>これだけはね、必ずしも言えないというが、私も必ずとは言わないけど、これが結構い ろ
>いろあるんですよ。(私はこういう方面で卒論を書きました。―ダーウィンは関係 ないけ
>ど)
相変わらずハレルヤさんは、知りたいところでは議論をしてく れない。せめて出典を聞いている人もいるんだから、出典が存在するのかしないのかだけでも 答えてくれれば親切なのに(これは暗に不親切だと言ってるつもり)。ともかく、「ダーウィ ンは信仰と進化論のハザマで自律神経失調を起こした」説の根拠が、若き日と年老いてからの ダーウィンのポートレートだけだなんて出鱈目ではないことを祈ってます。
進化論 には興味があっても、ダーウィンの生涯にはさして注意を払ってこなかったwadjaですが、本 当にダーウィンは信仰を捨てたことになっているんでしょうか?晩年までマメに教会のミサに 出ていたと言う話しを読んだことがあるような気もするのですが。
まあ、社会的な 風評やなんかを考えると信心深くなくても教会には行くだろうから、本当に信仰を持ちつづけ たかどうかの証明にはなりませんけどね。それこそJA50さんの言うよーに、書き残されたメ モまでひっくり返す専門家にしか確信は持てない次元の話しなんでしょうけど。本人が「俺ク リスチャンやめた」とでも書き残していてくれたのなら、単純なwadjaにも納得できるんです けどね。
そもそも、安須賀さんの紹介してくれたHPのダーウィンの伝記の「書 評」によれば(当然もとの本ではなく...18,000円は確かに高い!)、もともとダー ウィンってそんなに敬虔な人ではなかったような。聖職者を目指したのもオヤジの差し金なら、 あまり真面目な神学生でもなかったようだし。
>ダライ・ラマは答 えました.「そんなことは心配する必要はありません.あなたが知ったこと、見たことをその まま信じなさい.仏教ではそのように教えているのです.」
自州(あるいは自灯 明)のことじゃないのかしら。
こちらこそはじめまして。
聖書はたんなる歴史書ではありませんし、ましてや 学術論文でもありませんよね。なにか他の本とは別の特別な意味を持っているはずです。だか らもっと別の解釈を取らなければ、聖書の神聖さを冒涜することになるでしょう。
別の見方とは何か?それは「聖書に何が書いてあるのか?」ではなく「聖書は何を意味してい るのか?」に重点をおく事です。この見方で考えると、進化論は信仰と矛盾しません。聖書の 記述は「神が(進化も含む)全てを創った」ということを象徴していると考えられるからです。 もちろん「全てを創ったというのは」科学的な意味ではなく、神秘的な意味においてです(神 秘的な意味というのは、論理や知識の外にある「感情」や「感性」の部分に訴えるという意味 です)。
同意いたします。僕の所属する救世軍でもそういう言う主張をす る牧師はいます(もちろん全員じゃありませんが)。
「地球の年齢は長くても1万年程度 である」「地球上のあらゆる生物は唯一の創造主によって個別に創造された」「地球全土を同 時に襲った洪水がありほとんどの地層はそのときにできた」ということは学問的には 否定されているわけですが、だからと言って聖書の権威が否定されることなど決してあり 得ません。むしろ逆でしょう。
中には僕みたいなのを極端に嫌うクリスチャンもおら れるようですが、プロテスタント教会でも極一部でしょう。
進化論と信仰に関してホットな雰囲気がでているようですし、アメリカでの同時多 発テロに関連して“十字軍”とか“イスラムに対する挑戦”とか言う宗教関連の言葉が飛び交 っていますので、少し、感想を述べます.私自身は生命科学の研究者でまだほやほやのクリス チャンです.永年、自然科学を研究し、その後クリスチャンとなり、それと平行して聖書を知 るようになったものとして、やはり、聖書を読んで相当抵抗がありました.この掲示板で話題 となっているのは旧約聖書の創世記が多いようですが、自然科学に浸った眼からみると創世記 はむちゃくちゃに見えることのオンパレードです.創世記に限らず、聖書の中でさえ互いに矛 盾するところや混乱しているところがたくさんあります.また、みなさんは聖書は愛と癒しと 平和の書と思っておられるかもしれませんが、背徳、冷酷としかいえないような箇所もたくさ んあります.信仰の中心人物とその実の娘の性行為、先住民の女子供赤子まで徹底的に殺せと いう神の宣託、権威には従えとか女は説教などすべきでない、終末の時にはほんのわずか(1 4万4千人)しか救われないという教えなどなどです.有名なアダムとエバが禁断の木の実を 蛇にそそのかされて食べて神の怒りをかったという話も、無茶苦茶に見えますよね.怒るんだ ったら、そんな木の実を何でわざわざ目の前においておくのだ、邪悪な蛇など作らなければよ かったではないかと思いませんか.そもそも、必ず罪を犯すことになっている人間とか汚いこ の世を何で神はわざわざ作ったのだと反論したくもなります.
キリスト教に限らず ユダヤ教やイスラム教の狭い原理主義者はそれぞれの聖書(といっても根幹は同じものです が)の一字一句をそのまま真実として信じそれに反するものは認めません.創造科学主義者も 彼らの一人です.この掲示板の参加者の間で今、化石と年代、地層のことが話題となっている ようですが、私自身は聖書はまさに地層のような構造を持っていると理解しております.すな わち表面の下には何段にもわたって階層構造が出来ているのです.この層とは“聖書が意味す るもの”のことです.そしてその層は時代時代に掘り起こされてゆき、徐々に全体像、真の姿 が現れてくるのです.この掘り起こし作業はすべての時代に必要です.19世紀ならその時代 の人間に出来る発掘、20、21世紀はそれぞれの時代の人間が行わなければならない発掘作 業があるのです.その発掘に必要な道具の一つが自然科学です.科学は「聖書が真に意味する もの」を知るための道具です.現在の知識や倫理観に反するように見える聖書中の記述の下に も何層もの意味が隠されているのでしょう.
狭い原理主義者はこの発掘を放棄している という点で、信仰からも遠のいているといえます.
カール・セーガンという惑星科 学者をご存じでしょうか.「コスモス」という本や地球外文明に向けて惑星探査船パイオニア にのせたメッセージを考えたことで有名になりました.彼がダライ・ラマと対談したときに次 のようなことをダライ・ラマに聞きました.「自然科学が進歩してゆくと宗教が教えているこ とと矛盾することがたくさんでてくるかもしれません.そのとき仏教ではどのように考えるの ですか」
ダライ・ラマは答えました.「そんなことは心配する必要はありません.あな たが知ったこと、見たことをそのまま信じなさい.仏教ではそのように教えているのです.」
この奥の深さ!(残念ながら、このダライ・ラマの言葉の出典はどの仏典なのかは日本 の僧侶に聞いてもわかりませんでした.)
米大統領ブッシュ氏に代表されるアメリカの 一部の人々(創造科学信奉者)は一見信仰深そうに見えて実はその信仰は非常に不安定なもの だと思えます.神の能力を自ら狭めて考えているため、新しい発見があるたびに、それが神を 越えているのではないのかと不安になるのでしょう.そんなちっぽけな神は無いのと同じです.
日本語で手に入るダーウィ ン伝で科学史家による本格的で信頼のおけるものは
デズモンド&ムーア『ダーウィン― 世界を変えたナチュラリストの生涯』(渡辺政隆訳、工作舎)
でしょう。分厚い2冊で 18,000円とお高いので私は買っていません。
京大の内井さんによる紹介が
http://www.bun.kyoto -u.ac.jp/phisci/Newsletters/newslet_30.html
にありますので参考にしてください。
簡単なものだと進化論史を専門とする科学史家P.ボウラーによる
『チャールズ・ ダーウィン 生涯・学説・その影響 』(横山輝雄訳、朝日新聞社)
が安くて(1,70 0円)薄くて手ごろではないでしょうか。
どのような伝記であれ、ハクスリーとウ ィルバーフォースの討論でハクスリーがウィルバーフォースを負かしたという話は科学史的に は全く支持できないものらしいので、この話がどう扱われているかをチェックしてハクスリー が勝ったとしているような伝記は参考にしない方が良いと思います。
因みにハクスリー が完勝したとするのは進化論サイドのプロパガンダによる神話らしいので、この点では「創造 科学」支持者がやっていること(ダーウィンの進化論は学会で否定されたといった類)とあま り変わらないと思います。
話題をそらせてし まうようで申し訳ありませんが、
わたしのメッセージの中でビーグル号と英の海洋探査 船
チャレンジャー号を誤っていました。すみません。
マイアの「進化論と 生物哲学」(東京化学同人)のP244に、、、
4、キリスト教の信仰心をかれが しだいに失っていったこと
ダーウィンが信仰心を失ったのが1836年〜1839年 であることは明かであり、この期間の大部分は明らかにマルサスを読む以前である。友人たち や、またかれの妻の感情を傷つけないよう、ダーウィンは出版物のなかではしばしば理神論的 なことばを使っているが、ノート類はかれがこの時期には「唯物論者」(程度の差こそあれ 「無神論者」と同じこと)になっていったことを示している。
とあります。
マイアがこのように主張する根拠は、「ノート類」にあるんでしょう。ダーウィンが書いた 「ノート類」に。
こういうのになると、私ら素人の守備範囲を越えます。
専門家同 士での議論をお願いしたところです。
ダーウィンを研究している専門家で、このマ イアの主張に反対している人はいるんでしょうか?
私もダーウィンの伝記な どは読んでいないのですが、ふと疑問に思ったこと
1)ダーウィンは信仰を 捨てたのか?
唯物論的な進化学説を考案し世に出したとは言え、彼自身が10 0%唯物論者になってしまったわけではないと思います。
(有神論的進化論というもの もあるわけですし)
科学と信仰の all or nothing という選択ではなく、両者を心の 中で使い分けることができたのであれば、別に信仰を捨てる必要もないと思いますし。
クリスチャンであっても、聖書原理主義者でないのであれば、適当なところで妥協することは 難しくないのではないかと思います。
なお、ダーウィンの亡骸はウェストミンス ター寺院に埋葬されたそうですが、ダーウィンが信仰を捨てたのであれば、彼にとっては迷惑 な話になってしまうのではないでしょうか。
(ダーウィン自身は、故郷の土に埋葬され ることを望んでいたとも聞きますが)
2)ダーウィンは自律神経失調症に陥 っていたのか?
進化論についてアイデアの原型を書いてから実際に『種の起源』 を出版するまでに長い時間をおいたことに関して、教会の反発を恐れていたことは間違いない とは思いますが、自分の学説が唯物論的なものであったことに関してそんなに苦悩していたの でしょうか?
とりあえずWEBで検索した結果では、「ダーウィンが自律神経失調症 を患っていた」という明確な記述はみつかりませんでした。
ダーウィンが頭痛持ちで あった、という記述はあるのですが、「片頭痛は20歳台に始まっています」とあるので、進 化論との因果関係は不明です。
彼が慢性的な頭痛を自覚した時期と、彼が研究ノート に進化論について書いた時期がわかればいいんですけどね。
「有名な小さな船「ビ ーグル号」の博物学者の職に応募した時、健康の理由で間違いなく拒否されるだろうと思って いました。」と書かれているページもあるので、時期的には無関係なのではないかと思います が。
( http://www.ikeda.osaka-kyoiku.ac.jp/~higuchim/know-j51-75.html より引 用)
あと忘れてはいけないのは、ダーウィンは決して「進化論の創始 者」ではないという点ですかね。
あの当時の生物学の世界において、進化論は既に唱 えられていたはずですし、そういう意味ではダーウィンがそこまで苦悩したかは疑問です。
自然選択説の持つ唯物論的な部分を警戒していたとは思いますが。
(「唯物論的な 思想を持っていることを公開するときは慎重にするべし」という旨の記述が、彼のノートに残 されています)
nanburiさん
もしかしてJ大学? A先生のお話はたまに、ラジオで聞きます。確かに、そういえばそうか なというお話です。
>しかし自然科学の研究者がそれまでは誰も知れなかった新た な知見を見出すことの喜びは少しは
わかるかなと思います。
進化論を学説として 確立された時に信仰を裏切るような苦しみだけが心を占めていたとは
思えません。それ ゆえなおさら精神的に不安定になったのかもしれませんけれども
「新たな知見を見出す ことの喜び」っていうのは、どこの世界でもあることですよね。ハレルヤも及ばずながら、そ ういう経験を理解するのですが、例えば、この場合では、自分が正統主義として一人前に認め られていた社会で、自分の発見していったことが明らかに異端とされるのが分かりきっている テーマだと分かったら…。みたいな。(まー「みつぐさん」みたいになれれば、それはそれで もう立派。)
はっきり言って、19世紀のイギリスというところは、私たちには想像も できない、信仰至上主義のようなところがあるみたいですね。ね?
その他、NATROM さんのおっしゃるダーウィンのナントカについては、突っ込めば、はっきりした結論の出てい ない問題が多いのではないのですか? 私が何かを言える問題ではないように感じました。素 人なんだし。
でも、
>ダーウィンが信仰と進化論のはざまで悩んだというの はある程度は事実と思いますが、「彼を自律神経失調症にさせるに十分なものだった」とは必 ずしも言えないと思います。
これだけはね、必ずしも言えないというが、私も必ず とは言わないけど、これが結構いろいろあるんですよ。(私はこういう方面で卒論を書きまし た。―ダーウィンは関係ないけど)
>同時に天才的哲学者だったのかな?
そ のように見ている人もいるようですね。NATROMさんが詳しいと思いますけど、ただ科学だけ じゃ、ダーウィンの進化論は出てこない、というようなことを言っている人は、わりとあるん じゃないか? と見ました。
>ノンクリスチャンのwadjaにすれば、自らを「クリ スチャン」と呼ぶ人は皆クリスチャンなんですけどね。「どれが真実のクリスチャニティー か」は、クリスチャンの皆さんで議論してくださいね。ノンクリスチャンの分際で「敬虔なク リスチャンで有りつづけることも可能です」なんて、クリスチャンの方には失礼過ぎたかな?
まー、そういうことでしょうね。これだけは、なってみなけりゃわからない。しか し、これも別にwadjaさんが言い出したことでもないのでしょう。
>自らを「クリスチ ャン」と呼ぶ人は皆クリスチャンなんで
ね。
> ダーウィンが進化論を提唱 したとき神を否定しようとは思わなかったでしょう。彼が信仰を棄ててしまったとは寡聞にし て知らないのですが(出典を明らかにして頂けると嬉しいです)、むしろ突然変異と自然選択と いうメカニズムに創造主の息吹を感じ取ってしまったのかもしれません。
お話おも しろいですよ。そういう議論がダーウィンの進化論発生前後にいろいろあったんでしょ、 NATROMさん。
ダーウィンの信仰については、伝記のような物を読めばわかるのではない でしょうか? 私はまだ読んでいませんが、確か、八杉とかいう人が伝記を書いてなかったか な?
>進化をめぐる科学と信仰
すみません。また読ませてもらいます。これ を読まなきゃ、今回の発言は、してはいけなかったんですよね。と分かっていたけど、書いち ゃった。でも、もう図書館のおばさんに、怖い顔されるので、あまり新しい本は頼めないんで す。
すみません。今キャンペーン中で。忙しいんです。ということで、難しいこと はNATROMさんにお尋ねください。
山野さんの張られたリンク先からの引用ですが、
> もし、現代の科学が聖書と矛盾 しているならば、科学を無視することです。
そうなんです。「創造論は科学じゃな い」と言って下されば何も言うことはありません。http://isweb4.infoseek.co.jp/school/tak0719/qanda/theoev.htm
はじめまして、nanburiと 申します。ここは時々見るのですが、投稿ははじめてです。どうかよろしくお願いします。自 己紹介と立場の表明をしますと、あるカトリック系大学の哲学科に在籍する学生です。ウチの 大学は神学科もあり、哲学の学生も宗教哲学や神学の授業を多くとる事になっています。立場 についてですが、私はキリスト教の信者ではありませんし、強力に進化論を支持しています。 といっても私の進化論観はドーキンスの『利己的な遺伝子』と三中信宏の『系統生物学』に基 づいているのであまり公正とは言えないかもしれません。
では本題に。なにをもっ て「敬虔」と呼ぶかは置いておくことにして、聖書に出てくる物語は象徴として理解されねば ならないのではないでしょうか? 聖書はたんなる歴史書ではありませんし、ましてや学術論 文でもありませんよね。なにか他の本とは別の特別な意味を持っているはずです。だからもっ と別の解釈を取らなければ、聖書の神聖さを冒涜することになるでしょう。
別の見 方とは何か?それは「聖書に何が書いてあるのか?」ではなく「聖書は何を意味しているの か?」に重点をおく事です。この見方で考えると、進化論は信仰と矛盾しません。聖書の記述 は「神が(進化も含む)全てを創った」ということを象徴していると考えられるからです。も ちろん「全てを創ったというのは」科学的な意味ではなく、神秘的な意味においてです(神秘 的な意味というのは、論理や知識の外にある「感情」や「感性」の部分に訴えるという意味で す)。けっしてこれは科学に反駁されるようなものではないし、共有せねばならないものでは ありませんよね。科学と信仰は全く別の次元にあると思います。進化論者でかつクリスチャン である事は、全く矛盾しないと思います。
ちなみに現代のカトリック神学もほぼ同 じ立場に立っているようです。旧約聖書学の先生も同じようなことを言っていました。
長文・乱文失礼しました。
> 「国教会の牧師を目指したダーウィンが最終的にキリスト教信仰を棄ててしまったことと、ダ ー
>ウィンの進化論が自然神学を基礎にして成立したこと、そして最終的には自然神学 も棄て去っ
>た」と
>>進化論を事実だとしたところで、敬虔なクリスチャンで有 りつづけることも(中略)可能で
>>す。
>について。wadjaさんの、
>> 「進化が事実であることを以ってしても否定できない形で、多くの信仰は存在し得る」
>は、これに関するコメントだったのかな?
私に対する質問なのだろうか?いまい ちwadjaの読解力では理解できなかった。NATROMさんが分かりやすく説明してくれたので、 そちらをご覧下さい。元の発言の「敬虔なクリスチャン〜」を、より一般的な形に言明に直し ただけですので。
> それに、クハさんや、T8848さんの態度次第では、
>>進化論を事実だとしたとこ ろで、敬虔なクリスチャンで有りつづけることも、無神論者
>>になることも両方可能 です。
>という、こちらのサイトの主張に影響がありますしね。
そうでしょ うか?確かにクハさんやT8848さんは、このサイトにいらっしゃる「創造科学」の主張を認め ないクリスチャンではあると思うのですが、別にこのサイトの主張を代表している訳ではあり ませんよね。
「敬虔なクリスチャン」を定義する時には、「敬虔」と「クリスチャ ン」の両方を定義しなきゃいけないみたいですね。「敬虔」は、信じるところを実践していれ ば敬虔だと思ってますけど、ノンクリスチャンのwadjaにすれば、自らを「クリスチャン」と 呼ぶ人は皆クリスチャンなんですけどね。「どれが真実のクリスチャニティーか」は、クリス チャンの皆さんで議論してくださいね。ノンクリスチャンの分際で「敬虔なクリスチャンで有 りつづけることも可能です」なんて、クリスチャンの方には失礼過ぎたかな?気に障った方が いるといけないので、先にに謝っておきます。ごめんなさい。
#でも元々は、進化 論に疑問を呈しておられたいえもりさんのHPを見て、賛同を示しただけだった
#んです けどね。これからは、分かりやすい日本語を書くよう努力しよう。
>進化論を支持 するクリスチャン、あるいは、クリスチャンになってもいいかなと思ってい
>る進化論 者は、天才と謳われるダーウィンでさえも解決できなかったテーマを、皆、背負
>って いる。
なんだか問題が違うよーな気がするのは、wadjaだけですか?ダーウィンの 唱えた説を支持したからと言って、ダーウィンの信仰を背負うことになるのかな?ダーウィン が自然科学の分野で天才だったことは否定しませんが、同時に天才的哲学者だったのかな?
> クハさんの進化論はいわば超原始的には創造論なのかしら。
究極的にはそ うなるのかな。形而上的といおうか。
> 簡単に言うと、「もし創造論が創世記1章 1節だけだったなら、自分は創造論者です」みたいなのね。
他の箇所は当時の科学的 知識の限界を示していると理解しています。
> 人は、言葉にはできなくても、心の 中では「敬虔」とはなにかを知っている
言葉にできないのは知らないに等しいと思い ます。知っていれば言葉にできますし。
新約聖書ローマの信徒への手紙(日本聖書 協会新共同訳)
1:17 福音には、神の義が啓示されていますが、それは、初めから終わり まで信仰を通して実現されるのです。「正しい者は信仰によって生きる」と書いてあるとおり です。
1:18 不義によって真理の働きを妨げる人間のあらゆる不信心と不義に対して、神 は天から怒りを現されます。
1:19 なぜなら、神について知りうる事柄は、彼らにも明ら かだからです。神がそれを示されたのです。
1:20 世界が造られたときから、目に見 えない神の性質、つまり神の永遠の力と神性は被造物に現れており、これを通して神を知るこ とができます。従って、彼らには弁解の余地がありません。
1:21 なぜなら、神を知 りながら、神としてあがめることも感謝することもせず、かえって、むなしい思いにふけり、 心が鈍く暗くなったからです。
1:22 自分では知恵があると吹聴しながら愚かになり、
1:23 滅びることのない神の栄光を、滅び去る人間や鳥や獣や這うものなどに似せた像と取 り替えたのです。
ダーウィンが進化論を提唱したとき神を否定しようとは思わな かったでしょう。彼が信仰を棄ててしまったとは寡聞にして知らないのですが(出典を明らか にして頂けると嬉しいです)、むしろ突然変異と自然選択というメカニズムに創造主の息吹を 感じ取ってしまったのかもしれません。
ローマ1:20は古い地球の創造論者や、進化論を否定しないクリスチャンから よく引用されていますね。
>ローマ 1:20 世界が造られたときから、目に見え ない神の性質、つまり神の永遠の力と神性は被造物に現れており、これを通して神を知ること ができます。従って、彼らには弁解の余地がありません。
新共同訳
http://isweb20.inf oseek.co.jp/novel/luke7/i/isrchtop.shtml
より引用
「被造物を見 れば、地球の古い年齢(あるいはすべての生物が共通祖先を持つという説)は明らかではない か。」というわけです。こういう考え方に立てば、若い地球の創造論者の信仰はおかし いということになるわけです。一方、若い地球の創造論者に言わせれば「6日という短い時間 で個別に生物が創造されたと創世記にはっきり書いてあるではないか」ということでしょう。
どちらの立場が聖書的に正しいかどうかは私には判断つきませんが、少なくとも言 えるのは、若い地球の創造論者が科学的だと称する知識や方法論には多々の問題点があるとい うことです。「ダーウィンの進化論は公式に否定された」などというウソをつかないのであれ ば、若い地球の創造論に反対する理由は私にはありません。
ハレルヤさんは、「あ きらかに、ダーウィンの進化論では、ローマ1:17−23は、文意が通らなくなる」と仰ってい ますが、立場によっては、進化論と聖書は両立しうると考える人もいるのです。その人は別に 創世記の記述を否定しているのではなくて、若い地球の創造論者とは異なる解釈をしているだ けのようです。「その解釈は間違っている」と若い地球の創造論者は言いそうですが、ある解 釈が正しいとか間違っているとか、どうやって判断するのでしょう?世の中には、「聖書を正 しく解釈すれば、大地は平らであることがわかる」と信じる人もいるのです。
理神 論的な解釈、理神論は否定するが自然選択による進化論は否定しない解釈、ヒトの精神の進 化だけは自然選択では進化しなかったとする解釈、自然選択説は否定するが進化そのものが起 こったことは認める解釈、古い地球の年代は認めるが進化は認めない解釈、古い地球の年代も 認めない解釈、地球が丸いことすら認めない解釈、さまざまです。そしてどの解釈が正しいか 容易には判断できない以上、「進化が事実であることを以ってしても否定できない形で、多く の信仰は存在し得る」のは自明なことだと思います。
ダーウィンが信仰と進化論の はざまで悩んだというのはある程度は事実と思いますが、「彼を自律神経失調症にさせるに十 分なものだった」とは必ずしも言えないと思います。異端ながら生物が変化するという学説は ダーウィン以前にもあったし、地質学的には創世記の記述が一字一句正しいわけではないこと は当時すでに受け入れられていました。どちらかといえば、自身の信仰との整合性よりは、 「この学説を発表すると面倒なことになるだろうなあ」「この学説によって、信仰を傷つけら れたと感じる人もいるだろうなあ」といった当時の社会的な背景のほうが、ダーウィンの悩み としては大きかったのではないでしょうか。
理神論的は否定するが自然 選択による進化論は否定しない解釈としては以下を参考に。この本の著者の聖書解釈が正しい かどうかは私には判断できないが、著者が学問的に誠実であることは判断できる。ハレルヤさ んは読まれましたか?
進化をめぐる科学と信仰
http://doko.totto.to/~tosakai/re view.html#11
ハレルヤさん、こ ちらの掲示板の皆さんはじめまして。
わたしはきっと無神論者なのだと思うのでダーウ ィンの苦悩に間しては想像も及びません。
しかし自然科学の研究者がそれまでは誰も知 れなかった新たな知見を見出すことの喜びは少しは
わかるかなと思います。
進化 論を学説として確立された時に信仰を裏切るような苦しみだけが心を占めていたとは
思 えません。それゆえなおさら精神的に不安定になったのかもしれませんけれども(単なる
想像です)。私が読んだ話ではダーウィンの自律神経失調症はチャレンジャー号による航 海
でのひどい船酔いのせいであったとありましたので、ずっとそれで納得していたので すが
そういう話だけではないのかもしれませんね。
で、私のクハさんに 聞きたかったのは、「敬虔の定義」ではないことをご存知でしょうか。
「国教会の 牧師を目指したダーウィンが最終的にキリスト教信仰を棄ててしまったことと、ダーウィンの 進化論が自然神学を基礎にして成立したこと、そして最終的には自然神学も棄て去った」
と
>進化論を事実だとしたところで、敬虔なクリスチャンで有りつづけることも(中 略)可能です。
について。wadjaさんの、>「進化が事実であることを以ってしても否定 できない形で、多くの信仰は存在し得る」は、これに関するコメントだったのかな?
ダーウィンこそは、進化論を代表する人であり、ダーウィンこそは、進化論のゆえにク リスチャンであることを放棄せざるを得なかった人であって、この二つは、この人の上で交差 している。
若き日のダーウィンはまことに敬虔なクリスチャンでした。
当時の自然神学の根幹を成す聖句は、間違いなく、クハさんが三度も引用し、また「召喚!」 さえもされた、ローマ1:20なのです。(あの引用文、誰も意味がわかってなかったみたいね。 せっかく書いたのにね。)そして、これを含む1:17−23の段落は、なななーんと、不敬虔な 人々への警告です。その中で、自然は唯一神とその創造を立証していると主張している。
当時の最高学府でよりによって聖職者としての学びをしたダーウィンが、これをどう解 釈しようとしたか? あきらかに、ダーウィンの進化論では、ローマ1:17−23は、文意が通 らなくなるし、この真面目なダーウィンは不敬虔な人の一人と数えられてしまうのです。
これを私たちが解決しようとすれば、当時の神学を(なんか、よくわからないけど、今 の神学とちょっと違うんじゃない?)いじらないといけないし、ダーウィン的には、彼の志向 性にもある程度、遠慮してもらわないといけないと思いますが、ともあれ、今日的には、クリ スチャンとしては適当な折衷案に辿り着くより他にないのです。(これは、信仰のない人には 関係ないです。)
ダーウィンの若年の頃の顔と、晩年の肖像とを見比べてごらんなさ い。あれが、ダーウィンの信仰の行き場を物語っています。
彼は、いまどきの進化論 者のように簡単に信仰を否定したりできなかった。彼は、どれだけ自分の研究が進んでいって も、ローマ1:17−23の解釈と、自分の研究結果の解釈との分岐点に、いつまでも立ち続けて いた。少なくとも私はそう思います。信仰者として。そして彼の顔を見ているとね。その痛み がどれほどのものであったか、信仰のない人にはわからないでしょう。それは、彼を自律神経 失調症にさせるに十分なものだった。彼は、まじめで、善人です。私は彼に同情する。(共感 はしない。)
私が進化論に敵愾心をもって、むやみに攻撃していると思っている人は、 この中にどれくらいいるのか知らないけれど、まー、そういうのともちょっと違う。私はここ で、ダーウィンへの鎮魂歌を書いているのだ。(超文学モード、これ、ハレルヤの地です)進 化論者のクリスチャンに、彼らなりの明白な信仰告白を聞きたい。それを聞いて安心したい。 しかし、それを聞いたことがない。今のところ。
進化論を支持するクリスチャン、あ るいは、クリスチャンになってもいいかなと思っている進化論者は、天才と謳われるダーウィ ンでさえも解決できなかったテーマを、皆、背負っている。
おしまい。
すらっと流そうと思 っていたけど、ちょっと難しいところが出てきました。
>進化論に関連しては僕自 身は、
>短絡的に無神論・唯物論と決め付けずに神の御業と認識していますし、
> 創造論を支持する証拠が見つかれば喜んで創造論支持に回るでしょう。
これはどう いうことなのかしらん。クハさんの進化論はいわば超原始的には創造論なのかしら。
簡 単に言うと、「もし創造論が創世記1章1節だけだったなら、自分は創造論者です」みたいな のね。
レスもらってしまったので、書こうとしていたことが書けなくなっちゃった。
ともあれ、わざわざご自分が不敬虔であると豪語しないでください。
私が進 化論について一番恐れているのは、実はそういった現象です。
悲しいことに、人は、言 葉にはできなくても、心の中では「敬虔」とはなにかを知っているので、どうしてもそういう 反応を招いてしまいます。
しかし、進化論者でも、その人にはその人なりに、敬虔 なクリスチャンでいてほしいと、望むのが、キリストの心であります。とあえて信じましょう。
それに、クハさんや、T8848さんの態度次第では、
>進化論を事実だとしたと ころで、敬虔なクリスチャンで有りつづけることも、無神論者になることも両方可能です。
という、こちらのサイトの主張に影響がありますしね。
しかし、創造論を信じ るクリスチャンであると主張しさえすれば敬虔であるとも言えないというのは認める。(爆)
セーラームーンは星占いが出てくるからという理由で嫌ってるクリスチャンもいたようで、そ ういう人から見れば原作を全巻揃えたことのあるオレは敬虔なクリスチャンじゃないのかなと 思ってしまう。しかも最近のアニメは同性愛を肯定するような内容が目立つし(CCさくらと か)、アニパロ同人誌はヤオイや18禁も多いし、アニヲタと敬虔なクリスチャンは両立しな いんじゃないかなぁ(笑)。
真面目な話、自分が敬虔なクリスチャンだとは思いま せんし、それ以前に「敬虔」の正確な定義もはっきりしません。でもちょっと考察してみまし ょうか。
必要条件としては聖書に対して最大限の権威を認めることでしょう。
あとはことあるごとに神に感謝する、困難なとき神に助けを求める、
ということでし ょうか。十分条件はと尋ねられれば答えに窮しますが。
進化論に関連しては僕自身は、
短絡的に無神論・唯物論と決め付けずに神の御業と認識していますし、
創造論を支 持する証拠が見つかれば喜んで創造論支持に回るでしょう。
> Kosukeさん
皮 肉のつもりもあったですけどね。本質よりもオカルトネタに走る人間に対しての。
ノス トラダムス持ち出す人もいるくらいですから。
でも誤解を招きかねない投稿であること は認めます。
タイトルは「被害にあわれ た方とその関係者の方々には申し訳ないのですが」
ではないのかな?
> 最初 に考えた人は冗談のつもりだったんでしょうが。でもよくできてます。
事が事だけ に、「よくできてる」は無いでしょう。
このような悪戯を肯定してるかと思っちゃうじゃ ないですか。
冗談にして良い事といけない事がありますよ。
わ たしも、クハさんの意見はおききしたいですね。
>「敬虔なクリスチャン」の言葉 の定義から伺わないといけないのですが、
確かに自分で書きながら感じてましたけ どね。「敬虔なクリスチャン」ってなんだろう?って。進化論を確からしいと思っただけで、 クリスチャンの風上にもおけない主張される人々も、あチャラのHPには一杯いますから。
「敬虔なクリスチャン」以前に、wadjaが重要だと考えるのは、> 「進化が事実であることを以ってしても否定できない形で、多くの信仰は存在し得る」 ってことでしょうか?必ずしも、全ての信仰で無いのは残念ですけど。
って、これはwadja さんのお話なのですが、ごめんねwadjaさん。
>進化論を事実だとしたところで、 敬虔なクリスチャンで有りつづけることも、無神論者になることも両方可能です。
ってのをクハさんに訊くのは違うのかしら。
「国教会の牧師を目指したダーウィン が最終的にキリスト教信仰を棄ててしまったことと、ダーウィンの進化論が自然神学を基礎に して成立したこと、そして最終的には自然神学も棄て去ったということについて異論はない」 というのが、現ダーウィン研究の結論の一つであると思われるわけですが、これと、上記の wadjaさんの言及(って、別に、wadjaさんだけが言っているわけじゃないでしょ。たまたま 手近にあっただけ。)は、どのように整合性をもっているの? いいえ、ただ参考意見が聞き たいだけなんです。
例えば、wadjaさんにだと、「敬虔なクリスチャン」の言葉の 定義から伺わないといけないのですが、こちらには、事実、敬虔な信者のクハさんがおられる ので、彼に訊くのが一番早いと思います。別にwadjaさんの意見が聞きたくないわけではない の。
4.7x だったら「use page specific fonts, ..... 」にしておけば表示されます。
6.1 なら「ドキュメントで 他のフォントを使用できるようにする」をチェックするとOK。
設定を見てみた が・・・・IE はよくわからない。。表示はデフォルトのままなんだけど。
× Q333NY
○ Q33NY
半角で"Q333NY"と打ち込んでフォントを"Wingdings"にすると下の記号が出てきます。
Q33NY
最初に考えた人は 冗談のつもりだったんでしょうが。でもよくできてます。http://www.mainichi.co.jp/life/family/syuppan/sunday/01/1014/hunter2.h tml
H Pを拝見しました。GOAさんの指摘されるように、まだ進化論に対する誤解はあるかもしれ ませんが、進化論が決して神を否定するものでは無いと理解されたようなので嬉しく思います。
進化論を事実だとしたところで、敬虔なクリスチャンで有りつづけることも、無神 論者になることも両方可能です。
情報ありがとうござ います。
>私は進化学会の準備でちと忙殺されておりますので、これにて。同業者 の方は会場でお会いいたしましょう。
進化学会も京都ですか。
かくりさ ん、わざわざありがとうございます。
>しかし、これらの うち水晶体ができなかったとか、視細胞ができなかったとかいうことは、胚発生の制約を考え ると、大いにあり得たことです。
水晶体が存在しない“目”が存在している事実を 隠してまでいったい何が言いたいのですか?
それに視細胞がなければそもそも“目”と は言わないでしょう。
みなさんどうもあり がとうございました。ご無沙汰してますいえもりです。
ブラインド・ウォッチメイ カーを読ませていただき、たいへん感銘を受けました。
感想は、下記ページにあります。
決して否定的な内容ではないので、ぜひご一読ください。
ではまた、どうぞ よろしくお願いいたします。
普段はこちらを見て いない伊藤@PSUです。
なんかよーわかりませんが、かくりさんが出張して来いとい うので…。
先斗町の『招月庵』はおすすめですね。先斗町というとなんか高そうに 感じますが、ここではそんなにフトコロの痛い思いをした事はありません。「加茂川の見える 席がいいんですが」と言ってみましょう。
http://glocal.curio -city.com/cansquare//html/603/shop.html
人数が多めなら『うしのほね』などがよ ろしいかと。
http://www.m21.or.jp/fame/old/backissue/0011bi/ushinohone.html
2次会はインドネシア料理の『バリバリ』でどうぞ。ちょっと地図が見つかりませんが、 有名な『壹銭洋食』の向いあたりだったと思います。
http://gourmet.yahoo.co.jp/gourmet/restaurant/Kinki/Kyoto/guide/0107/M00260 00014.html
ところで京都で学会という事で進化学会かと思ったら、生化学会 も京都なんですか。
で、私は進化学会の準備でちと忙殺されておりますので、これにて。 同業者の方は会場でお会いいたしましょう。
みなさま、ありがとうござ います。
学会場所はですね。ジャミラが暴れた国際会議場です。
ちなみに京 都で学会があるときは最近は必ずここですが、ほかにもここであったという
場所ありま すか?
個人的には京都はよく行くので北海道や九州のほうがいいですね。
と いっても、いつも大阪か神戸で食べることが多くて、
京都で食事をしたことはほとんど ないのです。
食べたことがあるのは湯豆腐とハヤシライス(場所は忘れましたが有名な お店)、
ラーメンくらいです。
京都はなぜかラーメン屋さんが多いですね。
学会は月末なので引き続き情報募集!
京 都いわはっても、広いし...。どの辺で学会しはるか、ゆーてもらわんと。
国際会議 場の辺やったら、ウン十年前には「無法松」っちゅー、安うておいしい居酒屋があってんけど なー、ぐるなび見てみたけど載ってませんでしたわ。役にたたへんで堪忍な。
某CMみたく惚れてた女の名前で検索……。
いや学 会シーズンですね。
あきさん、京都、よろしおすなー。
私は今週大分、来週浜松で、 ふぐ、うなぎを食い倒してやろうと
思っています。
わたしが京都に行くとた いがい行く店に「森繁」があります。
インカ料理の店です。辛いけどうまいインカシチ ュー、最近はそこここで
見るようになったインカコーラ、お薦めはコンドルという鶏料 理。
四条木屋町、村上重本店(漬け物屋)のすぐ近くにあります。
好みもあります が、もしご参考になれば。
京都?
確か伊藤@PSU さんが京都の人のはず.最近こっちにはあまり顔を出さないので,
↓
http://hyper2.amuser -net.ne.jp/~auto/b28/usr/supreme/brd1/bbs.cgi
に書きこまれるとよろしい かと思われ.
私も京都には時々行ってたけど(出身関西やし),それは高校 までの話しやから・・・・
最近は実家帰省するときに京都駅使うくらいやし・・・・
情報はありません.
今京都はパープルサンガが熱いのだ!!期日があえば西京 極球場へGO!なのだ!!
とサッカーの宣伝をして終了します.
生化学会が京都であ るので観光旅行に行くことにしました(笑)。
発表日だけはおとなしくしていますが、 信心深い私としては
メインはお寺巡りです。
つきましては、食事や宴会に良 いお店ご存じの方いろいろ情報お願いします。
よくても高いお店には行けません。貧乏 なので。
進化はまったく関係ないのですが・・・
付録の CD-ROM につ られて買ってしまいました。
個人的には「バーチャル細胞で新薬を創る」が面白か った。
私にハッカーの血が流れていたらなあと思ったり。
「遺伝子は本当に 利己的か」は、この掲示板の参加者なら(たぶん)おなじみの「グールド派」vs.「ドーキン ス派」の話。
かんけいないけど、どちらも 1941 年生まれとは知らなかった。
あ,アンカーがおか しくなってしまった。Project GutenbergのURLは下記のとおりです。
http://promo.net/pg/
Project Gutenberg <http://promo.net/pg/>から,「種の起原」(初版および第6版)を とってきて検索してみましたが,"It is not the strongest of the species that survive"というフレーズは発見できませんでした。少なくとも「種の起原」にはなさそうです。
>> しか し、ダーウィンは「(略)」ってホントに言ったのでしょうか。
>ここは僕も引っ掛かり ました。ただ種の起源全部読み終えてないので何とも言えませんが。
どうやら、ダ ーウィン自身の言葉ではなく、誰かビジネス関係者の警句がよくできていたので広まったとい う可能性が高そうです。ダーウィ ンは「変化に最も対応できる生き物が生き残る」と言ったか? を追加しました。
オープン・ソリューション推進協議会の理事長の挨拶
というサイトから引用 します。
かつて、IBMのガースナー氏がダーウィンの『種の起源』の一節とし て引用した言葉があります。「最も
強い者が生き残るのではなく、最も賢い者が生き延 びるのでもない。唯一生き残るのは、変化できる者
である」と。出典に関して原著を詳 細に調べた方がおり、 ネットワーク上で大激論が起こりました。そし
て、結論が出まし た。『種の起源』にはこの言葉はなかったそうです。しかしその来歴はともかくとして、
現在を実に見事に言い当てた警鐘に満ちた言葉であるため、警句として大切に使っていこ うということ
になりました。
ありそうな話でしょ?でも「ネットワーク 上の大激論」の記録を探したのですが、ないのです。どなたか情報を持っている方いません か?
> しかし、ダーウィンは「(略)」ってホントに言ったのでしょうか。
ここは僕 も引っ掛かりました。ただ種の起源全部読み終えてないので何とも言えませんが。
でも進化の原動力(?)は突然変異ですからね。自分の意志や努力ではどうしようもならないん ですよ。>純ちゃん
小泉演説でふと思い出したのですが、
団藤先生の「法学の基礎」 第7節四で「進化論」が取り上げられています。
実はダーウィンはイギリスの歴史法学 派に大きな影響を与えているのですが、
(ダーウィンの名前がイェーリングと併記され ている)
政治学の方でもそんなのがあるんでしょうか。
日経サイエンス11月号は,
■ 特集 現代の科学論争
新しい科学論争の萌芽
心は脳にあるの か
遺伝子は本当に利己的か
地震予知は可能か
電磁現象に距離を置く地震学者
機械は自己複製できるか
結構面白い かもしれないhttp://www.nikkei.co.jp/pub/science/page_2/magazine/index_n.html
「進化論」で弱肉強食を連想して しまう人もいるようだし、GOAさんの心配ももっともなことでしょう。
しか し、ダーウィンは「この世に生き残る生き物は、最も力の強いものか。そうではない。最も頭 のいいものか。そうでもない。それは、変化に対応できる生き物だ」ってホントに言ったので しょうか。環境が一定でないという特殊な条件でしか、変化に対応できる生き物が生き残ると 言えないのではないか、と思ってしまいます。力が強いものでもなく頭がよいものでもなく変 化に対応できるものでもなく、子をたくさんつくるものがこの世に生き残るのだ、 ってのがダーウィンの考えにもっとも近いような気がしますが。
クハ72さん
前回の書きこみは、小泉演説だと「弱肉強食の世界における真の“強者”とは力の強い ものでも頭の良いものでもなく“変化に対応できる生き物”である」と弱肉強食の誤解を解く どころか、逆に広めてしまっているようにも受け取れるという主旨でした。
言葉が足り なかったことをお詫びいたします。
>竹内さんYaho o!の生物カテで大活躍(mitsugu21ね)!!
すごい状況になりましたね。完全に 荒らし状態です。
かくりさんがおっしゃるとおり、荒らしをしているという意志は全く なく、
「真実の伝道者」
のおつもりでしょう。
しかしあれだ けからかわれてまだ続けるとは・・・
「殉教者」にでもなるつもりでしょうか?
問題なのは進化論の論理をそれ以外に安易に適用することであって、僕が言いたかったのは進 化論そのものに対する誤解です。
クハ72さん、
小泉総理の演説、一般の人が聞いたら「変化に対応できない中高年がリストラされる のは自然の摂理である」なんて誤解したり、リストラを正当化する道具にしそうな気がします。
私はこの発言は「まずいな」と思います。
進化論を唱えたダーウィンは、「この世に生き残る生き物は、最も力の強いものか。そう ではない。最も頭のいいものか。そうでもない。それは、変化に対応できる生き物だ」という 考えを示したと言われています。
これでも誤解される可能性は否定できま せんが、進化は弱肉強食だという誤解を払拭するいい機会でしょう。http://www.kantei.go.jp/jp/koizumispeech/2001/0927syosin.html
そうなんですよ,PDX.さん.
やっていることは掲示板荒しと何 ら変わりありません.まあアラシとすると小物なのでしょうが.
最大の問題は本人 はおそらくいたって真面目に書きこんでいるのであろうということです.これが確信犯的な荒 しなら対処は『ムシ』でよいのだが.
また本人自信がスレを立てず,あちこちに出没す るのでYahoo!のような大きい掲示板では彼のことを知らない人も一杯いて,次々と犠牲 者になるのですね.
あきさんが頑張っておられますが,完全無視の方針でいくよう です.
さあどうしましょ!
To かくりさん
話だけ聞いていると、まるっきり掲示板荒らしですなぁ(汗)
うむ、ホントにややこしい問題ですね。
生物としての人間と社会組織と しての人間と切っても切れない関係ですね。
さて、最近の生物学では、生物の成長 には、学習が欠かせないと言うのは定説ですよね。
シンプルな話では、鳥なんぞが始め て見たものを親と思いこむ「刷り込み」です。
見にくいアヒルの子は、実は白鳥に育て てもらわなければ白鳥になれないのです。
人間でもそうですね。適当な時期に、親の言 葉を聞いたり、立ち上がったり、
教育を受けなかったりしたら、社会生物としての人間 には、なれません。
そして、差別の問題も社会生物としての学習そのものかも知れませ ん。
もしかすると、私たちは差別をすることで得られる利益が高いと、
学習の中で いつの間にか刷り込まれてしまっている可能性があります。
言い換えれば、現在の社会 そのものが、差別するものに有利にできているのです。
それは、すなわち、社会構造を 変革しなければいけないと言うことです。
しかし、果たして、そんな社会構造が可能で しょうか。
ミームは、そんな、方向を指し示してくれるのでしょうか。独り言でした。
竹内さんYahoo!の生物カテで大活躍(mitsugu21ね)!!
全 てのトピの話題の腰を折りまくり!!
んで鋭い質問を受けると完全無視!!!
誰か止めてやってくり.
今度は、進化論と人種差別のお話なんですね。
また誰に対するレス?っ て叱られちゃうけど。
ゆうの考えを書いちゃいます。
人間だけじゃなくって、生物 って、自分と違う形態をしているものに、
拒否反応が出るんじゃないかなって思ってい ます。
ゆうは、日本人だから、白人も、黒人もやっぱり一瞬怖いなって思っちゃいます。
それが、ゆうよりもずっと大きな身体をしていたり、ゆうのわからない言葉を話してい たりすると尚更そう思います。
「人種差別は悪い事」って言うのは解っていても、
かもしかが、ライオンに会うと逃げるのと同じです。(多分)
人間て凄く頭がいいから、 見た目は違っても同じ人間同士なんだって考えられるけど、
もし、他の生物と同じ程度 の知能しかなかったら、
反射的に?って言うか本能的に、これは仲間じゃないって思わ ないかな?
う〜〜〜〜ん。つまり・・・
人間て言う大きなくくりじゃなくって、人 種って言うもっと細かいくくりで、分けられている気がしています。
だから、人種差別 は仕方がないとか、正しいとか言うのと全然違うんですよ。
昔何かの本で、聖書には、 初めに白人を神様が作って、人間が出来たって書いてあるって読んだ事があるのね。
黒 人は、その神様の作った白人の異端分子として、出来上がり、神様に愛されなかったって書い てあった。
そ〜んな事あるわけないじゃないって思うの。
単に別々の人種で、別々 の遺伝子を受け継いできてるだけじゃないのかな?って思うんです。
だから、お互いに違 和感があるのは当然じゃないのかな?って思っています。
う・・・・・む 以上
> たとえば自分たちと違う外見の個体をみると敵ではないかと警戒する。
> あ る病原体を保持している人を避けることによって感染から逃れる。
問題なのは警 戒したり避ける必要がないことが分かったにもかかわらずそれを続けることです。しかも進化 論は「差別はいけない」とは言いません。でもここで誤解してはいけないのは「差別をし てもよい」とも言っていないことです。
差別に関しては、生 物学からのアプローチもさることながら、やはり社会科学からのアプローチが不可欠ではない かと思います。生物学的アプローチだけでは、限界がありますし、なにより差別を肯定する理 論に転化しやすいですから。
それと「人類一般にみられる普遍的な行動様式である」と いう言い方も、差別の正当化に利用されるおそれがありますから注意が必要だと思います。 「普遍的」という以上、サルからヒトへ進化して以来、すべての人種、すべての民族で差別が あったということになりますが、そういう証拠はあるのでしょうか。
『フラミンゴの微笑[上]』で「人種の平等は偶然の結果である」という誤解を招きかねない文 章書いてました(図書館に返しちゃったんでうろ覚え)。創造論者にとってみればとにかく進化 論を攻撃できればいいのであって、自分たちも(進化論者よりも先に)聖書をもとに 人種差別をしていたことなど無視しても構わないのでしょう。
自然主義的誤謬につ いては↓
誤)「進化論者は差別を(社会的)に肯定してい」なんて言い始める人が必ずいるから。
正)「進化論者は差別を(社会的に)肯定している」なんて言い始める人が必ずいるから。
失礼
ク ハ72さんの心配は良く分かります。差別みたく微妙な問題を、適応行動論的に説明しようと すると、鬼の首をとったかのように「進化論者は差別を(社会的)に肯定してい」なんて言い 始める人が必ずいるから。
たろうさんの元の質問からは外れますが、同生物種内で の差別的行為は、クハ72さんのおっしゃるように、適応行動論でも説明できそうな気がしま す。外見による(人間で言えば肌の色だの、体型だの)差別は、外見が近縁度を計る有効な手 段だとういこともあるんじゃないですかね?
こんなことを書くと非難されるかも知れませんが敢えて書きます。
集団生活をする動物 が外敵から身を守るための行動ではなかったのでしょうか。
たとえば自分たちと違う外 見の個体をみると敵ではないかと警戒する。
ある病原体を保持している人を避けること によって感染から逃れる。
それが結果的に適応行動となってしまったために差別が生ま れてしまったということです。
もちろん差別を正当化する意図は毛頭ありません。
言いたいことがうまく伝わったかどうか心配ですが。
地域や、民族間に文 化の違いが生まれた事が、侵略につながり、差別につながります。
ジャレット・ダイア モンドの「銃・病原菌・鉄」はこの辺のことを科学的に考察している本です。
創造論に 関しては特にふれていませんが、差別の基になる文化に違いが何故起きるのかを考えるにはお 奨めです。
何故白人が黒人を差別する のかは知りません.おそらく歴史のどこかで黒人に対して白人が勢力的に優性となり,そこか ら差別が始まったのだと思われます.
差別は『やってはいけないこと』とされ,話 すことは一種のタブーになることもあるのですが(かくゆう私も差別は反対派なので,冷静な 議論が出きるのか難しいですが),行動学や心理学としてとらえると面白いのかもしれません.
私がざっと見たところ,
<1>人類一般にみられる普遍 的な行動様式である
<2>勢力の強い方が弱い方に対して行う
< 3>その始まりは自然発生的であったり人工的(制度としての)であったりする
という特徴が見られ,『いじめ』に近いように思われます.
また集団として ではなく個人として捉えた場合,サル山の順位,ニワトリの順位つけ(あったっけなあ?)等 動物界においてもままみられる現象のように思われます.
どういう事かというと,『差 別』とは勢力の強い方が弱い方に対して行う行動様式の一種であり,その行動が個人単位では なく集団単位(集団中の個々人も同じに行うが集団としてまとまって行う事もある)で行われ る事に特徴のあるものだということです.
じゃあ具体的にはどういうことなんだ? といわれると判りません.管理人さんヘルプ!!!
なお冒頭で書きましたが白人が 黒人に対して精力的にみて優性になってから,差別が始まったと思います.その当りは歴史を じっくり調べれば判るのではないでしょうか.理由は何とでも言えますので,まずは事実を追 う事をお薦めします.
た しか、長谷川夫妻の「進化と人間行動」に、量的形質に関して触れている部分があって、読ん だような気がしてたんですが。流れ者さん、NATROMさんありがとうございます。
かくりさんにレス付ける時、すっかり忘れていたことがありました。wadjaも、直観的には突 然変異抜きで説明できるとするかくりさんの意見には賛成です。事象そのものがかなり多数の ファクターを含むので、単純化したモデルそのものを証明とすることはできないでしょうが、 「こういった可能性もあるので必ずしも突然変異にこだわる必要は無い」ことを説明するには 十分説得力があると思います。
ふと思いついたんですけど(検証すらしてません。 思いつきですから間違っていたらごめんなさい)、異なる遺伝子座に、同様の遺伝子型分布を 適用すると、本質的には二項分布を考えていることになります。それだと、遺伝子座の数を増 やすほど正規分布に近づきそうですね。逆にそれぞれの遺伝子座に、異なる確率での遺伝子型 の分布を想定してやると、もっと極端に台形に近い分布が作れるかもしれませんね(って、ほ とんど自分で作ろうともしてない)。
と学会の新刊です。某美少女戦士アニメの第2期みたいなタイトルですが(笑)、小林よしのり 『戦争論』や『買ってはいけない』が取り上げられてたりして面白いです。ちなみに『戦争 論』批判の戦史研究所のサイトは↓。
またすみません。全 然聖書とか知らないんですけど、なぜ差別するのは黒なんですか?昔から差別されたのは黒人 だと教えてこられたから差別されるのは黒人なんだと思いこまされていたけれど
白人の 何がそこまでいいんですか?いつも歴史で教えられるのは白人が黒人を差別するようになって からだけど、なぜ黒人を差別するようになったかは教えられてない気がする。もしかして聖書 に白人の方が勝ってるんだとか書かれてるんですか?そうだとしたらなぜ白人なんだろ・・・。 ごめんなさいほんとに初歩で。
ありがとうございま す!
参考になりました。
いわゆる社会的ダー ウィニズムに「優勝劣敗が自然の法則ならば白人が黒人を支配するのは必然である」」という のがあります。
もしアメリカ南部の人が黒人差別を正当化したければ、進化論を受け入 れても良かったはずです。
やはり南部の進化論に対する拒絶は純粋(?)に聖書信仰と 反するからと考えた方が良いと思います。
また南部で黒人差別が根強かったのは労 働集約型の綿花栽培を行うにあたり、黒人を自分たちと対等に扱えば採算があわず、奴隷とい う商品として人間扱いしてはいけなかった事情もあったと思われます。
NATROMさんフォローありがとうございました.大体言いたいことはおっ しゃってくださったので後のほうで少し修正を書くだけにいたします.
私としては 『突然変異』は便利な言葉なので,あまり簡単に使わないほうが良いと思っています.初心者 に説明する時は明らかにそれが原因とわかっているときを除いて,出来るだけ『突然変異』を 用いた教え方はしないほうが良いでしょう.というのは想像するとわかっていただけると思い ますが,どんなことでも変わった現象が生物界で見られた場合「突然変異のせいやね」と簡単 に結論付けて終わりにしてしまうように人を誘導する危険があるからです(しかも一応説明だ っているだけにしまつが悪い).
そういった思考から流れ者さんの投稿にレスをつ けさせていただきました.悪いことをしたかなあと思っております.
では修正
wadjaさんへ
計算式勘違いしておりました.
実際はp^p+2×p(1-p)+ (1-p)^2でいかなあかんかったんですね.つい「2つの遺伝子座のうち一つのみ決まれば 残りはどっちでもええから」と1/2×(1)としてしまっておりました.
あと確かに優性 遺伝子と劣性遺伝子の頻度が等しく0.5ですと表現型の比率は,
優性:劣勢=3:1と なります.これではすこおし面白くないので,優性:劣勢=1:1になるようにp及び(1 -p)の頻度をいじって見たいと思います(ちなみにpが優性遺伝子の頻度,(1-p)は劣勢). 大体0.7^2=0.5ですので,存在比率で優性遺伝子が0.3,劣勢遺伝子が0.7(アバウト), 実際の組み合わせから考えると遺伝子をA,aとおくと
AA=0.3×0.3=0.09≒0.1
Aa=2×0.3×0.7≒0.4
aa=0.7×0.7≒0.5
になりますので,基本設計の『そ れぞれの対立遺伝子の頻度が1/2である』を修正させてもらいます.
ついでにいうと上 記条件下において優性の数とその頻度は,
優性の数 頻度
0:1:2:3:4=1/16:4/16:6/16:4/16:1/16
となります.少し基本設計を 変えると正規分布ぽくなりましたね.
P.S.
たろうさんへ
こう見えてもNATROMさんは熱狂的なホークスファンでダイエーの悪 口を書こうものなら・・・・・(以下自粛).ということはなく信用できる方です. でもそんなことを言っている私の書いているの自体が嘘かも知れませんので,別の所で確認を 取るのが賢明と思います(ウラを取るともいいます).
松永さんは近代進化論の成 立あたりを中心に研究している科学史家です。件の本は進化論前史としてのイギリス自然神学 の流れを追って、宗教に一体化していた科学が自然神学の中から分離していく過程を記述した 書籍です。私も読みましたがUさん引用したような文章は全く記憶にありません。
まず、進化論の問題と人 種差別の問題は切り分けて考えてもよいかと思います。
進化論を支持した上で有色人 種に対する差別が散見される本も多数存在します。
(類人猿→黒色人種→黄色人種→白 色人種、という段階を経た、というタイプのものですが)
A)アメリカ南部諸州 において進化論を否定する風潮が強い
B)アメリカ南北戦争の時、南部諸州は奴隷制 を肯定していた
という2点だけ考えていると、この両者に強い因果関係がある、と 考えてしまうかもしれません(あるいは宿題を出した先生の意図はそこにあるのかもしれませ ん)が、実のところ北部においても差別は存在しましたし。そんなに単純なことではないのだ と思います。
でもまぁ、例えば「200文字以上400文字未満」とかのボリュ ームに纏めようとすると上記の内容に肉付けした程度のものしか書けないかもしれませんねぇ …。
To NATROMさん
たしかに、過去ログでの NATROM さんの紹介からも変な印象はうけませんでした。
ではなぜあのような投稿をしたかというと、uさんの投稿だけでは松永俊男氏が科学 者なのかジャーナリストなのか、どんな立場でその著書を書いたのかが判らないかと思ったか らです。
(というか、こういう点について疑問に感じたらとりあえず調べてみる、とい う風習があればこういった投稿も要らないんですけどね(^_^;)
ご意見、ご要望がございましたら、掲示板か、 e-mail:natrom@yahoo.co.jpへどうぞ。