このファイルは、掲示板巡回ソフトのログファイルを元に再構成したものであり、投稿時の状態(フォントサイズ、文字の色、リンク等)をすべて反映しているわけではありません。いくつかの書名にアマゾンのアソシエイトのリンクを張らせてもらいました。
うっかりしていました
ちゃんと書いてありました
『骨髄造血が始まるのは胎生4ヶ月頃からである。それ以前は初期は卵黄嚢で、中期は肝臓と脾臓で造血される。なお、肝臓と脾臓は造血機能を完全に失うわけではなく、血液疾患時には造血が見られることもある』
しかしやはりこの造血幹細胞の細胞の正体
発生のメカニズム 赤血球母細胞と造血幹細胞
が実は同じものか 別のものか
の応えは????になってしまう
千島学説では食べたものが原料になって
形を変えて赤血球母細胞に変化といったメカニズム
を書いているのに対して
造血幹細胞のメカニズムがちゃんとかかれて無いので
いつも歯がゆいのです
もし造血幹細胞=赤血球母細胞となるならば
すっきりするのですが。???
とりあえず、普通の発生学の教科書を一読されてはいかがですか?ネット上の情報だけから、ある学説を理解しようとするのは愚かなことですよ。
>この文章は造血幹細胞から赤血球 白血球 血小板が出来る当言う前提
>に書かれています
もちろん。当たり前です。地動説を説明する文章は、地球は球形であるという前提のもとに書かれるでしょう。二次方程式の解説は、「1+1=2」であることにはいちいち触れないでしょう。「造血幹細胞から赤血球 白血球 血小板が出来る」ことは、既に前提としてよいほど複数の証拠に支えられています。
>赤血球の起源は卵黄嚢
>それでは造血幹細胞の起源はどこ?
造血幹細胞の起源は卵黄嚢です。さらにさかのぼると受精卵です。
>そう考えると・千島学説・森下博士の血液の根源赤血球そこから
>白血球・顆粒急・・・と分化していく
>つまり
>造血幹細胞とは赤血球母細胞という事が
>考えとしてはスムースに思えてきます??
千島学説の考えをスムースの思えるのは、現代生物学についてまったく無知な人だけだと思います。それとも、kamonnさんは現代生物学について基本的な知識を持っていると言えますか。
>卵黄嚢でも、造血幹細胞が、細胞分裂によって血球を作るのですよ
:NATROMに参考させてもらった、資料によると
赤血球の起源がどうも卵黄嚢にあるらしい
『少なくとも成体型の血球の一部は卵黄嚢に起源を持つことを証明しました』
と書いてありました
そして、『5〜7週目までの赤ちゃんには、血小板と白血球は、ありません』
と書いてあります
つまり最初のころは赤血球が造られるようです
しかしその後の文章を見ていくと
10週間〜24週と胎児が成長していくと
『卵黄嚢とAGMから造血幹細胞が血液をかいして肝臓に移動し、肝臓で赤血球、白血球と血小板が作られます』
と突然『造血幹細胞』という言葉が出てきます。
赤血球という言葉がいつの間にか造血幹細胞にすり替えられたような気がしました
この文章は造血幹細胞から赤血球 白血球 血小板が出来る当言う前提
に書かれています
はじめは赤血球の誕生を調べていたのに・・・
もう一度整理すると
赤血球の起源は卵黄嚢
それでは造血幹細胞の起源はどこ?
一般では骨髄といってます。
しかし。まだ骨髄できてませんよね?
そう考えると・千島学説・森下博士の血液の根源赤血球そこから
白血球・顆粒急・・・と分化していく
つまり
造血幹細胞の役割=赤血球母細胞という事が
考えとしてはスムースに思えてくるのですが??
チベット動乱で五輪はなしになるでしょう。中国バブルは春四月までに崩壊するでしよう。中国発世界大恐慌が起こるかもしれません。
たぶんそうなるでしょう。そうなれば 中国全土で暴動や略奪が起こるでしょう。中国は無神論国家のためモラルがありません。このため
収集のつかない事態に陥る危険があります。今年は世界にとって極め
て艱難な年となるでしょう。
>どのようなメカニズムで誕生してくるかくるかなのです。
>これについてはやはり まだ現代では解明できていないのかな?
そのメカニズムを理解するには、遺伝子の発現やらの知識が必要になりますよ。また、「まだ現代では解明できていないのかな?」と思う前に、「自分が知らないだけ」という可能性も考慮したほうがよろしいかと思います。
>成人の栄養袋は腸ではないのだろうかすると栄養供給という事を追っかけていくと
>卵黄嚢〜胎盤〜腸という流れが
>自然で赤血球が腸で出来るという千島学説もまんざら捨てたものではないのでは
>とまたまた????ナのです。
卵黄嚢でも、造血幹細胞が、細胞分裂によって血球を作るのですよ。細胞分裂による血球形成を否定する千島学説と真っ向から矛盾しています。kamonさんは「地球は球形ではなく、大地は平らで亀の上に乗っているとする大地平坦説もまんざら捨てたものではない」と言っているようなものです。
トンデモさんの心性の一端ってこんなのなんでしょうね。
どっちも「栄養の袋」の袋だから(って、すごい論理の飛躍、事実の乖離、驚くばかりだ)、同じ「栄養供給という事を追っかけていくと」(う〜ん、なんと表現してよいか)、「卵黄嚢〜胎盤〜腸という流れが」(どういう流れじゃ)、「自然で赤血球が腸で出来る」(1兆光年も離れたものをエイヤと結びつける強力なる論理の飛躍)。
香ばしい!!
ありがとうございます
早速調べてみました
下記のような内容を学びました。
血液細胞のおおもととなる細胞(すなわち血液幹細胞)の起源は胎児本体にあるのか、卵黄嚢にあるのかというお話です。おとなでは血液幹細胞は主に骨髄にありますが、もともとは別の場所にあったものが、骨髄に移動してくるということがわかっています。
ここ10年くらいは胎児本体に起源があるという説が有力だったのですが、神戸理研のグループが見事にこの説を覆す実験(文献1)を発表し注目されています。彼らは卵黄嚢の細胞に発現する人為的にデザインされた発色タンパク質の遺伝子をマウスに組み込み、発生の過程でどの部位に色がでてくるかという実験を行って、少なくとも成体型の血球の一部は卵黄嚢に起源を持つことを証明しました。おそらくさらに研究を進めれば、すべての血球細胞が卵黄嚢に起源を持つことがあきらかになるのではないでしょうか。
そして卵黄嚢を調べるとこう書いてありました
卵黄嚢というのは、胎盤を通して母体から栄養をもらえるようになるまでの栄養袋ですから、胎盤が完成して来るとなくなってしまいます。卵黄嚢と赤ちゃんを繋いでいた管が将来の臍帯の一部になります。その臍帯は胎盤へと繋がっていますので、全く関係なくはないですが、卵黄嚢がある位置=胎盤の位置ではないです。
という事が書いてありました
しかし私が知りたいのはどこで出来るかではなく
どのようなメカニズムで誕生してくるかくるかなのです。
これについてはやはり まだ現代では解明できていないのかな?
と思いました
また卵黄嚢が胎盤が出来るまでの栄養袋の役割をすると書いてあったのも見て
こういう思いが出てきました。
成人の栄養袋は腸ではないのだろうかすると栄養供給という事を追っかけていくと
卵黄嚢〜胎盤〜腸という流れが
自然で赤血球が腸で出来るという千島学説もまんざら捨てたものではないのでは
とまたまた????ナのです。
私はクリスチャンではありませんが、創世記では
1:1 初めに、神は天地を創造された。
とありますから、最初に地球ができたと考えられていると思います。
仮に地球が1日目にできてなくても24時間を1日として、地球のほうをそれに合わせたと考えれば辻褄が合いそうな気がします。
揚げ足取るようなつっこみなのですが、若い創造論者は1日を文字通り24時間・・・すなわち地球が一回転する時間だと主張しているのですよね。
すると、聖書で言う、天地創造の初め(いわゆる「光あれ」)のころから1日の尺度を計る地球が存在したということになってしまいますね・・・。
kamonnさんこんにちは
>造血幹細胞はどこで出来ているのでしょう
ヒト成人では骨髄において分裂しています。発生学的には卵黄嚢起源と言われています。「どこを調べても書いていない」のではなく、探し方が悪いのだろうと思います。正確には発生学の教科書に書いてありますが、ネット上ではたとえば、
血球は卵黄嚢から
http://morph.way-nifty.com/grey/2007/05/post_7790.html
赤血球 どこで作られるのだろう?
http://www.pref-hp.nichinan.miyazaki.jp/child/blood1/akano.htm
あたりが参考になります。
造血幹細胞はどこで出来ているのでしょう
造血幹細胞の誕生のメカニズムがどこを調べても書いてありません
そこで骨髄造血の成り立ちに疑問を持つのです
腸造血? 骨髄造血? どちらも?
犯罪資本主義の報いは恐慌
犯罪の原因のかねを始末しといてやるから送れ。
資本主義は犯罪です 資本主義は犯罪です 資本主義は犯罪です
資本主義は犯罪です 資本主義は犯罪です 資本主義は犯罪です
資本主義は犯罪です 資本主義は犯罪です 資本主義は犯罪です
資本主義は犯罪です 資本主義は犯罪です 資本主義は犯罪です
資本主義は犯罪です 資本主義は犯罪です 資本主義は犯罪です
資本主義は犯罪です 資本主義は犯罪です 資本主義は犯罪です
資本主義は犯罪です 資本主義は犯罪です 資本主義は犯罪です
資本主義は犯罪です 資本主義は犯罪です 資本主義は犯罪です
資本主義は犯罪です 資本主義は犯罪です 資本主義は犯罪です
>実はフグも豚に近かったりして。
AH1さん、ヲヤヂかきこのフォロー、ありがとう!
>イルカとカバって近いのかぁ。私はイルカと近いのは豚だと思ってました。
実はフグも豚に近かったりして。
たまごちゃん (^-^)ノ、temaさん、ありがとうございました。
だいぶ、すっきりしました。
これで、誰かと話をするときに「生物というのは入れ子状に分類されるのだよ」とえらそうに言えそう、かな?
イルカとカバって近いのかぁ。私はイルカと近いのは豚だと思ってました。
追伸 たまごちゃん (^-^)ノ お大事にどうぞ。ナローバンドにもどっても、たまにはカキコしてくださいね。
ちょちょんまげさんへ
かえって混乱させてしまって申し訳ありません。
ちょちょんまげさんの理解のとおり、「入れ子状」は時系列と関係無いです。というより、もともと分類学は現在(進化系統樹で言えば枝の先端)のみを対象としてました。当時は進化という概念が無く、当然系統樹という概念もありません。
当時の分類学者が、ヒト枝の先端とチンパンジー枝の先端を見て、その2つを含む丸を描き、丸の内側の生物を類人猿と呼ぶことにしたのです。また、類人猿と猫枝の先端を含む丸を描き、内側の生物を哺乳類と呼ぶことにしました。
進化系統樹は生物と時間が作ったもの(科学的事実)ですが、入れ子状の分類は昔の学者が決めたこと(規則)なのです。
>temaさん、うそはいけません。
>チワワはネズミです。鳩に近いのはヨークシャーテリアでしょ?
多分ではなくきっとでもない、単なる間違いです。確かに、たまごちゃん(^-^)ノの示されたとおりです。
一番大切な部分を間違えてしまっては、書き込みした意味がありませぬ…
お久しぶりです♪お元気でしたか?
ご心配ありがとうございますm(_ _)m
>離島って武蔵堆の北辺りですか
とりあえず、天売や焼尻ではないです。
ついでに、奥尻でもないし、利尻でもないです。
>系統学とは、遺伝的距離を指標とした分類学だ、とは言えないのでしょうか。それだけでは不十分な気もしますが。
うーん。それは分岐分類とか系統分類っていうんじゃないかな。
分類とは文字通り「類に分ける」ことだから、自然界なり系統樹なりにメス(樹ならノコギリ?)を入れて分けないことには分類学ではないでしょ?
系統樹にノコギリを入れないという選択もありうるわけで、それが分類ではない系統学だと思う。
研究者本人たちもはっきりとは区別していないんじゃないかと思うけど、
昔ながらの分類学をしているのは表形分類学者
分類体系とかどうでも良いからとにかく系統樹!って人たちは系統学者、分岐学者
系統樹、特にどういう順番で分岐したかに注目して分類するのは分岐分類学者
表形分類と分岐分類の良いとこ取りしようとして半ば成功、半ば失敗しているのが進化分類学者
系統分類学者と名乗る人たちは、ほとんど分岐分類学者に近い人から進化分類学者に近い人まで幅広くいる。
って感じじゃないかと思います。
分類学者はどれとどれを同じグループに入れられるか、つまりどれだけ似ているかを問題にするけど、似ている生物っていうのは血縁的に近い、分岐してからまだ日が浅いから似ているわけですよね?
系統学者は、どういう順番で分岐したか、どれとどれが血縁的に近いかを問題にするけど、化石情報とかはどうしても限られているから、それを調べるには、(DNAの塩基配列だとか相同なタンパクのアミノ酸配列だとかが)どの程度似ているかを見るしかないですよね?
だから、お互いに無視できるわけがないんですよ。
一人一人の研究者を捕まえて、「あなたは分類学者ですか?それとも系統学者ですか?」って尋ねたら、大抵の人は質問の意図は理解してくれると思うけど、「いや、系統分類学者かな?(苦笑)」としか答えてくれない気がします。
「私は分類学者です」と即答してくれそうな人物を私は馬渡駿介(峻輔)氏しか知りません。
「私は系統学者ですね」と即答してくれそうな人物も三中信宏氏しか知らないです。
ちなみに、今は広く広まっている、進化分類学のパイオニア的存在はエルンスト=マイア様です。
3人ともすごく魅力的な人物ですよ〜。
「何で私の身の回りの若い男にこういうのがいないんだろ??」って思う男性
No.1エルンスト=マイア様、
No.2馬渡センセー
「クマちゃんのぬいぐるみさんみたいでかわいいから部屋においておきたいなぁ、でも実物大は場所取るから手のひらサイズがいい」と思う男性
No.1馬渡センセー、
No.5くらい三中先生(実物見たことないけど)
そんな情報はいらないですか?そうですか・・・。
永遠の17歳のたまごちゃん、怪我ってだいじょうぶ?
離島って武蔵堆の北辺りですか
早く良くなってね
『利己的な遺伝子』とか、明らかに部屋の中にあるけど、立ち上がって探す気になれないから、手元に資料なしなんですよねー(^^;;
文字通り、手元にはない。
>たぶん、もうすぐまたいなくなるけど・・・。
などとさみしいことはど〜かおっしゃらないでください。
私は今、超僻地な離島に住んでいまして、ブロードバンドが使えないのですよ。ナローバンドではこのページも結構重いので、普段はROMもしていません。
なのですが、1月末から病気(ってか、怪我かな?)をしまして、寝込んでいます。それで、暇で暇でたまらないから、古巣に遊びに来たというわけです。でも、最近やっと社会復帰できそうな感じなのです。
と、いうわけで、無事いなくなれるよう、祈っていてくださいな(w
>それで、たまごちゃん (^-^)ノはまだ17歳でいらっしゃいますよね?
当然です。
>temaさんのご説明でまたこんがらがりました。
えーっと。
まず、正しく書かれた系統樹では、縦軸(横向けに書いた系統樹では横軸)は時間軸だということを覚えておいてください。
ここに系統樹の木が立っているとします。
下から10mのところで木を切ると、何本かの大枝に切り分けられました。
この大枝の一つ一つをグループと考えます。界とか呼んでもよいでしょう。
一つの界の枝を地面に差し、下から5mのところで切ると、何本かの前よりは小さい大枝に切り分けられました。
この前よりは小さい大枝の一つ一つをグループと考えます。門とか呼んでもよいでしょう。
一つの門の枝を地面に差し、下から2.5mのところを切ると、何本かの中枝に切り分けられました。
この中枝の一つ一つをグループと考えます。綱とか呼んでもよいでしょう。
・・・・・・。
この作業を繰り返すと、一応、入れ子状になります。(下から切るのが嫌なら、上から切っても良いですよ。同じことだから)
しかし、それは、分類学の分類体系と同じ形にはならないでしょうね。
第一、どうして、下から10m、5m、2.5mで切ったんでしょう?
12m21cm、4m36cm、2m19cm22mmで切っても良かったんじゃないでしょうか??
>犬に似てるのに実は鳩に近いチワワ
temaさん、うそはいけません。
チワワはネズミです。鳩に近いのはヨークシャーテリアでしょ?
http://x51.org/x/04/05/2658.php
で、「入れ子状」の件なのですが、実はたまごちゃん (^-^)ノのご説明を拝読して、
一瞬分かった気になっていたのです。
あ、そっか、要するに大きい分類から小さい分類に入れ子になってるだけの話で、進化系統樹と違って基本的に時系列は関係ないのね、などと勝手に納得しかけたのですが、temaさんのご説明でまたこんがらがりました。
えーっと木を上から見て、その幹が過去で、枝が最近で、右手にチンパンとニンゲンの枝が出てて、ちょっと離れたとこに猫枝があって、左手(類人猿の反対側あたり)にヒノキがあって、う〜む、入れ子が頭に思い浮かばん(;_;)
嘘なのは鳩とチワワだ!>temaさん
たまごちゃん (^-^)ノはじめまして。(敬称略でよろしいんですよね。)
こちらこそよろしくお願いします。m(_ _)m
私は過去ログをしっかり読みましたので、私はたまごちゃん (^-^)ノのご活躍をよく存じ上げております。
声をかけていただいて光栄に思います。ご説明本当にありがとうございます。
実は第三掲示板の「神と科学は共存できるか」の187で、しばらくお見かけしなかったたまごちゃん (^-^)ノに
軽くラブ・コールを送ってます。
それからしばらくして、たまごちゃん (^-^)ノが久々に復活なさったので「たまごの神様」に
コールが届いたかと思ってました。(って、私は神様否定派なんですけどw。)
ですので、
>たぶん、もうすぐまたいなくなるけど・・・。
などとさみしいことはど〜かおっしゃらないでください。
ちなみに、私は中島みゆきの曲では、「Half」、「忘れてはいけない」、「捨てるほどの愛でいいから」
などが好きです。
それで、たまごちゃん (^-^)ノはまだ17歳でいらっしゃいますよね?
>系統学とは、遺伝的距離を指標とした分類学だ、とは言えないのでしょうか。
伝統的な分類学においては質的違いを念頭に置いているため、距離だけでは測れないかもしれません。ここでいう質的な違いとは、「鰓がある」「羽毛がある」「殻に覆われた卵を産む」といった事です。遺伝的距離は分岐してからの時間を示すでしょうが、どこで「一線を超えたか」を明確には示してくれないような気がします。
A駅--(3km)--B駅--(10km)--C駅とすると、B駅は距離としてはA駅に近い。しかし県境がAB間にあれば、ABではなくBCが一つの県というグループに分類されます。
もちろん、系統樹を元にして分類の妥当性を考える・・という研究は多くありますので、合体させようとする試みはあります。例えばどう分類するのが妥当か意見の分かれていたオオハシモズと呼ばれるグループは単系統であることが確認され、一応「オオハシモズ類」という分け方で良いとする根拠を得ています。
系統樹(ツリー構造)は幹が昔の状態を、枝葉が最近の状態を表しています。
この系統樹を地面に植えられた立体のものと考えてください。
そして、系統樹を真上から見た状態が入れ子状になっています。
たとえばチンパンジーとヒトは、結構近くに居ます。
猫はちょっと遠くに居ます。ヒノキはかなり遠くに居ます。
昔の博物学者が「ここらへんの枝達を類人猿と名づけよう」とか、「もっと大きな括りでこのへんまでの枝を哺乳類と名づけよう」と決めたため、分類が入れ子状になったのです。
ただし、昔は生物進化について研究が進んでおらず、分類はとても難しい作業だったと思います。
特に魚に似てるのに実はカバに近いイルカとか、犬に似てるのに実は鳩に近いチワワとかが居るため、今から考えると不適切な分類があると思います。
(一部嘘アリ)
系統学(分岐学)と分類学とは考え方がまったく異なる、という説明は非常に明快でした。
系統学とは、遺伝的距離を指標とした分類学だ、とは言えないのでしょうか。それだけでは不十分な気もしますが。
それと距離の概念が入ってきても、まだ分類学の範疇で良いのでしょうか?
分子生物学や生化学の分野では「利己的なDNA」の方がより広く用いられているということですね。了解しました。
うーむ、「動機」は拙かったですかね。おっしゃる通り辞書通りの心理学的意味ではなくて、進化論における「目的」とほぼ同じ意味だったのですが。「目的」もまた辞書通りではないので誤解されやすいのですが。
「私が言いたいことは○○ではない」というのはp20ですね。
==================================================
利他主義と利己主義の上述の定義が行動上のものであって、主観的なものではないことを理解することが重要である。私はここで動機の心理学にかかわるつもりはない。
==================================================
ちょちょんまげさん、はじめましてでしょうか?
2年以上前に頻繁に書き込んでいたたまごちゃんと申します。よろしくお願いしますm(_ _)m
たぶん、もうすぐまたいなくなるけど・・・。
>情け無い話なのですが、生物種が「入れ子状」の分類を描くというのがど〜にもうまくイメージできません。(ツリーなら分かる。)
簡単なように見えて、なかなか難しい質問ですね(^^;;;)
でも、一言で、答えるとしたら、「んなもの、イメージ出来なくていいんじゃない?」ですかね(w
>マトリューシカ人形を想起するとして、まず内から外(小から大)に考えるのか、外から内(大から小)考えるのかどちらなのでしょう。
どっちでもいいです。分けることとまとめることは同じ作業の裏表に過ぎません。
種というレベルは他のレベルと比べるとまだしも実体らしきものがあるから、種から考えると分かりやすいかもしれませんね。つまり、属、科、目・・・という種よりも大きいものを考える時は内から外、亜種、変種といった種よりも小さいものを考える時には外から内の方が分かりやすいかもしれません。
でも、どっちでも、大して違いはないです。
系統樹をみてもそれが「入れ子状」の分類を描くのをうまくイメージできないというのは、実は、もっともな話なのですよ。
系統分類学なんていうのもありますが、系統学(分岐学)と分類学とは基本的には別々の学問です。物事の考え方がこの二つの学問ではまったく異なります。
系統学(分岐学)は、生物の進化に伴い、共通祖先からの分岐がどういう順序で起こったかを類推する学問で、その成果は系統樹の形で表せます。
そこに到達することが出来るかどうかともかくとして、唯一の進化の樹ともいうべきもの(虫眼鏡でよくよく見れば、局所的には網目状だけど)が自然界には存在しているに違いないという前提の下に、その正しい樹に近づこうって学問だと思います。
生物の分類学に限らず分類とは、何らかの秩序らしきものはありそうなんだけど境のあいまいなものを、言葉というメスで切り分ける行為です。このメスを入れるときに、どこにでも適当に入れられるわけではないものの、ある程度主観でもって、エイヤッ!って切っちゃう側面もあるんですよね。
ですから、分類学の成果は階層構造(入れ子状)の分類体系の形で表現されますが、これだけが唯一正しいんだって言う分類体系が自然界に実在するわけではありません。
また、分類学は進化学よりも歴史が古く、必ずしも進化を前提としない学問です。
こういった事情なので、系統樹と分類体系は密接に関係して入るんだけど、系統樹だけをじぃーーーって見つめていても、そこから自然に入れ子状の分類体系が見えてくるってことは絶対にありません。
入れ子状の分類体系をツリー状に書き換えることは出来ます(これは単なる表記法の違いね)。しかし、生物の分類体系をツリー表記したものと、系統樹との分岐パターンは同一ではありません。
分かりやすい例を挙げれば、分類体系には魚類(魚上綱)というグループや爬虫類(爬虫綱)というグループがありますが、系統樹をいくら見つめても、そんなグループは見えてこないですよね?
系統学者(分岐学者)の中には、「唯一正しい系統樹は実在するけど唯一正しい分類体系は実在しないのだから、系統樹さえあれば良いじゃん?分類体系なんていらない!」みたいなことをいう人もいます。
これって一理あるんですよね。考え方すっきりしているし。
でも、系統学(分岐学)よりもずーーーっと歴史の古い分類学の成果である、分類体系を使わないなんて、あまりに不便すぎて現実的じゃないです。
それに、いくら系統樹の上で魚類や爬虫類というグループは存在しなくても、実際に野外や生簀の中にいる生き物を見たら、「魚は魚じゃん?」「爬虫類は爬虫類でしょ?」って思ってしまうような側面があります。
系統樹上で、「ハイギョと犬との距離は、ハイギョとタイとの距離よりも近いんですよ」、って見せられても、「ハイギョ、よく見てみろよ?どう見ても魚だろ??」って言いたくなるっていうか。
こういうのって、分類学はきちんと拾い上げることが出来ているのに、分岐学は拾い切れてないものだと思うんですよね。
んなわけで、どっちも捨て去ってしまうことは出来ないしお互いに無視も出来ないもんだから、根本的にものの考え方が違う分類学と系統学(分岐学)が、互いに妥協しあって作り上げているのが、系統分類学とか進化分類学っていう学問分野です。
以上、「入れ子状」の分類をイメージできなくても別にいいかって気分になってきませんか?
>私が部分集合Bの実例として具体的に思っていたのは、分離歪曲遺伝子とか、制限酵素修飾酵素遺伝子とかいうものでした。
ドーキンスが『延長された表現型』や新版の『利己的な遺伝子』を書いた当時にどうだったかはともかくとして、私が学生だった数年前の分子生物学の教科書などでは、そういうものを「利己的なDNA」として紹介しています。
分離歪曲遺伝子はどうだったか覚えていないけれど、制限酵素と修飾酵素のペアは「利己的なDNA」の具体例の一つとして習ったように思います。
以前の投稿の中で私がずるい連中と書いたのは分離歪曲遺伝子とか制限酵素修飾酵素遺伝子のようなルールを守らない連中です。
「細胞分裂に伴って2倍に複製され、それ以外のタイミングで勝手に増えない。」、「乗り物である個体を乗り換える時には、減数分裂によって50%の確実で配偶子に入る。」といったようなルールを守らない連中ですね。
代表選手はやっぱりトランスポゾンでしょうか。ヒトのゲノムの40%以上はトランスポゾンと壊れたトランスポゾンで出来ています。利己的すぎ(w
>これは表現型に現れないと言えるのかどうか。少なくともジャンクDNAみたいに何もしないわけではないので。
シストロンの方向に話を持っていったのは私の間違いでしたね。
最初にクリックが名づけた当時はどうか知りませんが、現在「利己的なDNA」と呼ばれているものの多くはタンパク質をコードしていることが知られているので。
>普通の遺伝子は利己性を発揮するが故に他の遺伝子(異なる遺伝子座の遺伝子)にとっても有利な働きをするのですが、他の遺伝子に有利な機能を持たない、または積極的に害をなすものを狭義の利己的遺伝子と呼ぶのだろう、と私は考えていました。
これを、普通は(広義の)利己的DNAと呼ぶと思います。(狭義の利己的DNAとは、「ずるい連中」ね。)
「利己的なDNA」の方がより広く用いられていること、ドーキンスの「利己的な遺伝子」と紛らわしくないことを抜きにして考えても、「利己的なDNA」というネーミングの方が私は好きですね。あくまでも私の主観ですが。
ネッカーキューブを反転させ直して個体側から見た場合、生物個体という、非常に巧みで美しく興味深い存在を可能にしているのは「普通の遺伝子」(数の上では桁違いに少数派なのに何をして普通というかは微妙だけど)ですよね?
一方、部分集合Bはネッカーキューブを反転しなおすと、せいぜい役立たずか、悪くすると有害。こういったものを「遺伝子」の中には入れないような「遺伝子」という単語の定義の仕方もあってよいように思うのです。
>これに対して「利己的な遺伝子」が示したのは
>1.一見利他的な行為も利己的な動機による
これは、ドーキンスが『利己的な遺伝子』の冒頭で、慎重に「私が言いたいことは○○ではない」と断ったいくつかの事柄のうちの一つのように記憶しています。
例によって、手元に資料がありませんが(^^;;;)
「個体の利他行動も、遺伝子の視点から見ると、実は形を変えた利己主義である。」とかってあたりが、妥当な表現ではないかと思います。
まぁ、diamonds8888x さんは辞書にある意味とは別の意味で「動機」という単語を使っているのだろうことは想像がつきます。diamonds8888x さんが「動機」という単語の意味を正しく定義しさえすれば、たぶん同意可能なことをおっしゃっているのだろうとは思います。
動機を辞書にあるような意味に使うなら、動機も遺伝子と環境の合作です。利己的な遺伝子によって、動物個体が利他的な動機を持たされるなんてこともあるように思います。
ども、ちょっとしたミスでしばらくネット使えなくなっていました。
大文字ナンさん、
>diamonds8888x さんの文脈において「利己的」と区分されている部分集合を指して、「利己的なDNA」と呼ぶ、という理解でよろしいのかな?
その文脈ではそうですね。ただ、その例ではただ乗りのことしか書いていません。
>で、狭義には、他の遺伝子たちや乗り物自体には全く利益にならず、自己の利益にしかならない機能を持つ遺伝子を特に「利己的遺伝子」と呼んで、通常の「乗り物に利益をもたらすことで自己の生存を図る遺伝子」と区別する場合もあります。
>ただ乗りもいれば、定住しない無法者もいれば、乗り物を移る時にズルをする者もいれば、と、まさに遺伝子社会、ですね。(遺伝子社会の利己主義者達 投稿者:diamonds8888xさん 投稿日:2008年 2月19日(火)06時11分29秒)
↑これが部分集合Bです。
>部分集合じゃなくて「集合A」であるところの、この際だから地球外生物とか非DNA遺伝子は一旦枠外にして、「誰もが知る遺伝子というモノ」のことである
集合Aは部分じゃないですね。すみません(^^;;;)
多義的である遺伝子という言葉を、シストロンとかミュートンとかその他の定義ではなく、NATROMさんが紹介してくれたドーキンスの定義した遺伝子の意味で使うと言う前提の元でYESです。
>利己的じゃない遺伝子なんてものは(一応、今のところ、とことわりを入れるけれど)ない、と捉えてよろしいのかな?
今のところということわりはいりません。
ドーキンスの遺伝子や自己複製子と利己的の定義に従うならば、定義上、遺伝子や自己複製子は全て利己的です。
「今のところということわり」を入れるということは、将来利己的でない遺伝子が発見される可能性があるっていうことになるけど、その場合どういう条件を備えていたら利己的でないといえるのか?例えばごく普通の致死遺伝子とかはその条件を備えていると言えないの?なんて話になってきますよね。
つまり、ドーキンスの「利己的な遺伝子」はトートロジーと言えばトートロジーと言えなくもないわけです。
しかし、トートロジーだから無意味な言説だとは思いません。
と、いうのはドーキンスのいう「遺伝子」は、ネッカーキューブを反転して個体側から見たときの「遺伝子」と完全な=では結ぶことが出来ないけど、≒とか⊃といった記号で結べるかもしれないものだから。
個体の進化を「利己的な遺伝子」という視点で説明することが出来るから無意味ではないわけです。
http://digimaga.net/news/20080303/fungus_eats_radiatio
生き物って本当にどこにでも生きてく術を見つけるものですね。
>いやー、谷庵様のおかげです
褒められると、煙と谷庵はどんどん登る。
うーん、テレビから出演依頼が来るかも知れないな。
忙しいんだけど、スケジュール空けとくか。
よい子は本気にしないように
>新潟県阿賀野市川崎、新潟県弥彦村(西蒲原郡)川崎、どちらを心配したのか分かりませんが、無事だったようで安心しました。私の祈りが通じたようです。
いやー、谷庵様のおかげです。蒲原の辺りには好きな酒蔵があるのです。
情け無い話なのですが、生物種が「入れ子状」の分類を描くというのがど〜にもうまくイメージできません。(ツリーなら分かる。)
マトリューシカ人形を想起するとして、まず内から外(小から大)に考えるのか、外から内(大から小)考えるのかどちらなのでしょう。
ど〜かお助けをm(_ _)m
AH1氏 投稿日:2008年 2月15日(金)14時10分55秒
>ヤフー地図で見ただけでも福岡県川崎町、大分県日出町川崎、岡山県津山市川崎、東京都羽村市川崎、沖縄県うるま市川崎、岩手県一関市萩荘字川崎、山口県周南市川崎、神奈川県川崎市、埼玉県羽生市川崎、
この中には新潟県が入っていませんね。少なくとも、新潟県には川崎が2か所あります。ブラジルの預言者がどの程度の力を持っているか分かりませんが、実は谷庵もいささか透視能力がありまして、谷庵の見るところ、2月15日投稿のジュセリーノ氏のお住まいは新潟県と見ました。別に根拠はありません。そのような夢を見ただけです。
新潟県阿賀野市川崎、新潟県弥彦村(西蒲原郡)川崎、どちらを心配したのか分かりませんが、無事だったようで安心しました。私の祈りが通じたようです。
ジュゼリーノ預言、期限切れですね。
さて、どう当たったのでしょう?
川崎さん?
>利己的じゃない遺伝子なんてものは(一応、今のところ、とことわりを入れるけれど)ない
定義上、利己的じゃない自己複製子なんてものは矛盾なのですね。
ドーキンスの「利己的な遺伝子」が壊した既成概念には2通りあると思うのです。
1.生物界には利他的動機による利他的行為がある
個体は種全体の利益に奉仕する。遺伝子は個体のために進化する。
2.進化の単位は種である。進化の単位は個体である。
遺伝子は個体の部品であり従属物である
これに対して「利己的な遺伝子」が示したのは
1.一見利他的な行為も利己的な動機による
2.進化の単位は遺伝子である
「利己的な遺伝子」の執筆当時には、動物行動学では「個体は生存ゲームの利己的なプレイヤーである」ということには専門家のコンセンサスはできていて、この部分は非専門家への啓蒙という面が大きかったと思います。しかし進化の単位は遺伝子である、という点については専門家の間でもコンセンサスがあったわけではなかったでしょう。
さらに遺伝子を含む広い概念として「自己複製子」というものを提起したことは、大きかったですね。
私が部分集合Bの実例として具体的に思っていたのは、分離歪曲遺伝子とか、制限酵素修飾酵素遺伝子とかいうものでした。
http://www.nikkei-science.com/page/back/ronbun-kensaku/75-79.html
http://www014.upp.so-net.ne.jp/evo-ethics/meioticdrive.htm
http://www.k.u-tokyo.ac.jp/mgs/mgs_lab/kobayashi.html
これは表現型に現れないと言えるのかどうか。少なくともジャンクDNAみたいに何もしないわけではないので。「延長された表現型」第8章「無法者遺伝子と変更遺伝子」にも記載があるそうです。
普通の遺伝子は利己性を発揮するが故に他の遺伝子(異なる遺伝子座の遺伝子)にとっても有利な働きをするのですが、他の遺伝子に有利な機能を持たない、または積極的に害をなすものを狭義の利己的遺伝子と呼ぶのだろう、と私は考えていました。
To たまごちゃん
”本論”というのは私がでっちあげた空想かも知れないです、確かに。
つまり、
>野球チームで言えば、同じポジションの選手同士は競合。異なるポジションの選手同士はチームの勝利のために協力。となりの選手に守備範囲を任せて自分は楽をしようとするのが利己的。自分ではプレイせずに、選手のそばで声だけだして報酬はもらおうとするのが・・・
というdiamonds8888x さんの文脈において「利己的」と区分されている部分集合を指して、「利己的なDNA」と呼ぶ、という理解でよろしいのかな?
で、さらに(これは重箱の隅なのかも本当によく分からない、ごめん)たまごちゃんの云う
>大抵の人は「利己的な遺伝子」を部分集合Bではなく部分集合Aのことを指して使います。
については、部分集合じゃなくて「集合A」であるところの、この際だから地球外生物とか非DNA遺伝子は一旦枠外にして、「誰もが知る遺伝子というモノ」のことである〜つまり、利己的じゃない遺伝子なんてものは(一応、今のところ、とことわりを入れるけれど)ない、と捉えてよろしいのかな?
新版の『利己的な遺伝子』は初版の内容はいじらずに、その後ろに2章足して、末尾に補注を大量に足す。という形で書かれたと記憶しています。
新版の3章に書かれていたのなら、私が勘違いしていただけで、初版からあったのだと思われます。
というほどのものは何もないのですよ、大文字ナンさん。
単なる言葉の使い方の話です。
集合Aと集合Aの部分集合Bがある。
集合Aは一般に「利己的な遺伝子」と呼ばれている。
ここまでは、私とdiamonds8888xさんとで同意見。
部分集合Bだけを他と区別して特に「利己的な遺伝子」と呼ぶこともあるとdiamonds8888xさん。
確かにそういう使い方をする人が少人数いることは知っているんだけど、でも、それよりずっと多くの人が部分集合Bのことを「利己的なDNA」と呼ぶし、大抵の人は「利己的な遺伝子」を部分集合Bではなく部分集合Aのことを指して使います。
だから、私は、部分集合Bのことだけを言うなら、普通は「利己的な遺伝子」じゃなくて「利己的なDNA」って言葉を使うと思う。とレスしたわけです。
初版からちゃんと書いていたんですね。
引用してくれた文章には非常に見覚えがあるんだけど・・・、
>ドーキンスは間違っている系でよく見られる主張に、遺伝子=シストロン以外の意味を持たないと勘違いした上での「ドーキンスの言っている『遺伝子』は遺伝子ではない」ってのがあります。
こういう人が結構いるのを知っていたから、てっきり初版には書いていなかったのだとばかり思っていました。
じゃあ、こういう人たちはちゃんと書いてあるのに勘違いしていたのか・・・・・・。
>分子生物学系の人に多い。
「遺伝子=シストロン」で使われるケースがほとんどだと思っているのは、私が読んでいたものは分子生物系に偏っていたからかもしれませんねー。私の専攻は分子生物系だったから。
集団遺伝学とかだと、遺伝子≠シストロンの方がたぶん普通ですね。
1976年の初版にはなくて、1989年の第二版にはあるということですね。13年後に補筆したわけですね。なるほど。
チッチッチとはどういう意味なのでしょうか?
>初版の『利己的な遺伝子(邦題は生物生存機械論だけど)』には、彼のいう遺伝子がシストロンではないことに対する断り書きはありません。
チッチッチ。ちゃんと言及しているのだよ。新版P39あたり、第3章の前半3分の1くらい。
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望むなら、単一の遺伝子とは、開始と終止のシンボルの間にあって一個のタンパク質連鎖を暗号であらわしている一連のヌクレオチド文字である、と定義することもできる。シストロンという語は、このように定義される単位としてつかわれており、一部の人々は遺伝子ということばとシストロンということばを同じものとしてつかっている。
(中略)
この本の題名につかった遺伝子ということばは、単一のシストロンをさすのではなく、もっと微妙な何かをさしている。私の定義は万人向きではないかもしれないが、遺伝子について万人の賛意を得られる定義はない。たとえあったとしても、神聖で犯しがたい定義というものはない。あることばをはっきりと疑いの余地なく定義するのであれば、自分の目的にあわせて好きなように定義できる。私がつかいたいと思うのは、G・C・ウィリアムズの定義である。彼によれば、遺伝子は、自然淘汰の単位として役立つだけの長い世代にわたって続きうる染色体物質の一部と定義される。
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P47にも。
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厳密にいうなら、この本には、利己的なシストロンでも利己的な染色体でもなく、いくぶん利己的な染色体の大きな小片とさらに利己的な染色体の小さな小片という題名をつけるべきであったろう。しかしどうみてもこれは魅惑的な題名ではない。そこで私は、遺伝子を何代も続く可能性のある染色体の小さな小片と定義して、この本に「利己的な遺伝子」(The Selfish Gene)という表題をつけたのである。
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ドーキンスは間違っている系でよく見られる主張に、遺伝子=シストロン以外の意味を持たないと勘違いした上での「ドーキンスの言っている『遺伝子』は遺伝子ではない」ってのがあります。分子生物学系の人に多い。
もともとの「遺伝子」という言葉はシストロンではなくて、「G・C・ウィリアムズの定義」に近いですよね。遺伝子プールに含まれているのもシストロンではありません。
生物学者は言語学者ではないので、普段「遺伝子」という語を使う時、その多義性を意識せずに使うことが普通です。
>今日の生物学者は「遺伝子」という語を「シストロン」という語と同義に使うことが非常に多い
というのは、「遺伝子」という語を使った生物学者自身が「今回はシストロンの意味で遺伝子という語を用いよう!」とか決めて使っているという意味ではありません。
本人はほとんど意識せずに「遺伝子」という語を用いてものを述べているけれど、その「遺伝子」という単語を「シストロン」という単語に置き換えても問題なく文章の意味が通ることがほとんどだってことです。
ドーキンスは初版の『利己的な遺伝子』を書いた時には、自分のいう「遺伝子」が「シストロン」と同義ではないということに気がついていなかったというか、「シストロン」と同義かどうか考えてもみなかったというのが本当のところではないかと思います。
その後、他の科学者から批判を受けて初めて、その批判者のいう「遺伝子」は「シストロン」と同義だが、自分のイメージする「遺伝子」は「シストロン」とは違うことに気がついたのではないかと思います。
大文字ナンさん
>ドーキンスだって(それも高名な)生物学者なのだから、シストロン=遺伝子という慣例があるのであればそれに従えば良いと私は思うし、仮に従わないのであれば慎重にその「ことわり書き」をすべき、と思うんだけど…
初版の『利己的な遺伝子(邦題は生物生存機械論だけど)』には、彼のいう遺伝子がシストロンではないことに対する断り書きはありません。
これは不親切だったのかもしれません。
しかし、一般向けの図書であることを考えれば、一般の読者が知らないであろうシストロンという単語をわざわざ出して、それとは違うと説明する必要があったかどうかは微妙です。
初版の『利己的な遺伝子』にこの断り書きをしなかったことから、遺伝子という単語をシストロンの意味で用いている研究者たちから、「利己的な遺伝子の考え方は間違っている」って批判が出されました。
それに反論して、後の著書や論文にドーキンス自身が「私のいう遺伝子は一般に言う遺伝子(シストロン)のことではない」と述べています。
手元に資料はありませんが、『延長された表現型』には書いていたはずです。新版の『利己的な遺伝子』の補注とかにも書いていたかも知れません。
NATOROMさん、ありがとうございます。
なるほど。
おかげで、教科書的にはトランスポゾンとかみたいなずるい連中のことのみを「利己的なDNA」と呼ぶ用法しか学んだ記憶がないのに、クリックらが最初に名づけた時にはジャンクならそれだけで「利己的なDNA」と呼んでいたと思っていた理由が分かりました。
ドーキンスがそう書いているのを読んだからなのか・・・。
「RE:RE:遺伝子とDNA 投稿者:たまごちゃん (^-^)ノ 投稿日:2008年 2月26日(火)04時23分45秒」で訂正した内容を、やっぱり訂正しないに直します。
興味深い…というか、かなり門外漢には高いハードルに見えてきたけれど(苦笑)、興味は沸きました。
なので、ちょっと逐条的に。
>DNAは単なる物質名です。二酸化炭素だとか、セルロースだとか、ポリエチレンテレフタレートだとかと同じ、単なる物質名です。
あ〜なるほど。DNAって云うときは「デオキシリボ核酸」とだけ読めばいいんですね。これは迂闊でした。納得。
>物質名であるDNAと違い、性質からつけられた名前である遺伝子はかなり多義的な単語です。
確かに。ちょっと視点が狭すぎましたね。これも感心しつつ納得です。
>と、言うか、「遺伝子=シストロン」の意味以外で使われることは非常に少ないので、シストロンとかってほとんど死語と化しています。(学校の授業で出てくるだけの語っていうか・・・。)
しかし、この部分から…
>ただし、ドーキンスが「利己的遺伝子」と言う時の「遺伝子」はシストロンではありません。
に至るところが、本当によく分からない。
ドーキンスだって(それも高名な)生物学者なのだから、シストロン=遺伝子という慣例があるのであればそれに従えば良いと私は思うし、仮に従わないのであれば慎重にその「ことわり書き」をすべき、と思うんだけど…と、それじゃ自分で利己的遺伝子を再読してみるか…と本棚に行ったら、あれは「貸し出し中」なのだった(グハ!
>他の配列は細胞の複製ごとに増えて勝手には増えないというルールを守っているのに、利己的なDNAはそのルールを守らず一つの細胞の中でも自らを増やしていきます。この性質を利己的だといっているのでしょう。
むふぅ…ここが議論の本論なのかな。しかしそれ以前のところがまだ把握できていないので、ここへの言及は保留します。
新版「利己的な遺伝子」のP429あたり。3章の補注の最後。引用すると長いので主観をこめて要約。
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1976年版で「余分なDNAは…寄生者、あるいはせいぜい…無害だが役に立たない旅人だ」と書いたけど、そのアイデアをクリックとオーゲルが「利己的DNA」というキャッチフレーズで発展させたよ。グールドは利己的DNAの存在は利己的遺伝子の理論と矛盾するとか書いたけど、奴は分かってねえ。利己的DNAは利己的遺伝子の理論全体の特別なケースじゃん。
ついでに「オックスフォード英語辞典」のselfishに、「遺伝子あるいは遺伝物質について…表現型になんの効果も及ぼさないが、永続するあるいは広まる傾向」という意味が付け加わっている。これは「利己的DNA」の見事に簡潔な定義だけど、利己的遺伝子の多くは表現型に影響を及ぼすので、selfishの説明としては不適切だね。それはそれとして、「オックスフォード英語辞典」に引用される名誉に異議を唱えるつもりは毛頭ないよ。
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1989年での最新版の「オックスフォード英語辞典」の話だけど、今の最新版ではどういう記述なのか興味がある。
ワトソンの書いた教科書「分子生物学」にも"selfish DNA"の説明はされていたはずだ。「selfishなんて用語は自然科学では使わない。分子生物学者なんてドーキンスを相手にもしていない」とかいう馬鹿を相手にしたときに調べた。
大文字ナンさん、
>遺伝子全体(gene?)がひとつのアプリケーション・プログラムだとした場合、DNAというときには、たとえばプラグインだとか、モジュールだとか、もっと端的には「オブジェクト」などを表すのだろう…とはなんとなく想像がつくけれど、
違います。
DNAは単なる物質名です。二酸化炭素だとか、セルロースだとか、ポリエチレンテレフタレートだとかと同じ、単なる物質名です。
デオキシヌクレオチドがフォスフォジエステル結合によって連なったものでありさえしたら、機能を持っていようがいまいが、天然物であろうが人工的に作った配列であろうが、DNAです。
一方、遺伝子(gene)は、遺伝形質を親から子に伝えるというような性質からつけられた名前です。
私たちの遺伝子の本体はDNAですが、一部のウィルスの遺伝子の本体はRNAですし、地球以外の星にも生命が存在する場合、その生物もおそらく何らかの遺伝子を持っているでしょうが、その本体はおそらくDNAでもRNAでもないでしょう。
昨年フロリゲンが発見されましたが、花芽形成を誘導する植物ホルモンを指すフロリゲンという言葉は私が生まれる前からありました。これと同じように、遺伝子(gene)という言葉はDNAが遺伝子の本体だと分かるずっと以前からありました。
物質名であるDNAと違い、性質からつけられた名前である遺伝子はかなり多義的な単語です。
多義的な語なので、遺伝子のどういった側面に着目するかによって、シストロンとかミュートン、リコンといった、より意味が厳密な語(単位)が作られました。
このうちシストロンとは、機能という側面に着目した単位です。例外はありますが、原則的には1個のシストロンは1本のポリペプチドの配列をコードしています。ポリペプチドに翻訳されないけど機能を持ったRNA(tRNAとかrRNAとか)を決定する配列のこともシストロンに含める場合があります。(他の単語はもし興味があれば自分で調べてみてください。)
ヒトの遺伝子の数は2万何千個だとかっていうときの「遺伝子」は「シストロン」とほぼ同義です。
今日の生物学者は「遺伝子」という語を「シストロン」という語と同義に使うことが非常に多いので、特に断りがないときには「遺伝子=シストロン」と見なして構いません。
と、言うか、「遺伝子=シストロン」の意味以外で使われることは非常に少ないので、シストロンとかってほとんど死語と化しています。(学校の授業で出てくるだけの語っていうか・・・。)
私が前の投稿で書いた「狭義の遺伝子」もシストロンのことをさしています。
ただし、ドーキンスが「利己的遺伝子」と言う時の「遺伝子」はシストロンではありません。
「狭義の遺伝子(シストロン)」でないからクリックは「gene」ではなく「DNA」という語を使ったのだろう。
というのと、
「利己的遺伝子(≠シストロン)」という概念は「利己的DNA」という概念を内に含む。
というのは矛盾しないのは、こういう事情によります。
>いったいなにを基準に「これはDNA」とか「これはゴミ」とか区分しているのか分かりません。
DNAとゴミとの区分はしません。機能を担っていようがいまいが、DNAはDNAです。
一方、「これは遺伝子(シストロン)」、「これはゴミ」という区分は成り立ちます。
(より厳密にいうと、一つのシストロンの中にもイントロンといってゴミと見なされている部分があるけど。)
>本来的にDNAは(なんらかの遺伝情報らしきものを複製する単位であるならば)すべて利己的なのではないだろうか?あれは利己的、これは利己的じゃない、みたいな、そういう示唆がどのように得られるのかが分かりません。
この批判はドーキンスの利己的自己複製子や利己的遺伝子に対しては当てはまるかもしれませんが、利己的DNAに関しては当てはまらないように思います。
他の配列は細胞の複製ごとに増えて勝手には増えないというルールを守っているのに、利己的なDNAはそのルールを守らず一つの細胞の中でも自らを増やしていきます。この性質を利己的だといっているのでしょう。
一点、訂正します。
>最初にクリック達が名づけた時にはただ乗りするジャンクDNAであればそれだけで利己的DNAと呼んでいたようですが、最近は、トランスポゾンやマイクロサテライトのような(ずるい?)連中だけを利己的DNAと呼ぶことの方が多いのかもしれません。(利己性 投稿者:たまごちゃん (^-^)ノ 投稿日:2008年 2月19日(火)13時10分13秒)
以上のように書きましたが、どうやら、最初にクリックが名づけた時からトランスポゾンのようなずるい連中だけを利己的DNAと呼んでいたっぽいです。ソースはネット上の情報の寄せ集めですが(^^;;;)
diamonds8888xさん、
>それがどこまで広く生物学の文献で使われているかは知りませんが。
利己的DNAは遺伝学か分子生物学か忘れましたが学校の授業でも習ったので、それなりに広まっている用語だと思います。
手元に資料はないので自信はありませんが、確か、ドーキンス自身も「利己的遺伝子」とは異なるけれど「利己的遺伝子」のうちに含まれる概念として、「利己的DNA」という言葉を紹介していたんじゃないかな?
もし紹介していたとしたら、たぶん「延長された表現型」の中です。私が読んだドーキンスの著作の中で、こういう話が出てくるほどに内容が濃いのは「延長された表現型」だけだから。
利己的遺伝子と利己的DNA…最初は「なんのこっちゃ?」という感じだったのですが「selfish gene」と「selfish DNA」では示す意味が違う、ということなのですね…なるほど。と、最初は「分かった気分」でいたんだけれど、なんだかやっぱり喉をうまく通らない。
遺伝子全体(gene?)がひとつのアプリケーション・プログラムだとした場合、DNAというときには、たとえばプラグインだとか、モジュールだとか、もっと端的には「オブジェクト」などを表すのだろう…とはなんとなく想像がつくけれど、いったいなにを基準に「これはDNA」とか「これはゴミ」とか区分しているのか分かりません。これらをきちんと区分するには、相当詳しく遺伝子全体を「解読」していなければならない、と私は思うのだけれど、まぁ恐らく「分かった範囲」でけっこう恣意的に分類しているってのが実情なのかな?(いや、ホントによく分かりません)
それとももう少し「情報単位」的な分類方法があるんだろうか?
で、DNAが「利己的である」というのもちょいとひっかかる。
実像としてイメージしにくいのです。もちろん、私の想像力に限界があるだけなのかも知れないんだけど。本来的にDNAは(なんらかの遺伝情報らしきものを複製する単位であるならば)すべて利己的なのではないだろうか?あれは利己的、これは利己的じゃない、みたいな、そういう示唆がどのように得られるのかが分かりません。競争の結果、どっちかが劣位になって消えてしまうというのは分かるんだけどねぇ…。でも消えた方だって利己的だったことには変わりがないように感じるのです。
>それを「利己的」と呼ぶのはあなたの勝手ですが、ドーキンスはそんなことを言っていませんよ。
そうですか? どう言ってますか?
>そもそも遺伝子淘汰というものは、全然異なる遺伝子間の相互作用のことではありません。
「利己的」というのは、淘汰に関する話ばかりではありません。それを理解しようとしないのはあなたの勝手ですが。
>利己的な遺伝子は、どんどん増加しようとします。染色体上で、優れた遺伝子は増えて、
>劣った遺伝子は減っていきます。最終的には、染色体は一通りの遺伝子の自己複製だらけになります。
そんな報告は初耳ですね。ぜひ出典を教えて下さい。大発見です。同一配列のリピートだけでできた染色体なんて。
その利己的な遺伝子が染色体上の他の遺伝子を押しのけて増えるという現象は、「同じ遺伝子座の遺伝子同士の競合」とは言えないでしょうね。
なるほどクリックが最初に「Selfish DNA」を使ったのですね。してみると私の紹介した人達の使い方は彼らが独自に始めたものかも知れませんね。それがどこまで広く生物学の文献で使われているかは知りませんが。そのあたりは用語の変遷もあるのでしょうね。
45301592
45302567
45309587
45315016
45318520
45321737
45337951
45344960
45444143
まとめると上記のようになりますが、自分たちの準拠する座標系が絶対に正しいと思うと45,315,016と45,315,016が対立したりします。45,444,143で、その場所まで行けば超光速ではない、と書いているのは間違いではありませんが、言わずもがなで少しポイントずれです。質問は「特殊相対性理論の中ではどんなに遠くの場所でも超光速はないにもかかわらず、膨張宇宙論では遠ければ超光速が許されるのは何故なのか?」ということなのですから。
「空間の膨張」で済ませているだけでは説明にはならないと思います。そもそも、『宇宙の膨張』として観測にかかっているのは光の赤方偏移です。そして光源である共動天体は明らかに物体であって、『空間そのもの』なんかではありません。「空間の膨張」というのは専門家の言っていることなので、あまり意味を深くは考えずにオウム返しだけで納得した気になるのも無理からぬことだとは思いますが。相対性理論の枠組みでは「空間」というのは「座標系」とほぼ同義と考えるのが理解しやすいと私は思います。それはエネルギーを持つ実体の観測により、その背後に想定できるものであり、実体の時空上の相対的な位置により張られる座標系です。佐藤文隆「いまさら宇宙論?」の中では3章で、「局所無重力系が互いに離れている(近づいている)」と表現しています。
ただし、ここが混乱しそうなところですが、ビッグバンやインフレーションの起源で量子論が絡んだ話になると、空間(真空)のエネルギーなんてものの考慮が必要になってきて、この文脈では『空間そのもの』もエネルギーを持つ実体のひとつを指す場合が出てきます。でもそれは、現在観測されている膨張宇宙を描写する時の「空間」とは別の意味を帯びている言葉です。
「ドップラー効果」と「空間の膨張」との関係に関連して、物理学筋?では割と有名な「EMANの物理学」のサイトにおもしろい表現がありました。たぶん的確な表現だと思います。
http://homepage2.nifty.com/eman/relativity/redshift.html
光が届く道程を小刻みに分けて、そのたびにドップラー効果の計算を当てはめてやれば、そのような問題は回避できようが、こんな解釈で計算するのはあまりに面倒だろう。 それよりも、光の波長が伸びるのは宇宙全体が光と一緒に伸びるからだと説明した方が、一般相対論の計算を当てはめやすくて都合が良くなったのである。
トップページはこちらです。EMANさんからの「お願い事」を尊重して記載します。
http://homepage2.nifty.com/eman/
くるくるさんとasteriaさんを結ぶのはミッシングリンク...とは言わないですよね?
新聞記事を引用します。
(以下、引用。)
現代人(新人、現代型ホモサピエンス)の化石で、これまでの最古化石より約6万年古い約16万年前の頭部化石をアフリカ・エチオピアで発見したと、諏訪元・東京大助教授やティム・ホワイト米カリフォルニア大教授らの国際共同研究チームが12日付の英科学誌ネイチャーに発表した。
化石は古代型ホモサピエンス(旧人)から進化したばかりの原始的な新人で、当時の形態を探る重要な手掛かりになる。旧人と新人を結ぶ化石が見つかったのは初めてで、現代人がアフリカから広がったとする「アフリカ起源説」を裏付ける発見という。
研究チームはこの化石を新人の亜種と位置づけ、現地の言葉で長老を意味する「ホモサピエンス・イダルトゥ」と名付けた。
化石はエチオピア中部の渓谷で1997年に出土、研究チームが復元や解析を続けていた。(共同通信 2003年6月12日)
byくるくる さん(2008年 2月19日(火)07時12分57秒)
>共通の祖先からネアンデルタール人が誕生したあとで、共通の祖先から現生人類が誕生しました。二回目には、どういうわけか、ものすごく急激な進化が起こりました。それは歴史上、他に例を見ないほどの急激なジャンプです。何しろ、ただの原人から、ものすごく発達した知的生物がいきなり誕生したのですから。
ダウト
原人からネアンデルタール人の変化を急激なジャンプとしないならば
原人から現生人類への変化もまた急激なジャンプではないですよ。
なぜならネアンデルタール人の身体的特徴は、現生人類と類人猿の中間などではなく、
むしろ現生人類に極めて近いからです。
ちなみに現生人類と原人とをつなぐリンクも見つかりつつありまして
Wikipedia先生に聞いてみたら
Homo sapiens idaltu
というのが1997年にアフリカで発見、2003年に発表されています。
>ここの回答例ではどれが正解に近いのですか?
45315016
45318520
45444143
について、016に対して520は否定的反論を行っているように見えますが、実は同じことを主張しているようです。さらに言葉足らずで143も意見を述べていますが、これらはみんな「だいたい同じこと」を述べているようです。私見では、「共動座標系において」だとか「観測者の静止慣性系において」というモノサシの「宣言」をきちんと行えば、上記3つの主張は共通のコンセンサスになるように感じました。なおそれ以外の主張は、部分的には正しいのだけれどその他で決定的に間違っていたり、そもそも最初からトンデモだったりしています。超光速粒子(タキオン)と本論はまったく関係ありません。
>重力なんかで遅くはなりそうだけど速くなるのはわかんね。
う〜む…かなり誤解されている様子です(苦笑。無論、それは私の説明が拙いことも要因でしょうね。
光は速くなりません。先に述べた「見える」と「観測される」の違いだけのことです。ていうか「光が超光速になる」って矛盾してますよね(笑。光が秒速30万キロを超えて「観測される系(モノサシ)」を基準に宇宙モデルを組み立てることができる、というだけのことです。そもそも超光速で銀河が後退しているのだとしても、それを見ることも観測することもできません。
diamonds8888x さん
>そうでしたっけ?
手元に資料はありませんが、ドーキンスが書いた本は「Selfish Gene」で、Fクリックが書いたネイチャーの論文は「Selfish DNA」だというのは、確かだと思います。
GeneではなくDNAと言う単語を選んだことに意図性があると考えたのは私で、クリック自身がGeneではなくDNAだと強調しているわけではないです。と、いうか、自分でその論文を読んだことはないから分かりません。
遺伝子の本体を探してそれがDNAであることが判明し、「DNA→RNA→タンパク」のセントラルドグマが確立した後で、実はDNA配列の多くはタンパク質をコードしないジャンクだと分かった頃。でも、ジャンクと呼ばれた配列の少なくとも一部は重要な機能を担っていたと言うことはまだよくわかっていなかった頃。
ドーキンスの「利己的な遺伝子」は出版された後。
そういう時代に、ジャンク(と当時呼ばれていた)DNA配列だけを特に他の配列と区別して「Selfish DNA」と名づけた。
こういった背景から、そこにはドーキンスのいう「Selfish Gene」とは別の考えだという意識があってDNAという語をわざわざ選んだのではないかと私は想像しています。まぁ、死人に意図を聞きただすことは出来ないので、あくまで想像ですが。
>DNAもRNAも一本鎖も二本鎖もありますし、私の中では遺伝子でひとまとめの方がしっくり来ますが。
ドーキンスの「利己的な複製子」「利己的な遺伝子」という概念は、クリックの「利己的なDNA」という概念も内に含む概念なので、ただ乗り連中やずるっ子のことも「利己的遺伝子」と呼んでなんら問題ないと思います。
しかし、特にただ乗り連中やずるっ子だけを他と区別して呼ぶ時には「利己的なDNA」という語を用いるのが普通なのではないかと思います。
>遺伝子という言葉は機能からきた言葉なので、タンパクをコードすることが定義とされたのは「塩基配列>タンパク質>機能」というセントラルドグマが全てだと考えられていた時代の話ではないのでしょうか?
逆転写酵素も発見されセントラルドグマが全てではないことは分かってきたものの、セントラルドグマの持つ意味がまだまだ今よりもずっと大きかった時代に、セントラルドグマを提唱したクリック自身が、タンパクをコードしないジャンクDNAを特に指して作った言葉が「Selfish DNA」という言葉だというのが私の認識です。
> 同じ乗り物に乗り合わせた遺伝子間の「相互作用」
それを「利己的」と呼ぶのはあなたの勝手ですが、ドーキンスはそんなことを言っていませんよ。そもそも遺伝子淘汰というものは、全然異なる遺伝子間の相互作用のことではありません。
流れをぶった切って申し訳ないっす。
ダミだ。よくわかんね。「超光速」、「一般相対論」、「宇宙膨張」などで自分なりに調べてみましたけど、
重力なんかで遅くはなりそうだけど速くなるのはわかんね。
やっぱり「共動座標系」がわかってないんだろうなぁ。モノサシの問題かぁ。
とりあえず、diamonds8888xさんと大文字ナンさんにお礼にうかがいました。m(_ _)m
PS.diamonds8888xさんttp://209.85.173.104/search?q=cache:pz6NyAkCrJIJ:detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1214556317+%E5%AE%87%E5%AE%99%E8%86%A8%E5%BC%B5%E3%80%80%E8%B6%85%E5%85%89%E9%80%9F&hl=ja&ct=clnk&cd=2&gl=jp
ここの回答例ではどれが正解に近いのですか?
>皆さん不親切ですね。ちゃんと親切に教えてあげればいいのに。イヤミなんか言わずに。
なぜみんなが"イヤミ"なんか言っているのか本当に気づいていないのかな?
同じ乗り物に乗り合わせた遺伝子間の「相互作用」は単なる「競合」だけではありません。同じ遺伝子座の(異なる)遺伝子同士ではそもそも相手に奉仕とか協力とかはありえないでしょう。あるとすれば、ヘテロが特別な機能を持つ場合でしょうけど。
野球チームで言えば、同じポジションの選手同士は競合。異なるポジションの選手同士はチームの勝利のために協力。となりの選手に守備範囲を任せて自分は楽をしようとするのが利己的。自分ではプレイせずに、選手のそばで声だけだして報酬はもらおうとするのが・・・、いや失言でした。
>その手のただ乗り連中は利己的遺伝子ではなく、利己的DNA、利己的なDNAと呼ばれることが多いように思います。
>DNA配列なのに、狭義の(タンパクをコードするという意味での)遺伝子ではないというのが奴らの大きな特徴なので、おそらく意図的に「gene」という語を避けて名づけたのでしょう。
そうでしたっけ? DNAもRNAも一本鎖も二本鎖もありますし、私の中では遺伝子でひとまとめの方がしっくり来ますが。遺伝子という言葉は機能からきた言葉なので、タンパクをコードすることが定義とされたのは「塩基配列>タンパク質>機能」というセントラルドグマが全てだと考えられていた時代の話ではないのでしょうか?
タンパクをコードしていても狭義の利己的に該当しそうな例もありますし。
http://www.k.u-tokyo.ac.jp/mgs/mgs_lab/kobayashi.html
こちらに色々紹介されてますね。
http://www.geocities.jp/selfish_genetic_elements/
皆さん不親切ですね。ちゃんと親切に教えてあげればいいのに。イヤミなんか言わずに。
共通の祖先からネアンデルタール人が分岐したのは、50万年以上前のようです。
共通の祖先から現生人類が分岐したのは、20万年弱ほど前のようです。
50万年前から20万年前の間にいた共通の祖先というのは、ホモ・ハビルスのようなものらしいですが、(化石が見つかっていないという意味で)ミッシング・リンクです。
共通の祖先からネアンデルタール人が誕生したあとで、共通の祖先から現生人類が誕生しました。二回目には、どういうわけか、ものすごく急激な進化が起こりました。それは歴史上、他に例を見ないほどの急激なジャンプです。何しろ、ただの原人から、ものすごく発達した知的生物がいきなり誕生したのですから。このように急激なジャンプが起こるということがなぜ起こったのかは、まだよくわかっていません。
asteriaさんはくるくるくんに質問してみるといいね。
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