このファイルは、掲示板巡回ソフトのログファイルを元に再構成したものであり、投稿時の状態(フォントサイズ、文字の色、リンク等)をすべて反映しているわけではありません。
このタイトルは何通りの意味に解釈できるでしょう?誰か暇な人、数えてください。
>私が指摘したのは「超古代=古代を超えて古い文明」と「超文明=人智を越えた文明」という点です。文明を「人類」に置き換えてみましょう。超古代の人類、と古代の超人類だと、さらに意味の違いが明白になると思いませんか。
大文字ナンさん、こんにちは。
「超古代文明」の「超」は、「古代」だけではなく「古代文明」全体を修飾するほうが普通なのではないでしょうか??とりあえず、私が「超古代文明」という言葉で連想するものは、「いわゆる三大文明よりも前(でも数千からせいぜい数万年前)に非常に栄えたが、核戦争、神の怒り、宇宙人の気まぐれなどなどが原因で滅んだ超文明」であって、「三葉虫をサンダルで踏んづけたりする人々のすむ超古代の文明」ではないです。
もっとも、私はそういうの(どういうのだ?!)にはまったくといっていいほど興味がないので(インディー・ジョーンズは好きだけど)、私が間違っているだけって可能性も高いです。
>それにムーを知ったのが最近だったので、逆に、「こんなんあるんだ...」と思ったんですね。
で、山本さんご自身、地味に定期購読してみたくなっていたりとかしませんか?
このサイトの常連(ROMの方も含む)のうち5人以上が、ムーを一年以上定期購読したことがあるに一票!あの雑誌は、このサイトで見られるようなちょいとばかし性格の捻じ曲がった連中によって支えられているのだと思います。
♯ 菊地桃子とムー大陸の関係がわからず、思わず検索してしまいました。これって、私だけ?
まぁその手の雑誌の老舗であり、かつ何冊か並存していた時期があって、その後次々と休刊が相次いだ時期にも生き残った雑誌ですな。あの業界もバブルが弾けたんでしょうかね。
1999年が過ぎてもなんだかんだネタを探してきて本を続けている努力は立派。
あと、スポンサーの存在(オカルトグッズの通信販売メーカー等)もあの雑誌の維持のもとになっているでしょうから。
読者は確実にいるでしょう。「神々の指紋」の売れた部数から言えば、そのうち1割でもマジな人がいて、熱心な定期購読者になっていれば雑誌は維持できるでしょうから。
でも、「ムー」以外の似たような雑誌が生き残れなかったことを考えると、市場はそこまで大きくは無かったんでしょうね。
オウム真理教も、『ムー』に載ったことがあったらしいですよ。
(余談だけど、ここに出てくる秀才くんたちは、
承知の上で、騙していた側のように思うが...
麻原なんて、組織の傀儡くらいに、思っていたんじゃないかな...?)
疑似科学との戦いー超能力、UFO、ミステリーサークル
かくいうわたしは、いくつまで信じていただろうか...?
中学生のときは、まだ、信じていたかもしれない...
(高校生のときは、どうだったかな...?)
純朴以上に、意気地なしだった、たんぽぽは、
オカルト話は怖くて、聞けないこともあったのでした...
科学好きってオカルト好きが多いですよね?少なくとも僕はそうなんですけどね。
オウムは有名だしね。真理の追究とかいって科学やる人間より、変わった事、不思議な事を
追い求めていたら科学を選んでたと言う人って結構いるのじゃないかな。僕は科学的な
仕事にはついてませんが、好きですね、オカルトも科学も。
いやいや、活躍してたのが6歳までということで、そういう超常現象はやはり高校生まで信じてましたよ。それにムーを知ったのが最近だったので、逆に、「こんなんあるんだ...」と思ったんですね。
> 6歳で引退しましたが。
純朴な少年ゆえ、ムーを初めてしったのが10才ぐらいですから、高校生まで
信じてました・・・。
>なんでも、『ムー』のようなオカルト雑誌は、読者の半分くらいは、超自然現象なんて、なにも信じてない人だというのを、聞いたことがありますよ。<
そうなんですか。へー。でも、残りの半分は、毎夜宇宙人と交信したり、UFO呼んだりしてNASAに迷惑かけてる方々ですか。でも、人知れず恐怖の大王と交渉して侵攻をくい止めたり、悪霊から町を護ったりもしているので、貴重な存在です。私も昔はそうでした。6歳で引退しましたが。
なんでも、『ムー』のようなオカルト雑誌は、
読者の半分くらいは、超自然現象なんて、
なにも信じてない人だというのを、聞いたことがありますよ。
つまり、いんちきとわかっていて、
それを確信犯的に楽しんでいるらしいです。
(わたしの知り合いにも、何人かそういう人がいました。)
わたし自身は、買ったことも、読んだこともないので、
あまり多くは語れませんが...
「ムー」という雑誌がありますが、あの雑誌には様々な超自然現象のことが載っているようです。UFOから心霊まで。しかもかなり長い間続いてますよね。ちゃんと需要があるようです。UFOを信じている人は心霊も、古代の超文明も信じているということでしょうか?(だって、ひとつでもいかがわしいと思うのがあったら買わないでしょ?)そう思うとなーんかおかしいなーとおもいます。この掲示板に来る人も、うだうださんのムーは夢だとおっしゃったご友人も読者でないと思っての発言ですが。
ユートピアの話はおもしろいですね。仮想国家のお話は僕もかなり好きです。
マルクス主義だって仮想国家みたいなものですよね。アトランティスは政治なども
考えられた国家であるのに対して、ムー大陸はちょっとよく分からないものでした。
下記の発言を見直してみるとなんだかすごく険悪な言い方であった為、GOAさんに
謝っておきます。基本的にはムー大陸を一般的な名詞として使う事は完全におかしいと
認めています。ただ完璧に記述と一致する大陸とは僕は考えていませんでした。
そのような発言に見えてしまったなら注意したいと考えます。
トーマス・モア描くところのユートピア国はなかなかにしたたかな国家です。一言で言えば潤沢な金にものを言わせて、外国政府要人の買収や傭兵を駆使して自国民の血はなるべく流さずに国の安全を守る。あんなえげつない国は周囲から恨みと妬みを買うんじゃないかと心配になるほどです。
岩波文庫と中公文庫に邦訳があります。
http://www.iwanami.co.jp/cgi-bin/qsearch
http://www.esbooks.co.jp/product/keyword/keyword?accd=18811930
一般名詞としてのユートピアはむしろ桃源郷とかエルドラドのイメージに近いですね。もっともトーマス・モアが名付けたユートピアはギリシア語のoutopos(どこにもない場所)から来ているので、そもそもは一般名詞ということになります。
別にムー大陸は事実であると言いたかったわけではありません。出来る限り馬鹿な表現方法を
取りたかっただけなんです。馬鹿なというとまたいろいろ言われそうなので、思わせぶりな
発言をしたかったという事です。ただしいろいろムー大陸の話を読んでいくうちに、僕が
当初考えていた安易な太平洋の楽園話ではないと分かりました。
あくまで事実の様に曲解される書き方をしたかっただけです。ムー大陸と沖縄の島では
違いが当たり前すぎて、こんなにもその事で言われるとは想像もしてませんでした。
おもしろおかしく書く、どうもこの発想が幼稚だから見苦しいから止めてくれと受取り
ました。今後覚えておきます。
うだうださん、
>僕のムー大陸という言葉は、太平洋の失われた文明、しかもそこそこ高度な
文明を指す抽象的な言語です。ただし紛らわしいから止めろと言われるのなら止めますが、
そういう事なんでしょうか?
いいえ、そういうことではありません。
今問題にしているのは、
最初の書き込みでは「ムー大陸伝説は事実であって、沖縄の古代文明が解明されるにつれそれが明らかになる(繋がっていく)」としか読めそうにない文章でありながらそれは違うとされる。しかしその後の議論ではこうした齟齬は生じず、スムーズに議論が進んでいくのは一体どうしてか?
ということです。
それからムー大陸という言葉を「抽象的な言語」として使っているということですが、ムー大陸という言葉がそのような用いられ方をされた例はあるのでしょうか?
そのような例がなくうだうださんだけが使っているというなら、私たちはこの掲示板で日本語によく似たうだうだ語を相手にしなくてはならなくなります。
どういうことなのか尋ねられたのでとりあえず答えておきます。
そう、ロマンなんですよ。
木村教授はじめ琉球ムー大陸説とかの類を語ってた人も「ロマン」と割り切ってた筈です。
ロマンなんだから真にうけちゃ駄目です。
確かに苦しいですね。ムー大陸はまだまだ一般的でないという事で締めておきます。
大文字ナンさん、その2つの文字は勉強になりました。確かに理解が不足してますね。
大袈裟にも度がすぎたと言う事でもう撤退させてもらえないでしょうか?GOAさん
お願いします・・・。
To うだうださん
逃げ口上ばかりで見ていて辛いですよ。
以前から指摘していることですが、言葉の厳密な意味と連想されるイメージをごっちゃに、混同して発言する癖はなんとかなりませんか。私が指摘したのは「超古代=古代を超えて古い文明」と「超文明=人智を越えた文明」という点です。文明を「人類」に置き換えてみましょう。超古代の人類、と古代の超人類だと、さらに意味の違いが明白になると思いませんか。
ロマンに思いを馳せることが悪いとは言いません。しかしロマンを追いかけるにしても、デマや妄言を用いる必要はないはずです。まったく関係のないムー大陸を持ち出して、話を大げさに広げたところで、バブルはすぐに弾けるだけですよ。
#ちなみに「ニライカナイ」ではないかな→沖縄
要するにうだうださんはムー大陸が何かということをよく御存じなかったのですね。
>僕のムー大陸という言葉は、太平洋の失われた文明、しかもそこそこ高度な
>文明を指す抽象的な言語です
いやまだそこまで一般名詞にはなってないでしょう。ユートピアは一般名詞になってますけどね。
> 「学会に陰謀がはびこっている」というのが陰謀論なのですから、陰謀論が正しければ「学会に陰謀がはびこっている」ってことになるでしょう。いわゆるトートロジー?
すいませんやはり読み間違えたようです、僕もその様に思います。
> 「ムー大陸の伝説の存在を信じていて、沖縄の古代文明が研究されるにつれ、ムー大陸の存在が明らかになる」
確かにおっしゃるとおり。そう読み取れる文章でした。ただし「ムー大陸」そのものを信じている
わけではありません。あれから検索してかなり詳しいサイトを読みましたが、人類が1000万年
より前から存在していてそれで滅びた大陸というとんでもない話だった事が分かりました。
GOAさん「ユートピア」という言葉で何を連想しますか?この言葉の元ネタはかなりはっきり
していると思います。イギリスの誰かが書いた社会主義国家の理想像だったと思います。
(マルクスもこれを元にしたのかな?)
しかし現在ユートピアという言葉を使用したからといって、直接この国家を表すわけでは
ありません。僕のムー大陸という言葉は、太平洋の失われた文明、しかもそこそこ高度な
文明を指す抽象的な言語です。ただし紛らわしいから止めろと言われるのなら止めますが、
そういう事なんでしょうか?
> うだうださんの日本語
こちらは遠慮しておきます。長くやるには個人的な話すぎます。
> 友人が主張するという陰謀論の問題点について議論したいというのが目的です。
ええ一度この事をじっくり話してみたいと考えていました。しかし今回言い尽くして
しまったため、次に友人が陰謀論を話してきたらじっくり話を考えてみたいと思います。
ちなみにこの陰謀論は、今回のイラク戦争などの話に繋がる為、決してつまらない話では
ないと考えています。
とおりすがりさんへ
寂しすぎますぞー、ロマンですよ、ロマン。
ヤマト大陸とかなんとか言ってたトンデモ本を思い出した(笑)
与那国のダイナミックな地形でのダイビングを楽しみたかった木村教授(まだ琉大ダイビング部顧問なのかな)が
研究費をゲットするために珍しい海底地形にそれらしいネタをこじつけただけだと思ってますが(笑
>最初の投稿「いろんな分野として」を素直に読めば、うだうださんは「ムー大陸の伝説の存在を信じていて、沖縄の古代文明が研究されるにつれ、ムー大陸の存在が明らかになる」としか読めないということです。
は、
最初の投稿「いろんな分野として」を素直に読めば、うだうださんは「ムー大陸の伝説の存在を信じていて、沖縄の古代文明が研究されるにつれ、ムー大陸の存在が明らかになる」と述べているとしか読めないということです。
です。
ついでですから、
>僕もツリーに持っていきたいのですが、この遺跡はかなり研究の進行が遅くてデータが
ないんですよ。まさにネタ切れです。
別に沖縄の古代文明のことについてツリー掲示板に持って行きたいわけではありません。
うだうださんの日本語と友人が主張するという陰謀論の問題点について議論したいというのが目的です。
他の参加者の皆さんにとってはつまらない話題だと思いますので。
>上記の意味がよく分かりません。陰謀論を否定したのは駄目なんですか?それに
陰謀はあるかもしれないが、どうせわかりにくいだろうと考えてです。
「定説が崩されるあるいは突飛な新説に飛びつくという現象を目の当たりにしていながら、どうして陰謀が図られている可能性を考えなければならないのか?」それについて十分な説明を行わず学会が陰謀を企んでいると主張するのは非合理的ではありませんか?
自分の主張が正しい(この場合は考古学者は陰謀を企んでいてしかもあほである)というのであれば、それを示す証拠を提示するべきでしょう。
それをせずに気に入らない相手をあほ呼ばわりする人間はあほでしょう。
>勘違いしてるかもしれませんが、陰謀論が正しいのならば創造科学を認めない学会に
陰謀があると思い込んでいる人たちが明らかに正しいのでしょうか?
「学会に陰謀がはびこっている」というのが陰謀論なのですから、陰謀論が正しければ「学会に陰謀がはびこっている」ってことになるでしょう。いわゆるトートロジー?
>> “別の主張があった”と思わせる文章
>ムー大陸に対してそれほど厳密な定義でもあるのですか?
ミライカナイと呼ぼうが、ムー大陸と呼ぼうがどっちでもいいような気がするのですが・・。
最初の投稿「いろんな分野として」を素直に読めば、うだうださんは「ムー大陸の伝説の存在を信じていて、沖縄の古代文明が研究されるにつれ、ムー大陸の存在が明らかになる」としか読めないということです。
おそらく誰が読んでもそのように解釈すると思います。
僕もツリーに持っていきたいのですが、この遺跡はかなり研究の進行が遅くてデータが
ないんですよ。まさにネタ切れです。
> 考古学者たちが陰謀を図っていたりあほだと罵る友人をあほだと評することが不当であると思うのでしたら、陰謀論や考古学者の知性を否定することは正当で理性のあることだと思いますか?
上記の意味がよく分かりません。陰謀論を否定したのは駄目なんですか?それに
陰謀はあるかもしれないが、どうせわかりにくいだろうと考えてです。
勘違いしてるかもしれませんが、陰謀論が正しいのならば創造科学を認めない学会に
陰謀があると思い込んでいる人たちが明らかに正しいのでしょうか?
> 考古学者の知性を否定することは正当で理性のあることだと思いますか?
こちらに関して確かに僕も最初腹が立ったんですけどね。他人からすれば許せないかも
しれませんね。
> うだうださんの書く文章はそれほどまでに滅茶苦茶なものなのでしょうか?
ええまったく別物ですね。最初の切り出し方は確かに滅茶苦茶ですね。ただ僕は
出来るだけ大袈裟な表現にしたかっただけなんですが。洪水があったら、大洪水
だといったほうがなんか話が盛り上がるでしょ。実を言うと僕も僕が勘違いして
るならしているで、指摘してほしかったのです。詳しい話が欲しいですからね。
> “別の主張があった”と思わせる文章
ムー大陸に対してそれほど厳密な定義でもあるのですか?
ミライカナイと呼ぼうが、ムー大陸と呼ぼうがどっちでもいいような気がするのですが・・。
もしやGOAさん沖縄出身ですか?
>> その友人はあほかもしれませんね。
>これはちょっと気分悪いですね。
沖縄の古代文明を無邪気にムー大陸と結びつけるようなうかれとんちきに「気分悪い」と言われると私のほうこそ気分が悪くなります。
考古学者たちが陰謀を図っていたりあほだと罵る友人をあほだと評することが不当であると思うのでしたら、陰謀論や考古学者の知性を否定することは正当で理性のあることだと思いますか?
ところで沖縄の古代文明がムー大陸になぞらえられる(“あだ名”として使われる)のと遺跡の発見をきっかけにムー大陸伝説につながるのとでは全く意味が違うわけですが、うだうださんの書く文章はそれほどまでに滅茶苦茶なものなのでしょうか?
こうしてまともに議論が行われていることからうだうださんはまともな文章を書くことが可能だと思えるのですが、“別の主張があった”と思わせる文章に関しては正しい文章とならないことに非常な不自然さを感じてしまいます。
To 安賀須若人さん
おもしろい記事の紹介をありがとうございました。考え得る例がほとんど出てましたね。人格の複製分岐、脳の少しずつの置き換え、脳の分割移植。実は2番目の例をやはりあるSFの設定から引用してupしようとしていました。こんな話です。
増殖力旺盛なヒト細胞がありました。この細胞は人体に入り込むと元の細胞を自分たちの細胞に置き換えながら増殖します。役割はそのままなので健康に異常はきたしません。それどころか強い細胞なのでかえって健康になるくらいです。むろん脳細胞も例外ではなく置き換えられてゆきます。しかしつながり具合はそのままですので記憶や性格、要するに人格は元の個人の人格そのままとなります。
結果として全細胞が置換された後の脳に宿る人格から見ると、体だけが変化してなんだかとても健康になった、ということになるわけです。こんな幸福は他の人にも分けてあげなくっちゃ、というわけでこの増殖力旺盛なヒト細胞は世界を席巻するのでありました。
3番目の例では人格の分割もさることながら、2つの半脳をひとつの頭蓋骨に納めて脳神経はちゃんと接続した場合の人格の融合も問題になりますね。
To大文字ナンさんへ
> わけ分かりませんよ。
確かに説明できない感情である為、思い切り省いてしまいました。無理に説明する事は
止めておきます。しかしあまりに根源的な問題に対して何故を考えるのはつらいです。
楽しいから楽しいのですが、それを分析するのですか・・・。
> 1:超古代文明 2:古代超文明
上両者の意味の違いが分かっているでしょうか?
?!何か違いがあるのですか?
ToGOAさんへ
> 松井のあだ名の例で言うなら「偽りのホームラン王」のようなものでしょう?ぜんぜん楽しくありませんよ。
お互い楽しい気持ちは共有する事はできないようですが、GOAさんが不快に感じる気持ちは
よく分かります。妥当でないネーミングについ一言ですね。
> >他に原日本人のルーツ的にも楽しみであります。
なるのですか?
これは別の話です。渾名とは別です、単にあの海底遺跡が本物ならば日本人の
ルーツに繋がっていくからだろうと考えているからです。港川人だったかな?
そのたぐいの種族ではないでしょうか。
> その友人はあほかもしれませんね。
これはちょっと気分悪いですね。僕もお前は夢が無いからだめだと言われてむっと
してましたが、この掲示板に来ると逆に友人を応援したくなります。
ただ僕も友人に僕は真実が知りたいんだとつまんない事を言って返しましたけどね。
> もっとも捏造に騙された経験から慎重になって、羹に懲りて膾を吹いているのかもしれません。
この点は僕も友人に指摘しました。
うだうださん
>まず楽しみです。これがわからないなんて何故?と僕が問いたくなります。
沖縄に超古代文明があったとして、それがどのような名前で呼ばれるようになるかなら多少興味があるところではありますが、それが「ムー大陸」と呼ばれるのは面白くありません。
松井のあだ名の例で言うなら「偽りのホームラン王」のようなものでしょう?ぜんぜん楽しくありませんよ。
ところで古代文明にあだ名がつけられることがどうして
>他に原日本人のルーツ的にも楽しみであります。
なるのですか?
どんどん疑問が広がってしまいます。
>何故学会は無視を決め込んでいるか、誰か説明してもらえませんか?
決定的な証拠(文字とか道具類)を発見すれば歴史に名を残すので、こぞって参加するのが普通であり“誰も困ることはない”のに、学会の反応が鈍いのはそれだけ信憑性に欠けるからではないでしょうか。
だいたい、日本の考古学界といえば捏造遺跡に右へ倣えしていたではありませんか。定説を覆す新説に飛びついた実績(笑)のある学会に対して陰謀論を唱えるなんて、その友人はあほかもしれませんね。
もっとも捏造に騙された経験から慎重になって、羹に懲りて膾を吹いているのかもしれません。
To うだうださん
> それから、古代の太平洋岸の文明に「ムー大陸伝説」と名づけられることに何が「かなり楽しみ」なんですか?
まず楽しみです。これがわからないなんて何故?と僕が問いたくなります。
「何が」楽しみなんですか?と聞かれてるのに「まず楽しみです」と返されたって、わけ分かりませんよ。そして私もGOAさん同様、何が楽しみなのかさっぱり分かりません。
>ただし超古代文明はマスコミ的広報な気がします。僕も昨日あれからいろいろ海底
遺跡について探ってみました。そうした所超古代文明は大袈裟な気がします。
1:超古代文明
2:古代超文明
上両者の意味の違いが分かっているでしょうか?
確かにおっしゃるとおりです。まあ渾名のような風に呼んで欲しいですね。
ただし超古代文明はマスコミ的広報な気がします。僕も昨日あれからいろいろ海底
遺跡について探ってみました。そうした所超古代文明は大袈裟な気がします。
ただ石器時代だった時に、石を使用して石の建造物を作っていたという歴史がなにやら
すごい物のように感じてしまうからです。2001年宇宙の旅の影響なのか、石器時代と
いうとうっほうっほした、猿みたいな人たちが暮らしているというイメージしかありません。
それに対して比べるとつい超古代文明と言ってしまいたくなります。
(例の海底遺跡にはグラハム・ハンコック氏が訪れている事がとても愉快だと思います)
> 超古代文明の存在自体もでっち上げと考えているのでしょうか?
上記でも言ったようにレベルの問題だと考えています。まさかコンピューターを駆使して
DNAを操作して現人類を改造して誕生させたなんて、ラエリアンや、漫画の「風の谷の
ナウシカ」(宮崎先生おめでとうー)のような世界の超古代文明はさすがにでっち上げ
だと否定しています。
> それから、古代の太平洋岸の文明に「ムー大陸伝説」と名づけられることに何が「かなり楽しみ」なんですか?
まず楽しみです。これがわからないなんて何故?と僕が問いたくなります。
昨日獲得遺伝にはまっていた友人と話しましたが、僕が学会で認められてない事や、
海底遺跡が自然に出来るかもという仮説をした学者の話をしたら、早速陰謀説を
かたられ認めると困るから葬り去られているのだと言われました。反論できなかったので
何故学会は無視を決め込んでいるか、誰か説明してもらえませんか?
(友人は科学者はあほだからとまで付け加えていました、この掲示板の住人としては
ちょっとこう言われると悔しいんですねよ)
>この遺跡を発端として、ムー大陸伝説や、超古代文明に繋がっていくようで、かなり
楽しみにしています。他に原日本人のルーツ的にも楽しみであります。
考古学上の発見に“でっち上げられた伝説”の名前をつけられるのは問題が多いと私などは思うのですが、それはおいたとしてもムー大陸伝説や超古代文明に繋がっていくという説明には全くなっていません。
「ムー大陸」という“あだ名”を冠されるということと“ムー大陸伝説に繋がる”ということとは全く別物のように(普通に日本語を理解すれば)思えます。
うだうださんが本当に言いたいことは何なのですか?
また「ムー大陸伝説」と「超古代文明」を並列に表記しているわけですから、ムー大陸伝説をでっち上げと認識しているなら超古代文明も同様にでっち上げと認識していなければそのような表記にならないと思うのですが、超古代文明の存在自体もでっち上げと考えているのでしょうか?
それから、古代の太平洋岸の文明に「ムー大陸伝説」と名づけられることに何が「かなり楽しみ」なんですか?
これもぜひ説明していただきたいと思います。
To;diamonds8888xさん
人格の同一性については哲学者達も議論しています。
例えばパーフィットの議論の紹介は
http://www.ethics.bun.kyoto-u.ac.jp/jk/jk18/okuno.html
にあります。
ご参考まで。
To:たまごちゃん(^-^)ノ
>ESS(進化的に安定な戦略)というのは、個体群の中でその戦略をとるものが大多数の場合に、他の戦略をとるものによって取って代わられることがないような戦略のことなので、
ここまではOKです。
アクセルロッドについては次のサイトを参考して下さい。
http://cod.ori.u-tokyo.ac.jp/~matsuda/2002/020704.html
ムー大陸伝説がでっち上げなのは知っています。ですが、これは松井をGOZZILAと
呼ぶようなものです。GOZZILAが空想上の映画だけの動物なのは知っていますが、
太平洋で沈んだ国みたいな物ならムー大陸と呼んでもいいのではないかなーという程度です。
昨日の晩は、チムチム というイサーン(タイ東北部地方;タイでもっとも貧しい山間部の地方で、売春婦の多くはここの出身。この地方では男児が金にならないので間引かれ、女児の5分の1くらいしかいないらしい)料理を食ったのだにゃ。もちろん、排気ガスだらけの路上の屋台ね。
タイスキちゅうのをご存知の方もいるかもしれにゃーのだが、タイスキちゅうのは出汁のなかに海産物や肉や野菜をくぐらせてスパイスの効いたたれで食うという、しゃぶしゃぶのような料理ですにゃ。このチムチムというのは、たぶんタイスキのもとになった料理だとおもわれるものですにゃん。
出汁をひいた鍋の中に、ホルモンだのレバだのハツだのといったモツと、地元の香りの強い野菜とビーフンをガツガツいれて、ライムとニンニクと唐辛子の効いたたれで食うという、実に下品かつ美味い鍋料理ですにゃ。
バンコク在住の友達とその彼女と三人で行って、ビール大瓶二本飲んで、チムチムとブタの炭火焼(そもそも屋台にはガス調理器がないので、何でも炭火焼なの。焼き物なに食っても美味いんだよにゃ)とモツのクズ部分の炒め煮のようなものとソムタム(パパイアサラダ)などを腹いっぱいくって、全部で1200円(!)だったにゃ
昼はまたイラクレストランいって、牛の脳みそのカレーをくった。ほぼ、白子の煮付けみたいなかんじにゃんな。ヨーグルトとの相性がさらによかったように思いますにゃ。
T.ヴェブレンという経済学者の「有閑階級の理論」という本を、旅のお供にしたんだけど、この本でいっていることと「偽善・偽悪」についてはいろいろと関係がありそうだにゃ。
あと
ヴェブレンは「進化論的科学」ということを結構強調していて、当時の社会科学にダーウィンの与えた影響の大きさを感じることが出来ると思いますにゃ。ヴェブレンのいう、「進化論的科学」については、ひまをみつけて やふ の進化論トピでとりあげようかにゃ?
>この遺跡を発端として、ムー大陸伝説や、超古代文明に繋がっていくようで、かなり
楽しみにしています。
ムー大陸伝説はたぶんでっちあげでは?
http://village.infoweb.ne.jp/~fwjf1899/tondemo/dic/mu.html
沖縄の海底遺跡と噂される場所があるのですが、この海域付近の島から
人面岩が発見されました。どれくらい信憑性があるのだろうか?
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20030328-00000013-ryu-oki
この遺跡を発端として、ムー大陸伝説や、超古代文明に繋がっていくようで、かなり
楽しみにしています。他に原日本人のルーツ的にも楽しみであります。
(原日本人のルーツ探しに、ミトコンドリアDNAが使用されている事は有名な事で
ある。)
>アクセルロッドのトーナメントには、「基本的にはしっぺ返しなんだけど、相手の裏切りがきっかけで泥仕合の様相を呈してきた時に自分から折れて協力する」という戦略は出品されていたのでしょうか?しっぺ返し戦略ではともすれば起こりがちな泥仕合を避けられて、こいつが最強なんじゃないかとも思うんだけど、やっぱりそういうのを食い物にするような戦略も出品されていたのだろうか?
私の記憶では、第一回目のコンテストではしっぺ返し戦略が優勝したけれども、もしもっと寛容な「二回に一回返す」という戦略が出品されていたら、そいつが優勝していたはずだったと。理由はたまごちゃんが指摘していたように、泥仕合を回避するからです。で、第二回目のコンテストのときは、その情報が参加者は知っていたので、「二回に一回返す」という戦略そのものや、あるいは「二回に一回返す」というような寛容な戦略を搾取するような戦略も出品されたのですが、それでもしっぺ返し戦略が優勝したとのことです。
戦略の優劣は絶対的なものではなく、他にどのような戦略が参加するかということに依存しています。それでも、たいていの戦略に対してそこそこうまくやることができるという点で、しっぺ返し戦略はうまくできていたとかいう話だったはず。個人的には「五回に四回返す」という、「二回に一回返す」という戦略ほど寛容ではないが、しっぺ返し戦略よりは寛容な戦略がうまくいきそうな気がします。
この掲示板の趣旨は、どんな分野からでも参加できる絶妙の位置に有るように感じられます。何かそう思いました。それだけですが。
>この両者におけるありうる戦略は「裏切り−裏切り」=「ライオンはシマウマを食べようとする&シマウマはおとなしくは食われてやらない」以外にはないのではないでしょうか?<
納得!それじゃ「2」は見当外れだわ!
To 安賀須若人さん
ESS(進化的に安定な戦略)というのは、個体群の中でその戦略をとるものが大多数の場合に、他の戦略をとるものによって取って代わられることがないような戦略のことなので、アクセルロッドのトーナメントとは直接には関係ないのではないでしょうか?
To 山本勘助さん
>シマウマとライオン
単純に両者の関係が反復囚人ジレンマの形をしていないからでは?シマウマが食われてしまえば両者の関係は終わります。そうでなくても、同じライオンに同じシマウマが出くわし、両者が相手を覚えているというシチュエーションはそうそう多くない気がします。この両者におけるありうる戦略は「裏切り−裏切り」=「ライオンはシマウマを食べようとする&シマウマはおとなしくは食われてやらない」以外にはないのではないでしょうか?
ライオンのおなかが張っているときはライオンは追いかけないしシマウマも逃げないけど、それは協力してるというのとはちょっと違う気がするしね。
>それと「囚人のジレンマ3」案ってあります?
自分との対戦からのみではなく、他の戦略との絡みからも相手の戦略を推測して対応を変えたりできると、現実の人間関係に近づいてくる気がします。
♯ アクセルロッドのトーナメントには、「基本的にはしっぺ返しなんだけど、相手の裏切りがきっかけで泥仕合の様相を呈してきた時に自分から折れて協力する」という戦略は出品されていたのでしょうか?しっぺ返し戦略ではともすれば起こりがちな泥仕合を避けられて、こいつが最強なんじゃないかとも思うんだけど、やっぱりそういうのを食い物にするような戦略も出品されていたのだろうか?
囚人のジレンマは二者間のゲームですが、実際の生態系にあてはめることができるのでしょうか?例えばシマウマはライオンに対して協力しているが、ライオンはシマウマに協力していない、とします。つまりオウム返しをしてないとします。しかし両者は激しい自然淘汰の荒波を乗り越え、繁栄しています。どちらもその他裏切り、協力の組み合わせはいくつかありますが、どれを両者にあてはめてみてもしっくりきません。このような例は他にもたくさんあります。
そこで「多者間囚人のジレンマ」、即ち「囚人のジレンマ2」を考えました。多者の間で協力の輪ができたら、3点。つまり三人間でやるとすると、AがBに協力し、BがCに協力し、CがAに協力したら一つの輪ができるから、そしたら全員に3点。協力の輪ができなかったら、協力を選んだやつは0点、裏切ったやつは5点、裏切り者同士は1点ての。どなたかプログラミングに詳しい方、これシミュレートしていただけません?これでも最強は「おうむがえし」かなあ?
それと「囚人のジレンマ3」案ってあります?
> SFによくある設定です。自分の記憶のコピーを随時コンピューターにバックアップしておきます。また自分のクローンも作って培養しておきます。もしも死んだらクローンの脳にバックアップしておいた記憶を写して蘇生させます。蘇生したクローンはあたかも自分が死ななかったかのような記憶を持って蘇生します。こうして不死が達成された・・・というコンセンサスが社会にできあがっている。
「宇宙船∞号の冒険」では、人体丸ごと記憶装置にコピーするって設定じゃったな。
その続編「惑星オネイロスの伝説」では、他人の意識に潜り込むことが可能なオネイロス星人が、その地球人の意識の中に大量の「死の記憶」を見つけてびっくりするっていうのがあった。
ぽんさま
>>気高くそっくり返っていない、たんぽぽの花が好き♪
>私もですー。
ぽんさまも、どうもありがとうです。
(って、わたしがお礼を言うのも、おかしいかな...?)
PDX.さま
>タンポポコーヒーも買ってました(^_^;
>ブラックでしか飲んだことはありませんでしたが悪くなかったですよ。
あ、じゃあ、こんど探して買って、飲んでみようかな...?
(「共飲み」になってしまうけど。)
RYU_TI_SYUさま、はじめまして。
>どこの部位が、美味いのか教えてくれ。
根っこはとっても苦いですよ。
(あ、たんぽぽじゃないのね...)
それにしても、きのうの、行き交う旅人さまへのレス...
最初に謝っているけど、あとのほうが、
またきつくなってますね...(自己嫌悪...)
心に咲いた花だから...♪
たまごちゃん(^-^)ノさま、はじめまして。
「たんぽぽ」です。
ご卒業、おめでとうございます。
>私もたんぽぽって好きです
あ、どうもありがとうです。
(でもって、わたしも、こんな名前を名乗るくらいですから、
たんぽぽは好きなのでした。)
>日本にあるフランス料理屋さんやイタリア料理屋さんとかでも、
>普通に料理に混じって出てきませんっけ?
フランス料理屋さんには、
わたしは、行ったことがないのでした...
イタリア料理屋さんには、よく行くんだけど...
たんぽぽは見たことがないです、はい。
(いちおう気をつけては、いるんだけど...
それでも、気がつかないうちに食べてたりして...)
SFによくある設定です。自分の記憶のコピーを随時コンピューターにバックアップしておきます。また自分のクローンも作って培養しておきます。もしも死んだらクローンの脳にバックアップしておいた記憶を写して蘇生させます。蘇生したクローンはあたかも自分が死ななかったかのような記憶を持って蘇生します。こうして不死が達成された・・・というコンセンサスが社会にできあがっている。
別法として、死の瞬間に自動的にそれまでの記憶がクローンにコピーするものがあります
これだと死の瞬間の記憶までコピーされるので、クローンは死んで生き返ったかのような記憶を持ちます。
以上は不慮の死があって初めてクローンを蘇生させますが、脳が老衰で死ぬ前に記憶をコピーして古い脳は破棄するという設定もあります。常識的には古い脳に宿っていた人格は死ぬのですが、蘇生した人格は自分が不死であるかのような記憶を持っています。従って次ぎに老衰する前に再びクローンに記憶をコピーして古い脳を破棄することを自分の死とは思いません。社会の全員がこのような思想を持ってしまえば、この体制は定着して壊れることはないでしょう。ちょっとシュールな恐怖だと思いませんか? 全員が自分は不死だと思っているが実は早死にしている社会。
>ちょっと前の話題ですが、私は食べ物の話が三度の食事よりも好き(本末転倒)なもので・・・。
ざりがに、せんべい、くらげ、かえる、そして…カニ
>たんぽぽの葉っぱや花って、フランスまで行かなくても、日本にあるフランス料理屋さんやイタリア料理屋さんとかでも、普通に料理に混じって出てきませんっけ?気づいていないだけで、たんぽぽさんもきっと召し上がったことがあるのではないでしょうか??。(それとも、私がたんぽぽだと思っているだけで似たような別の葉っぱなのかな?)
たんぽぽの花の天ぷらを出す居酒屋さんも結構多い気がします。
わしゃ、食ったことがないのう・・・
#でも、たまごちゃんはクラゲを知らなかった。
>>共食い
>それは、私にとっては日常かも。(毎日たまごを食べているという意味か、人を喰っているという意味かは、ご想像にお任せします)
どこの部位が、美味いのか教えてくれ。
なので、これ以降はツリーに移動します。
一言>地下に眠るさん
どんな経験から何を学んで感じるかは本人の自由。人に意見を強制される謂れは無いって思いません?
たんぽぽの花をあなたに贈りましょ♪
たんぽぽさん、はじめまして。
私もたんぽぽって好きです(群生されたり、あまりに巨大だったりするとちょっと気持ち悪いけど)。たんぽぽってカタカナや漢字よりもひらがなで書く方がかわいくて好き。とくに「ぽぽ」ってあたりが。
>わたしも、たんぽぽのサラダとか、機会があったら、食べてみたいと思っています。
ちょっと前の話題ですが、私は食べ物の話が三度の食事よりも好き(本末転倒)なもので・・・。
たんぽぽの葉っぱや花って、フランスまで行かなくても、日本にあるフランス料理屋さんやイタリア料理屋さんとかでも、普通に料理に混じって出てきませんっけ?気づいていないだけで、たんぽぽさんもきっと召し上がったことがあるのではないでしょうか??。(それとも、私がたんぽぽだと思っているだけで似たような別の葉っぱなのかな?)
たんぽぽの花の天ぷらを出す居酒屋さんも結構多い気がします。
>共食い
それは、私にとっては日常かも。(毎日たまごを食べているという意味か、人を喰っているという意味かは、ご想像にお任せします)
♯ 聖書の出エジプト記に出てくる「苦菜」の中にはたんぽぽも含まれると聞いたことがあります。本当かどうかは知らないけれど。
山本勘助さん安賀須若人さんありがとうございます。
山本さん、「たまごちゃん」で良いですよ。私は永遠に17歳なんで(我ながら引っ張るなぁ。このネタ・・・)
>> 悪ぶっていると書きたかったのでしょうか??(揚げ足とりでごめんねぇー)
>これもGOOにないですねー。悪ぶるって言い方が普通の様ですね。でも悪ぶってるも似たようなものですね。
こんなことを本気になって訂正するのもどうかと思ったけど。
「悪ぶっている」=「悪+ぶっ+て+いる」「形容詞の語幹+接尾語・振るの連用形+助詞+動作の継続を表す動詞・いる」
偽善というのは善良(無害または有益)であるかのように擬装することで
偽悪というのは悪党(凶悪または危険)であるかのように擬装すること
と考えることができるのではないでしょうか。
偽善は攻撃的擬態(捕食者が無害または有益な種類に擬態して被食者を襲う)、
偽悪はベイツ型擬態(無毒な被食者が有毒なモデルを擬態するもの)に似ていると思います。
※卒業おめでとう、たまごちゃん(^-^)ノ
> 「悪びれる」の使い方あってます?
実は自信がないのに書いてしまいました。
> 悪ぶっていると書きたかったのでしょうか??(揚げ足とりでごめんねぇー)
これもGOOにないですねー。悪ぶるって言い方が普通の様ですね。でも悪ぶってるも
似たようなものですね。
すいません明らかにおかしかったです・・・。
卒業したのは大学でしたっけ?てことは「たまごさん」ですね。私にとっては。
お初の皆様はじめまして。その他の皆様お久しぶりです。
一昨日、無事卒業しました。
えっ?!そんなことどうでも良いって?!う〜ん。一応、これだって時事ネタよ。
うだうださん、お久しぶりです♪
本論には参加する気がないので、こちらで失礼しますね。
>一時的にヘルメス☆☆さんも悪びれてるだけですよ。
悪ぶっていると書きたかったのでしょうか??(揚げ足とりでごめんねぇー)
>初期の過去ログから読んでいますが、すくなくとも地下に眠るMさんが指摘したような人物ではヘルメス☆さんはありませんよ。
そうですか?私には、地下に眠るMさんが指摘したような人物にしか見えない・・・。
本人は冷淡かつ冷徹なつもりなのかもしれないけれど、血反吐を吐くようにして書かれた(ように見えてしまう)ヘルメス☆さんの文章は、痛々しくて目も当てられない。
ってなわけで、私個人の精神衛生のためにも向こうでやってくれるほうがありがたいかな(w
>場外乱闘は止めて向こうに生きましょう。一時的にヘルメス☆さんも悪びれてる
だけですよ。初期の過去ログから読んでいますが、すくなくとも地下に眠るMさんが
指摘したような人物ではヘルメス☆さんはありませんよ。<
私もそんな気がします。心に深い傷が有るときは、すべてがむなしく見えると聞きます。それとうだうださん、「悪びれる」の使い方あってます?私の記憶では怯えるとかそんな意味だったと思います。その意味で使われているのであればいいんですが(いいんですがってちょっと変かな?)。
第二次イラク戦争の原因がフランスと米英の利権争いが根っこにあることには異存ありません。戦争でそういう根っこがない訳ないよなあと思うほどには、私はスレています。外交とは、(国益を考慮した上で)自国の立場がどれだけ正当かを主張し、他国を納得させる行動だと考えています。この場合の国益は、北朝鮮難民を受け入れて「人権を尊重している国」という評価を勝ち得ている韓国のような対外的評価も含みます。
その話し合いの場が国連であったのですが、今回のネオコン達の失敗は国連という外交の折衝機能を完全に無視した点にあります。ヘルメス☆さんはフランスの戦略に反発しているようですが、建前であろうとも国連の安保理査察継続の有効性をフランス代表は主張し、それに対してパウエルは根拠のない妄言しか発言できなかった。どちらに軍配が上がるかは、私や世界中のデモ参加者には明白です。
たとえ振りでも偽でも、悪より善の方が(少なくとも周りにとっては)マシとは言えそうですね。
胡散臭くても自分のことを棚に上げていても、大義名分が立った方が無いよりはマシ。
政治や経済への認識がどうあれ、殺したり殺されたりするのは嫌だから戦争反対と言うのも、知らん振りするよりは良いなぁ。
面壁九年、達磨さんは悟ったさ。「見ているだけでは壁に穴は開かない」
場外乱闘は止めて向こうに生きましょう。一時的にヘルメス☆さんも悪びれてる
だけですよ。初期の過去ログから読んでいますが、すくなくとも地下に眠るMさんが
指摘したような人物ではヘルメス☆さんはありませんよ。
偽善ちゅうのは政治的な防衛機制に思えるけど
偽悪ちゅうのは心理的な防衛機制に思えますにゃ。
どちらも、損得勘定が倫理的判断を捻じ曲げていると言う点で愚かにゃんな。
ただ、心理的な防衛機制は時として自己破滅を招きかねないちゅう点では
偽悪的態度の方がより愚かちゅうことになりそうですけどにゃー
政治の世界の偽善に、偽悪的態度で対抗しようとしても悪くなるだけだにゃ。
感受性の鋭い不良少年の運命がまっているだけでしてにゃ
ま、進化心理学的にみても、偽善と偽悪は面白そうにゃんけど
バンコクのイスラム街で、イラク人のレストランはいってラムカレーとヨーグルト食ってきたにゃー。イスラムの店ではビールおいてにゃーのは残念だったけど、カレー美味かったにゃー、ヨーグルトともバッチりあってたし。店主に、「家族や友達は大丈夫なんか?」と聞いたら、いまんとこだいじょぶだけど心配でしょうがない っていってたにゃ。
>戦争であろうが無かろうが、人は人を憎み、裏切り、傷つけ、そして殺すことさえする。それも日常の中で。
>つまらない幻に期待を抱いて結果に絶望するよりも、自分が裏切られて傷つけられることを想定して結果を嘲笑っているほうが気が楽。
傷つきたくないから冷笑的になる、ちゅうことにゃんね。チミはティーンエイジャーか?
偽善と偽悪の愚かさの程度は同じことだにゃ。
愚かさの程度は同じだけど、悪影響は偽悪のほうが大きいように思えますけどにゃー
自分の立場は「反戦でもなければ好戦でもない」だけです。
人が人を殺すことを積極的に推進するべきだとは思っていませんが、それでも人が死ぬことに対して冷淡なだけ。
>山本勘助さん
>人が人を殺すことを平然と許すような社会で生きることと、反戦を唱えるような人間が力を持つ社会で生きることと一体どっちが幸福に近いでしょうか?
自分にとっては幸福な社会というのは所詮は幻想のようなものです。
戦争であろうが無かろうが、人は人を憎み、裏切り、傷つけ、そして殺すことさえする。それも日常の中で。
つまらない幻に期待を抱いて結果に絶望するよりも、自分が裏切られて傷つけられることを想定して結果を嘲笑っているほうが気が楽。
ヘルメス☆さん、皆さん、お久しぶりです。アメリカは西海岸在住です。共和党支持者の多い保守的な郊外の町にいるせいか、TVでみる東海岸の様子とはだいぶ温度差を感じています。
今回の戦争に関しては、賛成か反対かなんて、私にはとてもいえません。国連にすら戦争を止めることができなかったのなら、誰が何をできるというのでしょう。
まわりのアメリカ人たちも、9月11日テロの時とはうってかわって、戦争へのコメントはあまり口にしません。2年前は家々にはためいていた星条旗も、ほとんどみられません。石油の利権をめぐるどろどろはどうあれ、今自分が持っている富や家族を守るために、イラクをたたいて、早いとこ戦争を終わらせて欲しい、というところなのでしょうか?
戦争が終わったところで、報復テロへの恐怖感は消えないでしょうが。。。
いつでも、どこでも怖い、そして無力感。
子供の幼稚園の担任の息子さんが近いうちに戦地に旅立ちます。地上軍です。
ただ、ただ、その母親である担任の先生と黙って抱き合うことしかできなかった。
To 行き交う旅人 さん
なにか行き違いはあったようですけど、そういうことはさらっと流して、せっかくですから、お話は続けませんか?
ただし、反戦スレッド http://bbs9.otd.co.jp/915865/bbs_thread
のほうで...♪
>こちらのサイトとこちらのサイトは、なんの関係もないですよ。
「こちらのサイトとあちらのサイトは...」でした。
あら、そうでしたの...?
きついこと言ってしまって、ごめんなさい...
(わたしも、結構やばい掲示板を
渡り歩いたりもしているので、
警戒心が、いささか旺盛になっているみたいだ...)
こちらのサイトとこちらのサイトは、なんの関係もないですよ。
たまたま、同じ人(わたし)がいた、というだけです。
わたしが、あちらからリンクを張ったら、
こちらの掲示板に、出てきたでしょ?
それで、いかにもってタイミングだと、思ってしまったしだいです。
でも、あんまり人を試すような書きかたは、
よくないと思いますよ。
しかも、あいさつも前置きもなく、いきなりの批判だし...
やはり、いい印象を持たれないように思います。
(実際、こちらでは、なにかの当てつけだと
思われてしまったし...わたしも思ったが...)
管理人殿
私の投稿を削除していただきたく。
理由
同様の投稿をあるHPに致しましたがそのHPとこのHPには関連があったようで心外な反応がありました。私にとってつきまとう対象者でもありえないことから削除していただきたくお願いいたします。
なお本HPに投稿した理由も書かせていただきます。
本HPに投稿される皆様が真摯な気持ちの持ち主でありそのような皆様が残酷な戦争を現実の日本や置かれた夫々の立場で下記のように偏った醒めた見識にどのような反応をするのだろうかと興味を覚えたからです。
以上ご迷惑お掛けいたしましたお詫び申し上げます。
>好むと好まざると、今の経済圏に生きる人間はドライなビジネスのもたらす物質文明の中で生きている。反戦を訴える人間も、戦争を認める人間も、所詮は金を稼ぎ、その金で食事をして服を着、生活をしている。企業が利益を求める以上、国家間の利益闘争とも無関係でいられない。そしてその製品を購入し、そういった企業と関係を持って生きていながら、一方で反戦を謳い、自分がそれによって得るもの、失うものを考えずに奇麗事を述べることがうざったく見えるだけ。<
では、そのドライなビジネスをするのはなんのためでしょうか?人は一体何に突き動かされて金銭的利益を求めるのでしょうか?それは「幸せになりたい」という人間の欲求であると私は考えます。人が人を殺すことを平然と許すような社会で生きることと、反戦を唱えるような人間が力を持つ社会で生きることと一体どっちが幸福に近いでしょうか?前者のような社会では、私も会社のために殺されかねません。これでは本末転倒です。多くの人は殺されて幸せではないですから。もし、反戦の声がうざったいとしたら、それは親の小言のようなものではないでしょうか?なくなればその価値が分かるのでしょう。
自家撞着を来した書き込みで溢れているなー、ヘルメスさんのような知性と情勢分析力があるなら
(アメリカの出張所日本府の長)小泉氏と同じ結論に到達するはずがなかろうと思うのだが。
歴史を外在的にしか把握しない日本的な通念のなせる技であろうか。ではまた。
>RYU_TI_SYUさんへ
ま、そのコストのうち金銭的負担はイラク自体にある石油でしょう。
おずおずさんもおっしゃっていることにも答えると「見返りを出させる」というのが本来の外交。
出してもらうことを期待するのではなく、「こうしたから見返りを出せ」といって相手にそれを呑ませる。
#「そもそも彼らが、日本が提供するものに値する見返りを確実にくれると、信じているのですか?」という疑問自体が日本人の持つお人好しな性格を表現しているように思えるのです。
おなじようにおずおずさんも書かれていますが、
To:ぼんさん
>>えてして理想論を掲げる人間は自身が弱者ではない場合が多い。理想論を掲げる貴方は生まれながらにして根源の食に困っているだろうか?生まれながらに極貧の人間は自己と種の保存にのみ行動する。これを否定する事態が傲慢である。そのような環境を知らないから否定できるのである。
>確かに、私については上記のご指摘が当てはまります。
パレスティナで生活されていたときに見た光景が、平和運動に向かうきっかけになった、と書かれていますが、自分から見て、上の質問に簡単に「はい」と言える事が不思議です。
自分がそのような状況に置かれた経験が無ければ、それを否定するも肯定するも黙認するも判断は簡単には出来ないはず。
目の前で繰り広げられたパレスティナの現状にしても、文章からは「他人事としての認識」以上の何かが感じられないのです。
EzoWolfさんの指摘もそうですが、別に取りうるオプションは一つだけではない、という事です。
アメリカがそれをしないなら、逆にロシアと関係を結ぶ、という手段もとりうる。
それに、アメリカは直接的にであれ間接的にであれ日本がアメリカから離れることが戦略的に望ましくない、と考えていますし、日本がいつまでも不況のままでいることもアメリカにとっては不利益のままです。
ならば、それを突いて石油権益を日本にも与えることがアメリカの利益に繋がる、という風に議論の方向性を持っていくのが外交の仕事。
好むと好まざると、今の経済圏に生きる人間はドライなビジネスのもたらす物質文明の中で生きている。
反戦を訴える人間も、戦争を認める人間も、所詮は金を稼ぎ、その金で食事をして服を着、生活をしている。
企業が利益を求める以上、国家間の利益闘争とも無関係でいられない。そしてその製品を購入し、そういった企業と関係を持って生きていながら、一方で反戦を謳い、自分がそれによって得るもの、失うものを考えずに奇麗事を述べることがうざったく見えるだけ。
おずおずさま、
あらためて、レスどうもです。
>この質問に、はい、と答えられる人は
>この掲示板を見ているはずはありません。「行き交う旅人」さんも含めて。
わたしも、すぐ、それは思ったよ。
本当に「根源の食に困っている」くらいなら、
このような掲示板に、あんなこと書いていられないと思います。
どうやら、この掲示板から来たみたいだし、
さしずめ、わたしの何かに、むかついたのかもね...
(それとも、ここに出てくる「理想論者」とやらが、
みんな気に入らなくて、わたしの投稿が
「背骨を折った最後のわら」になったのかな...?)
わたしは、べつに、理想論者ではないつもりですけど、ね...
>あっちに行きましょ♪
じゃあ、わたしも...
>人間を殺したり殺されるのを誰も好まないのは種の保存のルールから明らかである。身近であればあるほどそれは顕著であり時には愛に置き換えている事もある。TV画面に今正に爆弾が投下されている。仮に直下に居る100人血を流し死んでいくとする。これを貴方の何か大事な犠牲を払うことで回避可能だとしよう。貴方はどこまでの代償が払えるだろうか。貴方が猫や犬を飼っていたとしたらそれを差し出せますか。それとも自身ですか。画面の向こうで100人死ぬ事は本当に差し出す犬や猫の命に値すると確信できますか。TVでなく目の当たりで100人惨殺されようとしてもどうでしょう。多くの人は自身であれば身を捧げてもいいと考えると思いますが実際に行動に移せる人はその中の数人でしょう。<
人間がどんなものか、社会がどんなものかを認識するのは極めて大切なことですが、どうあるべきかを考えることもまた重要だと私は考えます。そう考えるのが裕福な人間に限られるとかそういうことは関係有りません。自分の信念に忠実であることは大切なことだと思います。それを夢想家だ、現実を見ていない、と批判する人は大切なことを見落としているように思います。行き交う旅人さんがそうだと言ってるわけではないですよ!ただ引用したほうが文章を書き出しやすいと思って引用しただけです。
人間を殺したり殺されるのを誰も好まないのは種の保存のルールから明らかである。身近であればあるほどそれは顕著であり時には愛に置き換えている事もある。TV画面に今正に爆弾が投下されている。仮に直下に居る100人血を流し死んでいくとする。これを貴方の何か大事な犠牲を払うことで回避可能だとしよう。貴方はどこまでの代償が払えるだろうか。貴方が猫や犬を飼っていたとしたらそれを差し出せますか。それとも自身ですか。画面の向こうで100人死ぬ事は本当に差し出す犬や猫の命に値すると確信できますか。TVでなく目の当たりで100人惨殺されようとしてもどうでしょう。多くの人は自身であれば身を捧げてもいいと考えると思いますが実際に行動に移せる人はその中の数人でしょう。私は猫すら差し出す事はできません。おまえはそれでも人間か。という罵声を浴びてもです。誰かがあのたまちゃん(アザラシね)を捕まえて食べたとします。きっと多くの非難が殺到するでしょう。その人を殺してしまえと言う強い憤りさえ感じ人もきっと居るでしょう。でも遠い海の上でそれが行われ食べた人間が旨かったと言っても誰が非難するのでしょう。両者の差は愛を感じたか否かです。その愛の重さは身近であればあるほど強いのです。
>断定する前に、「緑の革命」をキーワードにググッてみてください。あと、「世界飢餓にまつわる12の神話」http://journeytoforever.org/jp/foodfirst/report/hunger/12myths.html
とか...。
己の欲求は千差万別です。人は生まれながらに不公平であり地球万民が公平に感じる分配も不可能です。多くの人が反対しているこの戦争を多くの人が支持しているのも事実です。
ご意見、ご要望がございましたら、掲示板か、 e-mail:natrom@yahoo.co.jpへどうぞ。