進化論と創造論についての掲示板ログ37

2000年10月16日〜2000年10月24日
トップページに戻る
掲示板ログ36へ
掲示板ログ38へ

適応度のトートロジー>JA50さん 投稿者:wadja  投稿日:10月24日(火)01時22分26秒

私の「適応的」の定義はJA50さんと一緒です。与えられた環境の下で、生存や繁殖に有利。「適応的」=「適応度が高い」でもあります。したがって、自然選択説において、「適応度が高い」ことから予測される結果が、「生き残る子孫の数が多い」となります。

ここで適応度」を「生き残る子孫の数」「と定義してしまうと、「適応度が高い」は「生き残る子孫の数が多い」となります。自然選択説が「適応度の高い種は、より多くの子孫を残せる」ことを言っているのであれば、それは「生き残る子孫の数が多い種は、より多くの子孫を残せる」と同義となってしまいます。この命題は自然選択が介在しなくても常に真ですから、もはや自然選択説とは呼べないような気がするのですが...。

「適応度の高さ」から予測される結果が「子孫の数が多い」ことであるが故に、「子孫の数を」適応度の尺度としているのであって、「子孫の数」で適応度を定義することとは本質的に違うような気がします。


サンタは忘れてください>JA50さん 投稿者:wadja  投稿日:10月24日(火)01時15分55秒

前件→後件の場合(さらに正確に書くと「∀{前件}→{後件}」になるのでしたっけ?)、おっしゃる通り前件は後見の十分条件です。しかし私は、「進化と人間行動」の著者は「広まるでしょう」と言う表現に「必ず広まる」という意味を持たせなかったのだろうと解釈しました。ですから、この著者が上げた条件は、十分条件ではないのだろうと考えました。十分条件でないのなら、「この著者が述べたかったのは必要条件なのだろう。」という、推測をしたにすぎません(その前後の部分も読んでませんので、「こう解釈すべき」なんて、口が裂けても申せませんけれど)。

>遺伝の寄与度がどれくらいかなどというのを現実に測ることはほとんど不可能なのですから、そこに何%以上遺伝以外の影響があれば自然選択説は使えないとかいう条件を持ち込めば、自然選択説が適用できるものはなくなってしまう。

私の書き方が悪かったですね。わたしが言いたかったのは、「1%〜99%といった単位で正確に」測ることは出来ないということです。しかし、大雑把に見積もることはできると思います。大事なのは、議論している当事者が、「これは遺伝以外の影響が相当大きいから、自然選択説で論じることは無駄だ」あるいは「いや、遺伝以外の影響はあるけれども十分に小さいから、自然選択説で論じることに意義はある」と合意できるかどうかではないでしょうか?

>ただ、私としては、最初の「ある生物種にある時点まで見られなかった新しい形質」=「今ま
での個体には見られなかった変異(variation)」というところがひっかかります。

そのはずです。これは敢えて、JA50さんの定義とは異なる「変異」・「形質」の定義を、例示させて頂きました。こういう使い方をしている人もいる、というのはJA50さんもお気づきだと思います。逆にJA50さんの書かれた例での質問なのですが、ヒレの変異と指という新しい形質の境界は何なのでしょう?JA50さんの書きこみからは、「自然淘汰の働く前が変異、後が形質」と取れますが、それでよろしいでしょうか?


ついに私も呼び捨て扱いか?(笑) 投稿者:PDX.  投稿日:10月23日(月)23時33分01秒

To JA50さん

> ヒトでは脳が大きくなったため、子が未熟な状態で産まれてこないといけな
>くなりました。
> これは、Aを脳の巨大化、Bを未熟な子とすれば、PDX.さんの具体例に
>なると思いますが。
> 脳の巨大化というのは適応的、未熟な状態で産まれざるを得ないというのは
>非適応的だできると考えますがどうでしょう?

 ちょっと私の抱いていたイメージとは違う気がします。
 上の例では、AとBが不可分ですよね? もっと独立したものという
イメージで考えていました。
(なんというか、B単体だけで考えているかぎり、どうしてこの形質が
広がったのか説明できないようなイメージです)
 具体例をあげろ、と言われるとなかなか思いつかないのがなんですけ
ど。

> 私が誤解しているのかもしれませんが、普通ならABというのが多数
>を占める前に、AB’というのが多数を占めてしまうと思います。

 いえ、それでは私が想像したものとは異なります。
 あくまでAとBが同一の染色体に乗って広がっていくわけですから、
AがBと同居している限り、B’とは同居できなかったという想定です。
(無論、BがAと同居できたのが偶然であるように離れてしまうのもまた
偶然ですから、Bと離れたAがB’と同居できても不思議ではありません
が、それもまた偶然です。起こるかも知れない、起こらなくても仕方ない)

>Aが集団中に広がっていく時には、Bと一緒に広がるのじゃなく、B’
>と一緒に広がるはず。

 それは、ABとAB’で比較しているからです。
 むしろ、Aより有利でない(不利というわけではないがAほど有利で
はない)A’を考えて、ABとA’B’の比較という方が私のイメージ
に近いと思います。
 あくまでAとB、A’とB’は同一の染色体に乗っているというイメー
ジですので、AB’やA’Bという組み替えは比較的起こりにくいとい
う前提になってしまいますが。


>形質という用語の解釈の違いもあるでしょうが、私はその種がその形質
>を獲得するにあたって、偶然でそれが起こりえるのかどうか、それを問
>題にしています。ある形質が進化してくるのに、偶然では無理だという
>のが私の解釈です。

 私はまったく無理ということはないと思っています。
 ただし、自然淘汰の補助を得られる方が定着も速いだろうし、形質が徹
頭徹尾有利でも不利でもないまま変化せずにいられないだろうとも思いま
すし。
 以前天体の大きさ仮説の話であげたように、1つの要因だけで all or nothing
で考えるのではなく、複数の要因を考慮すべきだと思っているわけですから。

 でもさすがに平行線でお互い得るものが無くなってきましたね。
 この議論も終りにすべきかもしれません。
(そろそろ年賀状も描かないといけませんし(^_^;)


Re:二つ一緒に遺伝>PDX. 投稿者:JA50  投稿日:10月23日(月)18時13分15秒

具体的な例としてPDX.さんがどういうのをイメージしているのか分かりませんが、私は次
ぎのような例を思いつきました。

ヒトでは脳が大きくなったため、子が未熟な状態で産まれてこないといけなくなりました。
これは、Aを脳の巨大化、Bを未熟な子とすれば、PDX.さんの具体例になると思いますが。
脳の巨大化というのは適応的、未熟な状態で産まれざるを得ないというのは非適応的だできる
と考えますがどうでしょう?
また、直立二足歩行に伴う各種の疾患、特に頸椎や腰椎、股関節、膝関節の弱点など、どうで
しょう?

ただ、これらはAとBの有利、不利を差し引きするという話になります。これは違うんですよ
ね?

>ただ、その時点(多数の個体が非適応的と思われる遺伝子を持っている
>が、有利な遺伝子と分離してしまったことで減少しつつある時点)で観察
>したら、『どうしてこんな非適応的な遺伝子が多くみられるのだろう?』
>ということになって、『これは自然選択説が間違っているにちがいない』
>という判断をしてしまうかもしれませんよね?

これは言われる通りかもしれません。
何か具体例はないでしょうか?

私が誤解しているのかもしれませんが、普通ならABというのが多数を占める前に、AB’と
いうのが多数を占めてしまうと思います。
PDX.さんが書かれているように、、、

>私が想定していたシナリオでは、Aが集団中に広がっていく時に、
>それに便乗してBも広がっていく状況ですから。

Aが集団中に広がっていく時には、Bと一緒に広がるのじゃなく、B’と一緒に広がるはず。

>誰も、そんな複雑な構造を持つ器官が、中立なものとして進化するだな
>んて言っていないんですけど。

う〜む、、、

私は、まだPDX.さんが形質ということでどういうイメージを持っているのか分からないで
います。
器官にしろ何にしろそれが複雑であれば中立なものとして進化しえない(つまり適応的なもの
でなければならない)とするが、複雑でなければ、つまり単純なものであれば中立なものも進
化しえるということなのでしょうか?

>「集団中にその形質が広く定着し、祖先種とは異なる種になっていく」という考え
>に立つのであれば、それが有害なものでなければ、偶然に定着してしまうこともあ
>り得るだろう、と思います。

この意味が理解できません。

形質という用語の解釈の違いもあるでしょうが、私はその種がその形質を獲得するにあたって、
偶然でそれが起こりえるのかどうか、それを問題にしています。ある形質が進化してくるのに、
偶然では無理だというのが私の解釈です。
この進化は、進歩とか改良などという意味はありません。複雑になるというような意味もあり
ません。単純化するのも進化ですから。ただ単に、長い時間をかけてできてきたというだけで
す。それが偶然でできるのかと。
たとえ、人から見たら単純な器官に見えようが、それを作り上げるには小さな無数の部品が必
要なのじゃないでしょうか。もしかするとジャンボジェットの部品点数より多いかもしれない。


適応度>wadjaさん 投稿者:JA50  投稿日:10月23日(月)18時12分07秒

>論理的に予測し、それを確認するために「子孫の数で適応度を計測」するようにしないと、「生き残る子供の数が多い」→「適応度が高い」→「子供の数が多い」という、トートロジーに陥ってしまう気がするのです(既にPepperMystさんもこのことは指摘されています)。

どうもよく理解できないのですが、子供の数が多いんだから、それが増えるというのは当然の
話だと思います。これがトートロジーかどうかは別にして、これは論理的帰結そのものです。
そして、その(次世代に寄与する)子供の数がどれくらいかということを適応度と定義し、そ
の適応度を高めることを適応的とすると定義しただけの話です。ここのどこに同語反復がある
のかよく理解できない。
それと、ある仮説、つまり命題自体に論理的な不整合があれば、それは科学の仮説かどうか以
前の問題だと思います。あえて言えば、仮説がトートロジーかどうか、それが問題なのではな
い。論理学上、真であるとはトートロジーであることを証明することなんですから、ある言明
がトートロジーじゃないとしたら、それこそおかしいことになる。

科学の仮説なら、その後が問題なのではないでしょうか。実際にそうかどうか。それが反証可
能なのかどうか。
私はそこで、非適応的な形質が進化したことが証明されたら、それは自然選択説の反証になる
と言っているんですが、そうじゃないという人たちがいる。自然選択説は自然淘汰で適応的な
形質が進化するという説だというのは同じですが(ただし、中には非適応的な形質も自然選択
で進化しえるとしている人もいる)、自然選択説は適応的な形質の進化にだけ適用でき、そう
じゃない形質については対象範囲外だと言う。
自然選択説は自然選択で適応的な形質が進化するという説だ、そして適応的じゃない形質は自
然選択説の対象範囲外だとしたら、いったいどうやって反証するんでしょうか?

wadjaさんは、「進化と人間行動」で書かれている「適応は、ある特定の条件のもとで、生存上
有利な形質を身につけることですから、定義上、自然淘汰のみが適応を生み出せることになり
ます」(P29)をどういうように解釈しますか?
なぜ、「定義上」なのでしょう?
なぜ、「自然淘汰のみ」なのでしょう?
ここでの適応の定義、「生存上有利な」というのは「適応度を高める」ことそのものじゃない
でしょうか。
だからこそ「定義上」だし「自然淘汰のみ」なんだと、私は解釈したのですが。

>つまり、「適応的」かどうかは、「形態、生理、行動(私なら環境も付け加えますが、)などを分析することで事前に予測」することで判定できます。

「形態、生理、行動、環境などを分析して」というのは分かるのですが、分からないのは、分
析してどうであれば「適応的」なのかということです。
例えば、形態を分析して、大きければなのでしょうか、それとも小さければなのでしょうか?
生理でも同じです。機能さえあれば全て適応的なのでしょうか?

大きければ適応的とかいうのじゃなく、大きいことがその個体の生存や繁殖に有利(つまり適
応度を高める場合)であってはじめて適応的と言うのだ、また、機能さえあれば何でも適応的
というのじゃなく、その機能がその個体の生存や繁殖に有利(適応度を高める場合)であって
はじめて適応的とされるのだ、というのなら、それは私の適応的ということの定義と同じにな
ります。


Re:遺伝が関与する割合>wadjaさん 投稿者:JA50  投稿日:10月23日(月)18時10分57秒

>「進化と人間行動」の著者が「条件が揃えば、広まっていくでしょう」と書いた場合、著者が真に言いたいことは、「こういう条件がそろえば(必ず)広まる」とういうことではなく、「広まるためにはこういう条件が最低限必要」とい解釈ができるなと思っただけです。

サンタの話はよけいこんがらがりました。

なお、よく分からないので考えてみますというのは、wadjaさんの言われることが正しく思える
のだが、いまいちおかしいような感じがするということなんです。

「広まるためにはこういう条件が最低限必要」というのは、前件が必要条件だということなん
でしょうか?
前にも書きましたが、前件→後件が真の場合、前件は後件であるための十分条件で、必要条件
じゃないですよね?

もし十分条件ということなら、条件がそろえば「十分」広まるでしょう、という意味になり、
この場合の「でしょう」は未来形だとなりませんか?

>「行動形式に対する遺伝の寄与度」を1%〜99%といった単位で測ることは、現実には不可能だろうと思います。

その通りです。
人間の行動だけに限りません。形態もそうだし、さらに人間だけに限らない。他の生物すべて
について同じことが言えます。
遺伝の寄与度がどれくらいかなどというのを現実に測ることはほとんど不可能なのですから、
そこに何%以上遺伝以外の影響があれば自然選択説は使えないとかいう条件を持ち込めば、自
然選択説が適用できるものはなくなってしまう。

>自信はありませんが、「ある生物種にある時点まで見られなかった新しい形質」=「今までの個体には見られなかった変異(variation)」=「突然変異(mutation)」であり、形質の中の部分集合として変異を、変異の部分集合として突然変異を捉えることも、あながち誤りとは言えない気がします。

なるほど、、、

ただ、私としては、最初の「ある生物種にある時点まで見られなかった新しい形質」=「今ま
での個体には見られなかった変異(variation)」というところがひっかかります。
自然淘汰が対象としている変異は種内変異(その種における個体間の違い)です。陸上脊椎動
物が上陸する時に、指というそれまでなかった新しい形質ができた例で考えてみます。それま
ではヒレだった。そのヒレを構成している骨が強くなり、かつ切れ込みができて、指と言われ
るものになっていったとします。
で、その最初の段階、骨がより強いとか、切れ込みが入ったとかいうのは、それらがないのと
比べればそれは個体間の差ですから、変異と呼ぶべきだし、その変異に適応度の差があれば自
然淘汰働くことになる。その結果として(変化を伴う由来)、指という新しい形質ができたと。
ここの「形質」という言葉を「変異」に変えてはおかしいですし、逆も同じじゃないでしょう
か。

>もともと「変異」という日本語には、「時間の経過とともに変化した」ようなイメージがあるため、訳語としては適当ではないのかもしれませんね。

突然変異の突然は、時間の経過とともにというのに合わないですね。


Re:残念ですが>masayukiさん 投稿者:JA50  投稿日:10月23日(月)18時08分40秒

それは私も同じで、私としては解釈が皆違うというのが分かったことは有意義です。

素人同士なんですから、自分の考えが正しいなどと思うのは思い上がりというものです。
あくまでも自分はこう考えているというので終わり。
私もmasayukiさんも。


新人類 投稿者:wadja  投稿日:10月23日(月)12時10分17秒

電波系としか感じなかった。


Re:新人類の生命論 投稿者:PepperMyst  投稿日:10月23日(月)05時47分06秒

舞さん>
> 書いている割には、ここ(NATROM氏運営の)で話し合
> われたことが大量にネタとして利用されている。まるごと引
> 用されているとまで感じられる部分もある。
私の発言をそっくり引用しながら、その状況、対象を摩り替えておき、
>反進化論の言っている事は確かにこれに似ているが、前提や条件が異なる。
などとほざいてますな。しかもご丁寧に
>◇収束と発散〜飛行機事故の摩り替え議論
というタイトルまでつけて。
こういうことをされると天誅を下す神がいないのが残念に思えてきます。


新人類の生命論 投稿者:  投稿日:10月23日(月)02時51分52秒

ここのLink集にもあるので読んでみたら、「このサイト
(=新人類の生命論)について他で議論するな」などと
書いている割には、ここ(NATROM氏運営の)で話し合
われたことが大量にネタとして利用されている。まるごと引
用されているとまで感じられる部分もある。その態度に非常
に疑問を感じる〜

あえて、感想を言わせてもらうと、進化論批判にはほとんど
新味が無く、全体にこじつけでみちあふれている感じ。作成者
は、さかんに感性やら右脳思考を強調しているが、作成者の
生命科学についての知識や感性には非常に疑問を感じた。


ちょっと実験 投稿者:PDX.  投稿日:10月22日(日)12時46分27秒

 文字化けするかどうかの実験です。
 掲示板での議論とは無関係な記事ですがお許しを。
(…ある程度長くないと化けない、とかだったら嫌だなぁ…)


指の数 投稿者:  投稿日:10月22日(日)00時59分37秒

の決定に関わる遺伝子として、ホメオボックス遺伝子のHoxD13,
HoxA13などがあるようです。おそらく他にもあると思われます。
(前にも紹介した「新形づくりの分子メカニズム」羊土社 より)
発生は守備範囲外で、はっきりいって苦手ですが、進化の理解には一番
良いかも。上記の本は、高度な内容を平易に解説してあり、お薦めです
(要、分子生物学の知識)。

同書、P134に極めて示唆に富んだ文章がありますので、一部引用します。

『 (前略)ショウジョウバエの変異体の研究から発見されたホメオ
ボックス遺伝子のホモログが脊椎動物にも存在し、機能的にも相補性
を持つことが報告されている。このことは、異なる進化の過程を経て
きた昆虫と脊椎動物に共通した先祖の生物が存在し、その生物はホメ
オボックス遺伝子を持ち、それらの遺伝子を使った発生のプログラム
を持っていたことを示唆している。共通の先祖の生物が持っていた遺
伝子と発生のプログラムが進化することで、現存する多様な生物が生
じてきたと考えられる.....(後略)            』



RE:難しい 投稿者:PepperMyst  投稿日:10月22日(日)00時45分44秒

>創造論のほうは、何の疑問もなく受け入れられそう。
「何の疑問もなく」受け入れるのでは科学の精神に反しますから。
自分で考えなくていいというのはたしかに楽なことですがね。
難しいとあきらめてしまわず、疑問点をどんどん聞いていけば難しくなくなるでしょう。たぶん。
#・・・はじめっから聴く気の無いヒトもいるようですが。


今度は大丈夫かな?(^_^; 投稿者:PDX.  投稿日:10月21日(土)23時37分33秒

 文字化け記事の再投稿。
 ついでにリライトしておりますのでお許しを。

To JA50さん

>2つ一緒に遺伝するというのはPDX.さんの議論における前提条件な
>んですよね?

 非適応的な形質が集団中に定着し得る可能性の一番高そうなものという
仮説です。

> そう仮定して、そういう場合は非適応的な変異でも、適応的な変異と
>一緒になって広がり固定されることがあるはずだとPDX.さんは主張
>しているんだと解釈したんですが、、、

 その解釈で結構です。

>もし、Aという適応的な遺伝子とBという非適応的な遺伝子が分離する
>こともあると仮定するのなら、一緒に遺伝してしまう場合に比べ、分離
>してBという非適応的な遺伝子を伴なっていない個体の方が増加してい
>くのではないでしょうか。

 当然そうでしょう。
 ただ、その時点(多数の個体が非適応的と思われる遺伝子を持っている
が、有利な遺伝子と分離してしまったことで減少しつつある時点)で観察
したら、『どうしてこんな非適応的な遺伝子が多くみられるのだろう?』
ということになって、『これは自然選択説が間違っているにちがいない』
という判断をしてしまうかもしれませんよね?
 まぁ、継続的に観察していくことで不利な形質を持つ個体が淘汰されて
いくでしょうからその判断はいずれ覆されるでしょうが。

> それに、Bという遺伝子の頻度変化についての議論なら、その対立遺
>伝子B’(これは非適応的ではない)との間で考えるべきことじゃない
>かと思うのですが。

 いいえ。それだけでは足りないと思います。

>ABという遺伝子型を持つ個体と、AB’という遺伝子型を持つ個体の
>間で適応度の差を見るんです。

 これだと、集団中にAは既に定着してしまっているからです。
 私が想定していたシナリオでは、Aが集団中に広がっていく時に、
それに便乗してBも広がっていく状況ですから。


 指の本数の話。

>これは確かめようがありませんから、反証例としても、逆に根拠として
>も使えないように思います。

 了解いたしました。
 指の本数の件に関してはお互い確証がない、ということでこれ以上の議論は
無意味でしょうから、これで終わりにします。


> 中立な形質(何の役にも立たない形質という意味です)が進化しえるなどと
>いうのは、私には、例えば、全く光のない所で目が進化してくるような途方も
>ないことと同じように思えるんです。
   
 誰も、そんな複雑な構造を持つ器官が、中立なものとして進化するだな
んて言っていないんですけど。
『進化』という言葉に、『進歩』『改良』という概念をもちこまず、「集団
中にその形質が広く定着し、祖先種とは異なる種になっていく」という考え
に立つのであれば、それが有害なものでなければ、偶然に定着してしまうこ
ともあり得るだろう、と思います。



あうっ(汗) 投稿者:PDX.  投稿日:10月21日(土)23時18分10秒

 本当だ(汗)
 投稿した時、ブラウザの文字コード設定がおかしかったのかな(汗)


無恥な私2 投稿者:難しいけど…  投稿日:10月21日(土)23時13分28秒

それは、創造論者の話が頭の中だけで構築されたものだからでしょう。

勧善懲悪の単純な「お話」の方が誰が本当の悪人だか分からない現実の事件よりわかりやすいのと同じだと思います。

#PDX.さんの書き込み、確かに文字化けしてますね


難しい 投稿者:無知な私  投稿日:10月21日(土)22時44分12秒

無知な私としては、進化論者さんの言ってることは、難しいです。
変にこじつけてるような気がします。
創造論のほうは、何の疑問もなく受け入れられそう。


適応度>JA50さん 投稿者:wadja  投稿日:10月21日(土)22時03分40秒

masayukiさんの使われた「相対的適応度」を私は誤解してました。良く、ご本人の書きこみを理解してから用いるべきでした。申し訳ありません。

>「その変異自体は適応的なものではなく」となぜできるのかが私には理解できないんです。
広がりそして最終的に固定したというその変異が、「適応的なものでない」ことは、どうやっ
て判定したんでしょうか?

これに関しては、PepperMystさんが良い引用をしてくださったので、孫引させていただきます。

『適応度――この場合でいえば秀でた適応――は、事後に生存したかどうかで定義することはできない。それは、形態、生理、行動などを分析することで事前に予測できなければならない。』スティーブン=ジェイ=グールド、ワンダフル・ライフ3章

つまり、「適応的」かどうかは、「形態、生理、行動(私なら環境も付け加えますが、)などを分析することで事前に予測」することで判定できます。以前NATROMさんが、「論理的帰結」と呼ばれていたのはそう言うことではないでしょうか?論理的に予測し、それを確認するために「子孫の数で適応度を計測」するようにしないと、「生き残る子供の数が多い」→「適応度が高い」→「子供の数が多い」という、トートロジーに陥ってしまう気がするのです(既にPepperMystさんもこのことは指摘されています)。

もちろんそういった定性的な分析の結果得た結論は、定量的に得られた証明ほど、万人の賛成をえられる代物ではないと思います。「どうしてそれが適応的でなかったと言いきれるのか」と、問い詰められれば、「適応的だった」可能性は排除できないのでJA50さんの言われる厳密な意味での証明は不可能になってしまいます。


遺伝が関与する割合>JA50さん 投稿者:wadja  投稿日:10月21日(土)22時01分36秒

>>(A)「1)から4)の条件のうち、どれかひとつが満たされない」→「自然淘汰は働かない」ということであって、(B)「1)から4)の条件が全て満たされる」→「自然淘汰が働き、変異が広まる」では無いのでは?ということです。

>う〜む、、、
いまいち理解できません。しばらく考えてみます。

上手く説明できなくて申し訳ありません。「進化と人間行動」の著者が「条件が揃えば、広まっていくでしょう」と書いた場合、著者が真に言いたいことは、「こういう条件がそろえば(必ず)広まる」とういうことではなく、「広まるためにはこういう条件が最低限必要」とい解釈ができるなと思っただけです。「良い子にしていれば、サンタさんがプレゼントを持って来てくれるよ」と、子供に言うとき、「プレゼントがほしけりゃ、良い子にしな!」が本意であるように(よけいに分かりにくいかもしれませんが...)。

>遺伝が関与している割合はどれほどかということです。

そういう意味でしたか。ある行動形式に対する「遺伝の寄与度」と、いったような意味ですか。そういう意味であれば「遺伝するかしないかの二つに一つ」という、私の答えは意味をなしませんね。

しかし、「行動形式に対する遺伝の寄与度」を1%〜99%といった単位で測ることは、現実には不可能だろうと思います。特に人間のように行動の多様性が多い動物は、行動パターンに遺伝が関与することはあるのでしょうが、一つの行動に対しても多くの遺伝子が異なる寄与度で関与している可能性が高いですし、遺伝子以外の外部環境(例えば文化といった)の影響も他の動物以上に大きいことが想像できます。

このような場合は、あくまでも主観的に「これは遺伝の影響の方が大きい」だろうとか、「これは文化的な影響の方が、圧倒的に大きいだろう」とか判断するしかないでしょうね。ですから、「少子化」に関して、自然選択説が適用できるかどうかは、主観的な論争にならざるを得ないと思います。

こう考えていくと、「明らかに遺伝による影響が大部分(これも客観的基準は示せませんが)を占める」場合を除いては、「自然選択説の適用には、慎重であるべき」だと、私は思います。

>ところで、wadjaさんは、形質の方はどう解釈していますか?
自然選択説における形質の定義とはどういうものだと考えていますか?

「形質」という言葉は、生物学をちゃんと勉強したことの無い私にとっては、未だに非常に漠然とした言葉です。あるHPでは「生物は形質の集合だと思えばいい」なんて表現も見かけました。この掲示板に限らず、人によって、あるいは状況によって、使い方が微妙に違うような気がします。ただ、非常に曖昧であることを前提として、漠然と生物の特徴を指し示す時に使用される人が多いと思います。ですから、自然選択説を語る上で、「形質はかく定義されるべし」といった見解は、私にはありません。

自信はありませんが、「ある生物種にある時点まで見られなかった新しい形質」=「今までの個体には見られなかった変異(variation)」=「突然変異(mutation)」であり、形質の中の部分集合として変異を、変異の部分集合として突然変異を捉えることも、あながち誤りとは言えない気がします。横レスになってしまいますが、そう考えれば、masayukiさんの引用された(その前はPDX.さん?)、

>トリバースの
「すべての形質はある種の中で希な状態から出発しなければならず、その形質を持つ個体の生存率や繁殖率を高める場合に限って、頻度を増すことができる」

にある、「形質がある種の中で(まだ)希な状態(にある時)」を「変異」と呼ぶことも理解できます。

#もともと「変異」という日本語には、「時間の経過とともに変化した」ようなイメージがあるため、訳語としては適当ではないのかもしれませんね。専門家の方たちはいかがお考えでしょう?


文字化け? 投稿者:wadja  投稿日:10月21日(土)21時58分04秒

わたしのPCだけかな?PDX.さんの書き込み↓文字化けしてません?


Re:・・・柿・鮴發梁丶苳旨 投稿者:PDX.  投稿日:10月21日(土)19時28分27秒

To JA50さん

>2つ一緒に遺伝するというのはPDX.さんの議論における前提条件なんですよね?

 前提というのは、あくまで『非適応的な変異が集団に広がる(可能性のある)
理由として、適応的な変異に相乗りすることもありうる』ということとして王踉サ
さい。
(常に相乗りするとか思っているわけではありませんので(^_^;)

> そう仮定して、そういう場合は非適応的な変異でも、適応的な変異と一緒になって
>広がり固定されることがあるはずだとPDX.さんは・・臘イ靴討い襪鵑世伐鬢踉氏したん
>ですが、、、

 基本的に上の解・・瓩農気靴い任后」

> もし、Aという適応的な遺伝子とBという非適応的な遺伝子が分離することもある
>と仮定するのなら、一緒に遺伝してしまう場合に比べ、分離してBという非適応的な
>遺伝子を筈踉擦覆辰討い覆じ賃里諒・・・辰靴討い・里任呂覆い任靴腓Δ・」

 はい、その両・・圓・ス腓垢覺超C覆蕕修Δ世隼廚い泙后」
 また、仮にこの両・・圓・嵶イ気譴討い燭箸靴討癲・鹽・・・複造箸いΠ篥岨劼・br> もつ個体は淘汰されていくでしょう。
 ただ、可能性として『相乗りしていたために十分広がったBが、Aと分離した
がまだ日が浅く、現在減りつつある』という状態で観察をしてしまうと、『非適
応的な形・・舛・蠱紊靴討い襦・踉捌然選択説は反証された』という誤断に繋がりかね
ませんが。

 無論、JA50さんの仮定は、上記のような場合は現在淘汰が進行しているかもし
れないので、安定するまで慎重に観察すべき、という段階だと思いますが。
(『非適応的な形・・舛・兒,気譴燭蕁▽踉捌然選択説が反証される』という程度の曖昧
な表現だと、こういう意地悪な読み方ができてしまうということで)

>それに、Bという遺伝子の頻度変化についての議論なら、その対立遺伝子B’(こ
>れは非適応的ではない)との間で考えるべきことじゃないかと思うのですが。

 対立遺伝子が存在しないケ・踉札垢蝋佑┐覆・討茲い里任靴腓Δ・ゥ
 今まで機能していなかった偽遺伝子がたまたま発現して有害な変異になった
というようなケ・踉札垢世函・侘・篥岨劼・減澆靴覆い箸發箸譴泙垢・」
(発現していない遺伝子は・・・柿・鬚砲・・蕕覆い里任垢・蕁ヒ


> 指があること、その数が4本だろうが5本だろうが、その指が進化してくるについ
>ては、長い・・・柿・鬚砲茲襦覆弔泙蠹・・・覆發里・・鬚気譴箸いΑ卜鮖砲・△襪呂コ
>です。まさに変化を筈踉擦Α閉垢ぁ僕獲茲任后」

『指があること』を形・・舛箸澆覆垢箸修Δ任垢茲諭」
『指が4本あること』と『指が5本あること』は変異でしかないのですか?
 ある・・錣砲・い討修陸踉誌は指が5本しかない場合、『指が5本あること』は
形・・舛箸呂澆覆擦襪里任靴腓Δ・ゥ

> ただし、・・尊櫃烹緩椶筍極椶繁榲・謀・・戮忘垢・覆・辰燭里・匹Δ・亙・・蠅泙擦・br> >よ。ここはあくまでも差がないという仮定の話です。

 そうですね。
 ただ、私には5本が適応的だったという根拠が・・┐擦泙擦鵑掘∈・泙任貿・・得
のできる回答を見たこともありません。
(現に現生の両生は4本指で問題無くやっていますし)

> これは確かめようがありませんから、反証例としても、逆に根拠としても使
>えないように思います。

 了解いたしました。
 指の本数の件に関してはお互い確証がない、ということでこれ以上の議論は
無意味でしょうから、これで終わりにします。


> 中立な形・・繊焚燭量鬚砲睥・燭覆し薦踉餐という意味です)が進化しえるなどとい
>うのは、私には、例えば、全く光のない所で目が進化してくるような途方もない
>ことと同じように思えるんです。

 中立な形・・舛・△修譴海縮椶里茲Δ癖・┐嚢眦戮貌嘆修気譴燭發里砲覆襪海箸マ
ないだろうと思います。
 ただ、『進化』という言葉の定義を、『進歩』『改良』という概念から切り離
して、「集団中にその形・・舛・C・圓d呂蝓∩沈荀踉誌と異なる形・・舛陸踉誌になること」
とするのであれば、それが有害でないのであれば、偶然に定着してしまうことは
あり得るだろう、と思います。


残念ですが>JA50さん 投稿者:masayuki  投稿日:10月21日(土)18時38分52秒

私の言いたいことがどうも良く伝わらないようだ。同じ事を言葉を換え、引用をあげ、なるべく理解して貰おうとしてみたけれど、無駄だったようですね。
JA50さんには申し訳ないのですが、仕事の都合などでレスにかける時間がなかなかとれない状況ですし、他の文献なども当たってみたいので、しばらくROMします。
私にとっては有益な議論でした。ありがとう。


Re:形質と変異>masayukiさん 投稿者:JA50  投稿日:10月21日(土)18時06分35秒

>形質というのは、個体差があることはJA50さんも理解されていると思います。

もちろんそうです。その個体差を変異と何度も言っております。

ただ、なぜこうなるのか理解できない。
>何度も言いますが、形質の変異も形質である、と理解しているだけです。

変異も形質である?
形質の個体差を変異とmasayukiさんは定義したのに、それを形質だとまたするんですか、、、

「形質の個体差=変異=形質」

どういうことなんでしょう、さっぱり理解できない。

>「すべての形質はある種の中で希な状態から出発しなければならず、その形質を持つ個体の生存率や繁殖率を高める場合に限って、頻度を増すことができる」

これが「形質=変異」の例?
意味が理解できない。
トリバースは形質と書いています。変異じゃありません。それをなぜmasayukiさんは「形質=
変異」と勝手にしてしまうのでしょうか?

>安賀須さんのかき込みはJA50さんの主張とは相容れないものが多いと思いますが、なぜ無視するのでしょうか。

レスするなと書いている人にレスしろと言われるのですか?

メッセージを挙げているくせにレスするなと言うことほど無責任なことはありません。
こういう人に限って、レスするとあなたあてのメッセージじゃないと言ったりする。
また、自分のメッセージを削除することもそうです。
同一メッセージを2重にアップしたようなものは削除するのもしかたないですが、メッセージ
を削除したら責任は負わないでいいんだという、これも無責任なところの現れでしょう。
消えると言ってすぐ前言を翻して出てきたり(恥ずかしながらと言いながら出てきたときには
笑ってしまいました)。

勝手にやったんさいとするしかないと思いますけど、、、


Re:遺伝的浮動など>masayukiさん 投稿者:JA50  投稿日:10月21日(土)18時05分44秒

>この章で、特にこの節で木村が述べている内容は、中立節の説明ではありません。集団遺伝学の基礎的な概念である、遺伝的浮動について解説した節です。中立説については次の章からですよ。

私は、中立説を表現型レベルの進化に適用するのは慎重であるべきだと言っているのですが、、、

>遺伝的浮動と中立説とは切り離して考えて下さい。

切り離せって、私は「中立説は」と最初から言っているんですけど、、、

前から言っているように、集団遺伝学で遺伝的浮動がどのように理解され、それが表現型レベ
ルの進化にどう使えるのか、私は知りません。集団遺伝学には私は無知ですので。そういう私
が、集団遺伝学に詳しいらしいお人の使えるという主張に、使えないなどと反論するつもりは
ありません。もし、遺伝的浮動というのを、表現型レベルの進化に適用した文献があるのなら、
教えてほしいくらいです。それについて詳しく解説してある文献をです。「進化論の見方」に
これこれと書かれているとかいうのじゃなく、きちんと解説してある文献を。
あるいは、何の役にも立っていない形質(中立な形質)が、その遺伝的浮動なるものでいった
いどうやって進化してきえたのか、解説してほしいものです。

ただし、これも前にも書いたことですが、数学モデルで突然変異遺伝子となっているのを表現
型レベルの変異というように勝手に変えるのは間違っています。もしそうしたいというのなら、
最初から表現型レベルの変異となっているモデルを捜してくるか、そういうのがないのなら別
個に自分で作るかすべきです。

>集団遺伝学は理解できないとか言う前に勉強して下さい。現在の進化学は、集団遺伝学抜きではちゃんと理解できないと思いますよ。

そうですか。
ところでmasayukiさんは、集団遺伝学を理解できているのでしょうか?
もし、そうならいろいろ教えて欲しいのですが、いいですか?

>「適応度=次世代に寄与する子の数」を左右する条件に偶然的浮動を誤差範囲として考えた場合はJA50さんと同じ結果になりますが、集団が小さい場合、例えば他の地域と隔絶していて遺伝子の交流が無く、近親婚の影響が強くでるような場合、必ずしも適応的な変異を持つ個体の次世代に寄与する子の数が多くなるとは限らないわけです。

意味が理解できない。
「偶然的浮動を誤差範囲として考えた場合」ってどういう意味なんでしょう?

それと、ここにある「適応的な変異」という「適応的」というのは、何をもって適応的として
いるのでしょうか?
適応度が1より大きいことですか、それとも研究者なりがその変異が役立っていそうに見える
ことをもって適応的としているのですか?
前者ならば、適応度が1より大きいのに、どうして「次世代に寄与する子の数」が多くならな
いのでしょう?

少数の例外を除き、生物集団というのは、その全体の個体数というのはほとんど変わっていな
いものです。だからこそ、masayukiさんの言う絶対的適応度と相対的適応度をそれほど区別し
ないでも話が通じるんじゃないですか。
ですから、ほとんどの場合(相対的だろうが絶対的だろうが)、適応度が1とは次世代に寄与
する子の数が親の数と同数の場合です。1以下なら次世代に寄与する子の数が減少しているし、
1以上なら増えている。そして、1以上であることを適応的と定義するのなら、適応的なら次
世代に寄与する子の数は必ず増えていないとおかしい。そのように適応的という用語を定義し
たんですから。
適応的というのを、適応度で定義しないのなら、どういう定義によるのか、教えて下さい。
その場合は、話は別です。

>集団に対しての比率は、世代を重ねるごとにひらいていきますが、消えていくことはありますか?

どういう計算をmasayukiさんがされているのか、いまいち理解できないのですが、masayukiさ
んの言われる相対的適応度が1以上だが絶対的適応度が1以下という場合が、集団全体の個体
数が減少している場合にはあり得ると思います。
集団全体の個体数が減少しているんですから、いつかはその生物は絶滅してしまいます。


Re:自然選択説の対象>PDX.さん 投稿者:JA50  投稿日:10月21日(土)18時04分27秒

>そうすると、結局はその個体全体を持って適応的かそうでないか
>をみなす必要に迫られて、個々の形質ごとに適応的かそうでないか
>という判断がくだせないのでは…?

2つ一緒に遺伝するというのはPDX.さんの議論における前提条件なんですよね?
そう仮定して、そういう場合は非適応的な変異でも、適応的な変異と一緒になって広がり固定
されることがあるはずだとPDX.さんは主張しているんだと解釈したんですが、、、
もし、Aという適応的な遺伝子とBという非適応的な遺伝子が分離することもあると仮定する
のなら、一緒に遺伝してしまう場合に比べ、分離してBという非適応的な遺伝子を伴なってい
ない個体の方が増加していくのではないでしょうか。

それに、Bという遺伝子の頻度変化についての議論なら、その対立遺伝子B’(これは非適応
的ではない)との間で考えるべきことじゃないかと思うのですが。
ABという遺伝子型を持つ個体と、AB’という遺伝子型を持つ個体の間で適応度の差を見る
んです(AとB、AとB’は常に一緒に遺伝する、これはそう仮定している)。もしAB’と
いう遺伝子型を持つ個体の方の適応度が高いとなれば、これが増加し、ABという遺伝子型を
持つ個体はその集団から消えていき、ついにはAB’という個体のみとなっていくだろうとい
うように。

>なるほど。私と JA50 さんの考え方の違いがまた一つわかりました。
>ここにおいて『中立的』という言葉を、JA50さんは絶対的な基準で
>見ていますよね?

PDX.さんのイメージしている「絶対的な基準」というのが私のイメージしているものと同
じか確証はありませんが、たぶんこの答えはイエスでしょう。
4本も6本も5本と同じ程度に適応的だと仮定しているんですから、もし4本になったとして
もその4本であることは5本であることと同じ程度に適応的です。
指があること、その数が4本だろうが5本だろうが、その指が進化してくるについては、長い
自然選択による(つまり適応的なものが選択されという)歴史があるはずです。まさに変化を
伴う(長い)由来です。

>同程度に役に立つのに、なぜ5本指が固定したのか、相対的に中立
>であるのに固定した理由を、(4本や6本で固定しなかった理由を)
>自然選択説で説明できますか?

4本や6本との間で適応度の差がないと仮定しているのなら、自然選択説では説明できないで
す(というのが私の自然選択説解釈で、非適応的な形質も自然選択説で進化しえると解釈して
いる人なら説明できると答えるかもしれませんが、私には無理です)。
ただし、実際に4本や6本と本当に適応度に差がなかったのかどうかは分かりませんよ。ここ
はあくまでも差がないという仮定の話です。
手の指の数という形質が、いつ5本ということになり他の変異が消えてしまったのか、私は分
かりませんが(デボン紀という記載がある本を見つけました)、その時生きていた祖先には5
本という数が、4本とか6本、あるいは8本などよりは適応的だったのかもしれない。これは
確かめようがありませんから、反証例としても、逆に根拠としても使えないように思います。

中立な形質(何の役にも立たない形質という意味です)が進化しえるなどというのは、私には、
例えば、全く光のない所で目が進化してくるような途方もないことと同じように思えるんです。
それこそ、ジャンボジェットがガラクタ置き場の中で偶然にできるような。


根拠は何? 投稿者:masayuki  投稿日:10月21日(土)15時49分06秒

自然選択が生物の進化上、重要なメカニズムであることは、私はもちろんこの掲示板の参加者のほぼ全員が認めていることであると思います。そしてそれが進化の絶対的法則でないことも。(JA50氏も含めて)
それなのに何故JA50氏が形質の進化に限定して自然選択を絶対的法則にしているのか。彼の主張がこれほど多くの批判を浴びて尚抵抗できるバックボーンはなんなのかそれが良くわかりません。
私は素人だから、自分の主張の根拠は専門家の著作物や研究を中心にしたものです。色々な学説がある中で、もっとも合理的と考えられるものを自分なりに選択して自分の主張を組み立てています。
JA50氏は自ら集団遺伝学に無知と言っていましたが、これを無視して自然選択説を説明しようとすることに、そもそも無理があるのではと思われます。木村や長谷川の著作の一文を持ってきて自分の主張の根拠としていますが、全体を読むとそれが誤解であることは明らかになりました。後はトリバースでしょうか、グールドでしょうか。
実は私も集団遺伝学をちゃんと理解しているわけではありません。特にJA50氏と同じく数理的な部分はちんぷんかんぷんです。しかしこの学問の意味とその成果については、極力理解しようとつとめています。そうしないと中立説など絶対に理解できないからです。


安賀須さん 投稿者:クリス  投稿日:10月21日(土)09時27分23秒

>JA50氏はどうやら「表現型レベルでは生存にとっても繁殖にとっても何の役にも立っていない形質が進化しているとは言えない」と木村が言ってると主張しているのでしょう。

どうやらではなく、相当昔からそう主張しています。
複数の人から「あなたの日本語(解釈)はおかしい」と言われる所以です。


理由は 投稿者:クリス  投稿日:10月21日(土)09時23分57秒

>安賀須さんのかき込みはJA50さんの主張とは相容れないものが多いと思いますが、なぜ無視するのでしょうか。

相容れないものが多い「から」無視するんですよ。
昔からの一貫した態度です。良いか悪いかは別にして非常に分かり易い。
あなた方ももうすぐ「アンタ達も結局クリスさんのお仲間か」という捨て台詞とともに斬って捨てられるでしょう。


形質と変異>JA50さん 投稿者:masayuki  投稿日:10月21日(土)01時39分32秒

形質というのは、個体差があることはJA50さんも理解されていると思います。
個体差=変異です。厳密に見るとすべとの個体が変異してますよね。変異する条件はなんでしょう。遺伝子型の違いと育ちの違い(獲得形質)です。
形質も変異も私とJA50さんとではそう違っているとは思えません。
何度も言いますが、形質の変異も形質である、と理解しているだけです。
安賀須さんが2000年10月3日 18時11分にツリーの方で 引用していたトリバースの
「すべての形質はある種の中で希な状態から出発しなければならず、その形質を持つ個体の生存率や繁殖率を高める場合に限って、頻度を増すことができる」
形質=変異の例としてJA50さんが無視していたので再掲します。

安賀須さんのかき込みはJA50さんの主張とは相容れないものが多いと思いますが、なぜ無視するのでしょうか。


Re:適応度、適応、適応的>JA50さん 投稿者:masayuki  投稿日:10月21日(土)00時45分22秒

私の言いたかったことを理解していただけなくて残念です。文章が下手なのは解っているので言い換えてみます。
実は適応度の解釈について先日紹介されていた、河田さんの「はじめての進化論」を読むと、自分の解釈と違っているようなので、あまり自信がないのです。

相対的適応度の理解については同意します。普通ただ適応度と言ったときは、集団における相対値(相対的適応度)であることが多いようです。

「生存率×繁殖率」;ある遺伝子タイプ(形質の変異)を持つグループの適応度(絶対値)の平均値が
Aタイプ:1.1  Bタイプ:1.05  Cタイプ:1.01
であるとすると、どのグループも個体数は世代とともに増えることになります。しかし、タイプによって生存や繁殖に有利な度合いは違っています。有利とか不利とかはこういうことでも言えるとます。集団に対しての比率は、世代を重ねるごとにひらいていきますが、消えていくことはありますか?
集団全体の個体数が減ったときの適応度が
Aタイプ:0.9  Bタイプ:0.8  Cタイプ:1.01
であったとしたら?この集団のいる環境が変化したらあり得ますよね。

「適応度=次世代に寄与する子の数」を左右する条件に偶然的浮動を誤差範囲として考えた場合はJA50さんと同じ結果になりますが、集団が小さい場合、例えば他の地域と隔絶していて遺伝子の交流が無く、近親婚の影響が強くでるような場合、必ずしも適応的な変異を持つ個体の次世代に寄与する子の数が多くなるとは限らないわけです。


Re:遺伝的浮動>JA50 さん  投稿者:masayuki  投稿日:10月20日(金)23時00分40秒

「自然集団においては、有性繁殖に際し、多数の配偶子が生産されるが、実際に次代を作るのに寄与するのはそのうちの比較的少数に限られる。このために起こる遺伝子頻度の偶然的浮動、すなわち遺伝的浮動についてはすでに第二章で・・・」

>これで、中立説が「分子レベルの進化に限って適用されているわけではない」とは私には解りません。

この章で、特にこの節で木村が述べている内容は、中立節の説明ではありません。集団遺伝学の基礎的な概念である、遺伝的浮動について解説した節です。中立説については次の章からですよ。
この文章を具体的に例えるすれば、「ニシンはたくさんの卵を生むが、実際に成長して親になるのはそのほんの一部だ。親になれるかなれないかはほとんど偶然によって決まる。」と言った意味ではないですか。分子レベルの話でないことは読めば解ると思ったんだけどな。


「また、私は分子進化を支配している法則は、明らかに表現型進化を支配している法則と違っていることを強調したい。]

>私の解釈が違うのなにも、そのまま書いてあります。解釈以前の問題です。

木村の言いたいことは理解しているつもりです。
木村はどこかで偶然的浮動は分子レベルでしか、観察できないとか、適用できないとか言っていますか?言うはずがない。集団遺伝学では常識ですから。ただ進化にとってこれを重要視するかどうかは、学説によって違いますけど。
へちさん始め、他の方々が何度も例の式について木村の作ったものではなくて、メンデル遺伝に適用するためにできた式だと具体的な証拠を挙げて説明していましたが、JA50さんは自分で確かめたのでしょうか。
集団遺伝学は理解できないとか言う前に勉強して下さい。現在の進化学は、集団遺伝学抜きではちゃんと理解できないと思いますよ。

遺伝的浮動と中立説とは切り離して考えて下さい。


JA50氏の主張についてのひとつの解釈 投稿者:安賀須若人  投稿日:10月20日(金)21時25分54秒

JA50氏の「中立な形質」についての一連の書き込みを見ていると、「分子進化の中立説」というのは「分子レベルでは生存にとっても繁殖にとっても何の役にも立っていない形質が進化しているする学説」のことであるかのように見えます。実際、分子レベルでは(JA50氏の定義で)中立な形質が進化しています、それは偽遺伝子です。偽遺伝子は発現しませんから生存にとっても繁殖にとっても何の影響も与えません。恐るべき事にこの解釈であっても「偽遺伝子によって中立説は決定的になった」とか「偽遺伝子は中立説の証拠である」いう啓蒙書にも見られる学説史的解説記事と整合的です。
一方、私の理解する「分子進化の中立説」は(誤解を少なくするためJA50氏が引用している木村の言葉を少し変えたものですが)「分子レベルにおける進化的変化の大部分は、自然淘汰に関してほとんど中立でその運命が主として偶然的浮動によって決定されるような突然変異遺伝子によるものであるとする学説」です。これが多くの人の理解しているものだと思います。そうなると「分子進化を支配している法則は、明らかに表現型進化を支配している法則と違っていることを強調したい」という木村資生の言葉は「表現型レベルにおける進化的変化の大部分は、自然淘汰に関してほとんど中立でその運命が主として偶然的浮動によって決定されるような突然変異遺伝子によるものではない」という意味になるのです。ところがJA50氏はどうやら「表現型レベルでは生存にとっても繁殖にとっても何の役にも立っていない形質が進化しているとは言えない」と木村が言ってると主張しているのでしょう。JA50氏の書き込みを矛盾がないようにと解釈するにはこう考えるしかなさそうです(苦笑)。


Re:自然選択説の対象 投稿者:PDX.  投稿日:10月20日(金)19時40分29秒

To JA50さん

>相乗りしていても、いつも一緒に遺伝するわけではないですよね?

 そうです。
 かつて相乗りしていたけど、その相乗りしていたものと分離してし
まうことすらありえます。
(あるいは相乗りしていた形質が何らかの理由で失われてしまうとか)

> そして、適応的なところと有害な部分の差し引きで、適応的と
>なれば広まるでしょうし、有害となれば消えていく(2つ一緒に)。

 そうすると、結局はその個体全体を持って適応的かそうでないか
をみなす必要に迫られて、個々の形質ごとに適応的かそうでないか
という判断がくだせないのでは…?

> 4本と5本、6本では適応度に差がない、しかし偶然の結果5本
>となったとします。
> しかし、それで、中立な変異が固定したんだから、その5本指は
>生存や繁殖に何の役にも立っていない(つまり中立だ)などと結論
>できますか?

 なるほど。私と JA50 さんの考え方の違いがまた一つわかりました。
 ここにおいて『中立的』という言葉を、JA50さんは絶対的な基準で
見ていますよね?
 指の本数の話題において私は、『中立的』というのを相対的な基準
で考えていました。というより、ある形質の中の変異が固定する過程
を考えるにあたって、その変異間の相対的な有利/不利の違いを気に
していたといいますか。
 4本でも5本でも6本でも同程度に役に立つことを、(相対的に)
中立と言っていたわけです。


>私が主張しているのは、前の文です。
> 5本の指も適応的なんですよね、決して何の役にもたっていない
>ものではないんですよね?
> 何の役にも立っていないのに進化したんじゃない、5本の指は役
>立つものだから進化しえた。

 同程度に役に立つのに、なぜ5本指が固定したのか、相対的に中立
であるのに固定した理由を、(4本や6本で固定しなかった理由を)
自然選択説で説明できますか?



Re:適応度、適応、適応的>masayukiさん 投稿者:JA50  投稿日:10月20日(金)19時29分02秒

>生存や繁殖に有利、不利を決めるのは親の数からの増減ではなく子の数の割合ではないんですか。
>すなわち、生存や繁殖に不利であっても親の数より増えていることもあるわけです。

子の数の割合(集団における他の個体の子の数との比較という意味)というのなら、それは相
対的適応度ということに?
もしそうなら、適応度が1以下なら、集団における比率は必ず減少すると思いますが。
また、絶対的適応度のことを言われているのなら、それが1以下でも、集団全体の個体数が減
少しているのなら、時にはその集団での比率で見れば増加することもあると思います。ただし、
絶対数は減少しているはずです。そして、それがそのままなら、いつかは消えてしまう。その
種の絶滅とともにです。

>大きな集団では同じ結果になると思いますが、同義であるとは言えません。私は「適応度=次代に寄与する子の数」を決める条件が他にもあると考えています。

どういう条件でしょう?

「適応、適応的=特定な環境において生存上および繁殖上有利であること」というのがmasayuki
さんの定義ですよね。「生存上および繁殖上有利である」とは適応度が高いということと同じ
意味ですので、それならそれは私の適応的という定義と同じことになります。

「次世代に寄与する子の数」というのはwadjaさんが引用してくれた「これには1個体あたりの
子どもの数で表わすのが妥当であろう。ここにいう子どもの数はもちろん生まれる子どもの数
そのものではなくてそれらが成熟し、かつ孫を産む個体の数である」のと全く同義です。
wadjaさんの引用部分を、簡潔に一言で表現したのがmasayukiさんの定義じゃないですか。
それを数学モデルで使えるようにしたのが「生存率×繁殖率」。


Re:自然選択説の対象>PDX.さん 投稿者:JA50  投稿日:10月20日(金)19時27分10秒

>う〜ん、他の有利な形質と同じ染色体に相乗りしたから、という
>理由まで排除するのは不可能ではないかとすら思えてしまいますが。

相乗りしていても、いつも一緒に遺伝するわけではないですよね?

それと、Aという遺伝子(これは適応的とする)とBという遺伝子(有害とする)が同一染色
体上にあり、いつも一緒に遺伝しているとしたら、そもそもそれらを2つに分けてもいいのだ
ろうかと疑問なんです。いつも一緒に行動しているとしたら、その2つは、自然選択から見た
ら1つのものとなりませんか?
そして、適応的なところと有害な部分の差し引きで、適応的となれば広まるでしょうし、有害
となれば消えていく(2つ一緒に)。

>「5本指が最適だった」という考え方ではなく、「5本指でも用が足りた」
>という考え方です。(「5本指が非適応的」と言っているのではありま
>せん)

そう、5本指が非適応的ではない。5本指が生存や繁殖に何の役にもたっていないなどという
ことはなく、ちゃんと役立っている。
それを私は言っているのです。

4本と5本、6本では適応度に差がない、しかし偶然の結果5本となったとします。
しかし、それで、中立な変異が固定したんだから、その5本指は生存や繁殖に何の役にも立っ
ていない(つまり中立だ)などと結論できますか?
どれも皆適応度に差がないほど、どれも皆適応的だったんですよね。そう議論の最初に仮定し
たんですから、どれが固定しようが中立な形質が進化したなどとは言えない。

>上で書いた通り、私も5本の指が適応的ではない、などと思ってはいま
>せんよ。5本の指が『特別』適応的ではない、ということです。

その通りです。
私も、5本指が「特別」適応的であったとは言っていません(というか指の話はそういう前提
での議論なんですから)。私が主張しているのは、前の文です。

5本の指も適応的なんですよね、決して何の役にもたっていないものではないんですよね?

何の役にも立っていないのに進化したんじゃない、5本の指は役立つものだから進化しえた。


Re:適応度>wadjaさん 投稿者:JA50  投稿日:10月20日(金)19時26分11秒

wadjaさんが引用された部分を読む限り、著者は、適応度は「本来は「生存(と繁殖、括弧内は
私の註)に有利さをもたらす度合い」であるが、それを「現実には計測できないので子孫の数
で近似している」、あるいは数学的に処理する上で便利であるため「子孫の数」ということに
して数学モデルを作っていると解釈できますね。

ただし、masayukiさんの言う相対的適応度というのは、「進化と人間行動」の持ち出してのも
のですから、近似のというような意味じゃありません。
関連箇所を引用します。「進化と人間行動」のP34です。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
この「生存率×繁殖率」という値は純増加率であり、それぞれのタイプについてこれを計算し、
集団全体の値で相対化したものを適応度(fitness)と呼びます。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−

そしてこれには脚注があり、、、
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
集団全体の値と比較した相対値まで求めずに、より簡便に生存率×繁殖率の絶対値をもって適
応度という場合もしばしばあります。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
となっています。

つまり、前者がmasayukiさんの言われる相対的適応度であり、後者が絶対的適応度のことです
(と私は解釈しました)。

>「ある変異が広がり固定した、その固定するまでの期間で一個体当たりの、孫を残した子供の数の平均を計算すれば1以上でないといけない。しかし、その変異自体は適応的なものではなく、偶然の出来事により広まっただけ。」

2つめの文が理解できないのです。
「その変異自体は適応的なものではなく」となぜできるのかが私には理解できないんです。
広がりそして最終的に固定したというその変異が、「適応的なものでない」ことは、どうやっ
て判定したんでしょうか?
何をもって適応的でないとしたのか、そこが分からない。


Re:必要条件、十分条件>wadjaさん 投稿者:JA50  投稿日:10月20日(金)19時24分49秒

読んでなくても、必要なら私が引用したらすみます。
ただし、私の引用が正確であり、恣意的なものでなければですが、これは信用してもらうしか
ない。どうもアヤシイと思われたら、実際に読んでもらうしかありません。

>(A)「1)から4)の条件のうち、どれかひとつが満たされない」→「自然淘汰は働かない」ということであって、(B)「1)から4)の条件が全て満たされる」→「自然淘汰が働き、変異が広まる」では無いのでは?ということです。

う〜む、、、
いまいち理解できません。しばらく考えてみます。

>私にはこの部分が理解できませんでした。遺伝する確率のことをおっしゃっているのでしょうか?

>自然淘汰が働くための条件ということなら、遺伝する変異なのか、(獲得形質のように)遺伝しない変異なのか、二つに一つのように思えますが?

遺伝が関与している割合はどれほどかということです。

二つに一つということなら、それでいいんです。少子化行動というのが、遺伝する変異である
のかそれとも違うのか二つに一つと。それなら話は簡単だし、私も同じ解釈です。
ただ、NATROMさんは、少子化行動に少しは遺伝的影響があるにしろ、文化による影響の方があ
る程度以上大きければ自然選択説は適用できないと言われています。その程度が50%なのか
10%とか90%なのか、これには何も答えてくれていませんので分かりませんが、少なくと
も二つに一つというような条件ではないのは確実でしょう。

>これを見る限り、(6)→{(1)〜(5)}だとは思えないのです。

自然選択説は、逆については言っていないと。
私は分かりません。これもしばらく考えてみます。

>自然選択の対象になる「変異」の定義は、JA50さんのおっしゃる通りだと思います。

違うとされているかたもいますが、皆素人なんですから、自分のこそ正解だと言い張っても価
値はない。自分はこう考えるが、あなたはそうじゃないということでいい。
ところで、wadjaさんは、形質の方はどう解釈していますか?
自然選択説における形質の定義とはどういうものだと考えていますか?


Re:遺伝的浮動>masayukiさん 投稿者:JA50  投稿日:10月20日(金)19時23分28秒

>JA50さんも表現型における遺伝子の意味はわかっているはずでしょう。

集団遺伝学で言われている表現型というのは、ある遺伝子型が作り出している個体の特徴とか
性質といったものだと思います。
(ただし、私は前にも書きましたが集団遺伝学には無知ですし、たぶん勉強しても理解はでき
ないでしょう。数学的能力が足りないと思う)

>「p184 4遺伝的浮動について」の冒頭の3行を読めば解ると思うが、分子(遺伝子の内部構造)レベルの進化に限って適用されているわけではない。

以下、その3行を引用します。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
自然集団においては、有性繁殖に際し、多数の配偶子が生産されるが、実際に
次代を作るのに寄与するのはそのうちの比較的少数に限られる。こために起
こる遺伝子頻度の偶然的浮動、すなわち遺伝的浮動についてはすでに第二章で
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−

これで、中立説が「分子レベルの進化に限って適用されているわけではない」とは私には解り
ません。

前にも引用したことなんですが、もう一度「そうなんだよと木村が強調さえしている」という
根拠を示します。
まず、中立説の定義。
(「分子進化の中立説」のはじめにから)−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
読者は、「中立説」という語は、「分子レベルにおける進化的変化と多型は、主に、自然淘汰
に関して、ほとんど中立でその行動と運命が主として突然変異と偶然的浮動によって決定され
るような突然変異遺伝子によるものであるとする説」の省略であることを理解しておいていた
だきたい。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
「分子レベルにおける」です。

それと、P343の例の主張。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
また、私は分子進化を支配している法則は、明らかに表現型進化を支配している法則と違って
いることを強調したい。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
「違っていることを強調したい」と。

私の解釈が違うのなにも、そのまま書いてあります。解釈以前の問題です。

また、偶然的浮動の概念を表現型レベルに当てはめられないとは、私は言っていないはずです
が。当てはめられるのかどうか、私は知りませんから。当てはめられるような数学モデルがあ
るのかもしれない。
ただし、そういう数学モデルに「突然変異遺伝子」とあるのなら、それを「形質の変異」とか
「表現型における変異」とかいうのに勝手に変えてはいけない。それをやっては元のモデルと
は違ったものになってしまうよと言っているのです。masayukiさんも、遺伝的浮動というのに
ついて「偶然的浮動は数学的概念ではないのですか。」と書かれていたんじゃないですか。そ
ういう数学モデルを作る上で、「突然変異遺伝子」ということで方程式を作ったのに、その元
の「突然変異遺伝子」というのを勝手に違うものに変えていいのですかと問うているんです。

もちろん、その元の数学モデルが「表現型における変異」ということで作られているのなら、
それはそれでいいと思います。ただし、中立説は先に引用したように「分子レベルにおける進
化的変化と多型」についての説です。「分子レベル」の、です。


「自分でもう一度調べ直して来てください」 投稿者:クリス  投稿日:10月20日(金)16時15分15秒

ふむ。
別の言い方をすると「顔を洗って出直してこい」ですな?
もう1人、同じことをいわれそうな人がいますけど。


なんだかずいぶん前にカキコしたけどなぁ・・・ 投稿者:ヘルメス☆  投稿日:10月20日(金)13時33分45秒

tomiさんの言いたいこと(ミトコンドリアの増殖とその数のバランスの問題)に対するレスはずいぶん前に書いた記憶がありますが、他人のレスを読んでいるのか疑問に思っています。

しかも、言っていることがまるで変わらないのはかなり不思議です。
もしかして、「否定したいが為の質問」を繰り返して、自分が納得する(期待している)答えが返ってくるまで「良いたい事の意味が判らないし、自分の知りたい答えではない」というカキコを繰り返してくるような気がします。

ですから、自分の答えは
「自分でもう一度調べ直して来てください」
ですね。

かなり上品な言い方です。(自分が大学生のころは、こんな丁寧な返事はしなかった)


面白い共生の例 投稿者:T8848  投稿日:10月20日(金)01時42分25秒

共生説についての話題が出てきたので、ネイチャージャパン(http://www.naturejpn.com)のBioNwes(http://www.natureasia.com/japan/sciencenews/bionews/index.html.ja)の中で見つけた記事を紹介します。ネイチャーのサイトはユーザー登録する必要がありますが、無料です。
今週号のハイライトにはヘルメス☆さん紹介の2億5千万年前の細菌の記事もありました(当たり前ですが)。

−引用開始−

「共生者か細胞小器官か?/榊東大教授らが細菌ゲノムを解読」

アブラムシ(アリマキ)は、ブフネラ(Buchnera)とよばれる細菌がいる細胞を、体内に60個から80個持っている。アブラムシとブフネラは、独立に繁殖することはできない。彼らは真の共生者であり、互いに完全に依存しあっている。今回、東京大学の榊佳之教授らは、ブフネラのゲノムの完全な塩基配列を報告した。この結果、この細菌が宿主にひどく依存していて、多くの重要な遺伝子を欠いていることが明らかになった。(中略)
榊教授は「ブフネラはもとは、ありふれた細菌である大腸菌にとてもよく似ていた」と話す。今回、Natureに掲載された彼の報告によると、ブフネラのゲノムの大きさは大腸菌の7分の1で、約600個の遺伝子しか持っていない。(中略)
ブフネラは、細胞壁を作る物質をコードする遺伝子のほとんどを失っており、損傷したDNAを修復する遺伝子も失っている。(後略)

−引用終わり−

ほかに、環境変化に適応して遺伝子をオン・オフする調節遺伝子、呼吸に必要なありふれた遺伝子の多くも持っていないそうです。
アブラムシがブフネラから得るのは(アブラムシの)必須アミノ酸だそうです。
最後に結論を引用します。

ブフネラは細胞小器官に似ていると、榊教授は指摘している。(中略)
英国レディング大学の共生の専門家であるPhil Pooleは、「(これは)本当の細胞小器官と、自由に生きている共生者の中間に位置する生物の、魅力的な実例だ」と述べている。


tomiさんのジャンボジェット 投稿者:wadja  投稿日:10月20日(金)00時44分20秒

基本的にtomiさんの疑問は、「ジャンボジェットのような複雑なものは、ガラクタ置き場の中で偶然に生まれることはない」に帰結するようですね。表現を、「『偶然のDNAの突然変異によって』成立するものだろうか?」に変えているにすぎない。折角ミトコンドリアに関する知識をつめこんでも、目的がそうであれば時間の浪費にしか見えない。

>細胞のDNAは、どのようにしてミトコンドリアの分裂を促すのか。それとも、ミトコンドリアが
>細胞の分裂を促しているのか。それとも、ミトコンドリアが細胞の分裂の時期を察知して、それ
>に応じて自分の分裂の準備をするのか。そして、そのような相手と歩調を合わせて自分の分裂を
>調整するような機能が、『偶然のDNAの突然変異によって』成立するものだろうか?

既にPDX.さんと同様の回答を、他の方(舞さんだったかな?)がしたにも関わらず、あたかも「自分の疑問に対して、答えられないだろう」といった論調でまくしたてる。質問したなら、それに対するレスをちゃんと読むのが礼儀だと思うのだけれど。

無数の組み合わせの中で、一つの結果だけを求めるのならば、確率は確かに低いでしょう。でも何らかの結果が生じる確率は常に1。問題とすべきは、生じ得る結果のうちどれだけが生物として生き残り得るかと言うこと。この答えは誰も知らないけど、地球上の生物の多様性を見れば機能しうる結果が一つだけではないことは、「それほど頭ががよい人間でなくても理解できるのである。」

いいかげん、使い古されたロジックは卒業されたら如何でしょう?


追加訂正 投稿者:安賀須若人  投稿日:10月19日(木)21時38分41秒

誤)黒岩常祥「ミトコンドリア」
正)黒岩常祥「ミトコンドリアはどこからきたか」


訂正 投稿者:安賀須若人  投稿日:10月19日(木)21時33分33秒

誤)以前に(9/29)
正)以前に(10/2)


共生説あれこれ 投稿者:安賀須若人  投稿日:10月19日(木)21時28分13秒

以前に(9/29)紹介した黒岩常祥「ミトコンドリア」を読みつつある状況で共生説については現在のところ雑学的知識の状況を抜けていませんが、この書物から得た情報をはじめ面白そうな話を幾つか話題提供します(特定の人の書き込みに対するレスではありませんので悪しからず)。

1)分子系統学的解析からミトコンドリアの祖先の細菌と系統的に近いと考えられてるのはアルファプロテオバクテリア(偏性好気性細菌の酢酸菌や偏性細胞内寄生性細菌リケッチアもこの仲間です)だそうです。
2)ミトコンドリアの起源の説明として最近有力になってきている説として「水素説」というのがあり、それによると、ミトコンドリアの祖先は水素排出細菌で、水素を要求するメタン細菌(これは真性細菌ではなく古細菌です)のような生物と共生したのが起源ではないかというこです。なお、この説の根拠はなかなか興味深いもので、原生生物トリコモナス(性病の原因にも成りますね)がミトコンドリアを欠く替わりにヒドロゲノソーム(独自のDNAは持たないが構成蛋白質がミトコンドリアに似る)という細胞内器官を持っており、ヒドロゲノソームを使って酸素なしでATP合成をして水素を発生するという点に着目したものです。この説だとミトコンドリアによる水素提供が共生の由来でATP供給は副次的に生まれたものであるということになります。
3)ミトコンドリアやヒドロゲノソームを持たない真核生物として赤痢アメーバやランブル鞭毛虫ギアルディア(こいつも下痢症の原因)などが知られていますが、これらは哺乳動物等の腸内に寄生することで不要になったミトコンドリアを失ったのではないかと考えられています。ただしギアルディアは分子系統学的に真核生物の中でも古い分岐に属するので、最初からミトコンドリアを持ってなかったのではないかとの疑い(=ミトコンドリアのない真核生物の子孫)を掛けられています(ひょっとするともう決着済みか?)。
4)緑色植物および紅色植物(紅藻、アサクサノリ、テングサの仲間)の葉緑体の起源は共生したシアノバクテリアと考えられていますが、黄色植物(コンブやワカメなどの褐藻類)やミドリムシ(ユーグレナ)の葉緑体は共生(2次共生)した真核生物(黄色植物は紅藻、ミドリムシは緑藻)に由来すると考えられているようです。しかも渦鞭毛藻の一部では第3次の共生に由来すると考えられているようです。なお、2次共生による葉緑体ではミトコンドリアは失われているもののクリプト藻類では核のなごりのようなヌクレオモルフとよばれるものがあり、本来の葉緑体DNAとは別のDNAが含まれているそうです。
5)分子系統学的解析からマラリア原虫とミドリムシは近縁であることがわかり、しかもマラリア原虫には光合成能を失った色素体(葉緑体)が見つかったそうです。

以上、話題提供でした。


Re:ミトコンドリア2 投稿者:PDX.  投稿日:10月19日(木)18時19分36秒

To tomiさん

>(1)細胞分裂とミトコンドリア分裂の同期の問題。

 この件については既に書いたので、詳細には書きません。
『ミトコンドリアが同じ時期に分裂しなければ」というのは既に否定され
ているのですから、その同期の問題を論じる必要性はないでしょう。
 とりあえず、手持ちの書物の中から、細胞とミトコンドリアが同期して
分裂するという記述をみつけることはできませんでした。(非同期に分裂
するという本は何冊かありましたが)

>(2)ミトコンドリアと細胞の間のエネルギーや物質のやりとりの問題。

『Re: ミトコンドリア1』で書いた通りです。
 ミトコンドリアと共生する以前の細胞は、無酸素呼吸によって生きて
いましたが、共生することによって、酸素という有毒ガスから逃れる事
ができる上に高効率のエネルギー変換が可能になったのですが、それ故
に、そこに依存してしまったのです。

>ミトコンドリアなしでは生きられない細胞に変化したことにどのよう
>な利点があるのか。

 大気中にも水中の多くの場所にもこれだけ酸素が溢れかえっている現
代の地球では、ミトコンドリアに依存した方が生存の可能性が高いので
す。
 実際、ミトコンドリアと共生できていないバクテリアは、嫌気性細菌
として酸素の少ない場所で生きています。

 そして、体内の様々な物質を酸化させてしまう危険な酸素を消費でき
る上、無酸素呼吸に比べて15倍もの効率で糖からエネルギー(ATP)を得
られます。
 無酸素呼吸でも有酸素呼吸でも、糖からATPを得てそれを利用している
わけですから、ATP を使う機構はもともと細胞内にあるわけで、ここに
ついて細胞側のDNAの変化は不要です。

>(3)細胞内に存在するミトコンドリアの数を調整する遺伝子の問題。

 ミトコンドリアを寄生虫にでも喩えれば解り易いかと思います。
 宿主の体内で無制限に増えてしまうような寄生虫は、最終的に全ての
宿主を殺してしまうことで自滅します。
 宿主と共存できる程度に増殖でき、宿主の免疫機構に抹殺されてしま
わない程度に生命力の強い寄生虫であれば、宿主とバランスのとれた関係
を維持できます。
 そして、そのバランスを失うような突然変異の生じた個体は淘汰されて
しまって後に残らず、残ったものは安定した関係を維持できたものだけだっ
たのでしょう。
 アメーバと感染バクテリアの例ですら、簡単に再現実験ができる程度の
確率の問題ですから、『果たしてありえるのだろうか?』と悩むほうが不
思議ではないでしょうか?(疑うのであれば、まず彼等の実験結果を否定
する実験を示してからでも遅くないと思いますが)


ミトコンドリア数の調整についての素人仮説 投稿者:クハ72  投稿日:10月19日(木)18時08分19秒

tomiさんの投稿っていつも同じ内容ばかりと思うのは僕だけでしょうか。
ひょっとして自分の投稿へのレスを全くチェックしていないんじゃぁ……と言いつつ律儀に反論。

細胞とミトコンドリアはエネルギーと蛋白質の"Give & Take"の関係で共存しています。
ミトコンドリアは細胞に対し適切な量のエネルギーを供給し、
細胞はミトコンドリアに対し適切な量の蛋白質を供給しています。
ミトコンドリアの数が多くなれば蛋白質が不足しミトコンドリアは死滅するでしょう。
逆に言うと細胞からの蛋白質の供給量が結果的に数を調整しているのではないでしょうか。

> ミトコンドリアなしでは生きられない細胞に変化したことにどのような利点があるのか。

ミトコンドリアのおかげで膨大なエネルギーを手に入れる事ができましたが、
ミトコンドリアが必要なだけ膨大なエネルギーを消費するまで進化したとか。


Re: ミトコンドリア1 投稿者:PDX.  投稿日:10月19日(木)18時04分09秒

To tomiさん

> しかし、ミトコンドリアの複製を支配するDNAが細胞側にはなく、
>ミトコンドリア自身にあったとしても、細胞のDNAはそのミトコンド
>リアの存在を前提として細胞全体を支配しているのであり、細胞全体
>がミトコンドリアをその一部として認識し、それと協働するという複
>雑な相互関係は存在するのである。しかも、ミトコンドリアは、細胞
>の呼吸やエネルギーを司る極めて重要な位置をしめている。このよう
>に中心的な機能を果たす器官についての部分が欠落し、なおかつ、全
>体がうまく機能するような設計図を意図的に仕上げることは極めて難
>しいことである(まして、偶然に仕上がったということはそれよりも
>遥かに難しい)。

 上の文の間違いは、
  1)ミトコンドリアと共生する以前の細胞は、ミトコンドリアに
    まったく依存しない生活が可能であった。
    (無酸素呼吸の機能をもっていた)
  2)ミトコンドリアは酸素呼吸の機能を細胞に提供している。
  3)ミトコンドリアと共生したからといって、無酸素呼吸能力を
    失う理由はない。
という事実を無視している点にあるかと思います。

 ミトコンドリアと共生する以前の細胞は、丁度現在の嫌気性細菌と
同様に、酸素を必要としない(むしろ酸素は有害)呼吸システムを持っ
ていました。
 そして、ミトコンドリアと共生することで酸素呼吸能力を手に入れ
たからと言って、無酸素呼吸能力を即座に失ってしまうわけではあり
ません。
 現に私達の筋肉は、瞬発力を要求される時には無酸素呼吸によりエ
ネルギーを生成します。(この方法による代謝は効率が悪いので長時
間連続で働かせることはできません)

> ミトコンドリアを除き、なおかつ、あたかもミトコンドリアがある
>かのように機能する細胞の設計図を描くことはこれと同じように難し
>いことなのである。

 ミトコンドリアが無かった頃の細胞には、「あたかもミトコンドリア
があるかのように機能する」必要はなかったのです。




中立な表現型の固定/アサガオの花の色 投稿者:NATROM  投稿日:10月19日(木)17時48分48秒

>河田雅圭氏による「はじめての進化論」のweb 版

Hueさん、よいサイトの紹介ありがとうございました。

まだ全部は見てはいませんが、下URLで偶然による進化をアサガオの花の色を例にとって説明しています。私もたまたま似たような表現型(花の色)の例をあげて、「中立な表現型が集団に固定することがある」ことを説明しようとしましたが、うまく伝わらなかったようです。私はあきらめていましたが、河田の説明で理解してもらえるでしょうか。



#誤植を一つ発見。本文7行目の
#「したがって、遺伝子型PPの個体のつく
#る配偶子はすべてPという対立遺伝子をもつが、遺伝子型ppの個体では、
#対立遺伝子Pをもつ配偶子と対立遺伝子pをもつ配偶子が半分ずつできる」
#は、
#「したがって、遺伝子型PPの個体のつく
#る配偶子はすべてPという対立遺伝子をもつが、遺伝子型Ppの個体では、
#対立遺伝子Pをもつ配偶子と対立遺伝子pをもつ配偶子が半分ずつできる」
#が正しいでしょう。

http://meme.biology.tohoku.ac.jp/INTROEVOL/Page18.html


ミトコンドリア 投稿者:NATROM  投稿日:10月19日(木)17時31分16秒

>つまり、「工場にエネルギーを供給する中心的な装置を空白にしたまま、工場全体の設計(機能)図を描くことは、その装置を含めて設計図を描くことよりも易しいとはけっして言えない。」ということだ。

ミトコンドリアが共生する以前にも、細胞には「エネルギーを供給する装置」はありました。現在でもあります(解糖系)。ただミトコンドリアほうが効率的なだけで。


>ミトコンドリアを除き、なおかつ、あたかもミトコンドリアがあるかのように機能する細胞の設計図を描くことはこれと同じように難しいことなのである

ミトコンドリアがあるときほど効率的ではないが、とりあえずは機能する細胞の設計図を描くことはそんなには難しくありません。エンジンの喩えをいうならば、ミトコンドリアを除いた細胞をエンジンを除いた自動車に喩えるのは間違いです。無理矢理喩えるなら、より効率的なエンジンを積んだので、もともとのエンジンをあまり使わなくなった自動車が、現在のミトコンドリア入りの細胞の相当するでしょう。


>細胞が分裂したとしても、ミトコンドリアが同じ時期に分裂しなければ、ミトコンドリアの数が増えすぎたり、逆に減りすぎたりする

別に同じ時期に分裂していなくてもよいでしょう。コントロールされなければ、ミトコンドリアの数が増えすぎたり、逆に減りすぎたりすることはあるでしょうが、ちょうどよい数の細胞も当然あるでしょう。そういう細胞が残るのです。


>では、ミトコンドリアがなくても生きていけた時代の細胞のDNAは、ミトコンドリアが取り込まれて以降、どうしてミトコンドリアなしではいられなくなってしまったのか。

ミトコンドリアがあるのが当たり前の環境では、ミトコンドリアなしでの環境でやっていける能力は余分です。ミトコンドリアなしでやっていける能力を保持している方が不思議です。ちなみにアメーバの感染実験でも比較的短時間で共生の関係が成立するそうですが、tomiさんの意見がもし正しいのであれば、なにか超自然的な力がアメーバに働いたとしか考えようがありません。アメーバでの実験結果をtomiさんはどのように説明しますか?


>この三つの機能が、偶然に整うことが果たして可能なのであろうか

全部いっぺんそろわなくてもいいのです。クモの糸のときもそう説明しました。累積的な淘汰という考えをまず理解してから自然選択説を批判してください。


以前の議論がまるでなかったかのようです。BBSは対話するためのものだと考えています。なかには独り言を延々と垂れ流すだけで何の発展もないBBSもあるようですが、この掲示板はそういう場所ではありません。レスがついたのであれば、そのレスについて何らかの反応をしてください。独り言ならここには書き込まないでください。


ミトコンドリア2 投稿者:tomi  投稿日:10月19日(木)16時24分23秒

(1)細胞分裂とミトコンドリア分裂の同期の問題。
 細胞が分裂したとしても、ミトコンドリアが同じ時期に分裂しなければ、ミトコンドリアの数が増えすぎたり、逆に減りすぎたりする。細胞のDNAは、どのようにしてミトコンドリアの分裂を促すのか。それとも、ミトコンドリアが細胞の分裂を促しているのか。それとも、ミトコンドリアが細胞の分裂の時期を察知して、それに応じて自分の分裂の準備をするのか。そして、そのような相手と歩調を合わせて自分の分裂を調整するような機能が、『偶然のDNAの突然変異によって』成立するものだろうか?
 
(2)ミトコンドリアと細胞の間のエネルギーや物質のやりとりの問題。
 ミトコンドリアと細胞の間のエネルギーや物質のやりとりの仕組みが、『偶然のDNAの突然変異によって』成立するものだろうか?青酸カリでミトコンドリアを殺すと、動物は細胞の呼吸不全によって即死する。現在、ミトコンドリアは、細胞にとって不可欠な部分となっているのだが、もともとはそうではなかったはずである。ミトコンドリアがなくても生きていけた時代があるわけである。では、ミトコンドリアがなくても生きていけた時代の細胞のDNAは、ミトコンドリアが取り込まれて以降、どうしてミトコンドリアなしではいられなくなってしまったのか。それは生存能力の『退化』ではないのか。もし『進化』であるとするならば、ミトコンドリアなしでも生きられる細胞が、ミトコンドリアなしでは生きられない細胞に変化したことにどのような利点があるのか。また、ミトコンドリアを不可欠の要素として認識するように細胞のDNAが突然変異によって『偶然に』変化するなどということがそもそもあるのか。つまり、細胞の生死にかかわるような極めて重要な相互関係が突然変異によるDNAの『偶然の変化』だけによって生じるものなのだろうか。
 
(3)細胞内に存在するミトコンドリアの数を調整する遺伝子の問題。
 細胞内に存在するミトコンドリアの数を調整するためには、
a)細胞のDNAに、「ミトコンドリアを他の微細構造と区別して認識するための機能」が追加されねばならない。このような認識の仕組みがDNAの突然変異によって偶然にできるだろうか。
b)細胞のDNAに、「ミトコンドリアが一定数以上増える(または減る)ことのないよう調節するための機能」が追加されねばならない。細胞はどのようにして『数』を認識するのか。ミトコンドリアが細胞内に存在する位置はバラバラであろう。そのバラバラに存在するミトコンドリアを「同種のもの」として認識し、その情報を拾い上げることができ、なおかつ、その数を数えるということができなければ、「数調節」はできない。さて、そのような『計算機能』がDNAの突然変異によって偶然にできるものなのだろうか。コンピュータにおいて、一つの文章の中から、同じ文字を認識してそれらを拾い集めるのと、それらの数を数えるのとは、それぞれまったく違う機能――つまり、『認識』と『総合』と『カウント』――によって行われる。この三つの機能が、偶然に整うことが果たして可能なのであろうか。
 しかも、数えただけではなく、数え上げられたデータをもとにして、命令をミトコンドリアに対して与え、それ以上分裂することを抑制したり、または逆に、分裂を促進したりしなければならない。その命令伝達のために用いられる物質はどのようなものなのか。そして、その物質が細胞のDNAの偶然の変化によって作り出される可能性はあるのだろうか。もしそれがある種のたんぱく質であるならば、そのたんぱく質が偶然に成立する可能性はどの程度なのか。そのたんぱく質を構成するアミノ酸の数はどれくらいか。仮に100個であるとして、20種類のアミノ酸が偶然に適切に並んで、その必要とするたんぱく質ができあがる可能性は、20の100乗の分の1にならないであろうか。
 また、この抑制や促進による調節によって、ミトコンドリアの数が変化するわけだが、その変化後の情報をどのようにして細胞は集めるのだろうか。このようなフィードバックの機能が、細胞のDNAの偶然の変化によって成立することは果たしてありえるのだろうか。
 
 まあ、このように、厳密に考えていけば、「細胞のDNAの突然変異だけによって、ミトコンドリアとの共生関係を成立させることがいかにありえないことであるか」が分かるのである。
 
 偶然に、建設的な何事かを行わせようとする学問など、科学の風上にも置けないのである。
 
偶然は、ボルトとナット一対ですら作ることはできない。まして、細胞の中のミトコンドリアの数を調節するなどもってのほかである。


ミトコンドリア1 投稿者:tomi  投稿日:10月19日(木)16時23分52秒

「ミトコンドリアが細胞に偶然入り込み、共生関係が生じた。細胞のミトコンドリアの起原は、ここに始まる。」というミトコンドリア共生説に対して、「それでは、それ以降、どのように細胞のDNAがミトコンドリアを生じさせるように変化したのか?細胞側でDNAが変化しない限り、ミトコンドリアを複製できないわけだから。」と尋ねたところ、「ミトコンドリアはミトコンドリア独自のDNAがあってそれで自己複製するから細胞のDNAにおいて変化する必要はない。」という進化論者側からの回答があった。「ミトコンドリアのDNAには、ミトコンドリアの身体を複製するためのDNAが揃っており、細胞のDNAには、ミトコンドリアの数を調節するDNAが揃っている」という。
 
 さて、このような説明がどうしてナンセンスであるかはそれほど頭ががよい人間でなくても理解できるのである。
 
 つまり、「工場にエネルギーを供給する中心的な装置を空白にしたまま、工場全体の設計(機能)図を描くことは、その装置を含めて設計図を描くことよりも易しいとはけっして言えない。」ということだ。
 
 偶然追加されたミトコンドリアが、それ以降細胞内で自己複製し、代々継続して追加されていったという説明が説得力を持つのは、「ミトコンドリアの複製についてはミトコンドリア自身のDNAが支配しているので、細胞のDNAが変化することがなくても、ミトコンドリアが細胞内で代々複製されていく可能性はあり得る」という点にある。しかし、ミトコンドリアの複製を支配するDNAが細胞側にはなく、ミトコンドリア自身にあったとしても、細胞のDNAはそのミトコンドリアの存在を前提として細胞全体を支配しているのであり、細胞全体がミトコンドリアをその一部として認識し、それと協働するという複雑な相互関係は存在するのである。しかも、ミトコンドリアは、細胞の呼吸やエネルギーを司る極めて重要な位置をしめている。このように中心的な機能を果たす器官についての部分が欠落し、なおかつ、全体がうまく機能するような設計図を意図的に仕上げることは極めて難しいことである(まして、偶然に仕上がったということはそれよりも遥かに難しい)。
 エンジンを除き、なおかつ、あたかもエンジンがあるかのように機能する自動車の設計図を描くことはきわめて難しい。しかも、そのような設計図が偶然に描きあがることを期待することは不可能である。
 ミトコンドリアを除き、なおかつ、あたかもミトコンドリアがあるかのように機能する細胞の設計図を描くことはこれと同じように難しいことなのである。
 ミトコンドリア共生説を説くには、この「細胞DNAがいかにして『あたかもそこにミトコンドリアが存在するかのように』変化し成立したのか?」について納得のいく説明をしなければならないのである。to be continued


こんな記事を見かけました 投稿者:ヘルメス☆  投稿日:10月19日(木)15時19分14秒

いや〜、ずいぶん長い間カキコしていませんが、ROMをさせてもらっています。

今の忙しさが解消されたらまた復帰しますね!
で、こんな記事を見かけました。

【長寿地球一!2億5000万年前の細菌復活】
http://www.yomiuri.co.jp/04/20001019i501.htm

だそうです。

http://www.yomiuri.co.jp/04/20001019i501.htm


適応度、適応、適応的>JA50さん 投稿者:masayuki  投稿日:10月19日(木)01時54分50秒

>相対的適応度というのは、生存率×繁殖率を「集団全体の値で相対化」したものという意味ですか?一方、「集団全体の値で相対化」せずに、生存率×繁殖率そのものを絶対的適応度とする?こういう定義でいいでしょうか?
どちらも、1以上であればその変異を持つ個体は増えることになり、ひいてはその変異がその集団中に増えていく。また1なら増えも減りもせず、1以下なら減っていく。

私の見解も同じです。適応度の定義も同じだと思います。

>ただ、その定義でいけば、数が減っておれば(つまり1以下になっておれば)その変異は生存や繁殖に不利とし、数の増減がなければ(1の時)生存や繁殖に影響するものではない(つまり中立)であるのは当然のことだと思うのですが、どこがおかしいのでしょうか。

生存や繁殖に有利、不利を決めるのは親の数からの増減ではなく子の数の割合ではないんですか。すなわち、生存や繁殖に不利であっても親の数より増えていることもあるわけです。

>>適応、適応的=特定な環境において繁殖上有利であること
>繁殖上有利としかありませんが、生存上有利かどうかは考慮しないんですか?

すいません、忘れてました。

>もし、生存上および繁殖上有利だとすれば、それは適応度を高めることと同義になるし、それなら私が解釈している適応的ということと同じ意味になるのじゃないでしょうか。

大きな集団では同じ結果になると思いますが、同義であるとは言えません。私は「適応度=次代に寄与する子の数」を決める条件が他にもあると考えています。


そうですねぇ 投稿者:  投稿日:10月19日(木)00時48分32秒

器管君(あらため器官君=JA50氏)は確信犯ですものね。

以下、古き良き時代の器管君(あらため器官君)の発言。


嘘をつくには大嘘をそれも続けること 投稿者:JA50  投稿日:05月22日(月)08時55分18秒

>パパキングさん、安賀須若人さん、はじめまして。

>>本気で信じているのは極く一部で、あとは面白がっ
>>っているだけだとおもっていました。

>この本気で信じている人はごく一部、てのが問題なんです。

>真っ赤な嘘で、大声で言えば、ほんとかなと信じる者が必ずでてくる。
>そして、信じなくても、「自分はどちらの味方でもない、素人なんだから価値判断はひ
>かえよう」というどちらでもないという立場になってくれても、大嘘をついた者にすれ
>ば大成功です。
>本来は、そんなバカなと思っていたはずの人が、どちらの味方でもないという立場にな
>ってくれたのですから。

>これを繰り返せば、嘘が真実になる。

少子化遺伝子理論以来、ずーーーーーーーーーーっと繰り返してる。


ちょっとネタふりですが。 投稿者:Hue  投稿日:10月19日(木)00時21分33秒

こんにちは。
某所で知ったことですが、河田雅圭氏による「はじめての進化論」
の web 版があるようです。
http://meme.biology.tohoku.ac.jp/INTROEVOL/index.html

それと、ちょっと古い話題かも知れませんが・・・

『化学』 vol.55 No.7 (2000) 14-19 に「生命はタンパク質から
生まれた!?」というタイトルで載ってる仮説を御存知でしょう
か(著者の池原健二氏のサイトにちょっと書いてあります)。
http://www.chem.nara-wu.ac.jp/ChemWeb/CV/ikehara.html

要するに、簡単なアミノ酸組成からなるタンパク質の方が、核酸
からなるポリヌクレオチド鎖よりも出来やすいはずだから、RNA
ワールド仮説は正しくないんじゃないか。いわば「タンパク質ワ
ールド仮説」が生命の起源をうまく説明できるんじゃないか・・
・と言う話です。

確かに、アミノ酸の方が核酸よりも構造が単純なんで、あながち
ありえないとも思えない。もし池原氏の仮説を支持する強力な証
拠が提示されれば、RNA ワールド仮説が過去の産物になってしま
うかも知れないということで、とても面白いと思いました。

実際はどうなんでしょうね?


Re:自然選択説の対象 投稿者:PDX.  投稿日:10月18日(水)23時53分05秒

To JA50さん

> そうです。
>「もし明らかに非適応的な形質が進化したことが証明されたら」の
>「証明されたら」というところに「上記の諸条件を考慮した結果」
>という意味を含ませたつもりです。

 う〜ん、他の有利な形質と同じ染色体に相乗りしたから、という
理由まで排除するのは不可能ではないかとすら思えてしまいますが。

> 私が思うに(全くの推測ですので証拠などありません)、哺乳類に
>繋がる祖先のどこかで5本であることが適応的だった時期があったた
>めじゃないかと。

 4本指や6本指に比べて5本指が有利だったというシナリオが、私
には思いつかないです。
 特に、その頃には現在のヒトのように二足歩行して「両手」を起用に
動くマニュピレータとして使っていた種はいなかったし、霊長類のよう
に樹上生の種もいなかった(従って、親指が「物を掴める」構造になっ
ている種もいなかった)筈です。
 単に4つ足で地面を這いずるだけの用途(あと水中で泳ぐ用途)であ
ろう当時の両生類(そして爬虫類等の先祖)にとって、指の本数がそれ
ほど重要な淘汰圧の源だったのでしょうか?

 それに対して、イクチオステガやアカントステガの時代に6本、7本、
8本の指を持っていた様々な両生類の中で、たまたま5本指の種も存在
して、たまたまその種において、水中に産卵されなくてもよい卵という
形質が(おそらくは突然変異で)生じ、他の種にはたまたま発生しなかっ
ただけだ、という方がまだ考えやすいのではないでしょうか?
 もちろんこれは偶然だけに依存した考え方ですが。
「5本指が最適だった」という考え方ではなく、「5本指でも用が足りた」
という考え方です。(「5本指が非適応的」と言っているのではありま
せん)

 このシナリオでは、爬虫類(鳥類を含む)および哺乳類の先祖となっ
た両生類がただ1種であると仮定しています。
 二次的に1本〜4本指になった爬虫類、鳥類、哺乳類は数あれど、
6本以上の指を持っている種はみつかっていないと思われますので、こ
れは妥当な仮説ではないでしょうか?
(御存知の通りジャイアントパンダのアレは「指」ではありません)


> PDX.さんは、この指の数が5本であることを、中立的な形質が
>進化した例として、その進化メカニズムをどう説明されるんでしょう?

 上で書いた通り、中立的な(「役に立たないけど害もない」という
意味の中立ではなく、4本指や6本指とくらべて有利でも不利でもない
という意味での中立です)進化の例として5本指を語ってみたのですが
いかがでしょう?
『5本指だから進化した』のではなく、(爬虫類などに)進化できた種
がたまたま5本指だった、という仮定です。ここにおいて重要なのは、
両生類と爬虫類等の最大の相違点は卵が乾燥に耐えられるかどうかとい
う点であり、指の本数などではないということです。
 これは、『指の本数』という形質が、『水に依存しない卵』という、
有利な形質に相乗りして進化した例になりませんか?
(その後、両性類では6〜8本指の種は滅び、原生のものは4本指なの
だそうです。5本指が特別有利というわけではなさそうです)

>4本と5本、6本の間(これがもし同種における個体差なら変異になる)
>に、適応度の差がないと仮定しても、5本あること自体は適応的であり
>何の役にも立っていないなどと私はとても思えないんです。

 上で書いた通り、私も5本の指が適応的ではない、などと思ってはいま
せんよ。5本の指が『特別』適応的ではない、ということです。
 5本である必然性がないと言いますか。4本でも6本でも構わなかった、
ただ、爬虫類等の先祖が『たまたま』5本指だった、ということです。
 このあたりの私の真意を誤解しないようお願いします。
 


適応度 投稿者:PepperMyst  投稿日:10月18日(水)23時27分28秒

ワンダフル・ライフ3章より抜粋
『生き残ったのは適応的に秀でていたからだという理屈は、循環論法という古典的な過ちを
招く危険がある。生存は説明されるべき現象であって、それ自体が、生き残ったものは死んだ
ものよりも"より良く適応していた"ことの説明ではない。――中略――ダーウィン自身、
その問題点を自覚し、自ら解決しているほどである。適応度――この場合でいえば秀でた適応
――は、事後に生存したかどうかで定義することはできない。それは、形態、生理、行動などを
分析することで事前に予測できなければならない。ダーウィンも論じているように、より速く
より遠くまで走れるシカ(そのことは骨、関節、筋肉をくわしく調べればわかる)のほうが、
危険な捕食者がいる世界では生存しやすいはずである。生存しやすさとは検証されるべき
予測であって、適応の定義ではない。』――スティーブン=ジェイ=グールド

JA50さん>
> ただ、何度も言っていますが、権威ある本に書いてあることに素人の私がそれは違うと
> 言ってもナンセンスです。トンデモさんがやっているのと同じになってしまう。

> 専門家が私の見解とは違うことを主張しているということであれば、私は自分の見解が間違
> っている可能性が強いとし、どういうことなのか、他の専門家の文献も参考に考えてみたい
> と思います。時には自分の考えを修正しないといけませんし、今までそうやってきた結果が
> 今の私の見解です。そしてこれはこれからも同じです。修正され続ける。

ぜひ実践して見せてもらいたいものですね。
いくらJA50さんでもいまさらグールドがトンデモだなんていわないでしょう?

> 私は専門家の意見を尊重しますが、その見解が専門家で異なれば、より権威があると私が判断
> する方の人の見解をとります。
> evolution では、グールドの方を私は選びます。


読まないで書評 投稿者:wadja  投稿日:10月18日(水)22時58分43秒

いかん。「読まないで書評」しちゃってる。お許しを。


適応度>JA50さん 投稿者:w  投稿日:10月18日(水)22時46分44秒

私が知っている適応度は、「集団遺伝学」のHPにあった、下記の定義によります。

‘自然選択の問題を厳密に扱うには、まず適応度 fitness という考え方を理解しなければならない。これはダーウイン適応度 Darwinian fitness ともいい、上述の考えをまとめたものである。すなわちいろいろな遺伝子型の個体が次の世代を構成するのにどの程度貢献するかを表わす尺度である。これには1個体あたりの子どもの数で表わすのが妥当であろう。ここにいう子どもの数はもちろん生まれる子どもの数そのものではなくてそれらが成熟し、かつ孫を産む個体の数である。’

「1個体あたりの子どもの数」は、適応度そのものだとは言ってません。(遺伝的浮動を誤差として排除するなど)単純化したモデルを考える上で、「子どもの数」と「適応度」を全く同義に用いる場合が多いことは知っていますが、それをもって全く同じものとすべきだとは思えないのです。本来は「生存に有利さをもたらす度合い」として測るべきものですが、現実には計測できないので子孫の数で近似している?計測は出来なくても比較は可能なので、masayukiさんのおっしゃる「相対的適応度(どちらが適応的か)」もなんとなく分かる気がします。

>ある変異が広がり固定した、その固定するまでの期間で適応度の平均を計算すれば1以上でな
>いといけない、というのはいいですか?

私なりに言葉を変えさせていただきます。

「ある変異が広がり固定した、その固定するまでの期間で一個体当たりの、孫を残した子供の数の平均を計算すれば1以上でないといけない。しかし、その変異自体は適応的なものではなく、偶然の出来事により広まっただけ。」

というのは、ありえない話ではないですよね?


必要条件、十分条件>JA50さん 投稿者:wadja  投稿日:10月18日(水)22時45分47秒

必要条件・十分条件の、数学的な正確な定義をありがとうございます。なにか懐かしい気がしました。

「進化と人間行動」を読んでいませんが、著者の言いたかったことはこうではないのかと推測しているので、間違っているかもしれません。しかし、著者が言いたいのはどちらかというと;

(A)「1)から4)の条件のうち、どれかひとつが満たされない」→「自然淘汰は働かない」ということであって、(B)「1)から4)の条件が全て満たされる」→「自然淘汰が働き、変異が広まる」では無いのでは?ということです。

>「1%遺伝する」から「99%遺伝する」まで...

私にはこの部分が理解できませんでした。遺伝する確率のことをおっしゃっているのでしょうか?自然淘汰が働くための条件ということなら、遺伝する変異なのか、(獲得形質のように)遺伝しない変異なのか、二つに一つのように思えますが?

自然選択の対象になる「変異」の定義は、JA50さんのおっしゃる通りだと思います。ただ、素人の私が使う国語辞典では、変異とは、“起源を一つにする個体間に形質の相違が現われること。また、そのような現象の総称。遺伝子型の差異による交配変異、外部要因の作用による境遇変異、真の遺伝子の変化による突然変異の三種に大別される。”となっていますので、「変異」と言う言葉自体には、「突然変異」も含まれます。自然選択説について議論するにしても、何をさしているのか分からなくなることがあので、区別は明瞭にしていただいたほうが、私のような素人はたすかります。

>つまり(6)→{(1)∧(2)∧(3)∧(4)∧(5)}というのも自然選択説は主張し
>ていると。

私自身の感想(なにせ詳しくないですから)ですが、自然選択説はそこまで主張していないように思えます。「集団遺伝学」HPからの引用の再掲です。

‘自然選択natural selectionの意味はダーウインの「種の起源」の序文で明確に述べられている。

"それぞれの生物種の個体は生存できる数より多くが生まれてくるので、その結果生存競争が絶えず繰り返されることになる。複雑でしばしば変化する生活環境条件の下で、どんなにわずかであってもその個体にとって有利な変化があるとその個体は生き残る可能性がでてくる。いわば自然に選択(淘汰)されるのである。遺伝の原理によりその選択された変異は子孫に受け継がれ集団の中に広がって行くであろう。"’

これを見る限り、(6)→{(1)〜(5)}だとは思えないのです。


Re:独特>JA50さん 投稿者:masayuki  投稿日:10月18日(水)21時48分40秒

とりあえず、1部だけレスします。

>そうなんだよと木村自身が強調さえしている。

その解釈は違っていると思う。
「p184 4遺伝的浮動について」の冒頭の3行を読めば解ると思うが、分子(遺伝子の内部構造)レベルの進化に限って適用されているわけではない。
JA50さんも表現型における遺伝子の意味はわかっているはずでしょう。
分子レベルと表現型レベルの違いを述べた、第8章5節は表現型レベルの便宜主義的進化を中立説では説明できないことを述べているのであって、遺伝的浮動の概念を表現型レベルに当てはめられないなどとは一言も言っていないのでは。


残念ながらおそらく無理でしょう。 投稿者:へち  投稿日:10月18日(水)21時32分53秒

>皆様の議論の参考になればと思い、ご紹介いたしました次第です。

なぜなら、形質にしろ、自然選択説にしろ、一般的な定義に従ったとたんに自説は成り立たなくなってしまうからです。
だから、自分が正しいことを証明しようとするために、自分の都合のいいように定義する道を選んだのです。
そのため、自己流の定義の欠点(例えば、適応的な形質と言った場合、何に対して適応的なのかを答えられない、あるいは考えようがない。また中立な形質というものを考えたとたんにその形質は変異とされ、適応的な形質は変異とは見なされない)があるにも関わらず、それらを使い続ける、というわけです。


Communication Breakdown 投稿者:安賀須若人  投稿日:10月18日(水)19時47分23秒

少し前の日本科学哲学会の学会誌「科学哲学」で、「道徳はESS(進化的に安定な戦略)か」という問題で大庭健さんと内井惣七さんの間に論争が交わされたことがありました(発端は大庭さんによる内井さんの「進化論と倫理」の書評)。そのときの内井さんの文章が科学を巡る議論の中で重要なポイントを突いていると思いましたので紹介します。

内井惣七 「進化的に安定な戦略とは」(「科学哲学」32-1(1999)83-85)よりの引用
(引用開始)
大庭氏は「内井自身のESSの定義に従って、道徳はESSになるはずだ」と反論された。しかし、進化生物学の基本概念は、人が自分の好みで好き勝手に変えてよいものではない(哲学者は往々にしてこれをやるので科学者との議論がかみあわなくなる。逆もまた真)。また、いかに「進化論にかんしてズブの素人」(わたし自身も数年前までは同じ)でも、わたしが挙げてある参考文献をチェックしさえすれば、ESSのきちんとした定義はすぐに確認できたはずである。
(引用終了)

これに対して大庭さんは、内井さんが紹介したESSの定義に従って「道徳は内井氏の議論においてはESSである」という主張を撤回しました。(もっとも「科学に半可通の哲学者」とか「読まないで書かれた書評」とかは売り言葉だとご憤慨の様子でしたが、、、)
皆様の議論の参考になればと思い、ご紹介いたしました次第です。


Re:独特2>masayukiさん 投稿者:JA50  投稿日:10月18日(水)17時20分11秒

>偶然的浮動は数学的概念ではないのですか。

その通りでしょうね。
集団遺伝学が用いている数学的概念でしょう。

「進化と人間行動」は表現型レベルの、特に動物や人間の社会行動についての進化、それも自
然選択説を用いた進化メカニズムを解説したものです。また「生物進化を考える」はその名前
の通り、表現型レベルも分子レベルも含めた進化一般について解説したものです。
ただし、中立説は、何度も書いていますが、分子進化についてのものです。
上記のような数学的概念を用いて、分子レベルの進化ではこういう予測ができる、そして実際
に実験や観察でだいたい予測通りになっているから今のところは正しいだろうとなっている。
しかし、それはあくまでも分子レベルの進化についての話です。そうなんだよと木村自身が強
調さえしている。

>もし単純に適応的な形質しか進化しえないのだとしたら、生物がこんなにも多様に進化をしている現状をどう説明するのだろうか。

適応的な形質しか進化しえなければ、こんなにも多様な生物がいるはずがないと思っているわ
けですか、、、
適応的な形質が自然選択によって積極的に作られるからこそ、こんなにも多様な生物が進化し
ているのだと、私は逆に思っていました。

>もちろん進化に方向性を付けるためには自然選択が今ある唯一の理論だと思うが。

進化に方向性を付けるための理論というのに自然選択説を入れるかどうかは解釈次第でしょう
(例えば、非適応的な形質も進化しえるという説だというのなら、適応的な方向にだけ進化す
るわけじゃなくなる)。
それと、進化に方向性をつける理論ということなら、ラマルク説、定向進化説などなど他にも
あるのじゃないですか。

「進化に方向性を」というのは、「定義上、自然淘汰のみが適応を生み出せる」(進化と人間
行動)ということを言われたかったのかな、、、


Re:独特1>masayukiさん 投稿者:JA50  投稿日:10月18日(水)17時19分39秒

予め言っておきますが、masayukiさんの見解が間違っていると言っているわけではないので、
ここを誤解しないで下さい。今のところ、私は自分の解釈を正しいと思っていますが、もし他
の方の解釈の方がより正しいと思えたらすぐそちらに乗り換えます。それがmasayukiさんので
も同じです。

相対的適応度というのは、生存率×繁殖率を「集団全体の値で相対化」したものという意味で
すか?
一方、「集団全体の値で相対化」せずに、生存率×繁殖率そのものを絶対的適応度とする?
こういう定義でいいでしょうか?

私は、相対的適応度とか絶対的適応度というのをあまり区別して使っていませんでした。
それは、生物集団がほぼ安定した個体数を維持している場合には、両者はほぼ同じ値をとるだ
ろうと思っていたからです。少数の極端な例(急激に個体数が増減している例)以外は、両者
を区別する必要はあまりないのじゃないかと。
どちらも、1以上であればその変異を持つ個体は増えることになり、ひいてはその変異がその
集団中に増えていく。また1なら増えも減りもせず、1以下なら減っていく。

masayukiさんの見解では、こうはならないのでしょうか?

>有害な(生存、繁殖に不利な)個体の適応度を1以下としたり、中立な個体を適応度1としたりするのは意味が良くわかりません。

ある変異を持つ個体について、その親の世代に達した次世代がどれほど増えているかというの
が私の解釈する適応度ですが、これはmasayukiさんの定義と同じと思います。「適応度=次代
に寄与する子の数」という方がより簡潔で明確でさえあると思います。
ただ、その定義でいけば、数が減っておれば(つまり1以下になっておれば)その変異は生存
や繁殖に不利とし、数の増減がなければ(1の時)生存や繁殖に影響するものではない(つま
り中立)であるのは当然のことだと思うのですが、どこがおかしいのでしょうか。

masayukiさんは「有害な個体の適応度」とか「中立な個体の適応度」はどういう値になると考
えているのですか?

>適応、適応的=特定な環境において繁殖上有利であること

これは、環境次第で適応的かどうか決まるということですね?
また、繁殖上有利としかありませんが、生存上有利かどうかは考慮しないんですか?
もし、生存上および繁殖上有利だとすれば、それは適応度を高めることと同義になるし、それ
なら私が解釈している適応的ということと同じ意味になるのじゃないでしょうか。

>形質と変異のそれぞれの概念について、詳しい説明をお願いします。そしてなぜそうしないと自然選択説を論じられないかも。

今まで何度も、それも具体的な例を上げて説明してきたと思いますが。
自然選択説は変異(個体間の違い)がないと働きません。変異がありその他の条件も満たせば
自然淘汰が働き、有利な変異が累積され、その結果としてそれぞれの種が持つ形態や機能上の
各種の性質、特徴(これが私の言っている形質)が作り上げられたのだ、というのが私の自然
選択説による形質の進化メカニズムです。
この部分の変異や形質という用語を一緒にしまっては、何を言っているのか分からなくなりま
す。

masayukiさんは、形質とか変異というのを区別しないでもいいとされているようですが、区別
せずにどうやったら自然選択説で進化の説明ができるのか、やって下さいますか?

>形質=表現型に現れている特徴、形態、性質
>変異=表現型に現れている特徴のバリエーション、あるいは突然変異

こういう定義で、自然選択説でどういう形質がどういうメカニズムで進化するのか解説してい
ただけるとありがたいです。その中で、masayukiさんの定義による形質とか変異がどう関与し
てくるのか興味深いです。この2つを区別せずにいったいどうやって自然選択説の説明をする
のだろう。

「表現型に現れている特徴」というのがいまいち理解できないのですが(たぶんmasayukiさん
の言う表現型の意味が分からないためでしょう)、それが形質の定義だとしているのですよね。
そして、変異とは「表現型に現れている特徴のバリエーション」だというのですから、変異と
は「形質のバリエーション」だということになります。
じゃ、バリエーションとは何でしょう?
それは個体差ということじゃないのですか?
つまり、形質の個体差だということになる。それなら、私の解釈とどこが違うのでしょうか?
それと、変異を突然変異としては、変異というのをただ繰り返していることになりませんか?


Re:自然選択説の対象>PDX.さん 投稿者:JA50  投稿日:10月18日(水)17時18分48秒

>(『明らかに非選択的』というのは、上記の諸条件を考慮した結果、
>ということでしょうかね?)

そうです。
「もし明らかに非適応的な形質が進化したことが証明されたら」の「証明されたら」というと
ころに「上記の諸条件を考慮した結果」という意味を含ませたつもりです。
「明らかに」というのは、中立であるのを除外するために使いました。

>上記のとおり、その形質が本当に適応的でないのか、中立なのかの
>判断が難しいというのもあると思うんですけどね。

これはその通りで、この部分に淘汰万能論者、適応論者(この2つは、ここで私を指して万能
論者としているのとは意味が違います、一般的な意味の方)の寄って立つ根城がある。
それと、「君たちの研究している動物が、それを研究している人たちと同じように愚かだなん
て考えちゃいけないよ」ということも。

そもそも、ある形質が、実際何の役にも立っていないのかどうか、証明するのは不可能かも。
この「役にたっていない」というのは「役立っている何かが存在しない」という非存在言明と
もとれますので、証明そのものが不可能かもしれない。

なお、中立なものは、そもそも自然淘汰には見えないのだから、対象範囲外だというPDX.
さんの主張はなるほどとは思いました。
この主張に、全ての形質が自然選択説の対象範囲内だとしている私はどう反論できるのか、今、
困っているところです。

>なぜ5本のままなのか。

私が思うに(全くの推測ですので証拠などありません)、哺乳類に繋がる祖先のどこかで5本
であることが適応的だった時期があったためじゃないかと。
それと、これも赤血球の型、A型とB型でどちらが適応的とは言えないという反論と同じじゃ
ないかと思います。A型とB型で適応度に差がない(多型が維持されているんですからたぶん
そうでしょう)として、もし何か偶然でA型だけになれば、それは中立な形質が固定したこと
になるんじゃないかという反論です。

これも、何を形質とし、何を変異とするかの解釈の違いによるのじゃないでしょうか。

PDX.さんは、この指の数が5本であることを、中立的な形質が進化した例として、その進
化メカニズムをどう説明されるんでしょう?
何を形質とし、何を変異として、これこれのメカニズムで5本になったのだ、というような解
説をしていただけると分かりやすいんですが。

私にすれば、指が存在すること、そのこと自体が役立っているものですから、適応的な形質が
進化してきた例の一つになるんですが、、、
4本と5本、6本の間(これがもし同種における個体差なら変異になる)に、適応度の差がな
いと仮定しても、5本あること自体は適応的であり何の役にも立っていないなどと私はとても
思えないんです。

>どういう方向の例を挙げればいいのですか?
>有益な形質が増えていって定着するシナリオか、中立な形質が定着
>するシナリオか、有害な形質が定着するシナリオか?

できれば皆やってほしいですが、強いてどれかと言われれば、中立的な形質の進化メカニズム
です。上の指の例でもいいです。

自然選択での進化がどういうものとお考えなのか興味がありますので、適応的な形質が進化し
てくる例、また自然選択が働いている中でどうやって有害な形質が進化してくることがあり得
るのか(もしそういうのが出てくればすぐ自然選択によって排除されるはず)、できれば皆や
ってほしい。

>上で書いた指の本数の例も、人によって解釈が異なるかもしれませんね?

その通りと思います。
何を形質とし、何を変異とするか、千差万別。
こういうのに辞書を引用してあれこれ言ってもナンセンスです。


Re:独特>JA50さん 投稿者:masayuki  投稿日:10月18日(水)04時06分14秒

>適応度や、適応とか適応的というのはどのように使っているのでしょうか?

適応度=次代に寄与する子の数
適応、適応的=特定な環境において繁殖上有利であること

JA50さんは適応度と使う場合、相対的適応度として使っているのでしょうか。有害な(生存、繁殖に不利な)個体の適応度を1以下としたり、中立な個体を適応度1としたりするのは意味が良くわかりません。相対的適応度にした場合、集団全体の適応度が1で、それぞれのタイプは比率で表されるのではないでしょうか。また絶対的適応度の場合は有害な形質を持つ個体が必ずしも適応度<1というわけではないと思います。
特定な環境において繁殖上有利であると言ってしまえば、それはすなわち正の自然選択と同義です。
では、次代に寄与する子の数を決める要素はなんでしょう。私は適応的であることが全てであるとは思っていません。

>私は形質と、その形質について個体間に見られる差つまり変異とは全く別の概念と解釈しています。これを区別しないで自然選択説を論じられるとは思えません。

形質と変異のそれぞれの概念について、詳しい説明をお願いします。そしてなぜそうしないと自然選択説を論じられないかも。
10/3のレスで「変異に自然淘汰が働き、その蓄積として形質が作られる(その結果として形質がある)。」とありますが、形質には淘汰が働かないのですか。

>形質とか変異をどういう意味で使っているのでしょうか?
 
形質=表現型に現れている特徴、形態、性質
変異=表現型に現れている特徴のバリエーション、あるいは突然変異

>私は次のように突然変異遺伝子の偶然的浮動を理解しています。

偶然的浮動は突然変異遺伝子だけに働く現象ではないと理解しています。
「生物進化を考える」でも「進化と人間行動」でも単に遺伝子頻度のとしています。
つまり、表現型に対応している遺伝子にも働いています。個体に対しても働いています。
偶然的浮動は数学的概念ではないのですか。

>一方、表現型レベルの進化については、そもそもこの仮説(理論)をそのまま適用できるとしている専門家を私は知らないし、そのためそういうことを検証したという文献も知りません。masayukiさんは、そういう研究者とか文献をご存じですか?もしご存じなら教えて下さい。

私も詳しく知りませんが、シウォール・ライトによって1931年に発表された「メンデル集団の進化」(私は読んでいません)が最初だと聞いています。その後、彼が唱えた「平衡推移理論」は有名です。この理論の核になっている条件が「遺伝子頻度の偶然的変動」(遺伝的浮動)です。上にも書きましたが、「生物進化を考える」でも「進化と人間行動」でも表現型レベルの進化のメカニズムの一部としています。素人向けの入門書などでもよく見ます。ただし、形態学からアプローチした入門書にはこの事にふれていないことが多いようだ。

もし単純に適応的な形質しか進化しえないのだとしたら、生物がこんなにも多様に進化をしている現状をどう説明するのだろうか。もちろん進化に方向性を付けるためには自然選択が今ある唯一の理論だと思うが。


Re:明らかに非適応的な形質も自然選択説の対象内 投稿者:PDX.  投稿日:10月17日(火)18時12分02秒

To JA50さん

> ということは、自然選択説が正しければ、有害な形質が進化して
>くることはない。もし明らかに非適応的な形質が進化したことが証
>明されたら、それは自然選択説の反証になるということですね?

 自然選択以外の影響力を考慮していない、狭義の自然選択説の反証、
といったところでしょうか。
 実際には
   1) 実は適応的な側面がある
   2) かつて適応的であったが環境が変わった
   3) 他の有利な形質と同じ染色体に乗っているなどの要因
…等も考慮しないといけないでしょうけど。
(『明らかに非選択的』というのは、上記の諸条件を考慮した結果、
ということでしょうかね?)

>形質の進化にも、そういう極端な例があるのでしょうか。

 上記のとおり、その形質が本当に適応的でないのか、中立なのかの
判断が難しいというのもあると思うんですけどね。

 ヒトの手足の指の数が5本というのは、化石両生類(イクチオステ
ガとかアカントステガのあたり)の指の数が種によって6本であった
り、8本であったりしたことを考えれば『進化した結果』だとは思う
のですが、それがなぜ5本で定着したのかというのはわからないです
よね?
 現生の両生類の多くは4本だそうですし、ウマの1本を始め、走る
ために指の数を減らしていった動物も多いのに、なぜヒトの指は5本
で落ちついているのか?
 ヒトの手の指はマニュピレータとして器用に物を掴めるという特質
を持っていますが、工学的には、3次元の空間において球体を安定し
て掴むためには3本指というのが最低ラインだとされます。
 3本以上であれば4本でも、6本でもよかったであろうに、なぜ5
本なのか?
『哺乳類の共通先祖が5本指であったから』のが第一の理由なのです
が、ウマの例にあるように減る方向の進化があっても不思議ではなかっ
た。なぜ5本のままなのか。上陸して間もない頃の両生類の指より少
ない5本で安定したのか? 4本や6本に比べて「より適応的」とは
思えないのですがいかがでしょう?
(正直ヒトの指の数が片手4本であれば、我々が8進数と呼んでいる
ものが「10進数」だったはずで、あの面倒な10進←→2進変換な
んてロジックは不要だったのに(笑))

> もしかして、他の進化メカニズムというのは、あのミトコンドリ
>アの進化における共生説などのことを言われているのですか?

 今回の議論に関して言えば、共生は突然変異と同じく新しい変異を
導入するきっかけとなると思うのですが、それが有益か有害かによっ
て淘汰がかかるわけですから、自然選択説の対象に含まれると思いま
す。

> ところで、是非、器官や行動様式の進化について、何か具体例を
>挙げて、自然選択説を用いてやってくれませんか?

 どういう方向の例を挙げればいいのですか?
 有益な形質が増えていって定着するシナリオか、中立な形質が定着
するシナリオか、有害な形質が定着するシナリオか?

 上で書いた指の本数の例も、人によって解釈が異なるかもしれませ
んね?
(あれは『非適応的な形質』の例ではありませんけどね。強いていう
なら、4本指に比べるとエネルギーが無駄、という程度には有害かも
しれませんが…)


明らかに非適応的な形質も自然選択説の対象内>PDX.さん 投稿者:JA50  投稿日:10月17日(火)17時42分47秒

>ですから、私が対象外とするのは、あくまで中立な形質です。

なるほど。
ということは、自然選択説が正しければ、有害な形質が進化してくることはない。もし明らか
に非適応的な形質が進化したことが証明されたら、それは自然選択説の反証になるということ
ですね?

線引きの話ですが、「一線」などない、「リニアに影響の度合いが変わるのであって、どこか
に明確な閾値があるわけではない」というのは分かります。
どこで行き違ったのか、、、

プレートテクトニクスはその惑星なり衛星の大きさだけじゃなく、近傍の重力源による潮汐力
も考慮しないといけないと、より一般化された理論になったわけですよね。そして、近傍に大
きな重力源がないような場合には、その惑星の大きさだけを考慮した近似で説明できる。しか
し、近傍に巨大な重力源がある場合には(イオなど)、より一般化された方の理論を使わない
といけない。
両者とも、いわば極端な例だと思います。こういう極端な例というのは理論の検証に非常に役
立つ。
形質の進化にも、そういう極端な例があるのでしょうか。
こういう適応的な形質は自然選択によって主に進化してきた、一方この場合は自然選択以外の
メカニズムで適応的な形質が主に進化してきたものだというような、そういう例があるのかど
うか。もしあるのなら、その2つを区別するにはどうすればいいのか、、、

もしかして、他の進化メカニズムというのは、あのミトコンドリアの進化における共生説など
のことを言われているのですか?

>>器管
>
>と敢えて書かなくても…(汗)

ほんと言われる通りです、、、(汗)

笑ってやって下さい。
さっそく削除しておきます。

ところで、是非、器官や行動様式の進化について、何か具体例を挙げて、自然選択説を用いて
やってくれませんか?
形質とか変異についての、各人の解釈の違いが、自然選択説の解釈の違いの最大の原因(他に
も原因はあるでしょうが)だと思うのです。
PDX.さんがどう考えているのか興味あります。
なんか、各人で自然選択説の解釈がそれぞれ違う。PDX.さんとNATROMさんとでも違うし、
もしかするとwadjaさんもまた違った解釈をしているかもしれない。
NATROMさんは定義を以前書かれていたので、形質についてはほとんど私と同じようだと感じま
した。ただ、大きいとか小さいというようなのを形質としていいのか、まぁこれらは大きさと
いう性質のことを指しているのだろうとは思いますが(変異についてはどうなんだろう?)。


適応度>wadjaさん 投稿者:JA50  投稿日:10月17日(火)17時41分38秒

>以前JA50さんが「広がらなかったのに適応度が1以上と言うのは理解できない」とおっしゃっていたので、「子供の数が適応度を定義するのではなく、抽象的な適応度を計測するために、近似値(条件によって使えない場合がある)として、子供の数を用いているのではないのですか?」と言いたかっただけなのです。

だめです、理解できない。

ある変異が広がり固定した、その固定するまでの期間で適応度の平均を計算すれば1以上でな
いといけない、というのはいいですか?
一方、ある期間である変異が消滅してしまったとしたら、その期間におけるその平均の適応度
は1以下のはずだというのも?
真の適応度というようなものじゃなく、計測され計算された適応度です。

その期間(表現型進化では普通は世代を単位にしている)において、適応度の平均が1以上で
あって固定したが、その真の適応度は実は1以下だった(消えた場合はこの逆)、というよう
な意味でwadjaさんは「真の適応度」というのを持ち出されたのかなとも思いました。そういう
場合、真の適応度が1以下(つまり有害な変異)でも、広がり固定したことになるのではない
かと。
でも、私の感覚では実際に測られた方の適応度こそが、「真の適応度」により近いものであり
そうじゃない真の適応度というのは間違っていることになるという感じがします。
如何に美しい理論だろうが、その予測が実際の自然に当てはまらなければ、その理論は棄却す
るのが科学なんですから、真だろうが何だろうが、実際の値と解離したものならそれは偽とす
べきだと思うのですが。


必要条件、十分条件>wadjaさん 投稿者:JA50  投稿日:10月17日(火)17時40分53秒

>筆者が、これらの条件を自然淘汰の働く必要条件として提示したのであって、充分条件として提示したのであれば、「〜でしょう」という表現を取るとは思えないからです。

必要条件、充分条件ということの意味がいまいち理解できないのですが、たぶん、、、
論理学の定義では、∀x(F(x)→G(x))が真の時、GをFであるための必要条件、F
をGであるための十分条件というとなっていますが、この意味で使っているのではなく、これ
以下の文などからみて、1)から4)までの条件の一つを指して、必要条件、つまりそれら一
つでも成り立たなければ、全体の命題も成り立たないというような意味で使われているのだと
思います。

結論が推測型であって科学の仮説たり得るのか、そこが疑問だったので、この「でしょう」と
いうのを未来を表す助動詞と解釈したんですが、、、う〜む、、、

補集合の話ですが、wadjaさんが上げられた条件の1つでも満たされたら自然選択が働かないと
というのは分かります。
ただ、問題なのは、変異と言っても、全てが遺伝によって決定されているわけではないこと、
また変異が全て適応度を変えると限らないし、さらに変えるとしてもその変異が適応度の全て
を決定しているわけではないことです。
「100%遺伝する」と「0%遺伝する」(全く遺伝しないの意)というものの間に無数の程
度があるはずです。ですから、「100%遺伝する」の補集合として「0%遺伝する」をとる
わけにはいかないと思います。「1%遺伝する」から「99%遺伝する」までがすっぽり抜け
ているわけですから。じゃ「100%遺伝する」の補集合として「99%までは遺伝する」と
いうのにすればいいのかというと、これもそうはいかないですよね?
NATROMさんが言われる、少子化行動には文化の影響が大きいから自然選択説は使えないという
ことの意味は、この100%と0%の間のどこかに線引きをするということじゃないでしょう
か。人間の少子化というのには、文化的影響というのが大きいと私も思いますが、それでも多
少なりとも遺伝も関与しているはずです。その遺伝の関与というのがどれほどであれば、自然
選択説を適用できるのか、です。また、文化等、遺伝以外のものの関与がどれほど以上あれば、
自然選択説を使えないのか、私が問題としているのはここです。

>#ここで用いられている「変異」であれば、「個体間の差異(Variation)」でも、「突然変異(mutation)」でも意味は通りますね。

自然選択説でいう変異というのは、個体間の変異だと思いますが。それ以外に何かあるんでし
ょうか、私は思いつきません。
その個体間の変異を供給するのは、突然変異。

ところで、、、

「その変異が生存や繁殖に有利であること」というのを条件にして(5)とすると、自然選択
説は、、、
{(1)∧(2)∧(3)∧(4)∧(5)}→(その変異が集団中に広まるでしょう)
(この後件を6とします)
となると思いますが、これは逆も真だと思いますか?
つまり(6)→{(1)∧(2)∧(3)∧(4)∧(5)}というのも自然選択説は主張し
ていると。

それと、実際はどうなんでしょう。
(6)が成り立っている例では、必ず(1)から(5)の全てが成り立っているんでしょうか?

こんな疑問を持つのは私だけかな、、、


用語法について 投稿者:安賀須若人  投稿日:10月17日(火)10時10分05秒

通常使われている用語法と異なる独自の用語法を使う方(例えば「形質」と「変異」をめぐる一連の書き込みにおけるJA50氏)がいますが、そういう方は他者(専門家など)の著作物を引用する場合には、引用者と同じ用語法に従っているかどうか細心の注意を払っていただきたいと思います。ある学説(例えば自然選択説)ついて引用に基づいて議論する場合に、論者(引用者)と被引用者の間で用語法が一致しないと議論が混乱します。議論の相手に他者による定義を引用して示す場合には引用と同時に自己の特殊な用語法に合わせた注釈なり翻訳を書いていただかないと混乱を生むだけです。少なくとも私の見た限り、トリヴァースなり長谷川&長谷川なりの自然選択説の説明で用いられている用語法とJA50氏の用語法は一致していないと思われます。トリヴァースなり長谷川&長谷川はどちらかといえばへちさんが示された(「形質」投稿者:へち 、投稿日:8月31日(木)17時16分13秒 )「生物学辞典」に出てくる用語法に一致すると思われます。また「中立な形質」についても、ここのところの議論を見ていると「生存にとって有利でも不利でもない形質」「痕跡器官」といった使い方は、「野生型と比べて有利でも不利でもない形質」(言い換えれば「野生型の形質と同程度に生存に有利な形質」)という他の人の用語法と食い違っており、これが「形質」に関する独特の用語法による混乱に輪を掛けているように見えます。


どうやら 投稿者:  投稿日:10月17日(火)01時22分31秒


器管君は、器官を器管と言い張っているのではなく、「器管」なる
とんでも語を「創造」なさったようですな。(ならば是非は別とし
て主旨は通る。)

以下、器管君の文章

>ておきます。私が形質の定義で言っている器管とか行動様式を植物の花にあてはめれば、器管
>というのは花そのものや花の形、色、花弁の数など形態上の特徴あるいは性質のこと、行動様
>式というのは、その花がいつ開くのか(春かとか日中かなど)とか開く条件(一冬越さないと
>いけないというようなこと)などの機能と言ってもいいような面についての特徴のことです。

もはや支離滅裂。誰もついて行けないでしょう。これが器管君の赤裸々な姿を
現しています。

ちなみに、以下の問題は永遠に解決されないのだろうか? (以下再掲)

(器管君の定義では)
変異についての適応度を求めることはできるが、
形質についての適応度を求められない(というか
定義しようがない)。「適応的な形質」ってどん
なものか、というのも具体的に考えようがない。

なんとかならんかね?

追加感想

どうやら器管君が金科玉条にしている元ネタの本においても
variation と mutation があいまいに使われているようだ...



Re: 理論の適用範囲の限界とか 投稿者:PDX.  投稿日:10月17日(火)00時26分27秒

> 自然選択説は、適応的な形質の進化を説明する理論である(非適応的な
>形質については対象外)上に、その適応的な形質の中にさらに別の進化メ
>カニズムが働いてできたものもあるということですね。

 少し違います。
 あきらかに非適応的(生存上不利)な形質は、淘汰の対象になるので
除外されていきます。(ただし、「中立といってよいほどに、あまり不
利ではない」程度のものはなんとか残ってしまう可能性があるとみなし
ていますが)
 ですから、私が対象外とするのは、あくまで中立な形質です。

> ところで、その適応的な形質の中の、自然選択じゃなく別のメカニズ
>ムで進化したものと、自然選択が働いて進化したものとを、どうやった
>ら区別可能なのでしょうか?

 明確な区別が「ここから」なんて引けるとは思っていません。
 何度も話題に出す天体の大きさ仮説の件ですが、あれにしても
大きさだけで説明ができるのは、近傍の大質量の天体の及ぼす潮
汐力がどれだけ以上の時、なんて明確な「一線」はありませんよ
ね? 距離に反比例して(距離の二乗だったかも)リニアに影響の
度合いが変わるのであって、どこかに明確な閾値があるわけでは
ないと思います。
 まぁ理論の上では、1%とか0.1%とか、影響の度合いを評
価する規準を設けて、そこに満たないものは無いものとする、と
して扱うしかないと思いますが。
(例えば地球だって月だって、多少〜〜〜〜〜〜〜〜〜は木星か
らの潮汐力を受けてはいるけど、無視して語れるでしょうし。
結局このあたりが理論の適用範囲の線をどこに引くかという話な
んじゃないかとも思うわけですが)


 しかし、

>なお、またまたごちゃごちゃ横から言っている人がいますので、

とかいいつつ

>器管

と敢えて書かなくても…(汗)
 もし日本語IMがそう学習してしまっているのでしたら、辞書
を編集して変な学習は削除したほうがいいと思いますよ。
 とりあえず私の手元に有る CD-ROM 辞書等には「器管」という
単語は載っていないので、単なる誤変換だろうと思いますが…。


概矛盾>JA50さん 投稿者:wadja  投稿日:10月17日(火)00時12分41秒

失敗です。「おおむね」は数学的に意味のある用語だった(と思う)ので、使うべきではありませんでした。「必ずしも矛盾しない」程度にお考え下さい。

「(ダーウィン)適応度」の本来の定義は、「適応の度合い」といった抽象的な概念だと思っています。おっしゃる通りに、あまりに抽象的過ぎて議論やモデルに用いるには不便です。だから必要上、「平均的な子供の数」とする場合が多いのでは無いでしょうか。中には、「適応度とは子供の数のことである」とまで、言いきってしまう先生もお見受けするのですが、あくまで「子供の数」=「適応度」では無いことを、忘れるべきでは無いと思うのです。

以前JA50さんが「広がらなかったのに適応度が1以上と言うのは理解できない」とおっしゃっていたので、「子供の数が適応度を定義するのではなく、抽象的な適応度を計測するために、近似値(条件によって使えない場合がある)として、子供の数を用いているのではないのですか?」と言いたかっただけなのです。

へたな「サンプル」だの「真の適応度」などの説明は、分かりづらいかもしれません。お互いに混乱する結果となって、申し訳有りません。


生き残る可能性>JA50さん 投稿者:wadja  投稿日:10月17日(火)00時10分14秒

どうも私の理解できない一番の原因は、私が「進化と人間行動」を読んでいないことにあるようです。最低限の知識も共有せずに議論に参加して申し訳ありません。

>1)生き残るより多くの子が産まれる
>2)変異がある
>3)変異の中には、生存や繁殖に影響を及ぼすものがある
>4)そのような変異の中には、親から子へと遺伝するものがある
>この4つが満たされれば「生存や繁殖に有利な変異が集団中に広まっていくでしょう」

で、私の素人考えですが

原書に当たらずに憶測で言うのをお許し頂きたいのですが、この場合、私はJA50さんとは違って、「でしょう」は「生き残る可能性」の可能性、すなわちJAさんおおっしゃる「推測型」だと考えます。筆者が、これらの条件を自然淘汰の働く必要条件として提示したのであって、充分条件として提示したのであれば、「〜でしょう」という表現を取るとは思えないからです。

ここで使用されている「〜するものがある」、あるいは「一部は〜である」という表現は、単に「全て〜でない」の補集合を正確に言い表しているに過ぎないとおもえるので、その程度にこだわる必要は特段無いと思います。ためしに上記の各条件の補集合を(現実に起き得る場合だけ)並べてみると、

1)生まれた子は全て生き残る(繁殖に至らず途中で死ぬ個体はいない)
2)変異が無い(全てクローン?)
3)変異があっても、生存や繁殖に影響を及ぼすものは無い。
4)変異があっても、親から子に遺伝しない。

となって、どの条件一つが成り立っても自然淘汰が働かないのは明らかです。これらのような場合だけを除き、かつ可能な限り幅広く条件を設定しようとすると、「〜するものがある」、「一部は〜である」といった表現にせざるを得ないだけだと思います。ですから「遺伝するものがある」といっても、NATROMさんが多分意味したと思われる「遺伝頻度」と考える必要はないとおもうのですが...。

#ここで用いられている「変異」であれば、「個体間の差異(Variation)」でも、「突然変異(mutation)」でも意味は通りますね。


Re:概矛盾、形而上学>wadjaさん 投稿者:JA50  投稿日:10月16日(月)16時11分26秒

>「今回検証できたサンプルの数と遺伝的浮動の可能性を考慮にいれれば、得られた結果は、モデルから予測されたものと概矛盾して無いと言える」。いろんな論文に出てきそうな気がします。ポパー流にいえば、価値の無い論文になってしまうのかも知れませんね。

概矛盾という言葉の意味がよく分からないのもあるでしょうが、wadjaさんの主張の意味をよく
理解できないので、頓珍漢なレスになるかもしれませんが、、、

「単純化したモデルで予測される確率は、現実の世界でサンプルから観察される「確率」に完全
に一致することは無いだろう」というのも、「概矛盾しない程度の結果が得られることも有る」
というのもその通りと思います。
私が言いたいのは、その単純化したモデルに「最初から遺伝子の広まる確率」、それもその確率
がどれほどなのかが不定なものを入れて作っても、実際に検証できるような結果をそのモデルか
ら出し得るんだろうかということなんですが。
ただ、こういう抽象的な推論は私は苦手ですので、もしかして可能かもしれません、そういう数
学手法があるかもしれない。

>一般的には、真の値が求められないでも近似値が求められる限りにおいては、形而上のものだとは思いません。

その通りです。
どこに行き違いがあったのだろう、、、

近似値が1±0.5のように、その真の値が何か分からなくとも、これは客観的、つまり形而
下のものだと思います。
そして、これはある個体が子を3人産むこととか一人も産まないことというのを想定していな
くて、その集団としてどうかのはず。自然選択説は、ある特定の個人が何人産んだかなどとい
うのを予測するものじゃないですから。適応度の近似値が1±0.5であっても、中には10
人子を産む人もいる。それはその近似値が間違いであることの根拠にはならない。
たぶん、適応度とか適応的という用語の意味に混乱(私も含めて)があるための行き違いでし
ょう。

>下のPepperMystさんの発言にも出てきますが、「ダーウィン適応度」というのは極めて抽象的な概念で、そのままでは形而下で扱うことが難しいし、数学的モデルに組み込めないからこそ、「平均的な子孫の数で表すことが適当である」とされるのでは、無いのですか?

これはその通りと思いますが、、、、

>そこを「適応度は平均的な子孫の数で定義される」としてしまうと、議論がかみ合わないような気がします。

これは、逆じゃないかと思うのです。
抽象的な概念のままではかえって議論がかみ合わないと思うのですが。
きちんと「平均的な子の数」とかいうように、できるだけ厳格な定義をお互いが持たないと、
何を議論しているのか分からなくなると思います(私は、「進化と人間行動」にあるような定
義でしているつもりです)。
もし、お互いが違った解釈をしているのなら、まずお互いがどういうような解釈をしているか
を知ることから始めるべきじゃないかと(形質とか変異、さらには自然選択説も)。


Re:生き残る可能性>wadjaさん 投稿者:JA50  投稿日:10月16日(月)16時10分24秒

>この掲示板の議論の中で論じられている「変異」は、その子孫には遺伝するもの、遺伝子の発現として表現型に現れると自然淘汰にかり、変異の「生き残る可能性」に差が生じると思っていたのですが。おかしいですか?

いや、言われることはその通りなんですが、どう説明したらいいんだろう、、、

「進化と人間行動」には自然淘汰の働く条件として4つ挙げられています。
1)生き残るより多くの子が産まれる
2)変異がある
3)変異の中には、生存や繁殖に影響を及ぼすものがある
4)そのような変異の中には、親から子へと遺伝するものがある
この4つが満たされれば、「生存や繁殖に有利な変異が集団中に広まっていくでしょう」(と
「進化と人間行動」には書かれています)。
満たされなければ、自然淘汰は働かない。

で、私が問題にしたのは、「変異の中には、生存や繁殖に影響を及ぼすものがある」その影響
というのは100%でないといけないのか、「そのような変異の中には、親から子へと遺伝す
るものがある」という遺伝も100%じゃないといけないのか、ということなんです。
私は、100%である必要はないし、ほんの少しでもあれば条件を満たすと考えています。
(NATROMさんはある程度以上でないとダメだとされているようです)

wadjaさんは、「広まっていくでしょう」という部分を、私が質問しているととったのではない
でしょうか?
「生存や繁殖に有利」であれば、その変異は100%の確率でで広がるのか、それともある確
率で広がるのかと私が質問しているのだととったのではないでしょうか?

私は、この「広まっていくでしょう」という「でしょう」はどうなのかまだ確信を持てないの
ですが、たぶん推測型じゃなく未来型だと今は解釈しています。これらの条件が満たされたら
100%の確率で広がる、というかそれが自然選択説そのもの。
ただし、固定するかどうかはまた別です。適応度というのはいつも一定であるわけはない。固
定したものでみれば、その固定期間の平均の適応度は必ず1以上でないといけないはずですが、
そうじゃないものでは、時には適応度が1以下になり、中には固定せずに消滅することもある
(例えば天変地異など)。


ご意見、ご要望がございましたら、掲示板か、e-mail:natrom@yahoo.co.jpへどうぞ。


戻る