進化論と創造論についての掲示板ログ407

2008年01月01日〜2008年01月13日
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感想と妄言  投稿者:地下に眠るM 投稿日: 2008年01月13日23時22分

>一読者くん

チミの発言は感想というにはレベルが低すぎるにゃ。
チミの発言のどこを探しても、まったくなんにも根拠といえるものの提示がにゃーぜ。

>みなさんがよっちゃんさんに対して主張されていること(種の移行に関して)は、化石記録とは、合致しておりませんね。

この発言なんか典型なんだけど、どの発言のどの部分がどういう化石記録と合致していないかとかいう具体的なことがまるでにゃーわけよ。

「感想」「印象」ですら事実をベースにしたそれなりに合理的な判断なんだよにゃ。
読書感想文って、実際に本を読まなきゃ書けにゃーだろ?
チミのは感想でなく、妄言、タワゴトの類い。


化石が強力な証拠  投稿者:ゆんゆん探偵 投稿日: 2008年01月13日16時29分

>一読者さんへ
時代ごとに連続的な生物の変化を持つ化石の分布を説明できる仮説は今のところ進化論だけです。
また、生物の形態的特徴がパッチワーク的なキメラでは無く、ツリー上の入れ子構造になっていることを説明できるのも進化論だけです(これ、本当は図を描かないとちょっと説明しづらいのですが…)。
生物のDNAにも進化があった証拠はたくさん刻まれています。

こうした研究は「なんとなくこんな感じ」という漠然としたイメージの下行われているわけではなく、どれも詳細な数理的基礎の上に築かれています。つまりきちんと「計算されている」わけですね。

この掲示板でそうした細かい話が出て来ないのは、「それをやっているとキリが無い」だけの話です。そういうことをしていると論文やら書籍の丸写しになってしまいますし、書く方にも読む方にも時間がかかるだけ。だからそういう細かい話は「本を読んでね」となるわけです。管理人のNATROMさんがお勧めの書籍を多数紹介しているのもそういう理由です。

この掲示板のやりとりをちらっと流し見した段階で「何かを見切った」ような気分になるのは、いささか早計です。進化論に疑問を持たれたのであれば、本格的な書籍なり論文なりを当たって学習されることを強くお勧めします。


その疑問符はよくわかる  投稿者:ゆんゆん探偵 投稿日: 2008年01月13日16時15分

>chochonmageさん
拙文が何がしかの役に立つようなら何よりです。私のこちらの掲示板への書き込みは、実際にレスの対象としている人以上に、横で見ているギャラリー向けに書いている側面があるので、こうした反応は嬉しいです。

>shinok30さん
>>アゲハチョウ属の交雑を中心とした種とその分化の研究.
>>蝶類学の最近の進歩 (Spec.Bull.Lep.Soc.Jap., (6) : 475-498
>http://www.bio.nagoya-u.ac.jp:8001/~hori/88AeSj.html
>このように,別種であっても
>「近縁種間では(様々な段階での)交雑の成功率が高くなり,
> 類縁関係が遠くなるほど,交雑の成功率が低くくなる」というように,
>『交配後隔離』の程度の違いは連続的です

これは面白い研究。
進化論的(というより遺伝学的、か?)な予測からは当然そうなるだろうな、と思っていたのですが実際に研究で確かめた人がいるわけですね。「同一種に属する個体同士だから交配可能なのではなく、交配可能な遺伝子を持つ個体の集団を種と呼んでいるのだと」という実態をよくあらわしたよい研究だと思います。

まあ、でも、私はよっちゃんさんの頭の上に浮かんでいるだろう大きな疑問符もよくわかるんです。

「種とは実態が無く、交配可能な似た遺伝子を持った個体の集団でしかない」と言うのは、人間の日常的感覚からするとものすごくピンと来ない。裏を返せばそれは「僕のお父さんお母さん、兄弟姉妹、大好きなミヨちゃんも、『同じ人間』だというのは実は幻想。それぞれ別々の生き物でしかないんだよ」って意味になりますから。これって日常的感覚に反するだけじゃなくて、何かすごく物悲しい現実を突きつけられた気分になる言説ですね。

進化論を理解するには、人間の時間感覚でとらえている内には無理があります。それは一種の「ヒューレカ!」、パラダイムの転換だと思うのですね。私はすでに、いつそういう驚きを伴う思考の転換を経験したかも忘れてしまったのですが、私の学習の途上にも恐らくそういう瞬間はあったはず。

数十億年というタイムスケールと、何千億、何百兆という生物個体の数、この人間の日常的感覚から外れた2つの非日常的スケールを無理やりにでも頭の中で想像できるようになって、初めて「進化論の理解」というのは背骨が通るのかなあなんてことを考えてしまいました。


生物とカラーの、グラデーション  投稿者: 投稿日: 2008年01月13日13時12分

「色相環」が成立する為には、自然のスペクトルに無い色、マゼンタを(無理に)加える必要が有りますね。

本来のカラー変化は直線的なもので、そう言う理解の方が生物のグラデーションに近いような気がします。
つまりカラーも生物も、少しづつ変わって行った先は、いつの間にか自然の状態では交じり合わないようになる、と言うことだと思います。

http://illustrator-ok.com/illustrator_koza/color/contents/color6.html#magenta_plus

http://illustrator-ok.com/illustrator_koza/color/contents/color6.html#magenta_plus


生物のグラデーション  投稿者:大文字ナン 投稿日: 2008年01月13日10時20分

http://www.microsoft.com/japan/msdn/columns/hess/hess08142000.aspx

↑上記は私の本職(笑?)であるグラフィックデザインの基礎知識となる「色彩学」について紹介しているソースです。ここに「色相環」という概念が出てきます。種と云う概念を理解するにあたり、この知識が実は強力なツールになる、と考えましたので紹介します。

たとえば「赤」と「橙(オレンジ)」は同じ赤系統の色(暖色)ですが、絵の具やクレヨンでは違う色として区分されています。色相環で見ると、橙は赤から青方向へ少し進んだ色(赤に黄色を混ぜた色)であることが分かります。また、赤とピンクの場合、ピンクは赤から白方向(彩度が落ちる=白が混ざる)へ進んだ色であることが理解できます。絵の具を混ぜたり、グラフィックソフトを使用したことがあるひとなら、これら「色から色への移り変わり」はグラデーションとして連続的に表現できることを知っているはずです。

生物の「種」と呼ばれる概念も、実はグラデーションであり、連続しています。確かにニンゲンはチンパンジーを生みません。同様にして、チンパンジーがニンゲンを生むこともないでしょう。両者はすでにグラデーションの両端に移動してしまっているからです。しかし、両者には共通の祖先があり、種の系統の枝別れを化石証拠や骨格標本、DNA(ゲノム)を解析すれば「非常に近い近縁種」であることが理解できるのです。

進化論(というか生物そのもの)を誤解している映画や物語の描写に、現生のサルの仲間を見て「ヒトに進化する前のヤツ」などと表現していることがありますが、まったくの誤解です。現生の生物はすべてが「進化の頂点」にいるのであり、それぞれの環境に適応しています。現生からさらに違う方向へ変化する可能性はいくらでもありますが、色相環でいう「座標」はどんどん離れていくのであって、近づく(ヒトがチンパンジーを生む)ことはありません。


ヒトの進化  投稿者:ナナシー 投稿日: 2008年01月13日 9時57分

一読者さん

>ヒトの進化の事実については、たったの300年間の観察事実でもって、数万年、数十万年溯ってこうであったに違いないなどと地動説並みに結論されることに関しては、たしかに凄いとは思いますが・・・それは単にこうあっただろうという信仰のようなものに過ぎないのではないでしょうか。

少なくとも一般的な進化に関わる研究者はヒトの進化について「こうであったに違いない」という結論は出していません。人類がアフリカの一地域から誕生したという単一起源説ですらここ数十年で定説となったものです。しかもその定説を絶対的に確信している主流の科学者はいません。
また単一起源説を採ったとしてもその細部にわたっては異論がありますし、そこから現代に至るまでの進化の過程でも意見が分かれます。

したがって一読者さんの感想は単なる思い違いです。進化という観測された事実と数十万年あるいは数億年にわたる進化の歴史に関する類推とは確からしさが異なるのは進化論を支持する人の間でも共通した認識です。さらに言えば今の進化論が絶対正しいと証明できる人も存在しません。

科学理論について誤解をしたまま間違いだと思うことは仕方ないことだと思います。これをきっかけに勉強をされるといいですね。


別種でも交雑可能な例  投稿者:shinok30 投稿日: 2008年01月13日 9時19分

以前,投稿したものと重複しますが,別種でも交雑可能な例はたくさん存在しますよ

マガモAnas platyrhynchosとオナガガモA. acuta,
イエズズメPasser domesticusとスペインスズメP. hispaniolensis,
ヒグマursus arctusとホッキョクグマU.maritimusは交雑可能です

>マガモとオナガガモの雑種個体の観察 時国公政1
http://www.wing-wbsj.or.jp/strix/strix008/Strix08_23.pdf
>A CHECK-LIST AND BIBLIOGRAPHY OF HYBRID BIRDS IN NORTH AMERICA NORTH OF MEXICO
>BY E. LENDELL COCKKUM
http://elibrary.unm.edu/sora/Wilson/v064n03/p0140-p0159.pdf
>BALL, S. C. 1934 Hybrid ducks, including descriptions of two crosses of
>Bucephala and Lophodytes. Bull. Peabody Mus. Nat. Hist., 3:1-26, 3 pls.
http://www.antikbuch24.de/buchdetails_24314.html
>Character Variation and Adaptation in European Sparrows
>Richard F. Johnston
>Systematic Zoology, Vol. 18, No. 2 (Jun., 1969), pp. 206-231
http://links.jstor.org/sici?sici=0039-7989(196906)18%3A2%3C206%3ACVAAIE%3E2.0.CO%3B2-1
>Grizzly-polar bear hybrid
http://en.wikipedia.org/wiki/Grizzly-polar_bear_hybrid
>National Geographic News
>Photo in the News: Polar Bear-Grizzly Hybrid Discovered
http://news.nationalgeographic.com/news/2006/05/bear-hybrid-photo.html
>Grizzly/Brown Bear
>Pasitschniak-Arts (1993) crosses between U. arctos and U. maritimus. in zoos
>have produced fertile offspring (Davis 1950)
http://www.nrmsc.usgs.gov/products/Grizzly_Chapter.pdf

これらの「種」は同処性の個体群を含み,雑種個体にも生殖能力がありますが,
交配前隔離(交尾そのものが起こらない)によって,
自然状態では交雑はまれにしか起こりません
逆に,交雑はまれにしか起こらないからこそ,これらの形態種が保たれているとも言えますね

また,ラバ(雄のロバと雌の馬の交雑種)やレオポン(雄のヒョウと雌のライオンの
交雑種)には生殖能力がありませんが,
東南アジアの野生牛バンテンBos javanicusと家畜牛の一代雑種は
オスの生殖能力は弱いものの,メスには正常な生殖能力があります
>Reproduction ability of hybrids between the banteng (Bos (Bibos) javanicus
>D'Alton) and domestic cow (Bos (Bos) primigenius taurus) during breeding of hybrids in ヌseネ
>Auteur(s) / Author(s)
>STEKLENEV E. P. ; ELISTRATOVA T. M. ;
http://cat.inist.fr/?aModele=afficheN&cpsidt=16949309
実際,東南アジアの家畜牛にバンテンが遺伝的影響を与えていることも明らかになっていますよ
>Heredity (2003) 90, 10ミ16. doi:10.1038/sj.hdy.6800174
>Hybridization of banteng (Bos javanicus) and zebu (Bos indicus) revealed
>by mitochondrial DNA, satellite DNA, AFLP and microsatellites
http://www.nature.com/hdy/journal/v90/n1/pdf/6800174a.pdf

さらに,アゲハチョウの仲間では,ハンドペアリング(人工交尾)による種間交雑の
受精率,孵化率,最終到達期,雑種個体の生殖能力などから
種間の近縁度を明らかにした研究もあります
>阿江 茂, 1988.
>アゲハチョウ属の交雑を中心とした種とその分化の研究.
>蝶類学の最近の進歩 (Spec.Bull.Lep.Soc.Jap., (6) : 475-498
http://www.bio.nagoya-u.ac.jp:8001/~hori/88AeSj.html
このように,別種であっても
「近縁種間では(様々な段階での)交雑の成功率が高くなり,
 類縁関係が遠くなるほど,交雑の成功率が低くくなる」というように,
『交配後隔離』の程度の違いは連続的です

つまり,『交配後隔離』にも,
完全な隔離(雑種が生じない)〜
不妊性の一代雑種しか生じないor受精率・孵化率が低いor雑種の死亡率が高い〜
雑種の一方の性だけにしか繁殖能力がないなど,いくつも段階があるということです


種の定義  投稿者:shinok30 投稿日: 2008年01月13日 9時16分

>住んでいるところが違い、特徴が違鵜などの理由で同種でありながら自然交配しないために
>別種として考えられているものは自然界に多くあるのではないでしょうか

「形態種」は「我々の周囲にいる生物のほとんどに『(形態)変異の不連続性』がみられる」
という 「経験的事実」に基づいて,形態を元に同定されていますし,
「生物学的種」の定義は
>種は実際にあるいは潜在的に相互交配する自然集団のグループであり、
>他の同様の集団から生殖的に隔離されている[1]。(Mayr 1942[1999]:120)
http://www.geocities.jp/yuiami2000/KisoronBSC.htm
ですから,形態の違いが明らかな集団や自然交配しない集団は別種と認識されることが多いでしょう
種には絶対的な定義はありませんし,「形態種」と「生物学的種」が一致しないこともあります

例えば,Artemia属(いわゆる『ブラインシュリンプ』や『シーモンキー』)の場合です
初期の分類学者は形態的特徴を基準に多くの種名を記載しました
その後,形態的種の基準となった形質の多くが無効であることが分かり,
おびただしい数の種名は(同物異名として)は放棄され,
ブラインシュリンプはすべてArtemia salina Linnaeus 1758と呼ばれるようにりました
しかし,さらにその後,Artemia属の集団は,
(形態的には区別できないが)生殖的に隔離された集団に分けられることが分かり,
今では,生殖的に隔離された個体群や個体群のクラスタに対して異なる名前が与えられるようになっています
>4.1.2.3. Taxonomy
>The genus Artemia is a complex of sibling species and superspecies,
>defined by the criterion of reproductive isolation.
>
>Artemia sp. Pilla and Beardmore 1994: Kazakhstan.
>A. salina Linnaeus 1758: Lymington, England (now extinct), Mediterranean area;
>A. tunisiana Bowen and Sterling 1978 synonym of A. salina;
>A. parthenogenetica Barigozzi 1974, Bowen and Sterling 1978: Europe, Africa, Asia, Australia;
>A. urmiana Gunther 1900: Iran;
>A. sinica Yaneng 1989: Central and Eastern Asia;
>A. persimilis Piccinelli and Prosdocimi 1968: Argentina;
>A. franciscana superspecies: Americas, Carribean and Pacific islands, including
> populations reproductively isolated in nature like A.(franciscana) franciscana Kellogg
> 1906 and A.(franciscana) monica Verrill 1869 (Mono Lake, California);
>Artemia sp. Pilla and Beardmore 1994: Kazakhstan.
http://www.fao.org/DOCREP/003/W3732E/w3732e0m.htm

このような形態的には区別できない「生物学的種」のことを『同胞種(隠蔽種)』といいます
他にも,ウスグロショウジョウバエDrosophila pseudoobscuraとその近縁種D.persimilisも
同胞種の例として有名です


ゆんゆん探偵様  投稿者:chochonmage 投稿日: 2008年01月13日 4時02分

素晴らしくわかりやすく納得のいく解説だと思います。
よっちゃんさんとあまり変わりのない理解であったかも知れないあんぽんたんの一人として
永久保存させていただきます。
子供が理解できる年齢になったらぜひ読ませてやりたい。

他の素晴らしき投稿者の皆様にも感謝です。


つ旦 ちょっと落ち着く時間が必要です。  投稿者:西川まあ 投稿日: 2008年01月13日 3時53分

寝て起きたら記事が増えていたので気になったものに疑問や意見を投げかけたいと思います。答えられなくてもまったく問題ありませんが、もしお時間あれば互いの理解のためにお返事いただけると幸いです。

> (前略)〜BC間では交配可能で子孫を残すことができるからです。
http://6609.teacup.com/natrom/bbs?BD=3&CH=5&M=ORM&CID=8036のEnsatina eschscholtzii属についての具体例が正しいものであるとするならば(誰か知識人に読んでいただいて論文の内容と記事が合致していると確認していただけたら最高ですが、私は素人なので何ともです。)、「個体群Aと個体群Bでは交配可能」「個体群Bと個体群Cでは交配可能」「個体群Aと個体群Cでは交配不可能」という「事実」が存在することは分かっていただけると思います。
この例が言っているのは、(よっちゃんさんの言う)「特殊化」で「交配不可能」になるということは起こり得るのだ、ということだと思います。すなわちこれは、「共通祖先Aから特殊化した個体群A、B、C、Xが存在し、AB間、AC間、BC間では交配可能だが、XはA、BおよびCのいずれとも交配不可能である。」という事態が発生し得ることを示しています。これを呑むと、「ヒトとチンパンジーが祖先を共通しているとは考えられない。なぜならばヒトはチンパンジーと交配不可能であるからだ。」という理論は成り立ちません。「ヒトという個体群Xが祖先Aから発生し、それらがその他祖先Aを共にする別のすべての個体群と交配不可能になり得る」からです。(最も、ヒトがチンパンジーと交配できるのか否か私は知りませんが。)
「ヒトからチンパンジーは生まれ得ない」という話も前にありましたが、ここで例にチンパンジーを用いるのは不適切でしょう。なぜならチンパンジーという種は共通祖先から出る分岐先に既に置かれているのですから。ここでチンパンジーという言葉が示すのは、「ヒトと交配不可能であるヒトから特殊化分岐した存在」ですよね?すなわち「ヒトからヒトと交配不可能な特殊化した存在は生まれ得ない」と言いたかったのですよね?残念ですが、生まれ得ます。具体例は血液型不適合妊娠などが挙げられており、十分かと思います。

> 「ヒトがヒトしか産まない」のであれば、最初のヒトは誰が産んだのでしょう?
こちらの学校の科学の先生に尋ねたら、「最初は神様が創造したのよ。」と答えられました。それに対し私は皮肉って「神様より、宇宙人がヒトをどこからか運んできて植え付けるようにしたと私は考えます。」なんて言ったら強く否定されました。…私には、これら二つの信仰にそれほど大きな違いがあるとは思えないんですが…宇宙人酷い言われ様…。

> 地動説とは、実際のところ天と地の差があるように思います。
記事読ませていただきましたが、地動説と進化論の天と地の差にあたる部分がどこだか分かりませんでした…詳しく説明願えますか?

> みなさんがよっちゃんさんに対して主張されていること(種の移行に関して)は、化石記録とは、合致しておりません。
非常に興味を持ちました。もしよろしければ情報源と、具体的な矛盾点を挙げてもらえると幸いです。


ただの感想  投稿者:一読者 投稿日: 2008年01月13日 2時13分

>彼の凄いところは、一千万年とか一億年とかっていう時間軸を想定して、進化論って科学理論を作り出したところだと思うんだピョン。

あの・・・個人的な感想で申し訳ありませんが何にも凄いとは思いません。みなさんの議論を見ていて感じましたが、
進化論はやはり科学理論とはとても言えませんね。

生物の進化は地動説と同等の科学的事実であると認識されている方も多くいらっしゃるようですが、地動説とは、実際のところ天と地の差が
あるように思います。ヒトの進化の事実については、たったの300年間の観察事実でもって、数万年、数十万年溯ってこうであったに違いないなどと地動説並みに結論されることに関しては、たしかに凄いとは思いますが・・・それは単にこうあっただろうという信仰のようなものに過ぎないのではないでしょうか。

進化論はやはり、科学理論と呼べるようなシロモノではないと思います。一般に考えられているような生物の進化が事実であると断定するには、上記の事実からしてもかなりの飛躍、無理がありますね。

私にはよっちゃんさんの態度のほうが、むしろ科学的態度だと思います。300年間の観察事実の範囲では、ヒトは基本的には何の変化も
しておりません。その事実から推論できる範囲は、恐らく常識的には1000年程度ではないでしょうか。つまりヒトの進化については
過去1000年間程度は溯って推論しても多分問題ないと思います。それ以上のことをあたかも「観察、確認された事実」であるかのように断定されるには、個人的にはちょっと抵抗がありますね。

それからみなさんがよっちゃんさんに対して主張されていること(種の移行に関して)は、化石記録とは、合致しておりませんね。

以上みなさんの議論を見ていて感じました個人的な感想を申し上げました。


交配可能性  投稿者:大文字ナン 投稿日: 2008年01月13日 1時16分

よっちゃんさん、この書き込みはあくまで参考意見です。返信はいただかなくて結構ですので、理解の助けになるようでしたら覚えておいてください。

ttp://www.ladys-home.ne.jp/faqsite/ans-files/FAQ-I/FAQ-I5.html
↑上記ソースをご覧ください。血液型不適合妊娠について簡単に解説されています。
このように、たとえニンゲン同士であっても、場合によっては妊娠がひどく難しくなるケースがあります。

それでは少しSF仕立てで「おはなし」をします。上記のような因子(遺伝子)を持つAという個体群がいたとします。この、Aという個体群に親しみを込めて「あんぽんたん一族」と仮に名づけましょう。この個体群はもともとの大きな「種」グループとは繁殖が困難である、という設定です。一方、この「あんぽんたん一族」という個体群には未知の病原体に対する強い耐性があったとします。

平常時、あんぽんたん一族は見かけ上ほかの個体群と区別がつきません。ところが、未知の病原体が猛威をふるったとしたら…このジンルイを絶滅させかねない病原体に耐性を持っているのはあんぽんたん一族だけでした。環境(未知の伝染病の蔓延)によって淘汰圧が変化し、あんぽんたん一族が「選択される」ことになったのです。

生き残ったのがあんぽんたん一族だけであれば(少なくともシマグニという閉鎖環境において)、あんぽんたん一族の遺伝子は消えません。さらに、血縁が濃いために突然変異が起きる確率が飛躍的に上昇します。この突然変異も大半は生存に不利なものであると推測されますが、もともとの「種」と繁殖できる可能性に比べたら、突然変異が起きたにしても、よほど子孫が生まれる可能性は高いでしょう。

ダーウィン進化論の基本である「突然変異と自然淘汰(選択)」の仕組みとは、つまりこういうものです。家畜が速やかにもともとの「種」とは違う形態へと変化してしまう要因も同じです。時には「たったひとつ」の遺伝子が書き変わってしまうことにより、もとの個体群と交配することが困難になります。生殖隔離によって血縁の濃い交配が頻繁になり、突然変異の確率がさらに上昇すれば、かなり短い時間の間に「別種」が誕生してしまうことになりますし、現実にそういう事例は多数あるのです。


ということは  投稿者:クハ72 投稿日: 2008年01月12日23時45分

> A、Bが交配可能、かつB、Cが交配可能で子孫を残すことができるなら、ABCいずれも
> 同種だと思います。なぜなら、BC間では交配可能で子孫を残すことができるからです。

もしBが人類に発見される前に絶滅していたら(あるいは未発見だったら)AとCは別種になるのでしょうか?


現代でも  投稿者:ナナシー 投稿日: 2008年01月12日23時32分

>人間の種が進化するとして、最少何代続くと、あるいは最少何年経過すると別の種に進化するのでしょうか。予測は立つのでしょうか。

この答えは簡単です。
生殖可能性で種の区別をするのであれば。理論的には1世代です。確率論を無視ないし極めて甘くみればです(実はそれほど甘くないかもしれませんが)。
現実問題として遺伝子の違いによりある特定の異性に対しては子どもを残せない性は存在します。別に不思議でも何でもありません。
同じ種であればどの異性に対しても子どもを残せると考えるのは無知でしかありません。

生物進化については「突然変異」と「自然選択」で説明可能です。そしてそれらはどちらも生物学的にしっかりと定義されています。

ところで、「ヒトがヒトしか産まない」のであれば、最初のヒトは誰が産んだのでしょう?
きっとよっちゃんさんは答えられないでしょうね。
何もないところからいきなりヒトが自分で生きることのできるくらいに大人になって生まれてくるなんてどう考えてもありえないと思うのですけど。


教えてください  投稿者:よっちゃん 投稿日: 2008年01月12日22時46分

NATROMさん
ご教授ありがとうございます。

3は納得できます。
A、Bが交配可能、かつB、Cが交配可能で子孫を残すことができるなら、ABCいずれも
同種だと思います。なぜなら、BC間では交配可能で子孫を残すことができるからです。

なぜ、AとCの間で交配ができないのかわかりませんが。実験的にでも受精できないのでしょうか。住んでいるところが違い、特徴が違鵜などの理由で同種でありながら自然交配しないために別種として考えられているものは自然界に多くあるのではないでしょうか

原理の名にこだわってはいません。原理または法則の名がわかり調べて理解が少しでも早く深まればと思い尋ねました。自然淘汰、あるいは閉塞的な環境と時間を条件として種が別の種として変わる関係がもし存在するなら、それは原理法則と呼べるのではないでしょうか。進化論が科学というのであれば、進化に確立された原理法則があるべきではないでしょうか。

地球の自転や恒星の周りを惑星がまわる運動の事実は知っていても何の原理によって動いているのかはも原理の名前も知りません。惑星の動きはケプラーの法則にしたがって動いていると習ったような気がします。

人間の種が進化するとして、最少何代続くと、あるいは最少何年経過すると別の種に進化するのでしょうか。予測は立つのでしょうか。


新参者ですが…  投稿者:西川まあ 投稿日: 2008年01月12日21時08分

皆様はじめまして、西川まあと言います。
私は、現在アメリカ合衆国のとある州(隠す必要も無いのですが、公に出す必要も無いので伏せます)に留学している学生です。留学先がクリスチャンの町であったことから宗教について考えるようになり、また彼らが創造論を支持していることから、それまで薄皮一枚ほどの表面部分しか知らなかった(ということさえごく最近になって思い知らされました。お恥ずかしい…)進化論について考えるようになりました。
知識不足で誤解・誤認が多いかと思いますが、理解を深めるためどうか知恵をお貸しいただけると幸いです。

環状種の問いかけなのですが、Ensatina eschscholtzii属のeschscholtzii、klauberiおよびその他5亜種(croceater、picta、oregonensis、platensis、xanthoptica)によって具体例を持って説明することが可能でしょうか?(情報源:http://www.pubmedcentral.nih.gov/articlerender.fcgi?&artid=33701)
すなわち、

・ E.e eschscholtziiと生息区域を共にする5亜種(croceater、picta、oregonensis、platensis、xanthoptica)は交配可能。
・ E.e klauberiと生息区域を共にする5亜種(croceater、picta、oregonensis、platensis、xanthoptica)は交配可能。

1. E.e eschscholtziiと5亜種(croceater、picta、oregonensis、platensis、xanthoptica)が共通祖先を持つことには納得できますか?
2. E.e klauberiと5亜種(croceater、picta、oregonensis、platensis、xanthoptica)が共通祖先を持つことには納得できますか?

・ しかしながらE.e eschscholtziiと生息区域を共にするE.e klauberiは交配不可能。

3. E.e eschscholtziiとE.e klauberiが共通祖先を持つことには納得できますか?

といった具合です。
もしこのE.e eschscholtziiとE.e klauberiおよびその他5亜種を用いた例が環状種の問いかけとして機能するならば、このパターン(種分化により交配できなくなるパターン)が実在するものであるとの科学論文を情報源より確認できるため、より理解しやすくなるのではないだろうかと思い投稿しました。


## NATROMさん、サイトのコンテンツが非常に充実していて読みごたえがありました。御礼と敬意とをここに記しておきたいとお思います。


種の境目はきわめて曖昧である  投稿者:NATROM 投稿日: 2008年01月12日17時05分

よっちゃんさん、お答えありがとうございます。

>セグロカモメとニシセグロカモメも、犬のチワワとセントバーナードのときと同じように特殊化したカモメであるが交配可能なカモメの仲間として生育したと理解して答えたつもりです表現が適切ではなかったでしょうか。もし交配ができないのなら納得できません。

なるほど、交配できるのなら納得でき、交配できないのなら納得できないというわけですね。問題点が整理されてきました。またいくつか質問いたします。ご面倒ですが、お答えください。

個体群Aと個体群Bは生息区域が重なっており交配可能です。また、個体群Bと個体群Cも同様に交配可能です。

1. 個体群Aと個体群Bが共通祖先を持つことには納得できますか?
2. 個体群Bと個体群Cが共通祖先を持つことには納得できますか?

おそらく、1も、2も、ご納得いただけることでしょう。でも、個体群Aと個体群Cは交配不可能です。

3. 個体群Aと個体群Cが共通祖先を持つことには納得できますか?


こういう種を環状種と言います。現在では、セグロカモメとニシセグロカモメは厳密には環状種とは言えないそうですが、祖先種まで含めれば、潜在的にほとんどの生物がこうした関係でつながっています。そもそも何を持って「交配可能」と言えるのか、という点からしてあいまいです。自然状態で子を作れないが人工的に子を作れたら「交配可能」?レオポンのように、その子に繁殖力がない場合は?受精はするし、ある程度までは発生するけれども、出生に至らない場合は?現実に生物を観察すると、進化論が予測するように、種の境目はきわめてあいまいです。


>>自然淘汰説が進化の法則や原理と言えるでしょう
>と言われましたが、自然淘汰されて生き残ると、あるいは自然淘汰される途中で、種が別の種に変わるという原理があるのであれば教えてください。なんという名の原理ですか

そもそも、よっちゃんさんは「原理の名前」にこだわるのを止めた方がよろしいと思います。自然淘汰その他の要因で「種が別の種に変わること」は、よっちゃんさんの用語に従えば、「事実」となります。「惑星が恒星の周りを回ること」は、なんという名の原理ですか?徳川時代300年間に関しては、たまごどんの言う通りです。


そう言えば  投稿者:リリス 投稿日: 2008年01月12日14時46分

別に誰宛のレスというのでもないのですが・・・

物理や化学の理論と、進化論の理論の特徴の違いについて、別の板で会話したことが何度かありました。
私が興味深く感じた点を挙げておきます(ちょっとウロ覚え)。

1.物理や化学の理論は厳密に統制された実験(思考実験含)のなかで得られる理想化モデルである。
本質的でないと考えられる要因の影響は「誤差」として切り捨てられ、それによって得られた近似的な体系が記述の対象となる。

2.進化論の理論は雑多な要因が複雑に絡んだ現象の中に見出される現実モデルである。
突然変異個体や様々な表現型はその種における「誤差」と見なすことができるが、この「誤差」こそが進化において本質的なものの一つである。また自然選択においては、雑多な要因の相互作用こそが本質的であるため、理想化を行なうことは容易でない。

要素還元主義的に記述できるかどうか、ってところでしょうか。


300年の長さ  投稿者:たまごどん 投稿日: 2008年01月12日 9時15分

よっちゃんはじめまして、たまごどんと申しますのら。

>日本人のほとんどは徳川時代300年間幾多の困難を超え生き伸び、また国が鎖国し集団的に外国人と接しなかったのですが、明治になり欧米人と結婚して子供を授かった人は普通にいますよ。

にゃはは。確かに300年って人間の感覚ではムチャ長いけんど、人間の世代交代が20年としたら、僅か15世代でしかないピョン。もっと世代交代速度が速くないと、生殖隔離は観察できないと思うピョン。それに第一、進化がこんなに観察しやすかったら、ダーウィンは全然偉くないのら。彼の凄いところは、一千万年とか一億年とかっていう時間軸を想定して、進化論って科学理論を作り出したところだと思うんだピョン。


横レスなのれす  投稿者:クハ72 投稿日: 2008年01月11日21時43分

僕ならこう答えます。

5. ヒトの祖先種がチンパンジーとヒトに変化する
   両者がサルなら納得できます。

横レスだから無視してもいいですけど参考までに。


自己矛盾  投稿者:ナナシー 投稿日: 2008年01月11日21時22分

レスはつけなくてもいいと言ったけど

ヒトはヒトからしか生まれないなら、ヒトは永遠の過去から存在していなければならない。という私の発言を無視して、「ヒトはヒトしか産まない」というのであれば、自分の誤りを認めたくないから目をそむけているとしか判断しません。


教えてください  投稿者:よっちゃん 投稿日: 2008年01月11日21時09分

NATROMさん

忍耐深く教えてくださり本当にありがとうございます。心より感謝申し上げます。

>「新しい独立した種が生じる」ことを、よっちゃんさんが納得されたのは幸いです。

とのことですが、私は新しい種ができることを納得して
>4. カモメの祖先種がセグロカモメとニシセグロカモメに変化する
   カモメについては知りませんが、両者がカモメなら納得できます。
答えたのではなく、
セグロカモメとニシセグロカモメも、犬のチワワとセントバーナードのときと同じように特殊化したカモメであるが交配可能なカモメの仲間として生育したと理解して答えたつもりです表現が適切ではなかったでしょうか。もし交配ができないのなら納得できません。
祖先から受け継いだ種が変わるということが理解できないからです。同じ種でありながら種の持つ可能性として、背が黒いグループが集まるとか、泣き声に特徴のあるグループができたとしても、なぜ種自体が変わるかが理解できません。種が変わったらその種の持つ多様性を越えて別の生物になるのではないでしょうか。同じ種だから色形が変わっても交配が可能なのではないでしょうか。

ですから、
>誰かが「セグロカモメの祖先はセグロカモメです。もしセグロカモメでないのであるならば、その祖先はセグロカモメの祖先ではありません。セグロカモメからセグロカモメ以外のものが生まれることはないからです」と言いはじめたら、どうやって彼を納得させることができると思いますか?
の質問には、セグロカモメはカモメの仲間で、セグロカモメの他に背の白いものやほかの色のもの(実際にあるかどうかわかりませんが)と交配すればセグロカモメ以外も生まれるのではないでしょうかと答えます。
 人間に当てはめるなら、黒人の先祖は黒人で子孫は黒人しか生まれないと主張する人には黒人は人間の中の一つの人種で白人と結婚すれば黒人から黒人以外の白人の子供も生まれますよ、でも人間以外のチンパンジーとかは。たとえ彼らが2足歩行をしても、決して生まれることはありませんと答えるつもりです。

NATROMさんは
>自然淘汰説が進化の法則や原理と言えるでしょう
と言われましたが、自然淘汰されて生き残ると、あるいは自然淘汰される途中で、種が別の種に変わるという原理があるのであれば教えてください。なんという名の原理ですか。
日本人のほとんどは徳川時代300年間幾多の困難を超え生き伸び、また国が鎖国し集団的に外国人と接しなかったのですが、明治になり欧米人と結婚して子供を授かった人は普通にいますよ。集団的に隔離もされ、飢饉や戦争などで淘汰もあったと思いますが、人間であることは変わりなく、進化した人間が生まれたという話も聞いたこともありません。


(無題)  投稿者:shinok30 投稿日: 2008年01月11日19時53分

よっちゃん氏へ

同じような議論がおよそ1年前にもありました

種の定義と進化の関係については「種分化と進化の実体1〜7」で回答していますので
参考にしていただければ幸いです
http://members.jcom.home.ne.jp/natrom/board070120.html
http://members.jcom.home.ne.jp/natrom/board070124.html
http://members.jcom.home.ne.jp/natrom/board070207.html
http://members.jcom.home.ne.jp/natrom/board070217.html
http://members.jcom.home.ne.jp/natrom/board070228.html
http://members.jcom.home.ne.jp/natrom/board070228.html


種、とは?  投稿者:ゆんゆん探偵 投稿日: 2008年01月11日14時14分

実在する生物に、生物がどこまで遺伝的に変化し得るかを規定する「種の規範」のような機構はいまだに見つかっていません。つまり、生理学的な観点から言えば、生物は時間さえかければどこまでも変わっていく可能性のあることがわかっています。

種が際限なしに変化することを受け入れられるかどうかは「そういうこともあるかも知れない」「そんなことあるわけない」と判断する、人間側の受け取り方の問題だということです。

ちなみに、図鑑で別種と紹介されるような「見た目からして異なる」種への分岐には通常、数百万年単位の時間がかかります。人類の歴史の中で顕著な分岐があまり確認できないのはむしろ当然で、印象的な大きな分岐を見るには化石記録を当たる方が適当です。

古生物学的な観点から化石記録の記載を多数載せた進化論関連の書籍などを当たると、よっちゃんさんにとっては楽しい時間を過ごせるのではないだろうかと思います。


種の境界  投稿者:ゆんゆん探偵 投稿日: 2008年01月11日13時50分

よっちゃんさんの疑問は「種という確固たる存在が、別の種に変わることなどありえないじゃないか」という物だと思います。これは、ある意味持って当然の疑問です。大昔の人々も、みな同じような考えを持っていました。そうした素朴な考えが、現実の観察によって揺らぎ「種という概念」の修正を迫られてきたというのが、進化論の歴史のひとつの切り口です。

・古来人々は生物の種というのは不変なカテゴリだと考えていた。
・生物を家畜化すると、速やかにその形質が変化することが知られていた。
・地中から正体不明の動物の骨が見つかることが知られていた。
・大航海時代以降、博物学が発展し世界中の生物のカタログが出来上がった。
・今までの種の概念には当てはまりづらい、曖昧なカテゴリの生物の報告が増えて来た。
・生物を特徴によりカテゴリ分けすると、どうやら「種」は入れ子状(ツリー状とも言える)の分類を描くことがわかってきた。
・さらに生物の独自性は、地理的に近い場所に住む同系統の生物ほど似た特徴を持っているという傾向があった。
・以上の観察よりダーウィンは、「かつて存在した単一の生物が進化して現存するすべての生物になった」という仮説を見出した。
・だが、ダーウィンの頃は生物の遺伝の仕方が判明していなかったためもあり、賛否両論激しい議論を巻き起こした(ダーウィンの想像では遺伝子はコーヒーと牛乳がまざってコーヒー牛乳になるように受け継がれるものだった。だが、それでは生物の特徴は薄まるだけで現在のような多様性を生み出せるはずがない)。
・メンデルが発見していた遺伝の法則が再発見され、世界に広く知られることとなった。遺伝子が粒子性を持ち、混ぜてもこれ以上は混ざらないという限度があることがわかり、ダーウィンの抱えていた問題の一端が解決された。
・遺伝子の本体であるDNAが発見された。あらゆる生物は同一の機構「DNA」によって制御されていることが確認された。
・あらゆる生物に対して、DNAの配列が調査されるようになった。種間でDNAの差がどれくらいあるかを調べることによって、種の分岐した順番を推測できるようになった。また、DNA中の変異率が常に一定である特別な部分を調べることによって、おおよその分岐年代まで推測できるようになった。
・放射性元素による年代測定法が開発され、化石が地面に埋まった年代が正確に測定できるようになった。
・古生物学の発展。化石記録の増大により、古代の生物のカタログが埋まってきた(博物学の発展の時と似たことが起こった)。
・化石記録は、共通の祖先から進化によって現代の生物が分岐して生まれてきたことを強く示唆していた。年代を重ねるごとに、少しずつ姿を変えていく種の姿がはっきりと確認できる、いわゆる中間種の観察例が多数存在する。
・化石記録と、DNAによる種分岐の推測はとてもよく一致する。DNAシーケンスの解析により推測された分岐年代の地層から、実際に2つの種の共通祖先だと思われる化石が見つかったり、2つの種が持つ共通の形態的特長から推測される祖先種の特徴(2つの種が共通して持つ特徴は祖先種の時から持っていた可能性が高い)を持った化石が実際に見つかる、などの事例がある。蛇足だけどこれは「進化論は検証可能な予測を行えないので科学じゃない」という言説への有力な反論。

このように、進化論とは決して一直線にその結論を確認できた物ではありません。それまで持っていた種の概念と現実の違いを克服するため、数々の証拠とすり合わせをする中で発展してきた物なのです。人類が「種とは不変な物である」という思い込みを克服する過程そのものが、進化論の歴史だったと言ってもいいでしょう。

以上、種概念の把握という側面からの概観でした。

よっちゃんさんは現在、NATROMさんとの対話に集中されたいとのことですので、当方への返答は不要です。

ではでは。


種の境目は曖昧である  投稿者:NATROM 投稿日: 2008年01月11日 9時03分

お答えありがとうございました。私の質問の意図は、種の境目がきわめて曖昧であることを再確認することにあります。もし、創造主に相当するような存在が、「種ごとに」生物を作ったのであれば、種の境目は明確であるでしょう。一方、もし生物進化が正しければ、種の境目は曖昧になります。これは実際にさまざまな種を調べることによって、検証可能です。さて、


>4. カモメの祖先種がセグロカモメとニシセグロカモメに変化する
>   カモメについては知りませんが、両者がカモメなら納得できます。

とのことですが、「新しい独立した種が生じる」ことを、よっちゃんさんが納得されたのは幸いです。でも、セグロカモメとニシセグロカモメは別種の生き物です。「両者がカモメなら納得できます」ということは、セグロカモメとニシセグロカモメのみではなく、ユリカモメやシロカモメも共通祖先を持つことに納得いただけそうです。

カモメ科(ウィキペディア)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AB%E3%83%A2%E3%83%A1%E7%A7%91_%28Sibley%29

によれば、ウミネコはカモメ類に含まれます。セグロカモメとウミネコが共通祖先を持つことには納得できますか?アジサシは属は異なりますが、カモメ科に含まれるので、セグロカモメもアジサシも「両者がカモメ」ということになります。カモメの祖先種がセグロカモメとアジサシに変化することは納得できますか?あるいは、どこから納得できなくなりますか?「鳥の祖先種がセグロカモメとカラスに変化する」ことは納得できますか?両者ともに鳥ですよ。

あるいは、誰かが「セグロカモメの祖先はセグロカモメです。もしセグロカモメでないのであるならば、その祖先はセグロカモメの祖先ではありません。セグロカモメからセグロカモメ以外のものが生まれることはないからです」と言いはじめたら、どうやって彼を納得させることができると思いますか?


横レス  投稿者:ナナシー 投稿日: 2008年01月11日 8時00分

レスつけるつけないは自由ですから、なくてもかまいません。理解を助ける手伝いになればOKです。

>人の祖先は人です。もし人でないのであるならば、その祖先は人の祖先ではありません。人から人以外のものが生まれることはないからです。ヒト以外のものが生まれた事例をご存じですか。

この理屈からするとヒトは永遠の過去から存在することになります。何かヒトではない何かからヒトは誕生したのは事実ではないのでしょうか?
少なくとも地球の誕生が有限の過去であるという観測とは矛盾します。


失礼しました  投稿者:よっちゃん 投稿日: 2008年01月11日 6時27分

NATROMさん
昨日22時50分に送ったレスは誤送です。失礼しました。


ありがとうございます。  投稿者:よっちゃん 投稿日: 2008年01月11日 6時14分

大文字ナンさん、ナナシーさん、AN1さん
貴重なご教授ありがとうございます。お教えくださることを感謝して読ませていただいています。ただ、みなさんを無視するわけではありませんが、しばらく管理人さんとの対話をさせていただきたいと思いますので、皆様への返事や感想は記せなませんがどうかよろしくお願いいたします。ご親切を感謝申し上げます。

谷庵さん
貴重なご提案ありがとうございます。ご親切を感謝申し上げます。


教えてください  投稿者:よっちゃん 投稿日: 2008年01月11日 0時04分

NATROM さん
>「説明して欲しい」というのは嘘で、本当はどのような説明をされても難癖つけて拒絶するつもりなのでしょうか。
難癖をつけようなどという失礼な思いはまったくありません。もしそのようなことをうかがわせる失礼があればお許しください。

ただ、自然淘汰で種の中の環境に適合したものが生き残ることは納得できても、生き残ったものが別の種に変化するとか、下記の1から5の質問で、納得するか否か以前に、質問自体に納得できない場合、たとえばヒトの祖先種が存在することを前提で質問されていますがそれを認めることができない場合はどうしたらよいでしょうか。
 質問に対して質問をすることが難癖をつけることであると推論することは妥当な面があっても適切な判断ではないと思います。

さて、1から5を納得するかのご質問ですが、先に掲示して書いたものと内容的には同じですが
1. 普通の大腸菌が、ある抗生剤に耐性を持つように変化する。
   納得できます。薬剤耐性を持った大腸菌や、結核菌が存在することを知っているか
   らです。薬剤耐性結核菌も結核菌です。
2. 2日に1個しか卵を産まないニワトリが、1日に1個の卵を産むように変化する
   納得できます。
3. イヌの祖先種がチワワやセントバーナードに変化する
   祖先種は何を指しているのでしょうか。犬(オオカミ)なら納得できます。チワワ
   もセントバーナードも特殊化した「犬」だからです。
4. カモメの祖先種がセグロカモメとニシセグロカモメに変化する
   カモメについては知りませんが、両者がカモメなら納得できます。
5. ヒトの祖先種がチンパンジーとヒトに変化する
   人の祖先は人です。もし人でないのであるならば、その祖先は人の祖先ではありません。人から人以外のものが生まれることはないからです。ヒト以外のものが生まれた事例をご存じですか。


osietekudasai  投稿者:よっちゃん 投稿日: 2008年01月10日22時50分

1. 普通の大腸菌が、ある抗生剤に耐性を持つように変化する
2. 2日に1個しか卵を産まないニワトリが、1日に1個の卵を産むように変化する
3. イヌの祖先種がチワワやセントバーナードに変化する
4. カモメの祖先種がセグロカモメとニシセグロカモメに変化する
5. ヒトの祖先種がチンパンジーとヒトに変化する


人類の淘汰  投稿者:ナナシー 投稿日: 2008年01月10日22時21分

>私のようなあんぽんたんとそのの一族はそのうち淘汰されそうですが、頭脳優秀な方々はいつ、どんな超人に進化するのでしょうか。
そしてその人たちはこれまでの人間とは子孫を残すことはできないのでしょうか。

頭脳優秀な人間ばかりが結婚して子どもを残せて、あんぽんたんな人間が子どもを残せないなら、頭脳優秀な子どもの子孫が人として生き残るでしょう。
ただ、頭脳優秀というのが完全にもしくはかなりの部分において遺伝的に決定されるということでなければ、何世代を過ぎたとしてもあまり変わりはないことも進化論的には予想されます。

頭脳明晰=子孫を多く残せるというのは進化論の知識以前に社会を見渡せば成り立ちそうにないことは理解できると思いますがいかがでしょう?


イヌとオオカミ  投稿者:ナナシー 投稿日: 2008年01月10日22時14分

よっちゃんさん

>チワワもセントバーナードも犬ではないでしょうか。体形の大きさの違いから通常の交配は困難かもしれませんが、犬であることには違いがないと思いますがいかがでしょうか。
他のそれぞれ大きさがあった犬となら通常の交配が可能だと思いますよ。

この定義に従うならオオカミはイヌとするべきか、イヌはオオカミとするべきですが、どうしてイヌとオオカミは違うと分類されているのでしょう?
オオカミはチワワより身体が大きい分より多くの犬種と交配が可能です。

明日突然、「今度からセントバーナードとチワワは別の種に分類しよう」という話がまとまって、新しい種ができるかもしれませんね。
種の定義と言うのは惑星の定義と同じ程度にあいまいなものです。

ちゃんと進化学の勉強をしないから、こうしたおかしな種の定義をするのではないでしょうか?やはり学習は必要だと思いますよ。


よっちゃんさんへ  投稿者:NATROM 投稿日: 2008年01月10日21時21分

薬剤耐性を持った大腸菌は大腸菌かどうか、チワワもセントバーナードも犬だろうとか、そういうことはとりあえず置いておいて、納得できるかどうかを答えてください。

1. 普通の大腸菌が、ある抗生剤に耐性を持つように変化する
2. 2日に1個しか卵を産まないニワトリが、1日に1個の卵を産むように変化する
3. イヌの祖先種がチワワやセントバーナードに変化する
4. カモメの祖先種がセグロカモメとニシセグロカモメに変化する
5. ヒトの祖先種がチンパンジーとヒトに変化する

どこぐらいまでなら納得できますか?

「普通の科学的知識のない無知な「あんぽんたん」にもわかるように説明していただけるとありがたい」と仰るから説明をしようとしているのに、どうして質問に質問を返すのですか。それとも、「説明して欲しい」というのは嘘で、本当はどのような説明をされても難癖つけて拒絶するつもりなのでしょうか。


教えてください  投稿者:よっちゃん 投稿日: 2008年01月10日21時09分

NATROMさん
自然淘汰は進化の法則なのですか。ある種の生物の中で何かの特徴をもっていたために自然淘汰されてその特徴をもったものだけ生き残ったら、生き残った種は時間がたつと別の種に変化するのでしょうか。私のようなあんぽんたんとそのの一族はそのうち淘汰されそうですが、頭脳優秀な方々はいつ、どんな超人に進化するのでしょうか。
そしてその人たちはこれまでの人間とは子孫を残すことはできないのでしょうか。


1. 普通の大腸菌が、ある抗生剤に耐性を持つように変化する
薬剤耐性を持った大腸菌は大腸菌ではなくなるのでしょうか。

2. 2日に1個しか卵を産まないニワトリが、1日に1個の卵を産むように変化する
2日に1個しか卵を産まないニワトリが、毎日卵を生むようになったなら、ニワトリはニワトリでなくなるのでしょうか。私には何個産んでもニワトリはニワトリと思いますが、違いますか?

3. イヌの祖先種がチワワやセントバーナードに変化する
チワワもセントバーナードも犬ではないでしょうか。体形の大きさの違いから通常の交配は困難かもしれませんが、犬であることには違いがないと思いますがいかがでしょうか。
他のそれぞれ大きさがあった犬となら通常の交配が可能だと思いますよ。

4. カモメの祖先種がセグロカモメとニシセグロカモメに変化する
カモメの祖先種というものが存在するのでしょうか。カモメの定義は知りません(犬も知りませんが)がカモメはカモメ、犬は犬だと思いますよ。

5. ヒトの祖先種がチンパンジーとヒトに変化する
ここで記されている人の祖先種というものの存在は、実際にヒトの祖先と証明された事実なのでしょうかそれともそのように先入観をもって推論を立てているだけのことなのでしょうか。ヒトの祖先種というものがあるかどうかは知りませんが。ただ教科書に出ていたジャワ原人や北京原人などは少数の骨からあたかもヒトの祖先がいるかのごとく進化論者がねつ造した産物と聞いていますが、ヒトの祖先種というものが本当に存在しているのでしょうか。


僭越ですが  投稿者:谷庵 投稿日: 2008年01月10日18時57分

よっちゃん、初めまして、谷庵と申します。
よっちゃんと言うHNには親しみを込めた敬称が含まれていると思い、あえて敬称を付けていません。
問題があるようであれば、その旨書き込んでいただければ、今後は敬称を付けさせていただきます。

この掲示板では、今までによっちゃんのような質問をした人はたくさんいました。
最初は少人数でお相手をするのですが、なかなか理解して貰えないと、多くの人が書き込み始めます。
今の人数であれば問題ないでしょうが、もっと増えるかも知れません。
そうすると、質問した人は、多くの人にいじめられているような気になるようです。
今回も同じようなパターンになることを危惧しています。

主にお相手をするのは管理人さんにお任せした方が良いのではないかと愚考つかまつりまする。
また、よっちゃんにも、誠実なやりとりを期待します。


雑談レス  投稿者:ナナシー 投稿日: 2008年01月10日13時27分

>ある種が交配不能な独立した別の種に変化する進化を証明する原理法則、実験手法が多数見つかっても不思議ではないと思いますよ。私には正直なところ進化は空想科学小説の世界のようにさえ思えます。

この手の実験を行なう手法は確立しているし、やろうと思えばいつでもやれます。実際にそうした事例が観察されているし疑う余地はないですね。
どうして交配不能になるかも理論的に説明できますし、実験で再現可能です。

そもそも人間のような複雑な形態をした生物が自然発生で生まれるという考え方のほうが無理があります。
進化論を覆すような新発見もなければ、メカニズムの説明も存在しません。


すごいなぁ  投稿者:ナナシー 投稿日: 2008年01月10日13時19分

>でもそれは、その特徴をもたない同じ種のものと交配は可能ですから進化ではありませんが

難しくて一般書も読めないと言っている人間が進化について一般的でない定義をできるというのはすごいですね。
自分なりの誤解で進化論に疑問を持っている限り進化論を理解できないような気がします。
疑問を持つのはいいのですが、誤った知識を持っていてはいつまでたってもダメなままですよ。


こういう科学の例  投稿者:AH1 投稿日: 2008年01月10日12時40分

よっちゃんさん

大陸移動(プレートテクトニクス、プルームテクトニクス)についてお聞きになったことはありませんか。大陸を加速してぶつけてみせる、といった実験を行ったわけではないですが、現在、この学説はほぼ確かなものとなっています。現在も大陸がわずかずつ動いていることは観測されており、過去に起こった移動の痕跡と考えられるものが残されていて、大陸を動かすエネルギーやメカニズムの存在もわかっている、よって何千万年という時間をかければ大陸が移動したことはほぼ確かである・・・という説なわけです。
ちなみにプレートテクトニクスが現在のような地位を占めたのは、せいぜいがここ数十年のことです。
地球をもう一つ作って45億年かけて実験したわけではないですが、地球に残る様々な痕跡から、もっとも確からしい説を構築しているという意味で、地球科学は立派に科学とみなされています。


種はどれぐらいまで変わりうる?  投稿者:NATROM 投稿日: 2008年01月10日 9時27分

>事実は推論の集合に含められるものではありません。なぜなら事実は永遠に変わらないからです。推論は疑う余地が存在するものが推論です。疑う余地のないもの事実です。

そのように「事実」と「推論」を定義するのであれば、進化論は、地動説と同じく、ほとんど「事実」であると言ってよいと思います。


>その理由は進化を信じている人は進化するという前提で生物の特徴(種特有の個性)を解釈しているからと思うからです

よっちゃんさんは、生物進化が事実として受け入れられるようになった科学的根拠をよく知らないがゆえに、そのように誤解しているのです。進化に関する論文はおろか、一般書すら「難しくて読めない」のに、なぜ「進化論者は進化を前提に解釈している」と判断できるのでしょうか?少なくとも19世紀前半は進化というアイデアは受け入れられていませんでした。そこにさまざまな証拠が出てきて、進化というアイデアが支持されるようになったのです。この過程においては、「進化するという前提」はありませんでしたよ。


> 同一の種の生物で、ある温度以下では生育できないものと生育可能なものがあったとします。生育したものどうしが交配され代を重ねると元の種とは異なって独立した種となり、前述の温度以下で生育できない種とは交配ができなくなるのでしょうか。

非常に大雑把に言えば、その通りです。


> 自然淘汰で環境に適応したものが生き残るという説明は理解できますが自然淘汰で種そのものが変化するというのは何か飛躍があるように思えますがどうでしょうか。

きちんと遺伝学なりの生物学を学んだ人にとっては飛躍はないのです。基礎となる知識がない人が納得するように説明するのはたいへんに難しいですが、やってみましょうか。それにはまず、よっちゃんさんが、どの程度まで種が変わりうるのかを納得しているのか教えてください。

1. 普通の大腸菌が、ある抗生剤に耐性を持つように変化する
2. 2日に1個しか卵を産まないニワトリが、1日に1個の卵を産むように変化する
3. イヌの祖先種がチワワやセントバーナードに変化する
4. カモメの祖先種がセグロカモメとニシセグロカモメに変化する
5. ヒトの祖先種がチンパンジーとヒトに変化する

どこぐらいまでなら納得できますか?


Re:複雑  投稿者:大文字ナン 投稿日: 2008年01月10日 4時33分

>生物学の系は複雑なので、進化には物理や化学のような原理法則を見出すことは困難とお考えなのでしょうか。

先に書いたように「物質としての原理」や「化学反応の原理」には生物も当然従います。

>進化も、もし、進化の法則や原理と呼べるものがあれば、複雑のようには思えないのです。進化の法則や原理がないから生物は複雑と言っておられるのではないでしょうか。

自然淘汰はそれほど難しい理論ではありませんし、非常に強力で、生物以外のさまざまな「集団」の変化について、自然淘汰の考えを用いて理解し、予測することができます。

>「種の起源」が出版されて150年近くたつことを考えれば、ある種が交配不能な独立した別の種に変化する進化を証明する原理法則、実験手法が多数見つかっても不思議ではないと思いますよ。私には正直なところ進化は空想科学小説の世界のようにさえ思えます。

すでに管理人NATROMさんが指摘されているように、多数の方法が見つかっていますし、証明も行われています。よっちゃんさんがそれらのソースに触れていないだけのことではないでしょうか。

>生物学の系が複雑かどうかはわかりませんが、ある種の中で特徴をもった群を生み出すことはできるのではないでしょうか。(でもそれは、その特徴をもたない同じ種のものと交配は可能ですから進化ではありませんが)

低温環境に適応できる稲を生み出すことや、極端に大型または小型の犬など、そういう事例は数多くあります。また、一部の個体群はすでに「もともとの個体群」と交配することが事実上不可能になっている例さえあります。

>私には正直なところ進化は空想科学小説の世界のようにさえ思えます。

同様に、相対性理論も空想化学小説の世界のように私は感じましたが、れっきとした科学理論であることを、専門的な学問を修めることなく理解するに至りました。量子論も同じくですし、進化論も同様です。

自然淘汰を捉えようとするとき、私はよく「ふるい」を想定します。自然界に「ふるい」の役目を果たす構造は無作為に数多く存在します。たとえば水流をせき止める岩と岩の隙間でも良いでしょう。このふるいの存在によって、空間は隔離され、ふるいによって集団が「選択される」ことになります。一度選択が始まると、そこからは定向的にふるいをうまく利用できる集団が繁栄することになります。私が述べるふるいは、物理的サイズだけを想定したものではありません。また、ふるいに区分けされる単位も「情報(遺伝情報)」という単位にまで還元することができるでしょう。

最後になりますが、進化生物学にもさまざまな数式が登場し、実用されています。当然、数学的な実証も事実(実験)との検証も成されています。そのうえで、明確に「進化は限りなく信憑性の高い歴史的事実であった」とされているのであり、薬剤の開発、農業・畜産科学、その他ありとあらゆる「生命を取り巻く産業」で実用されています。


はじめまして  投稿者:よっちゃん 投稿日: 2008年01月09日23時57分

大文字ナンさん
はじめまして。
生物学の系は複雑なので、進化には物理や化学のような原理法則を見出すことは困難とお考えなのでしょうか。
 生物学の系が複雑かどうかはわかりませんが、ある種の中で特徴をもった群を生み出すことはできるのではないでしょうか。(でもそれは、その特徴をもたない同じ種のものと交配は可能ですから進化ではありませんが)
 進化も、もし、進化の法則や原理と呼べるものがあれば、複雑のようには思えないのです。進化の法則や原理がないから生物は複雑と言っておられるのではないでしょうか。
「種の起源」が出版されて150年近くたつことを考えれば、ある種が交配不能な独立した別の種に変化する進化を証明する原理法則、実験手法が多数見つかっても不思議ではないと思いますよ。私には正直なところ進化は空想科学小説の世界のようにさえ思えます。
進化は事実なのでしょうか。


おしえてください  投稿者:よっちゃん 投稿日: 2008年01月09日23時17分

NATROMさん 先ほど同じ内容のものを2度投稿しました。失礼しました。


教えてください  投稿者:よっちゃん 投稿日: 2008年01月09日23時13分

NATROMさん ご教授ありがとうございます。
地動「説」はその名の通り私も「説」なので推論と思いますが、前回書かせていただいたように、地球が現在、自転していることは事実ではないでしょうか。
 事実は推論の集合に含められるものではありません。なぜなら事実は永遠に変わらないからです。推論は疑う余地が存在するものが推論です。疑う余地のないもの事実です。
また事実に対する解釈あるいは推論は無限にあると思いますが、(例えばある事件の容疑者の靴の足跡が事件現場にあったとすれば彼が事件の犯人かもしれないと「推論すること」は妥当な判断と思いますが、「断定すること」はその事実だけからすると無理があるでしょう。)事実それ自体は誰にも変えることはできません。事実の解釈が翻ることはいくらでもありますが一度生じた事実は永遠に変わりません。たぶんNATROMさんもその意味で進化は事実と主張しておられ、「将来覆される可能性がきわめて低い科学的仮説」と進化を信じておられる思いますが、私にはそのように思えません。その理由は進化を信じている人は進化するという前提で生物の特徴(種特有の個性)を解釈しているからと思うからです。私も類似した生物が並べられて、これらは進化したといわれるとそうかなと思う気持ちはよくわかります。しかし、自然淘汰がもし進化の原理であるとするならば進化(種の変化)があるとはと思えないからです。
 同一の種の生物で、ある温度以下では生育できないものと生育可能なものがあったとします。生育したものどうしが交配され代を重ねると元の種とは異なって独立した種となり、前述の温度以下で生育できない種とは交配ができなくなるのでしょうか。
 自然淘汰で環境に適応したものが生き残るという説明は理解できますが自然淘汰で種そのものが変化するというのは何か飛躍があるように思えますがどうでしょうか。
 普通の科学的知識のない無知な「あんぽんたん」にもわかるように説明していただけるとありがたいのですが。よろしくお願いいたします」。


いなもと  投稿者: 投稿日: 2008年01月09日20時36分

テズテズは、ご飯を皆で食べる時に、お話の大好きな人だったから、しゃべるのに夢中でご飯が全部なくなっちゃっていたんですってね。ぽんぽん無意識観光葉じゃ


いちれんたくしょう  投稿者:稲本怜 投稿日: 2008年01月09日20時29分

さばはいい。肝硬変コックさんべべべさんたいむ


進化は事実である  投稿者:NATROM 投稿日: 2008年01月09日10時00分

地動説を事実と言うのであれば、生物進化だって事実です。この場合、事実とは「十分に証拠が積み重なり、将来覆される可能性がきわめて低い科学的仮説」のことを指します。私が地動説を推論だと言ったのは、「進化論が推論であるならば、地動説だって推論である」という意味です。科学的仮説は、ある意味で、すべて推論です。数学的証明でもなけば、宗教的教義でもありません。

「推論」か、でなければ「事実」か、という二者択一的な考え方は、科学にはなじみません。推論にもいろいろレベルの違いがあって、証拠に裏打ちされてものから、そうでないものまでさまざまな質の推論があるとお考えください。推論の中でももっともレベルの高いものが事実と呼ばれます。普通の科学的知識がある人は、進化論は、地動説と同じくらい証拠によって支えられていると考えています。


>もし、進化があると仮定するなら、進化が生化学的な反応がなく生じるとは考えられないのですがいかがでしょうか。

進化は生化学的な反応がなく生じるとは考えられないでしょうね。


>明確な原理法則が今の時代にも見つかっていないのなら、全く新しい独立した種が生じるという進化自体存在しないので原理も法則(反応)も見つかってないのではないかと思得るのですがいかがでしょうか。

「明確な原理法則が今の時代にも見つかっていない」というのは誤りです。「自然淘汰説が進化の法則や原理と言えるでしょう」と私は書きました。進化が起こったかどうか、進化のメカニズムについては、かなりよくわかっています。


惑星の運行だって  投稿者:JA50 投稿日: 2008年01月09日 9時04分

二体なら厳密に解けるけど、三体になるともう解けなくなるんじゃなかったですか?
たったの3つで。


Re:法則  投稿者:大文字ナン 投稿日: 2008年01月09日 2時25分

よっちゃんさん、初めまして(ですよね?)

惑星の運行というのはとても大規模な事象ですが、力学としてはシンプルな法則で説明ができます。シンプル=単純である、ということです。まったく同じ力学の公式を使って、もっと大きな系(たとえば銀河の運行)を説明することさえできます。

しかし、そんな単純な系でさえ、速度が光速域に近づいたり、極小の領域(量子の領域)になってくると、様相が変わってきます。これは非常に単純な物質と物質の相互作用でさえ、場合によってはとても複雑な事象として扱わなければならない、ということです。

生物というのは、云うまでもなく単純ではありません。ニンゲンを百人乗せた飛行機を飛ばすための揚力という問題なら、単純な力学で説明できますが、ニンゲンがどのように子孫を残すのか?という問題に答えるためには、物凄く複雑な事象を包括的に捉えなければならなくなります。進化学とはつまり、ある個体が自分のコピーを作り(子供でもいいです)、その子供がまたさらに子供を作り、さらにその子供が…という積み重ねをモデル化していくという現象について、科学的に研究しよう、できる範囲は実証しようという試みです。

無論、生物は物理法則に従いますし、化学反応を起こして生命活動を営んでいます。そういう意味では物理学や化学と共通の原理が生物学にも存在します。しかし、系が恐ろしく複雑なのでボールを投げたときの軌道を予測するのに比較して、個別の結果を決定論的に予測することは難しいでしょう。それでも「生物全体の傾向」については、かなり決定論的に予測することができます。だから進化学は科学として十分役に立っているのです。

進化について解説した本は数多くあります。良書を選べば(このサイトでいくつか紹介してくださっています)、とても分かりやすく、知的好奇心を満足させてくれる楽しい体験を味わえる、と私は思います。


教えてください  投稿者:よっちゃん 投稿日: 2008年01月08日22時54分

NATROMさん
本を読まないのではなく読めないのです。多くの専門書は買っても(借りても)、私にはとても難しいのでわかりやすく教えていただきたいと思い質問しています。私の頭は容量が小さく、生物学ではせいぜい、中学高校のわかりやすく説明された教科書のメンデルの法則やABOの血液型の組み合わせぐらいしか十分に理解できません。わかったような気になって読むことはできますが何が何だかあとでわからなくなるのです。読めば読むほど疑問が増えるので、読まなくなるのです。NATROMさんのような優秀な方には理解できないあんぽんたんの世界だと思ってください。
 地動説が推論かどうか知りませんが、地球が1日1回自転し、太陽の周りを約365日と4分の1の時間でまわっているのは事実ではないでしょうか。それを前提に人工衛星の軌道なども計算されているのではないでしょうか。地球が動いている事実が確認され、計算され、何時間後、何日後には地球上の日本が東京がどの位置にあるかということがほぼ正確に判断されるのではないでしょうか。私には地球が一日に一度自転することが推論のようには思えませんが推論なのですか
さて、生物学に明確な原理法則はないとのことですが、生化学にはいろんな反応があったように思いますが、それらも推論なのでしょうか。それとも生化学は生物学とは関係がないのでしょうか。

 もし、進化があると仮定するなら、進化が生化学的な反応がなく生じるとは考えられないのですがいかがでしょうか。
 しかし、明確な原理法則が今の時代にも見つかっていないのなら、全く新しい独立した種が生じるという進化自体存在しないので原理も法則(反応)も見つかってないのではないかと思得るのですがいかがでしょうか。


退化  投稿者:ゆんゆん探偵 投稿日: 2008年01月08日22時46分

>退化が自然淘汰に於いて有利に働くという説明を、子供や科学に疎い人に噛み砕いて話す例として、RPG等のステータスのボーナスポイント振り分けというのは的外れにはならないでしょうか?

「合計が決まっているリソースをいかに割り振るか」という話ですので、なかなか適切なたとえ話ではないかと思います。光がまったく差さない洞窟内に住む生物の眼が急速に退化するというのはまさに「魔法が全然効かない国なら、INTは0にして全部STRに振るのが有利じゃん!」みたいな話です。


流れとは違いますが  投稿者:RX780 投稿日: 2008年01月08日22時30分

退化が自然淘汰に於いて有利に働くという説明を、子供や科学に疎い人に噛み砕いて話す例として、RPG等のステータスのボーナスポイント振り分けというのは的外れにはならないでしょうか?
正確には違うのかもしれませんが喩えとして問題ないかお聞きしたいのです。


本を読まないのはなぜ?  投稿者:NATROM 投稿日: 2008年01月08日20時55分

メンデルの法則を例に出したのは、「生物学においては、物理法則のような例外のない(あるいは成立条件がきわめて明確な)法則はない」ことを示すためです。メンデルの法則に相当するものとして、自然淘汰説があると書きました。強いて言えば、自然淘汰説が進化の法則や原理と言えるでしょう。


>進化「論」という推論なんですね。

他のあらゆる自然科学と同じ意味において、推論です。地動説だって推論ですよ。


>ひとつあるいは複数の観察した事実に関連する推論は実証されるまでは、結論を出すことを控えたほうがよいかと思いますがいかがでしょうか

まったくその通りです。よっちゃんさんがご存じないだけで、進化論は十分な証拠によって実証されています。

「自然淘汰と進化は違う」というのはある意味正しいです。自然淘汰抜きの進化もありますから。それはそれとして、「独立した種が生まれる」ことには実例はあります。リンク先はお読みにならなかったのですか。一般的に種分化には、隔離が必要です。その意味で「一定の個数を閉じ込めると進化する」というよっちゃんさんのお考えはそれほど間違っていません。細部について知りたければ、リンク先には参考文献も提示されているのですから、お読みになればいかがですか。


>もしそうした実験操作ができるとするなら、進化は蚊に関しては実験できるということになりますね。蚊以外の生物にもその方法で進化が確認されますか。

蚊に限らず、世代交代の早い種においては実験室で進化が起こることを観察できます。「進化は実験できない」というのはおそらく、「進化は実験で再現できないから科学ではないのでは?」というFAQのことだろうと思います。世代交代の遅い種や、大きな変化については、進化は実験で再現できません。だからといって進化は科学ではないとは言えないという趣旨のFAQです。生物進化と一口に言ってもきわめて広い分野にわたることです。「進化は実験できる」か「進化は実験できない」かの、どちらかしかないと考えるのはあまりにも単純すぎます。「進化には実験できるものもあれば、実験できないものもある」とお考えください。

私からも一つ質問よいですか?よっちゃんさんは、進化についていろいろ疑問を持っていらっしゃるようですが、それにしてはあまりにも無知です。どうして、本を読むなどの努力をなさらないのでしょうか?現代生物学の重要な位置を占める学問について、掲示板のやり取りだけで本当に理解できるとお考えですか?


横レス  投稿者:AH1 投稿日: 2008年01月08日19時48分

これは単なる予測にすぎませんが、
多分、よっちゃんさんが「納得」されるような法則や証明は無いと思いますよ。

進化生物学以外の生物学、さらに地球科学や宇宙科学についてもそうですが。


教えてください  投稿者:よっちゃん 投稿日: 2008年01月08日18時37分

いろいろと教えていただき本当にありがとうございます。
進化とは
>「少数の単純な生物が長時間かけてさまざまな生物に変化すること」
と定義しておられましたが、メンデルの法則は進化の法則だったのですか。
メンデルの法則は合理性のある遺伝の法則と考えられますが、私が教えていただきたかったのは、遺伝の法則ではなく「進化」の原理や法則です。学校で進化論は習いましたが、進化の法則や原理、実験は習わなかったので、進化の原理ってあるのかなといろいろ調べてみましたが、どうも見当たらないのでお尋ねしました。やはりないのですね。進化「論」という推論なんですね。
 ひとつあるいは複数の観察した事実に関連する推論は実証されるまでは、結論を出すことを控えたほうがよいかと思いますがいかがでしょうか。刑事や検事の勝手な推論によって冤罪を引き起こした事件が多数あったことはご存じだと思います。ことに自然科学の世界においては、合理的法則があるか、一定条件の中で経験的に確認できる実証が伴わないで、理論と称するのはどうかと思いますがいかがでしょうか。


ある環境での適応能力がある生物が生き残り、適応能力のない生物が死んでいくという意味で自然淘汰はわかりますが、自然淘汰と進化は違うと思いますよ。遺伝子の持つ環境への適応の可能性と、遺伝子が別の種を発生させるというのでは意味が違うと思うのですが、いかがでしょうか。それとも、そのような実例はありますか。ある条件があれば独立した種が生まれるのでしょうか。もしそうであれば、進化は実験可能ですよね。

 またご紹介してくださったウェブページ(http://transact.seesaa.net/article/68751706.html)の、現代も観察される進化した蚊は、もとの種とは交配ができない、独立した全く新しい種の蚊で代々子孫を残すことが可能な新種の蚊なのですか。また元の蚊にどういう条件を加えると新種の蚊になるのですか。時間ですか、一定の個数を閉じ込めると進化するのですか。教えてくださると感謝です。
 もしそうした実験操作ができるとするなら、進化は蚊に関しては実験できるということになりますね。蚊以外の生物にもその方法で進化が確認されますか。
 でも、進化は実験できないとNATROMさんの記事のどこかで読ませていただいたような気がしますが、実験できるのかできないのかどちらなのでしょうか。


無知なものにご教授いただくには御忍耐がいるとは思いますが、よろしくお願いします。


よっちゃんさんへ  投稿者:NATROM 投稿日: 2008年01月08日15時52分

>進化も個体数と時間に関して。原理法則がありますか。どの生物にも当てはまりますか。

おそらく、よっちゃんさんが想定しているような「原理法則」はありません。物理学とは違って、生物学の研究対象は多様性に富み、たとえ法則を確立しても多くの例外を含むのが普通です。たとえば、生物学の分野でよく知られている「法則」として、メンデルの法則がありますが、多くの例外があります。にも関わらず、遺伝学は自然科学の一分野ですし、メンデルの法則は遺伝学の中でも重要な位置を占めています。

遺伝学は科学ですか?私は科学と考えますが、よっちゃんさんはどうお考えですか?遺伝学におけるメンデルの法則と同様に、進化生物学においても例外はあるものの重要な位置を占める考え方があります。自然淘汰説です。


>また、その推論が妥当として約30億年毎に進化が生じるという推論ですか。なぜある生物が別の生物に進化するのに30億年かかるのですか。

私の先の投稿は「約30億年毎に進化が生じる」「ある生物が別の生物に進化するのに30億年かかる」という意味ではありません。地球上の生命のもっとも古い共通祖先が約30億年前にいたという意味です。ある生物が別の生物に進化するのには、世代交代の早い種であれば、数年や数十年といった人間の観察可能な範囲内の短い時間しかかかりません。「なぜ現代において進化が確認されないのでしょう」という問いは的外れです。なぜなら、現代においても進化は確認されているからです。(ネット上のソースはたくさんありますが、たとえば、創造論者の主張「新しい種は観察されたことはない」[忘却からの帰還]http://transact.seesaa.net/article/68751706.html)。


>もし私が知らないのなら、何が何に進化したのか教えて下さい。

たとえば、ホモ・エレクトゥスがヒト(ホモ・サピエンス)に進化しました。ホモ・エレクトゥスはアウストラロピテクス・アファレンシスから進化しました。他にもさまざまな生物について、系統発生が調べられています。より詳しい情報が欲しいのであれば、進化についての本を読まれてはいかがでしょう(ドーキンス著「祖先の物語」なんてどうでしょう)。

よっちゃんさんは、進化論を疑似科学ではないかと疑っているようですが、であるならばまず、進化論(と自然科学)を理解してみることからはじめてはどうでしょうか。進化論を理解していないのに、進化論が疑似科学であるかどうか判断できるはずはありません。進化論と自然科学について十分に理解している人で、進化論を疑似科学と考えている人はいません。


教えて下さい  投稿者:よっちゃん 投稿日: 2008年01月08日 0時36分

多くの科学的事実と同じように推論ですと云われますが、多くの事実から科学的な原理や法則が発見されていますが進化も個体数と時間に関して。原理法則がありますか。どの生物にも当てはまりますか。
多くの科学が合理的な原理法則、実証可能な実験がありますが進化にも、時間と個体数の関係によりある生物が別の種の生物に進化することが証明できる原理法則がありますか。もしあれば、何という原理、法則ですか。もし、原理法則もなく推論のいきをでていないのなら、あなたのいう進化も疑似科学ではないでしょうか。証明の出来ない推論なら好きなことが言えると思いますよ。合理的な原理法則が確立されて科学的と言えると思いますが如何でしょう。

また、その推論が妥当として約30億年毎に進化が生じるという推論ですか。なぜある生物が別の生物に進化するのに30億年かかるのですか。
始めは一つとのことですが、その一つから、30億年後現在のあらゆる生物が突然進化して生じたのですか。それとも、進化を繰り返して生じたのですか。もし進化が繰り返されるとするなら、なぜ現代において進化が確認されないのでしょう。もし私が知らないのなら、何が何に進化したのか教えて下さい。


よっちゃんさんへ  投稿者:NATROM 投稿日: 2008年01月07日22時59分

>さまざまな生物に変化するというのは、始めの生物の種とは別の種に変化するという意味でしょうか

その理解で正しいです。


>少数とは具体的にどれくらいの数でしょうか

究極的には一つ、もしくは、数個ぐらいでしょうか。個人的には生命の起源は一つにさかのぼれると考えています。しかし、地球の生命が独立して発生した複数の自己複製子に由来する可能性もあると思います。よって、「少数の」といたしました。


>長い時間とはどれくらいの具体的に時間あるいは代を重ねたら良いのでしょうか。時間と数の関係あるいは固体の代の数の関係は分かっていますか。

時間については具体的には約30億年か、それより少し長いぐらいでしょうか。代については種によって異なりますが、細菌が分裂する速度は数十分といいますので、ざっくり60分としますと、30億年÷60分≒2の13乗代ぐらいでしょうか。世代交代の遅い種ではもっと少なくなるでしょう。「どのくらい代を重ねたか」という問いはあまり意味がないように思います。


>それは推論ですか、それともモデルとなる何かの微生物でもよいのですが、実験的にだれもが確認できる事実ですか

他の多くの科学的事実と同じように、推論です。年代についてはかなり確かです。誤差はあるでしょうが、桁が間違っているということはありません。実験はできませんが、異なる方法論で科学的に確認できます。


教えて下さい  投稿者:よっちゃん 投稿日: 2008年01月07日20時53分

このページでは進化を「少数の単純な生物が長時間かけてさまざまな生物に変化すること」と定義します。
とのことですが、さまざまな生物に変化するというのは、始めの生物の種とは別の種に変化するという意味でしょうか。
少数とは具体的にどれくらいの数でしょうか、長い時間とはどれくらいの具体的に時間あるいは代を重ねたら良いのでしょうか。時間と数の関係あるいは固体の代の数の関係は分かっていますか。それは推論ですか、それともモデルとなる何かの微生物でもよいのですが、実験的にだれもが確認できる事実ですか。(実証できることでしょうか。)


稲本怜  投稿者:稲本怜 投稿日: 2008年01月07日20時06分

稲本怜というのが「はみ」さんのさいとにある。しかし、あれは、オイ高の伊東くんという
ひちがかいた


 投稿者:埼玉 投稿日: 2008年01月06日19時12分

それから、
僕は尾崎豊さんはそんなにすきというわけではありません。僕のサイトに、尾崎豊・ペヨンジュンというのがありますが、僕の名前を使ったのは、姉の友達だと思います。尾崎さんを好きなのは、僕の大親友です。(愛知)そして、姉はポテトセロリというやつです。


5246  投稿者:稲本怜 投稿日: 2008年01月05日20時31分

稲本です。そういや、ここにもかきこあるってしらなかったなあ・


性悪説  投稿者:kodaimoso_hahe 投稿日: 2008年01月05日17時21分

罪を犯すように仕向けて、それを許す代わりに服従させる洗脳テクはうまくいっていますかね


自由意志  投稿者:diamonds8888x 投稿日: 2008年01月03日19時47分

>自由意志って、結局、「何からの自由」と言いたいんだろう?というのが、ここ数年の私の疑問です。

 そうですね、食欲からの自由という状況も十分に考えられますが、飢えに負けていつもなら食べないものを食べたのは「自由意志」によるものだったのかそうではなかったのか、とか。無意識さんの自由意志と意識さんの自由意志は別物なのか、とか。リリスさんの文意とは論点が違ったかも知れませんが。

>リベットの実験ネタでは、まるで脳全体(あるいは身体全体)からの自我の自由意志を問題にしているかのような文章をしばしば見かけます。でも、それはちょっとナンセンスな気がして・・・。

 私が「雑念」と感じた部分と重なるかも知れませんね。実験自体はアウェアネスと無意識の活動との時間関係を観測できたというだけの話なので、自由意志をアウェアネスと関連づけない限りは実験から自由意志への言及はできません。まあ観測できたということがすごいことだと思うので、私はそこに感銘を受けたのですが。コロンブスの卵ということで。

 あれ、もしかしてこれはリベットの文章についてのコメントではなくて、「リベットの実験をネタにした色々な人達の文章」についてのコメントでしたか?


あけおめ  投稿者:リリス 投稿日: 2008年01月03日11時51分

自由意志って、結局、「何からの自由」と言いたいんだろう?というのが、ここ数年の私の疑問です。

リベットの実験ネタでは、まるで脳全体(あるいは身体全体)からの自我の自由意志を問題にしているかのような文章をしばしば見かけます。でも、それはちょっとナンセンスな気がして・・・。
それに、物理学的な決定論からの「自由」意志などと言い出すと、要するにそれはランダムで不確定な意思(?)決定なんかい、という話になってしまいますし。
(刑法の責任問題に絡むような「自由意志」は、リベットの実験とはあんまり関係ない気がします。)

つまるところ、「自由意志」というのは、「神の意志」と対比させることに意義があるのではないかと思う今日このごろです。

今年もときどき遊びに来ると思いますので、どうぞよろしく。


0.5秒遅れの意識-2-  投稿者:diamonds8888x 投稿日: 2008年01月02日13時59分

さてリベットの研究からの重要な結論は次の2つです。
1.感覚神経への信号入力から、その感覚を意識するまでには約0.5秒かかる。しかし信号入力からそれに反応するまでの時間はもっと短いことが多い。
2.完全に自発的な行為(手首を曲げるなど)を行うとき、運動の準備動作は実際の運動の500-1000ミリ秒前に無意識に始まるが、「今、動こう」と意識するのは運動の約200ミリ秒前である。

 特に2の結果が、自由意志より前に無意識の準備動作が始まっていることになり、「自由意志はないのか?」という議論にも色々なところで発展しました。しかし私には、この結果が「自由意志の否定」もしくは「「自由意志に対する無意識の優位性」に短絡的に結びつくものとは思えません。ちょっと会社組織や軍隊組織の比喩で書いてみたいと思います。

 例えば光を見てからボタンを押す作業では、刺激が感覚神経に入る>ボタンが押される>光に反応してボタンを押したことを意識する、という順番で実際の現象が起きます。つまり反応は完全に無意識で、意識は事後承認だけです。ただし主観的には、「押そうとしてから反応した」というように時間を遡って再構成された現象として自覚します。

 たとえて言えば、隊長は兵士に「敵を見つけたら倒せ」という命令だけをあらかじめ与えているのです。実際に敵を見つけたら、兵士はいちいち隊長の裁可を仰いだりせずに自分の判断で銃を撃つということです。さもないと間に合いません。ごく当たり前の組織の動かし方です。しかし、隊長の命令があればこそ兵士は自分の判断で銃を撃てるのであり、兵士の行動だけを見て「この軍隊には指揮者がいない」などと考えるのは間違いであることは明らかでしょう。

 さて2の実験では完全に自発的な行為を扱っています。会社の活動にたとえてみましょう。まず実行の500-1000ミリ秒前に、行動計画立案とその準備が社員により開始されます。実行の200ミリ秒前に行動計画が社長(意識)に呈示され、社長が何も言わずにハンを押せば予定時間に計画が実行されます。しかし社長は実行までの200ミリ秒間に、実行を止めることはできます。リベットはこの拒否権の存在を根拠として、自由意志の存在を肯定していますし、私もそう思います。

 さらに私が思うに、社員によって行動計画立案が始まるのは、そもそも「この期間ならいつでもいいから『手首を動かす』プロジェクトを始めてくれ」という長期経営計画があらかじめ示されていたからです。「この期間は手を動かさない」と決めていれば、無意識の準備段階起動もないはずです(実験的確認は必要だけど)。そして長期経営計画を立てた何者かは、自由意志と呼ぶ以外にないのではないでしょうか?

 つまり自由意志とは、かって想像されていたような、すみずみの細かい作業まで指示を与えるような指揮者ではなく、おおざっぱな計画だけ示して、実行の細部は現場に任せるという方法を採っているのです。なんとよくできた組織ではありませんか。


0.5秒遅れの意識(アウェアネス)  投稿者:diamonds8888x 投稿日: 2008年01月02日13時47分

あけましておめでとうございます。

 年末年始休暇でいくつか脳科学の本を読んでいます。あちこちで耳にしていた(目にしていた)表題のようなキャッチで有名な本にまず取りかかりました。
ベンジャミン・リベット「マインド・タイム 脳と意識の時間」岩波書店 (2005/7/28)

 正確にはどういうことなのか知りたかったのですが、久しぶりに目からうろこを落としてくれる本でした。一見常識はずれに見える結論ながら、実はきわめて自然で、科学的方法から素直に導かれる結論で、強烈な納得力を受けました。この一直線の納得力は、ダーウィンの自然選択説やアインシュタインの特殊相対性理論やドーキンスの利己的遺伝子論に初めて接したときと同じものでした。

 ただし、それは1−4章まで。5章で提案された「精神場」なる仮説は必要性がよくわかりません。「統一された意識」の説明には必要だと考えているらしいのですが・・。それと全体的に自由意志の考察では、どうも科学的な解明を進めるということ以外の「雑念」が混じったものに見えます。

 特に感銘を受けたのは、1章でまず展開された著者らの方法論です。まず、意識というとあまりにも様々な意味にとられやすく混乱を招きやすいのですが、著者らは「アウェアネス」(気づき、自覚)という『現象』に焦点を絞ります。そして、以下の方法論に乗っ取って実験を計画します。
1.アウェアネスはそれを経験する本人にしかアクセスできない。
1A.他人の主観的アウェアネスの存在は、経験する本人の報告でしか観測できない。
1B.経験する本人の報告を使えば、他人の主観的アウェアネスの観測は可能である。
2.神経活動のような物理的に観測可能な現象の観測と、経験する本人の報告を通した他人の主観的アウェアネスの観測を同時に行うことで、両者の相関関係を捕らえることができる。

 言われてみれば当たり前の話です。だが1Aの事態を重く見過ぎて1Bに基づく方法論は科学的ではないとするような議論もあったのです。極端な例が心理学の行動主義でしょう。でも人は嘘をつきうるし間違いもしうるという理由で他人の報告は全て信頼できないなどと考えたら、社会学の調査も科学的ではないということになりますし、患者の症状の訴えで診察する医学も科学的ではないということになってしまいます。しかし私にとっても、このことを明確に示してくれたのは、この本が初めてでした。

 そして実験設計が見事なものです。行為を自覚した時点の測定に時計の針の位置の記憶を使うとは!

 もうひとつ私にとって目からウロコだったことは、認知とアウェアネスは別の現象だということです。つまり認知には無意識の認知もあるということでした。これも言われてみれば当たり前の話ですが、さらに推理や予測のような思考過程さえもアウェアネスと同一視するべきではない、ということになるとかなり意外なことかも知れません。ともかくこの本を読んで、意識の問題を考える時の土台がしっかりしたように思えます。

 過去にもいくつか脳科学関係の一般向けレビューは見ているのですが、この重大な研究を取り入れたものは見かけなかったのは不思議なことです。なにせこの研究の最初の報告は1965年のことで、この本は以来40年余りの発展を取り入れた集大成でもあるのですから。


あけおめことよろ  投稿者:クハ72 投稿日: 2008年01月01日23時10分

> 普通に生活していても、神を信じるまでの知識が得られないのも問題だと思う。

普通に生活していて、創造科学の知識のみが得られるのも問題だと思う。


謹賀新年  投稿者:たんぽぽ 投稿日: 2008年01月01日22時22分

新年あけまして、おめでとうございます。

わたしも、このところ、あまり書き込んでいないけど、
今年もよろしくお願いいたしますね。


謹賀新年  投稿者:RYU_TI_SYU@のいるこいる 投稿日: 2008年01月01日22時01分

>普通に生活していても、神を信じるまでの知識が得られないのも問題だと思う。

あーもんだいだもんだいだもんだいだ


あけおめ  投稿者:NATROM 投稿日: 2008年01月01日21時51分

今回の年末年始は、大晦日の日直のみでなんとかなりました。持続可能な勤務体制がとれる病院で本当に良かった。今年もよろしく。


ご意見、ご要望がございましたら、掲示板か、 e-mail:natrom@yahoo.co.jpへどうぞ。


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