このファイルは、掲示板巡回ソフトのログファイルを元に再構成したものであり、投稿時の状態(フォントサイズ、文字の色、リンク等)をすべて反映しているわけではありません。
共通のオリジンについて
意味がよくわからないところがありますが、これどういう意味でしょうか?
>共通のオリジン(物質性と精神性を兼ね備え持つ)の展開とみるのがベストだと思う。
最初に誕生した生命に精神があったということ?
二重構造仮説について
これもわかりません。DNA(共通のオリジン)が持つ精神性とはなんでしょうか?
記憶する部分と記憶される部分の二重構造とは?
偶然論と創造論について
ゆんさんがすでに発言されているとおり、この考えは妥当ではありません。
突然変異は偶然起きているのではなく、ランダムに発生しているだけです。
そろそろこのサイトのHPはお読みになったでしょうか?
進化論は生物学の各分野と密接に関連しています。神という科学者さんの生物学に関する知識は全般的にかなり古いものが多いようです。今後進化論を否定する議論を展開する意志がおありなら、是非新しい知識を導入して ください。特に分子生物学や生化学の基礎、さらにゲノムサイエンス、タンパク質の分子進化などを。またNATROMさんが紹介されている書籍も非常に参考になります。
敬称が様になっていたりさんになっていたり不統一ですが,特に他意はありませんので.
まぎらわしくて申し訳ございません.
鈴木選手今だ無得点・・・・(泣)
うだうだ様へ
結論からいうと崩れないでしょう.
AとBという遺伝子型があるとします.これは表現型の変化の幅がかなり重なっている遺伝子型であって,重なっている部分では同じ環境だと同じ表現型だとします.重なっていない部分においてのみ初めて遺伝子型の違い による表現型の差異が出てくるというものです.
非常に重なり合った正規分布のグラフを想像してもらうとわかりやすいかと思います.
表現型に変更が見られない環境の幅の中ではAとBは同じ遺伝子とみなされますから,適応度は同じです.うだうだ様の仰る例はこれにあたるのだろうと思われます.中立説で唱えられるそれに近いですね.これは適応度に 全く違いがないというわけですから広がり方は中立説で主張されているそれになるのでしょう.
仮に同一環境下でも表現型に差異がある場合だとします.
そうするとAとBは同一環境下で微妙に異なる表現型をしめすことになります.うだうだ様の例ですと,突然変異前の顔と後の顔は微妙に違うはずです.この場合は顔の形が遺伝的に異なる訳ですから適応度にわずかなりと も差異があることが期待されます.その場合適応度の違いに基づいて集団中への広がり方は変わってくるのでしょう.
顔に関する突然変異が起きた場合,環境に対する変化として今あげた2種類が考えられると思われますが,どちらの場合も広がり方が異なるだけでその広がるという部分においてはダーウィンの考え方から逸脱していないと 思いますよ.
またうだうださんの仮説ですが
見かけの表現型が変わったように見えてもそれは遺伝子型の表現範囲内にすぎないことがあるというのが前半(以前)で,そうは言っても微妙な遺伝子の変化による場合もあるというのが今回の仮説なのでしょう.
これは実例について注意深く観察すればわかることじゃないでしょうか?
遺伝子の変化による表現型の変更は,適応度によって異なりますが,遺伝子の伝播によってその広がり方は依存されます.遺伝子型が同一で環境の変化によって表現型が異なる場合は,その変化は集団全般に一度に見られる と思われ,遺伝子型の変更の場合の広がり方と異なったものになるでしょう.
すごく簡単なモデルだと顔のように日本人という大きな集団全般で同時に変わったと見られるような変化は,遺伝子型の変異によって起こったとは考えにくいわけです.
おひさしぶりです。おさがわせうだうだです。
以前書いた日本人の顔の変化についてですが、仮説ができたので誰か聞いてもらえますか?
現在日本人の顔が食生活などの影響で日々変化しています。以前発言したときは
この変化は遺伝子レベルの変化ではないとして質問は終了いたしました。しかし
改めて考えてみると、この形を変えた人たちは後世も新しく変化した食生活が一
定ならば。顔は子どもの代にも一見遺伝したようになります、この後偶然突然変
異が起こって変わった顔にてきした遺伝子に変わったとすると、ダーウィンの適
者生存と突然変異の関係が崩れるとおもうのですが、どうでしょうか?
※追伸:突然変異自体は相変わらず使わしてもらいます。あと遺伝子も使わしても
らいますクローンもできちゃったし。ありゃ成功したら遺伝子しか遺伝物質がない
ことの証明になりますね。
>そうすると「進化論と創造論」ではなく「偶然論と創造論」が
>さらに的確ではないでしょうか。
進化論は偶然(突然変異)と必然(自然淘汰)を扱う理論ですので
その伝で言えば「偶然必然論」あたりが適当では無いかと。
To 伊勢田さん
当方の知識の不備な点をご指摘いただきましてありがとうございます。
確かにスコープス裁判の論点はそこでしたね。
(しかもその後、裁判官がスコープスに課した罰金が、裁判官の権限では課せられないものだったということで無効になってしまったんでしたっけ?)
創造論は創造主(神)の存在を前提にしている。神の存在を否定する人には到底受け入れられないのは当然のことです。さらに、そういう人が、創造主を前提にしていない進化論を支持しやすいのも当然なことです。
この議論の中で、進化論が正確には変化論であり展開論であるということを確認できたことはとても意義あることでした。
創造論派のヘーゲルも絶対精神の自己展開という表現を使っています。
そこで問題は、展開の要因を偶然とするか創造とするかということです。進化論と創造論を闘わせるには次元を同じにしなくてはなりません。
そうすると「進化論と創造論」ではなく「偶然論と創造論」がさらに的確ではないでしょうか。また、先に論じた創造ということも定義が必要になります。
PDXさんの投稿の趣旨そのものに反対する気はないのですが、事実関係についていくつか
気になるところがあるのでちょっとコメントします。
スコープス裁判そのものはテネシー州法にスコープスが違反したか
どうかという裁判で、創造論側の勝訴です。テネシー州法に違憲判決
が下ったのは1960年代になってからです。
1980年代に違憲とされたアーカンソー州法で規定された「創造科学」は
「若い地球」派で、世界規模の洪水などについても触れているものでした。
現在の「インテリジェント・デザイン説」は「古い地球」派の立場をとる
人が多いので、そう簡単に「判例に従う」わけにはいかないと思います。
神という科学者さんへ
「神という科学者」さん自身は「若い地球」派ですか「古い地球」派ですか?
それから、生物の体の複雑性についてはエキスパートであるはずの生物学者
の大多数が進化論者なわけですが、「神という科学者」さんは、彼らよりも
生物の体の複雑性について自分の方がよく知っているとそうお考えですか?
DNA(共通のオリジン)も精神性と物質性を兼ね備えもつと考えたらどうでしょうか。遺伝情報が込められているわけですが、ちょうど私たちがある記憶を思い出すとき、思い出そうとする意志と思い出されるイメージ が合致する感じです。記憶する部分と記憶される部分の二重構造ですね。
共通の先祖(オリジン)の発想を唯物論と唯心論の論争にあてはめると、物質が先か精神が先かのいずれでもなく、共通のオリジン(物質性と精神性を兼ね備え持つ)の展開とみるのがベストだと思う。ちょうど電子が粒 子性と波動性をとものに持つようなイメージですね。
初めて寄りました。おもしろいところですね。
神って人間の最大の創造物だとずっと思っていた自分には神が人間を創造した
とはどこをどうひっくり返しても考えつきませんね。
自分が神ごときに創造されたなんてプライドが許しません。
進化論と創造論というのは科学問題でもなく宗教問題でもなく、完全に政治問題なんですよね。
大統領選挙でも共和党、民主党双方とも創造論者の存在は無視できないと思います。
特に今は共和党政権ですからその傾向は強まっているんじゃないでしょうか
(少なくとも引用された記事からはそういう風に受け取れます)。
変なところで送信しちゃったよ(汗)
後半部分で、スコープス裁判とかとの絡みのことを書こうとしたのに(汗)
(その部分が「アメリカでの創造論運動」の話題)
そもそも「科学的創造論」が登場してきたのは、スコープス裁判で敗訴した創造論者が、「進化論に対立する科学的仮説」として提唱することで、公立高校の科学の授業に組み込もうという発想ですし。
まぁその発想に基づいて成立した「同時間法」も結局連邦最高裁によって違憲とされ棄却されたはずですが。その判例に従うのであれば、宇宙人であれ神であれ、「知性をもった存在による創造」を前提とするID説も、 同様に最高裁によって棄却されると思います。
ただ、それでも創造論者達は目的をある程度達成してはいるんですよね。
創造論を望むPTAが多い、という社会情勢を示すことで、高校の教師が教科書に書かれている進化論について授業で触れなくなり、教科書会社も採用の際に地方の教育委員会が望むように、進化論についてわずかにしか 言及しない教科書を用意していますから。
科学的に正しいかどうか、という議論ではないというのが残念なところです。
To T8848さん、GOAさん
グールドの著書によれば、ダーウィンは「種の起源」の中で名詞としての evolution という語を使っていないし、当時の進化論者も、著書の中で「進歩」「前進」と混同されそうな単語を巧みに避けていたそ うです。
進化イコール進歩、という誤解は、たとえばラマルキズムなどのように、「進化したものほど優れているのは努力の結果」というような期待がこもっているのであろうと思います。
evolution(進化)がそもそも展開という意味なら「展開論」の方が妥当かもしれません。
それにしても「人間を中心とする」進化の考え方が誤りっていうのは進化論の入門書の最初に抱えれているようなことで、進化論を批判する際に用いるのは、勉強不足を表明しているようなもんだと思いますよ。
>4月5日の某新聞の文化欄に次のような記事が載った。
この記事をそのまま読むと「創造論支持者はずるがしこく“法の抜け穴”を通じて自説を浸透させている」ということで、創造論支持者にはかえってマイナスな話ですよね。
もしかしたら「ラエリアン・ムーブメント」との共同戦線かもしれない・・・。
「進化」には進歩的意味は含まれていませんが、誤解を招きやすい用語ではありますね。
しかも「退化」という言葉もありますから。
そういう意味では「進化論」よりも「変化論」の方が良いでしょう。
でも今更変える必要は無いと思いますし、そんなことをすれば却って混乱します。
ついでに、神という科学者さん、
>アメリカにも私と同じような考えを持つ人が多くおられるようですね。
そしてその考えはニュースになるようなものであって、反対する人はもっと多くいますね。
4月5日の某新聞の文化欄に次のような記事が載った。
<米オハイオ州論争に終止符>
米国の科学教育の現場で、進化論に加えて、インテリジェント・デザイン(ID。知的存在による構想)という“新理論”も教えるべきだという政治的攻勢が急速に強まっている。
オハイオ州では保守派議員の法案提出を受けて州教育委員会がこのほど、公聴会を開催。千五百人の市民、教師の前で、支持反対両派が主張を展開。結局、高校教師が「ID」理論を生物の授業で教えるという選択を容認 することを決定した。
これに対しニューヨーク・タイムズ紙や地元コロンバス・ディスパッチ紙などが論説で、「超自然的存在を引き合いに出すような理論は科学教育には必要ない」と厳しく批判している。
ID理論は、シアトルに本拠を置くディスカバリー研究所が提唱。現在地球上に存在する人間を含めた動植物の多様性は、進化や自然淘汰だけでは説明できないとして、「何らかの知的存在が計画、構想したためだ」とす る考え。保守派の連邦上院議員にも支持者がいる。
米連邦最高裁は、キリスト教原理主義的なクリエーショニズム(神による天地創造説)を学校で教えることは「国家の宗教からの分離」に反するとして禁じる判決を下しているが、ID理論は「神」という概念の使用を巧 みに避けている点が特徴。
しかし、進化論教育を支持する学者、教師らでつくる「全米科学教育センター」などは「科学的証明は皆無」と指摘。コラムニスト、E・J・ディオンヌ氏は「宗教的な考えをカリキュラムに密輸入するもの」と批判して いる。(ニューヨーク共同)
アメリカにも私と同じような考えを持つ人が多くおられるようですね。
>人間を中心とすると進化論になり
いまどき「人間を中心とする」進化論など支持されていません。ヒトを含め、あらゆる生物は祖先を共有しているという考え方が進化論です。
>人間の能力は、退化しているものもある。進化論は改称して変化論にすべきではないか
現在の進化生物学では、「進化」という言葉に進歩的な意味合いは含みません。いわゆる退化も進化に含まれます。考える葦さんは、誤解に基づいた進化論を批判しているに過ぎません。
>サルが進化して人間になったというのは「サルに失礼な」論法だと思う。
なにを「サル」と呼ぶかによりますが、現在のサルが進化して人間になったなどと考える進化論者はいません。現在のサルも、ヒトも、祖先を共有しています。共通の祖先からヒトは独自の進化を遂げてきましたが、それは サルも同じです。
むしろ、聖書に基づく創造論ほど「人間中心的」な考え方はないように思えます。人間は、サルやその他の生き物とは違って、神に似せて作られたものであり、その他の生き物を支配する権利を神から与えられたとされてい ます。進化論がサルに失礼だというのであれば、創造論こそ他のあらゆる生き物に対して失礼だと言えるでしょう。
人間は傲慢も、自らを神の偉大な傑作とみなしている。とダーウィンは言ったとか。自分たちの住む地球が宇宙の中心であり、自分たちは神に似せられて創造され生き物を支配しているという人間中心的な考え方から、我々 は自由になりつつあります。地球はたくさんある惑星のひとつで太陽の周りをまわっており、太陽もさして特別な恒星ではなく、人は進化の頂点にたつ特別な存在ではなく、哺乳類の、脊椎動物の、多細胞生物の、地球上の あらゆる生物の一員であることを理解しはじめました。
自分が立っている地点を中心とすると天動説になり、太陽を中心とすると地動説となる。この論法は、そっくり進化論と創造論にもあてはまり、人間を中心とすると進化論になり、神を中心とすると創造論になる。人間の 能力は、退化しているものもある。進化論は改称して変化論にすべきではないか。
サルが進化して人間になったというのは「サルに失礼な」論法だと思う。
前回の書き込みで抜けていたところがあったので補足です。
神という科学者さん
>「神という科学者」と言う意味は「神は科学者でもある」という意味です。
そのような意味で「ダブルスタンダード」と言ったのではなく、進化の可能性については否定的な根拠を挙げるが神の存在が理論的にありえないほど小さい点について目をつぶっているということです。
反対に進化による人間誕生と神の自然発生が同じくらいにありうる話なら、神の存在を信じる程度に進化の可能性を肯定するべきではないかと思います。
考える葦さん
>進化論と創造論の論争の原点には、無神論と有神論の闘い、唯物論と唯心論の闘いがある。
原点にそのような対立はないでしょう。
カトリックは進化を容認していますし、仏教とは輪廻の考え方があるので抵抗はありません。
そもそも「聖書がすべてを語っているわけではない」という思いは大航海時代あたりまで遡るようです。
「地球は丸かった」「伝染病は見えない“なにか”による」などの知識が聖書に疑問を投げかけたのです。(聖書に伝染病予防の知識が記されていれば、ペストによる悲劇は避けられたはず)
その後地動説は地球が世界の中心であることを否定しましたし、造山運動は地球が6千年前に作られたものではないことを証明しました。
聖書の逐語解釈は500年前に否定されたと言っても良いでしょう。
一部の人は「進化はありえない」「地球は平らだ」と言っていますが、おおむね信仰と科学は対立しないのが現実です。
考える葦さんが唱えるような対立図式は科学者や聖書学者その他の人の信仰を見ていない架空のものに思えます。
進化論と創造論の論争の原点には、無神論と有神論の闘い、唯物論と唯心論の闘いがある。宗教論争と哲学論争がある。あるいは、反宗教と宗教の闘い、科学と反科学の闘いがある。
和解の道はあるのか。創造論を疑似科学とする立場と進化論を疑似宗教とする立場の溝を埋めるものは何か。
私は、進化的創造論というところに落ち着くと思うのだが。
> 生物がその生物種を保持しようとするその生命力は見逃せないのです。
ここで言う「生物種」の定義は?
生物学で言う「種」と同一の定義とみてよいのでしょうか?
(不稔でない子孫を残せる交配可能な集団、ってとこでしょうかねぇ)
イヌにしろハトにしろ、品種改良でさまざまに変化した亜種が登場しているけど、交配可能なのでこれらは同一の「生物種」とみなしてよろしいのでしょうか?
では、品種改良の歴史が記録に残っていて、共通の先祖を持つことが判っている亜種同士で交配させて不稔な子孫を残せないものが存在した場合、その亜種同士は同一の「生物種」ですか? それともそれは違う「生物種 」ですか?
(「そのような変化は生じない」というお返事もありえるかもしれません。しかし、そういう例が見つかれば、という喩えと思ってください。もっとも、ダーウィンの著書の中でそういう例が出ていたようにも記憶していま すが)
>人間が単純な生命ですか!? この辺に認識の大いなる差異があります。私に言わせれば人間のように複雑な存在が自然発生するのなら神も自然発生が可能でしょう。
それほどまでに神と人間が近いと考えるのは、神を信じる人にとっても大きな驚きでしょう。
神は宇宙を“言葉を発しただけ”で誕生させることができます。人間にそのような力がありますか?
しかも生命の起源は人間がいきなり誕生したというものではなく、宇宙にありふれた有機物だとしています。つまり「アミノ酸が自然にできるなら神だって自然発生する」と言っているに等しいのです。
無限の力を持つ神と人間が比較対象になるくらい近しいというなら、どれほど人間の能力が神に近いのか客観的な尺度を用いてご説明ください。
>本気でそう考えている人間もいると覚えて置いてください。
神の創造を信じることは非科学的ですが幼稚ではありません。
科学は単なるツールに過ぎず、それを基準に議論するなら科学のルールに則るべきだというだけです。
>それはある生物個体自身がその生命力によってその変化を拒むからです。
そうした拒絶反応は観測されていないのでは?
一足飛びの変化は無理でしょうが、観測されるような漸進的な変化なら問題はありません。
1から10に飛び越えるのが無理でも、0.1ずつ変化するならいずれ10に達することもあるでしょう。
>それで中間化石が見つからないのです。
それゆえまさに“中間化石”は見つかっているのです。つい先週も中間化石の出現が人類の種分化の学説に衝撃を与えています。
>1億年前の琥珀という化石の中にいたアリは今のアリとほとんど変わってないと言われます。シーラカンスもその例の1つでしょう。
選択圧の強さで大きく変わる生物とそうでない生物があるのは当然のことですが(これも観測済み)、なぜ姿が変わらない生物がいることが進化論の反証になるのですか?
ところで神という科学者さんが信仰上の理由で進化論を信じないのなら、それはここで議論するべき話題ではありません。
一方「科学的にありえない」というのでしたら、感覚的な「尊厳性」や「神秘」などという言葉は用いらないように願います。(「尊厳性」や「神秘」を客観的に定義できるならべつですが)
神が創造するというと、白いあごひげを生やしたおじいさんが粘土を細工するイメージを持つのではないか。そもそも創造とは何なのか。
私は、創造とは、神の全知全能により「無から有を生じせしめる」ことではなく「基本要素の意味のある新しい組み合わせ」だと思う。
DNAの暗号において、新しい組み合わせが新しい生命をつくる。しかし、意味のない組み合わせは、生命体を傷つけ死に至らしめる。これは、創造ではなく破壊である。
意味のある組み合わせを偶然と言ったり、神(宇宙意志)が関与したと言うのではないか。
GOAさんへ
>人間のような単純な生命ですら自然発生し得ないのなら、それよりはるかに複雑で無限の能力を持つ神は誕生し得ないと考えなければ、神という科学者のいう進化論批判は妥当だといえません。(もっとも科学的な議論と しても妥当ではないが)
人間が単純な生命ですか!? この辺に認識の大いなる差異があります。私に言わせれば人間のように複雑な存在が自然発生するのなら神も自然発生が可能でしょう。
さらに、人間をはじめとする(ほとんど無限に近く複雑な)生物を創造した神ならば、永遠に自存することも可能であると思っています。
>少なくともHNで「科学者」と名乗るからには非科学的なダブルスタンダードは排すべきでしょう。
「神という科学者」と言う意味は「神は科学者でもある」という意味です。
>>大進化や人間(心と体)の誕生は大自然によって創造されたとは到底考えられません。
>なぜ考えられないのですか?
生物は常に変化しつづけています。これは観測された事実です。
神という科学者さんが大進化が起こりえないというのなら、「大変化を阻止している何か」を提示しなければならないでしょう。
GOAさんをはじめ進化論者の人たちは生物生命の構造やその代謝、複製、神経系機能の複雑さをかなり等閑視しているように感じます。細菌1つにしても人間が有史以来作り出したどんなものより精巧複雑でしょう。そ の情報量を数的に表現して比較すれば雲泥の差になろうと思います。
それが設計図なしに創られたというのが進化論の基本的立場ですね。私はそんな複雑系の存在(生物)は精密な設計図なしに絶対に出来上がらないし、その設計図は人間よりもっと能力があり、つまり知恵そして芸術性も 兼ね備えた、人間を超えたある「優秀な自存者」が作ったに違いないと言っているのです。そう考えることをふつうは非科学的で幼稚園のレベルだというのでしょう。しかし、本気でそう考えている人間もいると覚えて置い てください。
それではなぜ中、大進化がないと考えるかです。それはある生物個体自身がその生命力によってその変化を拒むからです。もちろん、いろんな環境に置かれたときはその生命力によって出来るだけ最大限適応しようとしま す。それが種の多様性の出現の原因になるのでしょう。しかし、それ以上の限界を超えたときは死しかないのです。(進化論ではこの限界線あたりで進化していると考えているようですが、)
それで中間化石が見つからないのです。種はそれだけでほぼ完成していますから、それ以上は基本的には変化は必要ないのです。変化は適応(種の多様化)するか、または破壊と死しかないのです。
もし、生命の起源が一個の細菌のような生命から出発したとするならば、今地球上にいるすべての生物はその子孫ということになります。ところで、細菌類はこの地上に、最も多く存在しただろうし、今も無数に存在して います。
この細菌類はもっとも突然変異を起こしやすいといわれていますが、三十数億年、他の生物種への変化に比べれば、ほとんど変化せず同じような存在でいることになります。1億年前の琥珀という化石の中にいたアリは今 のアリとほとんど変わってないと言われます。シーラカンスもその例の1つでしょう。
細菌だけではありません。その後いろんな種が出現しましたがそれらの種はほとんど変わりなく、その順に沿ってそれだけ長くその種はほとんど変わらず、今も存在しているのです。
生物がその生物種を保持しようとするその生命力は見逃せないのです。進化論ではその生物(種)1つ1つの生命力のもつ、とてつもない保身的強さを見過ごしていると私は考えます。生物種自身が持つその「生命として の主体性」(私的に言えば尊厳性)を見落としてはならないと思います。
>「神秘」という言葉は「神を秘める」と書きますね。
「女体の神秘」なんて言いますけど、秘められているのは神様じゃなく「観音様」ですね。(下品ですみません)
しんぴ
辛田北 (田偏に北で「ひ」「ぴ」)
袁紹の幕僚.辛評の弟.後に曹操についた.
袁氏が滅びると曹操の議郎となる.下弁平定の際,曹休とともに曹洪にしたがった.曹丕の代には待中に,明帝が即位すると頴郷候になった.諸葛亮が渭南に出陣すると,大将軍軍師使持節に任じられ,全軍をひきしめた.
人の名前ですね.
P.S.これ書くのに何回IMEパッド使ったことやら・・・・・
「神秘」は 読み下しをするならば「神が秘す」じゃぁないのかなぁー
「神を秘める」なら「秘神」と成るような気がするけれど
余分なことでした
その昔、物理学者が光学の知識で夕焼けの空の色の変化を説明したとき、詩人が「無粋だ」と嘆いたのだとか。
物理学者が説明できるまでは神秘的だったのが、説明できてしまったことで神秘性を失ったと彼は感じたのでしょうかね。
それでも空は空だし、夕焼けは夕焼け。
神秘的であろうがなかろうが、それを見て美しいと感じる人の審美眼に変化はないはず。
そういう意味では、生物学や進化論が生命の謎を解いて神秘性が薄れたとしても、生命のもつ力に驚嘆したり、美しさに感銘を受けたりすることにも変化はないはず。
>生命と自然の営みは神秘的なことが多いですよ。「神秘」という言葉は「神を秘める」と書きますね。
いろんなことに神秘を感じられるようで、感受性が高くてよろしいですね。
神という科学者さんが神秘を感じるのはご自由ですし、止めません。ただそれを押しつけられることは迷惑でしょうけど。
初めてみた現象など自然に神秘を感じるのは当然のところもありますが、神秘を感じた後、「なぜそうなるのか?」と問うことが科学の最初です。ただ神秘を感じるだけでは、科学的には何もしてないと同じです。
>あきさんは、文面からはまだ出産の経験はなく(?)お若いように感じますが
相手を説得できないとき相手の若さを理由にする手法がありますが、そのことが説得できない真の理由であることは少ないようです。
>生命は分析すれば、原子と分子の塊なのでしょうが、そこには生き物としての「気」というか何か「+α」を感じています。そこが神秘的なのです。
これも予想通りのご回答ですが、「+α」とは何か?とか、それを実証せよ、などというやぼは申しません。ただ、そのような「+α」なしに生命や自然を理解しようとすることが科学の試みです。
進化論に関する反論がなくなりましたけど、どうしてでしょうか?谷庵さんのご提案は大変いい考えだと思いますが。
進化論を理解しないで反論しようとしていることに気がつかれましたか?本気で進化論を否定されたいのなら、生物学を基本から学ぶべきだと思います。
>あきさんは、文面からはまだ出産の経験はなく(?)お若いように感じますが
と言うことは、神という科学者さんはいい年をした社会人なのですか。
思いこみと無知だけを頼りに生物進化を否定しているところから、学生さんかと思っていました。
>「神秘」という言葉は「神を秘める」と書きますね。
「儲け」という言葉は「信者」と書きますよ。
たいていの宗教は信者から金を巻き上げていますからぴったりですね。
以上はただのチャチャですが、
神という科学者さんは生物進化否定の立場から議論しに来たんじゃないの?
今のところ、神という科学者さんは何も自分の意見を言っていませんよ。
自分はどう感じているかという独り言だけ。
神秘を感じるかどうかも、神秘という言葉を使うかどうかも人それぞれです。
そんなことより、根拠を持って自説を説明してはどうですか。
あきさんの言う通り、このサイトのホームページ(この掲示板の下の方から行けます)を見て、
内容に悉く反論してみたらどうでしょう。
今のままじゃROMしていても退屈です。
私は進化論を(おおむね事実であろうという意味で)支持して
いますが生命には神秘を感じている一人の人間です。
反証終わり。
茶々はともかくとして「生命の神秘も感じとれない冷血な
進化論者」というのは乱暴な進化論者のカリカチュアじゃ
ないかなーと思います。進化論を支持する人だって生命の
感じ方は人それぞれでしょうし、私なんか逆にただの元素
の塊が生命を形づくってしまうというところにどうしよう
もなく神秘を感じてしまうのです(神秘を感じると言って
も、そこに神性を感じるという意味ではなく、非常に情緒
的な「なんてすごいんだろう」といった感動を感じるくら
いの意味合いですけども)。
「そんなの神秘じゃない」と言われてしまえばそこまでで
すがそーゆー物の感じ方をする人間もいるという一例でした。
あきさんへ
先日のジョークは完全に「はずれ」だったようです。まあ、感じ方には人それぞれ違いがありますからね。失礼しました!!
昨日、皇太子ご夫妻の長女、愛子様誕生4ヶ月目の記者会見で、雅子様は次のように語られています。
「初めておなかの中に小さな生命が宿ってはぐくまれて、時がみつると、持てるだけの力をもって誕生してくる。そして、外の世界での営みを始めるということは、なんて神秘的で素晴らしいことなのかということを実感 しました。」
あきさんは、文面からはまだ出産の経験はなく(?)お若いように感じますが、生命と自然の営みは神秘的なことが多いですよ。「神秘」という言葉は「神を秘める」と書きますね。
生命は分析すれば、原子と分子の塊なのでしょうが、そこには生き物としての「気」というか何か「+α」を感じています。そこが神秘的なのです。
>このジョークも通じないんですか??
あれがジョークだとわからなかったのが私だけではなかったようですね。芸人さんは受けないジョークは自分たちの責任だと考えるようですけど、プロではない神という科学者さんにはそこまで要求しません。ちなみにHN は季節とは無関係です。
>この感じ方はちょっと並ではないですね。素直でない。神秘とは不可解というよりむしろ尊敬の気持ちがより込められているものです。私は桜もタンポポも喜んでいるだろうと思います。
予想に反しないご回答ですね。少しわざと曖昧な表現をしたのですが、自然の生命の営みに美しさを感じたり感動することは個人的には否定も肯定もしません。しかし、植物や動物にヒトという種からの主観である神秘的な どという概念を持ち込むことは好きではありません。他の種は他の種として生きているのであって、食物連鎖などの関連はありますが、ヒトとは別の基準で生きています。わざと擬人化して「迷惑と思っている」と書きまし たが、神秘などと思うことはヒトという種のおごりでしょうね。尊敬されても迷惑でしょう。紅葉はヒトのためにしていることではありません。
念のため申しておきますが、別の生き物だから殺傷してよい、とか、生きていることを尊重しなくてもよい、という主張ではありません。
>細菌一つにしても生命を維持する為には、その体内でどれほどの多くの化学反応が行われているか計り知れないくらいである。(以下略)
「偶然」という言葉にとらわれて進化論をきちんと理解されていない主張に思えます。遺伝子変異がランダムであるだけで、進化そのものは環境への適応ということに面で必然です。また種によって異なりますが遺伝子変異 の頻度も高いため、何度失敗しても(環境に適応できなくても)成功するまで勝負を続けているようなものです。もう一度このサイトのHPをごらんになってください。
>種の多様性の出現はダーウィンが見たように自然選択や自然への適応によって生じたことは認めますが、生命の起源や中、大進化や人間(心と体)の誕生は大自然によって創造されたとは到底考えられません。
GOAさんがすでに発言されているように理由が不明瞭です。ショウジョウバエの例でお話ししたとおり、種内の差異が種を分けることになりうることが示されています。
また、タンパク質の分子進化をみればわずかな差異により機能が変化していることがあり、小さな差異の積み重ねが大きな差異(すなわち種の違い)を生み出すことが想定されます。
>それは原子と分子からでしょう。
生物を原子や分子の塊だと思っているわけですね?
あの阪神もいつも通り良いスタートダッシュですね。
・・・なにより?
#私は阪神ファンというわけではない
>これを真に受けて買っちゃう人がいたら、絶対「ドカン!」とやると思うんだけど、どうでしょう。
ちゃんと水素発生できていたらね・・・・・
出来ていない方に100円!!
リロードするとまた投稿されちゃうみたい。
管理人さん、お見苦しければ(そしてお時間があれば)適当に削除して下さい。
で、なんでかなんて、あたしゃ知りません。わかりません。
それを含めて大笑い。
あんまりおかしいので、まだ全部見ていません。決算報告も。
これを真に受けて買っちゃう人がいたら、絶対「ドカン!」とやると思うんだけど、どうでしょう。
http://www.nikkan sports.com/news/baseball/recaps/p-br-tp0-020402-06.html
良いスタートダッシュがきれたようで
なにより
何故に酸素2つの水素2つの図〜載せてるんでしょうね?
決算報告が全く載っていないのが非常〜〜〜〜に気になったり.
ひょっとして売上ゼロか?
なんでかもう1回投稿されてる???
革離@隆行さん
あれはただ水を電気分解して、水素と酸素の混合気を作るというものです。
無公害はわかるけど、安全性なんて何を言ってんだか(水爆は水素ガスの爆発とは違うぞ)。
T8848さんへ
ざっくり見させていただきましたが.
過酸化水素水製造装置ですか?あれは.
「クリーンパワーガスの物理的特性」を見ての感想でごじゃる.
え〜、進化論とは全然関係ありませんが、面白いものを見つけたので紹介します。
もう突込み所満載で、大笑いさせていただきました。
ご笑納下さい。
http://www.cpgas.com/
下の投稿で一部敬称が抜けておりましたのでお詫びします。
>このジョークも通じないんですか??
あきさんというHNの由来が“秋”になければピンとこないのも無理ないと思います。広島出身で「安芸」からとったかもしれないし、漫画家内山亜紀のファンだからそのようなHNをつけたのかも?
ジョークが通じなかったのは、神という科学者の「あき=秋」という勝手な思い込みが原因じゃないのですか?それを
>このジョークも通じないんですか??
っていうのはちょっと問題ありますよ。
>しかし、もっとも単純な生物ビールスでもこのロボットよりはもっと複雑である。ましてや、人間の肉体においてはなにかいわんである。
人間のような単純な生命ですら自然発生し得ないのなら、それよりはるかに複雑で無限の能力を持つ神は誕生し得ないと考えなければ、神という科学者のいう進化論批判は妥当だといえません。(もっとも科学的な議論とし ても妥当ではないが)
少なくともHNで「科学者」と名乗るからには非科学的なダブルスタンダードは排すべきでしょう。
>大進化や人間(心と体)の誕生は大自然によって創造されたとは到底考えられません。
なぜ考えられないのですか?
生物は常に変化しつづけています。これは観測された事実です。
神という科学者さんが大進化が起こりえないというのなら、「大変化を阻止している何か」を提示しなければならないでしょう。
信じたくないから「考えられない」というのでしたら話になりません。
>春なのに秋のたとえをするのは理解に苦しみますが、
『』付きの秋の意味わからなかったんですね。あなたの名前が「あき」さんだから秋の季節は好きかなと思っただけですよ。このジョークも通じないんですか??
>狭いわずかな土地にタンポポが咲いているのをみても生命を感じます。しかしこれに神秘は感じませんし、
この感覚は進化論に完全にはまった人の意見でしょうね。自然の生命の営みを神秘に思って感動することを忘れたら人生の楽しみは半減しますよ。そして、何の為に生物関係の仕事をしているのか、その意味も薄れてくる ように思いますね。
>もしサクラやタンポポに感情があるとしたら、ヒトが神秘を感じても、桜やタンポポにはきっと迷惑なことでしょう。
この感じ方はちょっと並ではないですね。素直でない。神秘とは不可解というよりむしろ尊敬の気持ちがより込められているものです。私は桜もタンポポも喜んでいるだろうと思います。
>「自体内の相関性」とは何のことですか?
これは生物体内の各器官はそれぞれの機能を果たしながら生命全体を維持させ、その生命がそれぞれの器官をまた存続させているので、結局はお互いが相関して助け合いの関係にあるという意味です。
>私の質問は、「生物種の本質」や「生命の神秘」と進化論の関係についてたずねたものです。これにはお答えがないようですけど?
細菌一つにしても生命を維持する為には、その体内でどれほどの多くの化学反応が行われているか計り知れないくらいである。1つのとてつもなく複雑な精巧な機械にたとえることができるだろう。
しかし、人間はまだ最も小さい生物であるビールス1つも作ることができない。今後いつ壱から生物を創造できるかわからない。というのも、「生物」はどんなものでも二つの条件(機能)を持っていなければならない。 まずある期間(一生)養分を摂取して生存(生活)しなければならないし、もう1つは子孫を創らなければならないということである。
この二つのシステムを偶然事件を基にして獲得して来たというのが進化論の主張である。
高度な人工ロボットにしても、人間がある目的のために構想し、製図を書き、材料を調達して、組み立てて、試行錯誤の実験を繰り返して、ものすごい努力の末やっとそれなりのものが出来上がるのである。決して無意識 の中から偶然に出来上がったものではない。人間が創造したもので偶然の事件から出来上がったものが果たしてあるだろうか。
永い年月ほって置けば偶然の「事件」と自然淘汰によって生命の起源と百万種以上の生物が出来上がった(出現した)というのが進化論である。しかし、もっとも単純な生物ビールスでもこのロボットよりはもっと複雑で ある。ましてや、人間の肉体においてはなにかいわんである。
種の多様性の出現はダーウィンが見たように自然選択や自然への適応によって生じたことは認めますが、生命の起源や中、大進化や人間(心と体)の誕生は大自然によって創造されたとは到底考えられません。
必ず、そこには「優秀な創造者」がいなければ不可能であると推論しています。これも理論的な仮説として成り立つことでしょう。だって、今まで有効な「神の不存在証明」は聞いたことありませんからね。
>>まあ、生物をただの元素の塊と思っている人には分からないのでしょうか。これも進化論教育の弊害かもしれません!?
>ではお聞きしますが生物は何から構成されていますか?原子や分子からではないのでしょうか?
(神という科学者さんが最初にこう言われたので踏襲しましたが、この場合元素といういい方は不適切だと思います)
それは原子と分子からでしょう。
ショウジョウバエの実例を有難うございました。
みなさんからのご質問でお忙しそうですね。進化や科学的創造論についてはすでにご質問がでていますのでそれ以外で質問します。というのも科学や生物学に関して誤解をお持ちではないかと思うからです。
>それに、基本的に真理は多数決の挙手で決めるものではないと思いますが。
宗教的真理はどうか知りませんが、科学的仮説の正否は多数決で決めていくものだと思います。挙手はしませんが。神という科学者さんはどうやって科学的仮説の正否を決めていくとお考えですか?
「生物種の本質」や「生命の神秘」と進化論の関係についてお答えがないようですけど、ご回答をお願いします。
こちらもお願いします。
生物は何から構成されているとお考えですか?原子や分子からではないのでしょうか?
忙しかったりINCMの調子が悪くなったりですっかりご無沙汰していました。
いつの間にか創造学校は閉鎖されちゃったんですね。
最後の論争は見逃してしまいました。
さて、挨拶だけではなんなので、神という科学者さんへ。
>この地球上で少なくとも20億以上の神を信ずる人ごとに神の存在証明を多かれ少なかれお持ちだと思います。
何らかの神を信じている人なら20億どころじゃないでしょう。59億ぐらいはいるでしょうね。
でも証明の対象も内容もバラバラだから証拠にはなりませんね。
>創世記第1章の天地創造の6日(6段階)において、(中略)宇宙と生物の出現順序がかなり正確に表記されている
それを言っちゃあ、記紀神話でも似たようなものです。
>人類歴史において優れた宗教が現れ連綿と存在し支持されて来たことは重要な神の存在証明の1つでしょう。
キリスト教よりユダヤ教の方がずっと古い。
ユダヤ教から連続していると見なすなら、イスラム教も同じ。
ゾロアスター教も同じくらい古い。
仏教もキリスト教より古いし、元をたどればユダヤ教より古い。(ヒンズー教もね)
各地にある自然宗教もそうです。
このように優れた宗教が連綿と存在し支持されて来ていますが、さて、それで証明される「神」とはいかなる者なのでしょうか。
>人類歴史において優れた宗教が現れ連綿と存在し支持されて来たことは重要な神の存在証明の1つでしょう。
「優れた宗教」=キリスト教ですか?信仰の為には、↑も重要な証明にはなるかもしれませんが、少なくとも重要な科学的証明とは呼べません。それとも、「真理は多数決の挙手(連綿と多くの人が支持してきた)で決める もの」なのでしょうか?矛盾していませんか?
>科学的創造論があるでしょう。それに、基本的に真理は多数決の挙手で決めるものではないと思いますが。
過去のこの掲示板のログを見るべし
>もう少し説明をはっきりしてください。
突然変異は確率的に起こる現象なので、サイコロの例と同じく30億年間突然変異が発生しても必然とはなり得ないということです。
>19〜20世紀になって初めて明らかになってきた宇宙と生物の出現順序がかなり正確に表記されていることは驚くべきことなのです。
このHPでも指摘されていますが、太陽ができたのが地上に草木が現れた後のことであったり、果実をつける植物が動物の誕生より後であったり、かなり不正確です。
>旧約聖書39巻はやがてメシアが来られるという1つテーマを中心として、まとまった流れと話になっているのです。これは1つの神の存在の傍証です
神という科学者さんも認めているとおり聖書の記述が完全に正確とは言えません。西洋の聖書研究家の間でも聖書に矛盾があることは常識となっています。
メシアの到来という根本がなくては聖書自体がなりたちませんので共通しているのは当然として、細部の各エピソードの間に矛盾が見られるのはどうしてでしょう?
聖書が神の言葉を記したものなら矛盾があるわけはなく、人間の創作が大いに含まれていることを示唆しているのではないでしょうか?
また仏教は連綿と存在し指示されつづけてきた優れた宗教ですが、聖書の記述と矛盾する部分があります。
仏教が神の存在の傍証となりうるなら(神という科学者さんの定義によれば仏教もそれに当てはまりますよね?)、神は人類に矛盾したことを教えた・・・はっきり言えば少なくとも一方にはウソを教えたことになるのでは ないですか?
むしろ聖書や仏典は人間の創作も多く含まれ、事実の検証は別の証拠によって行われなければならないと考えるほうが自然だと思われます。
ところで前後しましたが「優れた宗教」というのは客観的な存在ですか?一部のプロテスタントはカトリックを「キリスト教の名を借りた別物」だと指摘しており、優れた宗教とはみなさないでしょう。しかし多くの信仰を 集めているということならカトリックはキリスト教の最大宗派で優れた宗教なのかもしれません。新興宗教の教祖は自らを「優れた宗教」と公言して、既存の宗教を堕落したものと批判します。
またキリスト教が優れた宗教だとしても、その記述が科学的な観測と矛盾したとき、聖書の記述を信用しなければならないというほど信頼されているのでしょうか?
“正しい聖書解釈”を行っていると称する教団は天地創造はわずか6千年前だと主張していますが?
GOAさんへ
>ところで、サイコロを30億年振りつづけて出た数字は偶然でなく必然なのでしょうか?(以下省略)
1/6の確率で偶然ですよ。だだ、30億年間で1から6までの数字が出た回数は限りなく1/6ずつの回数になっていると思いますよ。偶然と必然のことを何か言いたいのでしょうけど、もう少し説明をはっきりしてく ださい。誤字もあるしね。
>ところで、現在“日本に限らず”全世界を見渡しても進化論以外に多様な生物の存在を説明する科学理論はありますか?
科学的創造論があるでしょう。それに、基本的に真理は多数決の挙手で決めるものではないと思いますが。
>神という科学者さんは神による創造の手法について説明した科学的な理論、あるいは神の存在証明、もしくは神の存在を傍証する信用できる証拠について何かご存知でしょうか?
この地球上で少なくとも20億以上の神を信ずる人ごとに神の存在証明を多かれ少なかれお持ちだと思います。個人的には傍証する証拠として「聖書」を挙げたい。
創世記第1章の天地創造の6日(6段階)において、完全に一致してるとは言えないが、3千年以上前のモーセの時代(自然科学がほとんど発達していない時代)に、19〜20世紀になって初めて明らかになってきた宇 宙と生物の出現順序がかなり正確に表記されていることは驚くべきことなのです。
旧約聖書と新約聖書は考古学的な古文書の発掘などによるとに書かれた時代が違い、筆者も異なっているが、旧約聖書39巻はやがてメシアが来られるという1つテーマを中心として、まとまった流れと話になっているの です。これは1つの神の存在の傍証です。
他にも多くありますが、人類歴史において優れた宗教が現れ連綿と存在し支持されて来たことは重要な神の存在証明の1つでしょう。
すでに皆様からの回答がありますので、重ねてお答えすることもないかもしれませんが・・・。
>しかし、基本的には偶然の「事件」が原因になっているということですから、その意味で上記のように表現したのです
最初の発言は「すべて偶然の積み重ねで」と“すべて”と表現してありましたから自然選択という“必然”は考慮に入れていないと見て指摘しました。“すべて”と“基本的”では意味する内容が違います。
ところで、サイコロを30億年振りつづけて出た数字は偶然でなく必然なのでしょうか?
毎日の日照や降雨、時折起こる地震などは偶然ではなく“必然的にそのようになる”というのは事実に即した考え方のかお答えいただきたく存じます。
ところで、現在“日本に限らず”全世界を見渡しても進化論以外に多様な生物の存在を説明する科学理論はありますか?
神という科学者さんは神による創造の手法について説明した科学的な理論、あるいは神の存在証明、もしくは神の存在を傍証する信用できる証拠について何かご存知でしょうか?
それらがなければ神による創造が科学的に検討されなくても仕方がないことだと思われます。
とりあえずダイエーも阪神も西武も勝ちました。
管理人さん始め三方丸く納まりました。
ところで、やはりトンデモさんがやって来ると盛り上がりますね。
久しぶりにROMを楽しんでいます。
神という科学者さんが、あきさんの言うことを理解できると良いのですが。
そもそも理解する気があるのか、と言うことから心配しないといけないのかな。
>「生命の神秘」を感じたことはないのですか?「秋」になると紅葉する美しい山々を見て感動したことはないのですか?(以下略)
春なのに秋のたとえをするのは理解に苦しみますが、ウメやサクラが咲くのをみて美しさは感じますし、狭いわずかな土地にタンポポが咲いているのをみても生命を感じます。しかしこれに神秘は感じませんし、もしサクラ やタンポポに感情があるとしたら、ヒトが神秘を感じても、桜やタンポポにはきっと迷惑なことでしょう。
>「生命の本質」とは生命それ自体をしっかりまず見つめるということです。例えば、(以下略)
私も含めて、おそらく大部分の生物関連研究者は「DNAの変異ばかり見つめ」てはいません。DNA変異を考慮する場合、対象生物全体の中での意義付けを考えないことはほとんどないでしょう。
さらに申しますと、「生命の機能の複雑性や総合的な秩序性」を考慮せずに生物学の研究をしている人は少ないと思います。
「自体内の相関性」とは何のことですか?
私の質問は、「生物種の本質」や「生命の神秘」と進化論の関係についてたずねたものです。これにはお答えがないようですけど?
>まあ、生物をただの元素の塊と思っている人には分からないのでしょうか。これも進化論教育の弊害かもしれません!?
ではお聞きしますが生物は何から構成されていますか?原子や分子からではないのでしょうか?
(神という科学者さんが最初にこう言われたので踏襲しましたが、この場合元素といういい方は不適切だと思います)
>実際、ショウジョウバエは何十年も研究されていますが、何か機能的に「有益」なものが生まれてきましたか。あったら例示してください。
すでにHueさんがお答えになっているとおりです。付け加えると、以前このサイトでショウジョウバエの種分化について議論されたことがあり、その時に2群に分けたショウジョウバエを継代し続けると、両群間で交配不 能になるという研究が紹介されていたと思います。
「有益なもの」についてはすでにクハ72さんがお答えになられています。
>問題はその人間がさらに他の種に変化していくかということです。
ところで、その報告例を1つ掻い摘んで紹介してください。
これはヒトにおける例を要求されているのですか?それとも他の種でも種分化にあたる例が示せればよいのでしょうか?
>これって、神の(進化的)創造論を選択肢として受け入れる受け入れることもできるということですよね。
個人的には現在クリスチャンではありませんが、昔クリスチャンの友人に「クリスチャニティーに対して、心をOpenにし続ける」ことを約束したので、私が信じられる証拠を見つけたと思ったら、ためらいなくそうする でしょう。
>でおっしゃっているようにどんな(下等な)生物でも、それなりのとても高度な精巧性と自己完結性(個性)を持っているので、それが変化することはもう破壊の方向にしか向かないだろうということです。
なぜ「破壊の方向のみ」と決め付けられるのでしょう?分子進化の中立説によれば、DNAレベルでの突然変異は殆ど自然淘汰に対して中立です。発現する突然変異は、大部分がその個体にとっては致命的でしょうが、Hu eさんのおっしゃるように、永い年月をかければ生物に多様性をもたらしてくれるものが残れる余地はあると考えます。連続的な変化(多様性)のなかで、中間にあたるものが欠落(絶滅)すれば、新たな種の完成です。
>系統樹における幹とか大きな枝に当たる生物が存在しえるのかという疑問を持っているということです。
永遠に拡大し続ける多様化のプロセスを考えると、現存する全ての生物が、将来的には大き幹であり枝である可能性があるような気がします。
#それとも、系統樹から受けるイメージが、wadjaとは全くちがうのだろうか?
はじめまして、進化論を支持するクリスチャンです。
突然変異が偶然なのはおっしゃる通りですが、自然淘汰は偶然ではありません。
細菌が抗生物質に対する耐性を身につけたのはこれの典型例ではないでしょうか。
あるいはマラリア地帯における鎌形赤血球でもいいでしょう。
> せいぜい種内の多様性は認めるとしても、それを超えて何か別物に変化していくなんて不可能だと感じるようになるのです。
それは「種」をどのように定義するかの問題ではないでしょうか。
「進化があったか」と「いかに進化したか」は違う問題です。進化があったことは地球が太陽の周りを周っていると同じ位確からしいとされています(実感は沸かないでしょうが)。
引用が前後しますが、
> そして、何か理解できない生物の存在や機能があればすべてそれが適者生存による進化だと説明付けるのです。
一つでもいいですからその例を挙げていただけないでしょうか。
> 「生命の本質」とは生命それ自体をしっかりまず見つめるということです。
なるほど、余計なフィルタなど通さずに、虚心に観察するということですね。
大変素晴らしい。例えば「生命の神秘」などフィルタもいいところだと言うわけですね。
> 「生命の神秘」を感じたことはないのですか?「秋」になると紅葉する美しい山々を見て
> 感動したことはないのですか?コウロギや鈴虫の美しい鳴き声を聞いて感動したことはな
> いのですか?栗の毬から栗を取り出しながらその神秘を感じたことはないのですか?
感性が豊かで大変結構なことです。AIBO をみて「かわいい」と思うのと一緒ですね。
> 実際、ショウジョウバエは何十年も研究されていますが、何か機能的に「有益」なもの
> が生まれてきましたか。あったら例示してください。
理解することと作り出すことは違うんですけどね。植物はもっと長い間研究されて、改良に
改良を重ねて我々の食卓に上っていると言えるのではないですか?
> これについては、あきさんに対するところで触れたのですが、自分でおっしゃっているよ
> うにどんな(下等な)生物でも、それなりのとても高度な精巧性と自己完結性(個性)を
> 持っているので、それが変化することはもう破壊の方向にしか向かないだろうということ
> です。
破壊の方向に向かったものは生き延びられませんね。実はちょっとぐらい変化してもなんと
もないものって結構多いんですよ。生物のシステムって、そういう頑強性を持ってるんです。
> 私は人間の知恵で計り知れない「生命の神秘性」を強調したいのです。
なるほどなるほど。あなたが知らないだけだ、と言う可能性は無いのですね。
「あき」さんへ
>現在でも生物はただの元素の塊ではないでしょうか?
>>生物種の本質はその生殖や発生や構造や機能や運動や美などでしょう。生命の神秘は生命の出現から始まって様々な生物の出現、そして全く特殊な個性と能力を持つ人間の出現までさまざまな不思議に包まれています。
>「生物種の本質」や「生命の神秘」とは何でしょうか?確かに生命現象はわかっていないことだらけです。しかし、進化論とどういう関係があるのでしょうか?
「生命の本質」とは生命それ自体をしっかりまず見つめるということです。例えば、ただ単にDNAの変異ばかり見つめるのではなく、トータルにその生命の機能の複雑性や総合的な秩序性や自体内の相関性などを捕らえて 欲しいと言いたかったのです。
「生命の神秘」を感じたことはないのですか?「秋」になると紅葉する美しい山々を見て感動したことはないのですか?コウロギや鈴虫の美しい鳴き声を聞いて感動したことはないのですか?栗の毬から栗を取り出しながら その神秘を感じたことはないのですか?
まあ、生物をただの元素の塊と思っている人には分からないのでしょうか。これも進化論教育の弊害かもしれません!?
生物(生命体)それぞれの器官の高度な複雑性と精密性を知れば知るほど、この生命体が何か他の種に変化するなんて考えられない。せいぜい種内の多様性は認めるとしても、それを超えて何か別物に変化していくなんて 不可能だと感じるようになるのです。
実際、ショウジョウバエは何十年も研究されていますが、何か機能的に「有益」なものが生まれてきましたか。あったら例示してください。
Wadjaさんへ
>ここの管理人さんにも同意していただけることだと思いますが、進化自体を神が仕組んだのが真理であっても、進化論者は少しも困りませんけど?単に神が「進化が起こるように」計画したのだろうということになるだけ 。
これって、神の(進化的)創造論を選択肢として受け入れる受け入れることもできるということですよね。これはかなり嬉しい意見です。
>系統樹の幹云々、個々の生物の自己完結性の下りは、wadjaには何が言いたいのか良く分かりません。解説していただけると幸甚。
これについては、あきさんに対するところで触れたのですが、自分でおっしゃっているようにどんな(下等な)生物でも、それなりのとても高度な精巧性と自己完結性(個性)を持っているので、それが変化することはも う破壊の方向にしか向かないだろうということです。
よって、系統樹における幹とか大きな枝に当たる生物が存在しえるのかという疑問を持っているということです
>アメーバから人間まで多様な生命が存在する現状を見れば、不可解な生物など、ひとつたりとも存在していないような気がします。
私は不可解な生物とは言っていません。私は人間の知恵で計り知れない「生命の神秘性」を強調したいのです。あきさんの言う「生命現象はわかっていないことだらけ」と同じ意味です。
GOAさんへ
>>進化論はこの約30億年以上の生命の旅はすべて偶然の積み重ねで今に到達したと考えているわけです。
>進化論では偶然だと考えていない。
進化とはある種の中に「偶然」に起こった突然変異体が自然選択されてやがて新しい種になるという現象。このように私は理解してますが違いますか。しかし、基本的には偶然の「事件」が原因になっているということで すから、その意味で上記のように表現したのです。
>>進化論は私の知る限りでは蛾の羽の色が変わったぐらいの小さな例外(小進化)を除いて、まだまだ1つの仮説に過ぎません。
>他にもさまざまな観測・実験結果が報告されている。
私は、たとえば、人間の起源は1つであるが今はいろんな人種がいるといったような変化(進化)は認めます。問題はその人間がさらに他の種に変化していくかということです。
ところで、その報告例を1つ掻い摘んで紹介してください。
To 革離@隆行さん
>あれなんとかなりませんかねえ〜〜
というかあれって、統計をつかって嘘をつくための機能だと思っています(笑)
相関関係が示せたとしても、因果関係があるとは限らないなんてのは、説明するまでもないことなのですが、プレゼンではよく出てきますし(^_^;
>>(食品の検査に「波動」なんて持ち込まれたらたまったものじゃないけど)
> 私のとこはやりませんよ!!!
それが普通ですし(笑)
まぁ仮に上からの命令で波動を使わざるを得なかったとしても、現場の判断でそれはあくまで補助の補助という程度にとどめて、まともな検査をメインにしていれば問題は生じないと思いますし。
おはようございます.
ポーランド戦の鈴木選手は本当に良かったでした.しばらくHNの後に@隆行をつけようと思う鹿島ファンなかくりでございます.
あきさんへ
おひさしぶりです.
>現在でも生物はただの元素の塊ではないでしょうか?
なのですが非常に大事なことと思います.以外とこれが認識されていないがタメにある種の食品は忌諱されて別の種のは意味無くあがめられてと最近の食料事情はすこしゆがんでいるなあと腹立たしく思っておる次第です.
まあ神さんの話はおいておいて
PDX.さんへ
マイクロソフトのエクセルがあるじゃないですか.あれで相関図書かせると簡単に書いてくれるのですが,「ついでに一時式も」とか「相関係数も(正確にはr^2を表記)」とかオプションで簡単に出せるようになってい る.なっているのはいいが,出した式や相関係数の有意検定をしてくれないんですよねえ.有意検定について皆知っているわけじゃないから,意味ない数値がポンポン出てくることがある.出された相手が知ってりゃ良いけ ど,知らない場合もあるし・・・・・そんときゃ本当に数値が一人歩きするよ.
あれなんとかなりませんかねえ〜〜
>(食品の検査に「波動」なんて持ち込まれたらたまったものじゃないけど)
私のとこはやりませんよ!!!
最後に
中華キャノンがついてなかったら『先行者』はあんなに人気者にならなかったと思う.
そいでは
進化に関しては、GOAさんやほかの方々がすでに発言されているのでいうことはありませんが、
進化論者が多いと考えられる掲示板なのですから、進化論を否定する発言に関しては強い批判を
加えられることが予測されます。なぜもっと進化論を勉強した上で発言されないのでしょうか?
せめて、このサイトに書かれている進化論に関する記事くらいには目を通してもらいたいものです。
GOAさんが発言されているように、「相ま」さんもそうですが、「進ま」さん(?)も、進化論や相対性理論を理解せず(あるいはできずに)、自分の思い込みだけのありもしない、進化論や相対性理論を攻撃しています 。
>それは進化論という大仮説をドグマまたはイデオロギーとして信奉崇拝し、あるいは土下座してひざまずいている姿に他ならない。残念だけど、これこそ疑似科学ですよ。
生物学の研究者はそんなに馬鹿ではありません。だいたいあなたが気付く程度のことを他人が気付かないとでもお思いでしょうか?自分だけが気付くことなどほとんどありませんし、間違っていることを指摘されれば、大部 分の人は(本当に間違っていれば)間違いを理解できます。
>元を正せばあなたも私もアメーバーのような存在であり、更にその基を探せばアミノ酸の塊(無生物)であった。そして元々は無機質のただの元素の塊であったということになります。
現在でも生物はただの元素の塊ではないでしょうか?
>生物種の本質はその生殖や発生や構造や機能や運動や美などでしょう。生命の神秘は生命の出現から始まって様々な生物の出現、そして全く特殊な個性と能力を持つ人間の出現までさまざまな不思議に包まれています。
「生物種の本質」や「生命の神秘」とは何でしょうか?確かに生命現象はわかっていないことだらけです。しかし、進化論とどういう関係があるのでしょうか?
神という名の創造者=神という名の科学者さんへ
HNからすると、神に対する信仰をお持ちなのでしょうか?
#HN変えるのは、ちょっと迷惑だと思う(まあ同じ人だというのは文章読めばわかるけど)。
ここの管理人さんにも同意していただけることだと思いますが、進化自体を神が仕組んだのが真理であっても、進化論者は少しも困りませんけど?単に神が「進化が起こるように」計画したのだろうということになるだけ。
系統樹の幹云々、個々の生物の自己完結性の下りは、wadjaには何が言いたいのか良く分かりません。解説していただけると幸甚。
アメーバから人間まで多様な生命が存在する現状を見れば、不可解な生物など、ひとつたりとも存在していないような気がします。進化論は御説とは逆に、「高度な精巧製と自己完結性」を持った生物しか生き残れないこと を説いてるいます。独自性については、原核生物から人間に至るまで殆ど同じ遺伝プロセスを持っていることで、否定されませんか?共有されているプロセスを、同じものから派生したと考えるか、同じ存在が斉一的に創造 したと考えるかは個々人の自由かもしれませんが、大きな共有箇所を持ちながら、少しず異なる多様性も持つ生物達を見ていると、wadjaは進化論に分があると考えます。
神という科学者さん
どうやら「独り言」を延々と述べるタイプの方のようですね。
>進化論はこの約30億年以上の生命の旅はすべて偶然の積み重ねで今に到達したと考えているわけです。
進化論では偶然だと考えていない。
>進化論は私の知る限りでは蛾の羽の色が変わったぐらいの小さな例外(小進化)を除いて、まだまだ1つの仮説に過ぎません。
他にもさまざまな観測・実験結果が報告されている。
神という科学者さんは結局のところ自分の思い込みだけで「ありもしない(反論しやすい)進化論像」を作って攻撃しているだけです。
その証拠に進化に関する事実について無知をさらけ出していますよね。
こうした人は過去にも大勢いましたが、結局のところ無知を指摘されて退散するのが関の山です。もう少し実例に即した進化論の反証を出してくれないとここでは恥をかくだけだと思いますので、忠告させていただきます。
進化論は種が他の種と変化して、そのうち属、科、目と変化していったということを推測している学説である。つまり、変化、変移の過程を主に取り扱っている。
しかし、その連続の過程の中でもその個体はいつも生命体としての完結性を持っていなければならない。そう考えてみれば生命の誕生が1つの生命体から出発したのであれば、我々の遠い先祖は皆、爬虫類であり、その昔 は両生類であり、更には魚類であったということになり、やがて、無脊椎動物であって、ずっとその前は海綿体のようなものであり、そしてアメーバーのようなものであった。つまり私の一番最初のご先祖様はアメーバー様 のような存在であったということになりますね。
よく系統樹というのがあってその幹のようなものがあるが、その存在にしたってれっきとした生物種としての個性ある個体でなければならない。何か不可解な存在ではないはずである。つまり、進化論によれば生命の限り ない連続性を認めなければならない。
元を正せばあなたも私もアメーバーのような存在であり、更にその基を探せばアミノ酸の塊(無生物)であった。そして元々は無機質のただの元素の塊であったということになります。
ところで、進化論はこの約30億年以上の生命の旅はすべて偶然の積み重ねで今に到達したと考えているわけです。
果たして、そんな旅が偶然の中で可能であったのかどうか。私に言わせれば、それはもう偶然とは呼べない。言ってみれば30億年偶然が続いてきたことになる。それはもうふつう偶然とは呼ばないで必然というのである 。
次に進化論の問題点は、生物のその個体の高度な精巧性と自己完結性と独自性とをあまり問題にしていないということです。その変化変遷ばかりに注目してその生物の個性を考慮していないということです。
生物種の本質はその生殖や発生や構造や機能や運動や美などでしょう。生命の神秘は生命の出現から始まって様々な生物の出現、そして全く特殊な個性と能力を持つ人間の出現までさまざまな不思議に包まれています。
日本では進化論は自然科学の世界で主流的ドグマになっています。そして、何か理解できない生物の存在や機能があればすべてそれが適者生存による進化だと説明付けるのです。これこそは科学ではなくて一人勝ちしたド グマの横行なのです。私はこの非科学的な態度を危惧しているし、滑稽に思っています。
進化論は私の知る限りでは蛾の羽の色が変わったぐらいの小さな例外(小進化)を除いて、まだまだ1つの仮説に過ぎません。それをさも大真理のように振りかざして、そこにすべての説明の落し所を求めていくことに、 それは科学的な姿ではありませんよと言いたいのです。
それは進化論という大仮説をドグマまたはイデオロギーとして信奉崇拝し、あるいは土下座してひざまずいている姿に他ならない。残念だけど、これこそ疑似科学ですよ。
>神という創造者
別に恨んじゃないけど、「科学的」と冠のつく創造論は、害があると思ってます。間違いを事実だと主張するから。
大進化を含め、進化論は仮説です。聖書にあるような創造は、科学的には証明もできないし否定もできない。でも「科学的」な創造論は、仮説とも呼べない出鱈目以外のなにものでもない。
他の人も指摘していますが、神による創造を信じていても、創造科学に否定的な人はいくらでもいます。クリスチャニズム≠創造科学に早く気がついてください。
もちろん、必ずしも進化論=クリスチャニズムでもありません。でも批判と否定の違いには、世界中のみんなに気がついて欲しい。
#戦争がなくればいいな。
ニュートンの名前を出すのは不自然じゃないでしょうかねぇ?
ニュートンというのがアイザック・ニュートン(1642〜1727)のことであれば、種の起源(1859年初版)以前の彼が、進化論についてどう思っていても不思議ではないし。
アインシュタインはどうなんでしょうね?
彼は進化論を否定していたんでしょうか?
まぁユダヤ教徒として旧約聖書を信じていてもおかしくはないのですが。
キリスト教に恨みも何も、欧米の進化論者の大半は敬虔なクリスチャンだったりするんじゃないかと思いますが。
(グールドは確かユダヤ教徒ですが)
大進化の定義も不明瞭ですが、大進化を促す原因となるような種分化の観測なら現実に存在すると思いますが…。(種分化をもって「大進化」というなら観測されているといえます)
>だから、あまり気張って創造論の批判をするのはやり過ぎだと思う。それとも、キリスト教に何か深い恨みでもあるのでしょうか。
どこを読んでそのようなことを言っているのか分かりませんが、「科学的創造論」と呼ばれる“科学理論”に対する反証をここで行ってはいますが、宗教的な創造論を否定することは、アクセスした人が個人の意見として掲 示板に書き込んだことはあったとしても、このHPの公式のスタンスではありません。
科学理論を実際の証拠を挙げて批判するのは健全な行為です。
>日本では創造論者が少ないので自身満々と言ったところでしょうが、あんまり鬼の首でも取ったように創造論を批判するのは大人げないように見えるんですが。
創造論者が多いはずの欧米でも同様の科学的な“科学的創造論批判”は存在しています。
(参考文献などを見れば明らか)
中途半端な進化論批判を鵜呑みにして鬼の首を取ったように進化論を批判するのは大人気ない以上に愚かしいですよ。
少なくともこのHPに書かれている内容を吟味されてから反論してもよいのでは?
大進化は1つの大仮説に過ぎないと思う。
あなたがどんなに優秀な科学者様なのかは知らない。ニュートンやアインシュタインや多くのノーベル賞受賞者の中には神の存在と神の創造を信ずる人は多い。
だから、あまり気張って創造論の批判をするのはやり過ぎだと思う。それとも、キリスト教に何か深い恨みでもあるのでしょうか。
それに世界には神を信じその創造を信ずる人の数も、そうじゃない人の数と同じくらいいる。日本では創造論者が少ないので自身満々と言ったところでしょうが、あんまり鬼の首でも取ったように創造論を批判するのは大 人げないように見えるんですが。
To 革離@隆行さん
> 商品開発と言うことを考えた場合,企画を立てる人が必ずしも現象の
>理由に詳しいわけではないことを理解する必要があるでしょう.企画そ
>のものの立案者は,時流には詳しいしいろんな事を知ってはいるが科学
>的根拠等について知っているかは不明なのです
一応私もエンジニアの端くれですから、営業や顧客との折衝などの経験もあり、上記のようなことは承知しているつもりです。
(見た目高機能そうに見えるけど統計をとってみれば作業のスループットを下げるだけでしかないプログラムを開発させられそうになる場合とかは派手に議論したりしています(^_^;)
>だからサギのつもりで商品出していないケースもあるからあんまり怒って
>やんないでね.
>でもマイナスイオン商品は割高だから基本的に買わないほうがいいよ!!!
まぁ開発元や販売元が頭から信じ込んでいて、詐欺と思っていないケースもあるでしょうしねぇ。
あるいは企業のトップがハマりこんでいて、下の人はしぶしぶ従っているとか。
(食品の検査に「波動」なんて持ち込まれたらたまったものじゃないけど)
To ピクミンさん
先行者は機密だそうですから現物は出てこないでしょう(^_^;
To ヘルメスさん
>どうやらキャノン砲が彼女の美意識に拒絶されたらしい(笑)。
あれは単におふざけでGIFアニメが作られただけで、先行者の開発者には罪はないのに(笑)
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