「利己的な遺伝子」の記述から「少子化は自然に解消する」という要旨を読み取ることのできるような高度な知性を持った人は紫藤ムサシ先生をおいて他ないと言いましたが、東京大学大学院教育学研究科教授の汐見稔幸もムサシ先生に並ぶ知性を持った数少ない学者なのかもしれません。先生によれば、汐見教授も、ドーキンスは「少子化は"多産系の女性"によって解消する」と言っていると解釈したのだそうです1)。
ご存知のように「汐見氏」は左翼・フェミニストの学者で、私とは正反対の意見の持ち主です。むしろ"その方"に近い立場の方のはずです。
その汐見教授が
「"ドーキンスの少子化は回復する理論"は間違っている!」
と言っているのですから、
「利己的な遺伝子」では、ドーキンスは
「少子化は"多産系の女性"によって解消する」と言っている
と解釈するのが、保守(私)・左翼(汐見教授)共に一致した結論のはずです。
ただ私は「ドーキンスが正しい」と言い、
汐見教授が「ドーキンスは間違っている」
というところが違うだけです。
これを門外漢がかき回して"フリダシに戻す"必要がどこにあるのでしょうか?
検事と弁護士が同意したら、裁判を進行させるべきです。時間のムダです。
「『放って置いても自然に少子化は解消する』とドーキンスは言っているかどうか」が論点のときに、「そう解釈している左翼もいる」という主張を持ち出す先生の意図は、いまではわかります。馬鹿右翼は、敵/味方(左翼/右翼)でしか物事を考えられないのです。進化生物学を理解していない左翼がいるだけである、あるいは、イデオロギーとは無関係に進化生物学に通じた人であれば「自然に少子化は解消するとドーキンスは言っている」などとは解釈しない、という可能性に気付かない馬鹿を先生は演じただけです。さて、先生と口から泡を飛ばして怒鳴りあったという汐見教授の主張を検討してみましょう。平凡社新書の「親子ストレス」という著作にドーキンスの利己的遺伝子説という段落があるので引用してみましょう。
■親子ストレス―少子社会の「育ちと育て」を考える 汐見稔幸著。ドーキンスに言及した部分は全くの不要だと思う。公聴会には色々な人が来るのでたいへんですね。 |
利己的遺伝子説というのは、動物がときに示す利他的行動や集団自殺的行動をこれまでの進化論はうまく説明できないという批判から生まれた、新しい進化論である。わかりやすくいうと、人間の行動はすべて遺伝子によって決定されていて、人間個体は遺伝子を子孫に伝えるための装置にすぎない、とする考えである。
しょっぱなから不安が漂います。ドーキンスは自説が遺伝子決定論ではないと何度も念を押しているのですが、門外漢からはよく誤解されるところです。
ドーキンスによると、どんなに利他的な行為も、また逆に破滅的な行為も、すべて遺伝子が自己を残そうとする利己的な行為の現れにすぎないということになる。もし、この考えが正しいとすると、少子化という現象も、遺伝子自身の選択によるものであり、ある特殊な形で自分たちを生き残らせようとする一定の選択の結果である、ということになる。人口を減らすことによって、自らの生き残りをはかろうという戦略とでもいえようか。ひょっとすると、人口が増えすぎて、このままでは共倒れする可能性があるので、可能なところから人口を減らす作戦を遺伝子がとり始めたということかもしれないわけである。
遺伝子決定論という誤りから、少子化が遺伝子によるものだという誤りが導かれました。加えて、「自然選択は盲目であり、先の見通しを持たない」ことを汐見教授は理解していないように見えます。たとえ長期的には共倒れしようと、短期的な繁殖成功が得られるのであれば、利己的な遺伝子は子を減らすことはしません。ただ、汐見教授は「利己的な遺伝子」の11章の最終段落を引用して、ドーキンスが少子化が単純な生物学的な進化現象ではないことを示しています。
引用のように、生物学的決定論から自由になれるところに人間の尊厳性をおくべきだというのがドーキンスの考えだとしたら、利己的遺伝子説は少子化を説明する原理とは単純にはならず、少子化はもっと多様な要因を勘案して説明すべき現象だということになるだろう。
そもそも、単純に少子化を利己的遺伝子説で説明できると考えるような進化生物学者はいないと思います。ともあれ、少し迷走したものの、「少子化はもっと多様な要因を勘案して説明すべき現象だ」という、妥当な結論にいたったところで安心しました。残念なことに、汐見教授が、「ドーキンスは『少子化は"多産系の女性"によって解消する』と言っていると解釈した」かどうかはわかりませんでした。ただ、「生物学的決定論から自由になれる」のであれば、「少子化は"多産系の女性"によって解消する」とは言えないでしょう。汐見教授も、ムサシ先生ほどの高度な知性を持っていなかったのでしょう。
ドーキンスに関することはともかくとして、汐見教授の態度にはいろいろと問題点があるようです。ムサシ先生は、汐見教授と公聴会で大喧嘩したことがあるそうなのです2)。
実を言いますと、私はこの"汐見教授"と、さる公聴会(次世代育成に関する)で「大喧嘩したこと」があるのです!
私が「あなたは今・基調演説で<少子化が進み、50年後には日本の人口が半分になることが確実>と断言しているが、動物学者・進化論学者でこれに同調している者は一人もいない!」と質問したのに対して、
「ここは論争の場ではない」
と、答えることを拒否して、以後・私が再質問しようと挙手をしても指名に応じようとはしませんでした。
それにもかかわらず、他の人が
「次世代育成には"母親の子供への教育"が大事」
と発言したところ、汐見氏は
「母親が家庭に留まる国ほど"少子化が進んで"いる」
と"反論"したのでした!
先に「論争の場ではない」と(手強い)私の質問には答えようとせず、
"手強くない相手"には、反論(論争)して来るのです!
いくら挙手をしても発言の場を与えないので、私も
「女性が社会進出している国ほど、犯罪が多い!」
とヤジを飛ばしてやりましたら、
"イヤな顔"をしておりました。
いや、まったく、汐見教授は民主主義のなんたるかを理解しているのでしょうか。いくらムサシ先生が手強いからといって質問に答えず、発言の場を与えないなんて。これではまるで、都合の悪いことを書きこまれたら、コメントを削除し、IPアドレス規制をかけてコメントできないようにするブログのようではありませんか。
1時間ほどの公聴会の最後まで、私には再質問の機会が与えられませんでしたので、少し挑発してやろうと思って「汐見さん!アンタ、委員長として公平な議事運営が出来ないなら、委員長を辞めろよ!都合の悪い発言を封じるのは"ファシズム"だ!」
と言ってやりましたら、
「"ファシズム"でもしょうがない!」
と答えたので、掴み合いになりそうな"口論"になりました。
本当に、都合の悪い発言を封じるのは"ファシズム"ですよね。きっと汐見教授は、あとで、「世の中にはバカが多い。公聴会にもヤクザやストーカーのような人がいる。別に仕事を持っているし、時間に限りがあるのだから、すべての質問に答えることはできない。社会常識を欠いた発言は無視する」3)などと、負け惜しみを言ったかもしれませんね。ただ、公聴会はブログと違って、時間に制限があるのだから、汐見教授の対応には仕方のないところがあります。
ブログのような双方向メディアだと、民主主義的な運営をしているかどうかは一目瞭然ですね。「反論する時間がないから」といってコメントを削除してしまっては、「ブログ・ストーカーのコメントを削除した」のか、「都合の悪い発言を削除した」のか、あとで読者が判断できません。本当に社会的常識を書いた発言であれば、わざわざ削除しなくても、読解力のある読者であれば正しい判断ができるでしょう。
私は、ブログで戦います! 愛する「美しい日本」の自然と文化と伝統を守るため!
科学の何たるかを伝えるため・本当の民主主義を取り戻すため!
体力と気力の続く限り"(パソコンの)キー"を打ち続けます!
私も、ムサシ先生のように、本当の民主主義によるブログ運営を目指したいです。