進化論と道徳


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進化論がモラルの低下を招くとする主張は間違っている。そうした主張は進化論および自然科学に対する誤解によってなされる。

進化論がモラルの低下を招くと考えている人たちもいるようです。多くの場合、創造論者が進化論を学校教育から追放したがっているのは、進化論は科学ではないからというより、進化論は堕落を招くという(間違った)信念に基づいているようです。創造論者の主張をエルドリッジの著書から引用してみましょう。

ジョージア州控訴裁判所のブラズウェル・ディーン判事は、すでにかなり有名になっている次のような非難を行った。「ダーウィンのこのようなモンキー神話が、放逸、混乱、ピル、コンドーム、背教、妊娠、堕胎、ポルノ、公害、中毒、あらゆるタイプの犯罪の蔓延などの元凶である。」(エルドリッジ 1991 P201)

ダーウィンの進化論を教えることの弊害として、ピルやコンドームを例に挙げているところが二つの観点から興味深いです。一つはピルやコンドームを害悪であると考えている点です。彼らは夫婦間以外の性交渉を絶対悪だと考えているようです。それも一つの価値観なのでまあいいでしょう。もう一つは、ピルやコンドームといった、ダーウィニズムとは相容れない避妊手段まで、進化論のせいにしていることです。ディーン判事は、単に個人的にけしからんと思っているもののリストをあげ、なんの根拠もなくそれが進化論教育のせいだと言っているだけです。

日本語のサイトでも進化論をモラルの低下に結びつけた主張が見られます。「偶然による」進化という創造論者お決まりの誤解の後に、次にように述べます。

進化論はどれだけ人々に生きる希望を失わせ、無目的人間を造り、心を腐敗させ、社会を乱してきたでしょうか。死の意味も生きる理由も解らず些細な事で自らの命を絶ってしまう人々。将来の目標もなく目先の快楽に走る若者たち。当てもなくさまよう暴走族....。これらの社会問題は進化論教育が大きく影響しているのです。人は目的なくしてまともに生きることは困難です。世界中で日本ほど進化論の悪影響を強く受けている国はないでしょう。日本の教育機関やテレビ局、出版社、彼らはこのことに気づくべきなのです。(闇夜の光 乱れた世界 より)

その後、性の乱れ、少年犯罪、「夫婦平等論」などといった悪(家庭の頭は夫であり、女は家庭で子供を育て、男は一家の主として働きに出るように造られているらしい。創造論者は女性の社会進出がお気に召さないようだ)を広める闇の支配者、つまりサタンが実在すると述べます。 「サタン」の存在を信じることは信仰の問題なので批判の対象にはしません。ただ、進化論教育が犯罪増加をもたらすという主張は断固批判します

まず、進化論教育がモラルの低下を招くという証拠はまったく存在しないことがあげられます。上記のサイトは、日本は特に強く進化論の悪影響を受けていると言っていますので、特に日本でモラルの低下があるはずです。最近の調査では、アメリカ合衆国で進化論を正しいと信じている人は11%に過ぎないそうなので、日本に比べてさぞやモラルがよい国なのでしょう。実際はどうでしょうか?創造論者が進化論教育とモラル低下を結びつけるのは、証拠に基づいてではなく、憶測にすぎません。

創造論者はダーウィニズムをあまりにも単純に考えています。例えば、

進化論を受け入れている多くの人の考えの中で、生きることは常に、闘争、憎しみ、戦い、死などを伴う、激しい競争で成り立っていることでしょう。(ものみの塔聖書冊子協会 1985 P8)

進化論者にとって生きることが激しい競争で成り立っているというのは、創造論者の思い込みに過ぎません。弱肉強食という言葉が誤解を助長している節もありますが、生存競争はそんなには単純ではありません。創造論者は協力の進化など知りもしないのでしょう。ダーウィニズムは、ときには協調関係が進化すると予想します。協力しあう個体は、常に戦うライバルの個体より成功するでしょう。協調関係が進化する条件を研究することによって、対立関係にある勢力の争いを避けることができるかもしれません。それぞれが利己的なふるまいをしてもです。宗教に基づく説得は、相手が同じ信仰をもっていない限り、まったく役に立ちません。

人生どう生きるかといった価値命題に答えを出せないという理由で、ある科学的仮説が間違っているとか、価値がないとか言えません。ある科学的な仮説が正しいかどうかは、証拠に基づいて決めるべきであって、どんなに個人的な信念に反するからといって証拠なしに間違いであるとは言えません。

科学から道徳や倫理は引き出せないし、引き出すべきではありません。科学は万能ではありません。科学は、いかに生きるか?人生の目的とは何か?といった価値命題には答えられないのです。そもそも生きる目的に科学が影響するという考えが間違っているのです。論争で、たまに「しかし、進化論では生きる目的がわからないではないか(創造論は生きる目的を与えてくれるのだ)。」という意見が出てきますが、進化論が科学的に正しいかどうかという議論とは関係ありません。

科学の時間には、科学を教えるべきです。科学は強力な方法ですが、証拠によって支持される客観的な現象しか扱えません。進化が起こったかどうかは、科学的命題です。人生の目的や道徳は、科学とは別に教えられるべきものです。仮に進化論を教えることで人生の目的を見失う生徒がいるのならば、創造「科学」のようなデタラメな擬似科学を教えるのではなく、その代わりに、科学は科学に過ぎないこと、そして人生の目的を与えてくれる科学以外のもの(文学、芸術、そして宗教など)を教えるべきです。


参考文献

ナイルズ・エルドリッジ 1991. 進化論裁判 平河出版社
ものみの塔聖書冊子協会 1985.生命-どのように存在するようになったか 進化か、それとも創造か
ロバート・アクセルロッド 1987.つきあい方の科学 HBJ出版局
安斎育郎 1995.科学と非科学の間 超常現象の流行と教育の役割 かもがわ出版

Webサイト
闇夜の光 http://www.hi-ho.ne.jp/toshi7/index.htm
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2000/02/29
2005/08/27最終改訂