invivogenさん
元々、近代科学は「自然を研究して、被造物に現れた神の栄光を明らかにすることは、『聖書』を学ぶとほとん
ど同等に意義深いことであった。」という、プロテスタンティズムをベースに始った様ですし、この辺りの事を理
解する必要があるのでは?
オーストラリアのanswer in genesis(日本語版もある)というHPにはcreationistとしてニュートンはじめ蒼々たるメンバーが名を列ねています。
しかし彼らは、genesisの字句通りとは考えていなかったのではないでしょうか。
このHPでは、そのような創造(論)については何も言っていないとおもいます。あくまでも疑似科学としての「創造科学」に対して意義申し立てしているだけです。
「創造科学」が自然科学でないという宣言をすれば、また自然科学に関する業績をむやみに中傷したり引用しなければ何も言うことはないと思っています。
もちろん、アメリカなどでは創造そのものに対して攻撃がかかっていますが...。
今日は。はじめまして。
ちょっと気になったので、失礼させて頂きます。
創造科学を必要とする信仰に付いて、です。
僕の理解が正しいかどうか分かりかねるところですが...
皆さんの方が良く理解していらっしゃるかとは思いますが、彼等にとって聖書と創造によって作られた物とは共に”神によって与えられた物”として同等なのではないでしょうか? で、あるため両者に書かれていることが矛盾している”筈がない”。
元々、近代科学は「自然を研究して、被造物に現れた神の栄光を明らかにすることは、『聖書』を学ぶとほとんど同等に意義深いことであった。」という、プロテスタンティズムをベースに始った様ですし、この辺りの事を理解する必要があるのでは?
"外套が必要なのは" T8848 wrote:
> ただ、それだけかなとも思います。
> と言うのは、彼らの態度がほかのトンデモさんたちと非常に似ているので。
いや、そこで必要なのは「トンデモさん」達の基礎知力の再評価なのではないでしょうか。
「ただのバカ」といってしまうのは簡単ですが、「掛け違えたボタンをそのままにどれだけ
取り繕えるか」というお題でロールディスカッションしてみると、彼らよりもっともらしい説
をどれだけ思いつけるか、ちょっと疑問なんですよね。つまり、彼らもコダワリが捨てられない
だけで、ソレ以外は高度に論理的なのかもしれません。。
> これも前にちょっと書いた事があったんですけど、創造科学信奉者って「核戦争を待望する人々」に似て
いるなぁと思うんです。うまく指摘できないけど。
>
> 根拠を確信できない虚弱な信仰と言うよりも、ピントのずれた(間違いとは言わないけど)信仰という成
分が入っているのではないかなと。
その相似は同じロジックで説明できますよ。
創造科学者達が「聖書的に創造された世界を必要とする人」で、
核待望者達は「聖書的に終末を迎える世界を必要とする人」なんです。
そして「聖書的な奇跡のある世界を必要とする人」達のお祈りが騒がしい。
要は「信頼が足りない」ことによる不安を別物で埋めようとするから
ロクなことにならない。いかがですか?
> #最近妙に目立ってますか?(キリスト教徒宣言はしてないけど、ってバレバレか)
あ、すいません、書きこみ人口比的に、ですね。
"創造科学はお笑い" 櫻井美佐子 wrote:
> ご指摘の宗教改革のルターなんかはヤコブ書を「わらの手紙」と呼んで、内容のない文章だと言ってます
し、…
あたしゃ改革派ですからルターがおばかでもそれほど困らないんですが、
現在形で語られては事実と異なりますね。死ぬまでそう言いつづけてた
わけではなく、途中で撤回してますから「言っていた時期もありますし、」
ぐらいが妥当な線でしょう。
LucifeR様
>あはは、僕もここじゃ場違いだから表には出さなかったけどつまり、
>「対アレ的理由」ですね?
>でもその掲示板、知りたいなあ。url挙げていただくわけにはいきませんか?
「対アレ的理由」!ぶははははははっ。
(済みませんねぇ、多くの皆様。ローカルな話題で盛り上がっちゃって。)
url挙げても良いんですけど、お馴染みの長谷川さんのHPと言えば、
御判りになりますよね?
natureの記事(8 February 2001, Vol. 409, No. 6821, p. 707)ですが、細菌感染による生殖隔離だそうです。
そういうこともあるだろうとは考えられてたけど、もっとずっと一般的なのかもしれないというところなんか興味深いですね。
こういう例は他にもあるんでしょうか。脊椎動物はどうなんだろう。
進化 :種分化にかかわる細菌
http://www.natureasia.com/japan/nature/highlights/index.html.ja?#item6
以下は論文の最初の一節
http://www.natureasia.com/japan/nature/abstracts/issue6821/abstract409707a.html
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>「書かれた書物」である聖書と、「書かれない伝統」は、共に同じ創始者である神から由来しているとして、
>この2つにまったく「同等の価値」が与えられているのです。
>あたしはこのカソリックの立場の方が、プロテスタントより逐語霊感に近い、
どうでしょう。
「聖書のみ」という方がより逐語霊感的なのではないでしょうか。
>>さて、では現在はどうかというと、何を読もうがどう解釈しようが自由です。
>>ただし自分勝手な解釈は戒められており、どのように解釈するべきか教会の助言を受けるよう勧められています。
>>これは解釈の禁止ではなく、教会の解釈(これも今や随分幅広い)に従う義務もありません。
>
>つまりカソリックも限界に来たということでしょうね。
>今後はプロテスタントのように教派分裂がバンバン始まり、「あれは異端だ、いや正統だ」という罵りあいが始まるのでしょう。
それがですねぇ、大きな教派分裂やら異端論争やらはないと思います。
個人レベルかせいぜい教会(小教区)レベルでしょう。
もうなんでもありの状態ですから。
逐語霊感のような立場から奇跡はなかったという立場までありますから。
ちょっと前に紹介されてた預言のやつなんかもあるし。
異端の廉で破門されるという事もありませんし(教会なり修道会なりの公認の取り消しはある)。
神学論争はありますけど(最近の大きなのは「開放の神学」かな)。
地域による違いも大きくて、結構その土地の習慣に合わせちゃってますから(日本だと七五三もやってたりする)。
異端騒動といえば、ミミ萩原(だったかな)が妙なマリア信仰にはまって、その活動が目に余るということで、司教が「あれはもうカトリックの教えではない」という宣言をした事がありました。
そのグループは破門になったわけじゃないけど離れて行きましたね。
そういうのはこれからも出てくるでしょうけど、大体が分裂してったのがプロテスタントなわけだから。
まぁ目立たなきゃ何でもあり。節操がないというか、懐が深いというか。
(でも創造”科学”は見ないなぁ。進化論否定は見るけど。)
>根拠を確信できない虚弱な信仰が「聖書的世界観」という外套を必要としている
同感です。
ただ、それだけかなとも思います。
と言うのは、彼らの態度がほかのトンデモさんたちと非常に似ているので。
もう一つ。
これも前にちょっと書いた事があったんですけど、創造科学信奉者って「核戦争を待望する人々」に似ているなぁと思うんです。うまく指摘できないけど。
根拠を確信できない虚弱な信仰と言うよりも、ピントのずれた(間違いとは言わないけど)信仰という成分が入っているのではないかなと。
まぁ、聖書からは何でも言えますからね。男女差別、人種差別、再婚者差別、同性愛者差別、民族浄化・・・。
何でも言えるから自分の嗜好を都合よく当てはめて、これこそが聖書の教えだ、ってことも言えるわけで。
>「霊的な太陽光線」で「信仰の体温を上げてやる」
>しかないのではないか。そんな風に思うんです。
彼らも耳を傾けるような人でないとできませんね。
#最近妙に目立ってますか?(キリスト教徒宣言はしてないけど、ってバレバレか)
トンドモ創造科学(形容詞がつきました)の主張のひとつに「ダーウィニズムは学会で公式に否定されました」というのがあります。私はどちらかというとanti-Darwinism
サイドの人間なので信用してもらっていいと思いますが、
そりゃ学会ですからダーウィニズムのある部分を否定する方はおります。学会全体がそういう雰囲気のときもあります。それは学問の進歩の段階では当たり前の事。だからどうなのかということです。もちろん誰も進化を否定していませんし、ダーウィニズム否定は極少数派
です(でなければわたしはもっと待遇がいいはず...)。これは、創造論とまったく関係ありませんし、入り込む余地はありません。
PDX.さん、儂はグールドを非難するつもりも、鬼の首を取るつもりもありません。ただ、ワンダフルライフを驚きをもって読んだものとしてはちょっとがっかりしたという程度です。
以下JA50さんへ、
ここのマスターの書いたものからの引用http://www.meken.med.kyushu-u.ac.jp/~tosakai/creationQA.html
>・・・この論法は相手の主張を曲解した上で否定する一例です・・・もちろん、各論がどうしようもなく間違っていることも創造科学が擬似科学である理由の一つです。しかし、単に各論が誤りであるからという理由だけではないことをこのページでは強調してしてきました。
例えば、都合の悪い指摘の無視や間違いを訂正しようとしない態度です。(中略)創造論の予測と異なる結果を示されたら仮説を撤回すればいいものを、都合の悪い指摘を無視し、自説に固執します。
儂も同じ気持ちです。これを自戒の種にしてください。
JA50>私は、自然選択説を指す言葉として適者生存説を用いるのは別段まずいことではないと思います。まずいのは、それを「生き残るものが生き残る」という説だと誤解しているのがまずいんです。<
もちろん創造論者の中に誤解している人はいるでしょうが、貴方も誤解しているんです。
JA50>自然選択説は、論理の形式上、トートロジーです。<
勿論、違います。その後の説明もひどいものです。
少なくとも今は一部は自分が勘違いしていると認めているみたいですからもう一度よく考え直してください。貴方がこのような理解で進化論者の代表として活躍した結果、創造論を広める役に立たないことをせつに願います(せつに・・というのは嘘ですが)。儂はRoyal Rumbleの観戦記を書かねばならないのでここで引きますが、後は常連の皆様方で処理してください。このHPの趣旨からすると重大な問題であると思いますので・・・儂は一介のプロレス至上主義者にすぎませんので、進化論を誤解したanti-creationist(進化論を理解してないんだからこの言葉が最適だ)がいようといまいと関知するところではありません。
いろいろ文句を付けましたが、最後に一つだけ貴方と同意見のことがあります。ただ、貴方が思っている以上に深く同意するんですが
JA50>う〜ん、私はよほどバカだったということですか。<05AJ
「the struggle for life」を適者生存と言うのがあながち間違いとは私は思いません。
要はその内容がきちんと理解しておくべきだということでしょう。
生き残るものが生き残るという説じゃないと。
適者生存という用語を最初に使ったのは誰だったか、、、
あ、種の起源は何度も読んでます。
読んでも理解していないんだろうという批判は甘んじて受けます。
彼らは、太陽が出ても、ますますコートを強く着るんじゃないですか。
>
JA50>実際、ノリリンさんは何をさして適者生存と呼び、それはナンセンスとされているんでしょう?<05AJ
『適者生存』です。
何も指すものはなく、単に適者生存という言葉そのものの意味がトートロジーだと。そして、ナンセンスとは言ってないと。
う〜ん、私はよほどバカだったということですか。
ノリリンさんは自然選択説を指して適者生存と言い、自然選択説がトートロジーでナンセンスだと言っていると誤解したと。そうじゃなく、「適者生存」という言葉の意味そのものがトートロジーであると言っているだけ。
未だによく理解できないが、、、
>貴方の言うように自然選択説を簡明に解説するときには、創造論者ならずとも適者生存という言葉は使うのは当たり前としても、この二つを混同するのは、まずいんじゃないか?
彼らは、自然選択説を指す言葉として適者生存(説)と言い、自然選択説は生き残るものが生き残るものという意味でトートロジーだからナンセンスだと言っているんです。「適者生存」という言葉そのものじゃなく。
私は、自然選択説を指す言葉として適者生存説を用いるのは別段まずいことではないと思います。まずいのは、それを「生き残るものが生き残る」という説だと誤解しているのがまずいんです。
>『AがBである』これはトートロジーではないでしょ。
AがBであるというのがトートロジーになるかどうかは、AとかB、さらに「である」ということがどういうことかというので決まるじゃないですか。
例えば、1+1=2というような加算についての言明だとしたら、これってトートロジーになりませんか。Aが1+1、Bが2、「である」というのが加算という操作を表しているとしたら。そういうように定義したんだから、必ず真になる。
>この文章がおかしいのは今の貴方は認めるのですか?それとも認めないのですか?書き方が悪いと書いてましたが、書き方が悪いだけなら是非とも書き直してもらいたい。
文章がおかしいというのはその通りです。
文章がおかしいというのは、書き方が悪いためでしょう。
自然選択説は、論理の形式上、トートロジーです。
適応的な変異を持つ個体がそうじゃない個体よりも子孫をより多く残すことで、その集団中にその変異が増えていくというのですから。
これを検証するには、非適応的な変異なのに、その変異が集団中に増えて、ついには固定したという例を見つけたらいい、というのが私の見解です。そういう変異の蓄積の結果できたであろう形質の中で、その生物にとって生存や繁殖に不利な例を捜せばいい。もしそういうのがあれば、自然選択説の反証になるだろうと。
ただし、これには反論があります。自然選択説は、適応的な変異についての説であり、非適応的な形質に言及しているものではないと。じゃ、その反証はどうするんだと私は尋ねているんですが、これには答えはない。
ps
転載はご自由に。
インターネット上の発言は、公道に駐車している車みたいなもん。それも所有権を放棄した車だとさえ思っています。
勝手にウンチを付けようが御勝手に。
私は誰がどこでウンチを付けようがかまいません。
To ノリリンさん
グールドにしてみれば、自分の断続平衡説にとって有力なデータという
ことで、紹介に力が入ってしまったのでしょうね。
その後、新しい情報に目をつぶって自説に固執したりしたわけではなく、
新しい解釈を受け入れているあたりは、科学者として正しい姿勢なのでい
いのではないでしょうか? 別に誰も彼を偶像視しているわけでないのだ
から、完全無欠を要求したりはしないでしょう。
それに、ハルキゲニアやワイワクシアが当初思っていたほど独自の存在
ではなかったにしても、先カンブリア紀末期に急激な多様化があったこと
自体に変わりはないと(今のところ)みなされていますし。
(若干規模が小さくなったからといって、見る影もなくなってしまったと
いうほど小さくなったわけではない)
もっとも、創造論者の側は「グールドは自分がかつて書いた著書の誤り
を認めた」とか意図的に細部を省略して書くことで、さもグールドが進化
論を撤回したかのように宣伝したりするんじゃないでしょうかねぇ(笑)
(『進化論裁判』とかに引用されている、創造論者が進化論者の著書を引
用する際の「大胆な省略」とかはものすごいですから…(^_^;)
T8848さん
>>なんたってカソリックは一切の解釈を認めませんからね
>カトリック(ローマ及びイギリス)も正教も「一切の解釈を認めない」なんてことはありません。(中略)
>「一切の解釈を認めない」のではなく「個人的に解釈することを禁じていた」のです。
ご指摘ありがとうございます。確かにその通りなのです。
ただし、あたしの投稿では、(なんたってカソリックは一切の解釈を認めませんからね)って、
カッコつきで書いている通り、「聖書の解釈」という意味ではなかったのよね。
まぁ、言葉足らずだったことは認めるわ。
少し、より詳しく説明しますと、
カソリックは聖書の他に、伝承と呼ばれる「教会の権威」による規定を認めるのです。
つまり聖書を教会の伝統にしたがって解釈するということです。
「書かれた書物」である聖書と、「書かれない伝統」は、共に同じ創始者である神から由来しているとして、
この2つにまったく「同等の価値」が与えられているのです。
あたしはこのカソリックの立場の方が、プロテスタントより逐語霊感に近い、という意味で書いた次第です。
>さて、では現在はどうかというと、何を読もうがどう解釈しようが自由です。
>ただし自分勝手な解釈は戒められており、どのように解釈するべきか教会の助言を受けるよう勧められています。
>これは解釈の禁止ではなく、教会の解釈(これも今や随分幅広い)に従う義務もありません。
つまりカソリックも限界に来たということでしょうね。
今後はプロテスタントのように教派分裂がバンバン始まり、「あれは異端だ、いや正統だ」という罵りあいが始まるのでしょう。
まぁ、結局、逐語霊感説というのは困難な立場であり、解釈せざるを得ないことには間違えないのです。
ご指摘の宗教改革のルターなんかはヤコブ書を「わらの手紙」と呼んで、内容のない文章だと言ってますし、
新約の方が旧約より重要だとして、聖書の全てが同一の権威を持っているわけではないと主張してます。
プロテスタントの祖がこんなことを言ってるくらいですから、
長谷川何がし氏らが創世記の記述通りに創造科学をうんぬんするのは、お笑いなのです。
まぁ、好意的にみれば、創造科学も、聖書解釈の違いから生じた数あるプロテスタントの教派の中の一派、
つまり立派な宗教だということですね。創造宗教と呼んだ方がいいかもね。
いやまあ、別にネットからいなくなるわけでもなんでもないんだけど、異分子が長く居座りすぎちゃあまずいでしょう。儂のネット上の本職はプロレスなので・・・そっちの手を抜くわけにはいきません。この連休には3つ観戦記を上げねばなりません。今日なんか去年のMVPやベストマッチの選定が遅いと怒られてしまいました〜〜ふう、忙しいという訳なのです。逆にネットからいなくなるわけでもないのでたまにくるかもしれません。netterの引退とプロレスラーの引退は守られることがないので、引退宣言はプロレスの掲示板でしかしません。・・・というかこの掲示板での儂の存在も、もう終わりが近づいてきましたというだけで、まだ終わってないのでもう少し我慢してください。
1)NATROMさん
そうですか、よかったよかった。niftyとか会議室の中身を外に出すとうるさいんですよ。
ともかく改変とか変な使い方はしませんから、そこら辺は安心してください。
2)Cambrian_explosionさん
儂もグールド好きなんで時々本を買います。ワンダフルライフもとても面白かった。グールドは悲運多数死とか、偶然による選択とか、系統樹で見るようにだんだん多様性が増したのではなく、多数の系統が生まれ、多くが滅んだとか、バージェス頁岩の生物は現代に係累が残っていないものが多いとか、書いてました。しかし、引っ越しの時にワンダフルライフをなくしてしまって見つからない、もう6年前の知識で書いてます。だから本当は「書いていたと思います」です。
その後読んだ別の本で、グールドがワンダフルライフで書いていたほど、バージェス頁岩の生き物たちは現代の動物とつながりがないものではないということを読みました。グールドも最近の本でハルシゲニア(これも不確かな名前)が不明な滅びた類ではなく、有鈎類の一つだとわかったと書いています。グールドは、カンブリア紀における多様性と悲運多数死による絶滅という自分好みの結論に引きつられて、実際以上にバージェス頁岩の動物たちを奇妙に紹介してしまったのではないでしょうか?・・・と、思ったわけです。まあ、古い記憶で不確かですが、儂の記憶ではグールドはちょっと(ちょっと ですよ)失敗したと思ってました。
ところで、貴方の読んだはずのHPをみて、多数のリンクミスとdead linkを発見しました。98年に作って以来ほっていたので・・・お恥ずかしい限りです。最近私のHP(noririn.net)全体が、新アドレスに移動しました。ついでに例のページも一応少しなおしました。
アドレスはhttp://www.noririn.netです。
いまのところ哲学のページがすぐに更新される望みはありません。が、ときどき読んでいる人がいるんでビックリします。
3)分類学者さん
>ちなみにマイヤースと書いているのは、Ernst Mayrと思います。<
不確かな知識で申し訳ない。今度は良く覚えておきます。
JA50さん
創造論者はよく自然選択説を指して適者生存と言いますし、また自然選択説を簡明に解説するときには、創造論者ならずとも適者生存という言葉
は使うのじゃないでしょうか。
まぁ、これは私の言い訳に過ぎない。
ですが、実際、ノリリンさんは何をさして適者生存と呼び、それはナンセンスとされているんでしょう?
適者生存という言葉そのもので、何か元になっている説などないんでしょうか?
「創造科学」とやりあいたいならDarwinくらいは読んどきましょう。彼の1859年の著書は、
On the origin of species by means of natural selection, or the preservation of favoured races in the struggle for life.といいます。この特に後ろの部分がなぜか適者生存になっちゃったんではと思います。
創造科学ではよく社会ダーウィニズムを出してきますが、そんなの生物学と関係無し。適者生存って社会科学で使われてるのでは??(そのへんは知りません)。
ノリリンリンリン@プリリンリンリン@トートロジーさん
たのしかったよ。またどこかで会おう。ちなみにマイヤースと書いているのは、Ernst Mayrと思います。海外(米、オーストラリアなど)の創造科学のHPでは、彼はanti-creationist(evolotionistとは言わないところがおもしろい)の筆頭にあがっているね。
ノリリンさん初めまして。
いなくなる前に教えてください。
過去のノリリンさんの書き込み(それは天地創造と同じくらい過去の話:2 投稿者:ノリリン 投稿日: 2月 4日(日)00時22分04秒 )に
>SJグールド、自説にこだわるあまりwonderful lifeでは少ししくじったようだが、
とありますが、具体的に教えていただけませんか?
何をどうしくじったのか・・・。
私は、ややこしい論理的思考が苦手で(哲学者の書いた本を読んでると、最初10ページぐらいで眠くなることが多いです^^;)、
さらに、レスも超遅いのですが、お付き合いください(遅レスだけはお許しください)
ちなみに私はグールド好きですが、グールド主義者(そんなのがあるかどうか知らんが)でも何でもありません。
さらに・・・
HP見させていただきました。
面白かったです。
個人的には、ますますのご発展を期待してます。
ところで、ゲストブックや「ソフト」は閉鎖中ですか?
ついでの書き込みで申し訳ないですが・・・。
>NATROMさんみなさん
忙しいのと精神的に落ち着いてないのとで、現在ネットは控え気味にしてますが、今年もよろしくお願いします。
>それから、掲示板の中身を外に出される・外でふれられるのを異様にいやがる掲示板のオ〜ナ〜がいますが、この掲示板は大丈夫でしょうか?NATROMさん
もちろん、大丈夫です。掲示板の管理者には引用を止めさせる権利はないと、個人的には考えています。
ところで、この掲示板での儂の存在も、もう終わりが近づいてきました。
この掲示板でおこった・・というかJA50さんが起こした・・・騒ぎとその顛末を儂のHPに掲載しようと思います。だから、この掲示板の儂に関する部分を転載いたしたい。
儂には儂のネット仲間がある程度いますが、彼らが押し寄せてきてここをあんまり混乱させたりしてはいかんと思い知らせていませんでした。しかし、彼らにもなにが起こったか知る権利があります。(権利は言い過ぎか?)
勿論、儂のHPの中身を最初にここへ転載したJA50さんに、もとより異存はなかろうと思います。
悪意のある書き換えとかはなしで全文を掲載しますから、問題なし。
儂の書き込みに関しても、儂が書いたもんだから問題があろう訳もなし。
しかし、分類学者さんの指摘の文章とMrTMさんの文章を2〜3、胡椒として加えたいんですが、許可がいただけますでしょうか?他の人のは引用しません。
それから、掲示板の中身を外に出される・外でふれられるのを異様にいやがる掲示板のオ〜ナ〜がいますが、この掲示板は大丈夫でしょうか?NATROMさん
ノリリンリンリリン>そこで結論です。
自然選択説がトートロジーであって、その他諸々のうろんなJA50的言説をまぶり尽かせたようなおぞましい進化論が進化論なんてとても選べない。もしどこかに素晴らしい創造論(見たことも聞いたこともないが)があれば、儂は素晴らしい創造論を採りますな。<プリリンリンリン
自然選択説がトートロジーであって、その他諸々のうろんな言説をまぶり尽かせた、おぞましいJA50的進化論なんてとても選べない。もしどこかに素晴らしい創造論(そんなもの見たことも聞いたこともないが)があれば、儂はおぞましい進化論より素晴らしい創造論を選びます。に書き直します。
"不信仰な故の創造科学" JA50 wrote:
> ただ、太陽政策でもダメなのじゃないかなぁ。
> 元々、キリスト教への不信仰が根底にあるんだから、まがい物であるその自分のキリスト教を捨てるしか
ない。しかし、これは結局北風政策と同じことで、ますます彼らはコートを着ようとするだろうし。
>
> カルトとおんなじ。
あ、前半分は伝わってますね。
そう、確かに彼らは「外套」の下に「根本主義」の綿入着て「逐語霊感」のモモヒキ
はいてます。これごと脱いでもらわなきゃ問題は解決しない、というのは仰る通りですが
その脱がせ方としてやはり「北風」しか思い浮かべて頂けないあたりが、私の「後半分の
伝え損ない」です。
確かに神学論争では埒があかない。それも確かに北風政策ですから。でも例示されたカルト
などと称される物とちょっと違って「捨てさせる」必要はなく単に「信仰を体質改善」すれば
いい。彼らの信仰自体は別に彼らのフルスクラッチじゃなくて、ほぼデバグを終えた
アリモノの「枯れた体系(新規コードの追加は認められていない)」をもってきただけで
基本設計的なところでは、それほど問題がないんです。
さっきは「虚弱」と表現しましたが、別の云い方をしてみましょう。
臨界に達していないので、出てくるより加えるエネルギーが多いお荷物になってて、
その維持にハタ迷惑な手間がかかる
別に不良やニセモノじゃなくて、火が入ってないんですよ。
分類学者さん>
>すばらしい創造論とおぞましい進化論
進化論をおぞましいと感じ、創造論をすばらしいと感じる人もいるでしょうから、そーゆー人が創造論を選択するのは自由でしょう。ただ、T8848さんがおっしゃったように、進化論がおぞましいとする理由が間違っている場合には、「それは間違っています」と指摘するのはかまわないと思います。進化論と道徳でちょこっとだけ書いています。あんまりこういうのを書くと、「むやみに信じる幸せをうばうような強引なトンデモ否定をしてしまうのは一種野蛮な行為だ」とか言われるから気をつけないと。
安賀須若人さん>
一年なんてあっと言う間ですね。物理学や科学哲学、宗教学などさまざまな分野に詳しい方々が参加してくださったお陰で有意義なサイト運営ができました。
LucifeRさん>
>いくら科学の方法論で
>諭しても、多分このサイトが目的としてるところの「浮動票流入の阻止」は達成できても、
>「彼ら」自身にとってそれははイソップ物語の「北風」としか作用しない
なるほど、納得できます。信仰を持たない私が彼らを説得できるわけないですね。「古い地球の創造論者」の言い分に、「神はこの世のあらゆるものを造られた。神の掲示は聖書だけでなく、すべての被創造物に及ぶ。被創造物が地球の古い年齢を指し示すのならば、神はそのように地球を造られたのだ」というものがありますが、「古い地球の創造論者」のほうが彼らよりも信仰が強そうだと私が感じたのは、あながち的外れではなかったのかもしれません。
あとは「6日間にわたる創造」「アダム以前には死はなかった」という聖書の記述とどう折り合いを付けるかでしょう。「古い地球の創造論者」は折り合いをつけていますが、彼らからすればとんでもない人為的な解釈に過ぎないのだろうと思います。「若い地球の創造論者」だって、解釈しているとしか私には思えないのですが。どちらの「解釈」が正しいのは私には判断しようがありませんが、日本ではあまり議論になっていないのが不思議です。
相変わらず床に倒れていますねえ、JA50さん。普段からトンでものひとや創造論の人を知的に劣った人と思っているでしょ?でも、下を見ているとおもって安心していると、実は横を見ていると言うことがあるんですよ・・・
どうしても一つ知りたいのは、
『しかし、適者生存という用語そのものは、生き残ったものが適者だという言明じゃなく、適者が生き残り、不適者は淘汰されるという言明です。ですから、不適な形質なのに、そのグループに広く存在しているとしたらそれは適者生存という仮説の反証になります。反証になるのですから、トートロジーじゃない。そして、そういう形質が発見されていないから、ダーウィニズムはまだ生き残っているんです。150年以上も、そういう反証に耐えて。(JA50)』
この文章がおかしいのは今の貴方は認めるのですか?それとも認めないのですか?書き方が悪いと書いてましたが、書き方が悪いだけなら是非とも書き直してもらいたい。
JA50>ノリリンさんの言っている適者生存説<05AJ
適者生存に説を勝手につけたのは、あなたです。
JA50>実際、ノリリンさんは何をさして適者生存と呼び、それはナンセンスとされているんでしょう?<05AJ
『適者生存』です。加えて言えば、ナンセンスとはいってない。トートロジーといっているだけ。もしトートロジーを仮説と呼べばナンセンス。
JA50>創造論者はよく自然選択説を指して適者生存と言いますし、また自然選択説を簡明に解説するときには、創造論者ならずとも適者生存という言葉は使うのじゃないでしょうか。<05AJ
一つ根本的な疑問があります。貴方はどんな進化論を信奉しているのですか?
私は進化論をもっぱらとするものでもないし、創造論との論争を趣味とするものでもありません。だから2年以上前に読んだ、マイヤースの本とグールドの本くらいしか進化論に関しては知りません。儂の理解では、自然選択説というのは『進化は、変異が発生した後自然環境に適したものが生き残ることによって引き起こされる』という説じゃないんですか?で、当時対立する仮説としては
『進化はなかった。神が作った』(創造論)
『神(他に宇宙人とか)の意に適うような変化が受け入れられて生き残り進化が起こる、または変化させられて生き残る』(神的進化論)
『(努力などによって)その世代に獲得された形質が、次の世代に引き継がれていく事によって進化する』(獲得形質による進化)
があったんじゃなかったかな。創造論以外の進化論では、特に獲得形質による進化でも『適者生存』というのは必須でしょ?(ただ獲得形質による進化を唱える人の中にはキリスト教との整合性のために絶滅を否定する立場の人もあったと記憶はしているが・・・)
貴方の言うように自然選択説を簡明に解説するときには、創造論者ならずとも適者生存という言葉は使うのは当たり前としても、この二つを混同するのは、まずいんじゃないか?なんで自然選択説と適者生存が同じなの?同じ訳がないわいな。創造論者じゃないんだから・・・創造論者なんですか?JA50さんは
そう考えると、どうしても貴方の空想的進化論(ポパーの科学というのは空想だから)の奇妙さがまた出てくる。たくさん出てきて大変なんだが・・・
JA59>私は、自然選択説は論理としては真だと思います。
論理として真とは、その形式がトートロジーだということです。
もし、そうじゃなければ、それは検証以前の問題です。
検証するまでもない。<05AJ
自然選択説がトートロジーですと!!!? 他の人がつっこまないのも不思議だが?つこんでも無駄と常連は知っているのか?
『AがA』であるがトートロジー。これは検討のしようがない。どうしても正しい。トートロジーの方こそ検証以前の問題だ。
『AがBである』これはトートロジーではないでしょ。AとBが等価であることを証明する為に、それに至る過程で沢山(か少数)の証拠を出して論証するんでしょ。だからその過程に関して反証可能なんでしょ?トートロジーは反証不能。じゃあ自然選択説は反証不能?
以下寸劇 『トートロジー殺人事件』より
名探偵 請地小次郎 『磯部留三、おまえが犯人だ』
磯部留三 『滅相もございません、どこにそのような証拠が』
名探偵 請地小次郎 『ほらこの推理小説の扉の人物評をみろ
磯部留三・・・・・犯人 と書いてあるじゃないか』
磯部留三 『うげ、それじゃ、あっしは最初から犯人と定義されてるんじゃ ないですか!それじゃあ、トートロジーだ。反論できねえや』
(終)
貴方は自然選択説がこんなもんだというのですか?
そこで結論です。
自然選択説がトートロジーであって、その他諸々のうろんなJA50的言説をまぶり尽かせたようなおぞましい進化論が進化論なんてとても選べない。もしどこかに素晴らしい創造論(見たことも聞いたこともないが)があれば、儂は素晴らしい創造論を採りますな。
>根拠を確信できない虚弱な信仰が「聖書的世界観」という外套を必要としている
これに全く同感です。
ただ、太陽政策でもダメなのじゃないかなぁ。
元々、キリスト教への不信仰が根底にあるんだから、まがい物であるその自分のキリスト教を捨てるしかない。しかし、これは結局北風政策と同じことで、ますます彼らはコートを着ようとするだろうし。
カルトとおんなじ。
>違います。ノリリンさんは両者を区別しており、適者生存についてトートロジーと言っているので、自然選択のことを問題にしていません。
ノリリンさんの言っているトートロジーである適者生存ってのは、どこにあるものなんでしょう?
創造論者はよく自然選択説を指して適者生存と言いますし、また自然選択説を簡明に解説するときには、創造論者ならずとも適者生存という言葉は使うのじゃないでしょうか。
まぁ、これは私の言い訳に過ぎない。
ですが、実際、ノリリンさんは何をさして適者生存と呼び、それはナンセンスとされているんでしょう?
適者生存という言葉そのもので、何か元になっている説などないんでしょうか?
私が、ノリリンさんが自然選択説を適者生存説と呼び、それを無意味なトートロジーだと言っていると誤解したということです。
どうも失礼しました。
存在もしておらず、かつ無意味なトートロジーである適者生存説などに私は興味はありません。
公道に駐車していると、私のようなバカにウンチをつけられることもあるということじゃないですか。
"「日本基督教団」の略称(おまけ)" 前玉 睦子 wrote:
> 同感です。私も先日「日キ」が困る別の理由を他の掲示板に書いたところです。
> (ここで繰り返し述べることは致しませんが、要するに「そーゆー」理由です。)
あはは、僕もここじゃ場違いだから表には出さなかったけどつまり、
「対アレ的理由」ですね?
でもその掲示板、知りたいなあ。url挙げていただくわけにはいきませんか?
これまた超カメレスな上に横槍なんですが、以前から提示のタイミングを伺ってた仮説が
ありまして、私的には一周年にふさわしい問題提起になるんじゃないかな、と思ってます。
…自明の前提だ、なにをいまさら、とか云われたらどうしよう(笑)。
"マルチレス" NATROM wrote:
> 別に科学を信じなくてもよいのですから、「科学では神の創造はわからない。私は科学よりも聖書を信じ
る」と言えばなにも問題はないのです。にもかかわらず、創造論は科学的にも正しいとしたいがゆえなので
しょう、嘘を紛れ込ませて創造科学なるものをつくりあげています。嘘を指摘すると、今度は科学の意味を
捩じ曲げてきます。「聖書を前提にすれば創造論は正しい。科学を前提にすると進化論は正しい」でいい
じゃありませんか。「科学を前提にしても創造論は正しく、進化論は間違っている」って言うから問題がこ
じれるのです。
これですが。ちょっと問題の解釈が間違っているとまでは申しませんが、核心まで達してないと
思うんです。「彼ら」は、おそらく
節度なく強い信仰が科学の領域を侵犯している
のでも
貧弱な科学的素養が燃える信仰に負けている
んでもないんですよ。最近妙に目立ってる「キリスト教徒のくせになぜかここに出没している」
方々になら直感でご理解頂けると思うんですが、彼らは実は
根拠を確信できない虚弱な信仰が「聖書的世界観」という外套を必要としている
んじゃないでしょうか(絶対に自覚ないでしょうけど)。ですから、いくら科学の方法論で
諭しても、多分このサイトが目的としてるところの「浮動票流入の阻止」は達成できても、
「彼ら」自身にとってそれははイソップ物語の「北風」としか作用しない。実際
全く説得できてませんよね。
てことで、これは「宗教と科学」の摩擦じゃなくて、「ひたすら宗教的な問題」であり、
彼らを説得して困った主張をヤメさせるに「霊的な太陽光線」で「信仰の体温を上げてやる」
しかないのではないか。そんな風に思うんです。
どうでしょう、それともただのトンデモ珍奇論でしょうか?
NATROMさん、こんにちは
お忙しいと思いますのでレスしていただかなくても構いません。
ふと気が付いたのですが、
今日(2001.2.9)でこのサイトの1周年なんですね。
祝!1周年!
進化に関する誤解を解き、「創造科学」の欺瞞と闘う
NATROMさんの努力に改めて敬意を表します。
We salute you!
LucifeR様
>「日キ」は困ります。もともと「キ」の字ありませんし、書籍流通とマチがえる。
>それに「教団」ほかにも沢山あるんだから、それで混同ないなんて発想が傲慢です。
同感です。私も先日「日キ」が困る別の理由を他の掲示板に書いたところです。
(ここで繰り返し述べることは致しませんが、要するに「そーゆー」理由です。)
「教団」は通りは良いようですが、やはり多数者の傲慢さを感じます。
因みに私の友人で「日本基督教団○○教会」へ行こうとして道に迷い、
偶然見つけた「○○聖書教会」の牧師夫人らしき方に「○○教会はどこですか」と尋ね、
「教団さんはそこをそう行って・・・」と教えてもらったツワモノがいます。
他教派の方に「教団さん」と呼ばれるのは悪い気はしませんが。
超カメresですが。
"「日本基督教団」の略称は...." かおり wrote:
> いずれにしても、「日本基督教団」を略称されるときには、「教団」または
> 「日キ」とされると混同されることなく理解されると思いますので、ご配慮
> 下さい。
「日キ」は困ります。もともと「キ」の字ありませんし、書籍流通とマチがえる。
それに「教団」ほかにも沢山あるんだから、それで混同ないなんて発想が傲慢です。
てことで、一意性の問題を云々するなら「日基教団」より短くはできませんね。
>なんたってカソリックは一切の解釈を認めませんからね
カトリック(ローマ及びイギリス)も正教も「一切の解釈を認めない」なんてことはありません。
これは「聖書に帰れ」とプロテストされたことからも明らかでしょう。
誤解の元は次のようなところにあると思います。
かつて旧教(公教会、聖公会、正教会)では、信者が聖書を勝手に読むことを禁じていました。
また読もうと思っても翻訳されていないので普通の人には読めません。
なぜ翻訳しないのか(カトリックではウルガタ約というラテン語聖書しか認めていなかった)。
翻訳には解釈が入るからです。
完全な翻訳は不可能ですし、不用意に各国語に翻訳されては教えがばらばらになってしまう、あるいは異端を生み出してしまうためです。
聖書を読むことについても、個人が解釈することは禁じられていました。
教会の解釈に従って読むことを求められていたのです。教会は決して逐語霊感ではなく、ローマ流に(あるいはコンスタンチノープル流に)解釈しており、解釈であることを自覚していました。
#「一切の解釈を認めない」のではなく「個人的に解釈することを禁じていた」のです。
そのような状況にあったので、ルターのドイツ語聖書はまさに改革だったのだし、それなくしては改革にならなかったでしょう。
さて、では現在はどうかというと、何を読もうがどう解釈しようが自由です。
ただし自分勝手な解釈は戒められており、どのように解釈するべきか教会の助言を受けるよう勧められています。
これは解釈の禁止ではなく、教会の解釈(これも今や随分幅広い)に従う義務もありません。
また聖書は七十人約以外にも現在得られる資料全てを元に翻訳されています。
構成は従来通りですが。
聖書本文については、一部の意訳を中心にしたもの以外は、今や新旧どちらのものでも違いは少ないでしょう。
T8848さん
そういうことです。進化を信じるととんでもない堕落した人間になるよ。サルが祖先だからモラルがなくなるよ。
といった類いの発言があちらこちらに見られます。
「すばらしい」「おぞましい」ってのは理屈じゃないからバッサリ斬るのは難しいと思う。
それこそまさに価値観の違いでどちらも止めを刺せず、不毛な平行線が続くかと。
「これこれの理由で(進化論が)おぞましい」って言ってんなら、その理由が間違いだと言える場合が多いけどね。
進化を道徳的に云々するとかの的外れなやつとかも。
あ、そういうことですか?
それなら斬ってしまえますね。
JA50さん
理解できない。
ノリリンさんは「適者生存説」という用語を、自然選択説として使っているとして私はとったのですが、違うのでしょうか?
違います。ノリリンさんは両者を区別しており、適者生存についてトートロジーと言っているので、自然選択のことを問題にしていません。
むしろJA50さんがそれらを混同して議論しているのではと思ったので割り込んだんです。適者生存について語るのは結構だけど、科学と関係ないよってってことで。
(あんまりはでにやると、あっちの掲示板−なかなか書き込みがないけどね−の方々が、いや〜ねえ、進化論者が仲間争いしてる〜っ!だから進化論は間違いなの−なあんて言われるかも)。
ついでだけど、NATROMさん、創造論者(「創造科学」者かどうかは定かでないが...)の書き物によく、(すばらしい)創造論と(おぞましい)進化論あなたはどちらを選ばれますか式の選択が見られますが、あれもバッサリ斬ってほしいね。
げぼっく、げつっつ
と、コーヒーを吐くじゃないですか・・・
JA59>私は、自然選択説は論理としては真だと思います。
論理として真とは、その形式がトートロジーだということです。
もし、そうじゃなければ、それは検証以前の問題です。
検証するまでもない。<05AJ
は、本気ですか?
『自然選択説=論理としては真=トートロジー』???
『もしトートロジーじゃなければ、検証以前の問題で、検証するまでもない』???
間違えているんです。
分類>ノリリンさんは、自然選択説がトートロジーとは言っていないんでは?
で、ノリリンさんは、適者生存がトートロジーと言っているんです(よね?)<学者
勿論です。そもそも、適者生存は説と呼べるようなものではありません。トートロジーですから。
『2点を最短で結ぶ線が直線である』『直線はその上にある2点の間を最短で結ぶ』のようなユークリッドの公理を誰も説とは言わないようなもんだとおもいますぞ。
>じゃあ、生存にとって重大なる形質としてしまったら...。これはトートロジーですね。<
適者・不適者の定義に”生存にとって重大な”という縛りをつけないなら、適者生存なんてそもそも成立しませんから。
床のJA50さんへ追加
そもそも、自然選択説に何の文句もない。
自然選択説自身が反証可能な科学の間にはいるのかどうかは儂にはすぐにはわからないので、そんなことはまだ議論したくない。(もしはいらないのだとしたら、進化論が非科学なのではなく、反証可能なものが科学という定義が間違っているんだと思う)
真な言明・・・論理学には詳しくないから、記号では書けないが、
『AはAである』『AはAでないものではない』の形の命題はどうしようもなく真です。
トートロジーですけど。
理解できない。
ノリリンさんは「適者生存説」という用語を、自然選択説として使っているとして私はとったのですが、違うのでしょうか?
私の書いたことが「天気がいい日は・・・」と言うのなら、それは私の書き方が悪いのじゃないですか。
そういう意味で書いてはいないのだが、そうだというのなら、それは私の書き方が悪いということで終わりじゃないですか。
適者生存という説というのは、自然選択説を指しているんですよね?
ダーウィンが唱えた説を。
そうじゃないのですか?
私は、自然選択説は論理としては真だと思います。
論理として真とは、その形式がトートロジーだということです。
もし、そうじゃなければ、それは検証以前の問題です。
検証するまでもない。
いい例が2つ下にありますね↓
JA50さん。普段創造論者を相手にしていて、相手が絶対間違っているから簡単でいいでしょう。
でも今回の相手は違います。ちょっとやっかいですよ。
儂がけちをつけているのは、進化論でも自然選択説でもありません。
あなたです。
適者生存がトートロジーじゃないというあなたと、その解説に関してけちを付けているのです。
そしてそれを通して、ポパー主義者ですら都合の悪い反証は認めないと言う例を示そうと思っています。
下を良く読んでくださいよ。床に寝そべって上を見ながら、『ダウンだ、ダウンだ、相手はダウンしている』と叫ぶのは恥ずかしいですよ。
レフェリーも観客もあなたと90°違う向きにいることに気が付いて下さい。
JA50さん 適者生存説(本来、適者生存説なるものは存在しませんから不適切ですね、自然選択説のことを言っているんですよね)というのがトート
ロジー(前件や後件がいかなるものだろうと常に真とか、もっと言えばAはAだというような単なる同義反復)ではないということに反論
しているんですか?
ノリリンさんは、自然選択説がトートロジーとは言っていないんでは?用語がごっちゃになってますね。私が適者生存は使わないというのは、コンセプトも含めて言っているのであって、それを自然選択説と一緒にしたら話しはメチャメチャになりますよ。全然別の事と
考えて下さい。で、ノリリンさんは、適者生存がトートロジーと言っているんです(よね?)形質の場合は、適か不適かわからないものもあるし、ある形質が不適としてもトータルとしては個体が生き残ることはあります(もちろん)。じゃあ、生存にとって重大なる形質として
しまったら...。これはトートロジーですね。生存に不適な形質は存在できないんだから。
あなたは何に反論しているんですか?
何度も聞いてますが。
適者生存説(本来、適者生存説なるものは存在しませんから不適切ですね、自然選択説のことを言っているんですよね)というのがトートロジー(前件や後件がいかなるものだろうと常に真とか、もっと言えばAはAだというような単なる同義反復)ではないということに反論しているんですか?
ここをはっきりさせてくれますか?
それと、ノリリンさんは自然選択説をどういうように理解しているのですか?
まさか、実際に適者生存(つまり生き残るものが生き残るんだ)などという説だと思っているのじゃないですよね。
なお、私は、ワンダウンしたらその科学の仮説は間違っていることになるという、古風で厳密なポパー流の科学観を持っています(ここには5ダウンと限定しない方もいるみたい、じゃいったい何ダウンなんだとその方に聞きたいくらい)。
ですから、自然選択説に一つでも反証例が見つかれば(証明されたら)、自然選択説は反証されたとします。
ただし、「どうも不適な形質みたいだ」というのじゃダメですよ。それをきちんと証明しないといけない。「みたいだ」でいいのなら、「と」な人が既に何度もやっている。
そうそう、ノリリンさんは真な言明ってどういうものだと思っているのですか?
科学の仮説も言明の一つですので、ある形式をとっているはずです。
その形式自体が既に偽であれば、実際に検証するまでもない。
じゃ、その言明自体が真であるとはどういうことでしょう?
ノリリンリンリン@プリリンリンリン@トートロジー(コピー&ペーストしないと間違えるな)
これは4〜5年前のうろ覚えなんですが、研究者が論文をどれだけ誤解しているか、誤解せずに読んでいるか、というデータが話題になり
ました。
なんでも非英語圏者が英語の論文を読むとき誤読する率は数十%、英語圏者でも(こっちはどれくらいかは忘れたが)かなりのものだった
と記憶しています。
あるんだよ、こういうの。うちの奥さんが言ってたけど、有名な社会科学者が英語の意味を取り違えて本書いてるの。T大教授で、よくNXKにもでてくるんだよ。で、うちの奥さん、その人をテレビで見る度に、テレビを指差して「間違ってる」って。
ノリリンリンリン>概念上はあり得ても現実にはあり得ない状況でしか反証できない。特定の形質に関して公平な状況で結果の予測や分析が出来ないのに、反証に絡む系が作れるか?実験や実例として想定できないような場合を持ち出して、それが反証できないのは当たり前だ。反証不能です。<プリリンリンリン
よせばいいんだけど、このくだりは少しわかりにくいかと思って追加します。
反証という行為を何らかの仮説にしようとする場合は、仮説の側が『何々なら、何である』という風に記述できる必要がある。『何々なら』という条件に対して『何である』という特定が出来ないものは反証できない。『アンピシリン耐性遺伝子をもってない細菌なら』→『アンピシリン含有培地には生えない』こういうものなら反証の対象になる(そんなことしたい人がいるかどうかは別として)。試験管(in vitro)の中はやりやすい。
しかし、生物界の複雑な系では、いろんな別の要因が関係してくることがあり得るので、『ある(特定の)不適な形質があったなら』→『そのグループに広く拡がっていると言うことはない』記述するのは極めて不安定だ。
現実には、『ある(特定の)不適な形質があったなら』→『そのグループに広く拡がっていると言うことはない』or『広く拡がっているなら、別の要因と複合してそのグループに広く拡がっている・・という可能性を検討する必要がある』ということになる。
安定してA前提から特定のB結論を引き出せる仮説じゃない限り、反証にかからない。
『この薬がこのA癌に効く』→『このA癌を持つ患者にこの薬を投与すれば効果がある』or(あれ?)『効かないぞ、ど、どうしたんだ?あ、診断を間違えてたあ!』とこんなふうに記述された薬の臨床試験は反証にかからないでしょう?
というわけで、JA50さんの説明による適者生存は反証不能となります。
もっともトートロジーは反証不能もくそもなくて、それ自身として真であるから反証にかかる必要もないとおもうのだが・・・
以上、ポパーにも科学哲学にも論理学にも暗い儂が書いてみました
これは4〜5年前のうろ覚えなんですが、研究者が論文をどれだけ誤解しているか、誤解せずに読んでいるか、というデータが話題になりました。
なんでも非英語圏者が英語の論文を読むとき誤読する率は数十%、英語圏者でも(こっちはどれくらいかは忘れたが)かなりのものだったと記憶しています。
『日本語をちゃんと読める』としたら、『高度な能力を会得したんだあ! わあ〜ぃ』くらいに思っておけば大丈夫・・・かなあ?
げ、レスの相手をノリリンさんにしてしまった・・・
正しくは
>ぽらんさん
です。
最近のヘルメス☆は変だ(前からも、だけど・・・)。
日本語をちゃんと読めるようにしておかないとマズイぞ、自分!!!
ヘルメス>ノリリンさん、DrTMさん
あの「第五の力」発言の大本は私です。(中略)済みません!<☆
いえいえ、儂は全然関係ないので構いませんよ。
JA>結局は、ウンチをつけられたのが気にくわないということですか?
じゃ、なんでインターネット上に公開しているの<AJ
何をおっしゃいますやら・・・『車をパーキングに止めておいて、帰ってきてみたら誰かがウンチを付けていたのを発見した』様な気分だからといって、いやだとは限らないでしょう?まあウンチ自身はいやだけど、これから何か起こりそうな気がしてウキウキすることもあるよ。
儂はちょっと過去ログ読んだからわかったけど、あなたは都合の悪いことはレスしないという評判だそうで・・・まあ、人は評判通りとは限らないんでどうなることやら・・・期待してますよ
あなたはポパーの信奉者で、反証が可能かどうかで科学かどうかが決定されると思っていて、しかも1ダウンでTKOと宣言している人でしょ?
だから、
1)明らかな矛盾を抱えて自己防衛している姿が面白い
2)科学者(に限らず人は)反証があってもなかなか自分の意見と違うものを認めないという良い例になる→面白い
3)暫くネットでの表現の練習をさぼっていたから良いリハビリになる
の3点が私にとって大事なんだ。
付け加えて言えば、インターネットに公開している文章だから、知らない人が読んで何か書かれるのはある程度構わないが、陰で批評を書いた以上本人が来たら相手にするのが礼儀と思うが?
さてさて、今あなたに関して問題なのは『適者生存』がトートロジーかどうかだ。
こんなのは誰が見てもトートロジーだと思うが、JAさんは異論を唱えた。
しかし、その後『ある意味トートロジー』とみとめている。
それじゃあ、適者生存をトートロジーと認めたのかと言えば、その後の書き込みで『無意味なトートロジーではない』と奇妙な言葉を持ち出して誤魔化そうとする。
無意味であろうと無かろうとトートロジーはトートロジー。そうでなければトートロジーの有意味と無意味の区別を示してもらいたいもんだ。
儂には適者生存がトートロジーと認めたくないから誤魔化そうとしているしか思えない。・・・一度認めたのに・・・
これはなんだかあれに似てないかな?ノックダウンを食らったボクサーが、立てなくなっているのに『スリップであぁあ!ダウンじゃないよお。スリップなんだよおお。何で止めるんだよお』と叫んでいる姿に。
まあ、脳に機能の障害があるんだからしょうがないか?
次に問題なのは、『不適な形質なのに、そのグループに広く存在している』としたら、普通の人は『適者生存』の反証がなされたと思うより、”不適な形質なのに、”という最初の判断が実は間違っていたんだと思うでしょう。そう思わないあなたです。
儂は親切だから“不適な形質“というのは”生存に”と足してあげます。それからまあ“重大な“も足してあげます。
親切でしょう?
そうじゃなかったら、『不適な形質なのに、そのグループに広く存在しているとしたらそれは適者生存という仮説の反証になります(JA50)』というあなたの説に従うと、あっという間に適者生存は反証されてしまいますからな。
要するに、この文章は何重にも間違っているんですよ。
まず前に書いたとおり、普通の人は『不適な形質なのに、そのグループに広く存在している』としたら、『適者生存』の反証がなされたと思うより、”不適な形質なのに、”という最初の判断が実は間違っていたんだと思うんだよ。あなた以外は多分みんな。
『ブサイクというのは不適な形質なのに、広く存在している。これにより適者生存の反証がなされた』・・・と思うのは馬鹿のすることだ。笑い話ではないよ。不適な形質があっても広くグループに存在しているとしたら、そりゃ他になんか別の要因が作用していると考えるだろ?
それから、こういうことも言える。『不適な形質なのに、そのグループに広く存在しているとしたら』というケースを具体的に想定できないだろ?そりゃあ、生存にたいして重要じゃない形質なら別だが・・・これは『死んでいるのに生きている屍体が町中に溢れたら』といっているのと同じだ。『足が遅くて気の優しい小さな草食動物がいたら?』・・・う〜ん、これは絶滅しそう?残念でした。これは山羊です。
概念上はあり得ても現実にはあり得ない状況でしか反証できない。特定の形質に関して公平な状況で結果の予測や分析が出来ないのに、反証に絡む系が作れるか?実験や実例として想定できないような場合を持ち出して、それが反証できないのは当たり前だ。反証不能です。
以上のように儂はあなたを
何重にも反証されて、ダウンしているのに、スリップだと叫んでいる1ダウンTKOルールのポパー主義者と命名します。
櫻井さん、かおりさん、お久しぶりです。
でもって現在私たちが用いている聖書の中の「旧約聖書(マソラ本文)」と
「新約聖書でいうところの聖書(こちらは七〇人訳だったりする)」は
全く同じものってわけではなく、しかも私たちはそれらを日本語訳で読んでいるという、
大変に暑苦しい(?)ことになっておるのじゃわ。
因みに題名は「教団」の地元の地区が主催した信徒向けの「聖書講座」で、
講師を務めた牧師が言っていたものです。
櫻井さん、お忙しいのに登場していただきありがとうございました。
私の主張をまとめると...
1.「創造科学」は科学ではないので科学のようなふりをしないほうがいい。
(土俵のうえでバットを振るのは迷惑で滑稽です。)
2.霊的なborn againクリスチャンは、「創造科学」を学び、指示することこそが信仰的であるというプレッシャーを
真面目なクリスチャンに与えることは危険である。
ところで、「創造科学」に転身した科学者のリストはまだかなあ。リストが出てきたら、ひとりひとり問い合わせてみようと思っているのに(科学者で聖書信仰を
もった人のリストではだめですよ。「創造科学」に転身した人でないと。)
ご指摘、ありがとう。
あたし、逐語霊感について言及していたから、カソリックの旧約聖書の方について書いてたの。ごめんね。
(なんたってカソリックは一切の解釈を認めませんからね)
新教は確かにヘブル原典のみよね。
ただし、新教旧約も、構成はアレキサンドリアの配列に基づいてますね。完全にヘブル原典と同じではありません。
日本語に訳されている「旧約聖書」はマソラ注釈による「タナハ」(ヘブル語聖書)の
翻訳で、ギリシャ語「七〇人訳」聖書の翻訳ではありません。
「ヘブル」語原典だって、「ヘブル」語による解釈じゃないんですか?
ますます分からん。
結局は、ウンチをつけられたのが気にくわないということですか?
じゃ、なんでインターネット上に公開しているの?
はじめまして。。偶然のもこの掲示板に辿り着きました。私は、若いときに古生物学を学び、現在創造主を信じる「普通のクリスチャン」です。「創造科学」とやらは科学ではないないので支持しないし、聖書を科学的(合理的)に説明しようとしたり、聖書の間違った解釈(神学)で、科学を否定する神秘主義(説明できないもの)神学や合理主義神学を認めていません。聖書(ユダヤ)の「事実」と現代人(合理主義・科学的)の「事実」は違うことを知ってほしいものです。私はクリスチャンですが進化をすべて否定する者ではありません。
いちおう、聖書学の基本中の基本だけ書いておきましょうね。
あっちの掲示板からあたしを追放したくせに、こそこそ欠席裁判に明け暮れる、
無知なクリスチャンのために。
まず創世記は旧約聖書に載っていますが、旧約聖書のヘブル語の原典は3部から成り立ってます。
第1部が「律法」、第2部は「預言書」、第3部が「諸書」です。
「律法」はJ資料、E資料、D資料、P資料がもとになっている。それぞれ作者が違う。
神の呼び名も違うのね。J資料は神をヤハウェと呼び、E資料、P資料はエロヒムと呼んでいる。
創世記の記述が矛盾してるのも、これらの資料が混在しているからよ。
「預言書」、「諸書」の成り立ちは略しますが、とにかくAD90年のパレスチナのヤムニアで行なわれた
「ヤムニア会議」で「ヘブル正典」が決まったのね。
この他に、「70人訳」というのがあるの。これはBC3世紀半ばにエジプトのアレキサンドリアにいた
ラビたちがヘブル語からギリシャ語に訳して編纂したもので、別名「アレキサンドリア正典」と言われてる。
で、私たちがふだん見る聖書の中の「旧約聖書」(もち、ユダヤ教では旧約なんて言葉は使わないわ)は、
「アレキサンドリア正典」の日本語訳(英語訳)なのよ。
まぁ、何が言いたいかと言うと、ユダヤ教の正典は当然「ヘブル正典」です。原語だもんね。
ユダヤ教から見ればキリスト教なんて、あとから出て来た亜流宗教よ。
だいたいナザレの田舎からひょっこり出て来た、日本でたとえればズーズー弁の田舎者イエスが、
「おらが神ちゃまだべや、あんたらユダヤ教はまちごうとるでぇ」と言うんだから、
信じっこないわよ。だから死刑になっちゃうの、その時代では当たり前よ。
そんな犯罪者の始めたキリスト教から旧約(古い約束)などと言われるんだから、
ユダヤ教は頭来るわね。だから宗教戦争が絶えない。
ああ、横道にそれましたが、要は、クリスチャンは旧約聖書を逐語霊感で信ずるなら、
実は旧約聖書ではダメで、ヘブル正典に立ち返らなければならないのよ。
だって今の旧約聖書は、翻訳ものが原典なんだからね。しかも翻訳だけじゃなく編纂しちゃってる。
編纂とは、すなわち「解釈」なのです!!
「ここをこう組み換えて編集しちゃえば、もっとうまく話がつながるじゃん」ってな感じで、
アレキサンドリア正典ができたわけですからね。
だから、創造科学が聖書にこだわるのは、実はおかしいのです。
たとえるなら、駅前留学したけど、NOVAの講師が日本生まれの日本育ちの外人だったってこと。
(たとえになってない?)
>櫻井さ〜ん、いらっしゃいますか?
忙しくしてま〜す。今、論文の締めきりが2つあって大変です。
>あちらの掲示板(中略:ぷう)で、復活の記事に矛盾はないかたしかめているようだけど...。
>あれは解釈ですね。
そうです。解釈です。まったく彼らは逐語霊感を分かっていません。あれでクリスチャンなのかしら?
>解釈せざるを得ないと認めればいいことでしょ?
そうです。それで矛盾は解消されますからね。
だいたい、人間が書いたものです。しかもイエスが死んでから結構時間がたってから書かれたものです。
しかもあの時代、録音機もビデオもない。そんな状況で、全く4人が同じに書けるわけないじゃん?
それが全く同じ事実を綴っていたら、神はすごいな、ってなるけどね。
まぁ、創造科学も解釈主義に移行すれば、必然的に進化論との調和が始まってくるはずです。
>ノリリンさん、DrTMさん
あの「第五の力」発言の大本は私です。
大昔の物理をやったときの記憶を元に投稿したので、いいかげんもいい所だった・・・
済みません!
今、ヘルメス☆は経済学と経営学の勉強をしているので、もう一度科学系を勉強し直さんとなぁ。
ではでは・・・
>解釈せざるを得ないと認めればいいことでしょ?
初めから認めてます。
nasuさんが認めておられても他の方(「創造科学」の方)がどうか...。
>しかし、どのような解釈をしてもいいとは思いません。
聖書解釈においては一定のルールがあると思います。
そのル−ルとは何かを御説明する必要がありますね。
でも、卑怯ですが、現在、それを模索中です。
不勉強で申し訳ありません。
結局の所、問題は、
1、そのルールとは何なのか。
2、そのルールを正しいとする根拠は何なのか。
というところだと思います。
クリスチャンの間だけなら、「聖霊による」でいいんですが、これもまた繰り返しになりますが、「創造科学」を科学として語ろうとするのならばそれではまずいわけです。
おそらく、私の発言に対するコメントと御推察いたしますので、
簡単にレスをしておきます。
>あれは解釈ですね。
その通り。解釈です。
私の推測も入りまくりですので、私の解釈が正しいと主張する気はありません。
>解釈せざるを得ないと認めればいいことでしょ?
初めから認めてます。
櫻井氏の仰る逐語霊感説(「機械的霊感説」と言い換えることもできます)が
聖書の絶対的権威の根拠となっているわけではありませんので。
そういう意味では、私の立つところは逐語霊感説ではありません。
しかし、どのような解釈をしてもいいとは思いません。
聖書解釈においては一定のルールがあると思います。
そのル−ルとは何かを御説明する必要がありますね。
でも、卑怯ですが、現在、それを模索中です。
不勉強で申し訳ありません。
結局の所、問題は、
1、そのルールとは何なのか。
2、そのルールを正しいとする根拠は何なのか。
というところだと思います。
分類>これじゃ科学になりません。<学者
儂もそう思うわけです。
分類>生存しているのはみな適者。不適者はどこにいってしまったかというと、はじめから存在しないんじゃないでしょうか<学者
もっとも、生まれてから死ぬまでの間は不適なものでも生きています。
その証拠として儂がいます・・・(科学に関係ない自虐)
儂の他にも沢山いるようです・・・(科学に関係ない当て擦り)
そちらの掲示板を進化学者にシャットアウト(または削除)しておきながら、仕方なくここで呼び掛けている者に、犬が吠えていても放っておくなどという言い方はあきれますね。
こちらの質問に答えることができないとしか判断のしようがありません。
NATROMさんが書かれているようにこんなことは私の業績と関係ないんですが、こんなわけのわからない「創造科学」をひとりでも多くのクリスチャンが信じないようにする必要がありますね。
櫻井さ〜ん、いらっしゃいますか?
あちらの掲示板(なんて書くところは、完全にこちらの人間になりきっているな。もっとも、書き込んだところで削除されるだろうな。学者は入れないで学者モドキは歓迎されるからね「創造科学」では)
で、復活の記事に矛盾はないかたしかめているようだけど...。あれは解釈ですね。解釈せざるを得ないと認めればいいことでしょ?
適者、不適者(でいいのかな)の判定はどうやってするか?何に対しての適、不適かというと生存(して子孫を残しその形質を引き継ぐ)するかどうかということでしょう。その判定は生存するかどうかでなされるわけですから、生存しているのはみな適者。不適者はどこにいって
しまったかというと、はじめから存在しないんじゃないでしょうか。これじゃ科学になりません。適応的な形質が残るかどうか、適応的でない形質が残るかどうかは科学になります。
分類>「適者生存」という言葉は「進化論」では使われるかもしれないけれど、「進化生物学」では使わない(使わなくなった?)ですよ。「適応」という言葉は使います。<学者
これは、『(生存するものとしての)適者』と言う概念が、理念としてはつかえて、もとてもサイエンスの現場でつかえるようなものではないからですよね?トートロジーだから
わからんかなあ?
私は最初から言っているように、進化論にも、適者生存にも文句はないですよ。
進化はなかったとかいうのは、おさむい人だし、トートロジーって言うのは絶対正しいんだから、そんなものにけちを付けてどうするんですか?
勿論文句があるのは、あなたに対してです。
『不適な形質なのに、そのグループに広く存在している』としたら、普通の人は『適者生存』の反証がなされたと思うより、”不適な形質なのに、”という最初の判断が実は間違っていたんだと思うでしょう。そう思わないあなたにです。
ですがもっと限定すると、ネット上のことですから、あなたの書き方に対してです。
その理由はもう一回書くと、『車をパーキングに止めておいて、帰ってきてみたら誰かがウンチを付けていたのを発見した』様な気分だからです。
あなたは何に「天気がいいのは、、、」だと言っているんですか?
適者生存という理論の方(分類学者さんから適者生存というのは不適切との指摘があるんで、ダーウィニズムとすべきか、ただこれも本来は不適切)、それともそれを解説した私の書き方の方?
どっちもだというのなら、私の書き方などどうでもいいですから、適者生存ということについてやりますか?
お相手しますよ。
「適者生存」という言葉は「進化論」では使われるかもしれないけれど、「進化生物学」では使わない(使わなくなった?)ですよ。「適応」という言葉は使います。
「適者生存」というのは、個体がトータルとして生き残るかどうか、ですが(種が生き残る、なあんていうと生物学者に笑われますよ)「適応」は形質について(というかその背後の遺伝子)をいっているのであって、その辺の理解がないこと自体が「進化生物学」が正しく伝わっていないという憂いになるわけです。
もちろん「適応」的な形質もあれば、「不適応」な形質もあります。生物はそんなに完璧に創られているわけじゃあないですから(その辺の揺らぎがあることまで含めて完璧といえるかなあ、いえないだろう)。
>ノリリンさんも、ダーウィンの適者生存という仮説が「天気がいいのは・・・」という
>ようなナンセンスなトートロジーではないんだとご存じなら、それでいいのではないで
>すか。
いやいや、良くはないですよ。わからないかなあ?
私は今『車をパーキングに止めておいて、帰ってきてみたら誰かがウンチを付けていたのを発見した』様な気分なんですよ。知らないところで、不完全な揚げ足を取られて、落とされて・・・しかも笑いすらとれてなかった訳ですから・・・
貴方は収束だけを願っているようですが、いい加減ですむような話じゃないですよ。
ナンセンスなトートロジーとナンセンスじゃないトートロジーがあるなんて、有り得ないでしょう。トートロジーはトートロジー。意図がまじめであろうとなかろうと
例えば『遺伝形質は遺伝子が伝達する』・・・もっともらしい!
もし遺伝子で伝達されない遺伝形質があればこれは否定されるからこれはトートロジーじゃないの?だって遺伝子って言うのは遺伝形質を伝達する因子でしょ。だからこれは説としてはなんの意味もない。説としては無意味な文章。
遺伝子の定義みたいなもので、説でも仮説でもない。
『適者が生存する』もおなじ。適者生存なんてのは、生存したのが適者で、適者が生存するんだから、これも説でも仮説でもない。適者の定義みたいなもんだ。(『神が選択し、神の意に叶ったものが生存する』と言う対立概念でもない限りは)
ただ前者と後者が違うのは、今では『遺伝子というのがなにか』がわかったから、前者の方が文章からうける印象がちょっと科学的なだけだ。遺伝子というものには今では遺伝形質をつたえるもの以外の定義や知識がいろいろくっ付いている。
『適者』はどうか? 『適者』に『生存するもの』以外の定義があればいいのだが・・・
たぶんまだ、遺伝子と違って『適者』の内容を説明できまい。
と言うわけで、適者生存というのはトートロジーだと思いますぞ。トートロジーだとすればナンセンスもくそもなく、トートロジーはトートロジーというのがコモンセンス。
一度ある意味トートロジーと認めたものを、無意味なトートロジーとか、有意味なトートロジーとか訳の分からない分類を持ち出して、誤魔化そうとするなんて、1ダウンでKOの人らしくないですよ・・・・まあ、ここら辺の感情というのはさけられないもので、はからずも科学者は反証があっても自説を曲げないという定説を帰納的に支持しているわけですが
ところで貴方の御説の『『しかし、適者生存という用語そのものは、生き残ったものが適者だという言明じゃなく、適者が生き残り、不適者は淘汰されるという言明です。ですから、不適な形質なのに、そのグループに広く存在しているとしたらそれは適者生存という仮説の反証になります。反証になるのですから、トートロジーじゃない。そして、そういう形質が発見されていないから、ダーウィニズムはまだ生き残っているんです。150年以上も、そういう反証に耐えて。(JA50)』ですが、カリカチャじゃわかりにくいでしょうから付け加えましょう。
『不適な形質なのに、そのグループに広く存在している』としたら、普通の人は『適者生存』の反証がなされたと思うより、”不適な形質なのに、”という最初の判断が実は間違っていたんだと思うでしょう。そう思わない人がいたら是非現れていただきたい。
最初の『不適切な形質』という判断が間違っていたと思わない人がそのグループに広く存在していたとしたら、150年以上もダーウィニズムは生き残っていなかったでしょう。
儂は創造論なんかまるっきり信じてないけど、ある時天が真っ黒になり神様が現れて、『天地は我が作った』と言えば信じてしまうでしょう。神様が現れて自分で言ってしまったらどうしようもない。こんな確かな証拠はないですから、『ああ、今までの自分は間違っていた』と反省して考えを改めます。反証があれば考えを改める。科学的であろうがなかろうが、理性的な判断です。
ところが、JA50さんのように、『不適な形質なのに、そのグループに広く存在している』ような、最初の「不適な形質」という判断事態に致命的な反証があるときにすら、『いや、間違っているのは自分の判断じゃない。間違っているのは適者生存という説だ』という人なら、神様が現れるという事態が起こっても、進化論に固執するでしょう。その時にどういう撞着をするかまでは予想がつきませんが・・・
これはある意味、創造論者と同じ境地ですな。同病です。
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