのだが。
ワシの母校は数学科は理学部にあったのう。でも人文科学のほうがタダシイ気がするな。
>でも統計的に考えて、RYU_TI_SYUさんが競馬で長者番付にのる確率は低いのかな−。だって、ツリーの掲示板での嘆きの数を数えると...。
♪馬で金儲けした奴ぁないよ。
タブーだからではないですよ。>妥当?進化論さん
実際一生懸命研究している人たちもいることだし。ただ、進化論の体系に組み込むに相応しい、有力な学説や証拠が今のところ存在しないだけのことだと思う。
もともとダーウィンにしても、現存の生物の多様性の中に進化の証拠を見出したものの、生命の起原についてはこれだと思う証拠や理論にめぐり合わなかった。だから分からないものは分からないものとして放置したのではないか思います。違っていたら教えてね>all
仮にあなたが、完全な無機物から、最初の生命の誕生前にも存在したであろう条件だけを使用して、生命(それこそ原始的なバクテリアでもいいけど)の誕生を再現できたなら、それは一つの有力な学説となり、進化論に組み入れられるでありましょうよ。再現するのに数億年かかるかもしれないけど。
>なぜ、安田記念でアドマイヤマックスが2着になったのか?
もう一度完全に同じ場面を再現できたとしても、違う結果になるかもしれませんねえ?単にそれは、起こりうる事象の一つが実現したに過ぎないかもしれない。でも統計的に考えて、RYU_TI_SYUさんが競馬で長者番付にのる確率は低いのかな−。だって、ツリーの掲示板での嘆きの数を数えると...。それともオフ会でたかられるのを敬遠して、外したフリをしているだけか?
#ところで数学って、今でも人文科学だよね?wadjaは応用数学の人から聞いて、そう信じているのだが。
2段落の2行目 → その原子の反応をさせる要因の積み重ねで説明できる
読みなおしているつもりなのに、どうしても間違ってしまう
1つ目はその通り「科学は」と言うことです。
2つ目は進化論ですべてつじつまが合うのなら(もしつじつまが合わないこともあるならそれでいいです。あくまでもたとえ話なので)ものを形作っているものがすべて原子なのであれば、その原子の振る舞いと、その原子の反応をさせる要因と言うことです。ちなみにこの考えだと「有機物」は「無機物」から生じるので、根本的な要因ではないと思っています。で、無機物的条件じゃないというのは、まだ科学的に確認できていないもののことです。まあ神様にもその資格はありますが。
3つ目については、楽観すると言うよりも、自分が生きている間にはそんな日はこないだろうなと思っています。
TO 大文字ナンさん
量子論で考えると究極のものは科学的に正確に測定できないらしいですね。(何度も言います物理は得意ではありません)であれば進化論も究極に小さなステップや、逆に大きな変化は正確には確認できないのかもしれなのかなと思いました。でも、実際には何かの仕組みは必ずあるのだから、いつか確認できる日が来ればいいな。
実は量子論的なこととか、生命の起源とか、ミッシングリンクとか、宇宙の果てとか考え始めると寝られなくなるので、安心して寝られるような理論をお持ちの方、ぜひ一報を!
>現在は、訳のわからないパワーではなく、現在確認されている理論で説明してますよね。
なにが?・・・
「科学は」ってことならそうじゃのう。
>結局そこに無理があるのかなと思いました。例えば進化論ではこういう風に考えればすべてつじつまが合うでしょ、と言う理論ならば(つじつまが合わないことがあるならこの屁理屈は無効です)無機的条件の積み重ねをしなきゃいけないんじゃないかなと思っています。
この記述、何を仰りたいのか、わしにはよくわからんのじゃが・・・
それに「無機的条件」ってわかったようなわからんような・・・
#逆に「有機的条件」って何だろう?ぶっちゃけた話「カミサマ」ってことなのかのう?
>ただ将来説明できる日が来たとき、それが無機物的な条件でなければ、大きく世界観が変わるんだろうなと思うことです。今はまだ何かわからないエネルギーやら、存在やらが明らかになるのだろうから。
そんなに楽観できるもんでもなかろう。
初めて職場から接続中(意外にウブなのか!?)
☆diamonds8888xさん
おずおずさんにフォローいただきましたが、ストレスと言っても神経系のストレスを指すものではなく、語意をひろげすぎたかも知れません。誤解を招く表現で失礼しました。
☆妥当?進化論さん
進化論にせよ、広く科学として認められているモノとは、自ずと限界を自覚しているところが評価されているのでは?なにもかもの辻褄を合わせようと考えないところが、科学のえらいところぢゃないかなぁ。単純な無機物の論法で有機物の複雑なふるまいを説明するのは不可能だ、とは自明ではありませんか?
これも以前に行った議論ですが、科学的に物事を捉え考えることとは、万物を説明しきる理論の構築を目指すことではないはずです。なぜならこの世の成り立ちが(たとえば量子論によって)科学と決定論の限界を示しているからです。
TO RYU_TI_SYU さん
現在は、訳のわからないパワーではなく、現在確認されている理論で説明してますよね。結局そこに無理があるのかなと思いました。例えば進化論ではこういう風に考えればすべてつじつまが合うでしょ、と言う理論ならば(つじつまが合わないことがあるならこの屁理屈は無効です)無機的条件の積み重ねをしなきゃいけないんじゃないかなと思っています。
もちろん現在はまだわからないでもありです。ただ将来説明できる日が来たとき、それが無機物的な条件でなければ、大きく世界観が変わるんだろうなと思うことです。今はまだ何かわからないエネルギーやら、存在やらが明らかになるのだろうから。
神経の電気信号(その他必要な生化学etc)で、
なぜ、安田記念でアドマイヤマックスが2着になったのか?
を、どなたか説明してくれ〜
つまり無機物的な条件ですべてを表せるかと言うことで、自然選択だろうが、ゲームだろうが、経済学だろうがその根本が無機物的であれば、いいです。具体的には、温度とか光のエネルギーとか、化学的に安定する反応とかを積み重ねているうちに、人間の文化までたどり着ければ、文句は何も言えません。
やっぱり最初に書き込んでいた進化論への疑問からずれてしまった。でも、タンパク質の塊が自律して行動するまで変化する仕組みがわかれば、進化の原動力を理解するのにあまりこだわりはなくなるな。
あっ、これは進化論では扱わないのは百も承知しています。ただ、こうすれば無機物から生物が作れる!というのが現在の科学ではどう考えられているのかがやっぱりどうしても知りたい。そうしたら、パスツールの説とか、何とかフック(人名を忘れた。コルクを観察したヒトじゃない人)の細胞説(すべての細胞は細胞から生ずる)は否定されたことになるのかな。
一度この話はもうしないと言ったので、進化論の話題にふさわしくなかったら無視してください。
>正直なところ、現在の科学は唯物論的な範囲でしか説明ができないと思っているので(ただの思いこみですけど)現在説明可能な材料を使って説明するのであれば、すべての生物の行動や文化を、タンパク質と核酸との化学反応と、神経の電気信号(その他必要な生化学etc)で説明できなければならないと思いこんでいます。(本当にただの思いこみです)
なんで説明できなければならないと思いこんでいるんじゃろうか。
説明できないものは、「わからない」ではダメなんじゃろうか・・・
>すべての生物の行動や文化を、タンパク質と核酸との化学反応と、神経の電気信号(その他必要な生化学etc)で説明できなければならないと思いこんでいます。
すべての生物の行動や文化は、環境との相互作用で説明するべきではないでしょうか?
どんなタンパク質と核酸の化学反応が、地球で生き残るために有効だったか、を説明できるためにも。
(もっと気温の高い環境だったらケイ素生物が...とかを含めて...。)
To diamonds8888x さん
>個体の神経系にストレスをかけるかどうかが
大文字ナンさんは、神経系ストレスのことを言っているのじゃなくて、生存競争のことを言ってるように思えるのですけど...。
To 革離@隆行さん
自己複製子を外して応用できる進化論というのはどの理論のことですか?
To 大文字ナンさん
>ヒトの生活環境には生き残りや繁栄を賭けるようなストレスはありませんし、
>同様にペット化された家畜たちにも(交配は別として)余裕アリアリな環境が
>あるので、進化論を当てはめようとしても
ちょっとずれているように思います。どんな環境であれ対立形質があれば子孫を残せる確率には差がありえます。個体の神経系にストレスをかけるかどうかが直接的に適応度に結びつくとは言えません。
To 妥当?進化論さん
「唯物論的な範囲での説明」とか「物質の変化の延長での説明」というのはどんな説明を言うのですか? 例えば次の説明は当てはまりますか?
自然選択による進化の説明
ゲームの理論による生物行動の説明
経済学の理論による人間の行動の説明
パーセプトロンの原理による神経系の機能の説明
「人は空腹を満たそうとする」という原理に基づく人間の行動の説明
行動や瓶か → 行動や文化
大変お見苦しくなりました
進化論で花井 → 進化論ではない
大文字ナンさんが指摘されたように、はじめとだいぶ趣旨が変わってきたようなので、疑問のまとめ。
はじめは生物って何から進化したの(もちろん無機物からなのだろうけど)と思ったら、生命の起源は進化によるものではないので、それは進化論で花井ということでボツ。
次にヒトの思考や感情、文化の成り立ちだけれども、ドーキング読めばわかるよというわれ、それは血縁関係のあるものに受け継がれるので問題ないというお答えをいただきました。それについては実はまだそんな自己犠牲的な遺伝子は残らないんじゃないかと密かに思っていますが、人間の行動や瓶かは進化論の範囲ではないかもよ、という意見もあったので、
では、次に進化ってどれくらいのヒトのの変化まで当てはめていいのだろう、と思うまでになりました。
正直なところ、現在の科学は唯物論的な範囲でしか説明ができないと思っているので(ただの思いこみですけど)現在説明可能な材料を使って説明するのであれば、すべての生物の行動や文化を、タンパク質と核酸との化学反応と、神経の電気信号(その他必要な生化学etc)で説明できなければならないと思いこんでいます。(本当にただの思いこみです)
超極端な話をすると、物質の変化の延長で説明できないのだろうか。
TO 妥当?進化論さん
イキモノに進化論を当てはめて文脈を作る場合、それは淘汰圧などという環境条件を加味した上でないと成り立たないように思います。ある形質が適応的とか非適だとか、そういう評価は出来るでしょうが、果たしてそれが行動・生活様式にまで拡張出来るものか私としては疑問です。
生き残りを賭けて定着したのであろう生態、たとえばアリがアブラムシを守るとか、拡張された表現型と思えるものと違い、ヒトの生活環境には生き残りや繁栄を賭けるようなストレスはありませんし、同様にペット化された家畜たちにも(交配は別として)余裕アリアリな環境があるので、進化論を当てはめようとしても、それは「名残」くらいにしか観察されないんじゃないのかなぁ?と思うのです。
遺伝子の変化=進化であるなら、ミームを獲得したヒトはその応用として文化・文明を築き、ある程度の環境変化には形質を変えずとも、生活様式や方法論を変化させるだけで対処してしまいますから、ある行動が適応的か否かさえもはやどうでも良くなっている気がするのです。
ただ、これらのことを考えることと、妥当?進化論さんが最初に述べていた疑問について考えることとは、かなり距離があるようにも思っています。もともとは「進化論では説明のつかないこと」に焦点があったのではないでしょうか。それなら、もはや進化論で説明するのが難しいヒトの生活様式について考えるよりも、モロに進化生物学が当てはまる他のイキモノを例示していった方が適していると思います。
進化論を「自己複製子のシェア争い」まで単純化して考えたとすれば,色々なことに当てはめる事が出きると思います.
代表的なところがミームでしょうか?
自己複製子まで外してしまえば,非常に多くの事が進化論を応用して説明可能と思われる.
前回のタイトルにあるとおり、宗教にそれほど興味を持っていませんので、どのような話題にふれると、怒りを買うのかわからないので、今後しません。
今回に関しては、申し訳ありませんでした。
進化論に説明を求めすぎというよりは、進化論ってどこまで適応できるのかが知りたいのです。ヒトでも動物でもその行動や活動には進化論で当てはめることができない範囲があれば、進化論の限界を考えるのも、進化論を考える上では必要ではないかと思いますが。だめですか?
飼い犬にとってヒトは餌を供給される対象だが他の犬はそれを奪うものでしかない。
ヒトを含む動物たちは、同種のものに警戒感を持っているのが原則ではないのかな。
同種のものは同じニッチにいるものとして、競争相手であるわけで、自分や自分の育てている子供に有利でないかぎりなるべくいないほうが都合が良い。
>ただ創造論者の、思考や行動が、進化論で説明できたらおもしろいだろうな、というただのお遊びのつもりなのに。
遊びならなおさら「今現在キリスト教の信者がどのくらいの割合なのかよくわかりませんが、知識人の中ではけっこう多いのではないのでしょうか。」という発言がイスラム教や仏教そのほかの宗教の信者の怒りをかうことに神経を使うべきではないかと思うのですがいかがでしょう?
人間がなぜ殺し合うかというので思い出したのですが、飼い犬は人間よりも犬に向かって激しくほえますよね。あれは犬が自分は人間だと思っているから、変なやつがきた!ということでないているのでしょうか?それとも自分が犬だということを知っていて、犬は犬のおれが相手だ!という感じでなくのでしょうか?
進化論的説明でヒトの行動を説明しようとしすぎ、と思っているところに、さらに宗教についてまで同種の書き込みをされるので、悪評がつくのでしょうね>妥当?進化論さん
「これはあくまで遊びです」という発言でしたら、そういう宣言を行なってからじゃないと、逆に反感を買うケースが多いと思う。なぜなら私も妥当?進化論さんが本気で宗教を信じる形質という発言をしたと思ったから。
「宗教を信じる形質」には何の科学的根拠も科学的説明を求める気はありませんでした。
ただ創造論者の、思考や行動が、進化論で説明できたらおもしろいだろうな、というただのお遊びのつもりなのに。
私の他の理屈は別として、この話題に対しては「と」ではないと思いますが。
野生の動物の「無垢さ」を基準に人間を断罪する視点は、致命的な弱点を持っています。
野生の動物の「残虐さ」に目を向ければ、逆に人間の残虐さを正当化する視点になる事。
人間の倫理を、人間の外側の「自然」や「生き物」に仮託する事は、たとえ話としては
わかりやすくて便利ですが、それ以上のモノでも以下のモノでもないですよね。
「余裕があるから」ですよね。
野生のライオンが食う分しか狩りをしないのは、狩りをするのがとても
しんどい行為だからなわけで(どこで見た数字か忘れたけど、ライオンの
狩りの成功率は二割とかいう数字が)、別に崇高な理念があるわけでは無
いのではないかしら。
人間だって、素手でなきゃいけないなんて言われたら、楽しみで狐を狩っ
たり魚を獲ったりなんてしませんよね。だって、しんどいもの。
すでに実例が紹介されてますが、「余裕」があったら「遊び」で他の生き
物の命を弄ぶのは、別に珍しい行為じゃないみたいだし。
ただ、そういう事実と、遊びで狩りを行う事を人間の倫理観で許容するか
どうかは関係ないわけです。そういう問題は他の生き物との対比として語
るんじゃなくて人間自身の問題として人間の倫理観で語らなきゃいけない
と思います。無駄に脳みそでかいんだし。
一般的に包括適応度って、どれくらいのタイムホライズンで捉えるべきなんだろう?そう考えると、自らの精神性を認識できる位神経系を発達させた現代人は、他の多くの種がそうだったように、単に滅びる定めの種のひとつにすぎない...かもしれない。まあ地質学的時間からみれば、人間の地球における歴史はほんの一瞬にしか過ぎないから、少なくともまだ答えは出てませんよっと。>妥当?進化論さん
同種での殺し合いは、他の動物でも見られますね、熊の子殺しとか。人間に比べて頻度が少ないのは、単に生息密度が低いからじゃないかと思ったりします。渋谷の人口密度(同種の他の個体に出会う確率)と、そこで起きる殺人件数を統計処理すると、案外人間は種内の殺し合いをめったにしない種ということにはならんのかしら?だれかそんな統計取った人いないのかね−?
鳥人論争を期待してくれた人ありがとう。でも姫が素に戻っちゃったんで終わりかな?
#この間国立科学博物館で、人工的な竜巻のモデルを見た。根拠は無いけど、龍は昔の人が竜巻を見て想像したものではないかと思いました。
>知識人の中ではけっこう多いのではないのでしょうか。
「知識人はキリスト教に傾倒しやすい」なんていう話は初耳ですが、どのような根拠があるのでしょうか?
「今現在キリスト教の信者がどのくらいの割合なのかよくわかりませんが」なんて言うところをみると、ただの思いつきなのでしょうか?
だったら、「味噌汁でツラ洗って出直してきやがれ!」としか答えようがないですね。
進化論的な説明がついたとしてもどれだけ妥当なのか調べようがない(あるいはきわめて困難)という指摘をみなさんからいただいているのに、そんなに進化論的説明をしたいのですか?だったら自分でやってみたら?
(妥当?進化論さんの書き込みがだんだん「と」にずれてきているような...)
今現在キリスト教の信者がどのくらいの割合なのかよくわかりませんが、知識人の中ではけっこう多いのではないのでしょうか。このキリスト教を信じるという戦略の安定は進化論で説明できるのであろうか。
・・・できそうな気がする・・・
別冊宝島の「新釈どうぶつ読本」(1990年発行だから古いのだが)カマキリの共食いについての研究があります。
とりあえず雌は動く適当な大きさのものはえさと感じていること、故に雄はかなり時間をかけて交尾にチャレンジし、食われなければ何度も交尾を行えること、そして頭が食われても交尾を行うプログラムは最後まで全うすることなどが書かれています。
この本には働きバチは実は怠け者だった。というような記述もありなかなかおもしろいです。
(働きバチはジェネラリストで、さらに人員が余剰しているためなかなか仕事にありつけないらしい。内容を見ると働きたくとも働く場所がないという記述なのだが)
さあこれから地下に眠るMさんが示してくれた引用文を気合いを入れて読んでみよう・・・でも幼態成熟であり欠陥生物である。その欠陥故に適応の範囲を広げている(正しく理解できているだろうか?)というのはけっこう好きになりそうなお話しです。
ご意見、ご要望がございましたら、掲示板か、 e-mail:natrom@yahoo.co.jpへどうぞ。