進化論と創造論についての掲示板ログ403

2007年07月21日〜2007年08月06日
このファイルは、掲示板巡回ソフトのログファイルを元に再構成したものであり、投稿時の状態(フォントサイズ、文字の色、リンク等)をすべて反映しているわけではありません。いくつかの書名にアマゾンのアソシエイトのリンクを張らせてもらいました。
トップページに戻る
掲示板ログ402へ
掲示板ログ404へ

感想  投稿者:MIURA 投稿日: 2007年08月06日 1時51分

7月27日のご返答ありがとうございます。
さて進化を証明するものとしてご紹介いただいた「薬剤耐性エイズウイルス」ですが、ウイルスが薬剤耐性を持つようになるということが進化の証明となるというのはいささか疑問です。これまでも個体が環境に順応してある程度変化していく事は観察されていたのではないでしょうか。要するに種の中における変化(順応)です。目新しい事ではないと思います。それでもこのような変化が進化を決定的に証明するものとはみなされていなかったのです。それ故に、決定的に証明できるものを他に探し続けて来ていたのではないでしょうか。ご紹介いただいたものは、その変化が遺伝子レベルでも確認できるようになったというだけの事に過ぎないように思います。

また、「イントロンに感染したゲノム」ですが、何故これを紹介してくださったのか不明です。この論文を書いておられる大濱氏自身が、「大胆な仮説を紹介します」と述べておられるのに、どうして仮説を説いているに過ぎない論文を根拠に貴殿が言われるような「この揺るぎない証拠」になるのか不思議です。私の質問の趣意は、種を超えて存在している何かがあるか否かではなく、種そのものが種を越えて変化して行くようなケースの有無です。種を越えて存在するものはイントロンのようなものを挙げるまでもなく、たくさんあるでしょう。

ラバやレオポンのようなものも説得力に欠けます。これらのものは一世代だけのものであり、交配が不可です。このような例は種の柔軟性と同時にその堅固さを物語っているのであって進化を証明するものとは言えません。

チワワとセントバーナードの例ですが、これも進化の証明というには短絡的過ぎます。交配できないということが進化を証明するものとなるのでしょうか。恐らく、同じ犬という種から、チワワとセントバーナードのように交配できない状態に進化したということを言いたいのだと思いますが、根拠が全くありません。そもそもチワワの起源は不明な点が多いのです。種の分類は人間が行ってきたものなので、現在でもどこで線引きをすべきか迷うようなケースがあることは否定できません。チワワもそのケースかもしれません。しかし、だからといって厳然と存在する種そのものを否定する事はできないでしょう。

貴殿の論理は、推測するならば、種は曖昧であってその境界線もスロープ階段のようになだらかであるとの前提をまず作り上げてから、種の中に見られる変化を取り上げ、その変化が積み重なって行くことによって、スロープ階段のように続く種の境を楽々と越えて進化が進むということだろうと思います。種と種の境界線がスロープ階段のようになだらかであると言う前提が正しければ、ある意味でそれは論理的ということができます。しかし、ラバやチワワのケースをもってこの大前提を作り得るものでしょうか。いくらかの不透明な例をもって自然界全体を覆っている堅固な種の存在を曖昧なものとして断定していく事ができるでしょうか。
もしこれらに勝る例を挙げる事ができないとするならば、進化論の科学であると言う説得は、旧態依然として証拠不十分ということになると思います。


自然現象は単純ではない  投稿者:ワヤ 投稿日: 2007年08月03日16時19分

>わやさん 投稿者:Kosuke 投稿日:2007年 7月16日(月)13時59分26秒
あなたが何を仰りたいのかいまいち理解しかねますが。

「規則正しい塩の結晶が析出します。」≠「同じ大きさで同じ形の結晶」
という事だけはきちんと理解してかなければね。「規則正しい結晶構造」に超越者の意図が必要か?って話でしょ。

> 我々庶民は科学を暗記して信ずるしかないけれど。頭使いたくないし

私も一庶民ですが、頭を使うのがイヤダなんて、そんな人と一緒にして欲しくないなあ(笑)

  ******************
 不等式だったか。規則正しい結晶、外部条件を管理しないと、格子欠陥とか積層欠陥などが生じる。結晶の成長方向も異なる。逆に設計図通りの構造を、単純な神には作れない。

 触媒などの特性を向上させるには結晶の構造が効くからね。神では難しい。
  (^-^*) (^-^*) (^-^*) (^-^*) (^-^*) (^-^*)

>私も一庶民ですが、頭を使うのがイヤダなんて、そんな人と一緒にして欲しくないなあ(笑)

 でも、自然科学のジャンルは広いよ。一般の庶民には理解を超えた内容が多い。人間の脳コンピュータは記憶力、判断力・・・既存コンピュータに劣る部分が多い。他の分野の識者の話をネットワークを作って信ずるしかない。これ、宗教を信ずるのと同じ構造。違うのは専門化の結論は実証された話である。

 このサイトは多少は論理を得意とする科学者が多そうだから、宗教的な丸暗記学習は必要ないかもしれないが。


感謝  投稿者:クジラフ 投稿日: 2007年08月02日13時36分

大文字ナンさん、diamonds8888x さん、ありがとうございます。


四方哲也  投稿者:diamonds8888x 投稿日: 2007年08月02日 6時07分

四方哲也氏は実験科学者としては実績を挙げている人だと思います。ただ反ダーウィニズム的な解釈は信用しない方が良いでしょう。眠れる遺伝子進化論は1997年の著書ですが、現在は進化工学の方面で活躍中のようですね。
http://www.dma.jim.osaka-u.ac.jp/kg-portal/aspI/RX0011D.asp?UNO=11832&seq=531

ここの業績にある、生命の起源と進化の物理学「2章 情報の物理的起源 2−3.タンパク質の適応度地形」、では極めてまともな解説を書いています。もしかすると反ダーウィニズムは若かりし頃の彼のロマンだったのかも。


ブラキエーションについて  投稿者:shinok30 投稿日: 2007年08月02日 5時37分

>彼らには前適応が起こらなかったからです。
>彼らはブラキエーションを発達させませんでした。
>そしておそらくは腕の関節の関係でしょう、手を補助的に使う二足歩行も発達しませんでした。
>
>ヒトとチンプの共通祖先は、
>さらに祖先であるヒト・チンプ・オランウータンの共通祖先から
>前適応によって得た性質を受け継いだからからこそ二足歩行になれたのでしょう。
>それらの形質は、ヒヒやパタスモンキーの祖先と分化したあとに得たものです。

以前も書きましたが,
私はブランキエーション(樹上性ぶらさがり型運動)は
ヒト・チンプ・オランウータンの共通祖先が持っていた形質ではなく,
複数の系統で独立に獲得された可能性を支持しています
「ケニヤピテクス類」やSivapithecusがブランキエーションに特殊化していないこと
(國松 豊.Journal of Geography111(6):798―815. 2002)から,
少なくとも,オランウータンのブランキエーションは
テナガザルやチンパンジーとは独立に獲得されたと言えるのではないでしょうか?


================================================================================

実際,樹上性ぶらさがり型運動適応に関しては,
ヒトとオランウータンの共通祖先だと思われる「ケニヤピテクス類」も
現生オランウータンの直接の祖先だと思われる Sivapithecusも
樹上性ぶらさがり型運動には特殊化していないことから,
「現生類人猿の樹上性ぶらさがり型運動適応は,複数の系統で平行進化した」という仮説が提唱されています

>現生類人猿の特徴は,多かれ少なかれ,樹上で枝からぶらさがる型の運動・姿勢様式に適応して
>いることである。まず目立つのは長い腕である(Larson, 1998)。幅広い胸郭,背側に位置する肩
>甲骨,やや上をむいた肩甲骨関節窩,球状の上腕骨頭などは腕の引き上げを容易にし,肩関節にお
>ける可動性を増している。肘関節においても,糸巻き状の上腕骨滑車,縮小した尺骨肘頭,ふくら
>んだ球状の上腕骨小頭,丸い橈骨骨頭といった特徴により,肘関節の完全な伸展を可能にするとと
>もに,伸展した状態での安定性を確保し,また,前腕の回転運動をやりやすくしている。手首では,
>尺骨の茎状突起が縮小して手根骨とのあいだに軟骨性の関節円板を介するようになり,手首関節の
>可動性を高めるのに役立っている。体幹部では腰椎の部分が頭尾方向に短くなり,骨盤の腸骨が幅
>広く,痕跡的な尾骨は残っているものの外部に現れる尾は消失している。股関節の可動性も高く,
>膝関節においても,幅広い膝蓋骨や大腿骨顆などの特徴が見られる。足の親指は頑丈で,樹の枝を
>つかむための強い把握力を生み出している(Fleagle, 1999; 中務 , 2002)。

>「ケニヤピテクス類」が出現する 15 Ma前後は,現生類人猿の遺伝的な研究と化石証拠から
>おそらくオランウータンが分岐した年代と見なされている。現生類人猿に共通して多かれ少なかれ
>見られる樹上性ぶらさがり型の運動・姿勢様式への適応が,彼らの共有派生形質だとすると,15Ma
>前後に棲息していたと思われる大型類人猿全体の共通祖先も樹上性ぶらさがり型運動をしていたはず
>である。しかしながら,東アフリカの「ケニヤピテクス類」の体肢骨は,前の時代の「プロコンスル類」
>とは多少違うものの,樹上性ぶらさがり型運動に適応していたとは考えられない(Nakatsukasa et al., 1998)。

>別の可能性は,「ケニヤピテクス類」は現生大型類人猿の共通祖先に近いのだが,現生類人猿に見られる
>樹上性ぶらさがり型運動への適応は,複数の系統で平行進化した帰結だというものである。たとえば,
>南アジアの Sivapithecus(12.5―7.5 Ma)も,頭骨の形態からは現生オランウータンの祖先と思
>われるのに(Pilbeam, 1982),体肢骨の形態からは樹上性ぶらさがり型運動にほとんど特殊化して
>いない(Pilbeam et al., 1990; 中務 , 2002)。このことから,現生類人猿の樹上性ぶらさがり型運動
>適応が,必ずしも共通の祖先から受け継いだ形質ではない可能性も充分ありうる。
================================================================================
http://6609.teacup.com/natrom/bbs?OF=180&BD=3&CH=5


あ、悪いね  投稿者:うだうだ 投稿日: 2007年08月02日 1時44分

> 気が済むまで書きたいならこちらへ

いかない。悪い事だとマナー違反だとまったく思ってなかった。もちろん知っていた。忘れていた。以後忘れないように注意します。

どーせ四方氏の事はまとまるわけ無いけどね。


意味  投稿者:うだうだ 投稿日: 2007年08月02日 1時41分

私は四方氏の研究の意味と言うのはこう考えています。競争とか有利とかって複雑で難しい面があるよって警鐘なのではないかと思うのです。

既存の学説を覆すと言うほどのものじゃなくて、何故そういうほどのものじゃないか言えば、先ほど言ったとおり、何が言いたいか分からないからです。彼自身が明確なダーゥニズムへの理解から来る批判が出来ていないだろうと見ています。

ただ警鐘としてはこの研究は非常に意味深いし、若干の進路修正ぐらいは必要なんじゃないかとは思っています。ただそれはもっと先の話かと考えていますし、後何がこの四方氏の研究によって考え方を変えなくてはいけない学問なのか?ってのが私は専門家では無い為さっぱり分からないのです。

考えれば考えるほど分からないと言うのが私の言いたい事かもしれません。


まあ  投稿者:うだうだ 投稿日: 2007年08月02日 1時37分

こじき大腸菌は、生存競争に残ったとだけは言えると思います。普通に自然界で言う、カビや最近の類と良く似ています。遺伝子が近いものでそういう差が出来るからそこに奇妙さを感じますが、過去からこの手の死体あさりはいると思います。

グルタミン合成酵素を持つ個体だけが生存の上での有利な個体と考える事がおかしなかんがえなのかもしれません。ただ遺伝子で何かを調べようと思ったら、そういう目立つ1つの要素で片の付く遺伝子に関する事は研究しやすいと言う事で、既存の学問のメジャーな位置を保っているのかとも思います。

そもそも何が原因かわからないような現象は研究として複雑すぎて何をやっているか分からない状態になってしまうのでは無いかと思うのです。まあその結果として私四方氏の研究実は何が言いたいか分からない面があるのです。それが私の感じる違和感なのです。


いやーすまんす  投稿者:うだうだ 投稿日: 2007年08月02日 1時30分

> 私以外のここのかたならその解釈の違いを上手く説明できるかもしれません

ちーと無責任な事言いました。クジラフさんがどう納得するかは分かりませんが、私の中でどうせ納得できないだろうと思っています。

以前から四方氏の考えについて何か引っ掛かりがあり考えていたのですが、そもそもここにいる方が明確に答えられるなら、わざわざ共存などといわずに専門家である四方氏も答えれるんじゃないか?と思うのです。

それでも私は四方氏のあの表現には違和感があります。

要するに既存の考えで十分に説明可能なんだろうと思います。しかし、本当にそうか?って疑問もあります。

いつもこの掲示板で違和感がありまくりなのは、どれだけ説明を聞いても本当にそうか?と言う違和感が拭えないのです。

無理矢理既存の考えにあわせているだけの気がしてしまうのです。

どうーしてそれほどまで頑張って既存の自然選択で説明しにゃーならんのだと違和感もあります。

まあーそれは言いつつも、四方氏がその努力を放棄しているかのようにも見えます。


Re:眠れる〜  投稿者:大文字ナン 投稿日: 2007年08月02日 0時22分

クジラフさん、初めまして。

と、お答えしておきながら…数年前に「進化論を勉強しよう!」と買い込んだ数々の書籍の中に件のタイトルも含まれていたはずなので探したのですが…これが出てきません(苦笑。

おおよその内容は覚えていますが、引用なども踏まえてコメントしたいのに出来ません。
なぜこの本を買ったかというと、私の好きな「複雑系」とかも絡めて(一般的な)進化論に反論している「本格的科学の本」という印象だったからです。とはいえ、あくまで印象は印象ですので、と念のため。

で、ちょいと検索して書評を探してみましたが…
ttp://home.hiroshima-u.ac.jp/akirahs/hob/saikin97_1-6.html#Mar9
↑あたりが私の感想に最も近い感じ。

とても面白い本なんだけれど、(四方氏による)「進化論は適者生存という単純な物語(ストーリー)」みたいな主張については私も大いに疑問。私自身も進化について「最適解を探す」みたいに論じることはありますが、これはあくまで「必ず最適解に落ち着く」という意味ではなく、また「どういう評価に基づく最適なのか?」という疑問も常にあるわけです。
#たとえばその「競争的共存」にしたところで、とある環境にもとづく最適解である可能性が高いですね。
#ていうか省エネ説議論にも通じちゃうけど、ある形質、ある個体、という単位だけで系を論じるほど既存の進化論も愚かではないんじゃないかな?と読めば読むほど思ってしまうのは著者がことさらに「常識を覆す」ことに固執して見える(読める)からかな?
#とはいえ、そういう論調はドーキンスにもあるか(笑。
#で、私の結論は「断続平衡説」みたいに、すでに論じられている断片を別の言葉で説き、それがあたかも既存説を打ち破るかのように「ストーリーテラー化」してある読み物なんじゃぁないでしょうかねぇ。


四方さん  投稿者:うだうだ 投稿日: 2007年08月01日18時41分

その人自身はトンデモとは思わないし、研究もトンデモ研究とは思わない。ただ、たまにそれっぽく聞こえる事を言う。ワザとかと思う。ようは挑発的で大胆な性格なんでしょ。

さて、その適者生存ですけど、本は読んでませんが、HPでその実験の内容は見たことがあります。解釈なんじゃないですかね。

私以外のここのかたならその解釈の違いを上手く説明できるかもしれませんが、その本読んでいる人は少数かも?


トンデモ判定お願いします  投稿者:クジラフ 投稿日: 2007年08月01日14時22分

初めまして、よろしくお願いします。

さて、私にはトンデモサンなのか信頼しても良いのか決めあぐんでいる人がいます。
その名は、四方哲也。彼は「眠れる遺伝子進化論」(講談社)で適者生存も分子進化中
立説も進化の主要メカニズムではないないとして、
それらに替わって競争的共存説を進化の主要メカニズムであると主張しています。

大腸菌を使っての実験は確かに興味深いのですが、それを進化論全体おおい尽くすことは
妥当なのでしょうか。


話題が込み合ってきたし  投稿者:ミケ 投稿日: 2007年08月01日11時31分

今ちょっと時間がとれないので簡単に。

To 雄 さん&ALL
二足歩行の話題は第三掲示板に移行しませんか?
http://jbbs.livedoor.jp/study/5329/
まだスレッドは立ててないですが。

To 匿名希・望 さん
ご指摘なんですが、
実はこのへんの話は少々数学的にも複雑で、早々簡単には結論が出ないのではと考えています。
せっかくなので論文斜め読みしてから答えようと思いますので少々お待ちくださいな。

To うだうだ さん
連続投稿はマナーに反しますよ。
考えを纏めてから、できれば1レスで投稿したほうがよいと思います。
気が済むまで書きたいならこちらへ
http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/study/5329/1152189412/l50


又また長文、三題噺  投稿者: 投稿日: 2007年08月01日 7時10分

>一番重要だと思われるところを最初に言うのでちょっと順番が前後してます。
チンパンジーとヒトとの共通祖先の姿は、ネズミに近くなんてありません。

ご指摘有難うございます。
「よりネズミに近いような」と言う表現は、二足歩行の「最初の一歩」の不自然さを強調しようとした為で、私もヒト、チンプ、ボノボ、ゴリラ、オランウータンなどが、非常に近縁だということは承知していました。
http://y-ok.com/appleclub/adam/contents2/contents_2.htm#homokeitoju

又、系統樹を遡ればその分「より、ネズミに近い」ことが間違いだとも思えず、このような表現をしましたが、まあアザトイ表現だったかも知れません。撤回します。

yebisu500 さんへの反論の積もりだったのが、後を引いてしまいました。討論も同じことの堂々巡り、水掛け論になってきたようです。
新しい論点でも出れば又、コメントさせてもらうこともあるでしょうが、「見解の相違」と言うことで、私としてはそろそろ撤収かな、と思っています。
ご意見を頂いても返信できないかもしれません。悪しからずご了承ください。貴重な見解有難うございました。

発端となった記事と紹介されている実験
http://www.cnn.co.jp/science/CNN200707180020.html
への反論を中心に、最後に私の見解をまとめてみます。
またまた、くどく長文になりました。ご勘弁ください。


【省エネ説と目的論】

上記の記事が紹介している実験内容は、タイトルからしても「ヒトの二足歩行は、『エネルギー節約』による進化と」となっているように、省エネ説を前提としていることは明らかです。
26日付け私の投稿の中でも述べておきましたが、やはり私は「省エネ説」を前提とした実験やその解釈に、殆ど意義を感じません。


直立二足歩行の契機として、今まで幾つかの説が主張されて来ました。例えば、「遠くを見渡す為説」「威嚇説」「食料を抱えて巣に運ぶ為説」「真昼の直射日光を、幾らかでも避ける為説」「地面からの照り返しから逃れる為説」等など………。

これらの主張はいずれもサバンナ説を前提としたものですが、それぞれ弱点を抱えており、今では全て反論が用意されています。
しかしこれらの全ての説と比較してさえ、「省エネ説」は致命的な矛盾を抱えています。

他の説はどれも環境との相互関係で考えられた説です。最初からその目的が達成されている必要は有りません。直立二足歩行に慣れるに従い適応度を高めて行けば良いのであって、それで矛盾は有りません。
しかし省エネ説だけはそう言う訳に行きません。

省エネ説は、いわば歩行方法そのものの問題です。
この説をを採る限り、「最初の一歩」から省エネが達成されなくてはなりません。そうでなければ結局「将来の目的」論に陥ってしまうからです。

歩行方法を切り替えたとして、前より少しでも適応的でなかったら(この場合、省エネでなかったら)、新しい歩行方法が自然選択に掛かることは有りません。自然選択は「将来、若しかしたら得られる利益」など拾ってくれませんから。
そして新しく踏み出した第一歩が、数千万年慣れ親しんだ歩行方法よりも省エネであるなどと言うことは、現実には絶対に有り得ません。

例の記事の「ヒトとチンパンジーの共通の祖先のうち、二足歩行の方が消費エネルギー量が少なくてすむ個体にとって、」と言う前提そのものが、頭の中だけで考えられた「空想物語」なのです。

ヒトは現実に四足から直立二足歩行に移行したし、私は反対ですが、それが木の枝の上で進化したのかも知れません。しかしその契機に「省エネ」を持ち出すのは、そもそも論理矛盾だと思う訳です。


【直立二足歩行と個体差】

現生人類の直立二足歩行は、チンプなど、他の類人猿が時に見せる直立姿勢と比べて省エネです。その根拠は主に骨格に見ることが出来ます。
この板にはお医者さんも大勢参加されているようで、ここで私が怪しげな講釈を垂れるまでもないのですが、

「この結果から、ヒトとチンパンジーの共通の祖先のうち、二足歩行の方が消費エネルギー量が少なくてすむ個体にとって、より広範囲にエサを探すことが可能となり、繁殖機会が増えたことから、二足歩行する個体が増えた。そのため、二足歩行をする個体群と、四足歩行の個体群が別れて、別の種になったと考えられるという。 」

などと言う空想物語が、現実には有り得ないことを示す為、あえてスケッチしてみます。
先ず誰もが検証可能な、現世人類と現世チンパンジーとの比較から。

人間が直立したとき、股関節と膝関節が180度に伸び、その上にS字状に湾曲した背骨が、全体としては垂直に立ち、その線上に重い脳を格納した頭が乗っています。
身体の軸が重心線と一致して垂直一直線に通っています。
重心が安定しており、直立姿勢を保つ為に殆どエネルギーを消費せずに済みます。この姿勢以外に重い頭を支え続けるのは困難でしょう。

頭骨にも顕著な特徴が見られ、大後頭孔(頭蓋孔と脊柱管をつなぐ孔、つまりは頭と脊髄が繋がるところ)は下に水平に開きます。
この為、直立したとき顔は水平に位置し、視線も当然真っ直ぐ前方を向きます。


( RE diamonds8888xさん
>サヘラントロプスについては………、二足歩行の根拠は頭蓋骨の首の穴の位置だけなのですが、これはどの程度確実な根拠なのでしょうね。

大後頭孔の位置と角度は、歩行方法と決定的に関連します。骨盤の形状と同等程度でしょうね。
全ての動物は、歩くとき視線が前を向くように頭の位置と角度が決まります。つまり歩行方法の変更は全身の解剖学的変更無しでは有り得ない、と言うことです。
到底、個体差で乗り越えられる問題では有りません。)


この状態から交互に足を踏み出して歩き始めるのを、直立二足歩行と言う訳です。
正面から見た場合も、骨盤に繋がる大腿骨は内側に寄っていて、歩行に際しても重心が左右に移動することが極めて少なく、ここでもエネルギー消費が少ない。

チンプの二足姿勢は、股関節、膝関節が前後に曲がったままで、上体も前傾しています。人間のように骨格が直立の心棒になっていません。背骨も丸く湾曲しています。
言わば若干前かがみの中腰状態で、この体勢で立ち続けるには、重力に抗して常に筋肉で支えている必要が有り、立っていること自体に大きなエネルギーを必要とします。
正面から見ても、膝が外側に離れてO脚状になっており、歩行に際して左右への重心移動が大きく、体を大きく揺らしながら歩くことになります。

繰り返し述べているように、動物にとってロコモーションは最も基本的な行動様式であり、その種特有の進化の歴史を反映しています。遺伝子DNAにコードされた身体のつくり、特に骨格に厳密に依存している訳です。
個体差は当然有るにしても、この種特有の枠を超えての「差」など有り得ません。若しそんな差・変異が有ったとしたら、それは新たな種の誕生です。

地球上にどれ程のチンプ、ボノボ、ゴリラ、ニホンザル、その他各種サルたちがいるのか承知していませんが、基本的な移動方法として直立二足歩行を選択した個体など、現実には只の一匹も観察されていません。
逆に、60億の人間の中で、四足歩行を恒常的な移動方法として選択した個人も又、只の一人もいません(二足歩行に傷害を持っている人は別として)。

この事情は、それぞれの化石人類、或いはチンプなどとの共通祖先を見たとき、より顕著でしょう。生物は分岐を遡れば遡るほど、種としての行動様式は一様化します。
700万年前の共通祖先であったサルの中で、二足歩行の方がそれまでの四足よりエネルギー消費が少なかったなどと言う、特異な個体は絶対に居なかった筈です。


件の実験で、色々な「結果」が取りざたされていますが、仮にどんな結果が出たとしても、それは環境から切り離されたたった5頭の、それも短時間の、一回限りの結果に過ぎません。

そしてこの実験結果で、「ヒトの二足歩行の消費エネルギー量が、四足歩行のチンパンジーの約4分の1と、二足歩行の方が効率がよかった。」 と有りますが、4分の1かどうかは別として、こんなのは当たり前の話じゃないですか。
チンプの活動舞台はどちらかと言えば樹上で、平場での移動方法は主にナックル歩行と言う、いわば妥協の産物です。こんな比較のどこに意味が有ると言うのでしょうか。

同じ比較をするなら、サバンナモンキーなどの四足歩行と比較するべきです。私は高い代償を払ってまでおつりが来るほど、ヒトの二足歩行が省エネの点で有意な違いを見せるとは思えません。


【前適応とオッカムの剃刀】

ミケさんからコメントを頂いています。反論も含めて、特に前適応について。

>>それから、これも繰り返しになりますが、それ程メリットのあることなら、常に飢餓と隣り合わせの野生のヒヒやパタスモンキーで、何故発達しなかったのか。

>彼らには前適応が起こらなかったからです。
彼らはブラキエーションを発達させませんでした。
そしておそらくは腕の関節の関係でしょう、手を補助的に使う二足歩行も発達しませんでした。

ホントですか?
チンプ、オランウータン系列の共通祖先は、樹上生活の中で前適応を発達させていた為、サバンナに出たヒトは直立二足歩行を、最初の一歩から省エネで歩き始めることが出来たのに、ヒヒやパタスモンキーなど、同じくサバンナに出たサル達の祖先は、森の中で樹上生活をしていたとき、揃いもそろって前適応を一切発達させず、その為サバンナと言う同じ環境で有りながら、ヒヒ達には直立二足歩行の萌芽さえ見られない!!!

俄かには信じられないことです。それほど前適応って、強力な切り札なんですか?

それにブラキエーションは、背骨に掛かる負荷が地上での直立姿勢と対極になり、前適応とはなりえない、と言う説も有ります。
しかし、まあいいです。ここではより基本的な考え方について、私の意見を述べてみます。

私は前回、「いくら前適応を発達させていたとしても、本行動そのものの必要性、移行への必然性が無いとき、前適応としての意味は全く成さない訳で、私としては前適応と本行動とを、同列に扱うことには反対です。」と書き込みました。

進化の基本的な要因は、「突然変異」と「自然選択」でしょう。
前適応に意義がないなどとは言いませんが、あくまでも副次的なものです。前適応が全くなくてもこの二つが揃えばその方向に進化が進むでしょう。

ヒトの祖先に、直立二足歩行を促す突然変異が有ったとしたら、それはヒヒやパタスモンキーその他サバンナに住む霊長類の祖先にも、おそらく同じ頻度で起こった筈だと私は考えます。突然変異はランダムだからです。
にも関わらず、ヒトとこれら近縁種の間で全く違った形質や行動が発達したとしたら、私は自然選択、つまり淘汰圧が違っていたと判断します。一言で言えばおかれた環境が違った、と見ます。

ある現象を説明するとき、なるべく基礎的、普遍的な要因で説明しようとするのが、「オッカムの剃刀」なんじゃないですか?
そして基礎的、普遍的な要因で解釈できるとき、わざわざ前適応なんて副次的な要因を持ち出さざるを得ない「反論」って、説得力に欠けるんじゃないですか?

しかも、その同じ前適応の成果で、「エネルギー効率の点で恩恵を受けるに充分なほど二足歩行に習熟している…」チンパンジーが、二足歩行に移行しない理由を、
>エネルギー効率の良さが(デメリットを覆すほど)有利にならない環境に暮らしているからだと説明できます。

…と、今度は環境に求めている。
副次的な要因で説明しようとすると、どうしても「ご都合主義」になりがちだと思う「今日この頃」です。


省エネで遠くへハイキング  投稿者:diamonds8888x 投稿日: 2007年08月01日 6時12分

 ミケさんの話でだいぶわかってきました。オランウータンの樹上二足歩行はかなり新しい話なので雄さんも(実は私も)考慮に入れてはいなかったでしょうけど、ブランキエーションが二足歩行の前適応だという話は以前からありましたね。
 「ヒトでは二足歩行時の消費エネルギー量が、四足歩行のチンパンジーの約4分の1」を見逃してました。以下だと、そこを強調してるんだけど。
http://www.cnn.co.jp/science/CNN200707180020.html

 省エネ説という形ではあまりまとまった話を読んでいないのですが、「二足歩行は長距離移動に有利なので進化した」という説ですよね。特にエレクトスではすでにサピエンス以上に長距離移動能力は優れていて、ゆえにアフリカから遠くへ進出できたということですよね。するとアウストラロピテクスでも四足歩行のチンパンジーの2分の1程度にはなっていたかも知れません。ラミダス・カダバだともうちょっとは劣っていたのかどうか。

 サヘラントロプスについては日経サイエンス(2003/11)『地球が「猿の惑星」だったころ』以降の新しい情報は見つけていないのですが、その限りでは二足歩行の根拠は頭蓋骨の首の穴の位置だけなのですが、これはどの程度確実な根拠なのでしょうね。ヒトとチンパンジーの共通祖先に近いとは言えても、ヒト側の枝へどれだけ踏み出しているかについては議論が多そうですね。

 古人類化石をまとめた便利なサイトがありましたが、やはりサヘラントロプスは頭蓋骨だけですね。ここだと首の穴の位置が四足歩行の根拠になってるが?
http://epp.eps.nagoya-u.ac.jp/~seicoro/Human/Dmanisi.html

 ともかく長距離移動能力が生存に有利な環境というものを想像してみると、例えば寝場所と採食場所が平坦な土地で隔てられているような環境でしょうかね。


一夜明けて  投稿者:うだうだ 投稿日: 2007年07月30日17時32分

いろいろ考えたのですが、違和感はあるのですけど、それを表現しようと思うとどうも他者の不快感を誘うような意見しか考え付きません。

まあそんなこんなでも良いというなら返答待っています。


こういうのが科学っぽい  投稿者:うだうだ 投稿日: 2007年07月29日23時47分

http://www.biological-journal.net/blog/2007/03/000175.html

○同グループが、遺伝子操作でCD38を欠損させたマウスの行動を観察したところ、雄は既知のはずの雌をなかなか認識できず、雌は子どもへの注意が散漫になるなど行動に異常がみられた。こうした行動は、オキシトシンを欠損させたマウスでみられることが知られている。

「CD38」きゃー科学っぽわー。って感じです。

http://www.protein.osaka-u.ac.jp/enzymology/shoukai.htm


○酸素発生を伴わない原始的な光合成を行ういわゆる光合成細菌は、光非依存性プロトクロロフィリド還元酵素系(DPOR)のみを有しています。これに対し、植物と同様の酸素発生型の光合成を行うラン藻は、DPORに加えて、全く異なるタイプの光依存型プロトクロロフィリド還元酵素(LPOR)を併せ持っています。酸素非発生型の光合成から酸素発生型の光合成への進化の過程において、新しいタイプのプロトクロロフィリド還元系を創出するなんらかの必要性があったのではないでしょうか?

「DPOR」「LPOR」おおやっぱこういうのって科学っぽいーつかー。プロっぽい。


私の感想かも  投稿者:うだうだ 投稿日: 2007年07月29日23時34分

私の感想として、進化論って素人が分け分からなくなるような複雑な道具(難しい数式?化学式?)などなどが無くても、素人推理小説マニア程度の発想で案外理解できるんでは?って思っているところがあります。ただ集団遺伝学とかって難しい統計などの数式など多々あり、あれって”科学っぽい”ですよね。

ポイントは「難しい数式」だったりして…。


対立  投稿者:うだうだ 投稿日: 2007年07月29日23時30分

> ミケさんもご自分で言ってますが、仮にに二足歩行への収斂が起こるにしても、まず二足の方が効率的な個体群がある程度の隔離をされてないと、ちょっと推論がアクロバティックになると思います。

いやーより良い論をと言う事なら、仰るとおりです。

しかしアクア説との対立と言う事なら五分五分ってところじゃないでしょうか?

アクア説も前適応的だと思うんですけどね。ただ水生環境での隔離(棲み分けみたいなもの?)と言う事で4,2もまぜこぜの環境よりは、オッカムの剃刀で切られるものではないのかも?


失礼!  投稿者:うだうだ 投稿日: 2007年07月29日23時25分

あ、私表現が稚拙でどうもまた不快な思いをさせてしまったようで。決して突っかかってるわけではなく、そういうもんなんか?って疑問なんですよ。まだ疑問が完全には解消されないと言うわけなのです。

これが科学的なのだ!と言ってしまって良いの?って疑問です。


> 進化のメカニズムと「いつどこでどんな状況でどのような進化が起こった」かは別物なのは明らかなこと。

なるほど、確かに人間の進化と言う固有の出来事と、進化のメカニズムとは別物かもしれない。

> 地球の歴史で言えば、全球凍結があったのかなかったのか、1回だけなのか複数回起こったのかなどという歴史上のイベントについての見解の相違は決してそれを導くための科学知識の誤りを示唆しているわけじゃないのだから、ちゃんと分けて発言しないといけないと思う。

あれ、この説明だとナナシーさんが何を分けなくてはいけないかと言ってるのか分からない。マジで私の理解力のなさ。


> なぜ佐倉氏が「誰も思う発想程度」などと侮辱されなければならないのか不思議。というかこんな突っかかる批判を読んでいてイライラしてくる。

いやー、言葉悪いかもしれませんが、どういうものなのか知りたいって知識欲ですよ。決して突っかかる批判などではありません。私昔からいや現在もどうも言葉で失敗する事が多くて、ここでも勉強している次第です。


生殖隔離の必要  投稿者:匿名希・望 投稿日: 2007年07月29日23時14分

ミケさんもご自分で言ってますが、仮にに二足歩行への収斂が起こるにしても、まず二足の方が効率的な個体群がある程度の隔離をされてないと、ちょっと推論がアクロバティックになると思います。
ここは何かしら別の二足歩行への誘導要因がある時に二足歩行が効率的な個体が選択された方がオッカムの剃刀から言えばよりもっともらしいのではないでしょうか?


(無題)  投稿者:ナナシー 投稿日: 2007年07月29日16時30分

>> 言語の起源の謎がよりみえてくるんじゃないかと思って、霊長類の研究を選んだんです

>こういう発想ってやはり私の見るところ、業界の常識なのでは無いかと思うのです。と言うか難しい科学的知識や思考などではなく、誰も思う発想程度。

大学院生が研究テーマに誰もが思いつくようなことを目標にしてはいけないのだろうか?
別に部外者の私から見ても動機としておかしなこともないし、例えおかしくてもそれは個人の自由だと思う。
なぜ佐倉氏が「誰も思う発想程度」などと侮辱されなければならないのか不思議。というかこんな突っかかる批判を読んでいてイライラしてくる。


(無題)  投稿者:ナナシー 投稿日: 2007年07月29日16時23分

>雄さんは違うのかもしれませんが、どうも進化論ってのは、類推などによる推測が多すぎる。

>大体現在種から過去の進化を想像するって事も、私は引っ掛かりがあるが、すでに起きてしまった事に対してあーだこうだ論を組み立てるには仕方が無いかと考えていますけど。ただやっぱり引っ掛かりがある。

こういう言い方って宇宙の成り立ちや太陽系の形成についていくつもの異論があることから「物理学って信用できないよね」なんて言っているように思える。
進化のメカニズムと「いつどこでどんな状況でどのような進化が起こった」かは別物なのは明らかなこと。
地球の歴史で言えば、全球凍結があったのかなかったのか、1回だけなのか複数回起こったのかなどという歴史上のイベントについての見解の相違は決してそれを導くための科学知識の誤りを示唆しているわけじゃないのだから、ちゃんと分けて発言しないといけないと思う。


まあ意味無いかも  投稿者:うだうだ 投稿日: 2007年07月29日15時18分

http://park.itc.u-tokyo.ac.jp/sakuralab/topics/interview.htm

----------------------------------------------
――まずは、大学時代からの研究生活について教えてください。

「大学時代は東大文学部心理学科の長谷川寿一さん――奥さんは長谷川真理子さんです――のもとで、ニホンザルの行動学を学びました。そして霊長類を本格的に学ぶなら、ということで京大の霊長類研究所(愛知県犬山市)の院へ。修士課程ではニホンザルの性行動を学び、博士課程ではギニアに行ってチンパンジーの社会行動の研究をしました。ぼくはもともと人間の言語に興味をもっていて、言語学を専攻することも考えたのですが、言語の起源の謎がよりみえてくるんじゃないかと思って、霊長類の研究を選んだんです」
----------------------------------------------

> 言語の起源の謎がよりみえてくるんじゃないかと思って、霊長類の研究を選んだんです

こういう発想ってやはり私の見るところ、業界の常識なのでは無いかと思うのです。と言うか難しい科学的知識や思考などではなく、誰も思う発想程度。

まあ雄さんとは関係ないかもしれませんが、以前から私は違和感があったから。言葉にして誰もはっきり言わないからいらいらいしていた部分だから。


やはり  投稿者:うだうだ 投稿日: 2007年07月29日15時08分

雄さんは違うのかもしれませんが、どうも進化論ってのは、類推などによる推測が多すぎる。

大体現在種から過去の進化を想像するって事も、私は引っ掛かりがあるが、すでに起きてしまった事に対してあーだこうだ論を組み立てるには仕方が無いかと考えていますけど。ただやっぱり引っ掛かりがある。

化石はその当時のDNAの変化がわからない。後、重要な機能以外ころころ変化する分子進化の考えも進化論をややこしくしている。現在の猿と共通祖先の違いとして、大きな違いは多分分子進化でしょう。まったく違う生物だとこの点ではいえるでしょう。ただ機能的に類人猿などは人類などより森林に特化した部分などあるでしょう。しかし、共通祖先もおそらく森林適応型だったと当時の環境をいろいろと事実を元に推測して似ていたとする斉一性とに感じかな?こういった事で同一のものとして捉えて現存種を仮想的に共通祖先として観察に使用するといった事も多いかと思います。

化石などからは生活スタイル行動様式などは中々発見しづらいゆえに、現存種から共通祖先から、DNAレベルではなく、生活スタイル的にそれほど変化が無いと想定した種などからヒントを得るみたいな研究が大半を占めると見ています。

私は進化論は苦しい学問だと見ています。ただ、分からないと言ってしまえばよいものを、思考することを諦めないであの手この手で工夫する姿勢は知的だとは思いますけどね。


うーん  投稿者:うだうだ 投稿日: 2007年07月29日14時50分

http://www.cnn.co.jp/science/CNN200707180020.html

---------------------------------------
米ワシントン大学とアリゾナ大学、カリフォルニア大学デイビス校の研究者らは、遺伝的にヒトに近いチンパンジー5頭に、酸素吸入量などを調べる機器を装着し、トレッドミルの上で歩かせ、エネルギー消費量を測定した。


その結果、二足歩行時と四足歩行時における消費エネルギー量について、個体差が非常に大きなことが判明した。
---------------------------------------

上記の実験から下記の結論が導かれるのに、当たり前として、現在のチンプが当時の共通祖先と似ているとした前提推測があると考えています。まあ雄さんの言葉を使えば、業界の常識?に似たものかと思います。門外漢である私がこの掲示板で様々な人と意見を交わして、どうも進化の研究はそういうところがあると理解しました。


---------------------------------------
この結果から、ヒトとチンパンジーの共通の祖先のうち、二足歩行の方が消費エネルギー量が少なくてすむ個体にとって、より広範囲にエサを探すことが可能となり、繁殖機会が増えたことから、二足歩行する個体が増えた。そのため、二足歩行をする個体群と、四足歩行の個体群が別れて、別の種になったと考えられるという。
---------------------------------------


後、ちょっと前の話題で、歯などから人とチンパンジーの共通祖先と、その前の広鼻猿類などとの共通祖先には歯の形態に進化(退化とも呼ぶかも)(による違いがあるだろう。と言う話がありました。


いろいろあるのですけど  投稿者:ミケ 投稿日: 2007年07月29日13時05分

一番重要だと思われるところを最初に言うのでちょっと順番が前後してます。

>600万年、或いは700万年前、よりネズミに近いような共通祖先から分岐した当時、最初のヒトの祖先が今のチンプと比べてさえ、二足歩行に習熟していたとは、私には思えないのです。

もしかして進化関連でときどき使われるフレーズ
「サルからヒトになったわけではない。ヒトとサルの共通祖先から〜〜」
というのを言葉どおり受け取っていませんか?
これは非常に誤解を生みやすい台詞で、ここでいう「サル」とは「現生のサル」のことなのですよ。

チンパンジーとヒトとの共通祖先の姿は、ネズミに近くなんてありません。
ヒトとチンパンジーはとても近い(分岐してから短い)ので、
ヒト・チンパンジーのもつ共通の特徴は、ヒト・チンパンジーの共通祖先も持っていた
(独立に発達したのではなく、それぞれ共通祖先から受け継いだ)と考えるほうが自然です。
そして先に述べたように、オランウータンは親戚関係で言えばヒトとチンプの外側に位置します。
すなわち、ヒト・チンパンジー・オランウータンが共有する特徴は、
ヒト・チンパンジー・オランウータンの共通祖先も持っていたと考えられます。

そうなると、ヒトとチンパンジーの共通祖先の姿について、
オランウータンよりサルっぽくないと考えることは不自然でしょう?
ヒトとチンパンジーの共通祖先は紛れもなくサルの形をしていますよ。
http://kawa3104.hp.infoseek.co.jp/purokonsuru.html

さて、以下はヒトとチンプが共通の特徴を持っているのなら、
ヒトとチンプの共通祖先もそれを持っている可能性があると言う点を踏まえて。

>ですから繰り返し述べているように、高い代償を支払ってなお、エネルギー効率という点で恩恵を受けられるのは、二足歩行に踏み出した後、随分経ってその移動方法に習熟してからだ、と言うことです。

チンパンジーには
二足歩行のほうでエネルギー効率が良いものも四足歩行のほうで効率が良いものも両方いる

したがって、チンパンジーにおいてさえ、
二足歩行で効率が良い個体は、二足歩行になることで
エネルギー効率という点で恩恵を受けることができるのです。

ヒトはいわずもがな、チンパンジーにおいても、
エネルギー効率の点で恩恵を受けるに充分なほど二足歩行に習熟しているのですよ。
となると、ヒトとチンパンジーの共通祖先においても
二足歩行のほうが効率の良い個体がいくらかいる程度には二足歩行に習熟していたと考えるのが自然です。
ちなみにチンパンジーが二足歩行に移行しないのは
エネルギー効率の良さが(デメリットを覆すほど)有利にならない環境に暮らしているからだと説明できます。

>アウストラロピテクス・アファレンシスの時代になってもなお、直立歩行には相当のエネルギーを必要としただろうことが、その復元モデルから伺われる訳です。

チンパンジーにも、二足歩行のほうがエネルギーを使わない個体がいます。
共通祖先にもいたでしょう。
骨格などの点から彼らより二足歩行に適していたと考えられるアファレンシスにおいて、
彼ら以上にエネルギーを使っていたと仮定する理由がありません。


>それから、これも繰り返しになりますが、それ程メリットのあることなら、常に飢餓と隣り合わせの野生のヒヒやパタスモンキーで、何故発達しなかったのか。

彼らには前適応が起こらなかったからです。
彼らはブラキエーションを発達させませんでした。
そしておそらくは腕の関節の関係でしょう、手を補助的に使う二足歩行も発達しませんでした。

ヒトとチンプの共通祖先は、
さらに祖先であるヒト・チンプ・オランウータンの共通祖先から
前適応によって得た性質を受け継いだからからこそ二足歩行になれたのでしょう。
それらの形質は、ヒヒやパタスモンキーの祖先と分化したあとに得たものです。


今までの説明を全部きちんと消化していただければ、
・二足歩行の契機である最初の一歩
・二足も四足もそれなりにいける状態から二足歩行への収束
エネルギー節約説がどこのことを言っているかもわかると思います。
答え言ってしまうと後者なんですが、、、
で、前者が前適応で「樹上から始まった」説がココ。

さて
>同時にいくら前適応を発達さてていたとしても、本行動そのものの必要性、移行への必然性が無いとき、前適応としての意味は全く成さない訳で、

その本行動を変化させる圧力がエネルギー節約だったと、元記事では言ってるわけですね。


長文失礼   投稿者: 投稿日: 2007年07月29日 7時58分

>失礼ながら、前適応の意味を履き違えていらっしゃいませんか?

特に履き違えている積もりもないのですが。

【前適応】
ある生物において以前には特に重要でなかった期間や性質が、のちに何らかの(例えば地質学的或いは人工的な)原因によって生活様式の変更を余儀なくされた場合、適応的な価値を表す現象。L.cuenotの命名。例えば水生脊椎動物から陸生脊椎動物への進化に際して種々の前適応が有ったことを推測できる。但しこの語には多くの解釈があり………、以下略(岩波 生物学辞典第四版)

確かに「多くの解釈」があり、ミケさんご指摘の、テナガザル等の「腕渡り」いわゆるブラキエーションについても、前適応だとする主張もあるし不適当だとする主張も有ります。

同時にいくら前適応を発達さてていたとしても、本行動そのものの必要性、移行への必然性が無いとき、前適応としての意味は全く成さない訳で、私としては前適応と本行動とを、同列に扱うことには反対です。
まあ今のところは「解釈の違い」と言うことで勘弁してください。


>チンプが四足で歩こうが二足で歩こうが、ヒトの二足のほうがエネルギー消費が少ないのです。
これは私の推測ですが、ヒヒと比べても消費が少ないとは思います。
が、そもそも類人猿より遠い祖先と比較する意味はあまりないでしょう。

>省エネが死活的問題でないと考えるのはいささか短絡的かと思われます。
二足歩行の副産物として、腰痛・痔・血流・難産等を挙げていらっしゃいますが、これらよりも栄養条件のほうが死活問題となること、、

ですから繰り返し述べているように、高い代償を支払ってなお、エネルギー効率という点で恩恵を受けられるのは、二足歩行に踏み出した後、随分経ってその移動方法に習熟してからだ、と言うことです。

ミケさんも仰っているじゃないですか。「チンプが四足で歩こうが二足で歩こうが、ヒトの二足のほうがエネルギー消費が少ない」と。
600万年、或いは700万年前、よりネズミに近いような共通祖先から分岐した当時、最初のヒトの祖先が今のチンプと比べてさえ、二足歩行に習熟していたとは、私には思えないのです。

その一つの根拠として、ルーシーの例を挙げたのですが。
アウストラロピテクス・アファレンシスの時代になってもなお、直立歩行には相当のエネルギーを必要としただろうことが、その復元モデルから伺われる訳です。
ラエトリの足跡遺跡の例を引き合いに出してもいいですよ。

それに「代償」の方ですが、例えばメスの難産を例にとっても、つい最近までその為に大勢の母子が命を落としています。文字通り死活問題です。

それから、これも繰り返しになりますが、それ程メリットのあることなら、常に飢餓と隣り合わせの野生のヒヒやパタスモンキーで、何故発達しなかったのか。
ミケさんも「ヒヒと比べても消費が少ないとは思います。」と仰っているじゃないですか。
或いは、水と草を求めて毎年何千キロも移動するヌーで、何故同じ収斂が起きなかったのか?


>それが一度に生じたとは誰も言っていませんし、一度に生じたと仮定する必要もないのです。
むしろ順を追って少しずつ生じてきたことが、色々な証拠から支持されています。

勿論です。だからこそ私もルーシーの例を出しました。
一度に生じたのでなく、長い間掛かってようやく完成するような行為は、その最初において、往々にして目的論になることが免れないのではないか?、そう言うことです。


つまりこう言う絵が描かれます。
それまで数千万年の間使い慣れた四足歩行を、あえて捨て、母子ともに死の危険に晒しながら、サバンナに住む他の全ての動物が見向きもしない、解剖学の専門化が「考えられない程の設計ミス(京都大学霊長類研究所 遠藤秀紀さんのコメント)」だとする移動方法を、ヒトはわざわざ選択したと言う訳です。
しかも私に言わせれば、将来省エネになるかもしれないことの為に。


「考えられない程の設計ミスであれなんであれ、否応なくその道を選択せざるを得なかった状況」これこそがオッカムの剃刀じゃないでしょうか。
水の中なら、呼吸の為の直立姿勢が直ぐに死活的利益になります。将来の目的論に堕す必要が有りません。
そしてさまざまなつけは、重力が軽減される水の中では殆ど不利とはなりません。

モーガンは、大地溝帯に於ける激しい地殻変動により、アファール三角地帯に海水が堰を切って流れ込み、ダナキル山(地塁)が海水の中で孤立、地理的隔離が成立し、そこで取り残されたサルたちが、選択の余地なく水辺に適応して行った、と言うシナリオを書きましたが、前回述べたように今、これはトゥーマイの発見により崩れたと思っています。
しかし、アクア説そのものは逆に補強されたし、サバンナ説は当の提唱者、イヴ・コバン博士自身見直しに言及しています。


>さて、アクア説なんですが、
個人的には無理に水中起源を前提にしなくても説明できると思うので、オッカムの剃刀の対象と見ています。

前回述べたように、アクア説にこだわるものでは勿論有りません。私自身アクア説の啓蒙者でも有りませんしね。
それに、直立二足歩行の契機として、アクア説にはイタク納得しますが、その後陸上での生活に移ってなお、拙いながら二足歩行を続け、現在のような直立二足歩行が定着することになった原因については、モーガンとは温度差を感じています。

ミケさんがオッカムの剃刀で、出来ると仰る単純明快、説得力のあるご説明を提示して頂ければ、直ぐにでも宗旨替えをします。
その説明抜きで、ただオッカムの剃刀と言われても、オッカムの剃刀は言わば方法論で、主張そのものとは違うんじゃないかな、と思ったりする訳です。


違和感  投稿者:うだうだ 投稿日: 2007年07月28日23時58分

そもそもサバンナ説=省エネなのがおかしいと思う。歩きまくるのがサバンナだからってのが理由かと思う。

要するに平地説って感じかな。歩くのに適した場所。トゥーマイの生活環境はそういう場所じゃなかったから、草原みたいな平地説は否定されるのかな?

この辺り良く分からない。私が思うにオッカムの剃刀で切れるほど、平地説に材料があるのか疑問。


それと  投稿者:うだうだ 投稿日: 2007年07月28日23時52分

> 個人的には無理に水中起源を前提にしなくても説明できると思うので、オッカムの剃刀の対象と見ています。

アクア説って2足歩行だけじゃないからまあ簡単に切られてしまう程度のものとは思わないんですけど。他の事も含めると便利だと思いますよ。

でも確かにトゥーマイの生息地が大きな湖だったからアクア説ってのは何かしら引っ掛かりがある。

http://www.nagaitosiya.com/b/aquatic_ape.html

トゥーマイアクア説なら、ここが有名かと思います。ここ以外とくに無いここならすでに私読んだ。目新しいもの無い。だから雄さんに研究している人がいるか聞きたかったのだが。

ただここに書いてある、「イースト・サイド・ストーリーの破綻」これはある程度同意できるんじゃないかな。最もトゥーマイがまだ胡散臭いのかも?

トゥーマイ、湖の近くに化石があっただけでは、何か引っかかるんですよね。

ただ単純にサバンナってのも違和感がありますけど。

第3の説があると良い?それもオッカムの剃刀に?


アクア説の方ね  投稿者:うだうだ 投稿日: 2007年07月28日23時44分

> とても前適応の如何で、本行動である直立二足歩行の根本的な制約が乗り越えられるとは思えません。

どうも良く分からないんですけど。

http://homepage2.nifty.com/ToDo/cate1/sinkaqu4.htm

○それは 背骨と後ろ足が常に180度に保たれているという意味で共通
なのである。陸生の四足動物のそれはほとんど90度である。また哺
乳動物ではないがペンギンにおける直立姿勢も、ヒトの直立姿勢と
共通するものを持っている。それは 「背骨が地面と垂直で頭が足の
真上に来る」というかたちにおいて。

アクア説も水中生活が2足歩行の前適応じゃないの?


長文失礼 二足歩行起源について  投稿者:ミケ 投稿日: 2007年07月28日21時17分

>「省エネ」説を採る限り、どうしても目的論にならざるを得ないと思います。
>前適応については、ミケさんご紹介の記事も含め私も承知しています。しかしどれ程前適応を発達させていたにしても、やはり「最初の一歩」は現在のチンプと比べてさえも遥かに拙かったと思います。

失礼ながら、前適応の意味を履き違えていらっしゃいませんか?

「人類の二足歩行は樹上から」という説は、オランウータンの観察から導かれたものです。
オランウータンは手を補助的に使って『二足で』樹上を移動します。
オランウータンはヒトとチンパンジーの“外側”に位置します。
そのオランウータンが二足歩行の契機を見せ始めている。
すなわち、ヒトとチンパンジーの共通祖先よりさらに祖先、
ヒトとチンパンジーとオランウータン三者の共通祖先の時点で
「二足歩行の練習」は始まっていたということです。(別の用途でね)
ここを「最初の一歩」とするならどれだけ四足より拙かろうが二足が使えるほうが有利。
そして、チンプとヒトの共通祖先になる頃は既に二足のほうが得意な個体も出現していた。
ここからの分岐を「最初の一歩」とするなら、
現在のチンプと比べて拙いと仮定する必要がありません。


>動物にとってロコモーションは最も基本的・普遍的な行動様式で、その変更は身体全体の骨格、或いは筋肉、神経システムの変更が余儀なくされるでしょう。

それが一度に生じたとは誰も言っていませんし、一度に生じたと仮定する必要もないのです。
むしろ順を追って少しずつ生じてきたことが、色々な証拠から支持されています。
その一つが、先にも述べたオランウータンに見られる樹上二足歩行です。
さらに遡れば、テナガザルに見られる「腕渡り」を獲得した際の体の構造が大きく変化しています。


>私が前回投稿で「確かに現生人類の直立二足姿勢は省エネです」と書いたのは、あくまでもチンプなどの二足歩行と比較してのことです。

問題の記事、元ネタはプロナスに掲載された論文ですが、
http://www.pnas.org/cgi/content/abstract/0703267104v1
上記のAbstractを読んだだけでもわかりますが、
チンプが四足で歩こうが二足で歩こうが、ヒトの二足のほうがエネルギー消費が少ないのです。
これは私の推測ですが、ヒヒと比べても消費が少ないとは思います。
が、そもそも類人猿より遠い祖先と比較する意味はあまりないでしょう。


>>>省エネ」とか、そう言った悠長な理由でなく、否応無しに直立二足歩行に移行せざるを得なかった死活的要因、選択の余地なく直立二足歩行を余儀なくされた原因を考えるべきでしょう。

省エネが死活的問題でないと考えるのはいささか短絡的かと思われます。
二足歩行の副産物として、腰痛・痔・血流・難産等を挙げていらっしゃいますが、
これらよりも栄養条件のほうが死活問題となること、、、それが本当にありえないことだと思いますか?
腰痛や痔程度で悩まされるのは、文明のおかげで飢えと関係ない生活を送っているからではないでしょうか。


さて、アクア説なんですが、
個人的には無理に水中起源を前提にしなくても説明できると思うので、オッカムの剃刀の対象と見ています。
発表当時ならまだしも、現在ではミッシングリンクと呼ぶに値するほどのギャップは存在しないと思います。


後さ  投稿者:うだうだ 投稿日: 2007年07月28日15時23分

> 長文かつ、門外漢の雑文で恐縮ですが………、

> これは一種の「目的論」であり、進化の契機として目的論はダメ、と言うのは、言わば業界の常識です。


なんでこの2つの文章が同じ人格の人間に、両立するかさっぱり分からないよ。

門外漢なのか、この業界の常識に詳しいのかさっぱり分からないよ。揚げ足取りみたいで嫌だけど、どうも論より、説得術みたいな言い回しが多すぎる。


常識  投稿者:うだうだ 投稿日: 2007年07月28日15時18分

> 「直立二足歩行の契機=省エネ説」と言うのは確かに有りますが、おそらく主流の説ではないと思いますよ。

そもそも主流ってなんだろって思うんだけど。まあサバンナ説が主流みたいだけど、主流って誰が決めたの?だからなんとなくなら言えるけど、正確には分からないよ。

> 確かに現生人類の直立二足姿勢は省エネです。
しかしヒトが最初に二足歩行に踏み出した数百万年(700万年?)前、つまりチンパンジーなどとの共通祖先から枝分かれした最初から、ヒトはそんなに洗練された歩行をしていた訳では有りません。

現在のチンプやボノボも時に二足で立ちますが、その姿勢は、言うならば前かがみの中腰状態です。
立っていること自体、重力に抗して常に筋肉の緊張状態を強いられ、大きなエネルギーを必要とします。
歩行に際しても重心が大きく左右に移動し、ここでもエネルギー効率が良いとは言えません。

ヒトが共通祖先から分岐した時点で、今のチンプよりも二足歩行が巧みであったとは考えられません。多少の個体差が有ったにしても事情は同じで、この場合個体差で乗り越えられる問題では有りません。

んあー。良く分からないよ。今回の記事はチンプの効率化の話でしょ。人間は一応参考データとしてつけただけじゃん。


> 若し、ヒトの直立二足歩行の契機が省エネの為だったと仮定すると、最初に二足で歩き始めた先祖は、数千、或いは数万世代の将来、若しかすると省エネになるかもしれないことの為に、今まで慣れ親しんでいた移動方法をわざわざ捨てて、慣れない、しかもエネルギー効率も悪い直立二足歩行の練習を始めたことになります。

んあー、今回契機なんて話しているの?私は遺伝的変化みたいなは何も感じなかったんだけど。ある遺伝子が特殊な集団に集中する可能性って程度にしか見なかったけど。そもそも2足歩行効率化チンプ個体は、遺伝的特徴とは関係ないかもしれない。


> これは一種の「目的論」であり、進化の契機として目的論はダメ、と言うのは、言わば業界の常識です。

何これ?こんな常識知らないよ。私トゥーマイアクア説については同意するけど、これは何が言いたいかさっぱり分からない。過度の目的論の排除ってアホだと私は思ってるんだけどな。個体自身の目的論は進化で排除される目的論とは別だと思うよ。神や宇宙人など進化のメカニズムに別の知性がいる場合でしょ。言いたい事が分からないや。文章が長くてよく知ってるように見えるけど、常識って言葉はイミフメイ。なんでって理由が聞きたい。


雄さんへ  投稿者:うだうだ 投稿日: 2007年07月28日14時57分

> 1)、「省エネ説」を含め「直射日光を避ける為説」、「地面からの照り返しを避ける為説」など、直立二足歩行の契機として、幾つかの説が主張されています。
これらは何れも「サバンナ説」を前提としています。森の中の樹上生活が続いている限り、そもそも直立二足歩行への移行など有り得なかった訳ですから。

つい最近私が話題にした話ですが、2足歩行の起源は木の上では?って説もあるんですけど。


> (「手を補助的に使用する二足歩行」が、非常に細いたわみやすい枝の上を移動する場合に樹上生活をする祖先にとってメリットがあった可能性がある、2007年6月1日のScienceより)

ミケさんも触れてるよ。

まあ何か私が誤解したのかもしれないけど、ぱっと見、そんな前提聞いてないよと思うんですけど。


あちゃー  投稿者:うだうだ 投稿日: 2007年07月28日14時55分

読みました。こりゃ蛾の工業暗化みたいな話ですね。新しい遺伝的変化があったというより、もと合った2足歩行個体から集団が出来たみたいな話ですね。

これが人類の祖ではないかと言う感じの発想かと思います。確かに特殊化はあまりに話が遠い。(まあある程度わかってて、脱線で話をしたがここまでずれていたとは思っていなかった)


横だけど  投稿者:うだうだ 投稿日: 2007年07月28日14時51分

トゥーマイの発見によるアクア説の復活は私も興味深いと思っていた話ですよ。

ただ盛り上がってきませんね。その手の研究している人っているのでしょうか?


特殊化  投稿者:うだうだ 投稿日: 2007年07月28日14時28分

おお面白かったです。今回の話とは関係ないのかもしれませんが、特殊化と効率化ってやっぱり繋がる面があるんですね。

今回元ネタ後で呼んで見ます。その前に気になったのは、省エネを行いつつ、遺伝的変化は当然したんだろうな?と考えているのですけどどうなんですかね。

遺伝的変化が伴わない話なら、特に進化と密接関係した話だとは思わないんですけど。

2足であるく事が省エネ、4足で歩く事が省エネ、今2足で歩く人間も場合によっては4足で歩く事が省エネって話じゃないでしょ。特殊化してるでしょ。そういう意味も含めて書いたのですけど、そろそろ元ネタ読まないと苦しいと思えてきました。

読んでみます。


省エネ、前適応、アクア説など  投稿者: 投稿日: 2007年07月28日11時39分

yebisu500 さんへの反論として書いた積りなのですが、お二人からコメントを頂きました。
長文かつ、門外漢の雑文で恐縮ですが………、


>今のところ、二足歩行が進化した要因はわかりません。が、どれに賭けるかと言われたら、僕は省エネ説(前適応付き)に賭けます。

人類を含め生物の進化現象は、再現確認が難しく色々な仮説、見解が有り得るのだと思います。
私が「直立二足歩行=省エネ説」に無理がある、と思う根拠は以下のようなものです。

1)、「省エネ説」を含め「直射日光を避ける為説」、「地面からの照り返しを避ける為説」など、直立二足歩行の契機として、幾つかの説が主張されています。
これらは何れも「サバンナ説」を前提としています。森の中の樹上生活が続いている限り、そもそも直立二足歩行への移行など有り得なかった訳ですから。

そしてこれらの説には共通の弱点が有ります。
森から置いてけぼりを食って、サバンナに取り残された動物は多いのに、直立二足歩行を進化させたのはヒトだけだ、と言うことです。
サバンナで暮らしている霊長類は、ヒヒ、サバンナモンキー、パタスモンキーなど、たくさん居ます。そしてヒト以上に長くそこで暮らしています。

直立二足歩行を促す骨格上の変化、と言う突然変異が有ったとして、それはおそらくこれらのサルたちにも同じ頻度で起こった筈です。
省エネ効果が直立二足歩行の契機となるほど重要な要素であったとすれば、ヒトだけがここまでの適応を見せ、他の動物全てにその方向への進化が見受けられないことの説明が付きません。

2)、「省エネ」説を採る限り、どうしても目的論にならざるを得ないと思います。
前適応については、ミケさんご紹介の記事も含め私も承知しています。しかしどれ程前適応を発達させていたにしても、やはり「最初の一歩」は現在のチンプと比べてさえも遥かに拙かったと思います。それはルーシー(アウストラロピテクス・アファレンシス)の復元骨格や、コンピュータグラフィックによる歩行再現映像などからも推測できます。

ルーシーはおよそ370万年前のヒトだとされていますが、それに先立つアウストラロピテクス・ラミダスと比べてさえ70万年も二足歩行の「練習」をして来ている訳です。
それでもルーシーの歩みは、今のチンプなどとの歩みと多くの共通点を残しています。
今ではラミダスよりも遥かに古い時代のヒト(とされている)=二足歩行の痕跡を示す化石が発見されています。

動物にとってロコモーションは最も基本的・普遍的な行動様式で、その変更は身体全体の骨格、或いは筋肉、神経システムの変更が余儀なくされるでしょう。
とても前適応の如何で、本行動である直立二足歩行の根本的な制約が乗り越えられるとは思えません。
若し直立二足歩行の最初の時期から、スムーズで省エネの歩行が出来るほど前適応を発達させていたとすれば、その前適応こそ本行動以上に重要な研究課題として、解明されていなければならないとと思いますが、いかがでしょうか?

3)、私が前回投稿で「確かに現生人類の直立二足姿勢は省エネです」と書いたのは、あくまでもチンプなどの二足歩行と比較してのことです。
ヒヒやサバンナモンキーの四足歩行と比べて、どれ程省エネであるか?、それはやや疑問です。それぞれの動物は置かれた環境の中で、多分一番適応的なロコモーション様式をとっているだろうからです。

仮に多少、省エネだったとして、その代わりに直立二足歩行でヒトが支払っている「つけ」も又結構高額であり、それは特に二足歩行を始めた初期ほど顕著であった筈です。

丁度昨日、夜の11時からNHKで「爆笑問題のニッポンの教養 人間は失敗作だ………」と言う番組が放映されて、私も興味深く見ました。
そこでも、京都大学霊長類研究所 遠藤秀紀さんがコメントしていましたが、本来ヒトの直立二足歩行は「考えられない程の設計ミス」だと言う訳です。

血流の問題、痔、ヒトのメスの難産、腰痛、等など、直立二足歩行で支払い続けているつけは今でも多い訳で、そう言う意味ではヒトは未だ完全には直立二足歩行に適応し切っていないのかも知れません。

最初に二足で歩き始めた先祖が、これらの高いつけと引き換えに「将来の」省エネを選択したとは、どうも私には考えられません。それは省エネが最初の一歩から実現されていたとしても、差し引き高い買い物についたとしか、私には思われません。


以上三つ理由を挙げましたが、要するに直立二足歩行の契機を、「省エネ」に限らず「今よりも、良くなる」ことに求めるのは無理があるのではないか、と言うのが私の感想です。
そうではなくて、前回書いたように……、

>>省エネ」とか、そう言った悠長な理由でなく、否応無しに直立二足歩行に移行せざるを得なかった死活的要因、選択の余地なく直立二足歩行を余儀なくされた原因を考えるべきでしょう。

…と言うのが私の考えです。
出来ればそれに加えて、上記の「つけ」があまり問題にならないような環境、原因が想定できれば理想的です。
その一つのアイディアが「水の中」と言うことでしょう。


>アクア説はお話としては面白いと思いますが、化石証拠に裏打ちされていないという大きな欠点があります。

私の一番の関心は、実は「人間と道具、ことば、或いは社会」で、そもそもヒト誕生の契機が、サバンナ説であろうがアクア説であろうが、それはどちらでもいいことで、ましてや面白いことの為でなどなく、要するに説得力を感じる方に一票なのですが………、

アクア説の旺盛な啓蒙を続けているエレイン・モーガンは、ヒトの発祥の地をアフリカ大地溝帯のアファール三角地帯(アウストラロピテクス・アファレンシスの名前はここに由来している)の、ダナキル山(地塁)とするシナリオを紹介し、その根拠として「ヒヒ抗体」を挙げています。
その内容については長くなるので割愛しますが、しかし実は今、このモーガンのシナリオは手直しの必要が有りそうです。

と言うのは2001年、サヘラントロプス・チャデンシス(愛称 トゥーマイ)の発見です。
トゥーマイをヒトの祖先とするか否か、一部で論争が有るようですが、ネットや書籍、NHKの特集番組などを見る限り、大方は今現在、トゥーマイをヒトの最古の祖先だとすることに異議はないようです。

トゥーマイの発見は中央アフリカチャド共和国の砂漠、当時は今よりも100倍も広かったとされるチャド湖付近です。ですからアファール三角地帯を発祥の地とするモーガンのシナリオは崩れた、とも言えます。

しかしアクア説そのものは、トゥーマイの発見によって、かえって補強されたと言えるでしょう。
トゥーマイは、当時のチャド湖周辺で、ワニや魚、水生植物の根などの化石とともに発見されています。NHKの特集番組でもトゥーマイの生存場所として、現在のアフリカ南部大湿地帯、オカバンゴのような環境を想定していました。
だからモーガンは今度、舞台をチャド湖に移してシナリオを書き換えれば済む話です。

それに対し、サバンナ説は深刻な影響を受けます。
そもそも、トゥーマイの発見を待たずにこれまで相次いで発見されてきた、各種アウストラロピテクスやオロリン・ツゲネンシス(600万年前)によって、地殻変動の年代との関係でサバンナ説は訂正を余儀なくされて来ました。つまりサバンナの出現よりもヒトの出現が早かったのではないか、と言う疑問です。
今では森とサバンナの「モザイク説」として提唱しなおされているようです。

トゥーマイの発見は、これら従来の説を根本的に見直さざるを得ないことになるでしょう。
サバンナ説は別名「イーストサイドストーリー」と呼ばれ、大地溝帯の東側が舞台で有ることが大前提でした。

それが遥か離れた中央アフリカで、しかも700万年前とされるトゥーマイの発見は、従来のイーストサイドストーリーと両立しません。
サバンナ説の提唱者であるイヴ・コバン博士自身、「これからは東アフリカに限定せず、アフリカ全体に対象を広げなければならない」と述べています。


効率化と特殊化  投稿者:AH1 投稿日: 2007年07月28日10時39分

うだうださん

例えばカイツブリは後肢が極端に後ろよりになっており,重心位置と合わないために立って歩くことがほとんどできませんが,遊泳には適した配置といわれています.
またウの仲間は尾脂腺の発達が悪く,羽毛の溌水性が劣ります.そのため泳ぐとズブ濡れになりますが,潜水には適している(予備浮力が小さいため潜り易い)と言われます.その代わり陸に上がって羽を日干しする必要があります.
このように特殊化と効率化はしばしば同じになり得ます.というか適応的という概念を「ある尺度でより効率が良い」と解釈すれば,ある尺度での効率化こそが特殊化とも言えそうです.一芸に秀でる代わりにツブシが効かない(普段やらない事をやろうとすると非常に効率が悪いか,全くできない),という事ですから.
肉食動物の歯と消化器官で草を常食するのは無理だ,という事です.

立って歩いて,かつ潜るのも得意というとペンギンがありますが,こいつは直立することで重心位置の問題をクリアし,羽毛による断熱を諦めて脂肪層を発達させる,という大胆な「設計変更」によって両立させています.飛行をやめた事も関連するでしょう.こういう特殊化ももちろんあるんですが,あれもこれも可能にするような形質は進化しにくいだろうという予想はできます.(ペンギンはダチョウなんかと比べれば歩くのが得意とは言えない.しかし相当な長距離を移動するし,足場の悪い所も移動できるのだから,同じく潜水の得意なカイツブリやウに比べれば歩行は遥かに得意と言っていいでしょう)


まだ読んでませんが  投稿者:うだうだ 投稿日: 2007年07月28日 9時56分

これってボールドウィン効果に何か似てますね。学習の効率化ではないですが、省エネと言う観点が似てる気がします。


む、確かに  投稿者:うだうだ 投稿日: 2007年07月28日 9時54分

> 二足と四足を切り替えられるから無駄だから特化したとかそういう話ではありません。

下記の説明を読みましたが、確かに私の言ってる事とは違いますね。


まあ、私は読んでなかったから、違う可能性は考えていたのですが、それでも特化した事例は無いか?とも書いたのですけど、ちと筋違いだったかもしれません。(本旨脱線承知)

後で呼んで見ます。


(無題)  投稿者:ミケ 投稿日: 2007年07月28日 9時39分

>> 二足歩行専門に収束する要因の一つとしてエネルギー効率があったという説はアリだと思います。
>元の話とか全然読んでませんが、気になりました。
>特化する事でエネルギー効率が良くなる事例ってあるのでしょうか?

読んで下さい。

今回の記事は
二足と四足を切り替えられるから無駄だから特化したとかそういう話ではありません。

二足より四足が省エネになる個体
四足より二足が省エネになる個体
どちらも大して変わらない個体
がいたとして、

省エネが有利な環境に置かれた場合
四足が省エネになる個体は四足でいる時間を長くするだろうし
二足が省エネになる個体は二足でいる時間を長くするだろうという話です。


選択と集中  投稿者:うだうだ 投稿日: 2007年07月27日20時52分

http://allabout.co.jp/glossary/g_career/w000996.htm

○バブル経済期に日本の大企業は多角化を行なったが、本業と全く関係のない分野への参入も多く、全体の経営効率が低下するなど弊害が多かった。選択と集中によってそれらの事業部門を撤退・売却し「本業回帰」といって、主力の事業部門に集中する企業が多い。

効率化とは、こういう事なのか?と勝手に解釈したのですけど。

2にも4にも都合の良いからだのシステムより、2だけに特化したシステムの方が生物的資源が少なくてすむというわけです。

ってまた勘違い?


横レス  投稿者:うだうだ 投稿日: 2007年07月27日20時47分

> 二足歩行専門に収束する要因の一つとしてエネルギー効率があったという説はアリだと思います。

元の話とか全然読んでませんが、気になりました。

特化する事でエネルギー効率が良くなる事例ってあるのでしょうか?

これはミケさんの言いたい事と全く違うかもしれません。ただ特化して効率が良くなる事例ってありそうなのです。4も2も出来るって何か無駄が多そうでしょ。


記事の読み落としがないかな?  投稿者:ミケ 投稿日: 2007年07月27日11時16分

>若し、ヒトの直立二足歩行の契機が省エネの為だったと仮定すると、最初に二足で歩き始めた先祖は、数千、或いは数万世代の将来、若しかすると省エネになるかもしれないことの為に、今まで慣れ親しんでいた移動方法をわざわざ捨てて、慣れない、しかもエネルギー効率も悪い直立二足歩行の練習を始めたことになります。

まず一点
現在のチンプも(そしてヒトとチンプの共通祖先もおそらく)状況によっては二足歩行をします。
「二足歩行の契機」は、樹上から始まったという研究があります。
(「手を補助的に使用する二足歩行」が、非常に細いたわみやすい枝の上を移動する場合に樹上生活をする祖先にとってメリットがあった可能性がある、2007年6月1日のScienceより)

第二点に、記事の実験結果から分かったこと
現在のチンプ(および共通祖先)には、
「四足歩行のほうが効率のよいもの」と「二足歩行のほうが効率のよいもの」がいる。

ということで、おそらくはエネルギー効率が「契機」ではなかったようには思います。
しかし二足歩行する下地があった場合に、
二足歩行専門に収束する要因の一つとしてエネルギー効率があったという説はアリだと思います。
収束する際に、二足歩行効率型のヤツらばかりが隔離される必要があるかないか、
あったとしてそれがどの程度蓋然性を持つのかはまだまだ議論の余地があるでしょうね。


二足歩行  投稿者:カクレクマノミ 投稿日: 2007年07月27日 8時26分

>ヒトが共通祖先から分岐した時点で、今のチンプよりも二足歩行が巧みであったとは考えられません。

おそらくはそうだと思います。しかし、分岐したあとで何らかの骨格上の変化が起こるような別の進化が起き、それが二足歩行の前適応になったと考えれば、必ずしも目的論にはなりません。

>水辺での生活(アクア説)

アクア説はお話としては面白いと思いますが、化石証拠に裏打ちされていないという大きな欠点があります。ヒトが海辺で生活した証拠が見つかるのは、二足歩行の開始よりもあとの時代です。
道具作成も、証拠が残っている範囲では、二足歩行の開始よりずっとあとになって始まったことです。まあ、化石に残らない植物性の道具があった可能性は否定できませんが。

今のところ、二足歩行が進化した要因はわかりません。が、どれに賭けるかと言われたら、僕は省エネ説(前適応付き)に賭けます。


ReRe:質問  投稿者:大文字ナン 投稿日: 2007年07月27日 0時21分

MIURAさんお返事ありがとうございます。
すでに地下猫氏(地下に眠るM氏)から的確なレスをいただいていますが、せっかくですので私からもお答えさせていただきます。

>種の中における変化については随分前から観察されていますので、私もその事は知っているのですが、その変化が種を超えるところまで進行しているのかどうかというのが私の質問です。
>種と種の境界が曖昧であるとの事ですが、曖昧であるなら尚更の事、この曖昧な境界を越える変化が観察されているというのは必要ではないでしょうか。

MIURAさんが「知りたい」と云うのは
・ある種「A」から「B]へと至った「実際の観測例」
ということですね。それがつまり「犬という種」の中で起きた分類学的な種としてのチワワとセントバーナードの違いです。実際、もしチワワとセントバーナードを予備知識もなく初めて見たなら、MIURAさんはこれらを「同種の生き物である」と見なし、証明できますか?私には無理です。

チワワだけを見ても、テチチという先祖グループから見れば、まるで別の動物に見えます。

さて、せっかくですのでもっとダイナミックな「種を超えた変異」を見てみましょう。

http://daily-medical.com/article/38455550.html

上記はエイズウイルスがヒトの遺伝子(の一部)を取り込むことで複数の薬剤に対して耐性を得ていた観察についてですが、

http://www.brh.co.jp/seimeishi/1993-2002/29/ex_1.html

にあるように「イントロン」と呼ばれる遺伝子の断片がほとんどの生物から見つかっています。このイントロンの遺伝子配列には、一部のレトロウイルスとまったく同じ配列が含まれています。つまり、地球上の生物は歴史のどこかでこのウイルスに感染した「共通の祖先」を持つことが想定されるわけです。無論、イントロンの種類は一種類ではありませんから、さまざまな時代にさまざまな祖先動物が特定の「名残、痕跡」を持つことになり、この系統を追うことでどの生物がどの生物といつ頃「枝分かれ」したのかを読み取ることができます。

この揺るぎのない証拠は、私たちニンゲンが、エビやカニやホタテガイとさえ共通の祖先を持つことを示唆しています。もちろんウナギともウコッケイとも共通です。それどころかレタスやタマネギとさえ共通なのです。
#究極の種の違いといえば、原核生物と真核生物でしょうが、イントロンはどちらにも存在する。

さて、ここで私が最も強調したい点は…「種を越えた変化」というとき、それはAという種がBという種に変化することよりも、Aという種もBという種も(あるいはCもDもEもFも)同じように小さな変異を蓄積し続けている、という「いつでも観測可能で具体的な事実」があることです。


直立二足歩行と「省エネ」説  投稿者: 投稿日: 2007年07月26日20時14分

RE yebisu500 さん

「直立二足歩行の契機=省エネ説」と言うのは確かに有りますが、おそらく主流の説ではないと思いますよ。
それは一寸考えると簡単に思いつく反論が、既に進化人類学の側から用意されていることからも言えます。

確かに現生人類の直立二足姿勢は省エネです。
しかしヒトが最初に二足歩行に踏み出した数百万年(700万年?)前、つまりチンパンジーなどとの共通祖先から枝分かれした最初から、ヒトはそんなに洗練された歩行をしていた訳では有りません。

現在のチンプやボノボも時に二足で立ちますが、その姿勢は、言うならば前かがみの中腰状態です。
立っていること自体、重力に抗して常に筋肉の緊張状態を強いられ、大きなエネルギーを必要とします。
歩行に際しても重心が大きく左右に移動し、ここでもエネルギー効率が良いとは言えません。

ヒトが共通祖先から分岐した時点で、今のチンプよりも二足歩行が巧みであったとは考えられません。多少の個体差が有ったにしても事情は同じで、この場合個体差で乗り越えられる問題では有りません。

若し、ヒトの直立二足歩行の契機が省エネの為だったと仮定すると、最初に二足で歩き始めた先祖は、数千、或いは数万世代の将来、若しかすると省エネになるかもしれないことの為に、今まで慣れ親しんでいた移動方法をわざわざ捨てて、慣れない、しかもエネルギー効率も悪い直立二足歩行の練習を始めたことになります。

これは一種の「目的論」であり、進化の契機として目的論はダメ、と言うのは、言わば業界の常識です。

動物にとってロコモーションは行動の基本です。
よほど切羽詰った事情に迫られない限り、それまでの慣れ親しんできた移動方法を、自ら捨てることはない筈です。
「省エネ」とか、そう言った悠長な理由でなく、否応無しに直立二足歩行に移行せざるを得なかった死活的要因、選択の余地なく直立二足歩行を余儀なくされた原因を考えるべきでしょう。

私の個人的な感想では、水辺での生活(アクア説)が契機となり、道具の使用・作成の道に踏み出したことが直立二足歩行を定着させた要因だったと思っているのですが。
http://y-ok.com/appleclub/adam/contents2/contents_1.htm

いずれにしても「直立二足歩行の契機=省エネ説」を前提とした実験で、仮にどんな結果がでたとしても、それで人類の進化説や進化論そのものが否定されたことにはなりません。
それにしても、yebisu500さんが引用されているサイトの「実験結果」ですが、私にはどうも汲むべき意義を感じられません。どうしてこんなのが科学ニュースになるのかなあ。


あるよ  投稿者:地下に眠るM 投稿日: 2007年07月26日17時34分

>種を超えていく変化(超えて行くであろうという推測ではなく)が実際観察されているのか否かという点だけです。

だから、それは種の定義次第なのですにゃ。

馬とロバは別種だけど人為的な条件下では直接に交配可能だよね。
他にも、別種とされているけど交雑可能な種はいくらでもあるにゃ。
でも
チワワとセントバーナードは、すでに直接の交配は不可能にゃんぜ。

交雑が可能なものが別種とされてる(馬とロバなど)にもかかわらず、
交雑が不可能なものが同種になっている(チワワとセントバーナード)。
「種」って本当にイイカゲンにゃんな。

直接に交雑不可能なら別種と見るのなら、すでにチワワとセントバーナードは別種。


質問  投稿者:MIURA 投稿日: 2007年07月26日11時05分

ご返答ありがとうございます。
私の読ませていただいたものは「進化論と創造論〜科学と疑似科学の違い〜のトップページ」で、貴殿の書かれたサイト全部を読んではいませんので、行き違いがあるかもしれません。
ご了承下さい。

種の中における変化については随分前から観察されていますので、私もその事は知っているのですが、その変化が種を超えるところまで進行しているのかどうかというのが私の質問です。
種と種の境界が曖昧であるとの事ですが、曖昧であるなら尚更の事、この曖昧な境界を越える変化が観察されているというのは必要ではないでしょうか。
種の中で起こるほんの小さな、些細な変化を科学的にどんなに捕え得たとしても、それをもって種を超えていく(この場合は分類学的な意味での種です)進化が起こった、と科学的に結論付ける事は暴論のように思うのです。
そういう事で私が知りたいのは、種を超えていく変化(超えて行くであろうという推測ではなく)が実際観察されているのか否かという点だけです。
もし、これがないのならば、貴殿もお答え下さっている次の文章の最後『なんの疑問も私は持ちません』に表されているように、進化論というのは科学的というよりもむしろ宗教的な領域に近いと言えるのではないでしょうか。
「小さな変化が日々観察されている以上、何千年、何万年、何億年という「人間に許された時間的スケールを越えた事象」においては、我々が「種」と勝手に名づけているようなバリエーションとグループが生まれるであろうことに、なんの疑問も私は持ちません。」


むしろ  投稿者:AH1 投稿日: 2007年07月25日16時03分

チンパンジーが二足歩行を主体としていない事から,
「やっぱり生物の形と動きって関係が深いよね」ということになり,
「人間の体型は二足歩行向きにチューニングされた可能性が高いんじゃないか」
という考えもサポートするように思うのですが.

人間とチンパンジーを比較した結果,四つ足チンプが二足歩行ヒトに勝っちまったら,それはちょっと考え込むかもしれません.


省エネ説  投稿者:diamonds8888x 投稿日: 2007年07月25日 6時14分

そもそも仮にyebisu500さんの推論が正しいとしても、それは「二足歩行起源の省エネ説を否定」するだけであって、「進化論を否定する結果」というのはオーバーです。

いや御紹介の記事での解釈にも色々問題はあって、決して省エネ説の証拠となるものではない、とは思いますが。ひとつの反論としては、ヒトの骨格等が二足歩行で省エネであるのは二足歩行が必要な環境に適応した結果に過ぎないのではないのか、というのが思いつきますね。御紹介の実験結果から省エネ説を言うためには、「二足歩行が楽チンな個体だけが、たまたま一緒に隔離された」という事件が必要なように思われます。

ああ、チンパンジーの実験での個体差がいかなる要素によるのかという解析は重要だしおもしろいのですがね。そこまではやってないのかな? そんなことはないと思うけど。


ちと違うかと  投稿者:ミケ 投稿日: 2007年07月25日 3時02分

>チンパンジーが二足歩行になっていないことから、この結果からは、
>消費エネルギーの面から有利だとしてもチンパジーが2足歩行を選択するような淘汰圧は無い
>ヒトが二足歩行をするのは、消費エネルギー以外の淘汰圧があった

ちと論点がこんがらがっているようですね。

淘汰圧というのは、当然のことながら環境によって変化します。
「暑さに強い」という性質は暑い環境でなければ有利ではないのです。
「省エネ移動」という性質も、どのような環境下にいるかによって
有利か不利かというのは変わってきます。

この結果からいえるのは、
チンパンジーの祖先の暮らしていた環境においては
移動にかかるエネルギーは有利にも不利にもならなかった
(ゆえにバラツキが大きい)
ヒトの祖先の暮らしていた環境においては、
移動にかかるエネルギーが小さいほど有利だった

ここで、チンパンジーの中に、
二足歩行のほうが省エネになる個体が含まれている点を考慮してみましょう。
二足歩行のほうが省エネになる個体は、
移動にかかるエネルギーが小さいほど有利な環境に置かれれば
二足歩行するようになると考えられます。

特に進化論を否定する結果ではないですね。


ヒトの二足歩行は、「エネルギー節約」による進化  投稿者:yebisu500 投稿日: 2007年07月25日 1時16分

http://www.cnn.co.jp/science/CNN200707180020.html
によると、「チンパンジー5頭に、酸素吸入量などを調べる機器を装着し、トレッドミルの上で歩かせ、エネルギー消費量を測定した。
その結果、二足歩行時と四足歩行時における消費エネルギー量について、個体差が非常に大きなことが判明した。」
「ある個体は、二足歩行時の方が四足歩行時よりも、より少ないエネルギーで済んだが、ある個体では二足歩行時と四足歩行時で、消費エネルギー量はほぼ同じだった。また、ある個体では、二足歩行の方が四足歩行よりも、より大きなエネルギーを必要としていた。」

チンパンジーが二足歩行になっていないことから、この結果からは、
  消費エネルギーの面から有利だとしてもチンパジーが2足歩行を選択するような淘汰圧は無い
  ヒトが二足歩行をするのは、消費エネルギー以外の淘汰圧があった
となるように思われます。
どっちかって言うと、進化論を否定する結果に思われるのですが、いかがでしょうか?


re:***○○○  投稿者:tema 投稿日: 2007年07月24日 8時05分

AH1さんへ

>私も「***」や「○○○」は個人識別コードの一種であるという認識を持ってましたので(後略)

 個人識別コードというより、特定の条件を満たした者に与えられる称号というイメージです。
 例えるなら、Werdnaを倒した者に付く「>」のような…例が古すぎますかそーですか。

 temaの知る限り、このサイトで制限があるのは「ぴょん」と「ホークスに対する罵倒」だけです。他は伏せなくても大丈夫ですので、ご安心を。


臨死体験  投稿者:diamonds8888x 投稿日: 2007年07月24日 6時20分

ジョシュヤ さん御紹介のサイトの筆者さんですが、臨死体験については結構まともなことを書いてますね。
http://www.carmical.net/Japanese/blog/nde.shtml

正統派的イエス信仰と臨死体験は矛盾するものなのかも知れませんねえ。チェスタトン作ブラウン神父シリーズのひとつを連想しましたよ。名探偵ブラウン神父自身が死からよみがえる奇蹟の人にされたのですが、「うんにゃ、本物の奇蹟はこんな生半可なもんとちゃう。こんなんは悪人の策謀じゃあ。」とか言って真相を突きとめるのです。


華麗にうっかりスルーしたけど  投稿者:クハ72 投稿日: 2007年07月23日23時11分

古墳さんありがとうございます。
そういえば機動戦士ガンダムのシリーズはガンダムファンがミノフスキー物理学を考案してそれが設定にフィードバックされるということがあったようで。
アニメばかりみていると馬鹿になるなんて風潮もあるようですが、無知による偏見と言ってもいいでしょう。


***○○○  投稿者:AH1 投稿日: 2007年07月23日17時46分

あきさん,temaさん

>AH1さん、たんぽぽさんは使用してはなりませんぴょん。

私も「***」や「○○○」は個人識別コードの一種であるという認識を持ってましたので自分の発言としては使うつもりはありませんが(冗談でならあるかも),

>でもAH1さんの使い方は、ルール適用外だと思います。
予想より厳重なルールであるらしい・・ 過去ログ読んだはずですが読みおとしておるのだろうか.

>厳密に使用するためにはそのような場合は伏せ字に置き換える方がよいのではないでしょうか?

あきさんのアドバイスを鑑み,よくわからないながら伏せ字にてお送りしております.
危なそうなものは伏せ字,ってのもそれはそれで姑息な気もするのだが,AH1的には「危ない時は地面に伏せる」が正しい行動かと.


あの・・・  投稿者:TT 投稿日: 2007年07月23日16時58分

>聖書は無からの創造を記録していますが、

聖書の何処に無からの創造が書かれているんですか?


Re:  投稿者:大文字ナン 投稿日: 2007年07月23日 1時59分

MIURAさん初めまして。
久しぶりに、リハビリ(?)を兼ねてお答えしてみましょう。

さて、残念ながらMIURAさんの発言にはいくつか(そのままを読んでも、多少の解釈を交えても)よく分からない点がいくつかあり、それは恐らく「誤解」もしくは「思い込み」に起因していると見受けられます。

>「進化論と創造論」を読ませていただきました。

冒頭ですが、このサイトの「全体」を読んだ、ということなのでしょうか?あるいは「進化論と創造論」というなにかの文献を読んだ、ということなのでしょうか?

>進化論が問題とされる点は、生命の起源にまで遡って英知を持った創造者の存在を否定しようとするからだと考えます。

最初の問いかけに続きますが、進化論(あるいはダーウィン的生物進化仮説)について、どのような問題が、どこで、誰によって問題視されるのでしょうか?これはおそらくMIURAさんの生物観あるいは世界観についての質問となるだろう、と思います。

次に、「生命の起源にまで遡って創造者の存在を否定」しているのが進化論でしょうか?そんなことはありません。進化論に限ったことではありませんが、あらゆる科学理論は「創造者」だとか「英知の存在」を”とりあえず”抜きにしてさまざまな事象・できごとを記述(モデル化)しようという試みです。力学の公式に神や創造者の存在が記載されていないことと同様、電磁気学の理論に神が出てこないのと同様、進化生物学にも神の存在は記載されません。

「出てこない〜確かめようのないことを書かない〜存在を前提としなくても立証可能な事象を扱わない」ということは「否定」ではありません。

>聖書は無からの創造を記録していますが、それは既に存在する何かが形や機能を整えて変化する進化以上のことが起こった事を物語っています。

聖書に書かれていることは科学理論なのですか?それは聖書に対する間違った認識ではありませんか?

>進化が科学であると言う事ですが、どの程度までそれが証明されているのでしょうか。

この掲示板で過去に何度も列挙されてきたことですが、薬剤耐性菌が薬剤に対して耐性を持つに至る過程をかなりの確度で正確に予測し、しかもそれが現実と合致すること、地球上のすべての生命が共通の祖先を持つと確信するに足りる重大な証拠=共通の遺伝子を持つこと。遺伝情報の保持と変化について確かめられてきたさまざまな実験などによって、現代の進化生物学は「揺るぎのない科学理論」として扱われています。

>状況証拠からの推論ではなく、科学だと言い切る事のできるものは何でしょうか。

MIURAさんの述べる「状況証拠からの推論」とはどんなものでしょうか?
科学的考察とは、ある状況(化石が発見されたことなど)からスタートし、状況証拠を徹底的に収集し吟味し、これらを検証していく中で推論を行い、出てきた推論をさらに事実(状況)とつき合わせて検証し、間違っていれば棄却や変更を行い、より厳密に現実に近い理論を編み出していく、という方法論です。

逆に云えば、はじめに答えありき、でスタートしたものは科学とはなりづらい性質を持っています。たとえば創造者や見えざる知性を前提にして、推論と事実が異なるときに「神は万能だから良いのだ」などと甘えていては科学理論とは到底呼べない神秘主義に満ちたオカルトが出来上がってしまいます。

>分子レベルでの変化は観察されているとの事ですが、その変化は種を超えてまで起こる変化なのでしょうか。

たとえば私たち人間の遺伝子も、日々変化を蓄積しています。もちろんそれは、いきなり「人間」という生物の姿を変容させてしまうものではありません。ほんの小さな、些細な変化の積み重ねです。しかしどんな小さい変化であれ、そういう「変異」は私たちの中にもあり、世代を超えて蓄積されています。この観測結果は地球上のすべての生物に当てはまるものであり、変化の頻度についても共通であることが「分子生物学」の発展とともに確かめられています。おかげで今では「分子時計」と呼ばれるゲージ(はかり)を用いることにより、ある生物がどういう系統に属し、いつの時代に祖先であった種から枝分かれしただろう?などという問いかけにも、かなりの信憑性をもって答えられるようになっています。

>進化とは言うまでもないことですが、生物内で起こる変化が種を超えてまで進んでいく事を前提にしています。

MIURAさんのイメージする「種」とはどんなものでしょう?
現代の生物学における種は、かなり曖昧で、恣意的(人間の分類上の都合で決まる)なものであることが共通の認識になっています。犬とネコと人間が「別々の種である」という証明をMIURAさんはどのようにしますか?正直、今の私にはそれを明確に「別種である」と宣言することは難しいです。(もちろん、分類学上で別種であることなら述べられますが)

種が曖昧なものであるならば、種を超えた変化という認識も幻想に過ぎません。小さな変化が日々観察されている以上、何千年、何万年、何億年という「人間に許された時間的スケールを越えた事象」においては、我々が「種」と勝手に名づけているようなバリエーションとグループが生まれるであろうことに、なんの疑問も私は持ちません。

>科学だと言い切ることのできるものをいくつか挙げて教えていただければと思います。

MIURAさんのイメージする「科学」とはどんなものですか?
相対性理論のようなものですか?それとも力学のようなものですか?どちらにしろそれらは単純な「物質」の運動についてモデル化した理論です。生物のように複雑な系の相互関係について記述したものではありません。つまり物理学と生物学では理論の明確さにおいておのずと差が生じます。

そんな生物学(進化学)から出てきた推論ですが、私たちを十分驚かせ、知的な興奮に導いてくれる数々の発見を生んでいます。
 ・遺伝子というものが存在するだろう、という予測
 ・遺伝子は地球上すべての生物に共通であるだろう、という予測
 ・遺伝子だけではなく、細胞という生物の「基本単位」においても共通だろう、という予測
 ・現世生物より圧倒的多数の絶滅種とその化石が存在するだろう、という予測
 ・遺伝子の変異や発現によって、生物の形態に変化が起きるだろう、という予測
 ・離れた地域で暮らす生き物同士が、その生活環境によって似るだろう(収斂)、という予測

こうした予測に対して、事実は見事なまでに一致しています。無論、ダーウィンを含めた個々の学者の予測や仮説には間違いも多々ありました。しかし「地球上のすべての生物は、少ない共通の祖先から変化して、今のバリエーションへと多様化した」という進化の基本的アイディアは、そのメカニズムについて詳細に詳細に検証されているのです。


質問  投稿者:MIURA 投稿日: 2007年07月23日 0時55分

「進化論と創造論」を読ませていただきました。進化論が問題とされる点は、生命の起源にまで遡って英知を持った創造者の存在を否定しようとするからだと考えます。創造者の存在を否定しないのなら進化論の問題はさほどないでしょう。全宇宙の創造者なら進化をも導く事ができるからです。聖書は無からの創造を記録していますが、それは既に存在する何かが形や機能を整えて変化する進化以上のことが起こった事を物語っています。ところで、進化が科学であると言う事ですが、どの程度までそれが証明されているのでしょうか。状況証拠からの推論ではなく、科学だと言い切る事のできるものは何でしょうか。分子レベルでの変化は観察されているとの事ですが、その変化は種を超えてまで起こる変化なのでしょうか。進化とは言うまでもないことですが、生物内で起こる変化が種を超えてまで進んでいく事を前提にしています。参考の為に、科学だと言い切ることのできるものをいくつか挙げて教えていただければと思います。


当節流  投稿者:たんぽぽ 投稿日: 2007年07月23日 0時33分

いちおう2000年代に入ってからなので、
「平面カエル」よりは新しいという、比較のモンダイです。

活動のことを言えば、加護は2回目の喫煙が発覚して、
解雇になったし、辻はできちゃった婚して、いま休職中だしで、
ミニモニ。消滅どころの騒ぎじゃない...


ぴょん  投稿者:あき 投稿日: 2007年07月22日19時31分

>でもAH1さんの使い方は、ルール適用外だと思います。

引用文にぴょんが使われている場合はそのままにしておいてよい、ということですね。
厳密に使用するためにはそのような場合は伏せ字に置き換える方がよいのではないでしょうか?

>ミニモニとぴょんに何の関係があるのだろう?

ミニモニ。ってもはや事実上存在していないでしょ?はたして当節流と言っていいのでしょうか?ちなみに調べると、無期限活動停止らしいぴょん。

http://www.helloproject.com/artistlistindex.html
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9F%E3%83%8B%E3%83%A2%E3%83%8B%E3%80%82


ミニモニ。  投稿者:たんぽぽ 投稿日: 2007年07月22日13時43分

『ミニモニ。ジャンケンピョン』なんて、知らないかたばっかりなんだ...

http://www.geocities.com/debblm/minimoni.html


ぴょん禁止  投稿者:tema 投稿日: 2007年07月22日10時15分

そういえば、そういうルールがありました。
でもAH1さんの使い方は、ルール適用外だと思います。

>ミニモニを連想していました。

ミニモニとぴょんに何の関係があるのだろう? と思ったtemaは…ミニモニを知ってる分、みなさまより当節流だと思います。


勝手にぴょんを使うことは禁止されている  投稿者:あき 投稿日: 2007年07月22日 3時09分

にゃーは付けようが付けまいが自由ですが、このサイトでぴょんを使うためには一定の資格が必要なのです。
AH1さん、たんぽぽさんは使用してはなりませんぴょん。


牛乳飲むのだピョン  投稿者:たんぽぽ 投稿日: 2007年07月22日 1時27分

語尾のぴょんは、わたしは、ミニモニを連想していました。

(みなさまより、当節流ということか?)


それを聞いて安心しました>たまごどん  投稿者:クハ72 投稿日: 2007年07月21日23時27分

ど根性ガエルとは懐かしい。夕方の再放送をよくみていた。OPテーマそらで歌えるぞ。


機密  投稿者:AH1 投稿日: 2007年07月21日15時39分

>こんな重大な国家機密をいとも簡単に漏洩する猫には、ロシア風ポロニウムの刑だピョンなw。

元ネタよりだいぶ厳罰化してませんか?


機密漏洩罪  投稿者:たまごどん 投稿日: 2007年07月21日 0時49分

>語尾に にゃー とか ぴょん とかつける連中が馬鹿にしかみえにゃーというのは正しい。馬鹿だもん。

こんな重大な国家機密をいとも簡単に漏洩する猫には、ロシア風ポロニウムの刑だピョンなw。

diamonds8888xピョンの
>私はまず平面ガエルを連想しましたが(^_^)。

だけんど、ど根性ガエルにはピョン吉とピョン子だけしかピョンが出てこないピョン。五郎の「〜でやんす」や町田先生の「教師生活25年」の方が、たまごどんにはお馴染みなんでやんす。

ひろしが父親を亡くした子供のために、父親と同じようにタバコの煙で動物を作るって話、今のご時世じゃ放送できないピョンよなあ。よし子先生にデレデレになるひろしに、京子ちゃんがハグキ剥き出してジェラシックパークってのも、なかなか可愛いかったのら。電気洗濯機に慣れるために船のスクリューで特訓した話も、時代がかっててナカナカの佳作ではないかと。

あと、たまごどんに「さん」は無用なのら。毎日更新・くだらないことを書くがモットーの「たまごどんが行く」もよろしくお願いするピョン。

http://tamagodon.livedoor.biz/


ご意見、ご要望がございましたら、掲示板か、 e-mail:natrom@yahoo.co.jpへどうぞ。


戻る