このファイルは、掲示板巡回ソフトのログファイルを元に再構成したものであり、投稿時の状態(フォントサイズ、文字の色、リンク等)をすべて反映しているわけではありません。
生存に有利な遺伝子が病因となる例と言うと、腰痛とか肩こりなんかも相当するんでしょうね。
つまり、直立歩行の遺伝子と巨大脳の遺伝子のことです。アクア説に影響されたか(^_^)。
NATROMさん はじめまして。
応答ありがとうございました。
先の投稿でイメージした論文の記事は以下のとおりです。
Dopamine-dampening gene linked to prefrontal inefficiency, schizophrenia
National Institute of Mental Health (NIMH)
(Proceedings of the National Academy of Sciences:May 29, 2001)
Daniel Weinberger, M.D., Michael Egan, M.D., NIMH Clinical Brain Disorders Branch, and colleagues,
http://www.sciencedaily.com/releases/2001/05/010529071548.htm
quote the article.
A gene called COMT (catecho-o-methytransferase) had long been suspected of being involved because it codes for an enzyme that breaks down dopamine after it is secreted into the synapse. People inherit two copies of COMT (one from each parent), each in either of two forms. The most common variant, val, reduces prefrontal dopamine activity, while a somewhat less common form, met, increases it.
Among 104 pairs of parents studied, the investigators discovered that the val form of COMT was transmitted to offspring who eventually developed schizophrenia more often than would be expected by chance: 75 times for val, compared to 51 times for met.
>「統合失調症の疾患感受性遺伝子を少数持つことはまったく持たないより生存に有利である可能性があります。」
それはどういうものか、考えてみるのも面白いかもしれません。
「統合失調症の本質的属性とは何か?」さえ専門家の間でも統一されていないようですから難しいと思いますが。
上の論文に限って参照すれば、環境からのストレス反応(bahavior)を制御する「(大脳への)ドーパミン伝達が不足しているのが統合失調症である」ということですから、統合失調症の本質的属性とは意欲・行動力が衰弱するということですね。
これは近代以降の競争資本主義では不利な存在様式だと思います。
ある患者の方が「ぼくは低エントロピーな人間だから」と言っていましたが、ここでの「低エントロピー」とは「ぼくは行動力がないので他の人より少ないお金で生活して行ける」という意味です。
「過剰生産と消費は美徳(バリバリ働き、ガンガン消費/浪費)」な競争資本主義以前の社会では、もしかしたら少ない生活資料で生存を維持する生活様式が個体にとって有利だったのかもしれません。行動抑制的な遺伝子を持っていても少なくとも淘汰の機会を得ることは無かった
。(自信ないです)
肥満や糖尿病なども吸収する自由エネルギーに比べエントロピー生産が不足しているということですよね?
すると、みんな近代資本主義病ということでしょうか?
(ストーリーとしては面白いの出来たなと思ってますが、自分自身眉唾な感じです。汗^^;)
(板の本旨から脱線しすぎですね。こういうのを連合弛緩といって統合失調症の中核症状だそうです。連合弛緩(観念連鎖の脱線)は創造性と関係するか??)
時間があったらまた教えて下さいm(_ _)m
国会にはダーウィニズム利権を握ったダーウィン族議員がいるからなのですよ。
ラマルキズムは利権とは結びつきがたいが故に政治的には無力なのです!
soft_tractorさん、こんにちは。
> まあ言いたかったのは、要は何万ってえ専門家の方々の間で、何十年も認められ続けるにゃぁ、それなりの理由があろうってもんじゃあねえかということなんで。
上記意見に同意します。
同意はするのですが、この状況証拠だと、らい予防法など問題ある法律が何十年も放置されてきたことにも、それなりの理由があることになる、という切り返しが来そうです。
欲の面から見ると、全然違う状況になるんですけどね。
soft_tractor さま
> だってねえ、そんなに多くの人たちが、揃って知的に不誠実だったりとか、かくも長い間
> 知的に弾圧されてたりとか、ちっと考えにくいと思うんでやすがねぇ。
そこで、ダーウィニズムですよ。
「学会」という環境では、モーレツな淘汰圧により知的に不誠実な人たちが有利なのです。
あれ?
あったりマエダのなんとやらって、いや実はトリスもこれもリアルタイムじゃねぇんですけどね。>NORTON3rdさんへ
なんか、見直してみると、あっしの前の書き込みは、なんだかわけわかめになっておりやすね。
まあ言いたかったのは、要は何万ってえ専門家の方々の間で、何十年も認められ続けるにゃぁ、それなりの理由があろうってもんじゃあねえかということなんで。
言ってみりゃ状況証拠みてえなもんでやすが、かなり強力な状況証拠だとは思っておりやす。
だってねえ、そんなに多くの人たちが、揃って知的に不誠実だったりとか、かくも長い間知的に弾圧されてたりとか、ちっと考えにくいと思うんでやすがねぇ。
ハワイへいこう!って
soft_tractor 様、年代がバレまっせ。
(小生と同等くらいのぢぢいとみた)
誤:「動物哲学」とはラマルクの著作の「動物哲学」でしょうか?それならば動物哲学が発表されたときダーウィンが生まれた年に発表されたそうですので、
正:「動物哲学」とはラマルクの著作の「動物哲学」でしょうか?それならば動物哲学はダーウィンが生まれた年に発表されたそうですので、
です。
通りすがりのド素人さん、こんにちは。通りすがりのド素人さんの言うように、統合失調症(schizophrenia、精神分裂病)は、遺伝的要因が関与する疾患です。一般に思われているよりかは、遺伝的要因の影響力は強いのではないでしょうか。もちろん、環境の影響も受けますし、遺伝要因も一つの遺伝子ではなく、多数の遺伝子が関与しています。糖尿病や高血圧のような多因子疾患の一つという位置づけでよいと思います。
ウイルス感染の関与については、詳細は知りません。可能性はあるとは思いますが、それほど一般的なものではなかろうと思います。「両親や兄弟と比較し異性体に変化が生じている」というのは、いまいち意味がよくわかりませんので、原著論文等を示していただければ、もうちょっとましな回答ができると思います。「遺伝子の一部が書き換えられる」というほどの強い変化は考えにくいと思います。
>実際は病気なので繁殖力はむしろ弱い方ですが、不思議なことに、時代や地域にかかわりなく罹患率は概ね一定だそうです。淘汰されることもなく、やはりウィルスなど何らかの環境要因が罹患率一定に寄与していると考えるのが無難だと考えます。
>胎児期以降に遺伝子が書き換えられるということはホントにあるのでしょうか?
まず、(ウイルスかどうかはともかくとして)環境要因が関与していることは確実。ただし、遺伝要因も影響しているので、「淘汰されていない」ことには何らかの説明は必要だと思います。ウイルスの関与や、「胎児期以降に遺伝子が書き換えられる」といった仮説を持ち出さなくても、統合失調症の疾患感受性遺伝子は別の面では有利に働いている(働いていた)という仮説で説明可能なのではないでしょうか。
糖尿病や肥満の遺伝子については、現在のように十分な食料がある時代なら不利であっても、かつて食料が不足しがちな環境下では有利であったという可能性は容易に指摘できます。統合失調症でも同じことが言えるかもしれません。あるいは、こちらのほうが説得力があると個人的には思うのですが、統合失調症の疾患感受性遺伝子を少数持つことはまったく持たないより生存に有利である可能性があります。どこまで本当か知りませんが、天才と言われる人たちは統合失調症の家族歴を持つことが多いそうです。
>パラドックスさんへ
えー、お初におめもじいたしやす。
無駄話専門の無学モンでござんすが、ちとお付き合い下せえまし。
パラドックスさん>創造論者が進化論を受け入れない態度は、ダーウィン進化論者がラマルクの理論を受け入れないのと同じ程度のかたくなさと悪意と侮蔑的感情を持っていると言いたかったのです。
うーんとね、ちょいと見方を変えてみやしょうかね。
今ちょいとね、「生物学会」でググってみたんでやすが、いやあ、あるもんですねえ。「分子生物学会」、「発生生物学会」、「応用生物学会」、「種生物学会」、「古生物学会」云々云々と生物と看板掲げてらっしゃる研究者の方ってのは余程の数になるんじゃぁねえかと思われでやす(ちなみに分子生物学会の会員数は賛助会員まで含めると11,994名だそうで)。
一人で複数の学会の会員になられてる方なんかもいらっしゃるんでやしょうけど、まあ万てえ人数はかてえとこでやしょうね。
んで、海外の研究者まで勘定にいれるてえと、10万人かそこらはいるんじゃねえでしょうか?まあ、あてずっぽうでやすけどね。
この方々てえのは、あっしなんぞより余程に学がおあんなさる方々で、で、研究を生業にされてる方がかなりの割合を占めてらっしゃるんでやしょ?
なにが言いてえのかってえと、この何万ってえ研究者の方々が、そろいもそろって「同じ程度のかたくなさと悪意と侮蔑的感情を持っている」とは思えねえんですね、あっしには。
人がこんだけ集まりゃぁ、中には捻くれたやつもいりゃ、傾いたやつだっておりやしょう。それがことラマルキズムに冠しては、揃いも揃って右に倣えなんてこたぁ、余程のことが無え限り、ちょいと考えにくいんじゃあねえでしょうか?
んで、もひとつね、あっしが思うのは、「研究者=研究のプロ」ってえ方々は研究成果(論文とかなんとか、ね)を出してナンボなわけで、そいつが画期的であればあるほど功成れりってえことになるわけでやしょ?
だとしたら、ダーウィニズムをひっくり返すってえ世紀の偉業に手ぇ出さねえってことは、まずありえねえと思うんでやすね。
パラドックスさんは「知的不誠実さ」ってえことをおっしゃっておられやしたが、誰に限らず「世紀の偉業」とかそれに伴う金だのなんだのってえ「欲」にゃあ、人間ってえのはたいそう誠実なもんだと、まあ、見もフタも無え言い様になっちまいやすがね。
こいつぁ皆さん、特に研究を生業にしてらっしゃる方ににお聞きしてえんでやすが、ひょんなことから、例えば最近話題の「逆転写酵素が機能して云々…」なんてえことを発見しちまったら、一体どうされやすかね?
ダーウィニズムを「妄信」するあまり、見なかったことにしちまいやすか?
あっしだったら、まずサラ金でも街金でも、とにかく追試のための費用を掻き集めてくるだろうと思いやすが、いかがなもんでやしょ?(まあ、サラ金だのなんだのは冗談としてもね)
研究者だって人の子なんで、人並みに徳もありゃあ欲もある。その人並みのあるいは人一倍の「欲」に晒されて、百何年も持ちこたえてきたダーウィニズムってえのは、やっぱりそれなりのもんだと、あっしはそういうふうに合点しているんでやす。
長々と失礼いいたしやした、口の汚ねえのはご勘弁。
そいじゃ、御免なすって。
多細胞生物ならば、体細胞で起こった変化が生殖細胞に情報として伝わる経路が存在することも必要だと思います。
それはさておき、逆転写酵素が獲得形質の遺伝に関与するならば、真核生物だけでなく原核生物にも存在しなければならないと思います。また、DNAを遺伝情報とするウイルスにも存在していてもおかしくないでしょうし、失われているのならばそれなりの理由も必要でしょう。
さらに言えば、いろいろな生物の逆転写酵素の塩基配列を調べれば、シトクロムcのような系統樹が書けるのではないでしょうか?
パラドックスさんに質問したソースとはこういった情報のことです。
*パラドックスさん(修正ラマルク進化論 投稿者:パラドックス 投稿日: 1月27日(木)00時35分30秒)
こんにちは。
> ダーウィン進化論が十分な証拠もなく通説の地位を得たことに対する異議を私は訴えます。
あなたは、ダーウィン派の進化論が「十分な証拠もなく通説の地位を得た」となぜ自信を持っていい切れるのですか?あなたはご自分で素人だとおっしゃいましたね?なぜ、素人のあなたが進化生物学者の研究について「十分な証拠もない」と判断できるのですか?その根拠を示して下さい。
そもそも、ダーウィン派の進化論が通説としての地位をすんなりと得たとお考えですか?自然選択説は、一時ほとんど忘れられかけたことがあります。オオマツヨイグサの栽培実験によってド・フリースが突然変異説(1901年)を唱えたことで、「生物進化の主役は突然変異だ」という考えが広まり、「ダーウィンの自然選択説は古い」と思われたのです。実際、その後も長い間、遺伝学者はダーウィン派の進化論に対して概して批判的でした。そうした状況からダーウィン派の進化論が通説の地位を得たのです。そうした経緯を踏まえて、なお「ダーウィンの進化論は十分な証拠もなく通説の地位を得」ることが可能だったとあなたがお考えだとしたら、それこそ「あまりにもこっけいで愚かしく」思えます。
「学説史的に問題」というご発言とも関係しますが、ダーウィン派の進化論が通説となった経緯をきちんと調べられてはいかがですか。あなたは、ラマルクやカンメラーに対する同情心だけで学説史を恣意的に解釈しておられるように私には見えます。
あなたがラマルク的な観点から生物進化を考えられるのはご勝手ですが、ダーウィン派の進化論についてもう少し真面目に勉強されてはいかがですか?あなたは知的誠実さを云々されますが、自分の批判の対象について正確に知ろうとしない、そのための努力を怠るとしたら、そのような態度は知的に誠実だといえるのでしょうか?
少なくともこの頃の論文にも雑誌にも、「分裂病」という記述は見られなくなってると思うんですけど...。
まずは、最新の書物を読んでみたらいかがでしょうか?
遺伝かどうか、など、大昔の本とは相当違う記述になってると思います。
原因は「狐憑き」だ、とか書いてる本を真に受けていません?
お父さんは相当逆境を生き抜いてきたつもりなのですけど、
そして娘にはそんな話を折りにつけ聞かせて、口癖のように「ウチはビンボーなんだよっ!」
と言ってきてるのですけど...(T_T)
環境で娘が質素になり親孝行するようになる、といった現象が観察されなければ、やはりだめですよね...。
夕焼けの海に向かって叫ぶ!
「娘よ!せめてなにか一つくらい獲得しろー!!」
はじめましてm(_ _)m
専門的な人に教えてもらいたいのと、もしかしたらここでの話の参考になるかと考え思い切って投稿します。
私は分裂病の生物学的な研究に興味を持っていて、よく論文(ほとんどサマリですが)を読みます。
分裂病には遺伝性があることは統計的な状況証拠から確からしいと専門家は考えているようです。
罹患率は普通の人で1%未満。両親がともに罹患していると10%くらい。一卵性双生児では40〜50%くらいだったと思います。
遺伝子同定の研究(連鎖分析など)は精力的に行われているようですが未だ同定されていません。そもそも単一疾患ではないというのが専門家の認識ですが。
罹患の原因として候補が挙げられているのはインフルエンザなどのウィルスへの感染で、胎児期か幼少期に感染し、レトロウィルスなどが関与して遺伝子の一部が書き換えられるというものです。
いくつかの研究では、両親や兄弟と比較し異性体に変化が生じており、特異的な変化あるいはコピーの失敗?を起こした方が罹患率が高いというものもあります。
これでいくと、もし分裂病という種(?)が社会生活に不利でなく、繁殖力が強い種だったとしたら、分裂病の行動特性をもった個体が増加していくということになりませんか?
実際は病気なので繁殖力はむしろ弱い方ですが、不思議なことに、時代や地域にかかわりなく罹患率は概ね一定だそうです。淘汰されることもなく、やはりウィルスなど何らかの環境要因が罹患率一定に寄与していると考えるのが無難だと考えます。
胎児期以降に遺伝子が書き換えられるということはホントにあるのでしょうか?
すみません。時間があったら教えて下さいm(_ _)m
>どっちにしても、タンパク→RNAという“逆翻訳”が見つからない限り、
>逆転写酵素の存在は獲得形質の遺伝の証拠にはならないんですけど。
環境でタンパクが変化するといった現象が観察されなければ、やはりだめですよね。
勢いで書いちゃいます。ワイズマンの実験について
かのネズミの尻尾切り実験の結果をもって獲得形質の遺伝を否定することは、
神が目に見えないことをもって神の存在を否定するのと同じである
と、私は思います。
常連の方々にはこれで意味が通じるかもと思いますが、以下で解説しておきます。
科学実験の多くは「成功したら、Aである」という形態だと思います。
ワイズマンの実験もこれに該当します。
この場合、ネズミの尻尾が短くなった場合が成功です(実験者の意図は関係なく、これはそういうタイプの実験である)。
つまり、ワイズマンの実験で尻尾が短くなった場合は、
「獲得形質があり得る」ということが示されます。
一方、短くなるという結果が得られなかった場合、
「獲得形質があり得ない」とはならず、
「獲得形質があり得るという仮説は支持されない」となるわけです。
っつーわけで、ワイズマンの実験「だけ」をもって獲得形質の遺伝を否定することはできないと思います。
ただし、現状のラマルク説には、支持するに足る科学的根拠がないことも付け加えておきます。
長文失礼しました。
たんぽぽさん へ
逆転写酵素は、実は真核生物からも見つかってるんです。以下、岩波生物学辞典第4版「逆転写酵素」の項より引用します。
***引用開始***
本酵素は初めレトロウイルスにだけ存在すると考えられていたが,その後ウイルス感染のない細胞・正常組織からも同様な酵素が分離され,さらに,真核生物の広範囲散在反復配列(LINE)やAluファミリーなどの反復配列,トランスポゾン,イントロンの一部にもこの酵素の遺伝子がコードされている例が数多く見出されている.
***引用終了***
どっちにしても、タンパク→RNAという“逆翻訳”が見つからない限り、
逆転写酵素の存在は獲得形質の遺伝の証拠にはならないんですけど。
>なぜその当時ラマルク進化論の人たちとダーウィン進化論の人たちの間で活発な論争がなされなかったのでしょうか。
されなかったというのが事実ならどうしてでしょう?
孫引きですが、大豆生田さんのページに「疑似科学批判書としての『生物進化を考える』」というタイトルで木村資生の著作の内容について以下のように触れています。
============================================
[大豆生田注:ヴァイスマンのラマルク説を否定する実験に触れて] この実験がラマルク説を否定する上で意味がないと頭から主張する生物学者が現在でも少なくないこと一つをとっても、従来の進化論が実験、観察から遊離し、観察事実をどうにでも解釈できる性質のものであることを示している。 (pp. 10-11)
============================================
もし以上の引用が事実ならワイズマン(ヴァイスマン)の実験から数十年経った80年代でもこの実験を批判している学者が少なからず存在していたことになります。
「当時のダーウィン主義者が力ずくで批判を封じたのか?」「ワイズマンの実験は巧妙で欠点がなかったが、後世の(ワイズマンの実験を批判している)学者が概略しか知らず、正しく理解していないのか」などなど、いろいろ原因は憶測することはできますが、現代の状況からかつてどうであったかを推測することはできませんので、私からは何とも返答しようがありません。
>「動物哲学」を発表した時の社会事情とかいろいろな事情でラマルク進化論は有力な支持者を得ることができなかったか、いたとしても、ダーウィン進化論の支持者よりもその時点でもはや雲泥の差がついていたのです。
「動物哲学」とはラマルクの著作の「動物哲学」でしょうか?それならば動物哲学が発表されたときダーウィンが生まれた年に発表されたそうですので、
>ダーウィン進化論の支持者よりもその時点でもはや雲泥の差がついていたのです。
ということはあり得ないのでは?
パラドックスさま、はじめまして。
「たんぽぽ」ともうします。
>また、逆転写酵素は、環境の変化が一つの種から新しい種への
>変化の機構の一つになりうると思います。
>しかし、大半の動物には逆転写酵素が存在していますが機能していません。
「逆転写酵素」は、RNAからDNAを合成する酵素ですが、
「レトロウィルス」という、RNAしか持たないウィルスが寄生するとき、
宿主細胞にDNAを合成させるためのものですが。
http://w3pharm.u-shizuoka-ken.ac.jp/~bukka/Public/protein_of_month/011125/index.html
========
ウイルスは感染する際、自分自身の持つRNAからDNAを作る必要がある。
これは例外的なことである。なぜならば、通常の細胞の仕組みでは
DNAからRNAを合成し、その逆ではないからである。
DNAは通常、他のDNA鎖を鋳型として用いてのみ、合成される。
この巧みな合成の逆転は、逆転写酵素により行なわれる。
========
http://www.s-vet.com/client/fiv_2.htm
========
レトロウィルスが遺伝子として持っているのはRNAです。
そのRNAを寄生主の細胞の遺伝子(DNA)に潜り込ませる際に、
逆転写酵素を用いてDNAを合成しています。
このようなことができるのは生物界の中でもレトロウィルスだけです。
========
一部不適切な表現があると思いますがごめんなさい
ギリシャ人のガイドさんが言ったままをいいます。
禿げてテカテカしたいやらしそうな男の人をギリシャ語で”スケベ”といいます^^。
ギリシャ語で読み解いてみました。
パラドックスさん はじめまして
私は以下の件は知らなかったのですが、
>10年ぐらい前、「万葉集は古代朝鮮語で解読できる」という本がベストセラーになりま>した。その時、言語学者の金田一春彦が「いや、万葉集は英語で解読できる」「万葉集>はスペイン語でも解釈できる」と、両言語でこれまで解釈不詳とされていた歌をことご>とく読解してしまいました。私が言いたいのは最終的にはそういうことです。進化論は>ダーウィン進化論でも修正ラマルク進化論でも科学的に説明できる、と。
これを読んで、金田一先生の意図したのは言語学という学問と「万葉集は古代朝鮮語で解読できる」というエキセントリックな読み物の間に厳然とある区別、
”なぁに、そんなレトリックで良いなら私なら英語でもスペイン語でも解釈できると簡単にお遊びができますよ”
と示されたのじゃないかと私は思ったのですが。
つまり、ご自身の知識・理解の深さ見識の広さをさらっとお茶目に披露する事で言語学の真価の一端をお知らせしようとしたのじゃないでしょうかね。
トンデモに対するとてもスマートなカウンターだと尊敬するのですが、違うんでしょう
か?
パラドックスさん。こんにちは。
>10年ぐらい前、「万葉集は古代朝鮮語で解読できる」という本がベストセラーになりました。その時、言語学者の金田一春彦が「いや、万葉集は英語で解読できる」「万葉集はスペイン語でも解釈できる」と、両言語でこれまで解釈不詳とされていた歌をことごとく読解してしまいました。私が言いたいのは最終的にはそういうことです。
金田一春彦がなぜそのような解釈を行ったのか、分かって発言なさっていますか。意味不明な文章はこじつければどうにでもなるということを示したにすぎません。朝鮮語説のナンセンスさを糾弾しただけです。
パラドックスさんのたとえを進化論に当てはめると、「こじつければダーウイニズムもラマルキズムも一緒」とでもなるのでしょうか。実際修正ラマルク進化論と称していましたね。
>進化論はダーウィン進化論でも修正ラマルク進化論でも科学的に説明できる、と。
科学的ということばをどのような意味で使っていますか。まずはそこからです。
>ダーウィン進化論が十分な証拠もなく通説の地位を得たことに対する異議を私は訴えます。
この発言の根拠をお訊きしたい。ミケさんもおっしゃっているように、「大量の証拠があるわけです」よ。
パラトックスさんが構築中の「修正ラマルク進化論」を提示していただけませんか。未完成のものでも結構ですから。
パラドックス さんへ
1月23日(日)23時30分35秒の投稿で、
現在ラマルク説がほぼ廃れているのはワイズマンの実験によってだけではない
と書きましたが、読んでくれました?
ある説が証拠もなしに主流になるなら、そりゃあ問題です。
ダーウィン説には証拠がある。ラマルク説には証拠がない。
もってまわった言い方であろうと、証拠のある説(ダーウィン説)で矛盾なく説明できるなら、証拠のない説(ラマルク説)には出る幕はありません。それが科学ってもんでしょ?
>つまり自然選択説は、「種の起源」が発表されてから150年経ってようやく、運だけで決まることを否定できる程度の実証しかなされていないわけです。
ミケは、あなたが「ずぶの素人」だと言うから、何も知らない人でも分かりそうな基本的なことを説明するに留まってきたつもりです。この場合も似たようなもの。
自然選択は偶然でないことは、基本中の基本です。とりあえず、基本を知らないことには先に進めない。
**ある形質の値とそれを持つ個体の生存.繁殖との関係がランダムではないという研究は「少なくともほとんど全ての生き残りが運だけで決まる」ということを否定できるには十分ある**
と言う言説は、ここまでしか分かっていないということを示すものではないです(論争であればなおのこと)。お分かりでしょうか?
もっと大量の証拠があるわけですが、「ずぶの素人」発言は撤回なさりますか?
「ずぶの素人」であれば、その証拠がどんな意味があるのかという説明もつけなきゃいけないわけで、そりゃ説明する側も面倒ですよ。
>しかしダーウィン進化論者の当サイトの中で、自然選択説の実証が、生き残りは運だけで決まることを否定する程度の段階だと書いてあるにもかかわらず、常連の皆さんがダーウィン進化論を妄信しているのが私には不思議でなりません。皆さんだけでなく進化生物学に関わっている研究者がことごとく同様の態度を取っているのです。
パラドックスさん、はじめまして。
しかし、上記のようなことをどうして書けるのか、私にはさっぱり分からない。あなたは、お手元にあるほんの少しの書物、それも私のような一般読者向けに書かれた啓蒙書や入門書を読んだだけで、この掲示板の参加者の皆さんがダーウイン進化論を「妄信している」と決め付け、さらには専門の進化生物学者までを同列に扱ってしまう。つまりパラドックスさんは、獲得形質の遺伝や修正ラマルキズムは「不当な扱い」を受けて、今日では「トンデモ」や「異端」と扱われている…ダーウィン進化説を支持する者はそれら不当な保守性に固執する「差別主義者である」と言いたいのですか?また、さらにご自分はそうした不当や不正を許さない者であると?そういうことですか?
>、何らかの実験で、遺伝子系であろうと表現系であろうと獲得形質の遺伝とか環境に対する適応的な結果が出たなら、いろいろと持って回った言い方でラマルク進化論的機構を連想させないように叙述するのです。
文章の意味が分かりかねます。遺伝子が単体で環境に適応するということはあり得ないでしょう。それは情報に過ぎないのですから。ある形質が表現型として現れたとき、始めてそれは「有利/不利」として環境と作用するわけではないですか?また、獲得形質の遺伝が「確かにあった」とされる根拠はなんですか?愚かしいとまで述べていらっしゃるのですから、よほど確かな証拠を提示できる、ということですね。
パラドックスさん、
もう少し勉強してから書き込むことをお勧めします。
この場合の勉強というのは、進化の入門書や啓蒙書を読むことではなく、進化学を支える分子生物学や集団遺伝学をきちんと理解するということです。
>常連の皆さんがダーウィン進化論を妄信しているのが私には不思議でなりません。皆さんだけでなく進化生物学に関わっている研究者がことごとく同様の態度を取っているのです。
専門家を過小評価してはいけません。専門家が自然選択説を採択するのは理由があるためです。
逆に言えば、獲得形質の遺伝を原動力とする進化を否定するのも理由があります。
専門家が「ラマルクの理論」を採択しない主な理由の一つは、そのメカニズムが発見されていないためでしょう。「修正ラマルク進化論」をもって説明できる現象もあるでしょうが、それは間違いなく自然選択説でも説明可能でしょう。その際に重要なことは獲得形質が遺伝することを明確に示すことでしょう。それがない限り、何を言っても寝言以上の何物でもない、ということになります。
「用不要説における獲得形質の遺伝の機構」について考えを提示されているのでそれに触れてみます。
>あくまで私の推測ですが、単細胞生物の場合、生物として必要な最低限の機能を一つの細胞に含んでいるのですから、外部環境の変化に比較的早く適応的変化をすることが可能ではないでしょうか。また、逆転写酵素は、環境の変化が一つの種から新しい種への変化の機構の一つになりうると思います。しかし、大半の動物には逆転写酵素が存在していますが機能していません。したがって、生命が地球に誕生してから今日までのいずれかの時期まで、環境の変化に個体の体細胞が反応し、逆転写酵素によって用不要説における獲得形質の遺伝の機構の一つとして機能していた可能性はあると思います。
非常にあまい仮説です。第一に、パラドックスさんは、逆転写酵素が見つかった時点で専門家があなたの考えたような仮説を思いつかなかった、あるいは思いついてもそれが採択されていない理由は何かと考えないのでしょうか?
それから、「大半の動物には逆転写酵素が存在していますが機能していません。」のソースは?
「環境の変化に個体の体細胞が反応」することは認めますが、それがどのような経路で(あるいは機構で)「逆転写酵素によって用不要説における獲得形質の遺伝の機構の一つとして機能していた」のでしょうか?
こういうのは仮説でもなんでもありません。
専門家が「ラマルクの理論」を採択しない理由について、ご自分でよく考察された方がいいかと思います。この際に40年も昔の生物学で考えるのではなく、現在の生物学に立脚して考えるべきです。
「生物学にはずぶの素人」といいながら専門家に学ぶことがないようでしたら、あなたの学問はいつまで経っても入門書レベルにも達しない低レベルのままでしょう。
>つまり自然選択説は、「種の起源」が発表されてから150年経ってようやく、
>運だけで決まることを否定できる程度の実証しかなされていないわけです。
なんかすごいこと言ってるなこの人。
>>流木氏へ
論点をきちんと示して下さい。>>
ダーウィン進化論が十分な証拠もなく通説の地位を得たことに対する異議を私は訴えます。当サイトでウイルス進化論者との論争で、おそらく正統派のダーウィン進化論者である方は次のようにおっしゃっています。
**ある形質の値とそれを持つ個体の生存.繁殖との関係がランダムではないという研究は「少なくともほとんど全ての生き残りが運だけで決まる」ということを否定できるには十分ある**
つまり自然選択説は、「種の起源」が発表されてから150年経ってようやく、運だけで決まることを否定できる程度の実証しかなされていないわけです。その割には、進化生物学の入門書より少し高い水準の本で、あたかもラマルク進化論は論外でダーウィン進化論を機軸としなくてはならないという事を前提として書かれているのです。ですから、何らかの実験で、遺伝子系であろうと表現系であろうと獲得形質の遺伝とか環境に対する適応的な結果が出たなら、いろいろと持って回った言い方でラマルク進化論的機構を連想させないように叙述するのです。私には、これはあまりにもこっけいで愚かしく思えます。その一方で、ダーウィン進化論が実証されているのが150年経って先に引用した程度なら、不運にも進化論の歴史から論外扱いされているラマルク進化論を再評価すべきではないかと、進化論に興味を持って本を読んでいくうちにだんだん強くそう思うようになりました。以前にも申し上げたことがありますが、ラマルクが死んだ後に得られた研究成果を取り入れてラマルク進化論にいくつかの解釈の変更をして、修正ラマルク進化論をダーウィン進化論と事実上ほぼ同じ理論に組み立ててみようと思いました。
10年ぐらい前、「万葉集は古代朝鮮語で解読できる」という本がベストセラーになりました。その時、言語学者の金田一春彦が「いや、万葉集は英語で解読できる」「万葉集はスペイン語でも解釈できる」と、両言語でこれまで解釈不詳とされていた歌をことごとく読解してしまいました。私が言いたいのは最終的にはそういうことです。進化論はダーウィン進化論でも修正ラマルク進化論でも科学的に説明できる、と。誤解しないでいただきたいのですが、ダーウィン進化論をトンデモ説だと私は思っていません。しかしダーウィン進化論者の当サイトの中で、自然選択説の実証が、生き残りは運だけで決まることを否定する程度の段階だと書いてあるにもかかわらず、常連の皆さんがダーウィン進化論を妄信しているのが私には不思議でなりません。皆さんだけでなく進化生物学に関わっている研究者がことごとく同様の態度を取っているのです。これから、進化生物学に関する本を読んだり、新しい研究が発表されたら、修正ラマルク進化論的に解釈するならこういう風にも理解できるんじゃないですか、という感じで断続的に書き込ませていただきます。もちろん、何から何までその立場に立ってではなく、普通に進化生物学に関する本を読んだ感想とか、少し難しい本を読んで分からなかったことを質問させていただいたりとか、そういう立場で書き込ませていただきます。ご迷惑でなければ今後ともよろしくお願いします。
>ぱ氏へ
@これがラマルクの理論だったとして、少なくとも、ちょん切られ続けたネズミの尻尾は、「持続的な使用」はされてないでしょう。だったら退化してもおかしくないのでは。
あるいは、ネズミの「主体的な意志」が進化に影響を与えるのなら、不本意にも切られ続けた尻尾は、長くならなければいけないように思います。>>
ぱ氏が引用したラマルク進化論の規定には重要な大前提が欠けています。それは環境の変化です。そして同じ方向の環境の変化が続いて、それに適応するために表現系を変えるのは地質学的時間、あるいはかなり長い時間を必要とするのではないかと私は推測します。ダーウィン進化論の立場の人たちが、いろいろな動物の形体とか目の構造を説明するのに、少しずつの変異でも長時間かければそれらを完成させることができるとおっしゃいます。それなら、環境に対する適応による表現系の変化も長い時間を必要とすると、修正ラマルク進化論の立場の人が言っても問題はありません。ダーウィン進化論では長い時間をかけることが許されるのに、修正ラマルク進化論に対しては短期間で適応的に表現系を変化させるように要求するなら、それは不公平です。さらに、実際に環境変化に対して同じ地域に住む同じ種でも、それぞれの個体でいくつかの表現系へと向かう可能性があると考えられます。しかし、その全てがうまくいくとは限らず、うまく適応できた方向に表現系を変えることができるのは、環境の変化が大きければ限られてくるわけで、そこで不適切な反応をして有害な方向に表現系を変えた個体は絶滅するか亜種として数が少なくなってしまうと予測されます。つまり動物の「主体的な意志」は間違うこともあるし正しかったとしても長い時間をかけて環境の変化に対して適応的に変異するのです。
>Aネズミの尻尾の実験からはネズミの尻尾のことしかわからんわけで、ワイズマンの実験だけで、「獲得形質は遺伝しない」と決めつけられたわけではないと思ってます(知らずに書いてますけど)。>>
しかし入門書では、その実験でワイズマンが獲得形質は遺伝しないと立証したと書かれている本が多いのです。
>>とんからりん氏へ
>私は入門書を数冊しか読んだことはありませんが、ワイズマンの実験は“用不要説の検証実験としては間違っている”としか書かれていませんでした。>>
それなら、私がたまたま手にした入門書が偏っていたのかもしれません。とんからりん氏がお読みになった入門書ではワイズマンの実験に批判的なことが書かれているのであれば、なぜその当時ラマルク進化論の人たちとダーウィン進化論の人たちの間で活発な論争がなされなかったのでしょうか。「動物哲学」を発表した時の社会事情とかいろいろな事情でラマルク進化論は有力な支持者を得ることができなかったか、いたとしても、ダーウィン進化論の支持者よりもその時点でもはや雲泥の差がついていたのです。
なまけもの様
有り難うございました。勉強になりました
遅レスにならぬうちに、とりあえずお礼まで
(おぢさんはケータイでは、まとまった文が書けません。)
それにしても突然変異説の発表年くらい自分でネットで調べてから質問するべきでした
パラトックスさん。こんにちは。レスが遅くなるのはいっこうに構いません。
>ガードナーは、これはプロパガンダだと、一読者としての感想を持っただけです。キンシャチ氏は、「動物哲学」をお読みになってそのように思われましたか。
ガードナーの文章では、ラマルク主義そのものがプロパガンダではなく、プロパガンダと結びつきやすい、と書いてありますが分かりにくかったようです。
>>ラマルク主義は、耳に心地よいですよね。努力の結果が子孫に伝わるというのは魅力的です。>>
>キンシャチ氏はあまりにもラマルク進化論を通俗的に単純化しています。
同時にダーウイニズムも単純化しているつもりでしたが。続けて書いてあった以下の文章をどのように受けとられましたか。
>くらべてみると、ダーウイニズムは突然変異と自然淘汰が基本ですから、ハードボイルドで粗野かもしれません。目的も何もない、烏合の衆です。
ここから先はひとつひとつみてゆきましょう。
>あくまで私の推測ですが、単細胞生物の場合、生物として必要な最低限の機能を一つの細胞に含んでいるのですから、外部環境の変化に比較的早く適応的変化をすることが可能ではないでしょうか。
ウイルスなどがまさにそうですね。抗生物質がきかない新種が次々に現れます。
>また、逆転写酵素は、環境の変化が一つの種から新しい種への変化の機構の一つになりうると思います。
環境の変化で種が変化してゆくことは、自然選択説で十分に説明できるのではないでしょうか。
>しかし、大半の動物には逆転写酵素が存在していますが機能していません。したがって、生命が地球に誕生してから今日までのいずれかの時期まで、環境の変化に個体の体細胞が反応し、逆転写酵素によって用不要説における獲得形質の遺伝の機構の一つとして機能していた可能性はあると思います。
その可能性がゼロではない、といった意味でよければ同意します。
ここで一度論点を整理しませんか。逆転写酵素は、獲得形質を遺伝させるメカニズムの仮説として提示されたのでしょう。パラドックスさんの本当に主張なさりたいことは別にあるのではないですか。
>最初にお断り申し上げたように私は生物学にはずぶの素人ですから、自然選択説が正しいのか用不要説が正しいのか、それ自体を問題視しているのではなく、学説史的観点と概説書の水準で書き込ませていただいているのです。そして知的公平さを保ちつつ「サンバガエルの謎」を読むと、獲得形質は遺伝しないとする立場の人の誰かがカンメラーを陥れたとしか考えられません。
>しかし、今日、ラマルク進化論がかえりみられなくなりダーウィン進化論が通説としての地位を得るに至ったのは、いろいろな歴史的事情が重なり、複雑系の用語で言う「ロック.イン(固定)」のためです。
カンメラーは陰謀の犠牲者であり、この事件を含む歴史の流れがダーウイニズムを通説にした、とおっしゃりたいのではないですか。
一体、何を問題にしたいのでしょう?「ダーウィン派の進化論が通説として確立される過程でなされたいくつかの出来事(カンメラーの実験の追試が成功しなかったことやワイスマンの実験)は、知的に不誠実であり、学説史的に問題である」というだけではなく、後天的な獲得形質の遺伝によって生物進化を説明したいようにも見えます。その上で、「しぜんせんたくせつをひていしているのではありません」ともおっしゃる。
論点をきちんと示して下さい。多分あなたは混乱しています。ここに書き込むのは、自分のお考えがまとまった後にすべきではありませんか。
*パラドックスさん(2回に分けます 投稿者:パラドックス 投稿日: 1月26日(水)02時11分44秒)
こんにちは。
> まさにその通りです。ラマルクが死んだ後に得られた進化論に関する知識をつけ加え、ある程度の修正をすれば、ダーウィン進化論も修正ラマルク進化論も究極的にはほぼ同じ理論になると私は思っています。
だったら、ダーウィン派の進化学説で問題はないのではありませんか。何しろ、究極的にはラマルキズムもダーウィン派の進化学説とほぼ同じになるんですから。
あなたが問題視しておられるのは、学者の中にあなたから見て好ましくないと思われる行動をとった者がいたというだけではないのですか?それは、あなたにとっては問題でしょうが、別に学説史的な観点から問題とはいえませんよ。あなたにとって不愉快な出来事を学説史的に問題だとしないと気が済みませんか?
あなたがご指摘の「知的不誠実さ」なるものには、カンメラーの実験の追試がなされなかった(追試に成功しなかった)ことやワイスマンの実験以外にあるのでしょうか?ダーウィン派の進化理論が通説として確立された過程でこれら2つが決定的な役割を果たしたとお考えですか?
私の知る範囲では、カンメラーの実験については「捏造疑惑がある」「その後、追試には誰も成功しなかった」「カンメラーは何者かに陥れられたかも知れない」といった話が挙げられていますし、ワイスマンの実験については「用不要説の検証としては不適切との批判がある」といった記述がなされています。
パラドックスさん
>私の文章をよく読んでください。威嚇的言説は、知的不誠実さの端的な表れなのです。
つまり威嚇的言説は知的不誠実さの端的な表れではあるが、ダーウィン主義者が威嚇的言説を取ったかどうかは別というわけですね。
だったら流木さんへの批判に「進化論においてダーウィン主義者がラマルク進化論に対して取ってきた態度の一つである」は紛らわしい上に不要じゃないでしょうか?なにしろ知的不誠実さはダーウィン主義者に限らず見られるわけですから。
>知的不誠実さの証拠としては、用不要説の理論と切り離して行われたワイズマンのネズミのしっぽきりの実験がもっとも有名です。明らかにワイズマンの実験設定は、用不要説における獲得形質の遺伝の検証として間違っています。他には、いくつかの入門書で、環境の変化に適応して獲得形質が遺伝するかどうかについて、カンメラーがそれは遺伝することを実験で立証したことには触れず、別の実験で捏造をしたのではないかとの疑惑が広がり、彼が自殺に追い込まれたことしか取り上げられません。
私は入門書を数冊しか読んだことはありませんが、ワイズマンの実験は“用不要説の検証実験としては間違っている”としか書かれていませんでした。
(事故で片腕を失った人間の子供が片手で生まれてこないのと同じ理屈だと理解しています)
またカンメラーについては取り上げられた入門書を読んだことはありません。
それではパラドックスさんはいったい何十冊の入門書をお読みになり、「知的不誠実さ」の根拠となる記述がどの程度の入門書に掲載されているのか、現実の数字であらわしてもらえないでしょうか?
動物哲学は読んでませんが。
>明らかにワイズマンの実験設定は、用不要説における獲得形質の遺伝の検証として間違っています。
Webを見てまわると実に多くのページがこういう主張をしてるんですが。
そうなんでしょうか?
http://www.geocities.co.jp/NatureLand/4270/imanishi/Lamarck.html
| 「発達の限界を越えていないすべての動物において、ある器官のいっそうひんぱんで
| 持続的な使用は、この器官をすこしずつ強化し、発達させ、大きくし、そして、これに
| 使用の期間に比例した威力を付与する。他方、しかじかの器官を常に使用しないと、
| この器官は知らぬうちに弱まり、役に立たなくなり、しだいに能力を減じて、
| ついに消滅するにいたる。」
これがラマルクの理論だったとして、少なくとも、ちょん切られ続けたネズミの尻尾は、「持続的な使用」はされてないでしょう。だったら退化してもおかしくないのでは。
あるいは、ネズミの「主体的な意志」が進化に影響を与えるのなら、不本意にも切られ続けた尻尾は、長くならなければいけないように思います。
いずれにしても、ネズミの尻尾の実験からはネズミの尻尾のことしかわからんわけで、ワイズマンの実験だけで、「獲得形質は遺伝しない」と決めつけられたわけではないと思ってます(知らずに書いてますけど)。
>>キンシャチ氏へ
>ガードナーはこう書いています。「ラマルク主義は、すべての生物がたえず向上しようと努めることによりより神の広大なプランを実現しつつあるのだという観念論に容易に結びつくが、同じようにそれは、よりよい世界の建設を強調する政治的教義とも容易に結びつく」要するに、科学の皮をかぶったプロパガンダだといっているわけです。>>
ラマルク「動物哲学」(岩波文庫)には、論証過程で、至高創造神、至高意志などといった類の言葉が数ヶ所で使われています。しかし、全体的な内容はあくまで環境の変化に動物が適応しながら進化していったことを述べているのであって、それではどうしても説明が困難な時に、「至高創造神による力がそうさせた」と、まさに苦しい時の神頼みとして「神」あるいは類似用語が使われています。333ページ中の最後の半ページで、ガードナーが指摘しているようにも解釈しうることが書かれています。しかしその前に「私はこの考察に関して為されるべき全ての適応を読者に委ねて置く」と前置きしています(332ページ)。ダーウィンが「種の起源」を発表した時に創造論者と激しい論争が起きたことを思い起してください。「動物哲学」はその50年前に発表されたものですから、広い意味での神秘的世界観が含まれていてもおかしくはないでしょう。しかもラマルク自身が「私はこの考察に関して為されるべき全ての適応を読者に委ねて置く」と断った上での話です。ガードナーは、これはプロパガンダだと、一読者としての感想を持っただけです。キンシャチ氏は、「動物哲学」をお読みになってそのように思われましたか。
>ラマルク主義は、耳に心地よいですよね。努力の結果が子孫に伝わるというのは魅力的です。>>
キンシャチ氏はあまりにもラマルク進化論を通俗的に単純化しています。
>ダーウイニズムの方が立証され続けています。遺伝子を考えてみましょう。遺伝子の構造や働きは、突然変異を説明します。ラマルキズムはいかがですか。獲得形質を生殖細胞にフィードバックさせるメカニズムが発見されていますか。>>
あくまで私の推測ですが、単細胞生物の場合、生物として必要な最低限の機能を一つの細胞に含んでいるのですから、外部環境の変化に比較的早く適応的変化をすることが可能ではないでしょうか。また、逆転写酵素は、環境の変化が一つの種から新しい種への変化の機構の一つになりうると思います。しかし、大半の動物には逆転写酵素が存在していますが機能していません。したがって、生命が地球に誕生してから今日までのいずれかの時期まで、環境の変化に個体の体細胞が反応し、逆転写酵素によって用不要説における獲得形質の遺伝の機構の一つとして機能していた可能性はあると思います。もしそうなら、問題は、いつごろ逆転写酵素が多くの動物で進化の機構として機能しなくなったのか、ということになりますが、入門書の水準ではそこまで分かりません。
>>流木氏へ
反証不可能性とは何でしょうか?どう転んでも、ダーウィン派の進化学説は覆らないということですか?そうであれば、カンメラーの実験の追試がなされなかった云々は無意味ではありませんか?追試の結果、婚姻瘤ができたとしても、あなたの理解では、ダーウィン派の進化学説はその結果をも取り込んでしまうわけですから。>>>
まさにその通りです。ラマルクが死んだ後に得られた進化論に関する知識をつけ加え、ある程度の修正をすれば、ダーウィン進化論も修正ラマルク進化論も究極的にはほぼ同じ理論になると私は思っています。これが言い過ぎなら、ダーウィン進化論で説明可能なことは、修正ラマルク進化論でも説明可能ではないかと思います。しかし、今日、ラマルク進化論がかえりみられなくなりダーウィン進化論が通説としての地位を得るに至ったのは、いろいろな歴史的事情が重なり、複雑系の用語で言う「ロック.イン(固定)」のためです。
>>とんからりん氏へ
>このような威嚇的言説こそ、進化論においてダーウィン主義者がラマルク進化論に対して取ってきた態度の一つである知的不誠実さの端的な表れです。>
>>何を根拠に“ダーウィン主義者は威嚇的言説を用いる”とされたのかご説明いただきたく存じます。>>
私の文章をよく読んでください。威嚇的言説は、知的不誠実さの端的な表れなのです。そして、知的不誠実さの証拠としては、用不要説の理論と切り離して行われたワイズマンのネズミのしっぽきりの実験がもっとも有名です。明らかにワイズマンの実験設定は、用不要説における獲得形質の遺伝の検証として間違っています。他には、いくつかの入門書で、環境の変化に適応して獲得形質が遺伝するかどうかについて、カンメラーがそれは遺伝することを実験で立証したことには触れず、別の実験で捏造をしたのではないかとの疑惑が広がり、彼が自殺に追い込まれたことしか取り上げられません。こういった営為を、知的不誠実さだと批判しているのです。
NORTON3rd さま
岩波の生物学辞典第4版によると、ド・フリースが突然変異説を出したのは1901年、ヴァイスマンが亡くなったのが1914年なので、ヴァイスマニズム=ネオダーウィニズムその1はその間に成立したと思われます。
総合説=ネオダーウィニズムその2は「集団遺伝学や生態学を基に、生物学の様々な分野の成果の総合をめざし様々な進化要因を総合的にとらえようとする進化の理論あるいは思想。1925〜50年頃に形成され発展した。(中略)理論的に、総合説は、自然淘汰だけではなく、遺伝的浮動、突然変異、発生的制約、隔離など様々な要因を考慮する立場である。総合説をネオダーウィニズムとする場合があるが、ネオダーウィニズムを自然淘汰万能論とするならば、同義ではない。」
ネオラマルキズムの語ができたのが1885年、定向進化の語ができたのが1893年です。
100年〜80年くらい前は、がちがちのヴァイスマニズムがダーウィン派では幅をきかせていたが、反発も多く、ネオラマルキズムも元気があったけど、総合説が形成されるにつれて、ネオラマルキズムは力を失っていったのということではないでしょうか。
>っていうか、人為的でよいなら、突然変異頻度を向上させてから選択なんてまどろっこしいことしないでもよいでしょう。遺伝子組み換えを使えば、当の生物にとって有利な突然変異かどうかはともかくとして、人間様のお目当ての突然変異をランダムではなく引き起こせるよ。
え〜(笑、それってたまごちゃんらしくないレスだ!
いや、正直に「質問の(私なりの)解釈」だけに従って回答するとこうなるんじゃないかなぁ…と書いたつもりなんですけど(汗。
突然 突拍子もない質問で えめさんなんか せっかく気分良く お酒を飲んでおられるのに
酔いも覚めてしまわれたのでは?
実は 私も一杯やっていました
大文字ナン さんや たまご さんも 質問の意味がいまいち分かりかねると
その通りですね
いずれ 解りやすく質問なり 説明をと思っていますが、 今は
皆様の貴重な回答 有難うございます
ただ これだけは言えることですが 今 私ことチャヌが ここで話を混乱させてしまうのは
いかがなものかと
これからも 拝見させていただきますし 書きこんで行こうかなと思っていますので
まずは ご挨拶と言うことで よろしいでしょうか
ちゃぬさん、はじめまして。
>遺伝子コードには 生物に有利に働く突然変異を起こさせることは
不可能ですか?
大文字ナンさんもおっしゃっていますが、私もちょっと質問の意味が分かりません。
「遺伝子コードには」という部分は主語なの?目的語なの?
目的語なら、大文字ナンさんが解釈したような意味、主語なら「染色体上の他の部位に有利な突然変異を引き起こすような表現型効果を持つ遺伝子コードは存在し得るか?」っていうような意味の問いになるのかな?
「人為的に生物に有利に働くような突然変異を引き起こせるか?」なら、答えはYESだと思う。遺伝子組み換えすればよい。
何をもって「生物に有利」とするかというのは難しいけど、まぁ、病気の遺伝子のあるところに代わりに野生型の遺伝子を組み入れたりとかなら有利になったといえるんじゃないかな。
「遺伝子コードには」の部分が主語だったら、その問いはちょっと答えるのが難しいかもね。私にいえるのは「少なくとも私が知るかぎりではそういう遺伝子コードは知られていないし、そういう遺伝子コードが生じる仕組みというのは少なくとも私には想像がつかない。」ってことだけかな。もしそんな遺伝子コードが存在し得たら、ラマルキズム復活だけど。
大文字ナンさんへ
>上記で間違いないようでしたら、人為的な処置によって出来ることは「突然変異の頻度」を向上させることでしょうね。たとえば放射線や紫外線を浴びせる、薬品や化学物質を投与するなどによって、通常(自然状態)ではあり得ない頻度で突然変異を誘発することは可能です。ただ、このような方法で起きる変異が有利であるか不利であるかはランダムに起きる事象となります。おそらく大半は生存に不利な変異でしょう。
っていうか、人為的でよいなら、突然変異頻度を向上させてから選択なんてまどろっこしいことしないでもよいでしょう。遺伝子組み換えを使えば、当の生物にとって有利な突然変異かどうかはともかくとして、人間様のお目当ての突然変異をランダムではなく引き起こせるよ。
チャヌさん、はじめまして。
>遺伝子コードには 生物に有利に働く突然変異を起こさせることは
>不可能ですか?
ご質問の意味がいまいち分かりかねるのですが、「遺伝子コードには〜」とあるのは、
「ある生物の遺伝情報を、なんらかの人為的処置によって、より生存に有利な表現型を発生する遺伝情報へと、変化させることは可能か?」
という意味に解釈してよろしいでしょうか。
上記で間違いないようでしたら、人為的な処置によって出来ることは「突然変異の頻度」を向上させることでしょうね。たとえば放射線や紫外線を浴びせる、薬品や化学物質を投与するなどによって、通常(自然状態)ではあり得ない頻度で突然変異を誘発することは可能です。ただ、このような方法で起きる変異が有利であるか不利であるかはランダムに起きる事象となります。おそらく大半は生存に不利な変異でしょう。
しかし、非常に低い確率で起きる「有利な変化」これはつまり、人間の都合という「環境要因」に合致する変異という意味ですが、そうした個体が選択され続ければ、それら同士の交配によって「よりいっそう人間の都合に合致した」個体を人為的に生み出すことが可能でしょう。
ただ、遺伝情報を直接操作するという方法をとらない限り、「突然変異」の確率を「生存に有利な方向だけへ」限定させるという手段は、私には考えつきませんでした。
済みません。酔ってるもんで… 出来るだけきちんと答えます。
>遺伝子コードには 生物に有利に働く突然変異を起こさせることは…
突然変異でしたね…突然変異によるランダムな変異が偶然生存により適した性質を生み出すことは十分にあり得るって…そうですね。
例えば家畜や農作物なんかは元になる生物に対し文字通りランダムな変異を人間が選択する事によって形質の多様性を得て来たんだけれど、その手の話とは違うのですか?
ちゃぬさんへ
”「結果」が(つまりランダムではなく、恣意的にDNAのコードを変異させる事によって生物がどのようになるか(性質にしろ、形状にしろ)予測できれば(つまり陸上の補食生物であれば脚が早くなったりとか)予測が可能なら出来る”と言う事です。
>生物には人間が手を加えない自然状態でも、低い頻度ではあるが突然変異が起り、これを自然突然変異 (natural mutation)、または偶発突然変異 (spontaneous mutation) という。これに対して人間が放射線や化学物質などを作用させて高率に突然変異を起させることもできる。このように人間が手を加えて誘発させた突然変異を人為突然変異 (artificial mutation)、または誘発突然変異 (induced mutation) という。
つまり これを 信じたら 言いのですよね
チャヌさんへ
結果が予測できれば十分に可能です
それこそ突然ですが
遺伝子コードには 生物に有利に働く突然変異を起こさせることは
不可能ですか?
>まさにダーウィン進化論が反証不可能性をいろいろな歴史的経緯で得ることによって、進化論の通説になったことを私は学説史的観点から問題視しているのです。
ある学説が通説になるということは、異なる学説からの批判に耐え得るようにオリジナルの学説が深化していくということでしょう。ある現象がその学説にとって不利な証拠と見えても、実はそうではなく、その学説から説明可能な現象であることを示すことを「反証不可能性」と呼んでいるのであれば、およそ通説というのはそのような過程を経て成立してきているのは学説史的には明らかじゃないんでしょうか?何しろ、不利な証拠と見える現象をその学説の立場から説明できなければ、その学説が通説になれるはずがありませんからね。
一体、学説史的観点から何が問題なのでしょう?「学説史的観点から問題」というお話の中身を教えていただけると幸いです。
なお、「学説史的観点から問題である」というご指摘は裏を返せば、「学説史的観点から問題ではない」展開もあるということでしょうか?そういう「あるべき」学説史にダーウィン派の進化論が通説になっていく過程が反しているというお立場なのでしょうか?もし、そうであれば、「あるべき」学説史とは誰が決めるのですか?なぜ、それは「あるべき」学説史だといえるのですか?現実にそうである以外に学説史はあるのですか?
その辺りからして、私はパラドックスさんの問題設定がねじれているように思えるのですが、違うのでしょうか?
カンメラーの実験の詳細は知らないのですが、自然淘汰にせよ人為淘汰にせよ何らかの淘汰が働いた可能性を排除できるものだったのでしょうか?
卵子と精子の数の比からいって、精子に淘汰がかかるのは避けられませんが、それを措いておくとしても、すべての受精卵が無事に成長して次世代の繁殖に加わるとは考えられず、かなり間引かれただろうと思われます。その間引きは完全にランダムなものだったのでしょうか?
獲得形質が遺伝する仕組みがわからないまま、それが起こる可能性の傍証が得られるかも知れない方法として、たとえば次のような方法が考えられます。
1.注目する形質を司る遺伝子を特定する。
2.その形質を発達もしくは萎縮させる環境で育てた個体が作る配偶子について、当該の遺伝子を調べる。
3.環境によってどのような変異が起こりやすいかに偏りが生じれば、獲得形質が遺伝する可能性が大きい。
ほかに何か良い方法があるでしょうか? カンメラーの時代に可能だった方法があるとは思えないのですが。
が、仮に真実であった場合、獲得形質の実例である可能性はありますが、その仕組みまで解明されないと、現在では十分な証拠とは呼べないのでしょうね。ミケさんともかぶりますが、ラマルク的な進化が受け入れられないのは、分子生物学がこれだけ発達しても獲得形質から遺伝機構へのフィードバックの仕組みが発見されないことの方が、ワイズマンの実験云々より大きいと思います。80年前のカンメラーの時代であれば有力な証拠と考えられた観察結果も、今となっては十分な証拠と言えないだけではないでしょうか。
#カンメラーの実験結果を再現できれば、その価値はともかく話題性は十分あるはず。彼が自殺してからの時間を考えると、試してみた人は何人も居たんじゃなかろうか?だとすると、いかに芸術的な両生類の飼育であったとしても、繁殖まで成功した人が一人や二人いても不思議はない。でもその結果が世に出てこないのは、結局追試は出来なかったってことじゃないのかな?これはあくまで推測(殆どspeculation)ですけどね。
パラドックスさん。こんにちは。
> 私はその本を読んでいないのですが、文脈からすると進化におけるラマルク的機構をトンデモだと扱っているものと推察されます。もしその本で、知的公平さに基づいてラマルクの理論をきちんと批判しているのであれば、私は特に何も言いません。
ガードナーはこう書いています。
「ラマルク主義は、すべての生物がたえず向上しようと努めることによりより神の広大なプランを実現しつつあるのだという観念論に容易に結びつくが、同じようにそれは、よりよい世界の建設を強調する政治的教義とも容易に結びつく」
要するに、科学の皮をかぶったプロパガンダだといっているわけです。
ラマルク主義は、耳に心地よいですよね。努力の結果が子孫に伝わるというのは魅力的です。くらべてみると、ダーウイニズムは突然変異と自然淘汰が基本ですから、ハードボイルドで粗野かもしれません。目的も何もない、烏合の衆です。
しかし実際は、ダーウイニズムの方が立証され続けています。
遺伝子を考えてみましょう。遺伝子の構造や働きは、突然変異を説明します。
ラマルキズムはいかがですか。
獲得形質を生殖細胞にフィードバックさせるメカニズムが発見されていますか。
>>>もともと、支持派が集っているところに批判的な意見を書き込めば、どのような結果になるかは十分に予見可能でしょう。あなたはそのような泣き言をいわないでしょうが、一応ご承知おき下さいね。>>
>このような威嚇的言説こそ、進化論においてダーウィン主義者がラマルク進化論に対して取ってきた態度の一つである知的不誠実さの端的な表れです。まさにダーウィン進化論が反証不可能性をいろいろな歴史的経緯で得ることによって、進化論の通説になったことを私は学説史的観点から問題視しているのです。
これは的外れな主張ではないでしょうか。仮にここがラマルキズムの掲示板であっても、流木さんの「発言」はそのまま有効ですよ。
ダーウイニズムからラマルキズムへの威嚇というのは、勝手な解釈にみえます。
科学史に強い人がいたら教えて欲しいんですが、、、
80年前って自然選択説って主流だったんですかね?
突然変異説とドッキングしてネオ-ダーウイズムになっていくのはもっと後でしょうし。
グールトも著書の中で1950年代までは主流じゃなかったと記していました
ネオ-ダーウイニズムが主流になった1960年代の小生等の子供時分でも、授業では種寿命説/定向進化説/ルイセンコ説などより首の差一つ優勢みたいな感じでした(用不用説はさすがにマチガイということになっていました)
カンメラーの話は小生も掲示板3で谷庵様から聞く間で知りませんでしたが、少なくとも(周囲の一部のフココロエ者はともかく)学会全部で結託してカンメラーを葬り去ったなんぞという話は信憑性が乏しいですなあ
パラドックスさん
>このような威嚇的言説こそ、進化論においてダーウィン主義者がラマルク進化論に対して取ってきた態度の一つである知的不誠実さの端的な表れです。
流木さんは私の知る限りただの一般人のように思えます。もしたとえ進化論に携わる学者の一人であったとしても、たった一人の行為をもって上記のようにダーウィン主義者一般に当てはめることはできないと思いますが、パラドックスさんは不同意でしょうか?
そうでなければ何を根拠に“ダーウィン主義者は威嚇的言説を用いる”とされたのかご説明いただきたく存じます。
カンメラーの件については私は詳細を知りませんが、ここで交わされた議論の中では“威嚇的言説”を用いて実験結果を否定したわけではないように推測いたします。
流木 さんへ
>まぁ、威嚇的と受け止めるのはあなたの勝手ですが、
攻撃的ではあると思います。
「あの人」の知的誠実さと重ねてみたりとかは、経緯を知る人じゃないと分からないだろうし。
そういう態度で相手が[納得したくなくなる]ってこともありえると思います。
>天動説が地動説に取って代わったこと
「天動説が地動説に取って代わられたこと」の間違いですね。訂正します。
学説史を云々されるのであれば、天動説が地動説に取って代わったことはどう理解されているのでしょう?「太陽が東から昇って、西に沈む」という経験的事実に基づく、素朴な天動説は天体観測の結果、否定され、プトレマイオスが集大成した時点では周転円を組み合わせたかなり複雑な体系となっていました。
その後、観測精度の向上にともって、プトレマイオスのモデルでは説明できない現象も見つかったので、天動説に基づく天体モデルはさらに複雑化していきました。そうした中で、地球ではなく、太陽を中心に据えたら、モデルがずっと簡素化されることに気づいたのがコペルニクスです(細かいことをいえば、彼は当時の天文学者が捨て去った天球という古いアイディアにこだわっていたりしますが)。
もっとも、彼は惑星が円軌道を描いて太陽の周囲を回っていると考えていたので、観測結果に見合うだけの精度を得るためには周転円を排除できませんでした。しかし、コペルニクスの近代地動説はガリレオ・ガリレイらによって受け容れられていきます。
もし、現代のダーウィン派の進化学説が補助仮説を無節操に取り込むことで、コアとなっているアイディア(自然選択説?)を維持しているとしたら、それは過去にもあったことに過ぎません。新たな現象が見つかれば、まずは現行の枠組みの中で理解しようと最大限努めるというのが科学者が行ってきたことではないでしょうか?それは別段知的に不誠実なことではありません。ティコ・ブラーエが年周視差が観測できなかったという理由でコペルニクスの地動説に批判的だったのは、彼の知的誠実さゆえだと私は理解しています。
科学の話というよりは科学者の倫理の話ってことですね。
でも、証拠が挙がってない説を「科学的に正しくない説だ」と評価することは、問題がある行為とは思えません。
そのような説を唱えるものを威圧したり馬鹿にしたりすることがあったとして、そういうのを傍から見りゃ不快ですけど、証拠を挙げることができれば馬鹿にする側だってグゥの音も出ないわけです。
>学説史的観点から私にはおかしいと思えるのです。
科学史はあまり興味ないです。ごめんなさい。
昔のことは知りませんが、現在ラマルク説がほぼ廃れているのはワイズマンの実験によってだけではないということを頭においといていただけるなら、ミケは何も言うことはないのです。
*パラドックスさん(しぜんせんたくせつをひていしているのではありません。 投稿者:パラドックス 投稿日: 1月23日(日)22時00分34秒)
こんにちは。
> 創造論者が進化論を受け入れない態度は、ダーウィン進化論者がラマルクの理論を受け入れないのと同じ程度のかたくなさと悪意と侮蔑的感情を持っていると言いたかったのです。
全然違うと思いますね。ダーウィン派の進化学説は反証可能ですが、創造論は反証可能ではありません。ダーウィン派の人々の態度とダーウィン派の進化学説との区別はつきますか?オウムの信者がいい人だということと、オウムの教義が正しいか否かとは別の話ですよね。あなたは、ダーウィン派の進化論「者」の態度を問題にしているのに、それをダーウィン派の進化学説の問題点だと思い込んでおられるのではありませんか?ご自身の論点を明確にしていただけると助かります。
> 当サイトの最初に、進化論と創造論についてのQ&Aで使われているのと同じ意味です。
とのことですので、反証可能性についてポパー的な定義に従っておられるものと理解しました。で、カンメラーの実験の追試がなされなかったと問題視されるのであれば、ラマルク学説の支持者が追試すればよいではありませんか?追試は誰でも可能です。追試の結果、なるほど後天的な獲得形質が遺伝するとなれば、ラマルク説にとっては有利な証拠となりますよね。ダーウィン派の進化学説が後天的な獲得形質の遺伝を認めると崩壊するようなものであれば、ダーウィン派の進化学説は反証可能性を持つわけです。反証されていないことと、反証の可能性がそもそもないこととは別の話です。
> このような威嚇的言説こそ、進化論においてダーウィン主義者がラマルク進化論に対して取ってきた態度の一つである知的不誠実さの端的な表れです。
まぁ、威嚇的と受け止めるのはあなたの勝手ですが、私はここで前述のような反応を繰り返し見てきたので、申し上げたまでです。知的に誠実というのは、面子にこだわったりせずに、自らの誤りを率直に認める態度だと理解していますが、あなたの用語法では違うようですね。
>まさにダーウィン進化論が反証不可能性をいろいろな歴史的経緯で得ることによって、進化論の通説になったことを私は学説史的観点から問題視しているのです。
反証不可能性とは何でしょうか?どう転んでも、ダーウィン派の進化学説は覆らないということですか?そうであれば、カンメラーの実験の追試がなされなかった云々は無意味ではありませんか?追試の結果、婚姻瘤ができたとしても、あなたの理解では、ダーウィン派の進化学説はその結果をも取り込んでしまうわけですから。
>>NATRAM氏へ
>カンメラーが獲得形質の遺伝を証明したと思った実験は間違いか、でなければ、別の解釈が成立するたぐいのものであろうと推測できます。>>
カンメラーの実験の手順でどこか間違いがあったとすればそれは何か、彼の実験が正しいとしても獲得形質の遺伝以外の解釈が成り立つとしたらそれはどのようなものか、そういう論争がなされなかったことが問題だとは思いませんか。
>>そもそも、追試を行なう義務を負うのは、獲得形質の遺伝を主張する側です。>>
その通りです。
>>キンシャチ氏へ
>M・ガードナーの「奇妙な論理2」にカンメラーの紹介があります。この本は疑似科学批判の古典です。パラドックスさんは、ラマルク主義者にたいする、こういった扱いに扱いに異を唱えているのですか。>>
私はその本を読んでいないのですが、文脈からすると進化におけるラマルク的機構をトンデモだと扱っているものと推察されます。もしその本で、知的公平さに基づいてラマルクの理論をきちんと批判しているのであれば、私は特に何も言いません。
>>流木氏へ
>論点がねじれているように見えます。進化論は生物が何らかのメカニズムで進化したという学説の総称でしょう。ダーウィン派の自然選択説は、なるほど現代の主流派の進化学説ではありますが、自然選択説=進化論ではありません。仮に、自然選択説に誤りがあったとして、覆るのは自然選択説に過ぎず、進化論が覆るわけではありません。>>
創造論者が進化論を受け入れない態度は、ダーウィン進化論者がラマルクの理論を受け入れないのと同じ程度のかたくなさと悪意と侮蔑的感情を持っていると言いたかったのです。
>>あなたは「反証可能性」をどのような意味でお使いでしょうか?>>
当サイトの最初に、進化論と創造論についてのQ&Aで使われているのと同じ意味です。
>>もともと、支持派が集っているところに批判的な意見を書き込めば、どのような結果になるかは十分に予見可能でしょう。あなたはそのような泣き言をいわないでしょうが、一応ご承知おき下さいね。>>
このような威嚇的言説こそ、進化論においてダーウィン主義者がラマルク進化論に対して取ってきた態度の一つである知的不誠実さの端的な表れです。まさにダーウィン進化論が反証不可能性をいろいろな歴史的経緯で得ることによって、進化論の通説になったことを私は学説史的観点から問題視しているのです。
>>wadja氏へ
>自然選択という仮説の価値云々ではなく、それを取り巻く研究者の態度に対する評価だと思います。//あまり自然選択説そのものとは関係ないとおもいますが、いかがでしょうか?>>
その通りです。
>>ミケ氏へ
>追試をしないことが、反証可能性を受け入れないことにつながるわけではないと思うし、
カンメラーの実験の後に獲得形質が遺伝するかどうかを検証しようとした実験として、ワイズマンはネズミのしっぽをずっと切り続けました。結局しっぽのないネズミは生まれませんでした。この事で獲得形質は遺伝しないことが実証されました、しかしラマルク進化論は、獲得形質の遺伝の前提として、用不要説を唱えていました。間違った実験設定で、ラマルクとカンメラーの進化論に関する営為のすべてが否定されました。たしかに、>>この実験自体、自然選択説を反証する性質のものではないです(少なくとも単体では)。>>
というご指摘はもっともですが、ワイズマンの実験によって結果的に自然選択説が通説としての地位を占めるにいたったことが、学説史的観点から私にはおかしいと思えるのです。
今朝、中川経済産業相がフジテレビに出演していて、何か喋っていた。
右の眉が上がっていた。
♪部屋とワイシャツと私♪ を思い出した。
NORTON3rdさま、地元ならではの詳細な情報、ありがとうございます。今西〜新今西の思想上の潜在的危険性などは認識しておりませんでしたので、勉強になりました。
教祖さま、トンデモなのは見れば判りますが、トピがトピだけに進化論に対して変な印象を与えないか、ちょっと心配しているんですよ。良ければまたお越しください。
PS.
獲得形質の遺伝の話、興味深く拝見しております。
以前話題に登ったときは、そもそも獲得形質の遺伝をどのように判定するか、で詰まってしまいました。潜在的な遺伝形質発現の問題がありますので。
wadjaさま引用の「大進化する進化論」に並んで載っていた、東北実験医学雑誌に掲載のウサギの糖尿病体質の獲得形質遺伝(?)、こちらは追試で否認されたのかしら・・・
パラドックス さんへ
>カンメラーの実験成果が例外かどうか、同じ条件で追試を行わなければ分からないと思います。
この手の実験は、ふつう「この場合はこうである」ということしか示しません。
追試というのは同じ実験をするので、追試をしても例外かどうかを示す結論は得られないかと。
追試をしないことが、反証可能性を受け入れないことにつながるわけではないと思うし、
この実験自体、自然選択説を反証する性質のものではないです(少なくとも単体では)。
なので、wadja さんや流木 さんの書き込みとかぶりますが、
>自然選択説は反証可能性を受け入れようとしないという点において、科学の名に値するのか、疑問です。
という主張は的を外していると思います。
元物理屋さん、こんにちは。すっかり亀レスですが。
>2. 太陽系はその初期のころ、主に塵や小さな岩が乱雑にあつまった雲のようなものであり、そこから塵が集合してやや大きな物体となり、さらにこれらの物体が衝突や結合を繰り返しながらより大きな惑星に成長し、現在のような太陽の周りを規則的に惑星が運動するという形に発展した。現在の太陽系のエントロピーは初期の頃に比べて減少している。
絶壁にある岩を考えます。これが谷底へ落ちると、物理学でいうところの仕事をすることになります。谷底の岩は、もうそれ以上落ちることができないので、仕事ができません。位置エネルギーを失って、エントロピーを増加させたのです。
現在惑星は、自分の質量と公転速度に釣り合う軌道を運行しています。これ以上太陽に近づくことも遠ざかることもできません。つまり谷底の岩と同じです。一見乱雑にみえた太陽系の初期の頃は、むしろ今よりも低エントロピー状態だったのではないでしょうか。
土星の輪も、塵が自分の質量に釣り合った軌道に落ち着いたので、あのような見事な模様になるのでしょう。
>3. 多くの生物は種ごとに分かれ、比較的狭い地域に密集して生活する。特に地上で最も進化した生物である人類は古くから大きな集落を形成し、また近年では大都市に人口が集中する傾向にある。しかしながら、様々な種が混在して地球全体に広がって分布した状態のほうがより乱雑であるので、生物の集団としての行動はエントロピーを減少させるようなものであると考えられる。また、熱力学の第二法則により宇宙全体のエントロピーは増加するので、過疎化が進めば必ず宇宙のどこかでエントロピーは逆に増大する。
生物が生存するときに増大させるエントロピーが無視されていますね。
僕としてはこのような意見ですが、いかがですか。
>もちろん「潜在的な遺伝形質が発現」した可能性はあり得ると思います。
コメントありがとうございます。話題になっている「サンバガエルの謎」は読んでいないのですが、谷庵さんにごツリー式掲示板
http://otd9.jbbs.livedoor.jp/915865/bbs_thread
で紹介頂いた「さんしょううお」の実験は、追試で確認できたら「潜在的な遺伝形質の発現」だけで説明するのはちと難しいような気がしました。非常に興味深いので、誰か再度トライして白黒はっきりつけて欲しいくらいです。
確かに、歴史的経緯としてカンメラーに同情的な人はいるようです。が、それと自然選択説を直接的に結びつけるのは、どうなんでしょう?
>自然選択説は反証可能性を受け入れようとしないという点において、科学の名に値するのか、疑問です。
とか、
>獲得形質は遺伝しないとする立場の人の誰かがカンメラーを陥れたとしか考えられません。
とかは、自然選択という仮説の価値云々ではなく、それを取り巻く研究者の態度に対する評価だと思います。カンメラーの件の歴史的真相はともかく(80年近く前の話だから、詮索するのは難しそうだけど)、あまり自然選択説そのものとは関係ないとおもいますが、いかがでしょうか?
*パラドックスさん(古い話で恐縮ですが。 投稿者:パラドックス 投稿日: 1月21日(金)20時20分44秒)
こんにちは。流木と申します。
> はじめまして。私は生物学にはずぶの素人なので、学説史的な観点と概説書的水準から進化論に関する意見を書き込ませていただきます。
>>進化論は反証不可能なので科学ではないのでは?
>>A.例えば先カンブリア紀の地層から大量の石器が発見されれば進化論に対する強力な反証になります。
(中略)
> 自然選択説は反証可能性を受け入れようとしないという点において、科学の名に値するのか、疑問です。
論点がねじれているように見えます。進化論は生物が何らかのメカニズムで進化したという学説の総称でしょう。ダーウィン派の自然選択説は、なるほど現代の主流派の進化学説ではありますが、自然選択説=進化論ではありません。仮に、自然選択説に誤りがあったとして、覆るのは自然選択説に過ぎず、進化論が覆るわけではありません。
それから、あなたは「反証可能性」をどのような意味でお使いでしょうか?一般的には、反証可能性という言葉はポパー派の科学哲学の用語として用いられますが、中には自分勝手な定義をして使う人もおられます。議論が先に進んでから、「実は自分が用いている反証可能性とはこれこれの意味だった」とか苦し紛れにいい出されるのも困りますので、予め明確にしておいていただけると助かります。
あと、ここの常連さんは何らかの形でダーウィン派の進化論を支持している人が多いように思えますから、ダーウィン派の進化論批判めいた書き込みに対しては複数の方々からあれこれレスがつく場合があります。これについても、「1人に集団で寄ってたかって…」とかいい出す人がたまにおられます。もともと、支持派が集っているところに批判的な意見を書き込めば、どのような結果になるかは十分に予見可能でしょう。あなたはそのような泣き言をいわないでしょうが、一応ご承知おき下さいね。
サンバガエルは飼育が困難らしいので、厳密にカンメラーの実験が追試されたかどうかは知りません。しかしながら、獲得形質の遺伝を証明しようという試みは、サンバガエル以外にも、多々行なわれたのです。で、そのどれもが大きな成功は収めていません。少なくとも、多細胞生物において、自然淘汰説を覆すだけの成果はまったくあげられていません。こうしたことから、カンメラーが獲得形質の遺伝を証明したと思った実験は間違いか、でなければ、別の解釈が成立するたぐいのものであろうと推測できます。サンバガエルが、唯一多細胞生物で獲得形質遺伝を示すユニークな種であるのなら、話は別ですが。そもそも、追試を行なう義務を負うのは、獲得形質の遺伝を主張する側です。
科学史の観点から、カンメラーの疑惑について誤った記述がなされているとしたら、それは問題でしょう。ただし、それと獲得形質の遺伝の是非とは別問題です。現在手に入る証拠からは、自然淘汰説の対立仮説としての獲得形質の遺伝は否定的です。入門書であれば、獲得形質は遺伝しないという記述は、まったく正当なことです。実際、証明されていないのですから。
**********************************************************************************
---「物理学の「人間原理」は科学ではないという人がいるが、同じ理由でダーウィニズムも科学ではない。なぜ、重力定数がこの値なのか、なぜ電磁力は物質の形成に適した値なのか・・・などの問いかけは、近代科学の範疇にないことも確かだ。だとすれば、何故生物が適応しているか、多様性をもっているのかという問いも科学の範疇にない(が、えてして人間原理を否定する人がダーウィニズムを擁護する)。しかし、この根源的な問いに人間は問い続けてゆかなければならない。であるならば、目的論を取り入れた自然哲学が模索されなくてはいけない。ダーウィン論は完全に間違いなのではなく、全く不完全なのだ。」---枕
**********************************************************************************
「ダーウィン論」(今西錦司)
ま、この時点でカガクの側から言わせてもらえば「神学へ戻れ」といわれてるも同然じゃん。(本人は、新しい哲学の提案だと思ってたのかなあ、、、ばっかばっかし)
でも、「新今西」の人たちは多分コレを受け継いでるみたいですね
URLが有効にならなかったのでリンクを入れておきます
それとワードパットから移すときに改行がおかしくなってしまいました
読みにくくてごめんなさい
http://www.arsvi.com/0w/imnsknj.htm
TO:リリス様
yahooの神トピではケツアルコアトルについての小生の思い違いを指摘して頂いてありがとうございました。
年末に紛れお返事も出来なかったことをお詫びいたします
又、あの「新今西理論」の紹介者と称する人物の定義も示さぬ得手勝手造語の羅列からなる意味不明な文章を
読解し、びしびしと批判を加えていらっしゃるのにはホトホト感心致しております
小生も、あんな理論の中身なんぞ知りたくもないので、参考になることはいえないのですが3年前には小生の地元で
「今西進化論復活祭」なるものをやってるんですなあ(おまけに実行委員のなかに藤前干潟を守る会のヤツも入って
いるし)
http://www.arsvi.com/0w/imnsknj.htm
で、その呼びかけ文から抜粋
************************************************************
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・すなわち、生物の共生・棲みわ
けと共進化の過程において、生物の主体的な「交配選択」が種社会のアイデン
ティティの確立(種分岐)や発展(定向的進化)に決定的な役割を果たす、とい
う新今西進化論(水幡理論)である。首の長さを競う雄キリン、尾羽根の目玉飾
りを競う雄クジャク、角の壮麗さを競う雄トナカイ・・・という「交配競演」は
種社会の願望や価値観の表れであるとともに発展の方向をみずから定めるもので
ある。ここから、進化の方向を種社会が主体的に選択している−種社会選択−と
いう考え方が導かれる。
**************************************************************
「種社会の願望や価値観の表れ」つーあたりで、たいていの人は引いてしまうと思いますけどねえ。
(勿論リリス様ほどの方ならば「種社会」自体で既にダメダメなのはご存知だと思いますが・・・・みなしごハッチの
世界じゃあるまいし)
http://meme.biology.tohoku.ac.jp/INTROEVOL/Page28.html
パラドックスさん。はじめまして。
> 進化論の入門書には、カンメラーの実験で成功したところは触れずに、捏造疑惑だけを書いて、獲得形質は遺伝しない、と決め付けている本がいくつかあります。このような扱い方は知的不誠実さの表れで、こんな風にして一つの学説が通史としての地位を占めるのは、同じ本を6版まで出して知的誠実さをまっとうしようとしたダーウィン自身にとっても不本意なのではないでしょうか。
進化論の入門書ではありませんが、M・ガードナーの「奇妙な論理2」にカンメラーの紹介があります。この本は疑似科学批判の古典です。パラドックスさんは、ラマルク主義者にたいする、こういった扱いに扱いに異を唱えているのですか。
ご意見、ご要望がございましたら、掲示板か、 e-mail:natrom@yahoo.co.jpへどうぞ。