このファイルは、掲示板巡回ソフトのログファイルを元に再構成したものであり、投稿時の状態(フォントサイズ、文字の色、リンク等)をすべて反映しているわけではありません。
リンク先拝見しました(苦笑。
なんというか「すげぇシュールな絵」ですね…真似しようかな♪
意味があるとかないとか別に、生理的に受け付けませんが?…(笑)いやいやそんな先入観で物事を判断してはいけない、とか科学的に見ようとは思えるんだけど、やっぱあの解説ではねぇ。
どうせなら「コーヒー艦長」とか「コーヒー官庁」というタイトルで一席打ってくれないものか。
#誤変換を無理やりタイトルにして、その物語を作るって遊びを以前よくしました(笑。
http://bbs9.otd.co.jp/915865/bbs_plain?base=1658&range=1
以前NATROMさんに教えてもらいましたが、具体的な例とともに
示してあります。かなり分かりやすいと思うので過去ログを活用しま
した。
訂正しますた。間違えたの僕だけじゃないもん。
http://doko.totto.to/~tosakai/board020617.html#0206151028
http://doko.totto.to/~tosakai/board020617.html#0206141808
http://www.kochinews.co.jp/0206/020615headline02.htm
> 天邪鬼なのか、ななさんの論理的な考察に少し反論したくなってます(誰かに似てる?)
うだうだ病です。ツリーの返答しばらくあきらめます。wadjaさんがうらやましい。
反論を書ける事が素晴らしいです。
哲学な妖怪と純朴な農民
農民「からすは黒いですよね?」
妖怪「からすは黒いかもね」
農民「そうなんですか?」
妖怪「馬鹿違う!無知め」
農民「はて?」
過去ログのタイトル
>2002年06月11日〜2002年06月17日 コンニャクのカロリー、もし動物が光合成できたら?、ヒナを拾わないで!、W杯決勝進出
決勝なんかいってない!!決勝トーナメントに進出しただけ!!!
あんたはドイツ人ですかと小一時間・・・(以下略)
NATROMさん
わかりやすい説明の見本を見せていただき有り難うございます。
紹介していただいたHPの記述、やはり変ですね。
>コーヒーに含まれているカフェインやデオフィリンなど、20種類以上の有機酸は腸から吸収され、門脈という静脈を通じて肝臓に入ります。そして、肝臓内の小さい胆管を拡げて、血液中の毒素を胆汁と一緒にうまく排出するように働きかけると言われています。
この効果は、コーヒーを飲んでもダメで、腸からの吸収させることによってのみ可能だそうです。
浣腸すれば、コーヒーの大部分は直腸にとどまるでしょうから、吸収は門脈系を介さずに直接大静脈系にはいる方が多いと思う。門脈系にはいるのは直腸の上1/3から上部の消化管です。口から飲んだ場合はほぼ100%が門脈系を介して吸収されるので、そっちの方が肝臓にはたくさん移行するはずなんですが・・・。
そもそも直腸内投与ってのは、門脈を介さないための投与法なのだ。
>元の記事を、読んだときは、みのもんたと堺正章の顔が浮かんだんじゃが、どうやら、無視は出来んようじゃな。
私はコーヒー浣腸を思い出しました。
コーヒー浣腸でガン予防
http://www.rarara.co.jp/pico/coffee/main.html
「コーヒー浣腸」で検索したら、Googleで678件もヒットしたんですけど。
コーホートスタディの検出力についてエセシミュレーションをしてみました。流れとしては、DBRCTさんの「症例数の問題」投稿日: 1月22日(水)18時19分00秒の補足になります。検出力*というのは、本当に差があるのをぼんやり見落とすことなく有意差を発見できる確率のことです。たとえば、大腸がんの発生率がコーヒー(-)群で0.9%、コーヒー(+)群で0.45%といった差が本当にあったとしても、調査参加女性総数が少ないと見落とすことがありますよね。直感的には、調査参加総数が増えれば増えるほど、検出力はあがりそうです。それでは具体的に、コーヒー(-)群3000人、コーヒー(+)群3000人、を調査して、それぞれの癌の発生率が0.9%と0.45%であったとき、検出力はどのくらいでしょうか。プログラムを書いてシミュレーションすれば大体の数字は出ます。
ざっとやってみたところ、その場合の検出力は60%程度でした(図**で赤く示す)。ななさんが指摘したように(投稿日: 1月23日(木)18時30分06秒)、ちょっとした誤差が入ると有意差が検出されなくなるのです。サンプル数を増やせば増やすほど検出力は上がり、コーヒー(-)群5000人、コーヒー(+)群5000人では検出力は80%程度です。逆に言えば、癌の発生率が0.9%と0.45%というのが事実であったとしても、他は同じ条件でn=5000+5000で追試を行なったときに有意差が出ない確率(タイプ2エラー)は20%程度はあるということです。
wadjaさんの疑問(投稿日: 1月24日(金)00時02分54秒)に関してですが、大腸がんのサンプル全体における発病率が高くなれば、それだけ検出力は上がります。図の系列2は、癌の発病率がそれぞれ1.8%と0.9%の場合です。一年当りの発病率ってのは大体わかっていますので、発病率が低い疾患に関しては、調査対象総数を増やすとか、調査期間を長くとるとかいうことが必要になります。
*検出力=1−(type II error rate)である。type II error rateに関しては以下を参考に。
http://www.meken.med.kyushu-u.ac.jp/~tosakai/board021002.html#0210011310
**有意水準=0.05。常にコーヒー(-)群の数=コーヒー(+)群であり、サンプル数(n)はコーヒー(-)群の数=コーヒー(+)群の数をあらわす。系列1は調査期間内の癌の発病率がそれぞれ0.9%と0.45%、系列2は癌の発病率がそれぞれ1.8%と0.9%の場合。どちらの系列も相対危険度は2.0。試行回数は1000回。大雑把には正しいと思われるが責任は持たない。
ネコやイヌのようなペットの場合、容姿の複製ができないというのは商業化の障害になりそうですね。
今日TVで2匹の写真を見比べましたが、“親子”という雰囲気はしてもクローンとはちょっとみ思えませんでした。
性格をコピーできないというのもネックです。たくましげなチワワの需要は少ないでしょうから。(笑)
wadjaさん
> これは、大腸がんのサンプル全体における発病率次第ではないでしょうか?くだんの例では、発病率事態がもともと0.6%強と低いので、13人・27人の差あるいは0.43%・0.90%の差でも有意といえる場合も有るような気もしてきました(^^;)確かに有意水準に達するか達しないかの境界まで2人の差しかなくても、10人に1人の確率で発病する疾患と、1,000人に6人しか発病しない疾患とでは大きな差があります。
上記の文意は、同じサンプル数で統計分析する時に発病率が低い(即ち罹患者という標本数が少ない)ほど、少ない差(発症率の差)でも有意差の判断ができるということをおっしゃっているように読み取れますが、だとしたら統計学的には逆の誤った認識だと思います。
RYU_TI_SYUさん
> わしの投稿でこんなに盛り上がって、しかも、お勉強にまでなってしまった。
こちらこそ、ありがとうございます。
がんに関連したこのような疫学研究が時折メディアをにぎわせますが、ちょっと腰を据えて考えてみる良い機会をいただきました。
DBRCTさん
>>「統計や確率といったものは果たして厳密に科学と断定できるものなのか」
> 私は、統計・確率は手法自体は科学的だが、結果の解釈には科学的でない部分があると思ってます。その科学的でない部分が好きです。
なるほど。
私は好き以前にその「部分」の消化不良に頭モヤモヤという感じです^^;
Hueさん
> こんなニュースが ↓
> http://www.cnn.co.jp/science/K2003012200192.html
> 「コピーキャット」じゃなかった「カーボンコピー」くんはコピーにはならなかったようです。
ジェネティク・セービングズ社を弁護する気は全くないのですか、ニュースだけから感じた素朴な疑問です。
> レインボーは内気だが、Ccは知りたがり屋で遊び好き。
ふつう、Ccのような1歳ぐらいの若い猫(や犬)は親の年代に比べて好奇心旺盛かつ行動も活発で遊び好き(知りたがり屋で遊び好き)、そして歳をとるにつれ落ち着き(内気?)、動作もゆったりとしてくるというふうに理解していたのですが。
レイボーもCcと同じくらい若い猫なのだろうか・・・・
天邪鬼なのか、ななさんの論理的な考察に少し反論したくなってます(誰かに似てる?)
>この想定によるA群の13人とC群の27人という「症例数」は、果たして統計的に有意な判断を明確に下せる数だと言えるのだろうか
これは、大腸がんのサンプル全体における発病率次第ではないでしょうか?くだんの例では、発病率事態がもともと0.6%強と低いので、13人・27人の差あるいは0.43%・0.90%の差でも有意といえる場合も有るような気もしてきました(^^;)確かに有意水準に達するか達しないかの境界まで2人の差しかなくても、10人に1人の確率で発病する疾患と、1,000人に6人しか発病しない疾患とでは大きな差があります。
コホート研究の価値は、少しでも可能性の高い因子を、見つけ出せるかも知れない点に有るのかも知れませんね。今回の結果だけを受けて、慌ててコーヒーを買いに走る消費者(多分いる)は愚かだけれど、仮に製薬会社がこれにヒントを得て、コーヒーの大腸癌に対する薬効を研究するのは愚かとは言えない。無数に存在する化学物質からランダムに探すよりは効率よく、大腸癌の予防に効果ののある物質を見つけられる可能性があるから。
確率統計は、個人的には美しい科学だと思っています。しかし、その限界は知っておくにこしたことは無いでしょうね。他の方法と組み合わせることで、その価値は高まるように思います。
わしの投稿でこんなに盛り上がって、しかも、お勉強にまでなってしまった。
皆様、ありがとう。
元の記事を、読んだときは、みのもんたと堺正章の顔が浮かんだんじゃが、どうやら、無視は出来んようじゃな。
じゃが、コーヒーだけの効果とはとても思えんのじゃが、もし効果があるにしても何かの要因との合わせ技なのかもしれんなぁ。
もう少し、条件を複合して追試をしたほうが、ええんじゃないかと思う今日この頃じゃ。
じゃなかったかな?
インパクトファクター(IF)とは、
IF(2002年)= ある雑誌の全論文の、2000、2001年における被引用回数 ÷ 2000、2001年の全論分数
です。つまり、その雑誌に出てる論文が年平均何回引用されたかを雑誌ごとに出したものです。
ISIという会社がこれを計算しています。私たちは、高い金を払って、このデータを閲覧
するわけです。
これはこれで良いのですが、最近はIFがそのまま研究者の通信簿になってしまう傾向が
顕著です。ある研究者の出した論文がその内容ではなく、IFで「ひょーか」されてしまうわ
けです。←例えば教授選考などでね。
どうせなら、単純に被引用回数の方がまだましかもしれません。
しかし、まさか哲学の論文などは、そんなことはないですよね?
インパクトファクターと同じようなものにcitation indexがあります。
論文の被引用回数のリストです。
これで自分の論文がいかに良い論文であるか、つまり自分が優れた研究者であるということを示すことができます。
>研究者が嫌いとも好きとも複雑な感情を抱く指標
どこか公的な機関が算出しているのでしょうか。
シロートには窺い知れない事情がありそうですね。(^_^;)
(研究者の業績評価に使われていたりして・・・)
ななさん
私が投稿したものはきわめておおざっぱ、かつ適当な想定です。おそらく、ななさんが考えられたものの方が実体に近いのだと思います。で、13人対27人という結果であったとしたら、おっしゃられるように大した意味はないのかもしれません。
元論文のデータを見ずに言うのもなんですが、相対リスクが0.49であるとされていたのは、おそらく補正後の値であり、実際観察された例数とは異なるのではないかと思っています。何にせよ、追試の必要があり、これでコーヒーが有効である、とは結論づけられない、ということに関して、完全に同意します。
>「統計や確率といったものは果たして厳密に科学と断定できるものなのか」
私は、統計・確率は手法自体は科学的だが、結果の解釈には科学的でない部分があると思ってます。その科学的でない部分が好きです。
kosukeさん
インパクトファクターとは雑誌のレベルを示す、研究者が嫌いとも好きとも複雑な感情を抱く指標です。掲載論文が引用される回数が多いほど高い数字になるので、これが高ければ、多くの人に読まれ、参考にされていることがわかります。例えばNatureは25.466,日本薬理学会の英文誌JJPは1.317です。(;_;)
DBRCTさん
ご説明の主旨は、疫学研究においてサンプル間の統計母集団や「症例数」(大腸がん罹患者数)は、多ければ多いほど統計的な有意差の判断(検定)ができるということですね。
で、実際の「症例数」がDBRCTさんがおっしゃるように50とか100とかの数字になるのかちょっと気になったので、報道で公開されている数字から女性だけに焦点を絞って少し考察してみました。
調査参加女性総数は16,331人だったので概算として16,000人とし、同じく約8年間の観察における女性の大腸がん総罹患者数が100人(実際は102人)として考えてみます。
以下の三つに区分される各群の実数が報道発表では明示されておらずそれぞれ何人だったのか(統計的な有意差の判断に大きな影響を与える)が非常に知りたいところなのですが、35才以上の女性の嗜好などを勝手に(^^;)推量して、
◆ (A群)1日1杯以上のコーヒーを飲む女性の群・・・・3,000人
◆ (B群)1日1杯未満のコーヒーを飲む女性の群・・・10,000人
◆ (C群)コーヒーを全く飲まない女性の群・・・・・・・・・・3,000人
であったと仮定してみます。
(中高年以上の女性が少なくないと思われますので多分、B群が一番多くなっていたのではないかと私は推測します)
報道によると、コーヒーを飲まない人(C群)の危険度を<1>とすると1日1杯以上飲む女性(A群)の危険度は<0.49>であり、また1日1杯未満の女性では有意な効果が見られなかったということなので、女性全体の大腸がん罹患者100人のふりわけを、
◇(A群)における約8年間の大腸がん罹患者数・・・・・・・・13人(13/3,000 =0.43%)
◇(B群)における約8年間の大腸がん罹患者数・・・・・・・・60人(60/10,000=0.60%)
◇(C群)における約8年間の大腸がん罹患者数・・・・・・・・27人(27/3,000 =0.90%)
というような数字でひとつの想定をすることができます。
この数字ですと、C群の危険度を1とすればA群の危険度は0.49にほぼ該当します。また、B群の数字上の危険度は0.67となりますが、C群とB群の大腸がん罹患者数の統計的有意差をあるWebにある有意差検定表を拝借(^^;)して有意水準5%で検定すると、報道されているように有意差なしと出るわけです。A群とC群とでは当然ながら有意差ありと出ます。
したがって上記の各群の数字の想定は報道発表の内容を満たす一例といえるわけです。
さて、この想定によるA群の13人とC群の27人という「症例数」は、果たして統計的に有意な判断を明確に下せる数だと言えるのだろうか、というのが私のひとつの問題提起です。これらの数字はDBRCTさんのご説明にある「症例数」からはかなり少ないものとなっています。
もちろん、あくまでも「想定」ですから実際の統計数字は多少違うでしょうが、そんなにかけ離れた数字にはならないだろうと考えられます。また、1日1杯未満のB群の数がもっと多くなれば相対的にA群やC群の大腸がん罹患者数という「症例数」がもっと少なくなる場合もあります。
(読まれている方で時間がある方は色々な数字を想定入力して有意差検定をしてみてください^^;)
いずれにせよ、この13人や27人というレベルの数をどう評価するかということになると思いますが、このくらいの統計量においては、何かのバイアス、誤差が介入してA群の女性が2人増えるだけで、有意水準5%の検定では簡単に有意差なしという結果が出てしまう統計量レベルなのです。
つまり、実際の統計分析上の「症例数」はDBRCTさんの説明例にあった50、100という数字よりもかなり小さく見積もられるだろうということと、2万人近い人の食生活の嗜好という曖昧な部分に切り込んだ標本を扱う際に種々予想されるバイアス、誤差などを考慮すると、報道されているところの疫学研究はまだまだ追試の余地が大いにあると、私は思うわけです。
特に、得られた同じ統計情報を元にして違う複数の研究者グループが解析すると同じような結果になるのかということも興味大のところです。
これは本題から少し逸れる話になりますが、「統計や確率といったものは果たして厳密に科学と断定できるものなのか」という問いが科学哲学議論の中にはあるようです。もちろん私は、ベイズ統計学にしろ既存の統計学が科学ではないなどと断言してしまうつもりはないのですが、たとえば有意水準が1%、5%などという具体的な数字がどのようにして科学的に確定できるものなのかというような自問はたしかに私の中にはあります。
(これは伊勢田さんの本での問題提起とも少なからず関連することだと思いますが)
DBRCT さん
「インパクトファクター」って、どのような数値なのですか?
かくりさん
Preventive Medicineはインパクトファクター1.288 ですので、一流とまでは言えなくても、おかしな雑誌ではないようですね。
> サウジアラビアの国民は紅茶好きだが、そこの3,400人以上の大人を対象に行なった調査の結果、一日に6杯以上のブラックティーを飲む人は、そうでない人に比べて冠状動脈性心臓病になる確率が50%以上低いことが判った。これは、喫煙、ダイエット、肥満など他の要素を勘案しても同じだった。調査はアリゾナ大学のハキム医師によって行なわれ、Preventive Medicine誌(1月号)に掲載されている。
ニュースソースはちょっとごめんなさい,あかせません.
このニュースについては対象サンプル数が少し少ない(3400人)のが弱点ですが,すでに雑誌にのっている所は信頼性高いかなあとも思います.Preventive Medicine誌の評価がいかほどなのか?という問題もありますが・・・
DBRCTさん
>今回私が投稿したのは、wadjaさんの「どれくらいの規模の研究なら重要な所見と判断できるか」という疑問に対して、検出力と例数設定について感覚的に説明しようとしたものです
了解しました.
サンプル数の妥当性について,感覚的に説明されたということですね.
ある精度で,ある頻度ではっセいるする事を調べるのに必要なサンプル数って統計の参考書とかにも書いてますよね.一つ例にやってみるとして,
今回の場合,大腸ガンの発生率=p=0.01として(1万に10人が毎年発病なので,10年のスパンでは多少狂うだろうけど100人の発病が期待されるとして)
精度a=0.05として
サンプル数n≧1/(p/q)*a^2=1/(0.01/0.99)*(0.05)^2=39600
三万人の追跡調査は少し足りないかもしれないけど,妥当かも.
ちなみにこれはあらかじめ仮定されている出現頻度の確認のための抜き取り調査を行うに当っての,必要サンプル数の求め方です.普通は集団の数が決まっているのでそれを考慮に入れるんだけど,人間という巨大な集団を相手にしているので省きました.
この私が試したサンプル数の妥当性確認は手法が正しいのかはだはだ疑問ですが,医療に携わっていない人でも,調査の設計の妥当性確認はできるんじゃないかなあと思って書きこみました.
wadjaさん。
>専門家のおこなった調査ですから、そのあたりもちゃんと補正した上での結論だろうとは思いますが。
元記事によれば、補正はしているらしいですね。でもどれくらいの因子を考慮しているかは不明です。
仰られるとおり、さまざまな因子が絡み合ったものから、ひとつの特定の因子を取り上げるのは難しいですが、例数を増やして多くの因子について補正できる集団であれば統計解析を用いて、「関連があるといっても間違いではないだろう」と宣言するのは可能です。そのためには主成分分析、tree-based modelなど様々な手法が使われています。
ところで、専門家の意見ですがあまり重視しなくてもいいんです。証拠としては弱いものに分類されています。たとえば高血圧の分野でも、専門家が国内学会で発表するものの中には、噴飯ものや、なんでそんな結論になるの、と突っ込みたくなるものが沢山あります。さすがに一流誌に英文で掲載された論文にはほとんどありませんが。
To:DBRCTさん
本当に分かりやすい丁寧な説明を、素人にありがとうゴザイマス。コーヒーを飲む飲まないだけの違いで、100対50になるのなら、何らかの因果関係の可能性があると信じられますし、重要な調査結果だと思います。
しかし、食生活を因子とするコホート調査において、コーヒーという因子に相関(逆相関)の高い別の因子が有っても不思議は無いですよね。例えば、本当かどうかは別にして、コーヒーを飲む人は飲まない人に比べ、朝食がパン食比率が高いとかいった場合、パン食の影響を排除してコーヒーが要因だと特定するのに(DBRCTさんの言われる因子の補正だと思いますが)、102と言う症例は果たして十分なのだろうか?というのがwadjaの疑問です。
#専門家のおこなった調査ですから、そのあたりもちゃんと補正した上での結論だろうとは思いますが。
こんなニュースが ↓
http://www.cnn.co.jp/science/K2003012200192.html
「コピーキャット」じゃなかった「カーボンコピー」くんはコピーにはならなかったようです。
http://www.cnn.co.jp/science/K2003012200192.html
かくりさん
>『コーヒーを飲む層と飲まない層では大腸ガンの発病率は等しい』という帰無仮説を立ててχ2乗検定で・・・
えーとね、かくりさんが言われてるのは危険率を問題にした考え方なのですよ。
で、今回私が投稿したのは、wadjaさんの「どれくらいの規模の研究なら重要な所見と判断できるか」という疑問に対して、検出力と例数設定について感覚的に説明しようとしたものです。
DBRCTさん
今回の場合は,「コーヒーを飲むと,大腸ガンの発病率が1/2になる」という命題の検証とは違うんじゃないの?
私はてっきり,
『コーヒーを飲む層と飲まない層では大腸ガンの発病率は等しい』という帰無仮説を立ててχ2乗検定で,それを棄却して=「コーヒーを飲む層の大腸ガンの発病率は飲まない層より低い」と結論付けたのだと思ってたのだが・・・
第2段落後半あたり
飲まない群で約半数の発症→飲む群で約半数の発症
の間違いです。スマソ
けっこうりき入れたのに、こんなもんです。
↓
wadjaさん
臨床研究では対象数の設定がとても重要です。あらかじめ、何例必要かを計算して求めておくのが普通です。
しかし、疫学研究でどれくらいが必要かと言われると、説明は難しいです。たとえば大腸癌の発生頻度に関する研究で、3年間追跡したものはほとんど効果を検証できなかったとか、数百例では失敗しているとかの背景情報も参考になります。でも、そんな説明では納得できないでしょう。私もほんとは疫学じゃなくて、介入試験の方が専門ですのでちょっと冒険ですが、非常におおざっぱに、誤解を恐れずに説明してみます。
偏差値の公式を説明するよりもかなり難しいのですが・・(^o^)
今、コーヒーを飲む女性では大腸癌発現の相対リスクが0.5だったとします。またコーヒーを飲まない人は大腸癌が1万人中10人が毎年発症するとしましょう。
そこで、コーヒーを飲まない人 2000人、飲む女性 2000人を1年間追跡すると、飲まない群では2例の発症、飲む群では1例の発症が見込まれます。でもこの結果では誰も納得しない、何かの間違いでもあり得る現象です。そこで10000人ずつ10年追跡すれば、飲む群では100例、飲まない群では50例の発症があると予想されます。これくらいの差になれば、確かに何か可能性がありそうだと思えるでしょう。
今回話題になった研究でもおそらく、飲まない群で約半数の発症になっているでしょうから、(30対60例とか)感覚的にも関連がありそうな気がしてくると思います。また、これを統計解析して有意になるレベルだったのでしょう。
まぁ実際には色々な因子の補正や、発症後は追跡が中止されることによる打ち切りの考慮などもあり、こんなに簡単なものではありませんが、きわめておおざっぱにいえば、上述のようなことになります。
なんじゃ、医学統計というのは感覚的なものなのかと思われるかも知れませんね。そう、きわめておおざっぱで感覚的なものです。よく言う危険率0.05以下、なんてのも大した根拠はなく、まあ20回に1回の間違いならほとんど許して貰えるからな、てなもんです。
だから、複数の成績や、メカニズムの裏付けが必要になるというわけです。
> 3.同じケーブルネットでインターネットに接続している人
ぎゃーソース見たらばれるんですね・・・。あまり馬鹿な発言は控えなくては。
DBRCTさん、かくりさん
早速のご回答ありがとうございます。
これに関してはin vitro実験でも結果が出るかどうかでしょうね。おそらくすでに手を付けているとは思いますが。
コーヒーの中に癌抑制に効く有効成分でも見つかることを期待します。
wadjaさん
>>これって女性にしか効果がないのでは?
>えへん、男性には有効な結果が出なかっただけです。効果が無いと決まったわけでは...無いですよね?
さあ?だけどエストロゲンと同時投与すると効くかも?
thinkpadさんへ
>あと、hanaさんとpiggyさんはどのようなご関係なんですか?
1.ご兄弟、親子のようなご家族
2.進化論と創造論を研究するサークルの仲間
3.同じケーブルネットでインターネットに接続している人
ほかにありますかね?
To:大文字ナンさん
>逃げよう…ベタなネタを…
一瞬分からなかったけど、wadja的には少し(ごめんね)ウケました。
To:あきさん
>臨床と研究は分けて考える方もいます。コーヒーの例は極端で当てはまらないでしょうが、「理由はわからないが効くからやってみよう。理由は研究を続けていればそのうちわかるだろう」といったところで続けられている治療法もあるようです。
確かにそうでしょうね。有効な治療法がない疾患に苦しむ人々を前に、メカニズムがはっきりするまで待てとはいえませんものね。
>これって女性にしか効果がないのでは?
えへん、男性には有効な結果が出なかっただけです。効果が無いと決まったわけでは...無いですよね?
To:DBRCTさん
コホート研究についての解説ありがとうございます。単純に考えても、3万人を8年も追跡調査するのは大変な作業で、そこから出てきた「可能性」を軽視したり、馬鹿にしたりするつもりは毛頭ありません。でも、
>8年間追跡の結果、outcomeが102例と発症数・期間も解析に耐えうるものであること。
かどうかは、判断難しそうだなー。この手の研究の方法論には全然詳しくないし、じゃあどれくらい症例があれば十分だと思うのかと聞かれても、まともに返答できません。しかし、食生活に含まれる様々な要因を排除してコーヒーを特定しようと思ったら、相当数のデータが必要だろうと思ってしまいます。高血圧症の投薬効果のように、ごく短時間で(?)効果が観察できる場合と異なり、食習慣のように継続性も大きな要因となりうる場合には、判断が極端に難しいのでないかと想像します。
#むむ?なんで素人がこんなに抵抗してるんだ?
To:thinkpadさん
>あと、hanaさんとpiggyさんはどのようなご関係なんですか?
こちらの自作自演の可能性の評価なら、コホート研究の結果より楽そうですね。
レスありがとうございます。
> 今の精神分析は(非常に緩い意味でですが)反証可能な主張を行っている
> (つまりすべてのことは説明しない)と思います。
> あと、心に深層構造があるだろうという仮説は、脳の機能が局在化しているという
> 大脳生理学の知見とも整合するので、他の正統科学とは対立しないと思います
> (そこが超心理学と精神分析の大きく違うところです)。
↑この辺のところは幾分、異議があるところですが、貴書を読まずして大きなことを語れません^^;
既に購入手配しましたので読んでみて思うところがありましたらまた書き込みさせていただきます。
聖書を信じるというなら自分の都合の良い様に解釈しちゃいけないんだと思うんですよ.
例えば創世記.
クハ72さんの所で概要っぽいのを読ませてもらったんだけど,「神が全ての生物を創造」したとはとても読めない.だいたいそうは書いていない.「○○をこしらえた」「××をつくった」と具体例が書いている.とすると書かれていない生物群は作られていないことになる.「生物の中には神が作ったものもある」というのが正しい聖書の読み方ではなかろうか?いうのが私の意見.
これだと別に進化論と対立はしないと思われる.
別の例:ノアの洪水
ノアもまたどう読んでも全ての生物を船に乗せていない.最高に拡大解釈しても「動物界に属する全種類」程度であろう.そうすると残り4界(5界説採用)は全く乗せてもらわなかったわけで,別に船に乗ろうとなるまいと滅びはしなかったというのが妥当なところなのだろう.
「ノアは神に言われて動物を一杯船に乗せた.洪水になったが,船に乗せた動物は無事だった.乗せてないのはようわからん.」というのが本当の所なのだろう.とすると普通の洪水とどこが違うのか?となるわけであるが・・・・
もちろん,普段じっくり聖書を読まない私の読み違いということは十分ありえる.ので反論があるなら具体的に和訳版で良いので,聖書を引用して行って欲しい.
piggyさん、はじめまして。
> 例えば、1.宇宙の起源−ビックバンは科学的な理論なのか?
> 2.地球の起源−地球の年齢は本当に何億年にもなるのか?などです。
失礼ながら、もしや上記2点について「科学的根拠がない」とお考えなのでしょうか?
もしそうであるなら、それは大変な誤認識であると私は思います。たとえば1については2.7Kの宇宙黒体輻射などの物証が知られています。あるいは天体が互いにその距離を広げつつあることは宇宙が膨張していることの証拠であり、膨張しているということは、遥かな過去にはかなり小さいものであったことも簡単に推察できます。
#1929年、ハッブルが100インチ天体望遠鏡で宇宙が膨張していることを観測しています。
##遠い星からの光は赤方偏移を起こしている。また、膨張宇宙のモデルは夜空が星の光で明るくならないことの証拠にもなります。
###膨張している、ということは過去の爆発を予測させます。ガモフはこれを1940年代に「ビッグバンのこだま」として予言し、1965年にベル電話研究所の衛星通信の研究で、宇宙には3K(正確には2.7K)のマイクロ波放射があることを突き止め、これがビッグバンの名残であることは良く知られた事実です。
上記のような観測事実=証拠は、確かに私の手元にあるものではありません。ですから、これらは科学者の捏造であり陰謀なのである、という反論にも私は耳を傾けることが出来ます。しかし、双方の主張を冷静に聞いてみると、より「創作的で、理想論、神秘主義に聞こえる」説を私は切り捨てることにしています。なぜなら、世の中のあらゆる出来事は、事実の積み重ねの上にしか成り立たないことを私は知っているからです。piggyさんの挙げられた「世界的な権威」がこれら創作的な立場で自説を述べることは構わないと思いますが、私はそうした胡散臭い権威よりも、単に観測と検証に基づいた実証主義の視点に耐え得る理論を信じる立場なのです。
To thinkpad さん
>チャーチワードのようなもの
おぉ、あの人か!(笑)
すっかり忘れてました。というか、結局当時の議論からは憶えておく価値を見出せなかったもので……。
今回リンクされていたページを見ても、憶えておく価値を見出せませんでしたが(^_^;
ベッカムのヘアスタイルには、様々あります。ソフトモヒカンだとか、Rスチューアト
ヘアだとかいろいろありますが、ええい面倒だと、剃ってしまった時期があります。
それでもベッカムはかっこいいと言われました。どうせならより単純なヘアスタイルで
効果を上げると言う事で、これをベッカムの剃刀と言います。
ひんしゅく者だったらごめんなさい・・。笑えないから許してくれないかな・・。
ワイルダー・スミス博士ってアーネスト・E・ワイルダー・スミス博士のことでしょ。
私がおととしに経歴を調べたがWEB検索では判らんって断念した方。(掲示板の過去ログ84、85) 彼のどこが間違っているかはNATROMさんのサイトの解説で充分でしょう。
http://www.christiananswers.net/japanese/q-eden/edn-thermodynamics-j.html
(あれからNATOにメールを出そうか悩んだんですがテロで急がしそうだったからやめました。今も忙しそうで聞きにくいんですよね。どうしよう。)
piggyさんにお願いですが、その資料の彼の履歴紹介に'NATO three-star general'って書いてあります? 次のサイト以上に詳しいことが書かれているなら教えて欲しいのですが。あと、"様々な分野の科学者が15人以上"って、よろしければ名前を教えてください。ギッシュとか私達にも馴染みのある方たちかもしれません。
http://www.christiananswers.net/creation/people/wilder-smith-ae.html
>世界的に権威のある資料や現地での取材をもとに、現代科学の進歩によって明らかになってきた進化論の矛盾と間違いを明らかにしているものです。
創造科学のような、疑似科学の本ではよくある常套句です。大抵、明らかになるのは科学の現状と進化論に対する誤解と無知です。"世界的に権威のある"とかいう言葉、まともに受け取って信じない方がいいですよ。彼らは、仲間内で学位を授けあって箔をつけたり、まともな仮説や学者の発言を歪めて進化論否定の材料にして悪評高いです。現状では進化が起こったのは、地球が回っているのと同じぐらい確かなことと科学の世界ではみなされています。そのことも含めて考え直してみて下さい。
あと、hanaさんとpiggyさんはどのようなご関係なんですか?
@生物は増える。子は親からの遺伝情報を複製する形で作られる。
A現実に存在する物質の情報を複製する時には常に変化の可能性がある。
突然変異を否定するには
@すべての生物は絶対に増えない。か
Aすべての遺伝子の複製は完璧に行われる。のどちらか一方を証明する必要があるのでは?(話題のすり替えは無用に願います。)
命題のすり替えは無効です。
http://www.google.com/search?num=50&hl=ja&q=wilder%20smith
この方でしょうか。
聖書に書いてあることが一語一句事実だと考えられている方には、巷に溢れ
ている「その他の宗教」の存在ってどのように写っているのでしょうか?
キリスト教以外の宗教は全部デタラメ?
それはあんまり乱暴だよな…
全部同じ神の別の似姿に過ぎない?
でもそれだとキリスト教の聖書にだけ特別な地位を与える理由が無いよな…
進化論以前によっぽどそちらの方が信仰の妨げになりそうなトピックの気も
するのですが、hanaさん(他の方でも構いません)は、その辺りどのように折
り合いをつけておられるのでしょう? 他の宗教と折り合いがつくのなら、
何故進化論との折り合いはつかないのでしょう?
無宗教者の素朴な疑問ですが、差し支えなければお答えいただけると幸いです。
To hana さん
はじめまして。
>全世界的な大洪水とそれに伴う地殻変動や,環境の大きな変化があったなら、
>その化石の年代を調べるのはかなり難しくなるだろうと思います。それ以前
>の環境がどういうものであったのか、わからないわけだから。
大洪水と言っても、地下の厚い地層を根こそぎ破壊してしまうようなものではないでしょうから、破壊されなかった地層の情報は残ります。
化石もそうですが、堆積岩を構成する粒子(泥や砂の粒)の大きさから、地質学者はその地層ができたときの水の流れる速度を推測します(川だったか、湖だったかの推定)し、粒子の重心の平均をとることで、地層ができたときに「どちらが上だったか」の推定もできます。
(褶曲などで上下が入れ替わった地層の順序を決定できます)
>進化論が一見筋がとおっているかのように見えても、「大洪水はなかったとし
>たら」というような多くの仮定の上に成り立っている理論だと思います。
恐竜の絶滅の原因としての隕石衝突仮説をご存知ありませんか?
あの事件によるカタストロフは全地球規模の洪水に匹敵すると思いますよ。
そんな大事件を仮定しても、それでもなお地質学も進化論も揺らぎません。
ですから、全地球規模の洪水があったらあったで何も困りませんからご安心ください。
まぁ、全地球規模の洪水があった、という物証が何もないから困るというのはありますが……。
>億単位の年月をかけて生物が進化してきたとしたら,その間の生態系はどうなるのか。
>植物は植物のみでは生きていけないわけで、それよりも,7日間で神様が創造された
>のなら生態系は保たれる.
進化論の推定する生物の登場順では、植物は最初に登場したわけではありませんからなにも困らないと思いますが。
「植物界」の植物(多細胞生物の植物)の化石が見つかるよりも古い層からは、さまざまな生物の化石が見つかりますし。
植物ではなく光合成バクテリアにしても、それは「最初の生物」ではなかったでしょう。
深海の熱水鉱床のように、光合成に依存しない生態系というものもありえるわけで、光合成生物が登場する以前はそのような生態系があったと考える方が自然かと思われます。
hanaさん、はじめまして。
まず、名前が頻繁に変ると見ている方が混乱しますので、どちらかに統一された方がよい
と思います。と前置きした上で。
>進化論が一見筋がとおっているかのように見えても、「大洪水はなかったとしたら」と
>いうような多くの仮定の上に成り立っている理論だと思います。
自然科学には「オッカムの剃刀」という重要な道具があります。これは「ある事象を説明
する二つの異なる仮定があった場合、より簡単な方を採用する」「無闇に仮定を増やさな
い」という原理で、自然を理解するための姿勢としてこの原理自体が妥当である事に反論
はあまり出ないと思います。
さて、進化論も自然科学の一ジャンルですので、この原則が当てはまります。現在から過
去を推測する際、オッカムの剃刀を使うとまず「過去、地球は現在と変らない姿で存在し
続けてきた」と考えるのが一番単純でしょう。しかし、それでは説明できない事実(化石
記録や地質年代の推定値、星の寿命の推定値)が証拠として積み重なると、そこで初めて
仮定の方を修正します。そうした繰り返しの末に、現在の天文学、地質学、進化論と言っ
た学問は成立しています。
こうした視点に立つと、まず最初は「大洪水はなかった」という仮定に立つことが妥当
な事がわかります。そして現在、大洪水があったとする地質学的証拠が見つかっていな
いため、「大洪水はあった」という、より複雑な仮定は採用されていません。
hanaさん的には「ちょっと待て、だからその大元の証拠として、聖書に大洪水があった
と書いてあるんだよ」と言いたくなる事でしょう。ですが、自然科学はまず目に見える
物的証拠だけを相手にして、それ以外の事を切り捨てる事で限定的な領域について問題
解決能力を磨いてきた手法です。「聖書の記述」は直接自然科学の証拠とするには不十
分なのです。自然科学的には、進化論は至極まっとうなプロセスの上に成立しています。
私自身は聖書の神様は信じていない(否定するわけでもなく、どちらかと言うといても
いなくても関係ないという不可知論的立場)のであまり聖書解釈の問題に深入りするの
はやめておきますが、聖書の解釈と進化論を矛盾なく受け入れられているキリスト教徒
の方もたくさんおられるというのは重要な事実ではないでしょうか(もちろん、「そん
なのは正しいキリスト教徒では無い」という立場がある事も理解しています)。
えーと、あまりまとまってませんが長くなって来たのでこの辺で。
To piggy さん
はじめまして。
ワイルダー・スミス博士という名前に聞き覚えが無かったので、Google で検索もしてみたのですがそれらしいものにHITしませんでした。
どういう肩書きの方なのでしょうか?
あと、その15人以上の名前を列挙していただけませんか?
資料そのものを提示しろとまでは言いませんがそれくらいいいでしょう?
できれば、資料の名前ですとか、参照点を示していただけるほうが嬉しいですけどね。
「こういう資料がある。だけど名前は明かせないし見せることもできない」では、科学の資料ではなく宗教の秘密経典みたいですよね。ディスカッションを目的とされているのでしたら、情報の開示は必須だと思いますがいかがでしょう?
ちょっと質問なんですが、哲学を脳という視点から科学的に捉えた学問って
ないんでしょうか?何故人間はそう考えるのか?です。
確かに哲学は個人が考えた学問ですが、分かる分かるって部分もあるんです
よね。きっと人間の思考の仕方そのものも徐々に解明出来ると思うのですが、
その中で哲学的思考だけを抜粋して、科学的に研究している分野はないのでしょ
うか?哲学科学とでも言えばいいのか・・・。
ななさん、遠藤さん、
本の紹介、感想をどうも。
ななさん、小西さんの書評、わたしも見ました。確かにすべてのことを説明できる理論
が科学と呼べないというのは私も認めていますが、今の精神分析は(非常に緩い意味
でですが)反証可能な主張を行っている(つまりすべてのことは説明しない)と思います。
あと、心に深層構造があるだろうという仮説は、脳の機能が局在化しているという
大脳生理学の知見とも整合するので、他の正統科学とは対立しないと思います
(そこが超心理学と精神分析の大きく違うところです)。精神分析の話はこの本では
きちんと取り上げる余力がなかったので、また別の機会に書こうと思っています。
遠藤さん、ラカトシュやラウダンの路線はわたしも共感していますが、パラダイム論
の大がかりな装置をひきずっているのが難点です。
> 「ノアのはこぶね」の大洪水が実際にあったと信じてるけど、そうす
> ると、進化論にとって大切な化石 の理論が崩れていくと思うんです。
化石は進化論の傍証の1つです。進化論にとって”大切”なものではあ
りますが絶対不可欠なものではありません。それよりも化石が大洪水に
よって生じたと考えた場合に生じる不都合の方が”大洪水化石生成説”
を信じる人にとって不利ではありませんか?
このWebページにもありますが、化石による生物の形態変化の様相とその
時代考証は大概に於いて現在の進化論と矛盾しません。また、それが古
いとされる証拠も現在の科学理論と矛盾していません。
もし、”大洪水化石生成説”を唱える人が、この説を進化論並みに受け
入れてもらうには、核物理学や古代地磁気学など多くの論証を持ってい
る広い科学分野に対して反論を加え、証拠を挙げる必要があります。
> 全世界的な大洪水とそれに伴う地殻変動や,環境の大きな変化があった
> なら、その化石の年代を調べるのはかなり難しくなるだろうと思いま
> す。それ以前の環境がどういうものであったのか、わからないわけだ
> から。
化石の年代は、出土した地層に含まれている示準化石などの傍証から調
べる方法と、地磁気や放射性同位元素などを用いて調べる方法など色々
考案されています。それらについての一部分はWebページで説明されてい
ます。
ある化石について、全く異なった原理による複数の方法が同一の年代を
示すならば、その年代はより確からしいということがいえます。また、
その化石の元となった生物がどのような環境で生存していたかの研究も
行われており”それ以前の環境がどういうものであったのか、わからない”
とはかなずしも言えないのです。
> 進化論が一見筋がとおっているかのように見えても、「大洪水はなか
> ったとしたら」というような多くの仮定の上に成り立っている理論だ
> と思います。
進化論は少なくとも「大洪水はなかったとしたら」という仮説の上に成
立している訳ではありません。確かに多くの仮説はありますが、仮説は
観測(あるいは観察)できる現象を説明するための手段にすぎません。
> 億単位の年月をかけて生物が進化してきたとしたら,その間の生態系は
> どうなるのか。
> 植物は植物のみでは生きていけないわけで、それよりも,7日間で神様
> が創造されたのなら生態系は保たれる.
生物は進化することで、環境の変化に適応し、それぞれのニッチを構成
してきました。これらの進化の痕跡は現在の生物にも残っています。
”7日間で神様が創造”したとするならば、現在の生物の多様性など多
くの問題を現在の科学が受け入れられるレベルで論証する必要がありま
す。
ところで、地球上をくまなく水没させたという”大洪水”の水は何処に
行ったのでしょうか?私は聖書には詳しくありませんが、アララト山の
高さがまさか200mなどということは無いでしょう。ならば、現在知
られている大陸上の氷すべてが解けても、”大洪水”の水量には足りま
せん。hanaさんはどのようにお考えですか?
hanaさん
はじめまして、私はトトロと申します。この掲示板をROMしているの
ですが、たまには何か書き込んだ方が・・・と思いましたので僭越な
がら書き込みさせていただきます。
> 僕たち日本人は学校で進化論しか習わないですよね。でも,進化論は
> 証明された理論ではなく、仮説であるようです。神様が創造した,と
> いう創造論も証明されたわけではないいようです。
たしかに科学は仮説から始まりますが、その仮説が受け入れられるには
多くの実証(証拠)が必要です。進化論自体も多くの検証作業に耐えれ
たからこそ、現在、広く受け入れられているのだと考えます。
”創造論”が現在の科学の世界で受け入れられていないのは、客観的な
検証に耐えられないからだとは思いませんか?
> だから、これは聖書のことばを信じている者の立場での意見です。
> 聖書には神様が7日間で世界を創造した、と書いてるでしょ。
> じゃあ、何十億年もかけて地球ができた、という進化論はどう理解
> したらいいのか。
”何十億年もかけて地球ができた”という傍証は沢山あります。それ
らのいくつかはこのWebページでも見ることが出来ますし、Internetを
探せば多くの傍証と考えられている事象とその解釈を見つけることが
出来るでしょう。
> またビックバンによって地球ができたとは聖書には書いてないのは,
> どう理解したらいいのか。
聖書は科学が未発達であった時代に、その原典を作った民族の、その
当時の思想で作られていると私は考えます。従って、”ビックバンに
よって地球ができた”などと書かれているはずはありません。
時代が変われば、常識も、倫理観すら変化します。それは、この数十
年だけをとっても明白なことでしょう。何故、聖書が千年を超える普
遍性を持っているのでしょうか?私には聖書が神による啓示で作られ
たという理由よりも、聖書を読んだ時代の人たちがそれぞれの時代に
合わせて内容を解釈したからだと思えるのですが・・・
> 初め僕は,進化の過程を導いたのが神様なのだ、と理解しようとした
> けど、そうすると聖書のことばを そのまま文字どおりに信じれなく
> なってきて,聖書に自分なりの解釈を施さないといけなくなってしまう。
> そうやっていくと聖書の語るメッセージはどんどん変わっていって、
> きりがないんですよね。
先の文と重なりますが、”自分なりの解釈”が出来ることが聖書をい
つの時代でも教典となしえた理由であると私は考えています。
今回のコーヒーの研究については中身は書いてませんでしたが,設計については簡単にリンク先に書いてありました.先に食事状況を調べておいて,その後の追跡調査をするコホート研究だったようです.対照人数も三万人と多いので,学会発表段階ではありますが,DBRCTさんのおっしゃるとおり(つか私は素人だ),信頼できるデータでしょう.
もうまさしくDBRCTさんのおっしゃる通りの流れで効能が確認されれば,「予防効果」ありでよいのではないでしょうか.
しかしながら,コーヒーは良い点も悪い点も沢山含んでいる嗜好品ですので,これを用いた予防は個人的には賛成しかねます.
あきさんへ
元々食物繊維が大腸ガンに効くとされていたのは,食物の腸内滞留時間を短くするからではないか(排便量増えるし,実際に滞留時間は短くなる),と考えられていたからです.結局食物繊維には大腸ガンに対する予防効果があると言うことは出来ませんよ,というのが現在の流れだと思いますが,元の発想「食物の腸内滞留時間と大腸ガンの関係」はまだ死んでいないのかもしれません.ほら,女性は便秘で困っている人多いし(男性はあまり聞かないよね).
DBRCTさん
情報ありがとうございます.仕事柄,栄養成分や食品素材と効能について,リンク先レベルでの情報がわかりやすくみれるところがあると便利だなあと思ったのですが,世の中そう上手くはいかないようで・・・
本の紹介ありがとうございます.でも英語苦手なんだよなあ〜〜(時代はイタリア語とスペイン語なのだあああ←でもしゃべれない)
http://www.metamedica.com/news2002/howto10.html
wadjaさん。
この検討がそれなりに重要というわけは、
1.断面研究でなく、一万人以上を追跡した結果である(コホート研究といいます)。
2.8年間追跡の結果、outcomeが102例と発症数・期間も解析に耐えうるものであること。
の二点にあります。この結果が、他のコホートでも確認され、その上で、複数の介入試験(コーヒーを飲ませる群と飲ませない群を作る)で、コーヒーを飲む群において発癌が少なければ、認められることになります。ですから、この結果は、可能性を示したと言う意味で重要なのです。効果があることを認めたわけではありません。(高繊維食も疫学研究で大腸癌との関連を示されたが、介入試験のほとんどでは、予防効果がないと言う結果になっている)
あきさんも書かれているように、臨床の考え方でメカニズムは必ずしも必要ではありません。もちろん、メカニズムがわかった方が使いやすいですが。たとえば、高血圧症の治療薬で有効性が明らかであるとされている、β遮断薬、利尿薬の降圧メカニズムは教科書にはわかったようなことが書いてありますが、本当のところは不明です。
あきさん
手許の朝倉内科学、今日の治療、診断指針には大腸癌の発症に性差があるという記述は見つかりませんでした。ただ、高リスク群として、乳癌・子宮体部癌の既往、が挙げられてましたので、ひょっとしたら一部の大腸癌に性差があるのかも知れません。
かくりさん
栄養に関するサイトは知りません。トンデモサイトは見つけたことがありますが。サイトでなければ、疾患との関連について調べる資料としておすすめは、ちょい高いけど(9,800円)クリニカル・エビデンス 日本語版 2002-2003 日経BP社 ISBN4-8222-0382-4 です。この版では栄養に関する記述が不足気味ですが、次の版で掲載予定とされているものも多く、期待して待っているところです。待ちきれない場合はネット上で購入と言う手もあります。(但し英語)
http://www.clinicalevidence.com/
> 「ノアのはこぶね」の大洪水が実際にあったと信じてるけど、そうすると、進化論にとって大切な化石の理論が崩れていくと思うんです。
どうして理論が崩れるの?
> 全世界的な大洪水とそれに伴う地殻変動や,環境の大きな変化があったなら、その化石の年代を調べるのはかなり難しくなるだろうと思います。それ以前の環境がどういうものであったのか、わからないわけだから。
ここでもまるで説明されてませんよ?
何故洪水が起こると化石の年代がおかしくなるのでしょうか?
素人にも分かりやすく説明してもらえませんか?
wadjaさんへ
>「直接的な証明には必ずしもならない」だと思います。この調査結果って、「どうもコーヒーは大腸がんの予防に効果があるかもしれない」から始まって、「これこれのメカニズムで、コーヒーが大腸がんを防ぐ」まで到達して初めて、研究結果として意味のあるような気がしますが、違うのでしょうか?そこまで行って、初めて皆がコーヒーをがぶ飲みする結果につながるのであろうなあ。
おっしゃるとおりなんですけど、臨床と研究は分けて考える方もいます。コーヒーの例は極端で当てはまらないでしょうが、「理由はわからないが効くからやってみよう。理由は研究を続けていればそのうちわかるだろう」といったところで続けられている治療法もあるようです。例えばアレルギーの減感作療法もそうではないでしょうか?
私自身はメカニズムの不明な治療法を試されるのは嫌ですが、患者さんの中には試してみたい方もいるでしょう。
>とかいいながら、wadjaも1日5杯くらいコーヒー飲むので、効果があると嬉しい。
これって女性にしか効果がないのでは?
女性にしか効果がないことは興味深いことです。性ホルモンでも関連しているのでしょうか?
DBRCTさんへ。そもそも大腸癌の発症には性差があるのでしょうか?ご存じでしたら教えて頂けますか?
進化論と創造論の接点について、いろいろ考えておられるようですね。この問題には、きっと多くの方々が興味を持っておられるでしょう。このことに関する資料が、私の手元にあります。ワイルダー・スミス博士を始め、物理、生物、地学、天文学など様々な分野の科学者が15人以上登場し、世界的に権威のある資料や現地での取材をもとに、現代科学の進歩によって明らかになってきた進化論の矛盾と間違いを明らかにしているものです。
例えば、1.宇宙の起源−ビックバンは科学的な理論なのか?
2.地球の起源−地球の年齢は本当に何億年にもなるのか?などです。
僕たち日本人は学校で進化論しか習わないですよね。でも,進化論は証明された理論ではなく、仮説であるようです。
神様が創造した,という創造論も証明されたわけではないいようです。
だから、これは聖書のことばを信じている者の立場での意見です。
聖書には神様が7日間で世界を創造した、と書いてるでしょ。
じゃあ、何十億年もかけて地球ができた、という進化論はどう理解したらいいのか。
またビックバンによって地球ができたとは聖書には書いてないのは,どう理解したらいいのか。
初め僕は,進化の過程を導いたのが神様なのだ、と理解しようとしたけど、そうすると聖書のことばをそのまま文字どおりに信じれなくなってきて,聖書に自分なりの解釈を施さないといけなくなってしまう。
そうやっていくと聖書の語るメッセージはどんどん変わっていって、きりがないんですよね。
「ノアのはこぶね」の大洪水が実際にあったと信じてるけど、そうすると、進化論にとって大切な化石の理論が崩れていくと思うんです。
全世界的な大洪水とそれに伴う地殻変動や,環境の大きな変化があったなら、その化石の年代を調べるのはかなり難しくなるだろうと思います。それ以前の環境がどういうものであったのか、わからないわけだから。
進化論が一見筋がとおっているかのように見えても、「大洪水はなかったとしたら」というような多くの仮定の上に成り立っている理論だと思います。
億単位の年月をかけて生物が進化してきたとしたら,その間の生態系はどうなるのか。
植物は植物のみでは生きていけないわけで、それよりも,7日間で神様が創造されたのなら生態系は保たれる.
す、すみません…wadjaさん…ゲンインハワタシ?
逃げよう…ベタなネタを…
×因果関係を統計で論じるのは非常に難しい。
○因果関係を統計で論じるのは非常に難しいと思っています。
To:DBRCTさん
>ご紹介の記事を見ると、症例数、追跡期間、発症例数も充分で、それなりに重要な所見です。
むむむ、専門家の目から見てもそうなんですか。肝に銘じておきます(専門家の権威には弱いwadjaです)。
別にDBRCTさんの、この調査に対する評価にけちをつけるとか、負け惜しみを言いたいとかではありませんが、ふと変なことを思ってしまいました。
果たして大腸がんの主因は、食習慣や嗜好品なのだろうか?そう考えるのが一般的なら、その根拠はナンなのだろう?
仮に大腸癌の主因が遺伝的なものだとすると、この調査は的外れなことをやっていることにはならんのかな?まあ、これだけの規模の調査であれば、なにも大腸癌だけではなく、様々な疾患が調査の対象だとは思いますが。
個人的には(以前この掲示板でも発言したと思うけど)、因果関係を統計で論じるのは非常に難しい。ななさんの言う通り「直接的な証明には必ずしもならない」だと思います。この調査結果って、「どうもコーヒーは大腸がんの予防に効果があるかもしれない」から始まって、「これこれのメカニズムで、コーヒーが大腸がんを防ぐ」まで到達して初めて、研究結果として意味のあるような気がしますが、違うのでしょうか?そこまで行って、初めて皆がコーヒーをがぶ飲みする結果につながるのであろうなあ。とかいいながら、wadjaも1日5杯くらいコーヒー飲むので、効果があると嬉しい。
話半分に聞くよろし→コーヒーのお話
DBRCTさんのリンク先に何回もそんな例があります.
ちゃんとそれなりの雑誌に載って,何回も追試を受けてやはり相関があるのなら,「そうなんだねえ」と受け入れれば良いのではないでしょうか.
ところでDBRCTさんの紹介なさっているサイトは,ほとんど癌専門に近いところがあるけれども(それ以外の情報もありますが),これくらいのレベルの内容で栄養一般について書かれているサイトはあるのでしょうか?
http://kk.kyodo.co.jp/iryo/image/kenko204.gif
この種の疫学的調査の科学的評価は難しい面が多いでしょうね。
疫学調査研究に必須的につきまとう諸々のバイアスの評価の問題もさることながら、それらが科学的に充分に検討され排除されたとしても、「コーヒーをよく飲む女性に大腸がんが相対的に少ない」という疫学調査結果からだけでは「コーヒーには大腸がんを抑制する何らかの作用がある」という直接的な証明には必ずしもならないわけですから。
RYU_TI_SYUさん,wadjaさん
コーヒーと癌発生の話、興味深く読みました。たまたま、週末、電車の中で読んだばかりの「医学の歩み」という雑誌の第一土曜特集号(vol.204,No.1,2003)が癌の予防に関するものです。コーヒーの件は記載ありませんでしたが。ま、この雑誌を読まなくても、昨年、かくりさんからご紹介のあったサイトも判断の参考になると思います。
http://www.metamedica.com/index.html
ご紹介の記事を見ると、症例数、追跡期間、発症例数も充分で、それなりに重要な所見です。なんらかの関連がある可能性は否定できません。しかし、現時点では、コーヒーを飲みなさいと奨める気にはなれない、というのが正直なところです。緑茶の二の舞かもしれない、日本だけの現象かもしれない、dose-responseがはっきりしない(RYU_TI_SYUさんのご指摘通り)、推定されるメカニズムがわからない(抗炎症作用ならありうるかも)など、まだ解決しなければならない問題があります。疫学的な研究は限界が多く、相当数の研究が同じ方向を示して初めて認められます。アルコールと心疾患は、沢山のデータから、関連があると認められていますが、共通認識になるまでずいぶん長い時間がかかりました。
私は結構なコーヒー飲みなので、関連があると嬉しい。
To:RYU_TI_SYUさん
ご紹介の記事読みました。
>日本では最近食生活の欧米化に伴って増えたと言われとるんじゃろう?
確かに。よく大腸癌は肉食と関連付けられますからね。その欧米のうち米国でも、コーヒーと発ガン率の関係を話題にしていたのを、耳にした記憶があります。それ以上に、野菜などの繊維質をたくさん取ることが重要だといった話は、くさるほど良く耳にしましたが。
「なぜか」は未解明だが、コーヒーが大腸に何らかのよい効果を与える可能性を示しているという。
そのメカニズムがはっきり解明されていない場合、個人的にはあんまりこの手の調査結果は信用する気になれない。殆ど迷信の類に近いような気さえすることがあります(逆に、今日の「あるある」みたいに、いろんな科学的と思える説明が加えられていると、素直に「ココアを買いに行こう」と思ってしまう)。
食生活など個人の生活習慣を幅広く考慮する必要があり、コーヒーの効果について結論づけたことは言えないが、注目すべき結果だ」
研究者本人の言葉にもあるように、人間のある特定の生活習慣と病気の関連を、実際の人間から集めた統計データを使って究明するのって、相当に難しいだろうと思います。人の生活の中には、様々な可能性を持つ要因が多すぎるので、他の要因を排除するためのサンプルデータの補正にも限界があるだろうし。本当に注目すべき結果だと思うのなら、実験環境をコントロールしやすい動物実験をやれば良いのにと思ってしまう(素人考えかもしれませんが)。
#この話で、フランスでの研究結果に、ワインは心臓疾患の発生を抑えるというのがあったのを思い出した。
<大腸がん>コーヒー好きの女性、危険度半分
もともと、大腸癌は欧米人の方が多くて、日本では最近食生活の欧米化に伴って増えたと言われとるんじゃろう?
コーヒーがぶ飲みしてるなら兎も角、一杯からでも効果があるってのはどうも納得がいかんのじゃがのう・・・
「疑似科学と科学の哲学(伊勢田哲治著 名古屋大学出版会)」を今日読了。科学哲学を全く知らない一読者の、適当な要約と感想です。
1章では、演繹的推論と帰納的推論から始まり、ヒュームの懐疑(斉一性原理は妥当かどうか)、ポパーの反証主義、反証主義の問題点(デュエム=クワインテーゼ)を、進化論と創造論に当てはめながら考察している。その結果は、「創造科学と進化論を反証可能性を使って明確に左右に切り分けることはできない(p56)」という、哲学シロウトの私にとっては驚愕のものであった。では、どう考えればよいのか。
2章では占星術と天文学の関係を題材にしている。ここで著者は、ケプラーの法則とニュートン力学という順調に発展したような理論にも、クーンやファイヤーベントのいう「観察の理論負荷性」と「通約不可能性」の問題があることを指摘する。理論は直線的には進まないことを踏まえ、クーンはパラダイムという概念を提唱した。これに批判したのがラカトシュである。ラカトシュはパラダイムをリサーチプログラムと呼び、これは固い核と防御帯の二つから構成されていると考え、修正で理論が変わっても、固い核が同じならば同じリサーチプログラムとした。彼は、防御帯の変更がどんどん新しい予言につながり、それを成功させるプログラムを前進的プログラム、新しい予言につながらない後付の変更に終始するプログラムを後退的プログラムと呼び、前進的プログラムを選択するのが基準とした。ラウダンは固い核にも歴史的な推移を認め、ラカトシュよりも緩くした。しかしそのため、科学と疑似科学の線引きは難しくなった。では、どうしたらよいのか?
3章では科学的実在論について検討している。原子が何故あるといえるのか、超能力や幽霊とどう違うのかについて関心がある人は面白いと思う。本書の、「超能力が存在するかしないか、またその判断に再現性がどのくらい重要なのか、こうしたことを考える上でまず気をつけなければいけないのは、他の正統科学についての判断とダブルスタンダードになってしまわないように、(中略)考えなくてはいけないということである。(p149-150)」ということは、肝に銘じるべきだと思う。話を変えて、電子が存在するという主張と、電子は存在しないがあたかも存在するように振る舞うという主張のどちらを我々は選択するべきか?
4章では代替医療を題材に、科学と社会の関係、相対主義の主張とその批判、要素還元主義の考察を行っている。要素還元主義についてはp186〜p189に記載されており、非常に興味深く読んだ。池田清彦に教えたいものである。自分にとって新しい発見で考えさせらた内容は、水俣病における科学的判断の記述(p191〜)である。科学的合理性と社会的配慮のバランスをどうすればよいのか?
5章では、確率統計をベースとしたベイズ主義をテーマとしている。統計に詳しくない人はとっつきにくいかもしれないが、著者は論を進めるために必要な説明をあらかじめやっているので安心してよい。この章は本書のヤマであり、これを詳しく論じることはマナー違反だろう。その中でも「3.「程度」思考の有用性」は、この章の白眉になっている。先の1〜4章のベイズ主義による回答もなされている。(注:出てくる数式は難しくありません)
終章では、1から5章における著者の見解が記されている。野暮を承知で引用すると、「私が提案したいのは、「科学と疑似科学は区別できる、しかしそれは線引きという形での区別ではない」(p259)」という主張に、本書を読み終えた人間ならば得心するのではないかと思う。
ここからは全体的な印象です。個人的にはラカトシュやラウダンの考えが好きです。著者も終章で、ラカトシュの考えを取り入れたベイズ主義も考えられると述べています。反対に、ファイヤーベントの考えは好きになれません。なにも科学について述べていないような気がするためです。なんとなく著者の伊勢田氏もそうではないかと感じさせる記述がちらほら(間違いであれば失礼!)。
科学と疑似科学の関係を本当に考えてみたい方に、そして科学哲学の入門書として、本書を推薦します(といっても他に科学哲学の本を読んでませんが(^^;))。内井惣七の「科学哲学入門」にも挑戦してみるかな。
こちらでは(多分?)はじめての書き込みになります。
本日(1月19日)付けの毎日新聞の書評欄「今週の本棚」に、先日こちらで紹介されていた伊勢田哲治さんの著書『疑似科学と科学の哲学』の書評を小西聖子さん(精神科医・武蔵野女子大教授)が寄せられていました。
精神科医らしい関心で書評対象を取り上げた部分に、ちょっと興味をそそられる記述を見つけましたので引用してみます。
(同書評は近いうちに毎日新聞のWebに全文UPされると思いますが)
<以下、引用>
私の仕事---精神療法---は疑似科学に近いところにあるものだから、ちょっとドキドキしながら読めた。精神療法の世界で一番説明的なものと言えば精神分析だろう。そもそも、精神分析は正統的科学に受け入れられているから、「精神分析の仮定する心の深層構造はぎりぎり科学の側に分類されるだろう」って著者はいうけど、あやしいもんだと素人は思う。すべてのことを説明できる理論はおかしい、と科学哲学者に文句言われてもしかたないわね。
<引用終わり>
コンテキストがよく分からないことを前提で個人的意見を言えば、「精神分析の仮定する心の深層構造」は科学の側に分類できるものなのだろうかという疑問を強く持っています。
同書に精神分析は「ぎりぎり科学の側に分類されるだろう」と肯定的な意見が書いてあって、それに対して、その方面の専門家である精神科医が「あやしいもんだと素人は思う」と否定的な書評を書いているのは、なんかフェイントをくらったような感じでした^^;
とにかく『疑似科学と科学の哲学』は近いうちに是非読んでみようと思っています。
(#たしか伊勢田さんはこの掲示板に顔を出されていたようなので、この辺について、ご意見お聞かせ願えればうれしいです。)
はじめまして、以前からずっとROMしているCalloというものです。ここの活発な論議はいつも楽しく拝見しています。
進化に関するわかりやすい参考文献ということで、少し紹介させていただきます。
私の通っている学校には、その名も進化生物学講座という、創造科学信奉者には卒倒ものの講座がありまして、その授業の一環で進化生物学の入門的な授業があります。以下の2冊はそこで紹介されていたものです。参考になれば幸いです。
「進化とはなんだろうか」長谷川眞理子(岩波ジュニア新書)1999年
これは「人間行動と進化」を書かれた、長谷川真理子さんが書かれた本です。もうご存知の方も多いかもしれませんが、過去ログではあまり引っかからなかったので、紹介します。内容としてはジュニア文庫の名にふさわしい平易な表現で、「適応的な進化」の大きな範囲にわたり、具体的な例を挙げて紹介しています。適度な薄さ(224ページ)なので、初心者にも十分読破可能だと思います。上記の授業での紹介によりますと、多くの動物の性比が1:1になるとなるという理論の説明に使われる図が秀逸だとか。
岩波書店:進化とはなんだろうか
「集団の進化」 大羽 滋(UPバイオロジーシリーズ:東大出版会)1991年
これは種分化に関する本と言うことで紹介します。このぐらいの薄さ(131ページ)で種分化に関する日本語で書かれたよい本はあまりないそうです。この本は、啓蒙書ではなく、教科書的な本ですが、その半分程度が種分化に関わる記述になっています。本文の2-5章が種の定義と種分化のしくみ、そしてその具体例、6, 7章は分子進化とその具体例となっております。分量が多くないので読み通すことに問題はないと思いますが、一般向けかといわれると少し苦しいですね。
種分化についてこういう感じの図が書かれた、一般向けの本は見たことがありません。初心者が種分化のイメージをつかむにはとてもよいと思うのですが。
>大学での進化に関する授業:
ほとんどありませんでした.教養の生物の講義で何時間かあったくらい.
wadjaは文系学生だったわけですが、なぜか教養で生物の講義をとりました。すっごく昔のことなんで詳しい内容は忘れましたが、進化論にかなりの時間を割いていたと思います。ただ、今となって振り返ってみると、担当教授が結構今西進化論の影響を受けていたような印象があります。
鳥の羽の構造の進化を題材として取り上げながら、進化の方向性に対する「種の意志のようなものに感動を覚える」とかなんとかそんなことを言っていたような。あまり真面目に出席もしていなかったのに、妙にその場面だけは記憶が鮮明に残っています。当時の文系学生wadjaは、受験の現代国語で小林秀雄や今西の文章には慣れ親しんでいたりしたので、結構違和感無く納得してました。
これが理系の人であれば、その後専門がかけ離れたものになったとしても、追加のインプットを受ける機会はいくらでもあるんでしょうが、文系の人間だとなかなかそういう機会もありませんしね。こういうのが、歳を取ってからトンデモに走る原因になったりするのかな?
総統が科学的ってなんだろうって疑問がまずあると考えられる為、僕が最近知識を得ている
ホームページを紹介してきましたが、大丈夫でしょうか?みなさんの目でも確認お願いでき
ないでしょうか?
http://www005.upp.so-net.ne.jp/yoshida_n/index.htm
ちょっとおもしろい事も取り扱っていますが、僕が見る所、ものすごくまともな人です。
紹介されて怒るような方だとは思わないので、上げておきます。
>日記読ませていただきました.が長いので2行しか読んでなかったり・・・(汗)
奇遇ですねぇ。私もです。
>ドーキンスの生物=生存機械論(あっ年が)が,私を進化論の世界に導いてくれたと考えてもよいくらいです.
奇遇ですねぇ。私もです。
もっとも、私がはじめて「生物=生存機械論」を読んだときには、すでに「利己的な遺伝子」(第2版)も出ていたはずだけど。
「生物=生存機械論」って邦題にした事で、訳者の日高氏が非難されたりとかもあったらしいのですが、個人的にはこの題にしてくれて感謝しています。私の性格上、「利己的な遺伝子」っていう題だったら、絶対に手にとらなかったと思うから。(「生物=生存機械論」を読んだときには、まだ機械論っていう言葉をよく知らなかったけど、知っていたら読んでいなかったかもしれない。)
ドーキンスが、しばしば彼の著作をまともに読んでいないであろうような人から的外れな批評をされるのには、「The Selfish Gene」なんて題をつけた彼自身にも責任があると思うのは私だけでしょうか?
>ドーキンスの「利己的遺伝子」(←今はこの名前だよね?)
おしい!「利己的な遺伝子」なんだなぁ。
もし「生物=生存機械論」しか読んでいないのでしたら、こちらも読まれるといいですよ。内容の変更はありませんが、章が2つ追加されています。でも、追加された内容はほとんどすべて「延長された表現型」にも書かれているので、そちらを読まれたならわざわざ読む必要はないかな。
ちなみに、うちの学科は進化論の授業もあります。まぁ、生物学科だから当然っちゃ当然だけど。
講義だけで進化学1コマ、生態学関係2コマ、分類関係4コマもあって、無駄に多様性生物学に力を入れています。これもこれで問題だと思う。(そのくせ、系統関係はまともな授業がないしぃー)
僕はNATROMさんと同世代ですが、まるで進化論を高等教育で勉強した記憶がありません。
僕自身ほとんど独学で本などを読んで知識を得ただけです。僕は科学系のTVや本が大好きなので、それらをかなり見ている為、小、中学校で進化論に対して予備知識が、ありました。
現在僕は分かってて、危ない本ばかりに手をつけているのでいいのですが、最初に出会った本が
おかしな本なら、ダーウィニズムはなかなか筋が通った意見だと考える事は、困難になるではな
いかとも考えられますね。
しかしU-kiさんの中途半端に勉強するくらいなら、しない方がましという意見も分からなくは
ありませんね。
最も僕もみなさんに言わせると、よく理解してませんけどね・・・。
(ドーキンスは、そんなにすごいのか。ちょっと前本屋いったら案の定ありませんでした)
またくだらない過去ログを増やしてしまいましたかね・・・。
>たまたま紀伊国屋で取ったドーキンスの生物=生存機械論(あっ年が)が,私を進化論の世界に導いてくれたと考えてもよいくらいです.
私はBOOKOFFの100円コーナーでドーキンスの「ブラインドウォッチメイカー」と「利己的な遺伝子」を偶然手に入れたのがきっかけ。当時はドーキンスのことも進化論も全く知らなかったので、カス本でもどうせ3冊で300円損するだけだと軽い気持ちで買ったんだよね。わはははは。今思うと幸運だった。同じコーナーにウィルス進化論とかトンデモ系もいっぱい並んでたんだよね。胡散臭かったので避けたんだが、一歩間違ってたら私もアッチの世界に行ってただろな。
それにしても「虹の解体」を持ってるのにファッショナブルディクショナリのevolutionの項目がわからなかったのは大チョンボだ。snailの意味がわからなくてね。NATROMさんのおかげでようやくわかった。バージェスの項目も、私の前の説明は間違い。彼の自伝が劇画的だとか、誰が言い出したか不明だがCIAのマインドコントロール実験に関わったとか、胡散臭い話を知っていたので、それと結び付けてしまった。今思うと悩むのに疲れて安易に結論を下してしまったんだな。反省します。
ちなみにバージェスの項目以外はNATROMさんの説明で正解。バージェスの項目は私がそのうち説明するわ。urbannetさんの解説も間違いだから信じないように。
私はまたまたコンなん買って家のPS2のコントローラーぶん投げて壊してしまうのであろうか?
日記読ませていただきました.が長いので2行しか読んでなかったり・・・(汗)
大学での進化に関する授業:
ほとんどありませんでした.教養の生物の講義で何時間かあったくらい.
たまたま紀伊国屋で取ったドーキンスの生物=生存機械論(あっ年が)が,私を進化論の世界に導いてくれたと考えてもよいくらいです.
あたしゃ,初めての進化論を読んだ上で,ドーキンスの「利己的遺伝子」(←今はこの名前だよね?)読んで,ジョン・メイナード・スミスの「生物進化8つの謎」を読めば大体理解出来るのだと思うのだが.しかしながらあまり興味が無いことにそれだけ労力がさけるかと言うとこれまた非常〜〜〜に疑問なわけで・・・
リンク先を見ても進化のことはナンにも書いてません.でもゲームは進化しました(爆)
http://www.gamecity.ne.jp/products/products/ee/new/smusou3/
U-kiさん(U-kiのメモ帳の03/01/04あたりから)
http://www.bekkoame.ne.jp/~taka_no6/diary/diary.html
のださん(近況報告の03/01/06あたりから)
http://nodananoda.hp.infoseek.co.jp/new.html
U-kiさん(総統とお呼びした方がいいのか?)の進化に関する疑問に、生物学の博士であるらしいのださんが答えるという流れ。のださんの一所懸命さには頭が下がります。のださんは私のサイトにリンクを張っているのだけれども、多分U-kiさんの疑問には答えられないのではないかと思われます。私のサイトの話題は、主に地球の年齢と進化が起こったかどうかについてであって、進化のメカニズムにはあまり触れられていないからです。ログにはいい情報もあるんだけど、どうでもいい情報に埋もれています。
進化生物学に関しての教育は、あんまりよい状況とは言えません。私の後輩の大学院生は、木村資生を知りませんでした。化学と物理で医学部を受験し、教養部を2年あまり、あとは医学の専門過程を4年間学び、研修医を経て大学院生になります。きちんと進化生物学を学ぶ機会は教養部のときぐらいしかありませんが、この頃って「単位さえ取れればいいや」状態の学生がほとんどです(私もそうだった)。下手したら、F助教授のような教官もいるわけで。
「創造論が科学的でないことぐらいわかるんだけど、ダーウィンの進化論には納得がいかない」という人に対するよいサイトってないものでしょうか。
河田雅圭著、Web版『はじめての進化論』
http://meme.biology.tohoku.ac.jp/INTROEVOL/index.html
ぐらいでしょうか。そういう人が勉強しようとして、中原英臣の本を買っちゃったりしたら、これはこれでまた問題なわけで。確かに簡単にわかりやすくは書けていますので、たくさん売れるのでしょう。ホント、中原英臣って、たくさん本を書いています。高校のときに習った進化論の知識、あるいは、中原などのちょっと怪しげな進化論本を読んだだけの知識だと、進化論には怪しいところがあると思っても当然なのかもしれません。
ご意見、ご要望がございましたら、掲示板か、 e-mail:natrom@yahoo.co.jpへどうぞ。