このファイルは、掲示板巡回ソフトのログファイルを元に再構成したものであり、投稿時の状態(フォントサイズ、文字の色、リンク等)をすべて反映しているわけではありません。
だいぶ前の投稿をもう一度書きます。
抽象的であったり比喩的である宗教などに出てくる創造の話と科学である進化論とに相似があるように解釈したとしても創造論が科学であるという話にはなりません。同じことを言っているように見えても科学的な過程を 踏んで導かれたものでなければそれを科学とは呼べないでしょう。根拠もなく偶然でも何でもいいから答えさえあっていればいいと言う事ではないのです。
ですから考える葦さんのめざす和解というものは私にとって意味を成さない。
きついことを書きます。考える葦さんの創造や進化に関する科学的な検証可能性がないままのアイデアをどんどんどんどん書き綴られても多くの人にとってはどちらかというと”困ったこと”ととらえているのではないで しょうか。SFとしてなら楽しいかもしれませんよ、でもここで科学的に話をしようとしているなら私には読むに耐ええません。
ノアの箱舟の比率はフェニキア人の船舶に近くて、彼らの知識が元になっているように思えるのですがいかがでしょう?
そもそもどれだけの動物とその食料を積載していたのか不明なため、吃水の深さを特定することができず、本当に安定していたかどうかは分かりません。
そういうことがあったんですね。残念でした。20年以上前にテレビ放映された情報でしたから。しかし、箱舟の形状は、船舶工学的には、最も安定しているという実験もしていましたよ。
NATROMさんのお名前を誤ってしまいました。
お詫びいたします。
考える葦さん
>キリストの奇跡は、比喩でなく事実だと思います。(以前の書き込みでもそのつもりで書いています)。奇跡というのは、いわゆる超能力ですね。時間短縮能力と言ってもいいかもしれません。時空を操れる能力とでもい いましょうか。
だからそれは“どのようにして検証される”のですか?「○○と考えれば説明できます」だけでは何の役にも立ちません。
今までの議論を通じてこのことを学んでいなかったのは驚きです。
世種亜さん
彼はNATOROMさんが立てられたYaHooの掲示板にも書き込みをしていたおなじみの人でしたが(そのトピックは今はありません)、お粗末な科学知識、論理の思考の欠如など、とても高校教師が勤まるとは思えな いレベルでした。
それでもクビにならずにすんでいるのは創造論を理科の授業で教えているからかもしれません。
私は創造論の中身以上に科学的創造論者の手口(進化論者の発言の意図的な歪曲)や論法の方に危機感を抱いております。
そのようなやり口を教え込まれた子供たちが社会に出てまともに生きていけるのか心配です。
奇跡についてですが、私は、遠藤周作の「愛が奇跡を起こした」というのも支持します。らい病人の手を握る行為(動機が愛)か゛相手の心に感動を与え、自然治癒力を高めた。ということですね。
世種亜さん、GOAさんへ
キリストの奇跡は、比喩でなく事実だと思います。(以前の書き込みでもそのつもりで書いています)。奇跡というのは、いわゆる超能力ですね。時間短縮能力と言ってもいいかもしれません。時空を操れる能力とでもい いましょうか。
神においては、一日は千年のごとし、千年は一日のごとしということで、神は時空の規定者ですから、それに束縛されないと考えます。神の子イエスにもそういう能力があったと考えています。しかし、これをむやみに使 うととんでもないことになると思います。
人間からみて突然や偶然のことも、神からみれば予測可能な必然であるということです。進化論では突然変異と言っていますが、神からみれば必然変異ということです。ゆえに原人から進化したというのは、人間からみて そう見えるだけで、あくまでも胎を借りたのであり、神は構想に基づいた意味のある新しい組み合わせを施し、創造したと考えます。
今では、地球が丸いというのは常識ですが、やがて神の存在が常識になれば、突然変異も必然変異に名称変更するかもしれません。
創造論というものがよくわからなかったのですが、下記の掲示板の斎藤さんという方の発言を読んでなるほどと思いました。創造論と言ってもいろいろな立場の方がおられるとは思います。この方の考えが代表かどうかはわ かりませんが創造論を主張される方の物の見かたがわかったような気がします。
生物の授業で創造論を教えている高校もあることは知りませんでした。
聖書の記述をうまく説明できる場合にのみ科学は有益である。宗教が主人であって科学はその下僕であるということになるわけですね。
やはり科学的に妥当であるかどうかと考えている人との間ではなかなか議論が進まないのもしかたないかもしれないですね。
「創造論科学的再検証会議室」
http://158.teacup.com/kenko/bbs
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斉藤 愛輝
>私は広島のキリスト教系私立高校の教員で、生物の授業で創造論も教えている者です。
>説明できなければ創造論を信じられないというのであれば、どんな説明が
>されたところで信じることはできないでしょう。神さまのなさることは時に
>人間にはわからないものです。わからないけれども、信じて従う。
>それが信仰者に求められています。
>ですから、理解できなくても神を信じるのなら、創造論を信じることができます。
>私はこの立場で生徒に教えています。創造論を信じるかどうかは、
>科学の説明の良し悪しではなく、聖書理解、神理解にあるのです。
>創造論の根拠はただ聖書にあるのであって、創造科学は科学の面から
>信仰をサポートする働きをしていると私は考えます。
> 創造主を信じることができれば、創造論を100%信じることができます。
>私は科学的根拠がはっきりしているから創造論を信じているのではありません。
>聖書がそう言っているから、単純に信じているのです。生徒にも
>「創造論は科学的にも正しいと証明された」とは教えていませんし、
>創造論を信じる生徒もみな、神さまを信じているから創造論は正しい
>と信じているのです。
>創造論が正しいとする一番の根拠は、全能の神(創造主)の存在ですが、
>神の存在は科学的には肯定も否定も出来ません。神のわざは科学的には
>説明できません。 もしも科学的に説明できたから創造論を信じる
>というのであるなら、その人は基本的には、神を信じているのではなく、
>科学を信じていることになります。 ノアの洪水にしても、たとえば、
>どうして箱舟は大洪水の中破損せずに守られたのか、科学的には
>説明できないでしょう。神様が守られたからと答えるのがもっとも
>適切なように思います。
>ヒュー・ロスという方は生命の起源については神による創造を認めますが、
>創造後は進化があったと考えています。進化論者が述べる地球の年齢(45億年)
>を認め、6日間による創造を否定します。確かにこの考えは、現代科学の見解を
>受け入れると同時に、神による創造も認めるので、望ましい姿と言える
>のかもしれません。「進化をめぐる科学と信仰」(すぐ書房,2001)を書いた
>大谷順彦氏もこの立場を支持し、私のような6日間による創造論者を科学的でない
>と批判しています。しかし、私に言わせれば、ロス氏や大谷氏は聖書の理解
>(具体的には罪と死の意味)が不足しています。6日間による創造だからこそ、
>キリストの十字架と復活には意味があるのですが、そのことが理解されていません。
> 科学的妥当性を追求した結果が、キリストによる福音を否定する
>創造論信仰だったとしたら、何のために創造科学を学んだのかわからなくなります。
>「創造科学で説明できるか」という問はかまわないのですが、
>より良い科学的説明を求めた結果、聖書の本質であるキリストの十字架を
>否定するようになりはしないか、私は心配したのです。
サッカリンのほかにチクロというのもありましたよね?
毒性が問題にされてましたが、実はたいした毒性はなかったとか聞きましたが、真偽は存じません。
人工甘味料や遺伝子組み換え食品なども含めて、食物を食べるか食べないかの判断は個人個人に任せるしかないでしょうね。
判断できるようになるためにも、製造業者からの可能な限りの情報開示はしてもらいたいものです。
私自身はアスパルテームに関しては、特に何も考えずに摂取しています。構造式から考えても毒性は低そうですが。
wadjaさんへ
過剰とはアスパルテームを代謝できないほど摂取してしまうのでしょうか?
それともメタノール中毒になるくらい摂取するのかな?
>結局、大事なのは主流かどうかということ
自体ではなく、データと論理によって説得するというステップを経たかどうか
ということですね。(ルイセンコ説のようにそういうステップを経ずに主流に
なってしまうものもありますから。)だったら特に異論はありませんが、
そういうものいいは揚げ足をとられやすいのでご注意ください。
まず、レスが遅くなったことと、誤解をまねいたことをお詫び申し上げます。
主流と述べたのはいくつか理由があります。
まず第1に主流とひとことでいった理由ですが、この説明義務は提唱者にあるという議論は、この掲示板においても何度が出てきた議論ですので、長々と理由を述べるのも無駄であると考えたためです。
第2に、科学において、主流という数の論理は成立すると考えているからです。
伊勢田さんのご指摘のようにルイセンコ説のような不幸な例はありますが、その分野の多くの研究者が支持する仮説が、その時点での状況下で正しくなかった例は少ないといえるでしょう。時間の長短はありますが、多くの 支持者を得られなかった仮説は消え去り、引用されることはなくなります。
科学的議論以外の要素が入ってきた場合不幸な例が訪れるようです。ルイセンコの例を出す必要もなく、「非加熱製剤が安全かつ有用である」といった説が主流になった例があります。
しかし、これらの事例では多くの研究者の支持を得ていたとはいえないのではないでしょうか?
第3に主流ではない考え、異端説の存在です。理由は不明ですが、異端説=すぐれた新理論、と考える人々がいるようです。確かに従来とは違う発想に基づく仮説は科学に進歩をもたらしたことがありますが、これまでに正 しいと受け入れられた仮説は、それまでに発想するものがいなかっただけで、仮説そのものは理解することができる範囲のものです。
>>>その証拠としては数学的確率ではほとんど生じ得ない生命の起源(生物)を創造していると考えられるからです。
>>あのぉー、本気で言ってます?「生物を神が創造したかどうか」という命題自体がまな板の上に乗っている議題のひとつなのに、どうしてそれを他の命題の証明において前提として用いるのですか?
>私は最初から生命の起源は創造主による創造であると仮定しています。そこから私の理論展開はすべてなされているわけですので、そこは一応認めていただかなければなりません。(気に入らないようですが)
つまり、「神がいて、生物は全て、その神が創造した」という、公理系の元で議論を行ってくれと言う、要請に聞こえるんじゃが・・・(間違えだったらすまん)
丸い土俵で相撲とっとるのに、三角の土俵じゃ相撲はとれんのじゃないかな?
#とれないことはないが、それはもう「相撲」じゃないじゃろう
思ったより返答が長くなりそうなので分割して書かせていただきます.
まず,
>まず、第一に、種が変化するだけではなく増える仕組みを説明しなければならないのは進化論も同じです。
これについて.
種分化について述べられている本がありましたので該当部分だけ書きこみます.
本は『植物の種分化と分類 飯岡亜緒著 養賢堂』です.
「種分化は種内変異に密接に関係しているとはいえ,種内変異のすべてが種分化に直接的にむすびつくわけではない.種が分化するためには,種のもつ統一性が分断される事態が起こらねばならず,それは種のなかみが多様 化することと同じ事ではない.種分化の様相は,いろいろの形で類型化することが出来るが,表6.1はその一つである.この表に出ている二次的種分化は,全体として雑種種分化Hybrid speciatinといえ るもので,それは高等植物ではかなりの比率を示しているが,高等動物では少ない.」
表6.1では,
1.一次的種分化
1-1.地理的種分化(=異所的種分化)
1-2.跳躍的種分化(=側所的種分化)
1-3.同所的種分化
2.二次的種分化
2-1.倍数化をともなわない雑種種分化
2-2.複倍数体形成をへての雑種種分化
と類型化してあります.
「」内が著書より抜き出した内容です.この本ではこの後で具体的に類型化した種分化方法の説明及び事例を示しています.中にはご質問の種が増える仕組みについて述べていると思われる箇所もあります.
この本の提示ということで,進化論サイドの種の増える仕組みについての説明にしたいと思います.
愛用のMacに、「インターネット用のフォント」と称するものを入れてみました。
標準の「Osaka等幅」に比べて漢字と英字のバランスがよい等幅フォントという事と、Windows と非互換の文字が Windows に合わせてあるというフォントです。
要するにマル数字とか、ローマ数字が Windows と同じように読めるってことです。(このあたりの文字コードは現状、JISで規定されていないので。新しいJIS2002 漢字コードで標準化されるようで すが)
ここのところここの掲示板でもマル数字とか使用されていたので(^_^;
ちなみにマル数字の1,2,3…はMacの標準フォントだと(月)、(火)、(水)と読めてしまいます(笑)
こんなわけで、私の環境ではあまり気にならなくなりましたが、そうでない人もいるということだけはご承知下さい>Windows ユーザーの皆様
IMEの設定で、「機種依存文字は使用しない」という設定があればそれをONするのが一番簡単なんですけどね。
サッカリンについては
「ラットの膀胱癌の特殊性に関してはサッカリンの例が有名である。サッカリンはラットに膀胱癌を発症させるがヒトの安全性には実質的に問題はない。ラット特有の物理的刺激による発癌の寄与が大きいためである。調べ たわけではないがOPPの膀胱癌にも同様の機序が存在するのかもしれない」そうです.安全なのでしょう.無論食べすぎは何でも毒です.
ちなみに情報源は↓
http://members.tripod.co.jp/gregarina/J1C.h tml
たまごちゃん様へ
ちょっち疲れているので返答は少し待ってくださいね.
破片は年代測定をやり直したら間違いだったようです。人工衛星からの写真も違ったようですね。
これらについては
『トンデモ超常現象99の真相』(洋泉社or宝島文庫)
『新・トンデモ超常現象56の真相』(太田出版)
が詳しいです。
考える葦さん、ご回答どうもありがとうございます。
ノアの箱舟は事実、キリストの奇跡は比喩、処女受胎は陰に男性あり、ですね。
聖書の記述が事実の記述であるのか比喩なのかは、これらを区別する基準が何か
あるのでしょうか。そうでないと読む人はこれが事実なのか比喩なのか
混乱してしまうと思うからです。
それとも、事実と考えるか比喩と考えるかは読んだ人間の自由であり
好きに判断すればよいものなのでしょうか。
>アダムの創造も原人の胎を借りたと考えています。
考える葦さんは原人が進化して人間になったとお考えですか?
考える葦さん
聖書のある部分は真実である部分が比喩とするなら、それはどのように証明されるのですか?
例えば創世記の1日は「1区切りの長い期間」を比喩的に表したという意見がありますが、これはどのように証明できるのでしょうか?
「事実だと考えづらい=比喩である」とすることが許されるなら一種の「万能理論」となってしまいます。どのような矛盾したエピソードでも「創作」ではなく「比喩」であり聖書の確かさは揺るがないということになるで しょう。
聖書を信じる人がそれでよくてもそうでない別の宗教を信じる人や無神論者は受け入れられません。
このような問題を解決するためには聖書の記述が比喩であるかどうかを別の方法で検証されなければならないと考えますが、創世記の1日が「事実としての24時間」なのか「事実としての長い期間」なのか「創作」なのか どのようにしたら確かめられるでしょうか?
別の例をあげれば「ノアの洪水は5千年前」というのは考古学的事実と矛盾しますが(5千年前に聖書に記述されたような世界規模の洪水はない)、事実はいったい何なのでしょうか?
蛇足かもしれませんが、「聖書の記述は全て事実である」と信じ、対立する科学的事実は全て過ちであると言う信仰そのものは否定されるべきではないと考えます。
ところで「ノアの方舟の残骸」を初めて発見した人ってどなたなんでしょう?
シドニーの教会長老アレン・ロバーツ博士が「ノアの箱舟の残骸がトルコで発見された」という説明そのものは裁判により誤りだとされたようですが...。
http://www.gospeljapan.com/skj/970609.htm
聖書は、全て比喩とは思いません。おっしゃるように混在です。確かノアの箱舟は、登山家によって持ち帰られた破片のカーボンテストで約5,000年前と判定されたと聞いています。その位置も宇宙衛星からの写真で 見つけたと聞いています。しかし、その後の調査は、ロシアとトルコの国境であるし、険しい山ということで断念されたと聞いています。
キリストの奇跡は、その通りだと思いますが、マリヤの処女懐胎については、何か隠された秘密があり、父親がいると考えています。
アダムの創造も原人の胎を借りたと考えています。ただオオカミ少女の例にあるように、人間は教育されて人間らしくなるので、教育者として天使を用いたのでしょう。
聖書では、創造のとき神は「われわれ」というふうに複数で表現しています。天使の協力を得ています。仏教では諸天善神として登場します。
トピずれスマソ
かくりさんに指摘されて調べてみたのですが、
やはりかくりさんのご指摘の通り、アスパルテームはニュートラスイートと同一でした。ちなみに日本での商品名はパルスイート。化学名はアスパルチルフェニルアラニンメチルエステル(舌かみそう)だそうです。
毒性としては、「過剰に摂取すると頭痛、目眩、幻覚などが起きる」という主張をする論文もあるようです。しかし「過剰」とは、量的には毎日2−3リットルのダイエット・飲料を飲む必要があるので、砂糖を使用した普 通の飲料なら簡単に糖尿病になる量だという指摘もありました。
wadjaがサッカリンと勘違いしていた理由も分かりました。アメリカのFDAが、1981年に発癌性を理由に食品への使用を禁止していたサッカリンを、1999年に再び「健康に役立つ」代替甘味料として認定しな おしたニュースを見て、「いまいち信用できん」と印象を持ったのためでした。でも、日本でも使用を認められているサッカリンだけど、本当に大丈夫?
すでに、他の方からも「独り言」との批判も出ているようですが、敢えてwadjaの感じた具体例を書かせていただきます。
wadjaもたまごちゃんと同じく、
>その証拠としては数学的確率ではほとんど生じ得ない生命の起源(生物)を創造していると考えられるからです。
を見て、「????」と思った口です。もとのあなたのカキコでは「その」は創造主の存在を指していると思ったからです(wadjaの読み違いならご指摘ください)。
ところが、たまごちゃんへの反論として、
>私は最初から生命の起源は創造主による創造であると仮定しています。
これでは、何が言いたいのか分からない。少し、比喩的(独りよがり)な表現が多すぎて、議論を混乱させる原因となっているような気がしますが、いかがでしょうか?
他にもたとえば、
>これは形態的には回転運動、時間的にはバトン形式で螺旋系運動をしているといえると思います。
個々の個体で繰り返される周期的な事象に、世代という時間的な広がりをイメージさせようという表現であることまでは理解できそうですが、これで具体的に何を表現しようというのかwadjaにはよく理解できません。
また、比喩的な表現以上に問題だと思われるのが、「独りよがり」な論理展開です。「独りよがり」は厳しすぎるかもしれませんが、神という科学者さんが自明と思われていることが、他の人には自明ではない。
>半永遠的な生物種を存在せしめた創造主であるならば、その存在は半永遠的存在か永遠的存在だと考えます。
では、根拠が分かりません。
フツーに考えれば、生み出した結果が永遠であっても、その原因の永続性の証明にはならない。にもかかわらず、何故「神とういう科学者」さんが、「半永遠的存在か永遠的存在だと考え」るのか、その根拠を示すべきでし ょう。
ま、これは一例ですけど、突っ込みたくなるところがあまりに多い。せっかく創造主の存在を主張しているのに、どのような創造主観なのか具体像がよく見えてこない。
失礼の段、平にお許しを。
なんだかまったりとした神学論争になってきていますね。
神という科学者さんへ、
進化論がわからのつっこみは他の方がされると思うので、ちょっと逆の方からいくつか質問していいですか?
「永遠に存在する」とか「生じる」とかというのは、時間という枠組みの中での話だと思いますが、
時間という枠組みそのものも神様が作ったんじゃないですか?だとすると、そうすると「永遠に存在する」
という言い方すらも神様に対して失礼ということになるのではないでしょうか?
むしろ神様は「時間の外側に存在する」のでは?
因果律(この言葉で何を意味してらっしゃるかよく分かりませんが)も神様が作ったものですよね?
とすると、「因果律によって理論的にはAとBによる」というのは神様の存在を被造物の尺度で
測ろうとする非常に失礼な態度ということになりはしないでしょうか。
なお、私自身は進化論の支持者ですが、議論が健全に行われることを何より大事だと考えています。
私がコメントする際の立場が定まらないように見えるのは、「議論を健全にしたい」というメタな
レベルの立場をとっているせいだとご理解下さい。あきさんにからんだ理由は、だいたいたまご
ちゃんが想像されたとおりですけど。
横レスで申し訳ないのですが、
>「議論をするからには、相手に対して自分自身に対する以上に条件を厳してはならない」という主張自体は間違っているとは思えません。
もちろん間違っていません。フェアな議論をするためには大事なことです。
ただ、ダブルスタンダードという便利な言葉がありますので、そちらを使った方が簡単だと思います。
もう一つ、嫌みと取られると困るのですが、少々変換ミスが多いのではないでしょうか。
今回も「全知全能製」というのがありました。
もちろん変換ミスはつきものですが、以前の「紙という科学者」というのは問題アリです。
内容が薄っぺらなことを皮肉ったのであればあっぱれですが。
たまごちゃんへ
>ただ、神が今日存在しているからには、@偶然生じたか、A生じるべくして生じたか、B元から永遠に存在していたか、の内のどれかであるはずですよね。(この時点ですでに見解の相違があるならぜひ指摘してください 。)これら3つの内どれを、神という科学者さんが想定しているかには、私はそんなにこだわっていません。
前回の投稿での主旨は創造主の存在は因果律によって理論的にはAとBによると述べたつもりなんです。しかし、それでも@によるを主張する人はロマンチストであり、ロマンチストを私はあえて否定しませんよという意 味でした。
>しかし、神の存在の説明として3つの内どれを想定していたとしても、それと同じ原因によって生物も(神とは独立に)存在しうると考えてはなぜいけないのかわからないので説明してほしいというだけです。
因果律の法則より@「偶然に生じた」はありえないと考えています。
>>この創造主は「永遠に自存する存在」だと考えます。
>この書き込みから想像するに、ほかの可能性も否定はしないものの、上記3つの内Bを想定なさっているようですね。はじめに神ありき(正確には「始めにことばありき。ことばは神とともにあった。」でしたっけ?)を 容認するならどうして「始めに生物ありき」と考えてはいけないのでしょう。
「ことば」とはわかり易くは御計画と考えてよいでしょう。まず、創造主の創造の動機と目的があった。他方、精巧な設計図があり、その上で、素粒子の元になるエネルギー、そのエネルギーの元なるものが創造主により出 発して具体的な創造が始まったと考えられます。「光あれ。」から聖書の天地創造は始まっていますが、この事件がビッグバンだと考えられます。その過程での出来事や現象を解明するのは物理学でしょう。ただその大爆発 が偶然に起こったのではなく、ちゃんと計画の下で起こされたと考えているわけです。そう考えたところで物理学に何の悪影響もないだろうし、むしろ興味を持って研究に取り組めるかもしれません。現に、ニュートンもア インシュタインも神による宇宙創造を固く信じていたようです。ホーキングさんはどちらか知りませんが、
>また、「永遠に自存する」ってどういう状態ですか。GOAさんも分からなかったようですが、私にもわかりません。
生物種はもちろん永存する個体はいません。しかし、世代を交代することで基本的にその種の半永遠性を持っています。その個体は大雑把に胚珠から幼年期、若年期、壮年期、老年期、死(胚珠)を繰り返しています。これ は形態的には回転運動、時間的にはバトン形式で螺旋系運動をしているといえると思います。
ここから創造主は自体内で回転運動をしながら半永遠性(創造主があるときから生じた場合の話)、または永遠性を維持していると考えています。これを私は創造主の半永遠の、または永遠の自存性と理解しています。( このことは後で、もう一度言及します。)
>>その証拠としては数学的確率ではほとんど生じ得ない生命の起源(生物)を創造していると考えられるからです。
>あのぉー、本気で言ってます?「生物を神が創造したかどうか」という命題自体がまな板の上に乗っている議題のひとつなのに、どうしてそれを他の命題の証明において前提として用いるのですか?
私は最初から生命の起源は創造主による創造であると仮定しています。そこから私の理論展開はすべてなされているわけですので、そこは一応認めていただかなければなりません。(気に入らないようですが)
>生物が永遠性を持つかどうか(永遠性の意味にもよるが私は持たないと思っています)はともかくとして、一度生じたら永遠に存在するということと、生じるという過程を踏まずに最初から永遠に存在しているということ は別物なのでは?もし同じなのだったら、永遠性を持つ(と、神という科学者さんが考えている)生物もまた、創造主がいてもいなくてもいいんですよね??
ここは説明が厳密ではありませんでした。もう一度説明します。いろんな生物種は生じたときから今まで存在しています(消滅したものもあります)が、今と同じ環境が続くなら世代を交代して、半永遠的に存在しつづける でしょう。こういった半永遠的な生物種を存在せしめた創造主であるならば、その存在は半永遠的存在か永遠的存在だと考えます。半永遠的な存在であればその元の創造者も考えなくてはならないでしょう。しかし、すでに 永遠的な存在であればその上の創造者は考えなくてもよいということです。(普通は創造主といえば後者のほうを指しますが)
はじめまして。私は聖書の記述は全て一字一句事実を記述したものとして存在するのだと思っていました。
「聖書は、比喩的です」とありますが、聖書の記述には多数の物語、イベントが存在しますがこれら全て比喩と考えた方がよいのでしょうか。それとも比喩的な記述、事実に即した記述が混在しているのでしょうか。例えば 、ノアの箱舟、キリストの奇跡(水がワインに変わるなど)、処女受胎など。
聖書の記述が比喩だとするならなにも進化論と対立する必要はないように思われます。例えば、ノアの箱舟を事実と考え、数千年前の洪水で恐竜が滅んだとすると古生物学と対立することになります。しかし、これを「神様 を信仰しないとひどい目に合いますよ」ということを示すための比喩であると考えるなら何も対立する必要はないわけです。つまり大洪水は災難の例えで事実とは関係ないと解釈します。
聖書の記述で生物学と矛盾しそうなものは全て比喩とすることで全ての問題は解決されるのではないでしょうか。
神は、アダムの創造において、土から造り、鼻から息を吹き込んだ。としか聖書に記述されていません。これて゜現代の生物学と闘うのは、あまりにも無謀です。ゴリアテに向かうダビデですね。
そこで、創造科学が生まれたのでしょう。聖書は、比喩的です。これを解釈する人間により派閥もできました。
ここでいう土は同じ構成の元素から造ったということでしょう。息というのは魂のことでしょう。人間には肉体の他に霊の体を与えたということです。構成論しか分かりません。どういうシステムで造ったかは記述されて いません。
私は、進化論は一面真理と考えます。神は、創造において「偶然と必然」というシステムを適用したといっても過言ではないのではないか。生と死を考えたときも、新しい生のためには遺伝子の突然変異を適用し、この導 入とともにこの微視的攪乱の蓄積から死(寿命)を設定した。
神は、人間を肉体のままで永遠の存在にしなかったわけですから。
がこのごろ、一緒の土俵に上がっているような気がします。進化論とは、何らかの現象で生じた生命体が、突然変化や、自然選択や、地理的隔離などによって、いろいろな生物体に変化していったかどうかを、問題にして いるのではないのでしょうか。そしてそれに対して創造論者は、今ある生物は、ずーと昔から、今と同じ形質を発現していた、サルから人間、イヌからネコやネズミはできない(極論の例を挙げたまでなので、この部分には つっこまないでください。)ということを主張したかったのではないでしょうか。
もちろん科学的に見て、生命の起源はどうなっているかという議論も大切ですが、その部分は進化論の根本ではないような気がするのですが。というよりも、生命の起源論自体は、現代の科学では、ハッキリとした定説は ないのでは。高校の教科書では、化学進化の根元である、ミラーの実験に対しても「?」的な書き方をしているし。
数々の化石や、相同器官や、発生の段階や、各静物のDNAは、ある単純な細胞を持つ生物から、環境に適応した生物の変化している「証拠」にはなっています。しかしそのことは、生命が自然発生した根拠にはなってい ないと思います。
もちろん私は創造論者ではありません。しかし、生命の起源について、何が正しいのかは全くわかりません。もし最先端の「科学的生命起源論」を知っている方がいましたらお教えください。それをもとに、これまでの生 命の起源に関する議論を楽しみたいと思います。
はじめまして。議論を興味深く読ませていただきました。神という科学者さんに質問があるのですが、よろしければお答え下さい。
>その放散した個体群が異なった環境に隔離され適応して「属」そして
>「種」へと変化していったのだと考えます。その過程では自然選択が
>もちろん働いたことでしょう。
>
>集団遺伝学が推論する種集団内の遺伝子の変遷や形質変化による
>集団全体の変移をわたしは否定するつもりはありません。
この発言は立派な進化論だと思うのですが。いかがでしょうか。
例えば、イヌ科の祖先の生物から、イヌ属、タヌキ属、キツネ属
(の祖先の生物)が生じ、イヌ属(の祖先の生物)から「種」
であるイヌやジャッカルが生じたということでよろしいでしょうか。
>たまご様へ
様とかつけていただかなくていいですよ。GOAさんに敬称を付け忘れた反動なのかもしれませんが、たまごという言葉が言葉なだけに(多細胞動物は基本的に卵から生じる=生まれるでしょ)新手の宗教の教祖か何かのよ うで何となく気味が悪い・・・。
>しかしその創造主をデザインし創造した創造主がいるかどうかは問題にしていません。
私も問題にはしていません。ただ、神が今日存在しているからには、@偶然生じたか、A生じるべくして生じたか、B元から永遠に存在していたか、の内のどれかであるはずですよね。(この時点ですでに見解の相違がある ならぜひ指摘してください。)これら3つの内どれを、神という科学者さんが想定しているかには、私はそんなにこだわっていません。しかし、神の存在の説明として3つの内どれを想定していたとしても、それと同じ原因 によって生物も(神とは独立に)存在しうると考えてはなぜいけないのかわからないので説明してほしいというだけです。
>ここではこの宇宙と生命を存在させたと仮定される、その創造主を一番問題にしているのです。その存在は旧約聖書に記されているように「私は有って有るもの、αでありωである」というような創造主だと考えます。つ まり、この創造主は「永遠に自存する存在」だと考えます。
この書き込みから想像するに、ほかの可能性も否定はしないものの、上記3つの内Bを想定なさっているようですね。はじめに神ありき(正確には「始めにことばありき。ことばは神とともにあった。」でしたっけ?)を容 認するならどうして「始めに生物ありき」と考えてはいけないのでしょう。また、「永遠に自存する」ってどういう状態ですか。GOAさんも分からなかったようですが、私にもわかりません。
>その証拠としては数学的確率ではほとんど生じ得ない生命の起源(生物)を創造していると考えられるからです。
あのぉー、本気で言ってます?「生物を神が創造したかどうか」という命題自体がまな板の上に乗っている議題のひとつなのに、どうしてそれを他の命題の証明において前提として用いるのですか?
>ところで、その生命(生物)はすべて世代交代によって永遠性を持っています。永遠性の仕組みを持つものを生ぜしめたのですから、その原因者も永遠性を持っているだろうと考えられます。よって、その創造主は永遠性 を持っている「永遠に存在する」と考えられるのですから、その上の創造主は居てもいいし居なくてもよい。
生物が永遠性を持つかどうか(永遠性の意味にもよるが私は持たないと思っています)はともかくとして、一度生じたら永遠に存在するということと、生じるという過程を踏まずに最初から永遠に存在しているということは 別物なのでは?もし同じなのだったら、永遠性を持つ(と、神という科学者さんが考えている)生物もまた、創造主がいてもいなくてもいいんですよね??
>ただ、それでもその創造主も偶然に生じたのだと仮定するのはかまいませんし、その仮定を否定はしないことにします。
だったら、どうして生物(神よりは低級)が偶然に生じた可能性を否定するのですか??(他の人もおっしゃっているように自然淘汰は決して偶然ではないですが、)生物は複雑だから進化によって偶然生じたとは信じられ ないというのが、神という科学者さんの今までの書き込みの主旨であったように記憶しているのですが。
私のしたひとつの書き込みに対して創造論者と進化論者の両方がたたいてくる。まぁ、私のほうでも両方をたたくような書き込みを下のだから仕方ありませんけど・・・。
>「創造論では説明できず進化論でなら合理的に説明できるような事柄を指摘すべきです」というのは可能なのでしょうか?
> 既に「全知全能の神による創造」を前提にしている以上『創造論では説明できず』というのは不可能だと思うのですが。
全知全能の神のような超自然的なものを持ち出さなくても、(創造論者が進化論では説明できないとしてあげている一連の現象を)進化論によって合理的に説明できることを示さなくてはならない。 これだったらご満足 いただけますか?
根本的な問題として、私が元々のレスを返した相手である革離@隆行さん自身は、創造論者(と、いうよりも神という科学者さん)が、「神は全知全能だから何でもできる」という返事をすると思ってはいないはずです。で 、ないと、「創造論では種の増加を説明できないのではないか」という書き込みをするわけがないです。故に、この場合創造論者とは、こちらが何を言おうが神の全能性によってすべてを説明しようとする極端な例を想定し ていません。
伊勢田さんの説明でご理解をいただけたのかもしれませんが、私が言いたいのは、「議論をするからには、相手に対して自分自身に対する以上に条件を厳してはならない」ということです。相手に対して無限に甘く条件を設 定する(たとえばすべて神の全知全能製で説明してもOKとか)必要は当然ありませんが、相手よりも自分に対して少し厳しいくらいの条件で議論を進めるのが好ましいと思います。
私が最初に革離@隆行さんに対してしたレスの内容は、革離@隆行さんの元々の書き込み内容を誤解してしまって彼に対する反論としては不適切である可能性が十分に考えられます。(本人からのレスがまだなのでなんとも いえない。)その場合には、謝るつもりは十分にあります。しかし、「議論をするからには、相手に対して自分自身に対する以上に条件を厳してはならない」という主張自体は間違っているとは思えません。
>>通りかかっただけの人とかが誤解すると嫌なので、一応言っておきますが、
>>私は進化論支持者。創造論を支持しているわけではありません。御間違えなく。
> 上記の点、了解いたしました。
別にPDXさんが勘違いしていると思ったわけではないですよ。PDXさんは通り掛かりの人ではないですし。ただ、最近の私の書き込み進化論者の創造論批判に対する批判に終始してしまっている気がするので、前の書き 込みまで返って見ない通り掛かりの人は私のことを創造論者だと思うかも知れないと思ったので書いただけです。私は進化論支持者だからこそ進化論者が創造論者に対してフェアじゃないように見えると、身内の不備(進化 論と創造論というトピックのみに限っていうと進化論者は自分側の人間ですから)のようで妙に気になってしまうのだと思います。伊勢田さんのあきさんに対する書き込みも、基本的にはこれと同じ心理が働いているのでは ないかと思っています。
PDXさんへ
>こう書かれると、まるで私が「説明」というものの意味を軽んじているように思えて不快です。
これは失礼しました。つまり「既に「全知全能の神による創造」を前提にしている
以上『創造論では説明できず』というのは不可能」というのはPDXさん自身の判断
ではなく、創造論者はそういうだろう、という意味だったわけですね。
あきさんへ
ちょっと遅いレスになりましたが。結局、大事なのは主流かどうかということ
自体ではなく、データと論理によって説得するというステップを経たかどうか
ということですね。(ルイセンコ説のようにそういうステップを経ずに主流に
なってしまうものもありますから。)だったら特に異論はありませんが、
そういうものいいは揚げ足をとられやすいのでご注意ください。
たまご様へ
>例えば、神という科学者さんは、何らかの原因により神がデザイナーなしに生じたことを容認しているからには、それとまさに同じ原因によって神よりは複雑さや優秀さで劣る生物もデザイナーなしに生じ得たことを容認 すべきです。(神という科学者さんはそれを容認する気配もありませんが。)
これについてはGOAさん(前回の投稿で敬称を忘れたことをお詫びします)への回答で以前少し触れたことがあるのですが、今回は少し詳しく説明します。
私は宇宙と生物を創造した創造主を仮定していますし、もちろん信じています。しかしその創造主をデザインし創造した創造主がいるかどうかは問題にしていません。なぜなら、その存在は居てもいいし居なくてもよいので す。そのまた前の創造主が居てもいいし居なくてもよいのです。永遠に、その上(?)の原因者が居るかもしれないし居ないかもしれない。しかし、ただ偶然に生じたとは考えません。
ここではこの宇宙と生命を存在させたと仮定される、その創造主を一番問題にしているのです。その存在は旧約聖書に記されているように「私は有って有るもの、αでありωである」というような創造主だと考えます。つま り、この創造主は「永遠に自存する存在」だと考えます。
その証拠としては数学的確率ではほとんど生じ得ない生命の起源(生物)を創造していると考えられるからです。ところで、その生命(生物)はすべて世代交代によって永遠性を持っています。永遠性の仕組みを持つものを 生ぜしめたのですから、その原因者も永遠性を持っているだろうと考えられます。よって、その創造主は永遠性を持っている「永遠に存在する」と考えられるのですから、その上の創造主は居てもいいし居なくてもよい。し かし、宇宙と生命の発生とには直接関係ないのでその上の創造主は考えないことにします。
ただ、私達から見てそんな超越的な存在(創造主)が偶然に生じたとは考えませんし、考えられません。ただ、それでもその創造主も偶然に生じたのだと仮定するのはかまいませんし、その仮定を否定はしないことにします 。
To 伊勢田さん
>そういう場面では、たまごちゃんの言うような議論の作法を守ることは、
>進化論に対する信用を失わないためにも重要だと思います。
「そういう場面では」という限定された状況における話であればわかります。
>PDX.さんは要するにつじつまをあわせられれば「説明」だと考えているようですが、
こう書かれると、まるで私が「説明」というものの意味を軽んじているように思えて不快です。
PDX. さんの仮定される創造論者の「説明」は〜
というニュアンスだと思ってよろしいのでしょうか?
わたしが口をだすことでもないと思いますが、たまごちゃんが非常に理路整然と話しておられるのに
うまく伝わらないさまがもどかしいので、ちょっと横槍を入れます。
PDX. さんのイメージする創造論者は何かというと神の全能性を持ち出すようですが(そして、確かに
追いつめられると創造論者は最終的にはその戦略に逃げますが)、彼らは、少なくとも一般の人に
向けて話す際には、もう少し理性的な議論の可能なレベルで話しているように思います。
そういう場面では、たまごちゃんの言うような議論の作法を守ることは、進化論に対する信用を失わない
ためにも重要だと思います。
さらに、たまごちゃんが言う「説明」とPDX.さんのいう「説明」はだいぶ性質が違うのでは
ないでしょうか。PDX.さんは要するにつじつまをあわせられれば「説明」だと考えているようですが、
たまごちゃんが考えているのは、たとえば、「その理論から自然に導き出すことができる」というような
もっと強い条件ではないでしょうか。過去の化石が漸進的変化のパターンを示していることは、前者の意味
では全能の神による創造で「説明」できる(つまり、別に両者は矛盾しない)かもしれませんが、
後者の意味では「説明」できない(全能の神が創造したということからそのパターンは自然には導き
出せない)でしょう。
To たまごちゃん
>通りかかっただけの人とかが誤解すると嫌なので、一応言っておきますが、
>私は進化論支持者。創造論を支持しているわけではありません。御間違えなく。
上記の点、了解いたしました。
>進化論を否定して創造論を主張するからには、進化論では説明できず創造論でなら合理的に
>説明できるような事柄を指摘すべきなのと同様に、創造論を否定して進化論を主張するから
>には、創造論では説明できず進化論でなら合理的に説明できるような事柄を指摘すべきです。
「創造論では説明できず進化論でなら合理的に説明できるような事柄を指摘すべきです」というのは可能なのでしょうか?
既に「全知全能の神による創造」を前提にしている以上『創造論では説明できず』というのは不可能だと思うのですが。
だからこそ創造論者は創造論を「反証可能な仮説」として提示できず、創造論の正しさを証明できないからこそ、進化論を攻撃することに終始しているのだと思いますが。
(もっとも、他に仮説かあるかもしれないので、仮に進化論を否定できたとしても創造論の正しさを説明できたことにはならず、「創造論以外のあらゆる仮説を否定できた」ことを証明でもできないかぎり永遠に終わらない )
上と似たようなことで、創造論を否定できたところでそれは進化論の肯定にはなりません。
進化論に対する反証可能な仮説を立て、それが成立せず反証されないことを証拠で示して正しさを証明しつづけるしかないのです。
100年以上それを続けてなお反証されていないからこそ、進化論は学会で支持されているのですから。
ふぅー、なぜこんな誤解を招いてしまうのだろう。やはり私の表現が悪いからなのか?
> というか創造論ってのは「全知全能の神様」の存在を仮定した時点で「説明のできない現象がない」のではないでしょうか?
(それこそ、実は「世界は5秒前に創造された。昨日まで我々が議論していた掲示板の書き込みも、我々は書き込んだつもりであるがその記憶も含めて5秒前に創造されたのだ。神は全能だから何でも出来る」なんて言うこ とも可能でしょう?)
はい、仰るとおりです。世の中本当に絶対確実な事なんて、デカルトの「我思う、故に我あり」くらいしかありませんからね。「世界は5秒前に出来た」だの、「自分以外の存在は全ては私の思考の中の産物に過ぎず実在は していない」だの言い出す人がいても、それを論理的には論破できません。しかし、良識ある人は(無い人でも)本気ではそんなことを主張しないでしょう。(思考実験として考えてみることぐらいはする)もし、そんなこ とを主張してくる人がいれば、この人とは議論の余地がないとして、取り合わなければよいだけです。
私はそんな次元で話をしているわけではないのです。私はただ、人と議論をするときには、条件を相手の理論に対してよりも自分の理論に対して甘くしてはならないと述べているのです。
例えば、神という科学者さんは、何らかの原因により神がデザイナーなしに生じたことを容認しているからには、それとまさに同じ原因によって神よりは複雑さや優秀さで劣る生物もデザイナーなしに生じ得たことを容認す べきです。(神という科学者さんはそれを容認する気配もありませんが。)それと同じように私達は、ニッチが完全には一致しないこと、地理的に隔たっていることなどを、種分化に伴う種の増加の説明にすることを、進化 論に対して容認するのならば、創造論がそうすることも容認すべきです。創造論者が実際にそのような主張をするかどうかということとは独立に(実際には大抵の創造論者はこのような発想自体をしないでしょう)、潜在的 に創造論者でも主張しうるものとして容認すべきなのです。
進化論を否定して創造論を主張するからには、進化論では説明できず創造論でなら合理的に説明できるような事柄を指摘すべきなのと同様に、創造論を否定して進化論を主張するからには、創造論では説明できず進化論でな ら合理的に説明できるような事柄を指摘すべきです。そして、ここの掲示板に出入りしている方々を含む多くの進化論支持者が創造論者に対してそのような創造論ではなく進化論ならうまく説明できるような例を示していま す。しかし、「既存の生態系にダメージを与えるか新種が絶滅するかのどちらかが起こるはずだから、創造論では新種の出現は説明できても種の増加は説明できない」と言う主張は、そのような例の一つではないと、少なく とも私は思います。
通りかかっただけの人とかが誤解すると嫌なので、一応言っておきますが、私は進化論支持者。創造論を支持しているわけではありません。御間違えなく。
個人的には、宗教を学校で教えること自体は別に問題ないと思います。もしかしたら教えた方がよいのかもしれないとさえ思います。しかし、宗教は科学ではないので、理科の時間に教える必要はないし、また教えては行け ないでしょう。ただし、PDXさんの仰るように、科学史の文脈の中で今日の進化論に至る過程として触れるのはよいと思います。(そんな触れ方されても創造論者は嬉しくないだろうけど。)
さて、一方最近の教育事情としましては、私が高校生だった6年ほど前(ヒィー、年齢がばれてしまう・・・。)にはこんな感じでした。
、まず、生物の授業では、進化論によって否定されてしまった一連の考えの一つとして創造論もラマルク主義などと一緒に一瞬出てきました。ちなみに、私の通っていた進学校では入試にあまり出てこない進化論なんぞは1 時間の1/4程度でさらっと流されてしまいました。(触れてくれただけでも良心的といったところか?)教科書でも、他のラマルク主義とかと合わせて1〜2ページ程度で実質的には3〜4行程度の記述しかなかったよう な気がします。
理科以外の科目では私は履修していなかったのでよく知らないのですが、谷庵さんの仰るように、世界史の授業ではキリスト教も出てきたはずです。西洋史には密接に関わってきているはずですから。
一方倫理の授業では他の思想、宗教とともにキリスト教も紹介されていました。と、言うよりもキリスト教はかなり大々的で取り扱われていました。キリストが生きていた時代とその直後で、ユダヤ教は裁きの神だけどキリ スト教はあいの神だとかって話で2時間くらい。トマス・アクィナス(でしたっけ)とかが出てくるギリシャ哲学とキリスト教を融合させるような話で1時間くらい、宗教改革の話でも1時間くらい・・・。と、大々的に扱 われていました。創造論も、キリストの時代の話の前の時間くらいに、キリスト教&ユダヤ教の話で少しだけ(生物の授業での進化論と同程度のいい加減な扱いで)出てきました。
と、言うわけで、教科を理科関係に限らなければ、学校教育においてキリスト教は進化論よりもずっと優遇されていました。(ここ数年のゆとり教育とかって言うアホな教育改革のせいでどの様に変わったかは知りませんが ・・・。)
考える葦さん、創造論はすでに学校の授業でも教えられていて、よかったですね。これならあなたも安心して、未来を担う若者達の成長を喜ぶことが出来るでしょう。ちなみに、倫理の授業ではパスカルについても習いまし た。
To 考える葦さん
授業の中で「学会において現在最も大きな支持を受けている説」として進化論を教えた上、「ダーウィンの進化論に至るまでの歴史」として天変地異説やラマルクの説、あと科学と政治が不幸な癒着をした例としてのルイ センコのエピソードなどを教えるのは面白いかもしれません。
まぁ教科書に書くのではなく、副読本でもいいかもしれませんが。
(というか私の高校時代、教科書はつまらなかったけど理科や歴史の副読本はとても面白かったので読みふけっていたという個人的事情もありますが)
対等の対立仮説として教える価値は、現状無いと考えます。
PDXさんへ
お答えありがとうございます。とても参考になりました。精細胞の突然変異や、受精卵の突然変異も考慮に入れなければならないと思うのですが。そのあたりは、どうなのでしょうか。
理科教育における進化論ですが、私が経験したように天変地異説も紹介すべきと思います。
>重力は創造主が宇宙創造のために計画され設定された
>重要な物理法則だと思っていますが、進化論の思考は
>例えてみれば重力に逆らって海から水を川を通って陸へ、
>そして、野原に、山頂へさらには空へ無理やり逆流さ
>せているようなものです。それを可能にしているのが
>突然変異と自然選択だという武器になるのでしょう。
違います。
ここが神という科学者さんの一番勘違いされてる(というか
予断が発生している)部分なんじゃないかと思うのですが、
進化論では進化は川の水が高いところから低いところに流
れるような自然な現象だと考えています。単純な法則の組み
合わせから生物の進化といった複雑な現象が起き得る事を
説明できるのが進化論の肝ですから。
神という科学者さんがどう「思」われようが進化論がそれを
出来ている整合性のとれた(整合性がとれているだけでは理
論の正しさを示す理由にはならないけど進化論には多数の
物理的証拠による裏づけがあります)理論なのは変わらなくて
神という科学者さんが進化論の「外」から「進化論は偶然に
強く依拠した根拠の薄い理論である」という印象論で批判を
続けている限りどこまでいっても堂々巡りでしょう。
tamo2さんへ
教育基本法にあるように、宗教教育の尊重精神に則り、しかも特定の宗教に偏ることなく、ご指摘の指導要領づくり、あるいは教科書の作成を文部科学省に求めたいと思います。
ちなみに私の名付け親は、キリスト教に救いを求めましたが、私は、こだわりません。
To たまごちゃん
>このようなわけで、種の増加は、進化論でなら説明できて創造論
>では説明が難しいといった種類の現象ではないと思います
というか創造論ってのは「全知全能の神様」の存在を仮定した時点で「説明のできない現象がない」のではないでしょうか?
(それこそ、実は「世界は5秒前に創造された。昨日まで我々が議論していた掲示板の書き込みも、我々は書き込んだつもりであるがその記憶も含めて5秒前に創造されたのだ。神は全能だから何でも出来る」なんて言うこ とも可能でしょう?)
伊勢田さんへ
>「主流だから」というのを進化論者が創造論に対して横柄に構えてよい理由として挙げるのは、
なんだか数の論理で話しているようで、あまり好ましくないのではないですか?
そういうことではありません。主流、すなわち多くの研究者によって正しいと考えられている仮説は、その仮説の提唱者がデータと論理を持って多くの研究者の賛同を得て、主流になったわけです。創造論を科学的に成立さ せたければ、創造論提唱者は多くの研究者を納得させる必要があります。
この意味で、科学は多数決であり、「数の論理」が成立しています。
物事を何かに例えて議論する時は、その例えに則って話をするものです。
そもそも、この例えに対して、
>>結局は基本的に偶然の出来事を基盤にしている理論であるといってよいのではないでしょうか。
>つまり山頂の水が海までどのように流れるか(川ができるか)は偶然によって決まるから、重力の作用は必然ではなく偶然であるというのと同様の理屈を進化論に当てはめたいわけですね。
それで結局何が言いたいのですか?
まさか「だから重力なんて存在しないんだ!」なんて言いたいんじゃないですよね?
この回答は全く見当違いなんですけど。
進化論の思考は例えてみれば重力に逆らって海から水を川を通って陸へ、そして、野原に、山頂へさらには空へ無理やり逆流させているようなものです。それを可能にしているのが突然変異と自然選択だという武器になるの でしょう。
それを主張するなら、まずは提示された例に沿って回答し、その上で対案を出さなければ議論にも何もなりません。
話の流れがいくつもあって、どの話題にも書き込みしたくて困ってしまいます。
(1)学校で宗教の成り立ちとか、その背景は教えます。ただ聖書の中身だとか、ノアの箱船の役割だとかは、専門に研究したことがある人しか教えないとは思います。
基本的には、学校で教える内容として宗教の中身を提示するのは不適当だとは思います。なぜなら、内容を正しいと証明できないし、何より思想の押しつけになってしまうから。教育基本法にも書いてあるしね。特に高校 生くらいまでは、まだそういった判断ができる者も少ないし。宗教の立場から、進化論を教えることになぜそんなにおびえているのか、いまいち理解に苦しむこともあるのだけれど、進化論を教えて信じたとしても、日常生 活には全く影響はないでしょ。お布施とか無駄な出費をすることもないし。しかし、宗教は確実に不利益が生じます。
うちの学校に、エホバの生徒がいるのですが、宗教上の理由で、集団行動を必要とする行事に参加できません。もちろん学校の体制としては、その信条に配慮して、その生徒に無理強いはしないのですが、でもみんなとよ き思い出になることなのに、かわいそうだなとは思います。
(2)進化がこの世の法則から逆流しているとは思いません。生物はこの瞬間にも少しずつながら確実に変化しているのだし、たぶんエントロピーの増大に対する矛盾をいいたいのだろうけど、進化ってけっこう無駄なこ とをしながら変化してるし。効率よく変化するのであれば、退化という現象ないはずだし。前にも書きましたが、あるべき姿、当然の結果として、その環境に適応して変化しているのだから。絶対この環境にそぐわないのに 、と思える生物が存在するのなら、確かに逆流していることになるんだろうけど。
(3)物理は本当にわからないのですが、宇宙の起源を研究しているとある程度説明できたり、場の理論とか使うと、そこそこ見えてくる話だったような・・・全く見当違いなことを書いていたらごめんなさい。ここの文 章はなかったことにしてください。ただ今日職場で目にした本に、宇宙が爆発?して何秒か後に、1兆度(だったと思う)くらいで重力が存在し始めた、みたいなことが書いてあったので・・・
もう昔のことになるけれど、歴史や地理の授業で
宗教についてはずいぶんと講義を受けたものです。
キリスト教だけをとってみても、十字軍、魔女狩り、
植民地政策、新大陸侵略と盛りだくさんです。
現在はユダヤ教徒がイスラム教徒を虐殺しているようですが、
これも宗教のなんたるかを知る良い教材となるでしょう。
私は他の人とは違って、宗教に対しては嫌悪感を持っています。
心が安らぐ程度のメリットでは殺戮の代償にはならないでしょう。
>神という科学者さん
念のために言っておきますが、私は(他の人もそうです)
進化論を信じて(信仰して)いるわけではありません。信用しているのです。
私の専門領域(内緒)はあまり信頼性はありませんが、
生物進化に関しては否定のしようのないだけの証拠があります。
創造論にそれだけの証拠があれば、もちろん信用しますよ。
今後の書き込みの際には信仰と信用の区別を付けてください。
それから、相変わらず具体的なことは何も書かずに抽象論ばかりですが、
どうしても独り言を続けるつもりですか?
>無理やり逆流させているようなものです。
ぜんぜん無理やりじゃないですね。
無理やりだと言うのなら「目」あたりまでは進化の理論が適用できるがそれ以上はできないという証拠を挙げるべきでしょう。どのような力によってできないのですか?
すでに尋ねたことですが、想像以外の答えをしてくれないですね。
>それはとても長い時間がかかれば可能であると納得しているんでしょう。ロマンチックですね。
事実による反証が挙げられないと結局こういうことを言い出すんですね。(笑)
>進化の総合説の1本槍のごり押しだけではどうしてもうまく説明つかないことがあるので、いろんな仮説も生まれているのでしょう。
キリスト教にはいろいろな宗派がありますが、これはキリスト教の不確かさを示すものだったんですか?今まで私は解釈する人間の不完全さにあると思っていたのですが...。
>そんな人をトンデモさんと呼ぶほど総合説が優れていると私は全く思いませんがね。まあ、案外トンデモさんもロマンチストなのかもしれませんが。
神という科学者さんはロマンチストだったんですね。
ちなみに総合説以外の仮説を唱えたからといってトンデモさんとは限らないですよ。
サンゴの堆積が6千年以上の厚みがあるという調査結果を目の当たりにしたとき「そんな調査結果はない」なんて言い出す人はトンデモさんと呼ばれるでしょうが...。
>種分化した時点で1種が最低2種になるから既に説明しいることになりませんか?
この答えは誰かがしてくれるだろうと思っていました。ある意味、説明になりますね。しかし、種分化によって種が増えるためには、新しい種も元々の種も(私はどちらかというと、出芽的な種分化の方を支持しているので こういう表現を好むが、お好みならば分かれた幾つかの種の内の少なくとも二つがという表現に直して下さい)絶滅せずに存在している必要があります。種分化のごとに種の数が増えなければならないわけではないので、毎 回毎回、種分化した二つの種の両方が生き残る必要はありません。しかし、種の数が増えるためには、少なくとも種分化の一部では生じた種の両方が生き残らなければならないのは明白です。
ところで、種分化したばかりの二種は通常比較的良く似た特徴を持っています。と、言うことは、両者のニッチも通常、比較的にていると考えても良いでしょう。良く似たニッチを持つ2種間の競争でどちらかが絶滅してし まわない(事もある)のはなぜでしょう?
通常、進化論では、このような問いに対し、両者が別々の場所にすんでいるから(元々種分化の要因は地理的隔離だったのかもしれないし、)とか、両者のニッチは完全には一致して居らずなんらかの理由ですみ分けがなさ れているからとか、説明します。
個人的に、これらの説明は十分妥当性があるものだと考えています。私は進化論によって種の増加を説明できないなどという主張をしたいわけではありません。私も、進化論を支持するものの端くれですから。
しかし、進化論に対して、棲んでいる場所が違う、ニッチが完全には一致しないというような説明を容認するのならば、なぜ創造論に対してもそれを容認してはならないのでしょうか。神は既存のよく似た生物とは直接接触 しないように新種を作られたことがあったのかもしれません。似た生物がすでに存在している場所に新種をおかれるときには、ニッチが完全には一致しないように、新種が空白のニッチを占めることが出来るようにご配慮な さったのかもしれません。全知全能ならそれくらい出来ないわけがないでしょう。
このようなわけで、種の増加は、進化論でなら説明できて創造論では説明が難しいといった種類の現象ではないと思います。
>南極オキアミは最低でも5億tはいるらしいです。他の種類も合わせれば人類の総重量をはるかに超えるでしょうね。
よく知らないのですが、南極のオキアミって一種なのですか?一種なのでしたら、もちろん非を認めます。でも、この件に関しては、いい加減なことをいってしまってすごく反省しているので、もうそろそろ勘弁してもらい たいなぁ・・・。
神という科学者殿へ
生物の多様さの訳を、
人間の頭で考えた理論が「進化論」なんじゃろう。
確かに、「神」という言葉は便利な言葉じゃ、
なんでも説明が出来てしまう。
じゃから、
>重力は創造主が宇宙創造のために計画され設定された重要な物理法則だと思っていますが
なんてことも言えるんじゃろうな
#たしか、重力の起源については、物理学でもまだ良くわかっていないはずじゃが、
「神様」で答え一発じゃもんなァ
To 考える葦さん
「まさにそこ」と言われても、最初の問いにはそのあたりの説明がないじゃないですか(^_^;
議論をしたいのであれば、誤解の入り込む余地は少なくなるようにしようじゃありませんか。
> 共通の祖先から最初の鶏が発生するところを問題にしています。
とすると、次に必要な前提は、なにをもって「最初の『鶏』」とみなすかですね。
種の区切りを、「不稔でない雑種を残せるか否か」で判断するのであれば、その『鶏』は、自分自身の兄弟や従兄弟に相当する個体との間では不稔でない子孫を残せる程度の遺伝的差異しかなかったと思いますし。
(遠く離れた地域に居る別なグループの亜種とは、不稔な子孫しか残せなかったかもしれません)
グールドの唱える断続平衡説でも、新種の登場には数千年〜数万年くらいのスパンは見積もっているでしょうから、ある一世代で急に「新種」が登場するというわけにはいかないのではないのでしょうか?
あと、その個体の受精卵にもたらされた変異が、卵子由来か精子由来かについて議論することにどれだけの価値があるのか私にはわかりません。
(ミトコンドリアの変異の場合はまず間違いなく卵子由来だと思いますが)
To 考える葦さん
> 私は、理科の教育に限定していません。社会(歴史・倫理)とか、おっしゃるように
>道徳の時間ですね。
> 総合学習のテーマでもいいと思います。
であれば、「理科の授業では」進化論を教えてもいいのですよね?
また、「理科の授業で」進化論と並べて創造論を教えなくてもよいのですよね?
アメリカの創造科学の団体は上記の件にこだわっていましたので。
(過去形というべきかも知れませんが)
GOAへ
>>結局は基本的に偶然の出来事を基盤にしている理論であるといってよいのではないでしょうか。
>つまり山頂の水が海までどのように流れるか(川ができるか)は偶然によって決まるから、重力の作用は必然ではなく偶然であるというのと同様の理屈を進化論に当てはめたいわけですね。
それで結局何が言いたいのですか?
まさか「だから重力なんて存在しないんだ!」なんて言いたいんじゃないですよね?
重力は創造主が宇宙創造のために計画され設定された重要な物理法則だと思っていますが、
進化論の思考は例えてみれば重力に逆らって海から水を川を通って陸へ、そして、野原に、山頂へさらには空へ無理やり逆流させているようなものです。それを可能にしているのが突然変異と自然選択だという武器になるの でしょう。そして、それはとても長い時間がかかれば可能であると納得しているんでしょう。ロマンチックですね。ロマンのある人を否定してはいけないと私は思っています。
進化の総合説の1本槍のごり押しだけではどうしてもうまく説明つかないことがあるので、いろんな仮説も生まれているのでしょう。そんな人をトンデモさんと呼ぶほど総合説が優れていると私は全く思いませんがね。まあ 、案外トンデモさんもロマンチストなのかもしれませんが。
考える葦さんへ、横からの返事を。(しかも私は生物は専門ではないので
私が答えるのは不適当かもしれませんが、変なことを言ってたらもっと
くわしい方にフォローをお願いするということで。)
「種」を通時的に考えるときにどうとらえるかによって「最初のニワトリ」についての
答は変わってきます。
種についての一つに考え方によれば、種分化の瞬間、つまり、二つのグループの
間で生殖隔離が成立した瞬間に新しい種ができ、次に種分化するまでその種が
続くことになります。したがって、最初のニワトリとは、成体であれ卵であれ、
生殖隔離が成立した瞬間に、今のニワトリにつながるグループに属していた
個体達のことである、ということになります。
この意味での「種」の最初のころの個体は今のニワトリ
とはにてもにつかないかもしれませんが、それはこの立場から言えばかまいません。
難しいですねぇ。
あらゆる宗教を総括した指導要領を作る事ができるのか?
ちょっと無理な気がします。
もしかしたら、宗教といいながらキリスト教しか頭に無いのでは?
PDXさんへ
共通の祖先から最初の鶏が発生するところを問題にしています。
PDXさん、ハッターさん
私は、理科の教育に限定していません。社会(歴史・倫理)とか、おっしゃるように道徳の時間ですね。
総合学習のテーマでもいいと思います。
>第一に、種が変化するだけではなく増える仕組みを説明しなければならないのは進化論も同じです
種分化した時点で1種が最低2種になるから既に説明しいることになりませんか?私としては神という科学者さんに雌雄一対の種は成長しきった姿で創造されたのかどうか聞きたいですね。どうしてそれが"分った"のかも 。
そもそも神が創造するなら雌雄一対なんて言わずに群れごと作ればいい。なんで雌雄一対だと"分った"んでしょ?
南極オキアミは最低でも5億tはいるらしいです。他の種類も合わせれば人類の総重量をはるかに超えるでしょうね。ただ最後の生物資源と言われるオキアミと人類の総重量がそう変わらないというのは・・・不安だ。
学校の理科で教えるのは科学的思考の方法でいいのではないでしょうか、そうすれば宗教と科学をそれぞれ別のものとしてidentifyできるのではないでしょうか。宗教を宗教として教えるのは宗教家の役目ですよ ね。
To 考える葦さん
> 古い問いに、卵が先か鶏が先かというのがありましたが、進化論ではどのように説明しますか。
質問が漠然としすぎていて答えようがないと思います。
「卵」というのを「多細胞生物の発生の過程の受精卵の段階」とするのか、「卵」は単細胞生物の喩え、「鶏」は多細胞生物の喩えとするのか、で考え方も変ってくると思いますし。
(他の考え方もあるかもしれません。例えば、最初の「鶏」が生じた時点の話なのかも。でもこの場合、何をもって「鶏」とみなすかが大問題なのでは?(笑))
「突然変異が、卵細胞に起こる場合、精細胞に起こる場合、受精卵に起こる場合で考えられると思いますが」という言及があることから、前者(「卵」というのを「多細胞生物の発生の過程の受精卵の段階」とする)である と仮定しているようにも思えますが。
To 考える葦さん
「教える」というのが、高校の理科の授業というのであれば、その時点において生物学の学会で主流となっている考えを教えるのが普通ではないでしょうか。
物理学であればニュートン力学に基づく物理学と、もしかしたら相対性理論と量子力学にも言及するかもしれませんが、学会で主流となっていない(学会で支持されていない)マイナーな学説にいちいち言及はしないと思 います。
例えばコンノケンイチとかが「アインシュタインは間違っている!」なんて主張をし続けたりしていますが、学会では相手にされていませんし、こういう学説を高校の物理学の授業で紹介したりもしないと思いますし、紹 介する必要も特にないと思います。
(科学の歴史上重要な「間違った仮説」は、科学史の部分で触れるかもしれませんが)
創造科学が、高校の生物学の授業で教えるに値するかどうかではないでしょうか?
「善悪の判断基準とか死後の世界のこと、人生の意義や目的のこと」は直接生物学とは関係ありませんし、自然科学で触れるべきことでもないと思います。倫理とか道徳とか、そういう部分で語るべきことではないでしょう か?
無論、自然科学というのは人間が自然を理解するための道具であり、その道具をどう用いるかは人間の理性や倫理で判断されなければならないということは科学の授業で教えるべきことだと思いますが、これは特定の宗教 に依存はしないと思いますし、進化論とか、宇宙論とかそういう諸処の学説にも依存はしないと思います。
古い問いに、卵が先か鶏が先かというのがありましたが、進化論ではどのように説明しますか。突然変異が、卵細胞に起こる場合、精細胞に起こる場合、受精卵に起こる場合で考えられると思いますが。
GOAさんへ
既知の物質では、0になるでしょう。既知のものは神が造った(あるいは第一原因に規定された)と考えられるわけですからね。神を構成する要素は今だ発見されていませんが、無から有は生じない、結果には必ず原因が あるという考えを適用すれば、現在考えられている「6つのクオーク」のさらに原因になる要素あたりかさらにその原因か。とにかく究極要素(エレメントンと呼ばれる?)が神(第一原因)を構成するものでしょう。
うさしゃぶさんへ
宗教の考え方が正しいと教えるのでなく、進化論と同じように紹介風でいいと思います。たとえば、科学ではHOWという世界を追求しているが、宗教ではWHYという世界を追求しています。善悪の判断基準とか死後の 世界のこと、人生の意義や目的のことを神仏・天との関わりで追求しています。生物進化の考え方においても、造物主(神)を想定する考え方もあります。という具合でしょうか。
私は創造論者ではありませんが、少し気になったのでレスさせていただきます。大分前の書き込みに対するレスで皆さんお忘れかもしれませんが。
>で問題は,定着するのに最低限必要なつがいの数と(雌雄異体の動物の場合)<条件1>,それだけのつがいを導入されてもバランスを失われない群落が存在するのか?<条件2>ということです.この2つの条件を満た す事は頻繁に起きるのでしょうか?頻繁に起きない限り「神様は生物を作ったことがある」とは言えても「神様が多くの生物を作ったのだ」とは言えないと思われるのですが.
これは、進化論者の側から創造論者に対しての問題提起としては不適切なのではないでしょうか。
まず、第一に、種が変化するだけではなく増える仕組みを説明しなければならないのは進化論も同じです。今までに出現した生物種の大部分が絶滅しているとはいえ、現在の生物種の数は、生物誕生時(今まで子孫を残して いるのは一種だが、存在していた野路対が1種とは限らない)よりもずっと多いと進化論者は考えているのですから。紙という科学者さんはそれとは立場が違うためそういう反論をしてくることはありませんが、正統派の創 造論なら、「神は調和のとれた生態系全体を一度に作ったのだから新種を作るときに既存の生態系(そんなものは存在しない)との調和を考える必要はない。」と、反論してきても不思議はありませんよ。
第2に、今日帰化生物と呼ばれる生物がその地域に侵入してきたときや、ペットなどが原産地と違う地域で野生化するとき、その侵入された地域においてはなんら系統的な脈絡もなく突如それらの生物が現れます。そのため 、侵入された地域の生態系に属する生物にとっては、侵入してきた生物は創造されたのと同じだけのインパクトを持つはずです。確かに、このような新しい生物の侵入が既存の生態系に壊滅的なダメージを与える例が歴史的 にたくさん知られていますが、それ程大きなダメージを与えないこともあるのではないでしょうか。適切な例が思い浮かばないので説得力がないのですが・・・。(外来の生物が侵入したけど特に生態系にダメージを与えま せんでしたって話よりも、帰化生物のために何々が絶滅してしまいましたという話の方がおもしろいから、ダメージがないのは有名にならないからという話もなきにしもあらず。)適切な例を知っている方がいたら教えて下 さい。
とにかく、私がもし創造論者だとしたらこのような反論をするだろうと思いますよ。
へぇ、食品会社ってトラップをかけているんですか。ちなみに、それって、虫がいないと言うことを確認するためにかけているのですか(いたらとラップにかかるはず→かからない→故にいない という発想)、それとも、 虫が発生したときに駆除するために付けている(虫が発生することもあるかもしれない→発生したらとラップにかかって捕まえられる→虫の駆除になる という発想)のですか?文章の内容から創造するに、おそらく前者な のでしょうが、私は、魚屋さんとかにある蝿取り紙は後者の目的だと思いこんでいました。
ちなみに、ウシの数は知りません。いい加減でごめんなさい・・・。
他の人も言っていることですが、要するに、新しいもの良くわからないものは怖いということでしょうね。遺伝子組み替えだろうが人工甘味料だろうが気にせず平気で食べてる人達(私もその一人)も別に早死にしたりせず にぴんぴんしているのを見たらたべるようになるのでは?個人的には、敬遠する人が多いおかげで、遺伝子組み替え大豆使用(明記しているわけではないが、使っていないと明記してはいないからきっとそう)の豆腐とかが 安く買えてすごく嬉しい。豆腐1丁29円ではなかなか買えませんよ。
でも、wadjaさんのおっしゃる
>「人工合成物は経験値が天然のものに比べて低い」
も一理あるんですよね。
毒茸は今では食べられないとわかっているけど、それがわかるためには大昔に毒茸を食べてしまった人がいたわけでしょう。いろんな検査が行われてはいるのでしょうが、結局の所、新しく作られたものが本当に安全かどう かは、食べてみないと(日常的に食べている人々が食べない人と比べて、数年後も異常がないこと、その子孫にも特に異常が見られないことを確認しないと)分からないことですから。食べ物ではないけれど、フロンだって 、数年前までは奇跡のガスとか言われていたわけですし。
これは、天然の化合物と同じものを人工的に作った場合などにも一応は当てはまります。
>糖アルコール自体は簡単に合成出来るから(酵素等でね),人工的に作ってしまうが基本的に元々は天然物質なんですよねえ.もうちょっと甘味度は落ちるがソルビトールなんかはよく果実に入っていたりする.んで合成 も天然も化学式には変わりがないと思うのですが?
これは仰るとおりで、私もそう思っているため、ビタミン不足だなと思ったら、人工のビタミン剤などを服用しています。しかし、天然でも合成でも、大抵の物質には不純物が含まれています。これらの不純物が、味わいを 深めてくれたり、人体に害を及ばしたり、といろんな事をしてくれるわけです。大抵のお酒は水とエタノールが主成分だと思う(あまり自信がない)けど、不純物のおかげでお酒の種類毎に味わいが違ったりする。不純物の おかげで、六甲のおいしい水とうちの水道水とでは味わいが違ったりする。
さて、天然の化合物と人工の化合物とでは、作った主要な物質の化学式自体は同じだとしても、微量な不純物が異なっているという事は十分考え得ます。もちろん、取り除く努力がされる分だけ天然物よりも人工物の方が不 純物が少ないだろうし、人工物の方がどの様な不純物が含まれているかという調査は良く行われているでしょう。しかし、天然物にはどの様な不純物が含まれているか分からなくとも、何人もの人が食べてきて害が出たのを 見たことがないというのは、かなり安心感のあることだと思います。あまり興味がないので非常に不確かなのですが、人工のプロテインか何かで触媒が混入してちょっとした騒ぎになった事ってありませんでしたっけ?(あ ぁ、またいい加減なことを書いてしまった。でも、きっとどなたか詳しい方が修正してくれることでしょう。)もっとも、そんなことを考えて人工化合物を避ける人は少ないでしょうけどね。
所で、マイナスイオン商品は新しいもの、かつ人工的なのにどうして人気があるのだろう。未知なものへの反応は崇拝と敬遠の二つに二分されるのかもしれませんね。
>ええっとアスパルテームと砂糖の違いの話になるのですかな?
そういう名前なんですか?ニュートラスイートとかいう名前に変わった、サッカリンだと思ってたんですけど。でも、アスバルテームが完全な人工物なのか自然にも存在するのか、素人には分かりませんもの。(でも基本的 には、wadjaはしつこい砂糖の甘味の方が好きだってことが、大きな理由ですけど。)
>人工的に作ってしまうが基本的に元々は天然物質なんですよねえ.もうちょっと甘味度は落ちるがソルビトールなんかはよく果実に入っていたりする.んで合成も天然も化学式には変わりがないと思うのですが?
別に化学式に変わりはないのなら、人工合成物も天然者もwadjaは区別しません。wadjaが警戒するのは「自然には殆ど存在しない、人為的に作られた物質」としておきましょうか。そう定義しちゃうと、人工合成 物って殆ど無くなるんだろうか?
>農作物なんかの栽培品種だと数年単位で流行品種が変わるので,上記の仮説が成り立たないのですよ.
少なくとも、例に挙げた砂糖そのものは百年以上でしょ?でも数百年単位で、数年おきに流行品種が変わってきたのであれば(そんなことは無いでしょうけど)、メイワン・ホー的には成り立つような気がするな。
でもwadjaは、天然の物ならなんでも絶対安全なんていうつもりはありませんよ。それも食品会社のプロパガンダだと思ってますから(第一今の食品法では、なにが天然と呼べるのかは、いい加減ではなかったでしょう か?)。そばアレルギーで亡くなる方だっているんだし、ふぐの毒は言うにおよばずだし。あ、あと遺伝子組み換えは別にOKです。食べたときに、味が変でなければ(藁
お遊びつっこみですからそんなにお気になさらずに.>たまごちゃん様
要は平均体重がわかっているものだと生息数が掴めていれば総重量が出るのですが・・・・・
例えば人間の場合人口70億人として,平均体重70kgで(多分本当はこれより少し少ないでしょう),
7000000000×70=490000000000kg
約5億t
平均体重が200kgの生物だと25億匹
1tの場合ですと5億匹
1kgの場合だと5千億匹
さて狂牛病でだいぶと殺されましたけど確かに牛は沢山飼われていますよね.一体何匹いるのだろう?
>ライトトラップにかかった虫
ウチは食品会社なのでライトトラップに虫がかかると大変です.私のところは生産するわけではないのでそんなでもないですが.
そういや少し前ある種の虫が大発生して(注:生産は していません.ご安心を(笑))困ったのだが,何故かフェロモントラップよりライトトラップに沢山ついた.しっかり駆除して数えるほどに減った今ではフェロモ ントラップにしかつかないというのに・・・・
何でだろう?
>人口が70億人として平均体重が80kg超なら乾燥した種子と同重量になりますね.多分トウモロコシのが人間より総重量は多いぞ(ただし収穫直前ね).!!
ごめんなさい。全動物種でだったかもしれません。記憶が曖昧です。実は、きちんとした文献にあたったわけではなく、教授の受け売りなんです。実習でライトトラップにかかった虫(飛んで火にいる夏の虫って奴です)を 分類(といっても目レベル)していたときに、あまりに退屈だからバカ話をしていて・・・。この教授にはもう合う機会がほとんどないので確かめるわけにはいきませんが、(私と違って)いい加減な人ではないので、きち んとした出所のある情報だったのだと思います。おそらく、私の記憶違いで、全動物種の中では人間が一番総重量が重いのではないでしょうか?
出典もわからないのに、偉そうに知ったか振りして、いい加減なことをいってしまって本当にすみませんでした。
隆行選手にはそろそろ点を取ってもらいたいものだ・・・・
皆さんお返事ありがとうございます.ええっとレスです.
wadjaさんへ
ええっとアスパルテームと砂糖の違いの話になるのですかな?
↓(こり)
>個人的には、「人工合成物は経験値が天然のものに比べて低い」だけの理由で、アメリカでも、diet Cokeは飲まずにCoca Cola Classicを選んでいたwadjaです
糖アルコール自体は簡単に合成出来るから(酵素等でね),人工的に作ってしまうが基本的に元々は天然物質なんですよねえ.もうちょっと甘味度は落ちるがソルビトールなんかはよく果実に入っていたりする.んで合成も 天然も化学式には変わりがないと思うのですが?
>十分な情報が与えられない、あるいは情報を吟味する時間や能力能力が無い場合、今年発明されたものより数百年のオーダーで存在するものをより信用するのは、決して間違っているとはいえない。
農作物なんかの栽培品種だと数年単位で流行品種が変わるので,上記の仮説が成り立たないのですよ.たしか秋田こまちが世に出てから20年も経っていないと思う.
>革離さんの言わんとするであろう、「なんでも頭ごなしに否定することはないのに」って気持ちも分からないではないですが。
Yahoo!の遺伝子組換えのところなど覗いて下さるとわかると思いますが,私はむしろ「あるものを無条件に安全と受け入れるな!!物事に絶対はなく相対的に評価するしかないんだ」という主張で語っています.今の 場合は「天然物を絶対的に安全」と思うことの問題のが大きいと思います.
T8848さんへ
>化学物質じゃない物ってのは無いんだけどな。
仰る通りです.
>あとは単純に「昔はよかった」かな。
そういや「古き良き時代」信仰というのもありますね.
ゆんさんへ
>これは言い換えると「天然物は絶対安全で、人口合成物は絶対危険」となると思うんですがこういう、難しい問題にはとりあえず是か非か判断をつけてしまいたいという二分法的な思考が働くというのはありますよね
仰る通りですが,本当はそれが一番危険なのでしょうね.
PDX.さんへ
>それが波及して、合成のビタミンすら有害物質扱いするってのは行き過ぎなわけですが、自然食品の販売をする者には都合のいいPR材料なわけで。
(天然のテトロドトキシンは有害だと思うんですけどねぇ(笑))
アフラトキシンなんか猛毒ですよね.
まあそれは置いといて.現状ではオーガニックとか確かに高くしても売れる市場はあるおいしい商売なのですが,消費者の利益を考えるとあまり手を出したくない商材ですね,1開発者の倫理からすると.無論たまたま使っ た原料がオーガニックというのはありですが(なので表示はもちろんしない).
レスだけで長くなってしまった.最後に答えて下さった方々本当にありがとうございました.
いやはや、活発な掲示板ですね。一日風邪で来なかっただけで、こんなにも沢山の文章を読む羽目になる。その割には話の進展がそれ程あったようにも思えないのが不思議ですが・・・。
その立場に賛同できるかどうかはともかくとして、神という科学者さんが徐々にご自身の立場を明らかにし始めているのは評価すべきだと思うのですが、皆様どの様にお考えでしょうか?
神という科学者さんへ、
メインの前に簡単に反論できるものから片付けてしまいます。
>しかも、分子進化の中立説の場合であれば自然選択は中立的に全く偶然によるというのですから、この説の場合は突然変異も自然選択もどちらも完全に偶然の出来事によるという理論になります。
中立説は自然淘汰説に対立する理論や、自然淘汰説のヴァリエーションの一つではありません。自然淘汰説は基本的に、生物の良くできた機能や巨視的な多様性を説明しようとする理論です。しかしDNA配列(の変化)の 中には生物の機能や構造にまったく影響を与えない部分もあります。実は人間のような多細胞の真核生物ではそのような配列の方がずっと多いのです。そのような配列の変化は機能の変化を伴わないのだから、当然これらの 変化には自然淘汰が働きません。中立説は、このような機能や構造に影響を及ぼさず、自然淘汰が働かないようなDNA配列の変化も存在するのだと言うことと、そのようなDNA配列の変異の蓄積はどの様に起こっている かという事を説明する理論です。中立説論者は、自然淘汰の働くような変異もあるという事を否定していませんし、生物の機能や構造まで中立説で説明できるとは考えていません。また、自然淘汰説も、中立説を否定しては いません。(初期の進化論者は中立説に従うような変異もあるという発想を持ったことはなかったでしょうけど。)
言い換えると、自然淘汰説と中立説は住み分けがなされているのです。自然淘汰説は構造や機能の変化、巨視的な多様性を説明しようとするのに対し、中立説は(主に機能や構造の変化を伴わない)DNA配列の変化を説明 しようとしているのです。
ちなみに、進化論者は(巨視的な)表現型の変化とDNA配列の変化(両者は関連があるが同一ではない)の両方を「進化」と呼びます。通常、進化論者が文章を書くとき、この二つの内どちらの意味で「進化」の語を用い ているかを明記していません。一人の著者が一つの著作の中で理もなく両方の意味で「進化」の語を用いることもしばしばです。書かなくても読者が理解してくれると思っているのでしょうが、これでは部外者にとっては非 常にわかりにくく、誤解を招く元となります。そのため、私個人としては、神という科学者さんが誤解している(私にはそう思えたためのような文章を書いているのですが、もし理解なさっていたらごめんなさい。)のも、 無理はないと思っています。
このサイトでは、私も含めだれも今まで説明しませんでしたが、主に、巨視的な機能や構造の変化(もちろんDNAの変化を伴うがDNAの全ての変化を含むわけではない)という意味で「進化」の語を用いています。その ため、このサイトで中立説を持ち出すことはお門違いなのです。
なんとなく、同じような言葉の繰り返しが我ながらわかりにくい文章です。神という科学者さん、中立説と自然淘汰説の関係について、この文章だけでは理解できなかったら質問して下さい。私ももちろんお答えしますし、 他の人がきっとよりわかりやすい表現で説明してくれることでしょう。
本当に書きたかったことは別にあるのですが、思いがけず長くなってしまったし、病み上がりで少し疲れてきたので、一旦おしまい。
ご意見、ご要望がございましたら、掲示板か、 e-mail:natrom@yahoo.co.jpへどうぞ。