このファイルは、掲示板巡回ソフトのログファイルを元に再構成したものであり、投稿時の状態(フォントサイズ、文字の色、リンク等)をすべて反映しているわけではありません。
>個人の努力ではどうしようもないことでの選抜の是非は、合理的理由があるかどうかで考える事でしょうね。
私もそう思います。
遺伝マーカーを選抜基準として用いることに否定的な意見が多いのは、それに合理的理由が見いだされない、あるいは非常に希薄なためではないか、と推測しています。
で、ここから仮定の話ですが、もし遺伝マーカーの選抜への利用が合理的となるような、そのような遺伝マーカーが見つかったとしたら、その利用はOKでしょうか、NGでしょうか。
私はOKだと思いますが、みなさんはいかがでしょうか。
>ちょっと別の観点になりますが、一定規模以上の事業所は一定割合の障碍者を雇用しなければなりません。雇う方としては五体満足で頑健な者ばかりの方が楽ですし、可能性としてはその方が仕事の効率も高いでしょうけど。
>もし遺伝子検査でその人の能力が測られるようになったとしたら、社会としてはこのような対応も必要になるでしょうね。
そう思います。この制度自体への疑問点もないわけではありませんが、この点については遺伝マーカーもそれ以外も同列に語られるべきだろうと思います。
精度がよくない代理指標について、安賀須若人さんと比べて、私が寛容なのは、もしかしたら臨床にかかわった経験からかもしれません。臨床では、「精度がよくない代理指標」だらけです。コストがかからなければ、精度がよくない代理指標でもバンバン利用します。患者さんの性別、年齢、既往歴、喫煙歴、現病歴等を聞き、診察するのは、ほとんどコストがかかりません。次にどのような検査するのかの選別は、そこまでの情報から判断します。たとえば、患者さんが本当に大腸癌なのかどうか知るには、大腸の検査を行なう必要があります。でも、代理指標だけから判断して、大腸の検査をしなかったりします。この判断に影響するのは、代理指標の精度だけでなく、大腸の検査にかかるコストによっても決まります。(大腸の検査にコストがほとんどかからなければホイホイ行なうだろう。コストはお金だけでなく、検査に伴う患者さんの苦痛やリスクも含む。)
疾患に関係する遺伝マーカーの使用に関しても、遺伝子型の同定のコスト次第では、代理指標として利用することには抵抗はありません。「家族歴よりは少しはマシ」という気持ちで代理指標の一つとして採用すればいいのです。大腸の検査を行なうか否か迷ったときにに、便潜血などと同じように大腸癌に寄与する遺伝子を調べることができるのは便利でしょう。便潜血が陽性だからといって大腸癌というわけではないし、便潜血が陰性だからといって大腸癌が否定できるわけでもありません。同様に、遺伝子検査が陽性だからといって大腸癌だというわけではないし、陰性だからといって大腸癌が否定できるわけでもありません。しかし、便潜血と遺伝子検査が陽性だから大腸の検査をしましょう、とかいう判断には使えるわけです。本当に有用かどうかはスタディによって確認する必要はありますが、疾患によっては有用な遺伝マーカーが存在する可能性は十分あります。
以上の主張は、安賀須若人さんの意図とは離れたものだろうと思います。医師の診断と、性格の判断は異なりますから。ただし、個人が他人を性格を判断する際にも、精度がよくない代理指標を用いていることは十分ありえます。初対面の人に性格テストを行なうわけにはいきません。そもそも性格なんて、性格テストでだって十分にはわからないと言えます。
>ヒトの利他行動の進化的起源はどの位さかのぼれるのでしょう?
>もしも利他行動遺伝子をヒトと共通して持つ動物(チンパンジー?)がいるなら
>それを素材にして逆遺伝学的手法で利他行動遺伝子を同定できるかもしれませんね。
>それから、極端な利己的性格にもしも遺伝的素因があるのなら
>その遺伝的素因とは「利他行動遺伝子」の欠損かもしれないな、と
>勝手に想像したりもしています(^^)。
過去のトピックスにある、FOXP2が言語の獲得に関与したことを示唆する研究のような手法は使えると思います。
人間だけが言語を持つ理由はこの遺伝子に由来か 独研究 (CNN)(元記事へのリンクは切れていますが)
http://doko.totto.to/~tosakai/topics.html#0029
(1)言語の習得が難しい家系を用いて、遺伝学的手法によって、FOXP2の突然変異が関与していることを同定。
(2)種間の比較で、ヒト系列のFOXP2が正の自然選択を受けたことを推定。
どちらか片方だけでは、進化の過程でFOXP2が言語の獲得に関与していたことを示唆する証拠には不十分です。【(1)(2)だけで十分なのか?と言われたら、十分ではないけれども、示唆するとぐらいは言えると思う。】ポイントは、ある形質に寄与する遺伝子を同定するために他種を利用するならば、ある形質を共通して持たない種が比較のために必要だ、ということです。言語や大きな大脳や二足歩行に寄与する遺伝子のほうが、利他行動よりは同定できる見込みが大きいと思います。
>性格検査よりも遺伝マーカーの方の精度が良いのなら
>参考資料にすることに私は反対いたしません。
遺伝マーカーはやや精度がおちるものの、性格検査よりも格段にコストがかからない場合はどうでしょうか?(例えば、スキルをつんだプロの面接官が半日かけて面接した結果のほうが精度はいいけれども、仮にある遺伝マーカーがその結果と強く関連しているような場合。被験者は、遺伝子スクリーニングについて十分な説明を受け、同意している)。
#そんな便利な遺伝マーカーが存在する可能性はきわめて低い、というか、存在しないということが広く知られればそれで十分だと思います。
また、現在参考資料として採用されている性格検査より精密な新しい性格検査法が開発された場合に、従来の方法を使用し続けることは妥当ですか?新しい性格検査法にコストがかかり過ぎるのであれば、あまり精密とは言えないことを自覚して従来の方法を使用してもよいと思います。
> (1)ある遺伝型を持つ人はYG性格検査で内向性のスコアが低い。
> (2)YG性格検査で内向性のスコアが低い人はスリルと冒険を求める傾向が強い。
> (3)よって、ある遺伝型を持つ人はスリルと冒険を求める傾向が強い。
> しかし、(1)(2)が正しいとしても、必ずしも(3)が正しいとは限りません。
>ということです。
そもそも、(2)を示すスタディは設定上、不可能なのではないでしょうか?(2)はスタディで証明するような性質のものではなく、定義に近いのではないでしょうか。
「DRD4の特定のアリルを持つ人は新規性追求傾向が強い」
といった類の主張もNGということになりませんか。もちろん正確に言えば、「DRD4の特定のアリルを持つ人は質問紙でのNovelty Seeking Scaleが高い傾向にある」ということに過ぎません。「Novelty Seeking Scaleが本当に新規性追求傾向を反映しているのか」という議論は可能ですが、それは(2)の妥当性を問題にしているのであって、「(1)(2)が正しいとしても、必ずしも(3)が正しいとは限りません」と言えるだけの根拠にはならないと思います。
(1)特性Cの物は測定法Aの値が低い。
(2)測定法Aの値が低いことをもって、性質Qの傾向が強いと定義する。
(3)よって、特性Cの物は性質Qの傾向が強い。
という主張は必ずしもNGではないと思います。(2)の定義が妥当かどうか常に気にかけている必要はありますが。(IQと知能なんて、その最たるものですが。)
また、測定法Aと比較して特性Cを調べることがコストがかからないのであれば、場合によっては、特性Cをもって測定法Aの代わりにすることは妥当だと思います。妥当かどうかは、目的、かかるコストの差、特性Cがどの程度強く測定法Aと関連しているのか、などに依存します。
かつて私が「後頭部をガツンと」叩かれるほどのインパクトを食らった指摘に
「才能だとか感性だとか言ってる人は、それだけでクリエイターになれません」
と言い切った、ある非常勤講師(正体は現役有力クリエイター)の言葉があります。
単に社会が持つ「お仕着せの平等」として、男女の雇用均等とか、障害者採用基準とか、
そういうモノには不穏な印象を受けます。プライドのない社会というか・・・単に女性だから
「帳尻合わせ」として採用されるとか、能力如何に関わらず「制度として」席を得ることに
なんの意味があるんだろう?と思います。(もちろんそればかりではありませんが)
同時に、その職業などに比類なき能力を持っている人材があるのに「制度が許さない」として
採用されない事実にも疑問符ですが、だからと言って闇雲に門戸を開くことが解決策になる
とは思えません。当たり前ですが、臨機応変に対応できる柔軟なシステムこそ大事ですね。
(つまり、採用者の能力が低いということかも知れない)
これが遺伝子マーカなどの「目に見えないもの」を基準として取り入れた場合、一番怖いのは
そうした「採用する側の無能さ」が余計にいやらしく露見するのでは?という危惧ですね。
結局、デザイナーや画家や作曲家に「センスとか才能」が最需要と思われていることと同じ
次元なんだろうなぁ・・・もちろん、不要ではないですが、それ以上に必要なのは徹底的な経験
なんですけどね♪そして、その経験を積むのは「門戸を開くこと」ではなく、あくまで自分を
磨こうというモチベーションに委ねられると思うのです。
おおまるで、デフォーの映画のような話ですね。
僕は似たような話ですが、ディックの未来からやって来た超能力者が、
大統領に核戦争を止めるように直談判する話が好きですね。
でもこりゃさすがに遺伝子では無理か・・。
>変更不可能で個人の努力でいかんともしがたいという性質でありながら選抜に使われているものって結構ありますよね。パイロットの視力とか、スッチーの身長とか、たまごちゃんの言う新弟子検査における身長、体重とか。これらも問題があると思いますか?私は多少の嫌悪感はありますが、仕方がないかなあ、と考えています。
自動車運転免許取得には一定の視力は不可欠です。パイロットも同様でしょう。
スッチーの身長は審美的観点からではなく、保安要員としてある程度の身長が必要だとされているためです(審美的な理由も否定できないとは思いますが)。
力士の新弟子検査は最近基準が緩和されました。
個人の努力ではどうしようもないことでの選抜の是非は、合理的理由があるかどうかで考える事でしょうね。就職での年齢制限や男女の区別も、かつてはしかたないと思われていた部分もあったとは思いますが、今は変わってきています。
ちょっと別の観点になりますが、一定規模以上の事業所は一定割合の障碍者を雇用しなければなりません。雇う方としては五体満足で頑健な者ばかりの方が楽ですし、可能性としてはその方が仕事の効率も高いでしょうけど。
もし遺伝子検査でその人の能力が測られるようになったとしたら、社会としてはこのような対応も必要になるでしょうね。
安賀須さん、NATROMさん、ごぶさたです。
ずっとROMっていましたが、おもしろそうな話題なので参加させて下さい。
あまり頻繁にレスは出来ないかもしれませんが。
>安賀須さん
>もしも性格検査で性格が厳密に測定できるのなら、
>参考資料ではなく採点内容に組み込むべきです。
>性格検査よりも遺伝マーカーの方の精度が良いのなら
>参考資料にすることに私は反対いたしません。
ここでいう厳密、精度というのはどの程度を指しますか?
以前の投稿では
>100%の予測ができない遺伝マーカーによって
>知恵遅れのレッテルを貼ることに反対するというものです。
とありましたが、100%厳密に測定できる指標が果たして存在するでしょうか。
たとえば、人物試験では一般的に面接、性格検査、履歴書(内申書)等から判断していますが、どれ一つとして性格を厳密に測定できる物はありません。
知恵遅れの話でもそうですが、現在の診断法でも知恵遅れを正確に診断できているわけではありませんよね。
また、参考資料と採点内容の線引きをどのようにしますか?
このラインはどの程度その指標を重要視するかというかなりアバウトなものだと思いますが、いかがですか?
で、現在の私の考えを述べますと、基本的に「厳密に測定できるならOK」という安賀須さんの基準に賛成ですが、OK/NGラインは本質的に区別できるものではなく、程度問題として考えるべきではないか、ということです。
遺伝マーカーを指標として用いていいかどうかという問題は、他の指標の問題と同列に考えて構わないのではないかと考えています(本当にいいのか、という気もするけど)。
>NATROMさん
>むしろ、変更不可能で個人の努力でいかんともしがたいという性質のほうが重要なのでは?あくまで仮定の話ですが、会社に貢献するか否かを、性格検査よりもずっと精密に予測できる遺伝マーカーがあったとしても、遺伝マーカーを参考資料にするのは問題なのではないでしょうか?(むろんそんな遺伝マーカーなど実際には存在しないでしょうが。)
変更不可能で個人の努力でいかんともしがたいという性質でありながら選抜に使われているものって結構ありますよね。パイロットの視力とか、スッチーの身長とか、たまごちゃんの言う新弟子検査における身長、体重とか。これらも問題があると思いますか?私は多少の嫌悪感はありますが、仕方がないかなあ、と考えています。
フィリップ・K・ディックと言えば『パーマー・エルドリッチの三つの聖痕』を以前に読みました。なかなか面白かったです。
この本にウィリー・デンマルク博士のE療法というものがでてきます。
これは進化の速度をコントロールするクレジー氏線を刺激し、一気に進化するというもので、焦熱期の地球の環境に適応するためキチン質の皮膚を持ち、知能においても進歩するためフーセンのように頭が膨らみます。こんないやーな進化を、たった数回の治療で遂げてしまうという凄まじさ!!
進化を小道具にしたSF本も色々ありますが、ここまで変なのは無いんじゃないでしょうか。
それにしても2chの軍事版ではディックの「高い城の男」が仮想戦記の傑作だと評判らしい.
読んでみようと思っているのですが手に入らない…。
追記:ミニOFF会で次のSF本が欲しい方、言ってくだされば差し上げます。表紙がボロボロのせいで古本屋で買取拒否されてしまったので。
ジェイムス・P・ホーガン 「断絶への航海」
フィリップ・K・ディック 「パーマー・エルドリッチの三つの聖痕」
>遺伝学的な手法では、集団中に多型あるいは突然変異がない限り検出できませんので、「利他行動遺伝子」の同定はきわめて難しいと思います。(中略)同様の理由で「利他行動遺伝子」に限らず、強い選択圧がかかっている(いた)遺伝子は遺伝学的手法では検出困難です。
ヒトの利他行動の進化的起源はどの位さかのぼれるのでしょう?
もしも利他行動遺伝子をヒトと共通して持つ動物(チンパンジー?)がいるなら
それを素材にして逆遺伝学的手法で利他行動遺伝子を同定できるかもしれませんね。
それから、極端な利己的性格にもしも遺伝的素因があるのなら
その遺伝的素因とは「利他行動遺伝子」の欠損かもしれないな、と
勝手に想像したりもしています(^^)。
>しかしそれならば、人物試験の参考資料として性格検査を使用することもNGなのではないでしょうか。性格検査は性格を厳密には反映してはいません。
もしも性格検査で性格が厳密に測定できるのなら、
参考資料ではなく採点内容に組み込むべきです。
>選抜するのではなくあくまで参考資料としての利用ならよい、というのであれば、「仮に何らかの遺伝マーカーと性格の間に強い関連があった」場合に、「遺伝マーカーで直接評点するのではなく/人物試験における手掛かりとして参考資料にする」ことはどうでしょうか。
性格検査よりも遺伝マーカーの方の精度が良いのなら
参考資料にすることに私は反対いたしません。
代理指標の問題に関しては、もう少し説明しておきます。
ある性質があるとして、その性質をQとしましょう、
(分かりにくければ一般の物理量を考えて下さい)
その性質を計測する手法が提案されているが
現在得られている最良の方法である計測法Aであっても
性質Qの尺度としては必ずしも満足できない
ということはよくあることです。
そのような場合には、
性質Qとは異なるカテゴリーに属するある特性Cと
性質Qの関係を調べようとしても
それはCとQの関係ではなく、
CとAの値との関係しか調べることができません。
この場合には次のように推論することはNGでしょう。
(1)特性Cの物は測定法Aの値が低い。
(2)測定法Aの値が低い物は性質Qの傾向が強い。
(3)よって、特性Cの物は性質Qの傾向が強い。
良くご存知のように、
(3)を直接示したスタディが必要なのに、
設定上、スタディが不可能だからです。
NATROMさんの文章を借用すれば、
(1)ある遺伝型を持つ人はYG性格検査で内向性のスコアが低い。
(2)YG性格検査で内向性のスコアが低い人はスリルと冒険を求める傾向が強い。
(3)よって、ある遺伝型を持つ人はスリルと冒険を求める傾向が強い。
しかし、(1)(2)が正しいとしても、必ずしも(3)が正しいとは限りません。
ということです。
代理指標の問題は、
人種とIQと知能の関係についも同様です。
遺伝子決定論の問題はまた後日。
> ディックの小説に警察が予知能力者を使って事件が起きる前に犯人を逮捕すると
いうのがあったな。
んじゃ、予知能力者が予知した事件はどうなっちゃたの?
というツッコミをとりあえずいれてみよう。
ディックの小説に警察が予知能力者を使って事件が起きる前に犯人を逮捕すると
いうのがあったな。本人はまだやっていない(場合によっては思いついてもいない)
犯罪で逮捕されるのだが、被害者予備軍はもちろん加害者予備軍も犯罪を犯さなくて
済むのでハッピーという大義名分が出てきたような。
ディックは未来を予知したのだろうか。
>Human Genomeマップを見ているとDRD4の方が採用されていますから、
>そのままでもよろしいのでは。
ああ、ホントだ。鬱だ。
>いわゆる「利他行動遺伝子」について、
>利他行動と強く関連する遺伝子または遺伝マーカーが
>ヒトゲノム上に同定できるのだろうかという疑問も沸いてきます。
遺伝学的な手法では、集団中に多型あるいは突然変異がない限り検出できませんので、「利他行動遺伝子」の同定はきわめて難しいと思います。ある利他行動が突然変異と自然選択によって進化してきたとして、もはや利他行動を起こさない対立遺伝子が既に遺伝子プールから淘汰されていれば、どの遺伝子座がその利他行動に寄与しているかは、遺伝学的手法では同定不可能です。同様の理由で「利他行動遺伝子」に限らず、強い選択圧がかかっている(いた)遺伝子は遺伝学的手法では検出困難です。
>私が代理指標を承認しないのは、
>価値判断に基づく序列化を行う場合には、
>価値評価を厳密に反映しないようないかなる代理指標による選抜も
>認めないという立場だからです。
しかしそれならば、人物試験の参考資料として性格検査を使用することもNGなのではないでしょうか。性格検査は性格を厳密には反映してはいません。選抜するのではなくあくまで参考資料としての利用ならよい、というのであれば、「仮に何らかの遺伝マーカーと性格の間に強い関連があった」場合に、「遺伝マーカーで直接評点するのではなく/人物試験における手掛かりとして参考資料にする」ことはどうでしょうか。
↑もちろん、私が遺伝マーカーを参考資料にすることを承認しているわけではありません。「価値評価を厳密に反映しない代理指標だから」というのは十分な理由になっていないのではないか、と感じたのが質問の理由です。むしろ、変更不可能で個人の努力でいかんともしがたいという性質のほうが重要なのでは?あくまで仮定の話ですが、会社に貢献するか否かを、性格検査よりもずっと精密に予測できる遺伝マーカーがあったとしても、遺伝マーカーを参考資料にするのは問題なのではないでしょうか?(むろんそんな遺伝マーカーなど実際には存在しないでしょうが。)
>複数の遺伝マーカーを使うことによって、
>ある人の未来が実用的なレベルで予測できるというのは
>かなり「強い」遺伝子決定論的な考え方だと思いますが
>いかがでしょう?
糖尿病や高血圧については難しいでしょうが、特定の疾患については十分実用的なレベルで予測可能なものもあるだろうと思います。現実にどうかというのはともかくとして、仮に何らかの遺伝マーカーがある疾患の発症をそれなりに予測するのであれば、より精密に予測する別の方法があったとしても、コストその他の理由で遺伝マーカーを使用するのが有意義な場合もありうる、というのが言いたかったことです。
そもそも、「強い」遺伝子決定論的な考え方をしないというのであれば、「仮に何らかの遺伝マーカーと性格の間に強い関連があったとしても/その遺伝マーカーで人の性格を判断することに問題はありませんか?」という安賀須若人さんの問題提議は意味をなさないのではないでしょう。おそらくは糖尿病の発症予測を遺伝子で行なうことは現実には難しいけれども、「仮に何らかの遺伝マーカーと糖尿病の間に強い関連があったとしたら」、その遺伝マーカーを使用してよいのかどうか考察しているのです。100%正確でなくったって、100%正確でないことを自覚しておけば、遺伝マーカーの使用は認められることだと私は考えます。誰がどのように利用するかが問題なだけで(企業の採用試験に使用するのは100%正確であろうとなかろうとNGだろう)。
> 誰が何を危惧しているから、誰が何を止めるのですか?
> ジュングスト教授が、FBIが遺伝子データベースを用いて要注意人物をマークすることを危惧す> るということですか?だとしたら、倫理学者の彼に、遺伝子のデータベース化や解析、FBIがそ> れらを利用することを止める力があるようには思えないのですが?
おっしゃられているジェングスト教授の事です。
あう、危惧していても危惧していると言うだけでせいっぱいなんですね・・。
> 私も、犯罪傾向になんにしろ、また遺伝的なものでもそうでなくても、自分に関することは出来> るだけ知っておきたいです。(何を知らされても、受け止める自信があるし)
DNAの事で死に関する情報があるとしたら、僕は知りたくありませんね。
軽い病気程度ならいいけど致命的な病ならば、まったく知りたいと思いません。
やっぱりばったと突然死にたいです・・。
>いやー、実話だったんですね。
いや、ググって見つけただけだから、私はリンク先の信憑性を保証できませんよ(無責任でゴメン)。第一、リンク先は、可能性があるっていっているだけのような・・・。(↓)
>もしデータベース化とその解析が進めば、事件発生以前に要注意人物としてマークする可能性があるのだ。
>しかしよくわからん・・教授が言ってましたが、危惧するなら
>止めればいいのに。
誰が何を危惧しているから、誰が何を止めるのですか?
ジュングスト教授が、FBIが遺伝子データベースを用いて要注意人物をマークすることを危惧するということですか?だとしたら、倫理学者の彼に、遺伝子のデータベース化や解析、FBIがそれらを利用することを止める力があるようには思えないのですが?
>僕は賛成ですけどね。犯罪者は悪い奴なんだし、
私は賛成できませんね。とりあえず、個人が犯罪を犯すリスクを判断するのに使えるような遺伝子が特定できたと仮定して話をすすめましょう。(本当に仮定していいのかなぁ?)
「犯罪者は悪い奴」は私はそうとは考えないのですが、とりあえず同意します。犯罪を犯す可能性が非常に高い遺伝子を持っていたとしても、犯罪を犯していない人は犯罪者ではないし悪い奴でもないですよね。たとえ、そうすることによっていくつかの犯罪を未然に防げるのだとしても、犯罪を犯してもいない人を、犯罪者予備軍としてマークすることは人権侵害なのではないでしょうか?しかも、(最初の仮定をはずして)実際には、遺伝子と犯罪の可能性の相関関係はほとんど、または全くなかったとしたら?
>僕がもしその遺伝し持ってたらマークはいやだけど、いろいろ
>注意したいと思いますね。
私も、犯罪傾向になんにしろ、また遺伝的なものでもそうでなくても、自分に関することは出来るだけ知っておきたいです。(何を知らされても、受け止める自信があるし)
しかし、犯罪傾向の高い遺伝子を持っていることを本人に告知することは、もしもその人が遺伝子決定論的な考え方を持っていたりしたら、不要な絶望感を与えることにもなりかねません。また、PDX.さんやT8848さんが刑事責任の話をなさっているように、逆に犯罪の言い訳につながることもあるでしょう。
倫理問題は難しすぎて私には手におえないや・・・(w
>TOPページがあるとよかったのですが、なんのHPだったん
>だろう・・
アドレスで見るかぎりでは講談社関係のサイトっぽいですね。
ABO FANの主張は,手前勝手な議論の典型でしょう.なぜあそこまで血液型性格関連説を信仰できるのか?超常現象といえるかもしれません.ABO FANの著者は,大学で心理学でも学ばれたら宜しかろう.
いやー、実話だったんですね。
しかしよくわからん・・教授が言ってましたが、危惧するなら
止めればいいのに。
僕は賛成ですけどね。犯罪者は悪い奴なんだし、僕がもしその
遺伝し持ってたらマークはいやだけど、いろいろ注意したいと
思いますね。
TOPページがあるとよかったのですが、なんのHPだったん
だろう・・・。
なんだか、難しそうな話ばっかりで、17歳向けじゃないなぁ。しかも、同根ではあるものの、微妙に違う問題が入り乱れていますね。
(性格や能力に関わる)遺伝マーカーの利用はどこまで許されるのか。
D4DR多型と性格との相関の妥当性
遺伝子決定論
遺伝子に基づいた刑事責任能力の判断の是非
犯罪捜査でのDNA鑑定の利用の是非
遺伝子データーベースを利用した要注意人物のマークの是非
大体これくらいの話が並行してなされているのかな?全部には参加できないけれど、どれに参加しよう・・・。
遺伝子決定論について
性格や能力も含めた個人の性質は、遺伝子の影響も当然受けますが、遺伝子だけによって決定されるわけではありません。これは一卵性双生児が同じ姿や性格にならないことでも明らかです。遺伝子決定論は、個性に遺伝は関係しないという考え方や環境決定論が間違っているのと同様に、間違っています。遺伝子は受け継いでしまったら変える事が出来ないから特別だと考える人いるでしょうが、それを言うのならば、一旦受けてしまった教育だって、無かったことには出来ません。
以上のことは、この掲示板に出入りしている方々にとっては当たり前すぎて、わざわざ書いている私がバカに見えるくらいだろうと思いますが、世間で広くコンセンサスが得られているかというと、そうでもないように思います。ドーキンス(もしかしたら違ったかも)の著作の中に、男女の遺伝子に違いがあることを聞いて、絶望してしまった女の子の話が出ていました。自分の遺伝的傾向を知ると、遺伝子決定論的な発想に基づき絶望してしまう人も、少なくはないのではないでしょうか?
私は基本的には、遺伝マーカーでも他の個人情報と同様、個人が自分の良識の範囲内で管理、利用するのが好ましいと考えます。しかし、DNAなどに関する正しい知識(専門家なみの詳しいものである必要はない)がなければ、良識の働かせようがないのかもしれません。
だったら、正しい知識を広めりゃいいんだけど、誰が広めるんだろう?NATROMさんのおっしゃる通りなら、研究予算がほしい遺伝屋さんは、期待できなさそうですし。
性格に関する遺伝マーカーの個人での利用について。
糖尿病患者の多い家系などで、発病を予防するための食事制限をするかどうかの判断に、本人(子どもの場合は親)が遺伝マーカーを用いるのはたぶんOKですよね。では、犯罪傾向など、性格と関連のある遺伝子マーカー(相関性がきちんと確認されたとして)を、子どもの教育方針の参考に用いることはOKでしょうか、NGでしょうか?私はなんとなくNGっぽい気がしながらも、取り合えず判断を保留している(こういう問題に直面しているわけではないし)のですが、もしNGだとしたら、糖尿病の場合とはどこが違うのでしょう?
>T8848さん、
相撲の新弟子検査とかでは、実際に身長での足切りをしますよね。
将来、新弟子検査に遺伝マーカーが導入・・・・伝統を重んじる相撲協会ではそれは無いかな?
>いったいどこまでが「良識」に従っているといえるのか、あるいはどうやってそれを判断すればよいのか、私はまだ整理した考えをもっていません。安賀須若人さんとの対話ですこしは考えが整理できればよいのですが。
もしもお役に立つのであれば望外の幸せです。
>(DRD4ではなくD4DRでした。訂正します。)
Dopamine D4 receptorについてですが、
Human Genomeマップを見ているとDRD4の方が採用されていますから、
そのままでもよろしいのでは。
医学関係の略語は分野間の統一性が取れていなくて、
同形異義語や異名が結構あるようですから
(以前DBRCTさんが紹介されていましたね)
D4DRでもDRD4でも良いのでしょう。
>ここで話している、性格やそのほかの複雑な形質と強く関連している遺伝マーカーは、すべて仮定であって、そのような遺伝マーカーが存在するか否かもわかっておらず、多くの場合はむしろ存在しなさそうであることを念頭においてください。
それはそうなのだろうと思います。
このことから、行動生態学で仮想されているような
いわゆる「利他行動遺伝子」について、
利他行動と強く関連する遺伝子または遺伝マーカーが
ヒトゲノム上に同定できるのだろうかという疑問も沸いてきます。
>多重検定によるタイプ1エラーの最後の2パラグラフで「血液型性格判断と、遺伝学などの科学との違いはどこにあるのか」について、簡単ですが述べています。
もしも誰かがきちんとスタディした場合に、
学説として認められるのに必要なハードルがどのくらいか、というあたりを
分かりやすく説明する素材にならないかな、と思った次第です。
DRD4と新規性追求傾向の関係が否定されるのだとすれば、
それはそれで遺伝学の実際みたいなケーススタディで興味深いかもしれません。
>#以前指摘しましたが、おそらくはゲノム関係に予算を出させたいという動機で、かなり遺伝子決定論的な主張がなされることもあり、そういった主張はもはや科学よりも疑似科学的な範疇に属すると私は考えます。
科学者の言説に疑似科学的なものが混入していることを
どのように考えていくかは重要な問題だと思います
>表現型が遺伝マーカーの検査と独立に測定できたとしても、表現型の測定に時間やコストがかかる場合には、遺伝マーカーはあくまで傾向に過ぎないことを自覚した上で遺伝マーカーを代理指標にすることは、必ずしも否定できないと思います。
私が代理指標を承認しないのは、
価値判断に基づく序列化を行う場合には、
価値評価を厳密に反映しないようないかなる代理指標による選抜も
認めないという立場だからです。
わかりやすい例で言うと、
仮に知恵遅れの認定をするのであれば
本当に知恵遅れかどうか判断すべきなのであって
100%の予測ができない遺伝マーカーによって
知恵遅れのレッテルを貼ることに反対するというものです。
100%正確であれば承認しますし、
公衆衛生的なモデルを構築する際の推定材料に使うことまでは
否定しません。
>具体的には例えば、将来の糖尿病の発症を予測する際に、仮に、糖負荷試験の方が精度が高くても、複数の遺伝マーカーを組み合わせた方法が安く簡便に予測できるのならそちらを使用することだってありうる、というようなことを想定していました。
複数の遺伝マーカーを使うことによって、
ある人の未来が実用的なレベルで予測できるというのは
かなり「強い」遺伝子決定論的な考え方だと思いますが
いかがでしょう?
>それから、質問紙による性格調査の結果を人物試験の参考資料とするのにも、問題があるように私は思うのですが、どうでしょうか。
私は人物試験というものを認める限り問題ないと思います。
大学入試でも人物評価は行われているようですし、
その中では責任感や誠実さといったものの評点も行われているようです。
また、医学部の入学試験に人物評価を導入すべきという声も強いですし、
他者への共感的理解を欠いた人や自己の言動に責任感を欠く人は
医師に相応しくないという意見は社会的な合意を得やすいでしょう。
そのような社会的合意の下で人物試験というのが行われ、
質問紙による性格検査がその種の性格を精度よく測定することができるなら、
性格検査を利用することには問題ないのではないかと思います
性格検査が正確でないということに関しては、
それで直接評点するのではなく、
人物試験における手掛かりとして参考資料にするという扱いであれば
問題はないだろうというのが私の立場です。
もちろん「性格というものが存在しない」ということであれば
人物を評価するということ自体が問題でしょう。
うだうださんが紹介なさっているサイトの元ネタって、もしかしたらここなのかも。私もググって見つけたし。
http://kodansha.cplaza.ne.jp/hot/genome/cap1_3/1_3b.html
>もしそうであるなら、血液型性格判断とどこが違っているかを示すことは
>科学と疑似科学の差を明らかにする上で、
>格好の素材になるように思うのですが、いかがでしょうか。
これはもちろんそうです。D4DRとnovelty seekingのように議論の余地があるものから、かつてのABO血液型と疾患の相関のように「結局はタイプ1エラーだった」と考えられているものまでありますから。多重検定によるタイプ1エラーの最後の2パラグラフで「血液型性格判断と、遺伝学などの科学との違いはどこにあるのか」について、簡単ですが述べています。
#以前指摘しましたが、おそらくはゲノム関係に予算を出させたいという動機で、かなり遺伝子決定論的な主張がなされることもあり、そういった主張はもはや科学よりも疑似科学的な範疇に属すると私は考えます。
>>表現型が遺伝マーカーの検査と独立に測定できるかどうか、という点もあまり重要ではないと思います。
>そのような「強い遺伝子決定論」に与しないであろうNATROMさんが
>「あまり重要でない」とお考えになる理由が知りたいです。
表現型が遺伝マーカーの検査と独立に測定できたとしても、表現型の測定に時間やコストがかかる場合には、遺伝マーカーはあくまで傾向に過ぎないことを自覚した上で遺伝マーカーを代理指標にすることは、必ずしも否定できないと思います。具体的には例えば、将来の糖尿病の発症を予測する際に、仮に、糖負荷試験の方が精度が高くても、複数の遺伝マーカーを組み合わせた方法が安く簡便に予測できるのならそちらを使用することだってありうる、というようなことを想定していました。他に薬剤アレルギーの有無など。
血液型と性格の関連であれば、肯定論者の言い分では、人と付き合う際に血液型別の性格の傾向を知っていればうまくいくというわけです。付き合っていけば血液型なんて知らなくても性格はわかってくる(=遺伝マーカーと独立して表現型を測定できるが時間がかかる)としても、もし血液型と性格に強い関連があり、かつその人が血液型の情報を開示しているのであれば、その情報を利用することは必ずしも悪いとは言えないように思います。
↑とか書きましたが、やっぱり問題があるような気もしてきました。「表現型が遺伝マーカーの検査と独立に測定できるかどうか」ではなく、「性格」に関連するから問題があると感じるのかなあ?それから、質問紙による性格調査の結果を人物試験の参考資料とするのにも、問題があるように私は思うのですが、どうでしょうか。
>NGといえないでしょうが、手放しでOKとは言い難いと思います。
むろん、場合によるであろうとは思います。ご指摘の犯罪的な性格のマーカーは問題がありそうですが、どのような性格に関しても、「性格が遺伝マーカーの検査と独立に測定できるものである限り、ある遺伝マーカーを性格の代理指標にすることは承認できない」と言えるのでしょうか。
>どんな知識でも「良識に従って」利用することが要請されていると思います。
>問題になるのは「良識」とかで簡単に判断できない領域です。
>「性格」ならともかく「能力」に関係する遺伝子あるいは遺伝マーカーの場合は、
>単純ではなくなってくると思います。
これはご指摘の通りだと思います。いったいどこまでが「良識」に従っているといえるのか、あるいはどうやってそれを判断すればよいのか、私はまだ整理した考えをもっていません。安賀須若人さんとの対話ですこしは考えが整理できればよいのですが。
>DRD4多型と性格との間には強い関連があるという学説は
>確立されたものなのでしょうか?
D4DRに関する議論を全部追っかけているわけではありませんが、私は懐疑的です。少なくとも、当初の報告ほど、強い相関があるとは言えないと思います。(DRD4ではなくD4DRでした。訂正します。)
再現性はなかったという報告もある
http://merlin.psych.pitt.edu/html/faculty/abstracts/pogue-geile_m_1998a.html
疾患と関係する遺伝的多型もそうですが、少数の例外(HLAなど)を除けば、個々の遺伝子の複雑な形質への寄与は小さいものです。いろいろ報告されている疾患と遺伝的多型の相関も、かつてのABO血液型と同様に、かなりのタイプ1エラーを含んでいると考えられます。(「だったらお前のやっていることはどうなんだ?」と言われるので、あまり大きな声では言えない。「みんながいろいろ調べて一致すれば信じて、それまでは自分のやっていることも含めて懐疑的になればいいだけ。タイプ1エラーかもしれなくったって報告しないと話が進まない。[だから早く論文を書け]」というようなことをボスは言っております。)ここで話している、性格やそのほかの複雑な形質と強く関連している遺伝マーカーは、すべて仮定であって、そのような遺伝マーカーが存在するか否かもわかっておらず、多くの場合はむしろ存在しなさそうであることを念頭においてください。
なんか結構笑えたもので(^_^;
http://www.watch.impress.co.jp/pc/docs/2002/1105/efront.htm
実用性を信用していいものかどうか……(笑)
>さてしかし、たとえば身長がある程度遺伝子によって決定づけられるとして、その「傾向」に
>逆らって平均より高い身長を獲得した人は「より努力をした」という評価になるのかな?
>単に遺伝マーカーによって評価を行なうのではなく、少なくともそうした傾向に対して
>後天的な行動がどれだけ反映されたかを見るべきでしょうねぇ。
背を伸ばすための行動じゃなくて、背が高くないにもかかわらずどれだけ活躍したか(活躍するためにどんな行動を取ったか)を見るべきでしょうね。
>「これこれこのような星の周りの影響で被告は過失を犯したが、これは被告の自由意志に基づくものではないから減刑すべきである」
弁護の理由にできるものが増えると勝つ確率が高くなり、つまりは弁護士は儲かる、と。
たしか犯罪を「先天的な性格傾向のためであって本人の責任ではない」という主張がされたと聞いたことがあります(どういう事件だったか、判決はどうなったかは忘れました)。
今後こういう主張は増えるでしょうね。
たしかアメリカの極々一部の弁護士が、ホロスコープを法廷資料として提出できるような日が来ることを望む、として運動をしてたんじゃなかったかな。
「これこれこのような星の周りの影響で被告は過失を犯したが、これは被告の自由意志に基づくものではないから減刑すべきである」
とか主張するんでしょうかね。
血液型であれそれ以外の遺伝子による決定論とかは、上のような事例に使われてしまいそうな気がして嫌です。個人的には。
私ももちろん専門家じゃないけれど、結局「運命論・決定論」的な論理が働くことの
肯定/否定なんでしょうねぇ。私の性向としては運命論をすごく嫌いますが、実際には
「医者の家に生まれた人が医者にならないと、あらもったいない、とか言う」ようなことを
しているのも事実です。また、好むと好まざるに関わらず、遺伝マーカーを使った
「人間の選別」は、ある程度行なわれることになると予想しています。
そして恐らく、ほとんどは「インチキなとんでも」論拠による「遺伝子ビジネス」が
残念ながら発生するんだろうなぁ・・・悲観的ですみません。
さてしかし、たとえば身長がある程度遺伝子によって決定づけられるとして、その「傾向」に
逆らって平均より高い身長を獲得した人は「より努力をした」という評価になるのかな?
単に遺伝マーカーによって評価を行なうのではなく、少なくともそうした傾向に対して
後天的な行動がどれだけ反映されたかを見るべきでしょうねぇ。
>>しかし、このひとつひとつのパラメータって多元じゃないでしょうかね。特に旨味という成分が厄介で・・・恐らく統合的な「味覚」って波形データになるんじゃないかな。
>って、どのようなバックグランドから出てきた発言なのでしょうか?
To たまごちゃん
ある要素の強弱を線状にグラフ化すれば、加色、減色混合は正確に表現できてしまいますが、
これはプロットに過ぎないので、5つの味覚因子なら5元の「諧調?」のようなものを
持つそれぞれのパラメータが掛け合わさるんだろうなぁ、という私の印象です。
#RGBによる色の表現も、あくまでおおもとのデータがそうなるだけで
#実際にディスプレイに映すと、さまざまな影響によって違う結果になる。
↑この辺は私なりの考察に過ぎません。
「味覚かぁ、へええ?」とすぐ文献を紐解くなり、ググるなりすればすでに検証された
事実を知ることが出来るのですが、時折、そういうモノなしに「あくまで雑談として」
するってぇと、ソレってこぉいうことかしら?と発言してみたわけです。
#レーダーチャートみたいので「甘味=6、塩気=3.2」とかって
#表現できるものじゃないなぁ、という印象かなぁ。
あやや、なんかHP検索していて、犯罪遺伝子なるものをF
BIがチェックしているといった内容のHPがありました。
どこまで信憑性があるのか、専門家のみなさんに聞こうとア
ドレスを上げておきます。
以前追い出しを食らったネタなので慎重に質問したいと思い。
こちらのメインに書き込む事にしました。
http://www03.u-page.so-net.ne.jp/ca2/kiku-k/Essay.html
ドーキンスで思い出したのですが、先日ちょっと立ち読みした本に酷いことが書いてありました。
高井高盛「なぜ男は暴力をふるうのか」洋泉社 http://www.yosensha.co.jp/sinsyoy4.html
この本の中に「利己的遺伝子」を否定する記述が結構長く書いてあったのですが、大意次のようでした。
『利己的遺伝子説は遺伝子が自身のコピー数を最大化しようとして生物が進化してきたという。しかし生物の数(=遺伝子のコピー数)は生態系のバランスによって決まるのである(ネズミが増えるとそれを捕食するキツネが増え、キツネが増えるとネズミが減るように)。』
これがDVにどう関係するかまでは読んでません。この部分を斜め読みして買うのを止めました。
で、この著者紹介を見ると、元は高校の先生で「脳力を伸ばす学び方」なんて本も書いています(売れてるようです)。
が、さらに高校の生物の教科書も書いているらしい!
いいのか、これで。
なお、「なぜ男は暴力をふるうのか」のネット上での書評は好意的です。
遺伝的性向をどのように利用するか、利用しても良いのか悪いのか、これはどこで線引きするのか難しいところがありますね。
例えば、身長はある程度遺伝しますが、両親の背が高くない場合にバレーボールやバスケットボールの選手になる道を諦めるかどうか。あるいは両親とも長身で自分も長身(らしい)場合、進路としてバレー・バスケットの選手を選ぶかどうか。
選手を採用する際に身長だけで足切りするのか、門戸は空けておいて実際のプレーで採否を判断するのか。
ある遺伝マーカーが特定の性格と関連があったとして、それをどう利用するかは上記の例と同じようなものではないでしょうか。
性格診断テストは一般企業の入社試験の際にも利用されています。(私も受けました。が、その段階で既に採用された場合の配属先もほぼ決まっていたようで、面接時の参考にしたようです。)
血液型を尋ねるのは誕生日(生まれ月の星座)を尋ねるのと同じ意識なんでしょうね。遺伝情報だとは考えてもいないでしょう。
星座占いでの性格云々があまり言われないのは、数が多過ぎるからじゃないですかね。12(13?)種類も覚えていられません。相性診断が大好きな女の子なら話題にするでしょうけど。
私は遺伝学者でもなければ倫理学者でもありません。
ですから、遺伝子と性格あるいは遺伝子と知能の関係といった話題に関して、
NATROMさんほど情報に通じているわけでありませんし、
倫理的問題に関してはNATROMさんを上回る知識があるわけでもありません。
また、遺伝子差別のような複雑な問題に関して、
ここで簡単に結論が出るとも思っていませんので、
問題点の整理に資する事があれば幸いという立場で投稿させていただきます。
>個人的な範囲内で、性格と関連する遺伝マーカーを利用するのはNGなのでしょうか?たとえば、ある個人が職業を選択する際に、その職業で多く見られている遺伝マーカーを自分が持っているか否かを参考材料にすることはNGなのでしょうか?
NGといえないでしょうが、手放しでOKとは言い難いと思います。
仮に犯罪的な性格のマーカーが存在したとして、
自分がそれを持っていることを知った個人が
犯罪に手を染める動機付け(「自分は職業的犯罪に向いているんだ」云々)に使うことまで、
NGでないと言えるとは思えません。
屁理屈のように思われるかもしれませんが、
どんな知識でも「良識に従って」利用することが要請されていると思います。
問題になるのは「良識」とかで簡単に判断できない領域です。
「性格」ならともかく「能力」に関係する遺伝子あるいは遺伝マーカーの場合は、
単純ではなくなってくると思います。
>より具体的には、仮定の話ですが、成功した自然科学者はある特定のDRD4のアリルを持っていることが知られている場合、基礎研究者になるか臨床家になるか迷っている学生が、自分のDRD4の多型の情報を参考にすることは問題でしょうか?
ちょっと脱線で申し訳ありませんが、
DRD4多型と新規性追求傾向との関連
(一方でDRD4はADHDとの関連も取り沙汰されているようですね)
を念頭におかれているのでしょう。
DRD4多型と性格との間には強い関連があるという学説は
確立されたものなのでしょうか?
もしそうであるなら、血液型性格判断とどこが違っているかを示すことは
科学と疑似科学の差を明らかにする上で、
格好の素材になるように思うのですが、いかがでしょうか。
>遺伝マーカーと特定の表現型の関係を利用する場合、誰がどのように利用するかによって、許容されるかどうかが異なると思います。教授が採用する大学院生を選別するときに遺伝マーカーを利用するのは、明らかにNGでしょう。
異論はありません。
>表現型が遺伝マーカーの検査と独立に測定できるかどうか、という点もあまり重要ではないと思います。
重要かどうかは論点に依存します。
例えば試験成績で選抜するのと知能に関する遺伝マーカーで選抜するのは
かなり事情が異なります。
また、「性格」だと差が重要でないように見えますが、
「疾患」であればこの差は重要です。
この辺には、通俗的な「強い遺伝子決定論」に立脚していれば、
「遺伝マーカー⇔表現型」と考えられるので
「重要な差がない」と言いやすいと思いますが、
そのような「強い遺伝子決定論」に与しないであろうNATROMさんが
「あまり重要でない」とお考えになる理由が知りたいです。
>質問紙による性格調査の結果をもって、大学院生や入社社員を選別することは、それはそれで問題でしょう。(人事なんかで利用されていたりするのかなあ?)。
性格検査自体は、人物試験の参考資料としてですが公務員の採用試験にも使われています
参考:人事院国家公務員採用試験情報、「国家公務員採用 I 種試験」のページ
http://www.jinji.go.jp/saiyo/shiken01.htm
>研究利用するときや、将来遺伝子診断ビジネスが盛んになった場合に、個人の遺伝情報がどんなに厳密に管理されるべきか、他人の血液型を気軽に尋ねている人は再考して欲しいものです。パスワードや暗証番号は変更できますが、遺伝情報は変更できません。
異論はありません。
>#まあ逆に言えば、気軽に血液型を尋ねることができるのは、血液型と性格に強い関連はなく、お遊びの範疇に入っていると考えられていることを示しているのでしょうが。
このことにも異論はありません。
福岡では雪は年に2-3回しか積もりません(大雪だと交通機関麻痺)。福岡で冬の訪れを教えてくれるのは、冬の妖精さんたちです。
>遺伝子・指紋図 投稿者:安賀須若人さん 投稿日:11月 2日(土)16時08分49秒
>仮に何らかの遺伝マーカーと性格の間に強い関連があったとしても
>その遺伝マーカーで人の性格を判断することに問題はありませんか?
>私は性格が遺伝マーカーの検査と独立に測定できるものである限り、
>ある遺伝マーカーを性格の代理指標にすることは承認できないと思います。
ご指摘の問題は、主に血液型と差別の問題として既存の批判サイトでとりあげられていますね。幼稚園で園児を血液型別に教育するとか、人事に血液型を利用するとかいう話があります。あまりこの問題を突っ込まなかったのは、「血液型と性格に本当は関連があるのだけれども、差別になるからという理由で関連を調べるのがタブーになっているのだ」といった肯定派の主張に根拠を与えたくなかったから、というのもありますが、私自身、どう考えるべきかについて、まだ整理できていないからです。
人事に利用するのは論外として(ABO FANでも人事に利用するのには否定的だったはず)、個人的な範囲内で、性格と関連する遺伝マーカーを利用するのはNGなのでしょうか?たとえば、ある個人が職業を選択する際に、その職業で多く見られている遺伝マーカーを自分が持っているか否かを参考材料にすることはNGなのでしょうか?より具体的には、仮定の話ですが、成功した自然科学者はある特定のDRD4のアリルを持っていることが知られている場合、基礎研究者になるか臨床家になるか迷っている学生が、自分のDRD4の多型の情報を参考にすることは問題でしょうか?(むろん、このような遺伝マーカーが存在する可能性は高くないし、存在したとしてもいくらでも他の要因で容易にひっくり返るものでしょうが。)まったく問題がないと断言できませんが、個人の自由の範疇にあるように思います。
遺伝マーカーと特定の表現型の関係を利用する場合、誰がどのように利用するかによって、許容されるかどうかが異なると思います。教授が採用する大学院生を選別するときに遺伝マーカーを利用するのは、明らかにNGでしょう。表現型が遺伝マーカーの検査と独立に測定できるかどうか、という点もあまり重要ではないと思います。質問紙による性格調査の結果をもって、大学院生や入社社員を選別することは、それはそれで問題でしょう。(人事なんかで利用されていたりするのかなあ?)。
血液型と性格の関連があったとしても、自分で自分の血液型の情報を開示して話題にすること自体は、さほど問題はなかろうと私は考えます。ただし、気軽に他人の血液型を質問する風潮だけはなんとかしてもらいたいものです。(性格と関係があろうがなかろうが)他人の遺伝情報を質問していることとほぼ同義であるのに。研究利用するときや、将来遺伝子診断ビジネスが盛んになった場合に、個人の遺伝情報がどんなに厳密に管理されるべきか、他人の血液型を気軽に尋ねている人は再考して欲しいものです。パスワードや暗証番号は変更できますが、遺伝情報は変更できません。
#まあ逆に言えば、気軽に血液型を尋ねることができるのは、血液型と性格に強い関連はなく、お遊びの範疇に入っていると考えられていることを示しているのでしょうが。
To かくりさん
>雪というと,「ゆうきや こんこん」の唄を思い出したりするわけですが,このコンコンというのは当然ながらペットの「雪」や「アラレ」の鳴き声ではなくて(オスの名前だったらややなあ),雪が降る音を指しているのでしょうが,一体このように表現するのはどの地方なのでしょうね?
この曲自体は、Kosukeさんのリンク先の書いてあるのを読むと、「こんこ」でかつ、擬音語でも擬態語でもないようですね。
しかし、実際に雪などが降るときの擬態語として「こんこん」は用いるようです。国語大辞典(新装版)©小学館 1988で「こんこん」を引くと、以下のようにありました。
>4 雨や雪、あられなどの降るさまを表わす語。「雪やこんこん」
雪やあられだけではなく、雨にも用いるのですね。国語辞典に出ているということは、どこかの方言というわけではないのでしょう。でも、確かに、ものが降ってくるのを「こんこん」って表現する人って見たことないですね。霰の場合、擬態語としてではなく、擬音語として、「コンコン」というのはすごくよく解るけど。
ところで、私は雪を見て、同じ「雪」というタイトルなのですが、暗〜〜い内容の曲を思い出していました。(w
この掲示板にふさわしいとは思えないので、紹介はしません。もし知りたかったら、Kosukeさんのリンク先の管理人さんが好きだと思われる日本人アーティストの名前と、「雪」でググると引っ掛かります。
To Kosukeさん、
>「雪やコンコ。あられやコンコ」が正しいらしいので〜す。
へぇー、知らなかった。勉強になります。似たような話で、「どんぐりコロコロ どんぐりこ」と見せかけて「どんぶりこ」(池にはまった音)とかってありますよね。
>「雪降って来んかい! あられ降って来んかい!」という願望を込めてるのですね。
そんな柄の悪い曲やったんかい?!
だったら、真夏のエチオピアで、一番は本来の歌詞で、2番はかくりさんバージョンで歌うのなんか、掛け合い漫才っぽくっていいですね。
To wadjaさん、
酸味と旨味については、つまらないところに突っ込んでしまって、嫌がらせっぽかったかも・・・。すみませんでした。 m(_ _)m
>いや、別にwadjaも鯉や蛙の生殖に官能は感じませんが...(^_^;
以前に、人に、「生殖生物学をやる女性は、精子とかって単語を平気で使って、恥じらいがないから、いかん!!」と、言われたことがあったもので。
>って、使っとるやん。
「呆れてものも言えん」「って、言ってるし」と、言うやつですね(w
でも、実際に使えなくて、不便な思いをしています。言い争いの最中に「あなたは正しいつもりなんだろうけど、それは思い込みに過ぎないのよ!!」などと、回りくどい表現を使わなくてはならないのは、はなはだ不便です。
To PDX.さん、
> イボテン酸だったかなぁ……テングタケ類の旨味成分である物質は、それらのキノコを「猛毒」としている毒素でもあります(笑)
子どもの頃に、本当に甘いかどうかを確かめたくて、鉛製の釣りの錘をなめたことがあるのを思い出しました。今にして思うと当たり前のことなのですが、甘くなくて、自分の味覚はおかしいのかと悩んだっけなぁ。
でも、鉛イオンとかってどういう仕組みで甘いと感じるんだろう?
ゆうきや“こんこ”だったのですか・・・
Kosukeさん,貴重な情報ありがとうございます.
やっぱり疑問なのはどこの地方が雪の降り方を“こんこ”というのだろう.
歌なのでリズムに合ってることを重要視している可能性もあるが・・・
>「雪降って来んかい! あられ降って来んかい!」
という願望を込めてるのですね。
んじゃ,こっちも願望を込めて,
「万〜札 こんこ♪ totoの1等く〜じ こんこ♪」
よしゃ!!これでOK!!!
To wadja さん
イボテン酸だったかなぁ……テングタケ類の旨味成分である物質は、それらのキノコを「猛毒」としている毒素でもあります(笑)
だから味覚分類学を究めると命がけのことに……(^_^;
掲示板2にも書きましたが、ごめんなさい!福岡に行けなくなりました。
で、是非とも東京に来てください(w
順不同で申し訳ないですが、
To:たまごちゃんたまごちゃん(^-^)ノ
>著者らが主張しているのは、「同じpHでは酢酸の方が塩酸よりも強い応答を引き起こした。」であって、(以下略)
あの論文に書いてあることを全て理解することは、正直wadjaには無理ですが、酢酸の方が
塩酸よりも酸味が強いことの説明として使用されたデータであったことは理解しました。し
かし元の論文では、受容体の興奮の差が、脳でどのように翻訳されているかまでは扱ってい
なかったので、可能性について言及してみました。
>だからアミノ酸の味=旨味というわけではありません。
旨味に関わるアミノ酸が何種類ぐらいあるのかは、皆さんに紹介してもらったHPを見るま
では、知りませんでした。知っていたのは、グルタミン酸くらいですかね。さすがに、アミ
ノ酸ならなんでも旨味成分になるとは思ってはなかったですが、でも案外少ないんだなーと
いうのが正直な感想。もともと言いたかったのは、「旨味といっても、かつお出汁と昆布出
汁だと、全然違うじゃん」程度の単純な話です。
やはり、クラーク風味の「純粋思惟形態」が、ワシは好きじゃなぁ・・・
>かくりさん
そっか、味覚分類学の創設は無理か(w
考えてみれば、いかに生物学者にゲテモノ食いが多くても、食べられる生き物ばかりじゃな
いしね。考えてみれば、wadjaは味だけでササミとカエルと蛇の区別がつけられる自信は無
い。
>all
たくさん、味覚に関する情報ありがとうございました。いろいろ、興味深い情報がたくさん
ありました。味蕾が舌だけではなくて、食道の上部にも存在するとか(のどごしに関係ある
のかな?)、旨味は日本人が最初に注目し始めたので、“umami"が、国際的に通用す
る用語になっているとか、カニの味の成分の比率を変えるとホタテになってしまうとか。
しかし、以外に味覚のメカニズムって、分かっていないのだなーという印象を持ちました。
まして、最終的に脳で「味」として翻訳されるメカニズムに至っては、まだまだ発見が出て
くるんだろうな。楽しみ。
>たまごちゃん(^-^)ノ
>私は「官能」程度の単語で恥らう玉ではないです。それっくらいで赤面していて、生殖生
物学が専攻できるかってんだっ!!(専攻していないけど)
いや、別にwadjaも鯉や蛙の生殖に官能は感じませんが...(^_^;
>でも、そのくせ、「独りよがり」という何の変哲もない単語が恥ずかしくて使えなかったりもする。
って、使っとるやん。
#北海道の路上教習は、雪の上でもやるのだろうか?
雪の歌ですが
かなりの人が間違えて覚えているらしい(実はσ(^_^)もつい最近まで)
「雪やコンコ。あられやコンコ」が正しいらしいので〜す。
http://www.sunfield.ne.jp/~fukutyan/music/japanese_song/yuki.html
「雪降って来んかい! あられ降って来んかい!」
という願望を込めてるのですね。
To とらさん
>最終的に人間においては知識面でなく人体面でどんな進化があると思いますか?
滅亡しないかぎり、いつまでたっても変化し続けると考えれば、「最終」なんてものはないのではないかとも思います。目指すべきゴールなんてものはないでしょうし。
また、進化のきっかけとなる変化が突然変異であれば、どんな変化があるかは予測がつきません。おそらく人為的になんらかの遺伝子を組み込むことで「進化を促進」しようとする向きもあるかもしれませんが。
>もしかしたら葉緑体を手に入れちゃって躯が緑になるなんてこともありえますか?
たぶん無意味だと思います。
少なくとも、自分自身の呼吸に用いる酸素を供給するため、もしくは炭水化物を自給自足する為に葉緑素を手に入れようとしても、表面積が少なすぎます。
人一人を維持する為に必要な酸素であれ炭水化物であれ、1%も……いえ、もっと少ししか供給できないかと思われます。
酸素の入手のため、もしくは炭水化物の入手のためではなく、他の理由で葉緑体を獲得するメリットがあれば、人為的に導入も可能かもしれませんけどね。
クロロフィルが口臭を除去とかしてくれるかな?
>また、最終形態になる日はくるんでしょうか
最初に書いたとおり、何を持って最終と呼ぶのかは難しいかと。
これ以上変化できないような状態でしょうかねぇ?
いつかはヒトも滅ぶとして、その時の形態が最終形態なんでしょうか?
(宇宙戦艦ヤマトに出てきたディンギル星人みたいな最終形態だったらちょっと嫌ですねぇ……)
○○味のおせんべい とか出す時には,安賀須さん情報やたまごちゃん情報が役に立つわけです.
「○○味」とうたっているんだけれども,お客さんがそう思ってくれないといけない.でも○○を添加すりゃその味が出るわけでもない,という時に非常に効果的だったりする・・・はず.だったらいいなあ〜
話を元に戻しまして,元々wadjaさんの「生物の味(味覚)は系統分類に役立たないか」は面白い視点の意見だと思ってます.ただ面白い視点だからと言って,実用的であるか確認もせずに実効に移すのは(移す気あるのか?)危険ですので,検証を行おうとしていたわけです.
P−D−C−Aのプランを立てる段階での確認ですな.
まず1つに味覚は案外シンプルであり,系統分類に使用とするには種類が足りないのでは?という懸念を書きました.
次に味覚に関る遺伝子には案外単純でかつ系統分類学的には結構離れている種で同じように見られているケースがあるということが挙げられると思います.
植物は貯蔵用の炭水化物を大抵デンプンという形で持ちますが,時に蔗糖(お砂糖ですね)という形で保存するものもあります.スイートコーンが良い例ですね.でも同一種のデントコーンとかフリントコーンとか他のトウモロコシはデンプンで貯蔵するわけです.私は浅学なため知らないのですが,この貯蔵炭水化物を決定するのに関与している遺伝子の数はそんなに多くないと思います.
さて,人間がお砂糖を搾り取っている植物の有名どころはサトウキビと砂糖大根ですね.サトウキビはトウモロコシと同じイネ科ですが,砂糖大根は全く異なる科ですね.
このように全然違う科に同じ味覚に関与する化学物質を同じように豊富に持たせる遺伝子が存在したり,反面同一種の中に味覚が全く異なる品種が存在したりするわけです.
3つ目は味覚は調理方法によって変化するということです.かといって全ての生物を同一調理法で料理して比較することも難しいでしょう.以上3つの理由からwadjaさんの面白い視点からのアイディアは実行が困難と判断します.
以上,真面目なお話終わり.
たまごちゃん(^-^)ノ へ
雪が降るようになりましたか.はよ免許とらんとね?ってもう取りましたか?
雪というと,「ゆうきや こんこん」の唄を思い出したりするわけですが,このコンコンというのは当然ながらペットの「雪」や「アラレ」の鳴き声ではなくて(オスの名前だったらややなあ),雪が降る音を指しているのでしょうが,一体このように表現するのはどの地方なのでしょうね?
はっ!!!
ひょっとしたら,コンコンとは来ン来ンという否定形なのか!!!!!
とすると南国の歌になるわけだが・・・
ゆうきや来ン来ン
(雪なんぞ降らんわい!)
あられや来ン来ン
(あられも降らんわい!!)
降っても降っても(以下略)
(だから降らんて)
こんなツッコミだらけの唄はいやだ
はじめまして。創造論派とゆうワケではないのですが、進化論で質問があります。
太古に何らかのものが生物に進化して恐竜は絶滅して今に至るわけですよね。
で、今の世にいる生物も進化途中なわけということになるわけだと思いますが、
最終的に人間においては知識面でなく人体面でどんな進化があると思いますか?
もしかしたら葉緑体を手に入れちゃって躯が緑になるなんてこともありえますか?
また、最終形態になる日はくるんでしょうか
よければお教えください。
ドーキンスって〜のトピhttp://messages.yahoo.co.jp/bbs?.mm=GN&action=m&board=1835548&tid=a5ia1bca5ada5sa59a4ca4fkdceva4o2bf8c0a4a4a4bfa4a4a4sa4c0a4ma4a6&sid=1835548&mid=1&type=date&first=1
で、NATROM殿がいじくっている某氏は、なかなか香ばしいのう
あれほど無知を誇りに思えるなんてうらやましい
NATROMさんへ、
「遺伝学からみた血液型性格判断」読みました。
従来の「血液型性格判断」批判とはひと味もふた味も違った内容で
とても興味深く読ませていただきました。
本当に力作だと思います、ご苦労様でした。
さて、
血液型と性格には強い関連があるという証拠はないことに
論点が絞られているのは有意義なこととは思いますが、
仮に何らかの遺伝マーカーと性格の間に強い関連があったとしても
その遺伝マーカーで人の性格を判断することに問題はありませんか?
私は性格が遺伝マーカーの検査と独立に測定できるものである限り、
ある遺伝マーカーを性格の代理指標にすることは承認できないと思います。
(釈迦に説法ですが、遺伝子診断ビジネスの問題を念頭に置いています)
既存の心理学系の「血液型性格判断」批判サイト等で述べられていることでもあり、
省略されたのかもしれませんが、
どのようにお考えなのか、
きちんと表明されておいた方が良いのではないかと思います。
※タイトルはネタです(^^)
帰ろうとして外をみたら、雪が少し積もってるぅ♪
って、雪を喜べるのも今のうちだけなんだろうけど・・・。
かくりさん、
>ちなみに「ウニの味≒プリン+醤油」、「栗≒チーズ+蜂蜜」
>については,ここでいうところの『味覚』に関する本に書かれていたもので,その本の中でも「味覚」が似ているという事で書かれていたと思います.
すみません、まじめな話だったのですね。「ウニの味≒プリン+醤油」って、「メロン≒キュウリ+蜂蜜」や「トロ≒赤身+マヨネーズ」などと一緒に、バラエティ番組でみた記憶があったものでつい・・・。
でもでもっ、プリンとウニで似ているものがあるとしたら食感じゃないですか?味(狭義)と匂いが強い醤油で、ウニとプリンでは全然味(狭義)や匂いの違うのをごまかして、比較的にている食感を際立たせているのでは??
>私自身の事→(う〜〜ん,う〜〜うんぬん)について書いていたのだが・・・たまごちゃんには思い当たるふしがあるのでしょうか?
あらら、またやっちゃった。自分のことをいっている発言ではないのに、そうだと思い込んで反応するっていうの、最近2回目ですね。自意識過剰気味なのだろうか・・・。
思い当たる節は、大いに有りますね。それにかくりさんは、「う〜〜ん」とか言わずにさらっとさりげなくボケていらっしゃいますよ。かくりさんの洗練されたボケにはいつも感心していたので、まさかご自分のことをおっしゃっているとは思わなかったのです。(と、ほめてごまかす)
( ̄□ ̄;)!!も、もしかして、私がさりげなくボケていると思っていたかくりさんの発言は、天然だったとか?!
wadjaさん、
>「これから官能評価法の実技に入りマース。」 教官の言葉に、思わず顔を赤らめうつむく、たまごちゃん(^-^)ノ 17歳だった。 なんてね。
ご期待に添えず申し訳ありませんが、私は「官能」程度の単語で恥らう玉ではないです。それっくらいで赤面していて、生殖生物学が専攻できるかってんだっ!!(専攻していないけど)
でも、そのくせ、「独りよがり」という何の変哲もない単語が恥ずかしくて使えなかったりもする。
PDX.さん、
> あと、断っておきますが私にしても基本味説の信奉者というわけではありませんよ(^_^;
断っていただくまでもなく、どうみても、PDX.さんは基本味説の信奉者ではないでしょう。私が、自分のことを基本味説の信奉者ではないと言ったのは、PDX.さんのことを揶揄していたわけでは全くありません。でも、そう感じさせてしまったのなら、すみませんでした。
私は、味の認識はわりと単純なしくみによるのではないかと考えています。私たちが口に入れ得る物の種類はものすごく多様(波長が違うだけの電磁波とは比べ物にならないと思う)だとは言え、それらを飲み込むか吐き出すかを判断するために、すごく複雑な仕組みを持つのはあまり適応的だとは思えないから。第一、食べられるかどうかの判断は、口に入れる前に視覚と臭覚が、口に入れた後でも臭覚がサポートするでしょうし。
こんな私だから、他の人から見て、基本味説の信奉者にも見えなくはないかもなぁと思い、そうではないと断ったのです。実際、私は、信奉者ではないものの、基本味説をそれほどナンセンスだとも考えていません。(我ながら、微妙に「と」な発言なのかも・・・)
安賀須若人さん、面白そうなサイトの紹介どうもありがとうございました。まだ全部は読んでいないのですが、斜め読みしていて、カニという言葉に反応してしまいました。(実に私らしい)
http://www.hokudai.ac.jp/pharma/shinkei/MKtaste.htmより、
>たとえば、カニの身には多種類の成分が含まれているが、その中でカニ味に不可欠なものはグリシン、アラニン、アルギニン、グルタミン酸、イノシン酸、食塩である。これらの5種の物質を組み合わせればカニの味を作り出すことができるが、各物質の混合比がポイントである(表2)。同じ成分でもアミノ酸の混合比を変えるとホタテの味になり、メチオニンを加えればウニの味になる。
味覚は比較的単純だと思っている私が言うのもおかしいけれど、そんなに簡単にカニの味が作れていいの?!でも、5種類の物質を組み合わせて作ったカニの味の水溶液を飲んでも、食感や匂いが違うから、カニを食った気分になれるわけでは全くないんでしょうね。
>#ウナギを焼いている映像と共に、その匂いも漂う、という空想です♪
>#ボリュームを上げると匂いも強くなる?
>#↑こぉいうのもブロードバンドっていうのかな?
マルチメディア、っていうような気がします。もはや死語っぽいけど(笑)
ご存知の方も多いと思いますけど、
色盲の研究者による色覚と色盲についての解説記事です。
http://www.watsonkun.com/shujunsha/barrierfree.html
To たまごちゃん
>っていうより、色の三原色(←これも、違った話も出てきているようで
>すね。私はよく知りませんが)のように、味覚も比較的少数の基本味質
>の配合によって表現できるかどうかということが話題になっているので
>は?少なくとも、私はそれを話題にしていました。
wadja さんの記事の中の
>感覚的に、塩と砂糖と酢酸とにがりとグルタミン酸だけで、全ての味
>を表現できるとは思わなかったものですから。
に対する極端な例としての喩えとして、視覚における色の三原色を出したまでです。極端な喩えに対して極端な喩えを返しているわけですから、皮肉めいた冗談といったところです。
(自分の書き込みの極端さを自覚していたので、タイトルを「いささか極端な喩え」と書きましたし、その後酸味でも物質によって受容体の反応の波形が異なる点については肯定的に言及しているつもりです)
あと、断っておきますが私にしても基本味説の信奉者というわけではありませんよ(^_^;
味覚研究は食品業界の利益にも直結するので
日本でもかなり精力的に行われています。
例えば、「日本味と匂学会」
http://epn.hal.kagoshima-u.ac.jp/JASTS/jastsk.html
というのがあります。
更に旨味に関しては特化した「うま味研究会」
http://www.iijnet.or.jp/srut/index.html
というのもあります。
ネット上で見られる解説では
http://www.hokudai.ac.jp/pharma/shinkei/MKhandbook.htm
や
http://www.hokudai.ac.jp/pharma/shinkei/MKtaste.htm
なんかが手頃でしょう。
5味というのは基本分類であって
その配合ですべての味が表現できるほど生易しいものとは思いません。
(単糖でもグルコースとフルクトースでは微妙ですが甘味が違います)
もっとも九州大学の都甲潔のように
多種の膜電位計の組み合わせで味覚センサーを開発しようという人もいて
ある程度成功しているので、
味覚を要素の組み合わせである程度表現できるということも本当でしょう。
http://ultrabio.ed.kyushu-u.ac.jp/A9912/summer_school/index00.htm
ゲテモノの話はどこへ言ってしまったの?!T T
復活させるためには、自分がゲテモノのネタを披露するのが一番なのでしょうが、ネタ切れです。と、言うことで、誰か復活させてください。
味覚の話についてマルチレス
PDX.さん、
>視覚において、全ての色をRGBの3原色の組み合わせで表現できることについてはどう思われます?(笑)
っていうより、色の三原色(←これも、違った話も出てきているようですね。私はよく知りませんが)のように、味覚も比較的少数の基本味質の配合によって表現できるかどうかということが話題になっているのでは?少なくとも、私はそれを話題にしていました。
大文字ナンさん、
味覚よりも臭覚の方が数倍複雑なんじゃありませんでしたっけ?でも、匂いの出るPCって実用化され始めたんじゃありませんでしたっけ?少なくとも開発はされていたような・・・。う〜ん、どちらも記憶が曖昧で、あまり自信がない・・・^^;)
少し前の話で恐縮ですが、
>しかし、このひとつひとつのパラメータって多元じゃないでしょうかね。特に旨味という成分が厄介で・・・恐らく統合的な「味覚」って波形データになるんじゃないかな。
って、どのようなバックグランドから出てきた発言なのでしょうか?
wadjaさん、
とおりすがりさんが紹介してくださった論文の図6Bは、私にも、塩酸と酢酸で応答の波形は、強さだけでなく、形状(頭痛の痛みみたいなおかしな表現だけど、なんとなく気持ちを汲み取ってください)も違って見えます。だから、
>波形が異なるので、脳に信号が到達する段階で、同じ酸味でも違った味として認識されている可能性はありそうですね。
と、言うのは、私も可能性はありそうだと思います。でも、著者らが主張しているのは、「同じpHでは酢酸の方が塩酸よりも強い応答を引き起こした。」であって、「両者で違う種類の応答を引き起こした」ではないようです。だから、図6は少なくとも著者らの文脈の中では、基本味説を否定する実験データではないように思います。(基本味説でググっても5件しかヒットしなかった。私の造語ではないと思うのですが、広く使われている表現ではないのかもしれません。一般的な表現を知っている方は教えてください。)
後、かなり前の発言だし、同でもいいようなことなのですが、
>旨味になると、アミノ酸の種類だけでも結構ありますよね?
と、おっしゃっていましたが、大抵のアミノ酸は苦味を引き起こすし、アラニンとセリンは甘味を引き起こすらしいです。だからアミノ酸の味=旨味というわけではありません。(って、wadjaさんはそういう意味おっしゃっていたのではないのかも・・・。)
これで終わらせると、なんか嫌がらせっぽいなぁ。私は別に基本味説信望者ではないので、基本味説に否定的だと思われる話も御紹介。ちょっと古い(原書は1998年に出版)けど、
『ニューロンの生物学』 Fデルコミン著 トッパン社 P295より
「甘味受容体が複数種あるので、受容器細胞の反応も複数種ある。甘さにもいろいろあって、私たちは砂糖(ショ糖)と合成甘味料の甘さを味わい分けることができる」だ、そうです。
トッパンが出版業界から撤退しちゃったので、この本、今手に入るのかどうかよく解らないです。有名な本らしいから他のところが出しているのかな?
To PDXさん
>視覚において、全ての色をRGBの3原色の組み合わせで表現できることについてはどう思われます?(笑)
横槍ですが、その通りですねぇ。
RGBという光の3原色だけで加色混合は出来てしまいますが、そのバリエーションは無限大に
なるわけですね。しかもそれらは同じ光の振る舞いの違いに過ぎないわけで・・・むむ・・・??
そうすると味覚も、もっと根源的なモノの振る舞いだったり(笑
素人考えですが、こうした刺激って電位に還元できるんですよね、きっと。
味覚はちょっと複雑すぎる感じがしますが、将来的には「匂いの電送」が出来たり♪
#ウナギを焼いている映像と共に、その匂いも漂う、という空想です♪
#ボリュームを上げると匂いも強くなる?
#↑こぉいうのもブロードバンドっていうのかな?
トップページが正常に表示される?
(Windows2000 上の Netscape7)
To wadja さん
>wadjaの疑問は、5味の各要素が、強さ(濃度)は別にして、均一な刺激としてしか人
>間に認識できないのかどうかでした。感覚的に、塩と砂糖と酢酸とにがりとグルタミン酸だ
>けで、全ての味を表現できるとは思わなかったものですから。
視覚において、全ての色をRGBの3原色の組み合わせで表現できることについてはどう思われます?(笑)
まぁ上はいささか極端な例ですが、wadja さんの記事の中にあるように同じ酸味でも物質によって波形が違うとかの方法で微妙な差があるのかと思います。
なつかしいなぁ。
就職して最初の配属先で一月ぐらいかけて課題実習をしたんだけど、製品(錠剤)の着色対策が課題だったんですよ。でもいろいろ対策してみても、効果を測定する術がない!
それで、周りのお姉さん方に着色の有無やら強さやらを見てもらってレポート書いたんだよなぁ(おじさんおばさん方には見てもらわなかった)。
>酸はうちの工程では邪魔することが多く,「邪魔もの」の印象が強いためあまり勉強していません.待ってもらえれば調べてみますが,それでよろしいですか?
勝負に勝つには、まず敵(酸味)を良く知ること。
と、思ったりもしましたがかくりさん、わざわざ調べていただく必要はなそうです。もとも
と単なる年寄りの、自分のたわごとに対するふとした疑問ですから。でも、とうりすがりさ
んの紹介してくれた論文で、答えが得られたような気がします。全部読んだわけじゃない
し、ちゃんと理解できるとも思えないけど、塩酸と酢酸の刺激に対する、受容体の反応の波
形の違いが載っていました。波形が異なるので、脳に信号が到達する段階で、同じ酸味でも
違った味として認識されている可能性はありそうですね。
かくりさんの仰るように、味覚は4つの要素と、日本では旨味(外国でも一般的なのかな?
論文の抄訳では、umamiと英訳されたいたけれど)を加えた5味と単純化されているようで
す。wadjaの疑問は、5味の各要素が、強さ(濃度)は別にして、均一な刺激としてしか人
間に認識できないのかどうかでした。感覚的に、塩と砂糖と酢酸とにがりとグルタミン酸だ
けで、全ての味を表現できるとは思わなかったものですから。
ところで、昨日は何も思わなかったけれど...「官能評価法」ねー。専門知識が無い人
が、言葉だけ聞くと...誤解しそうだな。英語の誤訳なのかな?「sense」の形容詞は、
「sensory」か「sensual」だけど、意味するところは全然違うのだが。
「これから官能評価法の実技に入りマース。」 教官の言葉に、思わず顔を赤らめうつむく、たまごちゃん(^-^)ノ 17歳だった。 なんてね。
なるほどー。
こういう手法あるんですねー。
勉強になります。
好き嫌いとか喰わず嫌いなんて主観的なものも影響を与えるから定量化は難しいでしょうねぇ(^_^;
子供の頃は○○が嫌いだったけど今は好物、なんてケースもあるわけですし。
(私にとっての納豆がそうです(笑))
http://www.asahi.com/international/update/1031/001.html
ビッグバン宇宙論を補強する観測結果だと報じられています。
はてさて、ビッグバン宇宙論否定派はどう解釈するやら?
グールドの「人間の測りまちがい」くらいは読んでいただきたいもの。その方面の良著であると思います。
主にアメリカにおける知能テストの歴史がわかって、驚くやら呆れるやら怒れるやら。
日本生物物理学会の学会誌「生物物理」に日本語の記事がありました。
Vol.40 (2000) の No.2 p.105 です。
単純に pH を感知しているだけでなく、
陰イオンの存在が酸味の受容に影響しているそうです。
http://www.biophys.jp/online-journal/
wadjaさんのリンク先は丁寧に書かれていますね.
お気に入りにいれておこう.
「美味い」で評価できるか議論が起きていますが,wadjaさんのリンク先を見れば判るとおり「美味い」とか「食べたい」とかで評価できます.ちゃんと見とくように.
ただ「美味い」は完全に嗜好の世界なので,あらかじめ集団をしっかり把握してそこに調査を行うこと(こういうタイプの味(広義)が好きという集団),マーケットにいざ出すという場合は,その集団が消費者集団全体の中でどれくらいのサイズであるかを把握する必要があります.
ここでの議論は,商品化は含まれませんから↑の文節の前半だけ考えればいいかな?
wadjaさんへ
酸はうちの工程では邪魔することが多く,「邪魔もの」の印象が強いためあまり勉強していません.待ってもらえれば調べてみますが,それでよろしいですか?
以前読んだところですが、リンクがNEWになっていたため、また新し
い発見もありました。
確かにIQが知能のすべてだなんて馬鹿馬鹿しい話ですが、PQだとか
EQだとか出てくると、ある一部は表しているのではという考えからで
す。
ちなみに以前この掲示板で、僕はIQ100だから馬鹿だと言ったら、
別の方もIQ100だそうで、馬鹿にしてるように受取られました。
どなたが忘れましたが、馬鹿はいいすぎですね。ただ数学的素養はな
んか関係ありそうなのですが、えてして早熟な数学者(ませがき)と
いうのも多いですし。
まあこの話はこれくらいでいいです。またなんらかのデータが入った
らツリーの方でお話しましょう。
http://homepage1.nifty.com/NewSphere/EP/b/soc_IQ.html
↑なんか詳しいようです♪
具体例といったのは経験則があるのかと思って。
僕はIQ120台なら、2りが友達で、1り知り合いがいるという環境の中
育ちました。だからある程度信頼のおける数字だろうと思っています。他に
3人に共通しているのがすこぶる数学が得意だということです。
やはりすべての知能をかたろうと言う事は、以前この掲示板でも議論してま
したが無理があったと思います。
しかし頭の回転の速さなら、納得できると思います。友達2りにはよくいじ
められましたよ、お前はトロイってね。1人は今でも友達ですが、やはり頭
の回転は速いです。
味で始まったお話だし、味でしめるとしたら。味覚などはある程度数値化で
きても、おいしいはちょっと苦しいのでは?なんてところでしょうかね。
おいしいが、知能すべてだとすればです。
>うだうださん
何が気になるデスカ?
処理速度を気にしても、目的のアルゴリズムが得られなければ正しい結論が得られないことなど。
もっと広義に言うと、アマチュアユーザーほどマシンスペックを豪快にしてしまうジレンマなど。
知能というものをスペックととるか、ある状況を与えられたときに知性をもって対処する能力と
取るかなど「知能」という概念の定義からして多角的に過ぎるように思います。ただIQという
モノが「マセガキ度」などの「なにがしかの指標」くらいにはなるんでしょうね。
結論として、私はIQというものを「どうでも良い数字」と思っているということです♪
IEで直りましたよ!一時的なものかもしれないけど。
> ■IQとか知能
> まぁCPUで言うところの処理速度程度かな。
これ気になりますね、大文字ナンさんツリーじゃないので軽い一言ぐらいの
具体例なんかおっしゃってもらえませんか?
■IQとか知能
IQは知能の「ある側面」を現すものではあるでしょうが、IQ=知能ではないでしょうねぇ。
IQが高いことを「知能が高い」ということはナンセンスだけど、IQそものがナンセンスな
わけではないという感じでしょうか。まぁCPUで言うところの処理速度程度かな。
IQは元は児童教育で精神年齢の遅れている子供を早期に発見して適切な教育を受けさせようとしたものです。その段階では指数ではなく、平均から何年遅れているかと表現していました。
それを、テストの成績で得られた年齢と実年齢の比で表現したのがIQです。
IQ=精神年齢/実年齢
IQの高い子供は要するに「頭の良い子」「知能の優れた子」ではなく、「ませガキ」ってことですね。
だからほんとは大人には無意味なはずなんだけどなぁ(大人用のテストもあるそうですが、はて、その場合どのように定義されるのでしょう?)。
IQテストはその子の属する文化・社会によって成績に良し悪しが出ます(どこでも使えるテストというのもあるそうですが)。これで移民差別、人種差別が補強されたこともありました。
ご意見、ご要望がございましたら、掲示板か、 e-mail:natrom@yahoo.co.jpへどうぞ。