進化論と創造論についての掲示板ログ43

2001年1月18日〜2001年1月27日
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桜井さん 投稿者: 分類学者  投稿日: 1月27日(土)09時46分51秒

その書物を絶対視する心理はわかりますが、もし「神による宇宙創造」を信ず るものなら、本来絶対視すべきは、聖書ではなく、神の方です。

「創造」についてはそうかもしれませんが、聖書の記述以外に頼るところがないことについては、 聖書が絶対でないとまずいんでは。


創造学校での長谷川氏の発言より 投稿者:かおり  投稿日: 1月27日(土)02時14分35秒

 >山野さんがちょっとばかり示唆しておられた昨年の混乱というのは、
>そういうルールをわきまえない蛮人のまとまった形の来襲があった
>ということなんです

 いくらなんでも、「蛮人」とは...

 こういう方が「クリスチャン」を自称していることを恥ずかしく思います。


「日本基督教団」の略称は.... 投稿者:かおり  投稿日: 1月27日(土)00時22分13秒

 長谷川さんは「日本基督教団」を「日基」と略されていますが、通常「日基」 は
「日本基督教会」の略称として使用されるものですので、お間違えのないように
お願いします。

 なお、戦前、日本基督教団に合同する以前の「日本基督教会」を「旧日基」、
戦後、日本基督教団から離脱し、再建された「日本基督教会」を「新日基」と
して区別します。

 いずれにしても、「日本基督教団」を略称されるときには、「教団」または
「日キ」とされると混同されることなく理解されると思いますので、ご配慮
下さい。


「創世記効果」と呼ばれれば良い方ね 投稿者: 桜井美佐子  投稿日: 1月26日(金)22時52分40秒

安賀須若人さん。
>聖書の改訂をできるだけ避けるが必要ならば改訂をも受認するような
>「聖書を前提とした経験的探求」なら、他の自然科学と極めて類似した活動といえますが、
>長谷川寿紀さんがこのような「創造科学」を是認されるのではないことは承知しています。
>ですから、私はこの点で長谷川寿紀さんの「創造科学」は科学と見なしがたいと思います。
>私は「創造科学」は科学の一分野ではなく、既存の科学とはもはや交わることのない別物と思い ますが、
>神学としてなら否定はいたしません。

なかなか鋭いわね。気に入ったわ。今度デートしない。(冗談よ。あたしは旦那第一主義だからね。)

あたしは物理学者(専門は放射線物理)だけど、宗教学者(専門は宗教心理学)だから、
長谷川寿紀さんのような発想はよく分かるのよね。しかしそれでも創造科学と称するものには賛成 しかねる。
その大きな理由ですが、創造科学というものは、聖書を絶対視しすぎているという点です。
聖書は神について書かれている書物です。その書物を絶対視する心理はわかりますが、
もし「神による宇宙創造」を信ずるものなら、本来絶対視すべきは、聖書ではなく、神の方です。

こういうと「その神による宇宙創造を教えてくれたのが聖書ではないか」と反論されそうですが、
「だから聖書は絶対である」と言う論理は成立しません。
そもそも神と言う形而上的な存在を認めること自体は、科学でもなんでもなく、単なる信仰です。
ですから創造論者のとりうる「精一杯の科学的態度」とは、
現象世界からの帰納によって創造(であると信ずる現象)の歴史的過程を調べて行くことです。
その結果を通じ、進化であったか、創造であったかが判定されるわけです。

聖書の記述を文字どおり信じ(例えば上の水だと)、そこから演繹したところで、
仮にモデルができても、実験などによる実証がなされない限りは、科学たりえません。
仮に実証がなされても、それは科学的には単なるまぐれ当たりであって、
もちろん神の創造の実証になりえません。
「へえ、聖書って結構やるじゃん」くらいにしか評価されないでしょう。
例えば、海の底で短期間生活して地上に戻った浦島太郎がおじいさんになっちゃったという民話は、
一般相対性理論で導かれる重力による時間の遅れと意味論的にマッチしてるから、
重力による時間の遅れを科学者も「浦島効果」って呼んでる。
だけど「だから浦島太郎の民話は科学だ」とは言われない。それと同じ。
仮に創世記の全ての記述が、科学的な実証にたえうることが示されても、
浦島太郎同様、「創世記効果」と呼ばれるに過ぎないってことよ。

長くなっちゃったからこのへんで。
でもあたしは創造論者なのよ。つまり聖書そのものの記述=創造とは考えていない創造論者。


やもさん こんばんは 投稿者:分類学者  投稿日: 1月26日(金)22時23分04秒

進化論は哲学として語っていただいて結構。しかし、生物の進化は科学で語り ましょう、ということです。


待って下さいね>やもさん 投稿者:安賀須若人  投稿日: 1月26日(金)21時40分47秒

やもさん、こんにちは

パラダイムの違いの話は、すこし待っていて下さい。分かりやすい説明をするには多少準備期間を いただきたくお願い申しあげます。


是非ゆっくりお話ししましょう>長谷川寿紀さん  投稿者:安賀須若人  投稿日: 1月26日(金)21時37分43秒

長谷川寿紀さん、こんにちは

創造科学も進化論と同じで科学の一分野との御主張は、つぎのような点で問題があると考えます。
1)理想と現実のギャップ
長谷川寿紀さんの仰る創造科学は、「聖書を前提とした自然現象に関する経験的探求」すなわち聖 書と経験の双方から学ぶが聖書が優先、もしくは「聖書と矛盾しないような自然法則の探求」では ないかと思います。「上の水」問題でご自身がモデル構築を試みられた上で、うまくいかないと仰っ ている点からこのように受け止めています。私はこのような探求のあり方そのものを否定する者で はありませんが、現実の「創造科学」の実態は、あまりにもわびしい物ではありませんでしょうか? ノアの箱船と生物学的多様性の間の調停がうまく行っていないことは、多くの進化論者の指摘する ところです。地層の問題しかり、「上の水」の問題しかり。長谷川寿紀さんの構想されるような壮 大な「創造科学」は、この地上にはまだ存在していないのではありませんか?理想としての「創造 科学」と、久保有政氏の「創造科学」は似て非なるものではありませんか?ところが、現実は事情 に詳しくない人々が「創造科学」という言葉で思い浮かべるのは後者の方でしょう。少なくとも長 谷川寿紀さんの主張される「創造科学」は世間で言う「創造科学」とは違う物だと明言された方が 良いと思います。
2)聖書と「創造科学」
もし仮に「創造科学」を「聖書を前提とした経験的探求」としても、問題が残ります。経験的探求 のコアに反証の対象となりにくいような前提を持つ点では多くの自然科学もそうですが、そうは 言ってもコアに関する改訂可能性に関しては閉ざされていません(下のwadjaさん宛の書き込みもご 参照いただければ幸いです)。ところが「創造科学」における聖書は、改訂されざる聖なる中心で あるわけですから、他の自然科学とは性格を異にします。聖書の改訂をできるだけ避けるが必要な らば改訂をも受認するような「聖書を前提とした経験的探求」なら、他の自然科学と極めて類似し た活動といえますが、長谷川寿紀さんがこのような「創造科学」を是認されるのではないことは承 知しています。ですから、私はこの点で長谷川寿紀さんの「創造科学」は科学と見なしがたいと思 います。

私は「創造科学」は科学の一分野ではなく、既存の科学とはもはや交わることのない別物と思いま すが、神学としてなら否定はいたしません。


前提の吟味>wadjaさん 投稿者:安賀須若人  投稿日: 1月26日(金)20時37分26秒

wadjaさんこんにちは

やもさんが書かれた

>>それに実際の「進化論」とか「進化生物学」とかの学問活動自体は
>>「進化」前提にした議論でなりたっています。
>>(今日では前提を再吟味しているわけではない)

という引用は、元々は私が創造学校掲示板の方で書いた物なのでコメントします。
科学理論が証拠によって吟味されるのは事実ですが、証拠あるいは我々の経験によってテストされ るのは、当該の科学理論のみならず数学や測定法・分析法に関する物理学や化学の理論、実験条件 に関する前提(測定器が正常動作する、実験者は間違った操作をしていない、といった半ば自明な ものも含みます)など様々な前提の組み合わせです。つまり、テストされているのは個別的、局所 的な科学理論ではなく、そのテストの前提全体ひいてはそのテストが行われるにあたって受け入れ られている複数の科学理論全体がテストされているのです(科学哲学では「デュエム=クワインの テーゼ」と呼んでいます)。ある理論に関する経験的なテストが否定的な結果がでたとき諸前提の うちどれを棄却するかは原理的には自由です。テストされている理論を棄却するのが普通ですが、 測定器が正常であるという仮定を棄却するときもあります(変な結果がでたら配線をチェックした り、修理に出したりするわけです)。もちろん前提となるもののうちで数学や論理学は棄却される 対象にはなりにくいですが、絶対に対象にならないのでないのはなくて量子論理(桜井美佐子さん ならよく御存知かと思います)という特殊な(非古典的な)論理が提案されたこともあるのです。 全てが改訂の対象となりえるのですが、数学や論理はテストの対象とは考えないことが多いことか ら分かるように、前提の中で棄却の候補としての優先順位があります。そして、よく確かめられた 科学理論はテストに際して棄却の候補とは成りにくいのです。今日では進化があったとする部分に 関しては、棄却の候補となりにくくなっているので、研究上は再吟味の対象になっていないと申し 上げたのです。


ニュートン!>はっとべっとさん 投稿者:安賀須若人  投稿日: 1月26日(金)19時57分51秒

はっとべっとさんこんにちは

ニュートンが現代はおろか近代的な意味での科学者であったのかどうかについては、科学史家の間 で彼が錬金術をその伝統的な形態で研究したこと(この方面の研究では定評のあるB.J.T.ドブズの 「ニュートンの錬金術」は邦訳があります)などから否定的な見解が主流のようです。また、彼が 「私は仮説を作らない」という言葉を残していることから分かるように、仮説演繹法を方法論的中 核とする近代科学とは必ずしも同一の方法論に従っているとは言えません。科学の方法論が歴史的 に不変の物でないのは、確率論的・統計的法則及び方法論が一般的になったのは19世紀末くらい から(うろ覚えで間違っていたらご免なさい)ですから、科学と呼ばれる物は厳密な同一性をもっ たものではなく、生物学における「種」のように緩やかな変遷を伴う連続的な存在と考えた方が良 いと思います(流行の「ミーム学」ですね)。はっとべっとさんは多分意見を異にするかと思いま すので、もしよろしければこの問題に関してはツリー掲示板でやりませんか?


久保某氏 投稿者:nasu  投稿日: 1月26日(金)19時44分20秒

はじめまして。創造学校常連の者です。

久保某氏についてですが、
久保氏の本は聖書的にもいろいろと問題があることが多く、
クリスチャンの間でも最近は相手にされなくなっていると思います。

簡単ですがコメントさせていただきました。
では失礼致します。


やもさんへ 投稿者:ゆん  投稿日: 1月26日(金)18時08分58秒

『創造論』と『創造科学』は分けて論じないと話がややこしくなります。
御注意あれ。


創造学校もロムしてください 投稿者:やも  投稿日: 1月26日(金)16時59分05秒

 分類科学者さんへ

>「進化論」というひとくくりが問題。科学では、「創造論」も「進化"論"」も教えちゃいけない のであって、教えるのは、「進化」。

 うーむ、なんだか微妙なはなしですね。 進化を哲学にしてはいけないって事ですか?たとえば、 ヒトラーみたいになるとこまるので。

 WADJAさん

 ありがとうございます。なるほど参考になりました。

 natoromさんと安賀須さん

>通常の近代科学の意味を捩じ曲げてまで創造科学は科学であるとしてしまうと、大地平坦科学も やはり同様に科学であると言える

 でも、そうしたらパラダイムの違い

 >それは観察出来る範囲の現象を人間がどう解釈するかのパラダイムの違いであって
創造論を否定する問題にはなりません。(長谷川さん)

という話で血をみそうです。


知らぬはXXXばかりなり 投稿者:分類学者  投稿日: 1月26日(金)16時34分21秒

ゆんさん

あ、そういうことですね。失礼。


あ、いえ 投稿者:ゆん  投稿日: 1月26日(金)16時01分15秒

そのへんの事は承知しております。

単に
> 創造科学は、進化論と同じで科学の一分野に過ぎず、

という発言は長谷川さんが創造科学の現状にあまりお詳しくない
とこから出たセリフで長谷川さんのおっしゃりたい事の本質は
「教会に科学を持ち込むべきではない」というところだろうと
いう推測をしたので、ちょっと柔らかめに補足しておこうと
思っただけです。


それどころかウソもある 投稿者:分類学者  投稿日: 1月26日(金)15時20分38秒

ゆんさん

創造科学のHPへいって久保某氏の本の紹介を見て下さい。「転向する科学者が続出!」だって。 どこのだれが転向したのかリストアップしてください。


それ以前 投稿者: 分類学者  投稿日: 1月26日(金)14時53分45秒

ゆんさん

問題はそれ以前。まず、日本で「創造科学」に関わっている方々は、自分では生物(や地学)の研 究に関わっていないシロウト。ただひたすら、主にアメリカの「創造科学者」(この方々も科学者 としての知識と技術を持ち合わせていない人が多いようで...)のお調べになった
結果の受け売りと、いろいろと書物(しかも学術論文の類いには手が出なくて、いわゆるポピュラー サイエンス的なもの)を読みあさって、「創造科学」に都合のいいもの、「進化」に都合の悪いも のを捜しまわっているだけです。
純粋な方々ですね。  文句があるなら、研究成果を公表して下さい。それが「科学」のルールで す。


要約すると 投稿者:ゆん  投稿日: 1月26日(金)14時33分15秒

現在の自然科学の本流(この言い回しも誤解招くから問題あるなぁ)に
いる人間からは創造科学は科学としては認められていないというあたりが
皆さんの言われてる事ですね。

注意が必要なのは創造科学の主張する『内容』がで科学として認められて
いないのではなく、創造科学の使っている『手法』が科学として認められて
いないってとこかと。


そうじゃないってば 投稿者:分類学者  投稿日: 1月26日(金)13時01分12秒

長谷川さん

「創造科学」が教会の教壇から教えられないと言うのは怪しいですね。少なくともそれに類するメッ セージをする方々はいますよ。

それと、「創造科学」は科学じゃない、っていうのがNATROMさんのこのHPでの主張ですよね。そ れに私が(というより生物学者の多くの方々−特に若手−も考えていると思いますが、「進化論」 も科学じゃあない。だから、今西とかは科学で語れない。「進化」は科学で語る。NATROMさんの書 いていることもっとよく読んでほしいね。


でもパラダイムが違う 投稿者:wadja  投稿日: 1月26日(金)11時33分57秒

↓でも、パラダイムが違うんではなかったでしたっけ?そういう点では、

>進化論と同じで科学の一分野に過ぎず、

は、誤解を招く。


↓心配ご無用 投稿者:長谷川寿紀  投稿日: 1月26日(金)09時49分54秒

創造科学は、進化論と同じで科学の一分野に過ぎず、教会の説教壇から教えら れる必要がありません。
誰も教会で科学の講義をする者はいないのです。では、御免。


ついでに 投稿者: 分類学者  投稿日: 1月26日(金)09時35分23秒

ついでに言うなら教会で「創造科学」を教えちゃいけないね。教えるのは「創 造」。なんで、科学にたよろうとするのか?


やもさんへ 投稿者: 分類学者  投稿日: 1月26日(金)09時31分00秒

「進化論」というひとくくりが問題。科学では、「創造論」も「進化"論"」も 教えちゃいけないのであって、教えるのは、「進化」。


ニュートンの「科学」と現代の「科学」の方法は同じ  投稿者:はっとべっと  投稿日: 1月26日(金)09時16分15秒

wadjaさんへ
>ニュートンやケプラーが「神の御業を明らかにせんが為に」科学を探求していたというのは、
>ありそうだなーと思ったもんですから。

 そのとおり、ありです。ニュートンもケプラーもガリレオもメンデルも、神の御業を明らかにす るために、科学を探究したわけです。

 キリスト教の「神様は1人だから、この複雑に見える世界も、きっとただ1つの神の思想に基づ いているに違いない」という考えが、「還元主義的に現象を解釈する」近代科学を発達させたわけ です。現在の自然科学も、自然から規則性や広く適用できる法則性を見いだそうという姿勢は、同 じです。この意味で、近代科学は神学から発生したといってもいいでしょう。

 というわけで、現象の本質を知ろうという作業は、ニュートンの時代も現在の科学も変わるもの ではありません。

 むしろ、神の御業と聖書の記述が間違っているからという理由で、「神の御業の方が間違ってい る」とする現代の創造科学者の方が、昔の神学者と異なっているとおもいます。


マルチレス 投稿者:NATROM  投稿日: 1月26日(金)08時24分18秒

桜井美佐子さん>

ようこそ!ま、こんな感じの場所ですので気が向いたらお越しください。ここは、少なくとも「出 ていけ」と言われることがないのが取り柄です。



前玉 睦子さん>

お久しぶりです。ローマ法皇が進化論を容認した発言が問題になったことから類推するに、進化論 を容認するか否かはキリスト教徒にとって大問題なのですね。非信者の立場から言えば、キリスト 教会が(あるいは個々のクリスチャンが)進化論を容認しようとしまいとどちらでもよいのですが。 問題は科学の領域に科学以外のものを持ち込んでくることです。

>私共の教会は「聖書のみ」によっては肯定も否定もできないことに口出しするような、
>ハシタナイ真似は致しませんことよ。

というクリスチャンばかりであれば問題も少ないのですが。


やもさん>

安賀須若人さんがきっとわかりやすく答えてくれると思いますが、「科学という前提でのみ進化論 は正しい」からと言って、「聖書という前提で創造論は正しい」と同じ位置を占めるとは言えない と思います。極端な相対主義者ならそう言うでしょうが、それこそ皇国史観や、ネイティブアメリ カンの世界観も同じということになってしまいます。「大地は平らであると信じている宗教」の喩 え

http://doko.totto.to/~tosakai/creationQA.html

で示したかったのが、「通常の近代科学の意味を捩じ曲げてまで創造科学は科学であるとしてしま うと、大地平坦科学もやはり同様に科学であると言える」ということです。創造科学と大地平坦科 学の違いがどこにあるか山野氏にヤフーの掲示板で質問しましたが、答えはありませんでした。

別に科学を信じなくてもよいのですから、「科学では神の創造はわからない。私は科学よりも聖書 を信じる」と言えばなにも問題はないのです。にもかかわらず、創造論は科学的にも正しいとした いがゆえなのでしょう、嘘を紛れ込ませて創造科学なるものをつくりあげています。嘘を指摘する と、今度は科学の意味を捩じ曲げてきます。「聖書を前提にすれば創造論は正しい。科学を前提に すると進化論は正しい」でいいじゃありませんか。「科学を前提にしても創造論は正しく、進化論 は間違っている」って言うから問題がこじれるのです。


一応補足 投稿者: 長谷川寿紀  投稿日: 1月26日(金)05時12分58秒

>どこかの掲示板で「日本基督教団」は進化論を容認するキリスト教会である、
>などというデマを吹聴する非キリスト者がいるようですが、大変困りものです。

日基の信徒の名誉のために補足すると、日基というのは戦前の軍国政府が制定した
宗教団体法に従って、全然異なるプロテスタント教会を束ねてしまったものであり
玉石混淆の教会です。ですから、中には神の創造を信じる忠実なものもあれば、い
い加減にしているものから、積極的に進化論をとりいれようとするものから、いろ
いろいます。保守的な人もあれば、政治運動に加担しているような人もいるのです、
土井たか子とかもそのようです。ですから進化論を容認しているというよりは、初
めから思想的にも世界観においてもバラバラな教会で統一がないというのが実態で
す。事実日基にも創造論を信じている聖書に忠実な正しい信徒も少なくありません。
一応参考迄に。>非キリスト者のみなさまへ


Nam Soo Il 投稿者:RE熱死  投稿日: 1月26日(金)04時42分22秒

>宇宙が縮小に転じた段階で現在の物理学が通用するか否かの検証がなされて いないので、なんとも言えないのが現状ではないでしょうか?確か、ニュートリノに質量があるか 否かで膨張のまま終わるか、収縮に転じるかが決定するような話を聞いたことがあります(記憶モー ドのため、詳細はごめんなさい)。

izurenisiro, Big Bang riron ga tadasikereba, utyû no owari wa otozureru wakedesune.


潔く投了 投稿者: 寂しい地質学者  投稿日: 1月26日(金)00時01分09秒

 創造論(というか、他者の介入による生体の創造といった方が良いのかな?) を正当とするだけのモデルは何を動やっても組めませんでした。
 アクセスできる大型計算機により、いくつかのパラメータを突っ込んでお遊びの計算をさせてみ たんですけど、創造論者がのたまっているような地球のモデルを矛盾無く構築することは不可能で した。
 計算条件としては、
一応、前提条件として
1.地球は現在の形が突然にでき上がった。
2.地球の物理的性質(粘性やヤング率など)は現在入手可能な研究結果から引っ張ってくる。
3.その場合の過去6,000年間の地球の変形などを大型計算機に計算していただく。
4.現在の地球の形状に合うようにいくつかの値を矛盾の出ない範囲でいじくる。
ここまでが初期モデル。
5.創造論関係のHPから、いくつかのモデルを抽出し、先に作り上げた初期モデルに付加する形で 再度モデル化を行う。
6.これでは完全にモデルが破綻するので、なんとか合うように先の初期モデルの各物理定数をい じくってみる。

地球の形状や変形の問題については、どうやっても創造論に合致するモデルはできませんでした。 どうしてもすり合わせを使用とすると、地球が地球の形を保てない状況が発生します(今ごろ私た ちはマグマの海に浮かぶ哀れな珪素を主体とした浮遊生物となっているなんてのはまだよい方で、 地球が爆発して無くなるなんてのもありました)。

以前、モデル化に関する書き込みをしただけに、予備計算だけでもと思ってやってみましたが……。

追伸:クレイリサーチのドラム缶をこんなことに使ったことがばれたら……。一抹の不安を感じる 今日このごろ。


進化論の再吟味 投稿者:wadja  投稿日: 1月25日(木)22時53分21秒

toやもさん

>>それに実際の「進化論」とか「進化生物学」とかの学問活動自体は
>>「進化」前提にした議論でなりたっています。
>>(今日では前提を再吟味しているわけではない)

これは良くある論法。でもまちがい。常に進化の前提は吟味されています。だからこそ、進化の仕 組みについて多くの議論が生まれ、諸説が唱えられる。そのような考察を経てもなお、進化があっ たことを打ち消すような証拠を、ダーウィン以来150年間たっても見つけられないでいる。そう考え た方が妥当だとは思いませんか?進化があったという前提を覆す証拠をみつければ、ノーベル賞も んですよ。

「進化論は絶対正しい真実だ」は科学としても言いすぎ。全て仕組みが分かっているわけではない が、「地球が球形であるのと同じ位確からしい仮説(エルドリッジ)」が妥当な線でしょう。


ニュートン君 投稿者:wadja  投稿日: 1月25日(木)21時13分43秒

えっ?そうなんですか?

>彼女、
「ニュートンなどの昔の科学者と今の科学者はちょっとちがうらしい」
 みたいな事書いてましたが、

科学史には疎いんで、そういう見解もあるのかとおもってました。時代背景を考えれば、ニュート ンやケプラーが「神の御業を明らかにせんが為に」科学を探求していたというのは、ありそうだなー と思ったもんですから。

こりゃやっぱり、プリンキピアの原本に当たったほうがいいのかな?


「ニュートン」と「現在の科学者」がちがうって?  投稿者:はっとべっと  投稿日: 1月25日(木)19時41分54秒

遠藤さんへ
>にわか勉強の典型的な一夜漬けなので、法解釈とかで間違っていないか心配です。畑違いの
>分野は理解するのが大変でした。

 私も同じです(^^)。遠藤さんの法解釈は全く間違ってませんよ。urbannetさんの論理をうまくま とめて下さって、ありがとうございました。

>本当に疲れます(笑)。第一、議論そのものが成立しない。

 たいへんなことになってますね。彼女は相変わらずだし。こまったもんだ。

 困ったついでに。彼女、
「ニュートンなどの昔の科学者と今の科学者はちょっとちがうらしい」

 みたいな事書いてましたが、あー、saniku aikさんのいってることを信じてる・・・

 saniku aikさんに、
「ニュートンも現在の科学者と同じだ、むしろ、『ニュートンが創造論者である』というときの創 造論者と、『現在の創造論者』がちがうのだ」

 と書こうと思っていた矢先だったので、どうしようか迷っています。あー、どうしよう。
 urbannetさんは、NATROMさんの言うことは聞くみたいなんで、ここは一発よろしくお願い したい気持ちでいっぱいなんですが。


安賀須若人  さんへ 投稿者:やも  投稿日: 1月25日(木)17時06分46秒

私たちが日本国の理科から、創造論を排除し、進化論だけを正しいとしてのせ ることができる科学の正義とはなにか?

 いきなり、大げさに書いてしまったけれど、創造学校から飛んできた議論です。


もし、

 >残念ながら、進化は前提なしに考えた結論ではありません。
少なくとも、生物学的事象について目的論等を廃した
いわゆる自然主義的(唯物論的)説明の試みの中から生まれたものですので
確かに「自然主義」的な自然観を前提としています。
また、帰納によって自然法則が見出されるとする近代科学は
この世界に法則的秩序が存在するという前提抜きには考えられません。
それに実際の「進化論」とか「進化生物学」とかの学問活動自体は
「進化」前提にした議論でなりたっています。
(今日では前提を再吟味しているわけではない)

 っていうことがあるとしてもその場合に、

 進化論(唯物論)が正しいと仮定するとその仮定の中でのみ正しい。が科学なら

 聖書が丸っきり正しいと仮定したときに、その仮定のなかでのみ正しい。

 とも同じような位置に過ぎず、

 結局、教科書には創造論もホンノすこしくらい乗せなきゃいけないような自体にならないでしょ うか?それどころか、戦前の皇国史観や、ネイティブアメリカンの世界観も、”科学と同じ立場で、 教科書にのせるべきになってしまう。

 それとも、はたして

 科学は唯物論、絶対絶対唯物論だけしか許さん!それが日本の意志!なら、そういった国民の多 数の総意を元にした、民主主義により創造科学は死んでもおしえない!!!

 ということで科学の正義としていいのだろうか?


 現象を記述するための煩雑な理由付けが創造論に必要があるから、だめ!

 という、シンプル イズ サイエンス という定義でいくなら、

 たしかに、創造論は、ものすごい適当にかつ複雑になっているかもしれないけど、創造論の人は 創造論はそれが、至極シンプル、それこそ事実といっているわけだし・・・。

 やはり、宗教とは違う、科学の良心と、は原理をあらかじめ定めないを前提にする、になるのじゃ ないかなぁ?

 主義主張を選ばない立場から造られたものというのが、科学の良心じゃないのかなぁ?


あれは受け売り 投稿者:分類学者  投稿日: 1月25日(木)16時44分10秒

創造科学ってほとんど受け売りですよ。自分で研究なんかしやしない。で、専 門家をなめてるね。
中には(アメリカの本家本元)学者もいるようですが、生物じゃないね。生物学は細分化していて 他の研究の善し悪しは部外者じゃあわかりません。
あとは、お金で買った学位をお持ちの先生方が多いようで...。以前どこかのHPで見たことが ありましたが、どこだったか。進化の問題点を指摘するのは
結構ですし、しろうと、アマチュアでも結構ですが、もうすこし基礎的なことをお勉強するか、自 分で生き物なり地質なり研究(文献を読むのは研究じゃあありませんよ)
してからものをいってほしいです。学者はわからんことや、あやしいことには慎重な発言をすると 思いますが、それをいいことに勝手な解釈(たとえば、コリン・パターソンの発言;
自慢して悪いがこのおっちゃんといっしょに飯食ったことあるぜ。だけど、進化を否定なんかして いないよ!)しちゃあいけません。


間違った進化論 投稿者:分類学者  投稿日: 1月25日(木)16時30分25秒

はじめまして。この2〜3日ここと創造学校を行ったり来たりして、拝見して おります。結局、正しく進化が教えられていない、と言うことが問題なのであって、学校の教科書 やエセ科学本を参考にして、進化論(論ということさえ生物学者はアホらしいと思っています)を 否定する
ことは科学的な意味がないと思います。正しく進化を教える、ことがまず第一。それにしても、創 造科学って煮ても焼いても食えんね。


レスです。 投稿者: やも  投稿日: 1月25日(木)16時15分55秒

>僕は何かに祈るという事をしません。(ゆんさん)

 なるほど、私にとっての祈るについて意味するところが違うようですね。わたしがここで、命の 根拠となるまで言いきった時の祈るとは、別に木魚の前でなくとも仏壇の前でもメッカに向かって だけについていっているわけではありません。 たとえば、街中にいて、たんを吐くたん虫や、シ ロクジ虫やぶっつけ虫(公共広告機構で出る)にたいして、「もうちょっと見えない他人への思い やりをその人にもってほしいなあ」とか、あるいは自分自身にたいして、「もっと集中力がつくと いいのに」、とかああしてほしい、ああしたい、こうならいいのに、という日々の精紳活動のこと をいいます。
 宗教をやっているひとにとってはそんなもんは祈りに値しないといわれるのならそれまでですが、 自分のああしたいこうしたいを受け入れる可能性のあるものしか、生きているとは思われ得ないと いうことをいっています。この考え方を推し進めると、シロクジ虫やぶっつけ虫にとって私たちは 空気の存在、つまり命を与えられていない状態ということでしょうか。

 ま、そこまでいくと、あったりまえのこといってるんですけどね。

 で、祈りだけを純粋に、システマティックに組織したのが信仰なのではないのかなぁ、とこれも、 本気で信仰を持つ人には違うといわれるのかもしれませんが。

 で、信仰の理由をもう一度わたしなりに回答すれば。

 例えば人類は歌をうたう。うたを歌うので音大もある。もちろん好き勝手に歌う人もいる。

 と同じ構図で、

 人類は祈る、祈るので祈ることを研究したい人もいるし教会みたいなものもある。祈るけど信仰 まで持たないひともいる。

 と祈りと信仰の関係を捉えてみました。

>信仰に神は欠かせないものでしたね。要するに、刷り込まれた観念と言うことでしょうか

 刷り込まれた観念という、きな臭い言葉になると途端に疑問符がつきませんか? 親がいる子供 にとって親がいるとは刷り込まれた観念といってしまうことと同じで、それは、違う気がします。
 神様を信じる人にとって神様は家族以上の存在であって、もし、かりに、それを失うことは家族 の離別以上のでき事でありえる。とまで考えないと無信仰の人にとって神様がいる人の気持ちを推 し量ることは難しい。ということをいってます。


こちらに書きこむのは久しぶりです。 投稿者: 前玉 睦子  投稿日: 1月25日(木)12時41分21秒

以下の中には既にあちらやこちらの掲示板で書いたことが殆どですので、
またかと思われる方にはご容赦願います。

我々キリスト者にとって聖書は全て誤りのない神の言葉です。
これは、聖書を言わば「乗り物」として、そこに載っているのは「全てが神の言葉」
だということです。
しかし「神の言葉の全て」を載せるには、聖書という乗り物はあまりに小さく貧弱なものです。
それでも我々キリスト者はこの聖書の中に、しかもこの「聖書のみ」の中に、
神の言葉を読み取らなければならないのです。

桜井美佐子様、始めまして。
>自分では創造論者だと思ってる。だけど聖書を逐語霊感では信じない。
>聖書は比喩だと解釈してる。もちろん、それでも神の啓示の書だとは思ってる。
>6日創造や人類6000年などは、信じてない。だけど神が創造したとは信じてる。

仰ることにはご理解致します。
私共の教会では、創世記の11章までは12章以降の歴史の発端となる
「神と人との関わり」について書かれたもので、
必ずしも12章以前に起こった出来事を時系列的に記述したものではないと考えています。
しかしこれらはあくまで私共の教会(だけではありませんが)で通用している解釈であり、
この解釈が唯一絶対のものだとは思いません。
もっといろいろな聖書の解釈があり得るでしょう。
但し、自分の解釈を正当化するために、元々聖書に書いてないことを勝手に付け加えたり、
聖書の記述のごく一部だけを殊更に強調したり、
更には聖書に書いてあることをわざわざ否定したりしなければならないようであれば、
それらの解釈は全て間違っているのです。
どんなに「リベラル」な解釈を志向するキリスト者であっても、
復活や再臨や三位一体は否定しないものです。
これらを否定すればキリスト者ではありません。
(「三位一体」という言葉は聖書には出てきませんが、聖書から導き出されたものです。)

尚、誤解のないように言っておきますと、私共の教会は創造科学には否定的ですが、
決して進化論を容認しているわけではありません。
どこかの掲示板で「日本基督教団」は進化論を容認するキリスト教会である、
などというデマを吹聴する非キリスト者がいるようですが、大変困りものです。
実際のところ、私の知る限りでは教会の中で進化論が話題になることはまずありません。
尤も肯定も否定もしないのは容認しているということだ、と仰るのかもしれませんが。
それは屁理屈だと言っておきましょう。
(済みませんね。他の掲示板の話題なんか出しちゃって。)
私共の教会は「聖書のみ」によっては肯定も否定もできないことに口出しするような、
ハシタナイ真似はは致しませんことよ。


ミトコンドリアのDNA 投稿者:PDX.  投稿日: 1月25日(木)11時40分53秒

To totokuさん

 コドンとアミノ酸の対応が一般的な生物と異なるのは、古細菌と呼ばれる
一群のバクテリアだったかと思います。
 これらは原核細胞生物で当然ながら細胞内小器官であるミトコンドリアは
持たず、また、いずれも嫌気性だったはずです。


やもさんへ 投稿者: 太郎丸  投稿日: 1月25日(木)05時34分36秒

思いやりの気持は無信仰の者でも持ちます。「道中ご無事で」は「気をつけて」 と同じ「思い」でしょう。
これが信仰ですか。信仰のあるなしと関係ない気持だと思うのですが。

>もっと、もっと、祈りというものは人々のあいだで強い意味をもっていると思います。お互いが 命を認め合うときの根拠になっていくとおもいます。(わたしのHPではそれがテーマです。)

祈りというものの強い意味を教えて下さい。何故それが、お互いが命を認め合うときの根拠になっ ているのかも。
 
>生まれたときから神が傍らにいたと思うひとと…

信仰に神は欠かせないものでしたね。要するに、刷り込まれた観念と言うことでしょうか。


Re:暇人じゃないんでね! 投稿者:PepperMyst  投稿日: 1月25日(木)00時42分42秒

安賀須若人さん>
> 上記Q&Aには満足できないようなタイプの「創造科学」支持者の挑戦を待ちます。
> できれば現行の生物学の教科書を全面的に改定することができる方が良いですね。

「論理的に破綻のない一貫した説明」って説得力があるとは限りませんからね。
どんな「創造科学」支持者を連れてきても本質的にはJA50氏のと変わらないと思いますよ。
理由なくして信じることを最上の美徳とする人たちですから。
(そのくせ信者でない人間には説明が必要だと思ってるあたりが傲慢)


おもしろいところね 投稿者:桜井美佐子  投稿日: 1月24日(水)23時02分28秒

創造学校掲示板から飛んで来たわ。とりあえず足跡を残しておきます。
全部読んでないけど、おもしろいところね。激しいバトルはあたしむきかもね。よろしく。
創造学校掲示板の人たちは、びっくりするくらい変人が多かったけど、ここはわりと普通ね。ぷ。

今日のところは自己紹介だけ。40代の主婦兼物理学者兼宗教学者よ(ま、信じない人おおいけど ね)
無宗教だけど、最近は仕事で統一教会の研究してるわ。
自分では創造論者だと思ってる。だけど聖書を逐語霊感では信じない。
聖書は比喩だと解釈してる。もちろん、それでも神の啓示の書だとは思ってる。
6日創造や人類6000年などは、信じてない。だけど神が創造したとは信じてる。
進化論も各論ではよいと思ってる。ま、こんなとこ。またね。

あ、も1つ。ビッグバン宇宙論は支持してません。新定常宇宙論派。
(ビッグバン宇宙論に不利な観測結果おおいのよ)


やもさんへの反証 投稿者:ゆん  投稿日: 1月24日(水)21時51分54秒

> 祈りということじたい、人類共通です。
僕は何かに祈るという事をしません。
QED.

僕は無信仰者なので人の信仰の内容に興味はありません。
それでもその人にとってそれがとても大事なものらしい
とわかるので不用意にそれに異を唱える事はしません。
その替わり相手も僕の無信仰を受け入れてくれると嬉しい。

こういう微妙な距離間をとった人間関係が個人的には好き
だったりします。

まあそれはそれとして「信仰」を生み出す人の精神の働きが
どんなものかと考察するのは面白いし好きです。ただしこれも
あまり真面目にやると身も蓋も無い話ばかりになって信仰者の
神経を逆撫でしまくる事になったりし兼ねないのですが。

てなわけで個人的にはこの話題はこのへんで終わり。


初めて来ました&質問 投稿者:totoku  投稿日: 1月24日(水)20時51分44秒

 熱いページですね。ログ読んでて面白いです。
あと,質問なんですが,ミトコンのDNAの核への移行の話がありましたが,
私が疑問に思うのは「核とミトコンってコドンが違ってなかたっけ?」ということです。
そのへんの解釈は最近どうなっているのか知りたいです。
(過去ログのどこに書いてるとかでも)


RE:熱死 投稿者: 寂しい地質学者  投稿日: 1月24日(水)18時36分59秒

 宇宙が縮小に転じた段階で現在の物理学が通用するか否かの検証がなされ ていないので、なんとも言えないのが現状ではないでしょうか?
 確か、ニュートリノに質量があるか否かで膨張のまま終わるか、収縮に転じるかが決定するよう な話を聞いたことがあります(記憶モードのため、詳細はごめんなさい)。

 もしかしたら、死者が蘇るのが普通の世界かもしれませんよ。


レス 投稿者:やも  投稿日: 1月24日(水)18時31分06秒

太郎丸さんへ



 >予測や希望と信仰とは違うような気がするが、

 予測では弱すぎるでしょう。”思い”という言葉でしょうか。

 物事の思いやりのベースであると思います。たとえば、知り人が旅に出るとき、”道中ご無事で” という気持ちは信仰になりますが、一万分の1で交通事故に遭うだろうでは信仰には、なりえない とおもいます。

 >経験的に予測できるという動物の性質が、人には観念的に捉えられる特性があるので、祈り= 希望と言う形で現れるという事かな。

 もっと、もっと、祈りというものは人々のあいだで強い意味をもっていると思います。お互いが 命を認め合うときの根拠になっていくとおもいます。(わたしのHPではそれがテーマです。)

 
>信仰者を理解するのは難しい。

 生まれたときから神が傍らにいたと思うひとと、何十年もそういうもんはないもんとして生きて きたひとの間に横たわるギャップは大きいでしょう。神を、もう一人の家族のようなものとして付 き合っているからでしょう。たとえば、私は祖父祖母が4人ともすでに生まれているときには死ん でしまっていたもので、じいちゃんばあちゃんがいる人の気持ちはよくわかりません。幼児のころ は年寄りが恐ろしくてしかたがなかったことを今も覚えています。


なんじゃ、全面降伏か、、、 投稿者:JA50  投稿日: 1月24日(水)18時29分08秒

こんなんで全面降伏するくらいなら、そんな挑戦止めなはれ。
創造論者にバカにされるだけ。


転載 投稿者:クハ 72  投稿日: 1月24日(水)18時16分32秒

ついに行きつくところまで行ってしまったって感じですね。

奇跡はキリスト教にとって絶対不可欠である
 いわゆるキリスト教において奇跡と呼ばれるものは、他の宗教におけるそれとは根本的に異なっ ている。
 他の宗教において奇跡は、単なるこけ脅かしである。異常な出来事を見せて、無知な民を驚かせ、 信心を深めさせる手段である。
 キリスト教において奇跡とは、「宇宙が閉じられた系ではない」ことの表明なのである。
 ヒューマニズムにおいて、人間を超越した決定者がいるとは考えられない。この世界において人 間だけが王であり、完全な自由を持つ者である。人間は、神からの干渉を受けなくても十分にやっ て行けるとヒューマニストは考えている。
 近代科学とは、この世界観を証明するための手段であるから、その世界観と矛盾する現象はバン バン切り捨てられるのである。どの学界においても、「神の創造や存在」を前提とした意見なぞ発 表したら「非科学」のレッテルを貼られる以外にはない。
 聖書において、自然の法則とは神のしもべである。神が直接にこの世界のあらゆるものを支配し てもよいのだが、神はそうされない。神は物体の運動や化学変化などを自然法則に委ねておられる のである。
 それゆえ、神の御心によって、一時的に自然法則を止めて、自ら手を差し伸べて物体の運動を支 配されることもある。
 イエスの肉体が復活したり、昇天したことは、自然法則を一時的に差しとめて、直接に世界に介 入されたから起きたことなのである。

 しかし、ヒューマニストは、「宇宙の外から介入がある」などという考えは、「宇宙は閉じられ た系である」というドグマと矛盾するので受け入れられない。

 もしキリスト教が奇跡を否定したり、「今日クリスチャンに対して物理的な奇跡は起こらない」 と考えるならば、それは、ヒューマニズムの自律的世界観の影響を受けたからにほかならないので ある。

 神癒は、使徒のしるしとして起こったものであり、今日そのようなことは起こらないとか、預言 は聖書が完結した今日あるはずがない、とか言う教理の背景には、ヒューマニズムの「自律的世界 観」があるのである。

 もし、聖書が言うように「この世界は閉じられた系ではなく、超越者なる神からの絶えざる介入 と支えがあって成り立っている」ということを信じるならば、今日においても奇跡や預言があるこ とを認めなければならない。

 今日においても、自然法則は神のしもべであり、神の権力代行者でしかない。「自然法則を越え たことは今日起こらない」と主張することは、「自然法則は神の創造の始まる前から永遠に存在し ていたもの=非創造物である」と主張していることに等しいのである。

 このような「自然法則の先在性」という考え方は、ギリシヤ哲学の「自然秩序Natural Order」観 と同じであり、それゆえ、キリスト教の神の「無からの創造」と決定的に矛盾する教えなのである。 そのように主張する者は、自らはローマ・カトリックと同類であることを告白していることに等し いのである。

 カルヴァン主義は、アブラハム・カイパーの影響から、今日において奇跡は存在しないと考える 傾向があるが、まったく聖書から逸脱しているといわねばならない。このような異教的な思想の混 入を許したために、近年、クリスチャンの間で、反動として、奇跡や預言への求めが起こってきた のは当然なのである。

 ただし、この奇跡や不思議や預言への求めが、聖書が述べていることから逸脱して、オカルトま がいのものになる傾向があるのは残念である。あくまでも、神の統治の方法は、「委託」による間 接支配である。何もかにも「直接支配」を求めることはできない。例えば医療にかかることは不信 仰であり、クリスチャンは神癒にのみ頼らねばならないと考えることはできない。

 クリスチャンの自然観とは、「神の基本的な世界支配は、自然法則による間接支配である」とい うことである。それゆえ、科学は必要不可欠なのである。奇跡を強調するあまり、科学を軽視する 傾向があるのは残念である。

 クリスチャンは、「奇跡など今日ないのだ」と考える「ヒューマニズムの自律的閉鎖的世界像」 を拒絶しなければならないだけではなく、「神の直接介入だけでよく、自然法則を知る必要はない」 と考える「神秘主義」をも拒絶しなければならないのである。 
tomi <kbzwezlcwe> 2001/01/24 06:34:52 ノートメニュー

http://www.path.ne.jp/~robcorp/cgi-bin/KY-VIEW/article/m/millnmm/43/index. html


暇人じゃないんでね! 投稿者:安賀須若人  投稿日: 1月24日(水)17時43分03秒

やる気のある創造論者求む!と呼びかけたら
早速、挑戦状を叩きつけていただいたのはJA50氏ですか。
なるほど、JA50氏はやる気のある創造論者だったわけですね。
「創造科学は科学だ」という主張を擁護されているわけではないようですが
論証自体は論理的ですね(論理的≠科学的ですから)。
はい、結構ですJA50氏の勝ちですね。

Q:「進化論の方が創造論よりも証拠によって科学的に支持されているのは何故か」
A:「全知全能の神が人知の及ばぬ御業によってそのようになされているからだ」

Q:「キリスト教を冒涜するような進化論が普及しているのは何故か」
A:「全知全能の神が人知の及ばぬ御業によってそのようになされているからだ」

Q:「義人が苦しみを受け、神を恐れぬ者達が安楽を享受しているのは何故か」
A:「全知全能の神が人知の及ばぬ御業によってそのようになされているからだ」

論理的ですね、首尾一貫していますね。

では味噌汁で顔を洗って出直すとして
上記Q&Aには満足できないようなタイプの「創造科学」支持者の挑戦を待ちます。
できれば現行の生物学の教科書を全面的に改定することができる方が良いですね。


そんじゃ、挑戦状 投稿者:JA50  投稿日: 1月24日(水)15時15分09秒

説明するだけでいいのなら簡単です。

1)神様は全知全能である
2)神様がそのようにお造りになった

これで「生物学が積み重ねてきた非常に多くの知見」を全て説明できる。
論理的に、それも絶対に破綻しない一貫した説明を与えられる。

そうそう、なぜとかどうやってというのも説明する必要があるのなら、3)神様の御業は計り知れ ない、というのも加えておきます。


やる気のある創造論者求む! 投稿者:安賀須若人  投稿日: 1月24日(水)13時02分42秒

皆様、こんにちは。

やもさんが創造学校掲示板に書き込まれていた

>今現在宇宙を天動説で説明しようと思ったら考えもつかないような
>複雑でわかりにくい計算式で宇宙を語らなくてはいけなかったでしょう。

というのは、非常にうまい指摘ですね。創造論者が「創造科学」を科学といい張るのなら是非頑張っ て生物学が積み重ねてきた非常に多くの知見に対して論理的に破綻のない一貫した説明を与えるよ うに努力すべきですね。生物学的多様性(例えば一部の種で遺伝コードが違うこと)や以前にNATROM さんが追求された珊瑚礁問題等々に答えるべきですね。それができないなら、授業での対称な取扱 いを要求するなど烏滸がましい。K-1選手に対して幼稚園児が挑戦状を叩きつけているくらい愚かな ことと思い知るべきです。


やもさんへ 投稿者: 太郎丸  投稿日: 1月24日(水)10時04分42秒

>人間は祈らずにいきられない動物だということもできます。

以外とあっさりした理由ですね。
経験的に予測できるという動物の性質が、人には観念的に捉えられる特性があるので、祈り=希望 と言う形で現れるという事かな。
予測や希望と信仰とは違うような気がするが、信仰者を理解するのは難しい。


宇宙熱死 投稿者:Nam Soo Il  投稿日: 1月24日(水)00時16分40秒

Big Bang kasetu ga tadasikereba, itunohika 宇宙熱死 ga otodureru koto wa yuruganai wakedesu ka.

宇宙 ga mugen nara, 熱死 wa nai kotoni narimasu ka.


エントロピー 投稿者:wadja  投稿日: 1月23日(火)23時34分30秒

そういえば、宇宙って膨張を続けているけれども、無限に広がりつづけて希薄 になるか、最後には収縮に転じて消滅してしまうかのどちらかだってのは、結論は出たんでしたっ け?どちらにせよ最後には(無限大の時間の中では)、エントロピーは増大するって考えていいん ですかね?

収縮するなら、逆に減少するような気がしてしまう、熱力学に疎いwadjaです。


「うんざり」に賛成! 投稿者:遠藤  投稿日: 1月23日(火)19時52分04秒

はっとべっとさんへ
>yahooの「進化論をめぐる教育の問題」では、つまらない文章を長々と書いてしまいまして、申し 訳ありませんでした。

naoendouこと遠藤です。hattobettoさんにはお世話になりました。にわか勉強の典型的な一夜漬け なので、法解釈とかで間違っていないか心配です。畑違いの分野は理解するのが大変でした。

T8848さんへ
>なんかyahooの方は投稿数が多くて読むのが大変です。
>言いたいことは、まぁいろいろありますが、某氏と議論する気力はないので、それは他の方々に お任せすることにします(こちらに振られたらしょうがないけど)。

本当に疲れます(笑)。某氏と議論するなんてアホなことは、やめといた方が無難です。第一、議 論そのものが成立しない。

>溜まった未読を読んでると、斎藤氏がまだオオシモフリエダシャクのことを言ってました (msg3093と3094)。
>どうしよう。
>だれか代りに相手してくれませんか?

私見では、もう相手をしなくてかまわないと思います。T8848さんの御心のままに。代わりの相手は、 すみませんが辞退しておきます。


Re:tensai(まさか甜菜ではあるまい) 投稿者: クハ72  投稿日: 1月23日(火)16時03分37秒

> dareka tomi no aite siteyatte kudasai.

totemo tukarerunode sukosi dake.

> 宇宙が孤立した系であると考えるならば、宇宙の中では秩序は無秩序化する以外にはないと結論 しなければならないのに、その逆のことを進化論者は主張しているのである。

「ビッグバン以来宇宙全体のエントロピーは増大してる」ってホーキングの本に書いてあった。
宇宙全体と局地的な系の区別ぐらいつけましょう。


re:tensai 投稿者: 寂しい地質学者  投稿日: 1月23日(火)13時06分48秒

創造論を唱えている人たちが定量的な議論・モデルを構築できないことは、先 日の書き込みでわかりましたけど、定性的なモデルすら構築できないのでは”科学”ではなく完全 なドグマ若しくは妄想ですね〜。
単位体積あたりの十分なエネルギー量があれば、たとえ閉鎖系であっても”水素とヘリウムの混合 ガスが創生され”ますけど……。
ビックバン直後のエネルギー量の算定に関する議論を知らないのかな? 
どう考えても笑いを取るためにやっているとしか思えないのは私だけでしょうか?
ちなみに、表題のtensaiは天才の意? それとも天災の意?


しかし 投稿者:PDX.  投稿日: 1月23日(火)13時04分27秒

 宇宙全体のエントロピーの話と、生物個体や生態系の
エントロピーの話が同列ってのも凄いというか(^_^;

 生物個体や生態系のエントロピーについては、地球と
いう限られた領域が解放系だというだけで説明がつくわ
けですし。(実際、太陽からのエネルギー供給が途絶え
れば、大して時間もかからず生態系は熱的死を迎えるで
しょうし…)

 というか、あちこちで見かけるこの主張も、創造論の
人達のPR用のネタの書き写しなんでしょうけどねぇ…。
(進化論とか熱力学に疎い人を煙に巻ければ目的は達成
するのだから…)


Re:遺伝子組成 投稿者:JA50  投稿日: 1月23日(火)11時19分43秒

2つの意味で、いるかさんに賛成です。

遺伝子組成は安定化淘汰においてだろうと変化している。
科学かという問題では、反証可能性というところに踏みとどまるべき。
少なくとも、必要条件とはすべきじゃないかなぁ、、、


うーむ 投稿者:ゆん  投稿日: 1月23日(火)06時41分26秒

凄い。

この理屈だとガスコンロの上でお湯が湧くという現象すらエントロピー増大の
法則に対する反証として使えそうだ。

わかっててやってるならずるいし、
わかってなくてやってるならそれはそれで困ったもんであります。


tensai 投稿者:Nam Soo Il  投稿日: 1月23日(火)04時34分13秒

dareka tomi no aite siteyatte kudasai.

無神論と進化論は絶対に調和できない 
 現在テレビなどで生物や宇宙についての説明は、ほとんどが無神論的進化論の世界観に基づいて いる。生物も宇宙も、超越者なしで進化してできたという前提に立っているのである。しかし、そ もそも、「超越者はいない(または、いたとしても宇宙の誕生や成立には関与していない)」とい う命題と、「宇宙は進化してできた」という命題は原理的に両立しないのである。無神論と進化論 は絶対に調和できないのである。

 なぜならば、この宇宙は超越者なしで成立している、つまり、神とか超越者が外側から何かのエ ネルギーや物質を加えて成立しているのではないと言うことは、宇宙は孤立した体系であるという ことになるからである。御存知のとおり、孤立系においては、エントロピーは増大の一途をたどり、 秩序は不可逆的に無秩序化するというエントロピー増大の法則が成立するのである。

 ビッグバンの混沌状態から始まって、まず水素とヘリウムの混合ガスが創生され、それがしだい に進化し組織化されて、宇宙が形成され、星が誕生し、生命が発生して、今では120兆もの接続回線 を持つ精妙複雑な仕組みのヒトの脳までが出現したというストーリーは、エントロピー増大の法則 の違反である。

 宇宙が孤立した系であると考えるならば、宇宙の中では秩序は無秩序化する以外にはないと結論 しなければならないのに、その逆のことを進化論者は主張しているのである。

 もし、進化があったと言いたいならば、無神論を捨てて、超越者の存在を認めなければならない。 超越者がいれば、宇宙は閉じられた系ではなくなり、エントロピーが減少する可能性も出てくるか らである。 
tomi <kbzwezlcwe> 2001/01/20 19:54:01 ノートメニュー

http://www.path.ne.jp/~robcorp/cgi-bin/KY-VIEW/article/m/millnmm/index.htm l


いいかげんうんざり 投稿者:T8848  投稿日: 1月23日(火)00時08分34秒

なんかyahooの方は投稿数が多くて読むのが大変です。
言いたいことは、まぁいろいろありますが、某氏と議論する気力はないので、それは他の方々にお 任せすることにします(こちらに振られたらしょうがないけど)。

溜まった未読を読んでると、斎藤氏がまだオオシモフリエダシャクのことを言ってました(msg3093 と3094)。
どうしよう。
だれか代りに相手してくれませんか?

科学の「科」とは分けること(分類・整理、級・品・階・等も同じ)なんだけど、自分の考えも(当 然相手の言ってることも)整理できないで、奇妙に捩れた議論をするのは、もう科学だとか教育だ とか以前に問題があるようです。

実は昨日返信を投稿したんだけど失敗しちゃって(長すぎたか?)、もう書く気がなくなりました。
#もしかしてそういう作戦か?


鯨の祖先 投稿者:T8848  投稿日: 1月23日(火)00時03分49秒

参考になりそうな本を紹介します。
カール・ジンマー(Carl Zimmer),「水辺で起きた大進化」,渡辺政隆訳,早川書房,2000
原題:AT THE WATER'S EDGE - MACROEVOLUTION AND THE TRANSFORMATION OF LIFE

まだ読みかけなので内容についてはコメントできませんが。


遺伝子組成 投稿者: いるか  投稿日: 1月22日(月)19時33分46秒

>アドホック
重々承知の上で、ロジックとして考えたまでです。

>安定化淘汰が働けば世代を経ても遺伝的組成が変わらないこともおそらくある
適応度にダイレクトに繋がる遺伝子座においてはそうでしょうが、多くの適応度に直接
影響をおよばさない遺伝子はまず間違いなくその組成を変えるでしょう。

そして、適応度にほとんど影響のない遺伝子座でもまず間違いなく適応度に直接影響
を与えない遺伝子座と同じようにその組成を変えることになるでしょう。

#その結果メルトダウン的な適応度変化なども起こるわけですから

進化はつまり変化であり、進化論とは生物が変化してき、今の姿となっていることを
示す物と私は理解しています。
そうであるならば、進化論への反証は当然、変化が起こらないことを示す物ではないのかなぁ
と考えた次第であります。

ただ、科学とはなにか?っていうことの明確な指摘は難しいですが、反証不可能である論が
科学で無いことは少なくとも明確ですから、科学、擬似科学を論じる上では、はっきりさせて
置きたいことの一つかとは思います。

#突飛な考え(異端科学?)=擬似科学では無いのですから、それでもって想像論は科学で無いと
#言ってるのでは無いことを明確にするには、進化論が科学であることも
#突飛な考えを含めてもそうであることを明確に示す必要があるかと思います。

#想像論は創造主に万能を仮定した時点で反証不可能であることは自明ですから
#科学で無いことは明らかですね。

##事実で無いかはまた別問題:D

釈迦に説法ではあると思いますが、気になりましたので・・・


個体発生は系統発生をわりと繰り返す 投稿者: はっとべっと  投稿日: 1月22日(月)13時34分39秒

 みなさんあけましておめでとうございます(遅すぎ?)
yahooの「進化論をめぐる教育の問題」
http://messages1.yahoo.co.jp/bbs?.mm=ED&action=m&bo ard=1086165&tid=bfj2bdoc0a4ra4aa40a4k650ia4nldbj&sid=1086165&mid=1
では、つまらない文章を長々と書いてしまいまして、申し訳ありませんでした。

 さて、発生反復説について話題が出ましたので、知っていることを書きます。
「ヘッケルの発生反復説が否定された」というのは、「ダーウィン進化論は否定された」というの と同じくらい、不正確です。現在「発生反復説」は、「ヘテロクロニー」というアイデアに変身を 遂げ、進化の前線でがんばっています。

 元々この考え方は、フォン・ベーアに始まります。フォン・ベーアは1834年、「胚の形態や 構造は、発生初期であるほどよく似ている」という、「生物発生原則」を見つけます。この考え方 を進化論的に拡張したのがヘッケルの「発生反復説」です。

 ここでのヘッケルのまちがいは、「個体発生は系統発生を『完全に』繰り返す」と主張してしまっ たことにあります。つまり、進化によって、その体制が単純化したときのことを頭に入れてなかっ たわけです。いろいろな生物の発生を調べても、「完全に」繰り返さない例がたくさん見られたた めに、「発生反復説はまちがい」と誤って全否定してしまう人が多くなってしまいました。実際に、 つい最近まで(1970年代以前)は生物学の世界で発生反復説は半ばタブーだったそうです。

 このヘッケルのアイデアが再び見直されるのは、「ヘテロクロニー(異時性)」という理論が提 唱されてからです。一般の方には、「ネオテニー」という方がなじみ深いかもしれません。ヘテロ クロニーは、発生のタイミングのずれや、発生速度の違いによって形態が急速に変化することを説 明する理論です。ヘッケルの理論が、発生ステージが付け加わる進化しか説明しなかったのに対し て、ヘテロクロニーは発生ステージが付け加わるのも、取り除かれるのも説明しています。ヘッケ ルの理論にできなかった、幼形のステージで成熟するような進化も説明できるわけです。これは、 発生のタイミングや速度を規定する、調節遺伝子の突然変異によって説明できます。最近では、線 虫(C.elegans)でヘテロクロニー遺伝子も発見されました。

 というわけで、ヘッケルの発生反復説は、ヘテロクロニーにかたちを変えて、綿々と現在も研究 され続けています。

 ヘッケルはちょっとまちがいを含んでいましたが、フォン・ベーアのアイデアは、現在も完全に 支持されます。


いるかさんへ 投稿者:NATROM  投稿日: 1月22日(月)09時31分55秒

>投稿者:いるか  投稿日: 1月19日(金)18時59分38秒
>先カンブリア紀の地層から大量の石器が発見されたとして、それは本当に
>進化論の反証となるのでしょうか?

ううむ、確かに「先カンブリア紀に石器を使った文明を持つ種が進化してきた証拠だ」と言い張れ ば、「今考えられている生物の歴史への反証にはなっても進化(理)論への反証にはならない」で すね。ただしそのような反論はきわめてアドホック(言い逃れ)に聞こえます。進化以外の仮説の ほうが、この現象をよりうまく説明できるとしたら、進化というアイデアは棄却されると思います が。


>進化論への反証は1000世代立っても全く遺伝的組成の変わらない自然集団の発見といったものが
>より適切などでは無いでしょうか?

安定化淘汰が働けば世代を経ても遺伝的組成が変わらないこともおそらくあるので、これだけで進 化の反証とするには弱いと思います。表現型だけに注目すれば、地質学的な年代をほとんど表現型 を変えずに生き残ってきた種(シーラカンスなど)もいます。進化論では「種は変わりうる」とは 言っていますが、「種は必ず変わる」と言っているわけではないので、変化のない種の例は反証足 りたりえないように思います。

反証可能/不可能で科学か否かを決定するのは、わかりやすいけれども、現在ではもう主流ではない とのことなので、最近の科学哲学の知見もとりこんでQ&Aの文章を書き直さないといけないかも。で も、とてもそこまで手がまわりません。


個体発生は系統発生を繰り返す>クハ72さんへ  投稿者:どらどら  投稿日: 1月22日(月)01時19分10秒

>ヘッケルの「個体発生は系統発生を繰り返す」ってヤツですね。
>でもこれは否定されたようです。


個体発生の仕組みが出来上がった状態で更に別の形に進化する場合、元の発生の仕組みを壊して
1から新たに発生の仕組みを作り上げるのではなく、すでにある仕組みの後ろに少し付け加える
形で進化したから「個体発生は系統発生を繰り返す」ように見えるのでしょう。
歴史に由来する発生方法と言えるのではないでしょうか。進化の傍証にはなり得ると思います。

と私は考えていたのですが、否定されたのでしょうか。


はじめまして 投稿者:JJmonkey  投稿日: 1月22日(月)00時24分06秒

偶然このページみつけたんですが、すごく興味ぶかいです。またしばしばのぞ かせてください^^


れす 投稿者:やも  投稿日: 1月21日(日)21時21分46秒

太郎丸さんへ

 信仰の理由

 こういう説明はどうでしょう。
 祈りということじたい、人類共通です。
 ただ、その国や、文化によって、それぞれの流儀と、方法論は違います。
 人間は祈らずにいきられない動物だということもできます。その点で言えば、決まった流儀を持 たずに、それぞれが適当に、好きなように祈っている日本人はかなり、世界の中で変人の部類に入っ てます。


ヨハネさんへ。

 お答えありがとうございます。
 なるほど。
 でも、知ってる人で、物に祈るのだけでだめだっていう人もいたもので。その人は、マリア像と か、キリスト像を飾らない人でした。いろいろあるんですね。


Re:進化の状況証拠について 投稿者:クハ72  投稿日: 1月21日(日)18時40分26秒

ヘッケルの「個体発生は系統発生を繰り返す」ってヤツですね。
でもこれは否定されたようです。
それよりも歴史に由来する不完全性や地理的分布の方が証拠として説得力あります。


鯨の祖先 投稿者:JA50  投稿日: 1月21日(日)18時09分51秒

確か、グールドが書いていたような、、、

鯨は、体が大きくなりすぎて海に戻ったのじゃなく、海に戻ったからあれほどの巨大な体になり得 た、というのが正解じゃないですか。
それに、鯨の仲間には、小さいやつもいたんじゃ?
イルカの仲間には小さいのがいたはずだけ。


クジラ 投稿者:K  投稿日: 1月21日(日)16時43分50秒

小学生のささやかな疑問ですが、もし進化論が正しいとすると、哺乳類に含ま れるクジラなどは、
一度陸に上がってから、また海に戻ったんでしょうか?
あくまで、推測ですがクジラは体が大きくなりすぎて自分の体重が支えられず、また海に戻ったと か勝手にいろいろ考えてもらちがあかないので、皆さんの知識をお貸しください!
よろしくお願いします


やもさんへ 投稿者:ヨハネ加藤  投稿日: 1月20日(土)01時38分23秒

クリスチャンの偶像観に付いてお答えします。偶像とは、仏像とか御神体への 礼拝に対するほかに神よりも大切にしているもの総体を言っています。神よりもお金を大切にすれ ば、当然のごとくお金がその人の偶像になります。私は進化論を正しいと思っていますが、その進 化論は神があらかじめ計画されたものと思っているからです。この場合には偶像礼拝にはなりませ ん。


進化の状況証拠について 投稿者:ヨハネ加藤  投稿日: 1月20日(土)01時24分18秒

多くの多細胞生物は受精した時点から、その生物の進化の過程を再現している のではないかな?
人間と魚も受精卵から次々に細胞分裂を繰り返し、生物がたどった進化の過程を再現し、成体になっ た時点で孵化もしくは誕生している。もし、聖書に書かれているように、すべての生物は受精など という、面倒なことをせずとも、いつのまにか成体の状態で生まれ、死んでいくのではないだろう か?人間は母親の体内で魚のようなエラを持つ時期を経て、両生類、爬虫類、原始哺乳類、霊長類 などを経て、成体として人間の形で誕生するのです。このことは進化の状況証拠になるのではない だろうか?私はキリスト教を信じている。もし、クリスチャンが証拠が無いというだけで進化論を 否定するなら、進化論者から、神が存在する証拠をだせと言われた時どうするのだろうか?


質問 投稿者:いるか  投稿日: 1月19日(金)18時59分38秒

#例えば先カンブリア紀の地層から大量の石器が発見されれば進化論に対する 強力な反証になります。
#進化論が科学ではないと思いたいために「進化論は反証不可能である」と主張する創造論者もいま すが、
#原理的に反証不可能であることと、反証の証拠が見つからないことを混同すべきではありません。
#進化論は原理的に反証可能ですが、現在のところ反証されていません。

と、書かれていますが先カンブリア紀の地層から大量の石器が発見されたとして、それは本当に
進化論の反証となるのでしょうか?
それは、先カンブリア紀以前の地層に石器を使った文明を持つ種が進化してきた証拠がただみつ かって
いないだけかもしれない、と言うことは否定できないのですから(証拠が無いと言うことが反証で は無
いことから)例え先カンブリア紀の地層に石器が出ようが、50億年前に脊椎動物の化石があったと
しても、今考えられている生物の(地球の?)歴史への反証にはなっても進化(理)論への反証に はな
らないと思います。

進化論への反証は1000世代立っても全く遺伝的組成の変わらない自然集団の発見といったものが
より適切などでは無いでしょうか?


やもさんへ 投稿者: 太郎丸  投稿日: 1月19日(金)18時15分05秒

>栄養学的に物を食べないのはそうしないと、死ぬからですが、人が物を食べ るにはそれ以上のものがあるじゃないですか。
 というのが私の考える信仰のりゆうです。

それ以上のものとは、いわゆる、文化的側面と言うことですか。
かなり曖昧な根拠ですね。


国語苦手だったもので。 投稿者:やも  投稿日: 1月19日(金)17時52分31秒

ゆんさんへ

いやーゆんさんのことクリスチャンだということでなく、つい熱が入って、文頭と文末の呼びかけ の目的語が変わってました。ゆんさんのいうとうり、最後はクリスチャンの方へのよびかけです。 混乱させてしまってしつれいしました。

 地雷をさけるか〜。でも、クリスチャンの方だからこんなことをきけるというところもあるんで す。ほんと、そこのところだけは、しあわせです。


やもさんへ 投稿者:ゆん  投稿日: 1月19日(金)14時28分49秒

えっと、僕はクリスチャンでは無いので
> このことについてクリスチャンの方はどのようにお考えですか?
という質問にはちょっと答えられそうにありません。

# 「奇跡」とかいう言葉を出したから誤解されたのかしらん。
僕は根っからの合理主義者(のつもり)です。
神の実在/不在にはあまり興味はありません。

それともここは単にクリスチャン全般へ向けた質問で、
僕へのメッセージは
> 鉄分子といったところで、たとえば、板前さんの包丁
>(板さんの命)と、そこらのくぎじゃ違うってことですね?
の部分だけなのかしらん。
だとしたら「そう思います」とお答えしておきます。

> 例えばこう言う議論はどうでしょう。
という書き込み以下の部分を単純にやもさんの主張だと思ったので、
いやそれはちょっと違うだろうと自分の思うところを述べたわけですが
後の書き込みを見るとあの部分はやもさんの主張と言うより、がちがちの
創造論者を相手に議論をする際に問題になりそうな仮想の議題といった
感じだったようです。

閑話休題。

僕は必ずしも異なる世界の人間に相互理解が必要だとは思っていません。
必ずしも相互理解が為されていなくても、お互いに相手の領分を犯さない
だけのルールが出来ていればそれで構わないのでは無いかと。

ですから人がどんな神様を信じていてもその事に文句は言いませんが、
そのかわり僕にこれこれの神様を信じろと強要して欲しくは無いのです。

下手に相互理解をしようと突込んだ話をして(宗教では大抵そこに地雷が
埋まっています)血を見るよりは、お互いにそこを避けて通るのが賢い
やり方かと。

こういう考え方って逃げを打っているですかしらん?


猿の惑星 投稿者: GOA  投稿日: 1月18日(木)19時33分59秒

>やもさん、

 6千年前の創造を信じる信者と現代の科学を受け入れている人達に相互理解が行なえるような提 案をされようというお心は素晴らしいとは存じますが、まず創造論者の方にここで書かれたことを お尋ねになられてみましたか?
神は自身に似せて人間を作ったのだから、「人間がサルに近いということは、神はサルに近いとい うことになり受け入れられない」と反論が返ってくると思います。
それから、近年の研究でチンパンジーなどはかなり人間に使いことが分かってますし、日本人の名 前には猿という字がつけられているものもありますので、すくなくとも日本人はそれほど猿を卑し いと感じていないように思えます。

 一つ、こうした先鋭的な宗教団体は進化論(に限らず同性愛や男女平等など教団によっていろい ろ)を攻撃することで組織の存在価値を保っているという面があります。
進化論を受け入れて“普通の教団”になってしまったら、大手(?)の教団に信者が流れることを 止めることは難しいでしょう。
いつも敵を作っておかないと存在できない組織に相互理解を進めても、極めて困難であると考えま す。
もちろん、6千年前の創造を信じる教団のすべてがそうであるわけではありません。

 私自身の体験からはお勧めしたくはありませんが、一度やもさんは創造論関係の掲示板にご意見 を載せられてはいかがでしょう?相互理解のためにはもう一方の意見も聞いておいたほうがよろし いと思います。(ただし、疲れると思います)


自己レスです 投稿者:やも  投稿日: 1月18日(木)17時45分59秒

人類の起源が猿について。

 まず、自分の感想。

 人類、さるで結構です。もし、人類が自分たちのことを猿だときちんと思えるのなら世の中もっ とマシになるのじゃないでしょうか。ふと、詰まらん自我や、考えや、自分の存在について悩んだ とき、もし、猿でいいじゃん、と思えるのなら、最近の変な犯罪も減るのではないでしょうか。た とえば、ちょっと、事業に失敗したからって自殺することないし、いろんな現代病もなおるのじゃ ないでしょうか。

 だいたい、
 人間にとって、私たちの目の前のおさるは、軽蔑されるべき形でしかあらわれてきません。動物 園でのしかり、日光の猿しかり・・・彼らは卑しく、えさに群がり、醜い争いをしています。でも このような印象を猿に持つことは、かなり猿にとってアンフェアな状況であるとおもいます。
 それが本当の猿の印象でいいのでしょうか
 途上国に行っていきなり銭をばら撒いて、それに群がる人々を、だから、・・・国人は卑しいと 思うようなものです。
 おそらく、人が、猿の中で生きて猿によって猿に恩がある人がいるのなら、サルのことを軽蔑す るようなことはないと思います。猿への理解不足もはなはだしいものとおもいます。

 つづく

 ゆんさんへ

 鉄分子といったところで、たとえば、板前さんの包丁(板さんの命)と、そこらのくぎじゃ違うっ てことですね?
 たとえば、クリスチャンは偶像は木や金だといいます。それは神じゃないと言うことをいいます が、たとえば、仏像のどの作った人の気持ちが感じられるうちは木や金と即断してはいけないとい うことでもあるとおもいます。
 このことについてクリスチャンの方はどのようにお考えですか?


太陽は1日目に創ったが、光の源は4日目に創った  投稿者:JA50  投稿日: 1月18日(木)09時56分52秒

なるほど。
太陽を1日目に創っていないと、話が合わないです。
地球から見た光のほとんどは太陽から来る物ですから。地球より先に創ってないといけない。
(あれ?、地球が創れていないとき、その時の「地上」て何?、その時の地上の観測者って?)。

で、先の疑問が出てきます。
太陽が第1日目に創られて、光あれ、というのが満たされた。これはいい、そうでないと話が合わ ない。
ところが、4日目に、「光の源」(koさんの言われるマーオールなるもの)が創られたとkoさんは 書かれている。
この光の源というのは何ですか?
光の源なんですよね、光じゃなく。
普通に解釈すれば、光の源とは、太陽のことでしょう。
あるいは、太陽以外の何かあるんでしょうか?

なお、正しい配列のことですが、確率は、後付けしてもナンセンスです(既にGOAさんが指摘さ れていますが)。
サイコロを10回振ります。
5346666642という目が出た。
この目が出る確率は(1/6)^10です。ほとんど0に近いです。
だから、この目が出たのは奇蹟だ、、、?
おかしいですよね。
(なお、10回というのは計算しやすいようにしただけの話で、これを30億としても同じことで す)


ご意見、ご要望がございましたら、掲示板か、e-mail:natrom@yahoo.co.jpへどうぞ。


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