>「実際に自然選択説を反証できる」という主張は現在では現実的ではなく大した意味もありません。
>特にJA50さんのもののような論理のおかしいものは。
>でもそんなことはクリスさんも重々承知の上でしょう。そのうえで
>「原理的には反証可能性があるから自然選択説は科学的仮説である」といっておられます。
意味が理解できない、、、
論理の筋もですが、「実際に自然選択説は反証できる」という主張が現在では現実的で
ないとはどういう意味なんでしょう?
また、原理的に反証可能かどうかを私は指摘しているのですが、、、
クリスさんのやり方では原理的に反証不能ではないのかと。
>「ほとんど0と言える」のは、有効個体数Neが十分大きいときです。Neが一時的に小さくなる
>ボトルネック現象や、絶滅危惧種でNeがわずかになってしまった種などでは現実的な値になります。
>つまり無視できない問題になるということですが。
これはほぼその通りでしょう。
少し条件をつけたいところですが、言われることはほぼその通りだと思います。
「ほぼ中立である」という数学的な定義が「Nesの絶対値が1以下」ということで、こ
れは木村の「分子進化の中立説」に書かれています(私の記憶違いでないことは確認し
ました)。これを言い抜けられないよう私は「中立と見なし得る程度」のような言葉を
そこかしこにちりばめておいたのですが(投稿日:07月10日(月)09時43分31秒)。
なおボトルネック現象でアメリカ先住民の中にある血液型が極端に多いとかいうのがあ
るそうですが、これは血液型という変異(正確には多型と言うんでしょうが)の幅がボ
トルネック現象で小さくなったということで、非適応的な形質が固定されたとかいうの
とは異なると思います。
少子化問題は、非適応的な形質も自然選択で進化し得る(固定されうる)というクリス
さんの主張が正しければ、反証にもなにもなり得ません。
これは既に何度も指摘されたし、私もそうだと言っています。
「非適応的な形質も自然選択で進化しえるかどうか」という問題はどこに行ったもなに
も、「少子化現象が自然選択説の反証になり得るかどうか」という問題そのものだと思
うのですが、、、
>「詳しく言うと、Nesの絶対値が1を越さぬ程度でないと」ってのは逆にいえば、
>Nesの絶対値が1を越す値なら「ほとんど0ではなくなる」「無視できなくなる」ってことでしょ。
>そういう前提条件の無視は石原都知事叩きみたいですなあ。
あきれてものも言えない。
日本語の解説までしないといけないのか、、、
へちさん、解説してあげたらどうでしょう?
ただ引用するんじゃなく(これでは理解できないようだ)、もっと分かりやすく。
それとも、まさかとは思いますが、へちさんもクリスさんと同じように考えているので
すか?
なお、へちさんをお仲間と呼んだのは、直接名指しせず誰かを曖昧にしてこそこそと皮
肉を言うのが舞さんや安賀須さんなどとよく似ていたからです。
それと敵だとか私は少しも言っていませんよ。誰にも。
>現実にそういう例が見つからないという意味なら、それこそがまさに自然選択説の科学理論としての信用性の
>高さを意味します。
現実にそういう例を見つけることが原理的に不可能だと言っているのです。
>まあ、その可能性が皆無ではないことは理の当然ですが、今までのように「明らかな証拠」を
>提示されても理解できないような方のためにわざわざ本を引用するのも空しい。。。
明らかな証拠というのは、たぶん血液型とか指紋のことなんでしょうが、それは証拠で
も何でもないんですよ。
これについては中立説の決着がついてやろうと思ってます。
安賀須さんのビタミンCのこともそうだけど、なんでこれが証拠だと考えるのか私はそ
の方が不思議でならない。
>これすごく意味があるんだそうですよ。量子力学では。
量子力学ですか、、、
クリスさんは量子力学が分かっているのですか?
その意味が。
量子力学の正確な理解には数学的知識が不可欠だと私は思います。
私は、その能力に全く欠けており、通り一遍の理解でお茶を濁しています。
「量子力学では」とおっしゃるクリスさんに一つお聞きしますが、私の熱のアナロジー
が量子力学のどこに関連があるのでしょう?
解説していただけますか?
と、聞いても、また逃げるだけなんでしょうけど。
自分で勉強しろとかなんとか言って、、、
丁寧なお返事をありがとうございました。
以前あなた様はご自分が「日本キリスト教団」の信徒だとお書きになっていたと記憶しますが、
これは「日本基督教団」のことでしょうか。私も「日本基督教団(以下・教団)」の信徒です。
もし違っていましたら以下は全て読み飛ばして頂いて結構です。
教派を問わず、私共キリスト者にとって、信仰を持っているということは、
即ち必ずどこかの教会に籍を置く陪餐会員であることを意味します。
そのためには洗礼を受けていることと、その教会が定めている信仰告白を
自分の信仰告白として告白することが必須です。
つまり、信じているからこそ洗礼を受けたのであり、
また、洗礼を受けたからには常にその通りに信じていなければならないのです。
さて、「教団」の信仰告白には次のように記されています。
「旧新約聖書は、神の霊感によりて成り、キリストを証し、福音の真理を示し、
教会の拠るべき唯一の聖典なり。されば聖書は聖霊によりて、神につき、救いにつきて、
全き知識を我らに与ふる神の言葉にして、信仰と生活との誤りなき規範なり。」
勿論、「神の言葉」と言いましても、それが人間の言葉で書き記された時点で、
既にそれは神の言葉「そのもの」ではなく、これを書き記した人の語彙に依存することは
免れません。
また、それが多くの人手を経て書き記された以上、記述が首尾一貫しないのも当然です。
しかし、あなた様の仰るように、聖書を「神はこう語られたと信じた人によって書かれた
神の言葉の証言集」だと捉えてしまうと、これを書き記した人々の主体性がより強調され、
これを成らしめた「神の霊感」が等閑になってしまうのではないかと危惧するものです。
また、既にご存知かもしれませんが、「教団」の中の一部の教区で、正にあなた様の仰るような
「ダイナミックに現実の社会の中で、かつてガリラヤの地でイエスが差別され、抑圧され、
収奪されつづけた人々と共に生きられたことを常に思う」視点を宣教方針として掲げたところが
あります。
しかしこの視点は、今から二千年前のどこかの田舎町に生きたイエスなる人物をヒーローとして
担ぎ上げているだけで、信仰を極めて個人的かつ心情的なものに矮小化しようとするものです。
「創造」から「終末」にいたる「歴史」の中で、また、「キリスト」を頭とする肢体としての
「全体教会」の中で、自己と神との関わりを捉えようとする視点が欠如しており、
正にキリスト教二千年の歴史に逆行するものと言わざるをえません。
勿論、あなた様個人の「聖書の読み方」批判するつもりはありません。
しかし、教区の宣教方針として掲げるにはあまりにお粗末なものだと思います。
この掲示板の話題から逸れてしまったことをお詫びします。
JA50さん「私は日本の少子化現象が自然選択説の反証になると考えるのだが、皆さんの意見を聞かせて欲しい」
反論「少子化現象は避妊や堕胎という不自然な行為(人為)の影響が大きいので、自然選択説で扱うことは無理であろう」
本当は、もうこれで終わりのはずです。人為が絡んできた時点で自然淘汰ではなくなるのは理の当然なんですから。
ここから奇妙な脱線が始まる。
「人の集団行動は、すべて自然選択説で説明できなければ動物生態学(行動学でしたか?)の存在価値はない」とか
「人の行動はすべて遺伝子の影響下にある」とか。
そういうことを言うのはまあ「個人の勝手」ではありますが、最初の議論からは脱線してしまっている。
これが私なりのまとめになります。追加すべきことがあれば各人にお願いしますが、
大筋ではこれで間違いないと考えています。
遅くなりましたが、ここで日本の少子化問題を取り上げて下さったことに敬意を表します。
それも社会問題としてではなく、動物行動学,自然淘汰、(少子化)遺伝子など自然科学的な
切り口で問題提起したところが素晴らしいと思います。
賛否両論ありますが、全体をうまく説明する説は出来ていないようです。
私は(おそらく皆さんも)頭の体操と思っていますので、続けるなら焦点をはっきりさせ
あまり向きにならずゆっくりやりましょう。
JA50さんをJA10と書いたのは40点減点したのではなく、私の名前(素人103)のためです。
>いずれにしても、珊瑚礁問題は初期発言者によって撤回されるか、少
>なくとも、もうこの掲示板で議論されることはありません。伊藤さん
>の判断を感謝します。
某掲示板に、H氏のこんな書き込みがありました。
これってH氏の「敗北宣言」のように読めるんですけど...
それにしても、I氏とH氏の「出来レース」というか、「猿芝居」というべきか、
ちょっと目にあまります。
こっちに書くんですが、「科学と信仰について」
この世の複雑にして多様な諸々のモノが、いくつかの(或いはただ一つの)
<法則>に還元されてしまう事が「虚無的」であるかどうかと言うところが
まずひっかかります。
非常に単純な法則、コレは言いようによっては無味乾燥であったりエレガントで
あったりと、どうとも言えるんですが、そういうものが非常に多く連鎖していくと
思いもよらぬ構造を示す、(例えて言うとフラクタルの図形など)、そういうのって
非常に美的ではないかいな、と思うのです。
生命や知性体が「信じられないような偶然」によって生まれたのではなく
ごくありふれた物理的条件からほとんど必然的に生まれたのだとしても、
いや、ならばこそ、そのプロセスは驚異に満ちているといえるし、また
<私>が、素粒子〜場の励起に還元されるとしても、なおさら、その総体たる
<私>がこのような存在〜ふるまいをするという事は、尊く美しいと思えるのです。
神秘主義は気休めにはなるかもしれませんが、それ以上ではなく、
想像力の墓場ではないか?と、そうも思うのです。
>クリスさんはNesってなんですかという体たらくですので、代わりにへちさんに相手し
>てもらいましょうか?
>クリスさんのお仲間みたいですし、いいですか?
私の目的は科学的真実を明らかにすることです。
そのために、私は合理的、あるいは正しいと思ったことだけを発言しているつもりです。
私の発言を敵か味方かといった個人的価値観で判断されて欲しくはありません。
>固定確率が2sでsがマイナスの時どうなるかなんて、皮肉以外の何ものでないです。
>クリスさんがどう答えるか、ただそれだけの話。
ということは、私やNATROMさんの発言は「非適応的な変異が固定されるかどうか」という命題を解決するためのものではなく、単に喧嘩の片棒を担がされたということですね。
科学的真実を追究したいのであればそれに協力することはあるでしょうが、喧嘩の相手をする気はさらさらありません。
敵だと思うのならご自由に。
>クリスさんはNesってなんですかという体たらくですので、代わりにへちさんに相手し
>てもらいましょうか?
>クリスさんのお仲間みたいですし、いいですか?
私の目的は科学的真実を明らかにすることです。
そのために、私は合理的、あるいは正しいと思ったことだけを発言しているつもりです。
私の発言を敵か味方かといった個人的価値観で判断されて欲しくはありません。
>固定確率が2sでsがマイナスの時どうなるかなんて、皮肉以外の何ものでないです。
>クリスさんがどう答えるか、ただそれだけの話。
ということは、私やNATROMさんの発言は「非適応的な変異が固定されるかどうか」という命題を解決するためのものではなく、単に喧嘩の片棒を担がされたということですね。
科学的真実を追究したいのであればそれに協力することはあるでしょうが、喧嘩の相手をする気はさらさらありません。
敵だと思うのならご自由に。
>クリスさんはNesってなんですかという体たらくですので、代わりにへちさんに相手し
>てもらいましょうか?
>クリスさんのお仲間みたいですし、いいですか?
私の目的は科学的真実を明らかにすることです。
そのために、私は合理的、あるいは正しいと思ったことだけを発言しているつもりです。
私の発言を敵か味方かといった個人的価値観で判断されて欲しくはありません。
>固定確率が2sでsがマイナスの時どうなるかなんて、皮肉以外の何ものでないです。
>クリスさんがどう答えるか、ただそれだけの話。
ということは、私の発言は「非適応的な変異が固定されるかどうか」という命題を解決するためのものではなく、単に喧嘩の片棒を担がされたということですね。
科学的真実を追究したいのであればそれに協力することはあるでしょうが、喧嘩の相手をする気はさらさらありません。
敵だと思うのならご自由に。
>いくら聖書を主観的に読めば良いといっても、例えば「三位一体」や「復活」を否定すれば、
>それはキリスト者である以上、間違った聖書の読み方であると言えます。
>何故ならば、そういう読み方は「使徒信条」から逸脱するからです。
>つまるところ、我々キリスト者にとって聖書の読み方は、自分の所属する教会の教派的伝統や、
>その教会で採用している信仰告白によって制約されるものであり、
>読み手の主観がこれらに優先することはありえないと思うのです
「三位一体」はキリスト教がローマ帝国の国教となる過程で成立した教義で、必ずしも新約
聖書にさかのぼるものではありません。かえって、中東に点在するシリア正教やエジプトのコ
プト教、エチオピアのエチオピア正教など原始キリスト教に近いと考えられる宗教集団がかえ
って「三位一体論」を採用せず、「キリスト単性論」を主張していることからも、発生当初の
キリスト教が「三位一体論」のような高度に神学的な教理を有していたと考えることには無理
があります。
もともと、ローマの国教とされる以前のキリスト教はさまざまなキリスト論が入り乱れてい
たようで、そのなかで「三位一体」のキリスト論が宗派闘争に勝利したにすぎず、それがキリ
スト論的に正しいかどうかはまた別の問題です。私個人の見解としては、「三位一体論」には
教理的には無理な点があり、すくなくともイエスがそう考えていたとは思えません。
聖書の読み方について言えば、教会がどのように聖書を理解しているかなどということを気
にする必要などまったくないと思います。私にとって聖書を読むことは神との個人的な対話で
あり、イエスの語りかけを聞くことに他なりません。具体的な状況の中で聖書を読むとき、聖
書はその歴史的な制約や神話的で古代的な歴史観や世界観、記述の誤りをもつらぬいて、私た
ちの心に神の言葉となって語りかけられるのだと思います。キリスト教信仰を「教理」や「信
条」や「信仰告白」に切り縮め、矮小化するのではなく、そうしたものを突破したところで、
もっとダイナミックに現実の社会の中で、かつてガリラヤの地でイエスが差別され、抑圧され、
収奪されつづけた人々と共に生きられたことを常に思いながら、私はイエスを証ししていきた
いと思います。
はっきり言えば、私はイエスが「キリスト」でなくてもかまわないし、「処女マリアから生
まれなく」てもいいし、三日目に「復活」していなくても、全然かまいません。私にとってし
たがうべきは「ガリラヤに生きたひとりの人間としてのイエス」であり、そのイエスが「神の
子イエス・キリスト」である必要は必ずしもないからです。
すこしご質問からははずれたかもしれませんが、こんなものでよろしいでしょうか。
詳しい方には今更な解説とは思いますが、適応という概念について投稿します。
「適応」(adaptation)という概念は
ある生物の生存や繁殖の成功に寄与するような有利な性質が
自然淘汰によって集団内に固定されること(変化)
あるいはそのような過程で固定された性質のことを指すことが通常のようです。
例えば「霊長類における両眼視は樹上生活への適応である」という文章ですと
両眼視によって目標までの距離が正確に見積もれることが生存上有利なので
自然淘汰によって集団内に広まり固定したということを含意しているわけです。
ただし、生存上に有利/不利というのはその生物の置かれている環境に依存しますので
例えば氷河期のようなある気候に対する適応で集団内に広まった性質が
気候の変化によって生存上とりたてて有利でなくなることはあるわけです。
逆に、ある環境である理由(生存上に有利さ)で適応により広まって固定した性質が、
別の環境において別の理由で生存上有利だということもあるわけです。
このような性質は後者の環境に対する適応として集団内に広まったわけではないので
S.グールドらはこのような現象や自然選択を受けたときと異なる機能を果たしている性質に対して
イグザプテーション(exaptation;定訳はないようです)と呼ぶことを提案しています。
例えば、鳥類の羽毛は保温のためにうろこから発達してきたと考えられていますが
鳥類の空中生活への進出によって、その飛翔に役立っているというのが典型的なケースです。
いわば、ある性質(機能)の転用により生存上有利になっているわけです。
類似の概念(前適応など)は以前からありましたが、グールドがこのような整理を行った背景には
生物の性質を全て適応の観点から説明しようとする適応主義のプログラム(研究戦略)に対する批判があります。
>JA50さん以外の人達の間ではとっくに結論が出ています。
>この議論はディベートとしては既に終わってるはずなんです。
私も基本的には同意見です。しかしながらJA50さんにとっては
結論が出ていないようなので、もう一度論旨をすっきりさせ、
さらに新たな仮説および証拠があればこれを提示していただきたい
と思っています。
JA50さん>
> 現実的でなかったら、ナンセンスということになりますね。
> 科学の仮説として、無意味と。
「実際に自然選択説を反証できる」という主張は現在では現実的ではなく大した意味もありません。
特にJA50さんのもののような論理のおかしいものは。
でもそんなことはクリスさんも重々承知の上でしょう。そのうえで
「原理的には反証可能性があるから自然選択説は科学的仮説である」といっておられます。
> さらにある突然変異についてさえ固定されるかどうか「ほとんど0と言えるような値
> となる」のに、形質の進化においてその固定確率は現実的に有意な値なのか、どうで
> すか?
「ほとんど0と言える」のは、有効個体数Neが十分大きいときです。Neが一時的に小さくなる
ボトルネック現象や、絶滅危惧種でNeがわずかになってしまった種などでは現実的な値になります。
つまり無視できない問題になるということですが。
なお、血液型のような感染症に密接に関わる形質は、広がれば広がるほど不利になり、
たった1種類の表現型を種の個体すべてが持っていれば最悪になります。
>で、へちさんにお聞きしますが、先にあげた「(Nesの絶対値が1を越さぬ程度でないと)、
>固定確率は極めて小さな、実際上はほとんど0と言えるような値となる」という意味を、どう考えますか?
>分子進化においてさえ、有害な突然変異が固定されるとするのは現実的なのかどうかです。
「有害度もわずかでないと」というのは「有害度がわずかであれば」現実的意味があるってことでしょう。
>さらにある突然変異についてさえ固定されるかどうか「ほとんど0と言えるような値となる」
>のに、形質の進化においてその固定確率は現実的に有意な値なのか、どうですか?
こういう理論の組み立てかたってのは「わざと」なんですかねえ。
「詳しく言うと、Nesの絶対値が1を越さぬ程度でないと」ってのは逆にいえば、
Nesの絶対値が1を越す値なら「ほとんど0ではなくなる」「無視できなくなる」ってことでしょ。
そういう前提条件の無視は石原都知事叩きみたいですなあ。
>また、生存に不利な有害突然変異(s<0)に対する固定確率もこの式から求められる。
なんだ。書いてないっていってた人もいましたが、書いてあるんじゃないですか。
じゃ、もう終わりでいいですよね?
>しかも有害度もわずかでないと(詳しく言うと、Nesの絶対値が1を越さぬ程度でないと)、
>固定確率はきわめて小さな、実際上はほとんどゼロといえるような値となる。
「有害度もわずかでないと」というのは「中立とみなし得る程度の弱い非適応的な突然変異」と同義なんですか?
どうも自分の都合の悪いところは省略して、自分勝手な言葉に置き換えてない?JA50さん。
>少子化現象が自然淘汰の反証であるという議論はどこに行ったのでしょうか。
JA50さん以外の人達の間ではとっくに結論が出ています。
この議論はディベートとしては既に終わってるはずなんです。
それを認めたくないのか、理解できないのか、興奮しても仕方ないのに。。。
集団の実際の大きさをN,「有効な大きさ」をNeとし、集団中に出現した突然変異遺伝子A'が
既存の野生型遺伝子Aに対しヘテロ接合の状態(AA')でs,ホモ接合の状態(A'A')で2sだけ、野
生型ホモ接合体(AA)に比べ自然淘汰に有利だとする。これは第五章で述べた遺伝子陶太の場
合に相当する(sはA'の有利さを表す陶太係数)。初め集団中にA'が一個だけ存在する(ある一
つの個体にヘテロの状態で含まれる)と仮定すると、この突然変異遺伝子が究極的に集団全体
に広がり固定する確率は
u=(1-e^(-2Nes/N))/(1-e ^(-4Nes))
eは自然対数の底
によって与えられる。この式でs→0とした極限ではu=1/(2N)が得られ、一方、自然淘汰にはっきり有利な突然変異で0<s<<1,4Nes>>1を満たす場合には、近似的にu=2sNe/Nとなる。
したがって、もしNe=Nであれば、u=2s,すなわち第二章で述べたJ.B.S.ホールデーンの結果が得られる。また、生存に不利な有害突然変異(s<0)に対する固定確率もこの式から求められる。この場合は、集団が小さく、しかも有害度もわずかでないと(詳しく言うと、Nesの絶対値が1を越さぬ程度でないと)、固定確率はきわめて小さな、実際上はほとんどゼロといえるような値となる。
>熱が低いところから高いところに移動するのは、確率上0ではない。
>ほとんど0だが0じゃない。極めて低い確率だがあり得る。
>しかし、熱が低いところから高いところに移動することもあり得るという主張に、現実的に
>意味があるでしょうか?
これすごく意味があるんだそうですよ。量子力学では。
「意味があるでしょうか?」というのは質問形ですが反語であり「いや、そんなことはない」という主張ですよね?
簡単にそんなこと言わない方がいいですよ。
量子の数が幾つ以上になると起こり得ないが、幾つ以下になると日常的に観察できるようになるか。
とか。モルガン数でしたっけ?(違うかな)
少子化現象が自然淘汰の反証であるという議論はどこに行ったのでしょうか。
最近の議論を読んでいますと相手の意見の否定のための議論に終始している
気がします。ご自分の説の論旨を明確にしていただけるでしょうか。
これはJA50さんへの提案ですがもう一度、ご自分の説を簡単にまとめてみられたら
どうでしょうか。私を含めて読んでいるもののためだけでなく、JA50さんも
自説が整理できて良いと思います。
用語の定義の食い違いによる議論も無意味だと思いますので、これらも互いに
統一されたらどうでしょうか。
ツリーのほうにJA50さんの質問にお答えしましたが、お名前を間違えました。すみません。
ここでもう一度お答え致します。
動物のつがい行動を抑制する環境は「繁殖場所以外の場所」です。
それ以外にも繁殖期以外の期間、餌場がない場所も入れてよいと思います。
> >同様に、自然選択説の反証をするなら、自然選択説から導かれる確率の範囲を越えて、
> >生存競争に不利な形質が広まっている例を示せば良いでしょう。
> こんなことが現実に可能ですかね。
手法としては可能でしょ?
現実にそういう例が見つからないという意味なら、それこそがまさに自然選択説の科学理論としての信用性の高さを意味します。
慣性の法則の反証例なんて思いつくのは簡単です。
じっとしていた物体が何の外力もないのに動き出すことを確認すればいい。
反証不能であると言うことと反証が難しいということの区別がついていないのでは?
>>そもそも何を対象にするのかが具体的になってないのだから、その非難はナンセンスです。
>ん?意味が理解できない。
今までの会話の流れから、どうもそうらしいことは見当がつくのですが。。。
「自然選択説から導かれる確率の範囲」というのは幾つかの前提条件(特に優勢形質に対しての適応度の差など)が決まらないと求まらないでしょ?
「ある数に10をかけたものを10倍数という」と言っているときに、その10倍数とは具体的には幾つなんだ?と聞くようなもの。
>まぁ、一定の比率と自分で主張しておきながら、その比率の解説を自分で少しもでき
>ないお人にこういうことを言っても、これもまたナンセンスでしょうが。
ですから、前提となる式や条件なしにそのような「一定の比率」を示すことは私でなくても「だれにも」できませんて。
数式を聞いているのなら、「今手元にないのでちょっと待て」って何度言えばわかるんだろう?
それにしても下のような質問には具体的に答えることは出来るでしょう?
「Nesって何?」
>やっぱしね。
>他人のふんどしで相撲をとるにしても、少しはその内容を知らないと。
こんな態度で自分の質問に「だけは」答えろと言うその身勝手さはいったいどこからくるんですか?
こんなんでまともな議論になると本気で思ってるの?ただのケンカ好きなんですか?
>紹介された本にクリスさんの主張通りのものがなされているかどうか分かったものじゃ
>ないし、そもそもクリスさんがその内容を理解しているのどうかさえアヤシイ。
まあ、その可能性が皆無ではないことは理の当然ですが、今までのように「明らかな証拠」を
提示されても理解できないような方のためにわざわざ本を引用するのも空しい。。。
>文化進化論の考え方はどのように誕生したか?っていう質問の答えになってますか?
そういうにはあのような欠点があるだろうと言うことを指摘しただけなので。
文化進化論が誕生するには長い歴史と知識の積み重ねがあったことでしょう。
それ以上の具体的なことは私にはとても荷が重いのでパスさせてください。
現実的でなかったら、ナンセンスということになりますね。
科学の仮説として、無意味と。
例えばこんなたとえはどうでしょう。アバウトな説明ですが。
熱が低いところから高いところに移動するのは、確率上0ではない。
ほとんど0だが0じゃない。極めて低い確率だがあり得る。
しかし、熱が低いところから高いところに移動することもあり得るという主張に、現実的に
意味があるでしょうか?
現実に可能ですかね、というのはこういう意味です。
>そもそも何を対象にするのかが具体的になってないのだから、その非難はナンセンスです。
ん?
意味が理解できない。
JA50さん>
> >同様に、自然選択説の反証をするなら、自然選択説から導かれる確率の範囲を越えて、
> >生存競争に不利な形質が広まっている例を示せば良いでしょう。
>
> こんなことが現実に可能ですかね。
現実的でなかったらどうだってんです?
> それに、その「自然選択説から導かれる確率の範囲」とは具体的にどれほどかを示さ
> ないと、この主張は全くナンセンスです。
そもそも何を対象にするのかが具体的になってないのだから、その非難はナンセンスです。
舞さん>
> つまり、これら、生存に不利な形質(の遺伝子)は、明らかに
> 現在(西暦2000年時点)、ほぼ一定の頻度で人類という集
> 団の中に固定されていると考えます。
えーと、中立説の用語としての「固定」というのは、頻度が一定であることではなく、
頻度が(対立遺伝子に対して)0から1になることです。
同時に三つ以上の遺伝子が存在する場合も考えると厳密には
それより古い遺伝子が消滅することと定義するのかもしれませんが。
そう言うことなので、他の意味での固定という言葉は使わないほうがよろしいかと。
>同様に、自然選択説の反証をするなら、自然選択説から導かれる確率の範囲を越えて、
>生存競争に不利な形質が広まっている例を示せば良いでしょう。
こんなことが現実に可能ですかね。
それに、その「自然選択説から導かれる確率の範囲」とは具体的にどれほどかを示さ
ないと、この主張は全くナンセンスです。
まぁ、一定の比率と自分で主張しておきながら、その比率の解説を自分で少しもでき
ないお人にこういうことを言っても、これもまたナンセンスでしょうが。
いつもあなた様のご発言には感心しています。
ちょっと質問して宜しいでしょうか。(お返事は急ぎでなくてかまいません。)
いくら聖書を主観的に読めば良いといっても、例えば「三位一体」や「復活」を否定すれば、
それはキリスト者である以上、間違った聖書の読み方であると言えます。
何故ならば、そういう読み方は「使徒信条」から逸脱するからです。
(勿論、キリスト者でない方が聖書を読む場合はその限りではありません。)
つまるところ、我々キリスト者にとって聖書の読み方は、自分の所属する教会の教派的伝統や、
その教会で採用している信仰告白によって制約されるものであり、
読み手の主観がこれらに優先することはありえないと思うのですが、
かおりさんは如何お考えでしょうか。
余談になりますが、「三位一体」という言葉は聖書の中には出てきません。
でも、我々キリスト者が「神」を捉える上での、最も重要なキィ・ワードとなっています。
もし我々の先達が聖書をただ字面通りに読むことしかしていなかったら、
これほど豊かな聖書理解は出来なかったのではないでしょうか。
おお、つっかかってきますねぇ。
クリスさんはNesってなんですかという体たらくですので、代わりにへちさんに相手し
てもらいましょうか?
クリスさんのお仲間みたいですし、いいですか?
固定確率が2sでsがマイナスの時どうなるかなんて、皮肉以外の何ものでないです。
クリスさんがどう答えるか、ただそれだけの話。
結局はへちさんの助け船にすがるしかなかったし、すがってもその内容は少しも理解
してないようだから助け船にもなりゃしない。
ただし、私もそれほど正確に理解しているわけじゃない。あの式は全然分かってない
というわけではありませんが、分かっていると言えるほども知っていません。
で、へちさんにお聞きしますが、先にあげた「(Nesの絶対値が1を越さぬ程度でない
と)、固定確率は極めて小さな、実際上はほとんど0と言えるような値となる」とい
う意味を、どう考えますか?
分子進化においてさえ、有害な突然変異が固定されるとするのは現実的なのかどうか
です。
さらにある突然変異についてさえ固定されるかどうか「ほとんど0と言えるような値
となる」のに、形質の進化においてその固定確率は現実的に有意な値なのか、どうで
すか?
>できればそうして貰えると助かるんですがねえ。。。
>まあ、これは今手元にないので後でまた。
紹介された本にクリスさんの主張通りのものがなされているかどうか分かったものじゃ
ないし、そもそもクリスさんがその内容を理解しているのどうかさえアヤシイ。
まぁ、後でまたとのことですからそれを気長に待つことにしますか。
>以前の2SがどうのNがどうの時もそうですが、いきなりそんな式出されても何の事だかわかりませんて。
>Nesって何?
やっぱしね。
他人のふんどしで相撲をとるにしても、少しはその内容を知らないと。
それにしても、、、
>「一定の比率」とか「ある環境」といった時に、「具体的には何か?」と聞くのはナンセンスです。
ほんと、クリスさんには驚かされることばかりです。
「一定の比率」とか「ある環境」と言っているのに、その具体例が無くてもいいとい
う。
なんと都合のいい。
自然選択説とか中立説などに無知に近いというのは立証されたと言えますかね。
表面を撫でるだけの知識で口を出していると。
創造学校掲示板にて長谷川氏が以下のような発言をしました。かの掲示板は長谷川氏の誤りを
指摘するものは締め出していますので、私は書き込みできません。一つ前の私の書き込みを創
造学校掲示板にどなたか転載していただければ幸いです。
--------------------------------------------------------------------------------
転載ありがとうございます 投稿者:長谷川寿紀 投稿日: 7月17日(月) 9時37分45秒
転載者さん
転載ありがとうございます。ただ、その文なら、既に発言者のHPで読みました。
何の答えにもなっていないと思いました。珊瑚の経年年輪構造があったのかど
うかがポイントなのであって、海藻があったとか軟体動物の化石があったとか
書いていますが、そういうものは単に海底から巻き上げられたものであるかも
しれず反論の決め手でもなんでもありません。残念でした。
--------------------------------------------------------------------------------
>反論の決め手でもなんでもありません
問題のポイントは
長谷川氏wrote
>まさにこのポイントをサポートする記述を英文の元の記録にさかの
>ぼって探してみましたが、サンプルコアが火成岩に突き当たるまで
>サンゴの構造を現わしていた事を言い表わす記述が一行も見つかり
>ませんでした。
と長谷川氏はおっしゃているが、「サンゴの構造を現わしていた事を言い表わす記述」は私が
提示した論文にすでに記載されていたということです。探し方が悪いのと、探し方が悪いこと
に気付かなかったことの二点を長谷川氏の問題点として指摘しました。元の記述には海藻や軟
体動物のほかにまさしくサンゴの構造についての記述があります。
海底から巻き上げられてたというその場しのぎ仮説を立てるのは予想範囲内でしたが、その前
に「サンゴの構造を現わしていた事を言い表わす記述がない」ということは撤回なさってはど
うですか。(ちなみに、長谷川氏のその場しのぎ仮説に対する反論もちゃんと用意しています。)
長谷川氏はヤフーにて「石灰岩が生物由来か非生物由来か区別することは難しくない」とおっ
しゃています。どうやってその区別をするのでしょうか?そもそも非生物由来の石灰岩などと
いうものがあるのでしょうか?ご教示いただければ幸いです。
クリさんありがとう!じゃ、どうすればいいっすかねぇ!教えて下さい!
そもそも社会というものの成り立ち(個人の集合がいつしか有機体となった)についての
視点が欠落しているのでは?
社会進化については、社会人類学者が認識し研究するべき実体であると考えている。有機体の進化と同じように、これは二つの特性によって定義づけることができる。第一は数少ない社会構造の形態から、多くの様々な形態が歴史の流れの中で生じてきた一つの過程があったことである。
つまり多様化の過程があった。
第二にこの過程を通じて、単純な形態から複雑な社会構造の形態が発展してきた。
文化人類学が栄えたのは、資本主義の体制がなお成長し続けているときだったと言うこと。進化と進歩は、時代の流行であった。
↑これって文化や社会が進化するという文化進化論の考え方はどのように誕生したか?っていう質問の答えになってますか?間違ってたら答えを教えて下さい!!
「子供期とはいつまでをいうか?」という問題の答えをしりたいんですけど、自分で調べてみました。
中世の社会では子供期という概念は存在していなかった。だが、14世紀以来子供は「愛らしい」と呼ばれるようなものになっていき、15世紀になると純粋無垢であるという観念が生まれる。
この「子供は純粋無垢である」という理解は子供期に関する二重の道徳的態度に帰着していく。
一つは例えば性的なことからの子供の無垢の保護であり、他方は子供の性格と理性を発達させていく。17世紀までそれは強化されていた。
↑これで良いと思う?教えて下さい!
キリスト教原理主義(ファンダメンタリズム)を信奉する人々の根底にあるものは「反知性主
義」であり、それから派生した「創造科学」はその「反知性主義」が倒立した「知性(科学)コ
ンプレックス」だと思います。
20世紀にはいって、キリスト教の主流が聖書の成立過程についての学術的な研究や資料分析、
それに進化論を受け入れていったことに強い反感を抱いた人々によってキリスト教原理主義は形
成されました。さらにキリスト教の主流が実存主義的な神学に傾いていくなか、「聖書の一字一
句はそのまま神の言葉であり、歴史的にも科学的にも真実」とする極端な考え方が保守的な人々
によって反動的に形成されたのです。その意味では、キリスト教原理主義の信仰は旧来からある
キリスト教信仰ではなく、20世紀に入って新たに形成された「新しい形態の信仰」であり、こ
ういってしまうと反感を持つ人々もいるとは思いますが、キリスト教原理主義(ファンダメンタ
リズム)はいわば「キリスト教内新興宗教」とでも言うべき存在でしょう。
怒っているのではなく、呆れているのですが。
>対しクリスさんの言われる科学とはあらゆる手段を使って世界を究明すると解釈してよろしいですか?
違います。あの文章をどう読むとそういう解釈になるんだか。
「世界の究明」なんて意味不明かつご大層なものではありません。
目の前の現象を究明するための手段に過ぎないといってるんです。
> では、私がなぜ科学と宗教を否定するかについてですが
ですから、その話の前に「否定する」という用語の意味を聞いているんです。
価値を認めないのか、信じないのか、無視するのか、破壊するのか、どれに近いんですか?
>科学は最初から間違いを犯していると思います。
後の文章と繋がらないフレーズですが、クーンあたりがいいそうなセリフですね。
>ここでいう一般解とはこの世界の解のことです。
>仮定ですが無限個の解があるとすると、特殊解をいくら見つけたところで一般解は得られません。
>よって世界の一般解は得られません。
ここまではその通りかも知れません。
>そういう理由で私は科学では科学の目指すところには行くことは出来ないと判断します。>よって否定します。
科学とは「一般解すなわちこの世界の解を求めること」というお考えなんですね。
それは不可能かも知れないという意見には同意できますが、
その過程や努力が全て無駄なものであるという意味で否定するのなら、それは価値観の相違ですから。
どうせいつかは死ぬんだから人生になんて何も意味はない、とか、
どうせすぐお腹が空くんだから、何を食べても同じだとか、そういう人と議論しても仕方ないんで。
>たとえ書かれた当時のヘブライ語でそのまま理解できたとしても、それは既に預言者によって
>翻訳された神の言葉だということです。
「翻訳された神の言葉」というより、「神はこう語られたと信じた人によって書かれた」「神
の言葉の証言集」だと思います。
一言いっときますが、別に方程式うんぬんの話ではありません。そちらで考えると別の答えになってしまいます。
なんか言葉足らずで怒らせてしまいましたね。喧嘩するつもりとかではないのですみませんでした。クリスさんは私のことを科学と科学技術を混同していると指摘しましたが、う-ん鋭い!自分でも混同している節はあります。何せ科学技術の方の人間ですから。
我々技術者は日々実験などを繰り返し、その得られたデ−タを元に論理的な考えで妥当性を検討していきます。しかしこれにはかなりの条件設定が必要で、限られた世界しかあらわせません。対しクリスさんの言われる科学とはあらゆる手段を使って世界を究明すると解釈してよろしいですか?
では、私がなぜ科学と宗教を否定するかについてですが、とりあえず宗教については後日ということで、科学のほうを考えます。科学は最初から間違いを犯していると思います。まず、他からの情報として自分での観察、さまざまなメディアからの言語および映像、音等による情報を得て考えていきます。
その結果、当人にある答えがわかりそれを文章などによって相手に伝えていきます。そしてそれが認められるとその答えは***だということになります。いわゆるここに特殊解が求められました。これが科学です。わたしは一般解が欲しいんです。科学では一般解が現状のところ求められていません。
ここでいう一般解とはこの世界の解のことです。仮定ですが無限個の解があるとすると、特殊解をいくら見つけたところで一般解は得られません。よって世界の一般解は得られません。そういう理由で私は科学では科学の目指すところには行くことは出来ないと判断します。よって否定します。
その通りだと思います。
あと、聖書の記述はそのまま神の言葉だという人に対して付け足すなら、預言者は口寄せや御筆先ではない、
ということですね。
たとえ書かれた当時のヘブライ語でそのまま理解できたとしても、それは既に預言者によって翻訳された
神の言葉だということです。
>予想を完全に外してしまいました。
どうでしょう。
当面安泰と言うよりも、今の状況はお得意の無視、はぐらかし作戦のようです。
「ひと」さんは今のところ進化には触れていませんからまだ持っているのかもしれませんね。
それに議論の前提が聖書ではなくH氏のページだからと言うのもあるでしょう。
でもH氏はあそこでは神だそうですから、H氏のページに否定的な書き込みがいつまで許されるのか、
あと1週間ぐらいじゃないでしょうか。(また山野氏が見当違いなこと書き込みだしたし)
某掲示板の成り行きですが
予想を完全に外してしまいました。
どうも済みません。
この様子だと「ひと」さんの書き込みは当面安泰みたいです。
創造科学者は、物理学や地球科学を否定しないと主張を展開できないし
現実に「洪水地質学」は地質学を否定していますが
進化論に対して程の熱意も敵意もないようです。
やはり魂の問題を始めとする人間存在に関する自然主義的見解が
彼らの教義にとって脅威に見えるからなのかな、と推測しています。
ただ私(すいません仏教徒です)から見ると、信仰のレベルでは
上の水も、ノアの洪水も「科学では解明不能な神の力で引き起こされた」で十分な気がします。
科学を信じずに超自然的な力を信じる神秘主義者やオカルチストの方が、
まだ首尾一貫していると思います(これはこれで問題ですが、別問題です)。
「創造科学者」に限らず疑似科学者に共通するのは
「科学」という言葉にある種の権威を認め
自分のやっているトンデモも「科学」の尊称を受けたいというねじれた感覚です。
創造科学の場合、主張者は原理主義的教派の一部のクリスチャンでしょうが
クリスチャン以外で受容しているのではないかと思われる人(徳間書店の良いお客さん)は
こういう既存の主流派の科学にあこがれと反発を持った
アンビバレントな態度の持ち主達のように思います。
そして、科学哲学とか科学論の研究者の一部やそのシンパにも
この種のアンビバレントな心の持ち主がいるようで困ってしまいます。
(もちろん科学哲学者全般ではないです、マイケル・ルースやフィリップ・キッチャーのように
「創造科学は科学でない」との論陣を張って進化論を擁護している科学哲学者もいますから。)
そういうねじれた感覚のない人にとっては「創造科学」なんて噴飯物なんだと思います。
たとえ原理主義的教派を信じるにしても(もちろんかおりさんのことではありません)、
そういうねじれた感覚はやめてほしいなと思っています。
>あとポパー釈論語(つまらなくてスイマセン)、マジで捻りが足りないかな。
思いつきで書き込んだので錬れてませんでした。
私はいわゆるダジャレオヤジの類ですので
しょっちゅう「さむい」ギャグを書き込んでしまいます。
クリスさん並びに皆様方ごめんなさい。
今後も厳しく、ご指導&黙殺お願いします(^^)。
#千日をもって鍛となし、万日をもって錬となす(宮本武蔵だったっけ?)。
#いや、忘れて下さい。
>どういう意味で 「宗教および現代科学を否定する」と言っているのですか?
私は禅問答をするつもりはありませんので、質問には真っ直ぐ答えて下さい。
質問に質問を重ねるのは(必ずしもそうではありませんが)、いわゆる詭弁家の常套手段です。
引用開始
でも、「聖書をそのまま理解する」ことは不可能です。聖書(に限らず、文章すべて)を読む
という作業は「解釈」そのものです。「読む」という作業は、それによって頭の中で文章をイメ
ージに変換する作業だからです。そして、どうせ「そのまま理解する」ことなどできないのだか
ら、いっそのこと「主観的に読んでしまおう」というのが、私の立場です。ただし、その読み方
が「主観的であることを忘れずにいる」ことは重要です。なぜなら、みずからの読み方が「主観
的」であることを知っている者こそが、実はもっとも「客観的」であり得るからであり、みずか
らの読み方に「真理がある」とか、「これが真理だ」などと語る人々のうちには、真理の一片ほ
どもないと思うからです。
引用終わり
いや全くおっしゃる通りです。すばらしい。
かおりさんのような聡明な方がいる限り、キリスト教の未来は明るいでしょう。
>うーん、そうすると触発されて書いたポパー釈論語(つまらなくてスイマセン)を
>H氏じゃない別の人物に向けての皮肉と思ってる人もいるのかもしれないなぁ。。。
特に「またどの面下げて「できれば冷静にお願いします」と言えるものだとあきれ」てる方とか。
何かもう「血が目に入ってる」としか言いようがない。。。
あとポパー釈論語(つまらなくてスイマセン)、マジで捻りが足りないかな。
っていうか、ポパーの語り口(口調)を知っていると面白いのかも知れませんが。
ギャグが高尚すぎた(教養がないと難しい)のかも?
「聖典を勝手な解釈抜きに受け取る」とはどういうことでしょうか。確かにそれに近いことを
主張する人々はキリスト教内部に存在します。「旧新約聖書は一字一句神の言葉であり、すべて
そのままで事実であるから、勝手な解釈を加えて理解するべきではない」という立場の人々です。
「創造科学」などということを主張する人々も、この立場と同じか、かなり近いところにいると
言えるでしょう。まあ、彼らは問いつめられると勝手な仮説を考え出し、膏薬のように張りつけ
るので、「聖書を勝手に解釈する人々」のうちに数えられるべきなのかもしれません。(^^;;;
でも、「聖書をそのまま理解する」ことは不可能です。聖書(に限らず、文章すべて)を読む
という作業は「解釈」そのものです。「読む」という作業は、それによって頭の中で文章をイメ
ージに変換する作業だからです。そして、どうせ「そのまま理解する」ことなどできないのだか
ら、いっそのこと「主観的に読んでしまおう」というのが、私の立場です。ただし、その読み方
が「主観的であることを忘れずにいる」ことは重要です。なぜなら、みずからの読み方が「主観
的」であることを知っている者こそが、実はもっとも「客観的」であり得るからであり、みずか
らの読み方に「真理がある」とか、「これが真理だ」などと語る人々のうちには、真理の一片ほ
どもないと思うからです。
付け加えていうなら、旧新約聖書のうち、旧約はユダヤ民族の言葉であるヘブライ語(一部ア
ラム語)で書かれていますが、イエス当時にはすでにヘブライ語は文章語としてしか使用されな
くなっており、アラム語が民衆語として使用されていました。シナゴク(ユダヤ教会堂)での礼
拝でも、ヘブライ語聖書の朗読では会衆に理解されないので、ヘブライ語で一節読んではアラム
語に翻訳するという作業をおこなっていたと言われます。さらにパレスチナ以外に住み、すでに
ヘブライ語もアラム語もほとんど忘れてしまったユダヤ人たち(いわゆる「ディアスポラ・ユダ
ヤ人」のためにギリシャ語に翻訳された「七十七人訳(聖書)」と呼ばれるものまで存在してい
ます。
さらに、新約は当時のローマ帝国内でのリンガフランカであったギリシャ語で書かれています。
イエス本人はパレスチナに生きて、アラム語で語ったと考えられますので、私たちが有するイエ
スに関する第一次資料そのものが翻訳ということになります。そして「翻訳とは解釈そのもの」
であることは、どなたにも理解していただけることと思います。イエスに関する第一次資料が翻
訳であるということを、「神の望むことは、聖典(聖書?)を勝手な解釈抜きに受け取る」こと
だとおっしゃる方は、どのように考えられるのでしょうか。
>できれば教えてください
こういうことは簡単に人に聞いても身に付くものではなく、
自分で書物を調べ、具体例を実感しながら形作っていく概念だと思うのですが?
「科学とはなにか?」を本当に知りたければ、まず自然科学の発達の歴史を知る必要があるでしょう。
次に科学的手法、科学技術など類縁した言葉の意味とその違いは理解する必要があるでしょう。
例えば、マクさんは科学と科学技術を混同している印象を受けますし。
(論理的に思考する数学、物理学などなどのことではない、という発言から)
>クリスさんたちは科学という言葉をよく使われますがいったいそれは何ですか?
古典的な定義になりますが、(主に自然の)現象を観察し、分析し、さらにその仕組み
(作動原理ちいったらいいでしょうか?)を調べること。
そしてそれを、他人にも理解できる方法(言葉、数式)で説明すること。
そのための努力や思考過程、思考法、哲学、数学、論理学、実験法などの全てを含むもの。
と、理解していますが?
>私にはそれが解らないから否定してます。
解らないから否定する、というのはあまり意味がある態度とも思えません。
宇宙の仕組みがよく分からなければ、宇宙を否定するのですか?
生命現象とは何か?ということすらよく分かっていませんが、だから生命を否定するのですか?
解らないものは、ただ素直に解らない(=否定も肯定もできない)でいいのでは?
解らないから否定するというのでは、解らないから盲信するのと同じくらい危険でしょう。
皆さんの言う科学とは何ですか?
私の否定する科学とはいわゆる論理的に思考する数学、物理学などなどのこといってるわけでは
ありません。私が問うのは科学とはいったい何なのでしょうか?私にはそれが解らないから
否定してます。クリスさんたちは科学という言葉をよく使われますがいったいそれは何ですか?
できれば教えてください。
>私は宗教および現代科学を否定するものです。
こういうことを平気で口にする人の特徴ですが、言葉の使い方が曖昧なのでは?
「否定する」っていうのはどういう意味なんですか?
完全性を否定する、とか、全てが本当に正しいかどうかは疑わしい、という意味なら同感ですが。
存在価値を否定する(認めない)というなら、それは価値観の問題ですから個人の自由ですし。
宗教および現代科学(の説くこと)を信じない、と言う意味なら、それも個人の自由でしょう。
宗教および現代科学の作り出してきたものを否定する、というならそんなことは不可能としか言えないですし。
どういう意味で 「宗教および現代科学を否定する」と言っているのですか?
>神の言葉を字面通り信じるしかないはず。
聖書には比喩が多いですから、それをどう解釈するかは簡単には行かないでしょう。
旧約聖書と新約聖書では言ってることが全然違うし。
汝殺すなかれ、とはいうものの、神への捧げものなら殺すことが美徳であり、
異教徒は皆殺しにせよ、とさえ書かれている。字面通りに読んだら矛盾だらけです。
人はパンのみに生きるにあらず、という言葉一つだって、いろいろに解釈できるのです。
文章でものを伝えるには限界がある。
「字面通り信じる」という言葉自体が自己矛盾というか不可能性を含んでいるでしょう。
かおりさんはいったい何を基準に行動してるんだろう?
キリスト教的な絶対神を信じたら、その神の望む事は、お告げか、聖典を勝手な解釈抜きに受け取るでしか解らないと思うんだけど?
人間が、絶対神が何を望むかを推測できるはずがない。神の言葉を字面通り信じるしかないはず。
初めて投稿するのに自己紹介してなかったです。すいません。
私は宗教および現代科学を否定するものです。そもそも科学というのは
何であるか、私を納得させる説明を受けてみたいものです。
先に謝っときます。
皆さんに質問です。世の中には反物質が存在してます。てことはこの我々が住んでいない
宇宙?で反物質による生命が存在し進化してると思いますか?
我々と相反する世界で??
北風と太陽ってな話もありましたね^^
>となるといったいどうやれば自然選択説の反証が可能なのでしょう?
ある薬に効果がある。と言うことを反証するのと同じ方法を取るのが当然でしょう。
この場合、効かない例があることを幾つか示しても意味はありません。
統計的手法を使って、薬を飲んだ群と飲まなかった群の治療効果に差がないことを示す必要がある。
同様に、自然選択説の反証をするなら、自然選択説から導かれる確率の範囲を越えて、
生存競争に不利な形質が広まっている例を示せば良いでしょう。
無論そこに人為的淘汰が関与していないことも示さねばなりません。
このことは以前も指摘したはずですが。
JA50さん。何が言いたいんですか?ご自分の発言をもとに意見を整理してください。
何を認めて何は認めないのですか?それがさっぱり不明です。
>へちさんが指摘された箇所は分かっています。その上での話です。
>中立とみなし得る程度の弱い非適応的な突然変異が個体されることがあるというのも分かります。
>私が問題にしているのは、中立とみなし得ない非適応的な、それも形質です。
>「形質」という部分と、適応度を下げる変異も固定するとしているところがおかしいんです。
>しかし、sが負の場合(非適応的な場合)は書いてありませんよ。
>sが0の場合は中立の場合でしょうから、それの固定確率も書いてあるが、sが負の場合は
>いったいどこにその固定確率が書かれているのでしょう。
>非適応的な形質がその集団中で広がり固定されることがあるという主張は、すごいことです。
>クリスさんはお気づきになっていないようですが。
>非適応的な形質が進化しえるとは、なんともはや、、、
>クリスさんの言うことが事実なら、すごいです、進化生物学における大変革だと思います。
>「適応度が中立、あるいはわずかに低い形質も広まること はある」というのは初めて聞きました。
>それと、前にも書きましたが分子進化についても、それが非適応的な変化であれば、淘汰され消えていきます。
>非適応的な変化が出現しても、それがその集団中に固定されることはない。
>ですから、「適応度が低い形質も滅びてしまうのではなく、多くの場合はある一定の比率で生き残る」というのには驚きました。
>ある突然変異が集団に固定する確率は、「中立な場合は1/2Nで、sだけ有利な場合は2s」とありますが、これは近似式です。
>正確な式であれば、中立な場合とs=0のときが等しくなければなりません。
>へちさんが指摘した「生物進化を考えるのP218と219」に
>近似式のもととなった式が出ていますので参照してください。
できればその式を教えていただけますか?
後、1/2NのNとか、sは何なのですか?sだけ有利って、どうやって数値化するのですか?
単位はあるのでしょうか?
それから、これは全く裏のない純粋な忠告です。(私も掲示板の運営をした経験はありますので)
掲示板の運営方針などをあまり細かく説明するのは避けた方が無難です。
ここにはそんな方はいないと信じますが、言葉尻を捉えて難癖をつけるひとがたまにいますので。
ここは自分の掲示板なのだから、自分の好きなようにする。それで気に入らなければ出て行ってくれ。
これでいいんじゃないですか?
>それとも、いつもの手で、勝手に自分で読めとおっしゃるかな、、、
できればそうして貰えると助かるんですがねえ。。。
まあ、これは今手元にないので後でまた。
>それと、これが先にクリスさんが言われた「聞いています」という聞いた先でしょうか?
舞さんの言う通り「聞いています」というのは慣用句です。
>自分の方で「多くの場合はある一定に比率で生き残る」と主張しておいて、「さぁ?」
>とはまたなんという言いぐさかとあきれたのですが、今度は、、、
だって正確な数式なんて覚えてませんもん。そんなもの覚えてなくても恥にはならんでしょ?
>ということは、ここに書かれている式がクリスさんの言う「一定に比率」ということなんですね、これでいいですよね。
いや、本当にあそこに何て書いてあるのか知らないんですよ。
図書館に返してしまった、と前にも言いましたよね?
>ほんと、他人のふんどしで相撲を取るのもいい加減にしろ、と言いたいところですが、
あのね。。。私ら皆、自分で研究している進化学者じゃないでしょ?
すべては本や他人の知識からの借り物なんですから。
>この式の解説をしていただけますか?
>そこにはこうあるんですが、、、
>「(Nesの絶対値が1を越さぬ程度でないと)固定確率は極めて小さな、
>実際上はほとんどゼロといえるような値となる」
以前の2SがどうのNがどうの時もそうですが、いきなりそんな式出されても何の事だかわかりませんて。
Nesって何?
>それともまた、自分の方が「一定に比率」でという主張をしておきながら、その解説
>は相手にまかすという例の手を使うのでしょうか?
「一定の比率」とか「ある環境」といった時に、「具体的には何か?」と聞くのはナンセンスです。
変数に「ある定数」をかけたものを比例数という。といった時に「ある定数とはなにか?」と聞いてるようなもの。
ん、あれかな、ほとんど0でも0じゃないとか言うんだろうか、、、
(どっかで聞いたことがあるような台詞、少子化現象の反論に使っていたような)
実際に患者さんが、いらっしゃるので、あえて当該のtermを
つかわず、「生存に不利な形質」と言い換えます。
生存に不利な(あるいは致死的な)遺伝性疾患が、現在数
多く知られております。これらは、統計的にほぼ一定の有病
率、あるいは(毎年の新規の)発生率を示します。
つまり、これら、生存に不利な形質(の遺伝子)は、明らかに
現在(西暦2000年時点)、ほぼ一定の頻度で人類という集
団の中に固定されていると考えます。
(無論、これらの疾患の新規発生の原因には、生殖細胞レベル
で発生したmutationも含まれています)
>私が引用した論語は創造論者だけに向けて書いたものではなかったのですけどね。
いやぁ、てっきり某掲示板のことでH氏を皮肉って書かれたのだと思ってました。
うーん、そうすると触発されて書いたポパー釈論語(つまらなくてスイマセン)を
H氏じゃない別の人物に向けての皮肉と思ってる人もいるのかもしれないなぁ。。。
>へちさんが指摘された箇所は分かっています。
うそおっしゃい。
分かっているのであれば「非適応的な形質の固定確率はマイナスになる」などと言うわけがない。
分かっているふりをして実は全然分かっていないのか、あるいはあわてて気がついて下手ないいわけをしているのか。
私が引用した論語は創造論者だけに向けて書いたものではなかったのですけどね。
>東京大学出版会「講座 進化」第1巻「進化論とは」p15-22に、はっきりとそう書いてあります。
その部分を引用ないし解説していただけますか?
どういう根拠で非適応的な形質も固定されることがあり得るというのか。
非常に興味深いです。
それとも、いつもの手で、勝手に自分で読めとおっしゃるかな、、、
それと、これが先にクリスさんが言われた「聞いています」という聞いた先でしょう
か?
さて、非適応的な形質でも「多くの場合はある一定に比率で生き残る(固定されうる)」
という問題に帰りますが、一定の比率とはどれほどか、それはどのページに書かれて
いるのかという質問に「さぁ?ご自分で計算してみたらいかがですか?」とクリスさ
んは書いた(頑張ってください、07月12日(水)10時33分25秒)。
自分の方で「多くの場合はある一定に比率で生き残る」と主張しておいて、「さぁ?」
とはまたなんという言いぐさかとあきれたのですが、今度は、、、
>「生物進化を考える」のP218と219
>ここには何と書いてあるのですか
と書かれている。
ということは、ここに書かれている式がクリスさんの言う「一定に比率」ということ
なんですね、これでいいですよね。
ほんと、他人のふんどしで相撲を取るのもいい加減にしろ、と言いたいところですが、
まぁそれはそれでいいとして、、、
この式の解説をしていただけますか?
そこにはこうあるんですが、、、
「(Nesの絶対値が1を越さぬ程度でないと)固定確率は極めて小さな、実際上はほ
とんどゼロといえるような値となる」
それともまた、自分の方が「一定に比率」でという主張をしておきながら、その解説
は相手にまかすという例の手を使うのでしょうか?
ん、あれかな、ほとんど0でも0じゃないとか言うんだろうか、、、
(どっかで聞いたことがあるような台詞、少子化現象の反論に使っていたような)
またどの面下げて「できれば冷静にお願いします」と言えるものだとあきれますが、
それはおいといて、ビタミンCの話ですが、クリスさんとの話の中にもそのうち出て
くるでしょう。
ビタミンCは機能という面における痕跡器官とも言えるものじゃないですか。不要に
なった形質が次第に消えていく途上と。不要になる前には適応的なものだったし、そ
れ故、ビタミンCの合成能という形質が自然淘汰によって広がったのではないですか。
これは、指紋とか血液型とは意味が少し違いますね。
ま、安賀須さんともそのうちお話する機会もあるでしょう。
「生物進化を考える」のP218と219ですが、残念ながら現在手元にありません。
NATROMさんが概略をかかれていますが、詳しい内容は月曜までお待ちください。
他の方が解説なさっても結構ですが。
JA50さんなんか適任じゃないですか?皮肉ではなくて。
文章として書くことで内容がよく理解できるでしょうし、たとえそれが以前の主張を否定するものであったとしても、
誤りを認めることは恥ではないでしょう。
ご意見、ご要望がございましたら、掲示板か、e-mail:natrom@yahoo.co.jpへどうぞ。