進化論と創造論についての掲示板ログ383

2006年10月31日〜2006年11月06日
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補足  投稿者:PDX. 投稿日: 2006年11月06日10時22分

 永樂和重氏の著書については、10/21に書き込んだ評価が全てです。
 具体的なデータに触れる事ができない内容の本なので真偽の判定ができないという印象。参考文献であるハウエル氏の著書には、さすがに具体的なデータがあるものと期待したいところですが。
(ダイヤモンド夫妻の著書にはあまり期待していません。夫妻の著書に基づいてナチュラル・ハイジーンをはじめたという方のサイトやブログにも、具体的なデータが引用されているページが皆無なので)

>たぶんこれが最後の対話だ。

 別にかまいませんよ?
 私はあなたとだけ話をしているわけではありませんから。
 あなた以外の、ここの掲示板の参加者さんや不特定多数の読者さん相手に、永樂和重氏の著書やハウエル氏の著書について語ることができればそれはそれで有益であろうと思いますから。


買う価値を感じなかったもので  投稿者:PDX. 投稿日: 2006年11月06日 7時30分

To ようさん

 書店で立ち読みをして、それ以上内容に踏み込む価値があるか無いかを判断しただけのことです。
 そして、これ以上踏み込む価値を感じませんでした。
 少なくとも私が見たかったデータはあの本には記述されていないようでしたから。


返信  投稿者:よう 投稿日: 2006年11月06日 2時09分

>PDX.
立ち読みだけでたわけた事を言いなさんな。呆れるね、まったく。
たぶんこれが最後の対話だ。

論理的に人間は「りんご」だけで生きていける。すべての果物に必須アミノ酸も十分だ。
しかし、人間の意志の問題なのか、はたまた業なのか、もしかして原罪なのか、もはや野生回帰はむりであろう、と思われる。
少なくとも私は無理だ。過去の「美味しい記憶」を屈服させる事など出来ない。

>moor さん

相変わらず、意訳と誤読がひどいね。

今までの栄養学の説明原理には、「酵素」はメインに登場していないんだ。臨床例に関しては、検証していないとの指摘に対しての発言だ。すり替えないでくれ。

この世の事を正しく理解しようとした時、それはつまり「自然の摂理」の中で人間は本来どうあるべきか、ということなのだが、そこで人間が出来る事といえば、論理を突き詰めるしかないと言う事はギリシア時代に判った事なのだよ、方法論としてね。
だから、科学には論理しかないの。

論理が万能なのではなく、宗教的行為以外で人間が本質に触れうる唯一の方法なのだよ。

余談だが、プロテスタントが興ってから、カソリック的な秘蹟が排除され、ついでに「呪術的行為」も排除された。決して科学者や科学の発達で宗教行為が科学から排除されたわけではないのだ。
しかしだ、そうだからと言って科学者・研究者の心の中から「信仰」を排除せよ、と言うのは訳が違うのだ。ニュートンの宗教活動の熱心さは有名だね。だからと言ってニュートンの偉業を否定は出来まい。

アインシュタインは量子論を「間違いだ」とは言わなかった。論理的に説明できなかったからだ。だからこそ「嫌いだ」と言った。当時の彼の名声から言えば、詭弁を弄してでも否定しようとすれば、メディアはなびいただろう。しかししなかった。論理を捻じ曲げる事は新かった。科学者としての誇りと矜持がそうさせなかったのだろう。

科学は万能じゃない、しかし科学手法とは「論理」の突き詰めしかないのだよ。


温泉カワセミ さん  投稿者:よう 投稿日: 2006年11月06日 0時52分

>主観を徹底的に排除し、かつ他者による批判・検証を受けることを前提とした
>客観的な論理構成と根拠提出が必須となるのです。

1行目までは結構です。しかし、2行目の「根拠」は何を指しているのか判りません。
大事なところですから、この辺での「アソビ」はいけませんね。しかし、推測は出来ます。

「新説」を構築するのは「帰納・演繹法」によります。演繹法は過去に既に在る「説明原理」を用いますから、あなたの言われる「根拠」の提示は必要が無いでしょう。
一方帰納法における「仮定条件」とは”たとえ夢の中でのお告げ”でも良し、とされています。とどのつまりは立論された説明原理が検証に耐え得るかどうかの問題ですから。
この辺の論理学的常識をあなたはご存じ無い。

セルロースの件ですが、セルロース自体からは何かの栄養素を吸収するとは聞いておりません。栄養素としては何も持っていないが、排便促進と言う意味で重要ですね。
アフリカゾウのTV番組を観ましたが、「種子」も消化せずに排泄され、ゾウの排便物は非常に未消化であると言う事です。その事はつまり、ゾウの移動によって「種子と肥料」による植生地域拡大化が図られている、と言う事で非常に意味深い事でしょう。

よってセルロースを摂取する事にも重要な意味があると言う事です。セルロースに栄養素が無く、消化できずに排泄されるからと言って人間が「葉食」に適さないとは暴論ですね。

実際、生野菜を全然食べない時とよく食べる時の体の状態を自分自身におきかえて考える場合、あなたは「食事」について非常に無頓着である、としか思えません。

「体質」などというものがあって、たとえば「中田英寿氏」は野菜嫌いで有名でしたが、嫌いだから摂取しなかったとは言い切れないし、好きではないものを好んで多く食べたとも考えにくいわけです。しかし言える事は「野菜を食べなくてもフィジカル的に問題ない」と言う事ではなく、「もし食べていればもっと選手寿命は延びていただろう」と言う事です。

人間の食性においての「体質」とは一体どういうことでしょうかね。果たしてそれ自体在るのか無いのかすら定かではないでしょう、今のところ。

これは余談ですが、米国における「論理性」と言うものの徹底度とは、日本の比ではないのですよ。特に「商品」における検証は厳格です。訴訟社会ですから、未検証のものを公表する事のリスクは計り知れません。ナチュラルハイジーンを支持する米国人がそんなリスクを無視して声高に旧栄養学や食品業界、薬品業界を批判することなど在り得ない事です。

そして私が議論したかったのは、そういう「検証」データの公表が有名大学の有名教授の名の下になされているからと言って、そのデータの信憑性という事までを言い出したら、こう言うネットの議論などは成立しないから、「仮説の論理性」という事のみを議論の対象にしようと提案したわけです。


論理は万能じゃない  投稿者:moor 投稿日: 2006年11月06日 0時36分

>貴方の言動が、自然科学界が因襲に捕らわれているという事の証左であります。進化論を唱える生物学しかり。

「因習」と言われるのは構いませんが、この世界をいかに正しく理解するのかの方法論として先達によって築き上げられた方法論です。
「ようさんの論理学」には、この世界をいかに正しく理解するかという姿勢はありますか?

>全ての観察事実から、今まであまり注目されず全容解明もされていない「酵素」。

まず、「今まであまり注目されず」というところが大間違いであることは、すこしググればお分かりになることと思います。
それから、「全容が解明されていない」というのは「何も分かっていない」という意味ではありませんよね。

>しかし、新栄養学は果実食によって糖尿病は改善され治癒する、と臨床例を幾つも挙げているではありませんか。

「科学的」という考え方を理解している人なら、「臨床例が挙げられている」だけでは無意味だということは言うまでもないことです。
例えば、うまくいったとして発表されている臨床例の背後に、その数倍に上るうまくいっていない臨床例があるかもしれませんよね。

「論理」で、現実世界を扱うのが以下に大変なことか、人工知能関連でググるなりなんなりしてください。
「論理的思考」は「科学的手法」に必要不可欠ですが、「論理」がこの世界の全てを説明できているわけではありません。
むしろ、「論理」で世界を扱うために、いかに多くの労力がかけられていることか。


Re:ナチュラルハイジーン≒リンゴダイエット  投稿者:PDX. 投稿日: 2006年11月05日16時48分

To shinok30さん

 まぁようさんにしても「リンゴだけ食べていれば健康でいられる」とは書いていませんし、さまざまな果実を併用することで栄養価はもう少しマシになるかと思います。アボカドなんかは脂質を多量に含みますから、果実食を実践する人には欠かせないのではないかと思いますしね。
 それでも、果実だけを食べて必須アミノ酸を十分摂取するのは不可能ではないかと思いますし、可能だとするなら、どんな果実の組み合わせをどれだけの量食べればいいかを数値で示せば済む問題だと思うんですけどね。それはようさんには期待できないので、ナチュラルハイジーン関連の著書を書店で探しているのですが、永樂和重氏の著書は失望する内容でしたし、ダイヤモンド夫妻の著書は書店でみかけませんし。(名古屋市内のかなり大きな書店をハシゴしたのですが、ダイヤモンド夫妻や松田氏の著書は置いてありませんでした)

 個人のブログ等を見ていると、ナチュラルハイジーンを試していたけど今はマクロビオテックに移行したという人を多くみかけます。果実、野菜だけではなく玄米や雑穀を食べる事もよしとしているマクロビオテックの方が現実的に実践しやすいのではないでしょうかね?加熱調理も否定していませんし。(というか、玄米や雑穀を非加熱で食べるなんてのはかなり非現実的)


酵素の不思議(笑)  投稿者:PDX. 投稿日: 2006年11月05日16時40分

>今まであまり注目されず全容解明もされていない「酵素」

 永樂和重氏の『新・健康学「偏食」のすすめ』をパラパラと読んだだけでは、酵素の名前はほとんど登場していませんでしたね。というか、私が読んだ範囲内では全く登場してしていませんでした。
 あの本だけを読んでいる限りでは、酵素については何も判らないだろうというのが私の感想です。


ナチュラルハイジーン≒リンゴダイエット  投稿者:shinok30 投稿日: 2006年11月05日 7時09分

>実のところ
>正直、ナチュラルハイジーンとリンゴダイエットの差が見えてこないんですよね。

私もナチュラルハイジーン≒リンゴダイエットは,
危険だと考えています

例えば,リンゴだけで必須アミノ酸を摂取しようとした場合です
リンゴはリジンも含硫アミノ酸(メチオニンやシスチン)も不足しており,
アミノ酸スコアで58しかありません
何より総タンパク質の量が0.2(g/可食部100g)しかないので,
リジン,メチオニン,シスチンは各々,8,3,4(mg/可食部100g)しか含まれていません
体重60kgの成人であれば(乳児,幼児,学童の必要量はもっと多い),
毎日,リジンや含硫アミノ酸は,各々,
14(mg/kg)×60(kg)=840(mg),
13(mg/kg)×60(kg)=780(mg)必要なので,
例えば,リジンの必要量をリンゴだけで摂取しようとすると,
840(mg)÷8(mg/可食部100g)×100=10500(g)=10.5kg
のリンゴを食べる必要があります
同様に,含硫アミノ酸の必要量をリンゴだけで摂取しようとすると,
11.1kgのリンゴを食べる必要があります

>表3−2 リジンやメチオニンの含量
>食品可食部100g当たりのアミノ酸組成(mg/可食部100g)。蛋白質は、g/可食部100g。
>食品名   蛋白質  リジン 含硫アミノ酸         アミノ酸スコア  アルギニン グルタミン酸
>               メチオニン シスチン 合計
>りんご生果  0.2   8    3     4    7     58

>表1 ヒトの必須アミノ酸必要量mg/kg/日)
>アミノ酸       乳児   幼児   学童     成人
>               (2歳) (10〜12歳)
>リジン
>含硫アミノ酸 Met+Cys 58  27   27     13
http://www.google.co.jp/search?hl=ja&inlang=ja&ie=Shift_JIS&q=sub1-protein_score.htm%81@%83q%83g%82%CC%95K%90%7B%83A%83%7E%83m%8E_%95K%97v%97%CA&btnG=Google+%8C%9F%8D%F5&lr=

リンゴは100g当たり54kcalの熱量を持つので,
11.1kgのリンゴを食べると,約6000kcal摂取することになります
一般的な成人の摂取カロリーの目安は約1800kcal〜2200kcal前後なので,
これでは明らかにカロリーの取りすぎになります

実際には,リンゴを毎日10kg以上も食べることはほとんど不可能に近いので,
リンゴダイエットで痩せるのでしょう
そうすると,リンゴダイエット中は必須アミノ酸の不足は
避けられないことになります


レトリックのすり替え  投稿者:fukken 投稿日: 2006年11月05日 6時54分

出たっ、ようさんの専売特許!
映画生活での突っ込み(※1)への言い訳や、過去にここでこの言い回しを使った時のエクスキューズ(※2)は空々しかったけど、臆面なくよく使えるよねえ。

論点をすりかえたりすること自体をレトリックと言うでしょう。
レトリックの意味は最大素数さんにも説明をしてもらっているから理解しているはずだし。
”レトリックのすり替え”で使い方は本当に合ってますか?
ぐぐってみると、たった9件。(内4件がようさん。)
これで本当に「政治的アジテーションや議論などでよく使う言葉」なのでしょうか?
9件すべて用法を間違えて覚えてしまっただけのような気が・・・。
(4件以外もようさんなんじゃないかって勘ぐりたくなったりして。)
いずれにしてもネット上で自分だけが使う言葉を撒き散らすのは危険かもね。

※1 http://www.eigaseikatu.com/com/11522/169976/#170630
※2 http://members.jcom.home.ne.jp/natrom/board060503.html#0605010446


葉食と酵素  投稿者:温泉カワセミ 投稿日: 2006年11月05日 1時22分

ようさん、科学の作法とは違う話題で、話が発散してしまうので、コメントを分けました。


>この辺の試行錯誤の繰り返しによって「人間の食性は果実食・葉食である」となった訳です。

ここで『葉食』と仰るのは、以前からコメントされていたような『葉っぱものの野菜』を『非加熱での生食』すると言うことでしたら、この部分に関しましては、明らかに『酵素』とは関係ないことになります。

なぜなら、人間を含む哺乳動物の消化メカニズムにおいて、葉っぱの主構成要素であるセルロースを効率的に分解しうる酵素は、確認されていないからです。

なら草食動物は、それらのセルロースをどうやって消化・吸収しているかと言えば、消化管内に生息している微生物などによる発酵を利用しているのです。

その発酵を充分進めるためには、それなりの時間などの条件が必要となるので、牛などのように4つの胃袋を持って反芻したり、馬やウサギのように長大な盲腸を利用して、効率的に発酵させて、分解生成物を酵素によって分解して漸く吸収できるのです。

カバやコアラなどは、子供の離乳食替わりに母親の糞を与えて、腸内細菌を子供に移しているくらいです。


翻って人間の場合、ご存じのように盲腸の長さは草食動物に比較して申し訳程度の長さが付いているだけでほとんど機能して居らず、また反芻する機能もありませんから、『葉っぱの生食』には適さないのです。


せめて『果実食』と『葉食』くらいは別個に考えてないと、『酵素説』の説得力は著しく低くなりますね。


作法とか検証とか  投稿者:温泉カワセミ 投稿日: 2006年11月05日 1時11分

ようさん、

>自然科学の分野だけと言うのもおかしな話です。更に「作法」とは危険な言葉ですよ。宗教的規範によるものが「作法」である事をご承知おき下さいますように。

『作法』に引っ掛かられましたか。まぁ、そうなるだろうなぁとは推測しておりましたが。

学問における研究というモノは、各研究者がそれぞれ『新説』を付け加えていく営みです。自然科学においては、文学や政治学、宗教学などの社会・人文科学とは異なり、現実に生じている事象を普遍的に説明するための学問です。よって、主観を徹底的に排除し、かつ他者による批判・検証を受けることを前提とした客観的な論理構成と根拠提出が必須となるのです。

そのため、無駄な労力を避ける意味もあり、上記の前提とした客観的条件すらクリアできていない自称『新説』に関しては、内容の適否などを科学的に検証するなどの相手をわざわざせずに、差し戻して突き返しても良い、という暗黙の了解があります。

もちろん、その手のリジェクトされたモノの中に、何らかの重要な内容が含まれている可能性もありますが、他人に『科学』として認めて欲しいなら、せめてそのぐらいの形にして持って来いよ、と言うルールなのです。必要な情報も提供せず、他者による検証も出来ない形で出してきて、『後の証明はめんどくさいから、ソッチでやって』みたいなのは、自然科学の研究を生業にしている側からすれば、単なる『失礼な輩』でしかありません。

ワタシが敢えて『作法』と表現したのは、そう言う意味です。つまり科学的に論議するための『マナー』の問題なのです。


>帰納法的に「酵素の働き」を仮定条件に持ってくることが、「酵素のみに帰着」すると言うことになりますか?そう考えているのであれば、帰納法や「科学的手法」をご理解されていない。

>しかし、新栄養学は果実食によって糖尿病は改善され治癒する、と臨床例を幾つも挙げているではありませんか。これは決定的な検証結果でしょう。

ようさんのコメントの内容を精査して、『「酵素の働き」を仮定条件』としていても、その『仮定条件』の妥当性を検証する過程が一切ありません。『酵素説』の真偽を検証しうる実験デザインとは、明らかに不適です。

ようさんのおっしゃる『検証』の内容は『果実食にしたら糖尿病が改善した』と言う『事実』のみなので、そこに『果実食と酵素の関係』の検証や『酵素の働き』以外の可能性を検討しない論拠が一切見付かりません。もし、ようさんが基にされた情報には、その辺りのことの明示があるのなら別ですけどね。ワタシが『ようさんのコメントからのみ判断』としたのは、そう言う意味ですね。

ようさんの仰る『新栄養学』は、その一番のキーとなるべき酵素の働きに関する検証が手付かずのままで、『果実中の酵素の働きによって生活習慣病が改善する』と『断言』することは、明らかに自然科学としては認められないことです。いまだ『未検証段階の仮説』でしか無いのですから。


>私の書き込みだけで、新栄養学の研究成果、社会現象を無視して語る、と貴方は仰いましたが、結局私の言動に対しての批判ではなく、その矛先は新栄養学へ向かっております。

>これはやはり、「レトリックのすり替え」であり、論理学ではなく詭弁術と申し上げます。

コレは明らかに誤解です。ワタシはようさんがご紹介された『新栄養学』関係の情報は未見ですから、その内容に即して批判や同意をすることは出来ません。あくまで、この掲示板でようさんが記入なされたコメントの内容に関して、指摘や質問を行っているはずです。

もしワタシのコメントが、結果として新栄養学を『矛先』としている状況になっているのであれば、それはようさんのコメントが、件の新栄養学の主張と一致しているからでは無いですか。ワタシはソッチは読んでないので判断できませんけどね。


ハッターさんにかぶるけど  投稿者:wadja 投稿日: 2006年11月04日22時58分

>今まであまり注目されず全容解明もされていない「酵素」

酵素は星の数ほどあるから、「全容解明されていない」っていうのは、間違いでは無いんですが。でもまさか、「全て解明された訳ではない」ことと「全然解明されていない」を取り違えてるなんて、くだらないオチじゃないことを願ってます。

少なくともshinok30さんが紹介したサイトを真面目に読めば、糖の代謝のようなメジャーなものは、酵素の働きだってかなり詳しく解明されていることが分かると思うんですけどね。

まあ、真面目に読んでいれば、

果物に含まれる果糖は、直接的には、血糖値(血中のブドウ糖濃度)を上げないが、果糖は、肝臓でトリグリセリドに変えられ、VLDLなどを増加させ、高脂血症などを来たす恐れがある。

とか、

"果糖が体内に多くなると、フルクトース 1-リン酸が増加して、肝臓のリン酸(Pi)が枯渇して、ATP濃度が低下して、解糖と乳酸生成が促進し、血中乳酸濃度が、致命的なレベルにまで、達することがあると言わる。  糖尿病患者でも、フルクトース(果糖)を摂取し過ぎると、肝臓で、フルクトース 1-リン酸を経て、ピルビン酸、乳酸に代謝され、乳酸アシドーシスを引き起こすとされる。
"
とかいうのは読んでるはずだけど。


酵素  投稿者:ハッター 投稿日: 2006年11月04日20時08分

>今まであまり注目されず全容解明もされていない「酵素」

そんな事はないと思いますよ。分子生物学ではメジャーな研究対象だと思います。
すごいお金をかけていろんな人が研究しています。


それだけでは無意味  投稿者:PDX. 投稿日: 2006年11月04日19時34分

To。ようさん

 臨床例を挙げただけでは、その療法や薬に本当に効果があったかなんて判定できませんよ。
 二重盲検定とか、そういうったコントロールのされた試験を行っていないでしょうし。


論理、論理と言いながら、、、  投稿者:JA50 投稿日: 2006年11月04日18時58分

>しかし、新栄養学は果実食によって糖尿病は改善され治癒する、と臨床例を幾つも挙げているではありませんか。これは決定的な検証結果でしょう。

これは効果ありという証拠にはならないんですよ。
論理学的にもおかしいと気づかないところがなんともはや香ばしいというかなんというか、、、

1)新栄養学は果実食によって糖尿病は改善され治癒する。
2)果実食によって糖尿病が改善され、治癒した。

3)よって新栄養学は正しい、、、とは、言えない。論理学的にです。
なぜなら、、、

後は自分で考えなさい。
論理学の基本中の基本じゃないか。


温泉カワセミ さん  投稿者:よう 投稿日: 2006年11月04日18時44分

誤解が生じているようですね。

検証が不必要などと一度たりとも言っておりませんし、「先人達の作法・手法」と仰いますが、「科学的手法」とは論理的な手順の事に相違ありません。自然科学の分野だけと言うのもおかしな話です。更に「作法」とは危険な言葉ですよ。宗教的規範によるものが「作法」である事をご承知おき下さいますように。

貴方の言動が、自然科学界が因襲に捕らわれているという事の証左であります。進化論を唱える生物学しかり。

帰納法的に「酵素の働き」を仮定条件に持ってくることが、「酵素のみに帰着」すると言うことになりますか?そう考えているのであれば、帰納法や「科学的手法」をご理解されていない。
更に、自然科学の分野の現場で長年「検証作業」に携わってきたと言う事と、「科学的手法」を理解している、と言うのは「同義」ではありません。

全ての観察事実から、今まであまり注目されず全容解明もされていない「酵素」。
それがいちいちなんであるかと言う事も大事ですが、「働き具合」で見れば「消化酵素・代謝酵素・食物酵素」に分類できる、これが新理論の仮定条件です。この仮定条件を元に推論〜結論したのです。この結論で検証作業を行い、新たな情報があれば論理的にはまた振り出しに戻ります。この辺の試行錯誤の繰り返しによって「人間の食性は果実食・葉食である」
となった訳です。

この研究の最大の動機は、特に糖尿病患者などの「食餌療法」にあった事です。医学は糖尿病を悪化させず少しでも改善させようとします。「血糖値を乱高下させてはならない」と言う結論。それを受けて栄養学が食事メニューを決めます。

その結果はどうです。糖尿病患者の末路は、免疫力低下による感染症・合併症ですよ。
しかし、新栄養学は果実食によって糖尿病は改善され治癒する、と臨床例を幾つも挙げているではありませんか。これは決定的な検証結果でしょう。
そして何故治癒するのかの論理的説明も、酵素によって立論された説明原理で矛盾無く成されています。
貴方の言う検証と言うのは、人体実験が出来ないから、ちまちました回りくどい実験作業のデータ取りが行われているのですよ、ご存知のように。人体実験が良いと言っているのではありませんが。

私の書き込みだけで、新栄養学の研究成果、社会現象を無視して語る、と貴方は仰いましたが、結局私の言動に対しての批判ではなく、その矛先は新栄養学へ向かっております。

これはやはり、「レトリックのすり替え」であり、論理学ではなく詭弁術と申し上げます。
何れにしろ、対話を有難う御座います。


>果糖の代謝  投稿者:JA50 投稿日: 2006年11月04日 8時47分

>shinok30さん

なるほど。
「動物は「ブドウ糖の一時的な増加」さえ調整できれば十分」、それ以上の調整は不必要。適応的ということからみたら、ほとんど差はないってことだったのかもしれないですね。

一つ、頭に引っかかっているのは、脳はブドウ糖しか利用できないってことです。
どうしてこういう進化の仕方をしたんだろう?
これも、果糖の代謝を調整する、ブドウ糖のインスリンに当たるものがない理由の一つかなと。


果糖の代謝  投稿者:shinok30 投稿日: 2006年11月04日 6時17分

>獲得「できなかった」のでは 投稿者:PDX. 投稿日:11月 3日(金)18時48分50秒

「果糖の代謝を調整するホルモンを欠いている」ことは
私も「進化の歴史に由来する欠陥」だろうと考えています

また,果糖の代謝は「完全に野放し」というわけでもありません
確かに,果糖のリン酸化はインスリンの作用を必要としないのですが,
解糖系に組み込まれた後の代謝はインスリンの作用で調節を受けますし,
果糖からブドウ糖に肝臓で変換されてから利用される量の方が多いとすれば,
動物は「ブドウ糖の一時的な増加」さえ調整できれば十分で,
「過剰な果糖の代謝を調整するホルモン」は
必須ではなかったということなのかもしれません

>果糖は肝臓で代謝されるが、フルクトキナーゼにより、
>フルクトース 1-リン酸に代謝される過程は、インスリンの作用を必要としない。
>しかし、フルクトース 1-リン酸が、フルクトース 1,6-ビスリン酸や、
>ジヒドロキシアセトンリン酸(DHAP)や、グリセルアルデヒド 3-リン酸(GAP)になって、
>解糖系に組み込まれた後の代謝は、インスリンの作用で調節を受ける。


>果糖は、糖新生により、ブドウ糖(グルコース)に変換される。
>肝臓と腸管を除去した動物実験の結果では、果糖(フルクトース)を注射しても、
>ブドウ糖(グルコース)を投与しないと、低血糖(の症状)で倒れた。
>この実験結果から、果糖は、主に、肝臓で、糖新生により、
>ブドウ糖(グルコース)に変換されてから、利用されると言われる。
http://www.google.co.jp/search?hl=ja&inlang=ja&ie=Shift_JIS&q=%89%CA%93%9C%82%CC%91%E3%8E%D3%81@sub4-Fructose_Metabolism.htm&btnG=Google+%8C%9F%8D%F5&lr=


再度の説明  投稿者:温泉カワセミ 投稿日: 2006年11月04日 1時43分

ようさん、

>私には貴方のお考えが、失礼ですが少々硬直気味であると思います。

この辺りは、自然科学の作法に馴染んで居られないようさんにはご理解頂けないのかも知れませんが、これは『ワタシ』の考えが硬直しているのではなく、我々の先人達が長い期間を経て、出来うる限り信頼性と普遍性を高めるために構築し、確立してきた手法です。

この作法は、自然科学を出来るだけ、客観的かつ普遍的に信頼の置ける言説たらしめるために努力してきた、科学に携わってきた先人達の知恵の結晶であり、単なる「帰納と演繹」だけでは不足であり、厳密なる『検証』を抜きには出来ないのです。

もし、『検証』を抜きに自然科学が成立してしまうのであれば、それこそ天動説だって成立させる屁理屈的立論は可能になるでしょう。

この程度の厳密性すらクリアできない言説は『科学的』を名乗る資格は、自然科学の世界では認められません。


>私がここで言いたいことは、「科学であるかどうか、科学的であるかどうか」です。

>故に、私はこの酵素を出発点にした栄養学を支持します。

前回もコメントしましたが、効果の原因を『酵素のみに帰着』するという『新説の根幹』すら客観的根拠が示されていない以上、ようさんの主張・支持なされている『酵素を出発点にした栄養学』が、自然科学において顧みられることはないでしょう。


「数学とは神の論理なり」  投稿者:ギャラリー@勉強中 投稿日: 2006年11月04日 0時25分

第4章 証明の技術
2「数学を除くあらゆる科学が不完全である─帰納法」
を解説してくれたわけですね。

たしかに以前ようさんが言っていた「論理」に関する内容が、ほとんどすべてといっていいほどこの本に書いてあります。「人はみんな死ぬ」…の話も。アリストテレスの形式論理学の話も。

帰納法は真理保存的ではないので、論理的に正当化できない。その通り。
そこを踏まえて、仮説演繹法や反証主義が登場したという話は、確かにこの本には
出てきませんね。
ようさんが科学の方法を理解できない理由の一つが、わかりました。


ギャラリー@勉強中  投稿者:よう 投稿日: 2006年11月04日 0時02分

ほんとに小室の本読んだのか?
何が言いたいのか全く判らん。

>「人はみんな死ぬ」という(全称)命題は、帰納法では「論理的に」証明できない→聖書から正しく演繹される「人の死はあり得ない」という命題が真。

未だに帰納、演繹が判っていないようだな。
「人はみんな死ぬ」を”科学的証明”は出来ない。帰納法や演繹法の「確からしさ・正しさ」と言うものを説明したんだよ。科学的証明だから「絶対に正しい」と言う事ではない、と言う意味で。

「カラスは黒い」と言うのは万人の認めるところで、黒い鳥と言えばカラスを連想する。だからカラスは黒い、と「一般社会」で言っても間違いではない。
しかし、論理学的(科学的)命題としては、”1羽でも白いカラス”を見つければ、「偽」だと書いてある。熟読せよ。それほどの良書は他に無い。


論理矛盾  投稿者:ギャラリー@勉強中 投稿日: 2006年11月03日21時45分

ようさんの主張は、根っこの部分は最初から変わっていないと思うので、数ヶ月前の話を出してもOKですよね。

「人はみんな死ぬ」という(全称)命題は、帰納法では「論理的に」証明できない→聖書から正しく演繹される「人の死はあり得ない」という命題が真。

この、ようさん流「論理は数学」と、「科学的な方法」の間にはかなりの隔たりがあるわけで、論理矛盾と言ったところで土俵がまったく違うので、意味なくなっちゃう。

小室さんだって、数学と、我々の歴史的な社会との関係は「比喩」だと言ってるじゃないですか。
(「数学嫌いな人のための数学」)


要するに(「よう」するに?)  投稿者:クハ72@横レス 投稿日: 2006年11月03日21時24分

「検証は面倒臭いから信用できない」
って言いたいんだな?


温泉カワセミ さん  投稿者:よう 投稿日: 2006年11月03日19時44分

私には貴方のお考えが、失礼ですが少々硬直気味であると思います。

検証には勿論最先端の機器や、多数が必要です。そしてこういうサイトのやり取りでデータ云々を言い出せばその信憑性についての裏付けが必要になり、膨大なエネルギーです。

私がここで言いたいことは、「科学であるかどうか、科学的であるかどうか」です。
近代科学の論法は「帰納と演繹」です。私は今回の新しい栄養学の流れを読んで、立論はきちんと帰納法的に矛盾無く行われ、その原理に基づき「仮説演繹」をもって検証されているようだ、と判断したうえで自分自身でも「証明できた」と言う事です。そういう意味で私には確信があります。

故に、私はこの酵素を出発点にした栄養学を支持します。その上で改めて申し上げますが、果実(葉っぱ)のみを食べてさえいれば、生活習慣病は克服するのが論理的必然です。

真摯な議論、有難う御座います。


美しき哉おしどり夫婦  投稿者:よう 投稿日: 2006年11月03日19時28分

>ナチュハイだか『新栄養学』だかは、果実食肯定がまず前提にあって、
神秘を共有しない人にも「カガク的」に見えるように
グダグダの理論を後付けしてるんじゃないかというのが私の想像。
栄養学におけるID説ってとこでしょうか。


想像とな。ステロタイプな反応ではないか、との疑念はお持ちにならないか?女房殿。
批判するのなら、論理矛盾を突け。コレしかない。

折角だから、一つ言っておく。ナチュラルハイジーンの中でも分派があるようだ。その他にも「アレにはコレが効く」的に企業、個人を含めいろいろな食品・薬品を躍起になって開発中だ。そのあたりに振り回されてはならぬ。

ベジタリアン、フルタリアンは総じて不健康だな。引用どおり「果実と葉っぱ」と書いてあるのに、その順番どおりに果実中心の葉っぱで行けばいいんだよ。葉っぱだけじゃ糖質不足。フルタリアンは自然落下した果実。どちらも発想は聖書よりも「近代哲学」と私は想像するね(笑)。
ま、西洋人の信仰度合いなんてのもそんなもんだ。西洋人に限った事ではないか。人間の業だな。宗教戦争なんてありえないからな、本来。

聖書にもそう書いてあり、仏僧の修行にも同じ事がある。・・・・何事か感じないかね。人間の叡智としてさ。少なくともやってみる価値はあるだろう、?


獲得「できなかった」のでは  投稿者:PDX. 投稿日: 2006年11月03日18時48分

To JA50さん

 まぁたまたま「できなかった」というのが正解かも。
 有害物質に対する抗体が必ずしも突然変異で獲得できるとは限らないのと同じで、果糖に対して反応するホルモンを獲得できなかったのも、そういう突然変異が起こらなかったということと、あとやはり果糖が供給過剰になるほど裕福な食生活をヒトは経験していないから必要がなかったということではないでしょうかね?
 一番つまらない回答かもしれませんが。


>果糖の害  投稿者:JA50 投稿日: 2006年11月03日16時38分

食塩でもブドウ糖でも、とにかくどんなもので、とりすぎは有害。
これは間違いない。
もちろん果糖だって例外ではない。
それ以上に、インスリンによって調整されているブドウ糖より果糖の方が危ないとさえ言える。
それは分かっているんですが、ヒトは、というより動物は、なぜブドウ糖に対してだけ反応するインスリンを進化させたのか、というのが疑問なんです。
果糖だって、自然界に豊富にある単糖類じゃないですか。
もちろん、体の中に入って、代謝され、利用もされる。
それが、いわば野放しってのがなぜなのか?

どうして、動物(もちろんヒトも含む)は果糖に対するホルモン、ブドウ糖に対するインスリンのようなホルモンを進化させなかったんでしょう?

まぁ、不必要だったってことでしょうけど、それはなぜ?

あ、それと、ブドウ糖に対するインスリンのような、果糖にあたるホルモンってのを発達させた動物はいるんでしょうか?


果糖の害  投稿者:PDX. 投稿日: 2006年11月03日15時07分

To JA50さん

 こんなページがありました。
 果糖の摂りすぎも有害であるようです。

http://d.hatena.ne.jp/himazublog/20060820


▲▲▲狂牛病で日本人の脳を滅ぼす食品▲▲▲  投稿者:牛小屋 投稿日: 2006年11月03日13時08分

日本の4〜5年先は、狂牛病の症状が現れて、真っ直ぐ歩く事が出来ない状態になる人も出現するでしょう。他人事ではありません。日本人は、肉食を主食とする外国人に比べて、遺伝子が異なるために狂牛病の肉を1ミリ食べても、感染します。大丈夫などと安心かを与える無責任な人ほど、悪い人間です。以前、ニュースで政府関係者の役人が言ってたように、リスクが伴うから自己の判断でやってくれ、と報道していた。ですから、大丈夫と言う事を押し付ける人は、憎むべきひとである。狂牛病になってからでは、文句もいえないから、そういう人に遭遇したら・・・
不安な食品
▲危険部位を取っても、肉自体が汚染されているから危険である。生後何才未満などと言っているが、歳は、何で判断する。汚染肉の何歳未満は、現代の検査技術では不可能、しかし、子牛が歳を取れば汚染肉であるから、もともとから安全な肉を食べたほうがよい。
▲コンビニで見かける牛肉表示、豚肉の野菜炒めの裏表示の原料材名には、何故か牛肉がある、本来であれが豚肉野菜炒めに牛肉など入れる必要が無い。輸入牛肉の処分に困り、加工したのでないだろうか。
恐ろしいことである。
▲丸大食品が大量に輸入したが、何の加工食品に使われたか具体的な公表がなく不安である。(これは中傷でなく事実である)
 投稿者は、中華で餃子を注文する前に、挽肉に牛肉が入っていない事を確認してから注文する。
 そんな神経質になっていたら、何も食べられない・・・食べれば感染します。
▲利益追求のために、日本人の脳を滅ぼすことはやめてほしい・・・


おーい  投稿者:wadja 投稿日: 2006年11月03日 1時10分

反論待ってるんですけどね。まあ、できなきゃ良いですけど。

#少し寂しいw


実のところ  投稿者:PDX. 投稿日: 2006年11月02日21時47分

 正直、ナチュラルハイジーンとリンゴダイエットの差が見えてこないんですよね。
 リンゴダイエットは事実上「絶食」に近い栄養状態になるから痩せるものですが。
 肥っている人が続けている分には備蓄している皮下脂肪や内蔵脂肪のおかげで多少は持つと思いますが、痩せている人にとっては命取りになるんじゃないでしょうかねぇ。


立論と検証  投稿者:温泉カワセミ 投稿日: 2006年11月02日18時09分

ようさん、ワタシはようさんがご紹介されたナチュラルハイジーン関係の書物は未見なので、ようさんのここでの関連コメントのみから判断し、お返事します。


今までも他の方々からも指摘されてきたことですが、自然科学の世界において用いられる『検証』は、ようさんがコメントで表現されておられる『検証』と、概念も手法も大きく異なっているものです。これは、科学の端っこの方ではありますが、研究者として十数年仕事してきた人間(専門は全く違いますが)として、断言できます。

>いやいや、酵素に着目して立論した新栄養学理論は、すでに検証され話題となっているわけですよ。
>日本にも入ってきて、この私自身も理論どおりに糖尿病を克服してるんです。

酵素の種類・量(濃度)・働き・条件を何一つ具体的に示されていない段階での『立論』は、自然科学における『検証』とは呼べません。ようさんにお示しいただいた情報が全て正しいと仮定しても、それはただ単に『果実食にしたら生活習慣病が改善した例がある』と言うだけのものです。

それを事実として考えても、果実食の何が原因で改善効果をもたらしたのかの『検証』が、すっぽりと抜け落ちております。それこそビタミンかも知れないし繊維かも知れないし単に水分量かも知れないし、まだ見つかっていない別の成分かも知れません。またそれらの複合技という可能性だってあります。

今までの情報では、この段階で原因を『酵素』のみに帰結する客観的根拠が存在していません。


これを『可能性がある』から今後調べようと言うのなら科学的論法になりますが、もし、根拠もなく『酵素が原因だ』と断言しているとすれば、それは典型的な『擬似科学的言説』となります。

また、ようさんの糖尿病が改善したのは事実かも知れませんが、これだけでは『偶然』あるいは『特異体質』等の特殊事例である可能性を充分には排除できません。このためには多くの症例で条件を厳密にコントロールされた大人数を対象にした実験を行わなければ、医学的な療法として確立するのは、非常に危険です。

人間(生物)の身体は複雑で、万人に適応可能な単一の療法と言うものが在るのか、非常に疑わしいわけです。例えば高血糖のヒトと低血糖のヒトでは求められる食生活や療法も異なって然るべきだし、糖尿病にも遺伝の影響の有無によりT型とU型の区別もあるし、高血圧・低血圧の場合の禁忌も違うし、癌だってどの部位に出来るかなどで対応も変わるはずなのに、何でも良いから『果実食にすれば、生活習慣病には万事OK』というような言説は、医学常識的・科学常識的に考えて無理があります。


>体の内部、内臓の温度で極めて「現場」に近い状態を設定して実験されたらいかがかな、と思います。

加えて、科学の世界の普遍的ルールでは、自然科学における新説の証明は『新規な説を提案する者』に証明義務が存在し、それに対し正統な疑義を指摘する側には責任はないのです。

よって、疑問を持ったワタシが、わざわざ自分の時間と労力を消費して、『証明してあげる』義理も必要もないのです。新規な説を主張する側が、客観的且つ明確な論拠を提出する義務があり、それがなければ『科学的』には、認められないだけのことです。


また、ようさんは温度などの条件に関して言及されておられます。コレは確かに重要なファクターであり、検討の余地はあるのですが、最低限、果実の種類、働くと想定される酵素の種類、量などの前提条件を、効果を主張している側がキッチリと同定しない限りは、単に思いつきでしかなく、検証のしようがありません。

今回の酵素に関する主張が、特定の果実に限定したものであれば、まだ検討の余地もあるかもしれませんが、それすらも充分に行われていない段階では、マトモな研究者なら検証しようとしたりしないでしょう。なぜなら、全ての果実、全ての酵素を網羅することは出来ませんから、どれかの条件に決め撃ちせざるを得ません。

この様な場合、もし否定的な結果が得られたとしても、主張側が『たまたま、その条件が否定的だっただけだ』等という言い訳が返ってくるのは、今までの多くの擬似科学的主張を行う人間の例から、容易に想像され、徒労に終わるだけという可能性が大ですので。


余談ではありますが、酵素という物質は化学反応において触媒的に働くとされています。化学に関係した者なら常識的に持っている感覚なのですが、確かに触媒が効率的に働く温度というものは存在しますが、そこからとんでもなく大きく外れているのならいざ知らず、体内温度と室温程度の差であれば、反応速度が落ちる(=反応時間が長く掛かる)程度で、ほとんど反応しないと言うことは、非常にマレであると考えられるのです。

たとえば、以前のコメントで例に出しましたが、リンゴやナシは室内に放置しても軟化しませんが、柿やヨウナシは徐々に軟化していきます。もし酵素が関与しているとすれば、後者のような場合には可能性が高くなりますが、前者の果実ではほとんど期待できないことが、強く推測できます。

この程度の区別も無しに『果実』として大括りする議論では、説得力に欠けるのはご理解いただけますよね。


以上、長文失礼。


ナチュラルハイジーンとID説  投稿者:うに 投稿日: 2006年11月02日 9時49分

>女房の嘆きを見ていられない。

そりゃ幻聴ですにゃーwww


これだけではなんなので
>で、この手の神秘主義の金科玉条が「自然」「天然」にゃんね。

ベジタリアンの理論的背景にはいくつかあります。
1)栄養面から、動物性脂肪を忌避する派
2)食物の生産コスト/カロリーが肉食の方が高いことから、人類総菜食で飢餓は救えるよ派
3)アニマルライツ派
4)神秘主義派(殺した肉には生き物の念がこもってるよ派)
あたりが代表でしょうか。

ベジタリアンの一派として果実食主義者(フルータリアン)ってのは昔からいます。
その理屈は3+4の過激派って感じで、植物の生命に関わる部分を食べず、
植物等を加熱調理の燃料に使わない生の結果実・フルーツを食べる人々です。
背景には↓があるんじゃないかと思いますが…。
---------------------------
創世記 / 1章 29節
神は言われた。「見よ、全地に生える、種を持つ草と種を持つ実をつける木を、
すべてあなたたちに与えよう。それがあなたたちの食べ物となる。
(引用者注:「あなたたち」とは人間)
---------------------------

ナチュハイだか『新栄養学』だかは、果実食肯定がまず前提にあって、
神秘を共有しない人にも「カガク的」に見えるように
グダグダの理論を後付けしてるんじゃないかというのが私の想像。
栄養学におけるID説ってとこでしょうか。


鋭い指摘  投稿者:JA50 投稿日: 2006年11月02日 9時32分

皆さん、釣られすぎです。
もっと、楽しまないと、、、

ところで、この指摘。
>ではなぜ「果糖はインスリンの制御をうけない」のだ?

なかなか鋭いと思うんですが(別の意味でですよ)、、、

なぜ果糖には反応しないんだろう?
血糖値を上げるホルモンは複数持っておりながら、下げるホルモンはインスリンのみ。これは、我々が進化の過程でいつもひもじい思いをしてきて云々という説明が(後付けの説明の可能性がある)言われていますが、どうして果糖にはそういうホルモンがないんでしょう?


何千年も改良されてきた果物が「天然」  投稿者:Seagul-X 投稿日: 2006年11月02日 8時15分

っていう感覚も、よく考えるとなんだか変ですよねぇ。
しかも果物だけ喰ってるなら必須の栄養素すべてが果物に含まれるように改良してきたかもしれないけれど、実際には穀物や肉を喰ってるヒトが改良してきたわけだし…


「天然もの」と「人工物」  投稿者:shinok30 投稿日: 2006年11月02日 6時49分

>人間が摂取すべき食物は果実だ。これで完璧だ。他の食物と比べて栄養の偏りがなく
前に引用したように,
一般に,果物は糖類は豊富に含みますが,タンパク質や脂質は含有量はわずかです
また,動物由来の食品を全く食べない人は、ビタミンB12の欠乏症にかかりやく,
子供の成長には特に危険だというのもすでに指摘されています
よう氏は『>果実に必須アミノ酸は含まれている、9種類ね。』のソースすら出せずにいます

>2)「自然落下」後、あるいは「完熟」後、放置すれば「食物酵素」の働きで自ら分解され
>果糖とブドウ糖の水溶液になるという主張であると理解して良いのか。また、『客観的根拠』は存在するのか?

>そういうデータはあるでしょう当然。

よう氏は「果物は放置すれば,果糖とブドウ糖の水溶液になる」と主張しています
「果糖とブドウ糖の水溶液」とは,つまりは「清涼飲料水」と同じようなものです

>消化も早い。ジュースにしても変らない。
糖の消化の速さこそが「ペットボトル症候群」の原因の一つです

>清涼飲料水だろうがなんだろうが化学的なものや加熱したものは、
>果実そのままやジュースで摂取することに比べると、
>身体にとってネガティブでマイナス要因が多い。

「身体にとってネガティブ」とはどういうことでしょう?
「マイナス要因」とは何でしょう?

>「自然」に未知の部分があるのと同様に「人工」にも未知があるわけにゃんが、
>「自然」の未知は常に「よいこと」で、「人工」の未知は
>つねに「わるいこと」という態度が現代社会にはまかり通っているにゃんね。

非常に残念なことですが,
「『天然もの』は常に良いもので,人工的な『化学物質』は『ケガレ』である」
という思想が一部(であると思いたい)の日本人にはあるようですね

>「昔はカドミウムや水銀などの重金属が危険であるといわれていた。
>その後,塩素やリンも危険であることがわかってきた。最近では,
>窒素も有害だといわれ始めた。結局,全ての元素は有害なのである。」と有機農法の信奉者がいっていた。
>多くの日本人はこのように「生物は元素でできていない」と思っている。
http://members.at.infoseek.co.jp/gregarina/S1A.html
>●NHKは「農薬などの化学物質」という表現の誤りに本当に気付かないのだろうか。
>最近,NHKは「化学物質」に新たな意味付けを与えた。
>「人間や生物にとって異質で得体の知れないもの」,
>さらにわかりやすくいえば「けがれ」である。
>そして,農薬をその「けがれ」に含めようと考えている。
>「農薬などの化学物質」という誤った表現を使い続ける真意はここにある。
http://members.at.infoseek.co.jp/gregarina/S1B.html


詐欺被害者”M”に同情を寄せる。  投稿者:よう 投稿日: 2006年11月02日 4時12分

大丈夫か?飲んでるな、また。何度「禁酒会」に通えば気が済むのだ。女房の嘆きを見ていられない。

俺に救いを求めているのか?判らないでもない、俺の書き込みには「確信」があるからな。
お前とは修羅場の経験が違うのだよ、お前は若いころから自虐的で、近代哲学にはまってアル中になり、詐欺被害のトラウマを克服できずにいる。同情する。

支離滅裂な文章だが、絡めるところが一つあった。

>よくわかんにゃーことは昔から受け継いできたやり方に従うべきだ、という意見は合理的といっていいのだにゃ。

こういうやり方を合理的とは言わないし、合理主義でもない。闇雲に伝統を頼るのは「伝統主義」と言う。西部邁氏の言う「伝統保守」とはこの点で一線を画す。

もう一つ
>例えば、ナチュラル廃人の果実食といった主張は明らかに「慣習の捏造」になるだろうにゃ。

その理論や仮説を論理的に根拠も示さずに、中傷する事自体が「トンでも」の弊害と認識している。何度でも言う、トンデモかどうかと言う判断は「論理矛盾」の在るや無しや、だ。

ついでに
>ニンゲンは全てを知ることはありえにゃー、ちゅうのは本来は極めて理性的な態度であるはずにゃんが、

絶対性を否定しておきながら、「在り得ない」との判断が極めて理性的?
小学生が「絶対なんて絶対に無い!」って叫ぶのと同じだな。(笑)おぉ、哀れモダニズム!

それにしても「天然・自然」と来ただけでもう怖いんだな。過敏症だ、ヒポコンデリアか。
お前のビョーキ、生活習慣病ではないな。モダニズム過剰適応症、とでも呼ぶか。


温泉カワセミ さん  投稿者:よう 投稿日: 2006年11月02日 3時45分

いやいや、酵素に着目して立論した新栄養学理論は、すでに検証され話題となっているわけですよ。日本にも入ってきて、この私自身も理論どおりに糖尿病を克服してるんです。

ナチュラルハイジーンの理論で2〜3日やってみたらいかがですか、検証と言う意味で。

室内における果実・・の件ですが。私もそれ以上説明が出来ません。しかし、あなたが仰る理由で新栄養学に否定的判断を下す事に関しては指摘したい事が在ります。
体の内部、内臓の温度で極めて「現場」に近い状態を設定して実験されたらいかがかな、と思います。


いろいろとわかんにゃーこと  投稿者:地下に眠るM 投稿日: 2006年11月02日 1時40分

ニンゲンは全てを知り尽くすことはありえにゃー、という前提はとりあえず正しいと思いますにゃ。
分野によっては、もう特に新しい知見は出てこにゃーだろうと予想される分野は確かにあるにしても、一般に知れば知るほどわからにゃーことが増えるちゅうのが知のあり方でしょうにゃ。

ニンゲンは全てを知ることはありえにゃー、ちゅうのは本来は極めて理性的な態度であるはずにゃんが、これが一歩間違うとトンデモにゃーことになるのではにゃーだろうか?
どーせわからない→不可知論→神秘主義 の三段跳びは現代社会にごろごろしているにゃんね。

遺伝子組み換え食品とか環境ホルモンなんかの問題に見られる
「どんな影響があるのかわからない」
などという態度は、不可知論に由来する神秘主義の典型なのではにゃーだろうか?

で、この手の神秘主義の金科玉条が「自然」「天然」にゃんね。
「自然・天然」には、人知の及ばにゃー、少なくとも現代カガクではわからにゃー大いなる秘密・知恵があるのでは? とかいう考え。

こうした意見は結構強力なんだよにゃ。
不在証明というのは極めて困難だから、現代カガクではわからない何かなんて「ない」という証明は不可能といっていいよにゃ。それに、よくわかんにゃーことは昔から受け継いできたやり方に従うべきだ、という意見は合理的といっていいのだにゃ。
しかし、慣習に隠された合理性は決して軽視すべきではにゃーけど、現代社会においては「慣習の捏造」といった事態も常に頭に入れておかなくてはならにゃーだろう。例えば、ナチュラル廃人の果実食といった主張は明らかに「慣習の捏造」になるだろうにゃ。

カガク、なる方法論は、「自然」と「人工」に区別をしにゃーわけだ。
「自然」に未知の部分があるのと同様に「人工」にも未知があるわけにゃんが、「自然」の未知は常に「よいこと」で、「人工」の未知はつねに「わるいこと」という態度が現代社会にはまかり通っているにゃんね。
これを現代の神秘主義と切って捨てるのは簡単にゃんが、新しく出てきたモノを警戒するということの合理性を頭ごなしに否定することもできにゃーわけだ。


何をいっているのか我ながらまとまりがにゃーのだが、あえてまとめると。
・自然とか天然とかを称揚するのは基本的に仮想敵。ほとんどは大馬鹿。
・だけど、切り捨てることはしてはならにゃーのでは。
・とかいうデリケートな話題はさておいて、ようくんはナチュラル廃人


回答の解釈など  投稿者:温泉カワセミ 投稿日: 2006年11月02日 1時09分

ようさん、回答有難うございます。

>酵素がそのように働いているようだ、と考えてそれを帰納法的に「仮定条件」とするんです。結論として「生活習慣病の克服の方法」に行き着いた、と言う事です。その仮説からの論理的予測です。

大変申し訳ありませんが、これは『酵素の働きを仮定』と『生活習慣病の克服の方法』の間の関係も現状は『仮定』でしかなく、これだけでは、果実が「生きて」いる時「食物酵素」は別の働きをしていると「予測」される『客観的根拠』にはなっていませんね。

この論理の流れが客観的根拠として成立するためには、少なくとも、まず第一に『酵素と生活習慣病克服』の関係が確立されていなければならないですね。しかしながら、ようさんご自身のコメントでは『酵素の働きは全容解明されていない。』と仰られている状況(私の主張ではないですが)では、『思考実験』の段階にしか過ぎず、根拠にはなっていないですね。


>そういうデータはあるでしょう当然。

ようさんのコメントには、この文章の後に具体的な記述がございませんので、あると『推測』しているが、ようさんご自身はご存じないと言う解釈で宜しいですね。


>この仮説が妥当なのかどうかを申し上げています。その上で貴方ご自身が「検証」され明らかにされる事でしょう。

私自身の経験では、リンゴやナシ、ミカンなどの果実が、人間の消化に要する時間の数十倍に相当する数日〜一週間、室内に放置しておいても、自ら分解してその全部あるいは一部がショ糖・ブドウ糖の塊、あるいは水溶液に分解された現象を一度として観察しておりませんので、少なくともこれらの果実に関して、ようさんのご主張なされるような、自らを分解するのに足る酵素を含んではいないと判断しております。


>生活習慣病に関しては「アレにはコレが効く」みたいな対症療法的な推論ばかりです。TVでやってるのはこの手のものばかりです。

基本的にTV(特に民放系)で放映されている、所謂『健康情報番組』の言は端から信用しておりません。これらの番組の科学的信憑性は『話半分』でも過大で、最大限に見積もっても『話二十分の一』程度が妥当であろうと考えております。

しかしながら、TVで流布している健康情報が怪しいからと言って、ようさんのご主張なされる『新栄養学』が正しいか否かは全く別の話ですが。


化粧品の宣伝みたいだ。  投稿者:PDX. 投稿日: 2006年11月02日 0時27分

>何度も言うが、天然モノの糖質は取りすぎても問題ない。

 天然ビタミン配合のなんとか、って化粧品の宣伝文句みたいですな。


(無題)  投稿者:後藤寿庵 投稿日: 2006年11月02日 0時17分

>清涼飲料水だろうがなんだろうが化学的なものや加熱したものは、果実そのままやジュースで摂取することに比べると、身体にとってネガティブでマイナス要因が多い。こういう事だ。

人間がデンプンなどから作ったブドウ糖や果糖と、生の果物の中のブドウ糖や果糖に違いがあるのですか?

濃縮還元果汁の濃縮過程では一般に加熱は行われておらず、真空状態で水分を飛ばしたり、凍結させて水を取り除いたり、膜を通して水分を除いたりしているようです。この場合成分がどのように「マイナス要因が多い」状態になると思いますか?


(無題)  投稿者:しん 投稿日: 2006年11月01日23時59分

よう さん
過剰摂取は如何なる物も毒です。
死にます。致死量は存在します。


moor さん  投稿者:よう 投稿日: 2006年11月01日23時15分

ここ2〜3週間、遡って読んでくれ。

>とりあえず引用した文のみから判断すると、ようさんは「私はAのように思った。それを前提とすれば、Bとなると思った。」ということを行なったのですよね?

あのね、論理学で「思った」と言う結論は無い。この様に仮定するとこういう結論が必然的に得られた、となる。これ帰納法。数学的で論理的。ここの数人と以前に論理学、帰納法と演繹法についてやりあった事があるので、そういう表現が増えてしまう。

判ってるやつは殆どいないがね。


shinok30 さん  投稿者:よう 投稿日: 2006年11月01日23時08分

>「生の果物」が「清涼飲料水」よりも優れている点は「酵素の有無」などではありません

判った判った。俺の意見の全体像を掴んでから、文句を言ってくれ。
人間が摂取すべき食物は果実だ。これで完璧だ。他の食物と比べて栄養の偏りがなく、消化も早い。ジュースにしても変らない。

清涼飲料水だろうがなんだろうが化学的なものや加熱したものは、果実そのままやジュースで摂取することに比べると、身体にとってネガティブでマイナス要因が多い。こういう事だ。

何度も言うが、天然モノの糖質は取りすぎても問題ない。


科学的?  投稿者:moor 投稿日: 2006年11月01日21時39分

こんばんは。

>みのもんたや[略]

あ、書かれてしまった(笑)。

>酵素がそのように働いているようだ、と考えてそれを帰納法的に「仮定条件」
>とするんです。結論として「生活習慣病の克服の方法」に行き着いた、
>と言う事です。その仮説からの論理的予測です。

つまり、仮説を立てて、推論して、何らかの結果を得たというわけですね?
とりあえず、そこで行なわれた推論には問題が無いとします。
私の理解している範囲での科学的手法では、まず、その仮説が妥当なものであるかどうかを、様々な角度から検討しますよね。
後に、その仮説が妥当なものであるとしての話ですが、得た結果が正しいかどうかを検証し、その上で仮説も正しいとみなせるかどうかを判断し、結論を出しますよね。

ようさんの行なったことの全てを、引用した文のみから理解することは出来ません。
しかし、とりあえず引用した文のみから判断すると、ようさんは「私はAのように思った。それを前提とすれば、Bとなると思った。」ということを行なったのですよね?
それって、普通は、単に想像(ないし夢想)しただけとは言いませんか?


天然のナマジュース  投稿者:shinok30 投稿日: 2006年11月01日21時34分

>ショ糖に関しては指摘を受けて、「天然のナマジュース」と言っているのが判らんのかな。

よう氏は
「『天然の生の』オレンジジュースの主成分はショ糖とビタミンCだ」
と引用先にあるのが読めないようです
『果汁には繊維は含まれておらず,一度に沢山飲むことができるので,
 大量のカロリーを摂取することになる』
と問題点まで指摘してあるにもかかわらずです

清涼飲料水の主成分である異性化糖は,
デンプンをαーアミラーゼとグルコミラーゼという『酵素』を使ってブドウ糖まで加水分解し,
さらに,ブドウ糖の一部をグルーコースイソメラーゼという『酵素』で異性化して果糖に変えたものです
よう氏の言うように,「体内酵素」を使って消化するのが重労働だと言うのなら,
清涼飲料水は『体内酵素』を使う必要無く吸収できるから,
生の果物と同様に身体に良いのではないのですか?

ところが実際は,大量の糖をすばやく吸収できる清涼飲料水の飲み過ぎは
糖尿病の引き金になるので「ペットボトル症候群」として問題になっているのですよ

よう氏は,引用先を読んでも,
>『生の果物』が『清涼飲料水』よりも身体に良いのは事実ですが,
>その理由はよう氏の考えとはまったく異なります
ということが理解できません

「生の果物」が「清涼飲料水」よりも優れている点は「酵素の有無」などではありません
(『体内酵素を使わずに消化できる』(?)という点では「清涼飲料水」の方が優れています)
本当の理由は,
1.「生の果物」は(「清涼飲料水」を飲むようには)大量に食べることができないので,
  結果的に糖の取りすぎを防ぐことができます
2.「生の果物」には糖分以外に食物繊維などが含まれているため,
  胃の中の滞留時間が長くなることにより,
  糖がゆっくり吸収されて,血糖値の急激な上昇を防ぐことができます

せっかくの「生の果物」を,飲みやすい「天然のナマジュース」にしてしまったら,
大量に摂取しやすくなって,
「清涼飲料水」と大差なくなってしまうと言っているのですよ


ワロタ  投稿者:谷庵 投稿日: 2006年11月01日21時11分

>TVでやってるのはこの手のものばかりです。

みのもんたやマチャアキは栄養学の代表じゃないんだが。


いっそ感心。  投稿者:AH1 投稿日: 2006年11月01日20時29分

>しかし私の理解とここで述べる新栄養学の抽象論的理解に関しては不必要です。この仮説が妥当なのかどうかを申し上げています。その上で貴方ご自身が「検証」され明らかにされる事でしょう。

>引用先の学者、「推論」ばかりだな。こう考えられる、とかさ。あんたの発言は、咀嚼無しの「受け売り100%ジュース」。

ふーん。

>その上で貴方ご自身が「検証」され明らかにされる事でしょう。

ふううううん。


できの悪い  投稿者:DBRCT 投稿日: 2006年11月01日19時46分

禅問答のようだな。
判れ を 悟れ に置き換えた方が良かろう。


shinok30  投稿者:よう 投稿日: 2006年11月01日19時45分

>「果糖は吸収が遅く血糖値を変動させにくい」というのは良く言われますが,
その理由は「分子構造が複雑だから」ではありません
主として「果糖はインスリンの制御をうけないので低血糖になりにくい」ことによるものでしょう

ショ糖に関しては指摘を受けて、「天然のナマジュース」と言っているのが判らんのかな。
人を貶め、あげあし取りはよそでやってくれ。その上、引用だけでだらだらと。咀嚼と言おう事しないのか?消化不良の原因だ。

引用先の学者、「推論」ばかりだな。こう考えられる、とかさ。あんたの発言は、咀嚼無しの「受け売り100%ジュース」。

ではなぜ「果糖はインスリンの制御をうけない」のだ?その上で


温泉カワセミ さん  投稿者:よう 投稿日: 2006年11月01日19時37分

1)果実が「生きて」いる時「食物酵素」は別の働きをしていると「予測」される『客観的根拠』の有無。

酵素がそのように働いているようだ、と考えてそれを帰納法的に「仮定条件」とするんです。結論として「生活習慣病の克服の方法」に行き着いた、と言う事です。その仮説からの論理的予測です。


2)「自然落下」後、あるいは「完熟」後、放置すれば「食物酵素」の働きで自ら分解され果糖とブドウ糖の水溶液になるという主張であると理解して良いのか。また、『客観的根拠』は存在するのか?

そういうデータはあるでしょう当然。しかし私の理解とここで述べる新栄養学の抽象論的理解に関しては不必要です。この仮説が妥当なのかどうかを申し上げています。その上で貴方ご自身が「検証」され明らかにされる事でしょう。

>少なくとも、この程度の客観的根拠はクリアにならないと、現代の科学において主流である学説を否定したり修正する根拠たり得ません。

残念ながら、主流の栄養学には基本的な原理は存在してません。生活習慣病に関しては「アレにはコレが効く」みたいな対症療法的な推論ばかりです。TVでやってるのはこの手のものばかりです。

追伸でのりんごの件、感謝します。


子の押し付けと子さらい  投稿者:カクレクマノミ 投稿日: 2006年11月01日18時39分

>自分の子を置いてけぼりにして,他のオスが引き連れる子の集団の紛れこます戦略もあり得るんじゃないでしょうか?

スズメダイの一種で、親が自分の子を追い出して、他個体の子の群れに紛れ込ませる行動が知られています。この場合は希釈効果というよりも、子育てのコストを減らすのが主目的でしょうね。追い出された仔魚の多くは紛れ込む前に捕食されてしまうらしいですが、親としては、一部でも生き残るなら、2回目の繁殖を行う方が合計の繁殖成功を増やせるのでしょう。(この種類では子を追い出さない限り1繁殖期に1ペアあたり1度しか繁殖できない。)親ははじめは追い出そうとするものの、自分の子と混ざってしまえば区別できないので、結局まとめて世話するようです。
またシクリッドの一種では、ただ追い出すのではなく、仔魚を口に入れて他の親のところまで運んでいくそうです。

別のシクリッドでは、まったく逆の子さらいが知られています。別のペアが世話している稚魚の一部を連れ出して、自分の子と混ぜてしまうということです。この行動は、基本的には希釈効果による利益があるわけですが、それだけではありません。このシクリッドは自分の子より小さな稚魚しか狙わず、実験的に大きな仔魚を与えても食べてしまいます。そして群れが捕食者に襲われたとき、運動能力に劣る小さな稚魚の方が食べられやすいのが実験で確かめられています。どうやらただ数を増やして希釈しているだけでなく、いわば養子を盾のように使っているようです。

雄が卵保護をするトゲウオの仲間では、卵泥棒が知られています。これは、トゲウオの雌は、既に産卵された卵の多い巣を持つ雄を好むからと考えられています(希釈効果もあるでしょうけど)。ついでになぜ雌がそんな好みをもっているのかというと、やはり希釈効果のようです。捕食者に襲われたとき、たくさんの卵がある巣ならば、自分の卵が食べられる確率が下がるからですが、この場合の捕食者は他種だけではありません。なんと保護している雄自身が、自分の卵を食べてしまうことがあるようです。(実は、魚では雄が自分の卵を食べてしまうことはそれほど珍しくなく、たとえばオオスジイシモチなどでも知られています。)

参考文献:桑村哲生・中嶋康裕 共編「魚類の繁殖戦略1」海游舎


生活習慣病は進化を否定しない  投稿者:AH1 投稿日: 2006年11月01日18時16分

>進化して今に至る人類はなぜ「生活習慣病」に陥ったか。文明も「環境」の一部であろう。集合論的に間違いなくな(笑)。

進化に進歩の意味はないって何度言えば御理解いただけるのでしょう。
適応的な進化ってのはその時点・その環境での局所的最適解に近ければそれで良く、
かつ進化速度には限度があり、しかも進化速度は淘汰圧によって変化すると予測されるんですが。

新栄養学の真偽は置くとしても、雑食や生活習慣病が進化を否定する根拠にならない理由を私なりにまとめれば以下のようになる

・ヒトは(というより動物は)極めて長い時間をかけて、飢餓状態を回避し、効率よく栄養を得るために必要な嗜好や習性を進化させた
・俗に「飽食」と言われる現代の先進国の人間の食習慣は、ヒトが進化の過程でよぎなくされてきた食事とは異なる
・よって今現在、ヒトの持つ生理機能や嗜好が現代の食生活にマッチしないのは、「適応してきた環境とは異なる環境下にある」からである


文明化による環境の変化に適応していないのは何故か、今後適応するかどうかについては、

・たかが100年かそこらの、しかも一握りの先進国の人間にだけ当てはまる生活習慣が集団全体に淘汰圧を及ぼすには至っていない
・医療が発達した条件下では、生活習慣病によって淘汰される可能性は低い
・仮に淘汰されるとしても、繁殖を終えた高齢個体が発病するのであれば繁殖成功への影響は小さい
・このように淘汰圧が低く、時間も短い条件下ではヒトの生理機能が適応的に進化していなくても不思議はない

まあ、飽食が可能で且つ医療のない状態で、何万年たっても、若年から発生する生活習慣病のリスクを高める遺伝子が全く減少しないなら、それは進化学的におかしいかもしれませんが。


果糖について  投稿者:shinok30 投稿日: 2006年11月01日 6時45分

4)果糖は(精製等に比べて)吸収がおそい
5)精製糖は血糖値にダイレクトに影響する(が果糖などは吸収が遅いのでダイレクトには影響しない)
「果糖は吸収が遅く血糖値を変動させにくい」というのは良く言われますが,
その理由は「分子構造が複雑だから」ではありません
主として「果糖はインスリンの制御をうけないので低血糖になりにくい」ことによるものでしょう

前述のように,
1.果糖の方がショ糖よりも分子が小さく,
2.糖鎖の長さはさほど吸収速度にさほど影響を与えないので,
よう氏の認識は二重に間違っています

>炭水化物は腸内で単糖類に分解され、血液の中に取り込まれます。
>血液中のブドウ糖(グルコース)濃度(血糖値)が上昇すると、
>それに誘引されてインシュリンが分泌されます。インシュリンに、
>血液中のブドウ糖を筋肉や脂肪組織へと運び、血液中のブドウ糖濃度は下がります。
>大量のブドウ糖 → 大量のインシュリン放出 → 糖質の急速な欠乏
>一方、果糖(フルクトース)にはインシュリンの放出を誘引する作用はありません。
>そのためブドウ糖よりもゆっくりと血液に吸収されます。果糖とブドウ糖を一緒
>にとるとインシュリン反応が緩和されるので血糖値の急激な低下を防ぐことができます。

>炭水化物が腸を経由して血液に運ばれる速さについて考えてみましょう。
>炭水化物それ自体の分解速度は速く、糖鎖の長さといったものはさほど
>速度に影響を与えません。むしろ食物に一緒に含まれている成分(食物繊維、
>脂肪、たんぱく質など)が、炭水化物の吸収速度を大きく左右します。
>これらの成分によって胃の中での食物の滞留時間が変化し、炭水化物が血液に
>取り込まれる速さも変わってくるのです。
http://www.powerbar.jp/fitness/nutrition/page2.htm

しかし,一方,「『果糖』は血液中の『尿酸値』を上昇させて肥満を促進する作用がある」
という研究もあります

>果糖がインスリン反応を阻害し、肥満を促進

>医学誌「Nature Clinical Practice Nephrology」12月号、および
>「American Jounal of Physilology-Renal Physiology」オンライン版に掲載された
>報告で、加工食品に含まれる果糖やハチミツ、コーンシロップには、空腹感を
>実際より強く感じさせる作用があることが明らかされた。
>米フロリダ大学の研究グループは、高果糖の食餌を10週間ラットに与えた。
>その結果、果糖は、体重を増加させ、2型糖尿病の前兆であるメタボリック
>シンドローム(代謝症候群)を引き起こす生化学的連鎖反応の一環として特定された。
>同研究では、果糖が血液中の尿酸レベルを上昇させることも明らかにされている。
>一時的な尿酸値の上昇が、糖分の体細胞への貯蔵や使用をコントロールする
>インスリンの反応を阻害する。そして、尿酸レベルの上昇がある程度の頻度で
>発生すると、時間とともに肥満、血中コレステロール値の上昇、高血圧など、
>メタボリックシンドロームの特徴が表れるのだ。
>同大学医学部の腎臓学教授で腎臓学・高血圧症・移植術主任のRichard Johnson博士は
>「尿酸を阻害したり減少させたりすると、メタボリックシンドロームの
>特性が大きく抑制されたり、後退したりした。体重増加を有意に減少させ、血中の
>トリグリセリドの上昇を有意に低下させることも可能だった。また、
>(ラットの)インスリン抵抗性は減少し、血圧も低下した」と述べている。

>研究グループは、今回の研究が、なぜ甘味食品が米国を始めとする各国で肥満率を
>上昇させているのかの説明となるだろうとしている。
http://health.yahoo.co.jp/news/detail?idx0=w02051210

>果糖の害
>果糖はアルコールと同様に代謝される。
>果糖はインシュリンによる制御を受けることなく、腸から肝臓へ運ばれて代謝される。
>果糖はまず、アセチル・コエンザイムAになり、それからクレブス回路に入る。
>アセチル・コエンザイムAが肝臓のクレブス回路で処理し切れない場合、以下のことが起こる。
>二量体化してマロニル・コエンザイムAとなる。これは膵臓のβ細胞に対して毒性があり、
>2型糖尿病の原因ではないかと疑われている。
>遊離脂肪酸となる。そして、遊離脂肪酸は:
>アステローム性動脈硬化を起こす
>脂肪細胞に取り込まれて肥満の基となる
>肝臓に沈着して非アルコール性脂肪肝炎を起こす。炭酸飲料の飲みすぎで肝硬変を起こし、
>肝臓移植が必要になった15歳の患者がいた。
http://d.hatena.ne.jp/himazublog/20060820


糖についてのよう氏の認識  投稿者:shinok30 投稿日: 2006年11月01日 6時44分

>涼飲料水、100%ジュース(濃縮還元)を一切止めて、
>「天然のナマのジュース」を飲めば劇的に変る。しかも飲み過ぎても何の問題も無い。

『生の果物』が『清涼飲料水』よりも身体に良いのは事実ですが,
その理由はよう氏の考えとはまったく異なります

>果糖などの天然ものは吸収が遅い、精製等に比べて。精製糖は化学的分子構造を簡素化したものだ。
>ショ糖100%にしたものの事だな。だから精製糖は血糖値にダイレクトに影響する。もちろんエネルギーにもなるが。

他の方が何度も指摘しているように,
この短い文章の中の「糖についての認識」にも間違いがあります

1)(果物に含まれる)天然ものの糖は果糖などである
確かに果糖を含む果物はありますが,
果糖よりもショ糖を多く含む果物もたくさんあります

>糖の構成比は果実の種類によって異なるなど極めて複雑です。
> 果糖が主要な果物にはリンゴ、日本ナシ、ビワなどが、
>ブドウ糖が多い果物にはオオトウ、ウメなどが、
>ショ糖が多い果物には温州ミカン、バレンシア・オレンジ、グレープフルーツ、
>ナツミカン、カキ、モモ、スモモ、バナナ、パイナップルなどがあります。
>また、ブドウ糖と果糖がほぼ等量な果実にはブドウ、イチゴなどがあります。
>そして、ソルビトールはオオトウ、リンゴ、日本ナシ、スモモなどの
>バラ科植物に多く含まれています。
http://www.meikavf.co.jp/heart/heart3-b-mametishiki3.htm

2)精製糖とはショ糖100%のことである
3)精製糖は(果糖などの)化学的分子構造を簡素化したものである

2)が正しいとすろと,3)は間違いです
よう氏は他の方が繰り返し指摘しても訂正する気はないみたいですが,
果糖が単糖類なのに対して,ショ糖は果糖とブドウ糖が結合した二糖類なので,
ショ糖よりも果糖の方が分子は小さいのですよ

ちなみに,現在,清涼飲料水に最もよく使われている糖は「ショ糖」ではなく,
「果糖ブドウ糖液糖」という「果糖とブドウ糖」の混合物です
「異性化液糖」の方が「精製糖」よりも価格も安く,
低温条件ではショ糖よりも「果糖ブドウ糖液糖」の方が甘味が強いからでしょう

>ジャガイモ、サツマイモ、トウモロコシなどのデンプンを原料とする
>甘味 料(かんみりょう)です。ブドウ糖・果糖が主成分の「異性化液糖
>(いせいかえきとう)」と呼ばれる液状の糖のうち、果糖が50%以上
>ふくまれているものを「果糖ブドウ糖液糖」 と呼びます。
http://www.suntory.co.jp/enjoy/desktop/ingredient/sugar_katob.html
>甘味度
>砂糖の甘味度(甘みの強さ)を 100 とすると、ブドウ糖の甘味度は 65-80、
>果糖は 120-170 で、甘味度の強さは 果糖 > 砂糖 > ブドウ糖 の順である。
>そのため、果糖分 42% のブドウ糖果糖液糖の甘味度は 70-90、果糖分 55%
> の果糖ブドウ糖液糖は 100-120 である。ただし、果糖は高温では砂糖の 60%
> の甘味度しかなく、40 ℃ 以下でないと砂糖よりも甘くならないので、異性化糖
>の甘さは温度によって大きく左右される。

>砂糖より甘みが口中に残りにくく、低温下で甘味度を増すので、清涼飲料や冷菓などに
>多く使われている。また、異性化糖は価格も安い(果糖分 55% の果糖ブドウ糖液糖は
>砂糖の7割程度)ので、他に缶詰、パン、みりん風調味料などにも使われている。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9E%9C%E7%B3%96%E3%83%96%E3%83%89%E3%82%A6%E7%B3%96%E6%B6%B2%E7%B3%96


shinok30さん  投稿者:よう 投稿日: 2006年11月01日 2時22分

清涼飲料水、100%ジュース(濃縮還元)を一切止めて、「天然のナマのジュース」を飲めば劇的に変る。しかも飲み過ぎても何の問題も無い。


再質問  投稿者:温泉カワセミ 投稿日: 2006年11月01日 2時00分

ようさん、返答有難うございます。

>現栄養学と新栄養学の矛盾のことを言っているのでしょうか?

ようさんが『新栄養学』と表現なされ、このコメント欄でようさんの記述(紹介?)されておられる主張です。


>例えばリンゴは自然落下するまでは「生きて」いる。栽培もののリンゴももがれるまでは生きている。
>もがれても「完熟」するまでは生きている。果実が生きている時「食物酵素」は別の働きをしているのだろう、と予測されている。

この文章に疑問点が2つ。

1)果実が「生きて」いる時「食物酵素」は別の働きをしていると「予測」される『客観的根拠』の有無。

2)「自然落下」後、あるいは「完熟」後、放置すれば「食物酵素」の働きで自ら分解され果糖とブドウ糖の水溶液になるという主張であると理解して良いのか。また、『客観的根拠』は存在するのか?

少なくとも、この程度の客観的根拠はクリアにならないと、現代の科学において主流である学説を否定したり修正する根拠たり得ません。

以上、宜しくご教授下さい。


追伸:単なる例として思いついてあげられただけだと推察しますので、以下は単なる揚げ足取りですが、柿やモモと異なり、リンゴは木からもがれた後に、それ以上熟したりはしないと、園芸に詳しい友人に教えて貰ったことがあります。


ようさんへ  投稿者:ギャラリー@勉強中 投稿日: 2006年11月01日 0時34分

>精度の高さが進化とどう結びつくのだ。精度が低いと進化は起こらないか?

アホか。少しは生物学を勉強しろ。

>論理学は数学だ。そして言葉も数学的なのだ。各民族にそれぞれの言語があるが、みな「文法」に支配されている。数学的証明を文章で書くのはかったるいから「記号」で示したんだ。言語体系は数学より先にある。

アホか。生命の変化を含む自然の現象も「聖書が一般的な説明原理」、「論理的」に→
撤回します?
そしたらまた、お話しましょ。


長文ご容赦>all  投稿者:wadja 投稿日: 2006年10月31日23時43分

>ようさんへ

>で、どっちだ?

はぁ(溜息)。殆ど可能性はゼロに等しいと言ってるのが分かりませんか?万に一つようさんの判断があっていたとしても、誰もようさんが正しい判断をしたなんて思わないでしょうよ。ただのギャンブル。

>科学史をかじれば、その分野において革新的な進歩を遂げる時がある。そのような時はしばしば門外漢によって為される事がある。これをどう説明するのか。

ほんとに論理的な思考が苦手なのですね。それともわざとやってます?いずれにしろ論点をずらさないように。wadjaは、ようさんの栄養学における判断能力に疑問を呈しているだけですよ。既存の栄養学を理解していないのに、なぜそれが間違っていると判断できるのか?とね。

それともまさかようさん自身、栄養学で「革新的な進歩」をもたらすつもりなんですか?ちがうでしょ?もしそれが可能だと証明したいのであれば、科学史において、既存の知見を全く理解しないまま、その分野において革新的な進歩に貢献した実例がどれほどあるのか教えてくださいな。

>お前は根本的に、そして決定的に間違っている。近代科学の目覚しい発展は、数式のように簡潔で論理的な文章、つまり主観の入らない、翻訳しても意味が変らず正確に伝わる前提があったればこそなのだ。

えーと、wadjaの主張に対して反論しているように見えますが、wadjaのどの発言に呼応しているのかよくわかりません。「数式のように簡潔で論理的な文章、つまり主観の入らない、翻訳しても意味が変らず正確に伝わる前提」が科学の発展に寄与するであろうことは、特段否定した覚えが無いのですが?

>進化して今に至る人類はなぜ「生活習慣病」に陥ったか。文明も「環境」の一部であろう。集合論的に間違いなくな(笑)。

笑ってる場合じゃありませんよ、ようさん(笑)正直言ってwadjaは、人間の文明に起因するものに進化論をそのまま適用するのは否定的です。しかしあえてようさんの土俵に上がりましょう。生活習慣病はちっとも進化論に矛盾しません。

なぜって?それは「生活習慣病」のせいで、ヒトの人口が劇的に減少した事実がないからです。進化論的なメタファーで言うと、ヒトは「生活習慣病」という淘汰圧に抗し、その治療法を獲得しているのですよ。既に他の方々からも指摘があったように思いますが、「生活習慣病の無かった昔に比べ、ヒトの平均寿命は延びているし、人口も増えている」ことがまだ理解できないのでしょうか?

ようさんが「進化」の意味が分かっていないから、このような頓珍漢な批判をしてしまうのです。当掲示板の管理人さんが常々口をすっぱくして言っていることに、「進化論を批判したいなら、進化論の最低限の知識を身に付けましょう」というのがあります。少しは勉強してみませんか?


感想  投稿者:moor 投稿日: 2006年10月31日22時19分

ようさんのふりかざす「論理学」について考えていたら、
「プロクルステスのベッド」を連想してしまいました。


指摘 横だが  投稿者:AH1 投稿日: 2006年10月31日21時31分

>果実が生きている時「食物酵素」は別の働きをしているのだろう、と予測されている。

だったら仮説の検証も簡単ですね。
抽象論だのなんだのより、よほど生産的だ。


返信  投稿者:よう 投稿日: 2006年10月31日21時05分

>温泉カワセミ さん
>ワタシは、現状の説明では論理的矛盾があると判断しております。

こういう言い方は止めていただきたい。矛盾があれば「指摘」するだけで宜しい。文章のこことここ、とか。現栄養学と新栄養学の矛盾のことを言っているのでしょうか?

酵素の働きは全容解明されていない。しかし、貴方の質問にはこう答える。
例えばリンゴは自然落下するまでは「生きて」いる。栽培もののリンゴももがれるまでは生きている。もがれても「完熟」するまでは生きている。果実が生きている時「食物酵素」は別の働きをしているのだろう、と予測されている。

>soft_tractor
>「絶対性」を求めてカガクしてる人もいらっしゃるでやしょうがね。

偉業を成し遂げた科学者の多くは、命がけの冒険家であった事を知らないのかね。

平均寿命だが、平均を大きく下げるのは「戦死」と乳幼児の死亡であると推測されて定説化しているものと認識している。食以外でも住環境も大きいだろう。
しかし、戦前と現在の比較によって「食環境」を測るのはいかがなものだろうか。

書き込みの最後に関しては、貴方の誤読である。

>うだうだ さん

単純な話だ。良く考えれば判る事だ。数学の証明であれ科学理論であれ、「他人」に説明する事が前提にある。

>谷庵
>そもそも主観じゃない意見というものがあるのか。

価値相対主義者はそうやってまぜっかえし、人を煙に巻こうとする。近代の弊害そのものだ。更にその症状が悪化して虚無へと転落する。多くの近代哲学者の哀れな末路を見よ。

科学的であるかどうかの価値判断は誰しもが論理的に納得できるという事。これが「客観」と言う事だ。お前もいい加減に判れ。


ようさん  投稿者:Kitkat 投稿日: 2006年10月31日20時49分

>それでは今の地球環境は進化する環境ではないのかね?

進化する環境の意味がよく分かりません。変化する環境という意味なら同意します。

>文明も含めて「環境」ではないか。

同意します。文明もまた環境の一部だと思います。

>刻々と変化する環境に適応してきた末に「今」がある。

これにも同意します。ただし進化を引き起こす環境変化という意味では、文明、有史以来という数千年の単位ではタイムスケールが短すぎます。

>まず始めに「環境の変化」ありきです。生物は受身でその環境のなかで生きていくために、適応を強制されているのだ。

基本的には同意しますが、適応を強制されているというよりも、ふるいにかけられているイメージを持っています。
環境の変化に対しては、生物は完全に受け身ではなく、環境との相互作用という面があるのではないでしょうか。
たとえば、シアノバクテリアが地球を酸素の惑星にしてしまったようにです。

>自然科学であれ、社会科学であれ様々な現象を観察し、その物事に対して説明を与える行為が科学と言うものだ。

おお! これには完全に同意します。
そして、近代科学の発展については、数式どうこうではなく「様々な現象を神様のせいにすることなく、現象を観察し、その物事に対して説明を与えようとする行為」があったればこそではないでしょうか。


ペットボトル症候群  投稿者:shinok30 投稿日: 2006年10月31日20時36分

>ペットボトルに「生ジュース」仕込めば、症候群の者たちは健康になるよ、きわめて。

清涼飲料水のガブ飲みの害は,
「糖の取りすぎ」の問題が大きいので,
それを果汁(100%ジュース)に変えたところで,
あまり解決にはならないでしょう

>果汁(100%ジュース)は大量に飲むべきではない。
>果物をそのまま食べれば繊維が摂れるし、
>一度に大量に食べることができない。
>一方、果汁には繊維は含まれておらず、一度に沢山飲むことができ、
>大量のカロリーを摂取することになる。
>オレンジジュースの成分は主にショ糖とビタミンCであり、
>栄養的に価値はあまりない。
http://d.hatena.ne.jp/himazublog/20060820


混ぜこぜ  投稿者:AH1 投稿日: 2006年10月31日17時37分

>自分の子を置いてけぼりにして,他のオスが引き連れる子の集団の紛れこます戦略もあり得るんじゃないでしょうか?

種内托卵を行う鳥については「卵を分散させることで全滅を回避する」という利益が提唱されていますから、雛を分散させるという方法もあり得ると思います。
本当に置いてけぼりにすると雛が無事に他集団に拾われるかどうかがリスキーなので、
別の集団と混じった時に混ぜてしまう、というのが一番良い手でしょうか。

確かカモの1種ですが、子連れの親が出会うたびに雛が入り混じってしまうのだが、
もともと種内托卵が多いのでそもそも誰の子かわからない、という例があります。
こうなると実子を見分ける労力をかけるだけ無駄という感じです。


エミューの托雛  投稿者:shinok30 投稿日: 2006年10月31日12時57分

>エミューの父さん 投稿者:diamonds8888x 投稿日:10月26日(木)06時08分44秒

>NHK地球大自然で放送してましたが、オーストラリアのエミューは乾燥した大地の地平線
>に雨雲を探していて、見つけるとそちらへ走って いって餌をとるということです。で、
>子供達は父親についていって餌をとる。もし親とはぐれたり親がいなくなったりすると、
>他のオスについていく。オスは自分の子以外でも受け入れて、中には50匹くらい引き
>連れていく例もあるとか。

>養子の子育て 投稿者:カクレクマノミ 投稿日:10月26日(木)22時21分30秒
> >別に何十匹ついてきても負担は増えないでしょ? 子供は勝手についてきて餌は自分でとるんだから。
>雛が勝手に付いてくるというだけでなく、たぶん親側も積極的に受け入れているんだと思います。
>親側の利益としては、希釈効果による対捕食者防衛が一番ありそうですね。捕食者が一度に捕らえられる
>数には限界があるので、養子の数を増やせば、実子が食われる確率が下がります。


>養子の動機 投稿者:diamonds8888x 投稿日:10月28日(土)15時01分55秒
>逆に付いてこようとする雛をわざわざ追い払うコストもありそうです。もし実子と養子を
>区別しているとしたら、実子が遅れそうになったら待ってやるけど、養子だったら置いてきぼりとか。


親が実子を区別できないとしたら,養子の親も「希釈効果による対捕食者防衛」の利益を得ることが出来ますね
自分の子を置いてけぼりにして,他のオスが引き連れる子の集団の紛れこます戦略もあり得るんじゃないでしょうか?


これ疑問なんだよな  投稿者:うだうだ 投稿日: 2006年10月31日 9時28分

> 論理学は数学だ。そして言葉も数学的なのだ。各民族にそれぞれの言語があるが、みな「文法」に支配されている。数学的証明を文章で書くのはかったるいから「記号」で示したんだ。言語体系は数学より先にある。 判れ!

私も数学と言語は似ていると思うのだが、脳の扱う領域が確か多少違うでしょ。重なっている部分とかあるのかな?

ようさん詳しければソースも添えて情報プリーズ。


思えない・思います  投稿者:谷庵 投稿日: 2006年10月31日 6時21分

>まず、「思います」は貴方の主観である。

よう の意見は主観じゃないのか。
そもそも主観じゃない意見というものがあるのか。

人間は誰でも間違える。
だから自分の考えも、もしかしたら間違いかも知れない。
自分では根拠もあり、正しいと思うけれど、万一間違っていたら格好悪いから保険かけとこ。

つまりな、「思えない・思います」は、謙虚な人の保険なんだよ。
(と言うか、間違いを含みうる個人の意見であることの言明)
よう には分からないだろ。
ようは、どんなデタラメでも断言するからな。


だんだんと  投稿者:soft_tractor 投稿日: 2006年10月31日 2時53分

>ようさんへ
だんだんと、レスに脈絡がなくなってきてやすぜ。

ま、そいつはともかく。

>なぜ人間はそのように考えるかと言えば、「絶対性への希求」があるとしか言いようが無い。
自然現象であれ、社会現象であれ、そこになんか決まりごとが見いだせれば「便利」だからでしょ。
ようさんがお好きな「酵素」なんてのも、自然科学があったればこそでやしょ?
ま、「絶対性」を求めてカガクしてる人もいらっしゃるでやしょうがね。

>進化して今に至る人類はなぜ「生活習慣病」に陥ったか。文明も「環境」の一部であろう。
もいちど挙げておきやすかね。
http://wwwhakusyo.mhlw.go.jp/wpdocs/hpaz197001/b0003.html
↑こいつを見りゃ戦前までは、日本人の平均寿命は50歳を割ってたことがわかりやす。
「生活習慣病」なんてモンが問題になる前にくたばっちまってたんだでやすね。
ヒトは今から何千年も前の、石斧だの石槍だのを振り回してたころの環境に適応したんでね。
今みてえな富栄養状態に(どういう形であれ)適応していくのは、これから先のことだとは思いつかねえみてえでやすね。

ああ、それとね、
>現実に即すかどうかの判断は誰がやる?
実験なり観察なりすりゃわかることでやしょ。
そのためにきちんとした科学論文じゃ、実験や観測の手順を明文化するんでね。

まあ、現実世界は、自分の気にいる事ばかりじゃござんせんよ。


論理的矛盾  投稿者:温泉カワセミ 投稿日: 2006年10月31日 2時43分

#だいぶ待ったけど、ワタシの雑食動物の食性に関する回答には何の反応もなくて、理解したのか出来ないのか、同意できるのか論理的に納得できないのかが全く判らんので、次の話題にちょっと絡んでみますか。


ようさんの、

>1)本来人間が経口摂取すべきは食物酵素が多く含まれる果実と葉っぱである。
>2)経口摂取した果実や葉っぱは、人間の持つ消化酵素を使わずに消化出来るので、
>  その分体内酵素が目減りせず、身体によい。

などのご主張に関し、ワタシは、現状の説明では論理的矛盾があると判断しております。そこでワタシにも納得できるように、論理的に矛盾のない、出来れば客観的裏付けのある説明をお願いできますか。


ワタシの疑問は幾つかあるのですが一度に訊くと大変ですので、まずこれからお答えいただけますか。

もし『果実と葉っぱ』の中に『人間の持つ消化酵素を使わず』に済むだけの種類と量の『食物酵素が多く含まれ』ていると『仮定』すれば、なぜ人間(動物)が果実を摂取してからのみ、その酵素が働いて、木などになっているときや、収穫されてから食卓に上るまでの期間に、自ら分解されてしまわないのでしょうか?

以上、宜しくお願いします。


ご意見、ご要望がございましたら、掲示板か、 e-mail:natrom@yahoo.co.jpへどうぞ。


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