進化論と創造論についての掲示板ログ340

2006年03月02日〜2006年03月11日
このファイルは、掲示板巡回ソフトのログファイルを元に再構成したものであり、投稿時の状態(フォントサイズ、文字の色、リンク等)をすべて反映しているわけではありません。いくつかの書名にアマゾンのアソシエイトのリンクを張らせてもらいました。
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私は国立市民ですが  投稿者:PEPE 投稿日: 2006年03月11日11時02分

皆様お久しぶりです、
恥ずかしながら下記投稿の条例を知りませんでした。もう三角屋根の駅舎の保護で
頭がいっぱいでした。

>敵の攻撃に抵抗して殺されるくらいなら白旗揚げますよ、
>って人がいてもいいんじゃないんですか。

まったく同意です、戦いで国立の美しい街並や、愛しい人達(今月結婚します!
源泉荘でお会いした皆様あの時はありがとうございました)を傷つけるよりも
それ以外の方法で解決を望みます。
戦わない勇気、この町を選んで良かったなぁと思います。
三角屋根の駅舎を残してくれればもう言うことありません。


良いんじゃない?  投稿者:おずおず 投稿日: 2006年03月11日 0時13分

> 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。


考え方は人それぞれだけど  投稿者:クハ72 投稿日: 2006年03月10日21時25分

敵の攻撃に抵抗して殺されるくらいなら白旗揚げますよ、
って人がいてもいいんじゃないんですか。

>無防備地域宣の運動への加担をやめますか、それとも犯罪者になりますか。
えらく偏向した二択だな。


国立市民は犯罪者になりたいですか。  投稿者:無防備地域宣言の嘘を暴く国立市 投稿日: 2006年03月10日20時15分

国立市民は犯罪者になりたいですか。

無防備地域宣言の嘘を暴く国立市民の会

国立市民の皆さん、「国立市平和都市条例」の運動に協力することは、犯罪です。
「無防備地域宣言」は、地域を敵に明け渡すことです。無防備地域を攻撃すれば確かに違法ですが、占領することはまったくの合法です。占領したあとで敵が軍事使用することも違法ではありません。ただ単に無防備地域宣言の要件を満たさなくなるだけで、宣言は無効になり、その時点で味方から攻撃されます。
宣言をすることは、敵をその地域に呼び込み、協力(通謀)することになるだけなのです。これは「外患に関する罪」といって、刑法にもある、重大犯罪です。

(外患誘致)
第81条 外国と通謀して日本国に対し武力を行使させた者は、死刑に処する。
(外患援助)
第82条 日本国に対して外国から武力の行使があったときに、これに加担して、その軍務に服し、その他これに軍事上の利益を与えた者は、死刑又は無期若しくは2年以上の懲役に処する。
(未遂罪)第87条 第81条及び第82条の罪の未遂は、罰する。
(予備及び陰謀)
第88条 第81条又は第82条の罪の予備又は陰謀をした者は、1年以上10年以下の懲役に処する。

無防備地域宣の運動への加担をやめますか、それとも犯罪者になりますか。


節約的な考え方  投稿者:ミケ 投稿日: 2006年03月10日 5時23分

To おずおず さん
>既存の体系では説明が不完全」→「特殊な何かが関与している!」がどうして非節約的なのでしょう?

科学において、完全な説明などというものは存在しないのでは。
矛盾があるかないかとは、説明が完全かどうかとは異なります。

まぁ、そんな言葉の使い方は置いといて、節約的とはどんな考え方か?
それは余計な仮定を排除する仮説がより良いとする考え方。
まず、既知の体系で矛盾が生じていないのに“未知の何か”を設定するのは節約的ではありませんね。
で、問題は矛盾が生じたときですが、即「未知の何かが関わっている」と短絡してしまうのは節約的ではありません。
まずは実験の不備・証拠の集め方の不備・データ不足などを疑うのが
「未知の何か」という最も非節約的な仮定を導入するよりも節約的なのです。

以下、トップのリンク集にもあるヒリヒリより引用します。
http://www5b.biglobe.ne.jp/~hilihili/keitou/kiben02.html
******以下引用******
わらし:それは程度にもよるわね。例えばこのコンテンツの作者自身が学生時代に経験したけど、実習実験の結果が既存のスタンダードな結果と一致しなかったのよ。これをもって既存のスタンダードな実験結果を否定する大発見だっ!!って大声でいっていいと思う?

ミラ:いや、ダメだろう。それは単純に実験がへたくそだっただけで・・・・。

わらし:そうよね。それと同じでほんの少し不一致が出ただけで全体の組み合わせを変えるのは逆に問題なのよ。というか現実的でないわけね。
******以下引用******

ニュートン力学と相対性理論の歴史的経緯については知りませんが、それはそれ、これはこれ。
少なくとも『ヒトの進化だけには未知の何かが関わった』とするのは、今のところ節約的考え方ではありません。


運命のカミサマ  投稿者:ミケ 投稿日: 2006年03月10日 4時56分

To リリス さん

>ラプラス神は人類が発生するよう、人智を超えた細心さをもって初期状態を決定されたのです。

量子力学の観点から、ラプラスの悪魔は初期状態を知っていても未来を知ることは(確率的にしか)できないと思います。
故にラプラスの悪魔が人類が生まれるべく初期状態を決定したとすれば、
むしろ『人類が発生する確率は高い』と言えなければなりません。

『人類発生の確率が非常に低かった』が想像論者の主張ならば、
人類発生のカギを握っていたのは初期状態にしか関与できないラプラスの悪魔ではなく、
“気まぐれに分子を蹴っ飛ばす”ような神(精霊)にこそ想像論者は注目すべきでしょう。
性質的にはマクスウェルの悪魔に近いかな?ちょっと違うか。
なんというか、偶然(幸運と不幸と)を支配するというか。


いい話だ...(TヘT)  投稿者:おずおず 投稿日: 2006年03月09日21時26分

http://news.bbc.co.uk/2/hi/science/nature/4766490.stm

利他主義は人本来の性質...らしい。
しかもチンプにもそんな性質があるらしい。
そして、人の利他主義は人とチンプが分かれる前、サルヒトの頃から進化してきたらしい。

サルとヒトのあいだがまた少し縮まった。


四畳半フォーク さんへ  投稿者:おずおず 投稿日: 2006年03月09日20時12分

びっかむさんの質問、って、存在しませんよ。

質問自体も、剽窃、です。


質問の意味もようわからんが  投稿者:NATROM 投稿日: 2006年03月08日22時13分

びっかむさんの質問って、以下の部分ですよね?

>ここで知力が弱い人間は免疫機能も弱いと言うことになれば、淘汰の結果知力の高い人間が増えるはずなのだが、しかし「利己的遺伝子」リチャードドーキンスでは、そうはならないとしている。それはなぜだと皆さん思いますか?

まじめに答えるとしたら、

・別に知力が弱い人間が免疫機能も弱いという事実はない。
・よしんば仮の話として、「力が弱い人間は免疫機能も弱い」ことが事実だとしても、「淘汰の結果知力の高い人間が増えるはずなのだがそうはならない」などとはドーキンスは言っていない。

ですかねえ。


皆様へ  投稿者:四畳半フォーク 投稿日: 2006年03月08日21時08分

私は未熟者で偉そうな事は言えないですが、やはり盗作はよくないですね。
まぁ、言うまでもない事なんですが。

盗作した事は善くない事ではありますが、びっかむさんの質問については皆さんはどのような見解をお持ちでございますでしょうか。
びっかむさまの提示される事は、私の関心の対象ともなるころでもあるので。

生意気にすいません。


そういえば剽窃?  投稿者:おずおず 投稿日: 2006年03月08日19時56分

びっかむさんの、

おずおずさんへ 投稿者:びっかむ 投稿日: 3月 3日(金)09時34分36秒
>例えば、「悪霊退散!」とか...(^_^;)
に回答します。
キリスト教では教会の中心儀式は、聖体拝受です。
つまりイエスの肉を食べ、血を飲む儀式です。それは実際はパンを食べ、赤ワインを飲んでいるのですが、正式の教義では、パンはキリストの体である教会の中では、神父の呪いで本物のイエスの肉になり、赤ワインは本物のイエスの血になるということなのです。
これを象徴的に解するのは間違っていて、奇跡と受け止めるべきだというのです。
ということは教会の正式の教義では、キリスト教徒はカニバリズムを行っていることになります。
-------------------
も、ひょうーせつ、かもしれなかったのです。
http://www.shahyo.com/1410moku.html
からの。

それを知ったときにちゃんと聞いておけば良かった。
もしかしたらこのページはびっかむさんの作、かな?と思ったから追求しなかったんだけど...。


遅いコメントですが  投稿者:匿名希・望 投稿日: 2006年03月08日17時47分

2/27分の毎日新聞社説についてのブログにコメント入れたので突っ込んで議論をしたい向きはどうぞ。
#あとこれは地下猫さん宛ですがmacskaさんへのメッセージの送り方としてはメールの方が良かったと思われ


剽窃は違法行為だよ>びっかむ  投稿者:地下に眠るM 投稿日: 2006年03月08日10時15分

大辞泉より
*******************************
ひょう‐せつ【剽窃】
[名](スル)他人の作品や論文を盗んで、自分のものとして発表すること。「他人の論文を―する」 .. [さらに]
***************************

びっかむクンの投稿の元ネタ
http://www5d.biglobe.ne.jp/~gol13/aub236.htm

ほぼリンク先の投稿のコピペにゃんな。

馬鹿に教えてあげるけど、ネット上の記述といっても無論のこと著作物として著作権は保護されているにゃ。チミのしたことは著作物の無断引用どころか、自分の名前で他者の著作物を発表している行為なので、これは一般的に「剽窃」というのだにゃ。
投稿者としては最低の行為であることはもちろん、違法行為でもあるにゃ。

「第1次自己中心性」で検索したら最上位にヒットしたにゃ、リンク先。
頭のワリイ屑投稿者だとは思っていたけどさ、ここまでばれやすい形で自らの最低行為を披露してどうすんの?


第3次自己中心性  投稿者:びっかむ 投稿日: 2006年03月08日 0時45分

第1次自己中心性、第2次自己中心性という言葉がある。人間は生まれた状態では自己と他者の区別が付かない。言うならば渾然一体というか混沌たる世界に漂っている訳である。それが自分の思い通りにならないことがあって、他者の存在を認めざるを得なくなる。その他者との関係で、自分さえよければいいのだという姿勢が、第1次自己中心性である。 第2次自己中心性とは、他人の存在を認めかつ他人を尊重するのだが、その限界は「他人は自分と同じだ」と言うところである。「自分の好きなことは他人も好き、自分の嫌いなことは他人も嫌い」と信じ込んで行動するのである。押しつけがましいアメリカのグローバリズムと同じである。
ところで、その先には、「他人は自分とは違う」「自分とは違う他人を尊重しなければいけない」という世界があることになる。この話は、遺伝子行動理論でも出てくるのだが、はっきりと「(第3次自己中心性は)多数派にはならない」とされている
それでは、その第3次自己中心性とはどんな世界なのだろうか。まず免疫機能と同じではないか。体も心も元は同じなのだから、同様な機能があると考えてみよう。免疫は、「自己とは何ぞや」を決めてからそれ以外を他者と認識するのではない。まず先に他者(つまり免疫が攻撃すべき敵)とは何かを決める。そして敵のリストに載らないものが、攻撃しないもの(自己)として認識されるのだ。免疫機能は、攻撃するしないという、敵か味方かの二分論なのである。そして敵のリストを増やしていけば多くの病気に対抗できることになる。つまり、他者としてリストに載っていないものは、自分と同じとするのだが、自己中心性にかこつければ、自分と行動・同じ価値観の存在として受け止めてしまうと考えられるのだ。
 第3次自己中心性について、免疫の敵のリストを多く持つと言うことは、「他人はこういう価値観を持つ」、「こういう行動をする」という認識を種類多く持つことである。そうすれば数多くの他人とうまくやっていける。別の章では、「実体験と知識+空想力」としているが、免疫の持つ敵のリストというのは、実体験だけではなく、空想力も意味している。なぜならば、実際に罹ったことのある病原体を実体験として、その実体験の情報からまだ出会っていない病原体のパターンを空想して想定できるからである。例えば、パターンAとパターンBを知っているとして、パターンABを想像するという具合である。人間の知力も実は免疫の機能と同じなのである。既に実体験のあるパターンから、まだ実体験のないパターンに対応できるかどうかである。ここで知力が弱い人間は免疫機能も弱いと言うことになれば、淘汰の結果知力の高い人間が増えるはずなのだが、しかし「利己的遺伝子」リチャードドーキンスでは、そうはならないとしている。それはなぜだと皆さん思いますか?


「ネッシーはサーカス団の象」英の学者が新説  投稿者:NATROM 投稿日: 2006年03月08日 0時13分

「ネッシーは泳ぐ象だったんだよ!!!!」
「な、なんだって〜!!!」


以下引用

> 英スコットランドのネス湖に生息するとされる「怪獣」ネッシーの正体は、湖を遊泳する象だった――。グラスゴー大学内の博物館に勤務する古生物学者がこのような新説を披露し、話題を呼んでいる。
> BBC放送によると、この学者は2年間にわたってネッシーの研究を行ったニール・クラーク博士。1930年代初めごろ、旅回りのサーカス団がしばしばネス湖に立ち寄って動物たちを休憩させていたことから、「(目撃者が)ネス湖を泳ぐサーカス団の象を怪獣と見間違えた」と結論付けた。同博士によると、象が鼻を伸ばして水中を泳ぐ姿がネッシーを撮影したとされる「証拠写真」の画像に似通っているという。
http://www.yomiuri.co.jp/world/news/20060307i2z4.htm?from=main2


誤認  投稿者:wadja 投稿日: 2006年03月07日23時56分

>>我々の祖先はゾウに似ていたようだ。我々はあの無様なゾウから進化し、海を泳ぐというすばらしい能力を会得したのだ。…じゃあなぜ、今もゾウの奴らは陸なんかにいるんだ?なぜ連中は泳ぐ能力を手に入れなかったんだ?泳げたら、こんなに便利なのに?

>たぶん近くに十分な水草を擁した水源がなかったのでしょう。

事実認識が誤っています。象は泳げますw
http://www2.dokkyo.ac.jp/~gsemi001/coke.html


リンク集への追加のお知らせ  投稿者:NATROM 投稿日: 2006年03月07日22時37分

富樫さんへ。リンク集に追加しました。

http://members.jcom.home.ne.jp/natrom/links.html


一人と言わず幾人でも  投稿者:リリス 投稿日: 2006年03月07日21時13分

>神の慈悲だろうと未知の自然法則だろうと、「既存の体系では説明が不完全」→「特殊な何かが関与している!」というのはやはり非節約的です。

別に「未知」とは言っていませんが。
進化の道筋は時にほんの些細なことで変化します。ラプラス神は人類が発生するよう、人智を超えた細心さをもって初期状態を決定されたのです。


>ヒトの進化が普通の学説で説明しがたいというなら、具体的で反証可能な代替仮説を提案してください。

普通の進化学説は既に「偶然」「確率」という、定量化は可能かもしれないが「説明しがたい」概念に依存しています。想像論もそれに従い、ただし人類発生の確率が非常に低い(しかし現に発生しているのだから不可能ではない)ものであったと主張するのみです。


>我々の祖先はゾウに似ていたようだ。我々はあの無様なゾウから進化し、海を泳ぐというすばらしい能力を会得したのだ。…じゃあなぜ、今もゾウの奴らは陸なんかにいるんだ?なぜ連中は泳ぐ能力を手に入れなかったんだ?泳げたら、こんなに便利なのに?

たぶん近くに十分な水草を擁した水源がなかったのでしょう。


あ、2、3人お願いします  投稿者:カクレクマノミ 投稿日: 2006年03月07日21時03分

これからSOZO論とかそーぞー論とか色々作ろうと思案中なので(笑)

>「ニュートン力学では天王星の軌道の説明が不完全」、「ニュートン力学では光速度一定の説明が不完全」であるにもかかわらず、既知の天体やエーテルに固執した人たちの推論は「節約的」だったのでしょうか?

「矛盾」と「不完全」は違います。ヒトが高い知能と大きな脳を持つことについてはすでに既存の体系にそった説明が提案されています。ただ、その説明についての検証が十分かというとそうではない(注)、という意味で「不完全」なだけです。
その段階で、未知の何かを仮定するのは非節約的です。

(注)とはいえ、かなりの程度検証されてるとは思うけど。

>一度交際した相手はいつも彼女の教えたとおりの巣を作るのです。もしも不幸があったとき、空っぽの巣の模様で連れ合いに不幸があったと知り、涙に暮れるのです。

いえ、クモの装飾パターンは種ごとに決まっています。

ここで、さうざう論の主張を詳しく説明しておきましょう。
ある種のクモは巣に装飾をします。これは巣を目立たせると考えられるため、普通に考えるとコストがあるでしょう。装飾の利益についてはいくつかの仮説が提案されていますが、どれが正解なのか、あるいはそれらの本当に利益がコストを上回るのかどうかはわかっていません。熱心なネオ・ダーウィン主義の信奉者であるオルコックですら、装飾の適応的機能はわからないと認めています。
したがって、クモの網の装飾について、既存の体系による説明は不完全であるということになります。このことは、装飾をするクモは特殊な進化を遂げた生物であるということを示しています。ここまでが、さうざう論が科学の範囲で主張することです。
ここからは信仰として、したがってそれらのクモこそが神に(あとは想像論と同じなのでry)

>簡単なことです。マナティの先祖にだってカナヅチはいたのです。

では悩める想像論者にも、こう答えてさしあげましょう。
ヒトの先祖にだってバカはいたのです。(いや、それどころか今も…)

で、ネタはともかく。
真面目に答えると、ゾウとマナティは違う環境に適応しており、分岐してからは違う進化を遂げてきたのだから当たり前、というのが正解。
それで、この答えはヒトとチンプにも当てはまるのでは?そうじゃないというならその根拠教えてください…と僕は言いたいわけですよ。


アステカ神話の神、一人(?)お分けしましょうか  投稿者:おずおず 投稿日: 2006年03月07日20時03分

>> 想像論が科学の範囲で主張するのは、「人間は特殊な進化を遂げた生物である」というところまでです。
> 神の慈悲だろうと未知の自然法則だろうと、「既存の体系では説明が不完全」→「特殊な何かが関与している!」というのはやはり非節約的です。

「既存の体系では説明が不完全」→「特殊な何かが関与している!」がどうして非節約的なのでしょう?
「ニュートン力学では天王星の軌道の説明が不完全」、「ニュートン力学では光速度一定の説明が不完全」であるにもかかわらず、既知の天体やエーテルに固執した人たちの推論は「節約的」だったのでしょうか?

> ヒトの進化が普通の学説で説明しがたいというなら、具体的で反証可能な代替仮説を提案してください。もしその代替仮説が、自然淘汰説よりもよく事実を説明するのなら、想像論の主張を受け入れましょう。

リリスさんの主張は、「既存の体系では説明が不完全である、から、特殊な進化を遂げた」のだろう、ということ「まで」なのです。
ニュートン力学の破綻という現実に行き当たったとき、「具体的で反証可能な代替仮説を提案」出来るまでの間、「何かがおかしい」と主張することは許されないのでしょうか?アインシュタインは相対性理論を完成させるまではエーテル仮説を弁護しなければいけなかったのでしょうか?彼は「相対性...がキーワードじゃないか?」とつぶやいてはいけなかったのでしょうか?

> そしてやっぱり、一部のクモの進化は特殊であり、神は自然法則を通じて網の装飾にその御力を発揮しておられ(ry

いいえ。網の装飾は単に実用本位の結果なのです。
クモの夫は妻と一緒にいると食べられてしまいますが、実は夫婦愛は結構強いのです。
一度交際した相手はいつも彼女の教えたとおりの巣を作るのです。もしも不幸があったとき、空っぽの巣の模様で連れ合いに不幸があったと知り、涙に暮れるのです。

【アランセーター】http://www1.mensclub.jp/mensclub/dictionary/db/index.php?cat=11
一般には単にフィッシャーマンセーター(同項参照)とも呼ばれ、わが国でも1970年代初頭に大流行した。アランセーターには、それぞれの家に代々伝わる模様があり、漁師たちが遭難したときにはセーターの模様で身元を確認したといわれている。縄編みの柄が浮き出すように入った白いセーターであり、アイルランド西岸のアラン諸島で女たちによって編まれたもの。漁師が自ら編んだとの説もある。

> 特殊な適応かどうかは関係ありません。純粋に、悩めるマナティの疑問に答えを出してください。
> 我々の祖先はゾウに似ていたようだ。我々はあの無様なゾウから進化し、海を泳ぐというすばらしい能力を会得したのだ。…じゃあなぜ、今もゾウの奴らは陸なんかにいるんだ?なぜ連中は泳ぐ能力を手に入れなかったんだ?泳げたら、こんなに便利なのに?

簡単なことです。マナティの先祖にだってカナヅチはいたのです。


アンビリバボー!  投稿者:Kitkat 投稿日: 2006年03月07日19時49分

巨人がいた証拠の数々

http://www.fujitv.co.jp/unb/contents/p240_1.html


久しぶりです  投稿者:四畳半フォーク 投稿日: 2006年03月07日18時28分

この前雑誌で読んだんですが、太古に巨人がいたという説ご存知ですか?
聖書の中にも巨人らしき記述あるらしいですし。
時たま巨人のような人骨が発見される事があるらしく、1998年にボリビアで発見された人骨は推定で2.5メートルあったらしいです。
本当に巨人っていたんでしょうか。
これらは仮説ですがね。


(無題)  投稿者:富樫 投稿日: 2006年03月07日16時37分

http://homepage2.nifty.com/sinseigingateikoku/にて創造論を展開しています。リンクに載せてほしくてメールしたのですが、返事がありません。管理人さんに−ホームページ内にアドレスがあるのでそちらに連絡をください。


さうざう論の神選考中  投稿者:カクレクマノミ 投稿日: 2006年03月07日11時21分

>想像論が科学の範囲で主張するのは、「人間は特殊な進化を遂げた生物である」というところまでです。

神の慈悲だろうと未知の自然法則だろうと、「既存の体系では説明が不完全」→「特殊な何かが関与している!」というのはやはり非節約的です。
ヒトの進化が普通の学説で説明しがたいというなら、具体的で反証可能な代替仮説を提案してください。もしその代替仮説が、自然淘汰説よりもよく事実を説明するのなら、想像論の主張を受け入れましょう。

そしてやっぱり、一部のクモの進化は特殊であり、神は自然法則を通じて網の装飾にその御力を発揮しておられ(ry

>マナティの泳ぎは、ヒトの知能と比肩しうるほどに特殊な適応であるとは思えません。アザラシやアシカの方がうまく泳ぎますし、鯨類の方が特殊な適応であるように思われます。

特殊な適応かどうかは関係ありません。純粋に、悩めるマナティの疑問に答えを出してください。
我々の祖先はゾウに似ていたようだ。我々はあの無様なゾウから進化し、海を泳ぐというすばらしい能力を会得したのだ。…じゃあなぜ、今もゾウの奴らは陸なんかにいるんだ?なぜ連中は泳ぐ能力を手に入れなかったんだ?泳げたら、こんなに便利なのに?


どじった  投稿者:wadja 投稿日: 2006年03月06日23時42分

重複した引用部分は無視しておじゃれorz


ダマシオの騙し  投稿者:wadja 投稿日: 2006年03月06日23時41分

>計算問題を「推測」させるのと「精確に計算」させるのとでは、使われている脳の領域が違うそうなんです。

>計算問題を「推測」させるのと「精確に計算」させるのとでは、使われている脳の領域が違うそうなんです。

あ、そうなんですか。知らんかったw

最近読んでる(進行形)サイエンスライターの書いた「読み物」に、ダマシオの行ったギャンブルの実験が載ってました。これによると、人間の脳は潜在意識下でも計算を行い、その結果に沿って行動を調節してるらしいですぜ。

実験の内容はこんな感じ。要約です。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
被験者の前に、トランプの青の山二つと赤の山二つを置く。被験者にはこのトランプを使ってギャンブルをやってもらう。ギャンブルのルールはともかく、これらのカードの山には仕掛けがしてあって、赤の山のカードはリスクが高く、勝った時の報酬は大きいが、負けた時のペナルティーも大きい。青い山のカードは、報酬が安定していて、ペナルティーも小さい。ゲームを続けた時、トータルで勝てるのは青い山のカードだけを選んだ場合。

平均的な被験者は、このゲームを50回ほど続けると、理由は説明できないが青い山が有利みたいだと勘付き始める。80回も続けると、殆どの被験者は正確になぜ赤い山を選んではいけないか説明できるようになる。

この実験を行うとき、ストレスに反応しやすい掌の発汗を計測できる機械を、被験者には装着してある。不思議なのは、10回もゲームを行うと被験者は、既に赤い山のカードを選ぶ時ストレス反応を見せ始めること。さらに重要なのは、この時点から徐々に青い山からより多くのカードを、赤い山からはより少ないカードを引くように被験者の行動が変化し始めること。つまり被験者自身が行動の変化に気付くより前に、被験者の行動は変化を始めるという点。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

計算を「感じてる」とでも言うんですかね。この実験では脳の活動部位の計測とかは無いんですけど、多分顕在意識化で計算を「推測」「正確に計算」する時とは違う部分なんでしょうね。


Re:恐竜から鳥へ進化  投稿者:JA50 投稿日: 2006年03月06日21時41分

ティラノサウルスは白亜期末の動物だぞ。
ティラノサウルスが出現する遙か前にすでに鳥は出現していたんだから、ティラノサウルスは鳥の祖先ではない。

鳥類の定義
http://homepage1.nifty.com/archaeo/dinobird/shisochou.html
>「始祖鳥が鳥でなくなる」といった趣旨の新聞報道がありますが、これは誤りです。
>分岐分類上、鳥と鳥以外の恐竜(マニラプトラ類など)の境界は「始祖鳥」それ自体なので、始祖鳥が鳥でなくなるということはないのです。(正確に言えば「始祖鳥と現生鳥類の共通祖先以降の生き物」が「鳥」と定義されています。)

始祖鳥は白亜紀の前のジュラ紀の動物です。


なぜ?  投稿者:PDX. 投稿日: 2006年03月06日21時35分

To 想造さん

 なぜ私だけにお聞きに?

 それはともかく、現在の生物の共通祖先が一つであるという考えを否定するに十分な理由は存在しない、という程度には考えられているんじゃないでしょうか。
 せめて動物と植物の遺伝子暗号に全く共通性がないとかその程度の違いでもあればよかったんでしょうけど、この両者のレベルはおろか、多細胞生物と単細胞生物、さらに真核生物と原核生物ですら遺伝子暗号は共通ですし。
(強いて言えば古細菌のグループの遺伝子暗号は「方言」というべき部分的な違いがありますが)

 ウイルスについては、あれを生物と呼ぶかどうかは人によって定義が異なりますので除外すべきかもしれません。


PDX.さんへ  投稿者:想造 投稿日: 2006年03月06日21時15分

いつもレスありがとう、貴方様にだけお聞きします。

現在の地球上に存在する全ての種類の動植物は時代を遡るとたった一個の最初の生き物にたどり着くと考えているんですか?進化論とは。


Re:恐竜から鳥へ進化  投稿者:PDX. 投稿日: 2006年03月06日20時51分

To 想造さん

 恐竜といってもいろいろありますからねぇ。
 タイラノサウルスとは限らないでしょうね。
 というか、小型の種が鳥類の祖先と想像されていますから、タイラノサウルスは候補から外れるんじゃないでしょうかね?


恐竜から鳥へ進化  投稿者:想造 投稿日: 2006年03月06日20時45分

そうすると家の庭にいつも飛んで来るスズメ達の先祖はタイラノサウルスだったんですか?


おずおずさんwadjaさんへ  投稿者:リリス 投稿日: 2006年03月06日17時21分

>例えばボクは「男に首筋をなめられた。」なんて話を聞くと背筋に寒気を感じますが、同性愛者ならうっとりするでしょう。

しかし両者の反応が共に「虚ろな目をして身体を振るわせる」なら、第三者には区別がつかないんですよ・・・
実際、多くの場合は発信者の意図と受信者の解釈は不自由しない程度に一致しますけどね。その一致がどのようにしてもたらされるか、というのは様々な分野でお題になると思います。
私は「神はいない/神はいるか」の出身ですから。「神」なんて言い出した日には、発信者の意図も受信者の解釈もズレまくりです。

>>「言語」の定義に、発話者がその音声の意味を認識していることは必要でしょうか。ある音声にあるモノを結びつける最初の契機は、もしかすると「騙し」だったのかもしれません。
>これは疑問。「狼がくるぞー!」という言葉がその起源の段階で「狼がこない」を意味していたら、彼は「狼がこないぞー!」と叫ばざるを得ず、正直ものになってしまう...。

あ、「言葉の起源」ではなくて、「発話者がその音声の意味を認識する契機」です。ベルベットモンキーのような発声なら、その意味を理解していなくても機能します。発話者がその音声の意味を認識する必要に迫られるのは、音声と意味とにズレが生じる可能性が出て来たときかな・・・と思いまして。

>もちろん共体験できるものしか言葉にならないでしょうね。

その「共体験」は厳密には、生物としての反応体系が類似していることから来る推測なんですよ。
「ちょっと甘い」「甘すぎる」と言うとき、各人の感じている甘みは同じものなのか・・・?

>ところが、言語化されない情報の処理速度は、複雑なロジックの処理は出来ないけど処理速度は速い。

そうそう、計算問題を「推測」させるのと「精確に計算」させるのとでは、使われている脳の領域が違うそうなんです。


想像論ならおりますが  投稿者:リリス 投稿日: 2006年03月06日17時18分

>目に見えるあるいは意味のある変化を出現させるところまでどのようにして蓄積していくのか?

犬なんか、遺伝子はほんとうに少ししか違わないのに、あの変異ですからねえ。
ある形質の量的な発現を変えるなら僅かの遺伝子の変異で済みますし、その形質が変われば、受精卵から個体が発生するまでの間でうまく調整してくれるケースも多いですから。遺伝子変異の蓄積と、目に見える変化との関係は、一概には言えないです。

>動物のオスとメスって見た目が違いますよね。

配偶者を獲得して子供を育てる方式が、オスとメスでは全然異なりますから。
オスが子育てをしない種(例えば哺乳類)では、メスは精子に比べて栄養たっぷりな卵子を用意し、それを妊娠して出産して保育して・・・とにかく多大な投資を行います。メスは自分の子供を着実に育てることに注力します。
いっぽうオスが用意するのは低コストの精子だけです。その精子を出来る限り多くのメスにバラ撒いたオス(の子孫)が繁栄するわけです。一頭の子供を育てるのに必要なコストも時間も、オスとメスでは大きく異なります。単位期間あたりでみると、受精可能なオスの数は、受精可能なメスの数を大きく上回ります。そこにオス同士の過酷な競争が発生します。
ライオンやカブトムシの見た目の違いは、この競争の有無によるところが大きいでしょうね。
人間の場合は子供を育てるための生理的な構造によるところが大きいような・・・。

>創造論の方いますか?

「想像論」と「さうざう論」ならおりますが何か?


想像論ですが  投稿者:リリス 投稿日: 2006年03月06日17時17分

>「現在のところ、説明が不十分」→「神のご加護だ!」というのは明らかに非節約的で、不合理です。

「神のご加護」というのは解釈であり信仰の範疇です。
想像論が科学の範囲で主張するのは、「人間は特殊な進化を遂げた生物である」というところまでです。
なお創造論では神の御意志を自然法則の上に現れるものとしていますので、非節約的という批判には該当しません。
合理的かどうかは各人の感性に依存するでしょう。


>では、ゾウはなぜ我々のように泳がないのか、おいしい海草が食べられて有利なのに…と悩むマナティでもかまいません。系統的には近縁です。

想像論の主張は、ヒトのように知能を適応戦略とする種は他に見当たらない、近縁のチンプで《さえ》分岐後の知能はあまり進展していない、ゆえにヒトの適応戦略は特殊である、というものでした。
マナティの泳ぎは、ヒトの知能と比肩しうるほどに特殊な適応であるとは思えません。アザラシやアシカの方がうまく泳ぎますし、鯨類の方が特殊な適応であるように思われます。
カクレクマノミさんは、想像論の主張を、《近縁種は同一の適応戦略を採る》だとでも誤解しておられるのでは?


わずかな差  投稿者:カクレクマノミ 投稿日: 2006年03月06日15時01分

>そういった嘴の長い群と短い群(それも0.5mmの差で)に(その他の条件も揃えて)分けて調べるのはかなり難しそうですが。よろしければ教えて下さい。また、その他の例があればぜひ。

ある島に住むフィンチのほとんど全てに番号を付け、計測し、その後の運命を追跡するというものすごい研究です。各個体の生存率、繁殖成功のデータと嘴の計測データを比較することにより、明らかになりました。また、0.5mmの違いは、旱魃の年の貴重な食糧であるハマビシの実を食べられるかどうかを分けることもわかっています。
詳しくはジョナサン・ワイナー「フィンチの嘴」を読んでください。

フィンチ研究は、生存率の差によって実際に進化するところまで見たのがすごいところですが、そのほかにも生存率と形質の相関を見た研究ならたくさんあります。原理的には個体識別さえできれば、生存率を調べることはできますから。

ここで気をつけなければならないのは、試行回数が非常に多いということです。わずかな違いが生存に及ぼす影響は、多くの場合わずかでしょう。しかし、わずかな影響でも、多数の試行の結果を平均すれば、はっきりした影響が出ます。

こういうときに威力を発揮するのが集団遺伝学です。ジョージ・ウィリアムズ「生物はなぜ進化するのか」によると、
--------------------------
1000頭の灰色の馬を飼っているとしよう。初め、灰色の濃淡に適当に変異があり、この色に影響をおよぼす新しい突然変異の発生も適当にあるとしよう。一世紀に一度この群れを訪れ、いちばん色の薄い馬を排除するとする。単純に計算するだけで、この作業の結果、群れは100万年以内に真っ黒な馬だけになることがわかる。
----------------------

どんなにわずかな差でも、100年に一度1000頭のうち1頭が死ぬ程度の影響を引きおこすぐらいはあってよいでしょう。そして進化には、それだけで十分です。

翼の問題については既にPDX.さんの解答があるので、略。


ここでは  投稿者:名無し 投稿日: 2006年03月05日22時07分

創造論者は自然の選択圧により淘汰されました。


創造論の方いますか?  投稿者:想造 投稿日: 2006年03月05日21時52分

神が生き物を造ったんですね?
で、いったいどうやって造ったんですか?


面倒だからハンドルころころ変えるなや  投稿者:PDX. 投稿日: 2006年03月05日21時48分

To 想ゾウさん

 鼻が短かった頃は普通に地面に顔を近づけていたか、あるいは顔の高さの木の葉や木の実を食べていたのでは?


To 想造さん

 オスとメスでは染色体の違いがあって、そこに存在する遺伝子が違うんだから、外見(に限らず形質)が完全に同一である方がむしろ不思議なのでは?


あとひとつm(__)m  投稿者:想造 投稿日: 2006年03月05日21時42分

動物のオスとメスって見た目が違いますよね。ライオンでも人間でも昆虫のカブトムシでも。
この「見た目の違い」って何故生じたんですか?科学的に解明されているのでしょうか?


1つの形質は1つの機能を果たすとは限らないわけで  投稿者:PDX. 投稿日: 2006年03月05日21時33分

To tanashinさん

>その前段階として生存にとって不利もしくはせいぜい不利でも有利でもないと
>いう状態があったと思うのですが、そのような個体が選択されるしくみがよく
>わかりません。

 ある形質は、1つの機能だけを果たすとは限りません。
 先の記事で私は羽毛や翼が体温調整の役に立った可能性を指摘しています。
 身体の表面に羽毛が生えていれば、飛行や木登りとは無関係に羽毛という形質は自然選択の対象となっていたでしょう。
 カラフルな色を帯びていたのであれば、性淘汰の対象になっていたかもしれません。

 あと、グールドの著書の中で面白い実験が紹介されていました。
 昆虫の模型に対して羽の長さが異なるものをいくつか造り、羽の長さの違いが体温調整と飛行能力にどういう影響を与えるかを計測したものです。
 話を簡単にするために数値を簡略化しますが、羽の長さを仮に1〜10とします。
 羽の長さが0や1,2では、落下時の空力特性には殆ど影響はありませんでした。
 しかし長さが5を超えたあたりから変化が大きくなりはじめ、7,8,9……と影響が大きくなっていきます。
 一方、体を冷やす、または暖めるための特性を測定した場合、0に対して1,2,3の変化で大きな影響がありますが、5を超えた辺りから変化が頭打ちになり、それ以上大きくなってもあまり影響はありませんでした。
 この実験はあくまで模型を使ったものであり現実の昆虫や鳥に直接当てはめる事はできないかもしれませんが、翼の大きさがほんの少しでもあれば影響を受ける機能があり、その機能ゆえに選択が進み、ある程度大きくなった時点でそれ以外の機能を果たせるようになり、次の段階の選択がなされる可能性を示唆している面白い例だと思います。


そう言えば  投稿者:想ゾウ 投稿日: 2006年03月05日21時28分

鼻がまだ短い頃のゾウは地面の草をどうやって食べたんでしょうか?


最初はそうでしょうね  投稿者:PDX. 投稿日: 2006年03月05日21時22分

To 想造さん

 最初はおそらくそうだったでしょうね。
「羽」といっても、いきなり飛行可能な翼ができたわけではなく、ウロコの一部が短い羽毛になったようなものだったでしょうけど。
 その遺伝子が優性だとすれば、その個体の子孫もまた同じような羽毛を持っていたでしょうし、劣性だとすればその個体の次の代では発現しなかったかもしれないけど、その子孫には受け継がれたかもしれません。


中途半端系  投稿者:ミケ 投稿日: 2006年03月05日21時20分

まあとりあえず以下ののイラストごらんあれ。
サイト「古世界の住人」より羽毛恐竜数点
インゲニア
http://www.geocities.co.jp/NatureLand/5218/ingenia.html

カウディプテリクス
http://www.geocities.co.jp/NatureLand/5218/kaudhiputerikusu.html

ついでに
「前適応」てコトバも調べてみてください。
それに関連する過去ログも提供。
http://members.jcom.home.ne.jp/natrom/board001225.html
「トビヤモリ」というタイトルの投稿です。


返信ありがとうございます  投稿者:tanashin 投稿日: 2006年03月05日21時12分

「ガラパゴスフィンチの嘴の高さでは、わずか0.5mmの違いが生存に影響を与えたことが実証されていますが何か?」
返信ありがとうございます。
上記の件については知りませんでしたが、しかし、どのように実証されているのでしょうか?
たとえばある医薬品がある疾患の患者の予後を改善するかどうかを実証するためには
可能な限り年齢や性別はもちろん合併症その他の条件の似通った2つの集団に真薬と偽薬を
投与して予後に差が出るか調べますよね。それでも完全に条件を揃えるのは現実には不可能
だし、予後に影響を与える因子は多々あるので薬の有効性を証明することは困難なことが
多いと思います。
そういった嘴の長い群と短い群(それも0.5mmの差で)に(その他の条件も揃えて)分けて調べるのはかなり難しそうですが。よろしければ教えて下さい。また、その他の例があればぜひ。
私が知りたいのはそのわずかの違いが生存率の違いを生むつまり有用であるという実例です
ので。
あと、しつこいようですが、「翼とも肢ともつかないような前肢」まで行けばたしかに木登りや滑空の役に立つかもしれないですが、その前段階(「翼とはとても言えないが肢が他の
個体とは少し形が違う」というような段階)として生存にとって不利もしくはせいぜい不利でも有利でもないという状態があったと思うのですが、そのような個体が選択されるしくみがよくわかりません。


最初の羽  投稿者:想造 投稿日: 2006年03月05日20時57分

前足に羽が生えた恐竜が一匹だけ突然生まれたんですか?


ありがちだなあ  投稿者:カクレクマノミ 投稿日: 2006年03月05日19時15分

>鳥類は爬虫類から枝分かれしたらしいですが、爬虫類から徐々に鳥類に変化していったのであればその中間の生物は肢ともつかず翼ともつかない前肢をもっていたのでしょうか?

ええ、まさにその通り。
ですが、それらも滑空や木登り、保温の役には立っていたと考えられます。

>そうした分子レベルでの変化によって象の先祖の鼻がわずかに伸びたとする。
このレベルにおいて初めて自然淘汰という作用が加わると思いますが、はたして自然淘汰は
このようなわずかな鼻の長さの違いを選択するほど感度のよいものなのか?

ガラパゴスフィンチの嘴の高さでは、わずか0.5mmの違いが生存に影響を与えたことが実証されていますが何か?

>むしろある個体が生存し子孫を残し得るかはそうしたわずかな違いよりもそれこそ偶然(運)に左右されているように見えます。

特定の1個体の生存は、ほとんど偶然に支配されているでしょう。しかし、たくさんの個体が生きたり死んだりすれば、そこには統計的傾向が表れます。
僕が交通事故に遭うか遭わないかは、ほとんど偶然によって決まります。僕が信号無視をしようとしまいと、その確率は少ししか変わらないでしょう。しかし、だからといって信号無視と交通事故が無関係だというのは馬鹿げています。

>それにその前段階である分子レベルの(偶然のあるいは無意味な)
変化が鼻が長くなるという目に見えるあるいは意味のある変化を出現させるところまでどのようにして蓄積していくのか?

嘴の高さを0.5mm大きくするのに、多数の変異の蓄積なんか要りません。
1つの変異だって、時には大きな影響をもたらします。例えば、ヘモグロビン遺伝子の塩基配列がたった1つ違うだけで、マラリア耐性が大きく変わります。


中途半端でも有利足りえる例  投稿者:PDX. 投稿日: 2006年03月05日19時08分

To tanashinさん

>その中間の生物は肢ともつかず翼ともつかない前肢をもっていたのでしょうか?

 おそらくそうでしょう。
 そして、その前肢にはそれなりの使い道があったと考えられています。
 現在、爬虫類と鳥類の中間種というべき生物は見いだせませんが、哺乳類の中で飛行可能な種(コウモリ)と、飛行とまではいかないが滑空の可能な種(モモンガとかムササビとか)がその答えを示しているのではないでしょうか?
(無論、コウモリとモモンガ・ムササビは哺乳類同士という点では近縁ですが、この両者の間に系統的な先祖・子孫の関係があるわけではありません。完全に飛行ができる種と、不完全な飛行しかできない種の喩えだと思ってください)

 モモンガにしろムササビにしろ、コウモリのように自在に飛行ができるわけではありません。単に彼らは高いところから飛び降りる際に膜を拡げてブレーキをかけたり、うまく風にのればある程度の距離を滑空できるにすぎません。
 それでも、滑空のできない生物に比べれば樹から落下して死ぬ危険は少ないでしょうし、緊急時に天敵から逃げることも可能でしょう。
「不完全な飛行」でも「生存に有利」であることがあり得るのです。
 これがムササビやモモンガではなく、進化の途中の「不完全な翼を持っていたコウモリ」だったらどうでしょう? そこまで想像ができるのであれば、爬虫類と鳥類の中間の動物にも、「生存に有利」だったことが想像できるのではないでしょうか?

 なお、羽毛については飛行とは無関係に保温に役立ったという説もありますし、翼についても飛行とは別に放熱のために役立ったという説があります。
 一部の恐竜が恒温動物であったと考えられ、現存する鳥類は恒温動物である事、そして鳥類の祖先と考えられる翼のある恐竜が小型の種である事などは、体温の制御に関して羽毛や翼が飛行とは無関係に役立った可能性も示唆しています。


もう1つ質問  投稿者:tanashin 投稿日: 2006年03月05日17時21分

「ダーウィン主義は偶然に過ぎないという神話は創造論者のサイトに行けばいくらでも見られます。進化を否定するならするで、進化について最低限の知識くらいは身につけておいて欲しいものです。変異を提供する突然変異は偶然の作用ですが、それを選択する過程は偶然ではありません。わずかな変異でも累積すれば大きな変化になることをドーキンスは示しました。」
突然変異にはDNA(もしくはRNA)の塩基配列の変化という分子レベルの変化とキリンの頸が
長くなるとか象の鼻が長くなるとかいったマクロなレベルでの変化があると思いますが、
目に見えるような変化が起こるためには塩基配列のレベルでの変化のかなりの蓄積が必要と
思われます。そうした分子レベルでの変化によって象の先祖の鼻がわずかに伸びたとする。
このレベルにおいて初めて自然淘汰という作用が加わると思いますが、はたして自然淘汰は
このようなわずかな鼻の長さの違いを選択するほど感度のよいものなのか?むしろある個体が生存し子孫を残し得るかはそうしたわずかな違いよりもそれこそ偶然(運)に左右されて
いるように見えます。それにその前段階である分子レベルの(偶然のあるいは無意味な)
変化が鼻が長くなるという目に見えるあるいは意味のある変化を出現させるところまでどのようにして蓄積していくのか?これもダーウィニズムについて感じる疑問の1つです。
御教示いただければ幸いです。


鳥類について  投稿者:tanashin 投稿日: 2006年03月05日16時59分

「ダーウィニズムにおいては、生存に不利な段階を経なければならないのであれば、どんなに優れた形質でも進化しません。ダーウィニズムは、生物に存在する形質はみな進化の経路が拘束されていると予測します。」
鳥類は爬虫類から枝分かれしたらしいですが、爬虫類から徐々に鳥類に変化していったので
あればその中間の生物は肢ともつかず翼ともつかない前肢をもっていたのでしょうか?
歩くにも歩きづらく、飛ぶにも飛べない中途半端(生存に不利な)な状態を経て鳥類という飛ぶことにおいてきわめて完成度の高い生物に進化していったのでしょうか?
私は鳥類がはじめから鳥類として造られたという創造論者ではありませんが、鳥類のような
生物は突然変異+自然淘汰という徐々に蓄積される変化だけでは完成せずもっと急速な「鳥になるべくして変化していく」という未知の機序があると思います。
こうした点について御教示いただければと思います。


あ、DBRCTさんだ  投稿者:wadja 投稿日: 2006年03月05日13時11分

ご無沙汰してます。

>週刊「ガッツボーリング」! 中山、須田、並木、思い出しますね。

wadjaもリアルタイムの記憶がありますが、この掲示板ではマイノリティーですな。

To:たまごちゃん (^-^)ノ

レス忘れてました。

>きっと当時もアオザイを着たシアノバクテリアが…

シアノバクテリアの一個体は、アオザイを着用できません。丸いから。
シアノバクテリアの群生がアオザイを着用していたら…

http://www.fukuoka-edu.ac.jp/~fukuhara/keitai/pict/ishikurage.jpg
(右端の写真)

ホラーです。


Re:ガッツポーズ  投稿者:DBRCT 投稿日: 2006年03月05日 8時03分

週刊「ガッツボーリング」! 中山、須田、並木、思い出しますね。
そのころ、ギター小僧だった私は月刊「Guts」と「新譜ジャーナル」の愛読者でした。で、まだギターオヤジやってます。同一個体内で進化はないというよい見本です。


ガッツポーズ  投稿者:谷庵 投稿日: 2006年03月05日 5時07分

>ガッツポーズはガッツ石松が思いついた和製英語

これは体験的に絶対違うと思っていました。
ガッツポーズはボウリングで流行った言葉です。
ググってみたらこんなの見つけました。
http://osaka.yomiuri.co.jp/kotoba/co50228a.htm


言語と意識と無意識  投稿者:wadja 投稿日: 2006年03月05日 1時04分

>単語は、概念やイメージを圧縮したものとして、脳内の情報処理の負荷軽減になくてはならないもののように思えます。

確かに単語は、具体的なイメージを圧縮するっていうか省略するって言うか、情報処理の負荷軽減には役立ってるとは思う。例えば「犬が居る」っ文章の意味を考える時、犬の姿、色、臭い、手触り、噛まれた時の痛さ、さらに味まで、いちいち思い浮かべる必用無いですからね。人によって思い浮かべるものの差こそあれ、そこで想起されてるのは抽象化あるいはモデル化された犬。

これは、多くの物事を論理的に処理するのには適してるような気がする。必用に応じて沢山の事象をグループ化したり、複雑な入れ子構造をとるロジックで情報を処理することも可能。しかし、情報処理のプロトコル(例えば耳で聞いた音を、犬という単語に結びつけるとか)が複雑になる分、処理速度は落ちてくる。

言語化された情報を、我々の脳が処理する速度は結構遅いんですよね。それはひょっとしたら言語が音声とし発せられるのにかなりの時間を要するし、それを音声として受取るのにも同じだけの時間を要することと関係あるのかもしれへん。

ところが、言語化されない情報の処理速度は、複雑なロジックの処理は出来ないけど処理速度は速い。運動選手が訓練された動作を行うんは、殆ど無意識やからね。かといって与えられた情報に対しては、かなり適格な判断を下してる。せやからこそ、スピードも軌道もその度ごとに変わるボールをキャッチできる。

これが仮に、「キャッチボール相手が振りかぶった−ボールをリリースしたーリリースした瞬間の手の振りはいつもより速かったーボールの軌道はいつもより低いーこちらに届く直前にワンバウンドしそうー角度からして急所に当たりそうー早くグローブで急所守らな!」なんていちいち言葉に直してやってたら、子供の生めない体になってしまうw

この掲示板で話題になってた「速読」はこの中間なんかな?書いてある言語を顕在意識では処理せずに、潜在意識の範囲で処理する。なんか論理的で複雑な文章は、速読では処理できひんみたいやし。逆にロジックを適格に判断でん頭の持ち主でも速読はできるみたいやしw。


JA50さんへ  投稿者:びっかむ 投稿日: 2006年03月04日14時54分

>人が神を食べるんなら共食いにはならないと思うんですが、どうでしょう?
に回答します。

「イエスは食べられて復活した」という仮説に到達したとき、我ながらこれは仰天仮説だと思いました。だってユダヤ教やキリスト教では人の肉を食べたり、血を飲んだりすることは、カニバリズムと呼ばれ、最も忌まわしいタブーとして厳禁されているからです。
その教祖のイエスが自分の肉を食べさせ、血を飲ませて、そのことによって弟子たちに自分の中に宿っていた聖霊を引き継がせようとしたというのです。
私は、まずそんなことは絶対にするはずがないという固定観念がありました。

例えば人の死肉を食べると「人喰い」と人非人のごとく呼ばれ、血を飲むと「吸血鬼」と呼ばれますから、全く人間の限界を越えた行為として排斥されているわけです。
それを自分の弟子に強要したというのですから、ちょっとふざけた暴論じゃないかという人もいます。
しかしよくよく考えてみると、キリスト教を冒涜するような議論ではなく、イエスの「命のパン」の思想を現代に生かすべきことを提唱しているんだなと思いました。


Re:言葉つれづれ  投稿者:おずおず 投稿日: 2006年03月04日 8時47分

> 脳の機能や進化史上の言語の精緻化を考えるのなら、「単語」と「文法」に分けて考えることもあるようですね。先に発生したのは「単語」であり、「単語」に先立って「抽象概念」が発生したと見るのが妥当でしょうか。

妥当だと思います。

とりあえずほ乳類や鳥類においては相当程度記憶能力があるようで、例えば自分が誰かに石ころをぶつけられて「ギャン!」と思わず叫んでしまった、といった体験はずっと記憶に残るでしょう。その記憶があれば、近くにいた仲間が「ギャン!」と叫ぶのを聞いたら、反射的に過去に味わった痛みを思い出すでしょう。言葉の始まりですね。

> 情報伝達と言語の関係を考える場合は、発信者の頭の中にある概念と、発信された言語と、受信者の頭の中に展開された概念と・・・これらの間にある断絶を考えざるを得ません。

微妙なところですね。
例えばボクは「男に首筋をなめられた。」なんて話を聞くと背筋に寒気を感じますが、同性愛者ならうっとりするでしょう。
でも「首筋をなめられる」という動作自体については両者とも似たようなイメージを浮かべると思います。

> 言語が運ぶ情報は、どのように定義されるのでしょうか。ユーゴーが小説「レ・ミゼラブル」の売れゆきを問い合わせた手紙が「?」、出版社の返事が「!」だったという話があります。言語のみを取り出して情報量を定義するのは無意味かもしれません。でもまあ、このケースは言語のもっとも高度な情報伝達でしょう。

ユーゴーの文を刷った出版社が程なくしてつぶれ、その建物に先物取引を装った詐欺会社が入り込んだ場合、ユーゴーの「?」を、カモからの「ほんとにそんなうまい話があるのかよ?」という意味だと受け取って、「もうかりまっせ!まちがいなしでっせ!!」という意味で「!」と返信することはありがちなことだと思います...ま、たまーには...。

> 「言語」の定義に、発話者がその音声の意味を認識していることは必要でしょうか。ある音声にあるモノを結びつける最初の契機は、もしかすると「騙し」だったのかもしれません。

これは疑問。「狼がくるぞー!」という言葉がその起源の段階で「狼がこない」を意味していたら、彼は「狼がこないぞー!」と叫ばざるを得ず、正直ものになってしまう...。

> ところで、意識化されうるものは全て言語化されうるか、というのも面白い問題ですね。意識化と言語化のレベル設定にかなり依存するでしょうけど。プリンの味は食べてみなければ判らない、と言われる一方で、言語の形式が人間の認識形式を規定する、という説もあったような無かったような。

もちろん共体験できるものしか言葉にならないでしょうね。
たくさんの子供達に毎日プリンを食べさせて、食べながら「プリンって、甘くておいしいね〜♪」と話しかけたとします。
この中の一人の子、りりちゃんにだけは砂糖の代わりに塩を入れたプリンを食べさせたとします。
りりちゃんは、顔をゆがめたくなるような味のことを「甘くておいしいね〜」と表現するようになります。
この場合も、一見すれば意思疎通が出来ているように見えますが、彼ら全員に梅干しを与えた時点で共同幻想は破壊されます。

...でもそのまえに多分、りりちゃんはすばやく隣の子のプリンとすり替えることを覚えるんだろな。

> でも、プリンの味を意識しないなんてことは、絶対に、ないです。

ワインの味や香りを表現する言葉は無数にあるらしいですから、プリンについてもソムリエを育てるべきです!


む…  投稿者:大文字ナン 投稿日: 2006年03月04日 8時37分

>右手の指でフレット(ギターの指板)上を「押す」

 これも正しくないなぁ(苦笑。
 正確には指板上を押す、と書けばいいのか…。

 さらに「右手だけ」をちゃんと考えると…左手なしで右手だけで弾く…う〜ん、どういう奏法なんだろう?(笑。スタンリー・ジョーダン(このひとはハードロックでもメタルでもなく、どちらかというとジャズ奏者だけど)とかがそれに近いことしてましたね。


つまらない突っ込みで悪いけど  投稿者:大文字ナン 投稿日: 2006年03月04日 8時26分

 タピング=タッピング
 と書くほうが誤解が少なくないかな。
 それとも最近の日本語表記だとタピングなのかしら?

 それと、プリングオンとハンマリングオフは左手のテクニックじゃない?いや、これを右手でやってもいいんだけど。二つを同時に連続でやれば「トリル」だよね。

 ついで…これはKosukeさんへですが
>普通に「右手【だけ】で弾いて見せてくれ」と言えば

 和製英語の「ライトハンド」は、左手でトリル(ハマリングオン、とプリングオフの繰り返し)をしながら、右手の指でフレット(ギターの指板)上を「押す」テクなのです。ですから「右手だけで弾け」と云われた場合、むしろごく普通にピッキングを伴う普通の演奏になってしまう気が。


ライトハンド奏法  投稿者:Kosuke 投稿日: 2006年03月04日 6時34分

普通に「右手【だけ】で弾いて見せてくれ」と言えば良かったんじゃないですかね?


ガッツポーズはガッツ石松が思いついた和製英語  投稿者:パラドックス 投稿日: 2006年03月04日 1時29分

>情報伝達と言語の関係を考える場合は、発信者の頭の中にある概念と、発信された言語と、受信者の頭の中に展開された概念と・・・これらの間にある断絶を考えざるを得ません。>

和製英語だと知らずに日本人が英語ネイティブスピーカーにそれを使うことなんか、それのありふれた例ですね。

以前、ニュースステーションにへヴィ.メタル.ギタリストのエディ.ヴァン.ヘイレンがエレキギター持参で出演した時、久米さんが「右手で弾くやり方がありますよね、それをチョッと披露してもらえませんか」と言っていたのになかなか伝わらず、エディは普通に何回か弾くだけでした。

久米さんはライト.ハンド奏法をして欲しかったんです。でもこれは和製英語で、「タピング」とか「プリングオン.ハンマリングオフ」が正しい英語です。久米さんの身振りを見てやうやくその意図を察知したエディが、10秒くらい軽く弾いてくれました。目の前でエディのタピングの早弾きを見た久米さんは、大げさに机の上下を見回して、「今、足の指は使いませんでしたよね」とエディに聞きました。笑いながらエディは「No」と返事した後、スタジオを移動してホントの演奏を始めました。


自由意志は適応を超えた何かか?  投稿者:Kitkat 投稿日: 2006年03月03日19時51分

>あした大地震があって・・・・・

それは、過去の入力に対する反応の積み重ねによる学習、といえるのではないでしょうか。
何かを恐れたり、避けるというのは、生物の反応としては基本的なものですよね。

ただ、それを拡張して、私たちの文明、科学、宗教、おやじギャグが、過去の入力に対する反応の積み重ねを体系化したものだ、と言い切るのは・・・・・・さすがに腰が引けます。
個人的には、それ以上の何かがそこにはあるはずだ・・・・・と思いたい(私、想像論者ではないんですけどね)


カニバリズム  投稿者:PDX. 投稿日: 2006年03月03日17時38分

To びっかむさん

 いえ、あれはパンが肉だというところに、アンパンマンを先取りした要素がある点に意味があるのです。
 お腹をすかしている人のところにいって「僕の頭をお食べ」と言うことができる優しさこそがアンパンマンの真の強さではありませんか。

 まぁ、世の中には自分が果物を食べたかったときに実がなっていなかったからと怒って悪態をついて、その樹を呪って枯らしてしまった人もいるそうですが。


チンプとゾウとクモ  投稿者:カクレクマノミ 投稿日: 2006年03月03日16時46分

>《脳の肥大化は、チンプの祖先にとっては限界効用<限界費用であり、ヒトの祖先にとっては限界効用>限界費用だったとされているが、その仮説に対する明確な説明あるいは根拠は提出されていない。》
>《脳の肥大化に伴う限界効用・限界費用はヒトの祖先とチンプの祖先とでは大差は無かった。ヒトの脳が肥大化したのは、チンプの祖先に比較して、神の御加護としか言いようの無い偶然が続いたためである》

「現在のところ、説明が不十分」→「神のご加護だ!」
というのは明らかに非節約的で、不合理です。

>ゾウ&ゾウアザラシとの対比は難しいです。

では、ゾウはなぜ我々のように泳がないのか、おいしい海草が食べられて有利なのに…と悩むマナティでもかまいません。系統的には近縁です。


ところで、ある種のクモがなぜ網に装飾をするのかについては、様々な説明が提案されているものの、未だ明確になってはいません。したがって、そういうクモこそが神に選ばれた存在であり、網の装飾こそが神の意思の具現化であるといえます。
そこで、新しく「さうざう論」を(ry


共食い  投稿者:JA50 投稿日: 2006年03月03日13時39分

カニバリズム、、、なるほど、、、
おもろい!!
そんな見方もあるんかぁ、、、

ん?
でも、イエスって人なんですか?

いや、我々不信心者には当然人でもいいんですが、キリスト教徒には神様であって人ではないんじゃ?
人が神を食べるんなら共食いにはならないと思うんですが、どうでしょう?


おずおずさんへ  投稿者:びっかむ 投稿日: 2006年03月03日 9時34分

>例えば、「悪霊退散!」とか...(^_^;)
に回答します。
キリスト教では教会の中心儀式は、聖体拝受です。
つまりイエスの肉を食べ、血を飲む儀式です。それは実際はパンを食べ、赤ワインを飲んでいるのですが、正式の教義では、パンはキリストの体である教会の中では、神父の呪いで本物のイエスの肉になり、赤ワインは本物のイエスの血になるということなのです。
これを象徴的に解するのは間違っていて、奇跡と受け止めるべきだというのです。
ということは教会の正式の教義では、キリスト教徒はカニバリズムを行っていることになります。


禅問答  投稿者:リリス 投稿日: 2006年03月03日 2時31分

>公案「片手の拍手の音」

その答え、たしか師匠にチョップをかますとか・・・


想像論の主張  投稿者:リリス 投稿日: 2006年03月03日 2時28分

>いや、もちろんエネルギーその他のコストを考慮したうえで、チンプの適応度にとって大きな脳が有益であるか、ということです。

おや、カクレクマノミさんは、想像論の主張を
《「チンプにとって、脳の肥大化は総合的に見ても有益である」を根拠なく正しいとしている》
だと思っておられたのですか?
ちょっと違いますよぉ〜。

想像論の主張は、だいたい次のような内容です。
《脳の肥大化に伴う知能の向上は、その機能のみに着目するなら、チンプの祖先にとってもヒトの祖先にとっても等しく有用であった。》
《脳の肥大化は、チンプの祖先にとっては限界効用<限界費用であり、ヒトの祖先にとっては限界効用>限界費用だったとされているが、その仮説に対する明確な説明あるいは根拠は提出されていない。》
ここから
《脳の肥大化に伴う限界効用・限界費用はヒトの祖先とチンプの祖先とでは大差は無かった。ヒトの脳が肥大化したのは、チンプの祖先に比較して、神の御加護としか言いようの無い偶然が続いたためである》
と発展するのです。


>チンプの脳のサイズがヒトより小さいのは奇妙だ、という想像論の主張が、ゾウアザラシの鼻について考えるゾウの悩みよりも合理的なものだというなら、その根拠を示してください。

想像論者の存在とその主張は当掲示板において観察されているが、ゾウアザラシの鼻について悩むゾウは観察されていない。観察されていない現象を考察するよりも、実際に観察されている現象を考察するほうが合理的である・・・。

う〜ん、うまく落とせないです。

念のために書いときますと・・・まず、チンプとヒトは系統発生的に非常に近縁であり、かつ陸生の哺乳類では知能が1位2位にあると目されています。ヒトの知能の発達を考える上で、ヒトと最も近い位置にいるチンプを比較するのは有益であり、実際にチンプを用いて多くの研究がなされています。いっぽうゾウアザラシとゾウでは系統発生的に近縁とは言えず、生活環境もまったく異なり、考察の対象である鼻の形状も大きく異なります。ゾウの鼻の発達を考える上で、ゾウとゾウアザラシを比較しても、得られるものは少ないのではないかと思います。・・・って、これも何だかなあ。

ゾウ&ゾウアザラシとの対比は難しいです。


どこかで聞いた議論...  投稿者:おずおず 投稿日: 2006年03月02日22時49分

> そこで脳のある場所が損傷を受けた場合、目の前の世界から、赤という色のみが欠落したり、丸という形のみが欠落したり、動きが欠落したりする現象が起きることになります。
つまり、私たちが認識している世界は、私たちの外にあるはずの世界に依存しているのではなく、脳の情報処理の能力に依存していることになると思います。

公案「片手の拍手の音」
弟子は片手でする拍手の音を聞いてそれを師匠に示さなければならない。知的な理解では片手では拍手はできず音はしない。


外界の認識とは?  投稿者:Kitkat 投稿日: 2006年03月02日22時18分

脳の情報処理がそれぞれ異なった場所で、バラバラに行なわれた後に統合されていることは、よく知られていますよね。
たとえば、赤いリンゴが落ちるのを見たとき、赤という情報、丸いという情報、上から下に動いているという情報は、脳の別々の場所で処理された後、統合されて「赤いリンゴが落ちる」と認識されている。

そこで脳のある場所が損傷を受けた場合、目の前の世界から、赤という色のみが欠落したり、丸という形のみが欠落したり、動きが欠落したりする現象が起きることになります。
つまり、私たちが認識している世界は、私たちの外にあるはずの世界に依存しているのではなく、脳の情報処理の能力に依存していることになると思います。

私たちは、限定された能力の感覚器官による入力を、限定された能力の脳の情報処理により再構成された世界に住んでいる。
情報量から言えば、フル3Dに対してワイヤーフレームくらいの世界に住んでいるのかもしれないですね。


リリスさんへ  投稿者:カクレクマノミ 投稿日: 2006年03月02日21時29分

>エネルギー効率や身体の構造上の制約を無視して「機能のみ」に着目すると、有益とする理由はあっても有益でないとする理由は無いように思えるんですけど・・・

いや、もちろんエネルギーその他のコストを考慮したうえで、チンプの適応度にとって大きな脳が有益であるか、ということです。
言い換えるなら、もし今チンプのある個体に脳を大きくする突然変異が起こったとしたら、自然淘汰はその変異遺伝子を有利とするか、ともいえます。

チンプの脳のサイズがヒトより小さいのは奇妙だ、という想像論の主張が、ゾウアザラシの鼻について考えるゾウの悩みよりも合理的なものだというなら、その根拠を示してください。


Re:自由意志ふたたび  投稿者:おずおず 投稿日: 2006年03月02日20時26分

> 自由意志をこのように考えると、《無意識からの自由》はナンセンスな考えであるように思えます。

無意識はいわば、神のようなもの(証明も否定も出来ない)ですから、自由意志を「無意識のなせる技だ。」と言い換えても、なんの意味も付け加わらないと思います。
(無意識を解明できるのは大脳生理学のような生物学的な手法であって、我々シロウトが簡単に実行できる、「内省」の及ぶ相手ではないでせい(わーい、おやじギャグ♪)。

> おずおずさんの言われるような、情報が欠如した状況での意思決定はどうでしょうか。これは乱数的にランダムな意思決定とは違うのですよね?環境に左右されない、純粋に自己の内部での情報処理に依存した意思決定、と読んでいます。しかしその情報処理は・・・例えば何らかのジンクスに基づくなら、そのジンクスは過去の環境の学習から生成されたものでしょう。まったくの気まぐれであるなら、それは《ランダムな意思決定を自由意志と呼べるか?》という問いに突き当たります。

そうですね。ただボクはその問いに進む前に、その手前の段階をはっきりと見つめてみたかったのです。

人はいつも、この世界がいつどうなるか分からない、「疑いのあるもの」だということを意識してると思います。
例えば、「あした大地震があって、思い切り値切って建てて貰ったダイ○ハウスの下敷きになって死ぬかもしれない。」とふと考えるシアノバクテリアはいないと思うのです。
焚き火に飛び込むかもしれないという不安を抱えながら飛んではいないと思うのです、蛾は。

知覚できる、そして知覚出来ていた(記憶している)情報だけでは決定できないのがこの世界だ、ということを意識出来ている、ということ。
外界から取り込める情報以上の情報処理能力がある、ということ、が、人の特徴じゃないのでしょうか?

それはそうと、丁半に張る順序には例えば「丁丁半丁丁半」とかいったパターンがあるのでしょうかね?
もしも検定にかけてもパターンが見いだされなければ脳内には理想的な乱数発生装置があることになるし、そうでなければそのパターンの周期から彼のCPUどの程度複雑な「自由でない意志」に支配されてるか分かるかも。もちろん完全なパターンではないでしょうけど。

もしかしたらランダムさは酒量に比例してたりして...(^_^;)


びっかむさんへ  投稿者:おずおず 投稿日: 2006年03月02日19時52分

信憑性に疑問がある場合は、悶々としていないで、疑問点を徹底的に質問すればいいと思います。
そうすれば少なくともあなたが確信できる程度には「なるほど!」と思える答えが得られるかも。
答え、とは、本来、個々の質問に応じて、オーダーメイドするべきものですから。

想像論のどこが信憑性に疑問があると感じているのか、ぜひ教えてください。
そうすればあなたのもやもやが吹き飛ばされるような回答を提示できる、...かもしれませんから♪

例えば、「悪霊退散!」とか...(^_^;)


ご意見、ご要望がございましたら、掲示板か、 e-mail:natrom@yahoo.co.jpへどうぞ。


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