なぜって?
「わしがいるとおもっとるから」
科学の検証は?
「阿弥陀如来に対してそんな畏 れ多い事はでけんな」
プー殿、ご理解いただけましたかな?
レスありがとうござ います。信仰の何たるかについてとても参考になります。
ところでまた疑問がわい てきました。クハ72さんは以前「科学と宗教は独立していて、次元が異なるもの」とおっし ゃいました。常に客観的根拠を求める科学の検証では「私自身が正しいと言っているから」は まずいですよね。
つまり、宗教については「自分が正しいと思うから」、科学について は「客観的検証」という2つの価値観があるわけですね。宗教と科学は独立なので、これは当 然でしょう。しかし、2つの異なる価値観をクハ72さんの(あるいは科学の検証を行なう宗 教信仰者一般の)脳はどのように区別しているのでしょう?「宗教を信じる脳」と「科学の検 証をする脳」のあいだにはどんな違いまたは関係があるか興味があります。fMRIやPETなど を用いた研究結果などある(ありえる)のでしょうか?(禅僧の脳波を調べたというのは心療 内科の本で読んだことがありますが、、、)。
また、クハ72さんがもし2つの価 値観を意識的に区別されているなら、2つの価値観をきちんと切り替えるにあたって意識して いること・心がけていることなどありましたら教えていただきたくよろしくお願いいたします。
何度もすみません。
>「何故私が正しと 言えるかって?それは私自身が正しいと言っているからだ」
あははははっ!! シンプルで良いですね。
ぼくは、人間の心が愛情よりも物欲を満たす事を望む限 り神様は無力だと考えています。
人の心が光を嫌い、闇を受け入れているのに、神様に 責任を持って来るのは間違いです。
先日某花火大会で多くの人間が踏み殺されました。
夜中に、ものすごい悲しみと怒りを感じたので目が覚めてテレビを点けたけれど、
結局見つけられず翌日のニュースで知りました。
倒れている人を蹴った者や、わざわ ざ両足で踏んだ者もいたそうです。
人間とは、匿名ならば、簡単に人間を殺せるようで すね。
みんなが利他的に生きて、住み良い世界を築けるならば、
それは巡り巡っ て結局自分の為になるのに・・・。
聖書の正しさは聖書 自身が証明しているのだ。第3者の証言も考古学的証拠も一切不要なのだ!
「何故私が 正しと言えるかって?それは私自身が正しいと言っているからだ」
おひさしぶりです.ハンドルネーム変えられたのですね.
内容の 続きについては,これから実家に里帰りすることもあって数日後に載せるつもりです.忘れて いなければ,ですが.
谷庵様、ご指摘あり がとうございます。
わざとじゃありません。単に、無知でした。
侃侃諤諤 (正しいと信じることを遠慮無しに直言すること:新明解くんより)
が、いいたかった のでした。
ちなみに、ケンケンガクガクを一発変換したら、喧喧諤諤と出たのでし た。
日本語も英語も出来ないことが、ばれてしまったのでした。
>詳しいご説明あり がとうございます。理佳子さんは読んでくれたかな?
理佳子は読んでいませんが、 彼女は独学で理解しました。
かくり様、わざわざありがとうございました。とても優し いのですね。
ぼくは、もう暫く勉強を続けるつもりです。
皆様、お体に気を付け て頑張ってください。
家内がマグヌスはイメージが悪いと言うので、アベルに変 えました。
アベルの方が普段の生き方がイメージし易いそうです。・・・カインに撲殺 される?
内容と関係のないレ スで申し訳ありません。
侃々諤々(カンカンガクガク)と喧々囂々(ケンケンゴウ ゴウ)とを混同してケンケンガクガクと言ってしまうことはよくあるのですが、今回のように 漢字というのは珍しいですね。
そのままで漢字に変換することは出来ないでしょうから、 わざとなのでしょうか。
ねこさんの書き込みの内容からすると喧々囂々で良いと思 えるのですが、
「それぞれが勝手なことを言っているが、みんな自分の信念に基づいて 発言しているのだ」という意味で喧喧諤諤と書いたのでしょうか。
アメリカのブッシュ 大統領が、 (限定的ではあるが)stem-cellの研究に
国として援助すること決定したと わざわざTV演説で表明しました。
それをめぐって、宗教界、科学者、その他から も賛否両論で喧喧諤諤
の議論を繰り広げています。ブッシュ大統領としては、政治生命 と字義通りの
「生命」をかけた決断だったわけです。(だって、過激な宗教家多いから ねえ)
そこで質問
Q.日本でも、このような科学、医療の分野にからむ政治 決定(法案とか研究費助成とか)
に、宗教界から無視できないほどの圧力がかかる ことがあるのでしょうか?
あまり、仏教界やイスラム界からの反発って(この分野 では)聞かないんですけど。
かくりさん、ありがとうございますm(..)m
123が132になってるのには、気 がつきませんでした。
かくりさん
詳しいご説明ありがとうございます。理佳子さんは読んでくれたかな?
実際に はトリソミーの個体は発生途中で死ぬ確率が高いと思いますが。
どなたかご存じです か?
もしそうであれば出生率は正常個体に傾くでしょうね。
こんばんわ.おひさしぶりです.
染色体の図わかりにくいみたい なので少し立体化してみます.
1 −−−・−−−
2 −− −・−−−
3 −−−・−−−
便宜上左腕の交 叉は+と+がつながっているとします(染色体上に書きます).
右腕の場合は*と*が つながっているとします.
動原体より右にあるか左にあるかで右腕左腕と呼んでいると 判断してください.
A
1 −+−・−−−
2 − +−・−*−
3 −−−・−*−
B
1 −+−・−*−
2 −+−・−*−
3 −−−・−−−
C
1 −+−・−*−
2 −+−・−−−
3 −−−・−*−
結論 から先にいいますと,AとCは同じパターンのものです.
3染色体では交叉のパターン が3つ考えられ,そのうち2つは同じもの(3価染色体)で1つは違いますよ(2価+1価染 色体)ということです.
「3価染色体」の時と「2価+1価染色体」の時の娘細胞 への染色体の移動時の振舞いが変わるために,その出現頻度を計算しておくことは非常に重要 となってきます.したがって面倒でも上のような図を書いて線を引っ張ってみるとよくわかる ために書かせていただいております.
ちなみに最初に書いた図は上から順番に並べ て書いたためAとCの区別がつけにくく,左端のNOを入れ替えております.A,Bは上から 1,2,3でCのみ1,3,2とさせてもらっています.のでわかりにくいかもしれません.
お久しぶりですみなさん。
To:かくりさん
昔の話題でもないようですね。R さんは、まだ減数分裂を理解できていないような。wadjaは、おもわず減数分裂勉強中です。 でもこの掲示板でのかくりさんの説明は、まだ理解できてない。
質問:AとCの交 叉の違いはどこにあるんですか?
ずいぶん過去の話題ですが, 3染色体が実際には減数分裂時にどのような割合で2本と1本に分かれていくのかの理論につ いて述べようと思います.
1 −−−・−−−
2 − −−・−−−
3 −−−・−−−
1〜3を染色体を思って下さい.真 ん中の・は動原体と思ってください.
さて減数分裂時ですが相同染色体間で交叉をしま す.3染色体の場合動原体の左右で各1箇所,合計2箇所で交叉が行われます.
まず左 側で任意の1箇所で交叉が行われます.
1 −−−・−−−
×
2 −−−・−−−
3 −−−・−−−
次に右側ですが下 の3通りが考えられます.
A
1 −−−・−−−
×
2 −−−・−−−
×
3 −−−・−−−
B
1 −− −・−−−
× ×
2 −−−・−−−
3 −− −・−−−
C
1 −−−・−−−
×
3 −−−・− −−
×
2 −−−・−−−
2/3の確率で3価染色 体となりますが(A,C),1/3の割合で2価染色体と1価染色体が生じます(B).
では娘細胞に移動するときのことを考えましょう.
A,Cの状況のような3価 染色体ができる場合は,2本と1本に素直に分離すると考えればよろしいです.実際には例外 がありますがここでは考慮いたしません.
問題はBのような1/3の確率で生じる2価 +1価のセットです.
1価染色体はある一定の割合で減数分裂時に取り残され消え去る 事が知られています.その頻度は染色体消失率と呼ばれるもので0〜100%までの任意の数 値を取りますが,ここでは50%と考えてみます.
Bの中の半分は事実上染色体が2本 しかないのと同じ挙動を示します.すなわち1本と1本に分離します.のこりの50%におい て2本と1本とになります.
よって1/4の割合で2本のが3/4の割合で1本のが出 来ます.
AC組とB組の染色体の挙動を総合すると,
2本:AC(2/3) ×1/2+B(1/3)×1/4=5/12
1本:AC(2/3)×1/2+B(1/ 3)×3/4=7/12
で1本の方が多く出現することがわかります.
元々の話しに戻って,トリソミーとダイソミーの組み合わせにおける次代の染色体数の違いで みた分離比は片方が常に1本であることから,
ダイソミー:トリソミー=7:5と なります.
ではトリソミー同士の組み合わせの場合次代の染色体数の違いでみた分 離比はどうなるか!!
考えていただけると幸いです.
お待ちしております.
丁寧に調べていただ き、恐縮です。
何か気の利いたこと言いたいんですが、また今度。
それを使わないだけ だ、と言うかも、、、(^^)
これもテストを拒否するのであればなんとでも言えると いう例の一つですか。
あき様
仮に全能 なる存在がいて、それがこの世界を作ったとしたも
この世界の法則に則ってでしか、そ の力を使えないと思います
自らの力に足枷をつけなければ、この世界に介入できないで しょう
そう考えると、たとえ全能であったとしても
我々の世界の理から考え ると
この世界に於いては全能でなくなります
JA50様
忘却できなければ、全能 でない
忘却すれば、全知ではない
故に全知かつ全能はあり得ない
と言いたか っただけです
クハ72さん、レス ありがとうございました。
新たに教えていただいたホームページもじっくり読んでみま す。
貴重な情報ありがとうございました。
> ところで、教えていただいたサイトを大体読みましたが、あれは「創造科学」の
> サイ トでしょうか?進化論を否定しようとしてるように見受けられますし、、、。
つま りは聖書にも進化論者以上に詳しいんじゃないかと思いまして(多分)。
> というこ とは、「必ずしもすべてのクリスチャンが進化論否定・創造科学支持
> というわけでは ない」そして「科学とキリスト教の両立は可能」ということ
> でしょうか。
バチカンが進化論容認しましたし新教でも創造論者は一部じゃないでしょうか。
科学は キリスト教の影響を全く受けなかったわけではありませんが、
現在は完全に独立した存 在と言えるでしょう。早い話が次元が違う。
信仰と違うからある理論は間違い だとか、その教義は非科学的だから信じるなとか
相互に干渉し合うのは筋違いだと思い ます。両立以前の問題でしょう。
あとは以下のサイトも参考になると思います。
まず最初は漢字の語源.例によって字統からです.
「息」……自 と心に従う.自は鼻の初文.心の状態が気息にあらわれる意である.
「生」……草 の生え出る形.
字はもと発芽形成の象をとるものであることが知られる.
元々の漢字で見た場合,「息」に近いのは「心」であると思われます.「生」ではな いです.
しかしながら『字訓』という漢字の訓読みについての辞書(訓よみが日本 独特なので日本語としての漢字の由来辞書みたいなもの)を開くと,
いき[気 (氣)・息]に
呼吸すること.「生き」と同根の語.「氣」を語源とするもの で・・・・・とありますので日本語として捉えた場合は近いでしょう.
ちなみに 「息」と「生き」が結合されるのは,気吹と生命との相関から来るそうです.わかりにくいの ですが,要するに『気は雲気の流れる象形であり,風気・気力・気質等の用法があって風とそ の義が近い.風は風神によってその地域にもたらされる天の気であり,その地域の風土性も, 人の気質も,みなそれに影響され,形成されると考えられた.ひとは「いき」によってそれを 摂受するのである.』
わかりにくいですね.多分風によりもたらされるものを 「息」をすることによって人間は得て,「生きる」ことが出来ると言うことなのでしょう.
ハレルヤさんの質問の意味からすると,答えは近いでいいのかな?
もっともっ とさかのぼられるのなら近くないなのでしょう.
ちゃんと答えられてなくて申し訳ない.
ヨハネ加藤さん、最 近お出ででしょうか。
こちらの掲示板も、最近あろうことにペースが落ちているよ うです。
お忙しいとは存じますが、もしよろしければ、あなた様の進化論と創造論に関 するお考えをお聞かせください。できるだけ細か−く。皆さん、きっと喜ばれると思いますが。 せっかく質の低い発言を苦労して取り除いたんですし。
かくり総務部長さん。 いつもお世話になっています。
「息」と「生きる」の、日本語としての語源は、ど うなんでしょう。近いですか?
誰か吾輩を呼んだか な?
(熊野)プーさん、ちがうか…。
ただいま担当者のハレルヤは年 末に向けて、トナカイのトレーニングのため席をはずしております(うそうそ)。ご質問の件 に関しましては、創造学校でも十分答えられる方が大勢おられます。から期待してください。 ね、nasuさん。
万一回答なき場合、もしくはお急ぎの場合は、とりあえず
レ ムナント http://www2.biglobe.ne.jp/~remnant/
の掲示板にてご質問可能と思います。 ね、久保さん。
ただし、この掲示板は実名でしか入れませんので、日本人のお名前でお 入りになってください。(よい質問の場合は、ハンドルネームでも、大目に見てくれるみたい です。が、議論並びに再質問はできないようです。)
なお、担当者のハレルヤは、
創造論科学的再検証掲示板 http://www.tcup1.com/158/kenko.html
において、お持ちの疑問にお答えする方向での内容を不定期刊で連載中です。が、諸般 の事情により、とことん不定期刊行ですので、ご了承ください。
また、引用なさって おられた本文の如く、この連載は実証性に関して論じたものです。すなわち実証の可能性の是 非について論じられる予定であり、その可能性をどう判断なさるかは、ご本人次第ということ になりますが、ご了承ください。どうして可能性しか論じられないかということも、少しは触 れると思います。
クハ72さん、レス ありがとうございます。
さっそく教えていただいたサイトの掲示板にも同じ質問をしま した。
ところで、教えていただいたサイトを大体読みましたが、あれは「創造科学」の
サイトでしょうか?進化論を否定しようとしてるように見受けられますし、、、。
しかし、クハ72さんは進化論を支持するクリスチャンであるとおっしゃる。
というこ とは、「必ずしもすべてのクリスチャンが進化論否定・創造科学支持
というわけではな い」そして「科学とキリスト教の両立は可能」ということ
でしょうか。
基本的なこ とかもしれませんが、今後のために是非確認しておきたいので
よろしくお願いいたしま す。
進化論を支持するクリスチャンです。
> 聖書(特に十字架や復活)についてその実 証性を科学的に論じた著作・論文・研究者・研究方法など教えていただきたくよろしくお願い いたします。
少なくとも僕は聞いたことありませんが、↓のサイトの掲示板の方 が創造論の方が多く集まるのでいいと思います。但し必ず回答がもらえるとは限りませんが… …。
こんにちわ、はじめ まして。私は宗教と科学の関係はどうなっているか等に関心があり、色々学びたいと思ってい る者です。よろしくお願いいたします。
ツリー掲示板で以下のようなコメントを 見ました。
>聖書が何もかもいいかげんではないことは、預言の成就の的確性など、 その他の証拠からも十分>言えることです。十字架や復活についても、確か(誰か創造論者、 資料持ってない?)その実証
>性を科学的に論じたものがあったはずです。
聖書 (特に十字架や復活)についてその実証性を科学的に論じた著作・論文・研究者・研究方法な ど教えていただきたくよろしくお願いいたします。
全知なる存在は忘却 という能力を持っていない。
しかし、全能だとしたら、忘れる能力を自分に与えるのも 可能なんじゃ?
そうでないと、全能と言いながらできない「能」があることになる。
また一つ、、、
>可能性を考えるの は、結果が「未知」だからこその行為だと思いますが・・・
可能性といういい方が まずかったのかも知れません。現時点から起こりうるすべてのこと
を可能性と言ったの ですが。つまり実際にこれから起こること以外の起こる可能性があること
すべても知っ ているということです。
>自分が、どの道を選ぶのか、どのみちは選ばないのかそ れを知っていて、
>自らに選択肢があると言えるのか?
選択肢を持たないと 言えるかも知れません。
ここまできて思ったのですが、選択肢を選ぶことを含めて 意志というものは
外界に応答するときに発生します。不完全な情報しか持たないものは、
過去の経験などを元にして意志という形で判断しますが、すべてを知る者には
意志 という概念それ自身が無意味ではないでしょうか。
脳みそが煮詰まって しもうて
こじゃれた、つっこみは当分むりじゃ>かくり殿
それで証明されるのは核抑 止力じゃなくて、核の威力>核抑止力なる力などないというのは、核が使われて初めて証明さ れる
もっとも、儂の書いた『今まで使用されてない力で、且つ存在が信じられてい る』という部分は完全に間違っているわけだが。
核抑止力なる力など ないというのは、核が使われて初めて証明される。
一方、あるかどうかも分からない。
核が使われていないからと言って、使われない理由が核抑止力だという証明じゃない (後件肯定の誤謬)。
核抑止力などという力はないんだと言って、そのテストなど しないでほしいです。
神は全知全能だと信じている人も、同じかも。
既に否定されています>テ ストを拒否していいのなら、私も全知だと言うことができます
今まで使用されてな い力で、且つ存在が信じられている(信じてない人も多いが)力があります>核抑止力
>「決して使用される ことの無いチカラは存在しないと見なしてかまわない」
私も「かまわない」という のに同感です。
かまわないというより、同じことじゃないかしら。区別できないんだか ら。
この意味でいくと、テストできない場合には、「全知なる存在」と、「全知の つもりである存在」は同じことということになりますね。
神殿から飛び降りろというテ ストを拒否されては、飛び降りれる「つもり」だけの存在なのか、それとも実際に飛び降りれ る存在なのか区別できません。
それなら、私ら全知じゃない存在は、その二つを同じと するしかない。
テストを拒否していいのなら、私も全知だと言うことができます。
あき様
> 全知全能であればすべての可能性を知った上で唯一の道を選ぶわけですから、
>受動も 能動もないと思いますよ。受動と能動は多くの道があって初めて存在するのでは
>ない でしょうか
自分が、どの道を選ぶのか、どのみちは選ばないのか
それを知っ ていて、自らに選択肢があると言えるのか?
自らが知っている、自らの未来の行動をと らなければ
それはすでに全知ではないし
それ以外の行動がとれないとすれば
全能でもないです
それに全てのモノの因果を知っている存在が
何の可能性を 考えるのか?
可能性を考えるのは、結果が「未知」だからこその
行為だと思います が・・・
>申し訳ないですが、知識のままに行動することがなぜ意志がないことに なるのか、
>論理的に説明していただけますか。
「知識のままに行動するこ とがなぜ意志がないことになる」ということはないです
「知識(情報)のままにしか行 動できないモノに自由意志があると言えるか」
であれば無いと言えます
第三世代コ ンピュータに自由意志など存在しないですから
「決して使用されることの無いチカ ラは
存在しないと見なしてかまわない」
という私の考えは間違いだろうか?
JA50さんへ
>南極に行ったことはないが、南極のことは全て知っている「つもり」になっている人は いるかもしれませんね。
人間ならそうでしょうね。でも相手は全知なる存在です。 知ってるつもりではなくて、
全部知っているんですよ。
周由基様
経験や知識が問題になるのはそれらが不完全な情報だからだと思います。
全知であ れば完全な情報(どういうものかはわかりませんが)を持っているわけですから
問題に ならないし、それらを区別することはできないのではないでしょうか?
>つまり、 全知全能であれば自分の知っているスケジュール通りにしか行動できない
つまりスケジ ュールに対しては受動的にしか行動できないわけです
未来永劫、能動的な行動はできな い
全知全能であればすべての可能性を知った上で唯一の道を選ぶわけですから、
受動も能動もないと思いますよ。受動と能動は多くの道があって初めて存在するのでは
ないでしょうか。
>たとえば、100メートルを8秒で走れる能力のある人間 がいたとします
しかし、この人間が生涯一度も走ることをしなかったとしたら
この 人間が100メートル8秒で走ることができると言えますか?
素意の人に関する完 全な情報を持っていれば言えると思います。「走ったことがある」
であれば言えないで しょう。
申し訳ないですが、知識のままに行動することがなぜ意志がないことにな るのか、
論理的に説明していただけますか。
ただのつっこみですから・・・・ひねりのきいた返しを期待してしまったぞ い,RYU_TI_SYUさん(←あんた今作ったろうというつっこみはし・な・い・の!)
例えば,
「阪神巨人同時に勝つ方法がわからん?しょ〜うがないのう」
「そや けど試合したら勝つか負けるか引き分けか・・」
「わかっとらんのう.ようはファンが 勝って良かったなあって思ったらええんや.ようはいかに勝ったあ思わせるかが勝負やな.」
「じゃあどうやって!」
「ダイエーが勝つ!!」
「は?」
「ダイエーが 勝って特売をする!!特売で喜んだ人はチームのこと忘れて買った(勝った)気になるやろ が.」
「せやろか?」
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
だめだ.夏バテ で頭がうんでいる.ネタにキレもコクも無い.
RYU_TI_SYUさんなんかネタ希望いたします.
GOAさんへ
>これを人間に当てはめて神様にお願いすると、メリメリ と私が分裂して、私の分身ができるわけですね。
名づけて「分身の術!!」
・・・・・忍者みたい
言葉遊びじゃ
見逃してくれい
ツリーが無くなるみたいじゃな
わしも詳しくはわからんが 調べてみよう
NATROM殿、期待せんでまっとってくれ
かくりさん
>単 細胞生物の繁殖の仕方はまさしく「」中表記にあてはまりそうですね
これを人間に 当てはめて神様にお願いすると、メリメリと私が分裂して、私の分身ができるわけですね。
人間の浅はかな知恵で神様にお願いすると、とんでもない結果を招きそうです。(笑)
GOAさんへ
> 「AがBを産むと同時にBがAを産んでいる」という表現に改めます。
細胞分 裂!!!
単細胞生物の繁殖の仕方はまさしく「」中表記にあてはまりそうですね.
かくりさん
>それはもはや言っているだけの状態になっとるよ.
ご指摘のとおり、ただ言 っているだけです。(笑)
私の発言に関しては、親と子というのが用語上おかしいなら、 「AがBを産むと同時にBがAを産んでいる」という表現に改めます。
ただのたわ言で すので、適当にあしらってください。
RYU_TI_SYU(ねおまくまく 団準備委員)さん GOA さんへ
それはもはや言っているだけの状態になっとるよ.
<1>野球→ルールの規定上野球に両方勝ちというのが無い.ので やろうとしたらルール書き換えしか無いが,「そんなんおもろない.」とか言われて人間に変 更されたらそんでしまい.
<2>親子→生んだ側が「親」,生まれた方 が「子」.というのが定義じゃないのでしょうかね?だから「子」が「親」を生むというのは 用語上おかしい.
生まれてくる生命が生んだ側よりも成熟しているとかならまだ意味は 通るが.
ヘルメス☆さんへ
個人的にはヘルメス☆さんのおっし ゃる「人知を超越した」のほうが良いカモに同意しています.「全知全能」の言葉上での矛盾 を語っているときりないですしね.
周由基さんへ
>現在主流の 「創造論」が19世紀頃にでてきたモノなので
初めて知りました.大変参考になり ます.ありがとうございます.
そうですね,時代背景とともに何故このような思想が生 まれたのかという教え方にすると面白い授業になりそうでうね.興味無い子は聞かないのだろ うけど.
そういった意味では生涯教育向きなのかな?
あき様
つまり、 全知全能であれば
自分の知っているスケジュール通りにしか行動できない
つまりス ケジュールに対しては受動的にしか行動できないわけです
未来永劫、能動的な行動はで きない
たとえば、100メートルを8秒で走れる能力のある人間がいたとします
し かし、この人間が生涯一度も走ることをしなかったとしたら
この人間が100メートル 8秒で走ることができると言えますか?
ついでに聖書に記述されてる神が全能でな い証拠
「ソドムとゴモラの人々を120年かけても改心させることができず皆殺しにし た」
間違っていたらごめんなさい
これが私の記憶違いでも「ノアの洪水」で同じこ とが言えます
さらに追加
神が全知であれば人間にできて神にできないこと
「忘却」
かくり様
現在主流の「創造論」が19世紀頃にでてきたモノなの で
そのころに発生、もしくは復活した考え方として
時代背景とともに教えるのが妥 当かもしれないですね
できれば、「親が子 供」を「子供が親」を同時に産むところを見てみたいです。
>かくり殿
全能の神である以上、
阪神VS巨人戦で両方勝たせることも(負けさせること も)
子供が親を産むことも
A=B=C
∴
A≠C
も
何でも可能じゃ、
昔から(なのかな?)色々言われていますね。
例えば全能であれば 全てが出来るのだから、あえて「挑戦」することが必要ではない。
挑戦する、というこ とは結果が判らない(不確定だから)から、それを確定させるために行う行動で、この時点で 「全知」では無くなる、等など。
「神(主でも仏でもなんでもいいや・・・)」に 対する形容は「全知全能」などよりも「人知を超越した」のほうが良いカモ。
南極に行ったことは ないが、南極のことは全て知っている「つもり」になっている人はいるかもしれませんね。
また、知らないという経験をしたことがないという人もいるかもしれません。
ただ、そういう人は何も知らない人だと思いますが。
かくりさんへ
> 知識と能力は別個に分けて考えたほうが良いのかもしれません.ルールを知らなくても(知)
スポーツは出来るものです(能).
おっしゃることはわかりますが、少しち がうような気がします。全能のなかに全知は含まれる
のではないかと思いますが。
何でもできるのですから、その中にすべてを知る能力があってもいいでしょう?
それは さておき、全知について語るときは全能と分けるべきであるとは思います。
JA50さんへ
言い足りなかったようです。
知らないという経験をしたことはないが、その ことを知識として知っているという意味です。
あまりよいたとえではないですが、南極 に行ったことはないが南極のことはすべて知っている。
といった感じです。
全知なる存在にとって、経験による知識と経験によらない知識を区別する必要性がある理由が
わかりません(念のため、これはJA50さんに対して言っているわけではありません)。
しかしここまで来ると単に考え方の相違だけの気がしてきました。
>矛盾しているようで すが、全知であれば知らない経験すら知っているのではないでしょうか?
矛盾その ものでしょう。
できないことでもできるというのも矛盾。
お褒めいただきありがとうございます.こう正面から誉められるとくすぐっ たいものがあります.私のは管理人さんのメッセージを読ませてもらいその姿勢を参考にして いるのにすぎませんので.
>「かくりさんは、大人だなあ」と感じ入ることしばし ばですが、実はとってもお若いのですか?
私の年齢はNATROMさん(管理人さ んですね)よりほんのちょっぴり上だったりします.社会人として見た場合若いのか中堅なの か非常にあいまいな年齢かも知れません.
でも気持ちはいつも25でいたいかなあとか 思ったりしているのですが.
周由基さんへ
>神話関係でしたら、 今の日本の教育から考えると「社会科」のカテゴリーだと思います
そうしますと 「創造論」も歴史の授業でなでるのがよいのでしょうか?
>全知
話題は まだ続いているみたいですね.ところで少し前に,
『能』=水棲昆虫の形をあらわした もの,と漢字の語源を書かせていただきましたが,「全能」をその語源から「水棲昆虫全種 類」と捉えた時,「全知全能」は水棲昆虫全種類について何でも知っているというまるで昆虫 博士のような意味に変わるなあ,とふと思いました.
あきさんへ
知識と 能力は別個に分けて考えたほうが良いのかもしれません.ルールを知らなくても(知)スポー ツは出来るものです(能).
ところでいくら何でも出来るとはいっても,
対戦式の スポーツで両チームを同時に勝たせることは出来ませんね(例 阪神 対 巨人.両方同時に 勝つことは不可能).ひょっとして人間はどんどん神様に出来ないことを増やしているのでは ないでしょうか?
>私の書いた「知ら ない」は「現象」ではなく「経験」です
「知らない」と言う知識はあっても理解はない
さらに「知らないという経験」がどういうモノであるか「知らない」
矛盾し ているようですが、全知であれば知らない経験すら知っているのではないでしょうか?
周由基様は体験することと知識とを分けられているようですが、全知であればこれらを
分けることはできないと思います。
>全知であれば、これから自らの行う行動を全 て知っていなければいけない
故に自らの知識のままにしか行動できない
其れは、自 らの意志での行動が全くできないである
これよくわかりません。
意志は知識 を元にして作られるのではないでしょうか?知識のままに行動することが
なぜ意志がな いことになるのか、論理が飛躍しているような気がします。
もう一つ全知なる存在 は行動する必要があるのでしょうか?その前に全知なる存在の
行動とはなんでしょう か?
お答えになるのが面倒でしたら、いつでもやめてくださって結構です。
答えが出るようなものでもないですから。
有難うございます。 私は、専門学校に通っています。夏休みの宿題でダーウィンの業績について調べる事になった のですが、どんな本で調べればいいのか分からなかったので、質問しました。ぜひ、図書館に 行って調べようとおもいます。本当に有難うございました。NATROMさん!!
かくり様 あまかい 様
「ニュートリノ」に関するご指摘ありがとうございます
科学の仮説に対する自己 修正の実例を挙げてみようとしたつもりで
それ自体間違ってたら意味無いですね(苦 笑)
かくり様
神話関係でしたら、今の日本の教育から考えると
「社会 科」のカテゴリーだと思います
私は学生時代「世界史」の授業で
当時の文化の一端 として、授業中の中休みの話題程度な感じで
教えてもらった記憶があります
t_rPXXX様
陰陽道は中国国内でも多くの流派みたいなモノがあって
細部に関して は異なることも多いので中国と日本では尚更違うと思います
その違いを調べようとする と資料が無尽蔵にでてきて収拾がつかなくなると思いますので
ちょいと勘弁願いたいで す
その代わり豆知識を一つ
旧日本軍のヘルメット、帽子についている星「五紡星」 は
「弾避け」の意味があったそうです
日本の陰陽道は、小説「帝都物語」の記述あ たりから入っていけば面白いと思いますよ
あき様
私の書いた「知らない」は 「現象」ではなく「経験」です
「知らない」と言う知識はあっても理解はない
さら に「知らないという経験」がどういうモノであるか「知らない」
ついでに、全知全能= 無能の証明
全知であれば、これから自らの行う行動を全て知っていなければいけない
故に自らの知識のままにしか行動できない
其れは、自らの意志での行動が全くできな いである
周由基様
全知についての考えは同じです。すなわち未来のことを含めてすべて知っている
と考え ています。
>全知なる存在は「知らない」ということを「知らない」
>故に 「知る」こと「知る」努力をすることが「できない」
そうすると全知なる存在にと って「知らない」という現象のことは知っていても、
「知らない」ということは、おっ しゃるとおりあり得ないでしょう。
しかし、全知なる存在にとって、「知らない」こと や「知る」努力をすることは
できないのではなく、無意味なことではないでしょうか?
はじめからすべてを知るものは、知る努力を必要としないと考えられます。
言葉遊びのようなものですが、いかがでしょうか?
ハレルヤさんへ
レスは必要ないとのことですが、誤解してました。お礼を申し上げます。
かくりさんの姿勢も、 いつも「いいなあ」と思って読ませていただいてます。
「誠実」は、よいことばですね。
「かくりさんは、大人だなあ」と感じ入ることしばしばですが、実はとってもお若 いのですか?
NATROMさん、>私の 経験では、高校生にもなれば教師がおかしなことを言っても、うすうすわかるものです。
とのことですが、「おかしい」と思うのは私たちであって、信仰を持ち、あの高校を 選んだ彼らにとってはあれこそが聞きたかった「理科」の授業ではないのか、と今は考えてい ます。彼らにとっては何よりも信仰が優先するのであれば、科学的方法論が理解できなくても よいのではないでしょうか?それが理解出来なくても医者になれるのであれば、それは医師の 資格を与えた側の責任といえないでしょうか?
キリスト教「いいかげん」派は決し て悪い意味はこめていません。キリスト教、聖書を絶対視する「まじめ派」に対する(あるい は、まじめ派にあびせられる)言葉くらいにとらえて下さい。良識があれば、聖書に繰り返し 出てくる「異教徒など殺されてもかまわない」というフレーズに違和感を覚えずにいられるで しょうか?
キリスト教の教義や聖書にしばられない、自由で主体的な信仰が私のい ういいかげん派です。
佐倉さんのHPに紹介されていた内村鑑三のことばも、自由で主体 的な信仰だと思います。
NATROMさん自らが示す「科学的思考」は、「美しい」とさえ思い ます(自分で書いててちょっち照れますが)。そして、NATROMさんは、クリスチャンではな いということも、結局宗教に関係なく、その道のプロというものは人徳を兼ね備え得る証明だ なあ、と。
だけど、このHP作成や、他の掲示板にかける膨大な時間はすべてボラ ンティアですよね。その時間を研究にまわした方が、NATROMさんのためにはなるんでは、と いうのが前回の質問の意図でした。
>>AD35年くら い。最後の方がいろいろ言われていますが、最も遅く取るとAD200年・・・
>はっ きりしていないのですね。ありがとうございました。
言葉が足りなかったので、 ひょっとして誤解していらっしゃるかもしれません。
新約聖書は、1冊の書物のようで も、内容は、8-9人の別々の著者によって書かれた、27巻の別々の書物から成っています。 この著者たちそれぞれが、違った状況で違った時代に書いたので、27巻中、一番早く書かれ た書物は、AD35年くらい、一番遅いものは、常識で考えるとAD100年くらいになりそ うなものだけど、AD200年と考える人もいる、ということで、上記の要に書いています。 (特別な内容がなければレスは要りません。あきさんが丁寧な方だってよくわかっていますの で。)
> 宗教団体が学校(学 校教育法上の)を作ること、またそれに私学助成がおりることは、憲法上の問題はないのでし ょうか。
学校(学校教育法上の学校のこと。以下同じ。)を設置できるのは、国、 地方公共団体、学校法人に限られていますから、宗教団体が学校を作る場合、学校法人を設立 する必要があります。
私が読む限り、宗教団体による学校法人の設立について、憲法上 の制約はないように思えます。
現実の問題として、日本中の私立学校の多くが、実 質的に宗教団体が設立した学校でしょう。これが憲法違反なら大問題です。
私学助 成について言えば、憲法第89条で、公の支配に属さない教育の事業に対し公金を支出しては ならないと定めています。これを、公の支配に属さない教育の事業=私立学校、と解釈し私学 助成は憲法違反とする学者は少数派だそうです。
実際のところ、学校はいろいろな法律 上の制約を受けていますから、公の支配に属している、と解釈する方が自然に思えます。
また、実質的に宗教団体が設立した私立学校だけ私学助成を禁止するのは、むしろ法の下 の平等に反して憲法違反の臭いがします。
もっとも、私は法学部を卒業して10年 以上になり、あまり自信がありません。手元にあるのは昭和60年度版の六法なんですから、 学校教育法なんかの条文も変わってるかもしれません。ご自分でお調べになることをお勧めし ます。
経緯が間違ってま した(^^;ゞ。以下のように訂正します。
・1980年代後半から太陽ニュートリ ノが理論値の1/2〜1/3であることが知ら
れていた
・飛来するニュート リノの量を精密に測定するためにカミオカンデなどが建
設された
・スー パーカミオカンデでのデータから、ニュートリノには質量があるらし
いことが予 想された(2〜3年前)
・最近、他でも上記のことが確認された
ど うも失礼しましたm<(__)>m。
はじめまして。こ の件、あまり詳しくはないのですが。
->>周由基さま
> かって「ニ ュートリノ」の存在を様々な科学者が仮定し観測実験を行ったが
> そのいずれからも 「ニュートリノ」の発見することができなかった
> 故に現在では「ニュートリノ」は存 在しないとされている
ではなく、「太陽からのニュートリノが、当時の理論で予 想されたものより少
ない量しか検出されなかった」、です。ニュートリノ自体は検出さ れていました。
曖昧な記憶で申し訳ありませんが、以下のような経緯を辿ったと思いま す。詳し
くはス ーパーカミオカンデのサイトでご確認下さい。
・カミオカンデなどのニ ュートリノ検出装置が建設された
(後にスーパーカミオカンデを建設)
・理論的な予測値より太陽ニュートリノが少ないことが判る
・スーパーカミ オカンデでのデータから、ニュートリノには質量があるらし
いことが予想された (2〜3年前)
・最近、他でも上記のことが確認された
ニュートリノに 質量があれば、太陽から地球に達するまでに、物質との相互作
用により多くが消滅し、 地球で検出される量まで減少します。上の観測結果はそ
の仮説の重要な証拠と目されて います。googleなどで「カミオカンデ」で検索す
るともっと詳しいことが判ると思いま す。
>NATROMさんへ 投 稿者:あき 投稿日: 7月28日(土)23時18分10秒
>Yahoo掲示板 生物カテ にて進化の仮説についての質問がありました。そのまま放置
>しようと思っていました が、mitsugu21氏が例のごとくのレスを付けておりましたので
>捨ててはおけず、質問 者にこのサイトを教えてあげたいと考えています。
>リンクを張ってよろしいでしょう か?
ぜひリンクを張ってください。無断でバンバン張ってくださってか まいません。mitsugu21氏にも困ったものですね。
>キリスト教いいか げん派 投稿者:ねこ 投稿日: 7月28日(土)17時40分04秒
>あの学校の生徒た ちが教師の言うことを疑う日はまず来ないでしょう。
どうなんでしょう、私はもっ と楽観的に考えています。私の経験では、高校生にもなれば教師がおかしなことを言ってもう すうすわかるものです。教師の言うことを真に受ける生徒もいますが、みんながみんな真に受 けるわけでもないと思います。意外と、「またあの先生のトンデモ話が始まったよ」などと思 われているのかもしれません。希望的な観測ですが。生徒、あるいは元生徒さんのどなたかが ここを読んでいれば、情報をください。
>創造論を支持するのは、「一部 の」宗派だけではないか、とのご意見もありますが、私にはそうは思えません。
進 化論を許容するクリスチャンもいますが、彼らがキリスト教いいかげん派であるとは思えませ ん。聖書の解釈の仕方が異なるだけであろうと思います。最近、 進化をめぐる科学と信仰 という本を読みました。著者は本職が経済学者であるクリスチ ャンです。著者は地球の年齢も、進化も、自然選択も否定していません。これらがキリスト教 と矛盾することはないことを論じています。
私がこの本を評価するのは、著者が進 化を否定していないことではなく、著者が進化について正しい理解をしようと努力しているこ とです。事実、俗な進化論本よりも進化について正しい記述がなされています。進化について いいかげんな理解しかしていないのに科学的にも進化論は間違いだとか言う人たちと比べて、 この著者の信仰がいいかげんであるとは思えません。参考文献に入れよう入れようと思いつつ 更新をサボっていました。そのうち更新します。読む価値がある本だと思います。特に、創造 科学がデタラメなのはなんとなくわかるけれども、創世記についてどう考えればよいか迷って いるクリスチャンの方にお勧めします。
他にもネット上で進化を否定しないキリス ト教のあり方について、内村鑑三の言葉を紹介していたサイトがあったのですが、見つけるこ とができません。見つかったらまたリンクします。
>論点のずれた、時には 罵倒してくる相手に対してさえも、非常に丁寧に返答していらっしゃいます。そこまでするの は、なぜですか?
かくりさんも仰っていますが、ロムしている人を意識しているか らです。罵倒合戦も楽しいものですが、どちらの陣営が正しいかどうか迷っている人からは 「どっちもどっち」と思われてしまいます。「論点のずれた、時には罵倒してくる相手」が理 解することはほとんど望めませんが、迷っているロムが理解してくれることはあるでしょう。 それから、いつもいつも誠実というわけでもないのです。相手によっては一見丁寧で実は皮肉 のきいたレスを返すこともあります。
>進化論を否定して、医学部を卒業で きるのでしょうか?
できます。よく考えれば、進化論否定の医者ぐらいはかわいい ものかもしれません。患者の健康と直結するもっとトンデモな考えの医者もいるくらいですか ら。
>現在の臨床の現場で は科学的な思考ができなくても致命的な欠陥にはなりえません。知識や技術や思いやりの心の 方がずっと大事です。
これ関連で思い出したのが、NATROMさんもしばしば引用す る佐倉さんの次のような主張です。
ちょっと長くなりますが、引用します。
> いま、もし選ばなければならないとすれば、人徳はあっても知識や技術のない医者よりも、人 徳がなくても知識や技術の確かな医者に、わたしは危険な手術を依頼することでしょう。しか し、このことをもっと突き詰めて考えてみれば、知識や技術の確かでない医者にそもそも人徳 があるかどうか、疑わしく思われます。人の命を預かる医者に知識や技術が不足しているのは、 患者の命を真剣に思っていないことの証拠とも考えられるからです。同様に、確かな知識では なく、根拠のないあやしげな信念をなんの羞恥心もなく真理だと他人に言い触らす人々にも、 そもそも人徳があるかどうか、疑わしく思われます。十分な知識と技術を得るための真剣な努 力をしない医者のように、他人の人生をあまりにも軽視しているとも考えられるからです。
>
>危険な森の中で迷っている人に、確かな知識もないくせに、信仰(思い込み)だ けで、道を軽々しく教えてやることのできる親切者には、つくづくなりたくないものだと思い ます。
引用もとのURLは下記の通りです。
この一番下の方に書かれています が、できれば全部を読んでほしい。
安部清明とかのやつですか?あの、「陰陽五行説」とか使うアレですかね?
でもなあ、日本の陰陽道って、中国オリジナルの奴とかとはちっと違うような・・?
教えて!!周由基様!
おはようございます.
「創造論」
これは神話や民族伝承の カテゴリーに入ると私は考えています.ですからなんで「創造論」だけ神話や民族伝承の中か ら教えなきゃならないのだ,という視点が授業で教えろと言っている方々にはかけていると思 われます.ですから一般的な学校では大多数の一つとして神話等を教える時間(ってなんの授 業でしょう)に語るのが妥当なのでしょう.
「ニュートリノ」
存在は確認さ れていると思われます.超新星爆発の際,ニュートリノが放出されるしそれを観測できたとか いう記事を読んだ記憶があります.たしか今まで言われていたのは『ニュートリノには質量が ない』じゃあないでしょうか?しかしながらこれも『ニュートリノには質量がある』に変わっ てきているようです(徐々に質量がある証拠が集まってきているようです.新聞を読んで得た 情報なのであやふやなのですが).
「陰陽道」
陰,陽ときていますから元々 は中国の陰陽思想=道教の流れを踏む思想なのでしょうね?あまり皆さんそっち方面の話しは なされないので(キリスト教は多い,仏教は少し,神道なし,陰陽道なし)話題のなかで「そ ういえば・・・・」という形でででも書いていただければよろしいかと思います.皆の知見も 広がりますし.
私も「創造論」は学 校の「科学」として教えてはいけないと思います
歴史の「文化」に属するんじゃないで しょうか
正直な話、「神の世界創造が事実」と前提されるのはよくないと思っています
かって「ニュートリノ」の存在を様々な科学者が仮定し観測実験を行ったが
そのい ずれからも「ニュートリノ」の発見することができなかった
故に現在では「ニュートリ ノ」は存在しないとされている
科学は、まず「仮説」をたて、それを「立証」する行程 が不可欠です
多くの創造論では「世界創造」を「仮説」ではなく「事実」として扱って います
それ故、創造論を一般の「科学」として教えるのはよくないでしょう
あき様
私は、「全知」とは「過去」「現在」「未来」の「時間」にとらわれることなく
「全ての事象を知っていること」だと考えています
(それ自体はあり得ないことだ とは思いますが)
一般的な考えか分かりませんが、
私は、神仏の類は「時間」にと らわれることがないと考えが一般的だと思っていますので
この場合、「全知」の時間概 念は無いと思います
かくり様
私、陰陽道とかそんなに詳しくないです(泣)
原典とか、ほとんどうろ覚えで、しかも知識がごっちゃになっているので
(仏教と 陰陽道と神道と気功が私の頭の中で未整理のまま一緒くたに保存されています)
しかも その知識が相互補完していますのでオリジナルの陰陽道とは違うと思いますが
それでも よければ書かせていただきます
Yahoo掲示板 生物 カテにて進化の仮説についての質問がありました。そのまま放置
しようと思っていまし たが、mitsugu21氏が例のごとくのレスを付けておりましたので
捨ててはおけず、質問 者にこのサイトを教えてあげたいと考えています。
リンクを張ってよろしいでしょう か?
こんな感じ発言です
>>遺伝的浮動とか中立説とか詳しいかたは教えて いただけないでしょうか
>*無駄な勉強はしないほうがいいです。上記の勉強して も何の役にもたちません。
何故なら、DNAが「生命体」をつくっているわけではない からです。
>*誰が設計図をかいたのか?この設計図を読み、利用しているのはだ れか?ということを
かんがえることが大切です。
宗教団体が学校(学校教育法 上の)を作ること、またそれに私学助成がおりることは、憲法上の問題はないのでしょうか。
宗教団体一般でも問題があると思いますが、特に宗教団体の教えが公に定められた教育 内容(進化論を含む)と矛盾する場合。
横レスでもうしわけございません.
さんについては非常に誠実な 返答をなされておりますので,いつも読ませてもらってよいなあと思う次第です.
これ はどういうことかというと,第3者から見てNATROMさんのようなやり取りがなされている掲 示板だと繰り返し入りたいなあ,と第3者は思うということなのでしょう.またそういった誠 実な対応をなされている方のHPにも見に行きたくなりますよね?
私は当然ながら 本人ではありませんので,NATROMさんがどういった意図で(あるいは思いで)いつも誠実な 応対をなされているのはわかりませんが,当事者でないROMをしているだけの人間から見た 場合,読み易く好感を抱ける書き方だとは想像出来ます.インターネット上の掲示板の存在を 考えた場合,不特定多数の人間が同時に見ることが出来るスペースという特徴を忘れてはなら ないと思います.この掲示板の特徴から,NATROMさんのような書きこみは人に読んでもらえ 好感を抱いてもらえる物だと思われます.
ということで人に読んでもらうためには誠実 な書き方が一番よいのではと思います.なかなか心がけても出来ることではないのですが.
また別の方法でウィットに富んだ思わずクスっと笑ってしまうような内容をち りばめながら自分の主張を書く方法があります.RYU_TI_SYUさんやノリリンさんがお得意 (ノリリンさんは少し毒もあるけど)ですね.この手法もお勧めなのですが,個人のスキルが 要りそうです.
私の意見はなんではわからないけど,そういった手法で書かれてい る書きこみは好感がもてて良いですよになっていますね.ねこさんのご質問の趣旨からは完全 に外れていると思いますが.
なおNATROMさんにはひょっとしたら失礼なことを書いてい るのかもしれません.あくまで第3者からみたNATROMさんの書きこみについての感想という ことで.
進化論を否定して、 医学部を卒業できるのでしょうか?
NATROMさん
>生徒たちが教師の言うことを疑えることを祈っています。
彼らの親も同じ信 仰をもっているようだし、「理科」の時間だけでなく、おそらく学校の全ての教科を通して、 クリスチャン教育をしているような書き方をしてあったので、あの学校の生徒たちが教師の言 うことを疑う日はまず来ないでしょう。地蔵を蹴っ飛ばして歩く(!)、器物損壊さえわから ない生徒が「科学的方法論」など、理解できるわけがないです。
創造論を支持する のは、「一部の」宗派だけではないか、とのご意見もありますが、私にはそうは思えません。 どの宗派であっても、「まじめに」信仰しようとすると(まじめに聖書を読み、教会に通 い・・)、最後には創造論者になるか、クリスチャンをやめるか、キリスト教いいかげん派に なるしかないと考えます(それほど、キリスト教は過激な宗教だと思う)。NATROMさんたち は、慎重に言葉を選んで決して宗教論議にはもっていかないように気をつけてらっしゃるよう ですが。
まあ、どの宗教も「まじめ」にやりすぎると、社会常識や法を超えること も辞さなくなると思いますが。
ところで、NATROMさんの他の掲示板でのやりとり を拝見すると、論点のずれた、時には罵倒してくる相手に対してさえも、非常に丁寧に返答し ていらっしゃいます。そこまでするのは、なぜですか?
1.科学者としての使命感か ら。
2.疑似科学の被害にあったことがあるから。
3.実はパソコンの横の壁 はぼこぼこ。
私立の高等 学校での理科の時間における創造科学教育が違法か否かについては私は判断を保留しています が、仮に違法だったとしても国家権力によって創造科学教育を強制的に止めさせるのはまずい なあと思います。かといって、違法でないからといって創造科学教育を認めて良いかといえば、 そうでもありませんし、どうすれば良いのか私にはわかりません。生徒たちが教師の言うこと を疑えることを祈っています。
>また、NATROMさんは、サンイク先生に生物を習 った卒業生の医者としての素養についても
>言及されていましたが、あのロム(300 0件以上!)の討議からだけで判断すると、教え子は
>「ろくな医者にならないだろう なあ」と私も感想をもちました。が、かつて私が入院した病院の中で、
>もっとも医者、 看護婦(士)の質も高く、先進的医療だと感銘をうけたのは、なんとサンイク先生たち
>の宗派が運営する病院(海外)でした。
>これをどう考えて良いのやら。
現在の臨床の現場では科学的な思考ができなくても致命的な欠陥にはなりえません。知識や技 術や思いやりの心の方がずっと大事です。もちろん科学的思考能力があるにこしたことはあり ませんが。(#)
また、かの宗派の病院の医療従事者がすべて創造科学を支持して いるわけでもないと思います。科学と宗教の区別をつけられるのであれば、医療従事者が創造 論者であるかどうかはたいした問題ではないと思います(ある医者が仏教徒であるかどうかは、 医師としての能力を考える上でたいした問題ではないのと同様に)。必要なときには(例えば 病気を診断するときには)科学的な方法を使うけれども、信仰の問題を考えるときには(例え ば創世記の一日がどれくらいの時間をあらわすかを考えるときには)科学的な方法を使わない ことは可能です。問題は、科学的な方法を使うためには科学的な方法を知っておかないといけ ないことです。理科の時間に創造科学を教えてしまうと、生徒は科学的な方法につ いて理解しそこねてしまうかもしれません。
#ただし、これは現在の臨 床の話であって、今後の臨床ではどうなるかわかりません。特に、ゲノム関係の最 近のトピックスは若い地球の創造論と矛盾します。
ご意見、ご要望がございましたら、掲示板か、 e-mail:natrom@yahoo.co.jpへどうぞ。