進化論と創造論についての掲示板ログ135

2003年02月02日〜2003年02月05日
このファイルは、掲示板巡回ソフトのログファイルを元に再構成したものであり、投稿時の状態(フォントサイズ、文字の色、リンク等)をすべて反映しているわけではありません。
トップページに戻る
掲示板ログ134へ
掲示板ログ136へ

あらら  投稿者:うだうだ 投稿日: 2003年02月05日10時10分

よく読んでるとややこしい話になってますね・・・。

おやおや、あれあれ?およびでない?こりゃまた失礼したしました。

NATROMさんすいません。ゴミレス増やしてしまいました。

(姫これからは女性も自立の時代です、自分で身を守って下さい。退散!)


悪ふざけ  投稿者:うだうだ 投稿日: 2003年02月05日10時04分

たまご姫、うだうだナイトはあまり頼りになりませぬが、必ずや姫を守りぬきます!

ってな感じの悪ふざけもたまにはいいじゃんー。


常連だけど  投稿者:うだうだ 投稿日: 2003年02月05日 9時49分

> 創造論の立場に立って議論を仕掛けているのであればディベートの流儀として受けて立つ覚悟がないと単なる仲間内の無責任な議論ごっこになってしまうのではないだろうか。

僕の議論見た事ありますか?無礼極まりなく、極限まで相手に詰め寄りますよ。
論理的でないのは、創造論者も僕と変わらないと想いますけどね。

あのさー冗談ぐらいいってもいいじゃん。だって青野さんって疲れるんだもん。
はっきり言いますが、無視されないだけものすごく親切な態度です。

ごっこだとしても、2chなんかよりはよほど高級な大人の遊びですけどね。
ディベートごっこしてるより、ずっとましですけどね。


To たまごちゃん  投稿者:大文字ナン 投稿日: 2003年02月05日 6時46分

ごめん、今はたまごちゃんの相手をしているわけじゃないんだ…発言において、たまごちゃんのことはひとつも考えていません。だって、この件において相手をするに値しないから。本気で腹をたてたので、感情論を展開したのです。この問題を感情抜きに私は語れません。ですから、論理的な議論だけに討論を絞るのがルールなら、私は降りるだけ。そこまで、私は合理的に出来ていない。

一方で、創造はあったが進化もあったという立場を取ったのは、つまり、青野氏が神を前提にあくまで論陣(というほどのモノではないが)を張るなら、私も、じゃぁ証拠の意味はどういうことなの?と、一人のヒトの立場で「勝手な解釈」を行なっただけのこと。同じ前提を持たないと議論(というか、言い合い)にならないかな、と考えたから。これはFakeではなく、私の「ソウル(笑」から出た言葉ということで。
#ありがちなジョークに発展しませんように(笑。

だもんで、合目的な進化があったとしておくのは、神さまを尊重した結果。人間がいくら研究しても分からないでしょうが、神には目的があったと考えることまではおかしくないでしょう、ということ。ただその解釈は何万通りでもあるでしょうね。

次、ダブルスタンダードも「私の主張は正しい、なぜなら私は苦しみを知っているから」という反証不能性(通称、無敵くん)を取り入れた結果です。論理に重きを置けば、単一事例というかローカルで私的な事実をもとにそれを普遍化するのは誤り。しかし、表現は合理に基づく立場よりも、魂の主張の方が説得力を持つこともある。合理的な「愛の歌」なんて馬鹿らしいでしょ。まぁどっちが整合してるかってより、どっちが魅力的な主張かって感じかな、と思います。
#なお、たまごちゃんの発言姿勢自体がダブルスタンダードなんで、私はちょいと不快です。そんなヒトに言われたかない。別の遊びなら付き合ってもいいが、この件はいやだ。

さらに次、進化論は支持するもなにも、今のところかなり妥当な仮説だと認めているだけ。信じるとか信じないとかじゃないです。残念ながら創造科学はこれに比べるとかなり妥当性が劣る。この辺は論理的に見ています。一方、進化論が妥当だとしても、神の介在があったとして別に構わないと思う。私はそう思わないが、そう思うこと自体を批判する気持ちはありません。

そんで最後、胎児やモルモットの命も同じく平等でしょう。だから科学とか信仰とか環境保護なんてのは人間の都合に過ぎないというのが私のスタンスです。ただ私も人間である以上、神の教えに背くかも知れませんが、人間の都合を貫くしかないということ。超越者にはなれません。そのせいで私があの世で罰せられますよ、というなら罰してくれれば良い。誤魔化す気などありません。
#モルモットを出してくることは想定していたが、たまごちゃんが反応するとは思わなかった。

しかしさ、やっぱたまごちゃんのやり方はとても失礼だと思うよ。人は本質的な部分で嘘をつくべきじゃないと思う。それくらいなら、たとえ間違っていても、本気で主張する人の方がよほど好ましい。つまり、それじゃぁ、青野氏以下だってこと。


(無題)  投稿者:たまごちゃん(^-^)ノ 投稿日: 2003年02月05日 4時21分

♯ 書かなくても解かるとは思いますが、下の投稿では、地の私の考えを書いた文章には文頭に♯をつけました。以降、しばらくの間メイン掲示板では同様の形式をとるようにしようと考えています。


Re:進化と中絶?   投稿者:たまごちゃん(^-^)ノ 投稿日: 2003年02月05日 4時20分

>#それを捏造だと言い張るのは、単に無知なだけ。

名無しの探偵さんにも申しあげたことですが、私が実際にはしていない主張までしているかのように非難するのは止めてください。非常に不愉快です。
進化の証拠と目される様々な現象が発見されていることは私も存じております。そのひとつひとつの信憑性を判断するだけの知識も能力も持たない私が、それらすべてが捏造だと主張するつもりは毛頭ありません。

>創造が神の御手によってあったとしても、進化を物語る証拠も、同じく神によって遺されたと考えるのがこの場合、整合します。

仰るとおりだと思います。が、私には神が何故そのような進化の証拠のように見えるものをお遺しになったのか、見当もつきません。神のなさることを、有限の人間の解釈によってすべて理解できるとはもとより考えておりませんし・・・。

>すべての生命が尊厳を持つのであれば、すべての生命に(合目的な意味での進化も含み)進化の機会を与えていることこそ、神の愛なのではないか?

つまり、大文字ナンさんの考える進化論では進化は合目的的な営みでありうるということでよろしいでしょうか?私が生命の尊厳を否定すると考えるのは、盲目的な進化です。もしも、あなた方の唱える進化論が、一定の価値(それも神がお示しになった価値)に向かって進む合目的的な営みであるのならば、私は自分の主張をもう一度考え直してみる必要があるのかもしれません。しかし、進化が合目的的に進むという考え方は、あなた方の間で一般的なのですか?
ところで、それはあくまで大文字ナンさんの神の愛についての解釈ですよね。神の愛を解釈なさること自体は非難しようとは思いません。しかし、ご自分も神の愛を解釈するにも拘らず、他者が神の愛を解釈したからといって、「神への冒涜だ」と非難するダブルスタンダードは慎んでいただきたいと思います。

>過去に発言していますが、私には中絶の(男なので体を痛めたわけではありませんが)経験があります。

単一の事例から何かを導き出そうとは考えませんが、あなたは進化論を支持なさっているのですよね。

>それをいちいち進化論のせいだ、とする「口からデマカセ」を聞いていると頭にきます。そういうことが言える人は、なにひとつ生命の尊厳など分かっていません。

♯ この部分、Fakeではない地の私への批判もある程度含まれているのではないでしょうか?中絶の問題は決して軽々しく扱ってよい問題ではなく、それを冗談のネタとしてしまったことは、軽率だったと思っています。(だったら、最初から投稿するなって話も無きにしも非ず)
♯ もしも本当の反進化論者に「進化論者は中絶問題ですらジョークのネタにする」と批判された場合、「たまにはそういう奴もいるけど、進化論支持者のすべてがそうなわけではない」というぐらいの反論しか私にはできないかも・・・。

>神の愛も実は勝手に解釈しているだけで、それは神を冒涜する行為です。

「神は愛をもって生命をお創りになった」「神は御自分がお創りになった生命を愛している」という私の考えは解釈といわれればその通りなのかもしれません。しかし、上にも書いたようにそのことであなたに非難されるいわれはないと考えます。(私が神の愛について述べていることは基本的に、上記の2点のみであることにも御注目ください)

>進化論をはじめとする生物分野の科学が発展することは、非進化論者の思惑とは逆に、中絶の件数を減らすかも知れません。過去には生きることが出来なかった子供も、生きられる医療を与えてくれるかも知れません。

憶測だけで物を言うのは簡単ですよね(w

>それは冒頭で述べた「目隠しをする行為」と似ていると私は思います。

♯ ごめん、文の構造がよく解かりません。大文字ナンさんが「目隠しする行為」に似ていると思っているのは、「貧困や無知により中絶を軽んじてしまうこと」でよいのでしょうか?

>進化論が明らかにしてくれるのは、命がつまらないものだ、ということではありません。むしろ命が、どれほど困難な状況に対してもたくましく営まれてきて、平等であることです。

進化論の主張に基づけば、生命はすべて平等だということには反対しません。進化論では、どの生命も等しく何の目的もなく盲目的に進む進化によって生じたとされます。従って、徹頭徹尾、進化論の考えに従うならば、モルモットや胎児の命が特別ではなく失われても問題がないのと同様に、あなたや私の命も失われても問題はないと見なすべきでしょう。
また「神の愛を解釈している」と非難されてしまうかもしれませんが、私は神がお創りになった生命は一部だけが特別なのではなく、すべて特別でかけがえがないものであると考えます。あなたの命や私の命が特別でかけがえがないのと同様に、胎児やモルモットの命も特別でかけがえがないと考えます。


Re:進化と中絶?  投稿者:大文字ナン 投稿日: 2003年02月05日 1時13分

地球が古いか新しいかはこの際置いておいて、進化があったことを物語る証拠がなければ進化論など提唱されるはずがなく、物証があること、すなわち目で見ればそこにあるものが「聖書によればない」として頑迷に認めないようでは、目隠しをしているのと同じ状態と言えます。
#それを捏造だと言い張るのは、単に無知なだけ。

創造が神の御手によってあったとしても、進化を物語る証拠も、同じく神によって遺されたと考えるのがこの場合、整合します。さて、どんな生物も進化の結果今の形になったことを認めたとして、どうしたら「命の軽視」に繋がるのでしょうか?私はむしろ「すべての生命は、神の采配によってなされた進化という精緻な機構のもとに平等であり、人間だけが特別なわけではない」という考えには至っても「生命はただ単に化学反応であって、憐れむことも、慈しむ必要もない」などと言う、馬鹿としか言いようがない帰結を生むとはとても思えません。

キリスト教的に「進化論は中絶行為を助長する、ゆえに進化論は害悪である」とする論者は、進化論によって、人間が特別な存在ではないことや、生命が大切に育まれるべきものではないという考えが蔓延するのだ、としています。少なくとも私にはそう見える。しかし、人間だけが特別なのだと神は説いたのでしょうか?すべての生命が尊厳を持つのであれば、すべての生命に(合目的な意味での進化も含み)進化の機会を与えていることこそ、神の愛なのではないか?と私には思えるのですが。そうでなければ、神がその愛によって進化の証拠を遺されたことの理由が説明できないと考えることは出来ないのでしょうか。

過去に発言していますが、私には中絶の(男なので体を痛めたわけではありませんが)経験があります。しかしそれは、進化論を知っているがために選択した行為だったでしょうか?まったく関係ありません。ただ単に、経済的事情、家庭環境、その他「話せば長くなるし、言いたくもない泥沼な事情」があってのことであって、それをいちいち進化論のせいだ、とする「口からデマカセ」を聞いていると頭にきます。そういうことが言える人は、なにひとつ生命の尊厳など分かっていません。神の愛も実は勝手に解釈しているだけで、それは神を冒涜する行為です。

進化論をはじめとする生物分野の科学が発展することは、非進化論者の思惑とは逆に、中絶の件数を減らすかも知れません。過去には生きることが出来なかった子供も、生きられる医療を与えてくれるかも知れません。中絶を軽んじる傾向は進化論ではなく、多くは貧困や無知によるものだと私は考えますが、それは冒頭で述べた「目隠しをする行為」と似ていると私は思います。神は目隠しすることを人に求めるのでしょうか?それを求めているのは、神ではなく、あくまでも人なのではないでしょうか。

進化論が明らかにしてくれるのは、命がつまらないものだ、ということではありません。むしろ命が、どれほど困難な状況に対してもたくましく営まれてきて、平等であることです。私より大事な命がないように、私より無用の命もないことでしょう。すべてが平等であることは、特別な存在を否定することにはなりますが、特別な存在を許容してしまうことこそ、悪しき優生学や虐殺を生んだという歴史が、その害悪を証明していると私は主張します。


マルチレス  投稿者:たまごちゃん(^-^)ノ 投稿日: 2003年02月05日 1時04分

To じんひろしさん

>進化論的にみれば
>子を大切にしない系統は淘汰されます。

そうなんですか?それは初耳です。貴重な情報をありがとうございます。
では、中絶を行い子を大切にしない人々が未だに淘汰もされずに、生き続けていることこそが、何よりの進化論の反証といえるのかもしれませんね。


To 地価に眠るMさん

>少なくとも、進化論教育をするようになった後の世界で、嬰児殺しもニンゲンの売買もまず普遍的に悪と見做されているわけだにゃー。これはきっとシンカロンの影響に違いない!!!

私は、時期の一致のみから因果関係を主張するような愚を犯したりはいたしませんが、創造論が創造科学という形をとり始めたのも(進化論よりは若干遅れるものの)ほぼ同時期であるということもお忘れなく。


To wadjaさん

>たまごちゃん、無事発表は終ったようでおめでとう。

いえ、卒業発表は来週です。
こんなことしていて良いのか??^^;)

と、言うわけで、レスが遅れがちでも大目に見てね。全然書き込まなくなったとしても、必ずしも逃げているわけではないです。逃げる時はそう言います。(あの文章のウィーク・ポイントには私も気付いているし、そこを突かれたときの反論は思いついていないので、最終的には降参することになるでしょう。)>All

>「あんた」は×です。

それ、投稿したあとで、私も思いました。間違えて<n>を二回押してしまったんだろうなぁ・・・^^;)


うーん  投稿者:wadja 投稿日: 2003年02月05日 0時35分

名無しの探偵さん

初めまして、wadjaです。

最初の投稿には、管理人さんをはじめ誰もレスはつけませんでした。それはある意味、初めて訪れてこの掲示板に書き込みをされた方には失礼な態度かとは思います。しかーし。ここの常連さんは、それぞれの役割(専門)を妙にわきまえているところがありまして、あの名無しの探偵さんの投稿には、管理人さん以外にレスのつけようがないところがあったのでしょう。

#ということで、NAROMさんよろしくです。

たまごちゃん、無事発表は終ったようでおめでとう。でも苦言を一つだけ。

「あんた」は×です。


>RE:進化と中絶という二項対立  投稿者:地下に眠るM 投稿日: 2003年02月05日 0時12分

えーっと、どんな論旨でいこうかにゃ・・・・

進化論教育 とやらがなされたのは二十世紀もだいぶ過ぎてからだにゃー
ところがさ、嬰児殺し(胎児殺したる中絶ではなく、赤ん坊殺しね)は、世界中あっちこっちでされていたのだにゃー。間引きちゅうやつだ。日本でも、新生児が死んでも葬式すら行なわなかったにゃ。彼らは、この世とあの世の境にいるものとされていたわけね。

家庭が愛情のある場である、っちゅうもの、少なくとも西欧では18世紀以降のことでしてにゃ。それ以前の家庭というのは、相互に無関心であり、ガキなんざ死んでも親は特に悲しみもしなかったちゅう話もけっこうあるにゃ。当時の日記なんかが残っててね、今とは家庭に関する感覚もゼンゼンちがうのだにゃー。
嬰児殺し、ガキの売買も、ごくごくフツーに行われていたわけ。

少なくとも、進化論教育をするようになった後の世界で、嬰児殺しもニンゲンの売買もまず普遍的に悪と見做されているわけだにゃー。これはきっとシンカロンの影響に違いない!!!

シンカロンを学んで、この世の悪に立ち向かいましょうにゃー>みにゃさま


(無題)  投稿者:じんひろし 投稿日: 2003年02月05日 0時04分

たまごちゃん
上手いなぁ。

ちなみに私の
>だからといって進化論が中絶を助長する訳ではありません。
>進化論的にみれば
>子を大切にしない系統は淘汰されます。
にはどのような反論をなさいますか?(本当は青野さんの反論を聞きたいのですが)

極端に単純化しているためツッコミどころ満載だと思います。


皮肉ではあるが、婉曲な質問ともいえる  投稿者:PDX. 投稿日: 2003年02月05日 0時03分

To ゆんさん

 最後に#付きで書かれていた「やりすぎたかな?」という意味のコメントが、たまごちゃんなりの「これはジョーク(もしくは皮肉)です」というメッセージだと思ったんですけどね。
 たまごちゃんは以前にも fake 創造論者という立場で書き込みをしたことがありましたし。

 まあでも、過去記事に目を通さないとわからない、というのは確かですが。


To 名無しの探偵さん

 上で書いたとおり、たまごちゃんは以前も似たようなことをしたことがあるということと、過去の発言の傾向から、本気の創造論者としての発言ではないだろう、という推論をして私は先の発言を投稿しました。
 だからこそ、投稿日: 2月 4日(火)01時06分36秒 の記事でも、

> すごいな〜、創造科学な人が使うテンプレートでもここまで巧く出来てないです
>よ、きっと(笑)

と書きましたし、続けて

>というか、事情を知らない創造論者が、半年くらい後にここの掲示板にコピペしそう
>な気がしてならない(笑)

と書きました。
 これらの発言は、たまごちゃんが創造論者「ではない」という前提のものですし、たまごちゃん自信からの反論も否定もありません。

 さらに、それに対して T8848 さんが賛同する発言をされているということは、氏も私と同様に読み取った、ということだと思われます。

 上で書いたとおり、常連(という表現が悪いのであれば、この掲示板の過去記事をある程度読んでいる人。ROMも含む)でないと読み取ることができなかったかもしれないとは思います。
「内輪受けのお遊びか」と思われるかもしれませんが、その背景には、中絶と進化論を結びつけた書き込みをし続け、反論や質問に対してなかなか答えようとしない青野氏の姿勢に対する茶化しが混じっているというのも事実です。
「あなたの主張を短くまとめて極論にすればこうなります」という形で、青野氏に対して反論を期待しているともみなせます。
 たまごちゃんの、いささか戯画化した創造論者ぶりを否定して、もっと議論の可能な意見や反論を、青野氏が書いてくれれば幸いであると思います。
 たまごちゃんも、ある程度それをねらっているのかもしれません。


お詫び  投稿者:たまごちゃん(^-^)ノ 投稿日: 2003年02月04日23時45分

>この件は、もうちょっとたまごちゃんが一見さんに配慮すべきだったように思います。

ゆんさんの仰るとおりですね。^^;)
それに最近、メイン掲示板にカキコしていなかったから、ちょっと遡っただけでは、私の投稿出てこないですし・・・。
私は、時々創造科学者のまねするという悪い癖を持った、進化論支持者です。
勘違いをなさった方がいらしたとしたら、申し訳ありませんでした。m(_ _)m


RE:進化と中絶という二項対立   投稿者:たまごちゃん(^-^)ノ 投稿日: 2003年02月04日23時38分

名無しの探偵さん、はじめまして。(最初にいらしたときには、レスをつけなくてごめん)


レスをありがとうございました。レスをいただけたこと自体は非常にうれしく思います。しかし、あの文章を読んでもなお、進化論と中絶との関係を感じていただけない方がいるという事実に、進化論の弊害はここまで根が深いのかと改めて戦慄を覚えずにはいられません。
あなたの心は、進化論教育によって完全に麻痺させられてしまったのでしょうか?そうではないと信じたいのですが・・・。

>たまごちゃんの言う創造説は中絶に代表される生命軽視の歴史(と存続)の元凶をすべて「進化論とその普及教育に求められているようですがこれは不当な非難であると考えます。

私の主張は、今日この国にはびこる生命軽視の原因の一部は進化論であるというものです。確かに、進化論とその普及教育は生命軽視の原因の非常に大きな部分をしめているとは考えていますが、それだけが原因だと主張した覚えは全くありません。私が主張してもいないことをまるで主張したかのように非難することは止めてください。

>進化論という科学上の発見に原因を求め、人為的に中絶(と子殺し)をする社会的な背景を素通りする態度こそ問題です。

中絶や子殺しをする社会的な背景を無視してはならないという意見には心から同意いたします。しかし、そもそも、社会的背景を形成するのは、その社会に住む一人一人の意識ではありませんか?中絶を容認する社会の基盤となるのは、生命の尊厳を否定する生命観です。そのような生命観を生み出すのが、生物は盲目的に進化した結果に過ぎないとする進化論教育であるというのが私の主張です。

>果たして進化論が唱えられたから中絶などが一挙に増加したと言えるのでしょうか。

これもまた、私が主張していないことを主張していると誤解なさっているようです。それとも、故意に論理をすりかえていらっしゃるのでしょうか?
進化論が唱えられてすぐに中絶が急増したかどうか私は知りませんが、おそらくそのような事実はないのではないかと考えます。進化論が唱えられ、その理論が徐々に人々の間に広まっていき、広まった理論が人々の生命の尊厳に対する意識を徐々に蝕んでいく・・・。進化論が唱えられてから中絶が増えるまでに全くタイムラグがないと考える方が不自然でしょう。

>科学上の発見が人命軽視に貢献したというのは不当な言いがかりです。

人の主張を明確な理由も示さずに「不当な言いがかりだ」と断じることの方が、不当な言いがかりだと思いますが・・・。

>人間の倫理と科学の発展を無媒介に直結させてはならないのではないだろうか。

無媒介に直結させた覚えはありません。私の主張は、進化論の説く「進化の進行方向の盲目性や無目的性」が生命の尊厳の否定につながり、その結果として生命軽視や中絶の容認に結びつくというものです。この主張を否定するのに足る建設的な理由を名無しの探偵さんが示しているように、私には到底思えません。

>中絶と進化論という問題設定に無理があるのです。この二項は対立的なものではない。

名無しの探偵さんはどういう意味で「対立」という言葉をお使いでしょうか。私は一方(進化論)が他方(中絶)の原因だと主張しているわけですから、この二項が対立的なものでないことは当然であると考えますが・・・。 (これはマジで)

>中絶は明らかに社会(人間社会)の文化、倫理の問題です。

「明らかに」ですか・・・(w
中絶が社会の文化、倫理の問題であることには反対しませんが、だからと言って進化論と無関係だと言うことにはならないのではないでしょうか?

>進化論に元凶を求めることは実に安直な思考ですね、人間社会の貧富の差や倫理問題、つまり人々の欲望の闇を直視する必要から解放されるのですから。

私は自分の主張を安直だとは考えませんが(進化論の人々に及ぼす害悪は非常に根が深く、ストレートに進化論を批判するだけでは解決は難しいと考えています)、論理が単純だからというだけでは、間違っているということにはなりません。

最後になりましたが、名無しの探偵さん、お願いですから理屈だけで考えるのはよして、御自分の魂の叫びに耳を傾けてみてください。進化論教育に完全に毒されているのでなければ、きっと解かるはずです。この国の人々のの文化や倫理観を蝕んでいるものが何であるかが・・・。


♯ ちなみに、冗談だっていうことは分かっていらっしゃるんですよね?新しくいらした方だから、ちょっち心配。
♯♯ 分かっていなかったなら、ごめんなさいです。m(_ _)m 別にだます意図はなかったです。
♯♯♯ 分かっているなら、冗談に乗ってくださってありがとう。でも、もう少し楽しげに反論しようよ・・・^^;)


議論の土俵をズラサレテモ?  投稿者:名無しの探偵 投稿日: 2003年02月04日23時09分

はっきり言って常連だとか冗談だったとか、過去ログを当れだとかは議論を避けている人の逃げ口上のような気がします。
創造論の立場に立って議論を仕掛けているのであればディベートの流儀として受けて立つ覚悟がないと単なる仲間内の無責任な議論ごっこになってしまうのではないだろうか。


捕捉  投稿者:ゆん 投稿日: 2003年02月04日22時36分

下記の書き込みの「一見さん」は名無しの探偵さんの事ではありません。
たまごちゃんの書き込みを見た時点でちょっと危惧していたのですが、
やはり勘違いする人がいたという事で、注意を喚起した次第。

名無しの探偵さんは書き込みが増えて来てらっしゃいますので、PDXさんの
指摘は半ば妥当だとも思っていたり。


『常連』が慎重であるべき個所  投稿者:ゆん 投稿日: 2003年02月04日22時29分

この件は、もうちょっとたまごちゃんが一見さんに配慮すべきだったように思います。
一目で冗談とわかるような注釈を入れておくとか。この掲示板の特徴からして、
検索エンジンから流れて来てちょっと覗いて、みたいな人はとても多いと思います
ので、常に初めての人が見ているくらいのつもりで書くのがいいのではないかと。

# 本当は『常連』という言葉の持つイメージもなんか嫌だとか色々あるんだけどそれは
# 直接は関係ない話なので置いておくのだ。

私はこの掲示板で、深く議論をしたい人には過去ログをある程度さかのぼって読む事を
期待しますが、ちょっと情報収集くらいのつもりの人にまでそれを求める気はしません。
そしてその『ちょっとのつもり』の人への配慮は結構大事だと思います。


あれは皮肉なんですけどねぇ  投稿者:PDX. 投稿日: 2003年02月04日21時00分

To 名無しの探偵さん

 過去ログをお読みになりましたか?
 たまごちゃんはこの掲示板の常連さんで、本来進化論を否定している立場の方ではありませんよ。

 その立場から、きっと創造者はこう答えるだろう、という仮想的な返事を書いたわけです。
 正直に言うと、私の想像もだいたいあの範囲に収まっています。
 だからこそ、想像論者に似た質問をするときは、感情論ではなくてもっと議論の余地のある答えを期待しているんですけどね……。


RE:進化と中絶という二項対立  投稿者:名無しの探偵 投稿日: 2003年02月04日20時16分

たまごちゃんの言う創造説は中絶に代表される生命軽視の歴史(と存続)の元凶をすべて「進化論とその普及教育に求められているようですがこれは不当な非難であると考えます。

進化論という科学上の発見に原因を求め、人為的に中絶(と子殺し)をする社会的な背景を素通りする態度こそ問題です。

果たして進化論が唱えられたから中絶などが一挙に増加したと言えるのでしょうか。
進化論がもし仮に提唱されていなくても事態が異なっていたかは疑問です。

これに反して武器の発達などは明らかに暴力と殺戮を増加させましたが。
科学上の発見が人命軽視に貢献したというのは不当な言いがかりです。
人間の倫理と科学の発展を無媒介に直結させてはならないのではないだろうか。

中絶と進化論という問題設定に無理があるのです。この二項は対立的なものではない。

中絶は明らかに社会(人間社会)の文化、倫理の問題です。進化論に元凶を求めることは実に安直な思考ですね、人間社会の貧富の差や倫理問題、つまり人々の欲望の闇を直視する必要から解放されるのですから。


RE:進化と中絶  投稿者:とおりすがり 投稿日: 2003年02月04日12時09分

文中、ソウヤーの「イリーガル・エイリアン」を思い起こさせる箇所が随所に。。。


とりあえず  投稿者:とりあえず 投稿日: 2003年02月04日12時00分

そういえば、そんなこともありましたね。


そんなことより  投稿者:大文字ナン 投稿日: 2003年02月04日 5時33分

GOAさんのダジャレはオシャレだと思った♪


それ、考えた  投稿者:T8848 投稿日: 2003年02月04日 1時32分

>事情を知らない創造論者が、半年くらい後にここの掲示板にコピペしそうな気がしてならない(笑)

これ自体は創造科学じゃないし、進化論というより「進化論的価値観(と言えば良いのかな)」を否定しているから、その分余計な突込み所も少ないし、普通の中絶に否定的なキリスト教徒にも利用されそう。(すぐ賛成しそうな心当たりがあったりする…)


というか、  投稿者:PDX. 投稿日: 2003年02月04日 1時09分

>創造論者が他所で使いそうですな(笑)

 というか、事情を知らない創造論者が、半年くらい後にここの掲示板にコピペしそうな気がしてならない(笑)


創造論者が他所で使いそうですな(笑)  投稿者:PDX. 投稿日: 2003年02月04日 1時06分

To たまごちゃん

 すごいな〜、創造科学な人が使うテンプレートでもここまで巧く出来てないですよ、きっと(笑)
 感情論に終始していて科学的なデータを一切示していない点でも素晴らしい出来です(笑)
(理系の人間だと、ついうっかり書いちゃいますからねぇ)


むむっ  投稿者:RYU_TI_SYU 投稿日: 2003年02月03日23時59分

お主、、、できるな・・・


進化と中絶  投稿者:たまごちゃん(^-^)ノ 投稿日: 2003年02月03日23時51分

>進化論と中絶の関係はなんですか?

上記の引用文と同様の趣旨の質問が多数の方からなされておりますが、証明などするまでもなく、今日この国に中絶がはびこっているのは、進化論教育の弊害によるものです。このような自明の理すら感じ取ることができないということ自体が、あなた方が進化論の害悪に毒されている何よりの証拠であると言っても過言ではありません。


すべての生命(いのち)は神様がその尽きることのない愛をもってお創りになりました。そのため、ひとつひとつの生命はどれも、かけがえのない大切なもので、どれ一つとっても失われてよいものはありません。神の愛ゆえに、すべての生命は尊ばれなければならないのです。このことは、まだこの世に生まれ出ない胎児の生命にも当てはまります。
このような神の愛を知る者が、神のお創りになった小さな生命を殺めるなどということがありうるでしょうか?聖書を知り神を知る者が堕胎の罪を犯すなどということは、決してありえません。

一方進化論は、生命が今日の姿にあるのは偶然であると主張します。「偶然」という表現がお気に召さないのであれば、あなた方のお好きなドーキンスの「盲目的」という言葉に言い換えてもかまいません。あなた方は事あるごとに、「進化は偶然ではない」とおっしゃいますが、それでも、進化がたった一つの崇高な目標に向けて合目的的にまっすぐ進んだと考えているわけではないのでしょう?あなた方の説く進化はなんらかの価値を目指したものではなく、その産物は淘汰の結果生き残ったものに過ぎないことは、あんた方にも同意していただけるのではないかと思います。

もしも、今日の生命が何の目的も持たずに盲目的に進化した結果に過ぎないとするならば、どうやって生命に価値や尊厳を見出せばよいのでしょうか?「生命は、何の目的もなく盲目的に進化したなれの果てに過ぎない」このような思想を持つことは、生命の尊厳を否定することにほかなりません。生命に何の価値も尊厳もないのならば、ほしくもない胎児を抹消することになんのためらいが必要でしょう?
「生命にはなんの価値もない。生命の尊厳などまやかしに過ぎないのだから、堕胎に良心の呵責を感じる必要はない」進化論は、望まぬ妊娠に悩む女性にそう囁きかけます。しかし、それは悪魔のささやきです。決して真実などではありません。

頭だけで考えるのは止めて、あなた自身の心に問うてみてください。生命はなんの価値もありませんか?生命はどうでも良いつまらないものですか?「否!否!!」答えは断じて否のはずです!!
まだ完全には進化論教育によって頭と心が麻痺させられていないならば、あなたにもきっと気付くことが出来るはずです。生命の尊厳を否定する進化論は間違っているという真実に・・・。

♯ 最後に、もしもこの掲示板を見ている方の中に中絶を考えている女性がいらっしゃるとしたら・・・。
あなたは進化論教育に毒されています。あなたの胎内に息づいているのは、盲目的な進化の結果生じたどうでも良い存在などではなく、神がその愛をもって創られたかけがえのない生命なのです。早く目を覚ましてください。どうか、あなたを頼るしかない、小さな生命のたまごちゃんを見捨ててしまわないで下さい。

♯♯ ちょっとやり過ぎな気が…^^;) ままよ、投稿しちゃえ(w


前提についての補足  投稿者:名無しの探偵 投稿日: 2003年02月03日22時35分

GOAさん、少し舌足らずだった(他の掲示板でななさんにいつも批判されているだけに)ので、
補足します。
前提を置くのは論者が自説を特有の論理として構成し、それを他者に伝えるために考案した論理構造という意味であり、それをアプリオリにするのはやがて矛盾になると。


RE:前提 がぶりより  投稿者:GOA 投稿日: 2003年02月03日22時12分

名無しの探偵さん

>前提を置くのは一応論者の主張を他者に理解してもらい、(多分、見解:世界観の異なる)
他者とのコミュニケーション(対話)を初めて行きたいという欲求があるからではないでしょうか。

それは違うように思えます。
例えばカトリックは進化論を容認していますし、法王庁がオギノ式を認めているのが事実なら、子作り以外のSEXも認めているのでしょう。
進化論を認めないあるいは同性愛や中絶を否定するキリスト教系団体についての批判もキリスト教内部から出されています。
もし本当に対話を求めたいなら、まずそうしたキリスト教内部での不整合に勤めるべきで、
おそらく(そうした過程をすっ飛ばしている)青野氏はコミュニケーションなんてものを全く求めていないのでしょう。

To:青野氏

>私達聖書信仰の世界観は前提なのだ。前提を否定するのはナンセンス。
前提がいくら違うと言われても前提は前提なのだ。

それを言うなら現代日本では「善悪の基準は人間の判断」が前提です。(国教を認めていないアメリカもそうでしょう)
従って聖書の言葉を元に前提を否定するのはナンセンスですね。
あなたが二枚舌の持ち主でないなら、以降聖書の言葉を元に中絶論を語るべきではありません。(たぶん二枚舌を持っているとは思いますが)


RE:前提 アプリオリ  投稿者:名無しの探偵 投稿日: 2003年02月03日21時13分

前提をアプリオリ(絶対化?)にしてしまうと恐らく(内部以外の)他者との対話は不可能に
なるのではないですか。
先月この掲示板に初めて来たのですが、青野さんのように鬼面人を驚かすような書き込みでないと
記憶にもされないようですね(常連の方がたの独占掲示板なのだろうか)。
前提を置くのは一応論者の主張を他者に理解してもらい、(多分、見解:世界観の異なる)
他者とのコミュニケーション(対話)を初めて行きたいという欲求があるからではないでしょうか。
それは「特定の宗教教団」に入信している人でもオープンな精神があれば同じだと思いますが。
(「宗教教団」と敢えて言うのは宗教にアンダーラインがあるのではなく、教団にあるからであり、歴史上の人物、イエスがキリスト(油を注がれる者、救世主:メシア)であると信じるクリスチャンと一線を画したいので。)


落ち着いて読んでも理解されない(しない)でしょうね^^;  投稿者:なな 投稿日: 2003年02月03日20時46分

たしか、『強烈な信念がいったん頭の中に形成されてしまうと、その認識の矛盾や非合理性についての指摘に対しては、それを理解してみようという意識に向かうよりも、それを「否定」するような、心理的に「居心地のいい」反論材料探しに向かってしまう傾向がある』と言った行動学者がいました。

「青野ワールド」関連の記事一色といえるここ数日の状況に、投稿という気分ではなかったのですが、青野さん推奨の「小さな命を守る会」が唱える以下の主張について意見を少々。

> 1 中絶の防止
> 2 養子縁組の相談
> 3 命と性に関する啓蒙教育
> 4 中絶体験者へのキリストの福音による救いの提供

日本における人工妊娠中絶の少なくない部分に既婚者の(「母体保護法」でいうところの)「経済的な理由」で行われている中絶があります。

子どもを欲しがっている夫婦にも拘わらず、「当分、子どもは無理」と言わざるをえない、共稼ぎを中断することが困難な育児休業や保育状況という現実が目の前にあります。
このような現実が妊娠(仮に避妊に失敗した結果としての妊娠であっても)に際して夫婦に苦渋の選択を迫るという事例は少なくないでしょう。
上記1〜4の主張について感じるのは、既婚者の中絶とは切り離せない社会的な問題とその対策にはほとんど目が向けられていないなあということです。


前提なるものを守るためには、、、  投稿者:JA50 投稿日: 2003年02月03日19時37分

平気で嘘をつく。
他人に嘘をつくの当然として、自分自身にも嘘をついているんでしょう。

カルトの信者に、さんざん見てきて、慣れっこになってしまった。
珍しくも何ともない。


Re;前提  投稿者:大文字ナン 投稿日: 2003年02月03日18時28分

私達聖書「非」信仰者の世界観は前提なのだ。前提を否定するのはナンセンス。
前提がいくら違うと言われても前提は前提なのだ。

↑結局、こう言われて終わりでござるよ。
論理的・科学的に物事を考えることが、神の教えに背くことであるなら、神は真実を見るなと言っていることになってしまう。もちろんそんな神などいないでしょう。神は、たかが人間が望遠鏡で宇宙を覗くごとき行為を否定するわけがない。
自然の中に規範はないが、法則はある。人間は自然をいくら詳細に研究しても、すべての法則を解き明かせるわけではないことを知っている。ただ少なくとも、明らかになったことは学び、正しく理解しようとしているだけのこと。

規範とは要するに、ある個人〜集団に通じる都合に過ぎない。青野氏が前提とする規範に傾倒することを私は否定しない。個人の範囲で自由にやったらいい。ただ、それを一旦取り下げることなく他者の共感を得ることは不可能だ。というよりも、あなたの身勝手、判断力の欠如、逆説的なモラル意識の暴走で、嘘つき加減が晒されるだけである。本当に危機感をもっている人であるなら、絶対にそんなことはしないだろう。あなたは危機感など本当は持っていない。ただ進化論が疎ましいだけである。


水子供養  投稿者:sci98 投稿日: 2003年02月03日17時35分

>水子供養があるのはその罪悪感からだろう。

供養というのは、
すみやかに御仏の御元に導かれ、
霊やすかれと成仏を願うことです。
それは水子であっても同じで、
仏教の教義に基づく崇高な行為です。

それを「罪悪感から」といいますか。
仏教徒に失礼だとは思わないんですか?

#そういえば、ノアの洪水を肯定したい切支丹が、
#「世界各地に洪水伝説がある」と言い出して、
#「日本神話にはないぞ」と突っ込まれたときに
#イザナギ・イザナミの国生み神話を持ち出したことがあった。
#荘厳な神による創造神話を
#「他宗教の神が創ったもので、洪水で隠れていたが、
# 水が引いたから見えるようになっただけ」
#と言い放っている、その神道信者に非常に失礼な意見であることに
#気づいていたのだろうか?
#他の宗教を馬鹿にすることをなんとも思っていないように思える。

##キリスト教批判に見えたらゴメンナサイ。


落ち着いて読まれた方が。  投稿者:伊勢田 投稿日: 2003年02月03日17時09分

青野さん、
早速のお返事ありがとうございます。誤解がないように申し添えておきますが、青野さんが聖書の世界観を前提として
もたれることを否定してはおりません。わたしが書いたのは「一貫性のない思想は捨てた方がよい」というような
根拠の不明な前提を議論に持ち込むことについてのコメントです。


前提 アプリオリ  投稿者:青野和明 投稿日: 2003年02月03日16時56分

/////青野さんご推薦のページ(http://tak0719.hp.infoseek.co.jp/)を見ました。/////
////根拠の不明な前提//////

このホームページの作者とは同じ牧師から洗礼を授けられた。尾山令仁牧師。http://www.seishokirisuto.com/

私達聖書信仰の世界観は前提なのだ。前提を否定するのはナンセンス。
前提がいくら違うと言われても前提は前提なのだ。

前提を設けることの可否についてはまた述べる。
今から大学に行く用事がある。


世界観の一貫性?  投稿者:伊勢田 投稿日: 2003年02月03日16時42分

青野さんご推薦のページ(http://tak0719.hp.infoseek.co.jp/)を見ました。
進化論が何を主張しているかについての理解が浅いこと、このページの方の気にしている中間形態の問題や生命の起源の問題などについてはここのホームページで答えが提示してあるということについてはすでに他の方のご指摘のとおりです。
ただ、以下のものについては少し答えておいた方がいいと思います。「社会ダーウィン主義と進化論」と題する項でこんなことが書いてあります。
http://www.path.ne.jp/~millnm/no10.html

>私が関心があるのは、思想なり世界観なりの一貫性なのです。一貫性がないということは、
>その思想に問題があることを意味しているわけで、そのような思想は早く捨ててしまった方が
>よいということなのです。
>
>進化論は純粋に生物学的な問題であって、世界観とは無縁であると主張される方もおられますが、
>生物の起源について扱っているのですから、当然存在論の問題に触れるわけで、世界観と
>のつながりは避けることができないのです。

青野さんが、「進化論と倫理的立場は何の関係もない」といくら言われても平気でいるのはこういう論法を念頭に置いているからですか?だとすると困ったものです。この議論は、定義のあいまいな言葉と根拠の不明な前提を幾重にも積み重ねて成立しています。ポイントだけ列挙しますと、哲学で語られてきた「存在論」の大半は生物の起源や歴史(そもそも生物の起源そのものは進化論のテーマではありませんが)となんの関わりもありません。「世界観」が「世界のあり方についての考え」という意味なら規範的主張を世界観の中に含めなくてはならない理由はまったくありません。「一貫性」も、「矛盾がない」という意味で言っているのなら、進化論の主張する事実命題と中絶などについての規範的命題は少なくとも矛盾はしません。もし一貫性という概念をこれより強い意味で使うなら、今度は「一貫性がないのが問題」という主張の擁護が難しくなってきます。
おそらくこのページの方は、起源や歴史についての「存在論的」事実から価値判断を導出するという特殊なタイプの存在論と価値理論の組み合わせが「世界観」だと思っていられるのだと思いますが、存在論にも価値理論にも両者の関係にもさまざまなバリエーションがあり、この方の考える意味での「世界観」を持つことを押しつけられる理由はありません。また、存在論と価値理論をダイレクトに結びつけるのは現代哲学では「自然主義的誤謬」などのレッテルのもとによく批判されます(どなたかすでにおっしゃってましたが)。ハンス・ヨナスなどはそれに抵抗して両者を結びつけようとしますが、その結果ますます泥沼に陥っているように見受けられます。


訂正  投稿者:PDX. 投稿日: 2003年02月03日12時54分

 さらに遡ったら

>辻岡健象牧師による。
>「実は中絶に必ず使われる薬があるということで、その薬の年間使用量は約500万だそうです。
>中絶の正確な実数はつかめませんが、多くて500万件ぐらい、どんなに少なく見積もっても
>300万件はあると思っています。

とありました。
 年間の数字とみなしてよさそうですね。
 ただし、500万ではなくて300万で計算すべきかもしれませんが。(それでも凄い数字だ)


待てよ?  投稿者:PDX. 投稿日: 2003年02月03日12時52分

 昔の記事では

>日本の中絶件数500万という数字はある民法テレビ局の出したものだと、
>辻岡健象先生本人から聞いた。

としか書かれていないから、「年間500万」なのか、「過去20年の累計」なのかすら特定できないな。曖昧な記述だから。


とすると  投稿者:T8848 投稿日: 2003年02月03日12時08分

15〜40歳の女性2100万人の内、毎年500万人が中絶し、その10%が不妊になる。
中絶する割合は20〜25%。不妊になるのは2%ぐらい。
仮に、15歳から毎年2%づつ不妊になっていくと、35歳では40%が不妊なわけだ。これだけ不妊の割合が増えていくなら中絶数を年齢によらず一定と仮定することはできないな。面倒だから計算しないけど、「30代後半の女性の過半数は中絶による不妊である」ことになります。


中絶500万・・・  投稿者:とおりすがり 投稿日: 2003年02月03日11時59分

年間の中絶数が500万、これが真で、例えば過去40年に渡り続いていたとして、
もし仮にこの中絶がなかったら、今の日本の人口は12000万+500万×40=32000万人!
アメリカ以上の人口を持つ国になってたんですね。
いや違うな、中絶で増えた人が子供作るからさらに増えて・・・誰か計算してみて下さい(笑

いずれにしても狭い日本にそんなに住めるのかという素直な疑問が。


Re: 10% and 500万  投稿者:PDX. 投稿日: 2003年02月03日11時32分

 それは、少子化遺伝子よりも確実に出生率を減らせそうですな(^_^;


10% and 500万  投稿者:NATROM 投稿日: 2003年02月03日11時29分

「人工妊娠中絶経験者の女性の10%が二度と妊娠出来なくなる」
「日本の中絶件数500万」

という二つの数字から面白い考察ができそう。


ふと思ったけど  投稿者:PDX. 投稿日: 2003年02月03日11時10分

>>中絶経験で不妊になるのが10%というのはちょっと信じ難いですね。
>信じがたいどころか、真っ赤な嘘という方の可能性が高い。

 現在の数字ではない可能性もありますね。
 聖書直解主義の人たちが進化論反対と同時に中絶反対を唱えはじめた当時の医療水準での話かもしれません。
 10%という数字に根拠があるのなら、その引用元となる著書に何年のどんな統計の結果なのかの参照点くらい書いてあって当然かと思いますが、どうなんでしょうね?
(それが示せないのであれば、嘘ではないことを否定できない)


当たり前のことなのではないか?  投稿者:RYU_TI_SYU 投稿日: 2003年02月03日 1時30分

>「胎児の生存権が保障されないのは、中絶を正当化するために、生物学的な意味におけるひとと、価値概念としての人間を区別するようになっているからであり、人間でないひと領域が拡大されていけば、やがて中絶だけではなく、嬰児殺しや安楽死が法律的に正当化されることになる。」武蔵工業大学 多井教授

多井教授とやらが、どういう意図で発言されたのかは知らんが生物学的な「ヒト」と、社会的な「人間」は当然別物じゃろう。
もし社会的な「人間」にユダヤ人が含まれないならば、ユダヤ人を殺すことは「殺人」ではなく「処理」と言ってもいいじゃろう。
#実際ナチスはこう考えていた。
社会的な「人間」の範囲は、その社会のコンセンサスによって得られるものであって、生物学的「ヒト」の範囲とは原則として結びついていないと思うんじゃがのう?

少なくとも、この日本は、出産後の「ヒト」や、末期ガンに罹ってる「ヒト」は、「人間」だとおもうんじゃが・・・
もちろん、これからの時代、2歳児までは「人間」ではない。という社会が生まれるかも知れん。そうならないように、努力はせねばならないと思うがな。

#ただし、末期癌患者のような「人間」であるならば、本人の意思による「安楽死」と言う選択肢はあってもよいとは思うがな。

んで、堕胎と、進化論の関係は?


イクチオステガ  投稿者:T8848 投稿日: 2003年02月03日 1時12分

イクチオステガやアカントステガは、陸上を歩き回ったのではなく、水底を歩いていたと想像されています(陸上も歩けた)。アカントステガの8本指はヒレのように使われたのではないかと考えられます。向きも歩くためよりも泳ぐためだったようです。
また、扁平な頭とその上(横ではなく)に眼があることから、水底で待ち伏せして獲物を獲っていたと考えられます。
当時、陸上を歩き回る必要はあまりなかったのではないかと思います。陸上には昆虫しかいませんからね。昆虫を捕食するなら水辺で間に合ったでしょう。

『手足を持った魚たち 脊椎動物の上陸作戦』
(ジェニファ・クラック(Jennifer A. Clack)著 池田比佐子 訳 真鍋真 校定 松井孝典 監修 講談社(講談社現代新書 シリーズ「生命の歴史」3)

『水辺で起きた大進化』
(カール・ジンマー(Carl Zimmer)著 渡辺政隆 訳 早川書房 2300円 原題:At the Water's Edge : Macroevolution and the transformation of life, 1998)


死亡率だけでの比較  投稿者:JA50 投稿日: 2003年02月03日 1時03分

日本の1997年における妊産婦死亡率は6.5(10万人あたり6.5人、死ぬ)です。
メルクマニュアルによると、、、
(なぜメルクマニュアルを出したのかというのは、これが一番権威があるからです)
「中絶による重度合併症の発生率は1%未満であり,死亡率は100,000症例当たり1例未満である」

死亡する確率からすると、妊娠を継続する方がはるかに危険ということになる。
統計上は。

>中絶経験で不妊になるのが10%というのはちょっと信じ難いですね。

信じがたいどころか、真っ赤な嘘という方の可能性が高い。
メルクマニュアルだけじゃない、他の医学関係の本を読んでみたらいい。
人工妊娠中絶によって不妊になったというそのものの統計はなくても、全体の合併症の率などから推測から、10%などというのはとてもあり得ない。

以前私が議論した、自称キリスト教の人も、その統計の根拠は示さなかった。
たぶん青野さんも同様でしょう。


なんでもかんでも悪く言うものではありません  投稿者:T8848 投稿日: 2003年02月03日 0時41分

>>中絶は女性の精神も肉体も傷つける。

>中絶は女性の精神や肉体を傷つける「ことがある」、と言うのが正しい。
>特に望まない妊娠の場合は、妊娠の継続の方によけい「精神や肉体を傷つける」ことが多いかもしれない。

それはそうですが、いちいちケチつけるものでもないでしょう。

>>また、中絶のショックや喪失感、罪悪感から精神的におかしくなる女性もいる。
>>水子供養があるのはその罪悪感からだろう。
>
>こういう脅しを持ち出して、望まない妊娠という心理的苦悩状態にある女性をさらに追い込んでいるわけです。
>いわば、たたりがあるぞ嘘をついて、信者にしたり、金をせびり取ったりしているようなもんでしょう。

水子の祟りを強調して祈祷などさせるような輩はそうでしょうが、堕胎した女性が供養したいと望むという事まで脅しと言うのはあんまりですね。精神的におかしくなった例は知りませんが周りが心配する状態になる人はいますし、祟りを怖れてではなく産まれなかった子供に済まないと供養を続けている人もいます。少なくとも私はそういう人を知っています。
また、メルクマニュアルも「多くの女性にとって」であって、そうでない女性もいるという事です。ご自分で書いた「傷つける『こともある』」と同じことです。ダブルスタンダードは止めましょう。


Re:「小さな命を守る会」  投稿者:T8848 投稿日: 2003年02月03日 0時38分

その活動は概ね支持できます。
命の大切さは創造論じゃなくても、仏教であれイスラムであれ説いていますが、まぁいいでしょう。
中絶経験で不妊になるのが10%というのはちょっと信じ難いですね。
それで、なぜこの掲示板で中絶反対を力説するのです?場違いじゃないかな。
中絶は進化論や創造科学否定が原因と言うのなら、根拠を示してくださいな。


青野さんに質問  投稿者:wadja 投稿日: 2003年02月03日 0時04分

中絶が、妊娠の継続とどちらが危険かは置いときます。

中絶はしないほうが体には良いし、その原因となる望まない妊娠は無い方が良い。100%確実な避妊法が無い以上、性行為を軽んじてはいけないし、性行為による感染症の危険も常に意識されるべきである。

ここまでは、クリスチャンでなくとも多くの人の賛同を得られることでしょう。

で、進化論が命の軽視につながり、中絶の原因だと言う証拠はどこに有るの?


使命の違い  投稿者:青野和明 投稿日: 2003年02月02日23時41分

「さらに、出産した後には、あなたは子供の養育という義務も負うのだということも。」

下に書いたのは産む使命と、育てる使命があるということです。
愛のあるクリスチャン家庭が育てる義務を果たします。

赤ちゃんを殺すと言う最悪の選択をせずにすむのです。


「人権の中で、第一の最も基本的な権利は生きる権利、すなわち、“生命の権利”である。この権利は他のあらゆる権利に優先する。それはプロ・チョイスの主張する自由選択の権利よりもちろん優先する。」法学者・南山大学 阿南教授

「胎児の生存権が保障されないのは、中絶を正当化するために、生物学的な意味におけるひとと、価値概念としての人間を区別するようになっているからであり、人間でないひと領域が拡大されていけば、やがて中絶だけではなく、嬰児殺しや安楽死が法律的に正当化されることになる。」武蔵工業大学 多井教授


中絶は関係ない  投稿者:じんひろし 投稿日: 2003年02月02日23時38分

青野さん
>辻岡先生は創造論に立つ時にいのちの大切さがわかると証しされました。
>神が愛されて造られた命を中絶で抹殺してはならない。
>神様の作品、神様のオンリー・ワンなのだから、と。

だからといって進化論が中絶を助長する訳ではありません。
進化論的にみれば
子を大切にしない系統は淘汰されます。

再度質問します。
進化論と中絶の関係はなんですか?


余談
貧乏ゆすりってエコノミー症候群に効果ありますか?


使命の違い  投稿者:青野和明 投稿日: 2003年02月02日23時36分

「さらに、出産した後には、あなたは子供の養育という義務も負うのだということも。」

下に書いたのは産む使命と、育てる使命があるということです。
愛のあるクリスチャン家庭が育てる義務を果たします。

赤ちゃんを殺すと言う最悪の選択をせずにすむのです。


「人権の中で、第一の最も基本的な権利は生きる権利、すなわち、“生命の権利”である。この権利は他のあらゆる権利に優先する。それはプロ・チョイスの主張する自由選択の権利よりもちろん優先する。」法学者・南山大学 阿南教授

「胎児の生存権が保障されないのは、中絶を正当化するために、生物学的な意味におけるひとと、価値概念としての人間を区別するようになっているからであり、人間でないひと領域が拡大されていけば、やがて中絶だけではなく、嬰児殺しや安楽死が法律的に正当化されることになる。」武蔵工業大学 多井教授


gimu  投稿者:青野和明 投稿日: 2003年02月02日23時22分

「さらに、出産した後には、あなたは子供の養育という義務も負うのだということも。」


Re: イクチオステガ  投稿者:PDX. 投稿日: 2003年02月02日23時14分

http://www.marine.fks.ed.jp/ikimonoshokai/sanshouo/seibutunosinka.htm

 こういうぺーじなら見つかりましたがどうでしょうね。
 サンショウウオなどの中には、滅多に水から出ない種もあると思うので、必要なら水から出ることもできた、という程度でいいんじゃないでしょうかねぇ。

 まぁ、魚でもキノボリウオやトビハゼなんかはあるていど水辺での行動能力を持っていますが。


質問  投稿者:イクチオステガ 投稿日: 2003年02月02日23時08分

イクチオステガやアカントステガは四肢動物の最も古い形態をしていますが、陸上を歩き回ったとは考えられていないとききました。それってなんでなんでしょうか?知ってるかたがいたら教えてください。


ほう  投稿者:RYU_TI_SYU 投稿日: 2003年02月02日23時06分

>1 中絶の防止
>2 養子縁組の相談
>3 命と性に関する啓蒙教育
>4 中絶体験者へのキリストの福音による救いの提供

1の為に3が存在すると考えてええんじゃな?
ここについては、条件付で異議なしじゃ。
#条件とは教育の内容如何じゃな。じゃが、中絶を減らすには教育の充実が必要と言うは、賛成。

2なんじゃが・・・
>赤ちゃんを産んでもさまざまな事情によって自分で育てることが出来ない女性がいる。
>そのような女性には産む使命と、育てる使命があり、産む使命を果たすように諭し、
>子供を必要としている家庭、愛を持って子供を育てる事の出来る家庭と養子縁組を結ぶ斡旋をする。
斡旋が不調に終わったらどうするんじゃろうな?

>中絶は女性の精神も肉体も傷つける。
>人工妊娠中絶経験者の女性の10%が二度と妊娠出来なくなるという統計がある。
>中絶手術は安全ではない。
>また、中絶のショックや喪失感、罪悪感から精神的におかしくなる女性もいる。
>水子供養があるのはその罪悪感からだろう。
そんなことを百も承知で堕胎してる女性のほうが多いんじゃなかろうか・・・

4の福音云々について、
>傷ついた女性にイエス・キリストによる救いを提供する。
>イエス・キリストは十字架で罪、痛み、病をになわれた。
>イエス様を信じるなら救われる。

堕胎はイエスを信じれば救われるのか?
お手軽じゃのう・・・

んで、堕胎と、進化論とどんな関係があるのかな?


キリスト教徒というの平気で嘘をつく  投稿者:JA50 投稿日: 2003年02月02日22時59分

まぁ、一部のキリスト教徒と言うべきでしょうが。

>中絶は女性の精神も肉体も傷つける。

これはその通りですが、しかし無知な人を惑わす偏った主張でもある。
中絶は女性の精神や肉体を傷つける「ことがある」、と言うのが正しい。
そして、女性の精神や肉体を傷つけることがあるのは、妊娠を継続しても同様です。
特に望まない妊娠の場合は、妊娠の継続の方によけい「精神や肉体を傷つける」ことが多いかもしれない。

>人工妊娠中絶経験者の女性の10%が二度と妊娠出来なくなるという統計がある。

これは真っ赤な嘘だと思います。
以前、この青野さんみたいなキリスト教徒と議論したことがあり、同様のことを主張されたんで、本当かな調べたことがあります。主張した当人はその根拠を示せないんで、仕方なく私が調べざるを得なかった。
しかし、この「10%が二度と妊娠できなくなる」との医学的な根拠を探すことができませんでした(あるのかもしれませんが、私はできなかった)。
婦人科の医師に尋ねたこともあるのですが、その医師も嘘だと言われていました。

>中絶手術は安全ではない。

メルクマニュアルの妊娠中絶の項です。
http://merckmanual.banyu.co.jp/cgi-bin/disphtml.cgi?c=%C7%A5%BF%B1+%C9%D4%C7%A5&url=18/s246.html#x11
ここの合併症のところをよく読んで下さい。

その他、私の一般的な知識として、、、

妊娠初期に行う中絶は、まず安全だと思っていていい。
後になればなるほど、難しくなり、かつ合併症も増える。
そして、妊娠の継続よりも、中絶の方が安全である。特に、妊娠初期に行う中絶は。

中絶によって起こる不妊の率ですが、、、

「最もよくみられる遅発性合併症には,胎盤破片の残留による中絶後出血;血栓性静脈炎;および感染(0.1〜2%)があり,後者には軽度の子宮内膜炎から,重度の骨盤内炎症,腹膜炎,および敗血症がある。骨盤内感染,または子宮内腔の癒着に続発して,不妊が起こる」

感染が0.1〜2%で、その内の何%かに不妊が起こるということでしょう。
となると、いったい10%という率はどこから出てきたものなのか。

なお、メルクマニュアルの不妊の項も参照。
http://merckmanual.banyu.co.jp/cgi-bin/disphtml.cgi?c=%C9%D4%C7%A5&url=18/s245.html

>また、中絶のショックや喪失感、罪悪感から精神的におかしくなる女性もいる。
>水子供養があるのはその罪悪感からだろう。

こういう脅しを持ち出して、望まない妊娠という心理的苦悩状態にある女性をさらに追い込んでいるわけです。
いわば、たたりがあるぞ嘘をついて、信者にしたり、金をせびり取ったりしているようなもんでしょう。

メルクマニュアルの「心理的側面」というところに書かれています。
「現代の多くの女性にとって,中絶は精神衛生を脅かすものではなく,不利な心理的後遺症もない。」

望まない妊娠をした時には、その妊娠を継続するかどうかの判断は、女性の権利。いわば、神から与えられた基本的人権の一つだと、私は思います。

女性は、特に望まない妊娠をした場合には、妊娠を継続しても、自分の精神や肉体を傷つける「ことがある」ということを知っておいて下さい。
特に、こういう青野さんみたいに「中絶手術は安全でない」などとあなたを脅してくるような人を前にした場合には、「妊娠を継続した場合にも、妊娠を中絶した場合以上に多くの精神的、肉体的障害が待ち受けている」ということ覚えておきましょう。
さらに、出産した後には、あなたは子供の養育という義務も負うのだということも。


教育、受けましょうか  投稿者:谷庵 投稿日: 2003年02月02日22時57分

>相手の立場を尊重し、自分の行動に責任を持つことを教えるのが教育だと私は考える。(辻岡牧師)

と言うことのようですから、青野和明 さんも非キリスト教徒のことも考えて発言してほしいものです。

それから、自分では気がついていないのだろうけど、自分勝手で傲慢な書き込みをして恥じない人に、道徳を説かれたくないなあ。


質問  投稿者:イクチオステガ 投稿日: 2003年02月02日22時52分

イクチオステガやアカントステガは四肢動物の最も古い形態をしていますが、陸上を歩き回ったとは考えられていないとききました。それってなんでなんでしょうか?知ってるかたがいたら教えてください。


ぜんぜん進化論の話じゃないけどね  投稿者:PDX. 投稿日: 2003年02月02日22時15分

>会の4本柱は、
>1 中絶の防止
>2 養子縁組の相談
>3 命と性に関する啓蒙教育
>4 中絶体験者へのキリストの福音による救いの提供

 3とセットにした上での1は、ある程度納得できます。
 正しい性知識は教育によって与えられるべきですし、「中絶反対!」なんて言う前に、不要な妊娠を避けることは、母体保護の上からも大切なことと思います。
 このあたりは別に、進化論を肯定しようが否定しようが賛同できる範囲内だと思います。

 ただし、ある程度、と書いたのは、何が何でも中絶禁止、というのは賛成できないからです。

>今、この国は性的に非常に乱れている。婚前交渉、不倫など普通に為されている。

 日本よりもクリスチャンの多いはずのアメリカはもっと乱れている、と思うのは偏見ですかねぇ?


「小さな命を守る会」  投稿者:青野和明 投稿日: 2003年02月02日22時08分

//////で、どうしたいんじゃろうか? 投稿者:RYU_TI_SYU  投稿日: 2月 1日(土)03時33分13秒 //////

まず、これに答えます。
辻岡健象牧師が創立した「小さな命を守る会が」があります。
会の4本柱は、
1 中絶の防止
2 養子縁組の相談
3 命と性に関する啓蒙教育
4 中絶体験者へのキリストの福音による救いの提供

辻岡先生は創造論に立つ時にいのちの大切さがわかると証しされました。
神が愛されて造られた命を中絶で抹殺してはならない。
神様の作品、神様のオンリー・ワンなのだから、と。

赤ちゃんを産んでもさまざまな事情によって自分で育てることが出来ない女性がいる。
そのような女性には産む使命と、育てる使命があり、産む使命を果たすように諭し、
子供を必要としている家庭、愛を持って子供を育てる事の出来る家庭と養子縁組を結ぶ斡旋をする。
父親に中絶を強要されているような場合は辻岡先生や小さな命を守る会のメンバーが女性を引き取って産むまで世話をする。

今、この国は性的に非常に乱れている。婚前交渉、不倫など普通に為されている。
「今の時代は、愛し合っていればいいというだけでセックスが是認される風潮がある。
中学生時代から自分を管理し、コントロールする訓練は、人格形成上にも社会生活上でも大切な要素である。相手の立場を尊重し、自分の行動に責任を持つことを教えるのが教育だと私は考える。
性は性につながるのである。人間としての尊厳を忘れては、もはや人間ではない。
性教育は、人格の中で捉えて正しく教えるべきです。人格も無視した性欲のはけ口対策としての避妊教育が強調される性教育は性器教育です。欲望の赴くままではなく、自制することを学ぶところに人間としての価値があり、生き方がありルールがあります。
清く正しく生き、本当に相手を愛し、結婚しようと思っていれば そう簡単には性行為は迫らないものです。」辻岡牧師

中絶は女性の精神も肉体も傷つける。
人工妊娠中絶経験者の女性の10%が二度と妊娠出来なくなるという統計がある。
中絶手術は安全ではない。
また、中絶のショックや喪失感、罪悪感から精神的におかしくなる女性もいる。
水子供養があるのはその罪悪感からだろう。

傷ついた女性にイエス・キリストによる救いを提供する。
イエス・キリストは十字架で罪、痛み、病をになわれた。
イエス様を信じるなら救われる。


訂正  投稿者:じんひろし 投稿日: 2003年02月02日21時44分

先の私の書き込み
>進化論は過去を調べる学問でしょう。
言い回しが変ですね。
進化論は学問ではなく学説ですし、過去を調べるだけでなく
現在を調べて過去を類推することもありますから。


合わせ技か  投稿者:T8848 投稿日: 2003年02月02日19時03分

耐性遺伝子をプラスミドに持ってることよりも、接合を起こす遺伝子とセットで持っていることがポイントかなぁ。

接合で形質転換する手法ってあるんでしょうか。
普通には形質転換しにくい菌を、別の形質転換した菌から接合で形質転換させるなんてどうでしょう。わざわざそんなことする必要はなさそうだけど。


関係ないけど、やふの方盛り上がってたんですね。料理人に化けた狐の作ったものなんか食べたらどうなることか。もう尻尾が出てるのに食べないとキャンキャン騒ぐのは相変わらずですね。尻尾が出ても逃げ出さない皮の厚さとエネルギーだけは感心します。


ほとんどPCワーム……  投稿者:PDX. 投稿日: 2003年02月02日18時32分

http://www.asahi.com/national/update/0202/008.html

 薬剤耐性能力を積極的に周囲の同朋に伝える耐性菌だそうな。
 プラスミドに薬剤耐性遺伝子を持っているのがポイントだそうで。


とばしてるなー  投稿者:wadja 投稿日: 2003年02月02日16時51分

青野さん始めまして。非キリスト教徒のwadjaと申します。

>↓指摘されたことのほとんどはこのサイトに答えが載っています。
>
>なお、ただの中傷には応える必要がないと考えます。

あまりにも不親切な回答だと思います。あのサイトの記述を全て読むのは、キリスト教に興味を持たない人には、あまりにも苦痛でしょう。ただの中傷に答える必要はありませんが、あなたが回答していないものは全て中傷だともとれます。真面目にレスを返した人に対し、あまりにも失礼ではありませんか?

ごんばさんの発言から見ても、青野さんの発言に迷惑するキリスト教徒もいる可能性があります。一度ご自分の主張を明確にして、徹底的に議論されてはいかがでしょう?「だれそれがこんなことを言った」式のレスを連ねてらっしゃいますが、それがなんの説得力も持たないことは、すでに他の方の指摘する通りです。少なくともwadjaに理解できたのは、青野さんの引用された辻岡さんも高橋さんも、進化論を正しく理解できていないのだと言うことくらい。聖書の引用も同じ。聖書を信じていない人には、なんの回答にもなりません。

説明も何もなしに、声高に主張を繰り返されるのは掲示板のマナーに反しますし、見ている人にはナチの「ハイル・ヒトラー」と同様にしか響かないことは、理解してらっしゃいますか?


学ぶべき点はいろいろあるかと  投稿者:PDX. 投稿日: 2003年02月02日14時13分

To うだうださん

 企業の製品開発とかだと、無駄を無くしてコストを切り詰めて……という発想になってしまうと思いますが、そうでない分野であれば、自然のやり方に学ぶべき点は多々あるかと思います。

 例えば、重複したDNAなどは一見無駄にも見えますが、一方が正常な機能を維持しているうちにもう一方が変化することで、新たな進化の可能性が模索できます。これが、かけらほどの無駄も無い合理的すぎるものだと進歩もありませんよね。

 自然における「種」の中の多様な遺伝子バリエーションの存在は、さまざまな環境への適応放散の可能性を秘めているのだと言えると思います。
 ひとつの「種」が同一の遺伝子のクローンみたいなものだと、感染症の流行であっさり全滅してしまうかもしれません。しかし、多様な遺伝子バリエーションがあれば、1割くらいは生き残れるかもしれません。

 こういう知識を生活に導入すると、大量生産の画一的な製品ではなく、多様な製品の存在が人の暮らしを豊かにするという発想につながるのではないでしょうか。

 上の感染症の例は、PCのOSが Windows 一色だとウイルスやワームの蔓延でネット全体がダウンしてしまうかもしれないけど、 Linux や MacOS が並存していれば無事な領域を確保できバックアップとして使える、という見方にできるとか。
(いかにもソフト屋な発想で申し訳ない(^_^; でもこの考え方は家電品や自動車などにも広く適用できるかと思います)


 まぁあと、生態系では物質が循環的に再利用されているという知識が、現在の廃棄物再利用をPRする際の使いやすい宣伝文句として利用できるというのもあるかと思います。
 かと言って、過激な自然主義に陥ってもまた問題でしょうけどね(^_^;


確かに  投稿者:うだうだ 投稿日: 2003年02月02日13時45分

> なにをもって「最善」とするかはまた状況しだいなんですけどね。

まあ学ぶべき点もあると言う事ですね。確かに進化論的方法を完全に真似して製品を作成し
てたら無駄だらけになりますね。いい指摘です、有り難うございました。

では言葉を緩和して、自然のシステムに学ぶべき点もあるだろうぐらいにしておきます。
まあようするに、気安めにしかならない気もしますね。いつも言葉が大袈裟ですいません。


用途次第、目的次第  投稿者:PDX. 投稿日: 2003年02月02日13時39分

To うだうださん

>科学は道具である事はまあそこそこ納得しているんですが、人間が暮らしていく
>最善のシステムとして自然を模倣する事は、実に合理的な考えだと思います。

 なにをもって「最善」とするかはまた状況しだいなんですけどね。

 たとえば自動車や航空機の設計など、目的が明確で、行きつくべき「最善の結果」が明白な問題については、目的に即した設計と入念なシミュレーションで、無駄なく結果が得られると思います。
 ここで自然のやりかたを模倣してしまうと、無限とも思える試行錯誤とおびただしい数の失敗作の山を作る羽目になります。
 模型雑誌に「世界の駄っ作機」なんて連載が載っていて、つかいものにならなかった駄作について楽しく語ったりしていますが、それでも生物の進化の過程でのおびただしい試行錯誤に比べればかわいいものです。

 自然は進化を目的とはしていないので、コスト意識なんて気にしてもいませんから、こんな無駄ができるわけですが(笑)
 この「自然は進化を目的とはしていない」というのは重要な視点だと私は思っています。進化は結果でしかなく、現在の生物相や生態系も一時的なものであり、不安定なままふらふらとあっちに傾きこっちに偏り変化していくのだと思っています。


物議を醸そう  投稿者:うだうだ 投稿日: 2003年02月02日12時44分

以前自然主義的誤謬が問題なりましたが、青野さんの発言を見て、思い出してしまいました。

科学は道具である事はまあそこそこ納得しているんですが、人間が暮らしていく最善のシ
ステムとして自然を模倣する事は、実に合理的な考えだと思います。確かにヒトラーは
問題外なんですけどね。そんな話を以下のHPで見ました。僕の考えも青野さん批判さ
れる立場なんでしょうかね・・。

http://www.hitachi-hitec.com/sapiens/016/ajsa0162.html

僕の科学への理解の無さと言う事で、この問題がすんなりとは片づいていない為、持ち出
しています。


ごんばさん  投稿者:sci98 投稿日: 2003年02月02日12時42分

>青野さんに反論なさるのは結構なのですが、
>キリスト教(あるいは宗教)自体を攻撃するするのは
>避けたほうが賢明かと思われます。

キリスト教の批判ととられたのなら残念です。
私としては、個人の信仰を批判するのはおかしいと思っています。
ただそれと同様に、信仰を理由に批判されないのもおかしいと思っています。
批判すべき意見であると思えば、それが信仰に基づくものであろうとなかろうと、
批判します。


>キリスト教に関して誤解を招くような表現も気になります。
>あるいは誤解していらっしゃるのか。

私は切支丹ではないので、誤解しているところはあると思いますし、
(それでも書く以上は調べてはいるのですが)
その場合指摘していただければさいわいです。


>魔女狩り・奴隷制・先住民の迫害・異教徒の虐殺などは、
>現代の一般的なキリスト教の考えかたでは、明らかに否定されています。

そうなんですか、知りませんでした。
魔女狩り、奴隷制はともかく、異民族/異教徒虐殺は聖書に記された行為であり、
これを否定することは聖書を否定するに他ならないと思えるんですが、
どうなんでしょう。


>また、全てのキリスト教徒が、聖書に書かれていることを
>一字一句正しいとしているわけではありません。

これはよく聞きますので存じております。


>同性愛を否定しない立場ももちろんあります。
>人工妊娠中絶と避妊に関しても、いろいろな意見があります。
>昔も今も、宗派や主張も何もかも十把一絡げに「キリスト教は」と言われては、
>まっとうなキリスト教徒も困るでしょう。

そうですね。
今後は「キリスト教@***さん」とか書いて区別できるようにします。


>そもそも、キリスト教(あるいは宗教)自体を批判することは、
>この掲示板の趣旨ではないですよね。

それは存じております。
私の意見は、宗教自体を批判する目的ではありません。


ごんばさんへ  投稿者:うだうだ 投稿日: 2003年02月02日 9時02分

sci98さんの事ですが、僕も気になっていました。しかし彼の嫌いな事はキリスト教ではなく
「誤った盲信」だと考えて無視しています。確かに文章は直した方がいいと考えられますが、
真意は「誤った盲信」に対する憎しみだと思います。

これは他の宗教でも重なる事だと考えられます。


ご意見、ご要望がございましたら、掲示板か、 e-mail:natrom@yahoo.co.jpへどうぞ。


戻る