進化論と創造論についてのツリー式掲示板

ダーウィンの進化論、聖書による創造科学(科学的創造論)について、または科学と疑似科学について、なんでもご意見、ご感想、ご質問をどうぞ。進化論を否定するための主張も別に書き込みを禁止していません。


[1100] Re:人参が人参として機能していない、、、
投稿者  : nut
投稿日時: 2000年7月9日 00時43分
>例えば、少子化が避妊方法をヒトが獲得したからだというのであれば、貧しいとか避妊教育ができていないために現在は出産率の高い集団に、無料で避妊用具を与えたり避妊教育をやればその集団は少子化するはずだ、というのはどうでしょう?

これは劇的な効果がありました。
一ヶ月ほど前に、厚生省人口問題研究所の方の講演会に出る機会がありました。その時の資料が残っていれば良かったのですが。。。。ちょっと机の上を引っ掻き回したくらいではどこにいってしまったものかわかりません(爆)
で、自分のメモを見ると、途上国の出生率はこの半世紀で半減したそうです(6→3%)。で、講演会ではこれを「家族計画」と「避妊具」の普及ということで説明していました。このうちどちらがより効果的であったのか、質問の機会を逸してしまったのですが、常識的に考えれば後者ではないかと私は思っています。

>出産とか子育てというニンジンが小さなものに過ぎないとしたら、出産、子育ての環境を社会的にいくら整えようが少子化を防ぐ効果はあまりないことにならないかしら。

はい、私もそう思います。もちろん、出産に伴う費用を低下させる(出産を魅力的にする)ことでいくらかの効果が見込めるかもしれませんが。。。正直な話、二人以上の子供を切実に望んでいる人々の数は、本当に多いのでしょうか。
それとこれは個人的な見解ですが、私は必ずしも少子化を問題だとは考えていません。本当に労働力が必要ならば、海外にいくらでもあるわけですし、適切なビジネスとして適切な労働報酬を支払うことで、労働力を「輸入」すれば良いのだと思います。


[1101] Re:つづき
投稿者  : nut
投稿日時: 2000年7月9日 00時44分
>「模倣子」ってミームのこと?

あ。。。ゴメンナサイ。それ漫画のネタでした(恥)。仰るとおり、ミームのことです。
従来、社会一般の傾向として「子を産み育てる」ことが社会人としての重要な役割(功績)とされてきました。この功績は、遺伝子が提供するものとは別のニンジンであったとは考えるのはダメですか? 
しかしこれは、個人の自由とか表現やライフスタイルの自由という考え方の普及(環境の変化)によってその重要性を低下させてきた。こうした「自由」は無条件で支持尊重されるのに、出産には必ずしも無条件の支持が与えられていません。このあたりが、クリスさんが指摘されている「人権問題」とかかわってくるのだと思うのですが。

[1107] Re:人参が人参として機能していない、、、
投稿者  : JA50
投稿日時: 2000年7月10日 09時58分
交尾の快楽というニンジンが大きくて、子供を沢山作ることを個体に促すニンジンは小さい、、、

nutさんの話では、この可能性が強くなりましたね。
今までは、このシステムで適応度が下がるようなことはなかったが、避妊手段をヒトが獲得したことで適応度が下がるようになったと。

う〜む、こりゃ、反論に困る。
白旗を揚げるかな。

何十万年かあるいは何百万年か分かりませんが、子供を沢山作る方のニンジンがより大きくなるでしょう。
それまでヒトという種が存続していたらの話ですが。

>それとこれは個人的な見解ですが、私は必ずしも少子化を問題だとは考えていません。本当に労働力が必要ならば、海外にいくらでもあるわけですし、適切なビジネスとして適切な労働報酬を支払うことで、労働力を「輸入」すれば良いのだと思います。

少子化が社会的に問題かどうかというのは社会科学とか政治などの範疇で、動物行動学というか進化生物学の範疇ではないです。

なお私も、この狭い日本に1億以上のヒトがいるのは不自然だと思いますし、少子化するのは適切な選択だと思っています。

[1108] Re:キリンの首
投稿者  : 識
投稿日時: 2000年7月10日 10時24分
>できれば最初の方にもどしませんか?

戻して下さい。お願いします。

>「キリンが(中略)、遺伝するからキリンの首は長いのだ。」というのと、「キリンの首が(他の動物と較べて)長いのは親から子へ遺伝しています」というのは同じことを言っているように思うのですが、、、

私は観察の結果を述べたただけです。キリンの首がなぜ長いかまでは言及しません。

>私は、これではキリンの首がなぜ長いのかを説明していることにはならないと言っているのです。

キリンの首がなぜ長いかは説明してないんです。ただ、観察により遺伝していると結論しただけです。

>行動についての変異も、また形態の変異も、その一部は遺伝する。
>本来は、それをきちんと証明すべきものです。
>行動の進化についてはもちろんのこと、形態の進化についてもです。
>しかし、現実にはいちいちそれをやってから自然選択説を持ち出しているのは少ない。

自然選択説の対象は遺伝する形質のみですよね。
行動がどの程度遺伝しているかは適切な観察を行わなければ分からないと云っているのです。
形態は観察により、遺伝していると看做すことができる。すべての形態について証明しないでも、
系統化されたマウスには形態の異常を起こしたりするし、実際にその異常を起こす原因遺伝子が単離されているので、
形態は遺伝子の制御下にあり、遺伝していると観察されます。

>その例としてキリンの首を持ち出しのですが、どうもあらぬ方に行ってしまった、、、

比較対象の方に話を戻しましょう。

[1112] Re:遺伝の関与量
投稿者  : 識
投稿日時: 2000年7月10日 11時05分
>行動についても、形態について自然選択説が言えることがそのまま適用されないと、動物行動学という学問が成り立たないのです。

遺伝の影響がどれくらいか分からないのに「遺伝しているから」じゃ無茶があります。

>例えば怒りっぽいとか、どういうヒトをパートナーにする傾向があるかとか、どういう顔を美しいと感じかとか、他人の教えをよく守るかどうかなど、これらは一部遺伝する。そういう親の子は、そうでない親より少しはその傾向がある。もちろん、全部そうだと言っているのではありません、その傾向がある、そういう行動様式の一部は遺伝するものだと言っているのです。

遺伝するとしても極々わずかに間接的な影響で、問題にならないくらいでしょう。
[1097]でクリスさんが否定されているように教育や環境によるものがほとんど全てでしょう。

>どの程度が遺伝するのか、またその形質(行動も形態も)がどれほど強く遺伝に影響されているのか(環境による関与はどれほどか)、そしてその形質の適応度がどれほどかなどで、その形質がその集団中にどれほどの確率で固定されるのか、固定されるとしてどれほどの時間(何世代)かかるのかなどが決まるのでしょう(これは集団遺伝学の範疇に入ると思いますが、私はこの数学はよく分からない)。

数学が分からないのは私も同じです。環境によってほとんど決まるなら、遺伝の影響は0に限り無く近いかも知れない。
そんな値は統計的に無意味ではありませんか。

>少子化という行動傾向についても同じだ、同じはずだというのが私の主張の前提です。
>違うとしたら、私の主張(少子化現象は自然選択説の反証だという主張)は成り立ちません。

遺伝の影響が0に近い。この場合その遺伝子に対する自然選択も0に近いのでは?

[1113] Re:経済学から。
投稿者  : JA50
投稿日時: 2000年7月10日 12時04分
>結局、出産に関する費用と便益なのだと思います。

出産だけじゃなく子育てまで入れた費用と、自分が子を持つことによる便益という言うべきかな?

これを、動物行動学的にどうとらえるか。
投資(コスト)と利益という考えがあって、ある行動によるコストが利益を上回るならその行動はその集団中に増加するってのがあるんです(文化的にはどうか知りません、あくまでも動物行動学での話)。
これとは少し違うみたいだし、、、

それとこれですが、

>一方先進国に目を向けると、出産に伴う費用は劇的に高まります。乳児死亡率を低めるために、出産そのものに
>も途上国とは比べようも無いくらい大きな費用が投下されています。また、経済社会に適応させるためにも多く
>の教育投資が求められます。さらに、出産育児のために多くの逸失利益を覚悟せねばなりません。これらの費用
>のすべては、途上国では考慮されないものですよね。

これは、子供を持つことによる投資が先進国の方が大きいから子供を持つことを減らしているということですよね。
これを環境が厳しいからと言い換えれば、環境が厳しい間は子供を持つのを減らせという狩猟採集時代の適応的な形質が発現しているのだととれないでしょうか。

[1114] Re:キリンの首
投稿者  : JA50
投稿日時: 2000年7月10日 12時06分
>自然選択説の対象は遺伝する形質のみですよね。

そうです、これが大前提。
変異の一部は遺伝するというのが自然選択説の成立する大前提の一つ。

>行動がどの程度遺伝しているかは適切な観察を行わなければ分からないと云っているのです。
>形態は観察により、遺伝していると看做すことができる。すべての形態について証明しないでも、
>系統化されたマウスには形態の異常を起こしたりするし、実際にその異常を起こす原因遺伝子が単離されているので、
>形態は遺伝子の制御下にあり、遺伝していると観察されます。

行動傾向が遺伝すること、そしてその遺伝子まで特定されているのがあったような記憶があります。

ただし、私のこの記憶が正しくても、それをそのまま少子化という行動にも適用できるとは限りません。
子供を産まないあるいは1人程度しか産まないという行動傾向が、実際に遺伝するものかどうかは、これはこれで確かめないといけない。

なお、少子の子孫は必ず少子である必要はありません。
統計上、その傾向さえあればいいんで、ここを誤解しないでほしいです。
変異の全部が遺伝するという必要はなく、一部は遺伝するというのが条件なんですから。

[1115] Re:キリンの首
投稿者  : 識
投稿日時: 2000年7月10日 13時11分
>>自然選択説の対象は遺伝する形質のみですよね。
>
>そうです、これが大前提。
>変異の一部は遺伝するというのが自然選択説の成立する大前提の一つ。

「少子の選択に遺伝子は関与するが、少子傾向が遺伝しているわけではない」というのが私の主張なのですけど。

>行動傾向が遺伝すること、そしてその遺伝子まで特定されているのがあったような記憶があります。

たしか、そのような遺伝子はあったと思います。
マウスでも系統によって性格がおおまかに決まっていますから、遺伝はすると思います。

>ただし、私のこの記憶が正しくても、それをそのまま少子化という行動にも適用できるとは限りません。
>子供を産まないあるいは1人程度しか産まないという行動傾向が、実際に遺伝するものかどうかは、これはこれで確かめないといけない。

そのために、比較対象を定めて、遺伝するかどうかを検証しましょうと云っているんです。
二人して、話をずらし続けてますけど。

>なお、少子の子孫は必ず少子である必要はありません。
>統計上、その傾向さえあればいいんで、ここを誤解しないでほしいです。

「少子傾向の集団の子孫は(同じ環境であれば)少子傾向である」は間違ってませんよね。

>変異の全部が遺伝するという必要はなく、一部は遺伝するというのが条件なんですから。

遺伝しない変異は自然選択には関係無いんじゃないですか?
もしかして「遺伝」に「遺伝子の機能が発現している」ことを含めて使っていませんか?
「遺伝した変異のすべてが発現する必要はなく、一部が発現する」というのが正確な意味じゃないですか?

[1116] Re:人参が人参として機能していない、、、
投稿者  : 太郎丸
投稿日時: 2000年7月10日 13時11分
>なお私も、この狭い日本に1億以上のヒトがいるのは不自然だと思いますし、少子化するのは適切な選択だと思っています。

すでに人はその肥大化した大脳によって、自然選択というハードルを越えたところで選択を行っていると考えられますね。
個体の遺伝子を残そうとする本能よりも、狭く考えれば自分の人生、広くみれば人という種全体の保存、さらに広げて、地球環境の維持を優先して行動している。
私なんか、人を野放しにしていれば、後4〜5代の内に絶滅の危機にあいそうだと考えているくらいですよ。
適切な人口はわかりませんが、かなり減らさないと地球とうまくつきあえないと思います。

[1117] Re:遺伝の関与量
投稿者  : JA50
投稿日時: 2000年7月10日 14時06分
>遺伝の影響がどれくらいか分からないのに「遺伝しているから」じゃ無茶があります。

こう言われてしまうと返す言葉がありません。
自然選択説で進化を説明する場合には、そういうものだと言うしかない。

>遺伝の影響が0に近い。この場合その遺伝子に対する自然選択も0に近いのでは?

0に近いのを0と見なしてよいかどうか、、、

識さんの主張は、動物行動学、いやそれ以上に自然選択説そのものの有効性への疑問の提示だと思うのです。

自然選択説で多産とか変異の存在というのはいいとして、その一部は遺伝するというのと、その変異が実際にどれほど成長率や繁殖率を左右するものかを実際に測定してから自然選択説でその進化を云々すべきなのかも。
さらに、もし「ほとんど0かどうか」という条件がつくとこれはさらに難しくなる。
その変異に遺伝の影響がどれくらいあり、その変異の適応度の差がこれくらいと、実際に観察によって数値が得られても、その数値が0と見なしていい値かそうじゃないかをどうやって決定したらいいのか、、、

キリンの首というので考えてみてください(キリンの首が長いという形質が遺伝するという前提での話ですので、そこを誤解しないで下さい)。
平均よりちょっと長いキリンとそうじゃないキリンで、実際にどれほど適応度に差があるのか。また、その首の長さの差が、どれほどが環境による差で、どれくらいが遺伝によるのかをどうやって計ったらいいのでしょう。
それらが実際に計られたとして、それがほとんど0かそうじゃないかはどこで区別するのか。
創造論者に、その変異による適応度の差はほとんど0だ、その変異への遺伝の影響はほとんど0だ、だから自然選択説ではキリンの首が長くなったことの説明になっていないと言われたら、識さんはどう答えますか?

[1118] Re:人参が人参として機能していない、、、
投稿者  : JA50
投稿日時: 2000年7月10日 14時11分
太郎丸さんがされているような主張はよく聞きます。
ヒトが絶滅するかどうかは神のみぞ知るでしょう。

ところで、
>すでに人はその肥大化した大脳によって、自然選択というハードルを越えたところで選択を行っていると考えられますね。

その肥大化した大脳も、自然選択の結果だとしたらどうなるのでしょう?

[1119] Re:キリンの首
投稿者  : JA50
投稿日時: 2000年7月10日 14時21分
>「少子の選択に遺伝子は関与するが、少子傾向が遺伝しているわけではない」というのが私の主張なのですけど。

この意味が理解できません。

少子の選択に遺伝子が関与していれば、自然選択説は適用できるのじゃないのですか。
また、「少子傾向の集団の子孫は(同じ環境であれば)少子傾向である」のなら、その少子傾向は一部遺伝によるものと言えると思うのですが。

>遺伝しない変異は自然選択には関係無いんじゃないですか?

もちろんそうです。
その変異の一部は遺伝するというのが自然選択説の前提なんですから。

>もしかして「遺伝」に「遺伝子の機能が発現している」ことを含めて使っていませんか?
>「遺伝した変異のすべてが発現する必要はなく、一部が発現する」というのが正確な意味じゃないですか?

「一部が発現する」ってどういう意味なのでしょう?

[1120] Re:キリンの首
投稿者  : 識
投稿日時: 2000年7月10日 15時54分
>>「少子の選択に遺伝子は関与するが、少子傾向が遺伝しているわけではない」というのが私の主張なのですけど。
>
>この意味が理解できません。

少子の選択は遺伝子の関与を受けています。しかし、特定でも多因でもかまいませんが、少子を選択する人特有の遺伝子の変異があるわけではないのではないか。
だから、少子傾向が、遺伝子によって引き起こされているわけではないと思われる。

>また、「少子傾向の集団の子孫は(同じ環境であれば)少子傾向である」のなら、その少子傾向は一部遺伝によるものと言えると思うのですが。

「遺伝によるものである可能性がある」だけです。それだけではまだ決められない。

>>もしかして「遺伝」に「遺伝子の機能が発現している」ことを含めて使っていませんか?
>>「遺伝した変異のすべてが発現する必要はなく、一部が発現する」というのが正確な意味じゃないですか?
>
>「一部が発現する」ってどういう意味なのでしょう?

少子を選択した親の子が少子でないなら、子の少子の遺伝子は発現していないわけですよね。
「変異の全部が遺伝するという必要はなく、一部は遺伝する」という意味がちょっと分からなくなってしまいまして。

[1121] Re:遺伝の関与量
投稿者  : 識
投稿日時: 2000年7月10日 17時37分
>>遺伝の影響がどれくらいか分からないのに「遺伝しているから」じゃ無茶があります。
>
>こう言われてしまうと返す言葉がありません。
>自然選択説で進化を説明する場合には、そういうものだと言うしかない。

確実な影響の度合いが必要なわけではなく、大雑把でもどの程度が遺伝によるものか分からなくては、自然選択説の範囲外では?

>>遺伝の影響が0に近い。この場合その遺伝子に対する自然選択も0に近いのでは?
>
>0に近いのを0と見なしてよいかどうか、、、

非常に長い時間を掛けて自然選択を受けるなら、0に近い値も無視はできないでしょう。
しかし、人間の歴史はたかが知れています。

>識さんの主張は、動物行動学、いやそれ以上に自然選択説そのものの有効性への疑問の提示だと思うのです。

そんな大層な疑問は投げかけていないつもりですが。

>自然選択説で多産とか変異の存在というのはいいとして、その一部は遺伝するというのと、その変異が実際にどれほど成長率や繁殖率を左右するものかを実際に測定してから自然選択説でその進化を云々すべきなのかも。

学術的には測定しないとただの仮説でしょう。
理論や仮説は直接的な証拠でなくとも、傍証が必要となると思いますが。

>さらに、もし「ほとんど0かどうか」という条件がつくとこれはさらに難しくなる。
>その変異に遺伝の影響がどれくらいあり、その変異の適応度の差がこれくらいと、実際に観察によって数値が得られても、その数値が0と見なしていい値かそうじゃないかをどうやって決定したらいいのか、、、

それは、どれくらいの世代を想定するかによって変わるのではありませんか?

[1122] Re:人参が人参として機能していない、、、
投稿者  : 太郎丸
投稿日時: 2000年7月10日 17時38分
>その肥大化した大脳も、自然選択の結果だとしたらどうなるのでしょう?
同感ですよ。
しかし、少子化現象は日本の場合この2〜3世代、西欧でも5〜6世代ほどでしょ。
人類が現在の脳の容積を獲得して何世代だと思いますか。
確かにこの500年間、いや50年間だけとってみても人類の生きる環境は爆発的変化を遂げ、そのことが遺伝に何らかの影響を与えている可能性を否定しませんが、人口に関して言えば増えすぎていることが問題なのであって、どこを探しても少子化現象が遺伝の関与を受けているという証拠を見つけるのは困難だと思います。
人間は巨大な脳の働きをうまく使って生き延びてきたことは間違いないでしょう。知能は確かに遺伝しているようですが、複雑な思考内容まで遺伝しているとは思えません。

[1123] Re:首の長さと自然選択
投稿者  : 識
投稿日時: 2000年7月10日 17時49分
>平均よりちょっと長いキリンとそうじゃないキリンで、実際にどれほど適応度に差があるのか。また、その首の長さの差が、どれほどが環境による差で、どれくらいが遺伝によるのかをどうやって計ったらいいのでしょう。

二つ以上の群れを観察して、その遺伝的差異と環境を考慮し、数学的な処理をするべきでしょう。
しかし、今いるキリンを比べても仕方がないと思いますが。

>それらが実際に計られたとして、それがほとんど0かそうじゃないかはどこで区別するのか。

進化の系統樹から分かれた年代を遺伝的差異により求めて、キリンの首の長さに関する遺伝子群が他の遺伝子に比べ固定(多形が少ない)されているかによって、
キリンの首の長さが適応度を高めているのかが求まるのでは。

>創造論者に、その変異による適応度の差はほとんど0だ、その変異への遺伝の影響はほとんど0だ、だから自然選択説ではキリンの首が長くなったことの説明になっていないと言われたら、識さんはどう答えますか?

意味が分からないのですが?「その変異による適応度の差はほとんど0だ、その変異が自然選択で残っていく確率は変わらない」って、意味ですか?

まず今現在のキリンの首の長さをはかること自体が無意味です。
キリンの首が今も伸びているとは思えません。ある程度の長さに達したらそれ以上延ばしても無駄でしょうから。
キリンが今現在首の長さによって、自然選択を受けていないだけに過ぎません。

[1125] Re:人参が人参として機能していない、、、
投稿者  : JA50
投稿日時: 2000年7月11日 11時11分
少子化現象に遺伝的影響があるのかないのかという話に変わっているのですが、、、

>しかし、少子化現象は日本の場合この2〜3世代、西欧でも5〜6世代ほどでしょ。

>どこを探しても少子化現象が遺伝の関与を受けているという証拠を見つけるのは困難だと思います。

この2つのどう関連するのか理解できないのですが、、、

少子化という行動様式が遺伝するのかどうか(全部じゃありません、一部)、それを確かめることは重要なことです。
子供産まない人の血縁者の子供の数とか、一卵性双生児ではお互いどれほど子供を産むんだろうとか、こういう観察を行わないといけないとは思います。
遺伝するあるいは遺伝しないと主張する両者とも、本来はこういう根拠を示してはじめて自己の主張をすべきものなのでしょう。

[1126] Re:キリンの首
投稿者  : JA50
投稿日時: 2000年7月11日 11時21分
>少子を選択した親の子が少子でないなら、子の少子の遺伝子は発現していないわけですよね。

なるほど、一部が発現するということの意味が分かりました。
確かにそう言えると思います。

>「遺伝によるものである可能性がある」だけです。それだけではまだ決められない。

もちろんそうです。
ただし、「少子傾向の集団の子孫は(同じ環境であれば)少子傾向である」のなら、その少子傾向は一部遺伝によるという一つの根拠になります。
科学というのはこういう根拠の積み重ねです。

>少子の選択は遺伝子の関与を受けています。しかし、特定でも多因でもかまいませんが、少子を選択する人特有
>の遺伝子の変異があるわけではないのではないか。
>だから、少子傾向が、遺伝子によって引き起こされているわけではないと思われる。

どういうことを言いたいのか理解できません。論理を追えないと言うべきか。
「少子の選択は遺伝子の関与を受けている」のなら「少子傾向が、遺伝子によって引き起こされている」と言えると思うのですが。いわばこの両者は同じ意味だじゃないでしょうか。ただし、関与も引き起こされるのも、一部です。全部じゃない。
遺伝で全部が決定されるわけではない。

[1128] Re:すみません、見逃していました>cakraさん
投稿者  : JA50
投稿日時: 2000年7月11日 12時29分
>少子化の説明として、1、適応的である、2、確率論的な揺らぎ、3、かつて適応的だが環境の変化で不適応の
>3種の説があげられているようですが、1、2は無理でしょう。そこで3を考えます。

3の可能性が一番あり得ると私も思います(ただし、1も捨てきれない)。
問題は、「かつて適応的」だったとはどういう環境にどういうように適応的だったのかです。

少子化と学習能力、さらに快楽の間の関係が分かりません。
ここをもう少し解説していただけないでしょうか。

>学習とは単純に言えば、入力と出力の連合をある種の量(快楽と呼ぶことにします)を最大化するよう調整する
>ことです。
>このような学習能力が進化するための環境要因は、全く不変ではないので柔軟な行動が必要ではあるが、快楽の
>追求が適応度最大化とほぼ一致する程度に不変であるというものでしょう。
>かつてはこの条件が成り立ち、故に人間は大成功しました。しかし今は成り立っていないように思います。

この部分がcakraさんの仮説における一番重要な部分なんでしょうが、これが理解できないのです。

学習能力は自然淘汰の結果であるのは間違いないと思います。
そして、学習能力そのものはもちろん、どういう方面の学習にヒトは秀でているかというようなものも自然淘汰によって進化してきたものだと思います。

ローマ貴族の研究で「現代日本でも、国だけでなく多くの国民が他の快楽を求めるため、出産、子育に費やす金を減らしているのではないでしょうか」と書かれていましたが、この可能性はあり得ると思います。
ただ問題はどうやればこういう仮説を検証できるかです。
他の快楽を少なくしたら、少子化しなくなる、というような実験をするわけにはいかないし、、、

[1129] Re:遺伝子の影響範囲
投稿者  : 識
投稿日時: 2000年7月11日 13時20分
>「少子の選択は遺伝子の関与を受けている」のなら「少子傾向が、遺伝子によって引き起こされている」と言えると思うのですが。いわばこの両者は同じ意味だじゃないでしょうか。

糖尿病を例にしてみましょう。
糖尿病は幾つかの遺伝子によって、罹りやすい人と罹りにくい人がいます。
しかし、多くの場合特定の遺伝子が欠損しているわけではなく、遺伝子の発現パターンや酵素の機能が先天性で機能が低下しているのが普通です。
(もちろん、先天性の糖尿病もありますね)
こういった、罹りやすい人が糖尿病になるのは遺伝子のせいとは言えません。
生活習慣による危険因子の増加によるものだと考えられています。
糖尿病に罹るのはほとんどの場合、環境によるものであり、遺伝子は関与しているが、遺伝子によって引き起こされているわけではありません。
しかし糖尿病に関与する遺伝子は糖尿病の罹患率にかなりの影響を与えます。これは糖尿病が代謝系の疾患であり、遺伝子産物である酵素が直にパラメータとして影響を及ぼすからです。
少子に関与する遺伝子はどうでしょう。遺伝子産物は行動に影響を及ぼすと仮定すると、糖尿病と違って直に影響を及ぼすわけではなく、数次的な影響です。
ですから、少子傾向を持つのは、環境によるものであり、遺伝子は関与するが、遺伝子によって引き起こされているわけではない、と私は結論します。
分かっていただけましたか?

[1130] Re:遺伝子の影響範囲>訂正
投稿者  : 識
投稿日時: 2000年7月11日 13時27分
「遺伝子の発現パターンや酵素の機能が先天性で機能が低下しているのが」を
「遺伝子の発現パターンや酵素の機能が先天性で低下しているのが」

「少子に関与する遺伝子はどうでしょう。遺伝子産物は行動に影響を及ぼすと仮定すると、糖尿病と違って直に影響を及ぼすわけではなく、数次的な影響です。
ですから、少子傾向を持つのは、環境によるものであり、遺伝子は関与するが、遺伝子によって引き起こされているわけではない、と私は結論します。」
この2文には論理的に飛躍しているので、間に「その影響の度合いは糖尿病よりさらに小さくなります。糖尿病の罹患の引き金が環境要因であるように、少子傾向の引き金も環境要因だと思われます。」を挿入して読んで下さい。


[1131] Re:遺伝の関与量
投稿者  : JA50
投稿日時: 2000年7月11日 16時23分
>それは、どれくらいの世代を想定するかによって変わるのではありませんか?

もちろんその通りです。

>非常に長い時間を掛けて自然選択を受けるなら、0に近い値も無視はできないでしょう。

これなんです、これ!
私はあの自然選択説の定義のところにある一部というのはほんの少しでもという意味だと理解しているのです。その理由が識さんの言われるこれなんです。

ある形質についてその変異が適応ということに全く中立なんてことはあり得ない。少し有利、すごく有利、逆に少し不利、ほとんど致死的というようないろいろな場合があるでしょうが、全く中立なんてことはあり得ない。
鋭利な刃物の上で棒が立っている。ちょっと振動が加わるだけでどちらかに倒れます。
不利な変異は淘汰される。少し有利な変異でもそれよりほんの少しでも有利な変異に追い抜かれる。結局は突然変異で現れた変異の中で最適なものがその集団に広がることになる。つまり最適者生存です。

>しかし、人間の歴史はたかが知れています。

いいえそんなことはありません。
人間は生命誕生からの歴史を背負っています。

少子化という遺伝子を考えて、それがここ数十年で広がったなどと私は言っているのではありません。これは理解していただいていますよね。そんなことはあり得ないのですから。
そうじゃなく、少子化という遺伝因子(あったとしてですが)がヒトという種に広がっているのが事実だとしても、それは少なくとも数十万年から数百万年というヒトがたどった歴史の結果のはず。
その長い歴史の中で、少子化というような非適応的としか考えられない行動様式がなぜ広がったのか、その適応的な意味は何か。
私が問題にしているのはこれなんです。

[1132] Re:首の長さと自然選択
投稿者  : JA50
投稿日時: 2000年7月11日 16時24分
>しかし、今いるキリンを比べても仕方がないと思いますが。

私が言っているのは、過去の首が長くなっていく途上のキリンの話です。

>「その変異による適応度の差はほとんど0だ、その変異が自然選択で残っていく確
>率は変わらない」って、意味ですか?

そうです、キリンの首が少し長いのと少し短いので適応度の差がほとんど0なら少し首の長いキリンが選択されず、自然選択で少しずつ首が長くなっていったのだという説明はおかしいと。
こういう創造論者の自然選択説への反論にどう答えたらいいでしょうか?

私は1121で識さんが書かれている「非常に長い時間を掛けて自然選択を受けるなら、0に近い値も無視はできないでしょう」という反論が一番いいと思います。確率が変わらないなんてことはない、少し、ほんの少しだが差がある。それが長い時間積もり積もれば0に近い値でも無視できない。
遺伝的影響がほとんど0でも、その適応度への影響がほとんど0でも、非常に長い時間をかけて自然選択を受けるのなら0に近い値でもそれは無視できず少しずつ首が長くなっていくのだと。

ほとんど0でも非常に長い時間をかけて自然選択を受け続けるなら、0に近い値でも無視できない、ということを、是非、記憶しておいて下さい。
これさえ理解してくれていたら、遺伝的影響がほとんど0だ、適応度に対する影響などそんな差ではほとんど0だというような反論が、自然選択説では反論にならないということも理解できると思うのです。

[1133] Re:人参が人参として機能していない、、、
投稿者  : 素人103
投稿日時: 2000年7月11日 16時43分

>少子化という行動様式が遺伝するのかどうか(全部じゃありません、一部)、それを確かめることは重要なことです。

 人間の少子化を動物行動学(遺伝子)で説明するには思考方法を変える必要があると思います。自然界全体に共通した基本的なものを根拠にすべきだとおもいますが、、、。
繁殖行動はオスの求愛、メスの受け入れ(結婚)、交尾、妊娠、子育てと続きこれは魚類から
哺乳類まで広く自然界に見られる基本行動です。種によって極めて特異的です(遺伝する)。
人間の繁殖行動遺伝子はおそらく太古の昔より変化していないと思います。
繁殖に関する変異の幅は非常に小さいと推定されます。ある範囲を超えるとすぐに淘汰されます。少子化の遺伝子が増えたとか、蓄積したとか言うと混乱します。単に古来一定の行動が
「抑制」された結果子供が減少したと考えたほうが合理的です。
 繁殖行動のうち、交尾までをつがい行動と呼ぶなら、未婚女性(男性)は何らかの原因でつがい行動が抑制されているのでしょう。この原因は抑制遺伝子ではなく環境だと思います。
自然界でも「最近つがいの数が減少した」などといいますから年次変化は十分考えられます。
過去に少子化行動があって、同じ環境で再び少子化行動を起こすことは考えられますが、遺伝子まで変化することはないと思います。




[1134] 検証は可能でしょう
投稿者  : 匿名希・望
投稿日時: 2000年7月11日 20時23分
通りすがりの者ですが

>ローマ貴族の研究で「現代日本でも、国だけでなく多くの国民が他の快楽を求めるため、出産、子育に費やす金を減らしているのではないでしょうか」と書かれていましたが、この可能性はあり得ると思います。
>ただ問題はどうやればこういう仮説を検証できるかです。
>他の快楽を少なくしたら、少子化しなくなる、というような実験をするわけにはいかないし、、、

過度に単純化して言いますが一卵性双生児を発展途上国と先進国で育てて観測する事を繰り返せば、「理論的には」検証可能でしょう。
#勿論、もっとスマートな方法はあるでしょうが

「理論上可能」なら、それは「科学的仮説」でしょう。
倫理的に出来ないのは「反証可能性」とは無関係です。

[1135] Re:人参が人参として機能していない、、、
投稿者  : 太郎丸
投稿日時: 2000年7月12日 04時16分
>その肥大化した大脳も、自然選択の結果だとしたらどうなるのでしょう?
同感としたのは、早とちり。大脳が肥大化したのは自然選択の結果と思うが少子化現象が自然選択の結果とは思えません。
>>しかし、少子化現象は日本の場合この2〜3世代、西欧でも5〜6世代ほどでしょ。
>>どこを探しても少子化現象が遺伝の関与を受けているという証拠を見つけるのは困難だと思います。
確かに飛躍しすぎてますね。
ところで、JA50さんの心配の種は「少子化現象」にあるのではなく、「特殊合計出産率が2を切るという驚くべき現象」にあると理解しているんですが違いますか。
日本や西欧諸国の特殊合計出産率が2を切ったのは、1970年代。その一世代前の出産率は「驚くべき現象」でしたか。むしろ程良く適応化(こんな言い回しは嘘)された現象だったのでは。さらにその前の世代は、日本は戦時中で「産めよ!増やせよ!」のスローガンにあおられ、かなり多産だったのではないですか。
「特殊合計出産率が2を切る」それだけを見れば適応していないように見えますが、たった一世代だけの現象です。人口過剰に対しての調整局面とか、一過性のものと考えるのが妥当ではないでしょうか。(乳幼児死亡率が低下したのでこれからそれほど多産になると思いませんが)

[1136] Re:人参が人参として機能していない、、、
投稿者  : 太郎丸
投稿日時: 2000年7月12日 04時18分
>子供産まない人の血縁者の子供の数とか、一卵性双生児ではお互いどれほど子供を産むんだろうとか、こういう観察を行わないといけないとは思います。
私にはこういう観察はできませんし、
>少子化という行動様式が遺伝するかどうか
それを確認することもできませんが、
少なくとも日本人の、この三世代における親子の出産率は似ていないように見えます。全く正反対の傾向すらあります。続く世代の出産率も確実な予測ができません。(スウェーデンなどでは出産率の回復が見られる)
つまり、この現象に遺伝はない。自然選択説の反証になる心配もない。
と、言えるのでは? 

[1137] そろそろ休憩しましょう
投稿者  : NATROM
投稿日時: 2000年7月12日 12時34分
根元の発言がとうに消えていますので、便宜上、一番新しい太郎丸さんにレスします。

冷却期間として、当ツリー式掲示板及び、通常の掲示板において3日間、少子化現象を含めた人間行動のダーウィン的説明と、その話題から波及した中立な(あるいはごく軽度に非適応的な)形質が集団に固定する可能性についての発言を禁止します。詳しくは通常掲示板を参照してください。

それ以外の発言はかまいません。活発な議論をいつもありがとうございます。ご協力をお願い致します。

[1138] Re:人参が人参として機能していない、、、
投稿者  : JA50
投稿日時: 2000年7月12日 14時36分
人間の少子化を動物行動学で説明するのに、社会科学や文化人類学的思考方法でやれば齟齬がでるのは当然ですが、具体的にどういう思考方法をすべきだと言われているのかいまいち理解できません。

なお、もし誤解されているとあれですので申し述べておきますが、私は少子化遺伝子が数十年という短時間で広がったと言っているのではありません。それと、少子化という行動が何かの環境に反応して引き起こされている(それが当人の意思如何に関わらず)のもその通りと思っています。適応的な形質は環境にうまく反応するからこそ適応的なんですから。

問題は、少子化を引き起こしている環境とは具体的に何かです。
素人103さんが言われる「この原因は抑制遺伝子ではなく環境だと思います」という環境とは具体的に何なのか。ヒトはその長い歴史から、いろいろな繁殖行動を獲得してきた。その繁殖行動が、現在、どういう環境に影響されて抑制されているとお考えなのでしょうか?

[1139] Re:糖尿病
投稿者  : JA50
投稿日時: 2000年7月12日 14時39分
糖尿病というので考えてみました。

糖尿病とか少子化の引き金に環境要因が関与しているのは当然ですが、そこに一部遺伝因子が関与しているかどうかが、自然選択説での説明が可能かどうかの境目じゃないのですか。そして、その一部というのは、ほとんど0でも、その影響が長期間にわたれば大きな変化をもたらすことは識さん自身も言われ、認められている。

インスリン分泌能には個体差があります。それは自然選択説でいうところの変異です。
そして、ヒトはその歴史上、ほとんどは飢餓ぎりぎりの状態で生きてきた。
沢山インスリンを分泌する能力など、本来は不必要だったのです。インスリン分泌能が少々低くても適応度は下がらないし、高くてもそれは宝の持ち腐れで適応度を高めない。
それが、現代のような飽食の時代になると、インスリン分泌能が低い変異は非適応的になってきた。
これと同じことが少子化でも言えると思うのです。
どれほど子を産み育てるかというのには個体差があります。変異です。
そして、インスリンがどれほどカロリーを摂取したかで分泌量が変わるように、子供をどれくらい作るかも環境との兼ね合いで変わる。沢山子供を産み育てる欲望や能力があっても(これらには一部遺伝因子が関与しているはず)、食糧の確保ができない環境なら数人、時には全く子供を作れないかもしれない。
で、現代日本など少子化が見られる国では、いったい何がその子供を産み育てる能力を発揮させず、子供の数を減らしているのでしょうか?
その環境とは何でしょう?
糖尿病の運動不足とか飽食とかいう環境因子にあたる少子化の環境因子とは何でしょうか。そして、インスリン分泌能という遺伝因子にあたる少子化の遺伝因子とは何でしょう?

[1140] Re: そろそろ休憩しましょう
投稿者  : JA50
投稿日時: 2000年7月12日 14時45分
あれま、残念。

自然選択説ってのは簡単なようで実際に適用する段になると難解。
それが今回の少子化現象についての論争でよく分かった。
最後までやったらいいと思うけど、NATROMさんはこのサイトの責任者です。
NATROMさんのご判断に従います。

でも惜しいなぁ、、、

[1141] Re:すみません>太郎丸さん
投稿者  : JA50
投稿日時: 2000年7月12日 14時47分
レスしたかったのですが、このサイトの責任者であるNATROMさんの中止勧告が出ましたので、、

[1151] Re:JA10さんへのお答え
投稿者  : 素人103
投稿日時: 2000年7月17日 10時53分
前回は変なところに顔を出してしまいすみません。それでも対応してくださったJA10さんに
感謝します。やっと考えがもとまりましたのでお答えします。

>素人103さんが言われる「この原因は抑制遺伝子ではなく環境だと思います」という環境とは具体的に何なのか。ヒトはその長い歴史から、いろいろな繁殖行動を獲得してきた。その繁殖行動が、現在、どういう環境に影響されて抑制されているとお考えなのでしょうか?

多くの動物のつがい行動が抑制される環境は「繁殖場所以外の場所」だと思います。ほかにもありますが、重要なものをとりあえず。
 JA10さんの「女性社会進出説」にも通じますので参考にしてください。
素人が出る幕ではなさそうですが、あと一度だけ意見を述べさせて下さい。
なにしろ旧式パソコンを使用していますので記憶力低下、反応も鈍いのでご配慮を。

[1152] Re:餌場と繁殖場所解離、少子は単なる不運か
投稿者  : 素人103
投稿日時: 2000年7月17日 11時41分

>>多くの動物のつがい行動が抑制される環境は「繁殖場所以外の場所」だと思います。ほかにもありますが、重要なものをとりあえず。

 多くの動物は餌場の近くで子育てをします。人類もそうしてきました。しかし産業が発展
するにつれて餌場(職場)と繁殖場所(家庭)が遠く離れてきました。それどころか場所によっては職場の近くに家庭を持つことさえ困難なっています。例「東京は子育てをするために
作られた都市ではない」こんな場所に家庭(土地、家)を持つには膨大な費用がかかります。
かといって田舎に行けば餌場(職場)がありません(過疎地)。
 このように「繁殖場所がない環境ではつがい行動は抑制され」少子化が起こります。
 そして少子の人たちは単に運悪くそのような場所に住んでいるというのが私の考えです。
そもそも子育てに関しては、現在の日本に生まれ育ったことがすでに運が悪いのです。
 もちろんこのことで進化論や自然選択説を否定するつもりはありません。
 
 あまりに単純すぎて議論になりませんか。

[1153] Re:餌場と繁殖場所解離、少子は単なる不運か
投稿者  : JA50
投稿日時: 2000年7月17日 18時06分
投稿禁止期間を過ぎましたから、再開してもいいですよね。

東京は繁殖場所じゃないんだというのは面白いです。

>多くの動物は餌場の近くで子育てをします。人類もそうしてきました。

なるほど、、、
人類がサバンナに適応することで誕生してきて以来、こうしてきた可能性はあり得ると私も思います。

それにこれは検証もしやすい仮説ですよ。
田舎の話をされていますが、もし素人103さんの仮説が正しいとしたら、田舎に飯場を持っている個体は繁殖行動が抑制されない(されているとしても程度が低い)はずですから、田舎に住んでいる夫婦と、都会に住んでいる夫婦で比べるんです。
それも、できるだけ条件を一致させて。
さらに、田舎に住んで都会に働きに行っている人も比較対象したらどうかというのも面白い。

もし、これで田舎に住んでいる夫婦では少子化の程度が少ないとなれば、都会を田舎化することで少子化を防げることになる。
少子化遺伝子を騙すんです。ここは田舎だよ、繁殖行動をしてもいい場所なんだよと。
もしあればの話になりますが、遺伝子というのは都会と田舎を何かの単純なシンボルで区別しているはずです。動物が外敵や獲物を認識する場合、ある特徴的な部分に注目して、その何種類かだけで外敵だ逃げろ、獲物だ襲えとやります。少子化行動を発現させているのもそういう単純な何かのはず。
例えば、緑の多さで区別しているとしたら、ビルの外壁を緑にすればいいことなります(まぁ、こんなにも単純ではないでしょうが)。

なお、
>素人が出る幕ではなさそうですが、あと一度だけ意見を述べさせて下さい。
とのことですが、私も素人です。

そもそも、ここに進化生物学の専門家の方っておられるのでしょうか?

[1154] Re:餌場と繁殖場所解離、少子は単なる不運か
投稿者  : 素人103
投稿日時: 2000年7月18日 17時57分

>田舎の話をされていますが、もし素人103さんの仮説が正しいとしたら、田舎に飯場を持っている個体は繁殖行動が抑制されない(されているとしても程度が低い)はずですから、田舎に住んでいる夫婦と、都会に住んでいる夫婦で比べるんです。
>それも、できるだけ条件を一致させて。
>さらに、田舎に住んで都会に働きに行っている人も比較対象したらどうかというのも面白い。

 東京は仕事はあるが土地(子育て場)がない、過疎地は土地はあるが仕事がない。両方ともある程度満足する場所では少子化の程度は低い。マッチドペアではありませんが示唆するデータはあります。特殊合計出生率()内は、東京「1.03)、北海道(1.20)、沖縄(1.79)、福島(1.63)。ちなみに東京は田舎もののるつぼです。
 

 人為的に繁殖場所が減少したり、逆に餌場が狭くなったりして個体数を減らす動物は
多いのです。このような場所では「やむなく」つがい(繁殖)行動が抑制されます。
このことが日本人にも当てはまるなら、動物行動学的に説明できるでしょう。
 これが人為的なものであれば自然淘汰ではありません。

 (つづく)





[1155] Re:餌場と繁殖場所解離、少子は単なる不運か
投稿者  : 素人103
投稿日時: 2000年7月18日 18時51分
>
>もし、これで田舎に住んでいる夫婦では少子化の程度が少ないとなれば、都会を田舎化することで少子化を防げることになる。
>少子化遺伝子を騙すんです。ここは田舎だよ、繁殖行動をしてもいい場所なんだよと。
>もしあればの話になりますが、遺伝子というのは都会と田舎を何かの単純なシンボルで区別しているはずです。

 JA50さんの言う田舎化は不可能です。ただし東京に家庭を作る場所を提供することはすでに実行されています。高層ビルを仕事場兼マンションに。逆に土地の安い場所を仕事場に
する方法もあります。要は仕事場と家庭をくっつけることです。それでも個人的には東京に
住む気はしません。成功率は低いと思います。それよりも通信関係の仕事などは田舎でもいいのでは?それにしてもJA50さんの発想は面白いですねエ。

>>素人が出る幕ではなさそうですが、あと一度だけ意見を述べさせて下さい。
>とのことですが、私も素人です。
>
 皆さん博学なのに驚いています。私のような者が「素人」を名乗ったのがいけませんでした。実は「ど素人」です。


 まとめます。日本の少子化は動物行動学的に説明できそう。人為的なもので自然淘汰とは
関係ない。少子化遺伝子ではなくて、上記環境下でつがい(繁殖)行動が抑制
されたための少子化である。

 頭を悩ませるのがnutさんの人参説、あるいは欲望説を動物行動的に説明可能かどうかです。もちろん説明不可能でもかまいませんが、誰か名案、珍説はありませんか。


[1156] Re:餌場と繁殖場所解離
投稿者  : JA50
投稿日時: 2000年7月19日 14時56分
>特殊合計出生率()内は、東京「1.03)、北海道(1.20)、沖縄(1.79)、福島(1.63)。

沖縄、福島の出生率が高いのは「両方ともある程度満足する場所」だからというわけですね、なるほど。
そして、東京は田舎者のるつぼ(東京人は田舎者がほとんど)なのに出生率が低いのだから、田舎者なら出生率が高いというのではなく、田舎者でも東京という環境におれば出生率が低下するんだと。つまり都会人が出生率の低い遺伝子を持っているからではなく、東京のような都会という環境がそうさせていると。

これは分かるので、しかし、、、

>まとめます。日本の少子化は動物行動学的に説明できそう。人為的なもので自然淘汰とは
>関係ない。少子化遺伝子ではなくて、上記環境下でつがい(繁殖)行動が抑制
>されたための少子化である。

私は逆じゃないかと思いました。

「両方ともある程度満足する場所」であれば繁殖行動を起こせというスイッチ(これは脳の神経ネットワークやホルモンなどが複雑に絡み合ったものでしょう)は一部遺伝の影響があると思うのですが。
そしてそのスイッチは自然選択によってヒトという動物が数十万年、数百万年とかけて獲得してきたものではないでしょうか。

さらに、素人103さんの言われる「要は仕事場と家庭をくっつけることです」というので出生率が増えたら、遺伝子を騙すことに成功したことになる。つまり素人103さんの仮説(餌場と繁殖場所の解離による少子化説)が正しいことが証明されたことになります。
これは言葉を変えて言えば、「上記環境下でつがい(繁殖)行動が抑制される」ようにヒトが進化してきたこと、そしてそのような行動様式を今もヒトは持っていることの動物行動学的回答の根拠の一つになると考えます。

[1178] Re: 若い地球/地磁気
投稿者  : NATROM
投稿日時: 2000年8月5日 10時29分
>1.地球磁場
>・減衰している磁場から逆算すると8700年で限界まで強くなってしまう。
>・ダイナモ理論は海底の電流の測定によって否定された。
>・地磁気の逆転はノアの大洪水が原因とするハンフリーズの理論で説明できる。
>・創造論を基にした計算で天王星と海王星の磁場が予測できた。

磁場に関しては地層の磁気を測ることで過去に逆転があったこと考えられています。地層の磁気を説明するために創造科学者が出したアドホック仮説(その場しのぎ仮説)が「ダイナミック減衰論」でしょう。

オーソドックスな古地磁気学によれば、深海底堆積物に記録された周期的気候変動を利用した年代決定及び放射年代測定によって、地磁気逆転史とその年代対比が明らかにされています(小玉一人 1999 古地磁気学 東京大学出版会)。短期間に地磁気の反転が何度も起きたというのであれば、なぜ地磁気逆転の記録と、他の年代測定とがピタリ一致するかを説明する必要があります。3つの時計がそれぞれ同じ時間を指しているとき、「その時計は狂っているのだ」と主張するのは簡単ですが、「なぜ狂っている3つの時計がピタリ一致しているのか」を説明するのは困難です。創造科学者は説明できません。

天王星と海王星の磁場については、それ以前の出版物で予測していたのでしょうか?参考文献が示されていれば確認できるのですが。

[1179] Re: 若い地球
投稿者  : NATROM
投稿日時: 2000年8月5日 10時40分
>2.宇宙塵
>・月面の塵は数ミリしかなかった。宇宙塵の量から考えて数メートルだと推定されていた。

宇宙塵の積もる速度についての見積もりを、創造科学者は考えられるもっとも大きな数字を使いました。現在ではその見積もりは間違っているとされています。その見積もりは、地球で計測された値を元に算出されましたが、地球の侵食由来の「塵」を考慮に入れていなかったからです。人工衛星で観測された数字はもっとずっと小さいですが、創造科学者はその数字は使いません。

TalkOrigins Meteorite Dust and the Age of the Earth
http://www.talkorigins.org/faqs/moon-dust.html

[1180] 若い地球(追加)
投稿者  : クハ72
HP    : http://www.interq.or.jp/hokkaido/kuha-72/
投稿日時: 2000年8月8日 00時35分
 早速NATROMさんがレスしてくれました。ありがとうございます。
 [1176][1177]に挙げたURLは久保有政『創造論の世界』(徳間書店)の要約ですので、参考文献はそれに書いてあると思います。

 で、若い地球のページで触れられていなかったネタがありましたので追加いたします。
 出展はリチャード・ミルトン『進化論に疑問あり』(武生淑子訳・心交社)、南山 宏『地球史を覆す「真・創世記」』(学研)です。ミルトンの本はリフキン『エントロピーの法則2』やヒッチング『キリンの首』と違い、日本語ではあまり批判に晒されていないようですね。

7.ヘリウム
・大気中のヘリウムは地中から出て来るのだが、実際にはそこから推定される量より少ない。
・ヘリウムは空気より軽いが、宇宙空間に放出される事は少ない。

 これも宇宙塵と同じで地中から出てくるヘリウムの量の見積もりが多過ぎたってことでしょうか。

[1181] Re: 若い地球(追加)
投稿者  : K
投稿日時: 2000年8月9日 12時18分
>
>7.ヘリウム
>・大気中のヘリウムは地中から出て来るのだが、実際にはそこから推定される量より少ない。
>・ヘリウムは空気より軽いが、宇宙空間に放出される事は少ない。
>
> これも宇宙塵と同じで地中から出てくるヘリウムの量の見積もりが多過ぎたってことでしょうか。

ヘリウムの場合は大気圏から脱出する量の見積もりが小さすぎるという話でした。

「エントロピーの法則」の新しい版には進化論批判はまったくなく、
リフキンは進化論を認めたらしいという話もあります。
「エントロピーの法則」の旧い版は持ってますが、特に新味はないです。

[1182] 「イブ仮説」は間違いだった?
投稿者  : 遠藤
投稿日時: 2000年8月10日 19時16分
「創造論の世界」(久保有政著、徳間書店)という本の中に、「間違いだったイブ仮説」という一節があります。以下、少し引用します。

>「イブ仮説というのがあって、ミトコンドリアDNAの研究によって、現在の人類の母はアフリカ中南部に住んでいた一人の女性であり、人類発祥の地はアフリカと言われているのではないか」と問う方もいるに違いない。けれども、進化論者が唱えたこの「イブ仮説」は全くの間違いであったことが、すでに一九九二年に判明している。
 米国ワシントン大学のアラン・テンプルトン博士が『サイエンス』誌に論文を発表し、イブ仮説を一刀両断に切って見せたのである。そしてこの批判を受けたイブ仮説の提唱者たちも、あっさりと自分たちの間違いを認めてしまった。
 イブ仮説は、DNAの分析データをもとに、コンピューターがはじき出したものであった。しかしそのコンピュータのデータ処理の方法に、じつは初歩的なミスがあった。結局この騒動でわかったことは、この方補では人類の起源はわからない、ということにほかならなかった。(同書p257-258)

創造論支持側の論説としては珍しく、データ記述が具体的です。お願いなのですが、この話の真偽をご存じの方は詳細について教えていただきたいと思います。よろしくお願いします。

[1183] 詳細(?)です--その1
投稿者  : GОA
投稿日時: 2000年8月10日 22時05分
「ネアンデルタールと現代人」(河合信和著 文春新書 平成11年8月20日初版)からの引用です。(p62−63)

 92年2月にワシントン大のアラン・テンプルトンは、ミトコンドリア・イヴ説を痛烈に批判する短報を『サイエンス』に発表した。テンプルトンによると、キャン(GОA注:イブ説提唱者の一人)らは系統樹解析の為に使ったコンピューターソフトPAUPを誤用している、という。同じソフトを使うと、可能性のある系統樹が百本以上も見つかり、しかもその多くは起源がアフリカ人でなくアジア人であることを示した、と論駁した。
 また同じ号に、キャンと共同研究者だったペンシルヴァニア州立大のマーク・ストーンキングも論文を寄せ、キャンらの研究を見直してみると実に5万本もの系統樹が可能であって、地域的に起源地を特定できなかった、と書いた。イヴ仮説があまりにも華やかだったために、批判による反動もまた強烈だった。イヴ仮説は、一気に信用を失墜してしまったのである。

[1184] 詳細(?)です--その2
投稿者  : GОA
投稿日時: 2000年8月10日 22時09分
 しかしその後の展開を追うと、キャンらの提言は基本的にはやはり正しかった、といわざるを得ない。世界中の現代人のミトコンドリアDNAの違いは、熱帯アフリカのチンパンジーの固体群間に見られる違いの十分の一しかない。現代人であるホモ・サピエンスの起源がかなり新しいことを示す証拠でもある。またアフリカ人集団が最も大きな遺伝的多様性を有することは、どの学者も否定していない。遺伝的多様生の大きさは、それだけ集団の起源が古かったことを物語る。
 さらに、バークリーでのキャンの指導教官で、91年に亡くなった分子人類学最大の貢献者であるウィルソンは、亡くなるまでに自分たちの集めたものを含め4千人以上の非アフリカ系の人間の標本を調べたが、アフリカ外の古い人類に起源を持つミトコンドリアDNAをただの1例もみつけることはできなかった。現在でも、そうである。
---------(引用終わり)

つまり、最初の発表には誤りがあったものの、別のミトコンドリアDNAの調査ではアフリカ起源説を支持する結果が出ているし、結果としてアフリカ起源説は正しかったということです。
また同書では、ミトコンドリア・イヴ仮説以外のアフリカ起源説を支持する証拠を挙げております。

[1185] ありがとうございました
投稿者  : 遠藤
投稿日時: 2000年8月11日 08時59分
GOAさん、丁寧な回答ありがとうございました。

>つまり、最初の発表には誤りがあったものの、別のミトコンドリアDNAの調査ではアフリカ起源説を支持する結果が出ているし、結果としてアフリカ起源説は正しかったということです。

 なるほど、つまり久保氏は意図的かどうかはわかりませんが、古い事実のみを記し、その後の展開については一切記さなかったということですね。いかにもありそうなことです。もっとも、たとえ「イブ仮説」否定できたとしても、進化論の確からしさに何の影響もないとは思いますが。
 余談ですが、久保氏は「聖書の暗号」という本を出版しているようです。なんでも聖書には20世紀の日本の世相が暗号によって書かれてるとか。私がクリスチャンであれば、彼に対して猛抗議するけどなあ…。

>また同書では、ミトコンドリア・イヴ仮説以外のアフリカ起源説を支持する証拠を挙げております。

興味があるので、本を注文してみます。

[1187] 4.彗星について
投稿者  : SHR
投稿日時: 2000年8月15日 11時48分
>4.彗星
>・1万〜10万年程度で彗星は消滅する。オールトの雲は観測されていない。
>
> 彗星の遠日点をプロットしていったら太陽系の周辺に集中していて、そこからオールトの雲が提唱されたんですよね。

これはカイパーベルトでは?
ウールトの雲は、太陽風と太陽系の重力がつり合う地点に、いわば星間物質の吹き溜まりが
あるのでは、という仮説だったかと。質量が軽く小さいものほど流れやすいから、原子/
分子の軽いやつが溜まりやすい、環境も窒素骨格とか炭素骨格とかの生命に必要そうな
ものを合成しやすそうだから、彗星がここから来れば生命を蒔くことが出来そうという、
SFと惑星天文学の間の子の存在です。
キロ単位の小惑星さえアステロイドベルト以遠では観測出来ないのに、それより小さい
彗星の核だけが観測出来るはずもないと思うんですけどね。
#ガリレオ衛星イオの火山とか、表面の模様とかのキロレベルのさえボイジャーでやっと
#認識出来た。
彗星の寿命はまあそんなものでしょう。ウールト雲やカイパーベルトのような寒いところ
なら幾らでも持つでしょうけど、木星軌道内だとあっというまに蒸発していきますから。
1周出来ない彗星が殆どだそうですし。
#で、それがまた太陽風に吹かれてウールト雲に還り次の彗星の原料の一部になる、と。

[1188] Re: それではナチスですよ
投稿者  : 通風
投稿日時: 2000年8月20日 04時03分
>このようなものは教育や環境に左右されるのです。
>怒りっぽい親の子は親のまねをして怒りっぽく振舞うのです。
>というより、他の行動を習わないから、それしか知らないのです。
>
>今更、何十年も前の優生学の亡霊に出会うとは。。。

 怒りっぽいというような行動は遺伝的に規定されないでしょう。しかしキリンの行動様式の一部は首の長さによってその首を効率よく使おうとすれば自然と決まってしまうし、幾つかの動物で性行動のパターンは親から切り離して育てても受け継がれます。

 例えば、猫はごく早い時期に親から離れても、完璧ではないかもしれないですが、発情期に同じような行動を示します。

 それは全く遺伝的に規定された生化学的反応が行動のかなりの部分を規定していると言えないのでしょうか?

[1189] Re: ありがとうございました
投稿者  : 悪霊
投稿日時: 2000年8月20日 04時07分
>GOAさん、丁寧な回答ありがとうございました。
>
>>つまり、最初の発表には誤りがあったものの、別のミトコンドリアDNAの調査ではアフリカ起源説を支持する結果が出ているし、結果としてアフリカ起源説は正しかったということです。
>
> なるほど、つまり久保氏は意図的かどうかはわかりませんが、古い事実のみを記し、その後の展開については一切記さなかったということですね。いかにもありそうなことです。もっとも、たとえ「イブ仮説」否定できたとしても、進化論の確からしさに何の影響もないとは思いますが。
> 余談ですが、久保氏は「聖書の暗号」という本を出版しているようです。なんでも聖書には20世紀の日本の世相が暗号によって書かれてるとか。私がクリスチャンであれば、彼に対して猛抗議するけどなあ…。
>
>>また同書では、ミトコンドリア・イヴ仮説以外のアフリカ起源説を支持する証拠を挙げております。
>
>興味があるので、本を注文してみます。

[1190] 市民のための科学教育(1)
投稿者  : 安賀須若人
投稿日時: 2000年8月23日 18時12分
今(8/23現在)はもう一つの掲示板よりもこちらの方が余裕がありそうなので、、、
私なりに考えた科学教育の必要性について投稿します。

現代生活の中で科学技術の占める比重は人類史上例を見ないほど大きくなっている、
ということに関しては否定する人を捜す方が難しいのではないかと思います。
また、場合によっては我々の生命や人類の運命を左右しかねないものすら少なくありません。
例えば、遺伝子組み換え作物を栽培し、それを加工した食品を流通させることについては
安全性を巡って政治・経済上の対立があります。
こういう問題に対してどのように対処していけばよいのでしょうか。
問題になっている事柄に関する正確な知識と判断力がなければ、
大きな危険を見逃して取り返しのつかない事態を引き起こしたり、
あるいは逆に根拠のない不安に駆られて事態を改善する決定的な機会を逃してしまったり
しかねないのではないでしょうか。
それでは、判断を「正確な知識を持った専門家」にだけ任せておけば良いのでしょうか?
私は、そうは思いません。
市民自らが、自らのよりよい未来を実現するために、
政策的な判断にコミットしていくべきだと考えます。
そのためには質の高い科学教育が必要であると考えます。

[1191] 市民のための科学教育(2)政策的判断における科学
投稿者  : 安賀須若人
投稿日時: 2000年8月23日 18時41分
私が、専門家にだけ任せておくわけにはいかないと考えている理由を説明します。

専門家同士の間にも学説の対立があり得る、ということはある意味で常識でしょう。
そして、ある時点での学界における多数派・少数派は
必ずしも学説自体の妥当性によるものでないということは科学史の教える通りです。
これが、単に学問(科学)の世界の話であれば良いのですが、
実際の政策的判断はそうではありません。
ある多数派の学説に従ってた政策的判断がなされれば
「より妥当な学説が最終的に認められるに到った」などと言えるようになる前に
犠牲者が山のように溢れかえってしまうかもしれないのです。
皆さんは狂牛病騒動を覚えておいでかと思います。
狂牛病はプリオンという感染因子によって引き起こされると見なされていますが
S.プルシナーがプリオンを提唱したときには
学界では一時否定的な見解が多数派を占めました。
実際、プルシナーを「ノーベル賞狙いの山師」呼ばわりした解説記事を見たことがあります。
(記憶があいまいですが確か岩波の雑誌「科学」だったと思います)
プリオン説の受容が進んでから狂牛病が問題になったので
公衆衛生的な政策は皆さんご存知の通りになりましたが、
もし仮に1980年代の半ばに狂牛病騒動が生じていたら
政策的な判断は当時の主流派の見解にしたがっていただろうと想像するに難くありません。
学界の少数派・非主流派の学説を尊重して政策を決定すればよいというものでもありません。
ノーベル化学賞を受賞したK.マリスは
「HIV(注:ウィルスの名前)はエイズの原因とは言えない」という奇説を唱えていますが
エイズ対策に彼の意見を反映すべきなのでしょうか?

[1192] 市民のための科学教育(3)市民と科学的判断
投稿者  : 安賀須若人
投稿日時: 2000年8月23日 19時00分
専門家にだけ判断を任せておけないのであれば、
市民が専門家の説明を聞いて政策形成にコミットして行かなければならないと考えます。

ここで、重要なのは単に知識を持っているということではなく
(そんなことでは、学界の主流派のコピーしかできませんから)
提示された論拠・データに対して判断を加えていくことができるということです。
実験や調査自体を専門家でない人物が行うことは困難ですが、
結果を判断するのであれば、健全な科学的判断ができると思います。
また、そういう判断ができないのであれば政策形成にコミットする意味はなく、
専門家に「市民にも説明はした」という免罪符を与えるだけになってしまいます。

ところが、科学的な判断を身につけるのには質の高い科学教育が必要です。
例えば、データの統計処理について判断するには統計学を学ばなければ無理です。
そもそも、科学的な判断というのは日常的な素朴な判断ではないのです。
教育訓練なしには客観的・合理的な科学的判断はできないのです。

#人間の日常的な思考は必ずしも合理的でないということについては
 認知科学的な研究が行われているようです。この方面の参考書としては
 市川伸一「考えることの科学」(中公新書)を挙げておきます。

[1193] 市民のための科学教育(4)科学教育の敵「疑似科学」
投稿者  : 安賀須若人
投稿日時: 2000年8月23日 19時18分
市民が科学的な判断力を身につける上で障害になるものの一つに疑似科学があります。
疑似科学といっても転落した異端科学からトンデモまで程度は様々ですが、
明らかに程度の低い疑似科学が結構蔓延しているのは事実です。

これには、今日行われている科学教育が科学的成果を知識として覚えさせるだけで、
いわば「物知り博士」であることしか要求していないという欠陥があります。
ですから、本屋にいって新刊コーナーで見た一見もっともらしい書籍にでていると
「最新の説だとUFOはプラズマ現象で説明できるらしい」とか
「キリンの首が長くなったのはウィルス性の疾患らしい」とかの妄説を
自慢げにまわりに吹聴して回るような人物を量産していると思います。

科学教育で科学的思考法を身につけさせるようにすることは
「科学」と「疑似科学」を区別できるようにすることであると思います。
結果的に「疑似科学」を駆逐するような教育をおこなうことが
市民が自らの幸福な未来の実現のために政策形成にコミットできるようする上で
必要とされていると考えます。

私は、気まぐれで怠惰で応答が遅い上に、結構気むずかしくて皮肉もいいますが
自分の意見を撤回することができる程度には理性があるつもりですので
皆さんのご批判・ご意見をお待ちしています。

[1194] Re: 市民のための科学教育
投稿者  : masayuki
投稿日時: 2000年8月25日 01時49分
先日チラッと見たTVで自動車免許の更新と交通事故発生頻度との関係について警察庁の発表したデーターのいい加減さについていろいろやってました。
要するにデーターの一部を隠すことによって、全く逆の(官僚にとって都合のよい)結論を導き出しているわけです。
一見、科学的に見える方法を使って、高校時代数学をさぼってきた、私のような一般市民を騙すような手口はよく見受けられます。
私もきちんとした科学教育の必要性をいつも感じていました。
教育を受ける機会は結構あると思うのですが、高校で数学を教えている教師がいうに「数学ではなくて、計算術をおしえている」こんな教育システムに問題があると感じてます。

[1195] 科学教育が心配です。
投稿者  : 安賀須若人
投稿日時: 2000年8月25日 17時38分
masayukiさん、レスどうもありがとうございます!

TVの報道や解説なんかはいい加減なのが多いですね。
やらせなどの意図的な歪曲だけではなく、
どうみてもいい加減な実験やデータの取扱いが多いです。
インターネット上の情報も玉石混淆で、
間違った解説を得々と披露しているものも珍しくないですからねぇ。
本物と偽物を見分けるためには質の高い科学教育が必要だと思います。
ただ、現実には「数学ではなくて、計算術をおしえている」というのも
本当なんだと思います。本当に科学教育が心配です。

[1196] 宗教と科学教育について(1)
投稿者  : 安賀須若人
投稿日時: 2000年8月25日 17時41分
市民社会において信教の自由は認められています。
キリスト教を信じようと、仏教を信じようと、それは信じる人の自由でしょう。
ここで、一つの問題が生じてきます。
それは宗教教義と科学的知識の間のある種の緊張関係です。
もちろん宗教の形態にもよりますが多くの宗教においては、
世界や人間の由来(創造等)あるいは自然の構造についての教義が含まれており、
その宗教の根本的聖典(例えば聖書)にはそのような教義が記述されています。
また、多くの宗教は超越的存在(神)に対する信仰であるため
超越的(≒超自然的)作用による奇跡等を認めています。
そのため超自然的作用を除外した自然科学による世界に関する説明や記述と
宗教教義との間にある種の緊張関係が生じることがあります。
現代宇宙論(ビッグバンとか)と伝統仏教(極楽浄土や輪廻説など)との関係であるとか、
この掲示板で多くの議論を生んでいる進化論とキリスト教との関係であるとかも
そのような緊張関係の例であるといえるでしょう。
このような緊張関係についての調停あるいは解決の仕方は多様であり、
宗教や宗派によってその解決への取り組みも異なるでしょうし
また個人によって対応が分かれるところのものでしょう。
宗教教義と科学的知識の緊張関係についての対応の一つに、
私自身は決して推奨いたしませんが、
世界についての自然科学的説明を拒否するというのもあります。
(「進化論を拒否して創造論を信じる」等です)

私は、このような自然科学的説明を拒否する人達にも
是非とも質の高い科学教育を受け入れていただきたいと思います。

[1197] 宗教と科学教育について(2)
投稿者  : 安賀須若人
投稿日時: 2000年8月25日 17時47分
その理由は、我々の未来についての政策判断に
自然科学的説明を拒否する人達にも一緒になってコミットしていただきたいからです。
これは、例えば遺伝子組み換え作物を巡る問題であるとか
異種間臓器移植を認めるか否かという問題であるとかなどは
自然科学的説明を拒否する人にとっても共通する問題と思うからです。
こと科学に関して言えば、科学的思考法というものが
日常的な思考法と比べると数理的であったりして非常に複雑なので、
訓練なしには議論の筋道を追うことすら難しいのも事実です。
ですから少なくとも宗教教義と対立しない多くの問題に関しては
自然科学の思考法を学ぶために科学教育を受けるべきではないでしょうか。
また、教義に直接衝突しない問題であればもちろんのこと
教義との間に緊張関係があるような問題であっても、
相手の言っていることをできる限り合理的であるように解釈するという
コミュニケーションの基本を思い起こせば、
自分と違う宗教を信じている人(違う前提に立った人)が
何故そのような結論に到ったかについては考えられるはずです。
つまり、科学的な思考法が身に付いていれば
ある科学的説明を受け入れているかどうかについて、
科学の内在的立場からの理解が可能ではないかと思います。

#もちろん、相手が何故そのように考えているかについて理解するのは
 双方向的な努力が必要でしょう。

[1198] 宗教と科学教育について(3)
投稿者  : 安賀須若人
投稿日時: 2000年8月25日 18時08分
また、公共的な理由ではなく、むしろ個人の内面的な問題ですが
宗教教義と科学的説明のいずれかを選ぶにあたっては
どちらも深く理解した上での個人の主体的な選択として行われるべきではないかと、
私自身は考えています。
科学で何故そのような説明を妥当と見なしているかについて深く考えずに
「科学であるかのように装った」だけの疑似科学的説明を受け入れるというのは
個人の内面において信仰を鍛えることを回避することになりはしませんでしょうか?
科学について充分に理解した上で、それでもなお宗教教義を選択された方については
深い内面的葛藤を克服された上でのことでしょうから、
科学の立場からは何かをいうことなどできないのではないかと思います。
逆説的ですが、
信仰者の方に科学を充分に理解した上で主体的な選択をしていただくためにも
質の高い科学教育を受けていただくことは役に立つと思います。

宗教関係者の方の中には異なるご意見をお持ちの方もおられるかと思いますが、
一つの意見として聞いていただければ幸いです。

[1199] Re: 市民のための科学教育(4)
投稿者  : 悪霊をきる
投稿日時: 2000年8月26日 11時45分
>私は、気まぐれで怠惰で応答が遅い上に、結構気むずかしくて皮肉もいいますが
>自分の意見を撤回することができる程度には理性があるつもりですので
>皆さんのご批判・ご意見をお待ちしています。

基本的なご意見は「知識」と「科学的思考法」は比例するわけではない、というオーソドックスなものであり異論はありません。
ただ、科学的思考法も知識の一種であること(だからこそ教育の必要がある)は無視できませんし、「知識」と「科学的思考法」は正の相関があるのは間違いなさそうです。
科学的思考法ばかりを偏重して「知識」の方が疎かになっても困りますし。

今の教育方法に欠陥があるというより、「知識」の段階ですでに落ちこぼれてしまう生徒が少なくないんでしょう。
皆が皆、高等教育を受ける能力(資格?)があるという幻想は間違っているような気がします。
各々にふさわしい教育とか学校があって当然でしょう。悪平等は戦後日本の悪い点じゃないでしょうか。

[1200] 科学的思考法について
投稿者  : 安賀須若人
投稿日時: 2000年8月26日 15時22分
悪霊をきるさん、レスどうもありがとうございます。

>ただ、科学的思考法も知識の一種であること(だからこそ教育の必要がある)は無視できませんし、「知識」と「科学的思考法」は正の相関があるのは間違いなさそうです。
>科学的思考法ばかりを偏重して「知識」の方が疎かになっても困りますし。

「知識」という言葉の定義にもよるのでしょうが、
私は「知識」と「技能」を分けて考えています。
格闘家や技の名前、あるいは技のコツや戦術を言葉として知っているのが「知識」、
実際に技が使いこなせて闘えるのが「技能」です。
「技能」は時間を掛けて訓練して初めて身に付くものです。
私は「科学的思考法」は「知識」ではなく「技能」であり、
訓練なしには身に付くものではないと考えています。
もちろん、基礎的な「知識」なしでは「技能」の使いようがありませんから
知識教育が重要だと言う点に異存はありません。

「皆が皆、高等教育を受ける能力がある」という主張をするつもりはありませんが、
地球科学と「創造科学」の洪水地質学のどちらが科学的かについて
理解・判断できない人が大部分であるならば、
疑似科学批判も「権威主義的」方法によらなければならなくなるという危惧を持ちます。
本格的な「科学的思考法」は理系の大学院でやらないと無理かもしれませんが
初歩の手ほどきくらいなら、中学高校でも可能なのではないでしょうか。

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