洪水地質学とはなにか?

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洪水地質学とは、数千年前の世界規模の大洪水(ノアの洪水)によって世界中のすべての地層ができたとする、創造科学者による説である。洪水地質学では、現在観察できる地層や化石の系列を説明できない。ダーウィン以前に、ノアの洪水は証拠により否定されている。創造科学者がノアの洪水を信じるのは、証拠によってではなく、信仰によるものであり、科学とはいえない。

地層はどのようにしてできたか

創造「科学」は地球の年齢を1万年以下と推測しています。彼らは、地球の歴史が古い証拠、例えば地層とそれに含まれる化石をどのように説明しているでしょうか。彼らは世界規模の洪水が起こったと信じています(聖書に記載されているノアの洪水がそれにあたる)。創造「科学」を支持する久保有政氏は、著書の中で次のように述べています。

読者は理科の実験で、ビーカーの中に水と泥を入れ、それをかき混ぜてしばらく放置すると、やがてその水の底に土砂の水平な層ができ上がるのを、見たことがあるに違いにない。それと全く同じように、現在の地表をおおっている地層の水平な堆積は、大洪水によって洗われた土砂が急速に堆積してでき上がったものなのである。(久保有政 1999 P110)

その証拠として久保氏は葉の形までくっきり残っているシダの葉の化石をあげています。しかし、地質学者は川の氾濫や台風による水底の攪拌によってときには急速な堆積がおこることは否定していません。どうも創造論者たちは「地質学者は堆積は常にゆっくりと何万年もかけて起こり、急速な堆積などありえないと思っている」と思っているらしいのです。でなければ、シダの葉の化石が世界規模の洪水の証拠として出したりはしないでしょう。(ここに、トンデモ説の特徴の一つ、「相手の主張を誤解・曲解した上で否定する」が見られる。)

久保氏はこうも言っています。

アメリカのグランドキャニオンは、このぶ厚い地層が露出している地域として有名である。そこでは、幾つもの層が、非常に広範囲にわたって水平に積み重なっている。

もし、地層が何億年、何十億年もかかって積み重ねられたとすると、こんなに広範囲にわたって水平に横たわったままであるのは、ほとんどありえないことだ、と地球物理学者は述べている。長い時間のうちに、必ず隆起とか褶曲があって、変形したはずなのである。

また、そこには進化論者のいう「地質柱状図」と矛盾することが多く見られ、地層が内外時間をかけて形成されたとする考えが間違いであることを、明白に示している。(久保有政 1999 P111)

久保氏は、ありえないと断じた地球物理学者の名前も引用元も明らかにしていません。「地質柱状図」の矛盾も具体的に示していません。かの地球物理学者の主張は誤りです。隆起や褶曲が見られる地層もたくさんありますが、だからといって必ず起こるとは言えません。堆積が地球規模ではなく局所的に起こったとしたら、ある場所では隆起や褶曲がみられ、ある場所では堆積が続くと考えられます。古生物学者のエルドリッジは、「たった一回の洪水で地層ができた」という主張に反論してこう述べています。

そこでわれわれの主張はというと、たとえばアンデス山脈のような場所では堆積岩が何千メートルもの厚さに達しているかと思うと、(北アメリカ大陸の核岩である花崗岩をかつては覆っていた少量の堆積物も浸食によって取り除かれてしまったカナダ中部のように)まったく存在しない場所もあるという記録を、どう説明するかというものである。そのような、いうなれば不均一な堆積物の分布を、地質学者は堆積作用と浸食作用がふつうのしかたで作用した結果として説明する。堆積は海が陸を覆っていた場所で起こるし、浸食は地殻の岩石が大気にさらされた時点で起きるのである。それを科学的創造論者たちは、そうした系列全体は一回の激変的な洪水の産物であると考えている。(エルドリッジ 1991 P152)

実際には世界規模の洪水の証拠はありません。私たちはもう150年も前にそのことを知っていたはずなのに、宗教的な信念を科学で裏付けたいと願う不信者によって議論が蒸し返されています。19世紀の議論との違いは、創造「科学」は、間違いを認めようとしない、信念と証拠があわないときは証拠のほうを捻じ曲げる、都合の悪い証拠は無視する、つまり、科学ではなく擬似科学に過ぎません。

19世紀の創造論は科学的でした。検証可能な予測を行い、証拠がそれに見合わないときは、自説を撤回することをいといませんでした。グールドはフラミンゴの微笑の第7章「ノアの冷凍」で、19世紀前半の地質学における科学的な論争を紹介しています。ダーウィン以前に、世界規模の洪水という説は否定されているのです。創造論者がよく使う、「進化に合わない証拠は無視される」という論法はここでは使えません。なぜなら当時の地質学者は、少なくとも公的にはみな創造論者だったからです。

現代の創造「科学」は、過去に世界規模の洪水をめぐる論争があり、世界規模の洪水はなかったという結果になった歴史に触れようともしません。放射性同位体による年代測定に疑問を呈する前に、過去の議論を紹介し、なぜその議論が間違っているのか、過去に世界規模の洪水がないと結論するために使われた証拠を洪水地質学はどう説明できるのか、言及するべきでしょう。

単に「過去の創造論者が想像できなかったほど洪水は大規模だったのだ」と言うだけならさぞ楽でしょう。証拠を集めるために山に登り、岩石の標本を集め、文献を検索し、議論を行った過去の地質学者に対する敬意が微塵も感じられません。

現代の創造主義の中心に据えられている洪水説は、150年前に、地質学者であり模範的な科学者であり、また創造論者でもあった聖職者によって否定されているのである。知識と科学にとっての敵は、宗教ではなく非合理主義なのだ。(グールド 1989 P159)

地層にみられる化石の系列について

化石についての創造論者の主張はどうでしょうか。彼らはヒトも恐竜もアンモナイトも三葉虫も同時代に生きていて、たった一度の洪水によって化石になったと主張します。

いちばん海底または海底近くで生活していた生物が最初に土砂に巻き込まれたことでしょう。ですから、いちばん下の地層に海底生物、三葉虫とかウミユリなど、いろいろな海底生活をしていた生物が化石となって出てきます。その次に出てくるのが魚です。さらに、両生類は水辺からあまり遠くへは行かないで、水の近くにいます。したがって、その次に巻き込まれます。ハ虫類は、両生類よりは水辺から離れられますがあまり遠くへはいけません。恐竜は、非常に速く走ることができますから、普通の小型ハ虫類よりは遠くに逃げたかもしれません。しかし、ハ虫類の大部分は水中でも生きられるので、恐竜を除いてあまり化石になることはなかったかも知れません。ホ乳類は、行動性が大きいですから、いちばん遠くまで逃げ延び、最後に土砂に巻き込まれたはずです。そして、人はいかだを組んで逃げることができます。ですから、人の化石は比較的少ないのです。しかし、ないわけではありません。鳥類はどうでしょうか。鳥類の骨は、ヒトの骨に比べると六分の一くらいの重さしかありません。ということは、暴風雨で水に落ちて土砂に巻き込まれてもすぐに浮き上がり、なかなか堆積しなかったでしょう。ですから、鳥類の化石は比較的少ないのです。このように生息地との関係で地層に巻き込まれる順序が決まってくるのです。(宇佐神正海 1993 P66)

1) 生息地域の差、2)移動能力の差、3)浮力、がここでは地層にみられる化石の系列の説明としてあげられています。他にも4)粒子の大きさの違いに基づく沈殿速度の差、があげられていることもあります。

1)〜4)のいずれにしても地層にみられる化石の系列を説明することはできません。例えば、ヒトの化石はきわめて上層の地層からしか発見されませんが、当時の人間が皆いかだで逃れることができたのでしょうか。逃げ遅れた人が全くいないのは奇妙なことです。恐竜の中にはきわめて移動能力の高いものがいますが、新生代まで逃げおおせた恐竜の化石が見つかっていないのはなぜでしょう。

動かない物についてはどうでしょうか。例えば被子植物は最初の哺乳類よりもずっと上の地層からしか発見されません。植物は逃げることはできません。また、ヒトはいかだで逃れることができても、さまざまな道具類はその場に放置されていたはずです。石器類をはじめとして道具類もヒトと同じように上層の地層からしか発見されていません。

創造論者は上の地層からも、海底に住む生物の化石が発見されていることに気づいていません。新生代の地層からも大量の貝の化石が発見されていますが、それらの貝はすべて恐竜より逃げ足が速かったのでしょうか。

まだいくらでもあげることができますが、この位にしましょう。洪水地質学が化石の系列を説明できないことは明らかです。これらの事実にもかかわらず、洪水地質学を信じつづける創造論者もいます。証拠に基づいてではなく、聖書にそう書いてあるからという理由からです。それは信仰であって、科学ではありません。信仰が悪いと言っているわけではなく、科学でないものを科学であるかのように主張すべきではないと言っているのです。洪水地質学は科学ではなく、擬似科学です。


参考文献

ナイルズ・エルドリッジ 1991. 進化論裁判 平河出版社
スティーブン・J・グールド 1989. フラミンゴの微笑(上巻) 早川書房
久保有政 1999.聖書から生まれた先端科学 創造論(クリエーションサイエンス)の世界 徳間書店
宇佐神正海 1993. 崩壊する進化論 マルコーシュ・パブリケーション


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2000/02/02
2004/09/02最終改訂