進化論と創造論についての掲示板ログ44

2001年1月27日〜2001年2月7日
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不適切な形質:葉巻を・・・(2) 投稿者:ノリリン  投稿日: 2月 7日(水)00時36分05秒

ところで貴方の御説の『『しかし、適者生存という用語そのものは、生き残ったものが適者だという言明じゃなく、適者が生き残り、不適者は淘汰されるという言明です。ですから、不適な形質なのに、そのグループに広く存在しているとしたらそれは適者生存という仮説の反証になります。反証になるのですから、トートロジーじゃない。そして、そういう形質が発見されていないから、ダーウィニズムはまだ生き残っているんです。150年以上も、そういう反証に耐えて。(JA50)』ですが、カリカチャじゃわかりにくいでしょうから付け加えましょう。

『不適な形質なのに、そのグループに広く存在している』としたら、普通の人は『適者生存』の反証がなされたと思うより、”不適な形質なのに、”という最初の判断が実は間違っていたんだと思うでしょう。そう思わない人がいたら是非現れていただきたい。
最初の『不適切な形質』という判断が間違っていたと思わない人がそのグループに広く存在していたとしたら、150年以上もダーウィニズムは生き残っていなかったでしょう。

儂は創造論なんかまるっきり信じてないけど、ある時天が真っ黒になり神様が現れて、『天地は我が作った』と言えば信じてしまうでしょう。神様が現れて自分で言ってしまったらどうしようもない。こんな確かな証拠はないですから、『ああ、今までの自分は間違っていた』と反省して考えを改めます。反証があれば考えを改める。科学的であろうがなかろうが、理性的な判断です。
ところが、JA50さんのように、『不適な形質なのに、そのグループに広く存在している』ような、最初の「不適な形質」という判断事態に致命的な反証があるときにすら、『いや、間違っているのは自分の判断じゃない。間違っているのは適者生存という説だ』という人なら、神様が現れるという事態が起こっても、進化論に固執するでしょう。その時にどういう撞着をするかまでは予想がつきませんが・・・
これはある意味、創造論者と同じ境地ですな。同病です。


…う〜ん 投稿者:PDX.  投稿日: 2月 6日(火)16時25分24秒

 惑星直列とか火星と彗星の衝突のくだりですが、2000年 9月以降は
更新されていないのでしょうか?
 WEBページ自身は 2001年になっても更新されているようですが。
(「ことによると」の2001年 4月までは保留なのかなぁ…)

# とりあえず 2000年 9月を過ぎても記事を削除していない点は評価
#に値する…のかも。


こりゃむごい 投稿者:JA50  投稿日: 2月 6日(火)09時34分27秒

惑星直列という箇所を読んでみましたが、こりゃトンデモ・ウォッチングというのにはちょっとむごいですね。

おだいじに。


預言関連 投稿者:TT  投稿日: 2月 6日(火)05時56分05秒

さきほどある預言関連のホームページにアクセスしたのですが、内容がファチマ預言に近似していることには少し驚きを覚えました。
当HPの主張によると、団体はカトリックに属しながらカトリック教会からは異端として厳しい弾圧を受けているとの事ですが、預言を中心に活動するとは変わった教会であることは確かです。
預言に関して以下にコメントするかは難しいところですが、まったくの捏造にしては多少論理的で一貫性を帯びていることもあり、緊急性の点から少し気になります。
皆様はいかがですか

http://homepage1.nifty.com/charbeljapan/index.htm


安賀須若人 さんへ  投稿者:かくり  投稿日: 2月 5日(月)20時09分34秒

レスありがとうございます.
kakuri99は元々使っていたHN『かくり』がYahoo!においてはアルファベットでしか登録できない,しかもkakuriは使われているから99をつけろといわれたのでそうなっています.普段はアルファベットは面倒くさいので『かくり』で通したいと思います.

引用しようと思っていた先もやはりYahoo!の掲示板で,私は何度「ここは生物学のカテだから,もっと科学的に論理的に話しましょう」といっても暴走気味の人がいたので,きっちり論理だった文章でぴっしゃりいってやりたかったのが,お願いしていた目的です.そういった意味ではわかりやすい文章が目的にぴったりでした.
返事を待っているあいだに,肝心の本人が丸くなってきたので引用は今現在は控えようと思っています.

ちなみにそのカテは『全能の神の知能指数は?』


http://messages1.yahoo.co.jp/bbs?.mm=GN&action=m&board=1835548&tid=a4gbda4nbfc0a4ncngbdbbxbfta4oa1a9&sid=1835548&mid=1&type=date&first=1

で暴走していたのはトピ主さんです.


トートロジー>ノリリンさ 投稿者:JA50  投稿日: 2月 5日(月)18時46分15秒

>『天気がいいのは・・・』のはなしは、進化論のカリカチャじゃなくて、あなたの書いたことのカリカチャですから、おかしな所があって当然なんですよ。

ああ、なるほど。
私の書き方がおかしいかったんですね。
本来の適者生存という説は、科学としてきちんとしたものだが、私の解説が「天気がいいのは・・・」というようなおかしなものだと。

私は、「天気がいいのは・・・」というような意味では書いてないんだけど、そういうようにとられたのは私の書き方が悪いんでしょう。
ノリリンさんも、ダーウィンの適者生存という仮説が「天気がいいのは・・・」というようなナンセンスなトートロジーではないんだとご存じなら、それでいいのではないですか。


謹慎します 投稿者:DrTM  投稿日: 2月 5日(月)16時16分24秒

>プロの方にも少々無責任な発言をされる方がいらっしゃるようです。当然のことながら
>プロの方の場合は責任をもって正確な発言をするべきだと思います。

これを心から肝に銘じておきたいと思います。私の無責任な発言が物理の足を引っ張りま
していくら謝罪しても足りないです。いくら専攻が物性とはいえ、第5の力を認める投稿
をするとは・・・。「ばかもの!」と怒鳴られて相手にされなくなっても仕方ありません。

謹慎します。


お恥ずかしい限りです。 投稿者:DrTM  投稿日: 2月 5日(月)16時03分48秒

ぽらんさん、こんにちは。DrTMです。

>第5の力があることをあなたが認めていたことを、あなたの恩師が知ったらどう
>思うでしょうか。

仰る通りです。恥ずかしい限りです。第5の力は現在は物理ではありません。その過去ログで
は非常にいいかげんに私は書いていました。物理で学位を取ったとは信じられないといわれて
も全く弁解のしようがございません。これでは私が「とんでも」と同じです。

>細かいことを言うなと仰るかも知れませんが、こういった細かい問題を間違えたまま
>放置していると、いつまで経っても大きな問題は解決しません。

いえ、ばらさんの仰ることは最もなことだと思います。御指摘ありがとうございます。
ばらんさんが書かれていることは大変ごもっともだと思います。

>少なくとも積極的にコメントを述べる場合は確実に正しい発言をする必要があります。

はい、非常に反省しています。私には積極的にコメントする資格がありませんでした。
はぁー、私は一体何しているんだろう。いつのまにか、「とんでも」の片棒をかついでいる・・。
穴があったら入りたいです。

>ノリリンさん。

ノリリンさんを、私は誤解しておりました。

>物理学の世界は大丈夫なのかな?権威の元で大規模な実験道具を使って実験している
>ような分野が大丈夫だとは儂(もしくは日本)の常識では考えられないんだが・・・

これに関して私が意見を述べる資格はないので・・。私が「とんでも」なことを書き込んいた
にも関わらず、のりりんさんをもしかして「とんでも」かもと不遜にも勘違いしていました。
心からお詫びいたします。


引用は構いませんが>kakuri99さん 投稿者:安賀須若人  投稿日: 2月 5日(月)12時23分32秒

kakuri99さん、こんにちは

>さっそくなんですが,安賀須若人さんにお願いがあって書きこみさせていただきました.『パラダイムの違い?』中の文章について別の場所で引用させてもらってよろしいでしょうか

私は、一向に構いませんが、クーンのパラダイム概念の解説自体についてなら、しかるべき専門家の成書から引用なさる方が、権威がありますよ。それに、こういうところでの書き込みの関係上、専門的な議論の正確さを犠牲にしてでも(例えばテクニカル・ターム等)、分かり易さをを目指していますので、その辺もご考慮に入れていただければ幸いです。


トートロジーの同義反復 投稿者:ノリリン@悪のオ〜ナ〜  投稿日: 2月 5日(月)11時07分10秒

いやいや、私は自然選択説&適者生存のコンポに異存はありません。
創造論者じゃないので、そんなものに打撃を与えようとは思いません。

『天気がいいのは・・・』のはなしは、進化論のカリカチャじゃなくて、あなたの書いたことのカリカチャですから、おかしな所があって当然なんですよ。
儂の『適者生存がトートロジー』というもとの書込を問題にされていたので、それに対して反論しただけです。あなたが『適者生存ががある意味トートロジーだ』というのならもう1ダウンですから、儂の書いた事にあなたも異存はないと言うことで納得します。


トートロジー 投稿者:JA50  投稿日: 2月 5日(月)10時25分32秒

トートロジーだというのは、私もある意味同意します。
生き残って広がるもの(適者)が生き残って広がる。
もし、そうじゃなかったら、生き残って広がるという主張が間違っていることになります。そして、そういう例が一つでもあれば、その主張は反証されたことになる、というのが私の自然選択説理解です。そしてこれは他の科学でも同じ(ワンダウンしたらアウト)。
ただし、ここではこういう私の理解は、厳密すぎかつ既に古くさくなっているとされていますので、そこんところをよろしく。

>「天気のいい日は晴れ」という用語そのものは、いい天気の日は晴れているという言明じゃなく、天気のいい日は晴れ、天気の悪い日は晴れてないという言明です。ですから、天気が悪いのに、その日は晴れているとしたらそれは天気がいい日は晴れという仮説の反証になります。反証になるのですから、トートロジーじゃない。そして、そういう天気が発見されていないから、天気のいい日には雨傘はいらないんです。(noririn)

これは、生き残るものが生き残るという最初の主張の比喩にはなっていませんね。
「これこれなら天気のいい日になる」と言っているのであって「これこれなら天気のいい日だ」という主張とは違うのじゃないですか。
「これこれなら天気のいい日になる」と言っているのに、雨になれば、反証されたことになります。また、これこれなら雨になると言っているのに、晴れになれば反証されたことになる。

自然選択説は、天気のいい日は晴れだ、という言明じゃない。
進化論のカリカチュアを作り上げ、それを批判して、進化論を批判したつもりになっている、というのを創造論者がよくやるんですが、それと同じことをしている。


4つの力 投稿者:ぽらん  投稿日: 2月 5日(月)08時59分08秒

発言の続きです。

ところでDrTMさん、正直申しまして物理の分野で学位を取られたにしては、少々問題のある発言が
見受けられます。例えば、古い話で申し訳ありませんが

投稿日:05月07日(日)21時24分01秒 において

>>物理現象を形作る原因というか根源は基本的に5つの力に集約されてしまいます。
>>   万有引力と電磁気力。そして核力と斥力、あとは素粒子レベルで働く「第五の力」です、確か。

と言う他の方の発言に対して、

>   これでよろしいかと思います。ъ( ゚ー^)ニコッ

と発言されていますが、これはあまりにも問題があり過ぎます。

自然界に存在する力には(1)電磁相互作用、(2)弱い相互作用、(3)強い相互作用、(4)重力の
4つがあります。これらのうち(1)、(2)をまとめたものがワインバーグ・サラム理論
(1967〜1968に完成)で、(3)まで含めてまとめようとしているものに大統一理論、
超対称大統一理論(かなり出来上がっているが、未完成)があり、全部まとめようと
しているものに超重力理論、超弦理論、M理論などがあります(未完成であり、いつ頃
完成するかも見当が付かない)。
第5の力があることをあなたが認めていたことを、あなたの恩師が知ったらどう思うでしょうか。

細かいことを言うなと仰るかも知れませんが、こういった細かい問題を間違えたまま放置
していると、いつまで経っても大きな問題は解決しません。

ちょっと目に余ったもので、指摘させていただきました。


対応原理 投稿者:ぽらん  投稿日: 2月 5日(月)08時58分08秒

初めまして ぽらんです。

私は一応、科学者の端くれみたいな仕事をしています。身近なところで疑似科学が増殖して
迷惑しているので、何とかならないものかと考えて色々と探しているうちにこのHPを
見つけました。それで一通りざっと掲示板の発言を読んだのですが、あまりにも科学的に
問題のある発言が多すぎて絶句しています。私自身、こういった掲示板が設置されて
科学的に議論することは良いことだと思っていますが、それは正確な知識に基づいて
行わなければ不毛なものになってしまう可能性が高いとも思っています。素人同士の
発言だとどうしてもこのような状況にならざるを得ないのかとも思いましたが、どうも
プロの方にも少々無責任な発言をされる方がいらっしゃるようです。当然のことながら
プロの方の場合は責任をもって正確な発言をするべきだと思います。また、素人の方の
発言には、どうしてもあやふやな知識に基づいたものがあり、勢い余って明白な過ちを
犯している場合がありますが、そう言った場合はこれを適宜修正するのがプロの方の
役割だと思います。勿論、いちいち全ての発言をチェックしていたら大変でしょうが、
少なくとも積極的にコメントを述べる場合は確実に正しい発言をする必要があります。
そう言った意味で問題のある発言がありましたので、今回はこれを指摘させていただきます。

まず、2/4にあったDrTMさんの発言から指摘いたします。

>>しかし、現実をみないと。科学は理想的には反証を受け入れるように記述されるべきかも
>>しれないけど、科学者は反証を簡単には受け入れませんよ。科学者の端の端のものとして
>>断言します。

>それは簡単な話です。ある一つの反証を受け入れてメジャーな理論を大幅に修正するとなる
>と今までうまく説明できていた非常に多くの実験結果が逆に反証に変わってしまう場合が非常に
>多いからです。ですから、一つの反証が最初に懐疑的に見られるのは当然のことです。でも、理
>論を修正することは物理学者にとって大きな業績ですから、ある一つの反証をきっかけに修正を
>あれこれ考えている人は大勢いると思います。あれこれ考えても、ほとんどの場合従来の理論で
>うまく説明できるもので。それに今までの実験結果と新たな反証とを同時に満たす新しい理論を
>構築するのは難しいですから(単に、おつむの問題)。

仰りたいことは分からないでもないですが、この場合「修正」をするというのはいささか不適切な
表現だと思われます。相対性理論のように、既に確立された理論に反するような実験結果が
得られた場合には、その理論を修正をするのではなく、対応原理に従ってそれを内包した形での
新たな理論が必要なはずです。
例えばニュートン力学は今でも我々が普段知覚するような時間および空間スケールでは正しいですが、
非常に速く運動する物体の場合は相対性理論でないと説明できませんし、
空間的に非常に小さなスケールの現象は量子力学を用いないと説明できません。
ですが、いずれの場合もニュートン力学について「修正」があったわけではありません。
超光速現象の場合、物理屋さんのとる態度は、(1)実験結果の信憑性を吟味する。(2)実験結果
そのものは信頼できるものだと分かった時は、この実験結果が一見パラドックスのように見えても
実はそうでないことを説明する方法を考える。(3)どうしても説明がつかない場合に初めて、
このパラドックスが相対性理論の適用外であり、特殊なケースとして相対性理論を
内包する新しい理論を提案する の順になるでしょう。
ちなみに日経サイエンス(Scientific American)に載った論文は(2)の立場から論じています。

なお、私はノリリンさんの仰りたい「科学者がなかなか反証を認めない」ということも分かりますが、
相対性理論(特に特殊相対性理論)に関しては、確からしさは間違いのないものです。ですから、
物理屋は(1),(2)の立場をとるのが当然だと思います。例としてはやや不適切かと考えます。
なお、相対性理論の確からしさについて詳しい話を知りたければ、神戸大学の松田卓也先生のHPを
ご覧になれば、素人にも非常に分かりやすく書いてあります。

次の発言に続く


反相対論・話が大きすぎる 投稿者:ノリリン  投稿日: 2月 5日(月)01時38分25秒

いやいや、私は別に反相対論者じゃありませんよ。進化論に反対しているわけでもありませんし、創造論者でもありません。相対性理論に懐疑的でもありません。人間のやることには懐疑的ですが・・・進化があったことも信じていますし、子供にサンタクロースを信じさせようとする風潮に批判的なひねくれもんです。

もちろん儂は物理学者じゃありませんので、光より速い信号現象がないことは相対論の基本だと思ってました。それでもって、そのトンネル効果によって想定される光速より速い光の現象は大変な問題でアインシュタインをはじめとした高名な科学者を巻き込んで問題になったように書いてあったのをうろ覚えしていただけの話です。それでもって、その文章の中ではやっぱりその現象も光より速い信号現象がないという原則内にとどめるような結論に持っていっていたはずです。
・・・そりゃあ、まあ、それでいいんだろうと思いますが、端から見るとなんかちょっとごまかしているんじゃないかと思ったものでした。

DrTM>それは簡単な話です。ある一つの反証を受け入れてメジャーな理論を大幅に修正するとなると今までうまく説明できていた非常に多くの実験結果が逆に反証に変わってしまう場合が非常に多いからです。<DrTM

なにをおっしゃいますやら・・・だれがパラダイムシフトを起こすような事実やノーベル賞級の実験結果の話をしているんですか?それともあなたの研究所では常にそんなことをやっているんですか?うらやましい。
ある一つの反証実験の結果、作業仮説や小さな理論を修正するというレベルのことの話を想定してくださいな。都合が悪い実験結果なら、科学者は見苦しいぐらい簡単には結果を受け入れませんよ。かなりじたばたします。信じなかったり、やり直したり、無視したり、怒ったり、地位によっては弾圧したりします。
日本のある有名な癌研究者は○○(危なくて書かない)が発ガン性があることを動物実験で突き止めたので有名ですが、その部下が愚かにもネズミに食べさせた○○の量が人に換算すると毎日トラック1台分であることを指摘して、翌週には300キロ離れた保健所勤務になりました。儂もノーベル賞クラスではないにしても、ネーチャーかその下クラスの結果を学会の大物様の反対によって発表できなくなりました。理由は結果が気に入らないから。詳しくはかけませんが、これはよくある妄想系ではないですよ。妄想系の人はいいんです。一人で発表できますから。儂らふつうのものは協力関係とかしがらみとかあるからストップがかかったら、どうしようもありません。
と言うわけです。あなたが平穏な実験結果と理論に基づいた研究者生活を送ることを願ってやみません。物理学の世界は大丈夫なのかな?権威の元で大規模な実験道具を使って実験しているような分野が大丈夫だとは儂(もしくは日本)の常識では考えられないんだが・・・
以上DrTMさんへ

以下JA50さんへ


適者生存・易者八卦見 投稿者:ノリリン  投稿日: 2月 5日(月)01時37分23秒

適者生存がトートロジーでないかどうか、この文章を使ってもう一度考えてみましょう。JAさん

『しかし、適者生存という用語そのものは、生き残ったものが適者だという言明じゃなく、適者が生き残り、不適者は淘汰されるという言明です。ですから、不適な形質なのに、そのグループに広く存在しているとしたらそれは適者生存という仮説の反証になります。反証になるのですから、トートロジーじゃない。そして、そういう形質が発見されていないから、ダーウィニズムはまだ生き残っているんです。150年以上も、そういう反証に耐えて。(JA50)』  

『しかし、「天気のいい日は晴れ」という用語そのものは、いい天気の日は晴れているという言明じゃなく、天気のいい日は晴れ、天気の悪い日は晴れてないという言明です。ですから、天気が悪いのに、その日は晴れているとしたらそれは天気がいい日は晴れという仮説の反証になります。反証になるのですから、トートロジーじゃない。そして、そういう天気が発見されていないから、天気のいい日には雨傘はいらないんです。(noririn)』

どうです?適者生存と同じく、あなたの文章も意味がないですよ。どうあがいても、適者生存はトートロジーですよ。それだけでは。
あれは自然選択と組み合わせてはじめて意味を持つんじゃなかったですかね?もちろん素人のうろ読みですが・・・
ただ、思うに150年前はトートロジーではなかったかもしれません。
想像論的な考え方が幅をきたしていれば、『適者が生存』するのではなくて、『神の意にかなったものが生存する』という考え方が一般的であったでしょうから、それに反対する立場にあるダーウィニズムにとっては当時の『適者生存』はトートロジーではなかったでしょう。儂はそういう解釈なら受け入れられます。そう考えれば創造論者が適者生存をトートロジーと指摘するのはおかしいわなあ。今の進化論ではトートロジーでいいんじゃないのかな?

ともかく、儂がここに来た理由は
どういう経緯で儂のHPが引用されたか知りたかった
という考古学的な興味です。誰か教えて下さい。おねがいします。
あのHPは特に宣伝しているわけじゃないのでちょっと興味があるのです


ちょっとコメント 投稿者:DrTM  投稿日: 2月 4日(日)19時58分42秒

みなさん、こんにちは。DrTMです。ひさしぶりに覗いてみたら、偶然にも
私の専門に含まれる内容があったので、ちょっとコメントを。

>超光速現象に関しては日経サイエンス『量子力学のパラドックス』でよんだ。奇妙なことは
>そんな現象があっても相対性理論に対する信頼がこれっぽっちも揺るがないことだ。
>(この現象に関する難しい解釈に関しては素人の儂の関知するところではない)

超光速現象は、物理学者から見れば別にパラドックスではないです。質量のない光
は光速を超えても問題ないです。相対性理論の反証が見つかれば物理学者は喜んで
論文にしますよ。歴史に名前を残すチャンスですから。のりりんさんは、この実験に関する
解釈について分からないと言いつつ、相対性理論に懐疑的である根拠は何によるものか疑問に
感じました。

>しかし、現実をみないと。科学は理想的には反証を受け入れるように記述されるべきかも
>しれないけど、科学者は反証を簡単には受け入れませんよ。科学者の端の端のものとして
>断言します。

それは簡単な話です。ある一つの反証を受け入れてメジャーな理論を大幅に修正するとなる
と今までうまく説明できていた非常に多くの実験結果が逆に反証に変わってしまう場合が非常に
多いからです。ですから、一つの反証が最初に懐疑的に見られるのは当然のことです。でも、理
論を修正することは物理学者にとって大きな業績ですから、ある一つの反証をきっかけに修正を
あれこれ考えている人は大勢いると思います。あれこれ考えても、ほとんどの場合従来の理論で
うまく説明できるもので。それに今までの実験結果と新たな反証とを同時に満たす新しい理論を
構築するのは難しいですから(単に、おつむの問題)。


名言!>ノリリンさん 投稿者:JA50  投稿日: 2月 4日(日)19時28分26秒

>反証の無視はファイブカウントまでは許される

私はスリーダウン制もとらない。
ワンダウンでアウト、、、なんだけど、そうじゃないという人が多いんだというのは、ここではじめて知った。

他は、どうもレスしようがないです。
同じことの繰り返しじゃ面白くもないので、あしからず。


それは天地創造と同じくらい過去の話:1 投稿者:ノリリン  投稿日: 2月 4日(日)00時23分03秒

はじめまして、
google.co.jpで自分のハンドルを探していたら、なんとこんなところで知らないうちに話題になっていた模様ですな。どんな文脈で引き合いに出されたのかさっぱりわからないのですが・・・
『反証可能性 投稿者:JA50  投稿日:04月30日(日)14時34分14秒
http://www.meken.med.kyushu-u.ac.jp/~tosakai/board000506.html』
です。知らないところで人の話題をするなんて人が悪い。
(儂は別に魔法使いでも、創造論者でもありませんぞ)
もっとも加えて言うと、儂は全く持って、進化論の学者でも、宇宙論の学者でも、科学哲学者でもありません。それを最初に言っておきましょう。だから儂の知識なんていい加減なものだ。

それでも一言二言付け加えておきましょう。

NR>>だいたい、「反証されうる仮説のみが科学的な仮説である」ということは今あるすべての科学
NR>>理論が反証されうる不
NR>>完全なものでありうるということを暗黙のうちに認めているということだ。

JA>今あるすべての科学理論が反証されうる不完全なものであるのは、ポパーの定義に従えば、
JA>当然の帰結です。ですから、「暗黙のうち」に認めているというより、ポパーはそうだと
JA>強調しているというべきです。

その文章の中にはっきりかかれていない以上、その文章の中においては暗黙のうちに示されているというの解釈がなされるのは当たり前のことです。事実誤認ですな。・・・というか、揚げ足取りですな。ポパーに関して言えば、自分の仕事も反証されうると言うことがどうしても納得できなかったという話を聞きます。

>>そういえばビッグバン理論というのはたくさんの反証を突きつけられている。でも、
>>誰も・・・というか一部の跳ね返りを除いてそれを捨てない。超光速現象も発見されて
>>いるけどアインシュタインがお蔵入りしたという話は聞かない。 そう簡単に科学理論
>>は捨てれるようなものではないようだ。

JA>もしかしてこの方もアインシュタインは間違っていると言っている方々と同類なのか?
JA>ビッグバン理論の反証とか発見されている超光速現象って何なのでしょう?

超光速現象に関しては日経サイエンス『量子力学のパラドックス』でよんだ。奇妙なことは
そんな現象があっても相対性理論に対する信頼がこれっぽっちも揺るがないことだ。
(この現象に関する難しい解釈に関しては素人の儂の関知するところではない)
さて次に出てくるのは非常に怪しげな本、学研の『科学の危機』。まあ学研という時点で
問題はあるが・・・儂は専門家じゃないけどビッグバン理論にそんなに肩入れしなきゃな
らない理由が思いつかないが、どうなのかな?儂が読む限りビッグバン理論はたくさんの
reservationを受けていて、穴をふさぐために四苦八苦の状態と思ったのだが・・・
最近では違うのか?


それは天地創造と同じくらい過去の話:2 投稿者:ノリリン  投稿日: 2月 4日(日)00時22分04秒


>>弱ったことに進化論の根底を成す「適者生存」というのも反証可能性に引っかかる。でもダー>>ウィンを超科学の殿堂に入れるのはたぶん許されそうにない。

JA>適者生存という仮説はトートロジーだというよく創造論者がもちだす間違った主張を、この
JA>方をしている。

SJグールド、自説にこだわるあまりwonderful lifeでは少ししくじったようだが、彼の主張は『我々がここにいるのは有能といういみ適者であったからではなく、偶然の勝者だからだ』だ
ったとおもうが。昔読んだ本だから忘れたが、たしかマイヤース(だったかなあ?)とかいうUSAの進化論の大物の本でも、『適者生存と言う言葉だけでは何も示さない』と言う意味のことが書いてあった。
だいたい、いったい同じ程度の適者が二ついたらどっちが生き残るというのか?というか同じ程度かどうかの判断を結果以外でどうやって判断するのか?
『不適者不生存』のほうがもっとわかりやすいと思うが。
ともかく、適者生存がトートロジーなのは間違いない。『不適な形質なのに、そのグループに広く存在しているとしたらそれは適者生存という仮説の反証(JA)』・・・笑止です。不適な形質(タラセミアなんかはどうだ?)などはたくさんあります。しかし、それがあっても生存しているグループはやはり適者なんだよな。なぜならば、生存しているから・・・どう?トートロジーでしょ?

そもそも、適者生存がトートロジーかどうかは問題ではないでしょ?トートロジーってことは
間違ってもいないってことだし。だいたい、そんなことで進化論が揺るぐわけでもないのに。

>>フロイトの夢判断もそうだが、彼は師弟そろって殿堂入りもありかもしれな
>>い。が、フロイトの理論の大筋は何となく認められている。

JA>フロイトの夢判断は、ポパー流の解釈では科学ではない。

そんなことは知っている。だから”pseudoscienceの殿堂入り”があり得ると書いている。でもフロイトの理論の大筋は認められている。テレビに出てくる、絵を見せて、『はい、ベンチにすわっている女の子を選んだあなたは、照れ屋で奥ゆかしい・・・』と心理分析をする心理学者は科学者ではないにしても、フロイトの言っていることをすべて否定するのも(ポパー的であろうとなかろうと)科学的ではない。

JA>この逆も真。批判(反証)を受け入れられるような形式で記述されたものでないと科学とは言わない。

しかし、現実をみないと。科学は理想的には反証を受け入れるように記述されるべきかもしれないけど、科学者は反証を簡単には受け入れませんよ。科学者の端の端のものとして断言します。
だから、結論はまた同じです。
引用しましょう
¥¥¥¥¥¥
ポパーは哲学者であり現実の科学を知らない。現実の科学は哲学ではない。科学は理想ではなく現実だ。現実の世界では少々の反証では仮説を捨てるには忍びないし、また予算を組んで実験をしているプロジェクトを少々のことで否定できない。また、突き詰めていくと科学の底には反証可能性のない理論がよどんでいる。でもそれをポパーが科学をどう定義しようと捨てるわけには行かない。定義よりも現実の方が大事だ。

では現実とは何か? 現実は常にプロレスだ。
だから、いまこそ”反証可能性”を書き換え、ポパーの哲学を完成させ、草の下の彼に捧げよう。「反証されうる仮説のみが科学的な仮説である。そのような科学的な仮説で組み立てられた体系が科学である」は以下のように書き換えられる。

「反証されうる仮説のみが科学的な仮説であるというのが科学の暗黙の了解である。そのような科学的な仮説で組み立てられた体系が科学であるという幻想が大事だ。反証の無視はファイブカウントまでは許される」 


進化論はなぜ無神論とされるのか 投稿者:クハ72  投稿日: 2月 3日(土)14時18分49秒

やっぱり「はじまり」を扱っているからかなぁ。
進化論やビッグバン宇宙論を認めても始まりには神の関与があった、
って人もいるくらいですから。

某掲示板の記事についてちょっと考えました。


マルチレス 投稿者:NATROM  投稿日: 2月 3日(土)10時57分30秒

分類学者さん>
>ダーウィンのブラックボックス

しばしば質問を受けるところですので、コンテンツに追加したほうがいいかもしれませんね。過去の掲示板にちょろっと書いたような気がするんだけど、いったいどこだったのか。全文検索の機能が必要ですね。



やもさん>
>最終的に人が何かを#正しい#と確信するのは論の優劣だけではない

本当にその通りですね。加えるのなら、一般的に進化論が創造論よりも優れているというわけでもないでしょう。「科学という枠」の中でのみ、優劣の比較ができるのだと思います。別の枠の中では創造論の方が圧倒的に優れているということもあるでしょう。私は進化論が優れている、信じるに値すると言っているのではなくて、「科学という枠」の中でも創造論が優れているという主張に異義をとなえているのです。


kakuri99さん>
ようこそ!「利己的遺伝子を語ろう」は沈めるのはもったいないので、ぼちぼちやっていこうと考えています。この掲示板でもよろしくお願いします。


少々お休み 投稿者:やも  投稿日: 2月 3日(土)00時06分46秒

 少し書きこみお休みします。その前に
 >安賀須さん
丁寧なお答えありがとうございます。
 >論理的に一意的な優劣を比較することができないとしても、
ある程度の優劣の比較ができるとするのが普通です
 の優劣を言い出すと、さらに、混迷を深める気がします。もちろん、論の優劣はあるとおもいます。nasuさんも正直に進化論のアドバンテージの高さを認めてらっしゃいました。でも、最終的に人が何かを#正しい#と確信するのは論の優劣だけではないと思います。
 それをいっちゃうと何もかもわやになってしまうかもしれません。

 ともあれ、本格的なレスは3月にします。

>太郎丸さん

 実はひよこの刷り込みは観念かもしれやせんぞ。 観念の原型かもね。


初めまして 投稿者:kakuri99  投稿日: 2月 2日(金)21時57分31秒

初めまして.kakuri99と申します.yahooでのNATROMさんの論理だった話かたに感銘をうけてこっちにもやってきました(最近あのトピ沈滞気味です.NATROMさんまたきてください).

さっそくなんですが,安賀須若人さんにお願いがあって書きこみさせていただきました.『パラダイムの違い?』中の文章について別の場所で引用させてもらってよろしいでしょうか? 


パラダイムの違い? 投稿者:安賀須若人  投稿日: 2月 2日(金)17時10分43秒

やもさん、こんにちは

パラダイムの違いに関する宿題への暫定的答案です。

まず、パラダイムという概念についてですが、日常語としてではなく
科学論で使用される場合は通常T.クーンが提唱したものを指します。
そこで、まずクーンのパラダイム論の紹介をします。
クーンのパラダイム概念は極めて曖昧で多様な意味をもっていますが
主要な要素としては次の3つにまとめられるでしょう。
1)理論の形而上学的(存在論的)枠組み、世界観
2)専門家集団に受容された問いの立て方や答え方に関する規範、考え方
3)その分野の手本となる古典的業績、模範例
科学哲学者からパラダイム概念の曖昧さを批判されたことに応えて
クーンはパラダイム概念の精密化を図るために
2)の意味を専門母体(disciplinary matrix)
3)の意味を模範例(example)と呼び換えています。
クーンのパラダイム概念は、
互いの研究成果を情報交換して共有したり、相互に批判したりする
専門家集団(=科学者共同体)の行う
専門的活動としての科学に対して考えられたものです。
粗っぽくまとめますと、
学生なりの非専門家が専門家集団の仲間入りを果たす中で
模範例を教科書などで学び、それを真似た研究を行うことで身につけていくような
研究の指針となるような規範や標準的な観点をパラダイムと呼んでいるわけです。

いわばパズルとして応用問題を解くようなを研究活動が行われ
パラダイムに沿って研究を進めて行くような時期の科学を
クーンは「通常科学」と呼んでいます。
また、パラダイムの枠内で説明できない変則例(anomaly、例外)が
無視できないほどに蓄積してきて古いパラダイムの危機が訪れ
新しいパラダイムにとって代わられることを「科学革命」と呼んでいます。
典型的な科学革命としては
コペルニクス革命やフロギストン説から酸素説への転換や
古典物理学から現代物理学への転換が挙げられます。
一方で、全ての学問分野にパラダイムが存在するわけではなく、
支配的なパラダイムが存在しない群雄割拠的状況にあることもあり
そのような学問として未成熟な時期を指して
クーンは「前パラダイム期」と呼んでいます。

天動説と地動説は同じ分野の競合するパラダイムですが
パラダイム間で恣意的でない優劣の比較ができるのか、
片方のパラダイムで語られたことの全てを他方で語ることが出きるのか
といった問題は科学論の分野で大きな論争を生みました。
この問題には深入りいたしませんが、
極端な相対主義者でもない限り、
論理的に一意的な優劣を比較することができないとしても、
ある程度の優劣の比較ができるとするのが普通です。
(やもさんが極端な相対主義者でないことはわかっています。)

さて、確かにダーウィンの進化論は唯物論的世界観を前提としていますが
家畜や栽培植物における人為選択をモデルとした自然選択説が
多くの生物学的問題に対して巧みな説明を与えることができたので
生物学においてクーンの言う意味でのパラダイムになったのです。
(ダーウィンが模範例であることで唯物論的説明が規範となった)
そして、当時の人々にダーウィンのパラダイムが受容されることで
その部分的要素である無神論的世界観が広まったわけです。
(だからキリスト教徒がダーウィニズムに反発するのでしょう。)

さて、「創造科学」にはクーン的な意味でのパラダイムは存在するのでしょうか?
エントロピー概念の誤用による間違ったダーウィニズム批判が
あまりにも頻繁に繰り返されているので、
ひょとするとこれが彼らの模範例なのかもしれませんし、
「反ダーウィニズム的見解は、創造論の味方であるとして良い」
という規範に従っているのかもしれませんが、
こういう意地の悪いパロディでも考えない限り、
学問として成立するためのパラダイムがないのではないですか?
(パラダイムが違うのではなくて、「パラダイムがない」)

プトレマイオスの天動説は衰退し切ってしまったとはいえ
過去にはパラダイムとして立派に機能していましたので、
歴史的事実として教科書に取り上げられる科学的価値が
わずかとはいえあるかと思いますが、
「創造科学」に関しては天動説ほどの科学的価値もないので
教科書に取り上げる必要がないというのが私の率直な判断です。


NATROMさん 投稿者:分類学者  投稿日: 2月 2日(金)13時05分59秒

ダーウィンのブラックボックスを「創造科学」の方々がどう扱い(なんですすめるのか)&その間違いをHPに新設してください。


ダーウィンのブラックボックス 投稿者:T8848  投稿日: 2月 2日(金)00時56分02秒

これ、たしか私がここに最初に書きこんだ時にチラッと話題にしたんですけど、それを今頃になって進化論に反対するために宣伝するなんて・・・。
あれだけ進化論の間違いだのなんだのといろいろ言ってる割には今更と言うか間が抜けているというか・・・。
この本はあちらの主張には何の益もないんだけど、敵の敵は味方ということかな。
(この本は進化論の敵というわけでもないんだけどね。)


そのとおり 投稿者:櫻井美佐子  投稿日: 2月 1日(木)16時18分22秒

分類学者さん
>「創造科学」は、・科学じゃないのに科学のふりをするな
>        ・逐語霊感でないのに逐語霊感のふりをするな

まったくもって、そのとおりです。


あっちで宣伝してるよ 投稿者:分類学者  投稿日: 2月 1日(木)13時40分34秒

ダーウィンのブラックボックス−あちら(といえばわかりますね)の掲示板で宣伝してますよ。全然核心の話しができないね、つぎからつぎへとこれはどうだ、あれはどうだ、とされたんじゃ。それより、質問に答えてくれたらいいのに。


ニュートンのツリー作りました 投稿者:はっとべっと  投稿日: 1月31日(水)16時50分22秒

 安賀須若人さん、しばらくちょっと仕事が忙しくて、書き込みができませんでしたが、やっとちょっとひまになったので、ツリー掲示板の方にニュートンの場所を作りました。

 とりあえず安賀須さんに反論しとこうかなあとも思ったのですが、もしかして「科学者」とか「科学」の定義が異なっているのではないかと不安になって(それに最初だし)、特に何も書きませんでした。この辺はとても興味があるので、ぜひいろいろお聞かせ願えればと思います。みなさんもよろしくお願いします。


教育の問題でもあるというか 投稿者:PDX.  投稿日: 1月31日(水)16時45分50秒

To 分類学者さん

 アメリカで創造科学が教育の現場で問題を起こしている背景には、
州によっては、聖書原理主義の信仰者の団体が無視できない存在で
あるということもあります。
 公立高校の生物学の授業で進化論を教えることを禁止する州法が
成立した時、法案を提出した議員はともかく、その他の議員は「ど
うせこんな法案通る筈がない。自分が反対票を投じなくてもいいだ
ろう」という程度に考えており、反対票を投じることで次の選挙に
自分が勝てなくなることを懸念した議員達の判断で通ってしまった
というフシがあったのだとか。

 ただ、連邦最高裁が憲法違反であるという見解を示していたり、
南部のいくつかの州以外ではこれらの法案が成立したことはありま
せん。
 無論、キリスト教が多数派ではない日本では、この種の法案が提
出されることも成立することもないと思います。

「生徒達には、自分たちが信じたくないことを授業で教わらない権
利がある」というのが、アメリカでの聖書原理主義者の主張なのだ
そうです。


「進化論裁判」という本に、スコープス裁判の経緯ですとか、1980
年代の同時間法にまつわるごたごたなどが書かれています。


拝見 投稿者:分類学者  投稿日: 1月31日(水)16時02分04秒

いるかさん
Darwin's Black Box拝見
複雑なものは進化する"はずがない"という信念ですね。


Darwin's Black Box 投稿者:いるか  投稿日: 1月31日(水)15時45分45秒

ダーウィニズムの否定の根拠となっているとこさえ疑わしいようです(下記WP参照)。
内容は門外漢の私ではどちらが正しいかの判断はできないまでも、疑わしいことは分かります。

-----------------------------------------------------------

進化「論」は科学か?
そもそも、evolutionary theoryの訳として進化論としていること自体が間違いなのだと思います。
進化理論と訳していれば、それは進化史ではなく、進化史を説明する理論を指すことになりますので、科学として申し分ないでしょう。

進化と言う現象自体は、何も過去の記録(化石etc.)にこだわる必要は無く、生物的実験(例えば世代交代の早い単細胞生物を指標と決めたある条件で
繰り返し選別したものと、全く選別を行わずに無作為に同じ数だけ繰り返し取り出した物が、「違う集団になる」ことを確かめる)や
数理モデルによる検証で、起こっていることは証明されると思いますし、証明されていると思います。

想像論は教えるのであれば宗教の時間で教えれば良いのです。または社会でしょう。
少なくとも理化の時間に教える物では無いでしょう。

http://www.cs.colorado.edu/~lindsay/creation/behe.html


出版 投稿者:分類学者  投稿日: 1月31日(水)12時32分57秒

(やたら書き込んでいるので相当ひまと思われてるかもね。)
出版は、英語でpublication、本を出したからには内容に責任を持ってほしいものです。
NATROMさんが、創造科学本の間違い(見解の相違は別として、事実の誤認や無責任な引用など)をいろいろ指摘されています。それらについて、第3者が答弁したって埒があかないというか、最後は逃げればいいからね(ねえHさん)。誰かここに久保、宇佐神の両氏をひっぱりだしてこれないかなあ。直接やりましょうや。


ということは 投稿者:分類学者  投稿日: 1月31日(水)12時23分04秒

PDXさん

なるほど。ということは、やはりこれは教育の問題であるということですか。日本で「創造科学」を旗印に掲げている方々は、子供たちに「進化」を教えてもらっちゃこまると考えているのでしょうか。とすれば、前にも述べた通り、学校では「進化論」のようなものがちらっと出てくるだけですので、それはまずいというのはわかります。しかし、それが「創造科学」へ取って代わるということはないでしょう。進化生物学を正しく教えればよろしい。


というか 投稿者:PDX.  投稿日: 1月31日(水)10時50分36秒

 学校教育の「科学」の授業で「宗教」を語ることは憲法に反するので、
「科学」を装ったもの、というのが「創造科学」ではないでしょうか?

「創造科学」(「科学的創造論」)が、宗教的な創造論から派生してきた
そもそもの理由が、

 1)スコープス裁判に関連する米南部2州の州法(公立高校の生物学の
   授業で進化論を教えることを禁止する法律)が、連邦最高裁におい
   て特定の宗教(信仰)のみを優遇するものとして憲法に反すると棄
   却された。

 2)1)から、科学教育の場において創造論を教えることを要求するた
   め、「科学的創造論」を考案、「進化論」と同等の仮説であるとし
   て、生物学の授業においてこの両者に同じだけの時間を割くように
   求める法律(同時間法?)を定めるよう求めた。
   (同時間法も、連邦最高裁にて棄却) 
 
…という経緯だったはずです。

 ただ、過去に起こった「奇跡」を、「現在の物理法則」から導くこと
はできない(だからこそ奇跡なんだけど)ので、既存の進化論の揚げ足
取りに終始しているという印象をうけます。

 グールドなどは、「科学は科学、宗教は宗教として並存させるべきである。
このような試みは科学と宗教、双方に対する不利益を生む」と書いています。
(グールド自身はユダヤ教徒であり、宗教を否定する立場の人ではありません)


結局... 投稿者:分類学者  投稿日: 1月31日(水)09時54分30秒

みなさんの意見をまとめると、

「創造科学」は、・科学じゃないのに科学のふりをするな
        ・逐語霊感でないのに逐語霊感のふりをするな
ということでいいんですか。
私が創造学校その他を見て感じるのは、この問題は、学校教育(中途半端な「進化論」を教えている)の問題であって、進化生物学の問題ではない、ということ。その学校教育の問題については、進化生物学者も理解していて手を打とうとしている(というか積極的に著書を出したり
学校用の副読本を作ろうとしたり努力しています)のです。


科学とは揚げ足取りじゃ 投稿者:分類学者  投稿日: 1月31日(水)09時26分57秒

はせがわさんは、揚げ足取りがおきらいなようですが、科学的態度というのは少なからず揚げ足取りの部分がある。そうやって進んでいく体質のもの。それがいやなら、科学できないね。
ところで、前に出した質問(「創造科学」に転向した科学者リスト)の答えまだもらってませんよ。


こうもりは鳥? 投稿者:分類学者  投稿日: 1月31日(水)09時22分37秒

聖書のことばを全くその通りにとるとこまることの一つの例:
どこに書いてあるかわすれましたが、こうもりが鳥のなかまになっていました。櫻井さんなら御存じかな。
これは、分類学者としては認める訳にはいきません。まさか、この「こうもり」は、私たちの知っているほ乳類のコウモリとは別物とか、この仲間分けは科学的分類とは違うということではないでしょうねえ(実は分類学は自然科学からはじきだされそうになっています)?
そうなったら、こうもりは、いつ創造されたことになるのかな?あるいは、「創造科学」は、創造の部分だけ科学するのかな?


信仰と歌>やもさん 投稿者:太郎丸  投稿日: 1月31日(水)07時38分48秒

>思慕が?すりこまれた観念??? ありがとうという気持ちは観念??

思慕を、感謝に変えるわけですか。どちらにしても刷り込まれたものかどうかは、一概には言えない。そう言うこともあるだろうと言う話です。(幼い頃に父親を亡くした場合の話)

>最初に気持ちを乗せて(神様なんざひよこの刷り込みみたいなもんよみたいな)言葉を使ったからそういうのに答えて、きなくさいです。

「神様なんざひよこの刷り込みみたいなもんよみたいな」というように採られたのなら、きな臭いというのも理解できる。しかし、私は、ひよこのひの字も言っていない。ひよこは観念的に生きているとは思っていませんから。幼い子供にとって、サンタクロースも、ウルトラマンも、神も、その信じ方は似ているであろうし、それが潜在意識に残るような教育や、価値観の中で生活することによって、現実感のあるものとして残っていき、それが信仰につながっていると解釈したのです。

>うむ?はっきりしめしておるぞ。歌が好きだから歌うのといっしょ!!!

歌(=信仰)を必要としている理由を知りたかったのです。私にはないことなので。
でも私は歌が好きですよ。音楽に対する好みもある。しかも、学習によって理解度も上がる。
ありがとう。信仰と歌が一緒ときいて、少し理解できました。


創造科学信奉者のための弁護 投稿者:安賀須若人  投稿日: 1月30日(火)23時25分42秒

私は現存するいわゆる「創造科学」ではなく、知的に誠実であるような「聖書を前提とした経験的探求」の場合でも、聖書が絶対不可侵の前提である限り科学と見なせないと思います。しかし、聖書の改訂をできるだけ避けるが必要ならば改訂をも受認するような「聖書を前提とした経験的探求」なら、他の自然科学と極めて類似した活動であると思います。この後者のような聖書を絶対視しないような場合についてですが、結果的に聖書の改訂を回避できる可能性(あくまでも可能性です)に関しては否定いたしません。また、経験的探求を担う専門家については、聖書といえど改訂の対象になりうるという認識がなければならないでしょうが、聖書の改訂を回避できるのではないかという期待を持つことは許されるでしょう。
もちろん、聖書を絶対視しない「聖書を前提とした経験的探求」によって聖書が改訂を免れることが必然的であるとは言えませんし、聖書の改訂を最小限にしても唯物論的と称されるような普通の科学ほど首尾良く展開されることが確実に期待できるわけではないでしょう。


でました 投稿者:分類学者  投稿日: 1月30日(火)20時10分18秒

某掲示板にこんなことが書いてあったぞ!(かってに引用していいのかな?いいんよ〜う)

聖書の記述を字義通り信じた結果、化石がノアの洪水の際に出来たことを信じることが出来るのです。

こりゃ、ますます科学じゃないね。信じてるだけ。


レスです 投稿者:やも  投稿日: 1月30日(火)19時23分31秒

太郎丸さん
 >状況次第で変わる。父親の記憶が殆どないか、少ないとき、まわりの人、例えば母親や、父親の形見などによる情報によって刷り込まれた観念になるであろう。もちろん、これが悪いことだとは思っていない。

 思慕が?すりこまれた観念??? ありがとうという気持ちは観念??

相変わらず、何がきな臭いのか理解しがたい。

 最初に気持ちを乗せて(神様なんざひよこの刷り込みみたいなもんよみたいな)言葉を使ったからそういうのに答えて、きなくさいです。

>何故信仰が必要なのか、はっきり示すことをしないのは特別な理由があるのですか。
 
 うむ?はっきりしめしておるぞ。歌が好きだから歌うのといっしょ!!!


レスです 投稿者:やも  投稿日: 1月30日(火)19時13分00秒

安賀須さん
>もう少し待っていただけませんでしょうか

 どうぞどうぞ、その節は、いやー勝手にこっちの掲示板のせてしまってすいません。


あれも解釈、これも解釈、しかし自分のは違う 投稿者:JA50  投稿日: 1月30日(火)18時55分55秒

皆、自分のこそ解釈じゃないと思っていたりして、、、


あら、ごめん 投稿者:櫻井美佐子  投稿日: 1月30日(火)18時12分10秒

下の記事、題名ところにHPアドレス入れちゃったわ。ぷ。ごめん。


http://www61.tcup.com/6120/pipubufupe.html 投稿者:櫻井美佐子  投稿日: 1月30日(火)18時10分17秒

分類学者さん
>ここに
http://www2.biglobe.ne.jp/~remnant/mujun.htm
>復活の場面には矛盾がないという説明が一応ありました。これに対する反対答弁をお願いします。

読んでみましたわ。これに対する反対答弁を、ということですが、
以前書いたことをそのまま繰り返しますわ。

『いえいえ、見てみぬふりですよ。というか「解釈」しちゃうのです。読解しちゃうのね。』

ご指摘の記事の最後は、こう締めくくられています。
>このように、四福音書を総合してみると、主イエスの復活の記事に矛盾はないことがわかります。

総合してみて、解釈してるわけですよ!
ああ、別にあたしはそういう解釈をダメだといっているわけではありませんよ。
「いいんじゃない」って思います。でも「解釈」を許せば、逐語霊感説ではないのです。

前玉睦子さんが、
>ウチの教会なら、これらの記述の異動は、
>それぞれ異なる視点を持った筆者に聖霊が働いて書かれた資料が混在しているからだよーん、
>で済ませちゃいますがね。

といっていますが、これも逐語霊感説ではありませんね。解釈です。
あたしも「解釈、大いに結構」と思いますよ。
長谷川さんたちのようなクリスチャンをあたしが問題視してるのは、
「解釈はダメ」「逐語霊感だ」と言い張ってるからですよ! それだけ。

何度も言うようですが、「聖書を解釈する」ということが許されるのなら、
「創世記の記述は、それを書いた人がまだまだ知的霊的レベルが低かったから、
 神があのようにしか啓示できなかったわけであって、あの記述そのものが宇宙創造の全てではない」
という「解釈」もいいことになるでしょ?
じっさい、4福音書の記述を「総合して」解釈しちゃうことも許されるし、
「異なる視点を持った筆者に働いて書かれた」と解釈しちゃうことも許されるんですから。

創造学校掲示板や、あたしの掲示板にも、あたしの逐語霊感に関する記述への反論がありましたが、
彼らは基本的に逐語霊感説を理解していないのです。彼らは逐語霊感説の立場ではないことを自覚していません。

とにかく聖書は矛盾しているのです。これは誰もが読むば分かる事実ですわ。
現代神学で逐語霊感を支持してる人など皆無です。
そもそも聖書に権威を持たせるために考え出された逐語霊感説ですが、
ドゥウォルフなどは聖書は矛盾していると認めながら、聖書の権威を保つ考えを示してます。
彼曰く「聖書が霊感の書であることの最大の証拠は、それが人間をして神を求め、
神を見い出すようにさせてきたということだ」
これが、聖書の矛盾と、聖書の権威を両立させる、一番うまい方法だと思うわよ。


ありがとうございました 投稿者:分類学者  投稿日: 1月30日(火)15時45分09秒

nasuさん

わかりました。聖書の暗号ウンヌンも書いていたような...。
では、「進化」の立場の人は何をもって「創造科学」としたらいいんでしょう。


ドクター・ひゅうロスさんへ 投稿者:NATROM  投稿日: 1月30日(火)15時35分09秒

>『人類の起源』マービン・ルベナウ著

これは一般の書店では手に入りにくいので購入をあきらめておりました。一応、日本創造科学研究会?に問い合わせたりはしたのですが、なんか面倒になってそのままにしています。よって読んでいません。申し訳ありません。


>『ダーウィンのブラックボックス』マイケル・J・ベーエ著

この本は単にダーウィニズムに対する反論に過ぎず、このサイトでいう進化(共通祖先からの由来に基づいた定義)を否定しているわけではありません。ベーエも、地球の年齢が6000年であるとか、地球の生物がそれぞれ個別に創造されたとかいう考えには反対していません。創造論者がこの本を薦めているときがありますが、ダーウィニズムと進化の区別がついていないのでしょう。ベーエは、「地球の生物はダーウィンの主張とは異なったメカニズムで進化した」と主張しているのです。まあ創造論者が混乱するのも無理のないことで、なにしろベーエ自身の進化の定義がユニークだからです(創造論者による進化の定義とよく似ている)。ベーエによるダーウィニズム否定にも問題があり、鵜呑みにするのは危険です。進化が起こったかどうかという問題と、進化がどのようにして起こったのかという問題を区別できない人は読むのを止めたほうがよいでしょう。


櫻井さんぢゃなくてごめん。 投稿者:前玉 睦子  投稿日: 1月30日(火)15時11分37秒

ウチの教会なら、これらの記述の異動は、
それぞれ異なる視点を持った筆者に聖霊が働いて書かれた資料が混在しているからだよーん、
で済ませちゃいますがね。
つまり神様の言葉を載せる「乗り物」によって、力点の置き方や順序が変わることは
いくらでもありうるってわけ。
そう言えば、新約の中で旧約の人名を取り違えて引用しちゃってる個所がありますが、
皆様は一体どうやって説明なさるんでしょう。


この本はどうなのか? 投稿者:ドクター・ひゅうロス  投稿日: 1月30日(火)14時57分37秒

『ダーウィンのブラックボックス』マイケル・J・ベーエ著 青土社と『人類の起源』マービン・ルベナウ著創造科学研究会〔購入先;csaj@eva.hi-ho.ne.jpへ)をご検討いただきたいと思います。本当は、掲示板じゃなくて、直接建設者にメールすべきなんでしょうが。


分類学者様 投稿者:nasu  投稿日: 1月30日(火)14時35分33秒

お返事をいただきました。

伊藤さんも久保氏の著書、雑誌を読むと、かなり飛躍があると思うところもあり、
雑誌は、最近は読んでないそうです。

聖書的に問題がある言動もあるかもしれないとの認識もあるようです。
ただ、飛躍した内容は彼のユニークな推論、仮説、想像であろうということで
特に問題視するつもりはないそうです。

「今後、あまり人騒がせな本を書かない限り、リンクはそのままにしておこうと思っています。」
というお返事でした。
(ただ、久保氏の最近の著作の内容については、あまり御存じないようです。
 私も久保氏の本は読んでないので、詳しい内容は知りません。
 うさんくささは感じていますが。)

これ以上のことについては、私は単なる訪問者の一人に過ぎませんので、
関知いたしません。


屁理屈対決 投稿者:JA50  投稿日: 1月30日(火)13時04分30秒

分類学者さんご紹介のサイトを読んできましたが、面白いですねぇ。
まさに屁理屈のオンパレード。
さて、どういう反論があるか、これは楽しみです。

私に興味深かったのは主張6です。
「熱せられたガス体として光を放つ原始太陽」て何じゃ?
核融合によるものではないそうで、何をエネルギー源にして輝いていたんだろう。
これは、天空の水に匹敵するトンデモじゃないかしら。
こういうのをどんどんやってくれると、トンデモウォッチャーとしてありがたい。


一応説明がありましたが 投稿者:分類学者  投稿日: 1月30日(火)12時33分43秒

櫻井さん

ここにhttp://www2.biglobe.ne.jp/~remnant/mujun.htm
復活の場面には矛盾がないという説明が一応ありました。これに対する反対答弁をお願いします。


マルチレスにて失礼 投稿者:安賀須若人  投稿日: 1月30日(火)12時10分32秒

To:櫻井美佐子さん

過分なお言葉賜り、ありがとうございます。
今後もネット上での対話を続けていただければ幸いです。

To:wadjaさん

この掲示板上でwadjaさんのレスは必要だったと思います。
元々の書き込みは説明不足でしたし、
誤解を防ぐ意味で書き込みさせていただくことができましたから。
それと、あまりおチョくらないで下さいね(笑)。

To:くわいんさん

初めまして、
偉大な(20世紀後半を代表する)哲学者クワインにあやかられたHNですか?
もしそうでしたら、
是非ともデュエム=クワイン・テーゼ(あるいは確証の全体論)が、
ポパーの反証主義の議論に及ぼす影響を
ご考察していただけませんでしょうか。

To:やもさん

出張とかが重なって時間がとれず、宿題はまだできていません。
それと、とりあえず別件を片づけようと思いますので、
申し訳ありませんが、もう少し待っていただけませんでしょうか。


因果関係の証明>wadjaさん 投稿者:JA50  投稿日: 1月30日(火)09時27分08秒

「現象と現象の因果関係の証明」ですか、これは難しい。
心臓の話だけじゃなく、科学でもそう。
因果関係の証明がなされていない科学の仮説ってのはたくさんあるような気がする。
(重力って、なぜ逆2乗なんだろう、これって因果関係が証明されているんでしょうか?)

少なくとも、心臓の話にはこれはありません。なぜ、心臓を備えたら太陽が復活するのかのことは私は考えてなかった。ただ、これこれでというのはいくらでも考えられそう。
例えば、備えられた心臓を太陽が食べることで復活のエネルギーを得るのだ、なんてのはどうでしょう。

現象と現象の間って、取り方で無数にありますよね。
それらを皆証明しないと「確かめられている」ってことにならないのですか?
皆する必要はないとしたら、どこまで証明したらいいんでしょう?


やもさんへ 投稿者:太郎丸  投稿日: 1月30日(火)00時25分47秒

>やっぱりきなくさいですよ。父親が死んだ息子にとって、父親への思慕は刷り込まれた観念ですか?

状況次第で変わる。父親の記憶が殆どないか、少ないとき、まわりの人、例えば母親や、父親の形見などによる情報によって刷り込まれた観念になるであろう。もちろん、これが悪いことだとは思っていない。相変わらず、何がきな臭いのか理解しがたい。
何故信仰が必要なのか、はっきり示すことをしないのは特別な理由があるのですか。


関係無いけど、似ているな(収斂?相同?) 投稿者:T8848  投稿日: 1月29日(月)23時41分33秒

最近の話題と(進化論と創造論とも)関係無いのですが、なんか似ているなぁと思ったものがあったので紹介します。

水商売ウォッチングなるページがあります(私のお気に入りの一つ。作者は御茶ノ水女子大の天羽裕子さん)。
http://atom11.phys.ocha.ac.jp/wwatch/intro.html

ここで取り上げられた浄水機メーカー(日本システム企画株式会社)が、「記事を削除しないと営業妨害として告訴する」というクレームをつけています。
 経過はこちらにあります↓
http://atom11.phys.ocha.ac.jp/wwatch/claim/claim1.html

このやり取りが、まぁなんというか、どこかで見たような言い方だなぁ、と思ったしだいでして。


ちょっと息抜き。
水商売ウォッチングを紹介したついでに、トンデモウォッチャーの方に水関係からお楽しみのネタを。

「トラコテの水」などなどが紹介されています。
http://village.infoweb.or.jp/%7Efwhh0598/html/tlacote.htm
通常の水よりも軽いんだって!
http://village.infoweb.ne.jp/~fwhh0598/html/nordenau.htm

もう一つ。
「LCR(ランドリークリーンリング)」
http://www.sanuk.co.jp/lcr/index.htm
洗濯機に入れる輪っかです。
リングの中に「組織水」なるものが入っていて、「量子物理学的な原理で働く」そうです。
これの類似品も結構あるようで、原理の説明もいろいろ(笑)


行動学は面白いし、好きですけどね 投稿者:やも  投稿日: 1月29日(月)22時19分46秒

太郎丸さん 
>「刷り込まれた観念」と言う言葉が、なぜ「きな臭い言葉」になるのか解りません。少なくても親は実在するもので、観念的なものではありません。よって、刷り込まれた観念ではありません。神を「刷り込まれた観念」と理解しては何故いけないのですか。

 やっぱりきなくさいですよ。父親が死んだ息子にとって、父親への思慕は刷り込まれた観念ですか?


そうばかりとも言えませんね。 投稿者:通りすがり  投稿日: 1月29日(月)21時41分25秒

>みなさん 科学と贋科学−創造科学との違いはこのマンガによく示されていると思います。

科学者がみな正直者ばかりだったらね。


心臓の話し>JA50さん 投稿者:wadja  投稿日: 1月29日(月)21時25分27秒

>ただ、どちらも実際に棄却はされない。

まあ、証拠次第でしょうね。証拠が見つかったら真剣に悩みましょう(笑)

>それは今まで無数に確かめられているってことになりませんか?

現象と現象の因果関係が証明されていないので、「確かめられている」ってことにすらならないような気がするのですが。私の読み方が悪いのかな?

>しかし、ここではポパーは古くさいとなっています。

ポパーが古臭いかどうか、実際のところwadjaは知りませんが、確か「厳密なポパー流の反証主義は古臭い」とのご意見はあったような...。


ポパーは古くさいのかぁ 投稿者:くわいん  投稿日: 1月29日(月)20時48分06秒

 ということはいまどきの科学者でポパーを読んでいる人は少ないんだろうなぁ。
 彼の反証可能性の奥深さは今の時代にも十分通用すると思うけど。
 ダーウィンが古くさいという人は(少なくともこのHPには)いないだろうに・・・


しかしポパーは古くさい>分類学者さん 投稿者:JA50  投稿日: 1月29日(月)18時54分16秒

しかし、ここではポパーは古くさいとなっています。


お願いします 投稿者:分類学者  投稿日: 1月29日(月)16時57分40秒

nasuさん
    日ユ同祖論とか、死後の世界についての考察とか、
    私としてはいろいろと問題があると思うんですけどね。
    その辺のところを伊藤さんがどのようにお考えなのか、知る必要はあるかもしれません。

    今度、管理人さんに機会があったら尋ねてみますね。
    御指摘ありがとうございました。

お願いしますね。じやないとシャドウボクサーになっちゃう。


だからポパーが出てくる 投稿者:分類学者  投稿日: 1月29日(月)16時52分02秒

JA50さん

だから、証明はできない。あるのは、反証可能性というポパーの科学哲学が出てくるわけです。


棄却される可能性>wadjaさん 投稿者:JA50  投稿日: 1月29日(月)09時34分09秒

進化論は棄却される可能性が少しはあるが、創造論は棄却される可能性が全くない。
ここが決定的に違うと、、、

ただ、どちらも実際に棄却はされない。

追試ということですが、これに関して面白い話があります。
インカだかマヤだったか、あるいは全くのフィクションか分かりませんが(あんまし信用しないでね)、太陽を復活させるために人間の心臓を納めないといけないという信仰があった。納めないと、太陽が西に沈んだままになって、翌日、東から太陽が昇ってこない。
で、いつも生きた人間から心臓を取り出し、それを沈みゆく太陽に納めていた。
そして実際に、必ず翌日には東から太陽が昇ってきた。毎日、毎日、必ず。

これって、生きた人間の心臓を納めることで実際に太陽が復活している、それは今まで無数に確かめられているってことになりませんか?

もし、納めなくとも太陽は復活するんだという逆の仮説を言い出す人がいたら、その人にはどう説明することになるんでしょう。たくさんの追試で確かめられているということでいいんでしょうか?
別の民族は、そんな儀式はしていないが、太陽は復活している、と言われるかもしれませんが、彼らはこう言うんじゃないかな。
太陽が復活しているのは、我々が儀式をしているからであって、他の民族が太陽の恩恵を受けられるのも我々のおかげなんだ。


追記 投稿者:分類学者  投稿日: 1月29日(月)09時00分43秒

櫻井さん

そりゃそうでしょうね。聖書の絶対的権威を認めなければ、イエスの存在自体が疑われるのは当然です。
    (いまいち質問の意味がわかりませんが…?)

存在が確かでないものを信じるということになったらそれこそ変なことになりはしないかと...。


はせがわさ〜ん、御指名 投稿者:分類学者  投稿日: 1月29日(月)08時57分47秒

分類学者wrote

    >その復活の記述が違うところを逐語霊感的解釈ではどう説明しているのか興味があります。
    >まさか、見てみぬふりということはないでしょうから。

櫻井さんwrote

    いえいえ、見てみぬふりですよ。というか「解釈」しちゃうのです。読解しちゃうのね。
    結局、逐語霊感説をとりながら、逐語霊感で信じてない、という自己矛盾を起こしているの。
    これが長谷川さんたちのようなクリスチャンの実態ね。

さあ、長谷川さん、この挑戦をどう受け止めるか?


このマンガを見よ 投稿者:分類学者  投稿日: 1月29日(月)08時55分23秒

みなさん 科学と贋科学−創造科学との違いはこのマンガによく示されていると思います。

http://members.home.net/fsteiger/creation.htm


やもさんへ 投稿者:太郎丸  投稿日: 1月29日(月)02時11分00秒

>刷り込まれた観念という、きな臭い言葉になると途端に疑問符がつきませんか? 親がいる子供にとって親がいるとは刷り込まれた観念といってしまうことと同じで、それは、違う気がします。
 
「刷り込まれた観念」と言う言葉が、なぜ「きな臭い言葉」になるのか解りません。少なくても親は実在するもので、観念的なものではありません。よって、刷り込まれた観念ではありません。神を「刷り込まれた観念」と理解しては何故いけないのですか。


棄却の候補>JA50さん 投稿者:wadja  投稿日: 1月28日(日)21時42分21秒

決定的な違いは、科学における「最後の棄却の候補」の進化論に行きつく可能性が残されているのに対し、創造科学における聖書や神様は候補にすら上がらないことではないですか?まあ、35億年前の人骨は、たんなる思い付きですからどうでもいいのですが、無限に候補を持ち出せるとは思いません。さらに、一つの発見ならば信憑性の薄い証拠でも、同様の証拠が複数の科学者によって発見されれば裏付けが取れますよね。

生物学での具体的なイメージは良く分かりませんが、第三者による追試は科学の世界では日常的に行われていると思うのですが、いかがでしょう。


逐語霊感的創造論者の論理破たん 投稿者:櫻井美佐子  投稿日: 1月28日(日)18時05分42秒

分類学者さん
>あ、私が言っているのは、記述内容の逐一の絶対性ではなく、権威と言う意味なんですが...
>(つまり、ディテールは一致しないけれど、絶対なんだ、そうでないといけないんだと)
>でないとイエスの存在自体が疑われることにはなりはしないでしょうか。

そりゃそうでしょうね。聖書の絶対的権威を認めなければ、イエスの存在自体が疑われるのは当然です。
(いまいち質問の意味がわかりませんが…?)

>その復活の記述が違うところを逐語霊感的解釈ではどう説明しているのか興味があります。
>まさか、見てみぬふりということはないでしょうから。

いえいえ、見てみぬふりですよ。というか「解釈」しちゃうのです。読解しちゃうのね。
結局、逐語霊感説をとりながら、逐語霊感で信じてない、という自己矛盾を起こしているの。
これが長谷川さんたちのようなクリスチャンの実態ね。

ちょっと逐語霊感について解説すれば、これは17世紀にくられたの。
これによれば、神は聖書の各節を1つ1つ語られ、
聖書記者たちは、神が述べるところをただ記録しただけだというもの。
この教義によって、聖書の全ての節が、神の直接の啓示(逐語霊感)となり、
永続的な権威を賦与されるようになったのね。聖書の絶対的権威をこのように設定したわけ。

これが逐語霊感説がいう、聖書の絶対的権威の根拠なのだから、
先のイエスの復活の場面の「記述の相違」を認めながら、矛盾のない説明すべきなのが、
逐語霊感の立場のはずなのです。

実際、創造科学では創世記の記述通りに説明しようとしてるでしょう?
だから創造科学を科学だと言う人々は、先のイエスの復活の場面の記述の相違を、
何の解釈も読解もせず(聖句に何も付け加えることなく)、矛盾なく説明できない限り、
「創造科学は科学だ」と断言できないのです。簡単な論理なのですが、彼らは気付いていません。


棄却の候補って考え方 投稿者:JA50  投稿日: 1月28日(日)17時47分52秒

これもアドホックな修正というやつに近いのじゃないかなぁ、、、

考えとしては分かるんだけど。
理論じゃなく実験が間違ったんだ、というのはよくあることだし。

聖書とか神様というのを一番最後の「棄却の候補」にして、それ以前の各種棄却の候補にイチャモンをつけてをそれを守る。これはまさに創造(科学)論者が今やっていることじゃ?
そういうのと「よく確かめられた科学理論」をテストにおける棄却の候補の最後のものとするというのとどこが違うのだろう。棄却の候補にしようと思えばいくらでも、そしてどんなものでもできるから、いつまでたっても最終の棄却の候補にたどり着けない。棄却の最後の候補にするとは、候補にしないというのと同じことになってしまう。

35億年前の地層から人骨化石が出てきたら、まず捏造ということからはじめ、年代測定の信頼性というように次々に棄却の候補を持ち出せる。これではいつまでたっても、「進化論」自体が棄却の候補にはならないことになる。

創造科学とどこが違う?


そういう意味でしたら>安賀須若人さん 投稿者:wadja  投稿日: 1月28日(日)15時48分17秒

突然レス頂いたので驚いてしまいました。安賀須さんのコメントと分かっていたら、wadjaごときは、無謀にも「間違いです」とは書かなかったでしょうに(笑)
失礼いたしました。

>そして、よく確かめられた科学理論はテストに際して棄却の候補とは成りにくいのです。
>今日では進化があったとする部分に関しては、棄却の候補となりにくくなっているので、
>研究上は再吟味の対象になっていないと申し上げたのです。

それは理解できます。生物学者が、自ら証明できないと思うことを、研究課題に選ぶことはあまり考えられませんから。でも、有力な進化論否定の証拠が見つかったら、そうも言っていられないのではないでしょうか?例えば35億年前の地層から、人骨の化石が出土したら...。まず疑われるのは年代測定でしょうが、優先順位が低くとも今の進化論が棄却されるきっかけとなる可能性は常にあると思っています。wadjaのいった「間違いです」はそういう意味です。


ほんとだ(^^;;; 投稿者:nasu  投稿日: 1月27日(土)16時36分55秒

>分類学者様

そのようですね。。。

日ユ同祖論とか、死後の世界についての考察とか、
私としてはいろいろと問題があると思うんですけどね。
その辺のところを伊藤さんがどのようにお考えなのか、知る必要はあるかもしれません。

今度、管理人さんに機会があったら尋ねてみますね。
御指摘ありがとうございました。


どう説明されているんでしょう 投稿者:分類学者  投稿日: 1月27日(土)15時18分07秒

櫻井さん

その復活の記述が違うところを逐語霊感的解釈ではどう説明しているのか興味があります。まさか、見てみぬふりということはないでしょうから。


ということは 投稿者:分類学者  投稿日: 1月27日(土)14時32分52秒

nasuさん

久保某氏についてですが、
    久保氏の本は聖書的にもいろいろと問題があることが多く、
    クリスチャンの間でも最近は相手にされなくなっていると思います。

ということですが、HPに宣伝されているということは、どういうことでしょう。NATROMさんの「創造論/創造科学」の分類に新たなる種が加わった?「創造科学も進化する?」、どうなっているんでしょうか?


2階(2貝)の女が気(木)にかかる 投稿者:分類学者  投稿日: 1月27日(土)14時20分39秒

櫻井さん(男はつらいよで車寅二郎が妹の名前の書き方を説明する時にこう言ってました)

あ、私が言っているのは、記述内容の逐一の絶対性ではなく、権威と言う意味なんですが...(つまり、ディテールは一致しないけれど、絶対なんだ、そうでないといけないんだと)
でないとイエスの存在自体が疑われることにはなりはしないでしょうか。

(はせがわさ〜ん、どこへ消えてしまったの?)


分類学者さん 投稿者:櫻井美佐子  投稿日: 1月27日(土)11時33分25秒

あたしの姓の「桜井」は、戸籍上は「櫻井」なので、今後こっちを使います。

>「創造」についてはそうかもしれませんが、
>聖書の記述以外に頼るところがないことについては、聖書が絶対でないとまずいんでは。

まず、あたしの発言は「創造」について語ったものだということを明記しておきますね。

でと、創造以外のことに関して、「聖書の記述以外に頼るところがないこと」というものについては、
それを絶対視するべきではないか、というご指摘ですね?
こういう指摘も、結局、長谷川さんなどの「逐語霊感的創造論者」と、
あたしのような創造論者と同じような分類が成立しますね。

つまり聖書を「神の啓示の書」という立場を遵守する人々のなかでも、
聖書の記述通りに信じる者と、そうでない者に分かれるでしょう。
あたしはクリスチャンではありませんが、クリスチャンでもこの2派に分かれるはすです。
(長谷川さんなどの派から見ると、もう一方の派はクリスチャンとは言えないと断言してますがね)

あたしは「聖書の記述以外に頼るところがないことについては、聖書が絶対でないとまずい」とは考えません。
つまり「聖書の記述は絶対である」と認めることは、「明らかにおかしい」からです。
このことを論証するのは極めて簡単です。
聖書の矛盾点を1つでも示せば、「聖書の記述は絶対である」という命題は不成立となるからです。

あたしは職業柄、聖書の矛盾点を108個見つけてますわ。一応、1つだけ説明しましょうか。
聖書の記述以外に頼るところがないものとして代表的なもの。イエスの復活の場面ね。
これは4つの福音書すべて異なってる。

マタイ28では、マグダラのマリアと他のマリアの「2人」が墓に行くと大きな地震が起き、
「1人」の天使が墓の石を転がしてその上に座る。
彼女らは天使に「弟子達に伝えよ」と言われたので、弟子達にこのことを「伝えに行き」、
彼ら(具体的に誰達かは不明、どこでかも不明)がイエスと出会う、となっている。

マルコ16では、マグダラのマリアとヤコブの母マリアとサロメの「3人」が墓に行くと、
既に石は転がされており、中に入ると「1人の若者」が座っていた。
若者は「弟子達に伝えよ」と言うが、「彼女達は恐ろしくなって、人には何も伝えなかった」。
しかし後にマグダラのマリアがイエスの死を悲しんでいる人にのみ伝える。
その後イエスは11弟子の食卓に現われた、となっている。

ルカ24では、マルコ16とほぼ同じであるが、墓の中で「2人の者」に会った、となっており、
彼女達は弟子達に伝えるが、弟子は「信じなかった」。
その後、2人の弟子がエマオという村に行く途中、イエスと出会う。

ヨハネ20では、まずマグダラのマリア「1人」が墓に行くと既に石が取りのけてあり、
それを見た彼女は中に入らずすぐにペテロともう1人の弟子に伝えに行く。
すると2人はすぐ墓に駆け付け、2人が中に入るとイエスを包んでいた亜麻布が置かれているのを見る。
2人が自分の家に帰った後、初め墓の外で泣いていたマリアが墓の中をのぞくと、
そこに2人の天使がおり、彼女に話し掛ける。
そして彼女が後ろを振り返るとイエスが立っていた、となってます。

つまり、話がディティールにおいては、全部違うのよね。これを逐語霊感で信じられませんね。
つまり「イエスの遺体は墓から無くなり、イエスは人々の前に姿を現わした」と、アバウトに信じるしかない。
聖書が「神の啓示の書」と信ずるには、こう信じるしかないでしょう。
よって聖書の記述そのものは、「絶対ではあり得ない」のですね。「解釈する」しかないのです。


桜井さん 投稿者:分類学者  投稿日: 1月27日(土)09時46分51秒

その書物を絶対視する心理はわかりますが、もし「神による宇宙創造」を信ずるものなら、本来絶対視すべきは、聖書ではなく、神の方です。

「創造」についてはそうかもしれませんが、聖書の記述以外に頼るところがないことについては、聖書が絶対でないとまずいんでは。


ご意見、ご要望がございましたら、掲示板か、e-mail:natrom@yahoo.co.jpへどうぞ。


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