このファイルは、掲示板巡回ソフトのログファイルを元に再構成したものであり、投稿時の状態(フォントサイズ、文字の色、リンク等)をすべて反映しているわけではありません。
To 神という科学者さん
背理法が何かわかって言っていますか。一度でも背理法を用いた証明をしたことがありますか?(そういう私も、高校の授業で少し使ったことがあるだけだけど・・・。)
背理法によって神の実在を証明するためには、神の不在を前提に論を進めれば矛盾が生じる(例えば、故に神は実在するという結論が導かれてしまうとか)ということを証明しなくてはなりません。神を信じない体制が崩壊したということは、政治から宗教を排除したら必ず上手く行く(←そんなことは誰も言ってないけど)わけではないことの証明程度にしかならないと思います。
背理法を用いた神が全能でないことの証明。
神が全能であると仮定すると、神は絶対に貫くことのできない盾を創造することができる。絶対に貫くことのできない盾は神にも貫くことができない。故に神はその盾を貫くことができない。故に神は全能ではない。 以上より神を全能と仮定すると、結論に矛盾が生じたため、神は全能であるという命題は否定された。つまり神は全能でないことが証明された。
背理法とはこういうふうに用いるものだと思います。尤も、証明した内容自体は、神は何でもできるわけではないということで、神という科学者さんもすでに同意してくださっていることに過ぎませんが。
ところで、資本主義≒有神論、社会主義≒無神論というのは、私は今まで聞いた事がなかったのですが、業界(何業界だろ?)では常識なのですか?
たまごちゃんへ、
わたしがブラックモアを評価するのは、ミーム学がいかがわしい分野だと周りから思われていることを
十分意識して、かなりスペースを割いてミーム学というアプローチそのものの弁護を試みているあたりです。
各論の方は具体的になればなるほど怪しくなります。そういうのを念頭において読んでいただければよいかと。
文化的淘汰について数学的モデルをきちんと使った議論が読みたければ、ミーム学系の文献ではありませんが
こちらの本がお薦めです。(英語で申し訳ない。邦訳は・・・訳す人いないでしょうねえ・・・)
Boyd, R. and Richarson, P.J. (1985) Culture and the Evolutionary Process. Chicago: The University of Chicago Press.
神という科学者さん
>これは一応数学の背理法的証明と考えてください。つまり、A(有神論)と非A(無神論)がありAを証明したいとき非Aが誤りであることを証明すればよい。有神論の米国と無神論のソ連帝国が2極対立していたときにソ連が自滅した(誤りであった)のですから、有神論は正しい、という論理です。
米ソの対立は資本主義と社会主義の対立と捉えるべきで有神論と無神論の対立ではありません。
日本が西側陣営にいることからもそれは明らかです。
無神論を唱えれば経済政策に失敗するなんて法則でも存在するのでしょうか?
米ソの対立を「ダーウィニズム」と「ルイセンコ学説」の対立と捉えて「ルイセンコ学説を農業政策に取り入れたソ連経済は崩壊した。したがってダーウィンの理論の正しさが証明された」なんて言い出す科学者がいたら笑いものになりますが、神という科学者さんはそんな人と変わりがないようです。
トムさんへ
>>ここで神の実在証明を一つ挙げたいと思います。それはソ連崩壊による米ソの2極冷戦構造の終焉です。
>これって、どういう論理にたってるのかな???
これは一応数学の背理法的証明と考えてください。つまり、A(有神論)と非A(無神論)がありAを証明したいとき非Aが誤りであることを証明すればよい。有神論の米国と無神論のソ連帝国が2極対立していたときにソ連が自滅した(誤りであった)のですから、有神論は正しい、という論理です。
野球界で神聖視されている数はもはや「3」ではありません。「89」です。
89という数字は「やきゅう(野球)」と読めますし、「はちく(破竹)」の快進撃、「覇治球」と読めば「球界を武力(チームの力)で治める」という意味がこめられていることに気づくでしょう。
さらには8は∞に通じ無限を表しますし、3の3倍である9は頂点の数字でもあります。
このように見ていけば王監督率いるダイエーホークスが球界の新盟主となるのは神の計画であることは明らかです。きっとNATROMさんも支持していただけると思います。
さて、世界各国を見てみればインド哲学が5を神聖視していましたし、ギリシア哲学では4元素、善悪や陰陽は2という具合にさまざまな数字を特別なものとして扱ってきました。けっして3だけが神聖な数字というわけではないでしょう。
キリスト教の三位一体にしても一神教の体裁を整えるために考え出されたとも言われていますし...。
これ以上はツリー式掲示板に移行した方がいいかもしれません。まじめな人が読むとお怒りになる恐れがありますから。(笑)
以前どなたかの書き込みで、種の定着の最低数の問い合わせがありましたが、聖書には直接的な回答はありませんが、間接的には次のように想像できます。イエスは、3人の弟子を立てた。さらに12人、72人という具合。しかし、3人の弟子も裏切り、最後の一人ペテロもイエスを3度否定した。種の定着ならぬ「主の定着」がなされず、神の救援計画は中途挫折してしまった。クリスチャンの多くは、十字架は必然と言っているが、十字架前のイエスの血の汗を流しながらの神への談判祈祷にあるように決して必然ではない。キリストはまだ生きてやることが残っていたのだ。故に黙示録でイエスは「また来る」と言っている。日本でも内村鑑三は熱心に主の再臨運動を展開した。やり残したことを果たすために、主は再び来られる。さらに黙示録には、主と共にいる144000人の記述がある。これが神の国をつくる基本の数字なのだろう。
クハ72さんへ、でした
前提条件ということを話していました。 tamo2さんとのやりとりの中で説明してます・・・そちらをご参照ください。
To 革離@隆行さん
>神の創造という概念がなかった古代中国においても三という字が重視されています.このことから三位一体を表す3も神の実在を表す証拠ではなく,ひいては神の不在を表しているものだと考えることも出来ます.
三位一体を現す3という数がキリスト教(ユダヤ教、イスラム教)圏以外でも重要視されているということは、神の愛がそれだけ深いということの証拠です。3が世界中で広く重視されていることに、神の実存性の証を見出せないなんて、よほど不徳をつまれているのでしょうか?
あきさん、おひさしぶりです。私の方はあきさんの過去ログを読んで知っている人であるかのような気になってしまっていますが、もしかしたら、はじめましてでしたっけ?
>ところで、「3」という数字が最も神聖視されているのは現在の野球界においてです。
そう、もうお気づきですね、あの球団です。
邪悪な球団を討ち果たし(かくりさんおよびほか多数の方ごめんね)、勝利を得たのは「3」の聖なる導きのおかげです。けっして「3」を排除したためではありません。
やはり、巨人の愛は、阪神の愛に勝っているのでしょう。神は巨人を愛する故に、そのいとし子(ミスター)を巨人に使わされたのです。そのことは彼の背番号が証明しています。
しかし、私も反省しないやつだなぁ・・・。そのうちに誰かにしかられる。しかられるまでやり続けてみよう。
ご回答があるとは思えませんが、一応聞いておきます。
>現在の時点ではそのように考えています。つまり、「本質的な種」を考えざるを得ないと。
「本質的な種」とは何ですか?
「目の元となる生物」これが「本質的な種」なのでしょうか?
なぜ「目」を特別視するのでしょうか。理由はなんですか?
>神が遺伝子なりその形態発生において必要なシステム(からくり)に働きかけてその分化を進めたと考えています。「必然変異」です。
まだ進化が「偶然変異」だと思われているのでしょうか?進化論者はそうは言ってませんよ。
>そして、最後の人間ですが、人間にだけは「霊魂」が与えられていると考えます。
サルとヒトとの違いは「霊魂」の有無ということですね?そうなるともし生物学上で議論するならば、直接あるいは間接的に「霊魂」の存在を実証する必要がでてきますが、いかがお考えですか。
もちろん、信仰上そう考えるのであれば、何の問題もありません。
「3」という数字は仏教でも重要視されてませんか?
例えば仏像で如来の横には二人の菩薩がいるじゃありませんか。
ところで、「3」という数字が最も神聖視されているのは現在の野球界においてです。
そう、もうお気づきですね、あの球団です。
邪悪な球団を討ち果たし(かくりさんおよびほか多数の方ごめんね)、勝利を得たのは「3」の聖なる導きのおかげです。けっして「3」を排除したためではありません。
「ネィティブアメリカン」の方がもっと差別的という意見もあるらしい。
インディアンにとってはあの大陸は「アメリカ」ではないから。
そこで国連では「ファーストネィションズ」と呼ぶらしい。
しかし、実際のインディアンは自分たちのことを「インディアン」ぶことが多いとか。
一部の人たちの「インディアン」を日本語から追放しようとしている言動は、
こうした事情を十分に考慮していないと思います。
http://www.aritearu.com/Influence/Native/Indian.htm
イスラムについてどうお考えでしょうか。
TO 伊勢田さん
>ミームについては、スーザン・ブラックモアという人の『ミームマシーンとしての私』という本がわりとしっかりしています。(後半の、意識をミームで説明しはじめたりするあたりは眉唾だが。)
ありがとうございます。『ミームマシーンとしての私』って良い本なんですか。
『ミームマシーンとしての私』は、どこかのサイトで、<『ミーム』〜心を操るウィルス〜 リチャード・ブロディ著 森弘之訳 講談社> と並んで紹介されていて、「どっちもどっちだけれど、私はミームの方が好き」みたいなコメントが書いてありました。私はたまたま『ミーム』のほうは読んでいたのですが、『ミーム』はかなりひどかったです。そのため、『ミーム』以下じゃとても読めたものでないと、知り合いが持っていたにも拘らず、読むのをやめてしまったという経緯があります。早速、知り合いに借りて読んでみようと思います。しかし、それを借りるには今借りている本(虹の解体)を返さなくては・・・。
ドーキンス自信はまともなのに、ミームを扱った本やサイトって怪しいのが多すぎる気がして、ミームという言葉を見ただけで、少し敬遠気味になってしまうのは私だけでしょうか?そのうちに、ミームという語は、波動の二の舞になる気がする。
下の自分の書き込みを見ていて、人を茶化していて、失礼な文章だと少し反省しています。まねをしてしまったお二人には謝りたいと思います。ごめんなさい。
しかし、私の書いた文章の論理と、お二人の論理にはほとんど差がないように思えてなりません。
進化論を支持するクリスチャンです。
> 進化論者であっても、創造論者であっても、どちらにしても、それぞれの前提条件(否定的に言えば先入観)から物事(検査された数値など)を見ているわけだから、
創造論の前提条件が「創造主が存在する」ということは堀越暢治氏の文献(『疑問だらけの進化論』いのちのことば社)で明らかですが、進化論の前提条件とは何でしょうか。
一言
アメリカ大陸の先住民を総称して「ネイティブアメリカン」といったはずです.
無論個々の民族の名前は別個にあります.
インディアンはインド人です.
主にインド亜大陸に生息します.
たまごちゃんへ
神の創造という概念がなかった古代中国においても三という字が重視されています.このことから三位一体を表す3も神の実在を表す証拠ではなく,ひいては神の不在を表しているものだと考えることも出来ます.
昔のことを探る時にどこの思想に視点を当てるかによって解釈はころっと変わりますね.
私としては数千年前の一地方における歴史書の中に何故全世界のことが書いてあると主張する気になるのかが,まず疑問でありますが・・・・・
主はヨシュアに言われた。
ヨシュアは命じた。
ことごとく滅ぼし尽くして主に捧げよ。
城壁が崩れ落ち、町を占領した。
男も女も、若者も老人も、牛、羊、ロバに至るまで、
ことごとく剣にかけて殺し尽くした。
町とその中のすべてのものを焼き払った。
主がヨシュアと共におられたので、彼の名はこの地方一帯に広まった。
(旧約聖書・ヨシュア記第六章より)
>まじめにそういうことを言う人の書き込みを期待していたのですが...。(笑)
そう、ですよね。つい・・・、失礼いたしました。でも、更に、調子に乗って・・・
>古今東西「3」を特別な数とみなす文明は数多くあって「3=三位一体」ということにはならないのは明らかです。
鼎の足が3本のように安定のために最小限必要な足の数が3であることから3を調和や完全などを象徴する数字とみなすようになったというわけですね。
父と子と聖霊の愛が、調和を生み世界を安定させるという考えは変でしょうか?父、子、聖霊の3点が指定されることにより、最初に生じた平面がエルサレムというのはどうでしょう。また、太陽を宇宙の中心だと仮定した場合、惑星やその他の星々は太陽を中心に円運動をすると考えられます。円周率=3とは、神の愛によって、太陽を中心に宇宙が創られたことを表現していると考えてみてはどうでしょうか?
三位一体をあらわす3という数字が、キリスト教圏以外にも古今東西で重要視されているというのは、神の創造が地球上全体にくまなくひろがっているという証といえると思います。また、円は永久にその形をたどることのできる形であり、神の永続性を象徴しています。その円が科学の定めるπや、3.14ではなく、三位一体をあらわす3で表現されうることが、小学生のうちから教えられるようになったということは、日本の教育界が目撃した神の実存証明だと私は考えます。
>ここで神の実在証明を一つ挙げたいと思います。それはソ連崩壊による米ソの2極冷戦構造の終焉です。
これって、どういう論理にたってるのかな???
おーい。アメリカに移住した清教徒たちが何やったか忘れてないかい?
何百万人(何千万人?)といたインディアンを直接、間接的に殺害している。ウンデッド・ニーの虐殺なんて1890年に起こっている。女子供も皆殺し。
過酷な扱いで激減したインディアンの代わりに労働力補充として黒人の奴隷貿易にも手を染めているし。確かフィリピンでもアメリカの植民地化で20世紀初めに虐殺をやってたような話を聞いたことがある。
公民権運動も1960年になってからだし、赤狩りは起こるし、いまだに人種差別を掲げるKKKは1万人ぐらいいるそうだし、
きっとこれらも世界が目撃した神の実存証明でしょう。うん。
別に反米ってわけじゃないよ。ただ知識があるだけ。
神という科学者さんコメントありがとうございました。
>自然科学だけが科学ではないことは自明なことですよね。
はい、その通りです。しかし、この掲示板のテーマは「生物が進化するかしないか」ですから自然科学のアプローチでよいと思います。
>ソ連が自滅して、米国が唯一超大国として残ったことは、世界が目撃した神の実存証明だと私は考えます。
証明になっているようには全然思えません。
神という科学者さんの基本的なスタンスを知りたいので以下の質問にお答え願えないでしょうか。
1.生物学に対する興味は(宗教とは関係なく)単純に生物の成り立ち・仕組みを
知りたいからですか?
はい・いいえ
2.生物に関する観察・実験などのデータが創造論・進化論のどちらかを支持していた場合、
その支持している方がどちらであっても受け入れられますか?
はい・いいえ
3.地球の年齢はどのくらいですか?
ア)一万年以下 イ)46億年くらい
ちなみに私のスタンスは1.はい、2.はい、3.イ)です。神という科学者さんはいかがですか?
>ここで神の実在証明を一つ挙げたいと思います。それはソ連崩壊による米ソの2極冷戦構造の終焉です。ソ連はマルクス・レーニン主義をその理念として建国されました。その哲学は弁証法的唯物論です。これは全くの無神論です。マルクスとダーウィンは19世紀という同時代を生きた人たちです。マルクスはその理論形成に当たって当時のダーウィンの進化論に強い味方を得たと言われています。
>かたや、米国は英国から信仰の自由を求めて命がけでメイフラワー号に乗ってやってきた清教徒たちとその子孫を「中心」にして建国されて行きました。その憲法にはキリスト教の神への信仰を基にした人権精神が謳ってあります。大統領は聖書に手を置いて就任の宣誓をします。1ドルコインには「IN GOD WE TRUST」と明記してあります。つまり、有神論(創造論)の国です。
ソ連が自滅して、米国が唯一超大国として残ったことは、世界が目撃した神の実存証明だと私は考えます。
(中略)
進化論や共産主義をもって生活されている方がたにはたぶんに不愉快な発言かもしれませんが、表現の自由として勘弁してください。
この文章読むと、アメリカさんには、はた迷惑じゃろうが、
「また、真珠湾攻撃したくなる」から不思議じゃ
それと、「踏絵も復活させたいのう」
まあ、表現の自由として、勘弁してくれ
#まあ、あちこち話題を飛ばして結構なことじゃが、たまには人の質問に答えたら如何かな?
>ソ連が自滅して、米国が唯一超大国として残ったことは、世界が目撃した神の実存証明だと私は考えます。
つまり、神は実在していて、この世の中を思い通りにしていると言うことですね。
宗教や民族問題で各地で殺し合いがあることや、飢えて死ぬ人、犯罪や事故、病気によって非業の死を遂げる人、この世の中には様々な不幸があります。それらはみな神のせいなのですね。
>ソ連が自滅して、米国が唯一超大国として残ったことは、世界が目撃した神の実存証明だと私は考えます。
ソ連が自滅したおかげで米国はよりやっかいな地域紛争に巻き込まれるようになってしまい、冷戦時代の方が平和だったのが事実です。
国内に目を転じれば米国の貧富の格差は広がる一方、相変わらず夜道は歩けないし子供による銃の乱射事件のような悲惨な事件は後を絶ちません。キリスト教信仰が復活した旧ソ連は無神論国家時代より生活ははるかに困窮しています。いったい神様は何をやっているんでしょ?
アメリカが唯一の超大国として残ったことで何か良いことがありましたか?
そういえば南アのヨハネスブルグは聖ヨハネの名前を冠しているにも関わらず世界最悪の犯罪都市ですね。
たまごちゃん
>この数字に何らかの神秘性を感じられますか?
それは私がパチンコホール経営企業の社員だからです。
そんなわけで特定の数字を揃えるなんてお手のものなんです。(←って遠隔操作やってんのかい!?)
思った以上にたくさんの人がいるみたいで、本当は個々に挨拶できるといいんだけど、
革離@隆行さんへ
HP見てきて、ついでにカキコしてきました。 どもどもありがと
ついでにいうと、今、近所なのでベガルタファンです。山下をもっと使え!っていまさら無理か・・・もうすこしJ1昇格が早ければ!(T.T)
あ、ちなみに大阪出身じゃ
いろいろおもしろげな投稿がありますがちょっと口出ししてる時間がなくてROMだけしてます。
たまごちゃんへ
ミームについては、スーザン・ブラックモアという人の『ミームマシーンとしての私』という本が
わりとしっかりしています。(後半の、意識をミームで説明しはじめたりするあたりは眉唾だが。)
神という科学者さんへ
マルクス主義的な唯物論は確かに落ち目ですが、もっと広い意味での唯物論は現代の哲学で非常に
スタンダードな立場です。唯物論ということばをほとんどきかないのは、単にその旧来の対抗馬
である唯心論や心身二元論の支持者がほとんどいなくなったため、言う必要がなくなったせいです。
って何だよおおお(泣)
でっかい文字にする作戦があああ(泣)
トムさんへ
>阪神、首位陥落・・・しかも巨人相手に・・・(T.T)
阪神ファンけ?
ここに面白いHPがあるからカキコしんしゃい!
↓
http://hyper2.amuser-net.ne.jp/~auto/b28/usr/supreme/brd1/bbs.cgi
11番が一杯!!!!
「タカユキ〜〜!!!」
それだけです.
13が並んでいたら「ヤナギ」の背番号!!!
と書くだけでございます.
トムさん、アサさん、はじめまして!!今後よろしく。
ほんのちょっぴり、アンケート。
>ニュース読んでる? 投稿者:GOA 投稿日: 5月13日(月)11時11分11秒
上記のGOAさんの書き込みが、11時11分11秒になされていることに気づきました。
これはもしかして、明日の同時刻にGOAさんが改宗(進化論は宗教じゃないから改宗とはいえないのかな?)し、創造論を唱え始めるという預言なのでは??(GOAさんが改宗したという預言だと書こうかとも思ったが、GOAさんの書き込みを見るかぎりでは、まだ改宗なさっていないのは明らかなので・・・。)
ここのサイトにお越しの皆さんは、この数字に何らかの神秘性を感じられますか?できれば理由も添えて、Yes/Noでお答えください。回答、お待ちしています。
「ピクミン@復活おめでとう」さん。遅ればせながら、心から「復活」をお慶び申し上げます。今後のご活躍を期待しています。
世種亜さんへ
>神という科学者さんの「科学」は神の存在を前提とする科学である。
「科学」もいろんな科学があります。哲学や宗教学を含む人文科学や社会科学も科学です。自然科学だけが科学ではないことは自明なことですよね。それに、ダーウィン進化論が味方している「唯物論」は哲学の中ではどちらかと言うとかなり劣勢にあると思います。
>神の存在の根拠は神という科学者さんの「証拠」に基づいている。(内容はまだ明らかにされていない)
ここで神の実在証明を一つ挙げたいと思います。それはソ連崩壊による米ソの2極冷戦構造の終焉です。ソ連はマルクス・レーニン主義をその理念として建国されました。その哲学は弁証法的唯物論です。これは全くの無神論です。マルクスとダーウィンは19世紀という同時代を生きた人たちです。マルクスはその理論形成に当たって当時のダーウィンの進化論に強い味方を得たと言われています。
かたや、米国は英国から信仰の自由を求めて命がけでメイフラワー号に乗ってやってきた清教徒たちとその子孫を「中心」にして建国されて行きました。その憲法にはキリスト教の神への信仰を基にした人権精神が謳ってあります。大統領は聖書に手を置いて就任の宣誓をします。1ドルコインには「IN GOD WE TRUST」と明記してあります。つまり、有神論(創造論)の国です。
ソ連が自滅して、米国が唯一超大国として残ったことは、世界が目撃した神の実存証明だと私は考えます。
>神様が目の元となる生物を創造し、現在の多様な生物種へと分化した。神という科学者さんの観察では綱から目への分化は不可能。
現在の時点ではそのように考えています。つまり、「本質的な種」を考えざるを得ないと。そして、そこからの分化も偶然の突然変異とは考えません。神が遺伝子なりその形態発生において必要なシステム(からくり)に働きかけてその分化を進めたと考えています。「必然変異」です。そして、最後の人間ですが、人間にだけは「霊魂」が与えられていると考えます。
進化論や共産主義をもって生活されている方がたにはたぶんに不愉快な発言かもしれませんが、表現の自由として勘弁してください。
理論に先入観が交じる危険性はあります。――というか、人間のやることですから、必ずその危険はついてくるでしょう。
科学に関しても、過去に先入観による誤った理論や、ときとして大勢が誤った認識(社会的な通念など)を共有して、その理論の誤りに気がつかないこともある。
とはいえ、それに非を鳴らしたいのなら、その間違いを指摘することや、それ以上の説をもって行うべきでしょう。ただ、その可能性のみで、先入観か否かを論じることはできない。
だからこそ、科学の理論は人間が全てを知る(不可能でしょうが)までは、常に仮説でありつづけるし、それを極力廃するシステムが科学には含まれている。
進化論にしても、一つの仮説を立てると、まず、それに合致しない存在を自然界から探し出す。その当人ではなくても、世界中の科学者が他人の理論をチェックする。そういう例外(あなたのいう「誤りであると証明しそうなこと」)こそ自説を証明するために探す対象であり、そうやって仮説は生き残っていくのです。決して、都合の悪い事実から逃げているわけではない。
推論に先入観が交じる可能性はある――しかし、それが「現状に符合しているかどうか」で選別されます。先入観そのものを非難するのではなく、誤った先入観が観察と合わなかったり、実験で再現できなかったりすれば、それは否定される。
観察、実験にも先入観が含まれるではないか――と言うのも、100パーセント否定するわけにはいかないが、それを問題にしたいのなら、具体的に間違いを指摘するべきでしょう。
加えて、「創造論」というのは世界が聖書の記述通りに創られたと主張する意見のことで、それを観察や実験で証明しようとする試みが「創造科学」です。これは区別したほうがわかりやすいでしょう。
創造論については、何も言いません。信じるなら勝手にすればよいでしょう。
ただ、創造科学となるとそうはいきません。事実とあわなければ、否定されるし、根拠がなければ相手にされない。一度、創造科学のサイトを覗いてみてはどうでしょうか? ある意味勉強になると思いますよ。
>ただウザイだけのようしでしたら、カキコするのはあきらめます。
過去ログに見られるように「相手の話を聞かない」ような人ならウザイですし、もう定員オーバー気味です。あと理論の比較を「人数の過多」でしか量れないなら書き込む意味はないでしょう。
そうでないのなら、どんどん書き込みすれば良いと思いますよ。もちろん、マナーを守ってですが。
タモさんの次は、呼び捨てかよ!!(お笑い芸人風、名前忘れた)
非科学的ですが、これはフロイトの言う「しくじり行為」ですねぇ。
いやいや、別に怒っていませんよ。
フフフフフフッ・・・・
お返事ありがとうございます。
tamo2さんとnatromさんでしたね、失礼しました。
>トムさんへ
一週間前の書き込みというのは、おそらく私の「科学とは何か?(だったかな)」のことでしょうね。科学の定義に関してはトムさんの下の発言に同意します。
そのような手法により得られた結果を科学と呼ぶこともありますが、「科学的に」と用いる場合を考えるなら、過程の方を問題とすべきでしょう。
しかし、同じ意味で使われているか――といえば、確実に異なっているでしょう。
私は自分の定義する科学で「どうやって神を扱うのか」も「あの人がどうして自分を科学を重視する立場と考えるのか」も理解できませんから、相手に科学の定義を尋ねました。その答えはまだもらっていませんが。
>それから、私の発言がこの掲示板の趣旨にそぐわずに、ただウザイだけのようしでしたら、
>カキコするのはあきらめます。 正直に教えてください。
この掲示板には、基になるホームページがあります。
下の方から行けますので、まずはそこを読んでみてはいかがでしょうか。
この掲示板の趣旨も分かるでしょうし、もちろん管理人さんが誰なのかも分かります。
今のような書き込みしか出来ないとしたら、たぶん「ウザイ」でしょう。
ただし、他人の批判を受け止めて、自分を見つめ直すことさえ出来れば、相手にしてもらえると思います。
親切な人も多いですから。
それから、他人の名前を書く時は、間違いなく、変更もなく書きましょう。
「タモ」さんや、「natron」さんでは失礼です。
一週間ほど前のカキコを読んでいて思ったのですが、タモさんをはじめ、皆さんの使われている意味での「科学」の定義は何ですか? これは別に批判的な意味での質問ではなくて、ただ、単に素朴な疑問です。 「科学的に」というときに、言葉が同じ意味で使われていなければ、議論にならないような気がするのですが
それから、私の発言がこの掲示板の趣旨にそぐわずに、ただウザイだけのようしでしたら、カキコするのはあきらめます。 正直に教えてください。
それから、管理人さんはおそらくnatronさんでしょう・・・(この掲示板のあちこちを検証、推論をたてました。ってか、書いてあるし・・・)
>というか、現状のやりとりを「優劣判断つかず、数の原理だ」と考える理由を聞きたい(正直、凄く興味がある)。
ここでのやりとり、というより、一般的にそうだということです。(余計、不明瞭か・・・) 仕事さぼりながらのカキコなので、時間がかかります。 みなさんの意見は必ず読みますので、それでご勘弁を!
とくに、管理人に何かを言いたいわけじゃありません。
一応、挨拶しておいたほうがいいのかなと
5ページくらいかな?ずっと以前のカキコまで読んでいたので、時間がかかった。 ディベートの間違いでしたね。とほほ。訂正ありがとうございました。
さて、本題ですが、
ある事象があって、それに対して推論をたて、実験、観察によって論証だてる、という作業が、いわゆる「科学」の定義じゃないのかな? 間違ってるかな?
その、前提っていう言葉は、その推論の部分を指しているのですが・・・
阪神、首位陥落・・・しかも巨人相手に・・・(T.T)
たまごちゃん
>3とは父と子と聖霊の三位一体をあらわす、完全な数である。
まじめにそういうことを言う人の書き込みを期待していたのですが...。(笑)
古今東西「3」を特別な数とみなす文明は数多くあって「3=三位一体」ということにはならないのは明らかです。
鼎の足が3本のように安定のために最小限必要な足の数が3であることから3を調和や完全などを象徴する数字とみなすようになったというわけですね。
トムさん
“自称中立派”ほどいい加減で不誠実な人間はいないものなのですが、あなたはそうではないと言えますか?
中立であることとどちらも支持しないはイコールではありません。AとBの意見があった場合どちらがより合理的かは差があるのが当然でどちらも同じ程度というのはむしろ特別な状況だからです。
トムさんのようにさも偉そうに中立派を気取って自分が優れているように装う人は多くいますが、そのいずれもが嘲笑の対象になっていることを自覚した方が良いでしょう。
もし反論があるなら具体的事実を指摘してからにしてくださいね。
管理人に対して何を言いたいのだろうか?
先入観で見ている、というのなら自分で指摘すれば良いし、不利な情報を隠しているというなら、それを提示すれば良い。
数が多いほうが正しいように見える――というのは、我々の責任ではない。ギャラリーが自分でどちらの理論が正しいか、信憑性があるか判断しなければならないのでは?
というか、現状のやりとりを「優劣判断つかず、数の原理だ」と考える理由を聞きたい(正直、凄く興味がある)。
管理人さんに言いたいのは「両陣営同じ数を揃えろ!!」ということでしょうか?
トムさんはとても「中立的」には見えませんね、なぜなら「進化論」を「創造論」と同じような信じさせる為の論だと思っているように見えるからです。科学は解き明かす事が本意であって、創造論は聖書に書いてある事が事実であると信じる(させる)為に作られたものですから、並列には語れないのです。
例えばトムさんの書かれた
>って、結局、掲示板ではリベート的になるから、仕方ないかな?
という文章も、科学的な目で見れば「ディベートとリベートを間違えたのだな」という、説得力のある答えを導き出せますが、トムさん原理主義の人は辞書を調べて
「これは掲示板でのやり取りが、相手の言葉(支払い代金)から引用した言葉(代金の一部)を解釈して返答をする(支払い者に戻す)という、リベート的構造を持っている、という意味なのだ」
と解釈してしまうかもしれません。
この場合、説得力は、その論法よりも、そもそもの動機によって生まれるという事がわかります。
というわけでNATROM様はじめまして、いつも楽しく読ませてもらっています。初めての書き込みがこんな事で大丈夫なのでしょうか?ちょっとちんぱいです。それではまた。
ここの掲示板の主は一体どなたかな?!
進化論者であっても、創造論者であっても、どちらにしても、それぞれの前提条件(否定的に言えば先入観)から物事(検査された数値など)を見ているわけだから、導き出される結論も変わってきますよね。進化論者の方も創造論者の方も、それぞれ、自分の推論の正しさを証明しているということには声を大にしていますが、誤りであると証明しそうなことには寛大で、それを自ら明かしたりはしないですよね・・・
また、どちらが正しいか判断する“中立的な立場の”私達も、どちらかというと、科学者が主張している事実よりも、主張する方法(もしくは上手さ、確信に満ちた口調など)に目が捕らわれてしまいますよね。 誘導されるというか・・・ たとえば、この掲示板でも、進化論者もしくは創造論者が多勢を占めていれば、そちらの意見の方が正しく見えたりもする。
って、結局、掲示板ではリベート的になるから、仕方ないかな?
>小学校では円周率を3.14では難しいから3として扱うこともあるようですが、これも為政者の宗教的意図が隠されているのでしょうか?(笑)
3とは父と子と聖霊の三位一体をあらわす、完全な数である。円とは角がなく、永遠に続く、完全な図形である。円周率3とは、完全な数で完全な図形をあらわす、高貴な思想である。これが採用されたことは、神の国が近づいている証拠といえよう。
>これは、進化論が淘汰されてきているということなのか。でも自然淘汰でなく人為淘汰ですね。
やっと、多少なりとも同意できる発言が見られて、大変うれしいです。これは遺伝子の淘汰ではなく、ミームの淘汰ですが。ミームについても自然淘汰がおもしろいのでしょうが、教育界から進化論が追放されることに関しては、「自然淘汰ではなく人為淘汰」、言いえて妙だと思います。ちなみに、あるミームが広まるかどうかは、そのミームの正しさと無関係ではないが、正しさに完全に依存するわけではないことは言うまでもない。
私は、ミームについてあまり詳しくないのですが、ミームについてよい本があれば、どなたか紹介してください。
>洗脳というのは、共産主義者が反革命分子を思想改造するときに用いた手段に由来しています。実に恐ろしい言葉です。仏教者は、洗心という言葉を使います。この言葉の方が爽やかですね。
考える葦さんの発言によってはじめて気づいたのですが、洗脳って、脳を洗うと書くのですね。洗うというのは、汚い考えに染まったものを洗い流すような良いイメージなのですが、これはおそらく、元々は洗脳は悪いことをあらわす言葉ではなかったからなのでしょう。洗脳する側(中国共産党とか)にとっては、洗脳って良いことなのですね。こんな、当たり前のことにも気づいていなかった自分が少し恥ずかしい・・・。今日のように悪いイメージで用いるなら、同じ音で、染脳の方がぴったりくるかもしれません。まぁ、単なる言葉遊びですけど。
>創造論者が神の啓示を受けて進化論者になることは原理的に不可能であるが、進化論者が突然変異して創造論者になることは原理的に可能である。しかも、ゆっくりと時間をかけて段階を踏んでいけば十分可能である。
創造論者→進化論者の変化にも、進化論者→創造論者の変化にも突然変異は必要ないと思います。創造論を信じているか、進化論を信じているかは、おそらく遺伝的なものではないので。(って、冗談にまじめに対応してどうする。)
一応、冗談に乗っかって・・・。もし、<突然変異によって進化論者から創造論者が生じた>という命題が真の場合、<この事象によって生じたのは創造論者である>という命題は真である。また、<突然変異は存在する>という命題も真である。
同様に<進化論が淘汰された>という命題が真の場合、<淘汰は存在する>という命題も真である。
考える葦さん
ちょっと自分に都合が良さそうに見える記事を目にしたからって、内容も確かめずに書くのはいかがなものでしょうか?
進化論を扱わなくなったというのはあくまでも基礎的な理科教育の話でこのHPの「進化論と創造論 トピックス」にもちゃんと「生物II」で教えることになると書いてあるじゃないですか!なんで読まないの?
自分の妄想の中で生きる人間にはそんな当たり前の指摘も無駄なのかなと思います。
小学校では円周率を3.14では難しいから3として扱うこともあるようですが、これも為政者の宗教的意図が隠されているのでしょうか?(笑)
先日NHKの視点論点で東大のサクラ先生が登場し、学校の理科で進化論が教えられていないことを嘆いておられました。これは、進化論が淘汰されてきているということなのか。でも自然淘汰でなく人為淘汰ですね。森発言にあったように、日本の為政者は、神の国を自覚してきているということなのか。
トトロさんへ
洗脳というのは、共産主義者が反革命分子を思想改造するときに用いた手段に由来しています。実に恐ろしい言葉です。仏教者は、洗心という言葉を使います。この言葉の方が爽やかですね。
ごめんなさい。敬称を忘れていました。
”考える葦へ一言”は”考える葦さんへ一言”の誤りです。
はじめまして、トトロと申します。普段はROMしているだけなのですが、
考える葦へ一言
> 創造論者が神の啓示を受けて進化論者になることは原理的に不可能であるが、
> 進化論者が突然変異して創造論者になることは原理的に可能である。
> しかも、ゆっくりと時間をかけて段階を踏んでいけば十分可能である。
これって、時間をかければ洗脳は可能という意味なのでしょうか?過去に他の
方々が何度も書かれているのですが、昔の西洋の科学者は皆、創造論者でした。
しかし、自然現象を観察し、それを最も矛盾無く説明する方法(理論)を考え
たから、現在科学の基礎ができたのです。従って、上記の説は
創造論者が観察と合理的な考え方の教育を受けて進化論者になることは原理的
に可能であるが、進化論者が突然変異して創造論者になることは原理的に不可
能である。しかし、洗脳やマインドコントロールなどの手段でゆっくりと時間
をかけて段階を踏んでいけば十分可能かもしれない。
というのが正しいのではないかとトトロは考えます。
ピクミンの攻撃。「いや、創造論は科学じゃないからね。」
一瞬にして石化するヨシュラ。大爆発が起こり、跡形もなく砕け散った。
全てが終わった。こうして神の世界に平和が戻った。
しかし、またいつか第2、第3のヨシュラがやってくるかもしれないのだ。
やられた。だったら何も書くことはなかった。もしくは「どうぞお好きなように」と一言かけばよかった。無念。今度から気をつけるYO。
理論の完成度の問題なのですか?完成してれば良いという問題じゃないでしょう。
いや、今は完成度というかどこまで記述しているかを問題としているんだから、そう言う問題です。
それって一番嫌われる科学の理論ですよね。
いや、創造論は科学じゃないからね。それに分かってない部分をブラックボックスに押し込めておいて論を進めるのは科学でも常套手段だし
過去において聖書の記載は変わってきたし、翻訳だってされている。翻訳すると言うことは新しい本を書くことだ。
人類の精神状況は大きく変化しつつあるし、100年のうちにはまた大きく書き換えられるでしょう。きっかけは翻訳でしょうな。フェミニズム版英訳聖書とか、ニューサイエンス版英訳聖書とかがでてくるはずです。
その時の創造論者は新しく翻訳された聖書を信じるはず。そして新しい『聖書の通りに世界がある』と主張するでしょう。聖書の歴史とか本典とか厳密に言い出すと原理主義は自己崩壊しちゃうからね。
と言うわけでちょっと飽きてきたなあ・・・・
ある晩、神さんが、考える葦殿の枕元にたって
「わしゃ、この世を作った覚えはあるが、お前さんたちを作った覚えはない」
って言われたらどうするんじゃろう・・・
こういうニュースを読むと素直に良いよねと思いますね.
もっと各地でやってもらいたいものです.
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20020511-00000003-cnc-l25
理論の完成度の問題なのですか?完成してれば良いという問題じゃないでしょう。「創造論」だと「神がそのように創ったからです」の一点張りでしょう。全ての問題を神様というブラックボックスに閉じ込めてしまう。それって一番嫌われる科学の理論ですよね。
>『聖書が書き換えられたら、現実も変化する』『一行書き加えられたら、その文章に書いてあることが現実となる』と完全に予測できます。
仰っている意味がよく理解できないのですが、何か深い意味が含まれているような気がします。それってもしかすると創造論に対する強烈な皮肉ですか?
確かに聖書に「生物は神が創った」の代わりに「生物は進化する」「神は生物の創造と関係ない」「神は存在しない」などのように書き換えたら、聖書を信じている人の世界観はだいぶ変わるでしょうけど。
現実には今更聖書は書き換わらないわけで(本当は科学の進歩にあわせて書き換えていくといいとは思いますけど)、そうすると「創造論」から予測できることって何だろうと考えてみる。
将来も生物は進化しないということだろうか。進化論では変化するということだから、将来に渡って人間が現在のまま変化しないかどうか勝負しよう。決着は1億年後だ。
>『神は聖書の通り、この世を創った。真の聖書はユダヤのtestamentなどではなく、この世の終わりに神様が私たち僕にくださる』とかいうでしょうなあ
こうなるともはや創造論でもないですね。生物に関する記述もないわけですね。これは助かりますね。生物学を研究するのに邪魔されなくて。
(こんなわかりきったことを長々と書いていていいのだろうかと不安になります。)
クソー、そのタイトルなかなかやるな。ここは借りにしとくでえ
創造論と進化論は別物ですが、どんな『メカニズム』にしたがってその説が成り立っているかを示す必要がある事は同じです。しっかりしたメカニズムに対する解析に裏付けられた説は予測に使えます。しかし、要求されるメカニズム自身は別のものとなります。
でも、DNA上で起こった中立的な変異が積もって、ある集団がもとの集団と隔離された状態が長く続くと、特定の形質の存在割合が高まって、長い年月の間には種が分化するというおおまかなラインは共通していると思うのですが(正確には知りませんが)いかがでしょう。
いかがでしょうと言われても、それって具体的ですか?
どんな環境で、どれくらい隔離すると、どの遺伝子の、どれくらいの遺伝子の変化でどんな風に進化するか予想が立てれますか?
まず無理です。(将来性はともかく)それは進化論がそう言うレベルにある仮説だからです。
対して創造論はどうでしょう?
『神はこの世を作った。聖書に記されたとおり』です。メカニズムは明瞭です。神の力の発現の方法はもとより不可知と設定されていますので、云々することはありません。それは創造論の外部の問題です。創造論に要求されるメカニズムではありません。
創造論においては『聖書に書かれていること』=『現実としてあったこと』というはっきりとした現実を予測するメカニズムがあります。
例えば、上に書いたように進化論ではどんな環境でどれくらいの期間でどれくらいの遺伝子変化でどんな進化が起こるか予測は出ませんが、創造論の場合は、『聖書が書き換えられたら、現実も変化する』『一行書き加えられたら、その文章に書いてあることが現実となる』と完全に予測できます。(予測が当たるかどうかはまた別の問題です)
どうです。進化論と創造論が論としてのレベルが違うことが分かりましたか?何があったらどうなるかを予測できないレベルの説とはっきり予測できる説とではかなりの差があります。
具体的なメカニズムを規定している分だけ創造論は進化論に較べて不利なのです。
進化論で、どれくらいの環境の変化でどれくらい立つとどんな進化が起こるか予測が可能になってはじめて進化論が創造論に肩を並べることが出来るのです。
儂が創造論者となるなら、誰でも読める聖書なんてものは論拠としないでしょう。アラを探されるから。
『神は聖書の通り、この世を創った。真の聖書はユダヤのtestamentなどではなく、この世の終わりに神様が私たち僕にくださる』とかいうでしょうなあ
信仰のある人と、議論している時に感じること。
「あなたの言う“あかし”“証拠”は科学のエビデンスとは違いますが。」
生殖隔離の起きたショウジョウバエを、同じ種だとするのであれば、種の定義について小一時間問い詰めてみたい。
#まだ、人類は宇宙の完全な地図を手に入れていない。なんせ、恒星の数が多すぎるから。我々の居る宇宙空間が、端と端がつながっていると仮説をたてて、恒星のパターンに反復する部分が無いかを真剣に探している科学者は居たと思う(無限の遠くまで見通せる望遠鏡を覗いたら、自分の横顔や後姿が見えるようなイメージ)。
考える葦さん
>創造論者が神の啓示を受けて進化論者になることは原理的に不可能であるが、進化論者が突然変異して創造論者になることは原理的に可能である。しかも、ゆっくりと時間をかけて段階を踏んでいけば十分可能である。
ごく一般的というよりもっとも高度な科学教育を受けた人間がオウム真理教の教義を鵜呑みにして人殺しをしたことを私たちは知っています。しかも“ゆっくりと時間をかけ”ないでもです。
そんな分かりきったことを“新発見”とはしゃいでいると、思いっきり恥をかきますよ。(笑)
世の中には無数の宗教があって何千という神様がいるわけでしょう?
その中でどうしてキリスト教の神様だけが本物であとはインチキだと言えるのでしょう?
そこらへんのところ神様同士で話し合ってもらって正統な神様を選んでもらわないと。
キリスト教の聖書の記述が正しいとは言えないでしょう。
ピクミンさん、対話方式はいいですね。今まで気づかなかったことにを気づかせてくれます。
>”集団遺伝学”とか”突然変異”とか”断続平行説”とかが導入されても、具体的にどうすれば進化が起こるかっていうメカニズムの解析は全く進んでないはず。
なるほどメカニズムのことを言っていたのですか。確かにいろいろな説があるようですね。どの説も具体的に進化のメカニズムを説明してはいるが決定版がなかなかないということでしょう。
でも、DNA上で起こった中立的な変異が積もって、ある集団がもとの集団と隔離された状態が長く続くと、特定の形質の存在割合が高まって、長い年月の間には種が分化するというおおまかなラインは共通していると思うのですが(正確には知りませんが)いかがでしょう。
>創造論は『神が聖書に書かれたとおりに全て創造した』とそれ以上詮索無用な具体的で絶対的なメカニズムを示している。
これを読んで私は今ごろ気がつきました。「創造論」にはメカニズムがないということに。
だって、神様が創造した後は現在の生物のままなわけでしょう。生物の成り立ちについて何も考える必要がないわけですよね。
創世記より
神は言われた。「生き物が水の中に群がれ。鳥は地の上、天の大空 の面を飛べ。」神は水に群がるもの、すなわち大きな怪物、動きめく生き物をそれぞれに、また、翼ある鳥をそれぞれに創造された。神はこれを見て、良しとされた。神はそれらのものを祝福して言われた。「産めよ、増えよ、海の水に満ちよ。鳥は地の上に増えよ。」夕べがあり、朝があった。第五の日である。
「創造論」にメカニズムがあるとすれば神様がどうやって生物を作ったか、ということになるかと思いますが、そこらへんは解明されているのでしょうか。
あと気がついたのは、創造論だと他の周辺学問との整合性が悪いことです。例えば、生物のDNAを調べると分類学上の近縁種ではDNAの配列が似ているわけですが、進化があると考えるとそれは同じ生物から進化してきたのだろうという説明ができるわけですが、創造論では何も説明できません。
だからある日、進化論が創造論に置き換わるようなことがあると分子遺伝学などの周辺の学問は迷惑するでしょうねぇ。
それから思ったのは、逆に進化しないというのはどうにも困難なことだということです。例えば、ヒトがあと1000万年後にもヒトであり続けるというのは不可能に近いぐらい困難でしょうねぇ。
なにせヒトのゲノムは30億塩基対もあって、これが複製される時に1塩基も間違えないなんてことは無理だろうし、そうでなくてもDNAはどんどんと変異が起こる。ほうっておいたって一定の確率でシトシンはウラシルに脱アミノ化反応で変わってしまうし、紫外線に当たればチミンダイマーも生じる。もちろん、生物はそれを修復するけど完全ではない。
進化しない方が奇跡です。
創造論者が神の啓示を受けて進化論者になることは原理的に不可能であるが、進化論者が突然変異して創造論者になることは原理的に可能である。しかも、ゆっくりと時間をかけて段階を踏んでいけば十分可能である。
ちょっと話題を変えてみましょう.
農薬と言うと「危ない」というイメージを持たれる方が多いと思われます.
ま,確かに直接飲んでしまったら死んでしまう危険なある品もあるわけですが.
しかしながら,入ってくる情報としては(私も含めて),新聞,雑誌,テレビ由来のものが多いためどうしても偏った情報になってしまいます.
私は農薬について全くの素人なので判断つきかねますが,貼りつけたHPは結構真っ当そうに思われます.一度覗かれてはいかがでしょうか?
進化論とは全く関係無いのですがね.世間の情報をいかに科学的な目で見る練習という意味でね.目を塞ぎがちになりやすい「農薬」ネタをあえて持ってきました.
http://members.tripod.co.jp/gregarina/index.html#NEW
阪神負けたやないか〜〜〜(怒)
ピクミンさんへ
それじゃあ全く具体的じゃないって
>創造論は『神が聖書に書かれたとおりに全て創造した』とそれ以上詮索無用な具体的で絶対的なメカニズムを示している。
それは神さんがつくったと言っているだけで「どうやって」がすっぽり抜け落ちているよ.
それだったら進化論も「遺伝子が突然変異起こして広まっていった」で全てOKじゃん.
やはり創造論者なら「うちの神さんは,○○というやり方で生きもん作って△△方式であちこちに配置して××システムで絶滅せんよう運用しとるんや」くらいに具体的にいってもらわんとなあ〜
それで初めてピクミンさんがいった具体的レベルまで深堀出来る.
と負けた腹いせにいらんつっこみをして見る.
To ゆうきさん
> 面として考えるなら、どこが一番最初に現れたか?という質問ならOKですか?
> 私が、エルサレムが一番最初に現れた土地!?と考えているように・・・。
「面として考えるなら」というのが、三次元の空間を二次元と仮定して、その一点がどこかに出現したという意味ですよね?
そうだと仮定しても、そうではありません。
ビッグバンの起こった瞬間には、その「平面全体」がその一点そのものだったのです。その一点以外の座標そのものが存在しないのです。
地球から見て、全ての銀河が自分から遠ざかっているように見えるのであたかも自分が宇宙の中心にいるかのように錯覚してしまいますが、おそらく他の銀河から見てもそのように観測されるのです。
宇宙論の本によく描かれているゴム風船の例、もしくはゴムひもの例が分かりやすいんですけどねぇ…。
それでは、ご旅行、お気を付けて。
でも一週間もたっちゃうと、このレスも読んでもらえないかもしれませんねぇ。
旅行の最中いろいろ考えてみたいと思います。
ご意見ありがとうございます。
多分一週間くらいで戻ると思います。
帰宅日は未定!
>ピクミンさんの最大の目的は「流れ」を変えることだと思う.
違うな。最大の目的は仕事が沢山あってストレスが溜まっている。ここらで一発!ってことだあ
それはさておき、世種亜さん
>進化論は概念を語るだけだ。具体的に実証しようとしている創造科学が進化論より隙が大きいのは当たり前のことだ。
例えば、これはどのような意味なのでしょうか。進化に関連した学術文献は古生物学から分子進化論まで、ピクミンさんが10年かけても読みきれないほどの量が過去にあります。(理論だけの論文もあるでしょうけど)具体的なデータから推論をしているものです。
うん、論文は沢山あるでしょうな。しかし、具体的にどういうふうに進化が起こっているかに関してはまだ五里霧中でしょ?
”集団遺伝学”とか”突然変異”とか”断続平行説”とかが導入されても、具体的にどうすれば進化が起こるかっていうメカニズムの解析は全く進んでないはず。
創造論は『神が聖書に書かれたとおりに全て創造した』とそれ以上詮索無用な具体的で絶対的なメカニズムを示している。それに対して同じレベルでは進化論はこの生物界のあり方を説明していない。
勿論、創造論が成功しているかどうかはべつとしてのはなしですが、今の段階で進化論者が同じレベルで説明をしようとすると科学創造論者と同じく失敗するでしょう。
(とこんな感じでごねてみました)
>たまごちゃんへ
こちらこそ、過剰反応しすぎたようです。
一人称が、普段の「俺」に変わっていたり、冷静さに欠けていました。
現状に対する姿勢としては――革離さんや、ピクミンさんのように距離をおいて、場を修正しようとする人達、たまごちゃんのように誤解を解こうとする人達、そして私のように進化論云々以前の問題だと判断を下した人達、とにかくヒートアップ気味のtamo2は少々、熱を冷ますべく傍観に徹しようかと思います。決して、匙を投げたわけではありませんよ。
さぁ、仕事だ・・・
夕方から仕事が入ったぁ!! せっかくの休日が・・・
ますます、ピリピリしそうな私・・・
>ゆうきさんへ
神を感じられないのは、不徳のせいだ――という考えは誤りであり、大変失礼な発言です。
その屁理屈で行けば、不幸になるのは信仰が足りないせい、ということにもなり、宗教者がよく口にする発言です。
上の考えがはあなたに「信仰を持っている人間が、そうでない人間より優れている」というような、優越感を与えてくれるでしょうし、その自分に好ましい意見に疑問の目を向けるのは難しいでしょうが(このような自分にとって都合が良い意見は安易に受け入れ、好ましくないものを安易に否定するのは理論的な思考に欠けた人が陥りやすい誤りです)、あなたは自分が無根拠に相手を見下しているということに気がつかなければなりません。
そのような人間に「徳がある」と思いますか?
自分が個人で信じるのなら、あなたの勝手ですが、それをもって何かを批判したりする場合、それが理論的であるか、根拠があるかどうか判断する能力が必要です。
そうでなければ、不当に相手を批判したり、見下すことになる。
相手を批判する前に、まず自分に批判の目を向ける――残念ながら、実践されてない方からの受け売りですが、これは胸に刻む必要があるでしょう。
ゆうきさんは、性格は温厚で、真摯な方だと思います。私のような疑り深い人間ではないでしょう。しかし、それゆえに、何かに疑問をもたず、不当に何かを批判している危険があるのです。
神を感じる能力と、人徳の高さに相関はありますか?
大事故のさい、信仰の篤い人間が助かる確立が高いというデータはありません。信じるのも良いが、闇雲に信じていては、偏見から逃れることはできませんよ。
地球上で前後左右どこに向かっても最後は元いた所に戻って来るのと同様、宇宙では前後左右上下どこへ向かっても最後は元いた所に戻って来るということです。
実際には我々は3次元の住人ですから2次元の地表面が曲がっていることを想像できるわけですが、宇宙空間という3次元の空間そのものが曲がっていることは理屈ではわかっていても想像することは困難でしょう。
ちなみに水平線が見えるのは曲がっている地表面とは無関係に光が直進するからですが、空間そのものが曲がっていると光も空間の曲がりに沿って進むので(但し光にとっては直進していると同じ)水平線という概念は存在しません。理論上は宇宙のすべての方向を見渡せることになります。
> 宇宙は一回滅亡したと考えれば、
なぜそうお考えになるのか根拠を示していただけないでしょうか。
大昔は別の場所から運ばれてきた(誤)
大昔には別の場所だったところから運ばれてきた(正)
に訂正いたします。
ついでだから...
>でも、私から見れば神さまを感じることができないなんてよっぽど不徳が貯金されているのだなあ!と思います。
(神さまを感じることができないのも神の計らいであるのかもしれないと考える)私から見ればそのようにしか感じられないゆうきさんはよっぽど不徳が貯金されているように思えます。
>今、ハッブルさんのおかげで見えているお星様たちは、地球でいうところの地平線や水平線!といったところでしょうか?
向こう側にもお星様がたくさんあるかも・・・。
現在の観測で見つかっている星があった時期(一番遠い天体でも宇宙誕生から数億年は経っていると考えられている)ならその天体に立って周囲を見渡せばたくさんのお星様があったかもしれませんが、厳密な意味での「宇宙の地平線」すなわち百数十億年ほど前の特定の位置であるならばその周囲には天体と呼ばれるものはなかったでしょう。
宇宙が一回滅亡したというのが何を指しているのか不明ですが、それがビッグクランチであるなら超新星爆発でしかできない物質は存在しないでしょう。原子が存在しうるほど“ゆるい”収縮とは考えられていないのですから。
>そうしたら、エルサレムは地表の中心ではありませんね!地球の中心から現れたのが最初!ということ。エルサレムが最初かはまだ証明できませんが、でもどこが最初なのでしょうか・・・。
地球は立体なのですから平面の特定の地区だけが最初に現れることなどありえません。雪の玉を作るときに表面から作るなんてことができますか?
ゆうきさんの指す「エルサレム」が地球の特定された緯度と経度を持つ「点」を指すのなら地球ができた時点で存在していますが、その他の全ての地点も同時に誕生しています。
一方で「エルサレム」が地球ができたときに今のエルサレムにあった岩石(土)を指すなら、風化したのかマントル対流に乗って地下深くに潜り込んで溶けてしまったのかその他なのかいずれかだと思いますが、今のエルサレムが大昔は別の場所から運ばれてきた岩石(土)でできていることを考えると岩石そのものにこだわる理由が何であるのか不明です。
ゆうきさんは今一度宇宙論の入門書を読んでからここに書き込んではいかがですか?
なにやら御伽噺の世界をそのまま科学の領域に持ち込んでいるような印象を受けます。
ゆうきさんの理解力は文系理系以前の問題のように思われます。
同じあぽーなら踊らにゃソンソンってか・・・
to ゆうき殿
>高温高密度の状態が保てれば、無限ということです。
意味不明
>進化論を否定するパターンはいつも同じかもしれませんが、創造論を否定するパターンもいつも同じですね!頼りないですが、私は両方肯定している人間なのでどちらにもつけませんが・・・。
前にも言われとるが、宗教的創造論を否定する人間は此処にはあまりいないぞ
それを、科学的議論の場にもってくるから、批判されるんじゃな。
それに、攻撃がワンパターンじゃったら防御もワンパターンで十分じゃろ
#まだ結核菌の方が賢いな
>でも、私から見れば神さまを感じることができないなんてよっぽど不徳が貯金されているのだなあ!と思います。
喧嘩を売っているのかな?
ご意見、ご要望がございましたら、掲示板か、 e-mail:natrom@yahoo.co.jpへどうぞ。