進化論と創造論についての掲示板ログ248

2004年09月06日〜2004年09月07日
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(無題)  投稿者:タックス 投稿日: 2004年09月07日12時59分

環境淘汰は、偶然に左右される。
×
突然変異も偶然に左右される。
ならば、「蓄積」も偶然に左右されるでしょう?
×
目的性のない蓄積だけで、合目的的な機能性を発揮することは
絶対に不可能なのです。一連の流れ作業のうちの一部を担える
なんてことはあり得ないのです。
×

偶然の変異で、「意味の或る遺伝子配列」の「蓄積」がなされて、
RNAポリメラーゼUというタンパク質酵素が完成した、
なんてことは、私には恥ずかしくて言えません。
早計すぎます。
もう少し気の利いた発言をしたいですね。

「進化には、”道筋"があったとしか考えられない」 とかね・・・・
×
確率的にもそう言えますね。以上のことから、
×
突然変異も偶発的であり、自然淘汰=環境淘汰も偶然が左右すること
であり、「蓄積」という言葉が、ほとんど御伽噺に出てくる枕詞で
しかないとするならば・・・
×
要は、「進化とは、偶然の連続だ・・・」と言えます。
×
ゆえに、ダーウィンの進化論では、すぐれた高次元的な機能性を持つ
動植物の個体は決して構築され得ない・・・ と言えます。
×
何百億年掛かってもです・・・・
×
「道筋」があったんですよ。「道筋」が・・・
これが私の結論です。
×


(無題)  投稿者:タックス 投稿日: 2004年09月07日12時58分

「環境淘汰」と言った方が良いのではないだろうか??
?
今現存する生物は、たまたま、その身近な環境に適応した結果
生き残った変異体の「なれの果て」なのである。

そして、その都度、変異した個体は、変異する前の個体と
何ら具体的な必然的な因果関係を持たないで、
生き残ってきただけなので、
××
蓄積云々と言ってみたところで、あまり意味はない。
×××
「蓄積」と言えるようなすばらしいこともなにもしていない・・・
×××

最初から、目的性がないんだから、関連性もない。
×
以前の有利性をなくした変異体だって子孫に出てくるだろう・・・

つまり、以前の環境に戻ったら、淘汰されてしまうような
子孫だっているかも知れないのだ!!

ならば、一体何が「蓄積」されたと言うのか??
何が????
×
「蓄積」されたという言葉は、あまりにも、ふさわしくない。
ただ、生き残ったというだけのことじゃないかっ!!
×
それを「蓄積」というのなら、その蓄積の方法・法則・理屈を
示さないとならないと言うのです。ランダムに蓄積したというのなら、
説明にならないでしょう・・・
×
「変異する前と後では何の関連性もない。」偶発的なんだから・・・
×
何も、「蓄積」されていない。
×
意味のある蓄積(遺伝子配列の変異)はない・・・・
×

蓄積というからには、少なくとも、「同じ近い場所」に
少しづつ積み上げられていかなければならないだろう・・・

川上から、水の力で、押し流されてきた石ころ達が、
川下で、堆積して、蓄積されてきたとしても、
その蓄積された砂利の塊が、何か偶然に「機能性」を持ち得ますか??
「関連性」を持ち得ますか? 作用し出しますか?

しかも、同じ場所に積み上げられていくかどうかは、偶然に
掛かっている・・・別の場所になるかも知れないし、
同じ場所になるかも知れないし・・・そんなの自由だ・・・
強い風が吹けば、変わるし、地震でも起これば、変わるし、
強い雨が降れば,侵食作用で河の形も変わる・・・
要は、「環境」に左右されるのだ・・・

まるで、DNAという倉庫に、ランダムに塩基という荷物が
どんどん置かれていくようなものでもある。
×××
そして、置かれていた古い荷物も、いつのまにか消失・変質
腐食しているかも知れないのだ・・・(流されてしまっている)

そんなことをやっているうちに、立派に、形有る、意味のある、
「機能性」を有する、高高と(高次元的に)積み上げられた荷物の
「山」が完成するだろうか・・・?
×
以前にも申し上げたように、「機能性」を有する(特に酵素のことを指すが・・)
ということは、「相手」を知っているということだ。
「相手」を知らずに、「作用」を起こすことは出来ない。

偶然、山のように積み上げられた荷物の塊自身が、
次に自分達が、どこへフォークリフトで移動させられるのか、
どうして知り得ようか?
×

RNAポリメラーゼUという酵素は、DNAのプロモータの存在を知り、
それを感知して、転写を開始して、mRNAを合成するための
50万ドルトンもの質量を持つポリペプチド複合体であり、
高次元的超多機能酵素である。 いわば超エリート酵素だ。

そのような酵素自身が、次に、自分が転写合成したmRNAを
どこへ持って行ったらよいのか、どうして、偶然で、
知ることが出来ますか??
×
逆に、それを知らずに、どうして、DNAから塩基配列を
転写してコドン化して、mRNAを合成しますか???
×
相手も知らずに、「機能性を有する酵素」というものが、
偶然に非同義的置換の連続(蓄積)だけで完成しますか????
×
だから、皆さんは、「蓄積」という言葉にだまされているのです。
×
マインドコントロールされているのです。思考停止状態です。
「蓄積」という言葉ほどあいまいなものは無い。
目的性のある蓄積なら、まだ話しは分かりますが、
×××
自然淘汰ではなく、ただの「環境淘汰」なんです。


(無題)  投稿者:タックス 投稿日: 2004年09月07日12時53分

自然淘汰は環境淘汰だっ!!

A_A'  ←これらのうち、どちらが生き残るかは、まだ分からない。
 \A'' 
×

つまり、この時点では、どちらも、まだ有利でも不利でもない。
×
有利とか、不利という概念すら当然ない。
×
「環境」によってセレクトされ、生き残ったほうを、「有利」な変異体「A'」
である・・・と呼んでいるに過ぎない・・・

もし、「たまたま」環境が違ったら、A''の方が生き残ったかも知れない・・・

そうすれば、「A''」が有利な遺伝子である、と呼ぶことになるだけのことだ。


環境が、たまたま、
×

つぎに、有利な「A''」が、たまたま、その環境だったがゆえに生き残ったとして、
A''_B'  
  \A''' に変異したとする。

ここでも、また、環境によって、「B'」がたまたま生き残ったとする。
×
環境に左右されるのである。繁殖力ではなくて・・・
×
繁殖力が旺盛かどうかは、この際、関係ない。
×
産んだ卵の数量の多少ではなく、生き残って、生殖できるまでに
成長した個体数が問題なのである。
×
それは、環境が一番大きい影響を与えるのではないでしょうか?
×
しかも、B'は、実は、A''が生き延びたときの当時の環境では、
生き残れない変異体かも知れないのだ。


つまり、A''が生き延びた原因である「1因子」をたまたま
今回の突然変異で消失してしまい、偶然、別の環境に変化したため、
今回、B'が生き残ったのかも知れないのだ。

それでも、「B'」は有利な遺伝子なのだ。

しかし、そうだとしたら、何が蓄積されたのだろう・・・
何が・・・・
(そんなことは何でも良いのだっ!!というのが、
恐らく皆さんの答えでしょうね。)
×
しかも、また、A''が当時の環境で生き延びた理由(=有利性)は、
もしかしたら、B'に変異した時点でなくしてしまっている可能性も
あるわけだ・・・

それでも、環境が運良く変化した為、B'が生き延びたと・・・
これでも、「蓄積」と言えるのかどうかである・・・?
×
そして、A''→B'へ変異したことは、当然何の因果関係もない。
偶然だ。


形態レベルで変化を及ぼす非同義的置換の累積が、
突然変異の連続で、一体どのようにしてなされて、
「機能性」を発揮すると言えるようなものにまで至るのかを、
きちんと説明できなければ、進化論は、永遠に完結しない。
×


要は、「環境」が、その都度、変異体に影響を無意識に及ぼしているに過ぎない
だけなのである。
×

しかし、子孫であることには変わりない。だからと言って、それを以って
「蓄積してきた」というのはあまりにも、漠然としすぎてはいないだろうか??
×
結局、変異した時点の前と後では、何の因果関係もなく、
且つ、何の目的性も無い。
××
「蓄積」なんて言う格好いいもんでは決してないはずだ。
×
法則もなく、ただただ、その時点時点での「偶然的な環境」に左右されて、
どの個体が生き延びたのか・・・?というだけの話なのである!!
×
自然淘汰ではなく、「環境淘汰」だっ! 言い方を換えよう!
?


ご自分はどうですか?  投稿者:流木 投稿日: 2004年09月07日12時51分

>>「道筋」があったんですよ。「道筋」が・・・
これが私の結論です。

>>なんてことは、私には恥ずかしくて言えません。
早計すぎます。
もう少し気の利いた発言をしたいですね。


では、証明して下さい  投稿者:流木 投稿日: 2004年09月07日12時47分

>>目的性のない蓄積だけで、合目的的な機能性を発揮することは
絶対に不可能なのです。一連の流れ作業のうちの一部を担える
なんてことはあり得ないのです。

 では、それを証明して下さい。あなたがおっしゃっているのですから、あなたが証明して下さい。「あり得ることを証明するべきだ」という論法は、挙証責任の転嫁であり、すり替えの論理に過ぎません。

 目的がなくても、結果的に意味をなすことをご存じないのでしょうか?アルファベットを無目的に組み合わせても、試行を繰り返せばその過程で意味のある綴りを得られますが、そういうことは絶対に不可能であり得ないことだとおっしゃるわけですか?


用語法  投稿者:流木 投稿日: 2004年09月07日12時38分

>>自然淘汰ではなく、「環境淘汰」だっ! 言い方を換えよう!

 自然選択というのが、今日では一般的ではありませんか?そういう用語法が定着している以上、勝手に呼び方を変えるのは無用な混乱の元です。


自然淘汰という表現  投稿者:PDX. 投稿日: 2004年09月07日12時31分

 自然淘汰という語における「自然」は、人為淘汰に対する対義語としての意味と、同時に進化に目的を与えようとする「超自然の何か」(神とかインテリジェント・デザイナーとか)に対する対義語としての意味があるんじゃないでしょうかね。


自然淘汰は環境淘汰だっ!!3  投稿者:差出者 投稿日: 2004年09月07日11時45分

環境淘汰は、偶然に左右される。突然変異も偶然に左右される。
ならば、「蓄積」も偶然に左右されるでしょう?

目的性のない蓄積だけで、合目的的な機能性を発揮することは
絶対に不可能なのです。一連の流れ作業のうちの一部を担える
なんてことはあり得ないのです。

偶然の変異で、「意味の或る遺伝子配列」の「蓄積」がなされて、
RNAポリメラーゼUというタンパク質酵素が完成した、
なんてことは、私には恥ずかしくて言えません。
早計すぎます。
もう少し気の利いた発言をしたいですね。

「進化には、”道筋"があったとしか考えられない」 とかね・・・・
確率的にもそう言えますね。以上のことから、
突然変異も偶発的であり、自然淘汰=環境淘汰も偶然が左右すること
であり、「蓄積」という言葉が、ほとんど御伽噺に出てくる枕詞で
しかないとするならば・・・

要は、「進化とは、偶然の連続だ・・・」と言えます。
ゆえに、ダーウィンの進化論では、すぐれた高次元的な機能性を持つ
動植物の個体は決して構築され得ない・・・ と言えます。
何百億年掛かってもです・・・・

「道筋」があったんですよ。「道筋」が・・・
これが私の結論です。


自然淘汰は環境淘汰だっ!!2  投稿者:差出者 投稿日: 2004年09月07日11時44分

「自然」と言うと、何か「大自然の力」みたいな感じで、なんとなく、
「偉大な力」が働いているように思うが、こと「自然淘汰」に関しては、
何も働いていない・・・・・・・・

「環境淘汰」と言った方が良いのではないだろうか??

今現存する生物は、たまたま、その身近な環境に適応した結果
生き残った変異体の「なれの果て」なのである。

そして、その都度、変異した個体は、変異する前の個体と
何ら具体的な必然的な因果関係を持たないで、
生き残ってきただけなので、
蓄積云々と言ってみたところで、あまり意味はない。

「蓄積」と言えるようなすばらしいこともなにもしていない・・・

偶然に変異した個体達を、ただただ、偶然その時に存在した
環境が、無意識に、振り分けているだけなんだから、
生き残った個体も、偶然に変異した個体であることに
何ら変わりはない。そして、次の世代も同じ繰り返しである。

最初から、目的性がないんだから、関連性もない。
以前の有利性をなくした変異体だって子孫に出てくるだろう・・・

つまり、以前の環境に戻ったら、淘汰されてしまうような
子孫だっているかも知れないのだ!!

ならば、一体何が「蓄積」されたと言うのか??
何が????

「蓄積」されたという言葉は、あまりにも、ふさわしくない。
ただ、生き残ったというだけのことじゃないかっ!!

それを「蓄積」というのなら、その蓄積の方法・法則・理屈を
示さないとならないと言うのです。ランダムに蓄積したというのなら、
説明にならないでしょう・・・
「変異する前と後では何の関連性もない。」偶発的なんだから・・・

何も、「蓄積」されていない。
意味のある蓄積(遺伝子配列の変異)はない・・・・


蓄積というからには、少なくとも、「同じ近い場所」に
少しづつ積み上げられていかなければならないだろう・・・
川上から、水の力で、押し流されてきた石ころ達が、
川下で、堆積して、蓄積されてきたとしても、
その蓄積された砂利の塊が、何か偶然に「機能性」を持ち得ますか??
「関連性」を持ち得ますか? 作用し出しますか?

しかも、同じ場所に積み上げられていくかどうかは、偶然に
掛かっている・・・別の場所になるかも知れないし、
同じ場所になるかも知れないし・・・そんなの自由だ・・・
強い風が吹けば、変わるし、地震でも起これば、変わるし、
強い雨が降れば,侵食作用で河の形も変わる・・・
要は、「環境」に左右されるのだ・・・


まるで、DNAという倉庫に、ランダムに塩基という荷物が
どんどん置かれていくようなものでもある。

そして、置かれていた古い荷物も、いつのまにか消失・変質
腐食しているかも知れないのだ・・・(流されてしまっている)

そんなことをやっているうちに、立派に、形有る、意味のある、
「機能性」を有する、高高と(高次元的に)積み上げられた荷物の
「山」が完成するだろうか・・・?

以前にも申し上げたように、「機能性」を有する(特に酵素のことを指すが・・)
ということは、「相手」を知っているということだ。
「相手」を知らずに、「作用」を起こすことは出来ない。

偶然、山のように積み上げられた荷物の塊自身が、
次に自分達が、どこへフォークリフトで移動させられるのか、
どうして知り得ようか?

また、フォークリフトの存在をどうして知り得ようか?

RNAポリメラーゼUという酵素は、DNAのプロモータの存在を知り、
それを感知して、転写を開始して、mRNAを合成するための
50万ドルトンもの質量を持つポリペプチド複合体であり、
高次元的超多機能酵素である。 いわば超エリート酵素だ。

そのような酵素自身が、次に、自分が転写合成したmRNAを
どこへ持って行ったらよいのか、どうして、偶然で、
知ることが出来ますか??
逆に、それを知らずに、どうして、DNAから塩基配列を
転写してコドン化して、mRNAを合成しますか???

相手も知らずに、「機能性を有する酵素」というものが、
偶然に非同義的置換の連続(蓄積)だけで完成しますか????

だから、皆さんは、「蓄積」という言葉にだまされているのです。
マインドコントロールされているのです。思考停止状態です。
「蓄積」という言葉ほどあいまいなものは無い。
目的性のある蓄積なら、まだ話しは分かりますが、
自然淘汰ではなく、ただの「環境淘汰」なんです。


自然淘汰は環境淘汰だっ!!1  投稿者:差出者 投稿日: 2004年09月07日11時41分

自然淘汰は環境淘汰だっ!!

A_A'  ←これらのうち、どちらが生き残るかは、まだ分からない。
 \A'' 

つまり、この時点では、どちらも、まだ有利でも不利でもない。
有利とか、不利という概念すら当然ない。

「環境」によってセレクトされ、生き残ったほうを、「有利」な変異体「A'」
である・・・と呼んでいるに過ぎない・・・

もし、「たまたま」環境が違ったら、A''の方が生き残ったかも知れない・・・
そうすれば、「A''」が有利な遺伝子である、と呼ぶことになるだけのことだ。

しかし、いずれも、偶発的な突然変異で生じたものであることに
違いはない。
環境が、たまたま、無意識に彼等をふるいに掛けただけである。

つぎに、有利な「A''」が、たまたま、その環境だったがゆえに生き残ったとして、
A''_B'  
  \A''' に変異したとする。

ここでも、また、環境によって、「B'」がたまたま生き残ったとする。
環境によっては、「A'''」だったかもしれない。

環境に左右されるのである。繁殖力ではなくて・・・
繁殖力が旺盛かどうかは、この際、関係ない。
産んだ卵の数量の多少ではなく、生き残って、生殖できるまでに
成長した個体数が問題なのである。
それは、環境が一番大きい影響を与えるのではないでしょうか?

しかも、B'は、実は、A''が生き延びたときの当時の環境では、
生き残れない変異体かも知れないのだ。

つまり、A''が生き延びた原因である「1因子」をたまたま
今回の突然変異で消失してしまい、偶然、別の環境に変化したため、
今回、B'が生き残ったのかも知れないのだ。
このような現象が全然なかったとは決して言えないだろう・・・

それでも、「B'」は有利な遺伝子なのだ。

しかし、そうだとしたら、何が蓄積されたのだろう・・・
何が・・・・
(そんなことは何でも良いのだっ!!というのが、
恐らく皆さんの答えでしょうね。)

要するに、A''からB'へ変異した理由は、偶発的であり、
しかも、また、A''が当時の環境で生き延びた理由(=有利性)は、
もしかしたら、B'に変異した時点でなくしてしまっている可能性も
あるわけだ・・・
それでも、環境が運良く変化した為、B'が生き延びたと・・・
これでも、「蓄積」と言えるのかどうかである・・・?

そして、A''→B'へ変異したことは、当然何の因果関係もない。
偶然だ。

だとすれば、その都度、偶発的に出現した変異体を、ただ、○×で
振り分けているだけで、果たして世代ごとに漸次「蓄積」されるものって、
一体何なんだろうか・・・??

以前の生き延びた原因因子を消失しても、其の時点での環境に適応さえすれば、
生き延びれてしまうのである・・・そして、それが、「有利」なのだ。

形態レベルで変化を及ぼす非同義的置換の累積が、
突然変異の連続で、一体どのようにしてなされて、
「機能性」を発揮すると言えるようなものにまで至るのかを、
きちんと説明できなければ、進化論は、永遠に完結しない。


要は、「環境」が、その都度、変異体に影響を無意識に及ぼしているに過ぎない
だけなのである。そして、その環境で、たまたま生き延びたものを、その都度、
「有利だ」と言っているに過ぎない。そのときの環境が、偶然変化してしまえば、
別の変異体が生き延びた可能性もあるのである。

しかし、子孫であることには変わりない。だからと言って、それを以って
「蓄積してきた」というのはあまりにも、漠然としすぎてはいないだろうか??

結局、変異した時点の前と後では、何の因果関係もなく、
且つ、何の目的性も無い。
「蓄積」なんて言う格好いいもんでは決してないはずだ。

法則もなく、ただただ、その時点時点での「偶然的な環境」に左右されて、
どの個体が生き延びたのか・・・?というだけの話なのである!!


だから、自然淘汰という何か神秘的な力が厳然と働いているのでもなく、
目的性を持って何かが「蓄積」されるわけでもなく、
そういう自然淘汰というようなシステムが自然界に粛々と働いている
わけでもない・・・

要は、「偶発的な環境」である。
自然が(に)淘汰するのではなくて、
その個体の周辺環境が淘汰するのです。それも結果的にです。

自然淘汰とは、私から見れば、単なる「環境淘汰」でしかない。

自然淘汰ではなく、「環境淘汰」だっ! 言い方を換えよう!


ReRe:隣人  投稿者:シン 投稿日: 2004年09月07日 8時59分

>#私は私の飼っていた猫が大好きです。今は別れた元彼女の家にいますが、ときどき写メールをもらっては喜んでいます。だけどあの猫は、私のために生まれてきたわけではありません。猫は、猫のために生まれ、生きているのでしょう。そのことと、私がほんのちょっと環境について考えることは、一緒くたにするようなことではないですよね。

動物に関しては強制で人が動物を飼い、食べられるものは食べるという現実があります。もちろんそうでない人もいるにはいるかもしれません。
temaさんの説明がわかりやすく私よりうまく説明しています。ので、そちらへ。私も猫を飼っていますが、それについては、自分のためにいる、とは思い上がっていません。ただ、そこにそんな現実があるのはしょうがなくて、そのこを捨てられない、という気持ちがあるだけです。飼われているのが幸せか、たとえ早く死んでも自由に生きる方が幸せか、そんなのは猫と話してみなければわかりません。もし話すことが出来て、自由にしてくれ、と言われたら、自由にはするつもりです。ただ、食べ物に対しては神にもその動物にも感謝して食べていたい、と考えています。

そして隣人については良きサマリヤ人がわかりやすいから紹介したのですが、そこから発展させて、自分を攻撃し、むかつく、嫌な相手、もしくは自分の生命をも脅かそうとする相手をも含みます。クリスチャンたちや、仮にクリスチャンでなくとも、それぞれの段階で自分の隣人が自分に示されていきます。おそらくそこに終わりはありません。

仮にあなたが私に対して悪意があって、もう付き合いたくない、と思わされても、憎しみをぶつけたり、理解できない、とさじを投げるようなことをしたくない、そんな自分でありたい、と考えています。

別にあなたのいうように

>というわけで(少なくとも私にとっては)シンさんのこの「相当な理由」は、皆目見当もつきません。敵対していようとなんだろうと、目の前で「倒れている」のでしょう?それを「救助」することは、聖書を持ち出さずとも(たとえば私ならば、ライフ・ガードの経験から)ごく当然のこととして行うでしょう。私は偽善を述べているでしょうか?
> #ある日、酔っ払いを病院に運ぼうとしたら、こっぴどく殴られたこともあります(笑。

聖書を持ち出さずともそれは出来る人もいるでしょう。流木さんのいうように教えられたから、やる、というのは偽善のように思えます。ただ、あって教えてくれるマニュアルが必要な人もいるのは事実です。教えられたから、やる、のではなく、示されたから、やる、のです。

創造科学者と同じ手法、とは、あなたが相手の立場が理解できないから、といってその立場を貶めようとしているように見える、と思っただけです。あなたを攻撃するつもりは、全くありません。そんなこと全く考えていない、と言うのなら、謝罪します。

すみませんでした。個人的にはあなたの考えに、酔っ払いの例などから、好感を得ます。


ウンコは臭いけど臭くない  投稿者:地下に眠るM 投稿日: 2004年09月07日 2時58分

いいかね、僕は今、相当に酔っとる
アルコールはつくづくへヴィドラッグだにゃ
しかーし
ウンコネタはほっとおけにゃーな
邪教教祖17歳とも約束しておる

ウンコの臭さが文化か「ひゆーまん・ねいちゃー」か
これは興味深い
ブラインドタッチが完全に不能になった僕にとっとも興味深い

この際だ、ここでやってやる


アタリマエと思われていることは、進化心理学的には存外とアタリマエでにゃーのだ
アタリマエでにゃーと思われていたことが、アタリマエであったりする

材料は未だたりにゃーが、ウンコねたはつきあったる
いまここでやっちゃるわあ


そもそも、フロイトが信頼を得たのは、ウンコだの性欲のだののネタにマジメに答えたことだにゃ
信頼と普遍がサヨクの武器だにゃ

ウンコネタ、やっちゃるぞ


Re:隣人  投稿者:大文字ナン 投稿日: 2004年09月07日 2時24分

 流木さん、シンさん

 まず、「よきサマリア人」の喩えをお教えいただきありがとうございます>流木さん
 しかしながら、そのたとえ話を聞いたところで、私の主張するところと何が違うのでしょうか?と問い返さずにはいられないのも正直な感想です。
 →私がある争いの渦中にいるとします。そして敵対する勢力に所属する「敵」の一人が、私の眼前で傷つき倒れて助けを求めているとします。そんな時に、救急車を呼んであげるだとか、とりあえず自分の車で救急病院に搬送するだとかという行為を指しているのだとしたら、現代社会においてそれほど珍しい行為でしょうか。
 刃物や銃器をかざして、私を殺そうとする人に「好きにやられなさい」ということではないですよね。映画「プライベートライアン」の中で、元高校教師の小隊長(トム・ハンクス)が捕虜にしたドイツ兵を、隊員たちが「私刑」しようとするのを葛藤の末に制止し、逃がしたドイツ兵は原隊に復帰し、結果的に彼が戻った部隊によって小隊はほぼ全滅してしまう、というような流れがあります。しかしこの物語に、神やキリストは描かれませんし必要もないでしょう。確かに難しい局面ではありますが、そのような状況は人生において限りなくあるように私は思います。

 (いわゆる俗に言う流れの)人格者を気取るつもりは毛頭ありません。これは人とその他の生き物の間においても同じことでしょう。私は7歳のときに、ある動物に「攻撃」されて致命傷に近い傷を負ったことがあります。その後、無麻酔で2時間にわたる緊急手術を受けてなんとか命を取り留めました。時は流れて、ある時同じ「動物」が傷ついているのを見ましたが、おそるおそるながら私は「彼」を助けようとしました。これは別に私が道徳者であるからではありません。単にそうしたかったからです。

>敵を赦すほどの愛には、おそらく相当な理由を必要とします。

 というわけで(少なくとも私にとっては)シンさんのこの「相当な理由」は、皆目見当もつきません。敵対していようとなんだろうと、目の前で「倒れている」のでしょう?それを「救助」することは、聖書を持ち出さずとも(たとえば私ならば、ライフ・ガードの経験から)ごく当然のこととして行うでしょう。私は偽善を述べているでしょうか?
 #ある日、酔っ払いを病院に運ぼうとしたら、こっぴどく殴られたこともあります(笑。

>創造科学者は進化論の攻撃をする時、今のあなたと同じようなやり方を使って攻撃しています。あなたもそれに倣わないでください。

 どこがどのように「創造科学論者」と同じ論法であるのか示してください。それについて頷くところがあれば訂正いたします。

>2局対立したものを正しく観察する方法は両方の立場が理解できるようになることだ、と考えています。程度の違いはあれ〜

 私の発言の主旨は、神が人のためにもろもろの生き物を作ったのだろうと、そうではなく、その他の生き物も人も平等な原理のもとに進化して今あるのだろうと、「愛」というものの発現においてなにが違うのですか?ということです。それにも増して、環境破壊となにか関係ありますか?ということですよ。
 #私は私の飼っていた猫が大好きです。今は別れた元彼女の家にいますが、ときどき写メールをもらっては喜んでいます。だけどあの猫は、私のために生まれてきたわけではありません。猫は、猫のために生まれ、生きているのでしょう。そのことと、私がほんのちょっと環境について考えることは、一緒くたにするようなことではないですよね。


幸福の科学不要論  投稿者:カールマルクス 投稿日: 2004年09月07日 0時56分

ケイオスさん人が書いたものをコピーするのはやめてください。
これは4ヶ月前に書いたものです。新しいものを考え中!

===========================================
最近、オウム真理教のことがニュースで多少取り上げられています。もし宗教に値段がつけられるとしたらオウム真理教はいくらだと思いますか?これは無価値であり不要な存在と社会ではみなされているでしょう。こんなものを信じて幸福になれるわけがありません。カルトであり危険かつ社会の不安定要素の一因であると評価が下るでしょう。そう考えれば無価値どころかマイナスです。ではもう1極のカルト宗教である幸福の科学はどうかというとこれもまたまったくではないが同じ評価にならざる得ないと考えられます。

その理由としていくつかあげてみましょう。

@教義について、宗教で重要な部分です。はっきり言って幸福の科学には教義がないといえると思います。                 
(1)ほとんどが大川氏の啓示によるものに依存している点です。これを科学的に証明できるのでしょうか?たとえば 日蓮聖人 釈迦(ブッタ)キリスト、アラー、など世界宗教の聖人や神などから啓示があったといいますが??証拠があるのでしょうか?もし誰かに会ったというのであればその証拠があってこそみんなが納得できることです。この点については大川氏は証明できないと思います。
 
(2)幸福の科学ではすべての宗教の教義を取り入れている点です。
ユダヤ教、キリスト教、イスラム教、これらの宗教は多少関連性があります。旧約聖書などがベースになっているところがあるでしょう。しかし仏教、他の宗教はお互いが関連性を持っていないです。聖書の中にブッタが正しいなどどこに書いてありますか?また大川氏が新しい宗教を開きそれが正しいなどどこに書いてあるのでしょうか?この点についても証拠を出せないでしょう。                  おそらくこれは
日本人が好むように作ったのだと思います。日本では宗教人口が人口の2倍います。1人2つの宗教を信仰していることになります。それに日本にほ神仏習合などの伝統があり神道、仏教の境界線があいまいです。これらは日本では当たり前のことです。正月に神社に行き、葬式は仏教で、クリスマスはキリスト教などわれわれの感覚からしたら親しみやすいところがあります。日本的宗教観をベースにして教義を作ったのでしょう。こんなものは教義ではありません。ボロ雑巾を縫い合わせたようなものです。昔サザエさんの秘密という本でサザエさんの兄はゴルゴサーティーであったというのがあったと思います。これは本としては楽しいのですがうそであることは明白です。幸福の科学の教義もこの程度のレベルでしょう。

A信者に対して大川氏を崇拝させていることです。もしキリストなどブッタなど言うのであれば矛盾しませんか?それらが正しいのであればなぜ大川市を崇拝しなければならないんですか?キリストなどブッタなどを崇拝すればいいじゃないですか??また自ら主エル***などと名乗っていますが証拠でもあるんですか?

Bかなり前ですがフライデイに対して攻撃、威圧的行為を行いましとよね!そのとき大川隆法さんはなぜ前面に出てこなかったんですか?卑怯ですよ!信者に法律をやぶらさせておいて、自分は逃げるなど、これが神や聖人の行う行為なんですか?


まだまだ列挙すればあるのですが、ここで結論を出します。

@大川氏の言っていることは証拠がない(神の啓示)

A幸福の科学には教義がない、

B大川氏の振る舞い(行為)には違法性がある。(聖人や神がすることには思えない。)

付言

マルクスは宗教をアヘンと言った。これは現実を変革することはできないで現実の苦悩を回避し天国に行くことこそが幸福であるとしているからである。これでは現実を変えられない!マルクスの時代と今は違うが
カルトは脳梅毒であるとしか言いようがない。これは洗脳などによって狂わされてさらに知り合いなどを勧誘するためである。幸福の科学という脳梅毒に犯されているときが幸福であるというならばその考えは異常だ!


隣人愛の補足  投稿者:流木 投稿日: 2004年09月07日 0時39分

 補足です。隣人愛は「隣人である人を愛する」のではなく、「ある人を隣人として愛する」のです。

 セルビア人とアルバニア人とが敵対している状況を考えてみましょう。お互いに敵です。にもかかわらず、瀕死のセルビア人を見捨てては置けずにあるアルバニア人が助けたとしましょう。その行為を通じて、そのアルバニア人はセルビア人の隣人となったとするわけです。

 イエスの述べた意味での隣人愛は容易ではありません。場合によっては命懸けでしょう。隣人愛という言葉は「自分の隣人(自分に近い人・親しい人)を愛する」という意味にとられがちですが、どうやら全く違うようです。言葉というものは、難しいものですね。


書き逃げの追伸  投稿者:tema 投稿日: 2004年09月07日 0時33分

 三連続投稿、失礼します。
 明朝よりtemaは福島に旅に出ます。喜多方ラーメンを成敗して来るまで帰りません。それでは週末まで、しばしのお別れです。


Reシンさんへ   投稿者:シン 投稿日: 2004年09月07日 0時31分

おずおずさん ありがとうございました。

基本的には私が未熟者だから、わがままを言わせてもらったと思っています。本当に感謝します。こちらこそあなたの表現を悪く受け取ってしまい、すみませんでした。

あと流木さん 私がすべき説明をしてもらって、ありがとうございました。

今日は気持ちよく寝られます。嬉しいです。これからもよろしくお願いします。


意識は素粒子の相互作用の産物・・・  投稿者:tema 投稿日: 2004年09月07日 0時27分

差出者さん、はじめまして。temaと申します。

>そうではなくて、化学的変化として、具体的に下記の
>内容を誰か説明して下さいませんでしょうか?

 出来ません。
 これはもう、差出者さんがどう思おうが、出来ないものは出来ません。
 ただし、「化学的変化として説明ができない事」と「進化論が事実に沿っている事」は、無関係です。

 時に、差出者さんは、意識を持っているでしょうか?
 差出者さんの意識は、差出者さんの(脳を含む)身体を構成している素粒子の相互作用により成り立っている、と tema は考えています。では、差出者さんの意識の変化を、素粒子の相互作用として物理学的に説明できるでしょうか?

 出来ません。
 これはもう、(以下略)
 もちろん、「物理学的に説明できない事」は「差出者さんに意識がある事」と無関係です。

 また、差出者さんは、全ての行動が遺伝子によるものだと思われているようです。 tema は、行動の殆どは学習によるものだと思っています。差出者さんだって、人に銃で獣を撃つ遺伝子があるとは思って無いでしょう。テッポウウオも人と同じように、口から水を噴射できることに気付き、練習の上、虫を落とせるようになった、とtemaは考えます。


思い上がりであれ、何であれ  投稿者:tema 投稿日: 2004年09月07日 0時24分

 PEPEさん、おずおずさん、こんにちは。横レス失礼します。

>人間の為に世界が存在するという考えにはやはり思い上がり
>だと考えます。
(PEPEさんの記述)

>あなたは例えば、テロリストの行為が正しいか正しくないか、を、彼らが大量虐殺に「成功した」かどうかで、決めますか?
(おずおずさんの記述)

 人は、他の生物を犠牲にしなくては生きられません。菜食主義であっても、植物は殺すことになります。合成繊維ができる前には、服の材料も100%他の生物を殺して手に入れていました。人によっては、それは罪の意識を感ずる行動かもしれません。

 そんな罪を感ずる人に対しては、「他の生物が人の為に存在する」という考えは救いになります。宗教は人の心を救うためにあるのだ、とtema は考えています。第三者が、その教えを正しいと感じようと誤りと感じようと、人の心を救えるならば、宗教としては有用な教えである、とtemaは考えます。


ReRe:思い上がり  投稿者:シン 投稿日: 2004年09月07日 0時20分

大文字ナンさん こんばんは

>蝶は人を楽しませるために神が創造したのであり、花の色も香りも、孔雀の尾羽の豪華さも、「人を楽しませるため」にあるのだ。だから我々(信仰者)は、人間中心に創造された世の中で「人を楽しませるために日夜営みを続ける」もろもろの生き物たちを愛します、という立場に対して投げかけられた異論なのでしょう。

創造論者さんの意見だけで、そう判断されたのでしたら別に構いませんが、私はこう説明しました。

>多くの宗教では基本的に、人のために全ての環境が、与えられている。と、定義します。良いものも、悪いものも、です。

次に
>むしろ私が問いたいのは、人間のために、人間を中心に回る世界でなければ、もろもろの生き物や、その他自然環境(と勝手に人間が呼んでいる事象を)愛する(大切にする)ことは出来ないのでしょうか?という点。もっと端的に言うと、いちいち神さまを持ち出さないと「自分の隣人」を愛することはかなわない、ということなのでしょうか?ということかな。

これについてですが、隣人愛について文字どうりの隣人という意味ならば、悪人でも隣人を愛する、とも書いています。そんなのは当たり前のことだと思います。私も、愛してくれる人、自分のことを愛してほしい、と願う人に対してなら、神様がいなくても、教えられなくても愛する、と思います。けど、敢えて説明させていただきます。

とりあえず、聖書について言えば「敵を赦し、愛するほどの愛」という宗教では最高、と定義できる「愛」について教えられているから、理由が必要なのです。隣人とは究極的には、自分の敵に相当する人のことだ、と、良いサマリヤ人の喩えで、設定されています。

敵を赦すほどの愛には、おそらく相当な理由を必要とします。そして、それが正しいだろう、と受け取って信じているのです。そんなに浅薄な教えではないと思えるんですが。

創造科学者は進化論の攻撃をする時、今のあなたと同じようなやり方を使って攻撃しています。あなたもそれに倣わないでください。

私は立場が違くてもある程度理解しあえることは出来るのだ、と、うぬぼれていました。それは誤解だったのでしょうか。

2局対立したものを正しく観察する方法は両方の立場が理解できるようになることだ、と考えています。程度の違いはあれ、あなたのこの見解

>もっと端的に言うと、いちいち神さまを持ち出さないと「自分の隣人」を愛することはかなわない、ということなのでしょうか?ということかな。

は、いくらかの創造論者程ではないにしろ、それと同じことをしているように見えます。
でしゃばったことを言ってすみません。が、あなたは理知的な人に思えるから、私の言いたいこと、少しはわかってくれると思っています。

どこか参考にできるところがあったら参考にしてみてください。


隣人愛  投稿者:流木 投稿日: 2004年09月07日 0時16分

*大文字ナンさん(Re:思い上がり 投稿者:大文字ナン  投稿日: 9月 6日(月)23時14分44秒)

 こんにちは。

>>もっと端的に言うと、いちいち神さまを持ち出さないと「自分の隣人」を愛することはかなわない、ということなのでしょうか?ということかな。

 いちいち考えてから愛するということはないと思います。理屈をつければ、神様を持ち出すことになるというだけでしょう。義務感で愛するというのは滑稽ですし、欺瞞以外の何物でもないと思いますから。

 権力者は自分の都合のよいことをやるのに、神様を持ち出すように思います。「この正義のための戦いを、神が見捨てるはずがない!」とか。神様のこういう持ち出し方は計算ずくでしょう。おそらくいっている本人は神様なんか信じてはいません。まぁ、信じて恐ろしいことをやる人たちもいるんですけどね。そちらの方が本気なだけに害悪は大きいでしょう。

 さて、非キリスト者がご紹介するのも妙ですが、キリスト教における隣人愛については、「よきサマリア人」の喩え話がよく挙げられます。新約聖書のルカによる福音書の第10章30節〜35節に書かれております。大まかな内容は以下の通りです。

 イエスを疎ましく思っていたユダヤ教の律法の専門家がイエスを試そうとして「何をしたら永遠の命が得られますか(神の前で義とされますか)」と尋ねました。イエスは自分では答えずに「律法には何と書いてありますか、それをどう読みますか」と逆に尋ねます。「あなたの主である神を愛しなさい、あなたの隣人をあなたのように愛しなさいと書いてあります」と専門家は答えます。「その通りです。それを実行しなさい。そうすれば、永遠の命を得られます」とイエスは答えます。自分で尋ねて自分で答えるという間抜けなことをしでかしたことに気がついた専門家は気を取り直して「では、隣人とは誰ですか」と改めてイエスに尋ねます。イエスが「隣人はユダヤ人だ」と答えたら、「私はユダヤ人の同胞を愛しています」といって、イエスに「あなたは義人です」と答えさせてやろうと考えたのです。ところが、イエスはその問いにも直接には答えずに、強盗に遭って瀕死の状態で倒れている人(ユダヤ人)の喩え話をします。神殿に仕える祭司やレビ人(下働きの者)は瀕死の彼のことを見てみぬふりをして立ち去りますが、偶然通りかかったサマリア人が男を見て憐れに思って助けるという話です。話を終えたイエスは尋ねます。「さて、3人のうち強盗に遭った人の隣人となったのは誰ですか?」と。専門家は思わず「助けた人です」と答えます。するとイエスは「行って、あなたも同じようにしなさい(まぁ、できないだろうけど)」といいました。律法の専門家は地団太踏んで悔しがりました。

 サマリア人はユダヤ人と敵対関係にあります。にもかかわらず、瀕死の男を見捨てては置けず、助けてしまうのです。恐らく他のサマリア人からは「何でユダヤ人なんか助けたんだ。野垂れ死にさせればいいものを」とか非難されたかも知れません。場合によっては、身に危険が及んだかも知れません。それでも、このサマリア人は瀕死のユダヤ人を助けたのです。イエスの説いた隣人愛というのは、そういうものだとされます。

【参考】土井健司(2003)『キリスト教を問いなおす』ちくま新書, pp.60-101


シンさんへ  投稿者:おずおず 投稿日: 2004年09月07日 0時05分

そんなに受け取られたとしたらボクの表現が悪かったのでしょう。
ボクはシンさんに対して反論とかをしているつもりはなかったのですけど...。

次からはボクなりに表現を変えてみます。
去らないでください。


(無題)  投稿者:タックス 投稿日: 2004年09月07日 0時02分

なるほど、わかりませんか。今、え?うそあれわからないの?と思って、わからないという立場にたって、読んでみたら、確かにこりゃわからないなと妙に爆笑しました。
ひとつ段落を書くたびにひとつ誤解がもれなくついてくる。
前提が違う。NATROMさんのような知性の人ばかりだ。自分が知っていることはほぼ確実に相手も知っている。誰にでもわかる簡単な話題だ。この条件がひとつでもあれば、英語で書いた(酔っ払いのいうようなことを書いた文章だそうです)ってこんなことは起こらなかった。
しょうもないですね。私は。今日だってそうだ。今何やってるんだか・・・。
最後にひとつ。差出人さんへ。私は、あなたのいうような有神的進化論というのが現在のネオダーウィニズムはおろか創造論(いろいろありますが)以上に無理なように思えます。それは、下手に同じ土俵に乗ってしまったとか進化が起こることを認めてしまったがゆえに、あなたが認めなくてはならない証拠と矛盾してしまう。そして、それ以上の証拠を出さなくてはならないことを認めるのに、絶対にそれ以上のメカニズムも証拠も出せない。、今はあまりにもいろいろなことがわかりすぎました。
すごいプログラムが合目的になんとかしてくれるなんていう中学生ならぬ戦隊ものにあこがれる幼稚園児でさえいえるようなことを、科学者ががんばって否定するまでもなく素人に否定できる時代になってしまったんですよ・・・。
おしまいです。ゼロです。変わってない。ハチのときと。同じ論理。同じ反論。そして、あなたはいわなくてはならない。「私は鉄砲水の専門家ではない。」「具体的な難しいことは科学者がやればいい。」「私には、そんなだいそれたことをしようなんてこれっぽっちも考えていません」と。私にいわせれば、あなたは鼻からだいそれたことをしようとしてるんじゃよ!と。あなたと比較にならないほど頭がいい無数の人が、長年専門について学び、専門のトレーニングをうけ、毎日入ってくる情報をえて、毎日世界中で思索している世界の学問体系を竹やりの装備レベル1でくずそうとしているんだから・・・というところです。

私には今日の東京湾景で、交通事故にあったというところから、噴出すのをいいかげんこらえきれなくなってきて、「けがはたいしたことはありません。しかし・・・」ときて、くるぞくるぞ!と家族でいいあっていたら、「記憶を全て失ってしまいました・・・。」
キーーーターーーーーーというぐらい予想できます。あなたがいたる途が。このたとえははわかりますかね。大文字ナンさん。


Reもういちど...シンさんへ  投稿者:シン 投稿日: 2004年09月06日23時28分

おずおずさん

いまいち言いたいことが伝わっていないようですね。前に他の人にも同じようなレスしましたが、そんなに理解不能な文章でしょうか、伝えたい微妙なニュアンスが伝わりませんでしたか?付き合う私も私ですが、時間がもったいないと思いませんか?

あなたは流木さんへのレスも見る限り、宗教が絡んでいる、というだけで、攻撃したくなるのですか?私は別にだれも攻撃するつもりはありません。ただお互いを高めあいたいだけです。特にここは進化論と創造論の掲示板で、科学について、議論をする場なのですから、議論に対し議論をすればよいでしょう。

私は、ただ、あなた方には理解不能に思える違う立場の人たちがあなた方にとっては、わけがわからないであろうことを書き込んでいたので、その人たちの立場を説明しただけで、それがあなた方の益になる。と思って書いただけです。

もし、そんな説明いらん!益にもならん!というのなら、それは私にもマイナスですのでやめます。ただお互いの考えを話し合ったり、いろんな意見を聞くのはすごく楽しいし勉強になり、それがここでは出来ていたので、それが出来なくなるのは、かなり寂しいです。一人でも「そんなのいらん!聞きたくない!」という人がいるのなら、私は立場上、その人の「つまずきの石」になる、と判断した時は、ここを去る事にします。

ついては議論できる内容だけ蓄えて、数ヵ月後ぐらいに参加させてもらうかもしれないし、そうしないかもしれません。

最後の訂正をします。

>>思いこんでいるバカが、たまたま今力を持っている

>これを<ある意味で>思い上がりではない、と言える、と言ったのです。

訂正 思い込んでいるものがたまたまその思い込みに相当する決定的な力を持っているのは事実だと思います。

これで満足ですか?


Re:思い上がり  投稿者:大文字ナン 投稿日: 2004年09月06日23時14分

 落ち着こうよ>みんな(笑。

 「思い上がり論」については、↓に挙げた創造論者さんの発言
>蝶が美しく愛らしいのは神様が人を楽しませる為にそのように造ってくださったのです。
 を読んで、
 蝶は人を楽しませるために神が創造したのであり、花の色も香りも、孔雀の尾羽の豪華さも、「人を楽しませるため」にあるのだ。だから我々(信仰者)は、人間中心に創造された世の中で「人を楽しませるために日夜営みを続ける」もろもろの生き物たちを愛します、という立場に対して投げかけられた異論なのでしょう。

 猛烈に醜怪、グロテスクな思考様式だ、とは思うのだけれど、だからといって上記の考え方が環境破壊に通じるものとは思えません。
 むしろ私が問いたいのは、人間のために、人間を中心に回る世界でなければ、もろもろの生き物や、その他自然環境(と勝手に人間が呼んでいる事象を)愛する(大切にする)ことは出来ないのでしょうか?という点。もっと端的に言うと、いちいち神さまを持ち出さないと「自分の隣人」を愛することはかなわない、ということなのでしょうか?ということかな。


失礼しました。>流木さま  投稿者:おずおず 投稿日: 2004年09月06日23時12分

>極端な話、キリスト教信仰を否定した旧ソ連や東欧諸国における環境破壊は、西側諸国を上回るものでした。

...から、キリスト教を否定した国々は、キリスト教を肯定した国々「よりも、もっと」ひどいことを、...と読みとってしまったのでした。


・・・  投稿者:大文字ナン 投稿日: 2004年09月06日22時49分

 To タックスさん

 なにを仰りたいのだか、さっぱり分かりません。なんにせよ、脳内補完で自己会話して次々に発言されるのは控えられませんか。なお、私にはレスしないでください。あなたと議論したいわけではありません。


関係はないという話ですが?  投稿者:流木 投稿日: 2004年09月06日22時47分

*おずおずさん(とりあえず 投稿者:おずおず  投稿日: 9月 6日(月)22時20分32秒)

 こんにちは。

>>キリスト教信仰と環境破壊に、何か関係でもあるのですか?

 「産めよ、増えよ、地に満ちて地を従わせよ。海の魚、空の鳥、地の上を這う生き物をすべて支配せよ」という旧約聖書の創世記を否定する立場(旧ソ連や東欧諸国)でも、西側諸国を上回る規模の環境破壊は起きたのだから、両者(創世記の記述と環境破壊)に関係があるとはいえないでしょうと述べております。

 両者に関係があると私が主張しているというように読めたのでしょうか?


もういちど...シンさんへ  投稿者:おずおず 投稿日: 2004年09月06日22時45分

>「思い上がり」とはそれに力が伴っていたら、ある意味思い上がりではありません。

「思い上がり」に、どれだけ力が伴っていても、思い上がりでしかないです。
「思い上がり」という「無理解」を正さなければ、どんなに大きい力も、破壊的にしか働かないのです。
少なくとも、あなたはそれを知っているようですけど。だって、あなたは、

現実に良くも悪くも人間にそれが出来る力が備わっている事実がある、

という言い方、つまり、
力はいつも、「良くも悪くも使いうる」もので、「良いか悪いかを決める」のは、力ではない、
と表明しているのですから。


Re少し文章をかえさせて頂きました。気に入ってくれれば嬉しいんですけど。  投稿者:シン 投稿日: 2004年09月06日22時39分

>変更前
>>自分は自分を創った存在(神)に愛されているんだ、と希望を持つのが、
>>とりあえずは、聖書の神を信じる人の立場です。

>自分は自分を創った存在(神)に愛されているんだ、と希望を持つのが、
>とりあえずは、ありとあらゆる生き物の立場です。

そうです。もしあなたの設定する神がそのようなら、そう考えるのがいいでしょう。あなたは、生物全てがそんな希望を持っている、と考えているのですね。

とても素敵な考えだと思います。気に入りました。


弱肉強食か生き物皆親戚か  投稿者:流木 投稿日: 2004年09月06日22時37分

 進化論を否定したがる創造科学の支持者さんは、「進化論では弱肉強食を肯定することになり、道徳的に好ましくない」といった非難をよくされます。まぁ、進化論は弱肉強食説じゃないんで、ピント外れなのはこの際目をつぶるとして考えますが、確かに、歴史的に見れば、弱肉強食や適者生存といった進化論もどきの論理が時の権力によって都合よく利用されたこともあります。

 しかし、進化論では現在地球に住む生き物は、太古まで遡れば、ご先祖は皆同じという話です。また、どんな生き物も長い長い歴史の中で姿を変えながら生き延びてきたという話でもあります。進化論を知ることで、むしろ生命への畏敬の念を持つ人がいても不思議ではありません。

 ある物事に何を感じ、何を学び取るかは個々人によって異なります。モルモン教の信者でも立派な人はいましたし、正統派のカトリックの信者でも訳のわからない人もいました。単純に論ずることは実りあるものとは少なくとも私には思えません。


(無題)  投稿者:タックス 投稿日: 2004年09月06日22時28分

つまり、こうすればいいんだろうか。
突然変異が、物理化学的性質や状況に応じて、でたらめにおこる。まず、でたらめに起こっていることがわかればいい。そして、全体的な起こる確率などがわかればいい。
でたらめに起こったもののうち、その有利さ不利さ、無意味さ、の程度に応じて、いろいろな条件の上で、定着しやすさが、わかり、それに応じて、定着していることがわかればいい。
そして、変化していくSピードが全体として、わかればいい。
塩基配列の変化というのはそれだけで起こっているものと同じようなかんじで同じようなスピードで起こったがわかればいい。それで差出人さんのいうように、でたらめな偶然的変異だけで、変化が起こったなんてバカな。ということに反論できるんでしょうか。差出人さん。つまり、進化が起こっていることを認めるならば。ですが。


Reひとつだけ...シンさんへ   投稿者:シン 投稿日: 2004年09月06日22時25分

おずおずさん こんばんは

>「思い上がり」とはそれに力が伴っていたら、ある意味思い上がりではありません。

じつはこれ少し悩んでから書き込みました、悩んだ結果を「ある意味」であいまいにしたつもりです。おずおずさんのような反論が出る、と思ったからです。

けど、敢えて書かせてもらいました。あなたが意見してくれたことは理解しています。
私も

>思い上がる、とは、「真実でないことを真実だと思いこむこと」の一種であって、思いこんでいるバカが、たまたま今力を持っているかどうか、じゃないと思うんですけど。

言葉の使い方は正確でないのを覚悟で使ったわけです。これは、聖書の立場の人の役割設定で創世記1章26節の、「自然界を支配させよう(編集あり)」という言葉や、思い上がりと思われている考えに対し、現実に良くも悪くも人間にそれが出来る力が備わっている事実がある、と言いたかっただけです。そんなわけで難しい問題だと思う、とも書いたわけです。
つまりはあなたの書いた

>思いこんでいるバカが、たまたま今力を持っている

これを<ある意味で>思い上がりではない、と言える、と言ったのです。

たまたま力を持っている存在は、正しかろうと、正しくなかろうとその力が使えます。特に知的生命体といわれるものだけが、決定的に他の生き物以上に多くの生き物の生殺与奪を握っているだろう、というのは事実だと思います。おそらく恐竜がいても、大差で人が勝ちます。人が勝てないのは基本的には自分たちの知識を上回る知的な存在だけだ、と考えています。(応用的にはウイルスとかですが、話の意図するものは別)

私は宗教者の立場を説明しただけで、それが正しいのだ、とは主張はしていません。
私の中の真実についてはただいま摸索中です。お待ちください。


(無題)  投稿者:タックス 投稿日: 2004年09月06日22時24分

相関はえられそうですよね。つまり、キリスト教は先進国に多い。先進国には、環境破壊が多い。すると、相関が多かれ少なかれ見られるのか?因果関係があるかどうかはともかく。


とりあえず  投稿者:おずおず 投稿日: 2004年09月06日22時20分

極端な話、キリスト教信仰を否定した旧ソ連や東欧諸国における環境破壊は、西側諸国を上回るものでした。

環境破壊はキリスト教の関数ですか?正比例にせよ反比例にせよ...。
アジアの米作主体の農業は、牧畜や小麦作に比べてはるかに持続可能で環境維持型の生活です。

キリスト教信仰と環境破壊に、何か関係でもあるのですか?


とりあえず  投稿者:流木 投稿日: 2004年09月06日22時12分

 非キリスト者の私がいうのも妙なものですが、とりあえず、旧約聖書の創世記には、「産めよ、増えよ、地に満ちて地を従わせよ。海の魚、空の鳥、地の上を這う生き物をすべて支配せよ」という神様の祝福というのが書いてあるわけです。キリスト教信仰をお持ちの皆さんは、ここから「地球の生き物は人間のために創られた」という解釈をなさるわけです。多分、他には読みようがないでしょう。

 ただ、この「支配せよ」というのをどう解釈するかは、個々人の問題だと思います。好き勝手なことをしてもいいのだと解釈する人もいるかも知れませんし、神様から任されたのだから責任を持って対処しなければと考える人たちもいるかも知れません。「支配せよ」といわれたからといって、地球の他の生き物に対して人間本位の身勝手な行動を肯定するとはいえません。

 極端な話、キリスト教信仰を否定した旧ソ連や東欧諸国における環境破壊は、西側諸国を上回るものでした。西側諸国であれば、反対運動や抗議行動が起きてできなかったようなひどいことが旧ソ連などでは可能だったのです。人間も大切にしない国は、他の生き物も大切にしないのです。

 可能性の一つとして、「産めよ、増えよ、地に満ちて地を従わせよ。海の魚、空の鳥、地の上を這う生き物をすべて支配せよ」という言葉は、人間本位の身勝手な行動を正当化してしまうかも知れませんが、必ず自動的にそうなるとはいえません。それは言葉を受け止める人によるのではないでしょうか?


ソーセージ>流木さま  投稿者:おずおず 投稿日: 2004年09月06日21時59分

>旧約聖書の創世記の第1章26節〜30節には次のようにあります。

般若心経にはそんなことは書かれていません。


少し文章をかえさせて頂きました。気に入ってくれれば嬉しいんですけど。  投稿者:おずおず 投稿日: 2004年09月06日21時55分

変更前
>自分は自分を創った存在(神)に愛されているんだ、と希望を持つのが、
>とりあえずは、聖書の神を信じる人の立場です。

自分は自分を創った存在(神)に愛されているんだ、と希望を持つのが、
とりあえずは、ありとあらゆる生き物の立場です。


創世記  投稿者:流木 投稿日: 2004年09月06日21時51分

 旧約聖書の創世記の第1章26節〜30節には次のようにあります。

 神は言われた。「我々にかたどり、我々に似せて、人を造ろう。そして海の魚、空の鳥、家畜、地の獣、地を這うものすべてを支配させよう」

 神は御自分にかたどって人を創造された。
  神にかたどって創造された。
  男と女に創造された。

 神は彼らを祝福して言われた。「産めよ、増えよ、地に満ちて地を従わせよ。海の魚、空の鳥、地の上を這う生き物をすべて支配せよ」

 神は言われた。「見よ、全地に生える、種を持つ草と種を持つ実をつける木を、すべてあなたたちに与えよう。それがあなたたちの食べ物となる。

 地の獣、空の鳥、地を這うものなど、すべて命あるものにはあらゆる青草を食べさせよう」そのようになった。


シンさんへ  投稿者:PEPE 投稿日: 2004年09月06日21時50分

>あなたは優しい人のように思えます。過去の悠久の時に思いをはせていて、
>その時代を生きた他の生物まで尊重しているからです。
僕は優しいかそうで無いのかは自分では良くわかりませんが、厳しい世界を
なんとか生き延びようとしてきた生命、全てを尊敬しています。

>自分は自分を創った存在(神)に愛されているんだ、と希望を持つのが、
>とりあえずは、聖書の神を信じる人の立場です。
そうですね、なんとなくですが、わかります。

>あなたの立場ならその立場に対して思い上がってる、と思うことはしょう
>がないのかもしれません。けれどその考えを変えることはあなたの考えを
>変えるのと同じ難しさがあると思います。
確かに…そうでしょうね。御意見うかがえて良かったです。ありがとうござ
いました。


創造論者 さんへ  投稿者:おずおず 投稿日: 2004年09月06日21時45分

>美しいものを神様が人の為に造って下さった、と考えるのが何故思い上がりになるのですか?
>私自身は神様が造ってくださった生き物を愛しているだけで思い上がるつもりは毛頭ありません。

例えばあなたは、一匹のライオンが、
「あんまり美味しくはないようだけれどとりあえず食べることの出きるエサ(あなたのことです)を神さまが自分のために造ってくださった。」と思う権利は認めますか?
...もしそうなら別に言うことはないです。


カクレクマノミ様へ  投稿者:創造論者 投稿日: 2004年09月06日21時40分

>別にそれだったら、ヒトの心を予め何も無い荒野を美しく感じるように作れば、わざわざ他のいろんなの作る必要がなくて神も楽なのでは?

何も無い荒野にもそれなりの美しさがありますね。何をどのように造るかは全て神様がお決めになります。いろいろと面白い物を沢山造ってくださった神様に少しは感謝しませんか?


ひとつだけ...シンさんへ  投稿者:おずおず 投稿日: 2004年09月06日21時31分

>「思い上がり」とはそれに力が伴っていたら、ある意味思い上がりではありません。

「思い上がり」というのは、実際には自分は虫けらなのに、たとえば「神に祝福された特別な存在」だと、「間違った認識」をすることです。
「間違った認識」は、どんなに自分が力が強かろうと、「正解」にはなりません。

あなたは例えば、テロリストの行為が正しいか正しくないか、を、彼らが大量虐殺に「成功した」かどうかで、決めますか?
力の強いテロリストは正義だと定義するのですか?

例えば昔、肉食恐竜たちは我々の先祖を多分、慰み半分に殺すこともあったと思います。
我々の先祖は彼らにとっては、彼らの食料でもあり、おもちゃでもあったでしょう。虫けら、だったはずです。
...シンさんは、肉食恐竜たちがその当時そう出きるだけの力を伴っていたから、彼らの思い上がりは正しかったと思います?

また、彼らの運命と同様に、思い上がった我々を絶滅させるために、神が、米粒程度の隕石をもう一度地球に差し向けることはないと、無邪気に信じられます?

神は、我々の後に地球を支配する、本当に神さまに似せて作る生き物のオモチャ兼エサとして、我々を地球に満ちあふれさせたのかもしれない、とは、思ったことはありません?

肉食恐竜も、我々と同じように、そう、思い上がってたのかもしれない。
思い上がる、とは、「真実でないことを真実だと思いこむこと」の一種であって、思いこんでいるバカが、たまたま今力を持っているかどうか、じゃないと思うんですけど。


PEPE殿へ  投稿者:創造論者 投稿日: 2004年09月06日21時25分

>生き物の生命は人間の為にあるのではありません。
そんなに人間は特別なのですか?あまり思い上がらないで下さい。

美しいものを神様が人の為に造って下さった、と考えるのが何故思い上がりになるのですか?
私自身は神様が造ってくださった生き物を愛しているだけで思い上がるつもりは毛頭ありません。


Reシンさんこんばんは   投稿者:シン 投稿日: 2004年09月06日21時23分

PEPEさん こちらこそ、こんばんは

この問題に関しては、自分がどう考えるか、の前に設定された立場による、と思います。
私も、もし<38億年も人間不在の時代を生き物達>がいた、という設定なら、私もあなたと同じように考える自分でありたい、と願います。あなたは優しい人のように思えます。過去の悠久の時に思いをはせていて、その時代を生きた他の生物まで尊重しているからです。

一方、私は宗教の立場を説明しただけなのですが、仮に神によって、創造された、とする設定、特に聖書でなら人は神の形に似せて創られた、という設定ですので、いわば人間は神の子、と読めます。長い宇宙だとしても短い宇宙だとしても、生まれてくる自分の子に対しそれなりの準備をするでしょう。喩えるなら結婚した夫婦が子供が生まれる前、いろんなおもちゃや乳母車などいろいろ買って生まれてくるのを待つのに似ています。

そうして自分は自分を創った存在(神)に愛されているんだ、と希望を持つのが、とりあえずは、聖書の神を信じる人の立場です。

母親にとってみれば、とにかく1番大事なのは自分の子、という傾向が多いですから、もし自分が「子」に設定されているのなら自分が愛されている存在でありたいと信じるのです。普通自分の子と愛犬、どちらか死ななきゃいけない2択があったら、大体は自分の子を生かす、と思います。自分の子を殺す方がいい、と、比べられるものはあまりない、と考えられると思います。

つまり、事実はどうあれ、自分の心に設定された立場によって尊重する対象が変わる、と言えます。思い上がっていない、と願いたい、ところです。あなたの立場ならその立場に対して思い上がってる、と思うことはしょうがないのかもしれません。けれどその考えを変えることはあなたの考えを変えるのと同じ難しさがあると思います。


目的論的説明  投稿者:流木 投稿日: 2004年09月06日21時08分

◆目的論的な説明について

 キリンの首が長い理由を説明して、「高いところにある木の葉を食べるために首が長くなった」といえば、これは目的論的な説明です。首が長いと、高いところにある木の葉を食べるには都合がよいでしょうが、それは結果に過ぎません。

 人間が作ったモノには用途(目的)があります。人間が作ったものについては、目的論的な説明をしても問題はないわけです。しかし、人間が作ったものではない自然現象を目的論的に説明しようとすると、おかしな話になってしまいます。人間は、ある条件の下でだけ成り立つことを、その条件を満たさない場面にも適用しようとして、間違えることがあります。人間が作ったものについては成り立つ目的論的な説明を、人間が作ったものではない自然現象にも適用しようとするのも、人間の認識の誤りの一つといえます。

 むろん、そこに人間ではなく、万物の創造主としての神様を持ち出し、目的論的な説明を行うことは可能です。「なぜリンゴは木から落ちるんですか?」「それは神の愛です」といった説明ですね。ただ、科学はそうした目的論的な説明を採用しません。自然科学であれば、神様はタナ上げして(「タナ上げ」ということは否定ではありませんよ、念のため)、自然現象の範囲内で何とか説明しようと努めるのです。

 神様を持ち出せば、自然現象の説明は簡単です。「なぜ雷はゴロゴロ鳴ってピカピカ光るんですか?」と子どもに聞かれて、電話の相談員が「それはね、神様がそうされたからですよ。ハイ、次の人」とやって済むのなら、これほど楽なことはないでしょう。

 ダーウィンの進化論を踏まえて考えると、キリンのご先祖様の中に首の長い個体が生まれ、高いところにある木の葉も食べることができたことでその個体の遺伝子を引き継いだ子孫が増えたというだけです。もし、首が伸びたことで子孫がかえって減るようであれば、今日、キリンの首は長くなかったでしょう。キリンの首が長くなること自体に何か目的があったのではありません。


シンさんへ  投稿者:カクレクマノミ 投稿日: 2004年09月06日20時43分

>これに対しては返答してみましょう。多くの宗教では基本的に、人のために全ての環境が、与えられている。と、定義します。良いものも、悪いものも、です。

ドーキンスの「悪魔に仕える牧師」の中で、ダグラス・アダムズの言葉としてこんなものが載っています。参考までに、引用してみます。

ある朝、水たまりが目を覚まして、こう考えたと想像してみてください。「僕が入っている面白そうな世界―僕が入っているこの面白そうな穴―は、かなりぴったり僕の体に合っているんじゃないかい?いやホント、ぶったまげるほどぴったりで、僕を入れるためにつくったに違いない!」これはあまりに強力な考えだったので、太陽が空に昇り、空気が温まるにつれて、水たまりはしだいに小さく、小さくなっていきますが、水たまりはなおも、万事が順調に進んでいるという観念に死にものぐるいでしがみついています。なぜなら、この世界は彼を収容するためのものであり、彼をなかに入れるために造られたからなのです。ですから、消滅する瞬間は、彼は相当に驚くことでしょう。これは、私たちが油断なく警戒している必要のある事柄なのかもしれませんよ。


シンさんこんばんは  投稿者:PEPE 投稿日: 2004年09月06日20時33分

僕は無学で舌っ足らずですが、
やはり人間の為に世界が用意されたとの考えには反対です。
考え方の違いと言えばそれまでですが、38億年も人間不在の
時代を生き物達は人間の登場を待ち焦がれてきたのでしょう
か?答えは否だと思います。彼らはただひたすら、自分の命
(種)の継続のために喰ったり喰われたりしているそれぞれ
彼ら固有の命だと僕は考えています。誰かのために存在して
いるのではないのです。

人間の為に世界が存在するという考えにはやはり思い上がり
だと考えます。


アホらしい理由  投稿者:シン 投稿日: 2004年09月06日20時29分

誤解のないように言っときます。アホらしい、は言い過ぎました。ごめんなさい。
ただ、そう思ったのは、流木さんの

>自然現象を目的論で説明しようとするのは、ナンセンスです。それでは子どもの疑問にも答えられませんよ。

の、考えに近かったからです。科学をする場なので、目的論による説明は、たとえそれが仮に事実だとしても、検証が難しいので、ここにおいては無駄だと思ったからです。

他意はありません。


神のデザイン説  投稿者:流木 投稿日: 2004年09月06日20時24分

 イカの眼とヒトの眼はレンズがある点では同じですが、構造的には相同ではなく、相似器官と呼ぶべきです。網膜の構造も違います。イカの網膜は視細胞が前を向いており、盲点がありません。これに対して、ヒトの視細胞は反転しています。

 網膜の視細胞が後方を向いているのは、発生学的な制約です。イカやタコの網膜の視細胞は前を向いていることでも分かるように、生物が脳の周囲を被う表皮の前方から光を受けていたときは脳の網膜の視細胞は前を向いていました。しかし、次第に表皮は側方が盛り上がり、神経管を取り巻くようになり、眼も頭部の側面に付くようになった結果、神経管の裏側から光が入ってくるようになってしまったのです。眼球の解剖図を見ると分かりますが、視神経は盲点を通って眼球の外へ出て、大脳の視覚野へ入っています。盲点は視神経の出口であり、視細胞がないので、盲点上で結像してしても像を感じません。

 こういう不合理な構造になっているのは、目が進化の産物であり、過去のしがらみに縛られているからです。目が不合理な構造を持つことは「神のデザイン」説では正当化できそうもありません。もし、神様がデザインしたとしたら、ゼロからすっきりとデザインすればよいでしょう。田舎の旅館みたいに建て増しを繰り返したような奇妙な構造にわざわざ作る意味がありません。まさか全知全能の神様が「面倒だから、前のやつをちょっと手直しして使えばいいや」などと考えたとでもいうんでしょうかね?


4つの質問     投稿者:シン 投稿日: 2004年09月06日20時11分

私はアホらしくて参加する気になれませんでした。案の定予想どうりの展開、、、
みなさん本当に親切ですね。ただ、差出者さんに対しては何も思うところはありません。その話題はまだ理解するのにおそらく時間がかかるからです。

ただ、PEPEさんの   (あっ、こんばんは)

>生き物の生命は人間の為にあるのではありません。
>そんなに人間は特別なのですか?あまり思い上がらないで下さい。

これに対しては返答してみましょう。多くの宗教では基本的に、人のために全ての環境が、与えられている。と、定義します。良いものも、悪いものも、です。

そのうちのいくつかのケースは子供に与えた「おもちゃ」みたいなものに喩える事が出来ます。大切に使わないですぐに壊したら普通、親は怒ります。

現実に、人は食べられるもの、食べられないもの、使えるもの、使えないもの、を、環境から選び、動物や植物を殺して生きていかなければ生存不可なので、どっちの思想であっても、行う行為は一緒です。

与えられた、と認識する人でも、与えられたのではなく、ただそこに在った、という立場でも、軽々しく環境破壊とかはしないでほしいと願います。実際の行為は50歩100歩でしょう。どちらの立場でも自然を大切にする人はいるし、しない人もいます。

ただ、これは認識の立場の違いなので、非難に値しないと思います。現実問題として、今のところ、人間は自らを含め世界と世界の大体の生物を滅ぼす知識と力があります。が他の生物には今のところ被害は与えても、決定的な滅びをもたらす力はないように思えます。

「思い上がり」とはそれに力が伴っていたら、ある意味思い上がりではありません。
私自身は思い上がっていたくはありませんが、これは難しい問題だと思っています。


子どもの疑問  投稿者:流木 投稿日: 2004年09月06日20時05分

*創造論者さん(私の答え 投稿者:創造論者  投稿日: 9月 6日(月)18時22分30秒)

 こんにちは。

 ある子どもが母親に尋ねました。「お母さん、雨はどうして降るの?」
 仕事が忙しかった母親は面倒だったので、「お花に水を上げるためよ」と答えました。
 すると子どもは、「じゃあ、どうしてアスファルトの道路の上にも雨は降るの?」
と尋ね返したそうです。

 自然現象を目的論で説明しようとするのは、ナンセンスです。それでは子どもの疑問にも答えられませんよ。


(無題)  投稿者:タックス 投稿日: 2004年09月06日19時59分

>>それでも、偶然の突然変異と自然淘汰の単なる累積だけで、
説明できますか?????
但、突然変異・自然淘汰という言葉は使わずにです・・・
化学的変化としてです・・・
全く同じことをお聞きしますよ。いい変異だけが選択的に起こって、すごいプログラムが合目的に、なんとかしてくれるっていう以上に、あなたの理論を化学的に説明できますか?そんなことが起こっている証拠を出せますか?


やれやれ…  投稿者:流木 投稿日: 2004年09月06日19時56分

*差出者さん(テッポウ魚は化学的進化の産物・・・ 投稿者:差出者  投稿日: 9月 6日(月)17時34分41秒)

 こんにちは。

>>進化論者の話は、私に言わせれば、ただの御伽噺です。

 結果だけ見れば、何でも必然に見えるというだけです。「人間の目は複雑で、偶然にできたとは思えない」というのは、創造科学支持者のいい古された批判の1つですが、ダーウィン本人が『種の起源』の中で既に回答済みです。

>>そのような「合目的的」な作業を可能ならしめるには、
全体的な流れを知っていて、且つ、制御できる「プログ
ラム」の存在以外には絶対に考えられません。

 あなたが考えられないだけでしょう?それはあなたの想像力の限界です。自分が理解できないからといってあり得ないと断言するのは、自信過剰なのではありませんか?それとも、あなたは世界で最も理解力があるのですか?

 そのプログラムは誰が作ったのですか?神様ですか?突然変異や自然選択は信じられないが、神様は信じるんでしょうかね?

 そもそも、あなたは突然変異や自然選択をどのように理解しておられるのですか?それをまず述べるべきだと考えますが?どうも「進化は偶然」というお粗末な理解のように思えてなりませんが、私の錯覚でしょうか?


(無題)  投稿者:タックス 投稿日: 2004年09月06日19時54分

>>しかも、それぞれの「機能」が、ただただ、別個に備わ
っても仕方がないのであり、「補虫」という「目的」
を中心として、きちっと順序だてて統合連携しなけ
れば、各機能は到底意味をなさないのですっ!
違います。いいですか?目でものを追うという機能は、虫のためにあろうがなかろうが「か ま い ま せ ん」。
ねらいを定めるという機能は、空中のむしにあろうがなかろうがかまいません。
自分のえさを認識するという機能は、虫のためにあろうが、なかろうがかまいません。
水中にういてるえさを食べるという機能は、鉄砲水があろうがなかろうがかまいません。
えさを認識したときに攻撃するというしくみは鉄砲水があろうがなかろうがかまいません。
そして、一番問題なのは、水テッポウで、虫が落ち
る、という情報を「生き残る手段」として(「意味
のある情報」として)保存し、その情報を活かすこ
とのできる「プログラム」遺伝子が、偶然「機能」
しなければならないということなんです。D
これはオペラント条件づけのことですか?なれば、やはり、水鉄砲で落としたやつだろうが、なんだろうが、かまいません。たんにえさを得られたという経験と行動を結びつけるしくみがあればいいだけです。

つまり、たしかに差出人さんの言うとおりに、途中の経路がありえなく全てがいっぺんにそろわなくてはならないものというのは、進化論では説明できません。そして、そういうものは知られていません。
>>
それも、偶然の塩基配列のエラーなんかで・・・・
私にとっては、お話にもなりません・・・
進化論者の話は、私に言わせれば、ただの御伽噺です。
進化には、ちゃんと「道筋」があった、というのが私の意見です。

これを中立進化の観点から検討してみましょう。差出人さんの理論が予測することはまず、意味がある配列ばかりがよく起こって、ちゃんとできたということです。ネオダーウィニズムは違います。起こりやすい塩基配列の変異は物理化学的性質に応じて違いはあるものの変異は全くでたらめに起こります。意味がある変化もない変化もおかまいなしです。大部分は有害な変異なので、たんぱく質の違いがおこる変異は定着しにくいということになります。無意味で、変異が多くそして、たんぱく質の違いを起こす変化よりもっとはるかに定着しやすい。そして、アミノ酸配列の変化がもとのアミノ酸に近いほど、有害になりにくいので、残りやすい。そして、分子進化の描く系統樹はまさに全くその通りに起こります。でたらめな変異ばかりが起こって、無意味なものが最も定着しやすい。有利な変化も中立な変化も有害な変化も全く同様に起こった。しかし、定着するのは、無意味な変化が大半だ、と。


Re:化学的  投稿者:大文字ナン 投稿日: 2004年09月06日19時49分

 To 差出者さん

 ある数式で表される関数をf(x)と略して記述し、それらの集合である科学理論を大枠で論じることが出来ることと同じく、AGTC塩基配列のどことどこがどのように置き換わる、あるいは発現するとこのような形質が生まれる、というような過程を、とりあえず「遺伝子の変異」と表現することになんの差支えがあるでしょうか。少なくとも、その道の専門家や研究者の方々は、私が使うような近似値としての概念のディティールを、はるかに正確に、微小にわたって記述できるはずです。
 もしもどうしても納得がいかなくて、化学式を含めた生物内で起きる生理的変化や特性をきちんと理解したいのならば、専門の文献を調べるなり、研究機関の門戸をたたくなどしていただくことがベストではないでしょうか。

 生物と非生物を分かつものの基準のひとつに、自己と非自己の峻別があるかと思います。捕食者と非捕食者の関係は、まさに自己と非自己の関係であり、自己を維持するために非自己を峻別する機能が高まっていく過程は、偶然とは言わないでしょう。
 自己と非自己を区別し、時に非自己を「捕食」し「餌」とすることは、生命にとってなるほど重要な意味を持つ現象ですが、原始的な生命にも、それは備わっていたことではないでしょうか。

 そもそも、進化論のはじまりは「観測結果から得られた推測」ではあるでしょうが、それを支える実証…たとえば、遺伝子というものが「ランダムに変異を起こす」ことは疑いようのない事実であり、それが小さな「個体差」を生み、個体群の中で「有利/不利」を生むことは容易に観察できることです。

 なにが起きるか?は偶然に支配されていても、それが継承され、広まるかどうか?は偶然に支配されているわけではありません。これは生物界に限らず、さまざまな物質の「関わり」の中で、往々にして観察される事象だと私は考えます。たとえば高分子。より他と結びつきやすい構造は大きな分子を形成していきます。

 このような視点に立つことが出来れば、進化を理解することがそれほど難しいこととは思えません。テッポウウオは、いきなり自分と虫を峻別出来るようになったわけではないでしょう。水を飛ばすことも、ある飢餓的な状況の中で、水中より空中に「狩場」を広げる個体が現れ、それが広まっていくことは「最初は偶然」であっても、その表現型が固定されるかどうか?は「自然選択」で説明できるのですから、それを化学的な変化に還元したところで、同じ文脈で説明されることでしょう。


鉄砲魚  投稿者:いど 投稿日: 2004年09月06日19時41分

差出者さまへ

>このことは、地球上の全生物に言えることなのではな
>いでしょうか?つまり、各機能が、「合目的的」に統
>合連携しなければ、絶対に、「1つの機能的な作用」
>ですら、到底なし得ないと思いますが、そのようなこ
>とを可能ならしめる唯一の手段は、その作用の目的を
>中心として全体を統合できる「制御プログラム」の存
>在以外には考えられないのであります。偶然、連携し
>合って、明確な目的性・機能性を有することは考えら
>れないからです。ナンセンスです。


NATROMさまのウィルス進化論に対して指摘を行っているページはご覧になっているでしょうか? その文章を読めば差出者さまの疑問を解決できると思います。ちなみに…

>ただただ、別個に備わっても仕方がないのであり、

と仰っていますが「(1)餌を目で追う能力」と「(2)水面に浮いているゴミと餌を見分ける能力」は個別で獲得したとしても生存に有利な特徴ではないですか? また、

>それでも、偶然の突然変異と自然淘汰の単なる累積だけで、
>説明できますか?????
>但、突然変異・自然淘汰という言葉は使わずにです・・・

AをBで説明できるか?(条件:Bを使用してはいけない)
このような問いは
問いかけを条件が否定していて条件を護れば絶対に問いかけには答えられず
問いかけに回答すれば絶対に条件を違反してしまいます。


(無題)  投稿者:タックス 投稿日: 2004年09月06日19時35分

God Bless You!さんですよね?一月前本の感想を書くためだけにきたのに、あなたにあったばっかりに私は大変なことになりました。という恨みはさておき。
>>化学的変化として、具体的に下記の
内容を誰か説明して下さいませんでしょうか?それで
ないと、進化論は単なる憶測以外の何物でもないこと
になってしまいます。
単なる憶測ではありません。脳がどうはたらいているか、どうして、やさしさというようなものがうまれるのかは、下位レベルの説明では誰にもできません。しかし、それが、ニューロンの結合や、化学物質の作用で生み出されることはまあ、反対する人もいますが、だいたいにおいて、認められています。

たとえば、パブロフのイヌ。差出人さんと同じ、論理をくみたてますよ?
まず、イヌの中で、ベルの音と、えさがきたということが記憶されなければ、なりません。
そのまえに、ベルの音という空気の波を認識しなければなりません。えさを食べるということが快いということもわからなくてはなりません。他にもいろいろな条件があるなかで、ベルだけをえさにETC..
どうして、こんなことがただの化学反応などの作用にできなければならないのか?ばかげている。まして、それが、あらかじめ塩基配列にくみこまれてその構造が寸部たがわずできなければならないなんてナンセンスです。お話になりません。
お話にならないわけないっしょ?カテゴリー違いですよ。
なんで、化学変化とか神経系の細かい構造が全てわかってないと、それが説明できないってことになるんですか?延期配列の変化が例えば、重篤な病気をおこすとしましょう。それがどこでどうなって、複雑な発生のメカニズムの中で、そのような病気を起こすのかはわからなくても、たんに、塩基配列が変化して、重篤な病気がおこったってことはわかるんです。途中のメカニズムが全てわからなければ、塩基配列の変異が病気を起こしたことは説明できたことにならないなんてそれこそ、あいたくちがふさがらないような暴言です。
進化もおんなじです。塩基配列が変化して、「それからどうにかなって」よく残るものがうまれる。よく残るものが定着する。それだけわかってりゃいいだけの話です。塩基配列が変化すること、変化すれば、マクロ的に形質に影響をおよぼすこと、よく残るものがよく残るメカニズムがあること。それだけわかってれば十分です。進化がそれで全て説明できるかはともかくね。
>>機能」というものが、偶然に発生することはあり
得ないと私は思っています。なぜなら、「機能」と
は、相手が存在して始めて成立する「作用」だから
です。相手も知らずに、「或る作用」を可能ならし
めるなどということは偶然では考えれません。
これはもっともです。酸素がない環境によく適応してきた生物が、酸素用のしくみをそなえていたら、不思議です。重力がないところに重力を想定したものがあったら不思議です。過去に虫がいなかったのに、虫をくうシステムがあったら不思議です。まったくその通りです。それこそが、進化論の予測するところです。コンドームやピルがある時代のために特別にそのための心理がうまれつきあったら不思議です。塩基配列はただのアミノ酸配列なのに、それの変化が、どういう影響を及ぼすかは、もともとそれが、作用する環境がなくてはなりません。


創造論者さんへ  投稿者:カクレクマノミ 投稿日: 2004年09月06日19時18分

チョウチンアンコウがグロテスクなのは神様が人を苦しませる為にそのように造りやがったのです。
有利とかではなく人を不幸にするために神様がラフレシアの臭い匂いを造ってくれました。神様を憎悪しましょう。

まあ、これはちょっとした冗談として。

別にそれだったら、ヒトの心を予め何も無い荒野を美しく感じるように作れば、わざわざ他のいろんなの作る必要がなくて神も楽なのでは?


創造論者殿  投稿者:PEPE 投稿日: 2004年09月06日18時56分

生き物の生命は人間の為にあるのではありません。
そんなに人間は特別なのですか?あまり思い上がらないで下さい。


私の答え  投稿者:創造論者 投稿日: 2004年09月06日18時22分

>1.蝶の羽のデザインが、左右対称で人間の目からみて美しいのは、
どういう有利さがありますか?左右対称の方が、より適応的なのでしょうか??

蝶が美しく愛らしいのは神様が人を楽しませる為にそのように造ってくださったのです。

2.多くの花の色が、人間にとって、心地良い色であることは、どういう有利さが
ありますか?

神様が人を楽しませる為にそのようにお造りになりました。有利も不利もありません。

3.孔雀の羽が人間にとって美しく写るのは、どういう有利さがありますか?

だから神様が美しく造ってくださいました。また美しく感じるこころもそうです。

4.花の香りが、人間にとってよい匂いであることは、どういう有利さがありますか?

有利とかではなく人を幸せにするために神様がよい匂いを造ってくれました。神様に感謝しましょう。


無理ちゃう?  投稿者:JA50 投稿日: 2004年09月06日17時47分

「突然変異・自然淘汰という言葉は使わず」に説明するのは不可能じゃろう。
不可能ということは「突然変異・自然淘汰」という仮説が正しいという根拠になる。


テッポウ魚は化学的進化の産物・・・  投稿者:差出者 投稿日: 2004年09月06日17時34分

テッポウ魚の話が以前どこかに出てましたが、進化と
は、要は、分子レベルにおける化学的変化の連続であ
り、蓄積であると私は思います。自然淘汰とか、突然
変異とか言っても要は、化学的変化の蓄積でしかありません。

ですから、どういうふうに「テッポウ魚」が化学的変
化をしてどういうふうに、遺伝配列がなされて、今の
「テッポウ魚」になったのかを、きちっと説明できな
ければならないと思われます。

ただ、ただ、いつも、突然変異だ!自然淘汰だ!累積
だ!という言葉を使って、御伽噺を作るだけだったら、
中学生でもできます。結果を指してそう言ってるだけ
なんですからね・・・

そうではなくて、化学的変化として、具体的に下記の
内容を誰か説明して下さいませんでしょうか?それで
ないと、進化論は単なる憶測以外の何物でもないこと
になってしまいます。よろしくお願いします。

テッポウ魚

水テッポウで、地上の虫を水面に落として、それを
補虫して食べる・・・

これだけの内容なんですが、取り敢えず、一連の作
業の工程を、ばらばらにして分析してみますと・・・

順不同ですが、一応下記のような機能が複合しなけ
ればならないと思われます・・・


まず、目で見て、狙いを定めているのは、どう見ても
間違いないでしょうから・・・

つまり、目で見て狙いを定める「機能」が偶然、遺
伝子に組み込まれなければなりません。@

そして、狙っている地上の虫が、自分が食べる「え
さ」であると「認識」できる「機能」が、偶然、遺
伝子に組み込まれなければなりません。

(たまたま、水面に落ちた虫をただ、食べてるだけでは、
学習できないし、ましてや、遺伝しません・・・
水中に生息する魚が、水中以外の、つまり地上の
虫を、自分の餌だと認識できることは驚くべき内容だと
思われます・・・)A

つぎに、狙いを定めたら、水を発射するスイッチが
onになるような、(普段は、off)「機能」が偶然、
遺伝子に組み込まれなければなりません。B

其の前に、エラから水を取り込んで、それを口から
飛ばす、という器用な「機能」が、偶然、遺伝子に
組み込まれなければなりません。C

そして、一番問題なのは、水テッポウで、虫が落ち
る、という情報を「生き残る手段」として(「意味
のある情報」として)保存し、その情報を活かすこ
とのできる「プログラム」遺伝子が、偶然「機能」
しなければならないということなんです。D

「機能」というものが、偶然に発生することはあり
得ないと私は思っています。なぜなら、「機能」と
は、相手が存在して始めて成立する「作用」だから
です。相手も知らずに、「或る作用」を可能ならし
めるなどということは偶然では考えれません。しか
も、それぞれの「機能」が、ただただ、別個に備わ
っても仕方がないのであり、「補虫」という「目的」
を中心として、きちっと順序だてて統合連携しなけ
れば、各機能は到底意味をなさないのですっ!

そのような「合目的的」な作業を可能ならしめるには、
全体的な流れを知っていて、且つ、制御できる「プログ
ラム」の存在以外には絶対に考えられません。

このような「離れ業」が、経験ではなくて、つまり、
獲得形質ではなくて、偶発的な生殖細胞の突然変異
の蓄積(自然淘汰)でのみ完成しなければなりません。E


このような「機能性」が、一度に、1代で完成した
とは到底思えないので、漸次的に蓄積していったと
いうべきなんでしょうが、このような一連の流れ作
業のそれぞれの「各分担機能」が、目的もなく、た
だただ「蓄積」して、少しづつお互いが関連付けを
持ちつづけ合うなんてことが果たして可能なんでし
ょうか??しかも、何世代にも亘って・・・


このことは、地球上の全生物に言えることなのではな
いでしょうか?つまり、各機能が、「合目的的」に統
合連携しなければ、絶対に、「1つの機能的な作用」
ですら、到底なし得ないと思いますが、そのようなこ
とを可能ならしめる唯一の手段は、その作用の目的を
中心として全体を統合できる「制御プログラム」の存
在以外には考えられないのであります。偶然、連携し
合って、明確な目的性・機能性を有することは考えら
れないからです。ナンセンスです。

それも、偶然の塩基配列のエラーなんかで・・・・
私にとっては、お話にもなりません・・・
進化論者の話は、私に言わせれば、ただの御伽噺です。
進化には、ちゃんと「道筋」があった、というのが私の意見です。

それでも、偶然の突然変異と自然淘汰の単なる累積だけで、
説明できますか?????
但、突然変異・自然淘汰という言葉は使わずにです・・・
化学的変化としてです・・・


非専門家による根拠のない御話  投稿者:いど 投稿日: 2004年09月06日16時08分

すでに花と虫の間において、花の色と蜜(や実)による関係性が出来上がっているのであれば、その他の生物もソレ(虫の価値観)に準じた価値基準を持っている種のほうが、そうでない種よりも生存しやすいわけですよね? つまり何がいいたいかというと、現在「人間の目で見ても美しい色彩に花が変化した」といより「進化の結果人間はある特定の色や模様を美しく感じるようになった」のでは? と思うのです。

ある種Aがある環境において何らかの自然淘汰の結果赤色に対して興味を引くように進化したとします(その環境においては餌となりうるものに赤が多いなど)。そして次に登場した種Bがいたとすると似たような環境であれば赤に対して興味を引くように進化をする可能性は大いにありえるのではないでしょか? もしもそうなった場合、種Aの雄が雌から注意を引くために赤色の配色を体毛に使うようになった場合、結果的に種Bからも注意を引くようになります。孔雀の羽を美しいと思うのはこのような過程を経たのではないでしょうか?


どうも有難うございました。  投稿者:mama 投稿日: 2004年09月06日14時26分

投稿してくださいました皆様、どうも有難うございました。

遺伝子に基づく発生の仕組みが原因なんですね。
また、それぞれに有利な意味があるんですね。

どうもでした。m(__;)m


なぜ人間にこだわるんだろう  投稿者:PDX. 投稿日: 2004年09月06日14時11分

To mamaさん

>1.蝶の羽のデザインが、左右対称で人間の目からみて美しいのは、
>どういう有利さがありますか?左右対称の方が、より適応的なのでしょうか??

 羽に限らず、蝶の身体は基本的に左右対称にできています。
 蝶に限らず、多くの昆虫はそうでしょう。
 左半身を作る遺伝子と右半身を作る遺伝子が別々に存在するわけではなく、同一の遺伝子が左右対称な肉体を作っているというのが一番シンプルな考え方ではないでしょうか?

 そして、人間がそれを見て美しいと感じるのは、自分達ヒトもまた基本的に左右対称な動物であるが故に、それに共感ができるからではないでしょうかね?
(基本的に、と書いたのは内臓などは左右対称ではない配置になっているからそう書きました。外見とは関係ない話ですけど)


>2.多くの花の色が、人間にとって、心地良い色であることは、どういう有利さが
>ありますか?

 人間がそれを見慣れているから、というのがあるかと思います。
 そもそも花はヒトが進化するより早く登場していますから、ヒトのために美しくなったわけじゃないでしょうし。

 花は基本的に、花粉を媒介してくれる昆虫のためにあのようなアピールをしていると思われます。人間なんていなくても花には関係ないわけで。
 となると、本来花の色彩を見るときは蜂や蝶の目で見ないといけないのかもしれませんけどね。たまたま人間の目で見ても美しいだけなのではないかと。

 もちろん人為的に品種改良されたものは、人が美しいと思う方向に持っていったんでしょうけど。

>3.孔雀の羽が人間にとって美しく写るのは、どういう有利さがありますか?

 孔雀の羽は、雄が雌に対してアピールしているものだと考えられています。
 人間にとってということを考えるのはあまり意味がないかと思われます。

>4.花の香りが、人間にとってよい匂いであることは、どういう有利さがありますか?

 これも、花の側の問題ではなくて人間の側の問題でしょう。
 蜜や果実の匂いを心地よいと感じることで、食べても安心なものを識別しているのだと考えられます。
 上で花の色で触れたように、花にとっては虫たちに対する信号なんでしょうけどね、あの香りも。
 実際ラフレシアなどは、花粉を媒介するハエをおびき寄せる腐った肉のような匂いを放つそうですが、人間にとってよい匂いとは思えないでしょう。


 上記1.〜4.の質問はいずれも「人間にとって」という視点が含まれていますが、ヒトのためではなくてそれ以外の対象のために淘汰されてきたカタチという視点を、もっと重視されてみてはいかがでしょうか?


>偶発的な突然変異の累積だけでは、到底46億年でも足りないと思うのですが・・・

 試験管の中で擬似的に創られたRNAワールド(RNAと、酵素や塩基の混合物)では、RNAは自己を複製するときにそれなりの頻度でエラーを生じるそうです。
 複製をくりかえし、エラーを蓄積することで複製速度のバラつきが生じ、他のものより速く複製できるものが集団中に増えていくことが観察されているとか。
 人間が観察している期間ですらそれが見られるということは、「偶発的な突然変異」の頻度はけっこう高いんじゃないでしょうかね? 特にRNAにおいては。


生物の色彩について  投稿者:ゆん 投稿日: 2004年09月06日13時56分

ちょっと捕捉。

>1.蝶の羽のデザインが、左右対称で人間の目からみて美しいのは、
>どういう有利さがありますか?左右対称の方が、より適応的なのでしょうか??

左右対称のことについて書き忘れました。
動物の形状に、左右対称をはじめ何らかの対称形をなしている事が
多いのは、美意識からではなく遺伝子に基づく発生の仕組みが原因です。
平たく言えば、右の羽根と左の羽根を生成するのに同じ遺伝子が使われるから。

>3.孔雀の羽が人間にとって美しく写るのは、どういう有利さがありますか?

孔雀の羽は、性選択、つまり同族内で異性にアピールするために発達した仕組み
だと言われています。

一般論として、視覚の発達した生物は、性選択の結果視覚的に派手な外見を獲得
しがちな事が予想されます。鳥類は視覚の発達した生物で、派手な外見を持つ種
が多く存在します。哺乳類は基本的に視覚は鈍い方なので(人間は例外)、色は地
味な種が多いです。

人間は、強力な視覚を獲得した『結果として』視覚的に派手なデザインを「美しい」
と感じる感性を持つに至った、というあたりが孔雀の羽を人間が美しいと思うことの
説明になるかと思います。

むしろ近年は、剥製にするために狙われたりといった理由で、孔雀の美しさは人間に
対しては繁殖に不利に働く要因にすらなってるんじゃないですかね……。


生物の機能性と美  投稿者:ゆん 投稿日: 2004年09月06日13時44分

>1.蝶の羽のデザインが、左右対称で人間の目からみて美しいのは、
>どういう有利さがありますか?左右対称の方が、より適応的なのでしょうか??

蝶の羽が美しいのは第一義には同族へのアピールのためでしょう。
それが人間の目にも美しく見えるのはそれこそ「たまたま」かと。
同族へのアピールというなら、蛾の羽だってそういう役割を持っている
かも知れないけど、人間はそうは思わないわけです。昆虫自身の感じる
「美しい」と人間の感じる「美しい」が一致しているケースは実はそう
多くないのかも。

>2.多くの花の色が、人間にとって、心地良い色であることは、どういう有利さが
>ありますか?

派手な色彩を持つ花の多くは、人間が品種改良した種ではないでしょうか?
野生の花は総じてそんなに派手な色彩を持っていないと思います。
品種改良の手順に照らせば、「派手な美しい色彩を持つ」ことが
直接、生存と繁殖に有利さをもたらします。

>3.孔雀の羽が人間にとって美しく写るのは、どういう有利さがありますか?

これもたぶん1と同様。

>4.花の香りが、人間にとってよい匂いであることは、どういう有利さがありますか?

2と同様。


ご存知の方是非教えてください。  投稿者:mama 投稿日: 2004年09月06日13時28分

自然淘汰とは、生き残るのに有利であった・・・という意味に
尽きると思われますが、それは、
「其の環境において、たまたま繁殖力が強かった」という意味でもありますよね?

だとすると、現在生き残っている生き物は、百戦錬磨の生物であり、
100%エラーの連続の「なれの果て」だとも言えます。
失敗は、成功のもと??

そうすると、現在の生物の機能性や美というようなものも、繁殖力と因果関係が
あるように思えますが、そうでないような気もします・・・

例えば、
1.蝶の羽のデザインが、左右対称で人間の目からみて美しいのは、
どういう有利さがありますか?左右対称の方が、より適応的なのでしょうか??

2.多くの花の色が、人間にとって、心地良い色であることは、どういう有利さが
ありますか?

3.孔雀の羽が人間にとって美しく写るのは、どういう有利さがありますか?

4.花の香りが、人間にとってよい匂いであることは、どういう有利さがありますか?

ところで、DNAの遺伝暗号が、偶然、生物学的に意味の或る配列として完成して
セントラル・ドグマを完成し、以後、数十億年もの間、淘汰されずに、改良もされずに、
進化もしないで、つまり、「完全無欠な2重螺旋構造」になるのには、
(mRNAにおいて、「コドン」として、転写されるようになるのには、)
偶発的な突然変異の累積だけでは、到底46億年でも足りないと思うのですが・・・
ましてや、化学進化の十数億年では、なお更・・・
そう感じるのは、私だけなのでしょうか??

一つでも、はっきり分かっていることがあれば、是非とも教えて下さい。


嘘の効用  投稿者:流木 投稿日: 2004年09月06日12時42分

*トトロさん(マルチレス! 投稿者:トトロ  投稿日: 9月 6日(月)07時49分42秒 )

 こんにちは。横レス、失礼します。

>>私は死後の世界の存在を持って現世の倫理観を説くことは問題があると考えています。

 話がちょっとずれるのですが、「嘘も方便」といわれますね。例えば、「お腹を出して寝てると、雷様におヘソを取られちゃうよ」とか「川で一人で泳いでると、河童に尻こ玉を抜かれちゃうよ」という話は、雷様や河童が実在しない空想上の存在であるという点では嘘です。しかし、お腹を出して寝ていれば寝冷えをしてお腹を壊したり、風邪を引くかも知れません。川で一人で泳いでいたら、溺れてしまうかも知れません。雷様や河童を持ち出すことで、子どもたちにそうした行動を控えさせるという意味では役に立った嘘ということができます。

 もっとも、雷様におヘソを取られるという話は落雷に遭って亡くなった人のおヘソが真っ黒に焼け焦げていた(電流がヘソから抜けた?)という事実が元になっていると聞いたことがあります。河童が尻こ玉を抜くという話も、水死体の肛門がぽっかりと開いているのを見て想像されたという話があります(実際に、水死するとそうなるのかは知りませんが)。まあ、河童は子どもを間引いた風習から生まれたともいわれますが。


Re.ゴッドハンドby流木さま  投稿者:投稿者: 投稿日: 2004年09月06日 8時24分

> そのようですね。「この時代にこの石器が出るのはおかしいだろ?」と思っても、「まあ、出たものは仕方ないや」で済まされたというのは、部外者にはよく分からないところです。常識的には「不自然だ=>捏造では?」となりそうです。先の書き込みでは、「面倒なことになるのを避けた」という見方を述べましたが、それが十分に説得的なのかどうかは分かりません。

まず、石器の場合、製造年代を直接計測する方法が無い場合が多いと言う点をご理解ください。旧石器時代の編年は、石器が発掘された地層など周囲の環境から測定され、石器の形式と結び付けられています。

日本での旧石器は発掘数が少なく、他の石器との比較が難しかったこと。また、石器は比較的狭い範囲で特殊な傾向がみられることがあることから、出土した石器が「不自然」とは言い切れないということだそうです。

尚、朝鮮半島や中国の石器と比較して疑いを持った学者は少なからずいるようですが、彼らが発言しなかったことが「面倒なことになるのを避けた」のか、反証に足る証拠を集められなかった為かは私にはわかりません。

ただ、この偽造が科学者の手ではなく新聞記者の手で暴かれたことを私は残念に思います。


ご意見、ご要望がございましたら、掲示板か、 e-mail:natrom@yahoo.co.jpへどうぞ。


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