進化論と創造論についての掲示板ログ404

2007年08月06日〜2007年08月29日
このファイルは、掲示板巡回ソフトのログファイルを元に再構成したものであり、投稿時の状態(フォントサイズ、文字の色、リンク等)をすべて反映しているわけではありません。いくつかの書名にアマゾンのアソシエイトのリンクを張らせてもらいました。
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カタツムリ  投稿者:地下に眠るM 投稿日: 2007年08月29日 0時59分

種分化については、ミケも第三の情報ソース備忘録No.76でカタツムリについて触れているにゃんね

で、リンク先によると
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カタツムリは螺旋状に巻いた貝殻を持つ。その巻き方には上から見て,渦の中心からどちら回りに殻が成長するかによって,右巻き(Dextral)と左巻き(Sinistal)がある(図1a)。右巻きと左巻きのカタツムリでは,貝殻の巻き方だけでなく,体の左右がすべて反対になっている。殻の巻き方は一つの遺伝子座によって決定されており,その遺伝子の突然変異により左右が逆転することが知られている。最近の上島先生らの研究によって,逆巻きの突然変異が固定することで新しい種が分化していく過程が明らかになった(Nature, Vol. 425, 16 Oct 2003, 679)。カタツムリは,2個体が向かい合い生殖口を対面させて交尾を行うため,巻き方の同じ個体どうしでは正常に交尾ができるのに対し(図1b),逆巻き個体どうしでは生殖口の位置も逆であるため交尾ができない(図1c)。従って,カタツムリは巻き方が同じ者同士としか交尾ができず,逆巻きの突然変異が小集団に固定すると,別の種に分化しうる。これは,たった1個の遺伝子の突然変異によって種分化が起こりうることを示した最初の報告である。
**********************

つまり、「たった1個の遺伝子の突然変異によって種分化が起こりうる」こともあるちゅうのはほぼ実証されたみたいにゃんな。たった1個の遺伝子の変異で、生殖隔離=種分化がおこるちゅうのはオモシレー。

あと、オモチロかったのは以下のあたり
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プロとアマチュアの違いについて伺ったところ,「見かけの違いは,プロは高価な実験機器や設備を使えることであるが,プロとアマチュアの研究で本質的に違うことは,プロは学問に対する責任を負っていることである」とのことであった。研究を進める際には,楽しいことをやるだけでなく,楽しくなくても研究に必要なことも進めていく能力が,プロの研究者には必須である。
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うにゃ、飽きっぽい僕には耳の痛いお言葉


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カタツムリ研究の醍醐味について質問したところ,「カタツムリは移動能力が低くて地理的隔離による遺伝的分化が進みやすく,種分化が激しい。このことは進化を研究する上で絶好の研究材料である。またカタツムリの分類には,細かい特徴や形の微妙な違いを識別できる目が必要で,誰にでもできるわけではないという職人芸のような所も魅力の一つ」とのことであった。確かに,遺伝情報を基に系統樹を作ることはほとんどルーチン化されているが,どの生物種を対象にして何を調べれば良いのかという最も重要な着眼点を得るには,生物を実際に見て問題を感じ取る能力が必須である。
************************

移動速度の遅い生き物に分化が起こりやすいのは、進化論から当然に予期されることにゃんな。そして、こういう分野においてはシロウトにも研究に寄与できる余地はあるのだろうにゃ。


MIURAくん、嘘の認識でかためた人生もありだ。
自由民主主義社会には愚行権がある。
これからも事実に目をそらし、安寧な偽物信仰生活を送ってください。

http://www.s.u-tokyo.ac.jp/ken/tanbo/13.html


Re:93パー(PAR93?)  投稿者:大文字ナン 投稿日: 2007年08月29日 0時12分

すべてがまるで予定調和のように「シナリオ通り」で定向的で、とってもステキなソーゾーさんとの対話は、今回も無事に何事も生むことなく終焉を迎えるようです。もちろん、私が相手をしなければ良かっただけの話ですが、ちょっと久しぶりに書き込みでもするか、と思ったもので…もう少し発展させたかった皆さん>すみません。

さて、最後ですので本当に大事なポイントだけ。
>何故なら、人は最大でも93パーセントしか親の遺伝子を受け継いでいないからです。

…もうなんと云っていいやら(笑。
親の遺伝子を93パーセントしか受け継がない、と。すると残り7パーセントもの膨大な遺伝情報はどこから生まれるんですかね?まさか全体のうち7パーセントもの情報が「突然変異」してミスコピーされてしまうと?だとすると、孫の代にはもう、いったい「どんなイキモノ」になっちまうんですか?

云っとくけどこれは、MIURAさんご自身が主張している「種は絶対である」という主張に著しく反する文脈ですのね。

『人とチンプは98.3パーセント遺伝子を共有するのに「別種」であり、ニンゲン同士の場合、親子ですら7パーセントも遺伝子が違うのに「同一種」である。』

↑というのが本当に頭がどうかしているMIURAさんの主張(のまとめ)。
ていうかちょっと待て(笑。本当にこんなことほざいて恥ずかしくないのかな。つまり親子の間で、あらゆるイキモノが7パーセントも遺伝子を「失う」もしくは「どこかかから出てくる」ってことですね。

■オリジナル→子供(93%)→孫(86%)→ひ孫(80%)→75%→70%→65%→…
てなことが進んでいったら、たった5世代目には3割もの遺伝情報をどこかから「仕入れ」ないとならない、と。
そりゃぁ進化でもなんでもするでしょうねぇ。

>しかし進化論は、無生物から生命が誕生したことを前提としているのです。その不可能性は犬小屋がお城になる以上のものがあるのではないでしょうか。

バカになにを云っても無駄ですが、さらに深く、進化論のことなんか毛ほども知らないということが分かりました。
進化論は「生命の発生」についてなにも言及してないと、いったいどれだけの人が説明してきたことか。あのね、科学が科学である以上、すべては仮説であって絶対的な前提なんか必要としないのね。例外があるとしたら、ある公理系にもとづく数式とその計算結果くらいは「正しい」ことを前提にしないとデータの出しようがなくなるってのがあるけれど、それにしたって方程式に不備が含まれている可能性を(エラーバーとか)見越した上で提出されるのが科学という「場」なんだ、と私は理解しています。

結局のところ、進化論についてどころか科学という「営み」についてまったく知ろうとさえしないで、ただの印象や勝手な思い込みを書き連ねた挙句、自分がどれほど馬鹿げた主張をしているのかも分からない、MIURAさんはその程度の御仁でした。以上。


誰もレスしていないので  投稿者:クハ72 投稿日: 2007年08月28日23時46分

MIURAさんへ横レス
> 種を超えて生物の変化が進んでいくケースが実証されないという点です。

種の定義を明らかにしてくれないと実証のし様がないんですけど。

> ルーシーと呼ばれているアウストラロピテクスは、サルの骨40パーセントを使ってあたかも立って歩いていたかのように作られたものです。

Wikiから引用しますが
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AB%E3%83%BC%E3%82%B7%E3%83%BC_%28%E3%82%A2%E3%82%A6%E3%82%B9%E3%83%88%E3%83%A9%E3%83%AD%E3%83%94%E3%83%86%E3%82%AF%E3%82%B9%29
「アウストラロピテクス・アファレンシス(アファール猿人)の中で最も初期に発見されたものの一つとして、
また、全身の約40%にあたる骨がまとまって見つかったという資料上の貴重さから、広く知られている」

> ネブラスカ人は豚の一本の歯からその家族までもが作られたものでした。ピルトダウン人は、人間の頭蓋骨にサルのあごの骨を組み合わせて計画的に加工したものです。

そんな昔の話を蒸し返されても困るんですけど。

> ネアンデルタール人は、関節炎かくる病を患っていた普通の人間でした。

ネアンデルタール人の化石が全部病気だったとは寡聞にして知りません。

> ラマピテクス、ジャイギャントピテクス、ジンジャントロプスは完全にサルであり、ハイデルベルク人、クロマニョン人は完全に人間でした。

MIURAさんは何を基準にサルと人間を区別したのでしょうか?
サルを「サル目(霊長目)」とするなら人間もサルですけどね。
# ついこの間この掲示板でラマピテクスは古いなんてレスを見た記憶があるんだけどググっても見つからなかった。

> ですから、「ミアキス」なるものについても鵜呑みにしない方がいいと思いますね。

反進化論者の戯言を鵜呑みにしない方が(ry
NATROMさんも書かれていますけど、化石が全く見つからなかったとしても進化論の事実は否定できません。


競争注意  投稿者:ミケ 投稿日: 2007年08月28日23時40分

競争は、まあ種間で働く場合もあるだろうけども同種個体間で働く場合もあるのよね。
同種だからって競争しないわけじゃない。
っていうかむしろ種内の競争のほうが進化には重要だと思ってます。

種ってのは当然ながら、一個体でできているわけじゃないんだから、
「自分自身を〜」なんて言い方はナンセンスですよ。
たとえば、同種個体群の中のあるグループが、
別のグループを追い払ってしまうなんてことは容易に考えられること。

あ、わたしゃ追い払った説は支持しませんよ。念のため。
そういう些細な事件は検証不能か、少なくとも検証がとても難しい。
だから応援できるのはここまで。


雄さんの主張?  投稿者:shinok30 投稿日: 2007年08月28日23時07分

>とうに分かれていたからでなく、分かれていなかったから、競争相手になり得ない、ってこと。分からないかなあ?

だから,「分かれた後は競争相手だった」というのがJA50さんらの主張なのでは?
集団の分岐年代の絶対値は化石の証拠によって修正されていくんだろうけど,
どこかで競争が起こった可能性はあるでしょう

>1000万年前に、ゴリラもチンプもヒトも、ムカシゴリラも居なかったの。居たのはその共通祖先だけ。
>ゴリラの祖先が若し、ヒトの祖先を負かしたのなら、それは自分自身を負かすこと。
>その事情は、700万年前の、チンプ・ボノボとヒトの関係と同じ。

「二足歩行はゴリラとヒトの共通祖先の段階で獲得されていた」というのが雄さんの主張なの?
その後,競争することなく集団は分かれ,ゴリラ集団,チンプ集団は二次的に森林生活に適応していった?


第三。。。(´・ω・`)  投稿者:ミケ 投稿日: 2007年08月28日23時02分

ま、いいけどね。
今は他の話題はMIURAさんのテンプレトンデモだけだし。

>事実に基礎を置かない、自分のドグマが先に有って、全てをそこに向けて収斂しようとする、その立場は創造論者と共通。

>化石や分子、フィールドワークが示す、観察事実が自ずから全てを語ってくれるから。

それで、化石や解剖学が示す観察事実は、
「アファレンシスは膝を曲げたヨチヨチ歩きどころか足と背筋を伸ばした直立二足歩行をしていた」
と語っているのですが。
http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/study/5329/1188178955/13
(第三掲示板でのレスです)

化石や分子やフィールドワークの示す観察事実が、
「人類の祖先が水棲だった」と語ったことがあったでしょうか?


自然淘汰を理解してない!  投稿者:JA50 投稿日: 2007年08月28日22時16分

「ジャングルでヒト科の仲間との生存競争に負けるくらいのヤワな種が、獰猛な捕食者のウヨウヨしているサバンナに、それもヨチヨチ歩きで出て行って、絶滅しないとは私には思えませんけどねぇ。」という主張は引っ込めるわけ?

雄さんは、GBさんの説明、理解できないでしょう?


創造論者??  投稿者: 投稿日: 2007年08月28日21時40分

分かろうとしない人に何を言っても駄目。

事実に基礎を置かない、自分のドグマが先に有って、全てをそこに向けて収斂しようとする、その立場は創造論者と共通。

私のことは何と思っても構わないから、少しばかり進化人類学の書籍を読んでから口出しすること。
化石や分子、フィールドワークが示す、観察事実が自ずから全てを語ってくれるから。

ちょっとくさかったか………。


雄さんの主張じゃない?  投稿者:JA50 投稿日: 2007年08月28日21時23分

>そもそも私の主張では無い。

「ジャングルでヒト科の仲間との生存競争に負けるくらいのヤワな種が、獰猛な捕食者のウヨウヨしているサバンナに、それもヨチヨチ歩きで出て行って、絶滅しないとは私には思えませんけどねぇ。」という主張は、あなたの主張じゃないの?

それと、ヒト(今のヒトの祖先ね)がチンパンジー(今のチンパンジーの祖先のことよ)と別れ、ジャングルでその地位をかけて競争していた頃には、ゴリラ(今のゴリラの祖先ですよ、くどいですが)とも競争していた可能性は高いですよ。
チンパンジー(今のチンパンジーの祖先ね)に負けて追い出され、ゴリラ(今のゴリラの祖先)の地位をねらったけど、そこでも負けて、しかたなく草原へと。

それと、この解釈は、水ぎわ説にも、当然使えるんですけど。
草原へというのを水ぎわに変えたらすむ。
ただ、水ぎわ説の場合は、そこも、そこにいた競争相手にの何かに負けて追い出されたことになる。


わっからんかなあ!!  投稿者: 投稿日: 2007年08月28日20時23分

>その系統樹から、どうしてゴリラやチンパンジーが勝ち組だったということを否定できるのか、理解できないんだが、、、

事実関係の検証もなし、指摘した系統樹の解釈も出来ない、と言う御仁に、まあ、しかし素直に疑問を呈してきたことに「ほだされて」講釈しておきましょうか。

>ゴリラはとうに分かれているはずだから、競争相手じゃないって言いたいわけでしょうか、雄さんは?

とうに分かれていたからでなく、分かれていなかったから、競争相手になり得ない、ってこと。分からないかなあ?

1000万年前に、ゴリラもチンプもヒトも、ムカシゴリラも居なかったの。居たのはその共通祖先だけ。
ゴリラの祖先が若し、ヒトの祖先を負かしたのなら、それは自分自身を負かすこと。
その事情は、700万年前の、チンプ・ボノボとヒトの関係と同じ。

これで理解してね。


なお、非常に心外なのだが、「ジャングルでヒト科の仲間との生存競争に負けるくらいのヤワな種が」と言う表現は、JA50氏の「ヒトは他のヒト科のやつらとのジャングルでの生存競争に負けて、しかたなく草原に適応したってのはどうです?」を受けての表現で、そもそも私の主張では無い。


こっちでいいのかな…  投稿者:GB 投稿日: 2007年08月28日19時31分

>ロコモーションは動物の基本的な行動様式です。相当強い(死活的な)淘汰圧が掛からないと変更されることはないでしょう。「偶然」「たまたま」は、やはり話をご都合主義に持って行くものではないでしょうか。

自然淘汰は「生物の変異が、その生物が置かれた環境に(たまたま)有利になるのなら、その変異は残る」というプロセスです。そういう意味での偶然です。
(たまたま)は、強調のために挿入しました。

>サバンナ説(改訂版を含む)の一番の弱点は、サバンナに進出したサルは、ヒトだけでないのに、直立二足歩行に特化したのはヒトだけだ、と言うことです。
その辺のの説明が必要だと思っています。「たまたま」なんてのはダメですよ。

ヒトの祖先が樹上生活で獲得していた二足歩行の能力が、平地という新しい環境で(たまたま)役に立ち(これが前適応)、また変化を続ける環境に即して二足歩行洗練への変異が選ばれたという一般的な説明で、私は納得してます。
繰り返しますが、他のサルたちはヒトとは異なるそれぞれの「歴史」に基づく方法で適応し、生き延びたのでしょう。「見張り」動作なども含めて。

トゥーマイなどの発見で、大幅な修正(地理的隔離についての検討も含め)は必要でしょうが、コアである「森林から開けた場所への適応」については十分説得力があると思っています。
なぜなら、現生人類は確かに平地に適応しており、一方、最も近い親戚であるチンパンジーが、いまでも森にしがみついて(失礼!)生きているからです。
これはどう見ても、ヒトは森を捨てたサルなんだろうと思うわけですね。


競争相手  投稿者:JA50 投稿日: 2007年08月28日19時11分

ゴリラはとうに分かれているはずだから、競争相手じゃないって言いたいわけでしょうか、雄さんは?

でも、とうに分かれていても、同じヒト科(あるいはヒト上科)の仲間として、ジャングル内で競争していたと考えるのはありじゃないでしょうか。
チンパンジー(の祖先)と競争したのなら、ゴリラとも。

>同じ場所に「ムカシゴリラ」がいたのなら、それも場合によっては競争相手になったとは思いますが。

ジャングルという同じ場所にいた。
あるいは、チンパンジー(の祖先)との競争に負けて他に行こうとした時に、そこには既にゴリラ(の祖先)がいて、そこもダメでしかたなく草原へ、、、(^^)


ヨコ  投稿者:AH1 投稿日: 2007年08月28日18時30分

>その系統樹から、どうしてゴリラやチンパンジーが勝ち組だったということを否定できるのか、理解できないんだが、、、

直接競合しそうなのはチンパンジーと人間の分岐の部分であってゴリラはとうに分かれている・・という指摘なのでは?

同じ場所に「ムカシゴリラ」がいたのなら、それも場合によっては競争相手になったとは思いますが。


勝ち組、負け組  投稿者:JA50 投稿日: 2007年08月28日18時22分

その系統樹から、どうしてゴリラやチンパンジーが勝ち組だったということを否定できるのか、理解できないんだが、、、

それと、「現地の部族民も、ワニがウヨウヨしている川の浅瀬を、ラクダやヤギを連れて無造作に渡っているそうです」てなことを持ち出せるのなら、同じことをサバンナ説でも持ち出せるんじゃないですか。

とにかく、「ジャングルでヒト科の仲間との生存競争に負けるくらいのヤワな種が、獰猛な捕食者のウヨウヨしているサバンナに、それもヨチヨチ歩きで出て行って、絶滅しないとは私には思えませんけどねぇ。」てな主張は初歩的なミスだと思いますけどね。
先に書いたように、ジャングルという環境において負けたから、サバンナにおいても「やわ」だったとは限らない。逆にそれが利点だったということだってある。同じことは水ぎわ説でも言える。
これは、自然淘汰という考えから容易に導けることです。


あれ?自分か?  投稿者:AH1 投稿日: 2007年08月28日17時36分

>どなたかが、進化論とは推理小説のようなものと言われていましたが、

って、ひょっとしたら、うださん宛の私の投稿のことだろうか?
確かにいろんな仮説をたてて妥当かどうか考える、とは書いたけど。

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オッカム警部の事件簿

「警部!こういう推理はどうでしょう?つまり犯人は靴下に砂を詰め、後ろ向きに歩けば足跡は残らず、糸を引いた時にはもう雪は溶けていたというわけです!」
「どこに靴下があって砂があって糸がある?!それでは駄目だ。」
「うーん・・ じゃあ、神の下した天罰としか考えられません」
「じゃあ神に任意同行を求めろ。ついでに神の指紋も照合してこい。」


勝ち組、負け組みがハッキリしましたね  投稿者: 投稿日: 2007年08月28日17時29分

>ジャングル内で生き残る、その競争にチンパンジーやゴリラの祖先にヒトの祖先は負けた。
負けたとなれば、他の環境に進出できなければ絶滅せざるをえません。
ただ、それだけの話、つまり「チンプが(ジャングルにおいては)勝ち組だ」ったと。

私は先の投稿で、「私からすれば、あまりの超越的ご見解で」と書きました。
「あまりの荒唐無稽の珍論で」と言い直さなければならないようです。

http://www.nig.ac.jp/museum/evolution/D/dna-07.html

こちらの系統樹をご覧下さい。そして、一体どうしたら「チンパンジーやゴリラの祖先にヒトの祖先」が、負けることができるか?お考え下さい。

分岐年代は、最近のヒト化石の相次ぐ発見、及びこの前の諏訪元博士のゴリラ祖先化石の発見などで修正は有りますが、分岐の順序は進化人類学の、それこそ「初歩の初歩の概念じゃないですか」。

科学において何よりも大切な事実関係の検証も無く、単にJA50さんの頭の中だけのおとぎ話には、以後お付き合い致しかねます。
この程度のレベルで、私の自然淘汰の理解を云々言われるのも心外ですが、まっ、それはどちらでも構いません。

では、ごきげんよう。

なお………、
>なぜ、ワニなどのどう猛な肉食動物がいる(ワニなんて、恐竜時代でも水ぎわの王者だった)環境に、「ヨチヨチ歩きで出て行って、絶滅しないとは私には思えませんけどねぇ」なんて、あなた自身、疑問に思わなかったの?

についてコメントしておきます。
JA50さんが考え付く程度の疑問は、とうに各方面から出されています。反論も用意されています。

残念ながら、初期人骨化石の殆ど(トゥマイを除くという意味で)が出土している大地溝帯の、例えばアワシュ川に棲むワニは、アファールクロコダイルと言って、人など食いません。
現地の部族民も、ワニがウヨウヨしている川の浅瀬を、ラクダやヤギを連れて無造作に渡っているそうです。

「最初怖がっていた研究者も、直ぐ慣れて毎日川で水浴びをするようになった」と、これは、ルーシーを発見した、世界的に有名な古人類学者、化石ハンターの、ドナルド・ジョハンソンの言葉です。


悲しいことに  投稿者:ナナシー 投稿日: 2007年08月28日14時55分

>どなたかが、進化論とは推理小説のようなものと言われていましたが、私も同感ですね。進化論には二重にも三重にも上記のような不可能性が取り巻いています。このような不可能性はあまり報告されないので、表向きの進化論という仮説のみを聞き、実際起こったものであるようにある方々は信じ込んでいるのではないかと思います。

この論法が全く創造論に当てはまるってことに気づいていないことが悲しいです。
それとも指摘に反論できずに適当な理屈をつけて逃げたってのが真実かな?
もちろん頭の中では「自分は進化論を論破した!」と脳内変換しているんでしょうけど。


これは水ぎわ説にも言えること  投稿者:JA50 投稿日: 2007年08月28日11時24分

草原説におけるこういう自然淘汰の概念は、水ぎわ説にも言えることじゃないの。

「ジャングルでヒト科の仲間との生存競争に負けるくらいのヤワな種」が、なぜ、ワニなどのどう猛な肉食動物がいる(ワニなんて、恐竜時代でも水ぎわの王者だった)環境に、「ヨチヨチ歩きで出て行って、絶滅しないとは私には思えませんけどねぇ」なんて、あなた自身、疑問に思わなかったの?

ただ、ヒトは水ぎわより草原に適応している体をしていると私は思いますね。

カバの仲間がよく水ぎわに進出できたと思います。
初期は大変だったでしょうね。


質問したかったけど  投稿者:AH1 投稿日: 2007年08月28日11時22分

>種の関係を決めることは慎重でなければならないと思います。

にも関わらず

>ラマピテクス、ジャイギャントピテクス、ジンジャントロプスは完全にサルであり、ハイデルベルク人、クロマニョン人は完全に人間でした。

というのも不思議に思うのですが、これで終りとのことなら仕方ない。


勝ち組負け組  投稿者:JA50 投稿日: 2007年08月28日11時15分

ジャングル内で生き残る、その競争にチンパンジーやゴリラの祖先にヒトの祖先は負けた。
負けたとなれば、他の環境に進出できなければ絶滅せざるをえません。
ただ、それだけの話、つまり「チンプが(ジャングルにおいては)勝ち組だ」ったと。
それと「ジャングルでヒト科の仲間との生存競争に負けるくらいのヤワな種」は草原においては、チンプに比べ「ヤワ」ではなかったということじゃないですか。
ジャングル内ではチンプに負けるほど「やわ」でも、草原では草原の肉食獣相手に生き抜けるほど「やわ」ではなかった。

そもそも、ある環境に「強い」ってことは、通常はそれだけ特殊化しているってことで、他の環境においては、それが弱点になる。
チンパンジーは、ヒトよりジャングルに特殊化しており、それでヒトに勝った。ヒトは、その逆で、ジャングルにおいてはチンパンジーより「やわ」だったけれども、その「やわ」な部分が草原では逆に強みになったのかもしれないですよ。
これって、自然淘汰に初歩の初歩の概念じゃないですか。


RE 勝ち組、負け組み  投稿者: 投稿日: 2007年08月28日 7時14分

>チンプが勝ち組だというだけの話でしょうに。

え?
仰っていることが、にわかには理解できません。

>雄さんて、自然淘汰を理解しているの?

チンプが勝ち組になってジャングルに残り、負けたグループが草原に適応してヒトになったと言う、その辺の事情を、自然淘汰を充分ご理解されているらしいJA50さんから、是非詳しく、そして具体的に、できれば化石による根拠や出典も明らかにしつつ、「典型的な誤解」をしている私にご説明頂きたい。

私からすれば、あまりの超越的ご見解で、どこからコメントすればいいか、戸惑っています。反論やコメントの手掛かりにしたいと思いますので、是非その辺具体的にお願いします。

なお、ミケさんが新しいお座敷を用意して頂いたようです。
折角ですから、そちらでも結構ですヨン。


トンデモさん  投稿者:JA50 投稿日: 2007年08月27日23時38分

>人は最大でも93パーセントしか親の遺伝子を受け継いでいない

これって、どういう意味なんだろう?

その他の主張も、どっかのトンデモサイトの主張を信じ込んで、あっちに行ってしまっているって感じなんだけど、、、


感想(最終回)  投稿者:MIURA 投稿日: 2007年08月27日22時55分

これまで何回かに渡って質問や感想を述べさせていただきました。「進化論と創造論」というサイトを読んで最初の質問(7月23日)をさせていただいたのですが、早速返答がありましたので、てっきりこのサイトを書かれている方だと思っていたのですが、私の勘違いでした。

さて、8月15日に大文字ナンさんが紹介してくださっているものは「種間変異」のサイトです。その前に私が少し述べさせていただいたものは「種間雑種と不稔性」についてであって「種間変異」ではありません。

人とチンパンジーの遺伝子は98.3パーセント同じだと言われています。遺伝子が似ているという事が両者の近さを表すのであれば、人とチンパンジーの近さというのは、人とその両親の近さ以上であると言う事ができます。何故なら、人は最大でも93パーセントしか親の遺伝子を受け継いでいないからです。単純に遺伝子や他の何かが似ているというだけでそれらの種の関係を決めることは慎重でなければならないと思います。

進化論の抱えている大きな問題として、かねてから言われている事は、何度も述べさせていただいているように、一つには、種を超えて生物の変化が進んでいくケースが実証されないという点です。種の中での変化は認められているので、この事をこの度問いかけてきたのではありません。進化論は科学であると明言されるので、この点がクリアされているのだろうかとの思いから再三に渡って質問したのですが、明確なケースを挙げられないということは、今に至ってもこの点が実証されている訳ではないのだなと受け止めています。

「感想」(8月15日)で、犬はどこまで品種改良したとしても犬であって猫にはならないと言いましたが、これは、それくらい不可能なのだということを分りやすく表現しようとしたもので、犬の進化過程の前後が「猫」であるという事を言っているのではありません。犬と猫の共通祖先は6000万年前の「ミアキス」とのことですが、これもどこまで本当なのでしょうか?
人間の祖先とされた様々な化石が再検証されましたが、ルーシーと呼ばれているアウストラロピテクスは、サルの骨40パーセントを使ってあたかも立って歩いていたかのように作られたものです。ネブラスカ人は豚の一本の歯からその家族までもが作られたものでした。ピルトダウン人は、人間の頭蓋骨にサルのあごの骨を組み合わせて計画的に加工したものです。ネアンデルタール人は、関節炎かくる病を患っていた普通の人間でした。ラマピテクス、ジャイギャントピテクス、ジンジャントロプスは完全にサルであり、ハイデルベルク人、クロマニョン人は完全に人間でした。
ですから、「ミアキス」なるものについても鵜呑みにしない方がいいと思いますね。

進化論が抱えている更に大きな問題は、無生物から生命がどのように誕生したのかを実証する事ができていないという点です。

犬小屋が自然に放っておいてお城になる訳ではないと前の感想で言いましたが、ご指摘の通り、犬小屋は自己増殖するわけではありませんから、生物の進化と単純に比較する事はできません。しかし進化論は、無生物から生命が誕生したことを前提としているのです。その不可能性は犬小屋がお城になる以上のものがあるのではないでしょうか。
統計学者達が、無生物が偶然に生物(最も単純なもの)となって行くとするなら、どれ位の確率で起こり得るかという事を計算したところ、10の40000乗分の1という数字をはじき出しました。10の50乗分の1の確率になると統計学上は確率ゼロと言われます。そういう意味では無生物が生物となるという確率はゼロ以下と言うことができます。つまり全くあり得ないということです。ですから進化論とは、統計学上確率ゼロ以下という中で論じ合っている事になります。

どなたかが、進化論とは推理小説のようなものと言われていましたが、私も同感ですね。進化論には二重にも三重にも上記のような不可能性が取り巻いています。このような不可能性はあまり報告されないので、表向きの進化論という仮説のみを聞き、実際起こったものであるようにある方々は信じ込んでいるのではないかと思います。

今回は確認のための質問から始まったのですが、回答が個人攻撃のようになって来ましたので、私からの質問と感想もこれをもって終わりとさせていただきます。


勝ち組、負け組  投稿者:JA50 投稿日: 2007年08月27日13時53分

>それと、その説だと祖先を共通するチンプなどが、森林に残っていることの説明がつかないと思いますが、どうでしょうか?

え?

チンプが勝ち組だというだけの話でしょうに。

雄さんて、自然淘汰を理解しているの?
なんか誤解しているような気がする。
「ジャングルでヒト科の仲間との生存競争に負けるくらいのヤワな種が、獰猛な捕食者のウヨウヨしているサバンナに、それもヨチヨチ歩きで出て行って、絶滅しないとは私には思えませんけどねぇ。」なんて、自然淘汰の典型的な誤解じゃないですか。


立てました  投稿者:ミケ 投稿日: 2007年08月27日10時56分

http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/study/5329/1188178955/

なが〜くなるので向こうで色々分析していきます。


RE ジャングルでの競争に負けた説  投稿者: 投稿日: 2007年08月27日 9時54分

ジャングルでヒト科の仲間との生存競争に負けるくらいのヤワな種が、獰猛な捕食者のウヨウヨしているサバンナに、それもヨチヨチ歩きで出て行って、絶滅しないとは私には思えませんけどねぇ。

それと、その説だと祖先を共通するチンプなどが、森林に残っていることの説明がつかないと思いますが、どうでしょうか?


ジャングルでの競争に負けた説  投稿者:JA50 投稿日: 2007年08月27日 9時48分

ヒトは他のヒト科のやつらとのジャングルでの生存競争に負けて、しかたなく草原に適応したってのはどうです?

つまり、追い出されたと。


まとめて。  投稿者: 投稿日: 2007年08月27日 7時27分

RE GBさん

>今回、東側でゴリラらしきものが出たんでしょ。
1000万年前なら森林の縮小前なんだから自然だと思う。チンプらしきものだって出るかも。

そうでしょうね。
だから私も、「私には今回の発見が、直接「ストーリー」の間違いを証明する事由になるのかどうか、イマイチ分からないところも有るのですが、」と書いたんですよね。

>他のサルたちはそれぞれの事情で生き延びただけでしょうから、二足歩行にこだわる
必要はないと思いますが。

ヒトを他のサルたちと区別する一番の要因は、直立二足歩行です。ヒトの定義上そうです。
だからヒトの起源を探ることは、直立二足歩行の起源を探ることでもある訳です。
逆に言えば、直立二足歩行の契機を説明できない「ヒト起源説」に意味はない、と思っています。

>我々の祖先は森の中で偶然直立二足歩行を始めた

例えばこう言う説明は説明になっていないと思う訳です。
ロコモーションは動物の基本的な行動様式です。相当強い(死活的な)淘汰圧が掛からないと変更されることはないでしょう。「偶然」「たまたま」は、やはり話をご都合主義に持って行くものではないでしょうか。

サバンナ説(改訂版を含む)の一番の弱点は、サバンナに進出したサルは、ヒトだけでないのに、直立二足歩行に特化したのはヒトだけだ、と言うことです。
その辺のの説明が必要だと思っています。「たまたま」なんてのはダメですよ。

>・トゥーマイ、ラミダス両猿人は森林性だったらしい。とするなら、「樹上生活への適応の一形態」として、直立二足歩行の下地が成立しているのではないか。

そう言う言い方が許されるのなら、殆ど全てのサルがその候補になります。
その中で、直立二足歩行に特化したのはヒトだけです。やはりそのメカニズムの説明が必要でしょう。

それから繰り返しになりますが、樹上生活段階から説明が始まるとすれば、地理的隔離が成立しないんですよ。
大地溝帯によって分断されたとするイーストサイドストーリーだったからこそ、その点で一定の説得力が有った訳です。
隔離がない場合、通常進化的分岐の可能性は非常に低いでしょうね。

それに熱帯雨林の食物生産量は、1ヘクタール当たり約40トンで、サバンナの10倍と言われています。しかも樹上では危険な肉食動物も少なく、食物をめぐって競合する動物も鳥や昆虫程度です。いわば密林はサルにとって楽園なんですよ。
現生チンプにしてもゴリラにしても、人間の乱獲や乱開発の前は、その楽園を謳歌していたでしょうね。

退縮する森に併せ、それら森の仲間と一緒に移動せず、難産や腰痛や、さまざまな高い付けを払ってまで、ヨチヨチ歩きの二足歩行を「進化」させ、どうしてわざわざサバンナに出なければならなかったんですか?
この点でも大地溝帯に遮られたとするイーストサイドストーリーは、一定の説得力を持っていたのですがね。


RE ミケさん

>ここだと議論が追いにくいし長文や連続投稿が迷惑になる場合もあるのよ。

私は別にどこでも差し支えないですよ。
でも、前に書いたように、特に新しい論点でも出ない限り、水掛け論になるようだし、新しいお座敷を用意していただいても、あまりお邪魔できそうに有りませんけど。
私からすればミケさんの論点は、今までの私の、長い長い書き込みで殆ど対応できていると思っていますので。

今回は、諏訪元博士のゴリラ化石発見と言う、大きなトピックが有ったので書き込んだまでです。


>「二足歩行する能力を持っていたんで、サバンナの環境にも適応できた」ってことになる。

説明になっていません。
ヒヒやパタスモンキーを含め、殆ど全ての動物は四足で充分サバンナに適応できています。チーターなどその典型でしょう。
二足歩行でない為、サバンナ環境に不都合を来たしている動物がいたら教えてください。

本来サバンナ進出と直立二足歩行は、なんら必然的な結びつきは無いんですよ。
ヒトの祖先がサバンナに進出したとして、それまでの歩行方法を捨てる必要は有りません。ヒヒ、パタスモンキー、サバンナモンキーなどを含む、ヒト以外の全てのサバンナ動物はそうしています。
ヒトだけが慣れ親しんだ四足歩行を捨て、わざわざおぼつかないヨチヨチ歩きを選択する必然性が有りません。

歩行方法一般の問題としてではなく、何故ヒトだけが、こんな奇妙な歩行方法を余儀なくされたのか?その説明が必要だと思っています。


>アクア説はそれらの両方にあたる便利仮説だから混乱するのも無理ないけどね。

ですから前に言ったように、「混乱のない」「オッカムの剃刀の利いた」説得力のあるシナリオをお示し下さいって。
納得できれば即座に宗旨替えしますから。

私はミケさんにアクア説」を売り込む積りなど、毛頭ありません。
自分で納得している、と言うだけのことです。


RE JA50さん

>ヒト科で草原に進出できたのは、どうやらヒトだけだったようですが、他のサルもとなれば、ヒヒなんてどうでしょうか?

そうなんですよね。
上でも書いていますが、ヒヒ、パタスモンキー、サバンナモンキーなどの件は、私の方から繰り返し持ち出している問題です。
ご指摘、有難うございます。


RE 地下に眠るMさん

>自らを特別視したいという欲求は、
恥ずべきことではにゃーが自覚を必要とするものでもあると思いますにゃ。

ご忠告有難うございます。
只私はここでアクア説について、特に主張している訳でも伝道している訳でも有りません。
「省エネ説」や「サバンナ説」を批判しては来ましたが、その材料は化石であったり、それぞれの「説」自体の矛盾点です。

私は直立二足歩行の契機としてアクア説に納得しますが、水から離れて後の、ますます洗練されてゆく直立二足歩行の経過については、アクア説啓蒙者のモーガンとも温度差を感じています。

それから私はサルの子孫であることを、恥ともハンディだとも感じていません。
そもそも、アクア説なら特殊で、サバンナ説なら平凡だなどと、発想したことすら有りません。
どうしてそう言う問題意識になるか、逆に疑問です。

と言うことで………、
私の書き込みの間違いや、稚拙さ、要領の悪さなどのご指摘は甘んじてお受けしますが、今回の件に付いてのご懸念は、無用に願います。


自問  投稿者:大文字ナン 投稿日: 2007年08月27日 1時32分

>「俺達は確かにサルの類いの子孫であることを認めよう、仕方ない。
 しかし、それにしたって特殊なサルの子孫なんだよ」

私もアクア説支持(好き)派ですが、やはり同様の問いかけを自分にしてみたことがあります。しかし…アクア説が好きであることが、すなわちジンルイの特殊化や特別視にあたるのかどうか、答えは出ませんでした。これは今でも、かな。

少なくとも(それがアクア説によるものであろうと別のもの由来であろうと)ジンルイがほかのサルと「違う」ことは明確であり、また他のサルたちも、さらに他のサルと「違う」ことは明確なんぢゃないかな?海由来であるとなにかこぉ…高尚なフンイキとかあるのかな?(笑。


(無題)  投稿者:地下に眠るM 投稿日: 2007年08月27日 0時34分

アクア説って実は僕も好きなんだけど
アクア説を支持する心理ってさ、
「俺達は確かにサルの類いの子孫であることを認めよう、仕方ない。
 しかし、それにしたって特殊なサルの子孫なんだよ」
ちゅうことなのではにゃーかと思ったりするのだにゃ。

自らを特別視したいという欲求は、
恥ずべきことではにゃーが自覚を必要とするものでもあると思いますにゃ。


ヒヒ  投稿者:JA50 投稿日: 2007年08月26日23時41分

ヒヒの仲間って草原で生活してないですか?

ヒト科で草原に進出できたのは、どうやらヒトだけだったようですが、他のサルもとなれば、ヒヒなんてどうでしょうか?

ヒトは、他のヒト科と比べ、草原に適応しているのは明らかですよね。
ジャングルがなくても生きていける。
しかし、他のヒト科のやつらはジャングルじゃないと生きていけない。


モザイク説なのか  投稿者:GB 投稿日: 2007年08月26日21時21分

今回、東側でゴリラらしきものが出たんでしょ。
1000万年前なら森林の縮小前なんだから自然だと思う。チンプらしきものだって出るかも。

他のサルたちはそれぞれの事情で生き延びただけでしょうから、二足歩行にこだわる
必要はないと思いますが。


前適応だよ  投稿者:ミケ 投稿日: 2007年08月26日21時11分

>それと、サバンナに進出した(取り残された)サルたちは他にもいます。しかし全てのサルの中で、直立二足歩行に特化したのはヒトだけです。

類人猿は普段でも二足歩行します。
参考
http://en.wikipedia.org/wiki/Aquatic_ape_hypothesis#Bipedalism_3
類人猿以外のサルは基本的に二足歩行しません。

分かりやすく言ってる記事を見つけましたので引用します。
>「サバンナで生活するようになったから二足歩行するようになった」とするサバンナ説とは逆で、「二足歩行する能力を持っていたんで、サバンナの環境にも適応できた」ってことになる。
http://www.itmedia.co.jp/anchordesk/articles/0708/17/news024.html

サバンナに進出した類人猿はヒトの祖先だけです。
あなたのいうサバンナに進出したヒト以外のサルのなかに、
ヒト以外の類人猿が含まれていればまた話は違ったでしょうけど。


だから第3掲示板にだな、  投稿者:ミケ 投稿日: 2007年08月26日20時42分

続けるならあっち行こうってこないだ提案したんだけどな。
ここだと議論が追いにくいし長文や連続投稿が迷惑になる場合もあるのよ。
まあしばらくはいいと思うけど続くようなら以下の議論用(第3)掲示板へスレ立てしますね。
http://jbbs.livedoor.jp/study/5329/

で、先の前適応に関しては長文になるので続くようなら第3掲示板にスレ立てるついでに書きます。
もう来ないと思ってたから書かなかったけど。

“前提条件”と“直接的要因”を分けて考えてもらわんとイカンのですよ。
わたしゃ“前提条件”が前適応であるっつってるだけ。
一方エネルギー節約やらサバンナへの適応やらが位置するのは“直接的要因”の部分。ごっちゃにしてもらっては困る。
アクア説はそれらの両方にあたる便利仮説だから混乱するのも無理ないけどね。


モザイク説  投稿者: 投稿日: 2007年08月26日20時31分

いわゆる「森林・サバンナ、モザイク説」ですね。

でもその場合、地理的隔離が成立しないんですよね。
その意味で「イーストサイドストーリー」には、一つの説得力が有ったのですが。
イーストサイドでチンパンジー祖先化石が一つも出土しない、と言うこともその根拠で有った訳です。

それと、サバンナに進出した(取り残された)サルたちは他にもいます。しかし全てのサルの中で、直立二足歩行に特化したのはヒトだけです。
やはり一般論でなく、ヒトだけが余儀なくされた要因を考える必要が有る、と言うのが私の考えです。

今、専門家の中でもヒトの起源に付いて、その場所をアフリカのどこに求めるか、サッパリ分からなくなった、と言うことらしいです。
私はそのメカニズムとして、アクア説に説得力を感じますが、色々な考えが有っても良いことだと思っています。

いずれ化石と分子が、よりハッキリした姿を見せてくれるのを、私は楽しみにしているところです。


イーストサイド改訂版?  投稿者:GB 投稿日: 2007年08月26日19時02分

横からすみません。「?」と思ったもので、あらためてぐぐってみたんですが、

・3000万年ほど前から大地溝帯の形成が始まり、1000万年ほど前から東側の乾燥が徐々に進み、250万年ほど前に現在の姿になった。

・トゥーマイ、ラミダス両猿人は森林性だったらしい。とするなら、「樹上生活への適応の一形態」として、直立二足歩行の下地が成立しているのではないか。

・乾燥が進み、草原の中に点在する森を移動する方法として、すでに不十分ながら獲得していた直立二足歩行が結果として有利に働き、さらにサバンナにおいて真にその力を発揮した。

つまり
「我々の祖先は森の中で偶然直立二足歩行を始めた『木登りのうまくないサル』だったのではないだろうか。乾燥が進み森が縮小を始めたとき、彼らの直立二足歩行は有利に働いた。そのため大地溝帯の東側の草原には、彼らの子孫しか生き延びられなかったのではないだろうか。」

という話に行き当たりました。「イーストサイドストーリー改訂版」といったところなのでしょうか。私には、アクア説よりもこちらの方がずっと説得力があります。


(無題)  投稿者: 投稿日: 2007年08月26日16時17分

tukareru


RE サバンナ説  投稿者: 投稿日: 2007年08月26日 8時46分

>ヒトと他のヒト科との分岐年代が数百万年古くなることが、なぜサバンナ説やイーストサイドストーリーに「難題」になるの?


逆にお伺いしますが、いわゆるサバンナ説やイーストサイドストーリーが主張している「ヒト化の契機」はなんでしょうか?
それが自ずからの回答になると思うのですが。

東アフリカを南北に貫く大地溝帯の東側(イーストサイド)にサバンナが広がったのは、330〜240万年前頃(「裂ける大地、アフリカ大地溝帯の謎―諏訪兼位著」から)とされています。
イブ・コバンが「イーストサイドストーリー(以下、ストーリー)」を提唱したのは1984年頃ですが、その後、より古い人骨化石の発見が相次ぎます。

1992年、アルディピテクス・ラミダス(440万年前)、1996年、アルディピテクス・カダッバ(580万年前)、2000年、オロリン・ツゲネンシス(600万年前)等など。
イーストサイドにサバンナが広がる遥か以前に、既に共通祖先との分岐が有ったこと自体、ヒトの起源とサバンナを結びつける「ストーリー」の崩壊を意味すると、私は思うので、前回「アルディピテクス・ラミダス(440〜580万年前)化石の発見の頃から辻褄が合わなくなります。」と書いたのですが………。

更に2002年発見のサヘラントロプス・チャデンシス(トゥマイ)に至っては、その古さ(600〜700万年前)と共に、発見された場所が「イーストサイド」から2500キロも離れた中央アフリカのチャドです。
だからこそ提唱者のイブ・コバン自身、事実上「ストーリー」を撤回し、「トゥーマイの発見によって………人類の起源については調査する地域を広げ、研究を評価しなおす必要が有る」と述べている訳です。

JA50さんが、若しそれでも「ストーリー」が難題とならず、安泰だと言われるのでしたら、逆にその論拠を聞かせて下さい。


今回の諏訪元博士らによる「ゴリラの祖先化石発見」の意義については、次のようなことが言えるでしょう。
イブ・コパンが「ストーリー」の着想を得たのは、アフリカの動物相分布の偏りだったようですね。

つい最近(2007/8/25付け)発行された「最初のヒト(アン・ギボンズ著、新書館)」に、丁度それに関する手頃な記述が有ります。要約しながら紹介してみます。
勿論この本が書かれたのは、諏訪元博士らの発見の前です。

1)、コパンがその着想を得た1982年当時、それに先立つおよそ20年間の研究者による活発なアフリカ遠征調査によって、東アフリカだけで2000点のヒト科化石、数十万点の動物化石が収集されていたこと。

2)、にも関わらず、東アフリカではチンパンジー化石もゴリラ化石も、只の一点も見つかっていないこと。現生チンパンジーもゴリラも又、「イーストサイド」には棲息していないこと。

3)、逆に当時、300万年前以上前のヒト化石で、「イーストサイド」以外で発見されたものも又、只の一点もなかったこと。

大地溝帯を境に、ヒトとアフリカ産類人猿の古い祖先との間に、ハッキリとした地理的線引きが出来るだろう、とコパンは思い至った訳です。
アン・ギボンズは「最初のヒト」で、コパンの「イーストサイドストーリー」を一通り紹介した後、続けて次のように書いています。

「イースト・サイド・ストーリー説が間違っているとすれば、その誤りを証明するには大地溝帯の東側でアフリカ産類人猿の化石を見つけることが必要になるだろう。もしくは、西側で初期人類化石を見つけること、でもいい。」と。

西側の初期人類は、既にトゥマイと言う形で見つかっています。
そして今回、東側でゴリラの祖先化石が見つかったと言う訳です。

私には今回の発見が、直接「ストーリー」の間違いを証明する事由になるのかどうか、イマイチ分からないところも有るのですが、少なくともその古さによって分子時計の補正がなされるとすれば、何よりトゥマイの生存年代と分子が示す年代に矛盾がなくなり、トゥマイをヒトと同定することの確からしさが、格段に高まることにはなる、とは思っています。

前回書いたように、ドーキンスは「難題をつきつけられることになる」と「祖先の物語 上」で書いていますが、私は、イーストサイドストーリーは提唱者自ら認めているように、既に終わったお話だと思っています。

http://illustrator-ok.com/


それは  投稿者:うだうだ 投稿日: 2007年08月26日 0時12分

書いてあるけど、そこまで遡ったら、地質学的にイーストサイドに大規模なサバンナがまだ無かったから。

地質学的に?ってのがどういうものかさっぱり分からないけど。

つかーJA50さんの意図が分からん。文章からこうとしか読めん。


サバンナ説  投稿者:JA50 投稿日: 2007年08月25日10時54分

ヒトと他のヒト科との分岐年代が数百万年古くなることが、なぜサバンナ説やイーストサイドストーリーに「難題」になるの?


ゴリラの祖先(?)化石発見、ネイチャーに発表。  投稿者: 投稿日: 2007年08月24日 7時05分

諏訪元(すわ げん)東京大総合研究博物館教授(古人類学)ら日本とエチオピア研究チームが、約1000万年前の地層から、ゴリラの先祖とされる化石を発見したとのこと。
昨日(8/23)付け、新聞朝刊などメディアで一斉に報道されました。

これが本当なら、単に、古代類人猿の新種が一つ発見されたに留まらない、ヒトの誕生シナリオにも関わる、大きな意義を持つ発見となるだろうと私は思っています。
中で、最もよくまとめてあると思われる、中日新聞の報道を転載しておきます。
http://www.chunichi.co.jp/article/national/news/CK2007082302043070.html


(以下その内容の転載)
1000万年前にゴリラの祖先 人間誕生の時期さかのぼる?

ゴリラの祖先とみられる新種の類人猿の化石を、エチオピアにある約1000万年前の地層から発見したと、諏訪元・東京大教授を中心とする日本とエチオピアの国際チームが23日付の英科学誌ネイチャーに発表した。

 ゴリラの仲間と人類との分岐は従来、DNA分析などに基づき古くとも800万年前と推定されていた。それより古いゴリラ類の化石が出土したことで、チンパンジーなど類人猿と人類が最終的に枝分かれした時期も、従来推定より昔にさかのぼる可能性が出てきた。

 チームは昨年、首都アディスアベバの東にあり、人類化石が多数出土しているアファール渓谷の斜面で、地表に露出した類人猿の犬歯一本を発見。今年、数十メートル離れた地点で8本の臼歯を相次いで発見した。


 コンピューター断層撮影などで、歯の象牙質の形状やエナメル質の厚さを分析。植物の茎のような繊維質を食べるのに適した特徴などがゴリラと共通だったことからゴリラの祖先と結論付け、地層名などから「チョローラピテクス・アビシニクス」と名付けた。

◆空白を埋める発見
 アフリカでラミダス猿人など多数の人類化石を発見したティム・ホワイト米カリフォルニア大教授の話
 「非常に重要な発見だ。ゴリラの系統が1000万年前に既に始まっていたことを示し、類人猿が分岐を始めた時期にアフリカで何が起きていたかを明らかにする初の化石で、アフリカの類人猿化石の空白を埋めたと言える。DNAの研究で推定された分岐の年代を、正しく補正するのに役立つだろう。」
(転載、ここまで)


発見された場所はアフリカ、アファール渓谷の斜面。今までにも多くの人骨化石が出土した地点で、いわば人類のゆりかごとも言われてきた場所です。
諏訪元教授は、大学院生時代から、ティム・ホワイト博士率いる研究チームでアフリカでの化石調査に参加。日本における進化人類学、人類化石ハンターの第一人者と言えるでしょう。ラミダス化石を発見したことでも知られています。


【分岐年代の遡りと人類発祥のメカニズムの見直し】
今回発見されたのは犬歯、臼歯など、幾本かの歯とのことですが、若しこれが本当にゴリラの祖先種に当たるものだとすれば、先ずその一番大きな意義は、従来主に分子進化学の知見によって、約800万年前とされてきた、ゴリラとヒト・チンプなどとの分岐年代が、およそ200万年も遡ることです。
つまり分子時計の針を大幅に巻き戻すことになる訳です。

上記ホワイト博士のコメント通り、分子時計の補正にも関わることで、結果的にヒトとチンプとの分岐年代の見直しにもつながってくることになるでしょう。
更には、ヒトが直立二足歩行を獲得した契機として、伝統的に説明され、そして殆どの人に疑問なく受け入れられてきた従来の「サバンナ説」の真偽にも、直接影響を与える問題にもなってくるでしょう。

「省エネ説」は論外としても、「遠くを見渡す為説」「真昼の直射日光を、幾らかでも避ける為説」「地面からの照り返しから逃れる為説」等は全てサバンナ説を前提としたものです。

しかしそのサバンナ説は、ルーシーなどアウストラロピテクス・アファレンシス(約350〜400万年前)の発見辺りから怪しくなり、アルディピテクス・ラミダス(440〜580万年前)化石の発見の頃から辻褄が合わなくなります。つまり地質学的にその頃は、そこまでの淘汰圧を及ぼすほどには、未だサバンナが発達していなかったのではないか、と言う訳です。
その為、最近では「サバンナ、森林モザイク説」(総じてイーストサイドストーリー)として、お色直しで説明されることが多いようです。
尤もそうなってくると今度は「地理的隔離」の問題が浮上するのですが………。

その後も、オロリン・トゥゲネンシス(600万年前)、サヘラントロプス・チャデンシス(600〜700万年前)と、古い人骨化石の発掘が相次ぎます。
特にサヘラントロプス・チャデンシス(トゥマイ)の発見は決定的でしたね。何しろ発見場所が「サバンナ説」の舞台としてのイーストサイドから2500キロも離れたアフリカ内陸のチャドだった訳ですから。

ドーキンスも「祖先の物語 上」152ページで次のように述べています。
「オロリンとトゥマイが二足歩行だったと言う彼らの発見が若し正しければ、人類の起源に関する筋の通ったどんな見方も難題を突きつけられることになる」………と。
(アクア説については、特に「難題」があるとは、私には思えませんが)

まあ、そう言うことも有ってのことでしょう、オロリンにしてもトゥマイにしても、それをヒトの祖先として認めないと言う見解が一部に有るようです。その理由は他でもない、その生息年代が古すぎると言うことからでしょう。
そしてその一番の論拠として挙げられるのが、分子時計が示す分岐年代との乖離、と言うことなのでしょう。

アラン・ウィルソンとヴィンセント・サリッチが、最初に分子をヒトの分岐に持ち込んだとき、その分岐年代は、480〜500万年前と言う結果でした。
その後DNA交雑法など、手法も洗練されて今では600万年前位に遡った分岐年代が定着していたようです。
しかしそれでも、最近相次いで発見された化石の年代との間に乖離が見られていた訳です。

今回の諏訪元博士らの発見は、その辺の補正を迫るものになりそうです。
分子時計の針が全体として200万年も巻き戻されることになれば、オロリンやトゥマイの生息年代と、分子が示す年代とに矛盾はなくなります。
つまり700万年前には、そしてイーストサイドに関係なく、最初のヒトが出現していたことが、無理なく受け入れられることになります。

結果的に「イーストサイドストーリー」と、それを前提にした人類起源のメカニズムの破綻は、ほぼ確定すると、私は思っています。

勿論、諏訪元博士自身、「現代の人類の初期進化の舞台とされるアフリカだが、この時代の類人猿の化石が見つかることは非常に少ない。今後、さらに化石が見つかれば、進化の過程がよりはっきりするだろう(朝日新聞)」と話しているように、未だまだ「確定」とまでは行かないのかも知れませんが。


おお  投稿者:MPPIC 投稿日: 2007年08月19日14時06分

失礼しました。日付は気付きませんでした。エイプリールフールネタですね。
真面目に書き込んでしまい、ちょっと恥ずかしい。


全部ごりっとお見通し  投稿者:tema 投稿日: 2007年08月19日 8時31分

 MPPICさん、はじめまして。temaと申します。

>が、本物の大学教授が書いた本であるかの様に、真面目に紹介されていますが、

 なんと! 大人になったら科技大で上田教授に師事しようと思っていたのにぃ…

 それはともかく、内容説明も読まず立ち読みもせずに「買って読んでビックリ」ということになったら、それは(買った人にとって)得がたい経験でしょう。ビックリしといた方が良いと思います。

 なお、ジョークであることは、最後に記載された日付が示しています。こっそりと。
 このこっそり具合がヨイ、とtemaは思ってます。


参考文献について  投稿者:MPPIC 投稿日: 2007年08月19日 3時36分

連続投稿失礼します。

ちょっと気になっていたのですが、参考文献紹介のページで、

「どんと来い、超常現象」(上田次郎著 日本科学技術大学出版)
が、本物の大学教授が書いた本であるかの様に、真面目に紹介されていますが、
これって、TVドラマ「TRICK」のパロディ本ですよね。
http://www.bk1.jp/product/02235555?partnerid=p-aafarm00729

おそらく、NATROM さんも分かった上でジョークで紹介しているのだとは思いますが、
もしかすると、ドラマのことを知らない人が真に受けて、本物の大学教授が「超常現象」を解明した本だと思い込み、
買って読んでビックリということにならないか、心配しております。
一応、ドラマ「TRICK」のことについても説明しておいた方が良いかと思うのですが、如何でしょうか?


初めまして  投稿者:MPPIC 投稿日: 2007年08月19日 3時07分

初めまして。普段ROMしています、MPPIC と申します。
過去ログ、お盆休み中に一部ですが読んでみました。
よう氏とか、愉快(というか不快?)な人がいたんですね。面白く読ませて頂きました。

自己紹介ですが、技術系の仕事をしている者です。大学では応用物理学科に属していました。
残念ながら、宇宙論とか、生物学とか詳しくないです。進化論も詳しくありません。
長谷川氏のページを見ると、おかしな主張をしているということは直感的に分かるのですが、
間違いを論理的に説明しようとすると、専門知識が乏しいこともあり、なかなか難しいというのが実状です。
ここに書き込みをする皆さんは、知識も豊富で、論理的に説明することに長けており、足下にも及びません。

聖書は、旧約から新約まで、一通り読んだことがあります。
最近読んだ本は、
・奇妙な論理T・U マーティン・ガードナー
・なぜ人はニセ科学を信じるのかT・U マイクル・シャーレー
・人はなぜエセ科学に騙されるのか 上下 カール・セーガン
などです。

今度、「新版・図説 種の起源」「盲目の時計職人」を読もうかと思っています。
値段が高いのが難点!!


ちょっと気になったのですが、

TT 様
>下記の記事をお読み下さい。聖書による創造論とは違いますが、どのようにして世界が創られたかが書かれています。

で、読んでみましたが、これって何でしょうか?
題名は「スピリチュアリズムの真髄」とあります。流行のスピリチャル・ブームに関係していそうですが。
聖書の創世記を引用してるけど、これは引用と言うより利用というのに近い印象。
おそらく、クリスチャンで、このページの内容に共感する人は、ほとんどいないのではないかと思います。
まして、進化論を信じている人達にとっては、戯言にしか聞こえないでしょう。
TV番組「オーラの泉」を見て感動して涙を流す人向けのお話かと思われます。
このTT様の書き込みがスルーされているのも、その辺りが理由かと勝手に想像しております。

ところで、TT様御自身は、この「スピリチュアリズムの真髄」の創造のお話を信じているのでしょうか?
もし信じているのでしたら、何故信じているのかに興味があります。
差し支えなければ、意見をお聞きしたいと思います。


それでは、NATROM 様、常連の皆様、新参者ですがよろしくお願い致します。


うーん  投稿者:うだうだ 投稿日: 2007年08月17日22時41分

まとまったらいずれ。今は良いですよ。

んじゃ。


うだうださん  投稿者:AH1 投稿日: 2007年08月17日14時40分

長くなるようでしたら第3掲示板の方へお願いします。


どうもすみません  投稿者:うだうだ 投稿日: 2007年08月17日12時57分

> 自然(自明)というより、「まだしもあり得る話」ってことです。

なるほど、可能性の話ですね。

> ほんの一部しか違わない塩基配列が別々にできたのか、同じだった配列のごく一部が書き換わった結果なのか、どうやっても同じようなシークエンスになる理由が何かあるのか・・・ と作業仮説を考えてみたが、やっぱり「共通祖先がいた」が一番ありそうだな、ってこと。

ははーん、考えられる中で最も上手く説明がつく仮説を考えてみたと言う事ですね。


> あり得る説明(作業仮説)を片っ端から並べて、どれが一番うまく説明できるか考える・・というスタイルは科学では一般的だと思います。
ま、推理小説みたいなものですか。

まあ、そうですね。推理小説ですね。推理小説との違いは、事実は小説の中で閉じている点ですね。都合よく作りやすそうですね。後、事実の扱いですね。

AH1さんが何故私に答えてくれるかの動機は分かりませんが、私が一貫して持つ違和感は、科学的思考法と言う物が、まあ結論を出す為のあまりに平凡な思考法である事と、もう一つは何か違いがなさ過ぎて物足りないと言う事ですね。私自身が科学的思考法に自然と慣れてしまっているのかとも思います。(良い推論を導き出す為の思考に経験上慣れている)


あ〜〜〜  投稿者:古墳 投稿日: 2007年08月17日12時40分

>>TT氏
ありがとうございます。
疑問は解けませんでしたが(と言うより疑問が増えましたが)、創造論を理解する参考にさせて頂きます。


全ては創造された  投稿者:TT 投稿日: 2007年08月16日18時23分

>この疑問への創造論側の返答が見つけられなかったんですがお奨めの書籍などあったら教えて貰えますか?

下記の記事をお読み下さい。聖書による創造論とは違いますが、どのようにして世界が創られたかが書かれています。

http://www5e.biglobe.ne.jp/%7Espbook/shisou/shisou-1b-3s.htm


気になる・横  投稿者:AH1 投稿日: 2007年08月16日11時08分

>要するに、そう考えるのが自然(自明)である?と言う思考法から来てるのですか?

自然(自明)というより、「まだしもあり得る話」ってことです。
ほんの一部しか違わない塩基配列が別々にできたのか、同じだった配列のごく一部が書き換わった結果なのか、どうやっても同じようなシークエンスになる理由が何かあるのか・・・ と作業仮説を考えてみたが、やっぱり「共通祖先がいた」が一番ありそうだな、ってこと。


>進化論または科学的思考法はそういう思考法が多いのでしょうか?

あり得る説明(作業仮説)を片っ端から並べて、どれが一番うまく説明できるか考える・・というスタイルは科学では一般的だと思います。
ま、推理小説みたいなものですか。


これ気になるな  投稿者:うだうだ 投稿日: 2007年08月16日 9時43分

> 99.9%遺伝子が共通であることを、共通の祖先を持っているという以外にどう説明するわけ?

要するに、そう考えるのが自然(自明)である?と言う思考法から来てるのですか?

進化論または科学的思考法はそういう思考法が多いのでしょうか?

暗中模索で話しているため、イミフメイな言語の使用が多いとは思いますが、分かるのであれば是非明確な返答を。


Re:感想(そろそろ終焉か)  投稿者:大文字ナン 投稿日: 2007年08月15日23時41分

MIURAさん。

>このホームページを書かれている方とのやり取りを参考にしてくだされば幸いです。
最初に…誤解しているのかな?私はこのサイトの管理人ではありませんよ。それとも上記が私を想定していないものであれば私の勘違いですが。

さて、自分ではまったくソースを調べたりしないで感想だけ云うんでしたらどうとでも云えるのです。

ttp://wwwsoc.nii.ac.jp/msj5/annual_meeting/2003resume/2003-10.html
ttp://www.fukuoka-edu.ac.jp/~fukuhara/jikken/hiiragimokusei_toge1.html
ttp://tnfri.fra.affrc.go.jp/tnf/news62/saito.htm

↑挙げればキリがありません。”種間変異”でググっただけで見つかるソースの数々です。
と、こんなソースをMIURAさんに読んでもらっても、MIURAさんが進化論を理解したり科学のなんたるかを分かってもらえるとは期待していません。なぜならMIURAさんも他の創造科学論者と同様に、進化論をまるっきり知らないし科学とはどういうものであるのかもさっぱり理解していないことが分かってしまったからです。

>人とチンパンジーの遺伝子がほとんど共通ということが進化の証明になるというのもいかがなものでしょうか。99.9パーセント遺伝子が似ていたとしても、チンパンジーが人に進化したと結論付けることができるでしょうか。

その証明が上記のようなトンデモない反論です。もしかしてMIURAさんはチンパンジーが進化してニンゲンになったと「ダーウイン流進化論」が説明しているとお思いですか?さらに、進化論は「たったの150年とかの短いスケール」で、新たな種がほいほい生まれるような主張をしているとでも思っているのですか?
相手のことを批判するのであれば、せめて相手がなにを主張しているのかくらいは理解してからにしないと、無礼で傲慢と思われても仕方がなくはありませんか?それともMIURAさんは、相手のことを知らずに「勝手な印象だけ」で批判することも「是」であるという考え方の人ですか?

>「仮説」に過ぎないものをどこかですり替えを行ない「科学」だと断言していく事は誤解を招くものであり誠実な表現とはいえません。

で、このへんでうんざりしてくるのです。
自然科学とは、仮説の集まりです。力学も化学も生物学(進化学)も電磁気学も、すべて仮説の集まりです。科学は絶対的な断言をするものではありません。科学とは斉一性をベースに予測をたてるための道具に過ぎません。絶対的な真実ではないのです。

>気の遠くなるような長い時間をかけるならば、犬小屋もお城になり、ラジオもテレビになり、自転車だって自動車になるというのが進化論のように思えるのです。

まぁ要するにMIURAさんは進化論の批判をしていません。表題にあるとおり「感想」を述べているだけです。その感想の趣旨は「難しくて分からない、嫌いなので読みたくない、知りたくない」という程度。
なぜなら上記のような喩えはまるっきり見当違いでバカ丸出しで激しく無知であることをさらけ出しているだけだからです。

それでは進化について、私なりの考えを示しましょう。進化とは、いわばバリエーションです。本当のことを云ってしまえば、地球上には「生命」という一種類のシステムしか存在しません。それは炭水化物で出来た自己複製を行うかなり特殊なシステムで、DNAと呼ばれる共通の設計図を持っています。さらにこの生命は、相互に作用しあい、地球という「環境」と密接に関係しあっています。

残念ながら、ラジオやテレビは自己複製をしません。また、自律的に相互作用することもありません。

>しかし、どこまでも犬は犬であって猫にすることはできない、というのが今の科学で確定していることではないでしょうか。

犬を猫にしたりするのが進化論だとでも思っているのですか?ひどい話ですね。
犬と猫に「共通祖先」があることはすでに知られていることですが、約6000万年前頃に棲息したミアキスという体長20〜30センチほどの肉食獣がルーツです。進化論および生物学では、犬と猫に共通祖先があって、それぞれ独立に進化してきたことを主張しますが、犬が猫になるとは主張しません。それはまったくの「勘違い」であって、MIURAさんがなにも分かっていないことを証明したことに過ぎません。


質問し忘れた事があるので、追加させて頂きますね  投稿者:古墳 投稿日: 2007年08月15日21時01分

>>MIURA氏
>尚更、そのいい加減な種の境界線を越えて変化していく実例(推測ではなく)を挙げる事ができるのではないでしょうか。

糸を沢山束ねるとロープになりますが、〜〜p以上はロープという取り決めが無い状態で、何処まで糸で、何処からロープとするのか事例を挙げられますか?
私は、進化論とはそういった小さな変化の積み重ねだと思ってます。
境界線が曖昧なのに、無いかもしれない境界線を越える事例を出せというのは無茶と言うか意味が解らないのですが…。
MIURA氏の仰る境界線を超える事例とは、例えばどんな物(状態?)の事を仰っているのでしょうか?


>>ゆんゆん探偵氏
>それは、創造の考え方がまず「はじめに種ありき」だからです。

そうなんですか…神様、宇宙人が創造したから種は最初から決まった形と言う事なんでしょうね。
私は進化論のド素人ですが、創造論もド素人です。

他の宗教の神様の立場はどうなるんだろう?とか、
(日本なら、神様は創造する立場ではなくって、存在する物に宿る訳ですから逆になりますし…。他の神様は認めないのだろうか?)
これだけ沢山の生物を作れる高い知性を持っている筈の宇宙人が、まだ、クローンも満足に作ることが出来ない程度の人間よりも馬鹿っぽい設計ですか?とか…。
ド素人らしい疑問がわきますね。
進化論では、進化が起きたからと説明てきますが、創造論では、どう説明しているのか興味があります。
ちょっとググリましたが、この疑問への創造論側の返答が見つけられなかったんですがお奨めの書籍などあったら教えて貰えますか?


間違いだらけ  投稿者:カクレクマノミ 投稿日: 2007年08月15日15時21分

>種間雑種については植物の不稔性により子孫が継続していかない、これが今の科学で確定していることではないでしょうか。

大嘘。植物では、雑種がそのまま子孫を残し、新種になったと考えられる事例はたくさんあります。動物ですらそのような例が見つかってきています。
これ以外にも、生物学をちょっと勉強すればわかるような間違いだらけ。

ろくに勉強してないことを断言するのはやめましょう。


それは  投稿者:ゆんゆん探偵 投稿日: 2007年08月15日13時38分

>なのき同じく、コピーを繰り返し、突然変異まで起こるのに、生物だけは何億年たってもたいして変わらないと言う創造論のほうが、私には「何故??」と思えるのですが…。

それは、創造の考え方がまず「はじめに種ありき」だからです。「変わらない種」の存在は大前提なので、それが本質的に変わることはありえないわけです。つまり、進化論を「はじめに進化ありき」と言って批判するなら同じ論法で創造の考え方も批判されちゃうわけですね。その辺りに考えが至ってない辺りが、まだまだ浅い。

ある論を展開するにあたって、はじめになんらかの仮定を立てるのは当然のことです。それによって、その論の正否が決まるわけじゃない。論の正否は、その論の論理的整合性と証拠の有無によってのみ決まるんです。


不誠実な人間とは  投稿者:ナナシー 投稿日: 2007年08月15日13時29分

>「創造者」や「英知の存在」

なんてものが見つかるなり、客観的な証拠があれば科学は創造論に流れますが、そんなものはこれっぽっちもない!
創造論を唱える人間は証拠を出さずに口先だけの便利な存在を持ち出して、まともな議論をしている気になっている。本当に誠実さに欠ける人間だと私などは思います。


何が疑問なのかが解らない  投稿者:古墳 投稿日: 2007年08月15日13時17分

MIURA氏が何に疑問を持っているのか、何度読んでも私には理解できませんでした(>_<)

>しかし、どこまでも犬は犬であって猫にすることはできない、

犬が猫になることは出来ませんが、犬が犬ではない何か新しい種になることは可能ですよね?
その何かのうちの一つが、たまたま猫に似てたりする事はあるんじゃないでしょうか?
犬が猫になれなくても、何か別な種になる(それまでの種とは違ってくる)事は、チワワとセントバーナード見てても私は無理なく想像できますよ。


>「はじめに進化ありき」という思い込みが多分に入り込んでいます。

仮にそうだとしても、それが何の弊害を生むのでしょう?
仮説の定説を聞くと、まず疑いたくなるのが人情(笑)
実際、沢山の専門家が疑い、検証してきて150年間否定されなかった訳ですよね。
思い込みがあったとしても、それで進化論が可笑しいと言う理由にはならないと思うのです。


>テレビやラジオ、犬小屋やお城の存在を説明するとなれば大変なことになります。それを科学だと言って説明しているのが進化論だと言えます。

最も理解できなかったのが↑の文章です。
テレビや犬小屋は自己増殖しませんから、作った人を無視して説明なんて出来ないのは当然でしょう。
例えば、コピー機は正確さが売りの機械ですが、それでもコピーを繰り返すと、やがて元が解らないくらい原型を留めない程、変化してしまいます。
誰でも知ってると思いますし、それに疑問もないでしょう。
なのき同じく、コピーを繰り返し、突然変異まで起こるのに、生物だけは何億年たってもたいして変わらないと言う創造論のほうが、私には「何故??」と思えるのですが…。


blind watch maker  投稿者:JA50 投稿日: 2007年08月15日11時54分

ヒトは、いや、この地球上の全生物は盲目の時計師によって作られたんですよ。
そこらに散らばっているものを手当たり次第に利用して、作っては壊し、作っては壊しで。
そうだというのが、この人体を見ればたくさんある。

ヒトの目なんてその典型です。
なんでこんな作りにしたんだろう?
アホじゃないかと。


共通の祖先  投稿者:JA50 投稿日: 2007年08月15日11時48分

99.9%遺伝子が共通であることを、共通の祖先を持っているという以外にどう説明するわけ?

それと、いいかげんにチンパンジーがヒトの祖先だとかいうタワゴトに惑わされることから離れないと、、、

>テレビはラジオから自然に(人間の設計、組み立てを抜きにして)進化したものではありません。

ヒトは偶然にできたものではない。
いったい誰がヒトが偶然にできたと言っているのでしょう?
もしかしてどっかの創造論者のバカがそんなことを言っている?


感想  投稿者:MIURA 投稿日: 2007年08月15日 0時21分

8月7日のご返答ありがとうございます。
貴殿が言われる「すでに実証されている観察事例」「圧倒的な観察事例」「膨大な観察」というのは、どのような類の観察事例なのでしょうか。ご紹介下さったような類のものであるならば進化を証明する本質的な観察事例とは言えないと思います(この文章の最後の方で理由を述べます)。紹介して下さった記事でいうならば、「実証されている観察事例」というのは、イントロンが殆どの生物に存在している、という事に過ぎないように思います。それ以外のことは貴殿が大胆な仮説の根幹として引用された文章中にも見られるとおり、「思えない」」「思える」「思う」という表現の繰り返しなのです。即ち想像あるいは推測です。私が貴殿に差し上げた質問は、種がそれまで持っていた種を越えて変化していくような実例があるならば、教えていただきたいというものです。残念ながら貴殿のお答えはこの質問に答えるものではありません。

「『種は恣意的でいい加減なものである』という認識は、ここで挙げられた2,3の事例から導かれたものではありません。膨大な観察によって導かれた確証性の高い認識です。」
種の定義について質問したわけではないのですが、貴殿がこのように言われるならば、尚更、そのいい加減な種の境界線を越えて変化していく実例(推測ではなく)を挙げる事ができるのではないでしょうか。そうでなければ、それは単なる机上の空論、SF小説の類に終わってしまいます。もし具体的に挙げる事ができないならば、今の時点で(もうダーウィンの時から150年も経っていますが)進化が科学であると明言することができるでしょうか。種の境界線が曖昧であるゆえに、種内の変化が積み上げられていくとき進化が起こるという低い条件を論理的に設定しておきながら、実際にそれが起こっているケースを挙げる事ができないならば、設定が誤っているか、進化という理論そのものが誤っているか、あるいは両方とも誤っているかということになります。

種の中で起こる変化、即ち交配の工夫による品種改良といわれるものは実験で確認する事ができます。犬で言うならば体の小さな犬や大きな犬、毛の長い犬や短い犬などにある程度まで改良していく事はできるでしょう。しかし、どこまでも犬は犬であって猫にすることはできない、というのが今の科学で確定していることではないでしょうか。植物でいうならば種内雑種により、動物と同じように新たな品種を作り得ますが、これも種の枠内における事といわれています。種間雑種については植物の不稔性により子孫が継続していかない、これが今の科学で確定していることではないでしょうか。

「その仮説を提唱するに足りる圧倒的な観察事例が含まれていることから記事を紹介しているのですがいかがでしょうか。」
まさに貴殿も言われているように、進化というのは未だに仮説です。「仮説」に過ぎないものをどこかですり替えを行ない「科学」だと断言していく事は誤解を招くものであり誠実な表現とはいえません。「はじめに進化ありき」という思い込みが多分に入り込んでいます。

人とチンパンジーの遺伝子がほとんど共通ということが進化の証明になるというのもいかがなものでしょうか。99.9パーセント遺伝子が似ていたとしても、チンパンジーが人に進化したと結論付けることができるでしょうか。
例えば、様々な種類の電化製品は、その使用パーツというものはほとんど似たものを使っているといえます。だからといって、テレビはラジオから自然に(人間の設計、組み立てを抜きにして)進化したものではありません。
同様に、犬小屋と人の住む住居とお城は同じ木材建築ですが、お城は犬小屋が長い時間の末自然に進化して出来上がったものではありません。
単に似ていること、共通した部分が多いということは進化の証明になりません。貴殿が最初のご回答で述べておられるように、科学は「創造者」や「英知の存在」を抜きにして考えます。人間が作ったという事を考慮するなら何の疑問も起こらないことでも、人間の存在を抜きにテレビやラジオ、犬小屋やお城の存在を説明するとなれば大変なことになります。それを科学だと言って説明しているのが進化論だと言えます。気の遠くなるような長い時間をかけるならば、犬小屋もお城になり、ラジオもテレビになり、自転車だって自動車になるというのが進化論のように思えるのです。

(お詫び)
私の質問や感想に他の方々が意見や感想を述べて下さっています。それは感謝ですし、私の方からも是非お答えして差し上げたいというものもありますが、私のホームページでもありませんので、このホームページを書かれている方とのやり取りを参考にしてくだされば幸いです。


夏休みだなぁ  投稿者:えめ 投稿日: 2007年08月08日12時28分

*************************************************************************
「昔、親父に聞いた事がある。ホタルの発光パターンは関西と関東で微妙に違(ちが)うとんのやそうや。たしか、長野県のこの辺を境にして、西が二秒間隔、東が四秒間隔とか言うてたわ」
「はぁ」
「この違いを知らずに虫箱の中で一緒に飼うと、ノイローゼ起こして、どちらか片方が死んでしまうそうや」
****************************************************************************
 ****線内 東郷隆著 定吉7番シリーズ3 「角のロワイヤル」より抜粋

同じ種であるゲンジボタルにフォッサマグナを境に東と西で発光パターンの違い、俗に言う「方言」がある事はご存知でしょうか。

同種とされながらも発光サイクルの違いで西のホタルと東のホタルは繁殖できる確立が極めて少ない状態になっていて、これは広く種分化の始まりではないかと認識されています。
詳しくは下記のURLをどうぞ
http://www10.plala.or.jp/kasuga3/insect/hotaru.htm


>貴殿の論理は、推測するならば、種は曖昧であってその境界線もスロープ階段のようになだらかであるとの前提をまず作り上げてから、種の中に見られる変化を取り上げ、その変化が積み重なって行くことによって、スロープ階段のように続く種の境を楽々と越えて進化が進むということだろうと思います。

例えば人の生が何処で終わり、死が何処から始まるかにまつわる話にも似て、かけ離れた状態を比較すると区別は容易だが、その瞬間に近づくにつれて境界は曖昧になって行く場合は実世界に多くあります。

例えば地図にある海岸線は海と陸との境界を現していますが、地図を拡大、つまり縮尺を下げて行くと突然、記された海岸線は不正確となって行きます。理由は波が常に岸を洗っているから。勿論、実際の海岸に線など引いてありませんし。

 陸と海の境、海岸線は人間が自ら作り上げたルールで規定し、認識します。
同様に人間は死の瞬間を自ら作り上げたルールで規定し、死を認識します。
勿論個人が勝手に、ではありません。
皆が話し合い、一定の理解と同意を得た上で、です。

それは種もまた然りなのです。
”種”とは生物を識別する為に人間が取り決めたルールの一つでしかありません。

界- 門- 網 - 目- 郡 - 科 - 連(族)- 属 - 節 - 系- 種 - 亜種 - 変種 - 品種
(各項目とも亜界・上目などサブ分類多数あり)

これら生物の区域分けも又
死の瞬間や海岸線同様、曖昧さを内包する「人間が考えた区分け」です。

ですから縮尺を下げれば下げるほど境界線はなだらかになり「何処からウマで何処からロバと言えるのか」と言う問いが発生します。

>いくらかの不透明な例をもって自然界全体を覆っている堅固な種の存在を曖昧なものとして断定していく事ができるでしょうか。

堅固な=きっちりとした種のイメージと言うのは山の頂上と深海を比較して陸と海の境界を論ずるようなもので、山を下り、あるいは海底から海岸線を目指した二つが接しているような波打ち際ではその境界は不透明で曖昧です。


訂正  投稿者:ゆんゆん探偵 投稿日: 2007年08月07日14時33分

>このあたりの文明には文字記録が残っていないのも、起源がはっきりしないひとつの理由でしょう

文字記録が残ってないなんてことなかったですね。うろ覚えで適当なことを書くものじゃないな……。


チワワ  投稿者:ゆんゆん探偵 投稿日: 2007年08月07日14時28分

チワワの起源がよくわからないのは本当のようです。メキシコ先住民が飼育していたテチチと呼ばれる犬が先祖であるとされていますが、このあたりの文明には文字記録が残っていないのも、起源がはっきりしないひとつの理由でしょう。むしろ、件の冗談記事が「チワワの起源がはっきりしない」という事実を下敷きにしているのかな。

チワワとセントバーナードは直接交配はできませんが、それは主に体の大きさが違いすぎるせいです。「チワワと交配可能可能な犬種A」「犬種Aと交配可能な犬種B」……「犬種Zと交配可能なセントバーナード」とチワワからセントバーナードへとつながるリンクを作ることは可能です。また、人工授精を行えばチワワとセントバーナードの子供を作ること自体は可能だそうです。

http://q.hatena.ne.jp/1096877498
こちらにまとまった情報がありました。(みなさん同じようなことを疑問に思うようです)。


よく解らない…ので、質問  投稿者:古墳 投稿日: 2007年08月07日13時26分

>要するに種の中における変化(順応)です。目新しい事ではないと思います。それでもこのような変化が進化を決定的に証明するものとはみなされていなかったのです。


順応が目新しくない日常的な事だからといって、進化の証拠にならないと言うのは何故なんでしょうか?
私は皆さんほど進化論を理解出来てないド素人ですが、そのド素人感覚では、順応が日常的に観察
出来ているからこそ、進化はあっただんだろうなと普通に受け入れられたんですが…

進化と順応って、また全然違うものだったんですか?
遺伝子の変異云々あるでしょうが、順応が積もり積もって進化が起きると単純に考えてたんですが(^^;

毎回レベルの低い質問してすみませんorz

ttp://


Re:大胆な仮説  投稿者:大文字ナン 投稿日: 2007年08月07日10時23分

>この論文を書いておられる大濱氏自身が、「大胆な仮説を紹介します」と述べておられるのに、どうして仮説を説いているに過ぎない論文を根拠に貴殿が言われるような「この揺るぎない証拠」になるのか不思議です。

MIURAさんもやはり(ほかの創造科学論信者同様)、文章の読み方が分からないか、あるいは理解することを最初から拒んでいるように見受けられます。私が紹介した記事の導入部には、なるほど「大胆な仮説を紹介します」とあります。しかし、その「大胆な仮説」は、すでに実証された観察事例に基づいて提唱されているものです。論理的整合性だとか、物語としての分かりやすさだとか、聖書に記述されているから、というような根拠に乏しい仮説ではありません。

また、筆者が云う「大胆な仮説」の根幹とは、

----------------------------------------以下、引用-----------------
こうした配列は増えることだけに意味があるとしか思えないのだが,核型イントロンもそうした利己的な因子の一種であり,真核生物誕生のための負の遺産と見るのが,その本質を捕らえた,生命誌の視点からの理解に思える。イントロンが一部機能を担うようになったのは,二次的現象である。ゲノムにあるものすべてが,役をなすとは限らない。生物の隣には,必ず生物がいる。人間の歴史と同様に他を侵略し懐柔しながら生物は生き長らえている。ゲノムも,一つの個体,一つの種に注目するだけでなく,生物の相互干渉に注目すべき時が来ていると思う。
----------------------------------------引用終わり-----------------

の文脈であることが記事を読めば分かります。
私は、上記が「仮説」であるにせよ、その仮説を提唱するに足りる圧倒的な観察事例が含まれていることから記事を紹介しているのですがいかがでしょうか。

>しかし、ラバやチワワのケースをもってこの大前提を作り得るものでしょうか。

同様に、すでにほかの方からも指摘されていることですが「種は恣意的でいい加減なものである」という認識は、ここで挙げられた2,3の事例から導かれたものではありません。膨大な観察によって導かれた確証性の高い認識です

種が強固でありその境界線が厳密なものであるならば、その種が持つ遺伝情報は閉鎖されたものであるはずです。種を超えた進化が幻想であるのならば、チンパンジーとヒトの遺伝子がほとんど共通で、ほんの僅かな違いしかない理由はなんでしょうか。従来「まったくの別種」として考えられていた植物同士を交配させて、あらたな園芸品種を次々に生み出せる理由はなんでしょう?こうした問いかけに対する簡単な答えは「共通祖先の存在」です。


お約束ですが  投稿者:クハ72 投稿日: 2007年08月06日19時32分

まずはMIURAさんが「自然界全体を覆っている堅固な種の存在」を明らかにして下さい。


チワワは犬に非ず  投稿者:ナナシー 投稿日: 2007年08月06日18時42分

>そもそもチワワの起源は不明な点が多いのです。

まさか下のような冗談記事を間に受けての発言ではないですよね?
http://x51.org/x/04/05/2658.php

チワワと交配できる犬は犬なのか犬ではないのか…?


進化の原点?はてな  投稿者:関口  投稿日: 2007年08月06日15時24分

細胞分裂して植物型と動物型ができる微生物が発見された。微生物 「はてな」と名づけられた。
これは生物進化の原点のような感じがする。皆さんはいかがですか?

http://www.biol.tsukuba.ac.jp/tjb/Vol5No3/TJB200603SE1.html

現在、絶滅危惧種が増加しており、あるいは絶滅においこまれた種(日本おおかみなど)もあとを絶たない。創造論によると種はジリ貧で推移することになりますか?


雑種はラバやレオポンだけではありません  投稿者:Seagul-X 投稿日: 2007年08月06日14時44分

>ラバやレオポンのようなものも説得力に欠けます。これらのものは一世代だけのものであり、交配が不可です。

では、イノブタでは?合鴨では?ちょっとはご自分でも探されては如何です?

ラバだって、ラバ同士の交配はできないけれど、ウマとラバ、あるいはロバとラバの交配は可能です。そうして出来た子供は「ほとんどウマ」か「ほとんどロバ」になるわけですが、それでもウマとロバの間に位置する存在ですよね。さらにロバと「ほとんどウマ(でもちょっとだけロバ)」を交配させたら、「ほとんどラバ(でも最初のラバよりちょっとだけロバ寄り)」になりますよね。
こうやって交配を繰り返したら、ウマとロバの間のどの位置にもなんらかの個体が存在するようにできますよね、理屈の上では。
このうち、どこからどこまではウマで、どこからどこまでがラバで、どこからどこまでがロバになるのでしょう?


感想  投稿者:MIURA 投稿日: 2007年08月06日 1時51分

7月27日のご返答ありがとうございます。
さて進化を証明するものとしてご紹介いただいた「薬剤耐性エイズウイルス」ですが、ウイルスが薬剤耐性を持つようになるということが進化の証明となるというのはいささか疑問です。これまでも個体が環境に順応してある程度変化していく事は観察されていたのではないでしょうか。要するに種の中における変化(順応)です。目新しい事ではないと思います。それでもこのような変化が進化を決定的に証明するものとはみなされていなかったのです。それ故に、決定的に証明できるものを他に探し続けて来ていたのではないでしょうか。ご紹介いただいたものは、その変化が遺伝子レベルでも確認できるようになったというだけの事に過ぎないように思います。

また、「イントロンに感染したゲノム」ですが、何故これを紹介してくださったのか不明です。この論文を書いておられる大濱氏自身が、「大胆な仮説を紹介します」と述べておられるのに、どうして仮説を説いているに過ぎない論文を根拠に貴殿が言われるような「この揺るぎない証拠」になるのか不思議です。私の質問の趣意は、種を超えて存在している何かがあるか否かではなく、種そのものが種を越えて変化して行くようなケースの有無です。種を越えて存在するものはイントロンのようなものを挙げるまでもなく、たくさんあるでしょう。

ラバやレオポンのようなものも説得力に欠けます。これらのものは一世代だけのものであり、交配が不可です。このような例は種の柔軟性と同時にその堅固さを物語っているのであって進化を証明するものとは言えません。

チワワとセントバーナードの例ですが、これも進化の証明というには短絡的過ぎます。交配できないということが進化を証明するものとなるのでしょうか。恐らく、同じ犬という種から、チワワとセントバーナードのように交配できない状態に進化したということを言いたいのだと思いますが、根拠が全くありません。そもそもチワワの起源は不明な点が多いのです。種の分類は人間が行ってきたものなので、現在でもどこで線引きをすべきか迷うようなケースがあることは否定できません。チワワもそのケースかもしれません。しかし、だからといって厳然と存在する種そのものを否定する事はできないでしょう。

貴殿の論理は、推測するならば、種は曖昧であってその境界線もスロープ階段のようになだらかであるとの前提をまず作り上げてから、種の中に見られる変化を取り上げ、その変化が積み重なって行くことによって、スロープ階段のように続く種の境を楽々と越えて進化が進むということだろうと思います。種と種の境界線がスロープ階段のようになだらかであると言う前提が正しければ、ある意味でそれは論理的ということができます。しかし、ラバやチワワのケースをもってこの大前提を作り得るものでしょうか。いくらかの不透明な例をもって自然界全体を覆っている堅固な種の存在を曖昧なものとして断定していく事ができるでしょうか。
もしこれらに勝る例を挙げる事ができないとするならば、進化論の科学であると言う説得は、旧態依然として証拠不十分ということになると思います。


ご意見、ご要望がございましたら、掲示板か、 e-mail:natrom@yahoo.co.jpへどうぞ。


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