進化論と創造論についての掲示板ログ96

2002年04月26日〜2002年05月01日
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てめえら人間じゃねえ  投稿者:GOA 投稿日: 2002年05月01日12時22分

>そして、この動物(原人)を類人猿に分類し、この動物と私たちの種の境界を議論するのではないでしょうか。今日私たちがチンパンジーとヒトの境界を議論するように。

人間が自分たちを別格扱いしたいと考えているなら、近年になってチンパンジーやゴリラを同じ「ヒト科」に分類するようなことはしなかったと思いますがいかがでしょう?

http://www.iias.or.jp/research/seim eikagaku/omoto.html


「たまごちゃん」に答える  投稿者:YKK 投稿日: 2002年05月01日 5時08分

(1)ヘッケルについての「たまごちゃん」の発言のほうが正確なものだとおもいます。僕もこの進化論についての理解には不十分なものを感じます。ただ、「時代精神」として、「個体発生は系統発生を繰り返す」という のは、「機械的唯物論」(現代科学)の世界観の一個の指針(観念的哲学)となっている…といいたかったのです。

(2)<メタ的>ということも現段階でうまく言えませんが、<生命>は<あの世>から<この世>に生まれてくると思ってるのです。「科学」が対象とするものは<この世>の「現象」です。僕は「数学的実在論」の立場 (?)です。


神という科学者さんが嬉しい理由  投稿者:谷庵 投稿日: 2002年05月01日 4時41分

神という科学者さん曰く
>生物の形態形成においてはまだ分からないことが一杯です。実はそこのメカニズムが知りたいし大切なことなのですが

発言の内容については同意しますが、神という科学者さんがそのように実際に考えているとは思えません。分からないことが一杯でも分かっていることも一杯なのですから、まずそれを学べばいいのに、多くの人に指摘され ながら、全く学んだ形跡がありません。

まあ、トンデモさんにはよくあることです。
都合の悪い真実よりも、都合の良い嘘や勘違いを重用します。
もっとも重用している武器は無知です。
メカニズムを知りたいなんて思うわけないじゃないか。


エピジェネティクス  投稿者:NATROM 投稿日: 2002年05月01日 1時17分

「エピジェネティクスとは、DNAの塩基配列の変化を伴わずに起こる、遺伝子発現における遺伝的変化の研究である」。
Epigenetics is the study of heritable changes in gene expression that occurs without a change in DNA sequence.
http://ss.abr.a ffrc.go.jp/organization/MolecularGenetics/0509/index_e.html

エピジェネティクスの例は、例えば、世種亜さんが挙げられているようにDNAメチレーションによる発現量の変化がありますね。(DNA配列が同じでも、DNAがメチル化されているか否かで、遺伝子の発現量が異なる し、メチル化は遺伝しうる。)進化に関してどのくらいエピジェネティックな変化が重要であるかは、まだ明確な見解はないと思います。個人的には、一般的な適応的複雑さを説明できるほどの累積的なエピジェネティック な変化が存在とは考えにくいと思います。ただし、個別の事例においては重要な役割を果たしているかもしれません。ことによると、見かけ上ラマルク的な遺伝を起こすことだってありうる。

エピジェネティクスを持ち出して、ダーウィン的な進化論に反対する輩はそのうち出てくると思います。私が知らないだけで、既にそういう主張はあるのかもしれません。しかし、そういう主張はDNAのみを生物進化の要 因とみなす考えを否定はできても、ダーウィン的な進化論を否定できないでしょう。累積的なエピジェネティックな変化がありうるとしたら、まさにダーウィン的な進化を遂げるはずだからです。

#ダーウィン進化論=DNA至上主義であるかのように誤解している人は少なからずいる。特に、ダーウィン進化論に批判的な人に。そのように誤解している人は、本当にはダーウィン進化論を理解していないのだ。
#私はエピジェネティクスはレビューを少々読んだ程度。ダーウィン進化論とエピジェネティクスの両方に精通した人が、エピジェネティクスが進化論に与える影響について書いたものなんてどっかにないものか。


ま、エピジェネティクスを研究している人も、それを理由にダーウィン進化論を批判する人も、すべての生物が共通祖先を持つことには同意するでしょう。神という科学者さんが、DNA以外の遺伝に関する物質やシステム があることをもって、「進化仮説」に対する「信用」と勇み足が、まだ、ちと過ぎるとお考えになる理由は、私には全然わかりません。


訂正  投稿者:世種亜 投稿日: 2002年05月01日 0時29分

エピジェネティック変異でした。
http://www.nig.ac.jp/labs/AgrGen/epigene tics.html


酵母に感謝  投稿者:wadja 投稿日: 2002年05月01日 0時27分

してますとも。主に、ビール酵母ですけど、夜な夜な...。ということは、あきさんも呑んべということでいいのかな?

To:神という名の科学者さん

>そのほかにももっと私達が知らない遺伝に関する物質やシステムがあるように感じています。

同意します。ただし、「私達」というのが、神という名の科学者さんや、wadjaのような素人を指す場合と、科学者を含む人類全体を指す場合とでは、同意の仕方が違いますけど。せっかく、プロの科学者さんたちが日 夜新しい知見を発表してくれているのです、学ぶ姿勢だけは失わないようにしたいものですね。だから、

>やっぱり皆さんは「進化仮説」に対する「信用」と勇み足が、まだ、ちと過ぎるような気もしています。

と、十把一からげにはしない方が、懸命だと思うのですが。まあ、感想を言うのは人の自由ですけど。


エピジェニック変異  投稿者:世種亜 投稿日: 2002年05月01日 0時11分

たまごちゃんへ

>でも、ホメオティック遺伝子もDNAの塩基配列ですよね。何かDNA(またはRNA)の塩基配列ではない遺伝に関する物質やシステムの例をあげていただけるとうれしいのですが。

朝顔の花の絞り模様はDNAのメチル化によるエピジェニック変異の例だと聞いたことがあります。


はじめまして、YKKさん。  投稿者:たまごちゃん 投稿日: 2002年05月01日 0時08分

YKKさん、はじめまして。YKKって何の略なんですか?このサイトは発言者が進化論者だろうが創造論者だろうが、少しおかしなことを言うと八方からたたかれるので気をつけてくださいね。(かく言う私は進化論を支 持しているのに、なぜか創造論者よりも進化論者にたたかれがちです。)さて、真打ちが出てくる前に毒気の少ない(と、少なくとも本人は思っている。)私で免疫をつけてもらいましょう。

>この「進化論」、別の表現では「個体発生は系統発生を繰り返す」という機械的唯物論が底流に流れています。

ヘッケルが進化論を支持していたのは確かですが、ヘッケルの「個体発生は系統発生を繰り返す」を文字通り信じている進化論者は、いまどきほとんど(または全く)いません。「進化論≒個体発生は系統発生を繰り返す」 だなんて誰に教えられたんですか?

>(3)なぜかといえば、<生命>は<メタ的存在>だからです

意味がよく分りません。<生命>は<メタ的存在>とはどういう意味なのですか?<生命>が<メタ的存在>ならば、生物や進化に関係する<対象的存在>の例としてはどのようなものがあげられますか?

>(4)これは最近の本『ゲーデルの哲学』で学んだ知識ですが、「数学的無限」の概念を追求し てゆくと、原理的に定義不可能な問題に直面する…ということがあるからです。
>(5)現段階ではうまく言えませんが、<生命>そのものは、「科学」では解明されないといい たかつたのです。

これもよく意味が取れなかったのですが、私なりに以下のように解釈させていただきました。「科学によって、個々の生物の性質や生きているという状態を記述することはできる。しかし、どんなに詳細に記述できたところ で、それによって<生命>そのものや<生命の本質>は解明できたということにはならない。」と、解釈させていただきました。この解釈はどの程度まであっていますでしょうか?もしかして(と、いうよりもおそらく)、 全くトンチンカンな解釈をしてしまっていますか。進化論者の方々の中にもいろいろと異論はあろうと思いますが、私個人としては、個々の生物と独立に、追求すべき<生命>そのものや<生命の本質>が存在しているわけ ではないと考えています。


分類は人為的  投稿者:世種亜 投稿日: 2002年05月01日 0時01分

>たまごちゃんへ

解説ありがとうございます。

>グループ分けをしたいと思うかぎりにおいては、ある程度のバイアスがかかってくることは避けられないと思います。

仰るとおり、区分けする境目はないのでしょうね。ある程度主観が入るのはやむを得ないのですね。


>ところで、DNAをとれない生物とは、現存していない化石上の生物とかのことでしょうか。

そうです。でも考えてみるとこれは些細な問題だったかもしれません。形態で分類するにしても骨しか残っていないので不完全であることには変わりありませんし。


分子系統樹  投稿者:世種亜 投稿日: 2002年04月30日23時43分

>あきさんへ

どうもありがとうございます。

>このような例は多く、現在はある種で新しいタンパク質が精製された場合、そのDNAの塩基配列に類似した配列を求めて、その種以外の生物を含めて、広く検索されます。

私はよくわかっていないので、系統樹作成に使用したプログラムによって系統関係が微妙に違う場合があって、どうしてなの?どっちが正しいの?と思い悩むことがあります。


RE 信用度はいかほど?  投稿者:たまごちゃん 投稿日: 2002年04月30日22時53分

神という科学者さんへ

>人間の染色体が類人猿より2本少ないということは創造論者にしては嬉しい情報ですね。凡人の考えでは、普通分化して数が多くなってより「進化」すると考えられるのに数が減少しているんですからね。

元々2つだったものが融合して1つになったといっているだけで、染色体の量自体が減ったとは誰も言っていません。何がそんなにうれしいのか理解に苦しみます。個人的には、類人猿と人間の大きな違いが見つかったと解 釈して(染色体の融合はヒトが類人猿と分かれて以降に起こったと思われているから、)喜ぶ創造論者がいるかもしれないなぁとは思っていましたが、染色体が減ったことを喜ばれてしまうとは思っていませんでした。ちょ っと、びっくり。

>例えば、それは生物の発生の過程をみればDNA上のホメオティク遺伝子があるように、そのほかにももっと私達が知らない遺伝に関する物質やシステムがあるように感じています。

でも、ホメオティック遺伝子もDNAの塩基配列ですよね。何かDNA(またはRNA)の塩基配列ではない遺伝に関する物質やシステムの例をあげていただけるとうれしいのですが。

>DNAの暗号は基本的にたんぱく質合成についての情報ですから、生物の形態形成においてはまだ分からないことが一杯です。実はそこのメカニズムが知りたいし大切なことなのですが、そこの重要な理論がまだわかって ないのです。

まだ分っていないことが多いこと自体は否定しません。しかし、ホメオティック遺伝子は、動物の節構造や極性など(極性に関わる遺伝子もホメオボックスを持っていたことは覚えているのですが、これらはホメオティック 遺伝子とは呼ばないんでしたっけ?少し記憶があいまい・・・。)形態形成において重要な性質のいくつかを説明することのできるDNA配列の例だと思いませんか?


P.S.  革離@隆行さんへ

>>実は私のお仕事(?)は、雑種の染色体を見ることなので

>プロでいらっしゃいますね.以後でしたら染色体からみのお話は素人の私は引っ込んで玄人様にお任せするということで・・・・・

私は決してプロではありません。(つまりお金を貰っていません。)プロ級でもありません。(つまり染色体にあまり詳しくない。)故に、任せたりとかしないでくださいね。

>30サンプル(細胞)の染色体数をカウントすると中には良くない標本があって染色体がくっついちゃったり細胞が破れたりして少し飛び出したりして,所謂カウントミスをするため染色体数がはっきりしないのが出てく るはずです.

最初のPDXさんの書き込みを読んだ時にも思ったのですが、30サンプルって、何が30個なのでしょう?オリバー君1個体しか用いていないので、個体数でないことは明らかなのですが、細胞数?プレパラートの数?培 養した系列(培養細胞を用いていたとして)の数??と、よく分りません。
もし細胞数だとしたら、「30細胞しか見ないなんて、やる気なさすぎだろ。」と思う反面、「30細胞中2細胞でしか染色体が流れていない、しかも1本ずつしか流れていないなんて、私と比べてプレパラート作るの上手 すぎ。」とも思います。あくまで、私(=まだまだ未熟者でプレパラート作るのが下手。)と比べてなので、客観的に見たらもしかしたら、普通なのかもしれないけど・・・。
もしプレパラート数だとしたら、仕事量は普通にがんばっているけれど、30個のうち2個正しくない数になるのはどうなんだろう?と思います。でも、この分野の技術も日進月歩しているらしいので、昔は大変だったのか もしれないという気もします。
もし培養細胞系列の数だったとしたら(たかがオリバー君にそんなにがんばるとは思えないが)、培養中に2サンプルで染色体の融合が起こったってことなのだろうけど、そんなことは有り得るのでしょうか?培養細胞でそ んなに頻繁に核型が変わられると少し迷惑だな・・・。
と、いうわけで、この場合にサンプル数って何の数を表しているんでしょうか?知っている方がいたら教えてください。個人的には、プレパラート数と考えるのが妥当なのかなぁ?と、思っています。
どうでもいいけど、本文よりもp.s.の方が長くなってしまった。


煮ました  投稿者:世種亜 投稿日: 2002年04月30日22時35分

あきさんへ

>しかしもっと偉大な神がいらっしゃいます。
>それは酵母の神です。
>みなさん感謝するように!

利用するだけ利用して、お茶碗一杯分くらいの酵母を殺してしまいました。
やっぱりちょっと申し訳ない気がします。


生命と無限  投稿者:YKK 投稿日: 2002年04月30日22時17分

本日このサイトを知り、投稿します。
最近、「生命と無限」あるいは、「進化論」について考えています。電車の中で『進化という考えかた』佐倉統[著](講談社現代新書)を読み、たどっていたら、このサイトに出会いました。

(1)19世紀以降、あらゆる学問領域のなかに、この「進化論」、別の表現では「個体発生は系統発生を繰り返す」という機械的唯物論が底流に流れています。
(2)しかし、この科学的理解の進展でも、<生命>は捉えられないのでは?と思っています。
(3)なぜかといえば、<生命>は<メタ的存在>だからです。
(4)これは最近の本『ゲーデルの哲学』で学んだ知識ですが、「数学的無限」の概念を追求してゆくと、原理的に定義不可能な問題に直面する…ということがあるからです。
(5)現段階ではうまく言えませんが、<生命>そのものは、「科学」では解明されないといいたかつたのです。


煮ました  投稿者:世種亜 投稿日: 2002年04月30日22時02分

あきさんへ

>しかしもっと偉大な神がいらっしゃいます。
>それは酵母の神です。
>みなさん感謝するように!

利用するだけ利用して、お茶碗一杯分くらいの酵母を殺してしまいました。
やっぱりちょっと申し訳ない気がします。


あのね  投稿者:革離@隆行 投稿日: 2002年04月30日21時39分

神という科学者 さんへ

ひょっとして突っ込まれたい??

イネ科の中で比較的原始的と見られるイネは2n=24です.
比較的進化していると見られている小麦の一種一粒系小麦は2n=14です.

>凡人の考えでは、普通分化して数が多くなってより「進化」すると考えられるのに数が減少しているんですからね。

それは本当にただの凡人の考え.断言していうのは恥ずかしいのでせめて質問調にしましょう.

P.S.
たまごちゃんへ

>実は私のお仕事(?)は、雑種の染色体を見ることなので

プロでいらっしゃいますね.以後でしたら染色体からみのお話は素人の私は引っ込んで玄人様にお任せするということで・・・・・
たまごちゃんは想像ついてらっしゃるかと思いますが,30サンプル(細胞)の染色体数をカウントすると中には良くない標本があって染色体がくっついちゃったり細胞が破れたりして少し飛び出したりして,所謂カウント ミスをするため染色体数がはっきりしないのが出てくるはずです.
オリバーが何物か私はわかりませんが,30サンプル中の2サンプル程度でしたらこれは間違い無くカウントミスと考えてよいと思われます(2n=47本の出現について).
普通は確認結果から除去されるのですがね.


信用度はいかほど?  投稿者:神という科学者 投稿日: 2002年04月30日21時26分

人間の染色体が類人猿より2本少ないということは創造論者にしては嬉しい情報ですね。凡人の考えでは、普通分化して数が多くなってより「進化」すると考えられるのに数が減少しているんですからね。

ところで、遺伝に関わる物質というのは染色体やDNAだと考えられていますが、実は他にもありそうな気(予感・霊感)が最近しています。例えば、それは生物の発生の過程をみればDNA上のホメオティク遺伝子がある ように、そのほかにももっと私達が知らない遺伝に関する物質やシステムがあるように感じています。

そうすると単に染色体やDNAの突然変異と自然選択という進化論が、根本的に見直される時が来そうな気がします。ともかくDNAの暗号は基本的にたんぱく質合成についての情報ですから、生物の形態形成においてはま だ分からないことが一杯です。実はそこのメカニズムが知りたいし大切なことなのですが、そこの重要な理論がまだわかってないのです。それなのに、進化論の総合説で説明できると信用していること自体、少し時期尚早だ とも言えますし、過大評価だとも言えるのです。ですから、今のこの進化論だけでは理論的不十分さはすでにかなり明白ですよね。やっぱり皆さんは「進化仮説」に対する「信用」と勇み足が、まだ、ちと過ぎるような気も しています。


染色体  投稿者:たまごちゃん 投稿日: 2002年04月30日19時27分

> 融合したというのが、どういう機能に関わる遺伝子を含む染色体なのかは非常に興味があります。

チンパンジーの12番染色体と13番染色体が、ヒトの2番染色体と相同なのだそうです。ヒトの2番染色体上にどのような遺伝子が有るかはネイチャーなどいろいろなところで見ることができると思います。


訂正  投稿者:たまごちゃん 投稿日: 2002年04月30日18時22分

RE オリバー君 投稿者:たまごちゃん  投稿日: 4月30日(火)16時27分50秒

n=48 → 2n=48に訂正  

全く我ながらどうやったらこんな間違いができるのやら。どんだけ染色体多いんや。


RE 類人猿の歴史とか  投稿者:たまごちゃん 投稿日: 2002年04月30日18時14分

> あと、「あの人は今?」という傾向の番組で、オリバー君の「現在」をレポートした番組もあったそうですが、飼育されている動物園での扱いは完全にチンパンジーに対するものだったそうです。もし今でも生きている のなら、もしくはサンプルが残されていれば解析し直すことも可能かもしれませんね。

その番組、私も見ました。(この番組を見ていなかったら、私は「オリバー君って何?聞いたこともない。」と、思っていたこと必至。)結構最近、番組をやっていたから多分まだ生きているんでしょうね。もちろん、
>>まぁ、それを使うまでもなくただのチンパンジーなことは明白ですけどね。
ですけど・・・。

> 融合したというのが、どういう機能に関わる遺伝子を含む染色体なのかは非常に興味があります。

私はあんまり興味がなかったから知らないですけど、すでに分っていると思いますよ。類人猿の何番染色体と何番染色体が融合してヒトの何番染色体になったかはすでに分っていますし、ヒトの何番染色体にどのような遺伝 子が有るかも分っていますから。探してみて見つけたらお知らせします。でも、その前に他の人が見つけてきて書き込んでくれる気もしますが・・・。

> DNAや染色体の情報が得られる遺物(永久凍土で凍結された死体とかさ)が無いのが惜しいと思います。

同感です。


類人猿の歴史とか  投稿者:PDX. 投稿日: 2002年04月30日17時34分

To たまごちゃん

>染色体数が47本だった2サンプルではヒトでは融合している染色体が融合していた
>結果47本だったのでしょうか?

 残念ながらと学会の本ではそこまで詳しいことは書かれていません。
 参考文献の名前は出ていますのでそこから当たることは可能かと思いますが。
(確か分析をした研究所の名前は書いてありました)

 あと、「あの人は今?」という傾向の番組で、オリバー君の「現在」をレポートした番組もあったそうですが、飼育されている動物園での扱いは完全にチンパンジーに対するものだったそうです。もし今でも生きているの なら、もしくはサンプルが残されていれば解析し直すことも可能かもしれませんね。
 でも誰もやろうとしないのは、

>まぁ、それを使うまでもなくただのチンパンジーなことは明白ですけどね。

ということなのでしょうけど(^_^;


>そのため、この染色体の融合はヒトの進化において重要な役割を演じたとかいう人も
>いますが、どう思われますか?

 融合したというのが、どういう機能に関わる遺伝子を含む染色体なのかは非常に興味があります。

 グールドの本によれば、過去においてアフリカでの類人猿の「潅木」はもっと多くの枝を含んでいたそうですが、それらの(今は滅びてしまった)種の染色体はどうだったのか、ネアンデルタール人やアウストラロピテク スではどうだったのか…。
 DNAや染色体の情報が得られる遺物(永久凍土で凍結された死体とかさ)が無いのが惜しいと思います。


分子系統  投稿者:たまごちゃん 投稿日: 2002年04月30日17時22分

世種亜さんへ

>分類学は人間の興味とかで詳しいところそうでもないとこが出てきてしまうのですね。DNAで分類するとある程度公平になるかもしれませんが、DNAがとれない生物もいるでしょうから、置き換えるのは難しいでしょ うね。

あきさんもおっしゃっていることですが、塩基配列を用いた系統解析は今日広く行われており、伝統的な表記分類よりもよほど主流なものとなっています。塩基配列を用いると従来よりも、より信頼することのできる系統樹 を描くことができると思います。しかし、描いた系統樹のどこに境界線をひき、どのようなグループ分けをするかということは分類学者の主観に基づいており、系統樹を描くためにどのような形質(表現型質か塩基配列か) を用いたかということとは関係なく、バイアスがかかってくるものなのではないでしょうか。系統樹は1本の幹を持つ一つながりの木であって、そのどこにもグループ分けの根拠となるような境界線や塩基配列のギャップは ないのですから。
「過去にまでさかのぼって現存していない生物まで加えるとグループ分けの根拠となるようなギャップはどこにもない(これは正しいと思う。)のだから、グループ分けをする必要もない(個人的にはこの主張には反対)」 という分子系統学者もいます。このような立場にたってしまえれば楽なのですが、グループ分けをしたいと思うかぎりにおいては、ある程度のバイアスがかかってくることは避けられないと思います。
ところで、DNAをとれない生物とは、現存していない化石上の生物とかのことでしょうか。もしそうだとしたら、分子系統解析は化石生物への応用が難しいという指摘は、妥当だと思います。


RE オリバー君  投稿者:たまごちゃん 投稿日: 2002年04月30日16時27分

> 染色体の数も48本。ただし、30サンプルのうち2サンプルが47本という結果が出ていたそうです。

実は私のお仕事(?)は、雑種の染色体を見ることなので、こういう話を見ているとお仕事を思い出してしまって少し嫌な気分に・・・。染色体数が47本だった2サンプルではヒトでは融合している染色体が融合していた 結果47本だったのでしょうか?おそらく当時はそれを調べるのは大変だったろうと思いますが、もしそうだったら、それなりに面白いと思いませんか??ちなみに、最近の技術を使えば、雑種について、父親の種由来の染 色体と母親の種由来の染色体を染め分けることができます。それを使えば、オリバー君が純粋にチンパンジーかヒトとチンパンジーの雑種かはっきりわかります。まぁ、それを使うまでもなくただのチンパンジーなことは明 白ですけどね。

ところで、ヒトと類人猿の染色体数が違うのは、類人猿で染色体の分離が起こったためではなく、ヒトに染色体の融合が起こったためと考えられています。(根拠はヒトとチンパンジーが分かれる以前にヒト&チンパンジー から別れたゴリラ、それ以前に分かれたオランウータンなどがチンパンジー同様n=48だから。)そのため、この染色体の融合はヒトの進化において重要な役割を演じたとかいう人もいますが、どう思われますか?


間違い  投稿者:たまごちゃん 投稿日: 2002年04月30日15時46分

下の書き込み、「RE境界」ではなく、「RE境界線」でした。GOAさん、失礼いたしました。ちなみに、他にも誤字がありますが、意味は取れるだろうと思いますので、大目に見てやってくださいな。


RE 境界  投稿者:たまごちゃん 投稿日: 2002年04月30日15時34分

>>例えばジャワ原人が現存していたとしたら、おそらくジャワ原人は原人には分類されず、類人猿とみなされ、「人間の特異性」を議論する時にはホモ・サピエンスとジャワ原人の共通祖先と、旧人あたりの違いが議論の 焦点になったことでしょう。

>「直立二足歩行」がヒトとサルを分けるもっとも重要な違いだと思っていたのですが違うのでしょうか?(この基準で区別すれば原人は間違いなくヒトでしょう)
具体的に原人が類人猿とみなされる可能性についてどのような理由によるものか教えていただきたく存じます。

個人的には、サルとヒトとの間に境界を引く必要はないし、ひくことは不可能だと考えています。「直立二足歩行」がヒトとサルを分ける境界だという基準自体が、人間を現存のサルと別格のものとするための人間中心主義 的で恣意的な基準だと思います。「直立二足歩行」がヒトとサルを分ける基準として重視されるのは、私たちの種以外に、直立二足歩行を行う霊長類が現存していないからではないかと思います。「直立二足歩行」が重要視 されるのは、それが特に重要な形質だからというよりも、それによって、私たちと現存の他の霊長類を分けることができる、都合の良い形質だからこそなのではないでしょうか?(直立二足歩行が手を自由にしたり、脳の肥 大化を可能にして、今日のヒトへの進化に重要な役割を果たしたこと自体は否定しませんが・・・。)
もし今後、(可能性としてはほとんどありえないが、)ヒマラヤの奥地かどこかで、今日の基準では原人に分類されるような動物が発見された場合には、その動物は原人とみなされ、テレビや新聞を大いに賑わせることでし ょう。そしてその原人の人権とかが議論されることでしょう。もうすでにヒトとサルの境界を「直立二足歩行」の有無に置くという基準が確立されてしまっていますから。
しかし、実際の歴史とは異なり、一部の原人が今日のチンパンジーと同程度に有り触れた動物として現存していた場合には話が違ってくると思います。(チンパンジーは決して有り触れてはいないけれど、まぁ、チンパンジ ーと同程度に、現存していることがある程度昔から明白だったらという意味にとってください。)人々は、直立二足歩行を行い簡単な道具や火も扱うが私たちのような高度な文明はもたないこの動物(原人)を、自分たちと は根本的に異なった、どちらかというとサルのような動物だと考えるのではないでしょうか。そして、この動物(原人)を類人猿に分類し、この動物と私たちの種の境界を議論するのではないでしょうか。今日私たちがチン パンジーとヒトの境界を議論するように。その時のサルとヒトとの境界は、今日私たちが用いている「直立二足歩行」とは違ったものが用いられることだろうと思います。
我ながら分りづらい説明だと思うが、どうすれば分りやすくなるのかが分りません。誰かに突っ込んでくれたら、それに対する返事によって、もう少し分りやすい説明に持っていけたらと思います。


NATROMさんへ  投稿者:伊勢田 投稿日: 2002年04月30日13時09分

NATROMさん曰く、
>ただ現状では、日本の創造論者は恣意的な分類によって創造論を擁護しています。私の知る限り、詳細な具体例を挙
>げて本質的種の概念を擁護する人はいません。恣意的な分類を攻撃することによって、創造論者が詳細な検討に耐え
>られる分類学を構築する気になってもらえればそれはそれで意味があると思います。

なるほど。どういう相手を想定して話していたかの違いですね。了解了解。

>客観的に分類してみたら本質的種がはっきりするということも可能性としてはありえたが、
>実際の種の観察からは本質的種が存在することは否定的だ。

これについてもまったく同意見です。


re:分類学について   投稿者:あき 投稿日: 2002年04月30日 2時25分

世種亜さんへ

>DNAで分類するとある程度公平になるかもしれませんが、DNAがとれない生物もいるでしょうから、置き換えるのは難しいでしょうね。

ゲノムDNAすべてを比較することは困難ですが、一部のタンパク質のDNAに関しては比較検討され分類の基準の一つとなっています。
例えば生物界に広く存在しているチトクロムcはその一例で、古くはアミノ酸配列で比較され、塩基配列が容易にわかるようになると塩基配列で比較されています。
このような例は多く、現在はある種で新しいタンパク質が精製された場合、そのDNAの塩基配列に類似した配列を求めて、その種以外の生物を含めて、広く検索されます。

ですから、分類学は塩基配列の比較から得られた類縁関係の知見を取り込んでおり、この点でバイアスがよりかかりにくくなっています。


ネコの神  投稿者:あき 投稿日: 2002年04月30日 2時09分

ネコを食べてはいけません。
なぜなら、神はネコのような姿をしており、地球はネコのために創られ、被造物の中心にはネコが立つと信じられているからです。

しかしもっと偉大な神がいらっしゃいます。
それは酵母の神です。
みなさん感謝するように!


オリバー君  投稿者:PDX. 投稿日: 2002年04月29日23時31分

 と学会の「新・トンデモ超常現象56の真相」(太田出版)によると、オリバー君は完全なチンパンジーだそうですけどね。
 染色体の数も48本。ただし、30サンプルのうち2サンプルが47本という結果が出ていたそうです。
 あと腰椎の数もチンパンジーと同じ、血清蛋白のパターンもチンパンジーと一致、だそうです。

 まぁ当時オリバー君を紹介する番組を作った日本テレビの制作局長も、アレはショー番組、と言いきっていたそうですから。(なんせ番組の録画をしている最中に上記の調査結果が公開されているのだから、少なくとも放 映時にはスタッフは知っていたはず)


分類学について  投稿者:世種亜 投稿日: 2002年04月29日23時20分

>たまごちゃんさん、あきさん

コメントどうもありがとうございます。分類学は人間の興味とかで詳しいところそうでもないとこが出てきてしまうのですね。DNAで分類するとある程度公平になるかもしれませんが、DNAがとれない生物もいるでしょ うから、置き換えるのは難しいでしょうね。


神は貴方に素晴らしい・・・  投稿者:ピクミン 投稿日: 2002年04月29日23時17分

神は貴方に素晴らしい人生を・・・願っているけど力がおよばない  のかも
阪神は儂に素晴らしい人生を・・・儂がいくら願っても力が足りなかった  けどとりあえず4月優勝有り難う


関西弁で「違う」  投稿者:wadja 投稿日: 2002年04月29日23時05分

わけわかめなタイトルですが、今の中国の人って犬食べないんでしょうか?
「ちゃうちゃう」って、食用に育種されたって昔聞いた気がするけど。

犬でも猫でも、切り身になって調理されてるのなら食べたい。昔フランス料理店で、正体を知らずに「日替わり定食」を頼んだら、リスの姿焼きが出てきたときは閉口した。無理して食べたけど、味が良く分からなかった。 アメリカ人が、焼いた秋刀魚食べるときも似たような気持ちなのかな?

で、阪神も勝ったことだし、取り敢えずハッピー(死語だなんて突っ込まないように)!


慰められたことだし  投稿者:谷庵 投稿日: 2002年04月29日22時21分

年に何回かは悲惨な状況を目の当たりにするものだから、つい熱くなっちゃうんですよね。
気分直しにスポーツニュースでも見るか。
今日は西武ドームに行って来たのだけれど、もう一度見れば気分も晴れるかな。


まあまあ谷庵さん  投稿者:革離@隆行 投稿日: 2002年04月29日21時58分

月岡氏もまあどうしようもない人だが,それを言わせている宗教自体に問題があるのだと思いますぞ.

宗教にそういう他人に無神経な宣伝甘言美句がある限り良識のある人は非難するだろうなあ〜

でも○○ファンとかと同じで小さいころから当たり前にある環境に育っていたら染まるのだろうなあ〜〜


月岡世光氏のサイトから  投稿者:谷庵 投稿日: 2002年04月29日21時23分

>神はあなたにすばらしい人生を経験させたいと願っておられます。

何という無神経な言葉でしょう。
こういうことを言うから宗教を信じている人が嫌いなのです。(言わない人は無視してください)
何の罪もないのに無惨に殺されている人、不治の病に冒されている人はたくさんいるのに、
彼らがすばらしい人生を経験出来ない理由をどう説明するのでしょう。
彼らを侮辱しない説明というものがあるのでしょうか。


いやいやクハ72さん  投稿者:革離@隆行 投稿日: 2002年04月29日18時53分

一人でうろたえてなけりゃバレていないと思いますぞ!!!

ところでお値段はいかほどなのでしょう>ヘルメス☆さん

仮に小鉢にちょびっとで「2000円!!」とか言われるとなあ,食べる気出ないなあ〜
小鉢なら「500円」までだなあ〜

ってどこで食べられたか判らないのですが.


何を言ってるんだ俺は  投稿者:クハ72 投稿日: 2002年04月29日17時16分

食ったけど不味かったっす。
と読み違えてしまったではないか。ヘルメス☆さんごめんなさい。m(__)m


犬肉  投稿者:クハ72 投稿日: 2002年04月29日15時58分

> 食ったけど美味かったっす。

そうなんですか。う〜ん、どうしようかな。


科の次は目だ!  投稿者:クハ72 投稿日: 2002年04月29日15時57分

> created kind はおおむねリンネ式分類法の科のレベルにあたるようだ
というのであれば科とその上の目の違いは何なんでしょうか。科内の進化はあったが新たな科が分かれた進化はなかったのはなぜなのでしょう。
 しかしこれで月岡世光氏もライオンとヒョウの祖先が同じであることは認めるだろうな。


犬肉は  投稿者:ヘルメス☆ 投稿日: 2002年04月29日13時59分

食ったけど美味かったっす。
韓国人の彼女とかいたから、いろんなモン食べたなぁ。

猫も美味かった(爆)。


GOAさんサンキュー  投稿者:革離@隆行 投稿日: 2002年04月29日13時51分

>ヒトは46、類人猿は48、そして“人間とサルの混血”オリバー君は47(笑)だそうです。

そうすると染色体の相同性が高い場合はどこかで3価染色体が出来,不均一な分離が起こるから(しかも多分途中でブチ切れたようないわゆるフラグメントが出切る),正常な生殖細胞は出来にくい.
相同性が低いか減数分裂時に関する遺伝子によって相同染色体以外対合しない場合は多数の1価染色体が出きるから2項定理での計算式に乗っかって,低い確率を期待するかあるいは非還元配偶子の出現を期待するか・・・ ・いずれにせよ大量に雑種を作らない限りその子孫は出来なさそう.


染色体数  投稿者:GOA 投稿日: 2002年04月29日12時16分

tamo2さん
革離@隆行さん

ヒトは46、類人猿は48、そして“人間とサルの混血”オリバー君は47(笑)だそうです。


リクイグアナの神  投稿者:NATROM 投稿日: 2002年04月29日 9時57分

>本当は神中心主義です。 投稿者:神という科学者  投稿日: 4月27日(土)17時43分16秒
>Natromさんは人間中心主義をかなり嫌っているようにお見受けしますが、創造論は正確には人間中心主義ではありません。その根拠を聖書から紹介しましょう。

別に嫌っているわけではありません。創造論者が誤った進化論理解に基づいて、「進化論は人間中心主義だ」と進化論を批判することがしばしばなので、それならば創造論のほうがずっと人間中心主義的だと皮肉っているの です。


>この記述から分かることは被造物の中心に人間を立てたのは神(創造主)ご自身であり、神の計画であるということです。

聖書の記述が真実だと信じる人にとってはそうですね。神という科学者さん自身とっては、創造論は神中心主義でしょう。しかし、聖書の記述が真実であるとみなさない人にとってはどうでしょう?聖書の記述が客観的に正 しいと証明することはできません。それだけではなく、字句通りの解釈を行うと、聖書には矛盾する個所もあります。

リクイグアナの創造論者は、神はリクイグアナのような姿をしており、地球はリクイグアナのために創られ、被造物の中心にはリクイグアナが立つと信じています。これを神中心主義と呼ぶならば、人間の信じる創造論も神 中心主義と言えるでしょう。ただ、リクイグアナにとっては、神がサルの一種である人間の姿をしているはずではなく、人間の創造論者は人間に都合のよいように想像した神を持ち出して被造物の中心に立つと考えている傲 慢な生き物なのです。その証拠に見よ、彼らの聖典は矛盾だらけではないか。しかも、そう信じない人間もいるし、信じている人間の間でも解釈が異なる始末だ、というわけです。

信仰告白も結構ですが、なにかしら根拠がないことには、他人の感銘を呼びません。この掲示板では神という科学者さんと信仰を異にする人も読んでいることをお忘れなく。聖書が正しいと言う「事実」から出発するのはか まいませんが、それは宗教であった科学ではありません。科学足りえようとするならば、聖書の記述が信頼できるなんらかの根拠が必要です。


Re:sci98    投稿者:革離@隆行 投稿日: 2002年04月29日 9時55分

さてさて今日こそ隆行の得点はなるか?

sci98さんへ  
>私、ヒトとチンパンジーの間に繁殖能力のある子供が生まれても
別に驚きはしないのですが、可能性としてはどうなんでしょうね。

染色体数は同じなのでしょうか?異なっている場合,減数分裂で何らかの異常をきたすことが予測されますから子供の繁殖能力は期待できないんじゃないでしょうか?
植物みたく一度に大量に子供を作る機会があれば百分率で計れるのでしょうがね・・・・

結構染色体は分裂したりくっついたりで基本ゲノム数が変わることは多いみたいです.ですので染色体数が異なるから遠縁というわけではありません.しかしながら減数分裂の時に三本でくっついてしまう三価染色体等が出 現してしまいますから正常に分裂していかないものと思われます.
もっと離れていたら減数分裂の時に染色体の対合が見られませんからその場合は2項定理の原理で正常な卵子あるいは精子が出来ることが期待されますが(あるいは非還元配偶子の出現を期待する),非常に低い頻度である ことが予測されると思われます.というより無い.


実質的な批判  投稿者:NATROM 投稿日: 2002年04月29日 9時38分

>実質的な批判 投稿者:伊勢田  投稿日: 4月27日(土)16時08分44秒
>最近はどうなっているのかと思って調べてみたら、2001年にICRが主催した会議では「created kind はおおむねリンネ式分類法の科のレベルにあたるようだ」ということで一致したようです。(これ が無脊椎動物なども含めての話なら、Gishが当初提案した分類よりだいぶ「非人間中心主義的」な方に修正されたことになりますね。)

なるほど、こういう提案に対してなら、「実質的なレベルで批判」が可能ですね。伊勢田さんのおっしゃるように、本質的種の内部での連続性と、本質的種間の不連続性を具体例を挙げもらえれば、反論もしやすいでしょう 。私の批判の対象はこの掲示板に現れる創造論者であったのに対し、伊勢田さんの仮想創造論者はもっと高レベルであったことがすれ違いの一因であったようです。十分に具体的な主張を行える創造論者がこの掲示板に来な いものですかね。


>いずれにせよ、分類学の問題として創造科学の恣意的な分類を攻撃するのは実りがないんじゃないですか?

ただ現状では、日本の創造論者は恣意的な分類によって創造論を擁護しています。私の知る限り、詳細な具体例を挙げて本質的種の概念を擁護する人はいません。恣意的な分類を攻撃することによって、創造論者が詳細な検 討に耐えられる分類学を構築する気になってもらえればそれはそれで意味があると思います。


>問題は分類が恣意的か客観的かということではなく、どんなに客観的な分類に基づいてみたところで本質的種という概念そのものに無理があるということなんですから。

「どんなに客観的な分類に基づいてみたところで本質的種という概念そのものに無理がある」ことには賛成します(#)。分類が恣意的であることを批判する意味はあるし、実際にこの掲示板での主張はきわめて恣意的な分 類に基づいていました。実質的なレベルで批判は、具体例を挙げて既存の分類学に挑戦する創造論者が現れてからにします。

#客観的に分類してみたら本質的種がはっきりするということも可能性としてはありえたが、実際の種の観察からは本質的種が存在することは否定的だ。創造科学者が具体例を挙げて本質的種の概念を証明しようとするのは いいことだと思う。ただ詳細を検討してどうやら本質的種という概念がなさそうであることがわかったら、彼らはどうするだろうか。


オリバー君  投稿者:tamo2 投稿日: 2002年04月28日23時44分

 ――って、なんていう触れ込みでしたっけ、突然変異? 人と猿の間に生まれた子供?
 あまりにもくだらない質問ですが、つい浮かんだもので・・・

 自分で調べるか。


ヒトとチンパンジー  投稿者:sci98 投稿日: 2002年04月28日23時04分

私、ヒトとチンパンジーの間に繁殖能力のある子供が生まれても
別に驚きはしないのですが、可能性としてはどうなんでしょうね。
(生物学的には面白い実験だと思うんだけど、別の問題がなあ…)


ダーウィンの言葉  投稿者:PDS 投稿日: 2002年04月28日 1時41分

ダーウィンの「強い生物が生き残るとは限らない〜」という言葉を知り感銘を受けて出典を知る為にこのサイトをたずねてみましたが、実は後世の創作かもしれないわけですね。
恥をかかずにすみました。


155551ゲットだ!ズザー  投稿者:クハ72 投稿日: 2002年04月28日 0時46分

してしまいました。ただそれだけです(w


GOAさん情報ありがとうございます  投稿者:クハ72 投稿日: 2002年04月28日 0時16分

 余裕があったら行ってみましょう。
 ところで、数週間前のNHK週間子供ニュース見てたら反捕鯨団体の人が出演して
「鯨肉は汚染されている可能性がある」
「鯨肉を食べなくても牛肉や豚肉、鶏肉がある」
ということを言っていました。NHKは公平性を狙ったんでしょうが、なんだが反捕鯨団体の頓珍漢な認識を露呈しているようにしか思えませんでした。
 そう言えば豪州ではカンガルーを食すそうな。絶滅危惧種じゃなかったとは意外。


本当は神中心主義です。  投稿者:神という科学者 投稿日: 2002年04月27日17時43分

Natromさんは人間中心主義をかなり嫌っているようにお見受けしますが、創造論は正確には人間中心主義ではありません。その根拠を聖書から紹介しましょう。

創世記第1章26節〜28節です。
神はまた言われた、「われわれのかたちに、われわれにかたどって人を造り、これに海の魚と、空の鳥と、家畜と、地のすべての獣と、地のすべての這うものとを治めさせよう」。
神は自分のかたちに人を創造された。すなわち、神のかたちに創造し、男と女とに創造された。神は彼らを祝福して言われた、「生めよ、ふえよ、地に満ちよ、地を従わせよ。また海の魚と、空の鳥と、地に動くすべての生 き物とを治めよ」。

この記述から分かることは被造物の中心に人間を立てたのは神(創造主)ご自身であり、神の計画であるということです。人間が好んで傲慢にも自らの選択によってその位置に立つものではないということです。われわれ人 間の側から見れば、神からのこれらの「請託」を受けた人間はその「万物を治める」という権利であり責任を立派に果たさなければならないとみます。ある意味で神から与った万物を神の代わりに、神のような愛情を持って うまく統治しなければならないということです。

もちろん、上記の聖書の記述のように人間は他の生物を分類識別する能力を持ち、治める潜在能力を持っていると思います。その能力は隣人と自然と生物を愛する心、知性による無限な創造力です。しかし、堕落によって神 から離れて(失楽園)、今までの私達人間は歴史上その完全な統治能力を発揮できないでいると見ます。むしろ、悪い統治をして来たのです。その例が自然環境破壊や生物虐待あるいは戦争です。

「愛による統治」とは神の愛による統治、神の愛とは生みの親の愛情です。つまり親の愛情です。そして、万物は万物で子供のように人間のその愛情を受けて喜びや幸せを感じることができるように造られていると見ていま す。その例はイルカや犬などが人間と友だちになれることを見れば知ることが出来ます。しかし、人間に「愛情」がなければ不可能でしょう。

ところで、人間が、今後、もう一度神に帰り「本来の潜在的能力」を発揮できるならば、人間も他の生物も神も三者が共に喜びながら共存できる「理想的地球」を作り上げることが出来ると思います。そのためには人間が神 のもともとの「宇宙創造のご計画」のプログラムに正しく乗っかって行かなければならないと思っています。そして、その実践の鍵は人間の愛情です。その愛情には謙遜さと相手に対する尊敬心が必要だと思います。

PS:たまごちゃんへ。旧約聖書についての討論をするよい掲示板を私は知りません。個人的にメールをくだされば私の可能な範囲で討論に応じることが出来ます。もし、それでもよろしければこの掲示板の私のHNをクリ ックすればメールの作成が出来るようですからそこからお送りください。


実質的な批判  投稿者:伊勢田 投稿日: 2002年04月27日16時08分

NATROMさん、
分類学の恣意性と人為性については失礼しました。

NATROMさんと態度がずれる理由がようやく分かってきました。
NATROMさんのイメージは、創造科学者が「これが本質的種だ」と無前提に断定して
補足も変更もしない、というもののようですが、わたしのイメージは、創造科学者たち
はその場その場ではそれなりの根拠を出しながら本質的種の定義を与えようと苦心惨憺して
いるけれど、うまくいかずに修正を繰り返してきている、というものです。たとえばGishも
何度も本質的種の定義を提示しては、あえなく撃ち落とされてきています。(クハ72さん
が紹介しているのはその比較的初期のやつですね。)最近はどうなっ
ているのかと思って調べてみたら、2001年にICRが主催した会議では「created kind は
おおむねリンネ式分類法の科のレベルにあたるようだ」ということで一致したようです。(これが無脊椎動物なども含めての話なら、Gishが当初提案した分類よりだいぶ「非人
間中心主義的」な方に修正されたことになりますね。)
http://www.icr.org/headlines/dis continuityconference.html

こういう方向でおちつくなら、少なくとも「どういう根拠でそういう分類をするのか」という問いには、既存の
分類学が使う根拠を大部分流用できるでしょう。(もちろん、ヒトを除いて、ですが、ヒト
についても一昔前のヒト科が一属一種だった時代の分類を持ち出すことはできるかも。)
進化論側としては、そうやって彼らが提示してくる根拠をいちいち撃ち落として
いけばよいのだと思います。本質的種が満たすべき条件は(聖書上のものは別として)、
(1) 本質的種の内部ではそれに属するさまざまな種の間に十分な連続性が存在すること
(2) まわりの本質的種との不連続性が大きく、漸進的変化の結果分かれたとは考えられないこと
の二点だと思います。そうすると、たとえば、「created kind はおおむねリンネ式分類法
の科のレベルにあたる」という主張に対しては、彼らが具体的にどの科をcreated kindと認定するのかを
質し、それらの科の中に存在する大きな不連続性や、その科と隣接する科の間のさまざまな中間形態の実例を
提示することで反論できるでしょう。それがわたしのイメージする「実質的批判」です。
それができる程度には彼らは具体的な主張をしていると思います。

いずれにせよ、分類学の問題として創造科学の恣意的な分類を攻撃するのは実りがないんじゃないですか?
問題は分類が恣意的か客観的かということではなく、どんなに客観的な分類に基づいてみたところで
本質的種という概念そのものに無理があるということなんですから。


Re:犬肉   投稿者:革離@隆行 投稿日: 2002年04月27日 9時29分

>現在でも韓国では男性を中心に根強い人気があるが、食肉としては畜産物加工処理法の対象外のため、衛生対策などを管理するよう求める声も出ている。(共同通信)

文化としては一向に構わないし,安けりゃ試すし,美味しけりゃ繰り返し食べるけど,衛生対策はきっちりしないとまずいんじゃない?


日本に輸入されたら『動物用医薬品残留基準』とかはどうなるんだろう?適用されるのかな?


境界線  投稿者:GOA 投稿日: 2002年04月27日 3時34分

たまごちゃん
>例えばジャワ原人が現存していたとしたら、おそらくジャワ原人は原人には分類されず、類人猿とみなされ、「人間の特異性」を議論する時にはホモ・サピエンスとジャワ原人の共通祖先と、旧人あたりの違いが議論の焦 点になったことでしょう。

「直立二足歩行」がヒトとサルを分けるもっとも重要な違いだと思っていたのですが違うのでしょうか?(この基準で区別すれば原人は間違いなくヒトでしょう)
具体的に原人が類人猿とみなされる可能性についてどのような理由によるものか教えていただきたく存じます。

クハ72さん
「補身湯」なら新宿その他のコリアンタウンに行けば食べられると思います。ただ、結構な値段だと聞いていますが。
でも「犬肉サンドイッチ」や「犬肉ハンバーガー」あるのに「ホットドッグ」がないのはシャレになんないからでしょうか?
それと「食文化」を伝えたいならこんな新メニューはかえって逆効果になるように思えます。

*そういえば、26日のニュースで高木アナが鯨肉のホットドッグを食べていました。IWCにあわせて下関で売られているそうです。

http://www.nikkei.co.jp /pub/science/page/honsi/9709/anamensis.html


犬肉  投稿者:クハ72 投稿日: 2002年04月27日 3時11分

食いてぇ〜!

http://headlines.yahoo.co.jp /hl?a=20020426-00000013-kyodo-wcp


ハッターさんへ  投稿者:考える葦 投稿日: 2002年04月27日 1時10分

その受け取り方でよろしいです。
お答え遅れてすみませんでした。


世種亜さんへ  投稿者:あき 投稿日: 2002年04月27日 0時17分

>現在の分類学って、霊長目の所だけやたら細かく分類されていると思いませんか?
亜目、下目、上科、科、属とクラス分けが多いです。
分類したのが人間だからかなぁ。

私は分類学者ではないので詳細は知りませんが、細かく分類されているのは研究が進んでいる分野であるからだと思います。別のいい方をすれば人気がある分野なのでしょうね。

ちなみに昆虫は研究として好まれやすいのか、かなり詳しく分類されている種類があります。

こう考える分類学には人為的な要素が入っていますね。分子生物学であろうと遺伝学であろうと同じでしょうけど。


創造分類学  投稿者:クハ72 投稿日: 2002年04月26日23時57分

なんてのはないんでしょうか。神が創造した生物(つまり本質的な主)が何種類だったかを、聖書の記述ではなく証拠に基づいて推定することが行われているとは、少なくとも僕は聞いたことはありません。


あっ!  投稿者:たまごちゃん 投稿日: 2002年04月26日23時42分

>#私は既存の分類学ですら、人間中心主義的バイアスがかかっていたと思う。一昔前は、チンパンジーとヒトは別の科に分類されていた。現在は別の属に分類されているが、そのうち同属に分類されるようになったとして も、私は驚かないだろう。

あっ!私が書いているうちに、管理人さんによって同じことが書かれてしまっている。


イグアナ博士  投稿者:たまごちゃん 投稿日: 2002年04月26日23時33分

>現在の分類学って、霊長目の所だけやたら細かく分類されていると思いませんか?
亜目、下目、上科、科、属とクラス分けが多いです。
分類したのが人間だからかなぁ。

岩波の生物学辞典についている分類表を見ていると、確かにその傾向はあるのかもしれませんね。しかし、NATOROMさん達の仰る「細分化」とは、より多くのカテゴリーを用いた分類というよりも、例えば属に対応さ せるくらいが妥当なタクソンを、より上位の例えば目あたりに対応させて、それを更に科や属などによって細かく分類していくようなことをさしているのだと思います。
「細分化」をこのような意味で用いた場合にも、世種亜さんの仰るとおり、既存の分類体系自体がヒトに近いところで他よりも細分化されている傾向はあると思います。現存するうちではヒト一種に科のカテゴリーを対応さ せているのはどう考えてもおかしいですよね。私は全てのタクソンは必ず単系統でなくてはならないとは考えていません(例えば硬骨魚類という綱があっても良いと考えている。)が、それでもヒトは他2種のチンパンジー と同じ属に分類するのが妥当だと思います。
猿人、原人、旧人は、現存していないからヒト科の仲間に分類されているだけで、もし現存していたら絶対ヒト科に分類されてはいなかっただろうと思います。よく、「人間と他の動物の本質的な違いは何か?」とかってい うので、チンパンジーと猿人の共通祖先と猿人では根本的に何が違うか、みたいな議論がなされますが、それがなされるのはチンパンジーは現存していて猿人はそうではないからだと思います。例えばジャワ原人が現存して いたとしたら、おそらくジャワ原人は原人には分類されず、類人猿とみなされ、「人間の特異性」を議論する時にはホモ・サピエンスとジャワ原人の共通祖先と、旧人あたりの違いが議論の焦点になったことでしょう。私た ちもリクイグアナの分類学者とそう変わりませんね。


分類学  投稿者:NATROM 投稿日: 2002年04月26日23時30分

>分類学間の対立 投稿者:伊勢田  投稿日: 4月26日(金)17時37分59秒
>「ホモ・サピエンスに近づくほど細分化」していると判断するために使っているものさしは既存の分類学ですよね。
>そして、その既存の分類学は、「種」より上の区分についてはけっこう恣意的だというのはNATROMさん
>自身もご指摘の通りです。

既存の分類学は人為的であるとは指摘しましたが、恣意的だとは言っていないと思います。私が恣意的だと指摘したのは、既存の分類学ではなく、創造論者による分類学です。既存の分類学は「動植物の分類を分類学の碩学 たちがそれなりの原理と妥当性によって時間をかけて作り上げたもの」だったのではないでしょうか。ただし、人為的なものであるから、分類が変わったり、分類学者同士で意見の一致をみなかったりすることもあります。 しかし、分類を変えるときはそれなりの妥当性のある根拠が必要だし、大部分の分類についてはたいていの分類学者の意見は一致しています。

既存の分類学に非人間中心主義的バイアスがかかっている(#)と主張するのであれば、それなりの根拠を示す必要があると思いますが、どこにも根拠が示されていません。三葉虫の分類が細分化されすぎているというので あれば、既存の分類学でさまざまな目、科に分類される三葉虫の特徴を提示し、細分化されていることを示せばよい。もし創造科学者がそのような努力を行っているとすれば、私の批判は的外れであるし、伊勢田さんの創造 論擁護も妥当だと言えるでしょう。しかし、現状では、伊勢田さんは無意味に好意的であるに過ぎないように見えます。

#私は既存の分類学ですら、人間中心主義的バイアスがかかっていたと思う。一昔前は、チンパンジーとヒトは別の科に分類されていた。現在は別の属に分類されているが、そのうち同属に分類されるようになったとしても 、私は驚かないだろう。


>「霊性」についてですが、「あいまいだ」という批判のしかただと、じゃあたとえば霊性の操作的定義として
>「構文論的構造を持つ言語を話す能力」とか持ってくればいいのか、という切り返しが考えられます。
>(この定義では大型類人猿の一部ももしかしたら「霊性」を持ちますが、しかしそういえば聖書には
大型類人猿がアダムの子孫でないとはどこにも書いてないような。)

もちろんそのような定義を行うならまだマシです。その定義が果たして妥当であるかどうかについての議論が行えますから。しかしその場合でも、大型類人猿の一部が「霊性」を持つなんてことが判明したとしたら、創造論 者たちはその定義を変更すると思いますね。


>昔邪馬台国論争というのがあって、さまざまな論者が、あまり
>根拠もなく、邪馬台国は奈良だ、いや福岡だ、長崎だ、(エジプトだ、アメリカだ)とやり
>あっていました。しかし、邪馬台国論争の場合は、「同じくらい根拠がなく、しかも相互に
>両立不能な仮説が存在する」ことは、これらの仮説がすべてばかげているということを示す
>根拠にはなっていないと思います。

近畿説と九州説にはそれなりの根拠はあったように思いますが、どうなのでしょう。少なくともエジプト説よりは妥当性があるように思います。既存の分類学に対抗した創造論的分類学を持ち出されたときに、私がリクイグ アナ分類学を持ち出したのは、邪馬台国論争でたとえるなら、既存の学説に対抗してエジプト説を持ち出されたときに、「そんなもんは邪馬台国=アメリカ説と変わらんね」って言うようなものです。確かに近畿説やら九州 説やらがあるにしても、何でもアリというわけではありません。既存の分類学も確かに人為的な部分はありますが、何でもアリというわけではありません。

もちろん、それなりの根拠を示していただけるのであれば、邪馬台国=エジプト説であろうと、創造論的分類学であろうと、吟味の対象になります。創造論者が本気で既存の分類学に代わる別の分類学をうちたてようとする のであれば、「実質的なレベルで批判」することができるのですが、現時点では、「実質的なレベルで批判」しようにも批判対象がありません。「もっと実質的なレベルで批判しなくてはだめだ」と言われても、具体的にど のような批判が可能なのですか?

#邪馬台国=エジプト説に対しても、「実質的なレベルで批判」するのは無理だと思う。根拠不十分を指摘するのがせいぜいで、しかもそれで十分であろう。


分類学  投稿者:世種亜 投稿日: 2002年04月26日18時51分

現在の分類学って、霊長目の所だけやたら細かく分類されていると思いませんか?
亜目、下目、上科、科、属とクラス分けが多いです。
分類したのが人間だからかなぁ。


たまごちゃんへ  投稿者:世種亜 投稿日: 2002年04月26日18時44分

こんばんは、たまごちゃん

>世種亜さん、いい味出していますねぇー。ソクラテスみたいで。

どうもありがとうございます。たまごちゃんは何のたまごなんですか?
これから連休突入でこちらは見ていないかもしれません。失礼します。


ありがとうっすPDX.さん  投稿者:革離@隆行 投稿日: 2002年04月26日18時28分

http://biztech.n ikkeibp.co.jp/wcs/show/leaf?CID=onair/biztech/prom/182196

紹介していただいた,日経バイオテクを眺めていると上のリンク先のネタを見つける事が出来ました.

さて問題です(笑い)
この情報には根本的なところが抜けていると思われます(注.私のリンク先です).
何でしょう?


本質的な種の定義  投稿者:クハ72 投稿日: 2002年04月26日17時44分

 創造論者の文章を読む限り、相互に交配可能で生まれて来た子に繁殖能力がある、ということのようです。でも統一的な基準にはならないんでしょうね。


分類学間の対立  投稿者:伊勢田 投稿日: 2002年04月26日17時37分

最終的には同じ立場のNATROMさんと論争するのも変な話ですが、ちょっと続けてみます。

NATROMさん曰く、
>いったいなぜ創造論者は、ホモ・サピエンスに近づくほど「基本的な種類」を細分化するのでしょうか。

だから、そういう問題の立て方は批判のポイントをそらしてるんじゃないかと。
「ホモ・サピエンスに近づくほど細分化」していると判断するために使っているものさしは既存の分類学ですよね。
そして、その既存の分類学は、「種」より上の区分についてはけっこう恣意的だというのはNATROMさん
自身もご指摘の通りです。
そういう「恣意的」な物差しに相対的な恣意性を指摘されても、創造科学は痛くもかゆくもないでしょう。
その上で、創造科学が進化論側より人間中心主義的なのは当たり前で、本人達もそれは認めるでしょう。
彼らは世界の構造そのものが既存の分類学が考えるより人間中心的なのであって、
むしろ三葉虫を意味もなく細分化するなどして非人間中心主義的バイアスがかかっているのは
既存の分類学の側だというでしょう。
いや、だから、もっと実質的なレベルで批判しなくてはだめだという趣旨なんですが。

「霊性」についてですが、「あいまいだ」という批判のしかただと、じゃあたとえば霊性の操作的定義として
「構文論的構造を持つ言語を話す能力」とか持ってくればいいのか、という切り返しが考えられます。
(この定義では大型類人猿の一部ももしかしたら「霊性」を持ちますが、しかしそういえば聖書には
大型類人猿がアダムの子孫でないとはどこにも書いてないような。)

リクイグアナについては・・・いや、個人的には、もしリクイグアナがそういう分類学を
提案したら応援しますけど。「無理だとおもうけど、なんとかがんばってリクイグアナ
が本質的種であることを示して見せてよ」って。
NATROMさんのリクイグアナ論法は、「同じくらい根拠がなく、しかも相互に両立不能な仮説が
存在する」ということから、「それらの仮説がすべてばかげている」ということを導きだそうと
いうものですね。この場合それはうまくいくんでしょうか?アナロジーとして少しずれるかも
しれませんが、昔邪馬台国論争というのがあって、さまざまな論者が、あまり
根拠もなく、邪馬台国は奈良だ、いや福岡だ、長崎だ、(エジプトだ、アメリカだ)とやり
あっていました。しかし、邪馬台国論争の場合は、「同じくらい根拠がなく、しかも相互に
両立不能な仮説が存在する」ことは、これらの仮説がすべてばかげているということを示す
根拠にはなっていないと思います。


Re:GI値  投稿者:PDX. 投稿日: 2002年04月26日17時22分

To 革離@隆行さん

http://biztech.n ikkeibp.co.jp/wcs/show/leaf?CID=onair/biztech/medi/167289

 こういう記事も見つかりました。
 日本での研究はこれから本格化するという感じなのでしょうか。
(常温核融合みたいにならなきゃいいけど…でも関連記事を見る限りでは米栄養科学学会にいろいろ報告は出ているみたいですね)


Re:GI値  投稿者:PDX. 投稿日: 2002年04月26日16時37分

To 革離@隆行さん

>GI値

 Google で検索してHITしたページの大半は、ダイエット関係の商品のPRページばかりで、表を出しているGI値の引用元や参考文献すら記載されていないもので、「おいおい大丈夫かよ」という状態でしたが 、真面目な研究をされている方もお見えのようです。

http://www.hs.ipu.ac.jp/HS/taikai2001.html

ですとか。
 そういった研究者の方にコンタクトをとってみてはいかがでしょうか。


グリセミック インデックス  投稿者:革離@隆行 投稿日: 2002年04月26日15時48分

ちわ

話の流れと全く関係ない質問ですが,ちまたで流行っているらしい『グリセミック インデックス(GI値)』というのはどうやって測定するもんなんでしょうか?

血糖値の上昇速度をブドウ糖を100とした場合の換算値らしいのですが,食材のGI値などその糊化度で全然かわると思われるのだが(加えて言うと澱粉分子の壊れ具合も影響するはず),なぜ一つの数値が出てくるので しょうかねえ?

掲示板の主旨とずれているかもしれませんが,ふと疑問に思ったもので・・・・


神の叡智  投稿者:EzoWolf 投稿日: 2002年04月26日12時26分

「神の叡智は人知を遙かに越えている」というのは
よく聞く科白なのだけれど、神が論理法則をも超越した存在ならば、
神についての議論は無意味もしくは不可能ではないだろうか。

 論理で神を知ることができないのなら、神を知るには論理以外の
方法(たとえば「霊感」)が必要になるのではないだろうか。


リクイグアナ分類学  投稿者:NATROM 投稿日: 2002年04月26日 9時17分

>創造分類学と全知全能 投稿者:伊勢田  投稿日: 4月26日(金)04時11分00秒
>神という科学者さんの議論のテクニックにも問題はありますが、
>NATROMさんのつっこみかたもちょっと変なんじゃないですか?
>神という科学者さんの言っていることをわたしなりにパラフレーズすると、
>「本質的種というものがあるのは確かだが、それがどういうグルーピング
>なのかは調べてみないと分からない、作業仮説としては分類学者のいう
>目あたりが本質的種の候補になるのではないか、ただし分類学者はヒトに
>関しては大幅に勘違いしているようだ」というようなことでしょう?

神の全知全能についての論争にはるかに及びませんが、創造科学者の恣意的な種の定義についてもそれなりの論争の歴史があります。参考文献で紹介しているエルドリッジ著「進化論裁判」をお持ちの方はP161から記述 があります。創造科学の重要人物であるギッシュの主張にエルドリッジに反論して、


むしら明らかなのは、われわれ人類ホモ・サピエンスに近づくほど、ギッシュら創造論者たちが認定したがっている「基本的な種類」の構成員が少なくなるということである。ギッシュが挙げている無脊椎動物のグループは 、それぞれとても大きなグループである。蠕虫類は少なくとも五つの門を含むし、巻き貝は軟体動物門の一つの綱そっくりそのまま(すくなくとも鳥綱、哺乳綱という脊椎動物の綱に匹敵する)だし、三葉虫は節足動物門の 一綱をなしている。単細胞動物である原生動物は、(一部の分類学者の意見に従うなら)たくさんのさまざまな門を含む大グループである。


その後、エルドリッジは自分の専門である三葉虫を例に挙げ、三葉虫の進化を「一つの基本的な種内の変化」とすることは重大な進化が起こったことを認めるのと同様だと指摘します。いったいなぜ創造論者は、ホモ・サピ エンスに近づくほど「基本的な種類」を細分化するのでしょうか。エルドリッジは、創造論者が気にかけているのが、ただ一つの「基本的な種類」である人間だけだからだと指摘します。私もその指摘は正しいと思いますし 、神という科学者さんの掲示板での主張からもエルドリッジの指摘の正しさを再確認できました。

もし「本質的種というものがあるのは確かだが、それがどういうグルーピングなのかは調べてみないと分からない」というのであれば、なんらかの基準を示して、もしその基準によってヒトとチンパンジーが一つの「本質的 種」に含まれるようなことになれば、それを認める用意がないといけません。が、基準は不明確かつ恣意的ですし、チンパンジーとヒトが祖先を共有すること認める用意のある創造論者などいないでしょう。そうする代わり に、ヒトのみが一つの「本質的種」になるような基準を後付けで探し、しかも、その基準を他の生物には適用しようとはしません。「分類学者はヒトに関しては大幅に勘違いしているようだ」というのであれば、その根拠を 提示するべきですが、その定義すら不明確な「霊性」なるもの以外には、根拠が提示されていません。創造科学者たちと、リクイグアナの「霊性」を理由にリクイグアナがウミイグアナとは別の本質的種であると主張する、 リクイグアナの創造論者とどう違うのでしょう?(彼はきっと、根拠を述べずに、「人間の分類学者は大幅に勘違いしており、リクイグアナは他のイグアナと独立した目を形成する」と主張するだろう。突っ込まれたら、「 今後の研究課題だ。まだ未熟な分野なのだから」と言い訳するだろう)


考える葦さんへ  投稿者:ハッター 投稿日: 2002年04月26日 7時17分

 私の質問にはお答えいただけませんか?

>神は人類を中心的存在に造っているようです。

とおっしゃるのは考える葦さんの支持なさる宗教的な考えにおいてであって、科学的に人類の位置を考える場合は生命の進化の過程で生じた一グループに過ぎないのが今のところ妥当かもと思って差し支えないんですよね。

私個人の宗教的信念としては神は人類を中心的存在に造っているとかんがえています。

という風に発言するわけにはいかないんでしょうか。


ご意見、ご要望がございましたら、掲示板か、 e-mail:natrom@yahoo.co.jpへどうぞ。


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