進化論と創造論についての掲示板ログ396

2007年02月28日〜2007年03月11日
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目的論者さま  投稿者:しめさば 投稿日: 2007年03月11日20時59分

>宇宙に人間の存在という目的があるのなら

この前提が真とされる論理的根拠がわかりません。
「何かが存在していること」から「存在には目的があること」は導けません。
なんで「無目的な存在」「偶発的な存在」があり得ることを全否定できるのかが不思議です。


というか人間原理ってのは  投稿者:Seagul-X 投稿日: 2007年03月11日19時35分

「人間(というか知的生命)の生まれた宇宙は元々人間(というか知的生命)の生まれる必要条件を満たしていなければならない(だって知的生命が生まれていなければ、こういう疑問も抱き得ないわけですから)」ってことでしょ。人間が生きている以上、取りうる宇宙の構造には元々制限がある、ってだけですよね。

http://ja.wikipedia.org/wiki/人間原理

Wikipedia に書いてある「宇宙の構造の理由」ってのは「なぜこの宇宙には人間は存在するのか」じゃありません。少なくとも、その一部分「なぜ人間が存在するこの宇宙はこういう構造をしているのか」のさらに部分的回答(人間が存在している以上、人間が存在できる条件を満たす構造になっているべき)にしか過ぎません。
たとえば原子がひとつもない宇宙、ってのが存在できるかどうかわからないけど存在できると仮定して、その宇宙では「なぜ我々が存在するこの宇宙はこういう構造をしているのか」と疑問を抱く知的生命は生まれない、ってだけの話ですね。
いやまぁ、SF なんかで出てくる純粋エネルギー生命体なんてのが存在し得るとしたら、そんな宇宙でも疑問を抱く存在はいるかもしれませんが。

そういう意味では人間原理を正しく引っ張ってきていないので、解釈を間違ったって感じですね。


人間原理?  投稿者:ゆん(♂) 投稿日: 2007年03月11日19時23分

「人間原理」ですかね。

個人的には「いかに人間(知的生命体)の発生する確率が低かろうと、それが広い宇宙のどこかで起こるかどうか」だけが問題だと思ってるので、確率が低いかどうかそのこと自体はあんまり気にならないんですけどね。


もしかして量子論解釈?  投稿者:JA50 投稿日: 2007年03月11日19時07分

量子論の解釈問題でそういうのってなかったですか?

観測問題とか波動の収束とかいうのだったか、、、


言い切っちゃってみよう  投稿者:ナナシー 投稿日: 2007年03月11日18時16分

宇宙に人間の存在という目的はない!


誰のこと?  投稿者:カクレクマノミ 投稿日: 2007年03月11日18時12分

>なぜこの宇宙には人間は存在するのかと聞かれたら“人間の生まれた宇宙は人間の生まれる宇宙なのだ”と言います

誰がどこでそう言ったのか教えてください。


創造論者の創造した進化論者という幽霊  投稿者:JA50 投稿日: 2007年03月11日17時52分

私は進化論者(進化論が今のところは正しいだろうと思っている者)ですが「宇宙に知的生命体が存在する確率は天文学的に低いと仰いますが、なぜこの宇宙には人間は存在するのかと聞かれたら“人間の生まれた宇宙は人間の生まれる宇宙なのだ”」などと言った覚えはないぞ。

誰だ、そんなことを言っているのは?
それって、あなたみたいなパープリンの頭が勝手に創造した幽霊じゃないの?

大丈夫、安心しなさい、恐れる必要はないです。
そんな幽霊はどこにもいません。
いつまでも柳の枝を幽霊がいると怖がるのはバカです。


目的論者より愛を込めて  投稿者:名も無き創造論者 投稿日: 2007年03月11日16時56分

進化論者の皆さんは宇宙に知的生命体が存在する確率は天文学的に低いと仰いますが、なぜこの宇宙には人間は存在するのかと聞かれたら“人間の生まれた宇宙は人間の生まれる宇宙なのだ”と言います、が、しかし、それは逆に言えば“人間の生まれる宇宙は人間の生まれた宇宙なのだ”ということになり循環論証になってしまいます。さて、宇宙に人間の存在という目的があるのなら目的は知性からしか生まれませんので宇宙は神によって創造されたということです。


生存価とシグナル  投稿者:AH1 投稿日: 2007年03月10日15時28分

性選択ですが、「雄の生存価を高める形質」と「雄の生存価に関係なく(時には下げてもいい)異性にアピールする形質」という両極端を考えるのが早いんじゃないでしょうか。

もちろん中間的なものもあるでしょう。
雌にアピールするシグナルや雄同士の闘争によって発達した形質が、同時に雄の生存価の高さとも相関している場合もあるでしょうから。


性選択  投稿者:うだうだ 投稿日: 2007年03月09日22時41分

> けれど同性間の性選択で選ばれる形質は、普通の自然選択で選ばれる形質とも結構重なるように思えます。

だけど、メスに選ばれるように同性で競争するのは微妙では?

> 自分や子供(直接の子孫)の生存を計るものです。

この辺りが微妙になる。単に私がいろいろまぜこぜにして事態を整理してないせいかな?


性選択  投稿者:diamonds8888x 投稿日: 2007年03月09日 6時05分

 当初のダーウィンによる区別がひとつの例ですが、あえて性選択を他の自然選択と区別するのは、それだけの特徴があるからでしょう。それは生き残るために生物が使う手段に特徴があると考えられます。
 普通の自然選択で生き残るための手段は、自分や子供(直接の子孫)の生存を計るものです。同性間選択は目的が直接的生存ではなくて配偶者を得ることである点が普通の自然選択とは異なります。配偶者とは、得る前には直接の近親でもなんでもなくて、通常なら生存でのライバルでもある存在ですが、それをわざわざ確保しようとするわけです。しかしその手段は、ライバルよりもうまく食物や住処を探す手段とあまり変わらないように見えます。つまり、目的物にライバルより先にたどり着いたり、ライバルをけ落としたりする点では、ライバルと食物を争うのと変わりません。
 それに対して異性間選択では、他者(異性)に選んでもらうことが主目的になり、その手段は直接目的物を得たり、ライバルを直接たたいたりするものではなくなります。

 このように、その手段にかなり特徴のあるところに、あえて異性間の性選択を特に区別して取り上げる必然性があるのではないでしょうか。言い換えれば、異性間の性選択として働く具体的な淘汰圧と普通の自然選択として働く淘汰圧とは、区別ができるのだと。もっと言い換えれば、異性間の性選択で選ばれる形質は、普通の自然選択で選ばれる形質とは異なっている。けれど同性間の性選択で選ばれる形質は、普通の自然選択で選ばれる形質とも結構重なるように思えます。


そっか勘違いか  投稿者:うだうだ 投稿日: 2007年03月08日23時13分

総合説で扱う『形質』は「遺伝するもの」だけです
『遺伝しない表現型』まで「形質」に含めて考えてしまうから,
> 総合説とは逆のことが起こったように錯覚してしまうんですよ
『遺伝しない表現型』には,突然変異との間に「因果関係」はありません
だから,『形質ー>突然変異』の「前後関係」があっても,
それほど不思議なことではないんですよ

なるほど、形質って言葉が問題だったんですね。『遺伝しない表現型』こう書けばよかったんですね。了解。

> 行動的な生殖隔離が発達すれば,種分化の単位となる可能性もあります
また,餌場グループごとの『遺伝する表現型』に対する淘汰圧の違いは,集団の『形質』を変化させていくでしょう
これらの現象は「進化」だと思いますよ

やっぱここに行き着きますね。行動的と言うか、能動的って言葉に意味があると私は考えてしまいます。

猫の話とても面白かったです。

水に入る生活にしたから、水かきが出来た。

それとも、

水に入る生活になったから、水かきが出来た。

の違いかと思います。なんか言葉遊びだなと言う域を出てませんけど。何か意味があるとは思うのですけど。


やっぱり私も  投稿者:うだうだ 投稿日: 2007年03月08日23時05分

> 知ってるけどわざわざ別モノとして主張するほどの事はない

生活形と分けると生物の主体性って話持ち込みやすいってのもやはりありますね。前も話しましたけど、意味があると思うんだけど。現在のダーウィニズムに切り込むほどの意味はなかなか私には語れないというのが結論ですね。


やっぱり元に戻っちゃうな  投稿者:AH1 投稿日: 2007年03月08日21時43分

>理想形は無いですけど、とりあえず近視眼的にこういう機能もっとのびたら良いなってものは、白井氏の発想だとのびる気がしますね。意識とかじゃなくて、生活形ってのはそういう意味があると思うんですよ。

白井氏の発想じゃなくても伸びる筈なんですが(変異が発生するまでのタイムラグとか固定にかかる時間とかはとりあえず置く)。
結局堂々回りするんですが、「この二つは区別できないし、する意味があるとも思えない」に戻って来るんです。
shinok30さんのノネコの例なんかが実例ですけど、そもそも、そういった生活形による分離ってのが生物学において考慮されていなかったとは思えない。知ってるけどわざわざ別モノとして主張するほどの事はない、という了解事項のような気がするんですが。
(少なくとも理論は場合分けも含めて単純な方がいいわけだから)


形質ー>突然変異?  投稿者:shinok30 投稿日: 2007年03月08日 7時20分

>要は、仕組み的には、突然変異ー>形質ですけど、生物の立場に立ってみると、
>因果関係が逆で、形質ー>突然変異となると思うのです。

「形質」という言葉の定義が混乱しているように感じます
上の文章では,「生物のすべての表現型」=「形質」の意味で使っていませんか?
前半の『形質』は「遺伝する表現型」,後半の『形質』は「遺伝しない表現型」でしょう?

かつては遺伝しない表現型を「獲得形質」,遺伝する表現型を「遺伝形質」といって,
どちらも「形質」という語で表現していたんですけど,
今は「遺伝によって子孫に伝えられる性質」のみを『形質』ということが多いんですよ
>形質とは、生物が示し、遺伝によって子孫に伝えられる性質のこと。
>形質が実際に表現されたものを表現型という。両者は混同されがちだが、形質は性質そのものであり、表現型は形質が実現化したものである。
>遺伝しない表現型を獲得形質(ラマルク参照)といい、遺伝する表現型を遺伝形質といった時代があったが、現在は遺伝する性質のみ形質と呼ぶ。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BD%A2%E8%B3%AA

総合説で扱う『形質』は「遺伝するもの」だけです
『遺伝しない表現型』まで「形質」に含めて考えてしまうから,
総合説とは逆のことが起こったように錯覚してしまうんですよ
『遺伝しない表現型』には,突然変異との間に「因果関係」はありません
だから,『形質ー>突然変異』の「前後関係」があっても,
それほど不思議なことではないんですよ

もちろん,自然選択は「すべての表現型」に対して働きます
だから,「遺伝しない表現型」も,
文化の伝搬など「他個体に伝える仕組み」があれば集団中に拡がっていくでしょう
また,AH1さんの言うように,「遺伝しない表現型」によって『生活形』が変化すれば,
「遺伝する表現型」に対する淘汰圧も変わるでしょう

例えば,餌環境に応じて食性が非遺伝的に変化する場合です
いわゆる農作物の害虫,害鳥,害獣はヒトの農耕に合わせて食性を変化させた動物ですし,
ヒトが出す生活ゴミを餌として利用する動物もいます
この場合,餌環境は,ヒトの生活活動に応じて,動物の食性の可塑性の範囲内で変化したのでしょう
このように餌環境が変化すれば,『生活形』も変わり,
『遺伝する表現型』に対する淘汰圧も変化しますね

ヒトの生活圏を離れ,森林や草原で狩りだけで生活しているネコFelis catusは,
他の野生種の小型ネコ類と同様に,単独性で同性間に排他的であり,棲息密度は低くなります
それに対して,都市部のネコは餌をヒトに依存しているので,狩りはほとんどしなくなり,
餌場グループと呼ばれるグループを形成し,高密度で安定するようになります
また,餌資源の量によっては餌場グループ性と単独性のネコがモザイク状に分布する場合もあります
(『哺乳類の生態学』(東京大学出版会)の『第6章 社会システム─ネコ科の研究を中心にして』より)
http://www.amazon.co.jp/%E5%93%BA%E4%B9%B3%E9%A1%9E%E3%81%AE%E7%94%9F%E6%85%8B%E5%AD%A6-%E5%9C%9F%E8%82%A5-%E6%98%AD%E5%A4%AB/dp/4130601679

このような「生活形」の違いは,ネコという動物の習性の可塑性を示している可能性が高く,
これ自体は「進化」ではないでしょう

しかし,単独性のネコと餌場グループ性のネコに働く淘汰圧は異なりますよね
また,餌場グループ内のネコは近親交配が多いことも観察されています
つまり,餌場グループは一つのサブ個体群とみなすこともできますね
行動的な生殖隔離が発達すれば,種分化の単位となる可能性もあります
また,餌場グループごとの『遺伝する表現型』に対する淘汰圧の違いは,集団の『形質』を変化させていくでしょう
これらの現象は「進化」だと思いますよ


Re:どのサイ?  投稿者:大文字ナン 投稿日: 2007年03月07日23時49分

>大文字ナンさんにこの際だから殺伐とした喧嘩を売ろうとか、どこに無理やりな結論を持って行こうという訳ではないんですけど

…殺伐とした喧嘩を「この際」売られても…どのサイなのか分からないし(笑。
まぁ、たいてい殺伐とした喧嘩を売ったり買ったりしてるのは私のほうですが(汗。

それはともかく本題。

>つまり今となっては、性選択を積極的に他の自然選択と区別する理由がないような気がします。
>にもかかわらず、一般的に性選択の定義を広げて解釈しようとする傾向があります。

ああなるほど、この指摘は私の思慮の浅さを気付かせてくれるものですね。
無論、私も性選択は自然選択の一部の事象であり、それがその他の適応事例と分け隔てて考えられるものではない、と考えています。しかし、場合によって、いや、発言の仕方によってはそれがまるで非常に特別で一般的な自然選択とは異なるものであるように捉えられかねないのだな、と思います。いや、「ました」かな。


主体性  投稿者:うだうだ 投稿日: 2007年03月07日19時14分

ちと考えがまとまらないので、そんなことを考えている人を紹介と言う事で。

http://www.origin-life.gr.jp/3301/3301001.html

○ここでは主体性を,「生命システムがそれ自身を維持したり発展させるように,システムの側から環境に対して働きかける性質」を表すものとして用いる.

http://www.brh.co.jp/s_library/j_site/scientistweb/no09/index.html

○しかし、人間の脳の原形であるホヤの脳に目をつけると、ホヤには末梢神経はない。中枢しかないホヤの幼生が卵の中で遊泳しているのは、反射ではなく自発的な動きのはずである。それは前へ進もうとする「意志」と言ってもよい。


マルチです  投稿者:うだうだ 投稿日: 2007年03月07日18時42分

マルチで失礼。

moorさんへ
> 要は、パニクるなりテンパるなりのような感じで、逃げようとはするのだが体がうまく動かないという状態に

なるほど、実際に体が倒れるような事になってしまうと勘違いしました。


> 獲得形質→遺伝に見えるようなことが起こるということは考えられないでしょうか?

むむ、まあ確かにそれを言ってしまったらそうなのかもしれませんけど。どうしてもその疑いは残りますね。


AH1さんへ

> うーん・・・やっぱり、それを因果関係って言っちゃうのはおかしい気がします。

私も強引だと思いました。以前ならまったく何故理解できないのだ向きになっていましたが、最近は確かに自分でもいまいちピンと来ないぞと思えます。そんな思考回路がこのサイトに来て良かった事の一つかもしれませんね。(ただ悪い意味で諦めやすくなってるかも)


> 「こんな形質だったら適応的だよね」という「理想形質」が先にあるってことですよね。
けど、「その理想に向かって変化する」能力は生物には無い。

理想形は無いですけど、とりあえず近視眼的にこういう機能もっとのびたら良いなってものは、白井氏の発想だとのびる気がしますね。意識とかじゃなくて、生活形ってのはそういう意味があると思うんですよ。なんでもありの環境って物の中でとりあえずの目的が生物に出来ると言う事かもしれません。


> すると、結局注目すべきなのは
「異なる淘汰圧の下に自ら飛び込む場合もある」
「それは危険でもあるが、もしかしたら新たなニッチ、新たな形質を得る機会になるかもしれない」
という部分ですよね。

これは確かに重要ですね。とりあえずは、意図とか意識とか関係なくて、行動する状況を客観的に見てと受け取ります。

> ・・・これってそんなに特殊な意見かな。適応放散なんてまさにこんな感じだったんじゃないかな、と思うんだけど。

まあ確かに自然選択の説明の域をこの時点ならまったく超えてませんし、逆に煩雑な説明だけが増える分のメリット無いですね。

まあ面白いとは思うのですけど、もうちょっと練りこんでみる必要はありますね。


イヌが水辺に行くと・・  投稿者:AH1 投稿日: 2007年03月07日17時10分

moorさん
moorさんの御意見は一種の前適応かと思いますが、そういう事はありそうな気がします。
極端な話、イヌが犬掻きで泳げることを考えれば、4足歩行は水泳の前適応かも
いやまて、逆か。
(半分冗談ですが)


うださん
>生物の立場に立ってみると、因果関係が逆で、形質ー>突然変異となると思うのです。

うーん・・・やっぱり、それを因果関係って言っちゃうのはおかしい気がします。

「こんな形質だったら適応的だよね」という「理想形質」が先にあるってことですよね。
けど、「その理想に向かって変化する」能力は生物には無い。

すると、結局注目すべきなのは
「異なる淘汰圧の下に自ら飛び込む場合もある」
「それは危険でもあるが、もしかしたら新たなニッチ、新たな形質を得る機会になるかもしれない」
という部分ですよね。
・・・これってそんなに特殊な意見かな。適応放散なんてまさにこんな感じだったんじゃないかな、と思うんだけど。


補足  投稿者:moor 投稿日: 2007年03月07日 5時28分

>> その結果、心気症あるいは心身症のような状態となり、それが上に挙げたような行動となって現れたとします。
>
>??怪我をした不利は、実際病気になって倒れた?

言葉足らずでもうしわけありません。
要は、パニクるなりテンパるなりのような感じで、逃げようとはするのだが体がうまく動かないという状態に
なってしまったということを想像していました。

>まあそう言う事です。ただ私は突然変異の考え方に対して、突然変異ー>形質って考えでしたけど。
>形質ー>突然変異って発想にもなれんだなと思ったため面白いですけど。要は、仕組み的には、
>突然変異ー>形質ですけど、生物の立場に立ってみると、因果関係が逆で、形質ー>突然変異となると思うのです。

可能性が0ではないという思いつき程度の話&あくまで突然変異→形質(?)の話ではありますが...
ある程度高度な学習および判断能力を持ち、かつ群れで行動するような(つまりはある種の文化(?)を持つ)動物だと、
一見しては表には現れない変異を持った遺伝子が淘汰されずに温存される可能性はあるように思います。
で、従来の行動ではうまくいかないときなんかに、その隠れた遺伝子の影響が目に見える形で行動に変化をもたらし、
獲得形質→遺伝に見えるようなことが起こるということは考えられないでしょうか?


知性とは?  投稿者:うだうだ 投稿日: 2007年03月07日 0時59分

生活形って事にPCには出来なくて、人間は出来る創造の源を感じるのです。


大腸菌に知性を感じてしまいます。人の創造性もこんなものなのかもしれません。


私が生活形に面白さを感じるのは、知性とは何か?について教えてくれる一端なのではないか?と直感的に感じるからです。


もちろん全然科学的根拠の無い私の思い付きです。


革新的か  投稿者:うだうだ 投稿日: 2007年03月07日 0時52分

> ああ、なるほど。言いたいことはわかる気がする。

科学的意味はいまいち見出せませんけどね。人間の様な動物なら意志とか絡められるからちと暴論が出来て面白いんですけどね。

> 特殊と言うほど珍しくはない例じゃないのか、とも思いますよ。動物の生活環境って多様だし、キツネやオオカミのような、非常に広範囲に渡って生息する動物もいますから(もちろん種内で亜種に分けられてる程度の差はあるけど)。

んまー、私もある程度高等生物をターゲットにして話していますが、地球上であまり種類としては哺乳類とか鳥類って多くないでしょ。

http://www.athome.co.jp/academy/genetic/gen07.html

ただ生活形って大腸菌にも案外自由度があるんだと思わせます。ちと学習からは外れますけど、こういうのも生活形のひとつかと思います。

> その後、「行動に見合わない体で阿呆なことして寿命を縮める」のか「無理してでもやった方がマシ」で生活形が定着してゆくのか、さらに行動に合った形に進化して行くのか、といった問題でしょ。

無理ってのは、動物でも駄目だこりゃって感覚ぐらいはあると思うんですよ。なんていえば良いのかな、意識的じゃなくても、このパターンは駄目みたいな思考ぐらいはありそうです。その駄目だこりゃって選択すらなくて行動してしまっているとは思うんですけどね。要は苦渋の選択ではなくて、思いつきと言うか、なんなく動いちゃってと言う感じで。でも動物って危機的な事に敏感だからどうなのか分かりませんけど。


> 「遺伝子が後を付いて来る」部分が自然淘汰の理論に丸投げでしょう?

まあそう言う事です。ただ私は突然変異の考え方に対して、突然変異ー>形質って考えでしたけど。形質ー>突然変異って発想にもなれんだなと思ったため面白いですけど。要は、仕組み的には、突然変異ー>形質ですけど、生物の立場に立ってみると、因果関係が逆で、形質ー>突然変異となると思うのです。

> とは言え、例えば離島での鳥類の適応放散なんてのは、ある意味では「ある個体の無謀な行動」から始まったと言えなくもないんです。

無謀と言うか計算しきれないむつかしさと言うか。


考えれば考えるほど、確かに突然変異ー>自然選択ー>有利なDNA配列の取得。こんな流れですね。うーんうーーん…。

環境と言うなんでもありを、生活形と縛る事で、生活形の選択と言うなんでもありを抱え込む、よって差し引き0かな?

うーん、うーん。まだ語りきれてないのかもしれません。イミフメイではなくなってきましたが、もう一押し無いですね。

まあ後白井氏の考えはエネルギーの蓄積と言う独自性以外、遺伝ロジックはボールドウィン効果の流れに過ぎない気もします。ただ生物の進化の原動力に新たな視点をと言うのが面白い。合理的だけど、余剰と言う無駄かもしれない部分を含む。これすごく重要なんですよね。非合理に見えるものを合理的に論の中に組み入れる事が出来ると私はその点最初に素晴らしいと考えていました。


誤解じゃないといいな  投稿者:wadja 投稿日: 2007年03月07日 0時09分

To:大文字ナンさん

大文字ナンさんが、漠然とした印象(?)を述べられただけで、何かを論証しようと意図した発言をした訳でないのは理解しているつもりです。だから、大文字ナンさんにこの際だから殺伐とした喧嘩を売ろうとか、どこに無理やりな結論を持って行こうという訳ではないんですけど、ちょっと諸般の事情で発言をからめたみたくなったんです(迷惑ならごめんなさい、敢えて理由を言えば少し流れを変えたかっただけなんですけどw)。

で、少し真面目に説明。

Wikiにもありますけど、広義では性選択も自然選択の一種です。にも関わらず、ダーウィンが性選択に特殊な意味を持たせた理由があるとすれば、それは例えば孔雀の羽根のように、その見かけ上の「不適応さ」にあったんじゃないかと思います。でも結局その見かけ上の「不適応さ」にも関わらず、立派な尾羽根のお陰でより多くの子孫がのこせるチャンスのあることが実証的に分かっている。つまり今となっては、性選択を積極的に他の自然選択と区別する理由がないような気がします。

にもかかわらず、一般的に性選択の定義を広げて解釈しようとする傾向があります。竹内久美子は冗談だとしても、性選択の定義を広げ両者の境界をあいまいにしてしまうことにはあまり意義を感じません。有性生殖を行う生物にとって、自分の生存確率を上げることとより多くの子孫を残す為のパートナーを獲得することは、適応度を考える上で不可分な事象だし、どっちがより切実って話じゃないだろ? という違和感を感じる…なんてことを言いたかっただけです。


先行者  投稿者:AH1 投稿日: 2007年03月06日21時08分

>AH1さんとの話は主体性の問題も絡んでいます。

ああ、なるほど。言いたいことはわかる気がする。

>ちょっと今までの自然選択よりは詳しい説明になっていて、しかも特殊例だと思うんですよ。

特殊と言うほど珍しくはない例じゃないのか、とも思いますよ。動物の生活環境って多様だし、キツネやオオカミのような、非常に広範囲に渡って生息する動物もいますから(もちろん種内で亜種に分けられてる程度の差はあるけど)。

さらに言えば、私が最初に補足で書いたのも、大体そういう意味の興味です。
(最初に遺伝的変異による行動の差って書いたけど、そうでないと「主体的に」やめてしまえますからね)
その後、「行動に見合わない体で阿呆なことして寿命を縮める」のか「無理してでもやった方がマシ」で生活形が定着してゆくのか、さらに行動に合った形に進化して行くのか、といった問題でしょ。

ただ、やっぱり白井氏の理論が本人が言うほど革命的に思えないのは、うだうださんの言う
「後は本能的に水に入る正確と言うか動機でも見につくと良いかと思います。これが生活形が先で、遺伝子が後の理屈だと思うのです。」
の部分です。「遺伝子が後を付いて来る」部分が自然淘汰の理論に丸投げでしょう?

とは言え、例えば離島での鳥類の適応放散なんてのは、ある意味では「ある個体の無謀な行動」から始まったと言えなくもないんです。嵐で吹っ飛ばされたのか、コンパスが狂ってたのか、突然変異的に「自分はあっちを目指す!」とやった奴がいたのか・・ でないと離島に最初の個体が辿り着かないし、逆にしょっちゅう辿りつくようでは独自の進化ができないわけで。


そうですそうです  投稿者:うだうだ 投稿日: 2007年03月06日18時15分

いやー自分で読み返しても意味不明なところあります。それを良く綺麗に話してもらいました。

AH1さんとの話は主体性の問題も絡んでいます。上手く説明できなかったのですが、非常に単純でステレオタイプなダーウィニズムの捉え方として、デカルトの考えるような機械仕掛けの自然を連想できるかと思うのです。遺伝子と言うからくりが、偶然と確率の自然によってふるいをかけられていくといったイメージかと思います。

それに対して私は発想自体はちょとラマルキズム的です。生物が体を鍛えたから遺伝した。こんなイメージですね。または学習した技術が遺伝した。

> うだうださんのお話は、このような行動がどうやって本能として獲得されたのかということでしょうか?

まさにこれですが、もう一つ生物の主体性の問題です。環境といいますが、生物自身が選択した環境、マアいわば生物が作った環境です。それが生活形だと私は考えています。まあ私の勝手解釈ですけど。それと私の言ってる事は科学的にはどうでも良いのかも知れません。ただ生物の主体性を持ち込みたいのです。それを科学の土俵に乗っけてしまうと、本能の獲得程度になってしまうのですけど。

一体生物の主体性にどんな科学的な意味があるんだ?ここが私今答えられないのです。すべて機械的である意味決定論的であったとしても、後天的な経験が遺伝に関わってくると言った感じですね。

> 必ずしもこの行動が単一の神経ないし遺伝子には起因しなくてもいいのではないでしょうか。

いやそれは話を単純化しただけです。大事なのは起因の話です。遺伝子に起因しないとは大袈裟ですけど。起因と関係無い行動が遺伝的な特性すなわち本能になると言った話です。


> その結果、心気症あるいは心身症のような状態となり、それが上に挙げたような行動となって現れたとします。

??怪我をした不利は、実際病気になって倒れた?


> その結果、もちろんこれは偶然ですが、外敵を巣から引き離すことができたと。
そうすると、この行動パターンを持つ個体の子孫は生き延びやすくなる可能性があります。
で、それが定着したと。

まあこういうのもそうですけど。もっと起因って言葉が弱くなることが良いですね。


例えば動物は大概動きますね。それは遺伝が関わっているでしょう。だけど動くって行動の根本は特に目的無いでしょ。あるとするととりあえず餌を探すって探索ですね。この行動の中で水に入ったり、草むらに入ったり、それらは環境で出鱈目に選択されますよね。これらの中から学習の中から、一定の行動パターン(例えば水に入る)を身に着けたとします。これが生活形って奴かと思います。後は本能的に水に入る正確と言うか動機でも見につくと良いかと思います。これが生活形が先で、遺伝子が後の理屈だと思うのです。

ちょっと今までの自然選択よりは詳しい説明になっていて、しかも特殊例だと思うんですよ。要は自然選択ってのはちと幅広すぎるから、もうちょっと突っ込んで、こんな機能が良く出来たなって事を説明するのは意味が無いとは思わないんですよ。

まあまだ主体性の説明の意味が無いですけど。それはいずれ考えます。今回は良いです。私は不快になっていたのは、どうせ早晩分け分からん子と言う奴だと無視されるだろうなと思っていたからで、AH1さんが時間を空けたのをなんだまた無視かと思ったからで、ただそれは自分では感情的に気分は悪いが、しょうがないかと諦めている面もあります。自分で読んでもイミフメイなんですから。


Re: 私自身の不快は  投稿者:moor 投稿日: 2007年03月06日 5時42分

学習については、学習のメカニズムに影響する遺伝子が淘汰を受けるということでいいですよね。

たとえば、シギやチドリは、子育ての最中に外敵が近づいてくると、怪我をしたふりをして、
外敵を巣から引き離すというようなことがあるように聞いた記憶があります。

うだうださんのお話は、このような行動がどうやって本能として獲得されたのかということでしょうか?

私は脳や神経の、そしてもちろん鳥類の専門家ではありませんが、
必ずしもこの行動が単一の神経ないし遺伝子には起因しなくてもいいのではないでしょうか。

例えば、ここからは思いつきの域を出ませんが、母鳥としては「逃げたい」という欲求と、
「雛を守りたい」という欲求の、相矛盾する欲求を持つことになると思います。
つまり、特定の種類の、強いストレスに晒されるわけです。
その結果、心気症あるいは心身症のような状態となり、それが上に挙げたような行動となって現れたとします。
その結果、もちろんこれは偶然ですが、外敵を巣から引き離すことができたと。
そうすると、この行動パターンを持つ個体の子孫は生き延びやすくなる可能性があります。
で、それが定着したと。

こんなアイディアはいかがでしょうか?


私自身の不快は  投稿者:うだうだ 投稿日: 2007年03月05日22時42分

ここはどうも気を使うのが面倒。気を使ってまで得るものがはっきり言って少ない。こういうとなんて傲慢なとなるが、まあ事実でしょ。連続投稿もちょっと気が引けるし。ただ確かに内容が濃い1,2,3って書ければ良いんだけど。力不足です。


さて、意味ですが、行動に関する神経の遺伝子のはなしからすると、そんなものは必要ない。起因となる遺伝子が無くても、学習とかある種の性質を持つとします。脳とします。脳が、行動を選択します。これは遺伝的無くて良いです。次にその行動を取る事が合理的だとなった場合、すなわち適応的だとなると、その行動を起こすための起因となる神経を発達させる遺伝子が淘汰を受けます。

確かに環境っていえば環境なんだけど。なんか違和感があるんだよね。


レスどうもどうも  投稿者:うだうだ 投稿日: 2007年03月05日19時39分

> 次に、うださんがどこに引っ掛かっているのかいまだによくわからないんですが、半ば推測を交えて。

私にも実は良く分からないのが、私自身ももどかしい。

> 1-a) 密林と草原で、それぞれの環境に応じた暮らし方や成長はしているかもしれないが、遺伝子型は同じ。

生活形の変化とは、具体的にはこれですね。

> 1-b) 密林と草原で、それぞれの環境に応じた遺伝的な変異が生じている
「ある生活環境においてより適応的な表現形が淘汰されて残った」
のと一体どこが違うの?というのが私の意見。

確かに同じですね。私もそう思うんですよ。

> 遺伝的に行動が変化した、それによって突然「適応的でない筈の」行動をはじめてしまった個体がいたとする。
そいつがいわば「なあ〜んにも考えずに、裸一貫で」新たな環境に踏み出して行ったとして、
それが進化に繋がる場合があるだろうか?という疑問なら、私は興味を引かれるということです。

まあそれは興味深いですけど、白井氏の考えからすると今までのダーウィニズム的と言われる奴かと思います。

そういう生活ばかりしていたら、行動の変化に合った遺伝子になってきたってのが白井氏の意見だと思います。ただやはり、「ある生活環境においてより適応的な表現形が淘汰されて残った」と変わらない気がしますね。

> それぞれの生活形、環境に特化した形に「遺伝子レベルの変異を持って」変化して行くことを進化と呼ぶわけだし、その遺伝子レベルの変異ってのは常に生じていて、淘汰のフルイにかけられてるわけでしょう?

まあそうですね。

> その「環境の変化」が氷河期の到来によるものであれ、生物側の行動によるものであれ、それを区別する必要があるのか?というのが私の意見です。

そそ、私が言いたかったのはまさにこれです。まあ何か意味がある気がするのです。受動と能動の違いですね。環境を選択できると言う事です。ただその意味は?と問われると直感が何か意味がありそうだと思わせるのです。

って事で話はちと進みませんね。少しだけ言いたい事が言えたので私的には今は快です。こういうのはセンスの問題だと思うんですよ。ただ論理として本当に意味が無いのかな?って所は分かりませんね。

チーターなら一生懸命走ったから、足の速い遺伝構成になったって感じですかね?根っ子はダーウィニズムですけど、どこかラマルキズムっぽくないですかね?


別に不快じゃないけどもどかしいです。  投稿者:AH1 投稿日: 2007年03月05日15時04分

うださん

まず、私はたびたびネットの無い環境におりますので、返事が数十時間後になったのはそのせいです。

次に、うださんがどこに引っ掛かっているのかいまだによくわからないんですが、半ば推測を交えて。

1 「表現型の後天的可塑性」について
もちろん可塑性はあります。行動で言えば、例えばチンパンジーが密林から疎林に出てもいいし、なんなら草原に出たっていい。
ただし、密林にいるチンパンジーと草原にいるチンパンジーでは環境が違うんだから淘汰圧が異なるでしょう。
で、密林型と草原型で何か違うという場合、
1-a) 密林と草原で、それぞれの環境に応じた暮らし方や成長はしているかもしれないが、遺伝子型は同じ。
1-b) 密林と草原で、それぞれの環境に応じた遺伝的な変異が生じている
が考えられますね。
1-a)だったら進化とは呼びません。 1-b)だったら進化と呼べます。
さて、1ーb)を生じさせたものは何かと言えば、リンク先の表現で言えば
「採用している生活形・これに依存した表現形であり、これを安定化するようにDNA変化の編成替えが進行した」
となるんだけど、
それは
「ある生活環境においてより適応的な表現形が淘汰されて残った」
のと一体どこが違うの?というのが私の意見。
ぶっちゃけて言えば、
「生活形が変化したらその生物の住む環境が変わり、淘汰圧も変わったから、生き残る個体の表現形も前とは違う」
ってのは自然淘汰の基本じゃないのか、という事です。


2 生活形の変化を生むような、行動面での遺伝的な変化が先行する場合がどれくらいあるか、云々
リンク先の白井さんの「生活形の変化」がどういう意味の事なのかよくわからんかったので以下のような例をちょっと考えたからです。
遺伝的に行動が変化した、それによって突然「適応的でない筈の」行動をはじめてしまった個体がいたとする。
そいつがいわば「なあ〜んにも考えずに、裸一貫で」新たな環境に踏み出して行ったとして、
それが進化に繋がる場合があるだろうか?という疑問なら、私は興味を引かれるということです。

3 で、それを踏まえた上で「生活形の可塑性」というものについて
そりゃある個体が生活形を(ある程度)変え得る、てのは当然だと思います。
でもそれって1のチンパンジーの例ですよね?
それぞれの生活形、環境に特化した形に「遺伝子レベルの変異を持って」変化して行くことを進化と呼ぶわけだし、その遺伝子レベルの変異ってのは常に生じていて、淘汰のフルイにかけられてるわけでしょう?

ランダムな変異が常に発生している、環境が変わればある変異は有利になるかもしれない。
その「環境の変化」が氷河期の到来によるものであれ、生物側の行動によるものであれ、それを区別する必要があるのか?というのが私の意見です。
白井氏の説が無意味とは言わないけど、自然淘汰の「ある一つの場合」を強調しているだけであって、「180度転換した」というものじゃないと思う。


あ、それと「変異の一部が表現形に表れ」の部分ですが、
要するに遺伝的な変異であっても同義置換だの、ジャンク領域の変化だのは表現形に出ないってだけの意味です。


Re:イワ缶  投稿者:大文字ナン 投稿日: 2007年03月05日 1時15分

To wadjaさん

誤解されているかどうか、私もよく分からないのですが(笑)、先の発言は「より子孫を多く残す個体が適応した個体である」という文脈にもとづいて、私なりに淘汰のプライオリティを考え直してみたものです。無論、明確な間違いを含むようでしたらご指摘願いたいのですが、私自身「今はこう考えているけれど、結論ではない」という雰囲気です。

むしろ私は「生存に有利な個体は、適応した個体である」という言葉に、おそらくwadjaさんとは異なる違和感を強く抱いてしまうのでしょう。そういう意味において、私が性淘汰というときのそれは、ダーウィンの生物観とは異なるものかも知れません。敢えて云うなら「生殖可能性を高める形質を持つ個体が適応した個体である」という感じでしょうか。これには当然、強い個体、という観点も含められるでしょう。で結局、いくら強くしぶとく生きていける個体であっても、自己複製を残せないようでは進化的優位性を持っているとは云えないだろう〜に行き着いてしまうのです。


ちょっとだけ違和感  投稿者:wadja 投稿日: 2007年03月05日 0時10分

大文字ナンさんの意見に異論というほどのことも無いのですが、性淘汰が一番切実な淘汰圧だというのには、多少の疑問を感じます。

子孫を残すこと即ち適応と考えれば、有性生殖において子どもを残す為のパートナーを得ることが重要だということは理解出来ます。しかし、ダーウィンが性淘汰に行きついたそもそもの理由は、「生きていく上で、いかにも役立ちそうにない、あるいは明らかに不利な形質を発達させちる生き物がいる」ということだったと思います。孔雀の羽根なんて、人間に珍重されることを別にしても、生存する確率を引き下げるとしか思えませんからね。

しかし例えパートナーを獲得するのに有利な形質であっても、それ以外でも生存に有利な形質も性淘汰に含めてしまうのはどうなんでしょう?性淘汰を過大評価することに繋がるような気がします。そういった意味で、Wikiの性淘汰の定義にも違和感を感じるのはwadjaだけでしょうか?


違和感と不快感  投稿者:うだうだ 投稿日: 2007年03月04日15時52分

> 批判ばかりでは何だから

こちらの意味がまだ分かってないのですけど、

> ・遺伝的な変異は常に発生している

同意。

> ・変異の一部は表現型に表れる

この場合行動スタイルなども含まれるのかな?と分からずに答えますけど。この一部って表現が引っかかります。発生の段階におけるパターンと言うより、ある表現型の原因と言う物なのでしょうか?

まあ相変わらず言葉に困ります。

> ・そのような表現型のバリエーションを持った集団に対し、ある環境が淘汰圧をかける
> ・ある個体は「その個体の生活形に応じた環境に置かれている」から、生活形と環境と淘汰圧を切り離して考えるのは無理

これは同意。生活形というより重要なのは生物の後天的可塑性から生じる主体的な行動スタイル、形態などかと思います。表現型と言う表現もそもそも良く分かりません。表現型とは生活形も含んだものでは無いでしょうか?


とにかく違和感でたっぷりですが、確かに白井氏は同じ事を言っている気がします。

まあやはり遺伝子に起因するものが淘汰を受けているのか?って事になります。確かに最終的に遺伝子が淘汰を受けている事になると思います。生活系に都合の良い遺伝子は選択されるわけですから。

でもやっぱり違和感があります。この違和感がどうしようもなく、”いつもの様に”口の上手いこの掲示板の方々に丸め込まれている気がして不快感もあります。


まあはっきり感情を出して言えば言えば、つまらない対話になってしまったと思っています。何かしら納得できない釈然としないものがあるせいなのか?それは私の理解不足のせいなのか?白井氏の勘違いのせいなのか?


まあ、不快だとかくだらねーと思うなら打ち切ってくれて構いません。私も様子を見てこの話はもうこちらではやめます。どうも不評だと感じるもので。


別のHPも  投稿者:うだうだ 投稿日: 2007年03月04日14時47分

http://www.geocities.jp/tomioitow/newpage8.html

こんなのどうですか?言葉ばかりだとどうも分けわからんとなるので、自然を覗いて考えて見ましょう。

AH1さん違和感あります?


後ダーウィニズムとはなんですか?

どうも私はこれがしっくり来ない。白井氏が何かの反論をしているは間違いないのだが、ダーウィニズムの何を勘違いしているのか?が疑問。私は隠れたファクターとして遺伝子決定論みたいな遺伝子の扱い方をしていると受け取りました。

ただそもそも表現系と分子(DNA)については大きな開きがあり、進化論ではこの2つを充分に明快に回答したことなど無いはずでしょ?だから私は白井氏が何か言い切れてない何かを攻撃していると見ています。


性淘汰はジョーカー  投稿者:うだうだ 投稿日: 2007年03月04日14時33分

定向進化と言う物について考えてみよう。(今日もちと暇がある)

まずある適応的な遺伝形質を持つ一族があるとする。後にこの子孫からは、似たニッチでの競争が行われる。これが定向進化のからくりではないか?別に雌のえり好みを安易に持ってこないでも良い。そもそも定向進化なんてのは見ている部分だけで、見ていない絶滅種などをトータルで扱ってないから恣意的な見方だとも取れなくない。

次に環境の激変もジョーカー的発想だと思う。同種の競争が行われている時、異種的競争を持ち込まれると弱いものなのだ。特に環境が変わって無くても、異種的競争を行う遺伝子が放り込まれた事により新種的生物が誕生するのではないか?


勘違い  投稿者:うだうだ 投稿日: 2007年03月04日14時21分

とりあえずナンさん、ありました。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%80%A7%E9%81%B8%E6%8A%9E

同性の間で、異性を巡る競争を行うため、より優れた武器(角や牙など)をもつ方が勝って交尾をし、子孫を残すことによってその武器が進化するような同性間淘汰(雄雄闘争)


後私ゆんさんの話見ていて自分の話と勘違いしたのですけど。生活スタイルと文化は微妙に違うかと思いました。

> (社会性昆虫なんかでは、文化の継承はたぶんありえないだろうから、また別なんでしょうけど)。

ここでなるほど生活スタイルと言うのは、文化と言うと問題があるからかと思いました。

継承されなければ文化ではない?集団の中で伝播すれば文化かと思います。伝播すらない?アリなら、フェロモンがあるが、文化ではないか?蜂の場合の8の字ダンスなど継承されて無いのだろうか?まあ良く分からないけど、私もあれは文化と呼ぶのはふさわしくないと思う。じゃあすべて遺伝的行動様式なのか?とすると白井氏の話と繋がってくるかと思います。

ダーウィニズムに対する解釈の問題だろうと思っています。解釈は妥当だとAH1さんは思うのだが、白井氏がダーウィニズムの中のやや遺伝子決定論的な意見の人への反論をしているのではないだろうか?と考えています。その部分を抜きにすると白井氏が同じ事を言っていると解釈して当たり前だろうと思われます。


リンク先は読んでないんで、単なる雑感ですが  投稿者:ゆん(♂) 投稿日: 2007年03月04日14時03分

「前適応」と「中立進化」という概念を組み合わせて考えれば「文化が先に来たりて、後に変異が広まる」というシナリオも当然有り得ますよね。もちろん、それは見かけ上の問題でもともとその変異は集団の中に「準備」されていたわけですけど(準備、って言っちゃうとまた予定調和的な匂いがして誤解を生むか……)。

人間の文化というのはたぶんに複雑な側面を持つので、「その変異はある文化を強力に後押しする。だが、変異そのものは文化を発生させるまでには至らない。そしてその文化は進化的に有利である」というようなケースはじゅうぶんありそう。ただ、こういう「文化の伝承とワンセット」になっている変異は、とても脆弱であるということは言えるかと思います。一代文化の継承が途絶えただけで、その変異は優位な淘汰圧を失ってしまうわけですから。

↑よく考えると人間に限った話ですらないか。複雑な文化的行動を「遺伝的」に行う生物はたくさんいるわけですけど、その成立過程にはそんな「ジーンとミームの相互作用」的な現象は何度も見られたのかも知れないですね。(社会性昆虫なんかでは、文化の継承はたぶんありえないだろうから、また別なんでしょうけど)。


性淘汰  投稿者:うだうだ 投稿日: 2007年03月04日13時58分

> 実は性淘汰こそが有性生殖で自己複製を行う生き物にとって最も切実な淘汰圧なのではないだろうか?と、最近は考えているのです。

おす同士が争って雌を獲得するのも性淘汰なんですか?


Re:淘汰  投稿者:大文字ナン 投稿日: 2007年03月04日13時29分

>科学や技術が進歩したおかげで生き残っていますが、ヒトの身体が自然に最も適応したかたちだとは思えません。
>科学全般や医学が進歩したおかげで、ヒトは少々自然で生きるのに不利な形質でさえ残せてしまう可能性があるように思われます。

ヒトが特殊であるのは、ヒトが淘汰圧を受ける要因が広い意味での「自然」であるより、「ヒト社会」という特殊な環境によるものが強いからですよね。これは、群れを持って生活・行動する生き物全般に云えることなんだけれど、医学などを用いて個体の生存可能性を飛躍的に伸ばしてしまっているという点において、やはりヒトは特殊なのでしょう。

私は以前、生物の生存可能性について「優劣」を考えていました。
ある個体が「より多く餌を獲得できる」だとか「より劣悪な環境で生きていられる」だとか、そういう尺度で生物を見ていたときには、単に病気がちな個体でさえ生存してしまうヒト社会の「異質さ」だけが際立っているように見えていた、というわけです。

では、こう考えるとどうでしょうか。
いわゆる「エイリアン」のような、完全生物に近い生き物がいたとします。この生き物は宇宙空間のような劣悪環境に耐え、屈強であり、エネルギーの代謝効率も非常に高い、とします。さらに寿命も数百年〜数千年のオーダーで生き延びてしまう。ところが…残念なことに、この生物には「自己複製」の能力が欠けていた。あるいは有性生殖を行うための「ペア」がいなかった。だとすると、子孫を残す可能性、繁殖可能性が限りなくゼロに近くなってしまう。

生物学の専門家にとっては「当たり前」のことでしょうが、私たちのような通り一遍の「進化論啓蒙書読者」では、適応する=環境に適した形態であることにばかり目が行きがちですが、実際のところ進化的に重要なことは、少しでも繁殖する可能性を増やすことであり、実は性淘汰こそが有性生殖で自己複製を行う生き物にとって最も切実な淘汰圧なのではないだろうか?と、最近は考えているのです。

さて、形質→表現型という概念は、外見や器官のみに現れるものだけではなく、当然、行動や性質傾向も含まれるものです。では、より多くの子孫を残すであろう「行動パターン」を選択する傾向を持つ個体がいた場合、あるいはそういう個体を受け入れやすいヒト社会があった場合、そういう「因子」は当然広まるでしょう。しかしそれらが「変異」と呼ぶような性質のものなのか、単にヒト行動パターンの「浮動のひとつ」であるのか、相当に詳細な検証を行わないことには「分からない〜区別がつかない」のが現実ではないだろうか、と私は思います。

すると、病気がちで寿命が短かろうが愚鈍で狩猟には適していなかろうが、そういう個体が「より多くの子孫を残す」のであれば、その個体は進化的に「適応」しているのであり、広義に云う自然環境に対してどうであろうとあんまり関係ないのではないだろうか、と私は思うのです。


違和感が  投稿者:うだうだ 投稿日: 2007年03月04日12時15分

> これは要するに「常に変異は供給されており、淘汰圧の変化は集団の遺伝子頻度を変える・・それを進化と呼ぶ」と全く同じことを意味しているのに、その事を本人が気付いていない感じがします。

ちょっと大雑把に話します。細かい部分はさておき、細かい部分以外で違いが無いのか考えてみたいです。

ある表現形がある生活スタイルをとるとき、まあこれは遺伝的に特に制約を受けない自由な生活スタイルだとします。人間だったら若い頃のある出来事がその人の行動規範を決めてしまったとかですね。遺伝的ではないでしょ。

まあこれは白井氏の反論対象の勘違いが原因だと思っています。遺伝子決定論者と言う物を想定しているのかと思います。それが具体的に誰かは分かりません。

遺伝子が振るいにかけられるってやつですよね。ここで表現形と遺伝子は因果関係として大雑把に見て1;1の関係化と思います

まあ体格行動を含めた、後天的可塑性が絡んで生物の生活スタイルには遺伝的制約はほとんど無いとします。1:無限大?ぐらいの関係かと思います。こういった考えの元では、前者の1:1の遺伝の関係とは違い、生活スタイルに適した遺伝子が生活スタイルの定着後に確率的に選択されるって事じゃ無いかと思います。

白井氏の根本の反論はこれでしょ。私誤読してますかね?


良く見たら  投稿者:うだうだ 投稿日: 2007年03月04日12時01分

> 生活形の変化を生むような、行動面での遺伝的な変化が先行する場合がどれくらいあるか、
それが適応度の谷間に転落せずに生き残る可能性はどれくらいか、
さらに適応的な変異を重ねて進化する可能性はどうか・・

これ意味が分かりません。白井氏の話と関係あるのでしょうか?

要するにこれはAH1さんの「遺伝的な変異は常に発生している」から発した意見だと思います。

何か違和感があります。


> 「先ず変わるのは種が採用している生活形・これに依存した表現形であり、これを安定化するようにDNA変化の編成替えが後から進行する」

> 「常に変異は供給されており、淘汰圧の変化は集団の遺伝子頻度を変える・・それを進化と呼ぶ」

うーん前者は、表現系の後天的可塑性が重要になっています。すべての行動すべての形態が遺伝によって絶対的に決定されていたら白井氏の発言は無意味になります。遺伝に成長との関係を付け加えて成長過程での環境のファクターが絡むってのが可塑性の一つ原因かと思います。まあただの確率的ってのもありますけど。


> 生活形の変化を生むような、行動面での遺伝的な変化が先行する場合がどれくらいあるか、

だから、遺伝的変化の先行はダーウィニズムですよね。そうではないとしたら、それは白井氏の考えとなりますよね。この文章分かり難いです。それはAH1さんが両者が変わらないとした立場から、批判もなんですからと意図を変えてきた発言だから、ちと文章が読みにくいのです。

私の言っている事分かりますか?AH1さんが基本とする考えから少しぐらいは逸脱した考えからの意見なのか?と説いています。逸脱と言う言葉を糞真面目に捉えすぎないで下さい。私は昔から言葉による選択で良く失敗してますから。


なるほど  投稿者:うだうだ 投稿日: 2007年03月04日11時51分

> 妥当だと思ったからわざわざ言わなかっただけです。

やはり確かに妥当だとなるかと思います。ただ両者の考え方の違いについて明確ではないとして両者の方だけ反論として返答されたかと解釈しました。

ダーウィニズムについて誤解はして無いんだけど、新しい考えとして提出したものがどこに今までのものと違いがあるんだろう?と言う事なのかなと思いました。


私自身違和感がある部分があるので、また考えて見ます。とりあえず一旦は理解しました。


re2:暇つぶし  投稿者:AH1 投稿日: 2007年03月04日11時34分

>>「> 「或るDNA変化を起こした個体において表現形が変わる―これが選択にかかる―有利なものが種に蔓延する」
>>この解釈で妥当だと思う?」

>何故こちらの質問への返答でなかったかが理解できませんけど。

妥当だと思ったからわざわざ言わなかっただけです。
繰り返して書くけど、私の理解では
・遺伝的な変異は常に発生している
・変異の一部は表現型に表れる
・そのような表現型のバリエーションを持った集団に対し、ある環境が淘汰圧をかける
が自然淘汰のメカニズムなので、あとは
・淘汰された形質が集団中に広まる
を付け加えてもらえば、「」内と同じ事を言ってます。


ひとつ考えられるのは  投稿者:Seagul-X 投稿日: 2007年03月04日10時17分

>科学全般や医学が進歩したおかげで、ヒトは少々自然で生きるのに不利な形質でさえ残せてしまう可能性があるように思われます。
>そう考えると、淘汰される形質は殆ど無い→結局特殊な特徴は薄まる→然程変化はしない、となるのでしょうか?

性淘汰、ってのがありますね。クジャクの雄の羽が美しい理由とか。要は生き残っても子孫が残せなければ形質は残せないってわけで。
ただ、これを人間に当てはめようとすると色々問題があって、たとえば文化が変化する速度が進化のタイムスケールよりはるかに速いことなんかがあるわけです。昔、たとえば平安時代とか中世ヨーロッパと現代の美人の違い、なんて考えると、形質が広まって定着するのに必要な期間よりきわめて短い周期で流行(=淘汰圧)が変化しちゃうんですよ。

この辺を無視して話をもっていっちゃうと、竹内久美子みたくなっちゃいますよね。


想定内か  投稿者:うだうだ 投稿日: 2007年03月04日 9時40分

> 暇つぶしに真面目に答えるのも不粋かもしれないが。

いや私の価値観では不粋では無い。私の人生などすべて暇つぶしなのだと思っているのだから。

何故暇つぶしと書いたか考えてみたけど、私の動機のせいである。以前から考えていたことだけど、何故今発言するのか?とタイミングについて考えて見るとなんとなく暇だったからだと気が付いたから。


>> 「或るDNA変化を起こした個体において表現形が変わる―これが選択にかかる―有利なものが種に蔓延する」
>> 「先ず変わるのは種が採用している生活形・これに依存した表現形であり、これを安定化するようにDNA変化の編成替えが後から進行する」

>この2つ区別する方法ある?

> 生態学的な視点で言えば、恐らく区別不可能です。

了解。


> これは要するに「常に変異は供給されており、淘汰圧の変化は集団の遺伝子頻度を変える・・それを進化と呼ぶ」と全く同じことを意味しているのに、その事を本人が気付いていない感じがします。

まあ違和感を感じるんだけど、上手く表現できないって事だと思います。


「> 「或るDNA変化を起こした個体において表現形が変わる―これが選択にかかる―有利なものが種に蔓延する」

この解釈で妥当だと思う?」

何故こちらの質問への返答でなかったかが理解できませんけど。両者を比較して変わらないとした方が答えやすいのかと解釈しました。要するに「或るDNA変化・・」は妥当だけど、両者を区別する表現としては妥当じゃないし、何が言いたいか掴みきれないけど、そもそも区別出来ないだろ?って事だと解釈しました。


人類は  投稿者:RX780 投稿日: 2007年03月04日 2時02分

最適化=特殊化だと考えれば、適応はしてるけれども進化的に最適化してるわけではなさそうですね。
科学や技術が進歩したおかげで生き残っていますが、ヒトの身体が自然に最も適応したかたちだとは思えません。
科学全般や医学が進歩したおかげで、ヒトは少々自然で生きるのに不利な形質でさえ残せてしまう可能性があるように思われます。
そう考えると、淘汰される形質は殆ど無い→結局特殊な特徴は薄まる→然程変化はしない、となるのでしょうか?


今週は一杯お酒を飲んだ  投稿者:wadja 投稿日: 2007年03月03日19時02分

ので、亀レスになりました>ユッキーさん

>型の再変換という言い回しが適していると思います

要は進化という言葉を使いたくないだけなら、「ウィルスの進化なんて、同種の中での変化に過ぎない」でもかまいません。それを「再変換」なんて言われると、「再」というからにはその前の「変換」もあるのか?とwadjaなんかは思ってしまいます。ですから、その言い回しは適していないと思いますw

>私は考えたことはありませんので人はパーペキですね、

「他の生物の気持ち」とか、ユッキーさん自身が「(不完全だと)考えたことが無い」というのが、「パーペキ」の根拠になることはありません。議論ができればと思いますので、感想文はチラシの裏にでも書いて下さい。

自殺はやめて欲しいというのは、価値観として賛同します。それは横に置いといて…。何故、自殺をすることもある人という種をパーぺキだと考えるのか、理由を教えてください。もし、「聖書の記述で人が特別な生き物だとされているから」だけが根拠であれば、そこで議論は終わりますけど。

他の参加者とのやり取りを見ている限りでは、ユッキーさんは「完全な入れ子」の意味を正しく理解していると思えません。ユッキーさん独自の「入れ子」のイメージだけで会話していても、ちゃんとした議論にはなりませんよ。進化論では良く言われる概念ですので、正しく理解しておく必要があると思います。

http://members.jcom.home.ne.jp/natrom/nesting.html

とかの図を見ると、少しは意味が掴めるかもしれません。

あと、shinok30さんが繰り返し言及する反証可能性については、一度ネットで「反証可能性、ポパー」等の言葉で検索することをお勧めします。科学哲学で絶対視こそされていませんが重要な概念ですので、こういった議論をする上では知っておくべき言葉でしょう。

あと、種を超えた進化の例について、

>もっと分かり易いのがないの?100人が100人、判る種を飛び越えた種の証明、

なんて食い下がってますけど。99人までは分かっていて、ユッキーさんが分からない最後の一人だと言う可能性は考えたことありますか?


批判ばかりでは何だから  投稿者:AH1 投稿日: 2007年03月03日12時51分

追加です。

生活形の変化を生むような、行動面での遺伝的な変化が先行する場合がどれくらいあるか、
それが適応度の谷間に転落せずに生き残る可能性はどれくらいか、
さらに適応的な変異を重ねて進化する可能性はどうか・・

というような問題提起でしたら、それは興味を持てます。


re: 暇つぶし  投稿者:AH1 投稿日: 2007年03月03日12時48分

暇つぶしに真面目に答えるのも不粋かもしれないが。


>> 「或るDNA変化を起こした個体において表現形が変わる―これが選択にかかる―有利なものが種に蔓延する」
>> 「先ず変わるのは種が採用している生活形・これに依存した表現形であり、これを安定化するようにDNA変化の編成替えが後から進行する」

>この2つ区別する方法ある?

生態学的な視点で言えば、恐らく区別不可能です。
というか、敢えて分ける必要があるかどうかもピンと来ない。

私の理解では
・遺伝的な変異は常に発生している
・変異の一部は表現型に表れる
・そのような表現型のバリエーションを持った集団に対し、ある環境が淘汰圧をかける
・ある個体は「その個体の生活形に応じた環境に置かれている」から、生活形と環境と淘汰圧を切り離して考えるのは無理

この理解をもとに
「先ず変わるのは種が採用している生活形・これに依存した表現形であり、これを安定化するようにDNA変化の編成替えが後から進行する」
を私なりに表現すれば
「『常に突然変異によってバリエーションを生じている集団において』、種が採用している生活形が変わると、『その生活形が新たな環境として淘汰圧をかけ』、その結果、新たな生活形に適した変異を持ったものが有利になる」ということになります。
なので、生活形が変わることと環境が変化することを分けて考える理由が思い付きません。

さらに「種が採用している生活形」というのも非常に大雑把に聞こえますし、それが「変化する」とはどういう事なのかもよくわかりません。環境の変化によってある生活を余儀無くされるのであればそれは「環境の変化によって淘汰圧が変化した」と呼んでも全く構わない。
また遺伝的変化によって以前とは違う生活形を持つようになった生物があるなら、これも自ら別の環境に移住しちゃったのが原因と言うだけで、結局「今後、環境に適応できれば生き残ってゆけるね」以外のものではないでしょう。

リンク先に「しかし、たとえ環境が一定でも、エネルギー収支の改善に向けて生体は変化し、この間不断にDNA変化は起こり、その生活を安定化するように種内部で有性生殖を通して、DNA編成替えは不断に密かに進行すると捉えます。」と書いています。
これは要するに「常に変異は供給されており、淘汰圧の変化は集団の遺伝子頻度を変える・・それを進化と呼ぶ」と全く同じことを意味しているのに、その事を本人が気付いていない感じがします。


暇つぶし  投稿者:うだうだ 投稿日: 2007年03月03日10時22分

はっきり言えば今は暇だ。本当は忙しいんだが、忙しい人間ってのは、案外どこも出かけないから結構ネット的には暇な時間が多いんだ。って最近忙しいって人ほど書き込み熱心なのでその考察を書いてみた。


http://ac-net.org/home/shirai/010106.html

11)このような進化観は、ネオ・ダーウイニズムとは殆ど180度逆転です。なぜなら、ネオ・ダーウイニズムでの進化の順は「或るDNA変化を起こした個体において表現形が変わる―これが選択にかかる―有利なものが種に蔓延する」という順がですが、私のでは、「先ず変わるのは種が採用している生活形・これに依存した表現形であり、これを安定化するようにDNA変化の編成替えが後から進行する」という順だからです。生物は、DNAに規定された決定論的な生き方をしているのでなく、生活形を主体的に決定する(意志をもつ、という意味ではありません)ことで、未来を開いているのです。そのような意味で、新しい進化観では、獲得形質の遺伝的固定の経緯を現代的に明らかにしたことになるのです。

まず質問1

> 「或るDNA変化を起こした個体において表現形が変わる―これが選択にかかる―有利なものが種に蔓延する」

この解釈で妥当だと思う?

次に、上記が妥当だとしたら。

> 「或るDNA変化を起こした個体において表現形が変わる―これが選択にかかる―有利なものが種に蔓延する」
> 「先ず変わるのは種が採用している生活形・これに依存した表現形であり、これを安定化するようにDNA変化の編成替えが後から進行する」

この2つ区別する方法ある?

ちと分かり難いと思うけど。未だに上手く説明する事が出来ないから、思考そのまま出しています。


ファンレター2  投稿者:ころぎす 投稿日: 2007年03月02日12時03分

以前お世話になった者です。
その節は、情報、ご指摘、ご意見、ご回答、ありがとうございました。(お礼を言いそびれておりました・・)

To小原です さん

>う〜ん、俺って嫌われているのも知らずに擦り寄ってしまった野良犬だったんだ・・・!
>さすがにそのポジションで書き込むのはマズイとやっと心の底から理解できました。申し訳ありませんでした。

私が言っても助けになりませんが、そんなことない!と思います。

今、勉強中&過去ログ2000年からのをこつこつ読んでおります。量が多いのと、内容が難しい為、読み進むのに(理解はできてません)時間がかかりますが、すごくおもしろいです。いろんな意味で!

近所のおじいさん曰く
「もぐらの穴があると 大根が股になっちまうダ」
大根が二股になるのは、もぐらの穴があるから。大根はもぐらの穴の空間を直進しない。
私は、石かなにか障害物が原因かと思ってました、穴も障害物なんだ・・。
「暑いと、生り物は、でかくなっちまうダ、やつらも水吸って下げないとなんないべ、あんなの全部水だもん」
真夏の生り物(なす、すいか、きゅうり等)が、暑いほど大きくなるのは、真夏の高温によって熱くなり過ぎる体温(?)を下げる為、吸水し、その水分で熱をさげる、結果、大きくなる。
私は、温度が高いことによって、成長が活発になって大きくなるのだと思ってました。
とっても科学なおじいさんです。

私にとっては、このおじいさんも、ここの掲示板も大変すきです。


タミフルにどうつきあえばよいのか?  投稿者:JA50 投稿日: 2007年03月02日11時35分

毎日新聞から(m3.comより)
以下引用
−−−−−−−−
患者はタミフルとどう付き合えばよいのか。

 厚労省研究班長の横田教授は「異常行動がタミフルの影響かインフルエンザ脳症のためかは調査中だが、どちらにしても異常行動が出るのは熱が出てから1、2日目がほとんどだ。飲んでも飲まなくても、2日程度は家族が患者を注意深く見守ってほしい」と話す。

 国立感染症研究所の岡部信彦・感染症情報センター長は「すぐに使用を禁止すべきだというほど服用と異常行動に強い関連があるとは思わないが、服用者は多く、調査が必要だ」との見解を示した上で、「タミフルは病状を早く楽にする薬で、飲まなければ命を落とす薬ではない。副作用を心配するなら、その不安を押し殺して飲む必要はない」と話す。

 一方で、新型インフルエンザ流行時については「もし致死率が高く、タミフルが効くなら、不安に耐えてでも飲むべきだ。今のインフルエンザとは別問題だ」と言う。
−−−−−−−

これにつきます。
「タミフルは病状を早く楽にする薬で、飲まなければ命を落とす薬ではない。副作用を心配するなら、その不安を押し殺して飲む必要はない」

タミフルは高い薬です。
普通の若い健康な人なら、インフルエンザだからと無理に飲む必要は全くない。
逆に飲まないでくれる方が、耐性ビールスの出現の可能性も少なくなるし、さらに日本の医療費も少なくてすむ。国民健康保険上は、特に貧乏人は飲むのをやめてくれと、国は願っているのではないでしょうか?


自発的隔離説  投稿者:ハッター 投稿日: 2007年03月02日 8時18分

*これはフィクションです*

かつて、限られた人口の日本人が地理的にほぼ隔離された状態で日本列島に住んでいた頃にとても伝染性の高い毒性の強いウィルスが渡り鳥などによって持ち込まれたとします。
小さな集落規模の集団で点在して住んでいた人々はそれぞれの集落ごとに血縁関係が濃い集団でした。
ある集落の人たちには理由は不明ですが、大変な高熱が出たためか、もしくはウィルスの毒性のためか、ウィルスに感染すると衝動的に集団を飛び出すような行動に出るという性質をたまたま持っていた。
そのために、患者の隔離がおこったため結果としてこの集落の人たちはこのウィルスによる犠牲を小さくすることができた。

ちょっと苦しいでしょうか。

私の周辺ではインフルエンザの流行がはじまっています。学齢の子どもを持ったお母さんの中には”今日学校を熱が出て休んでしまったの。病院に連れて行きたいのだけど、インフルエンザだと診断されたらタミフルを処方されるのかしら・・・”という心配をされている方もいます。現状が的確な分析と正確な報道で収束していかれると良いと思います。


Re:敵とか  投稿者:大文字ナン 投稿日: 2007年03月02日 3時14分

To 小原です さん。

>皆様方にとって、私たちのような素人はどういう存在に見えてるのか?と思うと
>たぶん、「存在しない」か「敵」なのではないか?と思うようになりました。

その他はともかく、ここだけは違うかな、と私は思います。
はっきりと悪意をもってサイトの運営を妨害するだとか営利広告(それもマガイモノの)を貼り付けるだけの輩であれば、無論「敵」という認識もするでしょうが、どんなに激論あるいは「暴言」を吐いているときでさえ、進化論あるいはカガクについて「対話」をしている状態であれば、敵、と認識することはないですね。
#ただし「論敵」という認識はあるけれど、これは議論上の「仮想」ですし。

一方で、このサイトあるいは掲示板は、とても辛辣な場であることも確かです。しかしそれは、いわゆる馴れ合いのお友達ごっこだとか権威に対する妄信を排除しているだけのことであり、自分の発言に誠実であれば、おかしなチャチが入ることは稀です。(皆無、とは云いませんが)

さて、では「どんな態度」が「敵」とは認識されないまでも「嫌われる」のでしょう。
それは、自分の発言が間違っているのにそれを認めようとしない、あるいは、根拠も示さず通説に反論するだけの態度、今も繰り広げられているように「自分に理解できない説は間違いだ」と決め付ける態度などです。

とはいえ、私自身、発言者の一人として自分が常に100%客観的であるなどと思いませんし、心情的に意地になることもあれば、記憶だけを頼りに発言してそれが思い切り間違っていたり、さまざまに恥ずかしい行動を繰り返しているのが事実でしょう。同時に、誰もが「いつでも無謬で必ず誠実である」などと、この掲示板に参加しているどなたも思っていないことも、私は理解しています。なぜなら、私たちは「ニンゲン」だからです。

自分自身のことをお話するなら、以前はすべてが新鮮でした(笑。それは、私自身が多分に「間違い、もしくはいい加減な知識」で、進化論を分かった気になっていて、それが間違いだったり、もっとずっと深く掘り下げて考えるべき問題〜しかも私程度で理解できる問題であったことに「気付かされる」ケースが多々あったからです。
なので、このサイトをきっかけに相当数の文献を読み漁りましたし、今も大きめの書店に行けば必ずといって良いほど生物学周辺の書籍を漁っています。理系出身ではなく、科学とは縁遠い生活を送っている私ですが、職業的に論理的明快さや強い説得力や訴求力を持つ「文章」を作る必要があるために、このサイトに参加することは間接的に私の職業スキルを向上させてくれる、という側面があるのです。

しかし正直云って、繰り返される「ソーゾーカガク」との議論には辟易しています。進化論が理解できないならできないで、放っておけばいいんじゃん?と思います。軽信したければすればいいのだし、お布施を払いたいなら払えば良いでしょう。ただ、そうした行為の「正当性」だとか「論理的裏づけ」を科学に求めたところで、カガクというモノサシでは何も測れないだけのこと…と、繰り返し繰り返し述べることには飽きています(笑。

一種の「ゲームとしてのギロン」を楽しむことが以前はできたのですが、私がこのサイトを本当に楽しめる理由は、自分にとって「新たな知見」だとかトピックスに触れることができ、それらについて掘り下げて考え、じっくりとモノにできることが最大ですね。

結論としては…「敵」だとかどうのとか、私が、小原ですさんを捉えることはありません。というか、ただ「そこにいるだけのヒト」であるのが全てであり、それは誰もが変わりません。なので、そんなに気構えることなく、発言したければする、したくなければしない、で良いでしょうね。


水もとりすぎれば、、、  投稿者:JA50 投稿日: 2007年03月01日16時00分

水もとりすぎれば死ぬ。
この前、ニンテンドーのゲーム機を商品にした何かの大会で水を飲みすぎて死んだ人がいませんでしたか?

タミフルは、確か病悩期間を短縮するということで保険収載されているはず。
(他に、予防投与の適応もあったけど)
ですから、心配と思うのなら飲まなければいいのです。
医者も、マスコミがこんだけ騒いだら、処方する前には、どうしますかと尋ねると思う(私はそうしてます、防衛医療、防衛医療)。特に、健康な若い人ならインフルエンザで死ぬようなことはまぁないのですから(死んでもそれは運が悪かったとあきらめること)、心配なら飲まなければいいだけの話。

しかし、確かによく効く薬ではありますね。
自分で飲んでみてそう思ったし、患者さんもすぐよくなったとよく言われます。


少し強引ですが、このサイトのファンレターだと思ってください  投稿者:小原です 投稿日: 2007年03月01日15時42分

その流れで私のこのサイトに対する感想を述べさせていただきます。

 私はやはり学校で学んだ「進化論」の信奉者です。
かといって決してまともなものではありません。
学校のレベルの勉強ですら赤点ですから何を根拠に進化論を支持するのか?といわれると、それこそ「教科書に書いてあったから」レベルでしかなかったことにこのサイトをみることで痛烈に批判された気になりました。
 試しに今の知識で『創造論サイト』に行って果たして自分に反論できるか?と思ってやってみたのですが、知らなかったことばかりで反論できず、最後は「それでも進化論は正しい!」とまるでカルトと同じ反応しか出来ないことに笑ってしまいました。
一個や二個は間違いを指摘できるのもありますが、まるで歯が立ちません。もしその場で「創造科学を信じるか?」と言われれば「ハイ」としか言えないでしょう。
結局私は(私だけではないと思いますが)、たいていの知識・情報を「学会で認められてるから、偉い人が言ってるから、教科書に載っているから」という薄弱な理由だけで無防備に信頼し「薀蓄」として部分的に美味しいどこ取りだけで日々送っているわけです。

 そして、それは今もですし、このままだと高い確率で今後も同様だと思います。

 ここで繰り返される創造科学との議論ですが、主に創造科学側から進化論への「誤り(と思っている)の指摘」とか「創造論で自ら納得していることの主張」から始まり、それに対する進化論側からの「質問」あるいは「誤りの指摘」と、「正しい(自分にその言葉を使う資格はありませんが)情報の提供」という流れになりますが、私のようなものから見ればその双方とも初めて聞くことばかりです。
特に専門的な話になるとリンク先のページですら読めません。

 議論が進み(たいていは噛み合わないか、ぐるぐる回ってばかりですがw)専門的になれば判定者としての資格が自分から消えてなくなるのが分かります。
もし何らかの結論が出たとしてももう専門家だけで勝手に勝敗が決まった感じで、ほとんど自分の中は残ってないと思います。
下手すれば素人には自然の不思議さ神秘さを思うと「○○はどうしてあるんですか?」と文字表面だけだと創造科学論者と同じ質問になるでしょう。

 さらに性質の悪いことに、「じゃ進化論の勉強をするか!」にはならず、毎日の仕事か、自分が本当に関心のあるもの(良い悪い関係なく)を優先することにしか行動が向かいません。
私の周りの私以外の人はおそらく日夜繰り返されてる進化論と創造論の戦いなど存在すら知らないでしょう。事実知らなくても彼らの給料は毎年増え、子供は成長し、適当に楽しくて適当に喧嘩して適当に仲直りしてて、何の不都合もありません。

これは開き直ってるようで申し訳ないんですが「俺ってまさに普通の人」って感じがしました。

となると、
皆様方にとって、私たちのような素人はどういう存在に見えてるのか?と思うと
たぶん、「存在しない」か「敵」なのではないか?と思うようになりました。

う〜ん、俺って嫌われてるのも知らずに擦り寄ってしまった野良犬だったんだ・・・!
さすがにそのポジションで書き込むのはマズイとやっと心の底から理解できました。申し訳ありませんでした。


Re:こじつけ進化とタミフル〜インフルエンザ  投稿者:大文字ナン 投稿日: 2007年03月01日15時27分

ハッターさんの趣旨を理解したものとして、以下発言しますね。(つまり遊び)

生物学的な「適応」かどうかはともかく、日本人社会という(物理的に)閉鎖された島国における(ほぼ)単一民族国家という大集団の中において、情報の広まりやすさや、広まった情報(この場合はタミフルの効能)の定着しやすさ、という指標でこの現象を見ていくと、議論もせずに「お上」のお達しを受け入れやすい「民族性」という特徴が浮き彫りになり、なおかつ、そういう「軽信」に陥りやすい性質こそが統治のし易さ、村社会の維持のスムーズさにおいて「集団内で有利」であることが推測されるんじゃないでしょうかね。

これは単に「罹患者」という観点だけではなく、タミフル処方を推進する医療機関や医療機関そのものを指導する役所の体質でもあるだろうし、「薬効=からだに良い」という思い込みから発生する間違いによって、いわゆるオーバードーズなんかも起きることになり、他国に比べて非常に副作用の報告が多い、という現象を生むんじゃないだろうか。
#無論「薬効=使いすぎれば毒」であり、いくら飲んでも悪影響が出ない物質なんて水くらいのもんだ。近年、その水さえ怪しいけど。


ええ、調べました。  投稿者:不思議な小原です 投稿日: 2007年03月01日15時22分

なんちゅうか「情報の洪水」に溺れそうです。

 でも、日本での異常行動の上での生存者が見つけられませんでした。
発達障害などの2名を生存者としているのはありましたが、私としては例えば「屋上に上って手すりに手をかけたところで通りがかりの人が引っつかんで助けた」みたいな「(異常)行動した上で」生存している人という意味では見つけられませんでした。
※リンク先は書きません!私以外の人が攻撃されることは望まないので。(ギャグです。間違っていたら恥ずかしいからに過ぎません)
もう少し探してみます。・・・・・あきらめるかもしれん。

 なんちゅうかブログ文化発達のおかげで真贋が分からないものも増えてて検索素人には大変です。
 ついでに知った「薬による副作用での死亡者が年間1200人」という情報に驚きました。
薬全般の服用者から言えば割合はとても小さく、薬効というか有用性を否定できないのは理解できますが、単純に数字だけ見ると思っていたより大きい数字なんで感情の動きとしては「驚き」そのものでした。

 今回の落書き(のようなもの)については、昨夜からタミフルに関するニュースを見てると、いくら副作用の現れ方が異常(メディア受けするような要素)だとはいえ、盛り上がり方がなんとなく「とんでも」的違和感(「買ってはいけない」騒ぎに近い)を感じたからです。
まず、本当にそういう流れがあるのかどうか?ついでに「反対側からの視点はどうなんだろう?」と聞いてみたかったというのが・・・・・・分かるわけ無いですね。

 失礼いたしました。


不思議  投稿者:JA50 投稿日: 2007年03月01日12時44分

「タミフルの異常行動を起こした人で生き残った人間がいないのが不思議」と思うのは当然で、不思議じゃなかったらその人はどうかしている。

「タミフルの異常行動を起こした人で生き残った人間がいない」という思いつきが事実かどうか、自分で調べてごらん、、、って、調べるまでもないじゃろうに、、、

ほんま、不思議なおかた。


思いつきなので調べていませんが  投稿者:どんぱちの小原です 投稿日: 2007年03月01日12時37分

タミフルの異常行動を起こした人で生き残った人間がいないのが不思議なんですが、飛び降りだけでなく道路の飛び出しなんかもあったぐらいそこそこバリエーションがあるにもかかわらず生存率0%ということに、死ね死ね団の陰謀のにおいを感じて毎日不安です。
証拠隠滅でしょうか?
生存者がいれば検査するなり・証言取るなりできると思うんですが。

風評被害のたびに『我々メディアも気をつけましょう』と繰り返すテレビやラジオが(仮に前科や濃い疑いがあるにせよ)、もう厚生労働省が隠してる扱いをしていることに「どうなんだろう?」と思います。
ひょっとして毎回繰り返すお詫びや反省も捏造!?

また怒られるようなら消します。

追記:「永久歯の再生治療」の報道に喚起の声を上げると共に、以前の「歯医者は抜くか削るかしかしない!」発言を訂正する共にお詫び申し上げます。

http://tcup7010.at.infoseek.co.jp/donpachi/bbs


タミフルと異常行動  投稿者:tema 投稿日: 2007年03月01日 7時57分

「タミフル服用により、日本人にのみ異常行動が発生する」という前提で、仮説を考えました。無論トンデモです。
「インフルエンザ罹患により…」という仮説は、良いのが思いつきませんでした。

1.日本人の遺伝子が突然変異
 一部の日本人の遺伝子が突然変異を起こしており、本来分解されるはずのタミフルの一部成分を分解できなかった。その成分が脳に影響を及ぼし、異常行動が発生した。

2.菌の遺伝子が突然変異
 菌の遺伝子が突然変異を起こし、脳に影響を及ぼすようになった。
 ただ、インフルエンザウィルスが突然変異を起こした場合、毎年日本でのみ発生することは無いと考えます。
 このため、日本土着の菌(例えば納豆菌)が突然変異を起こし、タミフルの成分を分解した結果、脳に影響を及ぼす化学物質が生成された、と考えます。

3.日本人固有の食生活が影響
 例えばタミフルと栄養ドリンクを併せ呑みした場合に、異常行動に至る

4.タミフル製造上の問題
 タミフル製造において出荷先ごとに製造ラインが違い、日本向けの製造ラインに問題がある。

 あまり面白い説は思いつきませんでした。


タミフル叩き  投稿者:地下に眠るM 投稿日: 2007年03月01日 1時37分

古くは足尾鉱毒事件から水俣病やイタイイタイ病などの公害の歴史
森永ヒ素ミルク事件、サリドマイド児、薬害エイズなどの薬害の歴史
さらには核兵器の被爆国なんてのもある。
企業エゴ、お国の都合で無辜の民が犠牲になってきた国なのは確かなのよ>我らが祖国

このあたりがバックグラウンドになっていると思いますにゃ。
「化学物質」に対するアレルギーが少々あってもそれを嗤うことはできにゃーかと。

薬害を未然に防止、あるいは被害を最小化することは確かにマスコミの重要な役割だろにゃ
しかし科学知識がついていってにゃーんだろ。


タミフルなしだと、、、  投稿者:JA50 投稿日: 2007年03月01日 1時12分

横田研究班の結果からは、対象例に死亡例はなかったようですから、死亡率の検討は不可能(そもそも5000例くらいでは無理だし、アンケート調査だし)です。ただ、タミフルを使わない場合には肺炎合併が0.7%から3.1%に増えるようですけど。

ただ、医療崩壊した後なら、さすがに死亡例が急増すると思いますが、、、

それと、タミフル投与なしだと、タミフル使って死亡とされる例は0になります。日本ではインフルエンザと診断されると多く(横田研究班の対象では9割)がタミフル処方されている。これが全てインフルエンザで死亡とされるわけですから、急増するんじゃないですか、マスコミや自称医療ジャーナリストとかいう連中にかかれば。
タミフル処方されようがされまいが異常言動が同じ程度の割合で起こっているのに、タミフル服用していたらそれがタミフルのためだと短絡するような連中にかかればそうなると。


案外  投稿者:ミケ 投稿日: 2007年03月01日 1時04分

タミフルによる異常行動が日本のみで報告されるのって
血液型性格占いが日本で流行ってるのと同じ根っこがあったりしてね。
「縁起」って考え方もそうだけど
何かが起こったときに、こじ付けでも無理やりでも
何かに結び付けて原因を「考え出してしまう」っていうクセが
日本人では強いなんてことはないのかな。
まあ思いつきですけど。


寝てろよって言うか寝て治したい  投稿者:RYU_TI_SYU 投稿日: 2007年02月28日23時21分

インフルエンザに罹ったら完治するまで家で寝てるってのが本来の治療法じゃないのかのう。

>安い値段で気軽に医療機関を受診でき、安い値段でインフルエンザの迅速検査を受けられ、安い値段でタミフルのような本来は高い薬を処方してくれるという、世界にも類をみない制度を国民が享受しているからと。

それもあるじゃろうが、さっさと治して職場復帰しないと今度はメシが食えなくなるという強迫観念もあるんじゃなかろうか。

>そのかわりインフルエンザで死亡する人が急増するでしょうけど。
タミフルがないとそんなに急増するのか?


Re: 科学の濃度  投稿者:moor 投稿日: 2007年02月28日21時05分

ゆん(♂)さん、こんばんは。すみません。ちょっと思ったことがありますので。

>あれは本質的には、テレビという媒体の体質の問題です。番組の制作期間や予算、
>視聴率という仕組み、様々な理由がありますが、テレビは根本的に「物事をわかりやすく
>断言する番組作り」を求められています。つまり、テレビはそもそも科学をするのには
>向いてない媒体なのです。

>この事は、次のような「あるある大事典」を想像してみればわかります。『理論を
>検証してみたら、なんだか正しいか正しくないんだか、よくわからない結果が出た。
>だから今週は結論は保留ということにします。それではまた来週』。こんな番組では
>視聴率を取れないことは、想像に難くありません。(だからと言って、あんなあからさまな
>捏造を垂れ流していい理由には、これっぽっちもなりませんが)。

実は、先日読んだ本に、「人間には、分からないものを分からないものとして扱うことができる能力がある。」という旨の記述がありました。
(内田 樹, 「下流志向」, 講談社)

でも、それができるのは、何らかの訓練を受けた人だけではないかと、私は思います。
ゆん(♂)さんがおっしゃる「視聴率を取れるか」というところと同じことだと思いますが。

神話や説話の類を調べると、「超越的なものがそのように決めたからそのようになっている」とか、
「最初がそうなったから、それ以後もそうなっている」いう話がたくさんあります。

結局、人間は、「絶対的真理」であると「権威」に言われることを信じるような習性があるのではないでしょうか。
これは、人間が群れで生活する習性に付随するものなのかもしれませんが。

分からないものを分からないものとし、それについて突き詰めて考えたり調べたりするというのは、
もしかしたら人間の習性あるいは本能に反しているのかもしれません。


ほほー?  投稿者:地下に眠るM 投稿日: 2007年02月28日20時29分

僕はもうすでに直接 ゆっきー大権現さまのレスは読んでにゃー(ちゅうか、馬鹿くさくて読めにゃー)のだが

>>洪水前の地球は分厚い大気があり有害な光線をカットされていた、
>>その大気で温暖、高濃度の酸素、だけでも体にやさしい環境、

こんなアホなこといってんだー
「高濃度の酸素が体にやさしい」だって? ぶわっはっはっはっはー

直射日光がなく温暖で酸素濃度の高い環境で現生ほ乳類が健康に長生きできるわけにゃーだろが。
しかも600歳だってよー。
馬鹿丸出しだあああああああ、ぶわっはっはっはっはー
腹いてー

その辺の厨房だってここまでの馬鹿は探さなきゃいにゃーぜ(げらげらげら


日本に偏在している理由  投稿者:JA50 投稿日: 2007年02月28日18時42分

タミフル問題が日本に偏在している理由は、ミームというより日本が世界に誇る国民皆保険制度にあるんじゃないでしょうか?
安い値段で気軽に医療機関を受診でき、安い値段でインフルエンザの迅速検査を受けられ、安い値段でタミフルのような本来は高い薬を処方してくれるという、世界にも類をみない制度を国民が享受しているからと。

近々医療崩壊することは間違いないと思いますので、そのうちタミフルによる異常行動かもしれないという例が日本に偏在しているというようなこともなくなるのではないでしょうか?
そのかわりインフルエンザで死亡する人が急増するでしょうけど。


ストーンヘンジの検証番組  投稿者:Seagul-X 投稿日: 2007年02月28日17時51分

去年 NHK 教育テレビで放映された「地球ドラマチック」(まだ続いてるけど)の中に、ストーンヘンジを復元・検証したイギリス製作のドキュメンタリーがありました。

http://www.nhk.or.jp/dramatic/backnumber/57.html

発泡スチロール製の「巨石」で実物大模型を作り、夏至の日の出を再現してみるとか、採石地から実際に石を人力だけで運んでみる実験(結構運べるもんですね)とかやってました。素晴らしい番組でしたよ。

そういえばピラミッドの方も、小型のピラミッドを実際に人力で建設するという番組が(日本で)あった気がするけど、ぐぐってもみつかりませんでした。番組制作期間の都合で最後は重機使っちゃって現地で非難轟々、とかいうオチだった気がする…
でも、時間さえかければ作れるってことではあるんですよね。


巨石文明  投稿者:ナナシー 投稿日: 2007年02月28日17時05分

エジプトのピラミッドにしろストーンヘンジにしろナスカの地上絵にしろ重機とか飛行機がなくても作れるだろう。
大阪城の石垣に使われた巨石はストーンヘンジにあるものの三倍近いし、ピラミッドに80トンの石が使われているという話があるけど、これも大阪城のものより遥かに軽い。
大阪城の築城に重機が使われていない以上、ピラミッドやストーンヘンジに使われてなければならない理由はないと言える。

エジプトのピラミッドは建築に当たった労働者がどんな労働をしていたか記録が残されているのに、そこには重機オペレータの姿は描かれていないし、公文書にも載っていない。二日酔いによる欠勤が記録に残されているのに、重要な業務をこなしたオペレータが全く無視されているは道理に合わないだろう。

ストーンヘンジだってナスカの地上絵だってローマの水道設備に比べたらたいしたことはない。カルタゴの130km以上におよぶ水道の重力だけで都市に水が流れるように設計された精密さや水道橋の規模の大きさを見ると、人力に秘められたパワーの大きさを感じざるをえない。中世の人間がスペインに残された水道橋の跡を見て悪魔の仕業と思ったのも無理はない。


私を攻撃しても無意味  投稿者:ナナシー 投稿日: 2007年02月28日16時41分

私の言うことなんか知らん振りするんだろうけどギャラリーもいることだし。

>>洪水前の地球は分厚い大気があり有害な光線をカットされていた、
>>その大気で温暖、高濃度の酸素、だけでも体にやさしい環境、

というユッキーの説に対して、私は、

>進化の証拠を出せと言っている人間が、昔の地球が今と違うから600歳の人間がいてもおかしくないという証拠を出さずに言うのはダブルスタンダードだね。

>昔の地球環境が現代と著しく違っている証拠はない。したがって600歳も長生きした人間という考え方は間違いである。
>昔の地球が高酸素だとか分厚い大気があったというならその証拠を出してごらんなさい。

と証拠の提示を求めました。しかし以下のように答えるだけでユッキーは証拠を提示することができませんでした。

>昔の地球と今が違うのは常識と思っているから出してないだけ、
>そんな事は知ってるでしょ、

>まぁあなたは人の揚げ足を取ることしか考えてない程度の低そうな人だから何を言っても仕方が無いけどね、

一体どこの世界に「人間が600歳(実際にはノアは800歳まで生きたそうだけど)まで生きるような気候が昔に存在した」という常識があるでしょうか?
少なくとも日本には存在しないし、外国で常識となっているという話は聞いたことないです。
まあごく一部の集団では“常識”になっているかもしれませんが、それは世界の非常識だろうと予想しますね。
もしその常識が正しいというのであれば証拠を出すべきでしょうが、人のことを「揚げ足取り」と非難するだけでそれをできずにいるのが、そんな証拠がないことの証明だろうと思います。
人間がユッキーの言うような環境で現代人の何倍も長生きするという実験結果ないし観測事実があるなら創造科学の信奉者が狂喜して宣伝するでしょうが、そんなものは見たことないのが私の推理を裏付けているでしょう。

結局ただの空想や机上の空論を振りかざしているのはユッキー自身で、彼に進化論を空想だなどと批判する権利はないと思いますね。


アセトアミノフェンのリスク  投稿者:shinok30 投稿日: 2007年02月28日16時38分

>ただ、アセトアミノフェンを使わねばならない例ではそれだけ高熱が出ていたというのもあるでしょうから、
>アセトアミノフェンを悪者にするのもどうかとは思います。

アスピリンなどは『ライ症候群』の危険があるため,小児の高熱にはアセトアミノフェンが処方されるでしょうから,
異常行動が高熱と関係があれば,「アセトアミノフェン」使用にも有為な相関が出る可能性はありますね

>■ 子供の高熱に、アスピリンは禁忌
>アスピリン類は、15歳未満の小児のインフルエンザ、水痘などのウイルス疾患に用いると、ライ症
>候群などの急性脳症が起こる可能性があるとされ、禁忌となっています。

>ライ症候群とは:
>急性脳症(嘔吐、意識障害、痙攣、高熱等の症状)で、肝臓ほか諸臓器の脂肪変性、CT上脳浮腫
>が見られる等により特徴づけられるものをいう。水痘、インフルエンザ等のウイルス性疾患の先行
>後、主に小児において発症する。
http://otc.main.jp/kodomo/ko003.html

もちろん,アセトアミノフェンを大量に服用すると死に至る危険がありますから,
異常行動との関連の有無にかかわらず,過剰な服用は避けるべきでしょう

>一般に解熱剤は禁忌とされるインフルエンザの際にも解熱剤としてしばしば用いられるなど
>標準的な服用法では非常に安全な薬物であるが、その広い薬効のため、服用量が過剰となる事が少なくない。

>[編集] 事件
>1999年に日本の埼玉県で、市販の風邪薬とアルコールを大量に摂取させることによる殺人事件が発生した。
>警察は容疑者を絞り込んでいたものの、被害者の体内から毒物などの物的証拠を確認できなかったため逮捕
>に至らなかったが、風邪薬に含まれるアセトアミノフェンとアルコールを同時に大量摂取することで死に至
>る危険性があるという調査結果を得て逮捕に踏み切った。

>米国ではアセトアミノフェンの大量摂取による中毒死が発生しており、日本でも前述の殺人事件の発生を
>きっかけに、日本薬剤師会から販売体制の徹底が薬局などに通知された。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%82%BB%E3%83%88%E3%82%A2%E3%83%9F%E3%83%8E%E3%83%95%E3%82%A7%E3%83%B3

今後,アセトアミノフェンと異常行動に関連があるかどうかは検討の余地はありますが,
イブプロフェン,フルビプロフェン,メフェナム酸,インドメタシン,サルチル酸剤(アスピリン)などの
非ステロイド抗炎症剤(NSAIDs)の方がアセトアミノフェンよりも死亡リスクが高いというデータもあるので,
現時点で一概にアセトアミノフェンを悪者にするのはどうかと思いますね

>非ステロイド抗炎症剤(NSAIDs)系解熱剤はアセトアミノフェンより害が大き
>い:最良のエビデンスに基づく見解
>NPO法人医薬ビジランスセンター(薬のチェック)    浜  六郎

>エディトリアル(論説)が、子どもへの解熱剤使用の問題を論じるに際して、サルチル酸剤とライ症候群との関連や、
>NSAIDsを使用した感染動物の死亡率が対照群よりも高いという現象に触れていなかったことに驚きを禁じえない。

>私は、NSAIDsの感染動物の死亡への影響を調べた論文を収集したが、9論文で15件の動物実験が実施されていた。これらの
>実験ではイブプロフェン、フルビプロフェン、メフェナム酸、インドメタシン、サルチル酸剤(アスピリン)などのNSAIDs
>が使われていた。NSAIDsの死亡リスクに対するMantel-Haenztel法による統合オッズ比は10.0(95%信頼区間(CI)は
>6.12-30.06, p<0.00000001)であった[1]。

>もうひとつのエビデンスは、日本の厚生労働省斑研究「インフルエンザ脳炎・脳症発症および重症度に関連する要因解明のた
>めの症例対照研究」の結果である[2]。この疫学調査では、NSAIDsとインフルエンザ脳症死亡例との間に強い関連が見られ
>た。研究班はNSAIDsとインフルエンザ脳症発症に確定的な結果は得られなかったと報告した[2]が、報告データをもとに私が
>再計算したところ、NSAIDsの脳症死亡危険に対する粗オッズ比は47.4(95%CI;3.29-1458, p<0.0019)であった[1]。一
>方、アセトアミノフェンのオッズ比は有意でなかった(OR 2.25; 95%CI; 0.19-58.6)[1]。
http://bmj.bmjjournals.com/cgi/content/full/333/7557/4?maxtoshow=&HITS=10&hits=10&RESULTFORMAT=&fulltext=antipyretics&andorexactfulltext=and&searchid=1&FIRSTINDEX=0&sortspec=relevance&resourcetype=HWCIT


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