馬が進化する確率

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自然淘汰による進化がありえないことを示そうとして確率計算が行われることがあるが、そうした計算は自然淘汰を理解していない人が誤解に基づいて行ったものである。

自然選択説(自然淘汰説)の否定を目的として、確率計算が行われることがあります。その計算によれば、自然選択による進化を信じる人は、確率的に起こりそうもないことを信じていることになるそうです。いったい、こういう主張はどのくらい説得力があるのでしょうか?(ここで注意を促しておきますが、進化そのもの「地球上の生物が共通祖先を持つこと」と、進化のメカニズム「どのように進化が起こったか」を区別する必要があります。自然選択説は、どのように進化が起こったのかを説明する説の一つです。自然選択説の否定は、進化そのものを認めない創造論者によってなされることもあれば、進化は起こったが自然選択は主要な役割を果たしていなかったと考える反ダーウィン主義者によってなされることもあります。自然選択説の否定=進化の否定ではないことに留意してください。)

さて、自然選択説を否定するための確率計算の一例として、講談社・ブルーバックス 生物はなぜ進化したか 現代進化論の盲点をつく 浅間一男著、より引用します。浅間は進化そのものは否定していないものの、古生物学者の立場から、「自然選択説では向上化は説明できない」として、獲得形質遺伝のような非ダーウィン的な進化のメカニズムを提唱します。自然選択で「向上化」を説明するのは「ありえないことを信じるようなもの」であることを示すために、浅間はウマが進化する確率の計算をハックスリーから引用して提示してます。以下に浅間によるハックスリーの引用を含めて、引用します。

突然変異の連続と向上化とのへだたり

最後に現在の進化説の主流となっている総合説について考えてみよう。獲得形質の遺伝を否定し、変異で遺伝するのは突然変異のみと規定している。現在の遺伝学では生物に環境とか習性の影響によって生ずる通常の変異は彷徨変異と呼ばれ、遺伝しないことが実験的に確かめられたとしている。進化するためには生物は変わらなければならない。変わるためには生物に変異が生じ、しかもそれが遺伝しなければならない。この時遺伝する変異としては突然変異しかない。だから突然変異で新しい変異が生じ、その中の生物にとって有用なものだけが自然淘汰で残され、それが積み重なって進化が生ずる。これが現在多くの学者、主として遺伝学者によって支持されている進化説である。

遺伝学者の説明によると突然変異は、環境とはまったく無関係に、ランダムに生じ、しかもその大部分は生物に有害の変異で、致死的なものも多い。その出現率は低く、致死突然変異の出現率は10-6〜10-5で、形質としてみることのできる可視突然変異の出現率はショウジョウバエの実験からやはり10-6〜10-5となっている。すなわち突然変異の出現するのは10万〜100万個体に対し一個体となって、非常に少ない。多くみても、10万個体に一個体それも大部分はその生物にとって有害、しかし稀には有益のものもある、という程度である。

そして環境と無関係に生じる突然変異−このようなものが積み重なって進化が、それも単細胞から人間までの進化が生じたんですよ、と説明されて疑問を持たない人があるだろうか。しかもこれが遺伝学者が総がかりで作り上げた総合説で、現代進化学の主流となっていると聞いたら、大きな驚きであろう。この総合説によって向上化の説明ができないことはダーウィンの自然淘汰説の場合と同様である。できるのは多様化の由来である。

ダーウィンの番犬と自称し、自然淘汰説を守ったイギリスのトマス・ヘンリー・ハックスリーの孫の、同じく生物学者のジュリアン・ハックスリー著『進化とはなにか』(長野・鈴木訳・ブルーバックス)の82ページ、「勝ちめのないかけ」の項を見ると次のように書いてある。間違って意訳することをさけるため全文を引用する。

「時間さえ充分にあたえてやれば、どれほどありそうもない結果を自然選択が生み出すか。これはちょっとした計算で示すことができる。

いま偶然のみによって、いいかえれば選択の力なしに、必要で有益な突然変異が偶然に蓄積していくと仮定する。その上で、ウマのような高等動物に何がおこりうるかをさぐってみよう。これはマラー教授が計算した方法である。

この見込みを計算するには、二つの量を見積もってみる必要がある。一つは、有利な突然変異と、役に立たない有害な突然変異との比である。あと一つは、簡単な顕微鏡でのぞくような原始生物からウマができるまでに必要な突然変異の総段階の数である。これは、ウマを作るには有利な突然変異ばかりが、何回つづけざまにおこらねければならなかったのかの総数ということになる。

有利な突然変異があらわれるわりあいを1000に1つといえば多いようにはきこえないが、これでもおそらくひいき目にみていることになる。なぜなら生物の生存をまたく許さない致死突然変異の数は非常に多く、のこりの大多数の突然変異も生物の機械の調子を多少おかしくしてしまうものだからである。

つぎに突然変異の総数を100万個といえば、ずいぶん多いようにきこえるが、これもまたおそらく内輪すぎる見積もりである。なぜならこれでは、生物の全時間にわたって平均して2000年に一回ずつしか突然変異がおこらないことになる。

しかし以上の二つの数値をひとまず許せる見積もりと考えておこう。このわりあいであると、なんら選択がおこらないとして、有利な突然変異を一個もつ一つの系統を作るには、1000の系統を育てなければならない。二つの有利な突然変異をもった系統を得るには、100万の系統(1000の二乗)を育てなければならない。以下同じように、100万の有利な変異をもった一系統を得るためには、1000の100万乗の系統を育てなければならない。

もちろん実際にはこんなことはおこらなかった。しかし、一つの系統が持っている有利な変異の数を、純粋に偶然だけで得ようとするのが、どれほどとほうもなく勝ちめのないかけであるのか、この目でたしかめるのには役に立つ方法である。

1000の100万乗というのは、それを書くと1という数字のうしろに300万個のゼロをつけることになる。これを印刷しただけでも約500ページの大きな本が三巻できあがる。実際これはとほうもなく大きな数である。しかし自然選択がどれほどありそうもないことをやってのけねばならないかということ、しかもそれをともかくやってのけることを示している。

1のあとに0を300万ならべた数字は、ウマの”ありそうもないこと”を示す尺度であり、ウマがなんとかでてくることに対してかけた場合の勝ちめのなさである。これほど勝ちめのないことに賭ける人はないだろう。しかし現実にウマは生まれてきた。自然選択のはたらきと、自然選択の手からのがれられない生きものの性質のおかげで生まれたのである」

最近の週刊現代(1978年7月13日号・118ページ)に「むしかえされるダーウィンの進化論論争・進化論より変化論」と題して上智大学の渡部昇一教授が最近のイギリスに起きた進化論論争について紹介している。その中でやはり前述したハックスリーの計算をあげ、「進化論はほとんどゼロといってもいいくらいの確率のことを信じているにすぎないというもの。・・・(ハックスリーの計算をのべている)・・・これは常識的には、ありえないことを信じているようなものだ、ということになります。・・・」と述べている。

渡部教授もハックスリーの計算の示す進化論について疑問をもたれた。常識的にはありえないことを信じているようなものと表現された。現在の主流となっている進化説「総合説」はどこかおかしい、誰しも疑問をもつだろう。ではなぜこのようなおかしい進化説ができねばならなかったのか。その源は獲得形質の遺伝を否定したワイズマンに始まる。

その前にもう一度ハックスリーの計算について言うと、私はこれでも計算が甘すぎると思う。有利な突然変異の出現を1000に1個としたが、通常の突然変異の出現率でさえ10万〜100万個体に1個となっている。それよりも進化には方向性があるから次々に同じ方向の突然変異が生じないとウマは生じない。これは突然変異には方向性はないという規定にも反することになる。これは突然変異を進化の素材と考えることにはそもそも無理があることを示している。遺伝学者のマラー教授が計算したものをハックスリーが引用したのだから、前述の文章が総合説の基本的な考え方を誤り伝えたものとは思えない。(浅間 P118-P122 引用者によって漢数字の一部をアラビア数字に改変)

間違って意訳することをさけるため全文を引用しましたので、かなり長い引用になってしまいました。しかし、そのおかげで浅間がどこで間違えたか、注意深い方はすでに理解できたと思います。同じような間違いは、創造論者および反ダーウィン主義者の文献の中で繰り返し発見できます。私が浅間を選んだ理由は、浅間がハックスリーを正しく引用しているために、浅間が自然選択説を理解していないことを容易に示すことができるからです。

浅間の主張の一番大きな問題点は、「ハックスリーら自然選択説支持者は1000の100万乗の1というようなありえないことが実際に起こったと信じている」と思い込んでいる点です。そう思い込んだ原因は、自然選択は偶然の積み重ねに過ぎないと、浅間が誤解していることにあります。ちなみにこの誤解は、かなり広く見られます。

なるほど、偶然の積み重ねだけでウマが現れることは、ほとんどありえないことでしょう。そもそも、ハックスリーの計算は、まさに偶然の積み重ねだけでウマが現れることがほとんどありえないことを示すのが目的だったのです。偶然だけでウマが現れたという仮説に有利なように、かなり甘めの仮定(有利な突然変異は1000に1、突然変異の総数を100万個)をおいてもなお、偶然だけでウマが現れる確率は1000の100万乗の1という、「常識的にはありえない」ほどの低い確率になることをハックスリーは示しました。ハックスリーをはじめとして、偶然だけでウマが現れたというような低い確率のことが起こったと考えている人はどこにもいません。

自然選択説は偶然の積み重ねだけの理論ではありません。突然変異は方向性がないランダムなものだとされていますが、自然選択はランダムではありません。ランダムな突然変異が積み重なっただけでは浅間の言う「向上化」が起きるとは期待できませんが、有利な突然変異が選択されることによって「向上化」がおきるとするのが自然選択説です。ハックスリーは計算をはじめる前に、「いま偶然のみによって、いいかえれば選択の力なしに、必要で有益な突然変異が偶然に蓄積していくと仮定する」と書いています。さらには「もちろん実際にはこんなことはおこらなかった」とも書いています。引用していて、浅間は気付かなかったのでしょうか。浅間の論法は、相手の主張を誤解・曲解した上で否定するというものです。「自然選択なしにウマが現れることはありそうもない」というハックスリーの主張を誤解して、「自然選択説支持者はありそうもないことを信じている。おかしい」としています。また、他人、特に専門家の能力の過小評価も見られます。「遺伝学者が総がかりで作り上げた総合説では向上化の説明ができない」と切って捨てています。浅間は、多くの遺伝学者が間違っていると思い込む前に、自分の理解が間違っている可能性について考慮すべきでした。

ちなみに、自然選択ありでウマのような複雑な生物が現れる確率はどの程度でしょうか。その問いに答えるには、ハックスリーが仮定した二つのパラメータ、すなわち、有利な突然変異と有害な突然変異の比、および、進化に必要な突然変異の総数だけでは答えがでません。集団の大きさ、世代あたりの突然変異の発生率、進化にかけられる時間、1世代の年数、突然変異の有利さの程度などのパラメータも必要です。つまり、このようなパラメータを考慮に入れていない計算は、自然選択の効果を反映していないのです。にもかかわらず、このような計算が自然選択説を否定するためになされることはよくみられます。有名な例では、竜巻に吹き上げられた部品が偶然にボーイング機に組みあがる確率がありえないほど低いことをもって、自然選択説を否定する人もいます。その計算のどこに自然選択の要素があるのでしょうか。

他にも、「ヘモグロビン分子が偶然生じる確率はありえないほど低い。よって自然選択説は間違いだ」という主張もよく見られます。ドーキンスがブラインド・ウォッチメイカーで計算したのにならって、ヘモグロビン分子のβ鎖が、20種類のアミノ酸をランダムにつなげることによって生じる確率を求めてみましょう。ヘモグロビンβ鎖は146個のアミノ酸によってできています。ある特定の146個のアミノ酸の配列が生じる確率は20の146乗の1、約10190分の1です。ウマが選択抜きで生じる確率ほどではありませんが、きわめて低い確率です(β鎖の重要でない部分のアミノ酸は置換可能なので、機能するβ鎖が生じる確率は10190分の1よりは高くなるが、やはりきわめて低いことには変わりない)。この数字から言えるのは、ヘモグロビンβ鎖が選択抜きで生じたことはありそうにないというところまです。こうした確率計算を行って「自然選択ではありえない」と結論する人は、浅間と同じ間違い、自然選択説を正しく理解せずに自然選択説を批判するという間違いを犯しているのです。ドーキンスは以下のように述べています。

私がヘモグロビン計算でやったような計算が、あたかもダーウィン理論に反対する論拠になるかのように利用されているのに、いまだにお目にかかることができるというのは、驚くべきことである。こういうことをする人たちは、しばしば天文学やら何やらの自分自身の分野では専門家なのだが、彼らはダーウィン主義者が生物体を偶然のみによって、つまり「一段階淘汰」のみによって説明していると心から信じているようにみえる。ダーウィン的進化が「ランダム」であるというこの思い込みは、ただ単に間違っているばかりではない。それは真実とは正反対のものなのだ。偶然は、ダーウィン主義者の秘訣(レシピ)としてはさして重要な構成部分ではない。もっとも重要な構成部分は、本質的にランダムではない累積淘汰である。(ドーキンス P94)

参考文献

浅間一男 1979. 生物はなぜ進化したか 現代進化論の盲点をつく 講談社・ブルーバックス
リチャード・ドーキンス 1993. ブラインド・ウォッチメイカー 早川書房


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2002/07/11
2005/08/27最終改訂