進化論と創造論についてのツリー式掲示板

ダーウィンの進化論、聖書による創造科学(科学的創造論)について、または科学と疑似科学について、なんでもご意見、ご感想、ご質問をどうぞ。進化論を否定するための主張も別に書き込みを禁止していません。


[801] Re: 生物学も物理学も求めているものは同じです
投稿者  : 安賀須若人
投稿日時: 2000年6月21日 20時03分
へちさんへ>

確かに仰るとおりですね。
科学の「進歩」は我々の現実把握が「より詳細に」「より精確に」なることですね。
その意味では現在の科学は通過点に過ぎないと言う点に同意いたします。

ただ、物理学系の人達と話しをしたりすると
多様性そのものの記述に価値がある生物学のあり方に疑問を持っている人が多くて
昨今の各種ゲノムプロジェクトや構造生物学プロジェクトに対して
「そういうのではなくて統一的原理の探求が大事なんじゃないの?」
なんて批評されることが珍しくありません。
物理学と生物学の性格の差は本質的なものではないかもしれませんが、
物理学は統一的な理論とか法則とかを求める傾向が強いので
この掲示板でも(特にこのスレッドで)
「とりあえずの正解」という言い回しが散見されるのではないかと感じました。
疑似科学と科学を区別するためによく使われるポパーの反証可能性の基準にしても
物理学には文句なしに適していますが、
生物学や(自然科学ではありませんが)歴史学についていえば
ちょっと居心地の悪いものを感じます。
実際、ポパーはその自伝「果てしなき探求」の中で
「進化論は反証可能性を満たしていないから形而上学的プログラム」とか
書いたりしているわけです。
(進化論を疑似科学と断罪したわけではないし、
 ポパーはその後意見を撤回したという話も聞いていますが、、、)
何にせよ、物理学に偏った「科学」の特徴付けは問題があるな、と
日頃から感じているものですからついあのような書き込みをしてしまった次第です。

[805] Re:合っているかどうかの判断
投稿者  : へち
投稿日時: 2000年6月22日 17時53分
>>でも、解答が合っているかどうかどうやって判断するんだろう?
>
>もちろん創造論者がやる。それも聖書とか神の名の下に。
>これ以外ありえるでしょうか。

いや、ここでいう解答というのは「神が6000年前に世界を作った」ということで、
創造科学そのものは解法にあたります。
解法(創造科学)が解答に沿っているかどうかは創造論者が判断することなんでしょうが、
解答そのものが正しいかどうか、つまり「神が6000年前に世界を作った」ということが
本当に正しいかどうかどうやって判断するんだろう?という話です。
やはり、「神は間違えない」で終わってしまうんでしょうか。

[806] はじめまして!・・・生涯が知りたい
投稿者  : まるみ
投稿日時: 2000年6月22日 18時19分
はじめまして!!はじめてここのホームページに来ました。
今社会でダーウィンの生涯について調べています。
できれば年表であらわしているといいですが・・・・
なにかそういうのがあれば教えてください。
(すごく興味があるので)
まだ他のページに行ってないのでここのページにあるかもしれませんが・・・
これからもここのページによく来ようと思いますので、よろしくお願いします。

P.S.言い方が悪いかも知れません。ごめんなさい。

[807] Re: 生物学も物理学も求めているものは同じです
投稿者  : へち
投稿日時: 2000年6月22日 18時50分
>ただ、物理学系の人達と話しをしたりすると
>多様性そのものの記述に価値がある生物学のあり方に疑問を持っている人が多くて
>昨今の各種ゲノムプロジェクトや構造生物学プロジェクトに対して
>「そういうのではなくて統一的原理の探求が大事なんじゃないの?」
>なんて批評されることが珍しくありません。
>物理学と生物学の性格の差は本質的なものではないかもしれませんが、
>物理学は統一的な理論とか法則とかを求める傾向が強いので
>この掲示板でも(特にこのスレッドで)
>「とりあえずの正解」という言い回しが散見されるのではないかと感じました。

物理系の人たちは統一的な理論や原理をやたらと尊重する「原理主義者」達である。
そういった原理主義者たちは、統一的で、綺麗な法則を作ることこそが科学だと信じ、
それ以外は一段劣ったものとみなしている。
安賀須若人さんの物理系の人たちに対するイメージを大げさに表現するとこんなところでしょうか。
確かにこういった原理主義者も中にはいるでしょうね。実際私もそうでしたし。
こうした人たちには「科学はそういった原理を追い求めるだけでなく、様々なアプローチがあるんだよ」と言いたいです。

[810] Re: 統一理論的アプローチは物理でも一部?
投稿者  : DrTM
投稿日時: 2000年6月22日 21時24分
DrTMです。

>物理系の人たちは統一的な理論や原理をやたらと尊重する「原理主義者」達である。
>そういった原理主義者たちは、統一的で、綺麗な法則を作ることこそが科学だと信じ、
>それ以外は一段劣ったものとみなしている。

多分これは物理でも素粒子関係の一部の人に見られる傾向ではないでしょうか?
その他の物性物理、化学物理、生体関連の物理とかは統一的な法則を構成するの
は極めて困難なので多様なアプローチを行っていると思います。

[811] 生物学も物理学も科学ですよね
投稿者  : 安賀須若人
投稿日時: 2000年6月22日 21時25分
>物理系の人たちは統一的な理論や原理をやたらと尊重する「原理主義者」達である。
>そういった原理主義者たちは、統一的で、綺麗な法則を作ることこそが科学だと信じ、
>それ以外は一段劣ったものとみなしている。
>安賀須若人さんの物理系の人たちに対するイメージを大げさに表現するとこんなところでしょうか。
>確かにこういった原理主義者も中にはいるでしょうね。実際私もそうでしたし。
>こうした人たちには「科学はそういった原理を追い求めるだけでなく、様々なアプローチがあるんだよ」と言いたいです。

レスありがとうございます。
Yahoo!の掲示板なんかを見ていても
「進化論は物理学と違ってあやふやで信用できない」だの
「進化論は論であって科学でない」とかの発言をよく見かけて
非常に情けなく思っています。
そういうことを言う人に限って、まともな生物学の知識が乏しくていやになります。
私は生物学は物理学と同様に現在我々の手にしている最良の科学と思っています。
だから、きちんと調べもしていない特に哲学系の半可通から
「物理学は科学だが、生物学はそうとは言い難い」等と言われると
馬鹿をいうのもいい加減にしろ!って思います。

宗教絡みの疑似科学である「創造科学」との対決では
極端に物理学に偏った科学の特徴付けを悪用されているような気もします。
(実際はよくある「不正確な引用」と「曲解」なのですが、、、)
「科学は多様であるが、どうやっても疑似科学は科学でない」という至極当然のことを
どうやって他の人に分かってもらえるようにまとめるかについて
自分なりに考え続けたいと思います。

妄言多謝


[812] Re: 統一理論的アプローチは物理でも一部?
投稿者  : 安賀須若人
投稿日時: 2000年6月22日 21時55分
>その他の物性物理、化学物理、生体関連の物理とかは統一的な法則を構成するの
>は極めて困難なので多様なアプローチを行っていると思います。

生物学では「統一的な法則を構成するのが困難」だからではなく
生物世界の多様さ自体が驚くべき素晴らしいものごとなので
その実態を記録して後世に伝えることに価値があると感じて
仕事している人が多いと思います。
極端な言い方になりますが、統一的な法則といったら、
遺伝子の実体はDNAでその複製には二重らせん構造が本質的な役割を果たしている、で
ある意味では基本的には終わりです。
しかしワトソン&クリックの後に分子生物学が隆盛になったことでもわかるように
「大腸菌でも人でも同じことがいえる」ことよりも
「大腸菌はこうだが、人はこうだ」みたいな話が
極端に言えば「マウスはこうだが、ラットはこうだ」みたいな話が
生物学者の多くは大好きなのです。

あくまでも気質の違いについて個人的な感想を述べただけで
物理学者や、ましてDrTMさんの意見を責めるつもりはありません。

地球上の生命が恐らく一つの起源に由来し、
そこから多くの生物が分かれてきたことは
生物学者の多くにとってまさに「ワンダフル・ライフ!」であり
それが進化論の基盤なのだと思います。

[813] 気質の違いの話、非常に面白いです。
投稿者  : DrTM
投稿日時: 2000年6月22日 22時21分
安賀須若人さん、こんにちは。DrTMです。

>生物世界の多様さ自体が驚くべき素晴らしいものごとなので
>その実態を記録して後世に伝えることに価値があると感じて
>仕事している人が多いと思います。

なるほど、分かりました。安賀須若人さんのご指摘で、やはり
物理系の人はアプローチは多様でも出来るだけ統一理論的なも
のに近づきたいという願望があるのかもしれないと感じてきま
した。

生物学の研究対象の多様性は非常に多いですね。私は生物
に関しては光合成系の物理を触るぐらいしか知らないのですが、
分子生物学とか遺伝とかの分野になるともっと多様性があるよ
うなイメージを私も持っています。

>あくまでも気質の違いについて個人的な感想を述べただけで
>物理学者や、ましてDrTMさんの意見を責めるつもりはありません。

いえいえ、安賀須若人さんの意図十分に承知しております。
分野による気質の違いというのは私もかなり明確に日頃感じていることで
それらについて詳しく知ることは非常に面白いです。

例えば物理学者と数学者にも気質というか思考の違いが強く
感じられます。場合によってはコミュニケーションを取るのも
難しいかったりします(笑)。

#でもこれらは私には非常に面白い現象です。

科学全体で考えると研究者の気質にも多様性があるということですね。

[816] なるほど、
投稿者  : BeZen
投稿日時: 2000年6月22日 23時16分
「正しい理論とは間違いを指摘できる理論の事である」
なんて言う風に言うと、逆説めいて趣があるでおじゃる。
(馬鹿な独り言はおいといて・・・・)

確かに、「反証できる」というのは、その「知」が、
我々に向かって<開いている>という事ですもんね。
どうにもウサンクサイなぁ、と思う諸々のシロモノに
共通の感触てのは、「閉じちゃってる」カンジだったんだ
そうだそうだ、なるほどなぁ。と、一人で納得。

科学というのは、姿勢であり方法論なのですな・・・って
アタリマエっすか。んむ〜。

それから、よくよく考えてみれば、「<私>そのもの」ってのは
あからさまに矛盾に陥りますな。ヲホホホホ。(出直してきます)

[819] Re:合っているかどうかの判断
投稿者  : 後藤寿庵
投稿日時: 2000年6月23日 06時22分

>本当に正しいかどうかどうやって判断するんだろう?という話です。
>やはり、「神は間違えない」で終わってしまうんでしょうか。

それに「神の霊感を受けて書かれた聖書にも間違いはない」
が追加されるでしょう。

彼等は信仰者ですから、最終的な根拠は神に賭けてるんです。しかも賭けが外れたら
なんて考えない。

---余談---
そういえば「神がいないとしたら、信仰しても不利な事はないし、いるとしたら信仰した方がいい」という理屈も聞いた事がありますが、これって、もしキリスト教で悪魔とされているものが真の神だった場合、とか考えると通用しなくなりますね。

[820] Re:賭が外れたらという恐怖感が創造論者にしているのでは?
投稿者  : JA50
投稿日時: 2000年6月23日 10時37分
>彼等は信仰者ですから、最終的な根拠は神に賭けてるんです。しかも賭けが外れたら
>なんて考えない。

いや、賭が外れたらという恐怖感が創造論のようなトンデモ説に固執させているのではないかと私は推測しているんですが。
もしかしてこの救いの保証(キリスト教では救いは約束に過ぎない)は、詐欺師によってなされているんじゃないかという恐怖感。

もちろん、こういう恐怖感が意識化されるとは思えません。無意識的なものでしょう。

[821] 創造論者を(似非)精神分析してみる
投稿者  : 識
投稿日時: 2000年6月23日 11時35分
>いや、賭が外れたらという恐怖感が創造論のようなトンデモ説に固執させているのではないかと私は推測しているんですが。
>もしかしてこの救いの保証(キリスト教では救いは約束に過ぎない)は、詐欺師によってなされているんじゃないかという恐怖感。

無意識的に恐怖しているからこそ、その恐怖感を増幅させる進化論者や、創造論に否定的なデータにたいして、
排他的、攻撃的にもなるし、中間的な人を仲間に取り込もうとするのでは?
約束はいつまで経っても約束ですが、多くの同士がいれば、少しは安心できるでしょう。
「赤信号みんなで渡れば恐くない」の心境でしょうか(笑)
現実には「赤信号みんなで渡って集団自殺」でしょうけど。

[824] Re: レスの続き〜
投稿者  : Chinese Italian
投稿日時: 2000年6月23日 22時51分

>一応友人はいますし、結婚もしています。

オイラは友人はいるけど結婚はしてません。あれぇ〜(玉砕)

>ですが、ヘルメス☆には一つだけ問題があるのです。

余計なことを言わせてしまって本当に申し訳なく思ってます。
ある意味、オイラのように感情や本能で生きてるような奴からすれば
ちょっと羨ましい感じもしますね。
感情に翻弄されずに目的をやり遂げることができる・・・学者向きですね。
あまり情に流されやすいのも考え物です。オイラはそっち系。
うちの教会にも理数系な信仰者がわりと多くて、
みんないい人なんだけど、時々マニアックでついていけないなーって感じることも。
同じ事を考えてたAくんが最近付き合いはじめた彼女は創造科学研究会のスタッフ(!)。
でもなんかほほえましい組み合わせだから、また不思議。
うーん、でも、もう3人でよく遊びに行けなくなるんだろうか?
また取り残されていくぅ・・・

[826] いえ、そうではなくて(1)
投稿者  : Chinese Italian
投稿日時: 2000年6月23日 23時35分
>ヘルメスさんとChinese Italianさんのやりとりは、科学と宗教の方法論の違いを
>示す良い例になるのではないかと思います。
>科学は理屈であるので、論理的に納得できないといけないわけですが、宗教にとって
>はそんなのは「へ理屈」にも思えるわけですね。

いえ、創造論の立場を持ってる「科学者」も「理数系」な人もいるわです。
が、オイラはもともと文科系なんで。理数系な人とは話が合わなかったりするだけです。
でも両者とも同じ創造者によって創られた者同士ですし、増してや同じ信仰者同志なら
理解しやすいはず・・・と思ってなるべく話をするようにしています。
ま、ヘルメスさんとオイラのやりとりを理数系とか学者タイプの人と一般人のオイラとの
比較を考えた発言と思ってください。

[827] いえ、そうではなくて。(2)
投稿者  : Chinese Italian
投稿日時: 2000年6月24日 00時10分
>しかし、理屈ではないことに無理矢理、理屈を付けようとするのが創造科学だと
>思います。だから、宗教家にとっても創造科学は困った存在では?

そんなことはないんですよ。だって聖書に忠実に解釈しようとすれば、進化論の方が
矛盾してしまうんですもん。もちろん、信仰者の大多数は科学者じゃないと思います。
でも、あるとき創造科学の人がこう言ってました。
「私たち(創造論者)は実験再現可能なものを純粋科学と言ってるんですが、
人間が生まれるまでのことを実験で再現することは不可能なので、そういう意味では
進化論も創造論も純粋科学ではないんです。」と言って、
「じゃあ、なんで創造『科学』ということばを使っているかというと、進化論者でさえ
『科学』ということばを使っているので、あえて使わせてもらってる」んだと。
「例えば警察が犯人捜査をするときに容疑者を断定するのに、状況証拠だけでは
犯人を断定することが出来ないそうですが、それに第3者による目撃証言者が
加わると逮捕に踏み切ることが出来るそうです。進化論ではいろいろな状況証拠を
挙げて進化したとしか言えませんが、創造論では状況証拠を創造の目撃者である
創造主のことば=聖書と照らし合わせることが出来る。そういう意味では創造論
の方が科学に近いと言えるでしょう。」
「ただ、聖書を創造主のことばと信じる、信じないは別としてそのように理解しようと
しない人とはいくら話しても平行線になるだけです。」

>ある精神カウンセラーが以前ラジオで言ってたんですが、「怒り」というのは
>「悲しみ」から来るそうです。神が怒ったのは悲しかったからでしょうか?

鋭い!

[828] その創造論者の言い分はおかしくないですか
投稿者  : T8848
投稿日時: 2000年6月24日 00時41分
>そんなことはないんですよ。だって聖書に忠実に解釈しようとすれば、進化論の方が
>矛盾してしまうんですもん。

創造科学の方が聖書とは矛盾が少ないかもしれませんが、観察される事実とは矛盾していますね。

>「例えば警察が犯人捜査をするときに容疑者を断定するのに、状況証拠だけでは
> 犯人を断定することが出来ないそうですが、それに第3者による目撃証言者が
> 加わると逮捕に踏み切ることが出来るそうです。進化論ではいろいろな状況証拠を
> 挙げて進化したとしか言えませんが、創造論では状況証拠を創造の目撃者である
> 創造主のことば=聖書と照らし合わせることが出来る。そういう意味では創造論
> の方が科学に近いと言えるでしょう。」

刑事事件に例えるなら、進化論は物的証拠によっています。
それに対して、創造科学は断片的でそれ自体に矛盾がある目撃証言をもとにしており、更には証言されていないことまで調書に書いてしまっているのではないでしょうか。

>「ただ、聖書を創造主のことばと信じる、信じないは別としてそのように理解しようと
>しない人とはいくら話しても平行線になるだけです。」

聖書を信じるから、というならわかりますが、信仰は別にして(つまり理性で)創造論の方が科学的だと理解することは(そうしようとしても)論理的にできません。

[834] そんなことないんじゃないですか?(1)
投稿者  : Chinese Italian
投稿日時: 2000年6月24日 11時26分
オイラが書き込みしてわずか30分でレス。激速ですね(笑)T8848さん!

>創造科学の方が聖書とは矛盾が少ないかもしれませんが、観察される事実とは矛盾していますね。

なんでそう言いきれるんでしょうか?T8848さんは聖書を読んだことが無いんですか?
観察される事実っていうのは例えばどんな・・・?

>刑事事件に例えるなら、進化論は物的証拠によっています。

ですから、物的証拠ってことばを使えばもっともらしく聞こえますけど結局は状況証拠で
証言者や容疑者が認めない限り、任意聴取は出来ても逮捕は出来ませんよね?
結局進化論ってその程度なんですよ。でも大多数の人が事実とか科学だとか言ってるのは
みんなこどもの頃から教育されて信じ込まされているのが大きいと思うんですよ。
しかも日本は明治時代初期から進化論教育が始まっていたとそうで。
その頃の「先進国」では進化論など相手にされてなかったらしいじゃないですか。
日本に進化論が浸透したのは、当時の日本には科学らしいものが無かったからだと
聞いています。それじゃいくら優秀な科学者だって進化論がもしかしたら誤っている
かもしれないとは考えもしないでしょうに。

[835] Re:物的証拠、状況証拠
投稿者  : JA50
投稿日時: 2000年6月24日 12時05分
>ですから、物的証拠ってことばを使えばもっともらしく聞こえますけど結局は状況証拠で
>証言者や容疑者が認めない限り、任意聴取は出来ても逮捕は出来ませんよね?
>結局進化論ってその程度なんですよ。でも大多数の人が事実とか科学だとか言ってるのは
>みんなこどもの頃から教育されて信じ込まされているのが大きいと思うんですよ。

ここで言う物的証拠、状況証拠というのは具体的にどういうものを指して言っているのでしょう?

進化があったという根拠はたくさんあります。
そのどれが物的証拠ではなく状況証拠だと言っているのか、具体的に挙げてみてくださいませんか。

結局進化論ってその程度のものというchineseさんご自身が、進化論についてどの程度の知識を持っているのか、これである程度推測可能でもあります。
また、科学とは何かという、このNATROMさんのサイトにおける最も重要なテーマについても、どういう知識を持たれているのかも。

[836] そんなことないんじゃないですか?(2)
投稿者  : Chinese Italian
投稿日時: 2000年6月24日 12時49分
>それに対して、創造科学は断片的でそれ自体に矛盾がある目撃証言をもとにしており、更には証言されていないことまで調書に書いてしまっているのではないでしょうか。

断片的?矛盾がある目撃証言って聖書のことですか?(苦笑)
何をもってそう言いきれるのかはわかりませんが、少々強引では?
多分、T8848さんは聖書を読んだことがないと思われるんですが・・・?
もしくはよく読んだことがないとか、クリスチャンに話を聞いたことがない等・・・。
それに、証言されてないことまで調書に書くってそれ、うそつきじゃないですか(笑)
「その創造論者」はとってもいい人で、嘘をついて人を騙すような人じゃないですよ。
少なくともオイラの会社にはいないと思われる程、正直で信用できる人です。

>聖書を信じるから、というならわかりますが、信仰は別にして(つまり理性で)創造論の方が科学的だと理解することは(そうしようとしても)論理的にできません。

そう思わされてるだけだと思うんですよ。それがただ頭の中で考えたイメージとか
机上デバッグレベルじゃなくて、実際に「観察される事実」ならわかるんですが。


[837] 創造主は第三者?
投稿者  : GOA
HP    : http://www68.tcup.com/6823/itoyk.html
投稿日時: 2000年6月24日 12時59分
>「例えば警察が犯人捜査をするときに容疑者を断定するのに、状況証拠だけでは
> 犯人を断定することが出来ないそうですが、それに第3者による目撃証言者が
> 加わると逮捕に踏み切ることが出来るそうです。進化論ではいろいろな状況証拠を
> 挙げて進化したとしか言えませんが、創造論では状況証拠を創造の目撃者である
> 創造主のことば=聖書と照らし合わせることが出来る。そういう意味では創造論
> の方が科学に近いと言えるでしょう。」

 「自分はこうやって天地創造を行った」という創造主の言葉が第三者の目撃証言であるわけがないでしょう。当事者なんだから。

[838] Re: そんなことないんじゃないですか?(2)
投稿者  : PepperMyst
投稿日時: 2000年6月24日 13時51分
>「その創造論者」はとってもいい人で、嘘をついて人を騙すような人じゃないですよ。
”いい人”が嘘を言わないと思ったら大間違いっすよ。
たしかに”いい人”は自分のための嘘はつかないだろうけど、人のためになると思えばつくかも知れないし(これは人それぞれだけど)、
”いい人”本人が騙されれば”誠実に”うそを言ってくれます。そのうえいい人ってのはあまり人を疑わないから騙しやすいんです。

ついでに言うと凄腕の詐欺師はみんないい人に見えます。たぶん。
#私はいい人どころじゃないからなんでも疑います。

[839] 裁判にたとえると
投稿者  : PepperMyst
投稿日時: 2000年6月24日 14時05分
創造科学は冒頭陳述の前にもう判決が決まってるようなものです。そんな八百長裁判、私なら信用しません。

[840] Re:物的証拠、状況証拠(1)また分割?はあ、はあ・・
投稿者  : Chinese Italian
投稿日時: 2000年6月24日 14時20分
>ここで言う物的証拠、状況証拠というのは具体的にどういうものを指して言っているのでしょう?

オイラが物的証拠も状況証拠同じように言っているのは、それプラスの証言がないってこと
を言ってるんです。科学者が独自に調査した結果と容疑者や目撃者の証言との一致が確認
出来るのと出来ないの差があると言ってるんですね。ここでは具体例ではなくて。
T8848さんが言う物的証拠の例は、彼が示してくださるでしょう。

>進化があったという根拠はたくさんあります。
>そのどれが物的証拠ではなく状況証拠だと言っているのか、具体的に挙げてみてくださいませんか。

それじゃあ、化石についてなんかどうでしょう?進化論では何万年、何億年かけて出来る
と学校で教わったのですが、最近の夕方のTVニュースで人工的に化石化したものを
有効利用しようと(何に使うんだか?)実用に向けて更に研究中みたいなことを
やってました。今年のはじめ頃か去年あたりのことだと記憶してますが、ちなみに
創造科学では自然でも条件さえ整えば数十年で化石になることも可能だと聞いています。
うろ覚えなのでそのTV見た方、フォローしてくださると嬉しいです。

[841] Re:物的証拠、状況証拠(1)また分割?/化石
投稿者  : NATROM
投稿日時: 2000年6月24日 14時35分
Chinese Italianさん、活発な発言ありがとうございます。

>それじゃあ、化石についてなんかどうでしょう?進化論では何万年、何億年かけて出来る
>と学校で教わったのですが、最近の夕方のTVニュースで人工的に化石化したものを
>有効利用しようと(何に使うんだか?)実用に向けて更に研究中みたいなことを
>やってました。今年のはじめ頃か去年あたりのことだと記憶してますが、ちなみに
>創造科学では自然でも条件さえ整えば数十年で化石になることも可能だと聞いています。
>うろ覚えなのでそのTV見た方、フォローしてくださると嬉しいです。

条件さえ整えば、比較的短期間で生物の遺骸が化石化することはありえます。しかし、それは進化論の反証にはなりません。そもそも「進化論では(化石は)何万年、何億年かけて出来る」とは言っていません。「何万年、何億年前にできた」とは言っています。

局地的な堆積(洪水や台風による海底土砂の巻き上げによる)によってに生物が巻き込まれ、短期間(具体的にどれくらいの時間が必要かは知りませんが、地質学的に短期間)で化石化したものが数億年後に発見されても良いのです。この説明で、創造論者の良く言う「長い時間かけて化石ができたのなら、その前に腐ってしまうはずだ」という主張が間違いであることもわかると思います。「相手の言っていないことを否定」しても意味がありません。

証言/証拠の件ですが、「地球は6000年前にできた」という証言と、証拠(サンゴ礁でも湖底の堆積物でも放射性同位体による年代測定でも鐘乳石でもいいです)が食い違った場合、どうすべきかとお考えでしょうか?もし、警察が「どのような証拠があろうとも証言は絶対に正しい」などと言えば問題なのではないでしょうか。

[842] Re: 創造主は第三者?
投稿者  : Chinese Italian
投稿日時: 2000年6月24日 14時36分
書いてるそばから・・・もう(笑)オイラ朝からパソコン漬け(爆)
せっかくの休みが・・・床屋だけは行くぞ〜!!(笑)

> 「自分はこうやって天地創造を行った」という創造主の言葉が第三者の目撃証言であるわけがないでしょう。当事者なんだから。

はい。すみませんでした。その通りですが、どっちにしても証言者になりますから。
そう理解してください。必ずしもオイラの説明が的確ではありませんので。
なぜならオイラは科学者でもなければ、ほんとのこというとおしゃべりに来てるだけ。
論争の為のくだらない論争を楽しみに来てるわけじゃないので、あしからず。

[843] Re:物的証拠、状況証拠(2)もうだめ。お出かけします。
投稿者  : Chinese Italian
投稿日時: 2000年6月24日 14時54分
>結局進化論ってその程度のものというchineseさんご自身が、進化論についてどの程度の知識を持っているのか、これである程度推測可能でもあります。

誤解のないように断っておきますと、決してオイラが進化論者を馬鹿にしてるわけでは
ないことを確認しておきます。理由は「いえ、そうでは〜」に書いてある通りです。

>また、科学とは何かという、このNATROMさんのサイトにおける最も重要なテーマについても、どういう知識を持たれているのかも。

一応、読んでますがもう一度よく読み返したほうがいいですかね・・・ちなみに
NATROMさんがこれらのサイトを展開している動機は大きく分けて2つ見えます。
1つは科学の将来に対する危機感。もうひとつはオカルトやカルト宗教に対する不安。
どちらももっともだと思います。特に大槻教授とかは後者に対しての不満というか
すごいものがありますよね。オイラも基本的に同感です。科学者じゃないけど。

進化論知識については確かに乏しいかも。その中から追々、進化論の疑問などを書かせて
頂きます。

[844] Re: 創造主は第三者?
投稿者  : GOA
HP    : http://www68.tcup.com/6823/itoyk.html
投稿日時: 2000年6月24日 15時04分
>はい。すみませんでした。その通りですが、どっちにしても証言者になりますから。
>そう理解してください。必ずしもオイラの説明が的確ではありませんので。

 第三者だろうが証言者だろうが当事者の発言に証拠能力がないと言っているのです。
これを認めると
「あなたにはアリバイがありますか?」
「あります。」
「じゃあ、無罪。」
ってことになるでしょう。

[845] Re:物的証拠、状況証拠(2)もうだめ。お出かけします。
投稿者  : NATROM
投稿日時: 2000年6月24日 15時09分
>誤解のないように断っておきますと、決してオイラが進化論者を馬鹿にしてるわけでは
>ないことを確認しておきます。理由は「いえ、そうでは〜」に書いてある通りです。
>

はい、みなわかっていますよ。


>進化論知識については確かに乏しいかも。その中から追々、進化論の疑問などを書かせて
>頂きます。

あわてずにゆっくりやっていきましょう。ネットは逃げません。

[846] Re: そんなことないんじゃないですか?(1)
投稿者  : T8848
投稿日時: 2000年6月24日 22時03分
>オイラが書き込みしてわずか30分でレス。激速ですね(笑)T8848さん!
たまたまです。でもいきなりすごい反響ですね。

まず私が言っているのは「創造科学」に対してであって「神がこの世界の創造者だ」ということに対してではありません。

創造化学がの方が進化論よりも観測される事実と矛盾していることには以下のようなものがあります。
具体的には創造科学と進化論のそれぞれの主張をNATROMさんや創造論再評価のサイトで比較してください。これらは物理学、化学、生物学、天文学などの研究成果があります。
・岩石の生成年代
・地層とそこに含まれる化石
・生物の系統毎の類似性と差異
・天体との距離

進化論の物的証拠とは、例えば化石(その系列、年代、地理的分布)などです。
生物種はそれぞれ共通の特徴によって分類されます(分類自体は進化論とは無縁)。そしてこの分類は階層構造をしています(界−門−綱−目−科−属−種)。
進化論的に見ればこのように分類できることが進化の証拠とみなされます(状況証拠)。
化石はその状況証拠を裏付ける物的証拠です。

[847] Re: そんなことないんじゃないですか?(2)
投稿者  : T8848
投稿日時: 2000年6月24日 22時06分
>断片的?矛盾がある目撃証言って聖書のことですか?(苦笑)

聖書は断片的です。生物や地球の細部まで記述されてはいません。
地球が丸いのか平らなのかも記述がありません。
菌類や微生物についても記述がありません。
聖書はそんなものを書いたものではないからです。
イスラエルの歴史としては充分でしょうが、科学的知識の書物としては断片的です。

聖書には一字一句たどると数々の矛盾があります。例えば、
創世記の一章と二章。
福音書の復活の場面の記述。

>それに、証言されてないことまで調書に書くってそれ、うそつきじゃないですか(笑)
証言されていないことまで調書に書いているというのは創造科学のことです。
その通り、創造科学はうそつきだと私は思っています。
聖書にはノアの洪水は書いてあります。天の上と天の下に水を分けたとも書いてあります。
ですが、「地球を取り巻く超低温超伝導の水の層」などは書いてありません。
洪水によって地殻変動が起こったことも書いてありません。
化石として発見される絶滅した動植物について聖書はなにも書いていません。それをノアの洪水で絶滅したものだと創造科学は言っているのです。
聖書には、全ての命あるもの、肉なるものを二つづつ(雄と雌)箱舟に乗せたと書いてありますが、創造科学論者の言い分ではその通りではなかったことになります。
天体との距離で何億光年という値が得られていて六千年という値と一致しないことについて、光速度が変化しているという聖書にも記述がない、物理的にも間違っていることを言っています。

[848] Re: そんなことないんじゃないですか?(2)つづき
投稿者  : T8848
投稿日時: 2000年6月24日 22時08分
全能の神がこの世界を、人間を創造された。
このことを私はむしろ肯定しています。

ただし、創造論の方が科学的だと言うことはできません。
私は創造科学なるものは科学的に(方法でも結果でも)間違っているばかりか、信仰でも正しくないと思っています。
なぜなら神の言葉を人間の恣意的解釈で歪めているからです。
聖書は科学的事実を書いたものではありません。それを書いていないことまで勝手に作り上げてキリスト教としてはこの方が科学的にも正しいなどと言っているのです。

聖書は神の言葉とは言いますが、人間が書いたものです。
神の霊感によって、筆者(預言者)の個性、能力、経験、知識によって、当時の人々に向けて書かれたものです。
そうして書かれたものを一つの書物にまとめたのは人間です。
そしてそれを読むのも人間です。
聖書をどう読むかは、科学がどうこういう以前にずっと昔から(書かれた時から)あった問題です。
近代になってから、科学という言葉が生まれてから現れた創造科学なるものは、自分達の聖書解釈こそ正しく他の伝統的読み方をする人々は本当のクリスチャンではないなどと言います。私こんなものは認められません。

[849] 法律にたとえると
投稿者  : BeZen
投稿日時: 2000年6月25日 01時11分
法律にたとえると、民事(刑事)訴訟法ってトコでしょうか。
<法廷で審理を進め方を定めた法律→訴訟法>
さて、「科学」が支える進化論と「反科学」が支える創造科学
(ってのも変な言葉になるが)では、どちらが訴訟法として
優れているか。
↑この「優れている」という価値基準はワタクシ的には合理的かつ民主的で
あるかどうかという点にあるのですが。
よくよく考えてみれば、創造論には<民主的であること>など眼中にない様子
なのかもしれないなぁ。と。

[850] Re: 法律にたとえると
投稿者  : GОA
投稿日時: 2000年6月25日 05時31分
>よくよく考えてみれば、創造論には<民主的であること>など眼中にない様子
>なのかもしれないなぁ。と。

 そもそも聖書の教えが絶対的存在である神によってもたらされているのですから、「民主的」である必要はないわけです。
それなのに民主主義国家の法律や裁判制度などに置き換えて説明しようとするから、矛盾が生じてしまうように思えます。

[851] RNAウイルスは生物か?(生物と無生物の境界)
投稿者  : (舞い戻った)通りすがりの者
投稿日時: 2000年6月25日 14時43分
「RNAウイルスは生き物(生物)である」というJA50さんのご高説でしたが、
RNAウイルスに詳しい人は、否定するか、首をひねるか、あるいは、どっちでも
良いことだ、と考えると思われます。

なぜなら、ウイルス学の分野では、一般論的にいって「RNAウイルスの本体はRNA
ゲノムそのものである」という結論がすでに出てしまっているからです。

たとえば、「植物ウイルス」という一群のポジティブ鎖のRNAウイルスがありますが
(植物の葉っぱに斑点を生じさせるような奴です)、こいつは葉っぱのくちくら層
を削ってやって、そこにゲノムRNAをかけてやるだけで、感染が成立し、ウイルス
粒子が複製されてきます。一方、動物細胞に感染するポジティブ鎖のRNAウイル
スの場合は、少し難しくて、細胞にウイルスゲノムRNAを導入しても、ウイルス粒
子が複製されるものとされないものがあります(いうまでもなく、この実験が現在
うまくいかないから、将来も成功しないということを保証するものではありません)。
つまり、RNAウイルスの本態は、RNAそのものであって、その他の成分は、RNA
の分解を防いだり、効率的に細胞に導入するための、副次的な「仕掛け」であると
考えられます。

このような「科学的観察事実」があるため、RNAウイルスを生物に含めるかどう
かは、つまりRNAという単なる物質(情報を含んでいるところが重要)までも生物
に含めるか、という「生物の定義」の問題に帰着するのです。

そのため、私は
>こりゃ本題からはずれるが、生物の定義が問題ですね。
と申し上げました(#JA50さんが以下に述べるような事を意図したわけじゃないん
だな)。

(長いので分割、続く)


[852] RNAウイルスは生物か?(生物と無生物の境界) の続き
投稿者  : (舞い戻った)通りすがりの者
投稿日時: 2000年6月25日 14時45分
つづいて私が申し上げた、「科学的観察事実」
>ウイルスは、それ自身のみでは全く生命活動をしてませ
>んし、自己を複製できません。

これらに対するJA50さんのレスは下記です。

>>もちろん定義の問題でもあるんですが、自分の主張に都合が悪いものを、主張に都合がよいよ>>うに定義して排除するのでは議論が前に進まない。
>>たとえば、生物を、自己複製する生存機械とするのなら、ウィルスはりっぱな生物に入る。

>>それと、生命活動を一時的に停止する生物はウィルス以外にもいるのじゃないですか?
>>周囲の環境が自分の生存に適していない場合には、そうやって適した環境になるまで待つとい>>うのが。

3行目はJA50さんが生物の定義?を述べて、「RNAウイルスが生物である」と
おっしゃっている文脈だと思われますが、
「自己複製」とは、「自己が自己を複製する」という意味なのですか? 
それから「生存機械」とはなんでしょうね? 「生物が機械である」とは、「定義」
ではなく「比喩」としても意味不明です。「生物」の定義をしなおしてみてくれませ
んか?

それと、後段では議論がすりかえられています。4行目では、「ウイルスは一時
的に生命活動を停止している」と読み取れます。その下も含めると「ウイルスは
周囲の環境さえよければ、生命活動を行っている」ということになります。私は
そのような話はしていません。

そもそも、「RNAウイルス粒子は生命活動を行っていません」。

(微生物の場合、「生命活動」ってイメージしにくいですが、「生存に合目的的な、
一連の生合成・生分解、ないしはエネルギー産生・消費系、あるいはそれらに
基づく現象(例えば運動)」と言う定義ではいかがでしょうか)


[853] レスが遅くなりました
投稿者  : ヘルメス☆
投稿日時: 2000年6月25日 16時04分
こんにちは!

>余計なことを言わせてしまって本当に申し訳なく思ってます。
う〜ん、これは別に気にしないでくださいね。
「感情の働きに問題がある」ことも、自分自身の一つですし、それで今まで生きてきているので。
ただ、社会生活をする以上、それに合わせる態度(一種の演技)が必要になるのも事実ですね。
こう言う場合、研究と観察から“反応”や“態度”をエミュレーションしないといけないので苦労はあります。

>ある意味、オイラのように感情や本能で生きてるような奴からすれば
>ちょっと羨ましい感じもしますね。
>感情に翻弄されずに目的をやり遂げることができる・・・学者向きですね。
そうですね、確かに学者や技術者向きって言っちゃえばそうカモ。
ですが、最近は人間臭い“科学者”や“技術者”が必要でもあると思いますよ。
自分には出来ませんが・・・

>あまり情に流されやすいのも考え物です。オイラはそっち系。
いや〜、何かに感動するっていうのは一種、憧れですね、自分には。

>うちの教会にも理数系な信仰者がわりと多くて、
>みんないい人なんだけど、時々マニアックでついていけないなーって感じることも。
>同じ事を考えてたAくんが最近付き合いはじめた彼女は創造科学研究会のスタッフ(!)。
>でもなんかほほえましい組み合わせだから、また不思議。
>うーん、でも、もう3人でよく遊びに行けなくなるんだろうか?
>また取り残されていくぅ・・・
はは、それは困ったものですね。
マニアックに走りすぎると反動が結構怖いですよ。
まあ、好きになればなんとやら、でしょうね。

ではでは!

[854] Re: RNAウイルスは生物か?(生物と無生物の境界) の続き
投稿者  : PepperMyst
投稿日時: 2000年6月25日 16時45分
>そもそも、「RNAウイルス粒子は生命活動を行っていません」。
RNAウイルスは生命活動を行っているのですよね?

[855] 質問させて
投稿者  : クリス
投稿日時: 2000年6月25日 17時24分
全然関係ないんですが、ウイルスに詳しそうなので質問させて下さい。
分かる方がいたら、どなたでもいいんですが。

B型肝炎の原因ウイルスHBVって消毒用アルコールが無効ってことになっていて、
DNAウイルスの中でも非常に強い種類なんですが、なぜだかご存知ないですか?
というのは、普通のウイルスは消毒用アルコールが有効ってことになってるので。

[856] Re: はじめまして!・・・生涯が知りたい
投稿者  : NATROM
投稿日時: 2000年6月25日 23時58分
>はじめまして!!はじめてここのホームページに来ました。
>今社会でダーウィンの生涯について調べています。
>できれば年表であらわしているといいですが・・・・
>なにかそういうのがあれば教えてください。

まるみさんようこそ!お返事遅れてすみません。ダーウィンの伝記はいくつかある
ようですので、図書館に行けば年表は手に入ると思います。現在、私の手元にはあ
りません。簡単なものであれば、下のURLを参考にしてください。

http://www.zdnet.co.jp/internet/links/9911/24/past.html

ダーウィンが長い年月をかけて証拠を集めていたことは周知の事実です。「種の起
源」は思いつきで書かれたエッセイなどと言う人もいるようですが、事実とは異な
ります。

また質問があれば遠慮なくなさってください。

[857] Re: RNAウイルスは生物か?(生物と無生物の境界) 
投稿者  : T8848
投稿日時: 2000年6月26日 00時36分
>>そもそも、「RNAウイルス粒子は生命活動を行っていません」。
>RNAウイルスは生命活動を行っているのですよね?

どうなんでしょう。
生物の定義として、
1.子孫を残す
2.代謝をする
を挙げると、ウイルスははたして生物か?という問題が出て来るのではないでしょうか。
(ウイルスって代謝はしてませんよね??)

[858] Re: RNAウイルスは生物か?(生物と無生物の境界) 
投稿者  : クリス
投稿日時: 2000年6月26日 09時35分
>>>そもそも、「RNAウイルス粒子は生命活動を行っていません」。
>>RNAウイルスは生命活動を行っているのですよね?
>
>どうなんでしょう。
>生物の定義として、
>1.子孫を残す
>2.代謝をする
>を挙げると、ウイルスははたして生物か?という問題が出て来るのではないでしょうか。
>(ウイルスって代謝はしてませんよね??)

また、やっかいなことを(^^;
代謝の定義によるのでは?

[859] 生物の定義
投稿者  : へち
投稿日時: 2000年6月26日 18時25分
定義の議論をする際に重要なのは定義を統一すること、ではないような気がします。
自己矛盾がなく、有用なものであれば各人が勝手に生物の定義づけをしてもいいと思います。
重要なのは、様々な定義による「生物」について互いに混同しないこと、です。
混同しないために生物の定義について互いに認識を深める、というのは意味があるでしょうけど。

ちょっと生物の持つ重要な性質について整理してみました。
1.複製する
2.他の生物に頼らず複製できる
3.代謝をしている
4.膜によって外界と隔てられている
5.DNA(RNA)を持つ
こんなところでしょうか?他にありますか? 

[860] Re: RNAウイルスは生物か?(生物と無生物の境界) の続き
投稿者  : へち
投稿日時: 2000年6月26日 18時32分
>そもそも、「RNAウイルス粒子は生命活動を行っていません」。

生物の定義を問題にしているのに「生命活動」という定義があやふやな言葉を出して断言してもあまり意味がないと思いますが?

[861] 少子化は自然淘汰説の反証か?
投稿者  : JA50
投稿日時: 2000年6月26日 19時59分
簡略に纏められませんでした。
以下、引用が多くなりますが、「進化と人間行動」から。

P225
 ケニアのトゥルカナ湖の北の乾燥地帯に住んでいるラクダ遊牧民のガブラの人々は、ラクダのミルクと肉で暮らしています。家族の人数が増えれば、ラクダのミルクと肉の消費量が増えます。また、子が成人して結婚するとには何頭かのラクダをもたせてやらなければなりません。したがって、ガブラの親は、現在のラクダ保有量と、将来、子が結婚するときにもたせれてやることのできるラクダの量を考慮した上で子を持たねばならないと考えます。このことを、生活史のダイナミック・モデルを使って分析した、イギリスの人類学者のR・メイスは、ガブラがいつどのくらいの子を持つかの意志決定が、このような適応度の最大化によく適合していることを示しました。
 しかし、西欧では18世紀から、夫婦が生涯に持つ子の数が減少し始めました。そして、1970年代をさかいに、世界のどの地域でも人口増加率は減少しています。つまり、人々は、なるべくたくさんの子を持とうとは思わなくなったのです。図10・6は、1925年から1993年までの、日本の女性の出生率の変化を示したものです(特殊合計出産率の推移の図、1970年代中頃より2を切っている)。
 また、伝統文化の社会では、前述のように富の蓄積の多い男性ほど多くの子を持っていましたが、近代工業社会になってからは、財産や収入と子どもの数とは相関していません。人々が持とうと思う子の数が減ってきたことは、人間行動生態学の中でも大きな謎とされています。
(引用終わり)

(つづく)

[862] Re: 少子化は自然淘汰説の反証か?(2)
投稿者  : JA50
投稿日時: 2000年6月26日 20時00分
大きな謎とされているで終わりじゃ面白くありません。
ここで問題なのは、少子化という現象が「自ら適応度を下げようとする」行動の可能性があることです。

自ら適応度を下げようとする動物はいない。もしそんな動物が一定の地位を動物界で占めているとしたら、その動物は自然淘汰で説明できない。
少子化という現象が適応度を下げようとする行動なのか、その裏に適応度を上げる意味があるんだが、観察者に見えないだけなのか、、、

少子化を考える上での関連知識

自然淘汰の定義
P29
(1)生物には、生き残るよりも多くの子が生まれる。
(2)生物の個体には、同じ種に属していても、さまざまな変異が見られる。
(3)変異の中には、生存や繁殖に影響を及ぼすものがある。
(4)そのような変異の中には、親から子へと遺伝するものがある。
この四つの条件が満たされていれば、生存や繁殖に有利な変異が集団の中にだんだんと広まっていくという自然淘汰が生じます。
(引用終わり)

(つづく)

[863] Re: 少子化は自然淘汰説の反証か?(3)
投稿者  : JA50
投稿日時: 2000年6月26日 20時01分
適応度
P34
「生存率×繁殖率」という値は純増加率であり、それぞれのタイプについてこれを計算し、集団全体の値で相対化したものを適応度と呼びます。
(集団全体の値と比較した相対値まで求めずに、より簡便に生存率×繁殖率の絶対値をもって適応度という場合がしばしばあります)

最適化
P59
動物が持っている遺伝的変異によって、さまざまな点で異なる行動戦略が生じ、それぞれの行動戦略を取る個体の間に生存率や繁殖率の差が生じれば、適応度の高い戦略が、個体の間で広まっていくことになります。

人の行動と遺伝子
P63
人間の行動は、動物行動よりもはるかに複雑なものなので、行動と遺伝子との関係は対応がつかないのではないか、心や意志決定などは遺伝子をはるかに超越したところで起きていることではないか、という反論がすぐにも聞こえてきそうです。しかし、繰り返しになりますが、遺伝的基盤をまったく持たない行動というものは存在しません。心や意志決定にしても、脳や神経系が介在する作用である以上、遺伝的基盤から逃れるものではありません。遺伝的基盤という言葉は少し強すぎるかもしれないので、どのような行動でも多かれ少なかれ遺伝の「影響」を受けると言った方が適切かもしれません。
(引用終わり)

(つづく)

[864] Re: 少子化は自然淘汰説の反証か?(4)
投稿者  : JA50
投稿日時: 2000年6月26日 20時02分
最後に再度、問題点を、、、

P269
非適応的な行動について
 本書では、人間の心がどのように適応的に設計されているはずかを論じてきましたが、人間の行う行動のすべてが適応的とは限りません。また、何が適応的であるかということが、先験的に明らかなわけでもありません。
(中略)
 しかし、人間には、どう考えても非適応的な行動を選択することもあるようですし、それを楽しいと感じることもあるようです。人間は高次の推論能力を持ち、認知的流動性もあり、将来にわたっての帰結やさまざまな可能性を見通すことができますから、おそらく、適応とは無関係なことを考えたり行ったりすることができるのでしょう。第10章で検討した、子どもをたくさん持ちたがらない現代人の心理も、非適応的です。
(引用終わり)

著者も、少子化という現象が非適応的だと認めています。

その非適応的な形質が、なぜこれほど優勢なのでしょうか?
それは自然淘汰説の反証ではないのでしょうか。

(つづく)

[865] Re:あ、続きません、終わりです。
投稿者  : JA50
投稿日時: 2000年6月26日 20時04分
(つづく)と書きましたが、私の問いはこれで終わりです。

ご批判をお待ちします。

[866] Re:物的証拠、状況証拠(1)また分割?/化石
投稿者  : Chinese Italian
投稿日時: 2000年6月26日 21時08分
>Chinese Italianさん、活発な発言ありがとうございます。

NATROMさんこそ、いつも寛大な処置を感謝してます。

>そもそも「進化論では(化石は)何万年、何億年かけて出来る」とは言っていません。

まあ、それだったらわかるんですが・・・

>局地的な堆積(洪水や台風による海底土砂の巻き上げによる)によってに生物が巻き込まれ、短期間(具体的にどれくらいの時間が必要かは知りませんが、地質学的に短期間)で化石化したものが数億年後に発見されても良いのです。この説明で、創造論者の良く言う「長い時間かけて化石ができたのなら、その前に腐ってしまうはずだ」という主張が間違いであることもわかると思います。「相手の言っていないことを否定」しても意味がありません。

でも、オイラ独りが言ってることならオイラの空耳アワーだったかも知れませんが、違う
創造論者が同じ事言ってるとすれば、やはり進化論者、あるいは教職者の中に間違って
そう教えている人が少なからずいたってことなんじゃないんでしょうか?

>証言/証拠の件ですが、「地球は6000年前にできた」という証言と、証拠(サンゴ礁でも湖底の堆積物でも放射性同位体による年代測定でも鐘乳石でもいいです)が食い違った場合、どうすべきかとお考えでしょうか?もし、警察が「どのような証拠があろうとも証言は絶対に正しい」などと言えば問題なのではないでしょうか。

進化論的に「証拠」と思われたものが実は創造論的には「証拠」ではなかった、
ということもあるんじゃないでしょうか?その例はT8848さんへのレスにて。

[867] Re:物的証拠、状況証拠(2)もうだめ。お出かけします。
投稿者  : Chinese Italian
投稿日時: 2000年6月26日 21時20分
>>誤解のないように断っておきますと、決してオイラが進化論者を馬鹿にしてるわけでは
>>ないことを確認しておきます。理由は「いえ、そうでは〜」に書いてある通りです。
>
>はい、みなわかっていますよ。

いやあ、NATROMさんには頭が上がりませんなあ。

>あわてずにゆっくりやっていきましょう。ネットは逃げません。

NATOROMさんはいい人ですね。もしかしたらオイラ(’67・5月生まれ)より
年下かも知れないって言うのに。・・・関係ないか(笑)
でも何が怖いって、オイラがレスする前に元ネタのログが消えてしまって、何に対して
レスしようとしたかがわからなくなってしまうことですかね?もっとも過去のログが
全部残ってたらそれこそパニックだろうと思うけど(笑)

[868] Re: 少子化は自然淘汰説の反証か?(4)
投稿者  : T8848
投稿日時: 2000年6月26日 21時26分
>その非適応的な形質が、なぜこれほど優勢なのでしょうか?
>それは自然淘汰説の反証ではないのでしょうか。

種のレベルか個体のレベルかという問題じゃないですか。
ホモサピエンスとしては合計特殊出産率が2未満なのは適応的ではないといえるでしょうが、個体(個人)のレベルではそうではないのではないでしょうか。

以前は家とか一族とか子孫繁栄に価値が置かれていたし、産児制限の方法もなかった(間引きはあったか)。
今は子孫繁栄にはあまり重要とみなされていないし、産児制限の方法がある。
貧乏人の子沢山は避妊・堕胎ができるようになったことでなくなったといえるでしょうね。これは適応的かな。

比較的裕福な人が子孫繁栄、家の継続を重要とみなさなくなったことが、適応的かどうか、自然選択の反証になるかということですね。
でも現代は趣味や仕事や、とにかく今までなかったものがありすぎて、そういうものの影響がはじめて出てきたんじゃないかな。
もし自然選択が問題になるなら、淘汰を受けるのはこれからじゃないでしょうか。

[869] Re: レスが遅くなりました
投稿者  : Chinese Italian
投稿日時: 2000年6月26日 21時33分
>う〜ん、これは別に気にしないでくださいね。

ありがとうございます!

>ただ、社会生活をする以上、それに合わせる態度(一種の演技)が必要になるのも事実ですね。
>こう言う場合、研究と観察から“反応”や“態度”をエミュレーションしないといけないので苦労はあります。

なるほどー。リアクションも他人の反応を真似て自分のものとしてるんですね。
だからコメディアンのリアクションって大事なんだ・・・。(変に納得)

>マニアックに走りすぎると反動が結構怖いですよ。
>まあ、好きになればなんとやら、でしょうね。
>
>ではでは!

感謝します。これからも宜しくお願いします。

[870] Re: そんなことないんじゃないですか?(1)
投稿者  : Chinese Italian
投稿日時: 2000年6月26日 21時55分
>たまたまです。でもいきなりすごい反響ですね。

いやあ、ありがとうございます。でも正直びびってますね(笑)
あれぇ〜こんなにたくさんレスつけられな〜い(TT)って。(爆)
たこちゃんのように手足が8本欲しい。ついでに頭のCPUも1GHzくらい。

>まず私が言っているのは「創造科学」に対してであって「神がこの世界の創造者だ」ということに対してではありません。

おや、まあ(?)

>創造化学がの方が進化論よりも観測される事実と矛盾していることには以下のようなものがあります。
>具体的には創造科学と進化論のそれぞれの主張をNATROMさんや創造論再評価のサイトで比較してください。これらは物理学、化学、生物学、天文学などの研究成果があります。
>・岩石の生成年代
>・地層とそこに含まれる化石
>・生物の系統毎の類似性と差異
>・天体との距離

えー、全部見るのー?Quu〜厳しい。

>進化論的に見ればこのように分類できることが進化の証拠とみなされます(状況証拠)。

創造論的に見ればこのように分類できることが同じ創造主がデザイナーだからです。
(状況証拠)

>化石はその状況証拠を裏付ける物的証拠です。

ですから化石は物的証拠としては不十分ですね?

[871] Re: 創造主は第三者?
投稿者  : Chinese Italian
投稿日時: 2000年6月26日 21時57分
> 第三者だろうが証言者だろうが当事者の発言に証拠能力がないと言っているのです。
>これを認めると
>「あなたにはアリバイがありますか?」
>「あります。」
>「じゃあ、無罪。」
>ってことになるでしょう。

へ?何故そうなるんです?オイラ意味がわかってないのかな・・・?

[872] Re: 裁判にたとえると
投稿者  : Chinese Italian
投稿日時: 2000年6月26日 21時59分
>創造科学は冒頭陳述の前にもう判決が決まってるようなものです。そんな八百長裁判、私なら信用しません。

もう少し待っててくださいね。後でちゃんと説明したいと思ってます。

[873] Re: 法律にたとえると
投稿者  : Chinese Italian
投稿日時: 2000年6月26日 22時06分
>法律にたとえると、民事(刑事)訴訟法ってトコでしょうか。
><法廷で審理を進め方を定めた法律→訴訟法>

うーん、難しいことを言うんですね。

>さて、「科学」が支える進化論と「反科学」が支える創造科学
>(ってのも変な言葉になるが)では、どちらが訴訟法として
>優れているか。
>↑この「優れている」という価値基準はワタクシ的には合理的かつ民主的で
>あるかどうかという点にあるのですが。
>よくよく考えてみれば、創造論には<民主的であること>など眼中にない様子
>なのかもしれないなぁ。と。

「民主」ということばにはアヤがあるような気がします。
正確に「民主的」なことは必ずしも「公平」とか、「公正」であるか?ということ
なんですが、そのことはまた後で書かせて頂きます。

[874] Re: そんなことないんじゃないですか?(2)
投稿者  : Chinese Italian
投稿日時: 2000年6月26日 22時15分
>”いい人”が嘘を言わないと思ったら大間違いっすよ。
>たしかに”いい人”は自分のための嘘はつかないだろうけど、人のためになると思えばつくかも知れないし(これは人それぞれだけど)、
>”いい人”本人が騙されれば”誠実に”うそを言ってくれます。そのうえいい人ってのはあまり人を疑わないから騙しやすいんです。

ええ。その辺は常識ですから、その程度のことは承知の上です。

>ついでに言うと凄腕の詐欺師はみんないい人に見えます。たぶん。

もう少し付け足すなら、詐欺師はこちらが下手に出ると大抵容赦なく言いたい放題、
やりたい放題で本性を現しますからすぐわかります。しかも多くの場合、
こちらの都合など考えもしません。

その「いい人」の創造論者はこれらの全く正反対の人。会ってみればわかるんですがね。

[875] Re: 創造主は第三者?
投稿者  : GОA
投稿日時: 2000年6月27日 00時23分
>へ?何故そうなるんです?オイラ意味がわかってないのかな・・・?

 創造論とは創造主の言葉を根拠に現実の事象を説明しようとする理論体系ですので、創造論と進化論を含む科学のどちらかが現在観測される事実を上手く説明できるかという議論では、創造主の言葉は中立ではないので証拠にならないと申しているのです。
 創造論が聖書の教えとは全く別個に発展して、かつ進化論やその他の科学と同程度に現実の事象を上手く説明できる理論ならば、創造主の言葉が証拠となりうるかもしれませんが、そうではないはずです。

[876] Re: 生物の定義
投稿者  : クリス
投稿日時: 2000年6月27日 01時23分

>ちょっと生物の持つ重要な性質について整理してみました。
>1.複製する
>2.他の生物に頼らず複製できる
>3.代謝をしている
>4.膜によって外界と隔てられている
>5.DNA(RNA)を持つ
>こんなところでしょうか?他にありますか? 

5は必須なんですか?宇宙生命体などで、核酸を持たないものも想像されていますし。
2は微妙ですね。ウイルスを除外するための定義のような印象ですが。
動物は植物なしに生きることも繁殖することもできませんから、ここから外れるのでは?

[877] Re: RNAウイルスは生物か?(生物と無生物の境界) の続き
投稿者  : (舞い戻った)通りすがりの者
投稿日時: 2000年6月27日 01時28分
>生物の定義を問題にしているのに「生命活動」という定義があやふやな言葉を出して断言してもあまり意味がないと思いますが?

うむ、論理的矛盾という奴ですかね?
ま、「私の考えでは」ということで。私も以前述べたように定義を統一する
ことは、少なくともこの場では困難と考えています。

[878] Re: 少子化は自然淘汰説の反証か?(4)
投稿者  : PepperMyst
投稿日時: 2000年6月27日 07時37分
>その非適応的な形質が、なぜこれほど優勢なのでしょうか?
>それは自然淘汰説の反証ではないのでしょうか。

「少子化が自然選択の反証である」という説(JA50説と呼んで良いですか?)の問題点。
1)2つの形質の違いが遺伝子によるものとは限らない。
環境の違い、ミームの違いによることもある。
また、寄生生物によって形質が変わることもある。

2)ある環境で適応的な形質や遺伝子が他の環境でも適応的であるとは限らない。

3)絶対数が増えないから適応的でないとは限らない。
要は頻度さえ増えれば適応的なので、全体の数がそれ以上に減っていれば良い。

4)適応的な個体が増えることにより、結果として種などのグループの個体数が減ったり
増殖率が下がったりすることもある。(例:縄張り・子殺し・性比など)

4#)適応的な遺伝子により、個体の適応度が下がることもある。(セルフィッシュジーン)

こんなとこですかね。
##個人的には、遺伝子だけを100年前の日本人のものに戻しても子供をバンバン産むようになるとは思えませんが。
###ミームは、たしかドーキンスが作った言葉だったと思うけど、
###遺伝ではなくコミュニケーションによって増える情報単位のことで、
###文化、価値観などを指します。遺伝子よりも遥かに速く増殖し行動などに影響します。

[879] Re: 少子化は自然淘汰説の反証か?
投稿者  : JA50
投稿日時: 2000年6月27日 09時54分
>種のレベルか個体のレベルかという問題じゃないですか。
>ホモサピエンスとしては合計特殊出産率が2未満なのは適応的ではないといえるでしょうが、個体(個人)のレベルではそうではないのではないでしょうか。

自然淘汰説の反証じゃないかと言っているのですから、種淘汰の話ではありません。
個体が少なく子を産むようになった、それが統計としてそうなんだというのが特殊合計出産率のグラフです。

次の疑問点は、分化との関連だと思いますが、それは(3)のヒトの行動と遺伝子を読んで下さい。
「どのような行動でも多かれ少なかれ遺伝の「影響」を受ける」
全く遺伝の影響を受けない形質なら、それが形態であろうが行動であろうが、それらは自然選択説で説明できる範疇に入らないし、それ故、反証にもなり得ない。
ただ、著者も書いているように、どんな行動でも、多かれ少なかれ遺伝の影響は受けているのじゃないでしょうか。
全く受けないという行動なんてあり得るでしょうか?
それも、こういう統計的に明かになるほど明確な行動傾向なのに。

[880] Re: 少子化は自然淘汰説の反証か?
投稿者  : JA50
投稿日時: 2000年6月27日 10時35分
>1)2つの形質の違いが遺伝子によるものとは限らない。

(3)の人の行動と遺伝子も参照してください。

T8848さんへのレスにも書きましたが、ある形質が遺伝的影響を全く受けないものなら、それは自然淘汰説の範疇に入らない。それは自然淘汰説では全く説明できないものだし、反証ともなりません。
しかし、そもそもそういう形質があるとしたら動物行動学としては難点になるのじゃないでしょうか。

>2)ある環境で適応的な形質や遺伝子が他の環境でも適応的であるとは限らない。

そうなんですが、自らの適応度を下げるのが、適応的であり得るでしょうか?
どんな環境下においても。

>3)絶対数が増えないから適応的でないとは限らない。
>要は頻度さえ増えれば適応的なので、全体の数がそれ以上に減っていれば良い。

少子化遺伝子(子を少なく産むという行動を起こす遺伝的因子)がその集団中に増えるはずはありません。

>4#)適応的な遺伝子により、個体の適応度が下がることもある。(セルフィッシュジーン)

少子化遺伝子は、その遺伝子自体の頻度が下がるという遺伝子です。
これがセルフィッシュであるとは考えられません。

[881] Re: 少子化は自然淘汰説の反証か?
投稿者  : クリス
投稿日時: 2000年6月27日 13時06分

>ただ、著者も書いているように、どんな行動でも、多かれ少なかれ遺伝の影響は受けているのじゃないでしょうか。
>全く受けないという行動なんてあり得るでしょうか?
>それも、こういう統計的に明かになるほど明確な行動傾向なのに。

遺伝子の影響と「統計的に明かになるほど明確な行動傾向」に明確な直接関係があるとは限らないのでは?
遺伝子の行動への影響はいわゆる「複雑系」であり、現代科学で解明できるレベルを超えているはずです。

[882] Re: 少子化は自然淘汰説の反証か?
投稿者  : クリス
投稿日時: 2000年6月27日 13時12分

>>2)ある環境で適応的な形質や遺伝子が他の環境でも適応的であるとは限らない。
>
>そうなんですが、自らの適応度を下げるのが、適応的であり得るでしょうか?
>どんな環境下においても。

少子化=適応度を下げる。と言えるかどうかでしょうね。
これほど死亡率が下がってしまうと、少数の子供に多額のコストをかけて教育した方が、
適応度は上がるかも知れないですから。

>>3)絶対数が増えないから適応的でないとは限らない。
>>要は頻度さえ増えれば適応的なので、全体の数がそれ以上に減っていれば良い。
>
>少子化遺伝子(子を少なく産むという行動を起こす遺伝的因子)がその集団中に増えるはずはありません。

どうなんでしょう。難しくてよく分かりませんが、誰かキチンと計算しているのでしょうか?

>>4#)適応的な遺伝子により、個体の適応度が下がることもある。(セルフィッシュジーン)
>
>少子化遺伝子は、その遺伝子自体の頻度が下がるという遺伝子です。
これも、誰か計算しているのですか?

[883] Re: 少子化は自然淘汰説の反証か?
投稿者  : NATROM
投稿日時: 2000年6月27日 14時46分
少子化遺伝子なるものが存在するという仮定が正しいものとして話をすすめます。
(私は現代社会における少子化において遺伝的な影響を考慮する意味はほとんどない
と思いますが)

>少子化遺伝子(子を少なく産むという行動を起こす遺伝的因子)がその集団中に増えるはずはありません。

遺伝子の成功というのは、相対的なものであるので、必ずしもそうとは言えません。

PepperMystさん>要は頻度さえ増えれば適応的なので、全体の数がそれ以上に減っていれば良い。

のです。

A「どんな環境でも生涯に育てる子どもの数は2以下にする」

という戦略はJA50さんの言うように見込みはないでしょう。(ただし血縁淘汰を考慮すればそうとも言えない。ただ話がややこしくなるので、以下の議論では血縁淘汰も考慮しない。)しかし、状況により対応を変える戦略も存在します。

B「良好な環境であれば、可能な限り子どもを産む。厳しい環境であれば子どもの数は2以下にする」

という条件付戦略は、「いついかなるときでも可能な限り子どもを産む」というライバルの戦略に比べて成功するみこみはあります。厳しい環境において、戦略Bをとる遺伝子の絶対数は確かに減るでしょう。しかし、ライバルの対立遺伝子はもっと減ります。少子化遺伝子は、相対的に集団内での遺伝子頻度が増やしますので、十分適応的であると言ってよいでしょう。

「利己的な遺伝子」の7章「家族計画」が参考になるかと思います。ハツカネズミを過密な環境下(餌は十分に供給する)で育てると、個体数が横ばいになります。過密の結果、雌の繁殖能力が減退したためです。

[884] Re: 少子化は自然淘汰説の反証か?
投稿者  : NATROM
投稿日時: 2000年6月27日 14時53分
<CITE>動物は、彼ら自身の利己的な立場からみて、最適な数の子供を持つ傾向がある、というラックの見解を思い出してほしい。彼らが作る子供の数が少なすぎたり、あるいは多すぎたりすると、彼らの最終的に育てあげうる子の数は、もし彼らがちょうどよい数の子を産み当てたなら育てられたはずのそれより、少なくなってしまうのだ。ところで、この「ちょうどよい数」というのは、個体群の過密な年においては、個体群が希薄な年に比べてより小さな数となろう。</CITE>(利己的な遺伝子 P189)

もしヒトの集団が、「ちょうどよい数」が2以下である環境に長い期間(必ずしも連続していなくてもよい)さらされていたならば、「ときには子供の数を2以下にする戦略」が選択されることも十分考えられます。

ちなみに私が、「現代社会における少子化において遺伝的な影響を考慮する意味はほとんどない」と考える理由は、ヒト集団がかつてこのような環境にさらされたとは思えないからです。適応的ではないヒトの行動の例などゴマンとありますので(例えば避妊手段、自殺、実子殺し)、子供を産まない(あるいは一人しか産まない)と選択する行動も、遺伝的な要因を考えなくてもよいのではないでしょうか。

[885] 詐欺師は気づかれないからこそ詐欺師足り得るのです
投稿者  : へち
投稿日時: 2000年6月27日 17時16分
本題からそれてしまいますが。

>>ついでに言うと凄腕の詐欺師はみんないい人に見えます。たぶん。
>
>もう少し付け足すなら、詐欺師はこちらが下手に出ると大抵容赦なく言いたい放題、
>やりたい放題で本性を現しますからすぐわかります。しかも多くの場合、
>こちらの都合など考えもしません。

すぐわからないからこそ詐欺師足り得るのです。
じゃなかったら商売成り立たないでしょ?
それに、「すぐわかる」といっている人ほど騙されやすいモノなのです。
凄腕の詐欺師から見たらいいカモでしょう。
悪いことは言わないので、「すぐわかる」などとは考えない方がいいです。

>その「いい人」の創造論者はこれらの全く正反対の人。会ってみればわかるんですがね。

もちろん、その「いい人」の創造論者が詐欺師だと言っているわけではないです。
普通の人の視点からはその人が詐欺師がどうかはわからない、ということです。

[886] Re: 生物の定義
投稿者  : へち
投稿日時: 2000年6月27日 18時19分
>>1.複製する
>>2.他の生物に頼らず複製できる
>>3.代謝をしている
>>4.膜によって外界と隔てられている
>>5.DNA(RNA)を持つ
>>こんなところでしょうか?他にありますか? 

>5は必須なんですか?宇宙生命体などで、核酸を持たないものも想像されていますし。

たしかに、必須とは言えないかもしれませんね。

>2は微妙ですね。ウイルスを除外するための定義のような印象ですが。
>動物は植物なしに生きることも繁殖することもできませんから、ここから外れるのでは?

確かに微妙なところです。単純に複製だけなら植物がなくてもできる、とも言えるのですが、自分だけでは複製できない微生物もここから外れてしまう。

[887] Re:少子化傾向に遺伝子による影響が0だとしたら
投稿者  : JA50
投稿日時: 2000年6月27日 19時22分
これほど適応度をさげる行動なのに、それが遺伝子によるもので全くないとしたら、自然選択説というのは、非常に限られた部分にしか影響しないということになりませんか?

少子化傾向は自然選択説の反証かどうかというだけじゃなく、動物行動学そのものの存在さえ疑問になってしまわないでしょうか。

[888] Re: 少子化は自然淘汰説の反証か?
投稿者  : JA50
投稿日時: 2000年6月27日 19時27分
>少子化=適応度を下げる。と言えるかどうかでしょうね。
>これほど死亡率が下がってしまうと、少数の子供に多額のコストをかけて教育した方が、
>適応度は上がるかも知れないですから。

適応度とは、成長率×繁殖率。
日本のような先進国では成長率はほとんど1でしょうが、問題は繁殖率です。
これが2以下になっている。それを少子化と言っているんですから、少子化とは適応度が小さいということとほとんど同義とさえ言えると思います。

一時的に適応度を下げる行動はよく見られます。
しかし、少子化は数十年続いていて、その集団自体の個体数さえ減少しようとしています。
これが一時的に適応度を下げているとしていいんでしょうか?

[889] Re: 少子化は自然淘汰説の反証か?
投稿者  : JA50
投稿日時: 2000年6月27日 19時31分
>B「良好な環境であれば、可能な限り子どもを産む。厳しい環境であれば子どもの数は2以下にする」
>
>という条件付戦略は、「いついかなるときでも可能な限り子どもを産む」というライバルの戦略に比べて成功するみこみはあります。厳しい環境において、戦略Bをとる遺伝子の絶対数は確かに減るでしょう。しかし、ライバルの対立遺伝子はもっと減ります。少子化遺伝子は、相対的に集団内での遺伝子頻度が増やしますので、十分適応的であると言ってよいでしょう。

3人程度産み育てるというのを対立遺伝子にしたらどうでしょうか。
子どもを1人程度しか産まない少子化遺伝子よりも、ここ数十年における現代日本でどちらが適応的でしょう。
これは明かだと思いますが。

[890] Re:少子化が遺伝的要因0だとしたら、、、
投稿者  : JA50
投稿日時: 2000年6月27日 19時37分
>ちなみに私が、「現代社会における少子化において遺伝的な影響を考慮する意味はほとんどない」と考える理由は、ヒト集団がかつてこのような環境にさらされたとは思えないからです。適応的ではないヒトの行動の例などゴマンとありますので(例えば避妊手段、自殺、実子殺し)、子供を産まない(あるいは一人しか産まない)と選択する行動も、遺伝的な要因を考えなくてもよいのではないでしょうか。

一時的に適応的でない行動をする、いつもやっているにしてもそういう個体は少数である(例えば自殺する人などごく一部)というのは当然ありえます。
これらは自然選択説の反証にはなりえない。

しかし、現代日本における少子化という現象は、日本人という集団における多数を占め、さらに一時的な現象じゃなくここ何十年と続いていることです。
それも少子化というのは、非適応的な行動としてこれほど重要なものはありません。
自らを減らそうとする遺伝子、それが集団に多数を占めている。
これを自然選択説で説明可能でしょうか?

また、もし少子化という現象が、遺伝子的要因によるもので全くないとしたら、動物行動学という学問自体の存在意義は、かなり減るのじゃないでしょうか。
人間行動に自然選択説を持ち込み理解しようとする「進化と人間行動」というような本の価値自体が無くなりはしないでしょうか。

[891] Re:少子化が遺伝的要因0だとしたら、、、
投稿者  : PepperMyst
投稿日時: 2000年6月27日 21時20分
>また、もし少子化という現象が、遺伝子的要因によるもので全くないとしたら、動物行動学という学問自体の存在意義は、かなり減るのじゃないでしょうか。
>人間行動に自然選択説を持ち込み理解しようとする「進化と人間行動」というような本の価値自体が無くなりはしないでしょうか。
JA50さんが「動物のすべての行動は遺伝子だけによる」と考えていたならそう感じるかも知れません。でもそれは間違ったドグマです。
それにしてもJA50さんは「少子化遺伝子があると決して2人以上子供を産まない」と「少子化に全く遺伝子が関わらない」の両極端しか見えてないようですが。

[892] Re:少子化傾向に遺伝子による影響が0だとしたら
投稿者  : クリス
投稿日時: 2000年6月27日 22時27分
>これほど適応度をさげる行動なのに、それが遺伝子によるもので全くないとしたら、自然選択説というのは、非常に限られた部分にしか影響しないということになりませんか?
>
>少子化傾向は自然選択説の反証かどうかというだけじゃなく、動物行動学そのものの存在さえ疑問になってしまわないでしょうか。

影響が0とは言いませんが、目に見えるような大きさでもなさそうです。
気象現象というのも原理原則は風は気圧の高い方から低い方へ吹く、とか、
暖かい空気は上へ登るとか、単純かつ少数であるはずですが、事象として
あらわれるとあれほど複雑になるのですから。

[893] Re: 少子化は自然淘汰説の反証か?
投稿者  : クリス
投稿日時: 2000年6月27日 22時35分
>適応度とは、成長率×繁殖率。

これは正しいのですか?

>日本のような先進国では成長率はほとんど1でしょうが、問題は繁殖率です。
>これが2以下になっている。それを少子化と言っているんですから、少子化とは適応度が小さいということとほとんど同義とさえ言えると思います。

出生率=繁殖率なのですか?

>一時的に適応度を下げる行動はよく見られます。
>しかし、少子化は数十年続いていて、その集団自体の個体数さえ減少しようとしています。
>これが一時的に適応度を下げているとしていいんでしょうか?

それは分かりません。いけないとお考えのようですが、その根拠は何ですか?
何か、少子化遺伝子が存在することを証明したいとお考えのような印象を受けますが、
でしたら、最初に 少子化遺伝子が存在すると仮定しては循環論法になってしまいませんか?

[894] Re:少子化が遺伝的要因0だとしたら、、、
投稿者  : JA50
投稿日時: 2000年6月27日 22時41分
>JA50さんが「動物のすべての行動は遺伝子だけによる」と考えていたならそう感じるかも知れません。でもそれは間違ったドグマです。
>それにしてもJA50さんは「少子化遺伝子があると決して2人以上子供を産まない」と「少子化に全く遺伝子が関わらない」の両極端しか見えてないようですが。

動物のすべての行動は遺伝子によって100%支配されているなどとは考えていませんし、そう想定して疑問を挙げているのではありません。
また、少子化遺伝子があれば決して2人以上子供を産まない、などとも想定していません。
逆に遺伝子が全く関わっていないと考えるのもおかしいと考えます。その理由は既に書きました。

私は、少子化という統計的結果を引き起こしたヒトの行動に遺伝的影響が一部あるはずだと考えています。

もし、遺伝的影響が0だとしたら、少子化という現象には自然淘汰説は全く無力でしょう。
少子化という適応度に決定的な影響を与える行動に自然選択説が無力だとしたら、他の行動を説明するのにも無力だと思います。

[895] Re: 生物の定義
投稿者  : (舞い戻った)通りすがりの者
投稿日時: 2000年6月28日 02時32分
>自分だけでは複製できない微生物もここから外れてしまう。

これは何のことですか?

それはともかく、自分のイメージとしては、複製という場合にも、
その主体が、自己にあるのか他にあるのかに、こだわってしまい
ます。

同様に、自分としては、「生物」とは「生命活動を行っている
存在」と考えているのですが、たしかに上で突っ込まれたよ
うに「RNAウイルスは、生命活動を、、、」となると、微妙なんで
すね、主体をどう考えるかで。

[896] Re:少子化が遺伝的要因0だとしたら、、、
投稿者  : クリス
投稿日時: 2000年6月28日 09時43分
>逆に遺伝子が全く関わっていないと考えるのもおかしいと考えます。その理由は既に書きました。
私は目に見えるような大きさあるいは関係ではないと思うのですが、JA50さんは目に見えるような形での関与を主張なさる。その根拠が今いちよく分かりません。もう一度、説明していただけませんか?

>私は、少子化という統計的結果を引き起こしたヒトの行動に遺伝的影響が一部あるはずだと考えています。
ないとは言えないでしょうが、おそらくJA50さんが想像しておられるより遥かに小さくかつ複雑な影響だと考えますが。
>もし、遺伝的影響が0だとしたら、少子化という現象には自然淘汰説は全く無力でしょう。
0ではないが非常に小さい。従って、少子化という現象には自然淘汰説はほとんど無力。と考えます。

[897] Re: 少子化は自然淘汰説の反証か?
投稿者  : クリス
投稿日時: 2000年6月28日 09時47分

>3人程度産み育てるというのを対立遺伝子にしたらどうでしょうか。
>子どもを1人程度しか産まない少子化遺伝子よりも、ここ数十年における現代日本でどちらが適応的でしょう。
>これは明かだと思いますが。

孫の生まれる確率まで考えましたか?
優秀な子供は結婚できても、ぼんくらが育てば孫はできないかも知れないですよね?

[898] Re: 生物の定義
投稿者  : あき
投稿日時: 2000年6月28日 10時17分
おひさしぶりです。復帰しました。

生物の定義に関して議論されているようですが、

>1.複製する
>2.他の生物に頼らず複製できる
>3.代謝をしている
>4.膜によって外界と隔てられている
>5.DNA(RNA)を持つ

まず、5.物質の有無に関して述べており、1.2.3.4.は物質ではなく現象的な側面
について述べているので、同じ土俵で議論すべきではないと思います。

さて、ここでの生物が現在地球上で観察されている生物であるならば、2.はともかく
すべて満たしていると考えていいのではないでしょうか。
クリスさんが言われているように、想像上の生物を持ち出せば、核酸を持たないものも
あり得ますし、複製しない生物がいてもいいのではないでしょうか。
こう考えると3.4.は必須であるといえると思います。

[899] Re: 少子化は自然淘汰説の反証か?
投稿者  : NATROM
投稿日時: 2000年6月28日 10時28分
少子化遺伝子が存在すると仮定して話を進めます。

>3人程度産み育てるというのを対立遺伝子にしたらどうでしょうか。
>子どもを1人程度しか産まない少子化遺伝子よりも、ここ数十年における現代日本でどちらが適応的でしょう。
>これは明かだと思いますが。

かつて3人もの子どもを育てようとすれば3人共倒れになってしまうような環境下でヒトが進化してきたのならば、「3人程度産み育てる対立遺伝子」ではなく少子化遺伝子(より正確に言うのなら条件付き少子化遺伝子)が選択されてきたはずです。

確かに、ここ十数年における現代社会では「3人程度産み育てる対立遺伝子」が明らかに適応的でしょう。しかし、自然選択は「将来適応的になるから」という理由で選択を行いません。自然選択を問題にするのであれば、現代日本ではなく、かつてヒトがさらされてきた環境を問題にすべきです。


[900] Re:適応度など
投稿者  : JA50
投稿日時: 2000年6月28日 10時34分
少子化は自然淘汰説の反証か(3)の適応度と人の行動と遺伝子を参照してください。

それと、前にも書きましたが、数十年前から見られる少子化という現象に遺伝的影響が0だとしたら「進化と人間行動」というような学問の価値が大きく減ることになると思います。

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