ダーウィンの進化論が学会で公式に否定されたと主張する創造論者もいます。創造論者の宇佐神正海氏は著書「崩壊する進化論」の中で次のように述べています。
ダーウィンの進化論に目を向けてみましょう。ダーウィンの進化論にとっていちばん大切な証拠は何でしょうか。それは、ダーウィンも述べているように、中間型の化石です。ところが一九八〇年のシカゴ会議において、「何百万という化石がダーウィニズムを否定する」と述べ、「ダーウィンの進化論が学会で公式に否定された」のです(『エントロピーの法則(II)』)。「一九八〇年、進化論を討議するために、世界中の分子生物学者、発生学者、生態学者、生物学者がシカゴのフィールド博物館に集まった。会場は、たちまち、伝統派(宇佐神注・ダーウィンの進化論を主張する立場)と改革派との対決の場と化した。多くの発言者とオブザーバーは、会議の終わり頃には、進化論に対して歴史的変化が起きたことを実感した。討議の中心テーマは、過去四〇年間支配的だった新ダーウィン説とも言うべき”進化総合説”に関してであった」結局、ダーウィンの進化論は否定されたのです。この説が生き残っているのは、教科書の中だけです。学会ではすでに否定されているにもかかわらず、教科書だけがダーウィンの進化論を教えつづけているのです。(宇佐神正海 1993 P71)
宇佐神氏は「崩壊する進化論」の中でジェレミー・リフキン著「エントロピーの法則(II)」をしばしば引用しますが、リフキンが科学知識についていいかげんな知識しかもっていないことはグールドによって指摘されています。「エントロピーの法則(II)」は
学問の名を借りた巧妙な反知性的プロパガンダの書(グールド 1991 P331)
なのです。「崩壊する進化論」はトンデモ本の内容を鵜呑みにして本を書いてもトンデモ本にしかならない好例です。まあ、シカゴの学会について宇佐神氏が引用している部分は問題ないのでこの位にしましょう。「エントロピーの法則(II)」に対する具体的な批判はグールド著「嵐の中のハリネズミ」を参照して下さい。
まず小さな間違いから。仮にダーウィニズムが否定されたとしても、それがすなわち進化が起こらなかったことにはなりません。創造論者はしばしば、進化が起こったかどうかという問題と、進化がどのようにして起こったかという問題を区別できません。ダーウィニズムは進化がどのようにして起こったかという、いわば進化のメカニズムに関する学説です。ダーウィニズム以外の進化を説明しうるメカニズムも否定しない限り、進化を否定したことにはなりません。
宇佐神氏の(そしてリフキンの)一番の間違いは、このシカゴの学会ではダーウィニズムは否定されていないことです。伝統派と対決した改革派もダーウィニズムは否定していません。リフキンを批判し、シカゴ会議における改革派の一人であったグールドは、グールド自身認めているように、ダーウィニストです。宇佐神氏はダーウィニズムは学会では否定されて教科書の中だけにしか残っていないと思っているようですが、いま現在でもダーウィニズムに基づく論文は出されつづけています。宇佐神氏は最新の科学雑誌を読んでいないのでしょうか?。
なぜ宇佐神氏は間違えたのでしょうか。トンデモ本はお互いを引用しあうので、出所の怪しい情報は必ず一次文献にあたる必要があります。宇佐神氏もリフキンの書いた本の内容を疑いもせず信じてしまったのかとも思いましたが、実は宇佐神氏は一次文献の存在を知っていたようです。
ついにダーウィンの進化論は一九八〇年のシカゴでの進化論に関する国際会議で終わりを迎えたのです。この時の会議の模様がサイエンスに掲載されています。(参照:'SCIENCE' Evolutional Theory Under Fire,21st,Nov.1980.)(宇佐神正海 1993 P93)
しかし、実際には宇佐神氏自身はサイエンスの記事を読みもしなかったのでしょう(でなければ理解できなかったか、主張にそぐわないので故意に隠したかどちらかとしか考えられない)。おそらく宇佐神氏にとって、進化論について科学者の間で論争があるという事実で十分だったのです。サイエンスの記事で、読者に権威を示したかったのでしょう。健全な科学には健全な議論がつきものです。サイエンスの記事は、ダーウィニズムの否定ではなく、当時の刺激的で興味深い進化論についての論争を伝えています。
サイエンスの記事を読む限り、シカゴ会議での論争の争点は、進化が進む速度、種分化のメカニズム、生物の形態に対する適応の寄与の程度などです。自然選択説に反対する意見は見あたらないし、ましてや進化が起こらなかったと考えている科学者はいませんでした。サイエンスの記事は、進化の進む速度についての当時の新しい説、「断続平衡説」について図入りで説明しています。
進化速度が一定ではなく、比較的短時間(と言っても数千年から数万年程度)に急速に進化が起こり、そのあと長い停滞期があるという「断続平衡説」は、古生物学者のグールドとエルドリッジによって提唱されました。化石の記録に見られるギャップは、記録が不完全だからではなく、進化は地質学的な尺度からは極めて短時間に起こることに由来するのです。断続平衡説は自然淘汰説とは矛盾しません。提唱者のエルドリッジはこう述べています。
<断続平衡説>というアイデアは、自然淘汰説に対するあからさまな挑戦ではない。それどころか、遺伝学の他のいかなる理論的側面に対する異議申し立てでもない。この説が攻撃の対象としているのは、種の適応的変化が、たとえば一〇〇万年といった長い時間を要することは避けられないと見る自然淘汰説の安易な適用すなわち「外挿」である。(エルドリッジ 1991 P98)
断続平衡説は現在では広く受け入れられている学説です。たまにその意味するところを理解できない創造論者が、あたかもダーウィニズムに反対する説であるかのように宣伝することを除けば、誰もが断続平衡説はダーウィニズムに基づく説の一つと考えています。シカゴ会議では断続平衡説の他にも、スペシャリスト(狭い特定の環境に適応した種)とジェネラリスト(幅広く環境に適応した種)とを比較するとスペシャリストの種のほうが頻繁に種分化する「効果仮説 Effect Hypothesis」や、小さな遺伝的変化が大きな形態的変化を起こす可能性について検討されていました。
いずれにしても、ダーウィニズムを否定するのではなく、それを修正・拡張するような議論です。創造論者である宇佐神氏が「参照」として提示したサイエンスの記事を見る限り、シカゴ会議はダーウィンの進化論を否定していません。「ダーウィンの進化論は学会で公式に否定された」というのは、進化論を否定したいあまりに創造論者が作り出した神話に過ぎません。
(注) この話の教訓は、奇説を唱えるものが学会やら政府やらの権威を持ち出してきても安易に信じてはならない、というものである。不適切な権威によった主張とでも言おうか。典型的なのは、健康食品などにくっついている「NASAも認めた!」とかいう宣伝文句だ。スタイビング教授の超古代文明謎解き講座では、歴史に関するさまざまな奇説の本の著者たちが、「体制」派の学者を教条的だと非難する一方で、体制派の学者に序文を書いてもらったり、自説に賛同する学者の写真をたくさん載せていることを指摘している(P274)。(むろん、本当に主流の学者が認めているとは限らず、たいていは「認められたと本人が思い込んでいる」ケースだそうだ)