熱力学第二法則はエントロピー増大の法則とも言われ、あらゆる物理法則の中でももっとも確からしいとされています。エントロピーとは系の無秩序さをあらわしています。一言で言えば、「形あるものは崩れる」ということです。創造論者は、「進化は複雑さを増す、あるいは情報量を増やす方向への変化である。これは熱力学第二法則に反している。よって進化が起こったとは考えられない」と主張します。一方、「最初にすべての種が創造された時点が一番エントロピーが少なく、創造主の関与がなくなった後はエントロピーは増大する一方なので、創造論は熱力学第二法則に反しない」ということだそうです。
確かに、一見進化はエントロピーが減少しているように見えます。しかし、創造論者の主張には見落としがあります。それは、熱力学第二法則は物質やエネルギーの出入りのない「孤立系」でのみ成立することです。地球は太陽エネルギーの流入がありますので「孤立系」ではありません。生物個体も「孤立系」ではありません。
「孤立系」でなければ、エントロピーの減少はありえます。例えば、個体発生。単純な受精卵から複雑な個体が発生します。進化、すなわち系統発生が熱力学第二法則に反するのなら、同様の理屈で個体発生も熱力学第二法則に反すると言えるでしょう。創造主は個体が発生するときにもその力を発揮されるのでしょうか。
生物以外では雪の結晶。写真や現物で六角形の秩序だったパターンを、誰しも見たことはあるでしょう。雪の結晶は熱力学第二法則に違反しているのでしょうか。単に冷蔵庫でもいいです。電源を抜いたとたんに熱力学第二法則に従いますが、電源が入っている限り、温度差を作り出します。一見、熱力学第二法則に反しているように見えますね。
「進化は熱力学第二法則に違反するからありえない。生物は創造されたのだ」という主張は「雪の結晶は物理的な力でできたという説は熱力学第二法則に違反するからありえない。雪の結晶は創造されたのだ」という主張と同義です。要するに、創造論者は熱力学第二法則の成立する条件、孤立系でしか成立しないことを知らなかったのです。(あるいは理解できなかった)
創造論者の熱力学第二法則にまつわる間違いには、もう一段階レベルが上の間違いが存在します。単なる間違い(例、成立する条件を知らないこと)は誰でもしますが、これから述べる高次の間違いはトンデモ説信奉者に特有のものです。熱力学第二法則と進化はほとんどすべての科学者に支持されています。もし進化が熱力学第二法則に反するとしたら、なぜ科学者たちはその両方が正しいとしているのか、創造論者たちは不思議に思わなかったのでしょうか。
・科学者はみな、進化と熱力学第二法則の矛盾に気づかない間抜けである
・科学者は神を信じたくないから、気づかないふりをしている
とでも思っていたのでしょう。彼らは決して、「自分たちの熱力学第二法則、あるいは進化についての理解が間違っているかもしれない」という可能性については考慮しません。
「アインシュタインの相対性理論は間違っている」というのは有名なトンデモ説ですが、彼らも
・科学者は相対性理論の間違いに気づかない間抜けである
・科学者はアインシュタインを信仰しているから、誰も間違いを指摘できない
と考え、「自分の相対性理論の理解は間違っているのではないか」とは思いません。相対性理論について誤った理解をするのは単なる間違いです。自分のほうがすべての科学者よりも相対性理論を理解しているという傲慢な思い込みが高次の間違いなのです。私たちの多くは相対性理論を理解できませんが、そのような高次の間違いは犯しません。自分の能力の過大評価、他人、特に専門家の能力の過小評価がトンデモ説信奉者の特徴です。
創造論者もそうです。彼らの多くは熱力学第二法則が成立する条件すら知らないほど、科学知識はお粗末です。それにもかかわらず、自分たちは正しくて、科学者は間違っていると思い込んでいます。自分の能力の過大評価、専門家の能力の過小評価がみられます。確かに専門家であっても誤りを犯すことはありえます。しかし、専門家が間違っていると叫ぶ前に自分の理解が正しいかどうか、振り返ってみることができるかどうかがトンデモと一般人との分かれ目です。創造論者は「熱力学第二法則は進化を否定する」と信じる前に、熱力学第二法則について知識を得る努力をすべきだったのです。
創造論が科学でない理由の一つとして、自己修正の欠如があります。まともな科学の世界では、すでに誤りとなった説(例えばピルトダウン人)を根拠を示さず正しいものとすれば非難轟々です。創造論ではどうでしょうか。熱力学第二法則の成立の条件を理解して、自らの主張を引っ込めたでしょうか。現実にはいまだにこの手の誤りは見られます。熱力学第二法則の成立条件を理解できないのか、それとも科学的に正しいかどうかはどうでもよくて、知識のない人間に進化が怪しいと思わせることができればそれでいいのでしょうか。
もっとひどい例では、批判があるのを知っておきながら、その批判を理解できないというものがあります。久保有政氏は、「エントロピーの法則は進化論を否定する」という章で次のように述べています。
進化論者は、エネルギーの出入りのある開放系においては、例えば雪の結晶の形成時のようにエントロピーが一部減少に向かうことがあるのを指摘する。そのように開放系においてはエントロピーは減少することもあるのだから、この地球上で無生物から生物への進化や、さらに高度な生命体への進化もあり得たのた、という議論をする。しかし、ここには飛躍がある。 雪の結晶のような単純なものは、たしかにできることはある。それは水の物理的性質に基づく。しかしもっと高度なものの場合は、それを作り上げるプログラムが存在しない限り、決して自然につくられることはない。(久保有政 1999 P223)
久保氏の飛躍は、エントロピーの法則の話をしているときに、突然「開放系において高度なものは決して自然につくられることはない」と断言したことです。エントロピーの法則は孤立系でしか成立しないので、開放系については何も予言しません。高度なものは自然に作られるかもしれませんし、決して作られないかもしれませんが、エントロピーの法則によってどっちが正しいとは言えないのです。
雪の結晶は自然にできるが、より高度なものはできないというのは推測に過ぎません。その推測は事実であるかもしれませんが、久保氏は断言するにあたって、エントロピーの法則以外の根拠を述べる必要がありました。久保氏は、述べていません。開放系の話をするときに、なぜエントロピーの法則を持ち出したのでしょうか?エントロピーの法則が成立する条件を本当に久保氏は理解しているのでしょうか。
久保氏が飛躍していると指摘した進化論者の議論は、実はまったく飛躍していません。「エントロピーの法則は孤立系でのみ成り立つ。地球は孤立系ではない。よって、エントロピーの法則は地球上での進化は禁止しない」 どこが飛躍なのでしょう。ここで注意すべきなのは、進化論者は「エントロピーの法則は地球上での進化は禁止しないから、進化は起こったはずだ」と述べているわけではないことです。もしそう述べていたのなら、飛躍と言われてもしょうがありません。進化論者の主張は「エントロピーの法則だけでは進化は否定できない」です。
「熱力学第二法則は進化を否定するというのは間違いでした」と引っ込めればそれでいいのに、創造論者はそうしようともしません。彼らの高次の間違いは自己修正の欠如です。科学も間違うことはありますが、間違いを認めず修正を拒むことはありません(特定の個人が間違いを認めないことはある。その場合、他の科学者によるその個人の評価は下がる)。むしろ、批判・修正の繰り返しこそが科学の本質なのです。
子曰わく、過(あやま)ちて改めざる、是れを過ちと謂う。論語