進化論と創造論についての掲示板ログ169

2003年07月19日〜2003年07月23日
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Re: 断続平衡説  投稿者:ネクトカリス 投稿日: 2003年07月23日 1時39分

>たまごちゃんさん、diamonds8888xさん、大文字ナンさん
どうも、私がしつこく「違う」と言っても皆さんに納得していただけないようなので(たぶん私の説明の仕方が悪いんでしょう)、thinkpadさんが以前、紹介して下さった河田雅圭さんのサイトから、断続平衡説について述べた部分を引用してみます。「断続平衡現象が広く見られることは、多くの研究者が認めている。しかし、それが特に注目されたのは、この現象自体ではなく、この現象を説明する理論が特異だったからである。」(河田(1990)『はじめての進化論』講談社)。どう「特異」だったのかは、興味があれば、河田さんのサイトでお読み下さい。図がありますので、言葉だけの説明よりは分かりやすいと思います。


http://meme.biology.tohoku.ac.jp/INTROEVOL/Page23.html


Re:断続平衡説  投稿者:大文字ナン 投稿日: 2003年07月22日23時35分

 thinkpadさん

 グールドの著書を読んだことのない私ですが、小集団の隔離or分化が進化の鍵を握る、ということと、進化は小集団への分岐時に加速度を増す、ということが断続平衡説の根本で(もしも)あるのなら「ド素人」の私が「毛の進化ツリー」において繰り返し述べていたこととなんら変わりがなく、それくらい「あたり前」のことかと思うのですが…

 つまり断続平衡説とは、少し進化論を勉強すると「誰でも思いつく」程度のことなんじゃないのかなぁ…


Re:人為選択  投稿者:大文字ナン 投稿日: 2003年07月22日23時26分

 枝葉な気もしなくはないですが、この辺の理解(考え方)の差が論争の根本にあるような気もするので、もう少しご指摘差し上げます。

>人為選択によって起きることと自然選択で起きることが違っていても、特に不自然とは言えないのでは?

 私が認めているのは、人為選択が「これまでの地球の歴史上になかったこと」です。ですが、それは量的にも質的にも、他の自然選択となんら変わりはない、とするのが私の立場です。そしてそれは「好みや感受性の違い」である、とは思えないのです。

 先にゆんさんからも指摘されていますが、進化論が排除している「目的論」とは、変化する個体の意思や目的が遺伝子に影響を与えることはない、ということ(セントラル・ドグマ)であって、言い換えるとそれは「DNA→たんぱく質」という不可逆な流れだと私は思います。そしてそれは、ネクトカリスさんも十分に理解していることでしょう。

 ところが、人為選択は自然選択と言えない、とする立場…これが私には分からないのです。確かに、唯一遺伝子操作による新種改良だけは、これまでの自然にはまったくなかったことであり、遺伝子に直接目的を刷り込んでいる「感じ」はします。
 #厳密に言うと「変化する個体自身の意思や都合」が直接遺伝子に影響を与えることが「目的の導入」になるので「デザイン・ヒューマン」が生まれるまでは、目的論は排除され続けていると私は思いますが。

 いわゆる人工的な環境に放り込まれた犬や猫は(たまごちゃんがすでに指摘してるけど)一種の隔離を受け、断続的で急速な変化をしている(が、まだ種分化していない)状態に近いだけじゃないのかなぁ…


これならどうよ  投稿者:thinkpad 投稿日: 2003年07月22日22時19分

まず基本的に化石として残るには運だけではなく、大集団になっていないと無理だとする。
化石としてA→Bが見つかり、Aは長いこと停滞していた。AとBは形態に大きな差があるとする。
---------------
(総合説)

適応しきって進化が停滞している大集団の親種Aか、もしくは種分化したaのどちらかがB種に漸進的に進化する。
大集団の親種Aは基本的に環境が変わるまで停滞するだろう。それがB種に進化したのは環境が変わったからだ。
あるいは種分化したaが親種Aにとって変わる事もある。どちらになるかは、それぞれの場合で違うだろう。

もし大集団の親種AがB種に変わったとした場合、中間化石が見つからないのはなぜか?大集団なら中間化石がもっと見つかってもよいのでは?
→それは大集団とはいえ化石になる個体があまりに少ないため中間化石が欠落したか、まだ発見されていないためだろう。
---------------
(断続平衡説)

適応しきって進化が停滞している大集団の親種Aも、環境が変化すれば形態が大きく異なる大集団のB種に漸進的に進化する事は、断続平衡説側も認めている。違いは親種AがBに漸進的に進化する「機会」(時間)が与えられないということ。それまでにAから種分化して形態が大きく変わった小集団のa種が、生存競争の末にAのニッチを奪い取ってしまう。そして大集団になったaが化石となってB(=a)として見つかる。Aは少数となって、いつか絶滅する。
この場合、中間化石が見つからないのは、種分化したaが小集団の上に、進化速度も速いためである。
あるいは、化石を掘る場所を間違えている。aが隔離されていた地域をピンポイントで掘る必要がある。
化石記録は「総合説が予測するほど」欠落してるわけではない。

なぜa種はA種がB種に進化する機会(時間)を与えないのか?
→それは種が分岐する際に大きく形態が変化し、適応度に差があるためだ。逆にそれぐらい差がないと親種Aのニッチを奪えない。
そういう形態に差がある(=適応度に差がある)種分化したaが親種Aにとって変わるまで進化は停滞する。

なぜ種は分岐する時に大きく形態が変化したり、進化速度が速くなるのか?
→これまでと違う環境で、今まで淘汰されていた変異が固定しやすくなる。いずれ進化が停滞するにせよ、それまでに親種と形態に大きな差ができる。何より小集団なら変異が固定されやすい。大集団だと平均化されてしまうため進化速度は遅くなる。
---------------

ってな感じかなあ。断続平衡説の解説は、あくまで推測だから間違ってるかも。グールドの本読んでもさっぱりわからんのよ。
あと、マイアのアイディアが混ざってるかも。種分化した小集団こそが、進化の鍵を握るといって断続平衡説と通じるようなアイディアをマイアが披露してたのを読んだことがある。
マイア自身が何かの著作で、「断続平衡説は私の説をさらに発展、洗練させたものである」と持ち上げてたんよ。それと区別がつかなくなった。

でもなあ。以前、urbannetさんがリンクしたサイトで、マイアが「私の説とは違う」なんて、縁切り宣言みたいな事をしてたからなあ。
デネット本によると断続平衡説は、提唱した時点と後年で主張が変遷したそうだから、そのためかな。
この辺、どうなってんのかホントわかんない。

まあ原理として総合説と断続平衡説で次の点で大きな違いはないと思う。というか断続平衡説が提唱する前から総合説で次の点はわかっていた。

(1)発生の制約などで有用な突然変異が制限された上に、形態の大きな変化を促す変異が淘汰されてしまうため「停滞」が引き起こされること。
(2)種分化したaが親種Aと入れ替わることがあること。(ただし断続平衡説ほど頻繁とは考えていない。総合説では大集団の親種AがBに漸進的に進化する可能性は大いにある。)
(3)A→aのルートは漸進的な進化。

これを踏まえた上で断続平衡説のオリジナリティと正当性を考えるべきかと。

そうなると、化石になれるほどの大集団の種Aは、そのまま漸進的な進化で、やはり化石となれるほどの大集団Bに漸進的な進化をすることはない。あっても極小。いったん種分化して小集団になって、漸進的な進化とはいえ進化速度がUPした上で、形態に差がある(=適応度に差がある)小集団aになってから、Aのニッチを奪って大集団となってから化石Bとして見つかる。進化の歴史はこの繰り返し。

これだと結構、革新的かも。しかもグールド本人が何も原理的に目新しいものはないと言ってた?のにも矛盾しない。


私も亀レス  投稿者:谷庵 投稿日: 2003年07月22日22時12分

>うしゃさぶさん
>しかし、受精卵の形態変化はDNAに沿って行われるものであり、DNAが変化することによって形態が変わるわけではないので、DNA自体が大きく変化する種の進化とは比べることができないのではと思うのですが。

DNAと言うよりは遺伝子ですが、人間の受精卵は人間の遺伝子の働きによって人間になります。
魚の受精卵は魚の遺伝子の働きによって魚になります。
魚の胸びれと人間の腕は全く違います。
それでは両者に関係する遺伝子は全く違うのでしょうか。

実を言うと、胸びれを発芽させる遺伝子と腕を発芽させる遺伝子は同じものなのです。
その後に働く遺伝子の違いによって両者は別のものになるわけですが、最初の段階で共通の遺伝子を持つのであれば、共通の祖先を持つのではないかと考えるのは(私にとっては)自然なことです。

押しつけるつもりはありませんが、種を越えた進化を疑問に思う必要は無いような気がします。


カツオドリのこと  投稿者:PDX. 投稿日: 2003年07月22日22時08分

To 妥当?進化論さん

 カツオドリのエピソードは、グールドの「ニワトリの歯」の上巻に
収録されています。古い本ですが、文庫判が出ていますので以前よりは
探すのは簡単でしょう。

 先の記事に書いた雛の間引きの話以外にも、卵を地面に直接産み落と
し、枝などを編んだ「巣」を作らないにも関わらず、雄と雌の間のサイ
ンとして嘴に挟んだ枝を渡す行動をする(そして巣を作るわけではない
ので周囲に捨てる)ことも、近縁種との対比が可能みたいです。
 グールドの著書の中ではさらりと触れられているだけですが、彼が参
考文献として用いたものが例になるのではないでしょうか。
 文中では、J・ブライアン・ネルソンの『カツオドリ科の鳥類』の名
が出てきています。


分からないのは  投稿者:diamonds8888x 投稿日: 2003年07月22日21時21分

ネクトカリスさん

 私がわからないのは、今までに説明された断続平衡説の立場は総合説とは違いが無いように私には見えるのに、なぜ対立していると見なされるのかということです。で、対立していると見なしているのは誰かといえば、やはり先にケンカを売ったグールド側だと思うので、グールド側に違いを立証する責任があると思います。

 何をいうかこんなにはっきり違うじゃないか、と言われると、そこがまだ分かりませんので教えて下さい、と言うしかありません。


ネクトカリスさん、はじめまして♪  投稿者:たまごちゃん(^-^)ノ 投稿日: 2003年07月22日21時16分

はじめましてなのに、横レス&微妙に亀レスですみません。 m(_ _)m

>ギルバート本は、値段が高いというのもありますが、買っても読む前に改訂版が出てしまって悲しい思いをする、というのも、買うのをためらう理由ですね。前の版を買っていないので今回は買いましたが。

ネクトカリスさんも、ギルバート本が出たらそのつど買うことが望ましい分野の人なのですね♪
改定の速度が速いのは確かにつらいけど、立ち読んでいるかぎりでは、改定ごとに内容が割りと変わっているので、全部買っても無駄にはならないはず。買えないけど・・・。
読むのは大変だけど、このペースで改訂版が出て、ちゃんと中身が新しくなってくれているなんて、本当に幸せだなぁとも思います♪


>断続平衡説

「モーゼに導かれてエジプトを出たイスラエルの民は、約束の地に向かって毎日22メートルずつ旅をしたわけではなかった!!移動は比較的短期間に断続的に行われ、その間には長期間の全く(少なくともほとんど)移動を行わない期間があったのだぁ!!」
「ご、ご親切に教えてくださって、どうも・・・^^;」

断続平衡はたぶん正しいんだろうとは思っているけど、わざわざ説として唱えるほどのこととは思えません。今当たり前に思えるのはグールドたちのおかげで、もしかしたらコロンブスの卵だったという可能性も否定はしませんが、漸進説(?)論者達の断続平衡説論者に対する批判の大部分は「間違っている!!」ではなく「当たり前だろう?!」のようですし・・・。やっぱり元々当たり前だから、他の人たちはわざわざ唱えなかっただけなのではないかと…。

>犬や猫の品種

犬や猫の各品種は、それぞれ別々の(人為)淘汰圧がかかり、掛け合わせれば原則として妊性のある子供が生まれるものの、互いに自由に交雑することはない(人間がさせない)。これって、通常時の自然淘汰というよりも、地理的隔離か何かによって隔離が生じてはいるもののまだ完全には種分化をしていない個体群(断続平衡説でいうと比較的短期間にたくさんの変異が蓄積している期間)に似ているのかも知れませんね。


行動の進化のほんの数例  投稿者:diamonds8888x 投稿日: 2003年07月22日21時13分

 PDX.さんからも紹介がありましたが、行動の進化については現存種の比較から推定するのが一般的な方法です。なにしろ化石種の行動を知るのはとてもとても難しいですからね。社会性昆虫の例はこのサイトの推薦本のひとつ「アシナガバチ一億年のドラマ」にあります。アシナガバチはとてつもなく種類が豊富なので、現存種の比較だけと言っても結構精密な推定ができそうです。鳥類の求愛行動の進化の例がコンラート・ローレンツの本にあります。題名は今忘れました。すみません。
 アズマドリについては最近NHKの放送で近縁種との比較から、かの「吾妻家」の進化が伺われるとの話がありました。なお同じ種でもアズマヤの出来映えは個体により違います。だからメスが選ぶのでしょうけど。どんくさいオスは他のオスに材料を取られてしまうし。大変ですねえ


人為選択  投稿者:ネクトカリス 投稿日: 2003年07月22日20時12分

>ゆんさん、大文字ナンさん、diamonds8888xさん
人為選択と自然選択の話です。
人間を環境ととらえたとしても、自然環境は意図や目的をもたないが、人間はもっているわけですから、やはり違うように思います━━、と私としては言いたいのですが、考えてみれば、もちろん両者に違う面もあれば共通する面もあるわけで、どちらを強調するのかは、立場というか好みの違いにすぎないという気もしてきました。ですから「違うか同じか」という議論はやめにして、本筋に戻りたいと思います。

ということで、diamonds8888xさんの、
>もしそうだとすると、随分不自然な立場に見えます。人為選択と自然選択にどんな違いがあるというのでしょうか?
についてです。
ともかく、犬や猫には自然界に比べて非常に強い選択がかけられ、遺伝子の流れが強くコントロールされてきた、ということについては同意が得られるているわけですよね。それが単に量的な違いだとしても、進化に関与する様々なパラメータが変化すれば、進化のプロセスも当然変わるわけですから、人為選択によって起きることと自然選択で起きることが違っていても、特に不自然とは言えないのでは?


わからないのがわからない  投稿者:ネクトカリス 投稿日: 2003年07月22日20時10分

進行が早くてすでに流れさっていますが、グールドの話です。
thinkpadさんの投稿を見る限り、2つの立場の違いを理解していらっしゃるように見えるのですが、なぜ分からないとおっしゃるのか、私にはよく分かりません。で、ふと思ったのですが、thinkpadさんやdiamonds8888xさんが「分からない」とおっしゃるのは、もしかすると、2つの立場が違う事は分かるけれど、それがなぜ重要な争点になるのかが分からない、ということでしょうか?

ダグラス・フツイマの『進化生物学』を読み返していたら、「進化的新奇性の起原」という章に、この辺の論争がよくまとめてありました。何が問題にされていたのか、私も改めて読んで、勉強になりました。グールドの文章よりは読みやすいと思います(笑)。もし興味があればお読み下さい。


十日の菖蒲、六日の菊  投稿者:遠藤 投稿日: 2003年07月22日19時56分

>時間の長短だけを基準にして、短い時間の変化が理解できるのに、長い時間の
>変化が理解できのは矛盾していないか?といわれても、矛盾していないと思い
>ます。

あなたの考え、了解しました。

>しかし、進化には進化を誘導している「道標」なるものが明確に存在していない
>と理解しました。(それが環境だという意見もあるかもしれませんが、環境が変
>わったからといって進化が変わるとは限りませんよね)

進化の直接機構はDNAの変化であり、その駆動力は突然変異と自然選択です。「道標」というのは例えば爬虫類→哺乳類という進化の方向性のことですか?そういう道標はありません。ドーキンスの「ブラインド・ウォッチメイカー」を読めば分かるし、タイトル自体が進化に道標がないことを表現しています。そうではなくて、進化の機構(すなわち突然変異と自然選択)が明確になっていないということですか?私にはそうは思えません。

行動の進化は化石という形で残らないため、推論が多くなってしまいますね。アリジゴクの巣の進化は、現存する中間的な仲間からこうなったのであろうと推定できるし、各段階ごとの改善によって生存競争に益があるだろうことも想像できます。

>私自身は「行動」ついていえば、漸進的な説明では難しいと感じます。
>例えば「アズマヤドリ」の青いもので巣を飾るという行動は、オスの青いものを
>飾るという行動と、メスの青いものがある巣を選ぶという行動ができるだけ同時
>期に起こらなければ行動として定着しにくいと考えます。

仮定の話をしましょう。アズマヤドリのメスに青色を好むという形質があるとする。たまたまオスが選んだ巣に青色の材料があって繁殖に成功する。つがいの雛が誕生したとしよう。雛が育ち、やがて繁殖期を迎える。メスは母鳥から青を好む習性を受け継ぐ。またオスも、母鳥から青を好む形質を受け継いでいる。このオスは巣作りの材料に青を選ぶ可能性が高く、これが繁殖に有利に働く。ドーキンスのいう「正のフィードバック」により、青を選ぶ形質はアズマヤドリに固定されていく。

どうでしょう。オスとメスの行動が同時に起きなくても、青を好む形質が固定されました。

※うーん、仕事終了時にはほとんど回答されているなあ。


をを!  投稿者:大文字ナン 投稿日: 2003年07月22日19時18分

 To たまごちゃん

 んまい!いやマジ本当にリアルで会ってたらなにかご馳走くらいしちゃいそうってくらい感動(笑。
 そうかぁ、葉を食べないアリを想定すれば良かったかぁ…なるほどなるほど(しみじみ。このサイトで進化論を勉強しなおすようになる前から、ず〜っとハキリアリの農園は私の中で説明不可能な現象だったのですよ。そうすりゃぁ結果的に巣の中の葉は増え、キノコの農園・初歩がはじまるのも説明可能ですねぇ。

 チーズやらヨーグルトやら納豆やらを人が編み出すのと違い、アリがキノコを栽培するからには、なんらかの理由で行動(この場合は葉を食べること)に「待った」をかけねばなりませんが、キノコが育つまで固唾を飲んで待つアリたち、では童話にしかならない…しかし、ある段階までは葉を食べてたけれど、変異で食べなくなった。しかし葉を運ぶ行動だけは続いた。キノコの育つ葉でなければ、ハキリアリは滅んでいたかも知れないですねぇ。

 いやぁ久しぶりにネットで知的な感動を覚えました(笑。


(無題)  投稿者:たまごちゃん(^-^)ノ 投稿日: 2003年07月22日17時36分

To 妥当?進化論さん

「行動」の進化が「形態」の進化と比べて、漸進的に説明することが原理的に難しいかどうかはともかくとして(個人的には難しさに差はないと思っています)、「行動」は原則として化石に残らず洗練された既製品のみを目にすることになるので、「形態」の進化と比べて想像をするのが難しいというのはその通りだと思います。

>例えば「アズマヤドリ」の青いもので巣を飾るという行動は、オスの青いものを飾るという行動と、メスの青いものがある巣を選ぶという行動ができるだけ同時期に起こらなければ行動として定着しにくいと考えます。

行動全般というよりも、発信者と受信者が必要な種類の行動の進化は説明するのが難しいように思います。読み取ってもらえないメッセージを送っても仕方がないし、誰も発信していないメッセージを読み取ってもしかたがない(と言うより読み取りようがない?)から。
自分以外にほとんど誰も使わないならエスペラント語なんて覚えても仕方がない。「発信が先か?受信が先か?」ニワタマ状態になってしまいます。

この「発信が先か?受信が先か?」は私にとって長い間かなり大きな疑問だったのですが、ドーキンスが『遺伝子の川』の中で、さらっと簡単に説明してしまっていて感心したことがあります。『遺伝子の川』ではミツバチの8の字ダンスを、「読み取りの進化が先行しており、読み取り側が餌場から戻ったハチの行動の元々の傾向を読み取って餌の大まかな位置を知っていたのに対して、発信者の側のダンスもその読み取りに合わせて儀式化され、餌の位置をほぼ正確に示すようになる」という形で説明していました。もっとも、ドーキンスにとっては「発信が先か?受信が先か?」は重要な問題ではなかったらしく(水平方向のダンスから垂直方向のダンスへの移行の方が重要だったっぽい)、あまりはっきりとは述べていませんでしたが。

ちなみに、このミツバチの8の字ダンスの話は、妥当?進化論さんの言う「段階を踏んで徐々に行動が進化していったという事例」に当たると思います。ただし、あくまでもよくできた辻褄の合うお伽噺に過ぎないようですが(もしかしたら、それなりにきちんとした根拠のある仮説なのかもしれないが、私が読んだかぎりではそうは見えなかった)。

♯ 性淘汰については、PDX.さんのあげられた淡水魚の例のように、選ばれる性(普通はオス)の方がその形質を持っていないにも拘らず、選ぶ方の性(メス)の方はある形質を好むという事例がいくつかあるようです。例えば人間が標識の為に鳥の脚につけた赤いリング(当然、その鳥が元々もつ形質ではないし、個体の生存のしやすさなどにも関係ない)が、異性に対するセックスアピールになったりとか…。

To 大文字ナンさん

>ハキリアリの住環境に、キノコ(菌類)とその苗床になる葉の生い茂る草木があって、どこかの段階でそれらが結びつき、アリの巣の中で繁殖してしまった。このような発見を活用するのに、知能の発達したイキモノであれば、ミームとか言う概念を導入してそれを継承させ、発展させていくのでしょうが、アリの場合のそれはちょっと想像がつかないのです。

キノコの苗床となる葉が、アリにとってキノコほどの栄養価はないが元々食べられるものだったとしたら(本当に食べられるかどうかは知らない)、説明はそれほど難しくはないのかもしれません。こっから先はお伽噺。本当にこんなことがあったかどうかは知らない。

1 アリさんは外からいろんな食べ物を運んできて貯蔵していました。アリさんの運んでくる食べ物(葉っぱ)の一部に時々キノコが自然発生することがあり、アリさんは貯蔵庫に蓄えた他のえさと一緒にそのキノコもあんまり気にせずに食べていました(幼虫に与えていました)。だけど、そのキノコはものすごく栄養があったのです。
2 ある日、突然変異により、キノコの生える葉をあまり食べないまたは、この葉っぱを消化できないアリさん(達)が生まれました。そのアリさん達の巣では運ばれた葉が食べられることなく大量に長期間保存されるため、他の巣よりもキノコがたくさん生えました。キノコはすごく栄養があったので、その突然変異型のアリは数が増えていきました。
3 ある日、キノコの生える葉を他の食べ物よりも重点的に運ぶアリさんが現れました。キノコがいっぱい生えたので、このアリさん達は増えていきました。
4 ある日、外から新しくとってきた葉っぱに、巣の中の葉っぱから菌糸を移す行動をするアリさんが生まれました。
5 ある日、葉っぱに生えている食べられるキノコ以外のものを取り除くなどキノコの世話をするアリさんが生まれました。 (2〜5順不同)


後ほど  投稿者:PDX. 投稿日: 2003年07月22日17時06分

To 妥当?進化論さん

 行動の中間形について、手元の本で見つかったらその書名を書かせていただきます。
 今は自宅からではないので無理ですが(^_^;
 確かグールドの著書の中でカツオドリの話題に触れていた箇所で、抱卵している親鳥にたいして巣のテリトリーに入るための儀式的行動とか、そんなくだりがあったかとは思いますけど。
 でもそのときの主題は、ある種のカツオドリにおける兄弟殺しだったかと思いますけどね。まぁあれも一種、中間的な行動かもしれませんが……。
 餌が豊富な海域を餌場にしている種は複数の卵を産んで全ての子を育てようとする。
 餌が乏しい海域を餌場にしている種は1つだけ卵を産んでその子を確実に育てようとする。
 餌が多いか少ないかが不安定な海域を餌場にしている種は、2つ卵を産み餌が多い時は両方の子を育てようとするが、餌が少ないときは1匹だけしか育てない。
 そんな感じのネタでした。
(この「間引き」を行うのが親鳥ではなく、雛の行動で行われるというのが印象的でした)

 ふと思ったけど、フィンチの嘴のバリエーションは餌の違いを反映していた筈ですが、あれなんかは嘴の変化と食性の変化と、どちらが先に生じたんでしょうね?


行動の中間  投稿者:妥当?進化論 投稿日: 2003年07月22日15時37分

TO PDX.さん

お答えありがとうございます。
行動に関しては化石に頼ることができないので、形態よりもはるかに話を進めることが難しいとは思います。
近縁種などにおける行動の中間型について、具体例をもしわかるのであれば教えてください。よく「こういう行動は生存競争に有利だよ」という記述は見るのですが、段階を踏んで徐々に行動が進化していったという事例を未だ見つけることができなかったので。
よく形態では例示されるエオヒップスからエクウス(ウマ)の変化とかみたいに羅列している事例があるのでしょうか。
私自身ももう少し調べたいと思います。


うだうださんへ、事務局より  投稿者:おずおず 投稿日: 2003年07月22日14時37分

>僕は妥当?進化論さんと考え方が良く似ていますよ。ただし味方でいて欲しいと考えて
>いるなら。上記のように無駄に反感を買うような発言を控える方が良いとは思いますよ。

句点「。」は、文章の終わりの印です。読点(とうてん)「、」は、文章の中に入れて文を読みやすくする印です。
ですから、
>ただし味方でいて欲しいと考えているなら。 の文の最後を句点「。」にすれば、ここで文がとぎれてしまい、倒置法を使っていると読まれてしまいます。この結果、
>ただし味方でいて欲しいと考えているなら、僕は妥当?進化論さんと考え方が良く似ていますよ。
という、変な文章に解釈されます。
一方、先ほどの句点「。」を読点「、」に変えると、
>味方でいて欲しいと考えているなら、上記のように無駄に反感を買うような発言を控える方が良いとは思いますよ。
となって、うだうださんの言いたかった意味がちゃんと読みとれます。
小さなことだ、と思われるかもしれませんけど、数学の式で「+」と「−」を間違って使うのとさして変わりませんので...。


「行動」の進化  投稿者:PDX. 投稿日: 2003年07月22日13時58分

To 妥当?進化論さん

 動物の行動において、妙なものだけを取り出して見ていると「こんなものが自然淘汰でできる
とは信じられない」となるかもしれません。
 しかし、その近縁種において類似の(しかし不完全な)行動が観察されるケースもあり、そう
いう例であれば中間段階が存在することを納得できるのではないでしょうか。そして、その中間
段階の種がなんらかの理由で滅びてしまった場合、残された種しか見ていないと、それは突飛な
ものに見えるのではないでしょうか。

 鳥類における繁殖時のダンスやプレゼント(食物であったり、巣の材料だったり)という行動
は、中間段階のものがいろいろ観察されているようです。中には、役に立ちもしない小石だった
り。とにかく「物を渡す」という儀礼的行為だけが定着してしまっていると。
 そういう行動に、種ごと、もしくは地域集団ごとの中間的段階が観察される例があるというの
は、行動の進化の例とみなせるかもしれません。

 性淘汰に関する雄と雌の行動の進化が必ずしも同時でなくてもいい例というのもありえると
思います。
 ある種の淡水魚において、雄の尾が剣のように長く伸びている種があるのですが、この種の
雌は尾の長い雄を好むという行動を示すそうです。
 ところが、この淡水魚の近縁種に、雄の尾が伸びないにも関わらず、雌が尾の長い雄を好む
行動を示すんだそうです。(その種の雄に、模型の雄をくっつけて実験したらしい)
「尾の長く伸びた雄を好む」という行動パターンがまず定着して(有益でもなかったけど有害
でも無かったから、たまたま淘汰されずに定着したんでしょうね)、その後あるグループでは
たまたま雄の尾が伸びるという突然変異があって、それが性淘汰で保存され定着した。
 別な集団ではその変異が起こらなかったため、雄の尾は伸びなかった、と。
 逆にもともと雄の尾が長かったけど、ある集団ではそれが失われたというシナリオもありう
るかもしれませんが、他の近縁種とのDNA分岐年代の比較で推測は可能でしょう。

 ※この淡水魚の例は、確かグールドの著書で紹介されていたのを読みました。
  そこに当たれば、もとの論文への参照点もわかるかと思います。


昆虫  投稿者:うだうだ 投稿日: 2003年07月22日13時00分

依然見かけたHPで昆虫の行動のプログラムを解析しようという研究を見かけた事が
あります。キノコ栽培とまではいきませんが、昆虫の行動はかなり単純な回路の
組み合わせではないかと僕は考えていて、やはりそのような行動パターンであるよう
です。
ロボットの動きで昆虫型ロボットの回路はかなり作りやすいにも関わらず非常に
優秀であるという人工知能の研究も以前見たことがあります。


http://www.moriyama.com/netscience/Kanzaki_Ryohei/index.html

いやー、ついおもしろい話題でおきてしまいました。レスが無ければお休みします。
それではー。


味方のつもりですよ  投稿者:うだうだ 投稿日: 2003年07月22日12時45分

> 世の中には味方もいてくれた 投稿者:妥当?進化論

僕は妥当?進化論さんと考え方が良く似ていますよ。ただし味方でいて欲しいと考えて
いるなら。上記のように無駄に反感を買うような発言を控える方が良いとは思いますよ。

逆を言えばこの掲示板は敵ばかりと受取れますからね。
(分かってやっているなら、何も文句はないんですけどね)

僕が以前した質問に良く似ている為、今後の話の膨らみを楽しみにしています。


不思議といえば  投稿者:大文字ナン 投稿日: 2003年07月22日12時38分

 妥当?進化論さん、ほかの皆さんへ。

 確かに、行動の進化には驚くべきものがあり、それがどのように集団に定着していったのか、想像も出来ない場合がありますね。たとえば「ハキリアリの農園」は少し進化論を分かりかけてきたつもりの私にも「不思議!」としか言いようがありません。

 ハキリアリの住環境に、キノコ(菌類)とその苗床になる葉の生い茂る草木があって、どこかの段階でそれらが結びつき、アリの巣の中で繁殖してしまった。このような発見を活用するのに、知能の発達したイキモノであれば、ミームとか言う概念を導入してそれを継承させ、発展させていくのでしょうが、アリの場合のそれはちょっと想像がつかないのです。

 この他にも社会性昆虫が見せる行動には驚くほどシステマチックな例がいくつもあると思いますが、それらの行動が継承され、発展し、定着する過程とはどんなものなのでしょうね。


横からのレスですいませんが  投稿者:妥当?進化論 投稿日: 2003年07月22日11時32分

ROMしていて疑問があるので

「行動の進化」について

小さな変化の積み重ねにより、形態の変化を化石や肺魚やカモノハシを例に説明されることが仮に理解できるとして、「行動」の変化も漸進的なのでしょうか。
私自身は「行動」ついていえば、漸進的な説明では難しいと感じます。
例えば「アズマヤドリ」の青いもので巣を飾るという行動は、オスの青いものを飾るという行動と、メスの青いものがある巣を選ぶという行動ができるだけ同時期に起こらなければ行動として定着しにくいと考えます。
ちなみにいうと、メスの青いものを選ぶという行動がどのような淘汰圧を受けたかも疑問ですし。(「クジャクのオスはなぜ美しい」にもメスの選り好みの目的(?)は推論止まりだった)
またアズマヤドリの中間的な行動はなにかというのもイメージしにくいし。

「行動」については、性淘汰であるとか、利己遺伝子であるとかその淘汰された理由のようなものは解説があるのですが、漸進的なのか断続的なのか、または変化しないのかについてふれている文献を眼にすることがでませんでした。
例えばミツバチが女王バチと働きバチに分業していく過程とか。

形態は漸進的な変化であるが、行動の変化は別物であるという意見でもいいので進化論としての見解があればお聞かせ下さい。


訂正  投稿者:妥当?進化論 投稿日: 2003年07月22日10時59分

長い時間の変化が理解できのは → 理解できないのは


発生と進化  投稿者:妥当?進化論 投稿日: 2003年07月22日10時58分

TO 遠藤 さん

発生はDNAという設計図のもとで進められている変化であり、その変化が何十年かかろうが、数秒しかかからなかろうが、理解はできます。
しかし、進化には進化を誘導している「道標」なるものが明確に存在していないと理解しました。(それが環境だという意見もあるかもしれませんが、環境が変わったからといって進化が変わるとは限りませんよね)

時間の長短だけを基準にして、短い時間の変化が理解できるのに、長い時間の変化が理解できのは矛盾していないか?といわれても、矛盾していないと思います。

ちなみに「工業暗化」が進化過程の最中であると皆さんも考えているのでしょうか。


谷庵さんは百も承知の筈  投稿者:遠藤 投稿日: 2003年07月22日10時25分

谷庵さんが進化と発生とをごっちゃにしているとは考えられない。彼は全て理解した上で、「長い年月をかけて行われる大進化が想像できないのに、人間でいえば一年足らずで受精卵が赤ん坊になることは理解できるのですね。それって矛盾していない?」、と言っているだけです。たまごちゃん(^-^)ノの解説が正しい。うさしゃぶさんの投稿は間違っていないが、話の流れからはそれているし、その意見に小躍りしている妥当?進化論さんも全体を読みとれていない。

「進化とは別物ですね」って、言われてもなあ。

ついでに。
>「蛾の工業暗化」は、排煙の処理等で環境改善された結果、白い蛾が増えたと
>あり、自然選択は働いてはいるけど、進化というところまではいっていないと
>高校の教科書に書いてありました。(進化は不可逆的なものだそうです。)
>進化の証拠? 投稿者:妥当?進化論さん

進化の定義に不可逆性があるとは思えません。進化はいくつものステップを踏むことが多く、可逆的変化が少ないというだけではないでしょうか。工業暗化は進化の例としては比較的単純であるために(だから教科書に記載されていた)可逆性を示したが、私はこの事例も進化と考えています。


失礼しましたm(__)m  投稿者:おずおず 投稿日: 2003年07月22日 9時18分

トラさんにしては(間違い)−>とらさんにしては
水蜜の皮膚(間違い)−>水密の皮膚

で、ついでだから、
両生類からは虫類に至る道の中間に位置するどの段階でも、その一つ前の段階よりは干ばつを生き残る可能性は高くなりますよね。


おびえないで!>とらさん  投稿者:おずおず 投稿日: 2003年07月22日 9時04分

>過去において 爬虫類なのか両生類なのかわかりませんが それが哺乳類になったということが私には不思議であると 申し上げているだけで、そこのところが 不思議ではないですか?と 述べているだけなんです。

どこが不思議なんですか?水密の卵で生まれ、オタマジャクシ(ウーパールーパー)の時代を卵の中で過ごし、水蜜の皮膚をもった両生類がは虫類でしょ?
卵がふ化するまで体内にとどめ、どうせ体内にいるんだから、白身の代わりに親の栄養を直接子供に与え、生まれた後は汗腺かなんかから栄養(脂汗)を与えるは虫類がほ乳類でしょ?

ダチョウもカモメも同じ鳥さ♪と言い切れるトラさんにしては気弱なことを...。


世の中には味方もいてくれた  投稿者:妥当?進化論 投稿日: 2003年07月22日 8時44分

TO うさしゃぶさん

初めて自分の意見がフォローされた様な気がします。
自分は教科書には反復発生説と進化は別とあったけど、なぜ違うかまでは理解してませんでした。
なるほど発生の過程はDNAの変化をともなわないから、進化とは別物ですね。


スーパー亀レス  投稿者:うさしゃぶ 投稿日: 2003年07月22日 8時34分

TO たまごちゃんさん
のおかげで「ヘッケル」についての谷庵さんの意図はわかりました。
しかし、受精卵の形態変化はDNAに沿って行われるものであり、DNAが変化することによって形態が変わるわけではないので、DNA自体が大きく変化する種の進化とは比べることができないのではと思うのですが。


わかんない  投稿者:thinkpad 投稿日: 2003年07月22日 8時08分

>総合説でこれを否定してるとも思えませんが、グールドは何を批判してるんでしょう?

総合説は大集団の親種にも漸進的な進化で生き残るチャンスがあると、大きな可能性を残している部分じゃないかなあ。
それを認めると大集団ゆえに進化速度は遅くなり、中間生物の化石ができる頻度はでかくなる。
だが化石記録は飛び飛びで、それを否定している。ゆえにその可能性はないか、少なくとも進化の歴史ではメインではなかった。

あと、形態の差もポイント。
形態に差がないと、生存競争のときに親種のニッチを奪えない。じゃあ形態に差ができるのはいつか?それは種分化した直後である。
小集団で新しい環境に放り込まれた直後こそ、それまで自然淘汰で抑えられていた変異が種に固定するチャンス。いずれ適応しきって、また親種の時にように形態の変異が自然淘汰によって除去される平衡状況に落ち着くが、そのときには親種とは大きな形態の差ができている。
その差が親種との生存競争での勝利要因となるのだー。

といのがグールドの言いたかったことじゃないかなあ。

でもなあ。正直言って私もよくわからん。


自分の努力不足を棚に上げておいて...  投稿者:GOA 投稿日: 2003年07月22日 6時36分

とらさん

>本当に、どんな本があるのかを 聞きたかっただけですから。

たまごちゃんはいくつかの本を上げてしょうかいされているではないですか?ちゃんと読んでください。

それからあなたの投稿のどの部分にレスを返そうが読んだ者の自由です。それがいやならそういうレスが返らないような書き込みをすべきです。

>ホイホイ 失礼しました〜〜〜〜〜  ちゃんちゃん

本当に失礼な人間だ!


(無題)  投稿者:とら 投稿日: 2003年07月22日 6時16分

もう 私は ネタになっただけで 必要無い?
ホイホイ 失礼しました〜〜〜〜〜  ちゃんちゃん


(無題)  投稿者:とら 投稿日: 2003年07月22日 6時06分

そうなんでしょうねぇ。 でも そうかなぁと 思ってしまいます。
15gでも20gでも....鳥は鳥..雛でも鷲は鷲...
鷲が哺乳類になるのだろうか ってところが不思議ではないですか?って聞いているだけです。
で、その手の素人にわかりやすい本があれば ご紹介頂きたいと申し上げているだけなんですけど...別に今の鷲が 哺乳類になるとは考えていませんが...
過去において 爬虫類なのか両生類なのかわかりませんが それが哺乳類になったということが私には不思議であると 申し上げているだけで、そこのところが 不思議ではないですか?と 述べているだけなんです。
『別に不思議じゃないよ』ってなことでしたら、それはそれで良いんじゃないかと思いますけど。
私には 不思議であって そこのところがわかる本はありませんか?と 聞いただけです。
私は別に創造論者?ではありません。

ちょっとだけ 言わせていただければ、不明なことは物理においてもあるという趣旨の お話があったように思いますが、もちろん不明なことはどの学問においても多々あると思います。ただし、それぞれの説には、説明をきちんとできる人がいる・論文がある ということは言っておきたいと思います。また、検証が可能・もしくは再現可能なもので無い限り受け入れられないというのが基本であろうと思います。
生物の進化は、長い時間という特殊なファクターがあるだけに、だからといって信じないとか 学問ではないとかいうつもりはありませんが、それだけに、逆に有識者の方は慎重に論を進めないと、どうも神学論争のようになってしまう危険があるようにも思います。それだけに、本件に関する学者さんは 大変だろうなぁ とも思っております。

結局は 最初から申し上げましたとおり 私は素人で、ご返事頂いている方々は きっと研究をされている方なのであろうから、素人にわかりやすいものはありませんか という私のささやかな要求にお答え頂いた ということで、あまり意味を為しそうも無い論争は避けることが出来ればなぁと思います。
本当に、どんな本があるのかを 聞きたかっただけですから。
またまた 失礼ありましたら もうしわけありませんけど。


大文字さんがすでにおっしゃってますが  投稿者:ゆん 投稿日: 2003年07月22日 1時38分

進化論が排除してるのは「生物の意思が自らの遺伝子に及ぼす影響」という意味での
「目的論」であっって「環境」側である人間の意思については進化論は何も語ってい
ないと思います。というか「人間の意思」までも含めて「環境」と解釈すれば「生物
は環境によって淘汰を受けて進化する」という進化論の伝統的な解釈に、人間による
品種改良の例はぴたりと当てはまります。「共生」の極端な形だと考えればそんなに
違和感もないと思いますがいかがでしょう?


目的の帰属  投稿者:大文字ナン 投稿日: 2003年07月22日 1時12分

To ネクトカリスさん

 犬や猫は人間に好かれるように「自ら」形態を変えてきたのでしょうか。もしそうなら、確かに自然選択とは大きく異なる「目的を持った進化」だと思います。しかし現実には「人間という環境」は犬や猫の形態を「目的と好みに応じて」選んだり、交配させたりしますが、それは家畜が意思を持って行動した結果とは違うと思うのです。

 確かに人為による変化は加速度的に早いものですし、少しばかりこれまでにあった淘汰圧とは趣を異にしていますが、だからといって家畜が目的を持っているわけではありません。あくまで目的を持った「気になっている」人間とは環境に過ぎず、変化する側の生物進化には目的が入り込んだりしていないと思うのです。
 逆説的には、人間の方がドーキンスの言う「延長された表現型」に過ぎないのかも知れません。猫や犬(やその他の動植物)にとって、人間こそ「体のイイ畑」なのかも。


グールドたちと総合説主流派の違い  投稿者:ネクトカリス 投稿日: 2003年07月22日 0時25分

>diamonds8888x さん
thinkpad さんが的確に説明して下さっていますし、私も何度も言っていること繰り返しになりますが、グールドたちは「形態が進化するのは種分岐の時であって、その後は種の形態は停滞する」と考えた。グールドと対立していた人たち(つまり当時の総合説の主流派)は、そうは考えていなかった。つまり「形態の変化は種分岐の時に限られない。その後も形態の進化は起きる」と考えた。だから論争がおきたわけです。この2つの立場が違う事は、ご理解いただけるでしょうか?


>大文字ナン さん、ゆんさん、diamonds8888x さん
人為選択には「目的」や「意図」がありますが、自然選択にはありませんよね? 目的論の排除が自然選択説の一つの重要な特徴だと私は理解していますので、両者にはやはり違いがあると思います。経験にもとづいて未来を予見することができ、その予見に基づいて自然を操作してきたという意味では、「人間は特別」かもしれませんね。


はじめまして  投稿者:大文字ナン 投稿日: 2003年07月21日22時37分

☆ネクトカリスさん

>人為選択と自然選択は明らかに違いますよね? 
>犬や猫は多様な犬種、猫種をわざわざ生み出すように、意図的に遺伝子の流れを操作され>てきたわけですから。

 グールドの著書は読んだことがないので静観していましたが、他の方々がご指摘のように、グールドの主張とはいったい「どこが変わっているのか」分かりません(笑。まぁそこは読まずして分かるワケないので私は放置♪

 しかし、人為選択であろうと人為を抜きにしようと、集団に働く圧力は同じものでしょうね。なぜなら自然ではないものがこの世にないからです。もし人間が「自然とは異質な別種(特別な)の存在」であるなら、話は変わるのでしょうが。


thinkpadさん  投稿者:diamonds8888x 投稿日: 2003年07月21日22時12分

 thinkpadさん、御説明ありがとうございます。

>進化というのは親種を漸進的に進化させていくのではなく、親種は捨てて
>種分化した小集団の種が親種のニッチを奪うのを繰り返して進むのがメイン
>だというのが、グールドの主張。

 総合説でこれを否定してるとも思えませんが、グールドは何を批判してるんでしょう?
 親種の漸進的進化だけではいつまでも種の数はひとつだけだから、当然いくつもの小集団は生んでいたはず。ある程度まで安定して増えた小集団がたくさんあれば、親集団も含めて絶滅の確率は等しいだろう。そうすると親集団がいつか絶滅するのもほぼ必然。
 古生物学的証拠でもその場合が多いでしょうから、グールドがその場合が多いと言うのは当然だし事実ではあるでしょうけど。でも専門家の誰がこの考えを否定したというのでしょうか?


人為選択と自然選択  投稿者:diamonds8888x 投稿日: 2003年07月21日22時10分

 人為選択の方が隔離が確実で淘汰圧も強い場合が多いのは確かでしょうね。
 でもそれは量的な違いであって、選択原理が質的に異なるわけではありません。

 種の概念については色々と議論があるのですが、グールドの見解はどんなものなのでしょうね。


えーっと  投稿者:ゆん 投稿日: 2003年07月21日19時14分

>奇形とか、昆虫で見られるホメオティック変異などは、確かに興味深い現象で、
>それが進化の素材と成りうるなら面白いと思います。ただ、ゆんさんのおっしゃ
>る通り、そのような変異は有害な事が多いというのが難しいところですね。
>それと、奇形によって、つまり一世代で新しい形態を獲得するというのは、いわ
>ゆる「有望な怪物論」の匂いがするので、総合説の漸進主義の立場からは、受け
>いれてもらえないかもしれません。

ネクトカリスさんの仰る通り、奇形は通常有利な形質ではあり得ないので、そうした
「有望な怪物論」的な主張をするつもりはありません。

ネクトカリスさんが、現在観測出来る生物種の微少な変化が積み重なって種レベルの
大きな変化に結びつくのが感覚的に納得いかないというお話でしたので、私としては
「犬に見られる同一種内での大きな体勢の変化」「奇形に見られる極端なトポロジカ
ルな変化」あたりから妄想をたくましくすると、地質的年代の上では種レベルの(つー
のも曖昧な言葉ですが)変化が実際に起きることもあり得るだろうと納得できるという
あくまで私の主観の紹介でした。

なお、主観的に私がどうやって納得しているかという話なので、他の人がその感覚には
納得がいかないと言うことは当然のようにあるだろうと承知しています。

あと、すでに他の方からもツッコミが入っていますが
>人為選択と自然選択は明らかに違いますよね?

これは私も特に区別する必要は感じません。淘汰圧の原因が人為選択だろうが
自然環境であろうが、進化論的には区別をつける必要は無いはずです。


ちょっと説明 断続平衡説のポイント  投稿者:thinkpad 投稿日: 2003年07月21日18時34分

まず成功した親種をA、Aから種分化した小集団をaとし、化石記録がA→Bだとする。

総合説なら親種AがBに漸進的に進化したか、または分化した種aがBに漸進的に進化してAの生息域を奪ったかどっちかだと判断する。どっちが進化の歴史でメインかはわからない。
でも断続平衡説は、親種AがBに漸進的に進化した可能性をとらない。あっても極小とする。分化した種aがBに漸進的に進化して生息域を奪ったのがメインだとする。

ここが断続平衡説と総合説の違いのポイントらしい。

理由なんだが、種分化した小集団であるaの方が、生息域の環境が違うため、淘汰圧がA種のと違うので別種として以前の形態との間に差が出やすいのと、なにより小集団ゆえに変異が集団中に固定しやすく、進化速度が速くなる。
集団がでかい親種Aは変異があっても、集団がでかいので固定しにくいし、既に環境に適応しきって形態を変えようとする個体は淘汰に排除されてしまうので、進化速度は鈍重である。
仮に環境が変わったり、隔離されてた障害が排除されたとき、A種とa種が生存競争に突入した場合、鈍重で変わりにくいA種はa種に敗れて排除され、a種が支配するようになる。
その繰り返しのため、化石記録は飛び飛びになっている。

進化というのは親種を漸進的に進化させていくのではなく、親種は捨てて種分化した小集団の種が親種のニッチを奪うのを繰り返して進むのがメインだというのが、グールドの主張。


RE:種分化と形態変化  投稿者:ネクトカリス 投稿日: 2003年07月21日17時49分

>diamonds8888xさん
親種と、新しく形成されつつある種では、集団の大きさが違うということだと思います。

家畜については、ちょっと質問の意味がよく分かりません。
人為選択と自然選択は明らかに違いますよね? 
犬や猫は多様な犬種、猫種をわざわざ生み出すように、意図的に遺伝子の流れを操作されてきたわけですから。


家畜の形態変化  投稿者:diamonds8888x 投稿日: 2003年07月21日16時54分

>ですから、犬猫の形態変化は種分岐を伴わない形態変化になりますね。かれらは家畜
>ですから、人為によって遺伝子の流れが制御されているので、そういうことが起きた。
>しかし自然界ではそういうことが起きることは少ない、というのが断続平衡説の立場だ
>と思います。

 もしそうだとすると、随分不自然な立場に見えます。人為選択と自然選択にどんな違いがあるというのでしょうか?
 ヒトの多様性はその例外という立場でしょうか?


RE:種分化と形態変化  投稿者:diamonds8888x 投稿日: 2003年07月21日16時46分

ネクトカリスさん

 1と2において首が伸びてきた集団の進化に本質的な違いがあるでしょうか?
 2で『親種から分岐した種(交配する集団)』は、急速に首の長さが変化した間も種(交配する集団)としてのまとまりをたもっていたのでしょう? ここで種は交配する集団として良いですよね?
 親種と分岐した集団との違いは個体数が多いということなんでしょうか?


種分化と形態変化  投稿者:ネクトカリス 投稿日: 2003年07月21日15時07分

>diamonds8888xさん
「ほとんどの形態変化は種分岐に伴って起きる」 というのが分かりにくければ、「種分岐を伴わない形態変化は稀である」と言い換えても良いと思います。つまり、種が成立初期の急速な変化を終えてしまった後は、形態はほとんど変化しない(停滞する)ということです。

思いきり平たくいえば、たとえばキリンの首がだんだん長くなるという傾向が見られたとして、そのプロセスとして、2つの異なる考え方が可能です:
(1)種分化を伴わずに、同一の種が、種としてのまとまりを保ったまま、次第に首が長くなるという方向へ進化していった。
(2)一旦成立してしまった種では首の長さはほとんど変化せず、その親種から分岐した種において、急速に首の長さが変化した。その後、親種は絶滅し、新しい(より首の長い)種が、それにとって代わった。それが繰り返されて、キリンの系統では首が長くなるという傾向が生じた。
グールドたちは、(2)の方を形態進化の主要なメカニズムとして主張したわけです。
(もちろん(1)をまったく排除したわけではありませんが。)

ですから、犬猫の形態変化は種分岐を伴わない形態変化になりますね。かれらは家畜ですから、人為によって遺伝子の流れが制御されているので、そういうことが起きた。しかし自然界ではそういうことが起きることは少ない、というのが断続平衡説の立場だと思います。

>ゆんさん
奇形とか、昆虫で見られるホメオティック変異などは、確かに興味深い現象で、それが進化の素材と成りうるなら面白いと思います。ただ、ゆんさんのおっしゃる通り、そのような変異は有害な事が多いというのが難しいところですね。
それと、奇形によって、つまり一世代で新しい形態を獲得するというのは、いわゆる「有望な怪物論」の匂いがするので、総合説の漸進主義の立場からは、受けいれてもらえないかもしれません。


形態変化は種分岐に伴って?  投稿者:diamonds8888x 投稿日: 2003年07月21日10時57分

ネクトカリスさん

「ほとんどの形態変化は種分岐に伴って起きる」とのグールドの主張のポイントは何でしょう?
 種分岐の多くは形態変化を伴うのはよく観察された事実、というか多細胞生物では形態変化してなかったら種分岐したとは言いにくいでしょう。外見的な形態が同じでも別種の例はもちろんありますけど。

 別の疑問というか難癖のようで気も引けますけど、種分岐というのが亜種への分岐は含まないなら、犬猫の形態変化は種分岐に伴わない形態変化ということになるのでしょうか? このあたりがグールド自身も専門家向けの書き物でないだけに、言葉の使い方が曖昧なんではないかなあと疑っているところなのです。


それなら分かる  投稿者:wadja 投稿日: 2003年07月21日 0時12分

>遺伝子の変異はどのようにして形態のギャップのような質的な変化を生み出しうるのでしょうか。

確かに、漸進的な進化の蓄積で、本当にこんな形質を持ちうるのだろうかと疑問に思うものはあります。疑問に思うと言うか、その進化の過程を知りたい。

ネクトカリスさんの発生に対する疑問とは少し異なりますが、個人的には昆虫の変態なんてどのような進化の過程で出来上がって来たのかすっごく不思議。「進化の過程で、無変態の昆虫から不完全変態をする昆虫へ進化し、さらに完全変態をする昆虫へ進化したと考えられています。」くらいの説明では到底納得はできない。

ただし、質的・量的進化の区分は、かなりあいまいなような気がします。全てが分かっていなくとも、ゲノムへの変異の量的蓄積が、ネクトカリスさんの言う質的な変異につながると考えられますから。

これからの発見に期待はするものの、タイムマシンが作れないと全ての解明は無理でしょうね。

やったー、サヨナラ勝ち!マジック43!


グールドの業績は?  投稿者:NATROM 投稿日: 2003年07月20日13時08分

1980年にも似たよーな応酬が行なわれていたようです。

At this point in the discussion Maynard Smith felt moves to protest: "These structuralist ideas are presented as if they are antagonistic to the Modern Synthesis. In fact, you will find the major ideas here in a book I wrote 25 years ago and in the writing of many others in the tradition of the Modern Synthesis," he said, adding with obvious concern, "You are in danger of preventing understanding by suggesting that there is intellectual antagonism where none exists."
You may have had the wheel, John, but you didn't ride away on it, Oster quipped with a telling metaphor. Gould added in more serious vein: "It is not so much what is said that counts, but what is done. These phenomena we talk about may have been acknowledged in the Modern Synthesis, but the principle guiding all the work of the past few decades has been adaptationism."
(Lewin,Roger ,Evolutional Theory Under Fire, SCIENCE, VOL.210,21 Nov.1980)

きわめて不正確な訳:
ジョン・メイナードスミス(保守派)「お前ら現代総合説に反対しているよーだけど、お前らの言っていることなんて、とっくの昔に言われているんだよ。伝統的な総合説の本(特に俺様が25年も前に書いた本)をよく読め。お前らのアイデアの主要なものは書かれている。お前らは、存在していない架空のワラ人形に反対してるだけなんだよ」
オスター(改革派)「あんたさあ、確かにハンドルには手をかけたけど、それには乗っていないじゃん。よくそれでえらそーなこと言えたもんだ」
グールド(改革派)「何がなされたかが重要なのだ。あんたら保守派は、現象自体には気づいていたかもしれんが、適応論にうつつを抜かして何もしていないのと一緒じゃあないか」


訂正  投稿者:ゆん 投稿日: 2003年07月20日 9時30分

>もちろん、こうした変異のほとんどは致死的であるため次世代へ伝わりは
>しないのですが

これだと根拠も無く断言しすぎですね。
「致死的な変異であれば次世代へ伝わりはしないのですが」と訂正します。


トポロジー変化の実例  投稿者:ゆん 投稿日: 2003年07月20日 9時26分

>体のトポロジーまで変えてしまうような変化と、どのように結びつくのか、
>それが私が興味をもっていることです。

トポロジーが変わってしまう実例なら、いわゆる「奇形」がそれに相当
しますよね? 牛の奇形で六本足の個体の写真なんてのを見たことがあり
ます。

もちろん、こうした変異のほとんどは致死的であるため次世代へ伝わりは
しないのですが、少なくとも身体のトポロジーまでも変えてしまう機構を
遺伝子が持っていることの証左にはなるかと思います。


犬と猫  投稿者:ネクトカリスさん 投稿日: 2003年07月20日 9時13分

>ゆんさん
私もイヌが「同種」なのにあれほど異なる形態をしていることには驚きを憶えます。それに比べると、同じ愛玩動物であるネコにイヌほどのバリエーションが見られないことにも、両種の発生過程の違いの反映などがあるのかなと思ったりして、興味深く感じます。(ちなみに私は猫派です。犬も好きですが。)小型犬と大型犬の形の違いをヘテロクロニーで説明していた本があったように記憶しているのですが、ちょっといまタイトルが思い出せません。
ただ、イヌのバリエーションの場合は、やはり同じデザインの上での、体の各部のサイズや比率、毛色の違いという「量的な」変異だと思うのです。それが、体のトポロジーまで変えてしまうような変化と、どのように結びつくのか、それが私が興味をもっていることです。

>thinkpadさん、diamonds8888x さん

>停滞が「常態」に近いのは総合説の方でもわかっていたのでは?
そうなのですか? 少なくともそれを進化の「主要な」パターンとして定式化したのはグールドたちが最初だと私は思っていたのですが、私も学説史に詳しいわけではありませんので、もし違うのであれば、文献など、ご教示いただけると幸いです。

お二人の投稿を読ませていただくと、私にはお二人が断続平衡説の支持者であるようにしか思えません。いまや「当たり前」のように思える事でも、それは断続平衡説の影響力が総合説の中に浸透拡散して、かなりの部分が認められるようになってきたために、「当たり前」に感じられるのではないのでしょうか? 

それと、マイアの議論は種分化、つまり生殖隔離が生じるメカニズムについての議論ではないのでしょうか。マイアが「ほとんどの形態変化は種分岐に伴って起きる」と考えていたという話は、私は寡聞にして聞いた事がありません。こちらも何か資料があればご教示下さい。


停滞  投稿者:thinkpad 投稿日: 2003年07月20日 2時28分

>それに対してグールドたちは「停滞」こそ進化において重要な意味を持つ現象だとして、そこに新しい意味を持たせたわけです。これが私が断続平衡説を評価する第一点です。

「停滞」しているように見えるのは、既に環境に適応した種において、淘汰が形態を変化しようとする個体を排除してしまうからで、これはグールド以前からわかってた事です。
あと、停滞が「常態」に近いのは総合説の方でもわかっていたのでは?
種は基本的に保守的です。
種はいつか絶滅するにせよ、生存競争を勝ち抜いてきた勝者であり、その形態は環境に適応してデザインされています。
環境が変わらなければ、淘汰によってその形態を維持しつづけるのは当然と思えます。
ここに新しい意味とか重要な意味を持たせるのは無理じゃないでしょうか?
ってdiamonds8888xさんが既に言ってるか。

それと「種分化によって生じた、小さな集団」が新種のにおいて重要だと言うのは、マイアが先に言ってたはずで、この点はグールドの功績にはならないと思います。化石記録と結び付けるといったことはしてなかったと思いますけど。この点は確認しないと自信が無いですが。

それに、どうしてグールドが漸進説と総合説に対する批判をしたのか未だにさっぱりわからないんですが。


質と量  投稿者:ゆん 投稿日: 2003年07月20日 0時34分

ネクトカリスさん、はじめまして。

私が好んで引用する例に「チワワとブルドッグの比較」があります。
チワワとブルドッグは分類状は同じ種ですが、その外見は同一種とは
思えないほどかけ離れています。そこに遺伝子が生じさせる「大きな
ギャップ」の片鱗を感じはしないでしょうか?(という問いかけの仕
方からわかるように、私はこの例にそうした物を感じているわけです
が)


量的な変化が質的に..  投稿者:おずおず 投稿日: 2003年07月20日 0時33分

雛が巣の中でじたばたしてる。
まだ全身産毛で、羽ばたけばつんのめる。

しばらくすると産毛の中に羽毛がちらほら。羽ばたいてもつんのめらなくなる。

日増しに羽ばたきは力強くなる。ときどき、ジャンプできるようになる。でも事態は変わらない。彼は相変わらず、飛べない鳥。

羽ばたきは毎日、たった2グラムだけ力強くなる。今日は15グラムを持ち上げられるようになった。でも状況は変わらない。彼の体重は16グラムだ。

今日はきのうよりたった2グラム分だけ、羽ばたきが強くなった。
さてこの日、雛は空に舞い上がった。毎日少しずつの、たった2グラムの進歩は、今日、雛を鳥にした。

...で、このたった2グラムの力の、量的な差を乗り越えられるかどうかで、ゆくゆくは鶏と鷲の違いに...。


量的な変化と質的な変化  投稿者:ネクトカリス 投稿日: 2003年07月19日23時32分

>wadja さん、GOAさん
こういう話は各人の科学観とか生命観、おおげさに言えば哲学が関わる話ですから、議論して白黒つくような話ではないのかもしれません。哲学ついでに言えば、私が様々なことについて「腑に落ちない」と感じている根本的な理由は、たぶん、思いきり抽象的に言えば、「量的な変化」が「質的な変化」にどのように結びつくのかがはっきり分からない、ということだと思います。
現実に観察されている「小さな変化」は、ほとんどが、フィンチの嘴の長さや幅が変わるというような「量的」な変化ですよね。体の各部の比率が変わったり、色素の量の変化で体色が変わったり、というような変化は、単に遺伝子の発現量や酵素の活性が変わることで容易に実現できるでしょう。それは腑に落ちる。しかし、違う門の動物の間にある体制のギャップのような「質的な差異」も、そのような量的な変化の積み重ねで説明できるのでしょうか。もしできないとすれば、遺伝子の変異はどのようにして形態のギャップのような質的な変化を生み出しうるのでしょうか。私は切に知りたいと思います。もちろんキーになるのは発生のメカニズムですが、現在の発生学の知識では、この問題はまだほとんど説明できてないと思います。
「小さな変化の累積以外の働き」を知りたいというよりも、(いや、それがあるならもちろん知りたいですが)、いったい「どのような」小さな変化が「どのように」累積すれば、このような大きな変化が生み出せるのか、それを知りたい。
#ほんとに、できることならタイムマシンで過去に飛んで、採集した生物の発生を片端から観察したいのですけどね。

>diamonds8888x さん
私も古生物学は専門じゃありませんし、原著論文は読んでいません。でも「ほとんどの形態変化は種分岐に伴って起きる」というような主張は、「当たり前」だとは私には思えないです。というより、かなりアブナイ主張だとさえ思います。だからこそ、本当だったら面白いと思うのですが。


謝辞  投稿者:UFO 投稿日: 2003年07月19日22時40分

UFOの質問にツリーで答えてくださっている皆様、ありがとうございます。
明日の夜にはちゃんとむこうで返信を書く時間をとれそうです。
決して発言放棄しているわけではないので、もう少々お待ちください。本当にゴメンナサイ。
恐れ入ります。


「すいみん」じゃなくて...  投稿者:おずおず 投稿日: 2003年07月19日22時19分

「すいこう」をお願いします。
   事務局長より


睡眠か  投稿者:うだうだ 投稿日: 2003年07月19日21時56分

> 「獲得形質」「アクア説(これは幾分まともかな)」「犯罪遺伝子」...。
こういうことを言っているうだうださんから「同意見です」って言われてもなぁ。

過去の事は水に流しましょう。なんて駄目ですかね・・・。


ネクトカリスさんはおそらく第3者を想定して話していると思う為、僕は見ていて
ネクトカリスさんの文章が理解しずらかったんですよね。

よく分かっていない時点でたくさんの事を言い過ぎました。


> 1.何を指して「進化論に..という事」と言っているのでしょうか?

説明しずらいです。上記に書いたとおりネクトカリスさんが考えているだろうという
第3者を想定して勝手気侭に文章を組み立てた為おかしな文章になっている事は
否定しません。


> 2.「抵抗のある人ほどデータが完全でない」という一方、「推測の領域で進化論を組み立てている人たち」も、「データが完全でない」から推測しているんですよね?じゃ、どちらも同じ?

ここは僕もちょっと無理がある事を言ってしまったかもしれません。
ネクトカリスさんの返答を見ながらまったく僕と考えている事が違えばまた考えてみます。
取りあえずは保留として下さい。

> 3.組み立てている人たちは考えている...何を考えているのでしょうか?

上記に同じく保留と・・。

> 4.誰に、何を、「すごいと感じて欲しい」のでしょうか?

やはり人の考えを推測で文章を書く事は問題がありますね。またROMに戻ります。

> 「推測」したわけじゃないですよ。「推測」は、絶対に、ミッシングリンクを越えるつばさにはならない。

すいません、言葉が不適切だった感じます。これほどおもしろい議論をこちらでやるのは
もったいないと思います。出来たらツリーでやって頂ければ、話が流れなくて読み返せる
のですが、もう話が終わりそうなので残念です。

おずおずさんへ、僕が最初書こうとしていた意見を言って頂き、感動のあまり
思わず禁を破って一時的に現れてしまいましたが、実際の睡眠を兼ねて、また
うだうだは長き眠りにつきます。それでは良い議論になることを祈りつつ眠ら
せて頂きます。


ついでながら...  投稿者:おずおず 投稿日: 2003年07月19日21時29分

メンデルさんは推測でものを言ってはいないですよ。彼はDNAなんかまるで知らなかったけれど、赤いエンドウと白いエンドウを交配させると1:3:1の割合で赤、ピンク、白のエンドウが生まれること、その他いろいろを、地味で退屈な実験により「帰結した」わけで、「きっとぉ、生まれるんだとおぉ、思うんだぁ♪」と、「推測」したわけじゃないですよ。「推測」は、絶対に、ミッシングリンクを越えるつばさにはならない。


カミン♪(そういえば酢酸カミンとかいうのもあった...。)  投稿者:おずおず 投稿日: 2003年07月19日21時07分

お目覚めのようで♪
で、さっそくですけど、下記の文章、推敲されました?

>進化論に抵抗がある人たちという事なんですよね?僕は逆に抵抗のある人ほどデータが
>完全でなく推測の領域で進化論を組み立てている人たちは考えている事をすごいと感じ
>て欲しいと考えています。

1.何を指して「進化論に..という事」と言っているのでしょうか?

2.「抵抗のある人ほどデータが完全でない」という一方、「推測の領域で進化論を組み立てている人たち」も、「データが完全でない」から推測しているんですよね?じゃ、どちらも同じ?

3.組み立てている人たちは考えている...何を考えているのでしょうか?

4.誰に、何を、「すごいと感じて欲しい」のでしょうか?

NPO「うだうださんの文章を改善する会」事務局長 おずおずより...。


「良く分かる」と言われても  投稿者:GOA 投稿日: 2003年07月19日21時05分

>データが完全でなく推測の領域で進化論を組み立てている人たちは考えている事をすごいと感じて欲しいと考えています。

「獲得形質」「アクア説(これは幾分まともかな)」「犯罪遺伝子」...。
こういうことを言っているうだうださんから「同意見です」って言われてもなぁ。


良く分かります  投稿者:うだうだ 投稿日: 2003年07月19日20時26分

お久しぶりです。

> ミッシングリンクを最後の一つまで解消していくことも科学ですが、数え切れないミッシングリンクを素朴な自然観察と論理的思考により飛び越えることも科学だと思います。ちなみに今も、科学のほぼ全ての分野は、ミッシングリンクだらけです。

僕もまったく同意見です。


ただしネクトカリスさんは分かっていらっしゃるんですよね?

進化論に抵抗がある人たちという事なんですよね?僕は逆に抵抗のある人ほどデータが
完全でなく推測の領域で進化論を組み立てている人たちは考えている事をすごいと感じ
て欲しいと考えています。

もちろん疑いの目を持つ事はとても大事だと思います。その事が新しい発見に繋がると
想います。


ダーウィンやメンデルは偉い!  投稿者:おずおず 投稿日: 2003年07月19日19時54分

二人ともDNAについては全く知らなかったはずですけれど、「遺伝する何か」があることを、そして、「変わらない何物かが時の流れの中で変化していくこと」を、あの時代の素朴な観察や実験から導き出しました。
そして、DNAについて全く無知だったはずの彼らの理論は、DNAについて相当な知識を得た現在の科学でも否定されていません。
もし二人が、「世代を越える何か」の構造を完璧に突き止めるまで自説を発表しない!と決断していたらどうなっていたでしょうね...。

ミッシングリンクを最後の一つまで解消していくことも科学ですが、数え切れないミッシングリンクを素朴な自然観察と論理的思考により飛び越えることも科学だと思います。ちなみに今も、科学のほぼ全ての分野は、ミッシングリンクだらけです。


断続平衡説とは?  投稿者:diamonds8888x 投稿日: 2003年07月19日18時34分

 グールドの断続平衡説はエッセイでしか読んでいないのでなかなかその真意がわかりにくいのですが、ネクトカリスさん御紹介の通りだとすれば、まさに当たり前のこととしか思えません。エッセイでしか読んでいないというのは、グールドの書いた専門論文等は読んでいないという意味です。そして彼の啓蒙書は自分の説をどこまで科学的に厳密に表現しているつもりなのかよくわからないのです。

 「小さな集団における急速な変化」というのは隔離による分化ということで、総合説における最もスタンダードな過程ですよね。
 生物が環境での最適な姿に進化するとするなら、環境の停滞が続けば進化が停滞するのは当然ではないでしょうか? もちろん外界が変化しなくても軍拡競争や性選択による進化はありますが。

 『「停滞」こそ進化において重要な意味を持つ現象だ』というのは『停滞こそが「常態」であるから』つまり『停滞の期間の方が長いから』ということなのでしょうか? 長いから重要とは言えないはずですが、グールドはどんな意味で重要と言っているのでしょうか?


脊椎動物への道  投稿者:diamonds8888x 投稿日: 2003年07月19日18時32分

 ネクトカリスさんがお知りになりたいような、原始多細胞生物から脊椎動物への進化の道筋というのは、専門家の研究を気長にフォローするしかないんじゃないでしょうか。素人でも日本語で読めるものは、S.C.モリス「カンブリア紀の怪物達」講談社現代新書が最新だと思いますが、察するところネクトカリスさんなら既にお読みかも知れませんね。
 あの辺の分類群の生き物になると、名前を聞いただけではさっぱりイメージが浮かびません(^_^)。

 とりあえずホヤの幼生も忘れないで。この生物達から脊椎動物への道は一応納得なのでしょうか?
http://www.med.kobe-u.ac.jp/anato1/hoya.html
http://wwwsoc.nii.ac.jp/jsar/jrd/jpage/vol47/470603.html

 thinkpadさんの「宇宙で最初は少しだけ離れていた物体がどんどん離れていく」というイメージは実に適切でわかりやすいと思います。


それってまるで  投稿者:wadja 投稿日: 2003年07月19日17時37分

科学に終わりが無いのと同じ理由のような気がします。>ネクトカリスさん
解きたい謎、知りたい真相は尽きない。

ネクトカリスさんの好奇心というか、個人的な願望には共感できる部分もありますし、素人のwadjaとしては、「分かったという積もりも無いが、そこまでは分からなくても已む無し」としている部分もありますので、まあ人それぞれでしょうねと言う月並みな言葉しかお返しできません。

>私にはそのプロセス、各ステップをイメージする事はできません(できる人がいるのでしょうか?)。

全ての(途切れた枝も含め)進化の過程を逐一お知りになりたいということでしょうか?現在の人類の科学では、ネクトカリスさんを満足させらるのは到底無理だと言うのは理解しました。wadjaは、映画なんかにたまに出てくる進化をシミュレートしたCGで十分納得してます。チャンスがあれば本物を見てみたいか?と問われれば、応えはYesですけどね。

ただ、種分化のメカニズムってそんなにイメージし難いですかね?仮に交雑が無ければ、人間でも数百万年で種分化しそうな気もしますが(根拠はありませんが)。


ちりも積もれば山となる  投稿者:GOA 投稿日: 2003年07月19日17時31分

>「そんなことはもう原理的に解決済み」というような態度をとるのではなく、きちんと「ここまでは分かっているけど、この部分はまだ解明されていない、自分も知りたいと思っている」と、私は言いたいのです。

「小さな変化は観測されているし、その累積が大きな変化につながることを否定する証拠はない(か少ない)。一方で大きな変化をもたらす特別な働きは発見されていない。証拠となる化石はきわめて稀にしか発見されず、その点と点を結ぶ線はきわめてあやふやだ。私はもっと詳細な進化の歴史を知りたい。」で良いのではないでしょうか?(ツッコミ求む)

しかし、そのように獲得された知識がわずかであやふやなものだからといって、見つかってもいない法則や既存の説を(必要以上に)不確定なものであるとみなしていい理由にはならないでしょう。
もし、今まで知られている科学知識では「イメージできない」というならそれはそれで仕方ないことだと思います。
「既存の説だと○○という現象に矛盾する」という反証ならともかく、感覚的な拒否反応に対しては、どのようにも対応すべき手段はないでしょう。

ネクトカリスさんが小さな変化の累積以外の働きがあると考えるのは自由ですが、どのような働きがあるのかを証明するのはネクトカリスさんの義務でしょう。
(そうした働きが見つかるまで暫定的に「小さな変化の累積」が結果的に大きなギャップを生むとするわけにはいかないのだろうか?)


具体的なプロセスを知りたいのです  投稿者:ネクトカリス 投稿日: 2003年07月19日16時32分

ああ、すみません、「知的怠慢」が失礼に響いたのでしょうか。
「(私が)納得してしまう事は(私の)知的怠慢だとさえ思っている」と言いたかったのです。

>wadjaさん
フィンチの進化のような、それほど形態のギャップが大きくない変化については、私も納得しています。(種分化のメカニズムについては、いろいろと考えるべきこともあると思いますが、それはとりあえず脇に置きます。)
人間やショウジョウバエを例に挙げたのは、私が、おそらく単純な体制をもっていたであろう多細胞動物の共通祖先から、これらの複雑な生物が進化してきた、そのプロセスを知りたいと願っているからです。現存する動物と、既知の絶滅した動物を並べてみても、私にはそのプロセス、各ステップをイメージする事はできません(できる人がいるのでしょうか?)。だからこそ、知りたいと思うわけです。つまり、個人的な願望です。
創造論に加担するように取られてしまうのはまったく心外ですが、だからといって、分からないものを分かってしまったつもりになる事はできません。

>GOAさん
「小さな変化の積み重ねを疑問視」しているわけではありません。「原理的には」それで良いのだろうと思っています。でも具体的なプロセスについては、まだ分からないことが多いから、イメージできないという人がいるのも、もっともなことだろう、と言っています。私にしても、ある進化プロセスについてはイメージできるが、他のプロセスについてはイメージできない、というのが現状だからです。
大きな変化の歴史的プロセスも、もちろんイメージできません。原始的な共通祖先から、現在の複雑な生物が進化してきたのだろうという、極めて抽象的なことについては、様々な証拠から確信することはできる。だけど、その具体的なプロセスは、やはり分からない。
自分が分からないから間違いだ、という議論が成り立たないのは言うまでもありません。ただ、小さな変化の積み重ねで進化が起きることが実感できないといって悩んでいる人に対しては、「そんなことはもう原理的に解決済み」というような態度をとるのではなく、きちんと「ここまでは分かっているけど、この部分はまだ解明されていない、自分も知りたいと思っている」と、私は言いたいのです。

「きちんとしたイメージ」 というのは、共通祖先の形態、生態、ライフサイクル、個体発生様式、その分子メカニズムなどがそれなりの科学的根拠を持って推定でき、そこにどのような遺伝的変化が起きて、どのような表現型の変化がおきたのかを推定でき、それがどのように積み重なって現在の生物に至ったのかが、それなりの科学的根拠に基づいて推定できる、ということです。


怠慢  投稿者:wadja 投稿日: 2003年07月19日14時42分

To:ネクトカリスさん

はじめまして。
好意的に解釈すれば、ネクトカリスさんの「知的怠慢」は、ご自身への戒めの言葉なのでしょう。でもなんとなく進化論を支持する人への批判にも聞こえるな。wadjaは自ら知的怠慢を認める素人ですので、なんとも思いませんけど。

GOAさんの投稿にもかぶりますが、なぜネクトカリスさんは枝の末端(現存する生物)、しかも極端に異なる枝の先だけを眺めて、進化論が腑に落ちないとお悩みなのでしょう?その辺がwadjaには理解できません。ダーウィンのフィンチを例に取るまでもなく、漸進的な進化の過程が現存生物に見られることは珍しくありません。絶滅した生物の化石まで並べれば、すごく説得力あると思うんですけどね。

ネクトカリスさんが、けして進化論を否定する気がないのは理解できるのですが、ミッシングリンクを進化論否定の証拠としたがる創造論者のように響くのも否定はできないと思いま−す。

藪は打たれたけど、M45!


天神界隈「明治通り」はイメージどおり  投稿者:GOA 投稿日: 2003年07月19日14時39分

ネクトカリスさん

>まあそれはともかく、私が言いたかったのは、「小さな変化の積み重ねが大きなギャップを生み出すというのは理解しにくい」と言う人が常に出てくるのには、それなりの理由があるのじゃないか、ということです。

何かが起こるからにはその原因があるのは確かでしょう。「理解しにくい」と言う人はそれなりの理由があってそのように述べているのは間違いないと思われます。
ただ量子論の世界だって相対論から描かれる超日常的な現象だって「理解しにくい」と言う人は常に出てきます。(私がその中の一人です)
だからといって「量子論や相対論が誤っているかどうか?」という話にはなりません。
「イメージできない」と言う人間を100万人だろうが1000万人だろうが集めても無意味です。

>私は激しく知りたいと思っていますが、たとえば脊椎動物の祖先をさかのぼっていっても、せいぜいナメクジウオやピカイアのような生物まで辿りくだけで、あとは闇の中です。多くの科学者の努力にも関わらず、現在のところ、その先は「分からない」としか言えないわけですよね。

このような理由で小さな変化の積み重ねを疑問視する一方で、大きな変化の“歴史的プロセスはきちんとイメージ”できるているのでしょうか。
“分からない”ことが進化の歴史をぶつ切りにしているのになぜ“きちんとイメージ”できるのか私には理解できません。
ネクトカリスさんのおっしゃる“きちんとしたイメージ”というものをご説明していただけないでしょうか?


小さな変化の積み重ね  投稿者:ネクトカリス 投稿日: 2003年07月19日14時13分

>GOAさん
共通祖先がどのような生物だったのか、どのような中間型を通って現在に至ったのか、私は激しく知りたいと思っていますが、たとえば脊椎動物の祖先をさかのぼっていっても、せいぜいナメクジウオやピカイアのような生物まで辿りくだけで、あとは闇の中です。多くの科学者の努力にも関わらず、現在のところ、その先は「分からない」としか言えないわけですよね。(もちろんカルシコーダータ説とか、いろいろ仮説はあるわけですが、信憑性はあまり高くはありませんよね。)
イメージできないのは努力の問題ではなく、現在の我々の知識の限界の問題だと思います。

まあそれはともかく、私が言いたかったのは、「小さな変化の積み重ねが大きなギャップを生み出すというのは理解しにくい」と言う人が常に出てくるのには、それなりの理由があるのじゃないか、ということです。「小さな変化」の各ステップを実際に並べてみせる事ができれば大多数の人は納得できるのでしょうが、我々にはまだそれが出来ていないわけです。そして、もちろん私は「それで良いじゃないですか」とは思っていません。そのようなことができる時が(生きているうちに)くれば良いなと思っています。


ご意見、ご要望がございましたら、掲示板か、 e-mail:natrom@yahoo.co.jpへどうぞ。


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