このファイルは、掲示板巡回ソフトのログファイルを元に再構成したものであり、投稿時の状態(フォントサイズ、文字の色、リンク等)をすべて反映しているわけではありません。
地動説と同じくらい確からしいと言われる進化論でさえ将来覆されないと言う保証はありません。
神や創造主と呼ばれる存在は科学には持ち込まれないものの決して否定されることはありません。
まともな科学者なら上記のことぐらいはわかっていると思います。
科学者の大半は日曜日に教会に行く、メッカに向かって礼拝する、神社に参拝するなどの宗教行為をしているでしょうから「いるかいないかわからない」というより「いるけれど科学には持ち込まない」というのが正確でしょうね。
怒らないで聞いて下さいね。僕ががっちょんさんの発言の意味がよく分からないからです・・。
言いたい事は何と無く分かるんですが、GOAさん良く分かりましたか?
うだうださん
>早速皆さんから突っ込まれていますが、本当はがっちょんさんの頭の中ではもっと
言いたい事があるのではないでしょうか?
手短に話してしまって誤解されているような気もします。出来たらもっと長く説明
してもらえないでしょうか?
どうして、がっちょんさんの発言が言葉足らずで、レスを入れた人が誤解していると感じたのですか?はっきり説明してください。
> 進化論の根底にある「科学的手法」では、何か「これは確かにそうであった!!」と断言できる、「論」の枠を超えた物はあるのでしょうか?
早速皆さんから突っ込まれていますが、本当はがっちょんさんの頭の中ではもっと
言いたい事があるのではないでしょうか?
手短に話してしまって誤解されているような気もします。出来たらもっと長く説明
してもらえないでしょうか?それともこの文章の通りなんでしょうか?
To がっちょんさん
目の前で確かに起きていて、複数の人々(研究者や私たち一般人)によって確認できることに疑いを挟んでも仕方がありませんが、そうした目の前で起きている「事実」にさえ、さまざまな経緯や仕組みがあります。科学的手法とは、それら「見ただけでは一目瞭然でない事象」を解き明かすツールのひとつに過ぎず、今まで人類があれこれ試してきたツールのうち、最も成功を収めたツールなのです。
では、どういう点が「成功を収めた」のでしょう。
それは「高精度に未来や過去を予測できること」です。しかしそれらは予測であって、断言ではありません。特に、決定論の衰退以後、科学には限界があること、万物のすべてを予測することは不可能であることを認めています。つまり、確かめようのないことについて断言してしまうようでは、科学とは言えないのです。
がっちょんさん
>進化論では「創造主がいるかいないかわからない。」と言うのが答えだそうですが。
進化論は創造主については何も言わないし、何か言うべき理論ではありません。
ぜひここの記事や過去ログを熟読して、そうしたお門違いを改めてください。
>何か「これは確かにそうであった!!」と断言できる、「論」の枠を超えた物はあるのでしょうか?
全知全能の神でもない限りそんなことを断言できるものは存在しません。
>進化論では―また、進化論の根底にある「科学的手法」では、何か「これは確かにそうであった!!」と断言できる、「論」の枠を超えた物はあるのでしょうか?
「ない」が答えでしょうね。進化論に限らず、科学にそんなものはないと思います。ある必要も感じませんけど。
過去のログを良く見てみると、僕の質問に関しては、もう十分に議論がされているようで。新人のしたこととして多めに見てください。
では少し角度を変えて
進化論では「創造主がいるかいないかわからない。」と言うのが答えだそうですが。進化論では―また、進化論の根底にある「科学的手法」では、何か「これは確かにそうであった!!」と断言できる、「論」の枠を超えた物はあるのでしょうか?
To UFOさん
>サナギの中で
幼虫の時点では未分化だった細胞群(イマジナル・ディスク)が分化して
成虫の身体を構成します。この時に幼虫の頃の体細胞を養分として使ってし
まうということじゃないでしょうかね。
ここが参考になるかな?
http://sv2.humeco.m.u-tokyo.ac.jp/mllogs/bluesky/702.html
摂食と成長のための段階(幼生)と、移動と生殖のための段階(成虫)とを
まるで世代交代のように使い分けている成長様式と考えるとよいのかもしれま
せん。
昆虫の変態の進化ですか。
トンボやセミのような変態をする段階があって、羽化に時間がかかるように
なった種がそれを逆手にとって繭の中で休眠して越冬するようになったとか、
いろいろ想像ができるかも。
昆虫の系統樹と、変態の様式における区分を重ねてみたら、類縁関係とかを
推論したりできるかもしれませんね。あるいは中間段階を探すならどんな種に
ついて調べたらいいかのアタリをつけてみるとか。
川口浩といえば、
「トラフグ対ピラニア」で、
トラフグの肝を食わせて水槽のピラニアが全滅・・・
ってのが、あったのう。
「アタリマエヤンケ」とTVの前でツッコンダ記憶が・・・
それと、本部の磯野洋子との、
有線通信(太平洋戦争で米軍の通信兵が使うような電話)で
磯野洋子が話の終わりに
「〜です。どうぞ」
って言ってたのう・・・
「電話で『どうぞ』は、いらない」
>UFOの言う「UFO」とは大好きなプレステゲームのタイトルなんです。
マブッチトハンメー!! タダチニレスキューセヨ!!!
ってやつか? あのゲームは難しかったのう・・・・
>UFOさんはそのHNから矢追純一さんを知っていますか?
うだうださん
矢追純一さんの名前は知ってますが番組や書籍は見たことないです。
UFOはですね、当然「UFO」が大好きな人なのですが、UFOの言う「UFO」とは大好きなプレステゲームのタイトルなんです。もちろん、そのゲームはウチュージンが主人公なのでエイリアンクラフトの「UFO」も関連性はありますが、好きな「UFO」はエイリアンクラフトそのもののことではないのです。ややこしいなあ。
PDX.さん
こんなにたくさん変態のバリエーションがあるとは知りませんでした!すごいなあ。
(↑の文章が正しく伝わるのはこの掲示板くらいかもですね)
異変態なんかはなんか幼虫の見た目がサナギっぽくなれば完全変態みたいになりそうなのかな。UFOはどこかで、サナギの状態では体内の構成物が一度溶けて、成虫へと再構成されると聞いたのですが、この知識は正しそうですか?そう思うと見た目の区分以上に「溶ける→再構成」の過程がどうやって実現したのか、そのへんも深い謎です。
>UFOさん(いくつか知らないけど)、アッテンボローって知ってた?
たまごちゃん(^-^)ノ
実は谷庵さんの指摘を読んだときにも「シリーズ的にたくさんあるのか…」と心密かに思ってましたが、アッテンボロー、今回の番組で初めて見ました。なつかしくなるほど昔から有名な番組プロデューサーなんでしょうか?
UFOも「第三の選択」はわからない…。わからないことだらけだなあ。自分が何も知らないことを知る。これが学問というものかっ。
#それはそうとUFO的には昆虫の変態に関する進化の話、こっちの方向で盛り上がってほしいです。とても面白そうなので。
アッテンボロー、懐かしい名前だなぁ。今の10代の子達(私は別にして)って、アッテンボローを知っているのだろうか?
UFOさん(いくつか知らないけど)、アッテンボローって知ってた?
NHKの生き物関係の番組は、説明は軽く聞き流して映像だけをみると、きれいで普通に楽しめます。この前のアッテンボローさんのも、たまたまテレビをつけたらテナガザルが空を飛んでいて楽しかった♪
NHKと言えば「ドキュメント地球時間 進化・生命の奇跡」再放送しないかなぁ。8回シリーズの内2回分しか観ていないから断定はできないけど、あれはいい番組な気がする。普段日の目を見ることが少ない環形動物や棘皮動物にスポットを当てているのがイィ!!
>30以上の年齢がやはり必要なのかな・・。
私は一応わかりますよ。「観たことがないわけではない」といった程度で、毎週欠かさず観たりとかはしてなかったけど。それよか「第三の選択」のほうが分からない。
To UFO さん
昆虫の場合は、完全変態するものと不完全変態するものの中間種というのが
いるのかいないのか気になりますね。
トンボやセミなんて、不完全変態と完全変態の中間のようなものだと思うの
ですがどうでしょう?
幼生と成体で体の構造も生活スタイルもずいぶんちがうのに、蛹の段階を経
ずに一度の脱皮でガラッと変わりますよね?
(幼生の段階で何度も脱皮するが、この間はほとんど外見の変化がない)
そう思って検索したら、下記のページが見つかりました。
http://www.gifu-nct.ac.jp/sizen/nakasima/hentai.htm
無変態・不完全変態・完全変態という区分がまず存在し、さらに前変態・
原変態・新変態なんてものもあるそうです。
ここで「新変態とは不完全変態と完全変態の中間的な性質をもつ変態で」
というのが気になる部分ですね。
制作スタッフは「フェイクメンタリー」という位置づけで番組を作っていたそうです。
ドキュメンタリー的な演出や雰囲気のフィクションということで。
位置づけとしては「第三の選択」なんかも同じようなものなんじゃないでしょうかねぇ。
もっとも、アレについてはあまりにリアルな出来なもので信じ込んでしまった人たちも多かった
そうですが。
>3ようちゅうだったかな、ピカイア?
三葉虫はスリーアミーゴスじゃないぞ!(ちょっと時事ネタ)
UFOさんはそのHNから矢追純一さんを知っていますか?
あれは川口探検隊と局は違いますが番組の作り方は良く似ていますよ。さすがにUFO
物に関しては高校生の頃まで見ていた為、嘘だという事は分かったんですけどね・・・。
> 昆虫もどうしてなかなか、実に複雑だと思います。
そうですね、僕もあの小さな体に飛行機能を備えている事には、ちょっとした感動を
覚えます。ただこの小さな体という事に最も着目しています。人類の脳は基本的には
巨大化によって高機能を実現してますよね。(diamonds8888xさんが今ツリーでやっ
ている話題です)しかし昆虫は体が小さいのに実に上手く世渡りをしています。小さ
い脳=シンプルという捉え方をしています。
> 川口探検隊って何ですか???
30以上の年齢がやはり必要なのかな・・。
川口浩さんという俳優さんが南国の秘境などに出かけ、様々な探検をして秘境の秘密を探っ
ていくというドラマ仕立ての、テレビ朝日らしいやらせドキュメンタリータッチのドラマで
す。
しかし子供の頃にはこの番組を真実だとして僕は真剣に探検に没頭していました。
(一部にはあまりにわざとらしい馬鹿馬鹿しさを冷ややかな視点でおもしろおか
しく見るマニアも存在する)
谷庵さんはこの真面目な番組のようでいて、ただのいい加減な娯楽番組でしかない川口
浩探検隊を同じTV番組としてアッテンボローとの比較に使用したのだと想います。
ちなみに僕はNHKの科学系のTV番組が大好きです。たとえ問題があるにしても、子供
たちが科学の表面的な面白さだけには触れる事は出来るでしょう。
(生命40億年のアノマロカリスのCGには本職の生物屋さんにもマニアがいます、
それほどあれは優れものです。アノマロカリスがアンモナイトを食べるシーンは
感動ですよ、3ようちゅうだったかな、ピカイア?)
>本題ですが、僕も昆虫の方が人間より優れた面がいくつもあるなとよく考えています。
昆虫はホントーに面白いです。昆虫の変てこな生態に関する本は迷わず買っちゃいますね。進化っちゅーのはまことに見事なものでございます。でもUFOは、昆虫もどうしてなかなか、実に複雑だと思います。特にサナギをへて変態していく様子など信じがたい複雑さに思います。どうやってあんな技を獲得したのでしょうか。前適応的な何かや、体の部分的変態の過程などがあったのでしょうがUFOにはとても想像がつきません。
>編集の仕方を見ても、ドキュメンタリーと言うより娯楽番組に近いような気がします。
言われてみれば、見ていて「この映像はかなり編集でうまいこと切り貼りしてるよなあ。」みたいに感じる映像もたくさんありました。まあ、実際に面白いことは面白いけど。
改めて、やや冷めた目で眺めてみると、なるほど確かに娯楽番組に見えてきます。
となると、意外にUFOの違和感はそんなに的外れでもなくて、やはり進化論での「進化」にはふさわしくない使用法をしていた、と言えそうなわけですね。
UFOてばけっこう進化論わかってんじゃーん。(自画自賛)
失礼いたしました。ご意見ありがとうございます。
>もっとも進化した、というフレーズを使う人は、基本的に「人類こそ進化の頂点」という認識を持つ人なのだろう、と私は思います
「人類こそ進化の頂点」というイメージが植えつけられてしまうことは、学校の教科書がすでにそのように表現されていることと無関係ではないのでしょうね。それプラスNHKかな。
#NHKは学問的なようで「ややキワモノ」を好む性質がありそうな、油断ならない電波発信地といったイメージ。「生命」のときも恐竜の全滅にわざわざ花の出現説を全面に押し出していたのも印象的です。
もっとも進化した、というフレーズを使う人は、基本的に「人類こそ進化の頂点」という認識を持つ人なのだろう、と私は思います。で、それだと驕りが目に付くことも自覚できるので「哺乳類は」と言い方を変えているだけじゃないのかな。まぁ、進化論の初歩を読み間違えると誰でも植え付けられそうなイメージだと思います。
> 「川口探検隊」ではないでしょうか。(言い過ぎ?)
言い過ぎですよー、僕は小学生の頃彼の番組を見てこんな仕事がしてみたいと
あこがれていたんですよ。(川口隊長の方ではありませんよ・・、しかも学者さん
だとアッテンボローのことを思い込んでいました)
ところで脱線ですが、アカデミー映画「ガンジー」の監督とはアッテンボローは同一人物なん
ですか?
いやー、またしゃべりすぎてしまった、せっかく面白そうな人が来たと思ったら広告かいな・・。
アッテンボローのシリーズは、あまり真剣に考えてもしょうがない気がしています。
編集の仕方を見ても、ドキュメンタリーと言うより娯楽番組に近いような気がします。
大げさに言えば、「川口探検隊」ではないでしょうか。(言い過ぎ?)
> 時事ネタのつもり。
あまり真剣に捉えないで下さい。いちげんさんに参考までに言っただけです。
これがマナーだと言う事で発言を上げたわけではありません、今すごく恥ずかし
いです・・。
本題ですが、僕も昆虫の方が人間より優れた面がいくつもあるなとよく考えています。
シンプルで生存出来るなら、機能はシンプルな方が良いと思われます。
確かに複雑(高機能)=良いというNHKの製作者の意図が良く分かりませんね。
まるでMSのアプリケーションの売り方のようですね。(^^)
また着陸してしましました。UFOです。時事ネタのつもり。
NHK総合で「ほ乳類大自然の物語」(もとはディスカバリーチャンネルだったかな?)の放送が終わりました。大変にすんばらしい映像ばかりだったとUFOは感激の嵐でした。UFOはビデオをとってまで見ましたが、皆さんはいかがでしたでしょうか。
しかしUFOは気になることが1つ、「もっとも進化した動物、ほ乳類」という繰り返される言葉です。他の国の教育のことはわかりませんが、日本ではUFOの中学時代の教科書にもこのような表現はみられました。(例えば、心臓のつくりで心室の壁を語るときにも、ほ乳類のそれが最も効率良い仕組みだと記述され、両生類や爬虫類の心室の壁が不完全なことを強調していました。ときには壁がない方が良い、という可能性などはこれぽっちもないかのように教えられたのを覚えています。)
正直なところUFOはこのことに不満があるというよりも、「もっとも進化した動物」の意味が本気でよくわかりません。色んな比較のレベルがあるワケですが、綱レベル比較での「もっとも進化した」とはどんなことを言うのでしょうか?
#1つのアイデアに「体や行動の複雑さ」という尺度が思いつきますが、「複雑さ」ってどうやって測るのだろうと考え出すとUFOまたまた混乱してきます。
#他にも、「繁栄している」「成功している」とか言うときの尺度もよくわかりません。「種の多さ」「個体数の多さ」「合計体重の大きさ」色んな考え方はあるのでしょうが、どれも何だか釈然としないのれす。
トリー掲示板でエルドリッジの「ウルトラ・ダーウィニスト達へ」へのコメントを述べていますが、どうも断続平衡説が悪役となったのはグールドが広報担当だったからではないかとの疑いがわき上がって来ました。
エルドリッジの視野の広さと科学に対する誠実さはダーウィンなみだと思います。
しかしあの頭のいいドーキンスが未だにエルドリッジの考えを誤解しているということがありうるのでしょうか? エルドリッジも彼のいうウルトラ・ダーウィニストの考えを少し誤解しているようですが。個体同士が文字通り(意識的に?)競争している、とウルトラD達が考えている、と思っているような書き方です。
>僕が考えではこちらの掲示板は、
は、
1.僕「の」考えでは...
2.僕が考え「るに」は...
の、いずれかでしょうね。
でも今回は、わざわざ指名されなければ黙ってましたけど。
僕だったら、どちらかの掲示板に意見を書いたら、もう一方の方には、
「向こうの掲示板に書きました。見てください。」とだけ書きます。
たぶんそれがエチケット。
ただしツリー掲示板は慣れるまで、レスと間違えて新規投稿を繰り返す事が多々あります。
例えば今回の太郎丸さんの失敗などです、しかし慣れれば便利である為慣れて下さ
いとしか言えません。僕はツリーの発言量がかなりものですが、そのようなミスを
ほとんどした事はありません。よく注意していればそんなミスはいずれ無くなる
ものです。(久しぶりにたっぷり発言してしまった、おずおずさんの指摘が恐い、
太郎丸さんごめんね悪例に出しちゃって)
>僕が考えではこちらの掲示板は、時事ネタを発言するのに使用します。
↑いきなりかい…
他人に意見出来るのが不思議なんだよなぁ…
僕が考えではこちらの掲示板は、時事ネタを発言するのに使用します。
他に話題が長くならないだろうと思われる話を主に発言します。
何故こちらの掲示板では長くならない話だけにするべきかは、
この掲示板は発言が200を超えると発言を見る事ができなく
なってしまいます。反響が大きい話は200などすぐに行ってし
まいます。そのため議論の途中で過去の発言がなんだったか?と
忘れてしまう事がおきた場合もう一度見る事が出来なくなってし
まいます。
ただし僕も時事ネタで、思いのほか長くなってしまった苦い経験も
あります。
対してツリーの活用法は、僕の場合は出来る限り普遍的な話題を取
り上げます。他に多くの人の反応がありそうな話題を発言します。
ツリーの問題点としては時事ネタをツリーで扱う場合、新しい科学の論
文などのニュースが発表されると以前した話題と関係している場合に、
過去の大きなツリーが何度も登場して、他のツリーの話題を圧迫する
事などがあります。
こちらの掲示板で意外に長くなってしまった話題を、ツリーに移
動する事はよくある事です。今回のように最初にツリーにも発言し
たのであればそのままツリーをメインにしておいた方が良いと考えます。
このままこちらの掲示板で話を続けてしまうと、ツリーの方でも
レスがきた場合に2つ場所で発言が別れてしまう事になり、皆様に
迷惑がかかります。最終的にツリーに移動する事が多い為
今回のケースは今のうちにツリーだけにした方が良いと思われます。
レスに関しては皆様と言う事に違いはありません。そこでちょっと気になった部分に一言。
> どっちに出したらよいかわからないので、とりあえず両方にお邪魔させてもらってます。こちらの方がどちらかというと、まじめかな?
こちらの掲示板の方がまじめだという事に関しては不満がありますね。
ツリー掲示板にわざわざいくほど最近話がないだけです。だから不真面目に見える
発言などもありますが、昔はかなりまじめな掲示板でした。
(ただし僕の発言は不真面目かもしれません・・)
出来たらツリー掲示板の方で発言を続けて欲しいです。(ただがっちょんちょんさんの
言い放しの予感もあり・・)
日本ではどうかわかりませんが、欧米の進化学者の大半はキリスト教徒であったりユダヤ教徒であったりすると思います。
たとえば故人であるグールドなどもユダヤ教徒ですが、進化論に関する本を多く残しています。
信仰と進化論は対立する概念ではなく、強いて言えば聖書直解主義と対立するのでしょう。
>進化論学者さんのほとんどは無神論者であって、進化論とは根本的に無神論的世界観の産物であると聞いています。
>このことに関してコメントお願いします。
それはうそ!
初めてお邪魔します。がっちょんです。進化論と創造論についての掲示板(1)と(2)とあって、どっちに出したらよいかわからないので、とりあえず両方にお邪魔させてもらってます。こちらの方がどちらかというと、まじめかな?
さて、本題。
進化論学者さんのほとんどは無神論者であって、進化論とは根本的に無神論的世界観の産物であると聞いています。
このことに関してコメントお願いします。
がちょんちょん
http://www.asahi.com/politics/update/0731/008.html
自衛権云々については、拉致事件とか不審船事件とかの絡みで仕方ないとも思うけど、
国民主権や基本的人権まで否定されたくはないぞ(^_^;
グールドの一般向けエッセイや、ここにあげられているデネットもドーキンスの本もだいたい目を通した。
グールドのキャラは好きだから悪くは言いたくないが、総合説に噛み付く理由がわかりづらいと思っていた。
thinkpadさんのグールド批判は前からロムっていて納得していたが、ネクトカリスさんの
説明も説得力があり、もう一度読み返してみようかと思っている。
>読むほうがあーでもないこーでもないと頭抱えて真意をさがさなあかんのは、マズイっしょ。やっぱり。<
拙いのは読み手のせいかもしれないけど、この件に関しては確かにわかりづらいね。
でも進化に関するイメージのほとんどはグールドを読んで理解した。ドーキンスのも平行して読んでいたがおもしろさはグールドだった。
To ネクトカリスさん
了解。わたしもグールド本を読みかえしてみる。正直に言うと、創始者効果がそんなに重要なポイントとは思ってなかった。
あくまで進化速度(この場合、形態が変わる速度の意味。)が速くなる一因として創始者効果を挙げているだけと思ってたよ。
集団の大小も化石化する可能性がポイントだと思ってた。そうじゃなくて創始者効果を必要とするために、種分岐した小集団が欲しかったのね。
でもデネットもドーキンスも、断続平衡説での創始者効果の役割について何も言ってなかったような気がする。どうなってるんだろこの辺。
どうもなあ。グールドの言うことはわかりにくい。それだけでも厳しい評価を下してしまう。標準的な読者や学者が、本当に断続平衡説の内容を掴めているのなら問題はないけど、どうもネットで調べた感じでは、そんな風には思えないんだよね。
読むほうがあーでもないこーでもないと頭抱えて真意をさがさなあかんのは、マズイっしょ。やっぱり。
human natureが生物学的な概念なら、すでにヒトは安定した状態ではないに違いない。
大型の哺乳類として異常に膨れ上がった集団だと思う。
その集団を制御しているのは生物学的な原理ではなく、人間の作った人間だけに適応する原理だ。
ヒトの自然な集団状態は家族に毛が生えた程度だろう。近隣の集団とは配偶者をめぐってある程度緊密な関係があったに違いない。季節に応じて移動するときにはいくつかの集団が集まることもあっただろう。
大型草食動物が大移動するのを狙うときなどに協力しあったかもしれない。
その時ヒトはどの程度の言語を使っていたのだろうか。その程度によってヒトは現代人に向かうか絶滅するかに分かれただろう。
仲間を定義するとき、殺すのが悪であるのを仲間とするなら、仲間内の殺しあいが悪であるのはトートロジーだ。
ヒトは時の応じて集団の規模を変える。食糧が多いときは集団も大きくなる。食糧が枯渇すると時は一人で旅に出ることもあるだろう。
仲間の実体は恒常的ではないよ。
>部族・氏族の中で殺しあうことは、ニンゲンという種にとってノーマルなのか?<
ヒトにとって安定した状態と不安定な状態があったとおもう。
進化は不安定な状態を通過することだ。
安定した状態が地下猫の言うノーマルなんだと思う。
進化は安定した状態をめざすことだろうか。局面ではそう見えることもある。しかしそれは永遠に続くことではなく突然破綻する。
ノーマルであることは普遍じゃない。
>人間の行動に生物学的・遺伝的基盤があるという説明は、人間の現状がなぜこうなっているかを説明することによって、現状を肯定するものだと批判しました。
の、「人間の行動」という言葉を「人間の病気」と置き換えたら、
>人間の現状(病気)がなぜこうなっているかを説明することによって、現状(病気)を肯定するものだと批判しました。
ということになって、実に奇妙な文章になります。
なぜそうなるか。
>人間の行動に生物学的・遺伝的基盤があるという説明
は、「AはBである。」という、記述的命題であるのに対して、それを受ける命題が、
>現状を肯定するものだ
つまり、「Bであることは良いことだ(或いは、仕方がない)」という、価値判断をこっそりと滑り込ませているのですよね。
対して、「病気」は克服すべきものであるという価値判断はほぼ誰でも認めているので、変更後の文章はおかしく思える...。
人間の性格がもともと攻撃的なものであるのなら、それにもかかわらず戦争を起こさない社会の仕組みをデザインしよう、ということでは?
>その証拠は人間的な行動には普遍性を見つけることができないということだ。
>地下猫は、仲間殺しを悪とすることは普遍的だとしている。それは、とりもなおさず仲間殺しをするということだ。ヒトは、子、親、兄弟、配偶者、全て殺しの対象とする。
「できる」と主張しますにゃ。
西洋哲学カテの「民主主義は邪教」トピ、あるいは哲カテの中絶トピでは、僕はあえて「インセストタブー」には触れなかったのですにゃ。
たろまる に理解できにゃーはずはにゃーのだが、全ての文化においてインセストタブーが存在すること(人類集団におけるある規範の存在)と、インセストタブーが起こりえること(その規範を犯すものが必ず存在する)との両者は矛盾しにゃーはずだ。
そして、インセストタブーは human nature から導かれるという推論も合理的なものだと思うのだにゃ。手元に資料がにゃーのだが、ここのところはちゃんと論証できると思うにゃん。
部族・氏族の中で殺しあうことは、ニンゲンという種にとってノーマルなのか?
僕はそうではにゃーと思う。近親相姦がノーマルでにゃーのと同様にね。
ニンゲンという種にとってノーマルな状態があるのなら、つまりhuman nature が存在するのなら
それはニンゲンの作り出した制度に必ず反映されるはずだにゃ。
ここに社会生物学の危うさと魅力がある。
>グールドはユダヤ人なので「自然主義的誤謬の影に怯えている」というのはいささか短絡的でしょうかね?
うん。
ちと煽りっぽい文であることは意図的ですにゃ。
自然主義的誤謬から導かれる暴力Aに対して、警戒して警戒しすぎることはありえませんにゃー
実は
ウィルソンは、「自然主義的誤謬」という考えこそ誤謬ではないか?
という内容の発言を自著でしておりますにゃ。(暇があるときにひっぱってくるね)
確かに警戒すべきだにゃ、社会生物学は。
しかし、そこをなんとか逆転できにゃーものだろうかと・・・・厄介なのはわかってんだけど
言語は進化の産物。その能力は選択の対象になった表現型だと思う。
生物学的に言えるのはそこまでだろう。
言語によって生み出された様々な概念は、人類学的分野で扱うべき事だ。
その証拠は人間的な行動には普遍性を見つけることができないということだ。
地下猫は、仲間殺しを悪とすることは普遍的だとしている。それは、とりもなおさず仲間殺しをするということだ。ヒトは、子、親、兄弟、配偶者、全て殺しの対象とする。
そういう行動が進化に寄与しているとすることを論証をするのは難しいだろう。
基本的人権という概念も民主主義的意思決定システムも進化に寄与しているとは思えない。
それらは、時に個体数を増やし、絶滅から逃れる術であったかもしれないが、学習によって獲得できる行動である事に変わりはない。
言語を持つに至ったヒトは、仲間と相談をし様々なアイディアを試すことができる動物になった。
多くの失敗を重ね、失敗の結果、絶滅してしまった集団もあったに違いない。
しかし、成功した方法はすぐに言葉をつかって他の集団に伝えることもできる。
概念はヒトが発明した道具なのだ。
To 地下に眠るMさん
グールドはユダヤ人なので「自然主義的誤謬の影に怯えている」というのはいささか短絡的でしょうかね?
ナチスがホロコーストを正当化するために社会ダーウィニズムを利用したような、もしくはアメリカが移民を制限するために知能テストを悪用したような。
特に後者は、「人間の行動に生物学的・遺伝的基盤があるという説明」に近いものを感じるのですがどうでしょう?
ただ、同時にグールド自身が先天的な知能障害を負って生まれた子の父親であることも忘れるべきではありませんが。
みにゃさまに質問。ちゅうか意見を聞きたいのですにゃ。
「進化と人間行動」P16から17には以下の記述がありますにゃ
***************************************************
彼ら(グールドとルウォンティン)は、人間の行動に生物学的・遺伝的基盤があるという説明は、人間の現状がなぜこうなっているかを説明することによって、現状を肯定するものだと批判しました。人間社会の現状は、差別、不平等、搾取などの不幸と悲惨に満ちています。人間の行動を遺伝で説明するのは、こういう状態が生まれることに生物学的根拠があるとすることであり、それは、現状の差別や不幸を改革していこうとする努力を無にする保守反動的な行為であると彼らは論じました。
***************************************************
さて、社会生物学に対するこのような批判は当を得たものだといえるのでしょうかにゃ?
僕には、グールドらこそが「自然主義的誤謬」に陥っているように思えるのですにゃ。
(正しくは、自然主義的誤謬の影に怯えている)
自然主義的誤謬はあまりにも広範に見られるので、グールドらが危惧を持つことは当然だとは思いますにゃ。
しかし、「自然主義的誤謬を犯さない」ことをいったん前提にすると、社会生物学の主張はまるで別の相貌を見せはじめるのではにゃーか?
以下はまだぜんぜんまとまっていにゃー殴り書きだけど・・・
・現代社会のような集団の大きさ(あるいは集団の開放性と閉鎖性)、資源の量などの条件が与えられた場合、民主主義的な意思決定システムこそが、human nature に沿ったものであるという論証の可能性はあるのではないか?
・基本的人権といった考え方に、社会生物学的基盤を見いだす可能性はないのか?
なんで僕がこんなことを言い出したかというと、社会生物学はある種の暴力への対抗ツールとして実に有効なのではにゃーかと考えるからですにゃ。
ここで、暴力を2種類にわけてみますにゃ。
・普遍への志向から発する暴力。
ある「普遍」を勝手に設定し、その基準に合わないものを否定したり劣ったものとみなす。キリスト教徒による虐殺、帝国主義の植民地化、ナチの優生政策など、こうした暴力を警戒しないものは歴史から何も学んでないといってもいいであろう。これを暴力Aとする。
・差異を理由とする暴力
「普遍」の暴力性、あるいは民族や国家、地域などの固有性を理由とし、普遍性を拒絶することから生まれる暴力。中国の天安門における虐殺は、この種の暴力の典型であると考えられる。また、民主主義は西欧独自のもので、他の地域ではありえないとする言論も目に付く。貧困や虐殺、差別に目をつむり圧政を肯定する類いの暴力。これを暴力Bとする。
社会生物学は、徹底して「人類の普遍」に注目したガクモンですにゃ。
暴力Aに対して警戒するのは当然として、暴力Bへの対抗ツールとして社会生物学を捉えなおすことはできにゃーものでしょうか?>みにゃさま
ネクトカリスさんも触れていた「ウルトラ・ダーウィニスト達へ」を入手しましたが、断続平衡説の主張としてはこの本を理解すれば良いようですね。敵はメイナード・スミスやドーキンスなどの遺伝子還元主義者達? ということらしいのですが、まず読んでみます。
原著が1995年ということは未だに論争は新しい、と少なくともエルドリッジは考えているのですね。断続平衡説の良いところは総合説に取り入れられてめでたしめでたしとは思っていないようです。
>thinkpadさん
了解です。たとえ停滞が常態であったとしても条件が整えばもう一度動き始めると考えるか(総合説)、あるいは動くには種分岐が必須だと考えるか(断続平衡説)の違いが争点だった、ということですね。確かにそのようにも読めるので、その辺の議論については、時間が取れるときにもう少し調べてみようと思います。
>たまごちゃん(^-^)ノさん
モーゼがカナンに着けなかったという話は忘れてました。その辺のお話を読んだのは小学校とか中学校の頃なので、もうすっかり記憶が消えているようです。旧約聖書の神様って、なんか怒りっぽくて残酷で、神様って感じしないな、と感じたことは覚えているのですが。
先に行動の進化の例をK.ローレンツが書いていると言いましたが、かの有名な「攻撃−悪の自然史」の中で述べていました。
>最後におずおずさんへ、文章におかしな点があればどうぞ率直に申し上げて下さい。
「(Aが)(Bに)申し上げる」というのは、「話者であるA」が「話しかける相手であるB」に対してへりくだる、いわゆる謙譲語です。
従って、上記の文章では「偉くない貴方から、偉い私に、なにか言ってください。」という意味になります。私自身はこういうのは気にしませんけど、一般的には、
「...率直に言ってください。」か、
「...率直におっしゃってください。」だろうと思います。
今回の場合は、言ってる内容自体は変わりませんので、実に些細なことですけど。
あちらで応えたら話の流れを乱しそうだから、こちらに書き込みました (^ー^;)
>Aで述べられているのも「停滞が常態である」という主張ですよね。それに対する反対者は、停滞という現象が「ある」ことに反対したのではなく、それが「常態」であるということに反対したのだと思います。
反対したポイントが違います。
問題なのは、停滞から進化が進みだす仕組みの方。
総合説では、環境が変化したり、マクロ突然変異が起こったりして適応的な変異が出てくれば、停滞から抜け出して、また漸進的な進化で別種に進むと判断していると思う。形態が大きく変わるのに種分岐が「必須」であるとは考えていない。
だから形態を大きく変化するのに種分岐が必須で、大集団の親種は形態を大きく変化することができないという部分が反対するポイント。
グールドの本の印象は正統派進化論の啓蒙書なんですよね。素人が抱きがちな進化への誤解を色々と正そうとしています。人間が進化の頂点とか、進化には一定の方向性があるとか、ほ乳類はバクテリアより高等であるとか、そういった誤解を。
ただカンブリア爆発の解釈で若干ユニークな考えを述べているらしく、バージェス頁岩研究の第一人者S.C.モリスが批判しています。この話はツリー形式の方にupします。
「進化は個体数が多く広く分布する種でもっとも速い」という理論が1930年以来の保守反動抵抗勢力(^_^)、マイアの「周縁的種分化」が革新勢力ということだったのでしょうか? なら話はわかる。前者の考えはダーウィンも勘違いしていたところですね。でも地理的隔離による進化メカニズムの話は1972年以前にも日本語の普通のテキストに載っていたはずなんだがなあ。私がどこかで読んでるはずだから。
そもそもガラパゴスのフィンチとかイグアナとかが地理的隔離の典型例だったと思いましたが。
まだまだ議論がありそうですのでそろそろツリー形式に移りませんか?
ゆうきさん
この本の中で新化論という言葉が使われています。
http://www.esbooks.co.jp/product/keyword/keyword?accd=09394182
そういう意味の質問ではなかったなら、失礼しました。
ダーウインの新化論て何??
To たまごちゃん
私は血管が探し難い体質らしく、健診センターのスタッフや献血の採血車のスタッフですら
何度も針を刺しなおすなんてのはザラです(^_^;
(血管を痛めぬよう、一箇所には3,4回が限度のようですが)
右腕、左腕、肘の裏側、腕の外側と何箇所か試されたとき、結構時間がかかって緊張を強い
られたせいか、採血の後で血圧が低下してしまい、しばらくベッドで横になっていました。
あの時は他の検査受けていた人たちに好奇の目でみられて居心地悪かったなぁ(^_^;
>「それがね、モーゼたちのいまわの際に、どこからともなく“2代目モーゼ”を名乗る予言者とその民が現れて。あとは俺たちにまかせろ、俺たちが必ず約束の地にたどりついて見せる、って言い放って、一代目の意志をついで約束の地に向かったんだって。」
「よ、世種亜のこと・・・ですか・・・^^;;;」
(ヨシュアと書こうとしたらPCがかってに世種亜と変換したからそのままにしてみました。)
断続平衡説が当たり前かどうかは、週末にマイアの本でも読んでもう一度考え直そうと思っています。でも、モーセがカナンに行き着けなかった話は有名なので、思わずつっこんでしまいました。岩を二回打ったくらいの事でこんな意地悪をする神様なんて嫌いだ。
To PDX.さん
>血液検査のための採血で、貧血起こして倒れないようにね(汗)
ご心配どうも。私は、採血で気分が悪くなったことはないので大丈夫です♪
今日は一回しか針を刺されなかった(前回は三回さされたのだ)。幸先がいい。
カマンベールさん、お久しぶりです♪
>個人被爆の定期検診ですか?
そうです。去年も血液検査で引っ掛かって、RI使用の許可が下りなかったの(ToT)
>あんまり増えてると,かえってやばいと思うのですが.
私もそう思ったので、水を飲むのを控えただけで、サウナや下剤は使いませんでした。さて、吉と出るか凶と出るか。
>まさか,一次検査で白血球数の低下が指摘されたわけじゃないですよね;
はい。白血球減少症、リンパ球減少症、好中球減少症、貧血で引っ掛かっちゃいました^^;
でも、去年RI使用の許可が下りていないから、被爆して減ったわけではないので大丈夫ですよ。
To PDX.さん
>血液検査のための採血で、貧血起こして倒れないようにね(汗)
お久しぶりです.
赤血球や血色素量はともかく,白血球数,好中球,リンパ球まで増やしたいって・・・
個人被爆の定期検診ですか?あんまり増えてると,かえってやばいと思うのですが.まさか,一次検査で白血球数の低下が指摘されたわけじゃないですよね;
「それでね、モーゼに導かれてエジプトを出たイスラエルの民は、約束の地に向かって毎日22メートルずつ旅をしたわけではなくて……」
「はいはい、そんなことみんな知ってるって。たくさん進んだ時もあるし、ほとんど動かなかった時もあるって言いいたいんやろ」
「ううん、そうじゃなくてね。モーゼと民は最初は元気に約束の地を目指して旅をしていたんだけど、あんまり厳しい旅に途中でみんな力つきてしまって。一歩も前に進めなくなっちゃった。」
「もうかなんわー、ってとこやね。」
「で、とうとうみんな、その地で行き倒れてしまったんだって。」
「え? でもモーゼたちは、結局は約束の地についたんやろ?」
「それがね、モーゼたちのいまわの際に、どこからともなく“2代目モーゼ”を名乗る予言者とその民が現れて。あとは俺たちにまかせろ、俺たちが必ず約束の地にたどりついて見せる、って言い放って、一代目の意志をついで約束の地に向かったんだって。」
「じゃあ約束の地についたのは、その2代目なん?」
「いや、その2代目たちも力つきてしまって。」
「話が見えてきた。いまわのきわに3代目が現れたんやろ?」
「そう、でもその3代目も……」
「はいはい。で、カナンについたのは何代目?」
「10代目だったらしいね。」
「モーゼだけに、10かい。」
>thinkpadさん
-3
Aで述べられているのも「停滞が常態である」という主張ですよね。それに対する反対者は、停滞という現象が「ある」ことに反対したのではなく、それが「常態」であるということに反対したのだと思います。
-4
停滞の原因が何かはまだ解決していないのだと思います。発生の拘束があるのは当然ですし、総合説でも認めているでしょうが、それが停滞を説明するのに十分なのかは、私もよくわかりません。
実はエルドリッジの本(『ウルトラ・ダーウィニストたちへ』)もチエックしたので、その話も書こうかと思ったのですが、なるべく中立的な論者の意見を紹介しようと思ったので省きました。
-5
私の理解では、そうだと思います。
To たまごちゃん
血液検査のための採血で、貧血起こして倒れないようにね(汗)
状況は違いますが、似たような感じで採血されて倒れた経験のある者より(笑)
(1)、(2)は了解。
問題は(3)から。
(3)停滞
>@マイアによれば、それはグールドたちが「進化的停滞をはるかに強く強調している」ことでした(同 p.447)。Aそして「エルドリッジとグールドの断続説でなされた主張のうちでもっとも強い反対をうけたのは、すべての種が起原の時期を完了したあとで完全な停滞に入るという主張であった」とも述べています(同 p.453)。B停滞が常態であるという主張は、少なくとも「当たり前」ではなかったことが分かります。
(@、A、Bは引用者が挿入)
断続平衡説でもっとも反対を受けたのは@の「停滞が常態であるという主張」ではなくて、Aの「種分岐のときにのみ大きく形態が変わる」という箇所じゃない?
「停滞」自体はシーラカンスなどで現象としてすでに確認されていたから、それに反対したりしないだろう。
@、AからBは導けないのでは?
(4)停滞のメカニズム
あれ?総合説も発生学的拘束は認めてるんじゃないの?河田さんの「はじめての進化論」にも載ってたし。
私は「種の起源」読んで進化の定義から、祖先の由来を引き継ぐなら、そのような制約があるのは当たり前だと思ってた。むしろ安定化選択が本当に停滞のメカニズムとして、それほど効果があるのか懐疑的なんですけど。あとエルドリッジが「停滞」の主な理由として挙げている「生息域の追跡」も入れてやってよ。
5)進化に種分化は必要なのか
創始者効果をグールドが援用しているのは了解。私が見落としてた。それでグールドは進化に種分化が必要なのは創始者効果が必須だと考えてるからなの?
>特になぜ「化石の形態が急激に変わるようにみえるのは、新しい種ができるときにのみ生物は>急速に形態が変わり、その変化がすんでしまうと後は形態的安定が保たれるからだ」 となる>のか、そこんとこの仕組みがね。
単なる想像ですが、遺伝子上で、転座、挿入、重複、欠失などが起こり、
あるたんぱくの発現量が10倍ぐらい変ったりすればあり得るかも。
#前後を読んでないので外してるかもしれません。
訊いてみるものですね。血液検査は一夜漬けは無理かと思っていたけど、そんな手があったとは!!確かに脱水状態になったら、血液が濃くなるから嫌でもこれらの数値は上がりますね♪
谷庵さん、ありがとうございました!!
♯ 検査終わったらちゃんとお水かスポーツドリンクを飲むのでご心配なく♪&それらの数値を本当に上げる努力もちゃんとしますです^^;;;
>どなたか、「白血球の総量、リンパ球の量、好中球の量、赤血球の量、血色素量」を十時間以内に増やす方法って知りません?
サウナにはいるか下剤を飲むかして脱水状態となる。
血液濃縮によって、測定値上はいずれも増えます。
ただし、体には思いっきり悪い。
どなたか、「白血球の総量、リンパ球の量、好中球の量、赤血球の量、血色素量」を十時間以内に増やす方法って知りません?明日、血液成分の再検査があって、それまでに増やしたいのだ。
>PDX.さん、皆様
いま「当たり前」といわれていることが、ほんとうに「当たり前」だったのか、断続平衡説が提唱された前後の状況について、手もとにあった本をいくつか調べてみました。なるべく中立な立場の著者ということで、マイアの『進化論と生物哲学』、『これが生物学だ』と、フツイマの『進化生物学』です。
(1)進化速度
系統によって進化速度が異なることは、断続平衡説以前からよく認められていたようです。そして、マイアによれば、グールドとエルドリッジは「進化速度の違いを発見した」と主張した事はない(『進化論と生物哲学』, p.444)そうです。つまり、進化速度の違い自体は重要な論点ではなかったわけです。
(2)種分化の機構
グールドとエルドリッジは、急速な種分化のメカニズムとしてマイアの「周縁的種分化」を採用しています。これがマイアのアイディアであることはグールドとエルドリッジも認めています。では、マイアの理論は当時の進化学においてどのような位置にあったのか。マイアによれば、周縁的種分化の重要性は1930年代にフィッシャーとライトが「進化は個体数が多く広く分布する種でもっとも速い」と主張したとき以来、過小評価されるようになり(同 p.445)、1970年代以前は、大部分の進化学者が、そのような立場をとっていたそうです。そのような状況のもとで、マイアの理論(マイア, 1954)も、長い間無視されつづけていた。マイアは「私の理論が、エルドリッジとグールド(1972)によって光を当てられるまで古生物学者から完全に無視されたことは、いかにも不思議なことである」と書いています。つまりマイアの周辺的種分化理論は、当時は決して主流ではなかったようです。
(3)停滞
グールドたちはマイアの理論を援用したわけですが、それでは、マイアとグールドたちの違いは何だったのか。マイアによれば、それはグールドたちが「進化的停滞をはるかに強く強調している」ことでした(同 p.447)。そして「エルドリッジとグールドの断続説でなされた主張のうちでもっとも強い反対をうけたのは、すべての種が起原の時期を完了したあとで完全な停滞に入るという主張であった」とも述べています(同 p.453)。停滞が常態であるという主張は、少なくとも「当たり前」ではなかったことが分かります。マイアは『これが生物学だ』の中でも、「断続平衡説の最大の貢献は、頻繁に見られる定常性に注意を向けさせたことだろう」(p.221)と述べています。
(4)停滞のメカニズム
停滞は「当たり前」のことではなく、それ自体、説明が必要な進化的現象だと認識されるようになったわけです。たとえばフツイマは『進化生物学』で「おそらく、化石記録の提示する最も興味深い問題は停滞である。仮に、多くの形質はわずかではあっても急速に変動し、正確にいえば静的ではないとしても、環境はきわめて不安定であるから、形態がそれでも何百万年も相対的に安定であることは驚くべきことのように思える」(p.419)と述べています。これを説明するために集団遺伝学者たちは「安定化選択」を唱えましたが、マイアなどは反対しているようです。グールドたちは発生学的拘束などの内的な要因を主張していますね。いずれにしろ、まだ決着はついていない問題のようです。
(5)進化に種分化は必要なのか
グールドとエルドリッジは、マイアの「創始者効果」を援用しつつ、進化には種分化が必要であると主張しました。それに対して、集団遺伝学者は異を唱えました。フツイマによれば、集団遺伝学者は「個体群を新たな適応ピークに移行させる点で一般に創始者効果は役に立たず(Lande 1980, Barton & Charlesworth 1984)」、また「Wright (1977)の平行推移理論では、前進的適応進化は、低いレベルの遺伝子流動で互いに結びついているたくさんの局所的集団からなる広域種で、最も生じやすい」などと主張したそうです(同p.418)。ここにも明確な立場の違いがあったわけです。
とりあえず、こんなところで。
To thinkpad さん
>グールドのその「統合説はもっとガチガチに自然淘汰万能論と化していた、そこに一石
>を投じた」なんて言葉は信じない方がいいと思います。むしろグールドがそう勘違いし
>てただけじゃないかと。
過去記事に書いた通り、私はグールドが好きではあっても原理主義に陥っているつもり
はありません。
先の記事を投稿したのは「こういう視点が欠けているように感じられる」と思ったから
です。当時の学会の事情(特に、当時のアメリカの学会の事情)を我々は肌で知っている
わけではありませんから、実際どうなのかわからないですけどね。
ただ、今まで読んだマーギュリスやドーキンスの本でも、当時の学会の動静とかはあま
り良く分からないというか、語られていないように感じますけどね。
(グールドの著書のようなエッセイでは無いので、そういうことを「語る」必要がないせ
いかとは思いますが)
To 大文字ナンさん
むしろ革新的だとするなら、種は大集団のままでは漸進的に進化することができない。その前に必ず種分岐した小集団に蹴落とされる。の部分じゃないかなあ。
でも集団の規模についてグールドは何も言ってなかったような。言ってたのはマイアだったような。
この辺ごっちゃになってて区別がつかない。間違ってるかも。
なにせ私が書いたのは、あくまで「推測」で、本当に断続平衡説がこういう内容なのかわからないんですよ。
グールドの本を読んでも、断続平衡説の具体的な内容がさっぱりわかりません。
特になぜ「化石の形態が急激に変わるようにみえるのは、新しい種ができるときにのみ生物は急速に形態が変わり、その変化がすんでしまうと後は形態的安定が保たれるからだ」 となるのか、そこんとこの仕組みがね。
河田さんのサイトにも載ってないし。
それで以前に散々悩んで「これならつじつまが合う・・・ような気がする」ってのを披露して、誰かが間違いかどうかを指摘してくれるのを期待してたんです。
To PDXさん
グールドのその「統合説はもっとガチガチに自然淘汰万能論と化していた、そこに一石を投じた」なんて言葉は信じない方がいいと思います。むしろグールドがそう勘違いしてただけじゃないかと。
横槍失礼。
断続平衡説と統合説について、皆さんは「現在」の視点で語っていませんか?
グールドの著書の中で自説に触れている個所がいくつかあるのですが、その中で過去においては(おそらく
60年代くらい?)統合説はもっとガチガチに自然淘汰万能論と化していた、そこに一石を投じたというような意図の記述がなされています。
また、統合説に対する異説として、中立説やマーギュリスの合体説なども挙げられており、統合説はそういった様々な新説も組み込むような形で、より多くの事象を説明できる理論となっていったのではないでしょうか?
>大文字ナンさん
私が考えている「目的論」は、もっと広い概念です。個々の生物自体の中に目的を見るのももちろん目的論ですが、それ以外にも、たとえば、世界は神の定めた目的に向かっていて、現在起きている事はその目標を達成するためのものだ、というような種類の主張も含みます。要するに「目的論」とは、未来に起きるべき事(結果あるいは目的)によって、そのために現在行われるべき事(原因あるいは手段)が定まるというような、時間軸あるいは因果関係が逆転した論理です。自然選択の理論は進化を徹底的に機械論で説明する事によって、生物に内在する目的はもちろん、自然に内在する目的だとか、神が定めた目的だとか、そういう一切の目的論にダメージを与えたと私は考えていますので、ああいう発言になりました。
自然に「目的」は存在しない。しかし人間は「目的」を設定することができます。それは人間が自然の法則を理解し、未来を予想する事ができ、その予想に基づいて現在の行動プランをたてることができるという能力を持つからです。ですから、人間を家畜にとっての「環境」だと考えるとすれば、それは「目的を持った環境」です。その点が自然選択との違いであるというのが、私の考えです。
家畜が隔離されているというのは、その通りだと思います。「遺伝子の流れのコントロール」という言葉は、隔離も含めて使ったつもりです。人間が家畜に対して行ってきた選択や隔離は、人間が設定した何らかの目的に貢献する「ための」選択や隔離であり、自然環境による「無目的の」隔離や選択とはその点で異なると思います。そして家畜においては、目的の存在によって、選択や隔離の強度も、自然環境によるものよりもずっと強いものになっていると思います。
前にも書きましたが、もちろん、人為選択と自然選択に共通の側面があることは認めています。念のため。
>たまごちゃんさん、diamonds8888xさん、大文字ナンさん
どうも、私がしつこく「違う」と言っても皆さんに納得していただけないようなので(たぶん私の説明の仕方が悪いんでしょう)、thinkpadさんが以前、紹介して下さった河田雅圭さんのサイトから、断続平衡説について述べた部分を引用してみます。「断続平衡現象が広く見られることは、多くの研究者が認めている。しかし、それが特に注目されたのは、この現象自体ではなく、この現象を説明する理論が特異だったからである。」(河田(1990)『はじめての進化論』講談社)。どう「特異」だったのかは、興味があれば、河田さんのサイトでお読み下さい。図がありますので、言葉だけの説明よりは分かりやすいと思います。
http://meme.biology.tohoku.ac.jp/INTROEVOL/Page23.html
ご意見、ご要望がございましたら、掲示板か、 e-mail:natrom@yahoo.co.jpへどうぞ。