進化論と創造論についての掲示板ログ53

2001年3月22日〜2001年3月26日
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進化論の矛盾2 投稿者:井上 透  投稿日: 3月26日(月)14時41分16秒

また1生命個体の寿命はたかだか長くて平均数十年であり、必ず生命には誕生→成長→老化→死滅というプロセスをたどります。この短い1個体の寿命の中で遺伝子変異が時々おこりそれが種々の病気の原因となるのはわかりますが、染色体変異をきたして種が分かれて進化していくとは考えられません。これがおこるのなら、生まれた時はチンパンジーだったのが20才を過ぎてからヒトになるという事になり、これはありえないことです。よって長い年月をかけて進化なるものがあると仮定した場合、この染色体変異をおこすタイミングは親から子への生命への継承とも言える減数分裂→受精にかけておこる交叉現象の際におこるとしか考えにくいのです。最近の生命科学では生殖細胞における突然変異が進化の要因だと考えられてきています。しかしその場合の生理的な染色体数変化の機序がまだ説明できていないのです。さらには受精時に卵膜に達した精子は先端突起からある種の蛋白質を分泌し卵膜表面の糖蛋白と結合します。その際にもしも種の異なる精子ならば異種蛋白と認識しその結合は行なわれず、受精が成立しない事がわかっています。ですからなんらかの変異で新種となる生殖細胞が誕生したとしても蛋白構造の違いから受精は不可能となり次世代への新種の継承もできなくなるのです。北イタリアのマウスもたとえ多型染色体での受精可能のものがいたとしても、その生殖細胞の蛋白構造が同じであるために受精成立できたにすぎず、新種・異種とは言えないのが実状で、進化論推奨者がそれは新種だと言い張っているにしかすぎません。現代の生命の目・科・属などの種の分類は細胞学や遺伝子科学の解明がなされていない時代に、生命科学者が外見的特徴をもとにおおまかに分類したところもあり、同種・異種の鑑別には一部いいかげんなところがありました。最近は糖蛋白構造や遺伝子で種を分類しなおそうという動きもあります。また大幅な塩基の挿入や欠失があったり、染色体数の変化による転座・倍数体・異数体などの染色体変異の観察は数多く報告されていますが、そのような変異生殖細胞の場合の受精は困難です。それは病的変化としておこる場合で、健康なる新種誕生には至りません。たとえば人間の場合でもまれにkleinferter症候群といってXXYの性染色体をもつ先天的奇形が生まれる事があります。しかしその患者はまともな生殖細胞を作れず子供はできないのです。突然変異と自然淘汰の理論の枠組みを取り外さないかぎり、新種の発生・継承の説明にはなりません。必ず間接原因とも言える細胞融合や遺伝子組み換えのような意図的な所業が加わらないとそのような現象はおこりません。しかも自然・偶然でなく人為的操作という縁が必要なのです。探求すればするほど神秘的で、生命を育む大いなる意思によってなされる生命エネルギーの注入は目に見えない神仏の所業のようにしか私には思えません。1−2m程度のサイズの小さな人間がその小さな知恵で持って生命科学の世界をほぼ理解し得たという姿勢こそが傲慢なのではないでしょうか。あの偉大なるニュートンもアインシュタインも神仏の存在を信じており、自分の研究は神仏の創られた大海を前にして海岸で砂遊びをしている子供のような存在にしかすぎないと言っています。彼らの真理を探究する謙虚な姿勢を見習いたいものです。
今回の投稿を最後にします。今後も皆さんの活発な匿名の議論を展開していただきたいものです。その中でどれだけ目に見えない生命エネルギーや万物を創造された神仏の意図を洞察して、それに関連した意見が出てくるかを期待したいところです。さようなら。


進化論の矛盾1 投稿者:井上 透  投稿日: 3月26日(月)14時40分12秒

前回進化論の疑問点をこの掲示板に示し数多くの反論をいただきました。その中で実名公開を求めた所で開設者のNATROMさんから注意を受けました。確かに他人の掲示板での実名公表の強要は非常識なところがあったと思い反省しています。もともと言いたい放題の自己責任とは無縁のサイトだという認識が足りませんでした。ごめんなさい。そこで今回の投稿で最後にしたいと思います。
まず今回の投稿動機を率直に述べてみますと、現代の生命科学者の研究の大きな枠組みが進化論を基底とした中でしか行われていないという警告です。各専門分野での研究は進んでいますが、細分化した各論研究を結びつけての検証を試みると数多くの矛盾を呈しているのは明らかです。その矛盾を埋め合わせるためにさらにこじつけのような理論を展開して進化論の正当性を唱える科学者が多いのですが、それがさらに矛盾を深めています。私が現代の生命科学者に望むのは、一度全く白紙に戻して進化論に変わる新しい仮説を提示できる勇気です。過去の科学の進歩にはニュートンの万有引力の法則やアインシュタインの相対性理論のように従来の常識を覆す仮説が提示され、それを契機に加速したという経緯があります。生命科学分野の場合、新しい発見は実験・観察研究による追随が主流でしたが、ダーウインの進化論を覆す仮説はまだありません。だから進化論は正しいのだという所で納まって、他の仮説の可能性を考えようともしない科学者達の呪縛を感じます。現代の実験・観察研究は進化論の正当性を認めるための目的となっていますが、どうしてもっとそのような先入観を排して白紙の目で持って生命真理を再探究する姿勢を持てないのでしょうか?長年積み上げてきた研究実績を白紙に戻せば、現状の存続基盤がなくなるのが恐いのでしょう。今の研究はあまりにも各論・細分化理論に入りすぎています。もちろん今の遺伝子研究のような細かい研究はとても意義ある実績を重ねているのは認めますが、もっとグローバルでマクロ的視野に立っての理論の再構築に挑める勇気ある科学者はいないのでしょうか。進化論を凌駕する新説を誰か発表できないのでしょうか?私は生命科学の専門家でもないのでとてもそこまでできませんが、逆に専門外だからこんな事が言えるんです。進化論を全ての生命の誕生形式に無理に当てはめようという枠組み自体にもっと疑問を持たないかぎりもっと新しい生命科学の展開はないと思います。ある人のご指摘にあったように、昆虫には染色体はないが哺乳類には染色体があるというように、下等動物や高等動物の間にも生命の発現基礎形態に違いがある事も進化論一辺倒だけでは説明できない根拠のひとつです。また大腸菌や酵母などの単細胞生物の研究をどんなに重ねても、多細胞生物ならではの細胞の分化(例えば、人間の場合は赤血球・筋細胞・神経細胞・精子など)の仕組みやその分化細胞同志のコミュニケーションの仕組みは全く解明できません。単細胞生物から多細胞生物が生じるのであれば、決して変異・自然淘汰という偶然の産物だけで説明できるものではありません。単細胞生物という原因から多細胞生物という結果ができるためには、その間に間接原因となる縁が必要です。現代科学技術により可能となった細胞融合による品種改良や遺伝子組み換え操作は、すべて人工的・人為的操作が加えられたものでありこのような操作が縁として加われば進化は可能かもしれません。しかし単なる偶然におこる突然変異と自然淘汰の積み重ねで自然に種が変わって進化する事は、どんなに長い年月を重ねても不可能であり、これも進化論の持つ矛盾のひとつです。(続く)


あまり断言されても… 投稿者:PDX.  投稿日: 3月26日(月)12時37分29秒

To 竹内 美継さん

>私は 1)DNA、RNAの自己複製サイクルの確立などという事は認めません。
>   2)DNA,RNAワールドがあったという事もみとめません。
>   3)記憶に関わる物質→蛋白粒→中心小体類→原始真核生物→真核生物→人間
>     という大雑把な流れを考えております。

 1) 2)に関して、「私は認めません」と言い切ってしまう根拠はなにか
あるのでしょうか?
 勿論、他の方に説明でき、説明された方が検証しようと思えば可能なる根拠
です。
 竹内さんがそのような仮説を立てることは別に構わないのですが、「俺がこ
う決めた。お前達はこれを信じろ」と言っているわけではありませんよね?
 その仮説によって既知の現象の何が説明できるのか、未知の現象をどう予測
できるのか、それらについて考えるだけの価値があるかどうかを他の人が検討
するためには、前提となる仮説がどの程度の信憑性を持つかが大事なことだと
思うのですが。

(DNAワールドやRNAワールドについても仮説であり、蛋白質(酵素)が
無い状態でこれらが自然に生成しうるかが研究者にとって検証の対象たりえる
わけで、肯定するにしろ否定するにしろ実験の方法がありますよね?)

 あと 3)について、原核生物はどうなるのでしょう?
「原始真核生物」とは、原核生物のことではありませんよね?

 中心体や鞭毛とスピロヘータの類似性は、マーギュリスらの
共生説で語られていますが…。


人生の目的>フィッツジェラルドさん 投稿者:JA50  投稿日: 3月26日(月)10時47分12秒

人生の目的といことについては後藤さんにすっかり答えられてしまいあまり付け加えることがないのですが、一言でいえば「"進化論が正しければ、人生の目的はない。"という結論が導かれる」というのが、私からみたら「なんでそうなるの?」というものなんです。

進化論が正しかろうと(つまりヒトとチンパンジーに共通の祖先がいようと)、人生にはどういう目的があるのだろう、はたまたあるのだろうかという問題とは無関係だと、私は思っているからです。それより、最初にも書きましたが、「進化論が正しければ、人生の目的はない」という結論を導いている人の気が知れない、不思議でしかたないんです。
私とフィッツジェラルドさんの間では、数十世代遡れば(いやもっと少ないかも)、さらに私とアイ(有名なチンパンジー)も25万世代でも遡れば、共通の祖先に行き着くでしょう。さらに何百万、何千万、何億世代と遡れば、ネコやイヌ、ゴキブリ、大腸菌などとの共通の祖先に行き着くだろうと私は思っていますが、それと私の人生の目的とは別問題です。それで私の人生の目的が無くなったりしません。逆に、それが真実だと自分の人生の目的が無くなってしまうと思っている人が居る、というのが不思議でならないのです。
なんという軽薄な人生の目的しか持っていないのだろうと、可哀想にさえ思います。

>そして、そういったことまで考えに入れて、進化論を展開していらっしゃる方がいるのなら、その方は、そもそも人生に目的はないという立場で論を展開しておられるのかどうなのかということを問いたかったわけです。そういったことにまで触れている進化論者の本があれば、ぜひ読んでみたいので、ご存じでしたら、教えていただきたいと思っているのです。

進化論と人生の目的などという論を展開している人がいるというのは、私は知りません。いたとしても「と」ではないでしょうか。

>それとも、進化論者が結論づける人生の意味とは、(できるだけ優秀な)子孫を残すことのみで、心豊かな人生をおくるといったことは、全くナンセンスなことになるのでしょうか?

進化論者で、自分の人生の意味を「できだけ優秀な子孫を残すことのみだ」、「心豊かな人生をおくるといったことは、全くナンセンスなことだ」と考えている人がいるんでしょうか?
私はそういう人を知らないのですが、フィッツジェラルドさんはそういう進化論者をご存じなんですね。だからこういう質問をされているんですよね。どういう人なんでしょうか、教えていただけますか?

そもそも、できるだけ優秀な子孫を残すことが人生の目的だと思うことと、進化論が正しいということとどういう関係があるんでしょうか。
進化論者が結論づける人生の意味は、その人それぞれだと思いますよ。前にも書きましたが。
フィッツジェラルドさんと同じように自分の神様の御心に添うように生きるのがその意味だと考える進化論者もいるのじゃないですか。mickyさんが書かれていますが「神の存在を信じる人=非科学的な人」じゃないです。もちろんそういう人もいるでしょうが、「神の存在を信じていない人=非科学的な人」もおれば、「神の存在を信じる人=科学的な人」も「神の存在を信じていない人=科学的な人」もいる。

>人間原理で進化論が否定できるとは思っていませんが、関係はあると思うのですが、いかがでしょうか。

フィッツジェラルドさんの言われる「人間原理」と進化論とはどういう関係があるんでしょう?

花が美しいという問題ですが、フィッツジェラルドさんのこの言葉につきると思います。
「主観的問題なので、科学にはなりません」
フィッツジェラルドさんがどの花を美しいと思おうと、それと進化論が正しいかどうかということとは無関係です。

>私には証明できそうもありません。

それなら、「そのような自由な選択は不可能なのかどうか」という問題をかたづけるのが先じゃないですか。

>しかし、現代の科学をもってしても、単純な生命すら創ることはできていないというのも事実だと思います。

本当に事実ですか?

できるのだが、単に意味がないだけかもしれないよ。金と時間をかける意味がないと。
単純な生物を創って、それで科学上の意味があるのか私には疑問だし、またその生物を何にするのか考えてみてください。それが何かに役立つとなれば、莫大な金と、多くの研究者をかき集めてやるかもしれませんが、そんなことをするより、そこに今ある生物を改良した方がよっぽどいいじゃないですか。簡単だし、金も時間もかからない。だから実際、そうしている、家畜の改良もそうだし、大腸菌にヒトインスリンを作らせるのもそう。

>乱数を使っても、自由意志とは言えないと思いますし....。

何をもって自由意志と言うかじゃないでしょうか?


目的とは 投稿者:後藤寿庵  投稿日: 3月26日(月)02時49分54秒

フィッツジェラルドさんと他のみなさんの議論で噛み合わないのが「人生の目的」という言葉ですが、ふつうこれを言う時って、人間自身、個人自身の生きる目的と言うような意味で使われますよね、これは個人にとっての生き甲斐に直結する概念で、そういういみでの目的はひとそれぞれ持っているだろうし、「進化論を信じる人は人間の存在目的はないと思っているのか」と問われれば、「そんなことはない、なんで創造論信じる人は進化論が正しかったら人間生きる意味がなくなってしまうとか、ケダモノのように生きるしかなくなると考えるのか」ってな反発を覚えるわけです。

ところが、どうもフィッツジェラルドさんの言う意味は、要するに人間の「用途」なんですね。製造目的とでもいうやつ。
でもこれはそもそも人間が「目的を持って作られた存在」でなければ意味を持たないです。極端な遺伝子論者であれば、生命すべからく遺伝子を次代に残すことが目的、と言うかも知れませんが、これとて自己複製を行う存在として生命が誕生したためにそうなっているとしか言えず、作られる前に存在した目的とは言えません。

この問いは、はぐらかすというより、あまりに当たり前に自然進化か創造かのどちらかを選べば決まってしまうようなもので、あえて問われる意味さえわからない。

私は既存の神話やチャネラー達の言う創造主はおそらく存在しないと考えているので、その考えから、人間の製造目的は存在しないだろうと考えています。


それはたぶん誤解でしょう。 投稿者:micky  投稿日: 3月26日(月)01時51分47秒

フィッツジェラルドさん

> 私の誤解かもしれませんが、「神の存在を信じる人間は、非科学極まりない奴だ。」というよ  うな目で見られているような気がするのですが....。

それはたぶん誤解でしょう。もしそんな目で見るような人があるとすれば、その人は科学というものの性格が全然分かっていないのだと思いますよ。(レス不要です)


本でも読んで勉強します。(2) 投稿者:フィッツジェラルド  投稿日: 3月26日(月)00時20分28秒

 JA50さん、こんにちは。

>物質だけで「そのような自由な選択」は不可能だ、というのをどのようにしたら証明できるのだろう、、、
 私には証明できそうもありません。しかし、現代の科学をもってしても、単純な生命すら創ることはできていないというのも事実だと思います。(言葉尻を捉えられそう?) 乱数を使っても、自由意志とは言えないと思いますし....。私たち人類が今だ発見していない新しい物理法則以外の力が発見される可能性があれば、おっしゃるようなことも可能ではないかと思います。

>花が人間に美しいと感じてもらうようになったのじゃなく、逆に、人間が花を美しく感じるようになっただけかもしれない。
>人間が品種改良した花は、人間が美しく感じるようにしたものでしょうけど、野生の花で、人間が美しいと感じるのは、たまたま人間が美しく感じただけかもしれない。人間には美しいと感じられない花もあり(こちらの方がほとんどだったりして)、それは別の存在(例えばハエなど)に美しいと感じてもらえたらいいからそうなっていると。
 正直な感想を申しまして、反論するためのこじつけのように感じるのは、私が有神論者だからでしょうか。主観的問題なので、科学にはなりませんが、私にはほとんど全ての花が、美しいと感じられるか、興味深く(面白く)感じられます。動物も、鼻の長いのがいたり、首が長いのがいたり、面白い顔のがいたり、強さを感じさせるものがいたり、興味は尽きません。
 ハエにも審美眼は(少なくとも人間レベルほどは)ないと思います。ハエが花の美しさにうっとりする姿を見たことがないからです。(冗談です。)

>進化論が正しければ、自分の人生の目的が無くなってしまうなどという人がいたとしたら、なんと可哀想なお方だろうと思います。
 ご存じの上で、答えをはぐらかしているようにも感じるのですが....。私は、「"進化論が正しければ、人生の目的はない。"という結論が導かれると思うのですが、どこかその論理の進め方に間違いはありませんか。」と問いたかったのです。失礼かもしれませんが、もしかして、進化論者はそういったことを考えたことが今までなかったのではありませんかと問いたかったのです。そして、そういったことまで考えに入れて、進化論を展開していらっしゃる方がいるのなら、その方は、そもそも人生に目的はないという立場で論を展開しておられるのかどうなのかということを問いたかったわけです。そういったことにまで触れている進化論者の本があれば、ぜひ読んでみたいので、ご存じでしたら、教えていただきたいと思っているのです。それとも、進化論者が結論づける人生の意味とは、(できるだけ優秀な)子孫を残すことのみで、心豊かな人生をおくるといったことは、全くナンセンスなことになるのでしょうか?

>それ(人間原理)と進化論は間違っているというのにどういう関係が、、、
 人間原理で進化論が否定できるとは思っていませんが、関係はあると思うのですが、いかがでしょうか。

 また、嫌われそうです。でも、JA50さんのおっしゃるとおり、しばらく科学の本でも読んで、勉強し直してから、いろいろお尋ねした方がいいかなとも思っているところで、しばらくご無沙汰しようと思っています。本を読んでいるうちに、進化論者になっていたら、皆さんお許しください。


本でも読んで勉強します。(1) 投稿者:フィッツジェラルド  投稿日: 3月26日(月)00時19分41秒

 ユリイカさん、こんにちは。

 私はこの掲示板に書き込むに相応しくない人間なのでしょうか。あなたの言葉から、そのようなことを感じてしまいます。私は、考えや価値観の違う人とも、仲良くやれるタイプで、考えの違いを人間関係の善し悪しと結びつけることはしません。
 自分と違う意見は聞きたくないとおっしゃるのでしたら、ツリー掲示板で別の方々とお話しさせてもらおうかとも思いますが....。

>完全な「自由」などどこにも無い、それでいて本来「目的」を持っているものである、と思っております。
 同感です。

 私の理解力不足で、レスの意味が分からないところもあり、いまだに「物質的(有形)な脳の機能でも、自由な選択ができる。」ということが納得できないでいます。

>たとえば個人個人の持つ「性格」とはなんだと仰るのですか?
 私の専門は心理学や教育学ですので、そういった話題は興味があるのですが、話題からそれるので、正確さを多少犠牲にしてでも、簡単に考えを述べます。
 「性格」とは、「こういう場合にはこのように行動するのがよいだろう。」という辞書の中身だと思います。その辞書は自分で作成し、書き換えることも可能なものです。そして、集団内での性格を分析する場合、その性格は本人の中にあると捉えるより、他者との関係性の中にあると捉えた方が(臨床上からも)よいものだと考えています。
 今まで触れてませんでしたが、私は文系人間です。でも、理系の勉強にも興味があります。どうでもいいことでした。

 心を有形なものとして捉えていらっしゃる方も、心が機械の中に封じ込められた、自由のないものとは考えておられないということは分かりました。
 自由意志が有形なもので再現可能ならば、人間がコンピュータのような機械で、それを再現することも出きる可能性があるということでしょうか? そうなれば、将来、ターミネーターのような戦争が勃発する可能性も否定できないということでしょうか? 皮肉で言っているのではないので、真剣にイエスかノーでお答えいただければ幸いです。

>……私も神の存在自体を否定はしません。
 文章の意味があいまいなのですが、神は存在するとお考えなのでしょうか、それとも、進化を語る上で、神の存在に関しては、存在しようと、しまいとはどちらでも関係ないということでしょうか?

>  神は人間を創ったのではなく、世界を創った……そう思いたいですね。
 「世界」の意味するところが分かりません。創造者の存在と進化論は、共存しても、矛盾しないものなのでしょうか?

 神の存在を信じながら、進化論を説いておられる学者の方は、神とはどのような存在と考えていらっしゃるのか興味があります。神が、ビッグバンから、生命や人間の誕生する現在の宇宙までを、ただただ傍観していたのでしょうか? 神様って、科学実験の記録係のような仕事なのでしょうか?

>フィッツさんの人間中心主義に偏った....
 人間中心主義と言われても仕方がないと思います。創造主が万物を創造し、人間を創造したという仮定を、人間の親が子どもと愛の喜びを分かち合うために、衣食住などを準備したと言うようなことと、同列のように扱っているのですから....。しかし、それを「偏った」とおっしゃるには、何か「偏った」と思われる所があるのかと思います。ご指摘いただけないでしょうか?
 私の誤解かもしれませんが、「神の存在を信じる人間は、非科学極まりない奴だ。」というような目で見られているような気がするのですが....。


かくり さんへ 投稿者:竹内 美継  投稿日: 3月25日(日)23時44分07秒

>「DNAを中心とした自己複製サイクルが確立する前に,中心小体自身が自己複製する能力
>を持っていた」ということであったと記憶しております(間違っていましたらご指摘下さい)

私は 1)DNA、RNAの自己複製サイクルの確立などという事は認めません。
   2)DNA,RNAワールドがあったという事もみとめません。
   3)記憶に関わる物質→蛋白粒→中心小体類→原始真核生物→真核生物→人間
     という大雑把な流れを考えております。

>「今の中心小体は来歴はともあれ,細胞中の一員として仕事をしているように見える.
>中心小体自身が自己複製しようとすまいと,細胞中では仕事をさせられている
>(つまり元々別の生物であったとしても,ミトコンドリアや葉緑素同様使われている立場にあ
>る)ように感じられる.そうすると竹内さんの意見である中心小体が元々別の生物であったはさ>ほど現状においては重要でないのではないか?」ということです.

貴方は上記のような主張をされましたが 私は「生命体の階層性」を認識しております。即ち、
「前成説」の考え方をしております。又、人間中心、個体中心の考え方が誤りであると認識して
おります。ハダカデバネズミの生態を知りさらに強くしました。
人間でも、蜂でも、蟻でも、粘菌でもよいのですが、これらの生態を観察すれば分かるように
全体と個との関係、又、社会性がある事に理由があるという認識なのです。即ち、個体の集合も
個体も、細胞も、中心小体も、蛋白粒もすべて独立した生命体であると同時に「一つの生命体」
であります。
そして、外側の階層により内側の階層が「分化」の指示を受けているということはハダカデバ
ネズミの例でも分かると思います。我々、人間も自らの役割を自覚し、社会性を維持しています
そして、一個体に「全体の存続」の全権を委任しております。これらの認識が重要なのです。
繰り返しますが、個の独立性と全体との関係を認識しなければ中心小体の重要性は分からない
のではないでしょうか?
次にミトコンドリア、葉緑素と中心小体との「位置決め」の問題ですが、これらは「進化」の
関係の中で認識すべき問題だと思います。(ミトコンドリアと葉緑素は細胞外での自己複製の
実験がなされておりません)

>2つ目として,過去ここの掲示板にて「高等植物は中心小体を持たない」というのがありまし
>た.
>生物というのは中心小体による支配を受けなくても存在できる,ととっていいのでしょうか?
>しかしながらそうすると,どの生物も持っているDNAを中心に考えたほうがやはり無難なんじ>ゃないでしょうか

私はそれぞれの階層の「独立性」を認識しているのです。多層の階層よりなる生命体のある階層
が進化の途中で消滅しても全体としての生命体が生き残る可能性を考えました。

地球上のあらゆる生命体に共通してあるDNA,(RNA)と「細胞」を中心に考えるという
貴方の主張は分かります。しかし、その考え方で「進化」を組み立てると生物学は科学でなく
なります。中立説とか、突然変異とか、偶然という非科学的言葉を使用せずにはおられないの
です。

”すがたかたち”として観得された「形象」はことごとく生きているのに対し、
”しかけしくみ”として把握された「物体」はすべて生きていない。
ーーー 中略 ーーー前者を”こころの眼”と呼び、後者を”あたまの眼”と呼ぶ。

三木茂夫先生の「人間生命の誕生」より (私の好きな言葉です)


(無題) 投稿者:やも  投稿日: 3月25日(日)23時41分16秒

なぜそんなに美しいのだ!!

 「なんて」という言葉は「なぜ」からきたそうです。不思議な気持ちが感激を示すということは英語でも同じですよね。WHAT A beautiful flowerなどというときの感嘆詞は 空白の中身を訪ねる言葉WHATです。”感激”の後にはかならず”なぜ”がきます。なぜも感激と近い位置にあると思います。
 さて、私も不思議です。なぜ世の中はこうも美しく、整然と、まるで、誰かが並べているかのようにできているのでしょう。
 でも、とりあえずは、進化のシステムをみてください。ルールは簡単。突然変異と選択です。この二つの繰り返しでこの、はたからみてあたかも、人為的な多様性が作られるという考え方。単純なルールが壮大なシステムを作り得るということそれが、わかって、進化論を理解できたということのとりあえずの、初歩的免許皆伝なのじゃないのかな?
 
 じゃあ、その中で”自分”はなに???
 という問題は、このとおり、各自なやんでいます。それを探そうとする事はやぶさかではありません。私はこの掲示板がそういうことの疑問提起をしてはいけないとは考えてきませんでした。
 私自身は、みての通り、”詩的”に理解してます。さんざん、笑われてるかもしらんけど。いんですメンデルだって最初は生物学に数学を持ち込むおばかと専門家からは笑われていたしね。いつか私の時代がくるのだ。


 で、そういうことで


>進化論者の考える、人生の目的の有無(フィッツさん)

 にたいしては素直に興味があります。いくら進化論と自分の人生観はまったく別物だとはいえ、進化論が私たちに与える影響は確実に人生観にまで関わってくるはずです。そのことは創造学校の方でも話が進んでる?みたいだけど。いくら科学と宗教で棲み分けをしようとおもってもそりゃ無理かもしれんですよね。向こうも6000年という数字がでてるんだもん。

 フィッツさんたちへ


久しぶりのカキコ! 投稿者:ヘルメス☆  投稿日: 3月25日(日)19時55分31秒

う〜ん、いつの間にか話が進んでいますねぇ。
私は当面忙しいので、このバトルには参加できませんが・・・
でも、指名でレスがあったので一つだけ。

>一ラエリアンの良心的思考さん
確か、ゼカリア・シッチンとかいうおっさんも「人間はアヌンナキによって創られた」とか言っていますね。
でもあのおっさんは見事に自分の主張(とはいってもアヌンナキ云々ではなく、冥王星のディテールの話。ネイチャーに載っていた)を当ててしまったと言う実績があるしなぁ・・・

>それと、過去から現在まで、神秘主義と進化論の「融合統一路線」も存在しているのですが(個人や組織において)、逆説的に言えば神秘主義と繋がり易い進化論はその「内因」が有るのでは?

それぞれの個人や彼らの作る組織の問題でしょう。
どんな思想や理論でも歪めて用いる事は可能ですし、現に優生学なども存在しています。
運用する人間の問題と理論の問題は別だと思いますが。

>各種の動植物が、自ら環境に適応し種を超えた変異を「自己プログラムできる」と、思いますか?

「自力でプログラムする」という表現を「固体の各々の能力で自己の遺伝情報を書きかえる」という意味だと解釈します。
そんな事は不可能だと思いますし、無意味だと思います。
もし、そんな事が出来るならば、種と言う枠組みを維持するために相当な問題を抱える事になるでしょう。


>そんな充分な「科学的知識と技術」が「理知的」に解らない種が、自ら種を超える変異を実現出来ると?

う〜ん、質問の意図が良くわからないのですが、種の違いが生物学的に高度か否か、存在として高級か否かという問題に関連するとは思いません。
ですので、種を超える変異を起こしたとしても不自然ではないでしょう。
人間がバイオ技術を運用して、結果として現生人類と交雑不可能までにかけ離れた「新人類」を創造する事も不可能ではないでしょう。
種の違いという概念とそれが生物的に高級か否かという考えについて、貴方のアイデアと生物学的なアイデアとで相違がありますので、ちょっと自分にはこれ以上は答える事は出来ません。


>形体や行動のみでなくその「緻密な生体機能」が、これ程までに「芸術的」な多種多用な生物達が、偶然のエラーの蓄積から発生する?

・・・余り芸術的とは思いません。
エラーの蓄積だけではないでしょう。
遺伝子上のエラーが発生しても、個体として生存可能かどうかと言う最初の選択があり、そしてその上で生物界で生存していけるかどうかという問題もあります。でもって、それが蓄積されて進化の一因となる、という風に考えています。


>時計屋がいなければ、時計は出来ません。貴方の使うPCや車、家が、偶然のエラーの蓄積により出来たとは、誰も考えないでしょう。

生物と機械の比較はかなりレトリックな論理のすり替えとして用いられています。
PCや車、家は自力で活動する事も繁殖する事も出来ませんが、生物はそれぞれ自力で生存、活動し、繁殖する事が可能です。
異星人によってメンテナンスされる必要が無い以上、我々人間を含む生物は機械とは違うポテンシャルを持っているはずで、それは我々がロボットやリモコンではない事を示していると思います。


ですので、

>「努力して作ってくださった多くの人達がいたから、その恩恵にあずかれる」のです。ここで、普通は「作り手側」にたいして謙虚に「感謝」する訳ですね。「創造」とは、偶然の蓄積や自然選択の結果では無い。自然選択や偶然のエラーの蓄積から誕生したなんて、その思考は利己主義的で虚無的ですね。
>神秘主義よりも進化論よりも、外的知性創造論の方が素晴らしい真実! それでは又〜!

は私にはまるで理解できない概念です。
誰かに創造されなければ感謝できない程、無感動で虚無的な人間ではないつもりです。
例えそれが偶然の産物でも、今私が生きて誰かを愛し勉強して働いている自分の人生が虚無的なものだとは思いません。
自分はそれが偶然であれば、その偶然に感謝し、自分が自分である事を幸せに感じています。

という訳で、また機会があればカキコに来ます!


余談へのレス 投稿者:クハ72  投稿日: 3月25日(日)17時27分08秒

> 聖書も解釈次第で、地球が球になったり、平面になったりするんだなぁと思いました。

原語を丸いと訳すか円いと訳すかの違いですね。
#イスラエルにも海はあるんだから球であること知ってても驚くことじゃないと思う。


我々は絶えず選択を迫られているはずだ 投稿者:ユリイカ  投稿日: 3月25日(日)10時49分32秒

最後に……
> もしよろしければ、私が以前に出した疑問にお答えください。ユリイカさん、クハ72さんはどのように考えていらっしゃるか、興味があります。
>> ちなみに私は「有形論」を指示します。つまり、心=物質。
> 心の働きを、脳内の微弱な電流の流れで説明するタイプの考え方なのでしょうか? 私はそれに関しては、疑問を持っています。電流であっても、物質ならば、弾かれたビリヤードの玉のように、自由に動くことができないのではないでしょうか。しかし、人間は右に進むこともできるし、左に進むこともできます。物質だけで、そのような自由な選択が可能になるのでしょうか?

……心は何者にも縛られず、まさに『自由』に選択をする、そう仰りたいのですね。では訊ねますが、あなたは何をもって「判断」をするんですか? 更に言えば、たとえば個人個人の持つ「性格」とはなんだと仰るのですか?
 私は『心の動き』(つまり大小問わず「判断」の際、もしくは「性格」的なもの、つまり総称して意志)とはフィッツさんの例える「電流の流れ」なんて無機的で、無目的的なものだとはまるで思っておりません。逆に、言ってみれば完全な「自由」などどこにも無い、それでいて本来「目的」を持っているものである、と思っております。
私の好きな自然哲学者が『意思とは、記憶のベクトルである』との言葉を残しております。意思=記憶のベクトル――もっとわかりやすく言うならば、意識とは、即ち心とは、有史以来積み上げに積み上げられてきた記憶の坩堝より生まれるもので、その選択肢は記憶の「質」と「量」によるものである――と思っております。
そしてその記憶は、大きく二つに分けられると思っております。
一つは、「私自身」が生を受ける前からの記憶。
わかりやすく言うならば、ふつう「本能」と言われるものや、自らの限界に常に打ちのめされてきた系統発生全てをも遡る「先祖」の抱いていた記憶。
もう一つは、「私自身」となって以後の記憶。
簡単に言えば、環境によって培われた記憶です。
この二つによって我々は、ひいては意思決定を迫られるべく創られた存在は、あらゆる意思決定をしているのだと思います。
 私は全てのモノは記憶を持っていると思います。記憶が状態の維持を促すのであり、記憶のベクトルが自身の向かうべき方向を決定していくのだと思っております。






最近この掲示板キレが無くなった、趣旨が変わってきた、との一読者が嘆きを聞いた 投稿者:ユリイカ  投稿日: 3月25日(日)10時47分34秒

フィッツさんの人間中心主義に偏った、進化論でも創造論でもなんでもない、単なる『神』がいるんだと言うもろもろの意見への返答。

>人間は別格だと考えています。神は人間を神の愛の対象として創った、つまり子として創ったと考えています。
……私も神の存在自体を否定はしません。
  で、はたして神がいたとして
  神の目に、差別や偏見はないと思います。
  神は人間を創ったのではなく、世界を創った……そう思いたいですね。

>ひとりの人間と一匹の犬のどちらかを助けなければならない場合、人間を助けると思います。また、犬とゴキブリだったら、犬を助けると思います。それを優劣と言うのが適当かどうかは分かりませんが....。
……フィッツさんは犬を飼ったことありますか? 母犬は、我が子を助けるためには主人でさえも噛み付きます。ま、ここで、ちょっと長い引用を一つ――
 『理知を有するということ、つまり意識と言うものを君が何のためにあらゆるものの内で最高の存在物と考えているのか、それが僕にはわかりません。僕の考えるところではそれは科学ではなく信仰ですよ。ですからもしお望みなら言いますが、この場合には自然の手品があるわけなんです。でいってみれば、自己を重んぜよということは、自己保存にとって、必要かつべからざるものです。あらゆる存在物は自分をあらゆるものよりも一層高きものと考えねばならぬのです。南京虫だって確かに自分で自分のことを君よりも高きものと考えていますが、もしそう考えることが出来ないとしても、確かに人間になんかなりたがりはしないでしょう。そして南京虫のままでいるんです。南京虫は秘密です。そして秘密は至る所にあるんです。なぜ君は他の者の秘密を否定しようとするんです』
――これはドストエフスキーの「悪霊」における一節です。
全てのモノは秘密(自意識)を持っている――私はそう考えております。そしてその秘密は、おそらくエントロピーへの抵抗として生まれたのだろうと、ぼんやりとではありますが、私は強く思います。そうした根源的なところから生まれた秘密は、おそらく『皆』がもっているでしょう。心の存在を物質とは解したくないフィッツさんならもっとよく、「心とはなにか」と何度も自分の胸に問い掛けねばならないと思います。

>私はクリスチャンではありませんし、特定の宗教を信仰している者でもありませんが、聖書の言葉を引用しますと、神は人間によろずのものを治めるように言われました。
 この堕落した世界で、上に立つ者が、下の者から利益を奪い、ないがしろにしているからといって、神がそのような意味で、統治しろといったのではないと思います。人間だから、自然を壊してもいい、生物をやたらめったら殺してもいいとは、全く思ってもいませんし、発言してもいません。
 ここまでレスしてからいうのも申し訳ありませんが、この議論はすでに、進化論、創造論の議論から外れて、倫理的なものになっているようです。

……いやいや、進化論、創造論の議論から脇に逸れていったのはフィッツさんのほうですよ。『進化論は間違ってそうだ―→この世は神が創ったのだ―→なぜなら人間にとって、素敵に生きる場所を提供してくれている―→他の生物と平等に考えろだって? 馬鹿言っちゃいけない、人間は犬や猫より重要でまずもって最優先に考えなければならないんだ←―だからといって、やたらめったらわがまましたらだめだよね』
と完全に一人相撲の果て、進化論の議論から外れに外れ、倫理的というか宗教的なものへと勝手に移行させてるじゃないですか。
私は何度も言っております。生命とは何かを考えるなら人間原理ではダメだ、心とは何かを考えるには人間原理ではダメだ、もっと深いところにあるであろう根源を見詰める努力を惜しまぬべきだと。


フィッツジェラルド  さんへ 投稿者:かくり  投稿日: 3月25日(日)10時28分09秒

おはようございます.

A:「花は人間を楽しませるために綺麗である」と似た言葉を書かれていますが,本人の思惑に反してある行動を無理じいさせられたばあい,強いストレスがかかります.従ってそのストレスに負けた場合,「花は段々綺麗でなくなります」.またそのストレスに対して真っ向からぶつかる場合,
@「神に対して文句を言う=交渉を行う」
A「神に対して暴動を起こす」
B「寝首をかく」
といった積極的かつ危険な行動に出る可能性があります.ということですでに神は花によって殺されているかもしれません.

Aに関しましては冗談入っています.軽く流して下さい.

B:記憶,心等について

大きいテーマですので,少し整理が必要と思います.

基本的に,

刺激 → 情報入力 → ブラックボックス → 情報出力 → 反応

という流れがあるのでしょう.これを徐々に複雑にしていくことでいろいろな流れが整理できるのではと思います.

例えば試行錯誤するためには,

刺激 → 情報入力 → ブラックボックス → 情報出力 → 動作 → 動作の結果

という一連の流れに加え,

動作の結果 → 情報入力 → ブラックボックス → 記憶化(ブラックボックス中)

という流れも必要でしょう.また最初に見本を見ている可能性が大きいですから,

刺激 → 情報入力 → ブラックボックス → 記憶化(ブラックボックス中)

という流れも必要かと思われます.

結局は,

記憶情報 → ブラックボックス → 情報出力 → 反応 → 結果 → 情報入力 → ブラックボックス → 記憶情報との比較 → 情報出力 → 反応 → 結果 ……

といったサイクルを繰り返すのが試行錯誤と思われます(えいやで書いたので間違っているかもしれません).
キーは
@情報を記憶化する
A記憶した情報を元にして行動を開始する
B行動の結果と記憶した情報を照らし合わせる
の3つでしょうか?@に関しては,人工的に何種類も作られています.脳でも可能でしょう.Aに関しては,情報そのものから行動を開始させるシステムが出来ていれば脳で可能でしょう.Bは人工的なソフトでも可能なことです.脳で出来ない理由はないと思います.従って,まず試行錯誤についてはAについて出来ることが証明可能なら,脳がそのサイクルを管理していると言って良いと思います(脳でなければいけない理由はないが,なにもわざわざ別のものを持ち出さないと説明できないというわけではないということです).
こうやってどんどん整理していくことで,漠然としていることが見えてくると思います.


竹内 美継  さんへ 投稿者:かくり  投稿日: 3月25日(日)10時05分36秒

オハヨウございます.竹内さんの意見,何回か拝見させていただいていますが根本的なところが理解できませんので質問させてもうらうことにしました.

結果として「中心小体によって人間が創造された」ということですが,
竹内さんの意見は確か,
「DNAを中心とした自己複製サイクルが確立する前に,中心小体自身が自己複製する能力を持っていた」ということであったと記憶しております(間違っていましたらご指摘下さい).
疑問としてありますのは,
「今の中心小体は来歴はともあれ,細胞中の一員として仕事をしているように見える.中心小体自身が自己複製しようとすまいと,細胞中では仕事をさせられている(つまり元々別の生物であったとしても,ミトコンドリアや葉緑素同様使われている立場にある)ように感じられる.そうすると竹内さんの意見である中心小体が元々別の生物であったはさほど現状においては重要でないのではないか?」ということです.
ミトコンドリアが別生物由来か,膜進化によって出来たか不明ですがどちらの経緯であっても現在の立場は同じでしょう.ミトコンドリアが別生物で,彼が細胞を支配していると言う人はいないと思います.ところが中心小体については,そういった意見が出てくる.ちょっと疑問に思いました.

2つ目として,過去ここの掲示板にて「高等植物は中心小体を持たない」というのがありました.生物というのは中心小体による支配を受けなくても存在できる,ととっていいのでしょうか?しかしながらそうすると,どの生物も持っているDNAを中心に考えたほうがやはり無難なんじゃないでしょうか?


誤解しているんだとおもいますが 投稿者:かくり  投稿日: 3月25日(日)09時52分06秒

オハヨウございます.日本はフランスにボロ負けでした(やーい鹿島の選手ださんからやあ).ちょっぴり機嫌悪いです.

よく進化論と創造論を1対1で,あたかもそれ以外に説が無いように論ぜられていますが,それは少しおかしいのではないでしょうか?
創造論はその起源が旧約聖書にある,ということは中近東における「起源伝説」と言うことになります.これと対比されるのは「中国における起源伝説」であったり「インドにおける起源伝説」であったり「中央アフリカにおける起源伝説」であったり,兎に角緒地域における「起源伝説」どおしの比較になるんじゃないでしょうか?

私の意見は間違っていますでしょうか?


3つの疑問 投稿者:JA50  投稿日: 3月25日(日)08時30分32秒

>「....物質だけで、そのような自由な選択が可能になるのでしょうか?」

「そのような自由な選択」って何なのでしょう?

物質だけで「そのような自由な選択」は不可能だ、というのをどのようにしたら証明できるのだろう、、、

>人間原理に対して、進化論がどのように答えているのかということと、

「人間原理」って?
弱い人間原理、強い人間原理って、それと進化論は間違っているというのにどういう関係が、、、

花が人間に美しいと感じてもらうようになったのじゃなく、逆に、人間が花を美しく感じるようになっただけかもしれない。
人間が品種改良した花は、人間が美しく感じるようにしたものでしょうけど、野生の花で、人間が美しいと感じるのは、たまたま人間が美しく感じただけかもしれない。人間には美しいと感じられない花もあり(こちらの方がほとんどだったりして)、それは別の存在(例えばハエなど)に美しいと感じてもらえたらいいからそうなっていると。

>いわゆるプロの進化論者は、人生の目的の有無に関して、どのように考えているかという点だけです。

いろいろじゃないかなぁ。
そもそも、自分の人生の目的の有無がどうかということと、進化論の真偽とは無関係です。

進化論が正しければ、自分の人生の目的が無くなってしまうなどという人がいたとしたら、なんと可哀想なお方だろうと思います。
地球が回っていようがいまいが、人生の目的などというのは関係無い、と、私は思うけどなぁ、、、
まぁ、中には、地球が回っていないと自分の人生は虚しいなどという人もいるかもしれないけど、それにしても、、、


フィッツジェラルド さんへ 投稿者:竹内 美継  投稿日: 3月25日(日)03時12分37秒

やはり今回も理解していただけなかったようですね。
「人間は中心小体によって結果として創造された」ということです。
ツリー掲示板も見て頂けたらと思います。


余談ですが....。 投稿者:フィッツジェラルド  投稿日: 3月25日(日)02時10分44秒

 書評の「奇妙な論理 だまされやすさの研究」の中に、「聖書に基づいて地球が丸いことを疑う人が何千人といたそうです。」とありました。しかし、私は昔、三浦綾子さんの本の中に、聖書のヨブ記の中に、地球が球であることを書いてある箇所があるという文章を発見し、驚いたことがありました。
 そこで、先ほどネットを検索したところ、次のようなホームページが見つかりました。
http://www.sam.hi-ho.ne.jp/pisgah/myweb/earth.htm
 聖書も解釈次第で、地球が球になったり、平面になったりするんだなぁと思いました。


1011さんの「カンベンして、、」に同感 投稿者:  投稿日: 3月25日(日)02時00分06秒

まったくもっておっしゃる通りに思います。

白も、皆が黒と言えば黒になってしまいますね。特にこういう場では。


3つの疑問 投稿者:フィッツジェラルド  投稿日: 3月25日(日)01時56分27秒

1011さんへ
>それなのに、私の文章を読んだ結果理解したことが、創造論とおんなじ「オールマイティなカード」とは、あまりにご無体な書きかた。
 申し訳ありません。進化論に関して、私の認識不足もあり、ちょっと極端に表現しすぎました。オールマイティなカードと表現しましたが、それがあったとしても、その論内で自己矛盾を起こさないように論を展開するには、苦労も困難もありますよね。それは、進化論も、創造的進化論も同じだと思います。

>ここで他人に質問して返事をもらって、それで全部判るんだったら、私が今まで使った本代と読書時間はなに?
 ごもっともです。しかし、敢えて言い訳っぽくも言わせていただくならば、進化論者に対しての私のような質問に対して、それに回答しているような本に出会わなかったのです。(特に、この文章の最後に書く3つの疑問に関して。)
 それと、これも言い訳に聞こえるでしょうが、進化論を論ずる本は、最初から進化論を裏付ける説明をしようとして、その方向に論を導いているようで、公平にいろんな考え(例えば、創造論)があり、そちらの考えでも説明できるとか、そちらの考えでは説明できないという検証がなされていない傾向にあるように感じました。

 1011さんの文章を読んで次のようなことに気がつきました。たとえ、私が発した疑問に関して、全て進化論で説明できたとしても、そしてその説明が理解できたとしても、それは進化論の可能性を保証しただけであって、私の現在の考えである創造的進化論を否定するものにはならないだろうと。そうであるならば、私は現在の考えを捨てはしないだろうと。もし、私が考えを変えるとしたら、自分の論理内に自己矛盾を見つけたとき、もしくは、創造的進化論ではどうしても説明できない事実を見つけた時だろうと....。
 現在のところまででも、私が発言した質問のほとんどは、進化論でも説明がつくことは分かりました。お答えいただいた方には感謝しています。ただ、分かっていないのは、何度も書いて恐縮ですが、「....物質だけで、そのような自由な選択が可能になるのでしょうか?」という疑問と、人間原理に対して、進化論がどのように答えているのかということと、いわゆるプロの進化論者は、人生の目的の有無に関して、どのように考えているかという点だけです。人間原理に対しては、そういった確率も全くゼロではないと答えれば、それで終わりなのかもしれません。
 これ以上、お願いするのも恐縮なのですが、もし、ご存じでしたら、上記の3点に関する問いに答える本を紹介していただきたいと思います。この3点に関しては、特に興味がありますので、少々難解な本であっても挑戦したいと思っていますので。


あなた宇宙人?わたしも宇宙人? 投稿者:1011  投稿日: 3月25日(日)01時42分15秒

一ラエリアンの良心的思考さん

投稿を拝見しましたが、あんまり議論向きの文章じゃないみたいなので、私のこの文章もあんまり議論向きじゃありません。
まともな議論がお望みなら、以下の文章は無視し、あなたの論点を整理して再投稿していただけると幸いです。


> 「専門家は絶対」みたいな論調も一部で見受けられましたが

というのは、JA50さんの

> 現在の進化生物学の論理の矛盾を私ら凡人が示せるなどというのはまずないと思わないと
> いけない。専門家はそれほどバカじゃない。

を受けてるのですか?横からクチ出して何ですが、誤読です。

自然科学の研究者たるもの、日々互いに辛辣なツッコミバトルを繰り広げ、理論武装の強化に励んでいます。
敬虔なキリスト教徒たる創造論者にはとてもマネできない、恥知らずで凄惨な死闘です(誇大表現)。
(ラエリアンの皆さんはみんな仲良しですか?)
なので、研究者が一般人に隙をみせるようでは一生の不覚、末代までの恥(?)です。
それでも一人の専門家は人間ですから、舌足らずも勘違いも乱心もあるでしょう。しかしそういう古今東西のウルサイ人々がよってたかって作り上げた学問体系の中に弱点があるとしても、初学者にはとても発見できないできないはずだというのです。

> かつて731部隊医師団のメンバーだった、秋元寿恵夫の「医の倫理を問う」をお勧めしますが。

俗に「医は仁術なり」とはいいますけど、医者は倫理の専門家ですか?
私は違うと思うなあ〜。
科学者だってそう。倫理の問題はシビリアンコントロールしとかないとえらいことになりますよ。
でも、それと学問の理論体系とは無関係です。それが判ってないシビリアンが多すぎる。
優れた業績がある研究者だからって、専門外の分野で優れた見識があるとは限らない。専門バカかもしれない。
ノーベル賞取るような学者は、忙しくて教育活動なんてしてないぞー(ちょっと脱線)。

> 各種の動植物が、自ら環境に適応し種を超えた変異を「自己プログラムできる」と、思いますか?

思いません。
そんな説はまったく初耳ですね(そもそも「種を超えた変異」ってなに?)。詩的表現ならともかく。
進化論そのものでなく、スケープゴートを批判している典型例だと思います。

> 外的知性創造論の方が素晴らしい真実

うーん、どういう意味なのか・・・「素晴らしい&真実」?「素晴らしいから真実」?
私が想像しますに、あなたにとっては、べつに真実でも嘘でもどっちでもいいんじゃあないですか?素晴らしければ。


カンベンしてくださいよ〜(と泣きをいれてみる) 投稿者:1011  投稿日: 3月25日(日)00時24分15秒

フィッツジェラルドさん

> 真理に近づきたい。願わくば、真理を極めたい。

うーむ、
いろんな知識が得られるインターネットはすばらしい。
「いろんな人の意見が聞けるこのスタイル」であるこの掲示板は素晴らしい(NATROMさんに感謝)。

私だって、別に議論に勝ったの負けたのということがしたいわけではありません。
しかし、自分のいうことを相手が納得したのかどうかという見極めはしたい。
フィッツジェラルドさんが無自覚に自分の意見を修正し続ければ、フィッツジェラルドさん自身が、どこまで自分が理解したのか分からなくなってしまう可能性があると思うのです。それではこの議論の意味がない。
それに、私だってせっかく気配りして書いてる箇所をあっさり読み飛ばされれば悲しいです。
私は文章書くのがすごく遅いんです(文章力のなさを棚に上げるなー!=>自分)。
前の投稿では指摘しませんでしたが、私が葉のかたちについて論じたとき、自然淘汰が、創造論と同様の「天下り的な説明」と受け止められないように注意して書いたつもりです。
創造論の立場だと「神が造ったから」で説明はおしまい。それ以上はどうやっても確かめようがない。
だけど、進化学では、私の書いたような「自然淘汰による説明」は、研究の端緒にある仮説にしかすぎないのです。
だから「よく調べてみないと尤もらしい結論を出せない」と書きました。
これらの仮説と実際に調べた結果を突き合わせて、矛盾があれば仮説を修正する、そういった試行錯誤を繰り返した末に、尤もらしい結論が得られるのです。もし仮に、考えつく仮説が片端から実際のデータに矛盾するようなら、そのときは次第に進化生物学の基本的な仮説に手をつけざるをえなくなり、最後には生物の進化という考えそのものがひっくりかえることだって「原理的には」ありえます(ただ今までそういう事実が発見されていないだけで)。
それなのに、私の文章を読んだ結果理解したことが、創造論とおんなじ「オールマイティなカード」とは、あまりにご無体な書きかた。

さらに、ここで披露している知識を得るには、みんなそれなりにお金と時間と労力をかけてるのですよ。
「好きでやってるんだろ」と言われたらそれまでですけど。でも興味本位(こういう言いかたをしてよければ)なのはフィッツジェラルドさんも一緒ですよね。
ここで他人に質問して返事をもらって、それで全部判るんだったら、私が今まで使った本代と読書時間はなに?

いや、私はまだいいんですが・・・
トンデモがはびこる世の中を憂いて、心ある専門家の中には、一般向けの啓蒙書を書く人もいる。
理学系の場合、英語の論文でないと研究上の業績とはならないので、啓蒙書なんか書くのは自分の研究や教育の合間の奉仕活動。
さらに、初心者向けだと文章は面白くしないといけない。自分の専門ばっかり書いても面白くならないけど、不確かなことは書けないから、専門外のいろんな文献を調べないといけない。
印税だってほとんど入らない。そんなの要らないからできるだけ安く売ってくれって。カタい本ほど売れないし、採算の見込みがないと出版社が出してくれないから。
(でも薄い利益でも頑張ってくれてるようで、学術系出版社の人も偉いです)
そこまでして書いてるのに、本屋に行ったら、ゼニ儲けのために面白可笑しく書かれた「トンデモ進化論」と一緒の棚に並べて売ってある・・・のはまだいいほうで、「トンデモ進化論」だけが平積みで目立つところに置いてあったりする。
傍からみてても辛い。著者はもっと辛いにちがいない・・・

そんなわけで、この掲示板の親ページにある「参考文献紹介」に並んでる本を、何冊かぜひ買って読んでみてください。
古本屋で見つけても、図書館で借りてもいいので。
少なくとも、ここの掲示板でそれらの本に書いてあることと同等の知識を手に入れるためには、お互いに大変な時間がかかると思います。結果的には本を読んだほうが時間の節約です。
途中で本を読むのに挫折するようなら、しょせんそこまでの興味しかなかったということです。
読後、まだ質問が残っていれば、そのときにはこの掲示板に寄っていたけばよろしいかと。


SFにあらず崇拝にあらず 投稿者:一ラエリアンの良心的思考  投稿日: 3月25日(日)00時19分17秒

ヘルメス☆さん、ラエリアンが言う異星人は、SFコミックの範疇では無いですよ〜。あの和製SFコミックスも楽しかったですが、本質的に意味が違う話です。あと他の方がどこかで「異星人崇拝」とか言ってましたが、ラエリアンは決して「盲信」し異星人を「神格化」して、「崇拝」していないんです。
「理解」して信じている訳で、「信じる」ことと「理解」する事は根本的に違います。理解してから後で信じるので、その時は理解する事と信じる事は調和的に両存出来ます。その情報を正確に理解した上で、その相手の異星人の考え方を「尊重」し、「敬愛」しているのです。これは全く「崇拝」ではありません。それと、過去から現在まで、神秘主義と進化論の「融合統一路線」も存在しているのですが(個人や組織において)、逆説的に言えば神秘主義と繋がり易い進化論はその「内因」が有るのでは? 「自然選択の摂理」は、有る意味「自然神秘主義」との縁が切れない状態を意味してはいませんか? 自然による選択の結果だと進化論者は言うけども、やはりそこに「人為的」な感覚や思考を用いているし。各種の動植物が、自ら環境に適応し種を超えた変異を「自己プログラムできる」と、思いますか? そんな充分な「科学的知識と技術」が「理知的」に解らない種が、自ら種を超える変異を実現出来ると? 形体や行動のみでなくその「緻密な生体機能」が、これ程までに「芸術的」な多種多用な生物達が、偶然のエラーの蓄積から発生する? 時計屋がいなければ、時計は出来ません。貴方の使うPCや車、家が、偶然のエラーの蓄積により出来たとは、誰も考えないでしょう。「努力して作ってくださった多くの人達がいたから、その恩恵にあずかれる」のです。ここで、普通は「作り手側」にたいして謙虚に「感謝」する訳ですね。「創造」とは、偶然の蓄積や自然選択の結果では無い。自然選択や偶然のエラーの蓄積から誕生したなんて、その思考は利己主義的で虚無的ですね。
神秘主義よりも進化論よりも、外的知性創造論の方が素晴らしい真実! それでは又〜!


神秘主義か進化論か創造論か 投稿者:一ラエリアンの良心的思考  投稿日: 3月24日(土)21時12分15秒

現在有るのが、「神秘主義」、「進化論」、「F・クリック外的知性創造論」(ノーベル賞科学者による説)ですね〜。例えば「神秘主義」+「進化論」派だと、http://sharejapan.org/を案内します。「F・クリック創造論」派だと、http://www.rael.org/を案内します。
ただ、各人が何を正解だと信じ(又は「理解」)ようと、攻撃とか誹謗中傷だけは止めましょうね。このHPは、そういう事が無いと私は信用しています。なにか、「専門家は絶対」みたいな論調も一部で見受けられましたが、それは危険な盲信ですよ。かつて731部隊医師団のメンバーだった、秋元寿恵夫の「医の倫理を問う」をお勧めしますが。精神医学(病理学)を温床とする無分別無責任の国際的「優生学頭脳犯罪」が、何よりの歴史的証拠です。わが国での戦後における優生保護法(96年まで)下の「優生思想の啓蒙」と「断種政策」の犠牲者達の存在を、ご存知ですか? 日本映画「海と毒薬」も勉強になりますね。私個人としては、良心的専門化は個人的・社会的に信用出来るけれども、良心に背いている多くの専門家は社会的な意味でも全く信用できないです。社会のあらゆるマイノリティーにとっては、良心そのものの有無や機能維持を問うわけですから。所で、異星人創造説と進化論を融合する場合、例の「クリル・イエロー文書」などの偽情報を部分的にせよ全面的にせよ信じてしまう事にはなりませんか? これは「中途介入論」になりますね。
「完全介入論」か「中途介入論」か、異星人創造論者の場合、なぜかこの二派に別れています。私はあくまでも前者の「完全介入論」者ですが。中途介入論者の方々はどう考えてますか?


竹内美継さんへ 投稿者:フィッツジェラルド  投稿日: 3月24日(土)21時09分37秒

>>人間は別格だと考えています。神は人間を神の愛の対象として創ったーーー
>貴方は上記のように考えておられますが、この言葉からは「細胞が独立した生命である」という認識をされていないようにおもわれます。
 ごめんなさい。私には文章の意味が分かりません。
 答えにならないかもしれませんが、書くだけかいてみます。神は無形であるので、その対象としての人間というのは、無形の人間の心です。肉体はいわば、心の容れ物だと考えています。そのように考える理由は、神は無形で永遠の存在ならば、人間が有限の存在であっては、対象とはいえないからです。
 ついでに、さらに余計な話までしますと、私は死後の世界が存在すると思います。人は心と体でできていると考えています。人間の生命が胎内に誕生します。胎内では、手も足も鼻も目も必要ありません。むしろ、胎内では邪魔な存在ではないかと思います。しかし、胎内でそういった肉体の準備をするのは、胎内での生活の為ではありません。地上に生まれてからの生活に必要だから、準備しているのです。そして、地上の生活が始まります。種の保存のみが人間の目的ならば、人間に喜怒哀楽といった感情がなく、ただ単に動物のように種を保存することに専念するような存在になっていてもいいはずです。というか、その方が都合が良いように思います。しかし、人間は地上での様々な経験を通して、心を成長させます。しかし、地上で心を成長させる目的は、この地上での為だけではないと考えます。私は次の段階、つまり、心の世界(霊界?)で、豊かな暮らしをするために、この地上で、自分の力で、心を成長させるのだと思います。あたかも、地上での生活のために、胎内で肉体を準備していたように。
 霊界などという話を持ち出すと、非科学極まりないと思われるでしょうが、もし、無形の心という存在があるならば、物質である肉体の死と同時に、無形の存在(心)も消滅すると考える方がむしろ不自然だと思います。
 なぜ、神はこんなにまどろっこしいことをするかと言えば、神が創造主であるが故に、人間が神の子と言われるまでに、神の全てを相続しようとするならば、神にしかない「創造主」という特性も相続しなければならないと考えるからです。そのためには、自分の心を、自らの意志で創造しなければならないと思うのです。動物にはそういった特権が与えられていないと思います。
 掲示板の主旨からずれて、申し訳ありませんでした。

>私は未だ人類が知り得ていない「物質」があると認識していますし、その物質の性質が明らかになれば「可能」となると考えるからです。
 私は前にも述べたように、超ひも理論が予言する「影の世界」の物質かもしれないと思っています。しかし、これはまだ自分の中でも確信の度合いが低いです。


人間原理 投稿者:フィッツジェラルド  投稿日: 3月24日(土)20時29分53秒

 私が科学的に進化や創造について議論するだけの基本的な資質がなく、この掲示板で発言することをお許し頂きたいと思います。しっかり勉強してから出直せと言われますと、随分先のことになるかもしれませんし、途中で挫折してしまう可能性もあるからです。
 私も、他人様の考えは自由だと思っていますし、そのように書きました。そもそも、進化論を信じる人の考えを変えようだなんて、思ってもいません。それは、熱心なクリスチャンを仏教徒にするぐらい困難なことかもしれません。私の疑問が進化論でも合理的に説明できるのかを知りたかっただけです。

>私は犬を人間より大事にする心理を地球の裏側の人のことまで考えが及ばない人間の限界とは思いますが、醜いとは思いません。
 私は本来の創造主の願いではないと思います。つま先に棘が刺さっても、全身が痛がり、手が、目が、その棘を抜こうとします。地球の裏側で飢えている人が自分の兄弟だったら、心が痛いと思います。本来創造主が創ろうとした世界は、そうであったのではないかと考えています。これ以上の話は、この掲示板の主旨からずれますのでやめます。

>結局花の向きも果実の甘さに関する話題も「面白い考え方」の一例としてあげただけなのでしょうか?
 仮に、創造的進化論が真理であるとするならば、状況証拠的な例になるのではないかと思って、あげてみました。進化論者がガラパゴス島の例をあげるのも、そういったことではないでしょうか。進化論が演繹的に証明できないので、帰納法的な証明の例のひとつとして、ガラパゴスで説明するのではないでしょうか。「適者生存や自然淘汰という考えをすると合理的に説明できますよ。」という例でもって、進化論を展開してきたのではないでしょうか。同様に、創造主が存在すると思っている私も、こういった例は、創造主が存在すると考えると、合理的に納得しやすいのではないでしょうかという例としても発言したつもりです。
 前に述べましたように、いくらそのように言われても、互いにオールマイティなカードを持っているので、「いや、進化の結果そうなった。」ともいえるでしょうし、「神がそのように創造したのだ。」とも言えるのではないでしょうか。
 その両者(進化論者と創造論者)の意見を聞いてきた結果、陪審員的な立場の人々(例えば、科学の教科書を作るような立場の人々)が、「どうやら進化論の方が正しそうだぞ。」という感想を持ったので、日本では進化論のみを学校で教えるのだろうと思います。

 この掲示板の人は皆さん科学に詳しいようですので、私もスピンの例や非ユークリッド幾何学の例なども、余計で不充分な注釈をいれることなしに話をすることができ、ありがたく感じています。そこで、お尋ねしたいのですが、進化論を支持する皆さんは「人間原理」について、どのようにお考えでしょうか。人間原理には、弱い人間原理、強い人間原理とありますが、どちらでも結構です。私は人間原理という考えがあると知り、創造主の存在をより確信するようになったのですが....。

>聖書の全てが正しいとは信じていらっしゃらないのなら、フィッツジェラルドさんが挙げられている神の意志が本当に神の意志であるかはどのように判断すれば良いのですか?
 「聖書の暗号」という本などを読み、聖書は創造主の影響を受けていると考えるようになりました。(それまでは、そのように考えていなかったというわけではありません。)
 しかし、聖書は比喩や譬えで書かれているものなので、それを文章そのままに解釈するのはどうかと思います。例えば、創世記のように、宇宙が数日でできたとは考えられません。そういった点に注意すれば、参考になる書物だと思います。
 ちなみに、聖書の失楽園と同様に、人類最初の女性が過ちを犯すという物語は、ギリシャ神話のパンドラの箱の話にも見られますし、古事記のイザナミの話にも共通して見られます。

 KS・兵庫県西宮市さん、創造主の存在を認める方もこの掲示板を見ていらっしゃることが分かって、嬉しく思います。
>自然界に存在する多様性や完璧なまでの美しさはやはり私達人間に特有の審美的な能力があってはじめて意味を持つように思われました。
 同感です。自然は見事に美しく、調和していると思います。オーケストラが美しい演奏を奏でている背後には、必ず優秀な指揮者が存在していると思います。指揮者もいないのに、偶然に、各パートの音が美しいハーモニーを奏でるなんて、私には考えられません。もちろん、限りなくゼロに近い確率で、それが実現することは認めます。花の美しさを愛(め)でる存在(人間)がいないのに、それぞれの花が美しく咲き誇るなんて、暗闇の宝塚のステージで、華やかな衣装を付けたダンサーが踊るようなものだと、私は思います。あくまで、私の主観ですが....。


進化か創造か? 投稿者:一ラエリアンの良心的な思考  投稿日: 3月24日(土)20時01分48秒

例えばですよ、マルサス、ダーウィンとその息子、F・ゴールトンとトマス・H・ハクスリー、A・プレッツ、ルイス・モルガン、エルンスト・ヘッケルとヒトラー、ダレスやハリマンの哲学と思想の因果関係と系譜(事実)を解明するとか。上記を含めて、イギリスとフランスにおけるF・ゴールトンやゴビノー伯爵、ヴリル協会などの「親ナチの系譜」とその実態の史実を理解(解読)してから、対等正常に公開議論してみては? 神秘主義と進化論の「盲信」と「狂信」、「優生思想と人種差別主義」の隠された「有害性」や「危険性」をどうやって「克服」し、「撲滅改善」するかの方が良心的に不可欠に考えられる。宗教とか科学に、「良心」は無用のはずは無いし。問題は、良心が知性と本能の舵を取るのか、利己主義が知性と本能の舵を取るのかでしょ? 「本能性悪論」(フロイト・シンドローム)と「知性性悪論」の「原罪思想」では、誰も救われないし。やっぱり何事にも真実の愛が無ければ!


ビギナーズラック>フィッツジェラルドさん 投稿者:JA50  投稿日: 3月24日(土)09時40分26秒

もちろん、専門家も神様じゃないのですから、ビギナーズラックもあるはずです。
極めて希でしょうが。

ただ、ここがおかしいというのに気づいたら、まずその疑問っていうのが専門家によって既に解決されているのじゃないかと調べてみるべきじゃないでしょうか(これは専門家もやっていることです)。特に私らは、専門書より前に一般向けの解説書を読んでみるべきでしょう。
創造科学者などがやっているような昔からの焼き直しでしかない進化論批判を繰り返せばバカにされるだけです。

なお、どんな考えを持とうが自由です。
私はそれにとやかく言っているのではありません。するななどとは言っていません。
創造主の介在があると思いたければ、思えばいいことです。他人の私がそれにとやかく言う資格はありません。それは進化論という科学も同じ。


フィッツジェラルドさんへ 投稿者:GOA  投稿日: 3月24日(土)07時09分03秒

>私はクリスチャンでも、特定の宗教を信じているわけでもありませんので、聖書の全てを信じているわけではありません。むしろ、科学的というか、私なりの論理的思考の末に、創造主は存在するであろうと考えています。

聖書の全てが正しいとは信じていらっしゃらないのなら、フィッツジェラルドさんが挙げられている神の意志が本当に神の意志であるかはどのように判断すれば良いのですか?
お話から推測すると他の宗教の教えも全て正しいとはお考えではないようですし...。

>例えば、聖書には豚は食べるなと書いてあることなどでしょうか。

いいえ、創世記の「見よ,全地に生える,種を持つ草と,種を持つ実をつける木を,すべてあなたたちに与えよう。それが貴方達の食べ物となる。」からです。

>「牛肉は半生でもいいが、豚肉にはしっかり火を通せ。」と。聖書が書かれた時代の人々への神様のお節介だと思います。

豚肉を生で食べると寄生虫に侵される危険があるからで、おせっかいではないでしょう。
http://www.amda.or.jp/contents/database/2-8/v1.html

>ただ、創造主が存在すると仮定すると、このようにも考えることもできるんですよという、おそらく進化論者の皆さんなら考えたこともないような話題を提供してみようと思ってさせていただいただけです。「そんな馬鹿な....。」と苦笑しつつも、面白い考え方もあるなあと思ってくださる方も全くいないわけでもなさそうですので....。

それなら、科学的な議論とは明確に分けておく必要があります。結局花の向きも果実の甘さに関する話題も「面白い考え方」の一例としてあげただけなのでしょうか?

>肉体は物質であり、堕落しようがないので、人間の肉体は神の創造理想のままであるという考えです。ですから、人間の心を持ち出すと、話が進みませんので、進化なり創造された人間の肉体に関して、話を進めた方がいいと思います。人間の肉体に関していえば、進化論か、創造的進化論かの議論になりうると思いますので、人間の醜い面の心はこの際、無視してお話ししましょう。

肉体が堕落しているか堕落していないかも心の問題と同じくらいに話が広がると思います。人間の飽食は肉体が堕落したことでそれを求めるようになったのか、心が堕落したからそうなってしまったのか議論が尽きないかもしれません。
まず、肉体の堕落から定義づけをしないといけないのでしょうが、それすらままならないと思います。
それから、私は犬を人間より大事にする心理を地球の裏側の人のことまで考えが及ばない人間の限界とは思いますが、醜いとは思いません。


「食用キノコと似せた毒キノコ」について 投稿者:KS・兵庫県西宮市  投稿日: 3月24日(土)03時16分50秒

いつも拝見していました。はじめて書き込みさせていただきます。創造論を支持する立場での意見です。毒キノコの存在について創造論の立場から少し思ったことを書かせていただきます。自然界は多種多様なもので満ちていますが、それらは私達にとって必ずしも快適なものばかりではなく、扱い方を誤れば有害であるものもあります。それは毒キノコばかりではありませんが、もしも創造主が存在するならばそれらのものにどのような意味があるのかと疑問を抱かれても当然だと思いますが、これもまた創造主から遠く離れてしまった人間の理解と成長、物事を考え、真理へと導くためだったのではないかと思われました。もしもこの世が天国のごとくに幸福で快適であったならば、恐らく現在のような科学の進歩もなかったでしょうし、南の島でのんびり暮らすかのように、その日その日をなんら苦痛のない日々をただ楽しんで暮らしていたと思います。しかし現実はそうではなかったので、私達が快適に暮らすにはさまざまな障害が存在し、苦痛や害が及ばないように努力するように迫られた結果、それらを改善するためにさまざまな分野での科学知識が増し、その過程を通してさらに正しいであろう認識を得るためのさまざまな知識を身につけることができてきたのではないかと思いました。

余談ですが、私のところの飼い犬は何かの原因で稀に体調を崩して下痢をしたりしますが、見ていると不思議なことにその時には必ずある種の雑草を食べるようです。以前は笹の葉を食べましたが、それを食べ尽くしてなくなったので、それによく似た葉を食べているようですが、その後はすぐに回復するようで、獣医の世話になることもありません。犬は病気になった時にはどの草を食べるべきかを誰に教わることもなく知っているようで本当に不思議でした。創造主は私達のような知性のない犬には病気になった時には予めどの草を食べるべきかの知識を与えておられたのかと思われましたが、そうした草が現実に存在することも不思議に思われますが、素晴らしい知性を備えた私達は創造主の存在をほとんどの場合誰からも教えられないままに過ごして来たのかもしれず、さまざまな障害(時には毒キノコ)などがなければ、立ち止まって考えることもなかったかもしれないと思われました。尚、もしも私が最初に毒キノコを知らずに食べて死んでしまったとしても、とても辛いことですが、それでも仕方がないものと諦めるしかありません。その結果ある種のキノコは食用ではないということがわかりますし、そして私達は突然に、死というものに直面することになります。

フィッツジェラルドさんの花のお話には全く気がつかないことで本当に感動させられました。たしかに言われてみれば、そのようにも感じられますよね。自然界に存在する多様性や完璧なまでの美しさはやはり私達人間に特有の審美的な能力があってはじめて意味を持つように思われました。おそらく創造主は存在される、まちがいないでしょう。


(無題) 投稿者:クハ72  投稿日: 3月24日(土)00時45分48秒

> 自然淘汰という自然主義的な力によって、方向性があるように見えるのではないでしょうか。

僕もそう思います。


フィッツジェラルド さんへ 投稿者:竹内 美継  投稿日: 3月24日(土)00時13分43秒

前回の表現を感じて頂けなかったようですね。一週間の貴方の考えておられる事を読み私は
「正当な考え方」をお持ちの方だとおもいました。
さて、具体的に分かりやすくというのは難しいですね。

>人間は別格だと考えています。神は人間を神の愛の対象として創ったーーー
貴方は上記のように考えておられますが、この言葉からは「細胞が独立した生命である」という
認識をされていないようにおもわれます。

私は「細胞」と「個体」との関係、即ち、「個体」も生命体であり、「細胞」も生命体である。
そして、「個体」は「細胞」と呼ばれている「独立した生命体」の集合であると認識しています。
又、「個体」と呼ばれる「独立した生命体」の集合である「群」も「独立した生命体」であると
考えております。

上記の認識は「ウィルソンの海綿再形成の実験」、「細胞の移動によって血管が作られる様子の
観察」、「蟻とか蜂の生態」、「ハダカデバネズミの生態」ーーーー等からしました。

「細胞」の「分化」が「個体」をつくりあげている「統合体」によってなされているのと同様に、
「個体」の「分化」も同様になされていると考えます。即ち、「群」を統合化する「実体」がある
という認識です。

以前にも書きましたが、「細胞」は「生命の最小基本単位」とは考えておりません。「中心小体」
も「独立した生命体」だと考えております。
だから、それぞれの階層があり、階層毎に目的があると主張したのです。

我々人間は自らの役割を自覚し行動することにより「社会性」を維持していますが、私はこの
「社会性」も「実体」がある故だと考えております。 言うまでもないですがこの「社会」にも
階層があります。(夫婦、家族、親族、地域社会、グループ、国家、民族,種等)

> 心の働きを、脳内の微弱な電流の流れで説明するタイプの考え方なのでしょうか? 私はそれに関しては、疑問を持っています。電流であっても、物質ならば、弾かれたビリヤードの玉のように、自由に動くことができないのではないでしょうか。しかし、人間は右に進むこともできるし、左に進むこともできます。物質だけで、そのような自由な選択が可能になるのでしょうか?

上記の貴方の疑問は当然です。正しい論理だと思います。しかし、「物質だけで、そのような自由な選択が可能になるのでしょうか?」という疑問は賛成できません。私は未だ人類が知り得ていない「物質」があると認識していますし、その物質の性質が明らかになれば「可能」となると考える
からです。



返事2 投稿者:フィッツジェラルド  投稿日: 3月24日(土)00時09分13秒

>現在の進化生物学の論理の矛盾を私ら凡人が示せるなどというのはまずないと思わないといけない。専門家はそれほどバカじゃない。
 そうするためには、この掲示板を専門家以外の人は書き込み禁止にするか、専門家専用の掲示板と並立させるのが望ましいでしょうね。でも、個人的には、いろんな人の意見が聞けるこのスタイルが好きです。
 でも、たまにはビギナーズラックみたいなこともあるんですよね。私が大学の時に、物理学の教授が教養課程の学生に毎年させていた実験があったのですが、なんと私が、実験をしなくても、その結果を計算で出す方法を考えてしまったことがありました。その教授を信頼していなかったわけではないのですが、単位が出てから、そのことを申し出たことがありました。
 また、頭の体操でお馴染みの多湖輝さんのクイズの回答の全く別の方面からの別解を発見したこともありました。さらに、旅行で初めて行った東北地方のある市立美術館で、現代美術の作品が逆になっているのではと尋ねたところ、まさしくそうでした。
 まあ、たまにでしょうが、専門外の者が気づくこともあるんじゃないかなと思ったりもします。

>創造科学をやっているようなトンデモさんとは違うんですから。
 レッテルを貼るのはどうかと思いますが....。公共の福祉に反しない限り、自由な考えを持つ権利を認めてもいいのではないでしょうか?

>それが具体的にどのような力かは知りませんが、検証可能な予測を立てる必要があります。
 少なくとも、私の頭では、検証不可能です。私の今までの文章をお読みいただいて分かるかもしれませんが、私が示せるのは、せいぜい、状況証拠的な話だけです。状況証拠にすらなっていないとお叱りを受けるかもしれませんが....。

>とは区別できるのでしょうか。
 創造主が力を加えたとすると、方向性があるということです。間違っていたら、ご指摘いただきたいのですが、突然変異は方向性がない変化であって、それらの変化の中で、自然淘汰という自然主義的な力によって、方向性があるように見えるのではないでしょうか。しかし、創造主(宇宙意志)の介入があるのなら、方向性があると思っています。その方向性とは、神の愛の対象を創造するという方向性です。


返事1 投稿者:フィッツジェラルド  投稿日: 3月24日(土)00時04分22秒

 皆さんからの、反論が多く、全部にお答えできないことをお許しください。答えがないのは、私が創造的進化論の立場から説明不可能だからだと理解していただいても構いません。しかし、私としては、説明しにくいだろうと思うものから、できるだけ答えるようにしています。その方が勉強になりますから....。

>聖書の記述を読めば動物は人間の食用として創造されてはいません。
 例えば、聖書には豚は食べるなと書いてあることなどでしょうか。イスラム教の人などは、その教えをいまだに守っていますよね。牛肉は食べてもいいが、豚肉は駄目。私も子どもの頃、親から注意されました。「牛肉は半生でもいいが、豚肉にはしっかり火を通せ。」と。聖書が書かれた時代の人々への神様のお節介だと思います。
 まあ、こんな説明をしてみましたが、私はクリスチャンでも、特定の宗教を信じているわけでもありませんので、聖書の全てを信じているわけではありません。むしろ、科学的というか、私なりの論理的思考の末に、創造主は存在するであろうと考えています。ですから、私のような考えを持つ人は、無神論者からも、宗教者からも、迫害されるかもしれません。

>スズランは下を向いていますし、桜も品種によるかもしれませんが、特に下を向いているように見えません。
 もうすぐ花見の季節ですから、論より証拠、確かめてみてください。多くは下を向いていると思います。私が神様なら、多種多様な刺激で、人間を楽しませたいと思うので、例外的なものも創造するでしょう。それに、スズランは下を向いて咲く姿も綺麗だと思います。まあ、私が述べた花の向きや葉の形や果物の話は、いくら例を挙げても、進化論の反証にはならないことは知っています。ただ、創造主が存在すると仮定すると、このようにも考えることもできるんですよという、おそらく進化論者の皆さんなら考えたこともないような話題を提供してみようと思ってさせていただいただけです。「そんな馬鹿な....。」と苦笑しつつも、面白い考え方もあるなあと思ってくださる方も全くいないわけでもなさそうですので....。

>これは間接的にせよ人間より犬を大事にしていることにはなりませんか?
 そうです。確かに人間より犬を大事にしていますよね。
 これを出すと、話が収束の方向に向かうどころか、広がりすぎるので、出したくなかったのですが、説明するためには避けて通れないと思われますので述べます。それは、人間が堕落したからだと考えています。つまり、人間は神の創造理想の通りではないということです。しかし、それは人間の心の話であって、肉体は物質であり、堕落しようがないので、人間の肉体は神の創造理想のままであるという考えです。ですから、人間の心を持ち出すと、話が進みませんので、進化なり創造された人間の肉体に関して、話を進めた方がいいと思います。人間の肉体に関していえば、進化論か、創造的進化論かの議論になりうると思いますので、人間の醜い面の心はこの際、無視してお話ししましょう。


(無題) 投稿者:クハ72  投稿日: 3月23日(金)22時27分18秒

> 進化のステップアップの際には、創造主からの力が働いたということ。

それが具体的にどのような力かは知りませんが、検証可能な予測を立てる必要があります。
突然変異と自然淘汰という自然主義的な力とは区別できるのでしょうか。


ツッコミたくなりましたので 投稿者:GOA  投稿日: 3月23日(金)21時45分26秒

>フィッツジェラルドさん

 牛や豚、鶏などの肉を人間は「おいしい」と言ってよく食べます。しかし聖書の記述を読めば動物は人間の食用として創造されてはいません。そのような理由により「おいしいもの=神様からのギフト」というご意見には同意できません。

>たんぽぽは上向きに、花を開き、ひまわりは横向きに花を開き、桜の花の多くは下を向いています。

ひまわり(向日葵)は人間のほうを向かず、太陽のほうを向くから向日葵となづけられているのは一般常識の範囲でしょう。こうした最も例として相応しくないと思われるものをあげるから「即ツッコミ可能」と批判されるのだと思います。
スズランは下を向いていますし、桜も品種によるかもしれませんが、特に下を向いているように見えません。
また「ハンマーオーキッド」のように特定のハチにしか魅力的に映らないであろう蘭の一種もあります。
http://www5.airnet.ne.jp/trend/garrrv/column/c26.html

>>人間も虫も植物も、みんな頑張って生きてるじゃないですか。どれをとっても優劣なんて無いですよ。
>ひとりの人間と一匹の犬のどちらかを助けなければならない場合、人間を助けると思います。また、犬とゴキブリだったら、犬を助けると思います。それを優劣と言うのが適当かどうかは分かりませんが....。

世界には億単位で飢餓に苦しむ人がいる一方で、豊かな国では肥満した犬があふれています。これは間接的にせよ人間より犬を大事にしていることにはなりませんか?
私も人間と犬がおぼれていたなら、同族である人間を助けるでしょうし、犬とゴキブリなら犬を助けると思いますが、ゴキブリより犬が重要だとは考えていません。男と女がおぼれていたら女を助けるような「単なる好み」ぐらいだと考えます。(ちなみに私は男です)

>より重要なものを生かすために、そうでないものが犠牲となることは、しばしば見られることだと思います。

上記の理由により命の軽重についてはこのような明確な観測事実はないと思いますがいかがでしょう?


ユリイカさん 投稿者:櫻井美佐子  投稿日: 3月23日(金)15時20分02秒

>例えば、「イデア界」は時間を超越し、全ての未来に生まれる生命の設計図があるんですよね。
>と言うことは、(私は独身で、また将来子どもを産むかどうかまだ決めてませんが)
>私の子どもの設計図、そのまた子どもの設計図も、もし生まれるとしたらあるのだろうし、
>あるなら(決定的に)生まれるのでしょうね。

う〜ん…。まだ誤解しているみたいね。
まず、あなた自身も「時間というものを人間が勝手に決めた概念でしかないと思って」おり、
「敢えて言うなら『モノの移り変わりをあらわすもの』ぐらいにしか認めてません」と言っていますので、
かえって良く分かるかと思います。
つまりイデア界の事象に、決定論を当てはめること自体、無理があるのですよ。
だって時間を超越しているんですからね。

決定論のベースには、時間があるのです。つまり因果関係です。原因があり、結果がある。
この関係において、1つの原因からは1つの結果だけが成立するというのが決定論です。
この1つの原因と1つの結果を結ぶ矢印→のようなものが、時間でしょ?(あえていうなら)
そのような矢印は、イデア界では無意味なのです。
もっと言うなら、矢印はあらゆる方向に向いているのです。

かたや、この世では確かに時間は1方向なのね。
1方向だから結果に対して原因が1つに「見える」だけ。
イデア界にはこの世に発現した1つの原因以外に、無限の原因があるのよ。
それらの無限の原因が、この世における1つの原因と同等に、またはそれ以上に、
結果に強く影響を与えているのよ。

>これだけの進化の過程を、そしてまたこれからどんどん色んな形で進化をしていく設計図もあるんでしょうが、

ちょちょちょ、ちょっと待ってよぉ〜。あたし、進化論信じてないって言ってるじゃん。創造論者なのよ。
だからイデア界に進化の設計図なんて「無い」と思ってるのよ。

>この順番で発生する「理由」、あとそうした進化をしていくこと自体の「理由」とは何なのですか? 
>このへんちょっと微妙な質問なので、すごく興味あります。

まぁ、あたしの立場から回答しておきますわ。
イデア界には、生物の種のイデアが存在しているの。
たとえば「ヒト」とか「ヒグマ」とか「ウマ」とかね。
だからイデア界では、すぐ(時間がないから)それらが存在するわけね。

ああ、ちょっと注釈すると、そのイデア界の「ヒト」とか「ヒグマ」とか「ウマ」とかのイデアは、
どうしてあるかというと、神さまが考えたからなのね。

話を戻すと、イデア界にある「ヒト」とか「ヒグマ」とか「ウマ」とかのイデアを、
この世に発現させるには、この世的な制約、すなわち時間的制約に従わないといけないのね。
すると、いきなりヒトはできないでしょう?
宇宙空間づくりからやって行かなきゃ。
まず場所をつくって、材料(素粒子など)をつくって、土台(原子、分子、細胞など)をつくって、
下等な生物、高等な生物、最後に人間をつくって、ポ〜ンと魂(霊性、つまり心ね)を入れて出来上がり。
こういうことよ。

もちろん全知全能の神さまだから、これらをイッキにできるわよ、やる気ならね。
でもそれじゃあ、おもしろくないじゃん。え? 神さまは楽しむためにつくったかですって?
その通りなのよね。
まぁ、ここらへんの問題になると、そもそもなぜ神さまは全知全能で自己完結してるはずなのに、
わざわざこの世をつくったかという問いになるから、この掲示板の主旨には合わないんじゃない?

もっとそういう系の議論がしたかったら、あたしの掲示板でしましょう。

http://www61.tcup.com/6120/pipubufupe.html


返事です(充分ではありませんが) 投稿者:フィッツジェラルド  投稿日: 3月23日(金)14時10分12秒

1011さんへ

 何度も申しますが、私は本当に、勉強したいと思っています。ちょっとキザな言い方をするならば、真理に近づきたい。願わくば、真理を極めたい。
 アインシュタインは晩年この様なことを言っていたと聞いたことがあります。「私が本当に知りたいのは、宇宙がどのようにできているのかということではなく、何故(何の為に)、神は宇宙を創造したのかということだ。」と。
 私も望みだけは、アインシュタインと同じものを持っているのです。そして、現在の私の考えは、神は愛の為に宇宙を創造し、人間を創造したと考えています。神も対象がないと喜べないからです。そして、人間は神の子として創造されたと考えていることは、何度か書きました。それは、人間が創る最高のものが、人間(即ち子ども)であるからです。神も自分より低レベルなものを創って喜ぶはずはないと考えたからです。このような結論に至るまでは、自分なりに科学や宗教をかじりました。もちろん、その考えは将来変わるかもしれません。

 余計な話になりましたが、私はこの掲示板を荒らすつもりは毛頭ありません。皆様の意見をお聞きしたいと思っているのです。皆さんからの質問にもできるだけお答えしたいと思いますが、私のような特殊な考えを持っている人はいないと思いますので、結局ひとりでレスしなければならず、ご迷惑をおかけすると思います。少しずつ頭で整理して、お答えできればと思っています。
 どうやら、私の疑問は、子どもが「なぜ? どうして?」と尋ねるレベルの域を出ていないようで、詳しい方から見れば、バカバカしい質問が多いかもしれませんが、お許し頂きたいと思います。

>ソクラテス以来、しばしば最も油断ならない論客だと私は思っています。
 以上のようなわけで、私は論客を気取っているわけではありませんし、勝ち負けをつけるためにやっているわけでもありません。

>上記のようなフィッツジェラルドさんの議論の仕方は「ああ言えばこう言う」というのだと思います。
 そうかもしれませんが、無理に自分の意見に固執しているつもりはありません。でも、創造主を引っぱり出してくると、「・・・なんて書いても反論はいくらでも可能でしょうね、」といわれるように、結構可能なんですよね。

 私が話をはぐらかしていたようで、お詫びいたします。
 議論に負けたくないから、はぐらかしたつもりはありません。議論の勝ち負けでいうならば、私の場合、全敗ですから。私のつたない疑問に皆さん、進化論の立場から、上手にお答えくださるからです。葉の形状の件に関して、レスいたします。
>まったく同じ環境であっても唯一の最適な形があるのではなく、最適な形が複数の場合もありえます。
>また、多様であること自体が重要であるかもしれません。同じ性質を持っている個体が沢山いると、それらの個体の間ではその性質に適応した天敵や病気が拡がりやすくなるので、他の多くの個体と違った性質を持っている個体が生き残る確率が高くなります。その結果として、同種内や近縁種間で様々な性質が進化する場合があります。
 なるほど。葉の形状の例が、進化論でも説明できるようです。後者の例などは、私には、進化する為の意志のようなものが感じられますが、でも、そうではないんですよね。同じ環境でも、多様な葉の形状が説明できるということは、違った環境でも、同じ形状の葉があってもなんら不思議ではないということにもなるのでしょうね。


JA50さんへ

>それと、進化論、少なくとも科学の進化論は、創造主の存在を否定などしないし、そもそもできない。これは、NATROMさんが何度も強調していることです。
 そうなんですか。NATROMさんの文章を探して読んでみたいと思います。

>これもフィッツジェラルドさんの言う「心」とは何かというのを示さいと答えようがないと思います。
 言い訳のようですが、私は文系なので、そこまできちんと定義して、言葉を使っていませんでした。いわゆる「心が優しい」などという場合の「心」の場合もありますし、前回述べたような、右に行くか、左に行くかを決定するときの意志(?)を心と表現した場合もあります。
 物質にそういった決定をすることができるのでしょうか? 私にはいまだに疑問です。


返事です。 投稿者:フィッツジェラルド  投稿日: 3月23日(金)13時55分07秒

ユリイカさんへ

>フィッツジェラルドさんにとって人間とは「万物の霊長」なんですか?
 そのように考えるようになった経緯を省いて、結論だけ申し上げますので、批判も多いかと思いますが、恐れず申し上げます。
 人間は別格だと考えています。神は人間を神の愛の対象として創った、つまり子として創ったと考えています。

>人間も虫も植物も、みんな頑張って生きてるじゃないですか。どれをとっても優劣なんて無いですよ。
 ひとりの人間と一匹の犬のどちらかを助けなければならない場合、人間を助けると思います。また、犬とゴキブリだったら、犬を助けると思います。それを優劣と言うのが適当かどうかは分かりませんが....。
 人が凍え死にそうな状況になったとき、人間の体の中で、手足に流れる血流をストップして、保温などの目的のために、より重要な体幹に血液を集めようとする機構が働くことが知られています。より重要なものを生かすために、そうでないものが犠牲となることは、しばしば見られることだと思います。一応、誤解のないように申し添えますが、人間同士の間での弱肉強食的な競争を正当化するために言ったのではありません。

>たまたま人間に生まれたからって、人間中心主義でこりこりになっちゃうと、生物学にしろ進化論にしろ公平に考えること、できなくなりますよ。
 私はクリスチャンではありませんし、特定の宗教を信仰している者でもありませんが、聖書の言葉を引用しますと、神は人間によろずのものを治めるように言われました。
 この堕落した世界で、上に立つ者が、下の者から利益を奪い、ないがしろにしているからといって、神がそのような意味で、統治しろといったのではないと思います。人間だから、自然を壊してもいい、生物をやたらめったら殺してもいいとは、全く思ってもいませんし、発言してもいません。
 ここまでレスしてからいうのも申し訳ありませんが、この議論はすでに、進化論、創造論の議論から外れて、倫理的なものになっているようです。

>フィッツジェラルドさんの言う「無形の心」ってなんですか? 無形ってことは重さも無ければ存在すらしていない、まるで霊的なイメージで捉えなければならないのでしょうか?
 霊的なイメージで捉えていただきたいと思います。量子力学の超ひも理論が予言する影の世界がそうなのかもしれません。
 我々は、非ユークリッド幾何学の世界を理解することはできますが、イメージすることは難しいです。1/2のスピンをもつ粒子というものの存在は、その方面の科学者ならば誰もが認めることですが、イメージはできません。現在の科学は、人間には全く想像すらできないものまで、認めているのです。
 同様に、イメージとして想像できないから、そんなのものは存在しないと決めつけるのは、ちょっと無理があるように思うのですが....。

 もしよろしければ、私が以前に出した疑問にお答えください。ユリイカさん、クハ72さんはどのように考えていらっしゃるか、興味があります。
>> ちなみに私は「有形論」を指示します。つまり、心=物質。
> 心の働きを、脳内の微弱な電流の流れで説明するタイプの考え方なのでしょうか? 私はそれに関しては、疑問を持っています。電流であっても、物質ならば、弾かれたビリヤードの玉のように、自由に動くことができないのではないでしょうか。しかし、人間は右に進むこともできるし、左に進むこともできます。物質だけで、そのような自由な選択が可能になるのでしょうか?


クハ72さんへ

>ぶっちゃけた話、最初の生命を神が造ってそれがダーウィニズムに従って進化した、
>という反則みたいな説明も成り立つんですよね。
 私はそうは考えていませんが、その考えにしても、創造主が存在するという考えですね。「神は死んだ。」といったニーチェのようですね。

>すべての生物が共通の祖先に由来することが間違いないとされている以上そうなります。
 一応、誤解のないように、私の支持する創造的進化論を簡単に説明しておきますが、全知全能の神が簡単に創造したとは考えていません。創造主といえども、いきなり人間を創ることはできなかったでしょう。人間という完成図に向かって、単純な生物から、順番に創り上げてきたと考えています。もちろん、人間はサルからできたと思っています。聖書が土から人間を創ったと書いてあるからといって、それを信じているわけではありません。進化論と違うのは、創造主が存在するということ。宇宙の始まりから既に、創造主の計画の中には、人間の創造が目的としてあったということ。進化のステップアップの際には、創造主からの力が働いたということ。それぐらいだと思います。それ以外は、ほぼ現代の科学と同様の考えです。


それが大丈夫じゃない>1011さん 投稿者:JA50  投稿日: 3月23日(金)11時36分45秒

>「葉の形」というマクロな形質の変異と、中立説で言っているDNAレベルでの変異の関係を短絡してしまう初歩的な誤解はありがちです <- 舞さんは大丈夫ですよね?失礼?

それが大丈夫じゃない。

私もあまり大きな顔はできませんが、舞さんも含め、さんざ議論になったことですので、過去ログを読まれたらどうでしょう。


進化論の矛盾?>フィッツジェラルドさん 投稿者:JA50  投稿日: 3月23日(金)11時29分33秒

>私なりに思っていた進化論の矛盾点について、皆様にお伺いしましたが、進化論を支持する方は、創造論の矛盾点については考えていらっしゃるのでしょうか?

「私なりに思っていた進化論の矛盾」ていうのは何なのでしょうか?

進化論とは無関係な疑問を示されたとは思いますが(宗教上の疑問など)、少なくとも科学上の進化論への疑問は提示されていないのじゃないですか。

なお、進化論という言葉には2つの意味があり、その2つを混同して論じると混乱します。
進化があったということ(そのアイデアというか概念というか)と、そのメカニズムはどういうものかというような学説(神様がそのように創られた、いや獲得形質だ、自然淘汰だなどなど)とを区別しないといけない(もし区別されているのなら、余計なお世話でした、この話は無視してください)。
それと、現在の進化生物学の論理の矛盾を私ら凡人が示せるなどというのはまずないと思わないといけない。専門家はそれほどバカじゃない。創造科学をやっているようなトンデモさんとは違うんですから。
それより、進化論に反する事実を提示すればいいんです。
神様が生物を創造したというのなら、その証拠を提示したらいいんだし、種は変化しないというのなら、全ての生物が何千万年前も何億年前も今と同じ姿形をしていたという証拠を示せばいい。それで、進化論は終わりです。

>話の趣旨が違うと叱られそうですが、進化論の方は創造主の存在を否定していると思いますが、無形の心のような存在も否定しているのでしょうか? 人間の身体は物質ですから、進化すると考えることも可能だと思いますが、心のような無形の物も進化すると考えるのでしょうか? それとも、いわゆる「心」は脳の機能だと考えるのでしょうか?

これもフィッツジェラルドさんの言う「心」とは何かというのを示さいと答えようがないと思います。
「心が進化するのか」というのなら、何を持って「心は進化する」、あるいは「心は進化しない」となるのかという操作的定義をしないといけない。科学上の疑問だというのならです。宗教上の疑問なら話は別ですが。

それと、進化論、少なくとも科学の進化論は、創造主の存在を否定などしないし、そもそもできない。これは、NATROMさんが何度も強調していることです。
これこれならば「創造主は存在しない」とか「存在する」というのを示さないと、存在するともしないとも言えない。例えば、ヒトとチンパンジーは共通の祖先を持つならば創造主は存在しない、というのなら、まず創造主は存在しないだろうと言えるけど、こんなんでいいわけないですよね?


食用キノコと似せた毒キノコなんか創造しちゃう、どこかのお茶目さん 投稿者:1011  投稿日: 3月23日(金)06時43分36秒

> 林檎は品種改良する前と比べて、全く別物のようになってしまったのでしょうか。

リンゴやミカンの原種は知りませんが、今から考えたら「紅玉なんてよく食ってたよな、ほかに食うものが無かったんだろうな」と思うほど酸っぱい。
夏ミカンだってむちゃくちゃ酸っぱい。だから今は甘夏しか売ってない。
まあ酸っぱいくらいだったらいいけど、ジャガイモなんか芽には毒があるしゼンマイには発癌物質がある。
贈物に毒なんか混ぜますか、普通?
それとも本来食っちゃいけないものを食ってるんでしょうか、人間は?

・・・なんて書いても反論はいくらでも可能でしょうね、これだと。
私の反論に対して、明示しないような形でご自分の主張を微妙にずらしていることを自覚しておられますか?
最初、私は葉の形について質問したんですよ。
で、フィッツジェラルドさんは葉の形の話でなくて花と果物の話をされたんですよ(ここまでは、まあOK)。
その中で、果物は「人間の味覚に合うように、人間の食べやすいサイズで、できている」ってフィッツジェラルドさんはおっしゃった。
それで、私は、人間の品種改良によって味もサイズも変わっていると反論したのですよ。
どのくらい変わったかじゃないんですよ。変わったってことを言ってるんですよ。
御高説によれば神がいくらでも人間に合わせて造れたはずのものが、実は合ってなかったっていうこと。
で、こう言っても私の反論は最初のフィッツジェラルドさんへの有効な反論になっていないんですか?

一般的な礼儀を尊重しない方ではない(私と違って)とお見受けいたしますが、ただ、上記のようなフィッツジェラルドさんの議論の仕方は「ああ言えばこう言う」というのだと思います。

ちなみに自分から「頭が悪い」などと書く人は、ソクラテス以来、しばしば最も油断ならない論客だと私は思っています。


「中立」と「中立説」はエライ違いなのだ。 投稿者:1011  投稿日: 3月23日(金)04時06分34秒

舞さんへ:

私の不親切な指摘の真意が伝わっているかどうか、ちょっと補足しときますね。

フィッツジェラルドさんの葉の形の多様性に関する疑問に対して、舞さんは「中立説」という名前を出しただけで、中立説と葉の形がどのように対応するのかの説明はしてませんね。
そこで、もし進化生物学には不案内なフィッツジェラルドさん(またはフィッツジェラルドさんと同じレベルの読者)が「中立説」について本などで調べたとしても、「分子進化の中立説」と葉の形の多様性の関係を正しくイメージすることは難しい。
「葉の形」というマクロな形質の変異と、中立説で言っているDNAレベルでの変異の関係を短絡してしまう初歩的な誤解はありがちです <- 舞さんは大丈夫ですよね?失礼?
また、専門的にいっても、葉の形と遺伝子の関係が現時点ではっきりしていない以上、中立説にくっついてる理論式から葉の形の多様性が導き出せるわけでもない。

というわけで「葉の形は中立形質かも」というほうが単純だし、間違いが起こらないと思ったんですよ、私は。
「中立」と「形質」って言葉を調べるだけでいいですからね。


マルチレス(横レス気味) 投稿者:  投稿日: 3月23日(金)02時51分58秒

>(というか、どうしてここに中立説が?
> 普通は中立説っていったら「分子進化の中立説」を指すんではないですか?
> 葉の形は中立形質かも、というのなら理解できるけど)

全くおっしゃる通りです。(昔ここでもさんざんもめた事
ですが)中立説でいうところの「中立な変異(遺伝子レベ
ルの)」には、「淘汰に対して」っていう文言が付いていま
す。従って、必然的に形質レベルの変異(変化、と言う方が
いいかな)が前提になっているという事になります。なぜ
なら、淘汰は「形質」にかかるからです。ということで、私
は「葉っぱの多様性→どれも淘汰に対して中立的」という
考え方を提示したわけです。

>進化論の擁護にも、偶然とか突然変異といったオールマイティなカードが存在するように感じました。

少なくとも、突然変異というのは、必ず起きる「観察事実」です。
(「偶然」というのは観察の結果の考察?)。なお、突然変異より
も、遺伝子の重複とか組換えとかいうような現象の方が、進化に
大きな影響を及ぼしているのではないかと考えられています。


進化とは、なぜ起きる? 投稿者:ユリイカ  投稿日: 3月23日(金)00時31分29秒

 櫻井さんの「イデア界」を私なりに空想してみるのですが、どうも疑問点が次々と出てきてまいってしまいますよ。
 例えば、「イデア界」は時間を超越し、全ての未来に生まれる生命の設計図があるんですよね。と言うことは、(私は独身で、また将来子どもを産むかどうかまだ決めてませんが)私の子どもの設計図、そのまた子どもの設計図も、もし生まれるとしたらあるのだろうし、あるなら(決定的に)生まれるのでしょうね。
 であるのなら、この世が時間軸(すみません、もしそんなものがあるとして←私は時間というものを人間が勝手に決めた概念でしかないと思ってなく、敢えて言うなら『モノの移り変わりをあらわすもの』ぐらいにしか認めてません。※それ故過去の世界も未来の世界も「どこかにある」などとは認めません)で一定方向に流れているとするのなら、イデア界もその時間軸に沿って設計図は次々とこの世に発現していくのでしょう。とするなら、イデア界の設計図は何も「始め」から始めなくても、例えばこの地球上でも最初から「人間」を創りだすなりしても構わないんじゃないですか? 
 これだけの進化の過程を、そしてまたこれからどんどん色んな形で進化をしていく設計図もあるんでしょうが、この順番で発生する「理由」、あとそうした進化をしていくこと自体の「理由」とは何なのですか? 
 このへんちょっと微妙な質問なので、すごく興味あります。


つづき 投稿者:クハ72  投稿日: 3月23日(金)00時30分35秒

> 創造主を否定し、進化論を信じる人は、

ぶっちゃけた話、最初の生命を神が造ってそれがダーウィニズムに従って進化した、
という反則みたいな説明も成り立つんですよね。


フィッツジェラルドさんへの横レス 投稿者:クハ72  投稿日: 3月23日(金)00時25分56秒

> 創造主を否定し、進化論を信じる人は、何が何でも進化論で説明しようとし、

すべての生物が共通の祖先に由来することが間違いないとされている以上そうなります。
ところが具体的にどのように進化したかについては様々な考えがあります。
40億年の進化の歴史をすべて説明尽くそうなんて土台無理な話です。
では説明できるところは進化論、できないところは創造論でいいかというとそうではない。
こんな説明では創造論者は納得しないでしょう(特に創造学校の生徒さんは)。

> それとも、いわゆる「心」は脳の機能だと考えるのでしょうか?

今のところそうだというふうにはされていますね。
霊とか魂と呼ばれるものの存在は今現在確認されていませんし。


ユリイカさん 投稿者:櫻井美佐子  投稿日: 3月22日(木)23時33分17秒

>櫻井さんの言う「イデア界」では速さの概念はどうなんです?

速さはない、または無限ですね。

>※あとついでに、時間の概念は?

上のと関連しますが、時間もない、または無限ですかね。
要は時間と空間は、この世すなわち4次元時空間においての概念であって、
イデア界にはあってなきごときものです。

あるのだけれども、ないに等しいのね。分かるかしら?
もっと言えば、時空を含んでおり、かつ時空を超越しているの。


ぶっちゃけて言うと、『存在=意識=心』こんな等式が成り立つと思う。 投稿者:ユリイカ  投稿日: 3月22日(木)23時32分03秒

ユリイカさんへのレス 投稿者:フィッツジェラルド  投稿日: 3月22日(木)11時42分02秒

>どうも「善と悪」「幸不幸」で進化を見ちゃう傾向が強いみたいですね。
 私は無神論的進化の立場から見ていないので、当てはまるかどうかはわかりません。「善と悪」「幸不幸」というのは、誰が決定するのか、といった客観性についての問題は出てくると思います。慎重に文章を書くときには、私の場合、善や悪という言葉を使わずに、適切とか不適切という言葉を使うようにしています。しかし、そういったことまで説明してから、論を展開する時間を惜しんで、頭の片隅に引っかかりながらも、善悪という言葉を使いました。

 ↑ふむ、もっともな意見……っぽいですね。でも、「善悪」や「幸不幸」と、「適切不適切」とのなにが違うんですか(フィッツジェラルドさんの主観のなかで)。どちらにしろ、究極的主観者(それが『神』なのか『フィッツジェラルドさん』のことなのか知りませんが)の判断によって決められることになんら変わりないじゃないですか。言葉の言い回しによる論理の正当性を図ろうとする陳腐な技はやめませんか。この掲示板はすごーくデリケートな話題を扱う場所ですので。

 あと、1011さんへのレスで書かれた最後の部分……(全部では長すぎるので。ご免なさいね)
>私は、ミカンを食べやすいように、一袋ずつ包んでくれた、神様にありがとうと言いたいです。バナナも食べやすくしてくれて、ありがたく思います。
 ……この言葉に全てが集約されてると思いますが、全文を読んでみても、フィッツジェラルドさんはどうやら「神は人間を最後的に創りたかったんだ、人間以外の周りの世界は、とうぜん人間のためにあるのだ」とでも仰りたげな文章でしたね。
フィッツジェラルドさんにとって人間とは「万物の霊長」なんですか? 
 人間も虫も植物も、みんな頑張って生きてるじゃないですか。どれをとっても優劣なんて無いですよ。たまたま人間に生まれたからって、人間中心主義でこりこりになっちゃうと、生物学にしろ進化論にしろ公平に考えること、できなくなりますよ。

 あと、心の問題――
 フィッツジェラルドさんの言う「無形の心」ってなんですか? 無形ってことは重さも無ければ存在すらしていない、まるで霊的なイメージで捉えなければならないのでしょうか? 
 


PDX.さん、櫻井さん、ごめんなさい 投稿者:ユリイカ  投稿日: 3月22日(木)23時20分25秒

横レスですが(^_^; 投稿者:PDX.  投稿日: 3月22日(木)11時10分40秒

To ユリイカさん

「幻肢」と聞くと、「幻肢痛」と関連して、手術などで手足を失った
人が、もう無いはずの手足の痛みを感じたりする心理作用の方を思い
出すのですが、臓器移植に伴なう他人への記憶転写(錯覚?)のこと
もそう形容するのでしょうか?

 まぁ医学の用語ではなく、超常現象関係のページで幽体離脱体験を
した人が、精神体となっていて肉体とは離れているはずの自分に手足
の感覚があることを「幻肢」と形容しているページはありましたが、
この用法が一般的なものかどうかはわかりませんし…。


PDX.さん、ありがとう。まさに仰る通りです。ちょっと私の中でそのへんの現象における知識がごっちゃになっておりました。正してくれて本当にありがたく思っております。また何かございましたらご指摘よろしくお願いします。

櫻井さんにも謝ります。すみませんでした。





頭が悪いもので....。 投稿者:フィッツジェラルド  投稿日: 3月22日(木)23時17分50秒

>この例のように、即ツッコミが可能な例を持ち出してくるのは、すみませんが遠慮してください。
 頭が悪いもので、何が即ツッコミが可能な例なのか分からないので、取りあえず疑問に思っているものだけを、質問させていただいています。知的レベルも知識量も異なる人が議論する掲示板ですから、あなたにとって、レベルが低すぎると思われる疑問が、飛び出すこともあるかと思います。充分に注意して発言したいと思いますが、これからもそういったことがありましても、お許し頂きたいと思います。この数日間で、いい勉強になりました。レスを頂いた皆様、ありがとうございました。

>一般に、作物は人間が長い時間をかけて品種改良をしてきたので、自然淘汰というよりは人為淘汰の産物です。だから人間の役に立つようにできているのは当然です。
 林檎は品種改良する前と比べて、全く別物のようになってしまったのでしょうか。縄文時代から、林檎は人間にとって、今より甘さは足りなかったかもしれませんが、美味しい果物ではなかったのでしょうか。ミカンにしてもそうです。神が存在すると仮定したなら、神から人間へのギフトと考えられなくもないと思います。

 この数日の勉強で、創造論の擁護には、神とか宇宙意志とか第一原因というオールマイティなカードが存在するように、進化論の擁護にも、偶然とか突然変異といったオールマイティなカードが存在するように感じました。創造主を否定し、進化論を信じる人は、何が何でも進化論で説明しようとし、逆に、宗教に基づく創造論を展開する人は、人間が土からできたと言いはるかもしれません。浅はかだと言われるかもしれませんが、現在の私の考えをちょっと乱暴に表現するなら、上記のようになりそうです。

 私なりに思っていた進化論の矛盾点について、皆様にお伺いしましたが、進化論を支持する方は、創造論の矛盾点については考えていらっしゃるのでしょうか? そういったことも、お聞かせいただければ幸いに思います。今のままでは、私はともかく、進化論に固執する人に対して、明確な誤りを指摘することはできないように感じていますが、逆に、進化論者も創造的進化論を明確に否定する根拠を示すこともできないように感じているのですが、私の間違いでしょうか?

 話の趣旨が違うと叱られそうですが、進化論の方は創造主の存在を否定していると思いますが、無形の心のような存在も否定しているのでしょうか? 人間の身体は物質ですから、進化すると考えることも可能だと思いますが、心のような無形の物も進化すると考えるのでしょうか? それとも、いわゆる「心」は脳の機能だと考えるのでしょうか?


少し時間を下さい。。 投稿者:nasu  投稿日: 3月22日(木)19時55分43秒

>LucifeR さん

向こうで議論が始まっているのは今朝知りました。
私も折を見て参加するつもりではいましたが、忙しくてまだ目を通していません。。
把握するのに時間がかかりそうですので、しばらく議論を続けていて下さい、、

本当に意見が食い違っている部分と、
実際には一致できるはずなのに、細かい言葉のあやや、感情的なところでもめている部分との区別がなるべくできればいいのですが、
まだ読んでいないのでなんともいえません。

明日までにはなんとか参加できるように努力しますので、
申し訳ありませんが、今少し時間を下さい。。m(__)m


お百姓さん(&農試の人)にも感謝しましょう 投稿者:1011  投稿日: 3月22日(木)19時30分26秒

フィッツジェラルドさんへ:

たいやきくんの気持ちですが、私がここでそういうことを語りだすと人生哲学の出来損ないになって、ログも残ってこっ恥ずかしいことこの上ないので、勘弁してください。
たぶん、お近くの「およげ!たいやきくん」を2番まで憶えていて、とくに特定の宗教を信じておられない方にお尋ねになったほうが都合がよろしいかと思います。
あの歌から感じるところは誰でもほぼ同じと思いますので。

前の投稿に書きましたように、「被造物は造物主の目的に従うのが幸せ」という意見に対する他の方の反論にさらに私が何か付け加える必要は感じていませんので、多様性の件について、フィッツジェラルドさんの明らかな勘違いを指摘しておきます。

> 林檎にしても、ミカンにしても、バナナにしても、人間の味覚に合うように、人間の食べやすいサイズ
> で、できていると感じます。林檎の果肉は、林檎のためにあるのでしょうか? 林檎自身のためにだったら、
>    もっと小さくてもいいんじゃないですか? 何で、甘くないといけないんですか?

一般に、作物は人間が長い時間をかけて品種改良をしてきたので、自然淘汰というよりは人為淘汰の産物です。だから人間の役に立つようにできているのは当然です。
リンゴについていうと、私の小さいころは主に「紅玉」や「国光」なんかで、あんまり甘くなかった。
ミカンだって昔よりは甘くなったし実の中の種子が減った(これは品種改良よりも果樹の管理技術のせいかも知れませんが)。

この例のように、即ツッコミが可能な例を持ち出してくるのは、すみませんが遠慮してください。
当方にとっても時間は有限なのですが、ツッコミやすいとついつい投稿してしまいますので。

というわけで、花の例についても言いたいことはあるのですが、今回は割愛。


LucifeRさんへ:

>「自然淘汰」の時代の方が適確だなという気がします

"natural selection"の訳語として「自然淘汰」がいいのか「自然選択」がいいのかは、現在でも日本ローカル(当たり前か)で続いている議論で、重要な用語であるにも関わらず、どちかに統一しようという合意は未だに有りません。
語義としては「淘汰」のほうがより適切なものの、淘汰という言葉自体があまり一般的でないのが難点です。
また、「不適者衰亡」という言いかただとポジティブな自然淘汰が抜け落ちてしまうので、それは極論かと。


nasuさんいらっしゃいます? 投稿者:LucifeR  投稿日: 3月22日(木)14時43分49秒


 お呼立てしてすみません。私が「そちら」で始めた話について、よろしければ
話法の御指南・査読などいただけますか。一応言葉にはかなり気を使っているの
ですが、いまいち自信が無くて。


用語としての「適者生存」 投稿者:LucifeR  投稿日: 3月22日(木)12時38分38秒


 日本は言霊の国ですから、タームとして「適者生存」てのが確立してしまうと
どうしても唯一の「適者」を探してしまうのは文化的に致し方ないことだと思います。
それにコレ、「発展途上国」みたいな「政治的に正しい」婉曲表現という側面は
ないんでしょうか。「社会ダーウィニズム」という迷惑な存在が反感かいまくり
ましたからね。

 実際に起っていることはむしろ「不適者衰亡」なんですよね。ソノ意味では
「自然淘汰」の時代の方が適確だなという気がします。


ユリイカさんへのレス 投稿者:フィッツジェラルド  投稿日: 3月22日(木)11時42分02秒

>どうも「善と悪」「幸不幸」で進化を見ちゃう傾向が強いみたいですね。
 私は無神論的進化の立場から見ていないので、当てはまるかどうかはわかりません。「善と悪」「幸不幸」というのは、誰が決定するのか、といった客観性についての問題は出てくると思います。慎重に文章を書くときには、私の場合、善や悪という言葉を使わずに、適切とか不適切という言葉を使うようにしています。しかし、そういったことまで説明してから、論を展開する時間を惜しんで、頭の片隅に引っかかりながらも、善悪という言葉を使いました。

>>>そして、「記憶に関わる物質」が在ると考えておりますが貴方はどうですか?
>>それに関しては、考えたことがありませんでしたが、在るように思います。
> と書かれてましたが、それなら「無形の心」ではなく、「有形の心」になるのでは?

 私は、脳は心ではなく、物質であるが、その心が脳という物質を介して、身体という物質を統御していると考えています。同様に、記憶に関わる物質は、物質であって、心ではないと考えています。

> ちなみに私は「有形論」を指示します。つまり、心=物質。
 心の働きを、脳内の微弱な電流の流れで説明するタイプの考え方なのでしょうか? 私はそれに関しては、疑問を持っています。電流であっても、物質ならば、弾かれたビリヤードの玉のように、自由に動くことができないのではないでしょうか。しかし、人間は右に進むこともできるし、左に進むこともできます。物質だけで、そのような自由な選択が可能になるのでしょうか?


1011さんへのレス 投稿者:フィッツジェラルド  投稿日: 3月22日(木)11時40分06秒

>「およげ!たいやきくん」のたいやきの哀しみは理解できないでしょうね・・・
 よかったら、たいやきくんの気持ちを代弁していただきたいと思います。(皮肉で言っているのはありません。)

 前回、「包丁の作り手が意図した本来の目的と違う目的のために使われた包丁は悲しい存在です。もちろん、包丁に心はありませんが....。」と書きました。....で誤魔化した部分を少し書きますと、包丁には心がないが、その包丁を作った作者には心があり、その作者にとっては、不本意であると考えていただければと思います。

>・・・とにかく、「被造物は造物主の目的に従うのが幸せ」っていう見解は必ずしも他人に支持されないし、そういう人々にはフィッツジェラルドさんの意見を支持しないもっともな理由があるということです。
 被造物に心がない場合、幸せかどうかは考えられないと思いますが、造物主にとっては、一般的には、本来的な目的以外に利用されるのは、悲しいことであると思います。

 私は多くの宗教が指摘するように、神は人間を愛の対象(子)として創造したと考えています。神も独りでは、喜ぶこともできないのです。そういった意味で、神は万能ではありません。神は人間を支配しようとして創ったのではなく、人間の親が子を産に育てるように、愛情を注ぎ、人間を幸福にするために創造したと考えています。
 つまり、神が悪意で人間を創ったのではなく、「神の目的=人間の幸せ」と考えているので、私は「人生の目的=神の子として、幸福に生きること」だと考えています。
 申し訳ありませんが、私もこちらのボードでの話に、膨大な時間を割くことはできませんので、論理に飛躍があったり、そのように考えるようになった、プロセスを省略して述べてしまう所が多くあると思いますが、お許しください。

 植物の葉の形の多様性について、進化論でも説明はできそうな気がしました。ご意見ありがとうございました。

>フィッツジェラルドさん、創造的進化論の立場からは葉の形の多様性はどのようにお考えでしょうか? もし何か考えておられるようであれば、ご参考までにお聞かせねがえれば幸いです。
 植物に関していえば、葉の形も多様性があり、花の色や模様も多様性があります。私の考えでは、創造主は人間を愛の対象(子)として創造したので、人間の幸福に対して、直接または間接的に、有益であるように創造したと考えています。親も子どもにおもちゃを与えるときに、消防車のおもちゃばかり与えはしません。花も葉もいろんな色、模様の多様性がある方が、人間としては、楽しいのです。
 野原に咲き乱れる花の美しさ。私は花が美しいのは、花のためだけではなく、それを観るものにとって、感動を与えるように、美しく咲いていると思います。ちなみに、多くの花は、人間の眼の方向に向かって咲いているようです。たんぽぽは上向きに、花を開き、ひまわりは横向きに花を開き、桜の花の多くは下を向いています。林檎にしても、ミカンにしても、バナナにしても、人間の味覚に合うように、人間の食べやすいサイズで、できていると感じます。林檎の果肉は、林檎のためにあるのでしょうか? 林檎自身のためにだったら、もっと小さくてもいいんじゃないですか? 何で、甘くないといけないんですか? 甘いのが生存に有利だったら、どの林檎も同じ味だったらいいのではないですか? ミカンが林檎の味がしてもいいのではないでしょうか。
 私は、ミカンを食べやすいように、一袋ずつ包んでくれた、神様にありがとうと言いたいです。バナナも食べやすくしてくれて、ありがたく思います。

 他の方からも、反論がどっと来そうな気がしますが....。私のレスにも限界がありますので、お手柔らかにお願いします。


ご意見、ご要望がございましたら、掲示板か、e-mail:natrom@yahoo.co.jpへどうぞ。


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