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子ども「ホタルはなぜ光るの?」
母親「ホタルを造った神様にきいてごらん。」
>誰かが隠したか、嘘をついたか・・・
だからそうならないように複数の見張り番を置いたんですが…。
>モーセの奇跡は、ごめんなさい。海を割る方法はわかりません。
モーセが奇跡を起こしたのではありません。それをしたのは神です。
「なぜ」「どうして」という問いには、2つの意味があります。1つは、目的(何のために)を問うものです。もう1つは、仕組みを問うものです。
目的論的な説明が不適切なのは、それを「仕組み」の説明として持ち出すときです。
デートの際に「ホタルはなぜ光るの?」と問われれば、その場の状況から考えて、相手が「ホタルは何のために光るのか」という目的を尋ねているのは明らかでしょう。そこで、「それはルシフェラーゼという酵素が…」と説明を始めるのは(あえてボケをかませようとしているのでなければ)その場の空気が読めていないわけです。そういう答えを返してしまう人は、「カガク主義」云々以前に、コミュニケーション能力に乏しい人物(女心が解らない朴念仁)というレッテルを貼られそうです。
水族館で「サメって怖そうだよね?」といわれて、「うーん、戦ったことないからなあ〜」と答えるのはボケの一種ですが、これで相手の笑いが取れるかどうかは保証の限りではありません。
「雨はなぜ降るの?」という子どもの素朴な疑問に対して「お花に水をあげるため」だと答えた母親は、その程度の答えで子どもを誤魔化せる(子どもは納得するだろう)と思っていたわけですが、その予想は見事に裏切られました。彼女の息子は彼女が思っているより「大人」だったわけです。子どもが求めていたのは、「雨の降る仕組み」の説明だったのかも知れません(まあ、何歳ぐらいの子どもなのかははっきりしませんが)。
【バリエーション1】
ある子どもが母親に「ホタルはなぜ光るの?」と尋ねました。忙しかった母親は「恋をするためよ」と答えました。すると、息子は「ははは、イヤだなあ。お母さん、ホタルが光るのはルシフェラーゼという酵素が…」と説明を始めました。母親が「…ったく、可愛くない子ねぇ!一体誰に似たんだか」とイライラを募らせたのはいうまでもありません。
【バリエーション2】
ある子どもが母親に「ホタルはなぜ光るの?」と尋ねました。忙しかった母親は「恋をするためよ」と答えました。すると、息子は「じゃあ、なぜホタルは幼虫のときも光るの?」といいました。母親が「…ったく、可愛くない子ねぇ!一体誰に似たんだか」とイライラを募らせたのはいうまでもありません。
こんにちは。
宗教の起源は、自然現象の力を擬人化したモノであるという説があるそうです。
だとすると諸現象には、ある「意志」が働いているとか「目的」があると考えるのは当然のことでしょう。
>「イエスが主である、と告白する信仰」とは、彼と神との「在り方」において、であり、
それは彼がその「目的」の為に存在する、というより、
その関係のゆえに、彼が主体的で在ろうと欲することなのではないでしょうか?
何故彼が「主体的」であるのか私には解りません。「神」が「全知全能」であるならば、人間が「主体」であるはずがありません。
もうすこし突っ込むと「全知全能の神」が存在するならば、その神自身も定められた通りに動く「意志無き木偶の坊」にすぎません。
>しかし、あの母親は何といえば子どもに突っ込まれなかったんでしょうね?
「いーから早くご飯食べちゃいなさい」だと…
ええと、メリークリスマス ☆
北国の冬で一番つらいことは、寒いことでも、雪が降ることでも、道や水道が凍ることでもなく、日照が少ないことだと思う。
そもそも日の出から日の入りまでの昼間の時間が短いことに加え、雲に閉ざされて太陽がほとんど見えないし、たまに太陽が姿をのぞかせることがあってもその日差しは非常に弱い。冬の北海道は本当に暗く、光がない。ともすると、光にあふれる春だとか夏だとかといった季節はこのまま永遠に訪れないのではないかという錯覚に陥ってしまうほどだ。
ナザレのイエスが生まれたのはおそらく12月25日ではないだろう。しかし、この最も暗く光から遠い時期にクリスマスがあることは、私のような非クリスチャンにとってすら救いだと思う。
クリスマスの前身は、ギリシアの農業神サターンを祭るお祭りと、ミトラ教のミトラ神の誕生日を祝うお祭りなのだそうだ。宗教が変わって行っても、冬至の翌日あたりを祝うお祭りは引き継がれていったのは、ローマの人々も最も暗い季節に救い(=光の誕生)を切に必要としていたからなのかもしれないなぁと思ったりする。
(ローマの気候がどんなだか知らないけど、緯度的には北海道とか東北と変わらないし)
事情はどうあれ、この季節にクリスマスのあることを私は感謝します。
メリークリスマス♪
ホタルの行動について「恋をするから」という方向の(つまり究極要因による)説明をしないのは、科学の答としても片手落ちですよ。とくに、ここのような進化論を問題にしているようなサイトでは特に。>流木さん
学部学生のころに、文学部のギリシア哲学の授業を半もぐりで受けたことがある。んで、アリストテレスの目的因と現代生物学の究極要因を比較するレポートを出したのだ。
何を書いたかほとんど覚えていないけど、目的因と究極要因はどこが似ていてどこが違うのか。進化生物学においてどういう種類の目的論的表現はOKで、どういう種類の目的論的表現はダメなのか。みたいなことを書いたような気がする。
急に話が変わるのだが、そのギリシア哲学のセンセーはクリスチャンで、よく、「神の国では私とあなたが出来事になる」とおっしゃっていた。
「私とあなたが出来事になる」ってどういうことなんだろう。クリスチャンの方なら意味が分かります?
*地下に眠るMさん(蛍 投稿者:地下に眠るM 投稿日:12月25日(土)01時18分44秒)
>事実は多面的かつ階層的だにゃ。
蛍の発光を「恋をするため」であり「酵素の働きのため」でもあるにゃ。両者はなんら相互矛盾をきたしていにゃー。酵素云々のみをカガク的と捉えるなら、それは程度の低いカガク主義に片足をつっこんでいるのだにゃ。
素で返されると返答に困りますね。
ご指摘の通りです。時と場合によっては目的論的な説明でもよいわけです。「人を見て法を説け」ともいいますから、子どもの予備知識なり理解力なりに合わせた説明をする必要もあります。一概に目的論的な説明を排除するわけにはいきません。
ただ、目的論的な説明ではマズイ場合もあるわけです。「目的論だからダメ」なのではなく、「ここで目的論的な説明を持ち出すのがマズイ」というだけでしょう。相手の主張に対して「それは目的論だ」と指摘しただけでは反論としては不充分なのはいうまでもありません。
しかし、あの母親は何といえば子どもに突っ込まれなかったんでしょうね?
ホタルと言えばゲンジボタルとかヘイケボタル、ヒメボタルといった成虫が派手に光るホタルを思い浮かべがちですが、ほとんどのホタルでは成虫は光らないのだそうです。
そして、成虫は光らないホタルでも多くの種では、卵と幼虫時代は光るのだそうです。もちろん、光を求愛に用いる種の成虫のように派手な光方はしませんが。
さて、改めて。ホタルはどうして光るんだろう??
「ルシフェラーゼが・・・」って答えは勘弁してね>流木さん
目的 投稿者:Sigurd 投稿日:12月24日(金)16時43分31秒より
>「彼が盲目という機能の不全」が「信仰の可能性」という無関係なものはいったいどのような理由で結びつくのでしょうか?
>このように「彼が盲目という機能の不全」は「神のわざという、主の栄光の顕現であり、イエスが主である、と告白する信仰を告白する」という「目的」の為に存在すると書いています。
「愛する」と言うとき、「愛する」というのは、何かあることをするような事とも、またちがうかもしれません。
愛は関係であり、愛が問われるのは、その人の「在り方」においてなのです。
「イエスが主である、と告白する信仰」とは、彼と神との「在り方」において、であり、
それは彼がその「目的」の為に存在する、というより、
その関係のゆえに、彼が主体的で在ろうと欲することなのではないでしょうか?
>こうした諸現象には、ある「目的」「意志」によって生じているという発想
「先生。彼が盲目に生まれついたのは、だれが罪を犯したからですか。この人ですか。その両親ですか。」
これこそ、諸現象の観測ですが、彼とて、あくまで「目的」「意志」を持つ主観です。
彼にとり、主体的であろうと欲することがどうでもよいはずがありません。
メリークリスマス!
−深夜の浜辺、腰を(使ってじゃなく)下ろして−
「空に瞬く無数の星達はあんなにも寄り添うほど近く見えるけど、実際に1つ1つの間は果てしなく遠い、光がその橋渡しをするのに数万年も数百万年も掛かる程に。人間もそう。どんなに近くにいたって、心を通わせる事は…」
ああああ!! 臭いから窓開けてくれーぃ!
−科学はロマンでもあり小道具でもある− byえめ
蛍の発光は性行動だろ?
「恋を求めている」で生物学的にもなんら問題がにゃーでしょ?
酵素がどうとかいうよりも本質的な答えに思えてならにゃーのだが。
また、「なぜ雨が降るか」という子供の問いに、
ニンゲン原理の視点から答えることに問題が特にあるとも思えにゃーな。
日常的な思考において、目的論を排除しようとすることがそもそも偏っていにゃーかね?
全人類を対象にしたニンゲン原理って、不穏当なものではにゃーと思うけどね。
ニンゲンとはまず自らの属する文化に適応せねばならず、文化とは目的論的な志向をもつものだにゃ。
(そして、目的志向性こそが妄想であるといえる)
ガキに対しては目的論的な説明でいいのだにゃ。
発達段階にあわせて適切に嘘をついてあげるのが教育というものだからにゃ。
「花に水をあげるため」という答えは、嘘としての適切性に欠けただけのこったにゃ。
事実は多面的かつ階層的だにゃ。
蛍の発光を「恋をするため」であり「酵素の働きのため」でもあるにゃ。両者はなんら相互矛盾をきたしていにゃー。酵素云々のみをカガク的と捉えるなら、それは程度の低いカガク主義に片足をつっこんでいるのだにゃ。
それにさ、生体内の生化学作用というのは、なによりもロマンティックに語られるべき事柄ではにゃーのかね?
*NORTON3rdさん(NORTON3rd 投稿日:12月24日(金)21時01分11秒)
>。。。科学的言明としての価値はゼロやな
当方は、「それはルシフェラーゼ(Luciferase)という酵素が…」と答えそうです。
「ルシフェラーゼに取り込まれたルシフェリンのカルボキシル基が…」とか講釈を垂れている間に、恐らく相手は呆れ顔(ないし引き攣った笑顔)で立ち去るんでしょうね。
時と場合によっては、目的論的な説明をしないと(上記のような)不都合が生ずるわけですから、目的論に基づく説明を一概に否定することもできないでしょう。
*キンシャチさん
>モーセの奇跡は、ごめんなさい。海を割る方法はわかりません。惑星の接近では無いと思いますが。
自然科学的に説明しようとすれば、地震による津波でしょう。科学雑誌『ニュートン』の編集長であった竹内均さん(東京大学教授/地球物理学)は「サントリーニ島の火山の爆発が地中海一帯に引き潮と津波を起こし、それがモーセの海を分ける奇跡に結びついた」という仮説を唱えました。サントリーニ島は、ギリシアのエーゲ海にある火山島で、現在は半円月形の島と群島からなりますが、かつては直径約20kmほどの島でした。それが大規模な軽石噴火によって中央にあった火山が崩壊し、海中に没したのです。この噴火によってエーゲ海で栄えていたミノア文明が大きな打撃を受けたというのが通説です。
もっとも、モーセの奇跡は、紅海(葦の海)で起きたとされており、地中海で津波が発生したとしても紅海にまでその影響が及ぶとは思えません(当時はスエズ運河はありませんから)。また、サントリーニ島の噴火は、紀元前15世紀頃の出来事ですが、モーセらがエジプトを脱出したと考えられているのは紀元前13世紀のことであり、時代が一致しません。竹内先生の仮説は興味深いものではありますが、鵜呑みにはできないように思います。
ただ、聖書の奇跡を「写実的」に事実だと考えているキリスト者ばかりではないようです。例えば、イエスが水の上を歩いたという話は、自然科学的にはその時点でアウトなわけですが、比喩的に解釈することはできます。
聖書を自然科学的な観点から見れば、ヨタ話の塊のように見えるでしょうが、聖書の記者たちは聖書を信仰の書物として記述した分けですから、自然科学的な立場からナンセンスであると述べても、的外れだと指摘されるでしょう。
問題なのは、自然科学的には明らかに間違いだとされていることを、あくまでも「(自然)科学的に正しい」とする姿勢です。そうした擬似科学の立場を批判することと、聖書の記述の自然科学的に間違っている部分を取り上げることとは、別のことではないでしょうか?
A child asked his mother, "Why does it rain?" Since the mother was busy, she answered her son, "In order to provide flowers with water, it rains." Then, the son said to his mother, "Why does it also rain on the road paved with asphalt?"
ある子どもが母親に「なぜ雨は降るの?」と尋ねました。母親は忙しかったので、「お花に水をあげるためよ」と答えました。すると、息子は母親に言いました。「じゃあ、なんでアスファルトの道路にも雨は降るの?」
こういう子どもはきっと「可愛げがない」といわれるんでしょうね。
という題の本があります(太田出版)
元スター霊媒師が霊能者の内幕を暴露する本です。
心霊写真も、エクトプラズムも、物体移動も、口寄せも、みんなみんないんちきだった。
キリストさんも、このサイキック・マフィアだったのではないでしょうか。
モーゼやヤファエの奇跡に比べると、小粒なんですよ。
大洪水、海を割る、に対して
死体が消えた、ですからね。
誰かが隠したか、嘘をついたか・・・
モーセの奇跡は、ごめんなさい。海を割る方法はわかりません。惑星の接近では無いと思いますが。
大洪水はおそらくチグリス川、ユープラテス川、ナイル川の氾濫でしょう。
ギルガメッシュの伝説もあることですしね。昔話を取り込んだのだと思います。
キリストが意識してインチキしていたのかはわかりません。ちょっとしたことに尾ひれがつくことだってあっただろうし。
ただそういう評判が、結果としてキリスト教の母体を形成することにつながったのだと思います。
仏陀もサイキックマフィアだったのでしようか?
「ボクたちの行く手を照らすために輝いているに決まってるじゃないか!」
。。。科学的言明としての価値はゼロやな
「彼が盲目という機能の不全」が「信仰の可能性」という無関係なものはいったいどのような理由で結びつくのでしょうか?
>神のわざがこの人に現われるためなのだ、とイエスは言いました。「神のわざ」とは、主の栄光の顕現であり、イエスが主である、と告白する信仰にほかならない。そしてそれは、現前しつつあった。
このように「彼が盲目という機能の不全」は「神のわざという、主の栄光の顕現であり、イエスが主である、と告白する信仰を告白する」という「目的」の為に存在すると書いています。
キリスト教徒であるかぎり、こうした諸現象には、ある「目的」「意志」によって生じているという発想から抜け出るのは不可能ではないでしようか。
同じ発想です 投稿者:Sigurd 投稿日:12月24日(金)01時51分26秒 より
>しかしイエスは、彼が盲目という機能の不全に生まれついたことを過去に遡ることなく、彼をして、現前しつつある信仰の可能性へと向かわせたのではないでしょうか?
「目的論」でしょう。
人生の目的論は語られるべきであっても、
機能の目的論によって神を証しするつもりは、ないのです。
「同じ」目的論ではありません。
>ミュウミュウストロベリー・メタモルフォーゼ♪ とかって変態して変態猫になるのだなあぁぁぁぁっ!!!!
変態するためのかけ声は「ゴーリキショーライ」「チョーリキショーライ」でもよいかもしれず。
>とにかく、「地下に眠るM」と「あき」が同時に観測されてにゃー以上、姿かたちは異なっていても別人物とは限らにゃー。多羅尾伴内かもしれにゃーし、キューティー・ハニーかもしれにゃーからな。
ミュウミュウストロベリー・メタモルフォーゼ♪ とかって変態して変態猫になるのだなあぁぁぁぁっ!!!!
「信仰」が「地球の未来にご奉仕するにゃん♪」であるならば、「カガク主義」は「火星に代わって折檻よ」であることは言うまでもあるまい。
「ホタルはなぜ光るの?」と訊かれて、「恋をするためだよ」と答えるか、「ルシフェラーゼという酵素が…」と答えるかですね。
デートの際の応答としては前者が正解で、後者はNGでしょう。
>しかしイエスは、彼が盲目という機能の不全に生まれついたことを過去に遡ることなく、彼をして、現前しつつある信仰の可能性へと向かわせたのではないでしょうか?
「目的論」でしょう。
またイエスは道の途中で、生まれつきの盲人を見られた。
弟子たちは彼についてイエスに質問して言った。「先生。彼が盲目に生まれついたのは、だれが罪を犯したからですか。この人ですか。その両親ですか。」
イエスは答えられた。「この人が罪を犯したのでもなく、両親でもありません。神のわざがこの人に現われるためです。(ヨハネ9:1〜9:3)・・・」
盲目に生まれついた人がいる。彼が盲目という機能の不全に生まれついたのは、彼、あるいは彼の両親のだれかが罪を犯したその罰なのではない。神のわざがこの人に現われるためなのだ、とイエスは言いました。「神のわざ」とは、主の栄光の顕現であり、イエスが主である、と告白する信仰にほかならない。そしてそれは、現前しつつあった。
ところで、優れた目があるのは、創造主の英知(デザイン)によるのです、という説明は、確かに受け入れ易い。健全な肉体を持った人は、主のみ心を知るがよい。
けれども、このように優れた器官、すなわち機械論的な肉体の機能の評価ゆえに、創造主の英知をたたえるインテリジェント・デザイン説(創造論)に立てば、大部分の人には目が見えているのであって、なぜに彼が盲目に生まれついたのかというような、個体的な差異は説明されないのではないでしょうか?
なぜなら、「見えるため(目的)」の目があると言うことは、逆に、彼には「見えないため(目的)」の目がある、と言わなければならないのだし、創造主のデザインに失敗が伴うのでないならば、創造の時点で、彼に罪がなくてはそのように生まれないことになる。
しかしイエスは、彼が盲目という機能の不全に生まれついたことを過去に遡ることなく、彼をして、現前しつつある信仰の可能性へと向かわせたのではないでしょうか?
インテリジェント・デザイン説(創造論)について、進化論にたよらず、反論してみましたが、
反論になってるんでしょうか?
キリストは派手なパフォーマンス(死後の復活)をしたけど
モハメットはどうして預言者として支持されたんだろう?
ウィキペディア読む限り、武力闘争、権力闘争の勝者としか思えないんだけど
>「歴史をみると、アラーはたいてい火力の強い方を応援するようだがな」
マイク・レズニック「アイヴォリー」(早川文庫)より
ちなみに、イエスの復活のトリックは、鯨統一郎が「邪馬台国はどこですか」(創元文庫)で推理しています
みんなグルだったんだな
ところで、
>昔のガンダムとか見てるとモニターとか一切無いけど、今ではコンピュータの
>モニターなしではおかしいし、未来はモニターも無くてもすむようになるのかな?
昔のガンダムに「モニター」がないとは? ガンダムは密閉型のコクピットですから、前を見るにもモニターが必要ですし、そういう描写がされていたと思うんですが。
「いかにもコンピュータ」なモニター(プロンプトの後ろでカーソルがペッコンペッコンしてるような)はなかったですが、そんなの最近のアニメでもないと思います。戦闘中に見られるとも思えないし。ただ、「表面温度4000度」などの情報をアムロが知ることができた以上、何らかの情報の表示システムはあったと考えるべきでしょう(音声合成かもしれないけど。ガンダムはしゃべったことはありますから)。
ビームライフルの残エネルギー表示が、モニターの隅に表示されるのではなく、専用の表示機器に表示されていた、というのは時代を感じさせますけどね。
いそがしいよー
カガク主義と信仰の2者が、結局は区別できにゃーということを示す実例として、らえる はなかなか貴重ではにゃーかと再認識だにゃ。
銘探偵コニャンの推理も、撤回していいんだかゴリ押しすべきか悩ましいにゃんな。
とにかく、「地下に眠るM」と「あき」が同時に観測されてにゃー以上、姿かたちは異なっていても別人物とは限らにゃー。多羅尾伴内かもしれにゃーし、キューティー・ハニーかもしれにゃーからな。
ちゅうわけで、
「あき」と「地下に眠るM」の相違は、「カガク主義」と「信仰」くらいの違いである。
というのが、コニャンの結論だにゃー。
私に対しての注意ありがとうございました。
これから気をつけます。
たまごちゃん (^-^)ノさん こんにちは
>っていうか、支離滅裂で皮肉として成立してないですよ。
シンさんにはエスプリはちょっと無理なんじゃないかなぁ。
そう思います。ところでエスプリって何ですか?
>熱心なイスラム教徒は「イスラムの教え自体」を非難する人と「イスラム教徒の(イスラムの教えに基づく)行為」を非難する人を区別して、前者だけを殺しに来るのですね。
多分区別しないと思います。私は「その教え通りに行って生じた良くない実」を非難するが、教えのうちは何もしない、という立場です。それでも何かされるなら覚悟はします。
コーランは、当時の中東状況と照らし合わせ読めば高潔な精神を感じる宗教書ですが、今の時代に合わせるには誤解の伴う教えがたくさんあります。
>キリスト教についてだけでイスラム教については何も述べていない人(=救キリスト狂信者さん)に、わざわざ「怖いからイスラム教は非難しないほうが良いよ」と忠告することに何の意味があるのですか?
全体でキリスト教を考える時、出来れば一緒にイスラム教も考えてほしかったからです。勧めておきながら、やっぱり危ないからやめた方が良いと思って、支離滅裂になりました。
私はキリスト教を非難するのは自由にされているが、イスラム教を非難する現場を見た事がありません。これは「迷惑を受けていないから」、と「怖いから」、のどちらが理由でしょうか。「迷惑を受けたことがない」だったら、それは「嘘」です。
首を切った相手を分析するのが先です。旅行者の首をコーランを読みながら切るのは明らかに異常です。しかもその行為を肯定的に取りやすい教えがふんだんにあります。
またそんなところに行くのも危ないことだ、というのも常識です。
明らかに両方、非難すべき行いがあります。しかし人が責めるのはいつも弱い立場の方ばかりです。
>考えてみると、「独りよがり」って卑猥な気がする。変かな?
その言葉は、それ単独でたまごちゃん (^-^)ノを赤面させることのできる唯一の単語です。
ま、結局なんだな、自分に自信が持てないんだな。
それを認めるわけには行かないから、他人に呼びかける振りをして自分に言い聞かせているんだな。
本当に他人に呼びかけているんなら、説得という行為があるはずだな。
何の根拠も示さないのだから、説得であるはずがないもんな。
いわゆるひとつの独りよがり だな。
考えてみると、「独りよがり」って卑猥な気がする。変かな?>オレ
だからさ、降りて話ましょうよ。
>答えなど有る訳がないのです。
>何故なら宇宙万物は、無尽無究なのですから。
この言葉が貴方にとって十分に科学としての意味を持っているなら、貴方の宇宙観は私ににとってはただの「糞」です。
自分の宇宙観は↓です
万物の全てに答えが見つかるとは限らない、いや見つからない可能性の方が大きいだろう。だって宇宙の姿が少しずつ「解ってきたんだ」もの
ねぇ、言葉が通じない状態になっているって、解ってる?
別に降りる気がないなら良いんだけど。俺は登る気はありませんよ。
(同じ様な答えを返してくるのなら、もうレスはしませんよ。と言う意味です)
シンさんこんにちは。横レス失礼♪
(ツリーの方に書いたほうがよいのかなぁ?)
>あのような皮肉屋っぷりは私の本性です。
っていうか、支離滅裂で皮肉として成立してないですよ。
シンさんにはエスプリはちょっと無理なんじゃないかなぁ。
シンさんの最初の投稿を結論だけ言うと、
「キリスト教をカルトと非難するよりも、もっとカルト性が明らかなイスラム教を非難するべきだ。でも、イスラム教を非難するとイスラム教徒に殺されるかもしれない。だから私はイスラム教は非難せず、キリスト教のみを非難する。あなたも命が惜しかったらそうしましょう。」
ってことですよね。
キリスト教についてだけでイスラム教については何も述べていない人(=救キリスト狂信者さん)に、わざわざ「怖いからイスラム教は非難しないほうが良いよ」と忠告することに何の意味があるのですか?
>実によって明らかになった行為を見分け、それは非難しました。だからあなたは読解力不足ではありません。私は教えであるうちは非難しません。
熱心なイスラム教徒は「イスラムの教え自体」を非難する人と「イスラム教徒の(イスラムの教えに基づく)行為」を非難する人を区別して、前者だけを殺しに来るのですね。
おまけ
>(直径1ミクロンぐらい?)
とりあえず山を動かしたいんだったら、直径にしてその約千倍、体積だと約10億倍くらいが必要かな(w
えめさん おはようございます
ツリーの方に言い訳があります。私自身すごく失敗したと思っています。
多分フォローにもなっていないかもしれませんが、良かったら見ておいてください。
しかし、実際に行って見ていない人にはわかりません。私は信頼できる仲間が取材した事実を書いています。その人はテロリスト、と呼ばれる人たちとも会っていてハマスに友達もいます。彼らは義に厚い人たちです。だから報復をやめることが出来ないそうです。私はその話を聞いて彼らに好感を覚えました。私自身イスラム教徒の友達もいます。人間臭い彼らが好きです。
実際に世界で起こっていることをメディアの「意見」を通して、ではなく一度自分の先入観をリセットして真っ白な状態から考え直してみてください。
爆笑問題の太田がラジオで過激なことを言っていました。香田さんは首を切られるようなことをしたのか!?嫌!してない!とか色々熱弁してましたが、今、王様は裸だ!と言えない世の中になっています。
なぜ自爆テロをするのか、とかの分析を狂信者で終わらせ、何も考えようとしない傾向があります。そこには宗教によって追い詰められた人々の恐怖と嘆きのメッセージが隠されています。
また、テロリストたちもメッセージを持っています。
信仰が強い(とされる)人が弱い人を死に追いやっています。これだけは事実です。宗教に強い信仰心など邪魔です。むしろ「芥子だね」ほど(直径1ミクロンぐらい?)でいい、と主は言われました。
私は信仰の強い(とされる)人たちだけをピンポイントで非難したかったのです。けれど他の人たちの指摘のようにそれが出来なかったようです。
日本では1年で3万人以上の人が自殺しています。豊かな日本でさえそうなら、そうでないあの国々は一体どうなんでしょう。自殺するぐらいなら・・・。
死亡原因の6割が肥満で50パーセントがクリスチャンというあの国の映像を見るたびに哀しくなります。
そして何も出来ない自分が嫌になります。
確かに私の書き方はまずかった、と思います。
しかし、残念に思ってくれる、ということはそれだけ買ってくれていたのですね。失望させてすみませんでした。あのような皮肉屋っぷりは私の本性です。あまりに嫌な事をたくさん聞いてしまったのでそれが抑えられませんでした。
これを反省材料にし、これから気をつけたい、と思います。
責めてくれてありがとうございました。
答えなど有る訳がないのです。
何故なら宇宙万物は、無尽無究なのですから。
心を無にする!とか武術の達人とかよくゆうけど、あんなのは、日ごろ練習を重ねている人がいえる言葉で、一般人が無にすると多分あっけなくやられてしまうと思います。
全然予断ですけれど、無!って案外難しいものかもしれませんね。
アラビア数字の0の観念が出来たのも結構時間がかかったようだし。
こんにちは。
「無限」の定義が問題になるのかもしれません。後は「時間」だとか「宇宙」も。
「真空」から「無原因」で宇宙が発生したのならば、宇宙は原因無しに始まったのでしょう。
しかし「原因」があって発生したのならば、その「原因」はいったいどようして存在していたのかが問題になるのではないかと思います。
>「宇宙は永遠の過去から存在する」のか「無から原因無しに突如発生する」のどちらかしかないのではないでしようか。
私もSigurdさんの意見に原則同意です。
少し突っ込んだお話をさせていただくと、ここで云う「無」とは、物理学用語で云うところの「真空」と考えられます。光も、物質(今我々が見るような)も、力(重力や電磁気力)も、なにもない状態。しかしそれらが絶えず生まれては、物質・反物質ペアとなり即座に消えていく。今の宇宙はそんな「ある一点(特異点)」から始まった、と考えられています。そしてある時(もしくはそんな一点が生まれた瞬間)、真空エネルギーのバランスが崩れ、一気に「始まった」のだとされているわけですね。
ですので「無から始まった」ことには全く同意できるのですが、「原因なく」については疑問符を残します。原因、つまりその「仕組み」はある程度解明できる、と考えているのです。
しかし「なぜ?いかような理由でそのとき宇宙がはじまったのか?」について、明確な答えを持つことは、哲学的な形而上問題、あるいは信仰の領域に委ねられるかも知れません。
ここからはSigurdさんへのレスではなく、「時間と宇宙は無限」論への反論になりますが、現在あらゆる調査観測結果、および理論物理学の示す根拠が、この宇宙は特異点から始まり、時間は無限ではなかったことが「証明され続けて」います。現在も宇宙の広がりは「有限である」ことが根拠ある言明として承認されています。これらを無視して、信仰心だけで、それが科学的つまり「観測できて証明可能な言明であるかのように」時間の無限や宇宙の無限を主張するのは、無知への回帰願望にしか見えません。
「私は知っている→あなたがたは知らないだけだ」
という主張に、根拠の提示があれば問題はないでしょう。別の根拠もあるだろうし、議論の余地が残ります。しかし一方的に「知っているからそれ以上知る必要がない」という信仰であれば、それはつまり「なにも知らない」ことと同義かと思います。
ツリーの方にあげようと思っています...。
今しばらくお待ちを...。
ごめんなさい、たまごどんのお話はtemaさんがふって下さったんでした。洋ちゃんの焼きそばとこんがらがっていました。ごめんなさい。
>「宇宙は永遠の過去から存在する」のか「無から原因無しに突如発生する」のどちらかしかないのではないでしようか。
そこのところは原則同意です。
私の疑問符『?』は、Sigurdさんじゃなくて、有りて有るものさんの当初の書き込みに
対しての物です。「永遠の過去の存在」と「無よりの創造」と、どちらも途方も無い話
であるのには違いないのに、そこでその片方をアプリオリに「当然」としてしまえる確
信はどこから来ているんだろう? と疑問に思ったわけですね。
ちなみに、私は最新の宇宙論について特に詳しくは無いのですが、基本的には「何も無
いところから宇宙が生まれたんだよ」と言うのが、主流の理論だったように記憶してい
ます。
このへんの話は、私よりずっと詳しい方がこの掲示板にはおられますので、面白いお話
を聞かせていただけるのでは無いでしょうか(と、人に丸投げ)。
深いタイトルですか内容は浅いです。おずおずさん、たまごちゃん(^-^)ノたまごどんの謎にのってくださってありがとう。で、なんだかツリーのほうのアレは笑いどころとおさえて良いんだろうか?ちょっと微妙。
救キリスト狂信者さん こんにちは
ツリーにも書きましたが、多分一回だけしか書かないと思うのでこっちにも同じ事を書き込ませていただきます。
> 宗教は盲目にしてしまいますが、それによってこのようなくだらない議論になってしまいます。ですからくさいにおいは元からたたなきゃだめ!とかつてのどこかの広告会社の偉人が提言したように、元の解明も必要でしょう。
> そこで私はみんなに質問したい。
> この全世界に広がる恐るべしキリスト教はなぜこんなに洗脳能力があるのでしょう?
ちょっと洗脳能力の分析とは違うのですが、これをキリスト教に対しての非難、と、とれたので、少し書きたいことを書かせてもらいます。
教えを利用して悪い事をしているのに「信教の自由」によって守られていることが多いです。「カルト」は人々に嫌なことをして実が明らかだから「カルト」と呼ばれていることが多いのです。
もしその宗教が悪いことをしていなかったら「カルト」と呼ぶのは失礼なのでやめて置きましょう。「悪いこと」とは直接、一般市民の迷惑になる以上のことを指します。なんとなく宗教の雰囲気で嫌な気持ちになる、というのぐらいまでは大人になって我慢するのが無難だと思います。
キリスト教もカルトだ、と言う人もいますが、そう言われるような歩みをしてきたのだからしょうがないと思います。子供を受け入れるのは神を受け入れるのと同じ、と書いてあるのに多くの子供の明るさを奪っています。とりあえず多くの日本キリスト教会は人の教えに従順な軟弱者を育てているような気がします。
せめてキリスト教もイスラム教みたいに教え通りに歩む人多く見せて、教えが確かなのか不確かなのか明らかにしてほしい、と思っています。キリストの教え通りに歩む、とはマザーテレサのように歩むことを言います。
クルアーン(コーラン)では改宗しない異邦人は殺せ、と明らかに書いてあります。改宗しないなら人頭税(お金)が要求されます。私は勘弁してほしい、と思います。
しかし、彼らのほとんどが不信仰なので命とお金がまだあります。しかし一部の信仰深く教え通りに歩む人たちのおかげで今、世界は大混乱です。
しかし、キリスト教をカルトだ、と言う前に自爆テロを肯定するような教えをコーランから削除しろ、とか言った方がよっぽど建設的だと思います。あなたは一日5回、仕事や会議の途中でも「アラーは偉大なり」と礼拝させてくれ、といって抜けるだけならまだしも、その場でやるような人を職場に受け入れることが出来ますか?
また女の人は一人にしか肌を見せてはいけないのに男は4人までオッケーです。また、男が風俗へ行く時風俗嬢の前でコーランを読んで一時的に結婚し、そしてことが済んだら離婚します。いいですね、姦淫の罪を犯さない良い裏技です。私もだれかと結婚するまでこの裏技を使おうかな。女の人は一人だけなので貞操を守れなかったときには大抵殺されます。また、そのような女の人を見つけて自爆テロをさせます。「金も遺族に出すよ。殺されるよりはいいだろ。」と追い詰められている人を探し更に追い詰めます。
また手本を示すべき預言者ムハンマドは偉い方なので10人以上妻を持つことがアラーに赦されていたようです。
キリスト教は別にカルトだ、と言っても基本的にはやり返しません。やられてもやりかえすな、と書いてあるからです。言葉の非難ぐらいなら我慢してほしいとこです。私の場合殴られそうになったらよけます。自分は神の基準が守れない罪人だからです。しかし私の神の前により「まし」な選択を選びたい、と願い日々精進しよう、と思っています。
出来ればもっとカルト性が明らかなものを先に非難してくださいよ。そうしたらキリスト教の偽善も一緒に非難できます。期待しています。しかしその場合熱心なイスラム教徒はあなたを殺しにくるかもしれないので気をつけてくださいね。私は「まだ」怖いので遠慮させてもらいます。私は他宗教の教えは非難しません。実によって明らかになったもので見分けます。
私はキリスト教の偽善だけ非難します。あなたも命が惜しかったら引き続きキリスト教だけ非難してください。それが私たちには必要ですからよろしくお願いします。
けれど、くさいものの元を断ちたいのならイスラム教を調べてそれを先にやった方がいいと思います。何故なら小泉さんのおかげで日本もテロの標的になりそうだからです。
私は都心に行くのが怖いです。「テロには決して屈しない!」というのが合言葉になっていますが、私はテロに屈します。勝てません。だからテロリストの神経を逆なでするのはやめてほしい、と思っています。
こんにちは。
「宇宙は永遠の過去から存在する」のか「無から原因無しに突如発生する」のどちらかしかないのではないでしようか。
表現の仕方を変えると「宇宙は始まった」のか「宇宙は始まっていない」のかです。
「誰かが宇宙を創造した」とするのならば、その誰かは誰が創造したのか?という解決できない疑問が生じるのは当然ではないかと思います。
「世界は無から生じた」というのも「世界は永遠の昔から続いている」というのも
「信じられない」度合いじゃ似たようなもんだと思うけどなあ。
少なくとも、どっちが妥当かってのは直感的にわかる程には自明じゃないと思う。
>私は物理については殆ど知識がないものですから、宇宙が無限の過去から存在していない
>のでなければ、ある時「無」から突如として発生したとしか考えられないのです。
私もおぼろげな知識しか有りませんよ。
ただ、宇宙の発生に対し、何らかの意志を想定した「誰か」の存在を認めなければならない、とは思えないのです。
「何か」が起きたことは確かなんですけど
(こうやって朝からパソコンのキーを叩いてるんですから‥)
ツリーサイトでキリスト教の洗脳能力について皆さんにご教授願いいたします。
http://otd9.jbbs.livedoor.jp/915865/bbs_plain?base=6484&range=1
>目撃者情報によると、両者ともに頭があって肩があって、目がふたつ、鼻の穴がふたつ、耳がふたつあったそうですにゃ。しかも、手も足も一対ずつらしいのだにゃ。
一年前の目撃証言によると、あきには耳が四つあるそうだぴょん。
うち二つの耳は着脱可能で、猫の耳っぽかったそうだぴょん。
やっぱり「あき=猫」だぴょん。
これで、未だかつてあきと猫を同時に目撃したものがいないというこの掲示板史上最大の謎も解けるぴょん。
誰が宇宙を創造したのか? 山田さん。
なんて答えられるわけなじゃないですか。質問がおかしいですよ。誰がじゃなくて、どうやって出来たかですよ。
もし神様が創ったとしたらその神様は誰が創ったんだ?ということのなってどっちにしろ無限ループに陥ってしまいますよ。
神様がいたとしてもあのイエスキリストではないことは確かでしょう。所詮麻原さんと同じカルトでただ大多数になってしまっただけなのですから。
おっとただ一人確からしい神様がいるぞ。私に取り付いている貧乏神!あの神様は確からしい。
世の中って本当に不思議なもんですよね。
昔のガンダムとか見てるとモニターとか一切無いけど、今ではコンピュータのモニターなしではおかしいし、未来はモニターも無くてもすむようになるのかな?
とにかく人類はどんどん新しいものを発見し賢くなっていっていますよね。
1000年前にコンピュータや自動車や車は超自然現象ですよね。
2000年もの前だと超不自然ですよね。そしてそのころの人たちは、現在の人より賢かったのかな?よく物事を知っていたのかな?そしてそのころに書かれた文章は本当に間違えなくただしいのかな。
人の生き方の導きとしてはひとつの正しい物語かもしれないけれど、全てが正しいと思うのは正気の沙汰ではないと思うけど。
人間でも限りなく猿に近い脳を持った人がいるけど、そういう人たちは多分2000年前の人と大して変わらないのかな?
よくDNAを取り上げられるけど、99%もチンパンジーと同じで、なんとたった1%でこんなにちがうとは!その99%を作り上げるのに、46億年以上、地球が出来るまでを考えたら何百億年もかかってるのだろうね。
よく創世記論者が使うのは無からいきなり物が出来た言い方をするのだけど、別にいきなり出来たわけではないのにね。
この間同僚にDVDを見せられたけど、あの創世記論者の説得にはMillionsという言葉が頻繁に使われていたけど、Millionsじゃないんだよね。
Billionsなんだよな。ちょっと桁が3つも違うだよね。やはり猿に近い頭の人には理解出来ないのかな?猿に近いもんで、どうしても猿に近いのを認めたくないのかな?
ちょっと長くなりすぎたので、これまでにしときましょう。
カルトの国アメリカに住んで恐怖を感じる救キリスト狂信者
こんにちは。
私は物理については殆ど知識がないものですから、宇宙が無限の過去から存在していないのでなければ、ある時「無」から突如として発生したとしか考えられないのです。
「熱力学第二法則」によって宇宙は無限の過去から存在していないことが証明されているのであれば、宇宙は「無」から「突如として」発生したということになるのではないでしょうか?
「無」から「無原因」で突如として宇宙が発生したことが事実として客観的に証明されていたのならば私の認識不足なだけです、済みませんでした。
どうもすみませんでした。
どうもこのサイトに不慣れなもんで。
はるかにすばらしい答えを出されてるではないですか。
ありがとうございました。
考古学 遺跡や遺物によって人類史を研究する学問。古く古物学ともいった。(広辞苑抜粋)
archaeology the scientific study of material remains (as fossil relics, artifacts, and monuments) of past human life and activities.
remains of the culture of a people ANTIQUITIES (Webster's dictionary抜粋)
となっておりますが、聖書では違う定義がされているのでしょうか?
それともヘブライ語でも説明が必要でしょうか?
>われわれ一個人で例えれば、親がいて、そのまた親がいて・・・それが過去に遡る。
われわれの子にも子がいて、その子にも子がいて・・・それが未来に続く。
我々地球人類の過去と未来も、そのようなものです。
現在、目の前に見えているものがそうだから、その有り様は過去にも未来にも永遠に繰り返される…というのは、時間的視野の制約です。
それ自体としては有用性を持たないただの紙切れや金属片を「お金」として財やサービスと交換することが可能なのは、それが過去において「お金」として流通していたという事実を根拠としているに過ぎません。もし、明日、世界が滅びると判れば、「お金」と交換で財貨を手放す人はいないでしょう。明後日、滅びると思っても同じです。
この理屈を延長すれば、「お金」が現在円滑に交換手段として機能しているのは、永遠の未来に渡って地球人類が滅亡することなどないと人々が信じているからです。しかし、実際には、ハイパー・インフレーションを挙げるまでもなく、お金が交換手段として機能不全に陥ることはあるわけです。
親がいて、その親にも親がいて…という類推から、無限の過去や無限の未来の存在を云々されるのは、お金が現状で円滑に交換手段として機能しているという事実からお金は無限の過去から無限の未来に渡ってお金であり続けると想像するのと論理においては同じではないでしょうか?
そうした発想は、人間の認識におけるありがちな錯誤の1つに過ぎません。
有りて有るものさん、おひさしぶりです。
> このような根拠・過程はあるのでしょうか? もし、信仰が根拠だ..という事であれば、その信仰を持った理由を教えていただきたいと思います。
>
> 理由はここにあります。
> 生命起源の新説−「エロヒムによる生物の科学的創造」
「理由」ということは、「信仰が根拠だ」ということなのでしょうか。
示されたリンク先は、以前見たことがあります。リンク先のどこが理由になったのでしょうか?
>・ほせ=でばいん=ぐらすわるだー=・・・他多数 がダイキライ
好き嫌いでいえば、どちらかというと好きぴょん。
ただ、がらすわれたーの底の浅い知ったかぶりを馬鹿にしているだけのことだぴょん(w
>目撃者情報によると、両者ともに頭があって肩があって、目がふたつ、鼻の穴がふたつ、耳がふたつあったそうですにゃ。しかも、手も足も一対ずつらしいのだにゃ。
こっちにはしっぽはないぴょん。
>地球上の生命の起源について、誰かがこういうかもしれません。「きみの話には、何ら説>得力がない。そもそもの始まりがどうであったかを説明できないのだから」。しかし、始>まりがどうであったかなどというのは愚かな問いです。こういう問いを発するのは、時間>と空間が無限だあることを知らない人に決まっています。
有りて有るものさんへ
これでは流木さんの問いに対する答えになっていませんね。
どころか、自分の言葉に陶酔しているようにも見受けられます。
ここに降りてきて私にも理解できるような言葉、(希望・実証、あるいは情報ソースの開示)で話して下さい。
>無からの創造 投稿者:Sigurd 投稿日:12月21日(火)12時51分58秒
>こんにちは、いどさん。
>すると、誰かが無から創造したのですか?
Sigurd さん、「誰か」である必然性はどのような理由で生じるんですか?
又、「誰か」である事が客観的な見地から証明されているんですか?
誰かって‥
知り合いですか?
>こういう問いを発するのは、時間と空間が無限だあることを知らない人に決まっています。
どうやってそういうことを知ったのかが重要なんだよね。
まあ、実際には時間や空間が無限の昔から続いていたとは思えない観測結果が得られているようだけど。
>考古学については細かい相違はあるものの、いずれも人類の過去の文化について扱ったものだというのは共通しているように思えます。
ありがとうございます。
なるほど、あくまで「考古学」という文脈において限定すれば、人類先史の歴史のみを扱うはずだ、という主張なのでしょうかね。だとすれば、私の反論は不適切でした。申し訳ありません。
考古学については細かい相違はあるものの、いずれも人類の過去の文化について扱ったものだというのは共通しているように思えます。
http://www.jomongaku.net/data/koukogaku.html
救キリスト狂信者さんは、有史以前の歴史を否定しているわけでは、ないと思いますよ。。。たぶん、創造論者のようなキリスト狂信者を救いたい、と言っているのではないでしょうか?きっと。。。
>考古学とは人類が始まってからの歴史に対して研究する学問で、明らかに何十億年も前の事に関して適応できないのは明らかです。
どこでそのように「定義」されていますか?
では人類が、人類が始まる以前を研究することは不可能ですか?天体望遠鏡で宇宙を観測すれば、人類が始まる以前から飛来する様々な光を見ることが可能です。ある地層を研究すれば、それが人類が始まる以前からそこにあったことが分かります。それを見て、研究することは不可能ですか?
われわれ一個人で例えれば、親がいて、そのまた親がいて・・・それが過去に遡る。
われわれの子にも子がいて、その子にも子がいて・・・それが未来に続く。
我々地球人類の過去と未来も、そのようなものです。
しかも生命は、宇宙の至る所に遍満しているのですから。
我々も自分一人だけではありません。
「他の惑星にも生命は存在するか、などという問いを発する人は、「ほかの池にも生き物はいるのか」などと池の底で言い合っている蛙のようなものです。
http://www.ii-park.net/~arimoto/
新改訳では「無」からの創造。
新共同訳では「混沌」からの創造。
この「混沌」に、ペルシヤ支配下の混乱と混乱からの実存的な希望とを見ている人もいますね。
>「人類は他の惑星から飛来した知的生命体によって創造された」という説を認めたとして、その知的生命体はどうやって生まれたんでしょうか?彼らの母なる星に突如として知的生命体として誕生したんでしょうか?
もし、そうだとしたら、「地上の生き物は今ある姿で創造された」という話と五十歩百歩ではないかと思います。創造の舞台が地球からどこかの惑星に変わっただけですから。
地球上の生命の起源について、誰かがこういうかもしれません。「きみの話には、何ら説得力がない。そもそもの始まりがどうであったかを説明できないのだから」。しかし、始まりがどうであったかなどというのは愚かな問いです。こういう問いを発するのは、時間と空間が無限だあることを知らない人に決まっています。物質には、始めも終わりもありません。「何も失われることなく、何も創造されることなく、すべてのものはその形を変えられていく」のですから。ただ形態だけが、高度の科学的レベルに達した人々の意志に従って変わり得るのです。
http://www.ii-park.net/~arimoto/
こんにちは、いどさん。
すると、誰かが無から創造したのですか?
>無限・・・それが答えです。
>生命の創造は無始無終です
だとすると時間も無限の昔(なんか変な言葉)から続いていることになるので
熱力学の第二法則によりとっくにこの宇宙は熱的死を迎えていると思われ
ツリー式にお引越しです。
http://otd9.jbbs.livedoor.jp/915865/bbs_tree?base=6470&range=1
何故 地球で生命現象が発生したと考えるのは不自然なの?
何故 「エロヒム」なの? 大日如来でも天之御中主神でもイッサムナでもなく
>無限・・・それが答えです。
生命の創造は無始無終です
「地球の人類は他の惑星からやって来た知的生命体が創造した。その知的生命体はやはりどこか別の星から訪れた知的生命体によって…」という意味で「無限」なんでしょうか?これで答えになるのなら、学者の仕事は楽でよいですね。
「人類は他の惑星から飛来した知的生命体によって創造された」という説を認めたとして、その知的生命体はどうやって生まれたんでしょうか?彼らの母なる星に突如として知的生命体として誕生したんでしょうか?
もし、そうだとしたら、「地上の生き物は今ある姿で創造された」という話と五十歩百歩ではないかと思います。創造の舞台が地球からどこかの惑星に変わっただけですから。
ご意見、ご要望がございましたら、掲示板か、 e-mail:natrom@yahoo.co.jpへどうぞ。