進化論と創造論についての掲示板ログ373

2006年08月11日〜2006年08月19日
このファイルは、掲示板巡回ソフトのログファイルを元に再構成したものであり、投稿時の状態(フォントサイズ、文字の色、リンク等)をすべて反映しているわけではありません。いくつかの書名にアマゾンのアソシエイトのリンクを張らせてもらいました。
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謎でしょうか?  投稿者:wadja 投稿日: 2006年08月19日 0時04分

はやしさん、初めまして。横レスご容赦下さい。

>太古の河川で堆積されたものだとしても、あれほど広範囲に水平で均一な地層が広がるということはありえないと思います。

地層自体は、海底で堆積したものと考えられているようです。
http://www.jbaa.net/oasis/09-00/09-00.html

>何億年という長大な時間があればあのような広大な地層ができるという人はそれをただ漠然と信じているだけではないですか?

確かにwadjaのような素人は、漠然と地質学者の言うことを信じているだけですが、さすがに漠然と信じるだけでは地質学者は務まらないでしょうね。

しかし、はやしさんの疑問の一つである水平に何キロにも渡って堆積した地層の不思議に関しては、地質学者は既に説明を用意しているようです。はやしさんは、こういった説明を否定されるのでしょうか?それとも、専門分野以外では、人間の想像力は意外に限界が低いものだということを認めることができるのでしょうか?


グランドキャニオンの地層の謎  投稿者:はやし 投稿日: 2006年08月18日22時30分

>広大な堆積地層がなぜ斉一説の問題点になるのでしょう?普通に長時間かけて堆積したとは考えないんですか?

何億年という長大な時間があればあのような広大な地層ができるという人はそれをただ漠然と信じているだけではないですか?わたしにはどんなに想像力を働かせてもそれを信じることができませんね。実際グランドキャニオンの地層は3億年〜5億年にわたって堆積された地層であると想像されているようですが、単純に割り算をすると1年では0.01mmにも満たない堆積だということになります。このようなわずかな堆積で化石が残るとは考えられません。また仮に数億年間もの間、太古の河川で堆積されたものだとしても、あれほど広範囲に水平で均一な地層が広がるということはありえないと思います。なぜなら、河川から河口へ流されていく土砂は河口から遠くなるほどすくなくなり、何キロにもわたって水平に堆積されるということはありえないからです。しかもその数億年もの年月をかけて堆積された地層がさらに数億年の歳月をかけて水平に隆起するということもありえないでしょう。それにグランドキャニオンはアメリカ大陸のほぼ真ん中に位置します。大陸移動説によれば、いかにしてあの地域が水平に隆起したということを説明できるのでしょうか?


マンモスの謎  投稿者:はやし 投稿日: 2006年08月18日22時01分

NATROMさん
いろいろと丁寧に答えていただきありがとうございます。

>何千万頭も生き埋めになっているんですか?そもそも事実確認の時点で誤認がありそうです。

実際に何頭のマンモスがシベリアの凍土の下にあるのかは誰にも分からないでしょう。ただ言えることは想像を絶するほどの数であるということは大方の推測なのではないでしょうか。ナショナルジオグラフィックジャパンのHPに次のような記事がでています。
「アフリカゾウの個体数減少にともない、1989年、象牙取引がほぼ全面的に禁止された結果、最近になって、マンモスの牙の需要が増加した。化石の牙を取り引きする分には、絶滅を心配する必要がないことから、アフリカゾウの格好の代替品としてマンモスの牙に注目が集まったのだ。この動きを支持する人々は、化石は無尽蔵にあるから問題ないと主張する。シベリアのツンドラの下には1000万頭のマンモスが眠っている・・・」


冥王星とカロンが二重惑星なのは  投稿者:Seagul-X 投稿日: 2006年08月18日12時17分

はじめまして。以前からこの掲示板はみていましたが、発言するのははじめてになります。

冥王星とカロンが二重惑星とされるのは、この系の共通重心が冥王星の外の宇宙空間にあるからです。地球=月の系では重心は地球の中にとどまっています。
この判定基準は妥当であると、私は考えます。

今回の惑星の定義も、「冥王星を惑星として残す」という政治的前提のもとでの基準としては、まぁ妥当かなと思います。その前提については、ちょっと…とは思いますが。


すみませんでした  投稿者:ギャラリー@勉強中 投稿日: 2006年08月18日 0時24分

火曜日に、ラマルクとダーウィンに共通するのは「共通祖先説」などと、ウソを書いてしまったことをお詫び申し上げます>ALL
カクレクマノミさんのおっしゃる通り、ラマルクは「共通祖先説」を認めてません。メビウスさんに対しても、見当違いの言い方をしたに違いありません。申し訳ありませんでした。


世界は変わるか  投稿者:えめ 投稿日: 2006年08月17日23時57分

 今まで曖昧だった惑星の定義が決められてその数が増える(かも?)
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20060817-00000000-san-soci

本決まりになれば今までの宇宙観(イメージ)に訂正が求められるようになるやろね。
何も変わらないのにがらりと一変する世界。
まぁ進化論が世に広まった時のショックは今回の比ではないのだろうけどねぇ。

以外だったのは冥王星とカロンが惑星とその衛星ではなく2連星だと解釈されていた事。
後、昼見たTVで月も惑星にして欲しかったと嬉しそうに言った日本の天文学者がいた事。
ええええええぇぇぇぇ 地球-月も連星ですかぁ?!
うーむ 惑星-衛星と連星の境目(基準)はあるのだろうか。


そうなんやろか?  投稿者:wadja 投稿日: 2006年08月17日22時53分

>> もし、もし賛同されたのならこの文章を是非共他の掲示板にも貼り付けてください

>むしろ、tennouda-さんは天皇制賛成派なのだろうね。

どやろね?まあ、馬鹿だから右でも左でもどっちでもええけど。


ミーム学  投稿者:カクレクマノミ 投稿日: 2006年08月17日22時34分

>> もし、もし賛同されたのならこの文章を是非共他の掲示板にも貼り付けてください

このように、ミーム・ウイルスには、「自分を複製せよ」という指令が含まれているのが特徴です。
コンピューターウイルスも、共通した特徴を持っていますね。


ネガティブキャンペーン  投稿者:NATROM 投稿日: 2006年08月17日22時22分

> もし、もし賛同されたのならこの文章を是非共他の掲示板にも貼り付けてください

むしろ、tennouda-さんは天皇制賛成派なのだろうね。


Re:無駄な天皇制度を廃止しよう  投稿者:クハ72 投稿日: 2006年08月17日20時34分

> もし、もし賛同されたのならこの文章を是非共他の掲示板にも貼り付けてください

賛同したとしても、いや賛同するなら尚更コピペなんて手段はとりたくないものだな。


備忘録を兼ねて  投稿者:sci98 投稿日: 2006年08月17日20時09分

ようさんが答えなかったこと、間違いを指摘されて具体的に反論できなかったことについてまとめて記しておきます。
(以下すべて誤記訂正込み)

・次の各論証を演繹的なものと帰納的なものに分類せよ
 1.雨が降っているときはたいてい曇っている
  いま雨が降っている
 ∴いま曇っている
 2.ある豚には翼がある
  翼のあるものは皆歌う
 ∴ある豚は歌う
 3.もし核戦争が起こったならば、文明は破壊されるだろう
  核戦争は起こるだろう
 ∴文明は核戦争によって破壊されるだろう

・仮説演繹法の論証を論理式にせよ


>だから「もし〜がこうだとすると」という仮定条件(又は公理)が付くの、
>帰納法には。
(by ようさん)

「演繹と帰納を条件の付く付かないで区別することはできません。
 たとえば「もし〜がこうだとすると」というのが付いている
 ((P⊃Q)∧Q)⊃P
 は帰納的ですよね。しかし同じく「もし〜がこうだとすると」というのが付いている
 ((P⊃Q)∧P)⊃Q
 は演繹的です。」


>「昨日もこうやった、だから今日もこれでやる」と言うのは「演繹法」。
(by ようさん)

「誤りです。
 「昨日8:00発の電車に乗って遅刻しなかった。今日も8:00発の電車に乗れば遅刻しないだろう」
 「昨日太陽が東から昇った。今日も太陽が東から昇るだろう」
 「昨日は8月12日だった。今日も8月12日だろう」
 以上はすべて帰納的論証です。」


>「仮説演繹」と言う言い方は、
>本来の演繹法と言うのは「一般的説明原理」の妥当性が高い、
>正当性が認められる、と言う事ですが、
(by ようさん)

「誤りです。
 1.麻原の教えは絶対善である
  地下鉄サリン散布は麻原の教えに基づくものである。
 ∴地下鉄サリン散布は善行である。
 2.3は偶数である。
  偶数の2乗は奇数である。
 ∴9は奇数である。
 3.犬は魚である
  魚は温血である。
 ∴犬は温血である。
 以上はすべて演繹的論証です。」


乗り物酔いしやすい性質なんだけどなあ  投稿者:sci98 投稿日: 2006年08月17日20時00分

>>【雨が降っているときはたいてい降っている
>> いま雨が降っている
>>∴いま曇っている】

>こんな日本語あるかな?引用の本の著者の文才に疑問を感じるね。盲目的に引用する貴方も同様に。

「雨が降っているときはたいてい曇っている」の誤記でした。ですので、

|1.雨が降っているときはたいてい曇っている
| いま雨が降っている
|∴いま曇っている

に訂正します。著者訳者及び読者各位にお詫び申し上げます。

再々掲
・次の各論証を演繹的なものと帰納的なものに分類せよ
 1.雨が降っているときはたいてい曇っている
  いま雨が降っている
 ∴いま曇っている
 2.ある豚には翼がある
  翼のあるものは皆歌う
 ∴ある豚は歌う
 3.もし核戦争が起こったならば、文明は破壊されるだろう
  核戦争は起こるだろう
 ∴文明は核戦争によって破壊されるだろう

を解いてみてください。

#「雨が降っているときはたいてい降っている」でも問題なく解けるんだけど(論理式にすれば一発)。
#(答えが変わるかもしれないが)


(前略)
>単なる「言葉のあや」に過ぎないんだ。
(後略)

その「言葉のあや」にはまらないように、仮説演繹法の論証を論理式にしてみて下さいと言ったのですが、されなかったようですね。なぜでしょう?
論理式にしてしまえば「言葉のあや」などに惑わされることなく、「演繹法か否か」が一目で判断できます。

#できないのなら「できません」とはっきり言ってください。別に馬鹿にしたりはしませんから。


>お判りか?説明原理、仮説理論何でも良いが、演繹と帰納の定義は幾ら科学が発達しても変らないのだ。

ちなみに、哲学辞典/森宏一編集/青木書店では、演繹推理について「前提と結論の具体的内容はいっさい問題にしない」と記されているんですが、

>本来の演繹法と言うのは「一般的説明原理」の妥当性が高い、
>正当性が認められる、と言う事ですが、
(by ようさん)

なんて書いちゃったのは何故でしょう?


>進化論は最初から「立論」されてもいないし、

こことか

>「仮説演繹法」によってもその理論の妥当性・蓋然性になんらの進歩も見られない、この1世紀半。
>ただ、ただ「膨大な検証データ」の数が増加して、混迷を増すばかり。

ここの誤りはすでに他の方が幾度となく指摘されてるんですが、まだ理解されていないようですね。

>科学はあくまで理論が「主」であり、データではないよ。

進化論について、単に「帰納的論証による立論」をするだけでいいのなら、簡単にできます。が、私がそれをしても、また色々難癖つけて拒否するのでしょうね。


>仮説演繹法についてですが、ようさんがどこを勘違いしているか考察してみました(まあ、全部想像ですが)。
>たわけた事をぬかすな。論理学の話をしていながら「想像で他人の勘違いを考察」?
>「論理学入門 三浦俊彦」・・・その本を熟読し直すか、捨てるかどちらかを選べ。

私の発言を、故意か過失かわかりませんが、誤読しているようです。
ようさんの発言のどこが間違っているかについては、別発言で明らかにしています。ここで私が考察しているのは、「ようさんのどこが間違っているか」ではなく「ようさんが何故間違ったか」であって、もとより論理学の話ではないのです。

#念のため、「徒然なるままに 投稿者:sci98 投稿日: 8月15日(火)08時08分6秒」が論理学の話ではないというだけであって、
#ほかの発言(ex.長くなった 投稿者:sci98 投稿日: 8月13日(日)07時33分48秒)は論理学の話です。

「どこが間違っているか」は論理学上の話ですが、「何故間違ったか」はようさんの内心の問題に過ぎません。
ちなみに、私の想像はあたってましたでしょうか?外れていたのなら、何故ようさんは「仮説演繹法は演繹法である」というような、論理学についての専門書を一冊でも読めばやらない情けない間違いをしてしまったのでしょうか?

あと、自分の誤読によって私に「たわけた事をぬかすな」などと言ってしまった事については謝罪を期待してもいいでしょうか?


無駄な天皇制度を廃止しよう  投稿者:tennouda- 投稿日: 2006年08月17日18時02分

昭和天皇は、なぜ自ら退位・自害しなかったのか。400万以上の日本
人が犠牲になった戦争を承認した責任をどう感じていたのだろう。
自分は現人神であるから、一般人とは違い責任を取らないでもよいと
思っていたのだろうか。
戦争責任(敗戦責任)を取らなかった国家元首(王族を含む)は古今
東西稀である。
あのヒットラーですら、戦争が終われば、自身の責任が問われ
ることは間違いないと判断し、自害した。ところが、裕仁は、戦後マッカー
サーに命乞いをして、戦後44年間、病気でくたばるまで生き延びた。
敗戦直前の「御前会議」では「自分はどうなってもいい」という「美談」まで
演出しながら、どうなるどころか、天皇制を日本統治に利用することが都合
がいいと考えたGHQ・マッカーサーの意向により、戦後「象徴」などとい
う地位に収まっている。あきれた小者、卑劣な人物である。超A級戦犯であ
る裕仁の戦争責任を問おうとすることすらせず、天皇制などという制度を残
した。
もはや現代に天皇制などという制度は要らない。韓国や中国などの封建的色
彩が濃い国ですら、王朝はさっさと廃止している。フランス、ドイツなどヨ
ーロッパ諸国でも然り。イギリスが王制を残しながら、「民主主義の母国」
と言われるのは、国王を処刑した歴史があるからである。国王といえども人
民に逆らえないのである。さっさと廃止しよう天皇制。今の昭仁を「ラスト
エンペラー」に。そうすれば、紀子に男が生まれようが、女が生まれようが
関係なくなるョ


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何のために検証がいるんです。  投稿者:AH1 投稿日: 2006年08月16日19時48分

>そういう時は「立論」をすっ飛ばして、検証作業をやってしまう。

さて、では「帰納的に立論」とやらを行った仮説があるとする。
これはあくまで仮説なんだから、蓋然性は未知だ。「ロンリ的に正しい」仮説だからといって、正しいという保証はない。そこで現実と比較する「検証」という作業が不可欠になる。

つまり
・仮説Aを帰納的に立論
・その仮説を検証
・現実と合わないならば、その仮説は棄却される

ここで、全くの思い付きによる仮説Bを考えよう。
・仮説Bを思い付く
・その仮説を検証
・現実と合わないならば、その仮説は棄却される

仮説Aと仮説B、どっちの仮説が残るかを決めるのは「現実と合うかどうか」なんだよ。どんなによくできた仮説だろうが、現実を説明できなければ価値は無い。
これが、検証によってある仮説の蓋然性を高めるってことだ。

我々は普通、単なる思いつきによる仮説を重視しない。それは、単なる思いつきが正しい可能性が低いことを経験的に知っているからだ。しかしながら、それは「やっても無駄だろうから検証するまでもないのではないか」という判断を意味するだけであって、「立論されていないから門前払い」を意味するのではない。

思い付きだろうがなんだろうが構わない。なんだかワケがわからなくても、蓋然性の高い仮説が現れればいい。それで科学は一歩前進できるんだよ。理解できなければ「でも現実とは合っているんだから、なぜそうなっているのか研究しよう」と思えばいいんだ。
「帰納法でリツロンせよ」なんて聞いた事もない要請は、検証前の仮説を門前払いしてるってまだ気付かないのか。
相変わらず科学の首を絞めるのが好きだな、よう さんは。


sci98  投稿者:よう 投稿日: 2006年08月16日19時03分

>【雨が降っているときはたいてい降っている
  いま雨が降っている
 ∴いま曇っている】

こんな日本語あるかな?引用の本の著者の文才に疑問を感じるね。盲目的に引用する貴方も同様に。

>実は仮説演繹法は、強い結論(前提に含まれない新しい結論)を出すときに使うんです。これからみても、仮説演繹法が帰納的論証であることがわかります。

仮説形成が上手い事行かない時、例えば進化論のように。
そういう時は「立論」をすっ飛ばして、検証作業をやってしまう。そうすると、「何か」出てくるだろう、と期待して。
つまり「演繹法」は仮説理論が正しければ結論は正しい、となるが、検証結果の「新しい情報」を期待して仮説の不備を補おう、そのサイクルを続ければ仮説理論の妥当性・蓋然性が高まるだろう、と言う訳だ。

単なる「言葉のあや」に過ぎないんだ。最初に「期待する」から研究当事者の「頭と心の中」は帰納法的だが、実際の論理的手順はまず「演繹法」で仮説を検証し、「新しい情報」によって、仮説の変更・改正に戻るのだよ。新しい情報の前が演繹で、その後が帰納。
お判りか?説明原理、仮説理論何でも良いが、演繹と帰納の定義は幾ら科学が発達しても変らないのだ。

何れにしろ、科学とは「論理」であるのだよ。

進化論は最初から「立論」されてもいないし、「仮説演繹法」によってもその理論の妥当性・蓋然性になんらの進歩も見られない、この1世紀半。ただ、ただ「膨大な検証データ」の数が増加して、混迷を増すばかり。
科学はあくまで理論が「主」であり、データではないよ。

>仮説演繹法についてですが、ようさんがどこを勘違いしているか考察してみました(まあ、全部想像ですが)。

たわけた事をぬかすな。論理学の話をしていながら「想像で他人の勘違いを考察」?
論理学入門 三浦俊彦」・・・その本を熟読し直すか、捨てるかどちらかを選べ。


名前  投稿者:AH1 投稿日: 2006年08月16日17時04分

>繰り返しますが私が取り上げたのは分子進化の機構についてのことであって、分子進化についてはわずかに有害な変異がほとんど全てで、分子進化の機構については自然選択説は論争で敗北し、分子進化中立説が分子進化においては通説になったが、進化論全体としては自然選択説が通説であることは分子進化中立の側も認めていると書いています。


おっしゃりたい事はだいたい理解しました。
まあ、なんでダーウィンの名前ばかり出て来るのかと言われれば、「最初に現在の進化論の原形を体系化して発表したから」というくらいにしか考えてません。
現代の進化説を「ラマルクダーウィンウォーレスメンデルド・フリースワトソン&クリック木村 et al. 説」とでも名付ければ良いのかもしれませんが、ちと長過ぎると感じますので、私は「総合説、もしくはネオ・ダーウィニズムと呼ばれるものはこれら有名無名の無数の科学者の成果を織り込んで構成された、その時点で最新の学説である」と理解しています。少なくとも私にとっては「分子レベルの振舞いをも含めて『総合』した説」が総合説です。これは科学史的にどうなのかは知りませんが、個人的にその辺は興味ないので、学説の中身に関してそのように理解している、ということです。

ダーウィンの名前がやたら出たのは、まあ、進化論の代表的な学者として知名度が高いんで、ド素人相手の話では仕方なかろうと理解しています。それにやはりド素人向きな、マクロな種分化をもと発案された進化論としては「種の起源」がベースになるのは仕方ないでしょう。薬剤耐性菌の話も出てましたから遺伝子レベルから話をすることもできましたが、そもそも生物学を知らない御仁が遺伝学を知っているとも思えないし、講議すれば「普通の人間にわかる普通の言葉」とか言い出すのは目に見えてますしね。

それはそうと、ダーウィンの犯した過ちをうやむやにして・・と書かれていますが、それなら大概の学者はやってますね。アインシュタインだってホーキングだって。後段に御自分で書かれていますが、別に「とりあえずその人の名前を冠している」ことと「神格化している」ことは同じじゃないと思いますよ。


いい加減にしてほしいな  投稿者:カクレクマノミ 投稿日: 2006年08月16日 0時50分

>「進化論は帰納法で立論されていない」と言い張る方との議論において、ダーウィンの名前ばかりが出てくるので、上記の合意事項を私は確認したかったのです。お騒がせしました。

ようさんは今一般に通用している進化論が、立論されているかを問題にしていた。そして、今一般に通用している進化論を立論した人物がいるとしたら、それはダーウィンだ。ラマルクも彼なりに立論していたかもしれんが、それは最近の議論のテーマではなかった。相対性理論が立論されているかどうかを論じようとすれば、ニュートンの名前よりもアインシュタインの名前が多く出てくるだろう。それと同じだ。
だから、ダーウィンの名前がたくさん出てくるのは当たり前だ。そして、ラマルクの名前があまり出てこないのも当たり前だ。

そのことが、具体的にどういうように4つの合意事項に反するのか述べよ。


結局あなたは、ダーウィンの名前がたくさん出てきて、ラマルクの名前があまり出てこないのにむかついたから、黒影さんのレビューを出しにして駄々をこねたかっただけじゃないのか。
それは、黒影さんにもダーウィンにも、そして木村資生やラマルクに対しても失礼な行為だ。


それはもう「科学」ぢゃない  投稿者:大文字ナン 投稿日: 2006年08月16日 0時20分

>私が言っているのはあくまで分子進化の話であることを誤解されずにすむかと思います。このように補足してもまだ間違いが含まれていますか。

はい、含まれています。
それはもはや、科学の範疇の話ではなく、文章表現の話です。

>ついに分子進化について自然選択説は分子進化中立説に論破され、打ち砕かれました。分子進化の機構において、自然選択説は、分子進化中立説に敗北しました。こうして分子進化中立説が分子進化の機構として通説になりました。

ロンパールームですか?
仮に事実がメビウスさんの理解通りであったにせよ、そこで起きた出来事とは「分子進化の機構において、自然選択は観察されなかった」という観測事実であって、「論破した」とか「勝利した」と表現されるような事象ではないはずです。(ましてや、うち砕いた、などとんでもない)また、実際に起きた出来事も、メビウスさんの理解とは大きく違うように見受けられます。たとえ分子レベルであれ、それが「タンパク質の機能に影響を及ぼすもの」であるなら、自然選択が働くからです。

あなたの中にどんな感情の起伏があるのか、私には分かりません。しかしメビウスさんが、ありもしない、いもしない「怪獣」について警告しているのは明白です。


訂正します  投稿者:大文字ナン 投稿日: 2006年08月16日 0時05分

>ついでにふれておきますが、これは間違っています。なぜなら分子進化においても自然選択が働いていることが観察されているからです。集団遺伝学の勉強くらいしてから分子進化の話をした方がいいですよ。やはり向井先生が泣くよ。

横レスですが、私の発言も関連していますね。
・中立的な分子進化
・中立的な進化(分子的であるなしに関わらず)
・分子進化(分子レベルであれ、表現型として淘汰を受ける)
上記3点について、私の発言にも(私の理解も含めて)誤解を与える点が多々ある、と思います。それは、上記3点について、きちんと区別した文章になっていないからです。
いずれにせよ、分子レベルにおいて起きる遺伝子の変化が、なんら「タンパク質の機能に影響を及ぼさないもの(ドーキンス)」であれば、自然選択の影響は受けないだろう、と考えていますが、これも誤りであるのかどうか、明快に答えられるだけのソースが私にはありません。


re:合意事項  投稿者:あき 投稿日: 2006年08月15日23時28分

黒影さんのレビューを批評するならば、原著の彼のレビューの元になっている部分くらい読んでから批評すべきであると私は思います。そうしなければ、黒影さんの考えを正確に理解できるとはとても思えません。

例えば、「これも紛らわしい言い回しです。中立ではなく「わずかに有害な形質を持った個体が存在する」と書くべきですが、変異によってもたらされた形質のほとんど全ては生存上わずかに有害あるとは書いていません。」とメビウスさんは書かれていますが、原著には「変異によってもたらされた形質のほとんど全ては生存上わずかに有害あるといったことが書かれているのでしょうか?
現実はどうあれ、原著において「わずかに有害な形質」について言及されていないのならば、書評なのですから黒影さんの責任ではありません。

また、これはメビウスさんだけの責任ではありませんが、「分子進化の中立説」向井輝美と書いてあるとこの本の著者が向井先生のようにみえます。著者名を書き、その後に向井輝美訳と書くべきでしょう。
書評されている著書について全く知らないで書評を批評しているのではないでしょうね。
向井先生が草葉の陰で泣いてますよ。


ついでにふれておきますが、これは間違っています。なぜなら分子進化においても自然選択が働いていることが観察されているからです。集団遺伝学の勉強くらいしてから分子進化の話をした方がいいですよ。やはり向井先生が泣くよ。

>あのー、私が{「ダーウィンの進化論」が分子進化中立説との論争で敗北した}と書いたのは、(中略)これなら、私が言っているのはあくまで分子進化の話であることを誤解されずにすむかと思います。このように補足してもまだ間違いが含まれていますか。


合意事項  投稿者:メビウス 投稿日: 2006年08月15日22時53分

>>分子進化中立説が、今日、「ダーウィンの進化論」と対立していないのは「ダーウィンの進化論」が分子進化中立説との論争で敗北したからです。>>
>>前記したように、↑の主張は完璧に誤りである。メビウス氏は怪獣を育てるのが巧く、育てられた怪獣は、もはやメビウス氏を「支配」するほどに強いのではないだろうか。>>

あのー、私が{「ダーウィンの進化論」が分子進化中立説との論争で敗北した}と書いたのは、あくまで分子進化での話しなんですけど。そうは受け止められなかったのなら、私の言葉足らずです。これからあらぬ誤解を受けないように
「分子進化について自然選択説が適用できるとする立場と分子進化中立説との間で激しい論争が繰り広げられ、ついに分子進化について自然選択説は分子進化中立説に論破され、打ち砕かれました。分子進化の機構において、自然選択説は、分子進化中立説に敗北しました。こうして分子進化中立説が分子進化の機構として通説になりました。ただし、進化論全体の通説が自然選択説であることは、分子進化中立説を主張してきた側も認めています」
これなら、私が言っているのはあくまで分子進化の話であることを誤解されずにすむかと思います。このように補足してもまだ間違いが含まれていますか。

>それは表現型として観察できないような「仮想の変異」が、現実の淘汰圧を受けるとは考えにくいという、至極当たり前の結論である。>>

ウイルス進化論者との議論で、人は体内でビタミンCを合成できないではないかとの批判に対して、佐々木教授は分子進化中立説に基づいて反論しています。それはわずかに有害ではあるがヒトは食事でビタミンCを摂取できるから生存上そんなに問題ではない、という趣旨のことをおっしゃっています。そして、分子進化中立説と自然選択説のイメージ図を書いて説明されています。

自分に不利な証拠なら、当サイトで管理人さんが取り入れたことすら、目をふさいで見ないことにするのは、いかがなものでしょうか。
*********************************
ダーウィンの進化論をベースにメンデルの遺伝の法則やダーウィンの進化論をベースにメンデルの遺伝の法則や分子進化の中立説、近年の分子生物学の成果を加味して再編成された現代の進化論は、総合説と呼ばれている。/////////////////
*********************************
「黒影」氏のこの説明は変だと思いませんか。「分子進化の中立説、近年の分子生物学の成果を加味」するよりずっと以前から総合説はあったんですから。

>いったいどういうバイアスに基づいた「反論?」なのでしょう。>>

私は大文字ナンさんに何も反論していません。ただ、以前の発言と異なるように思えるので説明して欲しいと質問しただけです。

AH1さん
>表現型に出てしまい、明らかに淘汰圧がかかるような形質の振舞いを全て中立説で説明しようなんて、木村資生自身が考えてなかったと判断してるんで、「負けを認めろ!」と迫っておられるのはちと、やりすぎな感を受けます。>

繰り返しますが私が取り上げたのは分子進化の機構についてのことであって、分子進化についてはわずかに有害な変異がほとんど全てで、分子進化の機構については自然選択説は論争で敗北し、分子進化中立説が分子進化においては通説になったが、進化論全体としては自然選択説が通説であることは分子進化中立の側も認めていると書いています。

>「獲得形質の遺伝」の是非はともかく>>

こうやってダーウィンも犯した間違いをうやむやにして、なかったことにしてしまうのは、.....私はどんな学問とも無関係の世界で生活しているのですが、.....これが科学のあるべき姿なんですかねえ。

これまでの議論の合意事項。
(1).進化論を初めて科学的、体系的に論じたのはラマルクであり、それはダーウィンも認めている。
(2)常連の方々および多数の住人さん方は、ダーウィンの主張をそのまま受け入れているのではなく、ダーウィンの犯した間違いは何度も当掲示板で指摘されている。
(3)ネオダーウィニズムという表現は、進化論の通説である自然選択説を樹立した偉大な科学者に対する美称であり、ダーウィンをことさら過大評価したり無謬化など誰もしていない。
(4)ダーウィンを誹謗中傷したところでラマルクの進化論に対する貢献がさらに良く認められることはない。

「進化論は帰納法で立論されていない」と言い張る方との議論において、ダーウィンの名前ばかりが出てくるので、上記の合意事項を私は確認したかったのです。お騒がせしました。

Kosukeさん
>あまり無理されず、安静にされる事をオススメします。熱が治まればまた落ち着いて考えられるようになるでしょう。>

ありがとうございます。ご心配をおかけしてすいません。


ラマルクと祖先  投稿者:カクレクマノミ 投稿日: 2006年08月15日19時16分

>ラマルクとダーウィンは「共通祖先説」という点で共通、「獲得形質の遺伝」か「自然選択」かというメカニズムで異なるのみ。

まああまり議論の本質的ではない点ですが、ラマルクは共通祖先を認めてはいません。
ラマルクによれば、生物は高等なものに向けてまっしぐらに進んでいくはずなので、最高のヒトになる道から枝分かれして足踏みしてるなんてことはないわけです。
では、なぜ世界には多様な下等生物がいるかが問題になります。ラマルクの答えは、生物は今もどんどん自然発生しているというものです。最初に発生したものが、今ではヒトになっています。次に発生したものが今のチンパンジーです。バクテリアは、つい最近発生したばっかりの連中になります。
模式図で書くと、こんな感じです。

    ● ↑存在の連鎖
   /●
  //●
 ///
○○○  →時間軸   ○自然発生 ●現生生物


すみません  投稿者:ギャラリー@勉強中 投稿日: 2006年08月15日19時15分

HNを恣意的に変えるのはまずい行為でした。ごめんなさい。


メビウスさんへ  投稿者:ギャラリー@酔っ払い 投稿日: 2006年08月15日18時56分

メビウス説の私なりの解釈は、以下の通り。

<ラマルクとダーウィンは「共通祖先説」という点で共通、「獲得形質の遺伝」か「自然選択」かというメカニズムで異なるのみ。で、「自然選択説」は、木村先生の中立説によって否定されているので、残るは「共通祖先説」。それならラマルクの方がずっと早いのに、なぜか不当に貶められている>

だけどね。「共通祖先説」とは言っても

ラマルクの場合は「下等なものから高等なものへ、一定の方向性を持って進化していく」という考え方で、そのメカニズムとして提示された「獲得形質の遺伝」の是非はともかく、発想自体が古い生命観の反映。

一方、ダーウィンが(自然選択説と不可分の形で)提示したのは「環境への適応を通して、ゆるやかに多様性を増し、別種に至る」というもので、この(誤解を恐れずに言えば)機械論的な生命観の提示が、革命を起こしちゃったわけなんだから。

ぜんぜん、別物じゃないか。


JOQR  投稿者:tema 投稿日: 2006年08月15日18時36分

yebisu500さんへ、ありがとうございます。

膀胱再建のちょっと下にあった「間充織」というキーワードで検索したところ、以下のページを見つけました。
http://www.riken.go.jp/r-world/info/release/press/2004/040914/
― 引用ここから ―
(前略)特筆すべき発見として、Cdc42の活性を低下させたときにのみ、本来間充織のままであるべき細胞がすべて上皮細胞へと変化しました(後略)
― 引用ここまで ―

 少なくとも皮膚については、分化に影響する物質まで判っているようですね。

 それにしても
― 引用ここから ―
■だけど、これでもね、電子顕微鏡で見ると、ちゃんと立派な膀胱の性質を示しているんですね。まあ、これならいいでしょうって いうことで、サイトケラチンも発現してるし、フィブロネクチンも発現してるし、タイトジャンクションもできていて、おしっこも漏れなさそうだから、これで やりましょうと言ってこれで移植するんですね。
― 引用ここまで ―

 サイトケラチンとかフィブロネクチンとか難しい専門用語で説明しながら、最後に「おしっこも漏れなさそうだから」って、ウケを狙ってるとしか思えません。

大文字ナンさんへ

> 負けた気がしました。

 勝った! よしよし、うーむうーむ、よしよし。
 余は満足であるぞ。


おっかしいなあ・・・  投稿者:Kosuke 投稿日: 2006年08月15日17時58分

メビウスさんの「ダーウィン憎しインフルエンザ」は、適切な治療とご本人の健康な免疫システムによって完治したと見ていたんだけど、ぶり返しましたか?

あまり無理されず、安静にされる事をオススメします。熱が治まればまた落ち着いて考えられるようになるでしょう。


ダーウィンという名の怪獣  投稿者:大文字ナン 投稿日: 2006年08月15日16時52分

【怪獣だ!】

事実をよく観察したり、調べたりする以前に、いわゆる「インスピレーション」によって、調べようとする対象の「正体」を知った気分になることが、我々にはよくある。またこれは、積極的な「関連づけ」によって強化されていく傾向がある。

たとえば犬は、ワンワンと吠える。なぜ吠えるか、というと、ワンワンと吠えることによって自分の目的が達せられると「学習」するからだ。呼び鈴を「ピンポーン」と鳴らして郵便配達人が現れたときも、犬は吠え立てる。郵便配達は、犬が吠えたからではなく、郵便物をポストに入れたから立ち去るのだが、犬にとってそれは「ワンワン吠えた→侵入者が去った」こととして強化・学習される。およそ日常のあらゆる場面で、飼い主にとっての「困った行動」がこうやって育てられていく。

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自然淘汰と並んで現代進化論の中核をなす論理, 2006/3/13
レビュアー: 黒影 - レビューをすべて見る
分子進化の中立説とは、木村資生によって提唱された進化に関する学説のひとつである。
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>タイトルには「中核」という表現がありますが、その後に「論理」と書いています。ここに、通説であると認めたくないから「論理」と書いて少しでも格下扱いしようという気持ちがにじみ出ています。

上記の文章の「いったいどこに」怪獣が潜んでいるだろう。ところが、メビウス氏はそこに「怪獣がいる」と「察知」してしまった。メビウス氏の「思い込み」はことのほか唐突で、無軌道である。しかもその思いつきは、度重なる「ダーウィン派」だとか「総合説による主張」を見るにあたり、関連づけ→強化を繰り返してきているものと思われる。
さらに、

>1968年に木村資生が分子進化中立説を主張した時、「ダーウィンの進化論」は分子進化の単位でも適用できるという通説との間で激しい論争が繰り広げられました。そしてその結果、「ダーウィンの進化論」は論破されました。もはやまともな反論はできなくなり敗北したのです。

この一節では、完全な「捏造」によって怪獣が生み出されてしまった。実際に起きたのは「自然淘汰は分子の単位で起き得るのか?」という議論であり、メビウス氏自身による導入部、
『「ダーウィンの進化論」は分子進化の単位でも適用できるという通説との間で激しい論争が繰り広げられました。』
においても、正しい。
ところが、「ダーウィンの進化論は論破されました」となんの脈絡もなく事実が歪曲されている。この議論において得られたことは「自然淘汰は、分子レベルで働かないものと思われる」という暫定的な結論であり、それは表現型として観察できないような「仮想の変異」が、現実の淘汰圧を受けるとは考えにくいという、至極当たり前の結論である。あらかじめ「ダーウィンの進化論」にある自然淘汰のメカニズムが働かないであろう「場」において、当然、「やっぱり働かないだろうね」という結論が出てきただけなのだ。

>分子進化中立説が、今日、「ダーウィンの進化論」と対立していないのは「ダーウィンの進化論」が分子進化中立説との論争で敗北したからです。

前記したように、↑の主張は完璧に誤りである。メビウス氏は怪獣を育てるのが巧く、育てられた怪獣は、もはやメビウス氏を「支配」するほどに強いのではないだろうか。ここでメビウス氏の怪獣が「ワンワンと吠えるであろう」ことを予期しながら、それでも敢えて書いておこう。分子進化の中立説は、生物進化の「基本的で最も重要な疑問」に答えてくれるものではない。

最後に、リチャード・ドーキンスによる「悪魔に仕える牧師」から、この部分を引用してみよう。

---------------------------------------------------------
 一方で、完成化の問題について、私の思うに、グールドは「中立突然変異」の関与を誇張しすぎている。分子遺伝学者は当然、分子的な事象としてのDNAの変化に関心を寄せ、タンパク質の機能に影響を及ぼさないものを何であれ中立突然変異と呼ぶのは無理からぬことである。それらは。科学的興味からすれば、いかなる意味でも、まったく突然変異などではないのだ!もし分子中立主義者が正しければ、彼らの中立突然変異なるものは、野外生物学者から、そして自然淘汰から、永遠に隠されたままにとどまるだろう。そしてもし、野外生物学者が実際に表現型に変異を認めるならば、その変異が淘汰に関して中立かどうかという疑問は、生化学実験室で決着をつけることができないのである。(p.338)
--------------------------------------------------------


私はとりあえず  投稿者:ゆん(♂) 投稿日: 2006年08月15日16時00分

「メビウスさんはダーウィンがとっても憎いのだなあ」と受け取りました。

論点違うのかも知れないけど、それしか読み取れなかった(^^;


横・中立説  投稿者:AH1 投稿日: 2006年08月15日15時49分

>文意がさっぱり分からない。

ダーウィニズムは連戦連勝じゃないだろ、負けを認めろ!
という意味であろうと理解しました。

表現型に現れない変異に対して自然選択が作用するかどうかは確かに疑問ですし、
そもそも最初は「見てもわからない遺伝的変化」なんて考えられてもいなかったでしょう。
また数理的に遺伝的浮動の効果を導入したのも中立説の成果でしょうね。でないと「中立・ないし多少有害な形質であっても広がる場合がある」なんて思い付かない。

とはいえ、表現型に出てしまい、明らかに淘汰圧がかかるような形質の振舞いを全て中立説で説明しようなんて、木村資生自身が考えてなかったと判断してるんで、「負けを認めろ!」と迫っておられるのはちと、やりすぎな感を受けます。

私は「自然選択だけでは説明できない部分を中立説がちゃんと説明できている」と理解してるんですが、メビウスさんは並列的な扱いでなく「ダーウィニズムを補完している」と言われるのが気に入らないのではないですか。


メビウスさんへ  投稿者:カクレクマノミ 投稿日: 2006年08月15日15時24分

ラマルクばんざーーーーーーい。

これで満足?


ついでに  投稿者:大文字ナン 投稿日: 2006年08月15日15時02分

>これもダーウィン、あれもダーウィン 投稿者:メビウス 投稿日: 8月15日(火)12時57分6秒

↑の発言も、かなり「おかしい」ぞ。
ていうか読みづらすぎるし、文意がさっぱり分からない。


Re:定向進化観  投稿者:大文字ナン 投稿日: 2006年08月15日14時59分

え〜、順不同にいきます(笑。
理由は、とりあえずあからさまに「そりゃちがうよ」という発言にレスを返すほうが、書くのが楽だからです。
というわけでメビウスさん、すでにカクレクマノミさんからフォローをいただいていますが(しかも、ほぼ私のスタンスを的確にご理解いただいています)、いったいどういうバイアスに基づいた「反論?」なのでしょう。少し困惑さえいたします。

>この認識はゆるやかな定向進化観と言っても良いのではないでしょうか。

ここでいう「定向進化観」とはどのような意味合いですか?
私は、まさに、カクレクマノミさんが書かれているように、
・地球の歴史を繰り返したとしたら、だいたい同じような生物たちが繁栄すると思われるが、ヒトやアリが今のかたちそのままで生まれたり、繁栄するかどうかは定かではない。
・しかし、ヒトは生まれず、いわゆる「二足歩行の”知的”とか思い込んでいるイキモノ」さえ繁栄しないかも知れないのに関わらず、その生物学的デザイン、行動様式、食物連鎖などという視野においては、ほとんど同じような「系」が生じるだろう。

ちなみに…私の1年以上前の発言にある
>少しばかり地盤の様子が違えば、別の歴史では数キロはなれたところを川が走るでしょう。

というのがまさにそれです。
カンブリア紀の大爆発による生物学的デザインの氾濫の後、生き残った生物が今の歴史とは違うものになることなど、十分に予測できることでしょう。また、それ以後、大規模な「基本的な生物学的デザインの変遷」が起きていないという巨視的な事実は、おそらく再現されそうな項目です。つまり、場合によっては脊椎動物が絶滅してしまったり、巨大節足動物が地上を支配することだってあり得ることですが、それは私の視点によれば「小さな違い」に過ぎない、ということです。


進化の傾向のテーマなら  投稿者:匿名希・望 投稿日: 2006年08月15日14時18分

ワンダフルライフ』より『フルハウス』の方をお奨めしますけどね。
人間中心主義をこきおろす点にかけては数枚上手を行ってます。


これもダーウィン、あれもダーウィン  投稿者:メビウス 投稿日: 2006年08月15日12時57分

ミケさんのリンクからアマゾンの進化論関連本へとたどりつきました。そこで「黒影」氏という方がレビューで誇大宣伝をしています。分割して引用、批判したいと思います。
*************************************************
分子進化の中立説」向井輝美
自然淘汰と並んで現代進化論の中核をなす論理, 2006/3/13
レビュアー: 黒影 - レビューをすべて見る
分子進化の中立説とは、木村資生によって提唱された進化に関する学説のひとつである。/////////////////////////////
*************************************
確かに進化に関する学説の一つには違いありませんが、分子進化中立説は通説です。それをきちんと書かなければ、分子進化中立説を過小評価していることになります。タイトルには「中核」という表現がありますが、その後に「論理」と書いています。ここに、通説であると認めたくないから「論理」と書いて少しでも格下扱いしようという気持ちがにじみ出ています。
*****************************************
その概要は、DNA分子レベルでの遺伝子の変異は多くの場合、コドンやタンパク質立体構造の冗長性によって吸収される為、生物の生存にとって有利でも不利でもない中立的な変異であるとするものである。このようにして生じた変異の一部は確率論的に集団に広まり固定化されるため、進化には自然淘汰がもたらすもの以外に中立的な変化が存在する。 /////////////////
***********************************************
これも紛らわしい言い回しです。中立ではなく「わずかに有害な形質を持った個体が存在する」と書くべきですが、提唱者の木村自身が「中立説」と名付けたことをいいことに、変異によってもたらされた形質のほとんど全ては生存上わずかに有害あるとは書いていません。「生存上わずかに有害」と書くと「適者生存」のイメージが弱まりますからそれを避けたのでしょう。
*********************************************
良く誤解されているのだが、分子進化の中立説はダーウィンの進化論と対立するものでなく、これを補完するものである。/////////////////////////////////////
******************************************
「黒影」氏は、タイトルには「自然淘汰と並んで現代進化論の中核をなす論理」と書いておきながら、とうとう本音が出て「補完」にまで格下げになりました。1968年に木村資生が分子進化中立説を主張した時、「ダーウィンの進化論」は分子進化の単位でも適用できるという通説との間で激しい論争が繰り広げられました。そしてその結果、「ダーウィンの進化論」は論破されました。もはやまともな反論はできなくなり敗北したのです。ただし、分子進化中立説を主張する側も、進化論全体の通説が自然選択説であることは認めています。分子進化中立説が、今日、「ダーウィンの進化論」と対立していないのは「ダーウィンの進化論」が分子進化中立説との論争で敗北したからです。
********************************************
ダーウィンの進化論をベースにメンデルの遺伝の法則や分子進化の中立説、近年の分子生物学の成果を加味して再編成された現代の進化論は、総合説と呼ばれている。/////////////////
******************************************
1930年代から1950年ごろにかけて、集団遺伝学や地質学、古生物学など進化に関連する分野からの研究を取り入れたのが総合説だったのではないのでしょうか。「分子進化の中立説、近年の分子生物学の成果を加味」するよりずっと以前から総合説はあったのです。疑似科学ではなくちゃんとした科学なら、科学者は、これまでの研究でどの部分が誰の業績かを正しく識別し、また、大きな貢献を果たした研究者の学説にも間違いがあることを指摘することをためらわないでしょう。

これもダーウィン、あれもダーウィン、
たぶんダーウィン、きっとダーウィン♪、
いったいいつから松坂慶子はダーウィンになったんですか。
(愛の水中花/松坂慶子)


ワンダフルライフ  投稿者:カクレクマノミ 投稿日: 2006年08月15日12時09分

>しかし、「ワンダフル.ライフ」でグールドはカンブリアの爆発以降、進化のテープを再生すれば毎回異なるものになるだろうと言っています。

横レスですが。

大文字ナンさんは、おそらく収斂進化のような現象を念頭において発言されているのではないかと思います。
たとえば、グールドによれば、ピカイアやその近縁種が生き残らなければ、その後の脊椎動物の進化は起こりえませんでした(現在ではピカイアより古い脊椎動物化石も見つかっていますが、時代が遡るだけで話は同じです)。
ですが、もし脊椎動物が生まれなかったとしても、現在脊椎動物が占めているようなニッチを占める動物は、きっと生じていたでしょう。それは、複数の系統が同じようなニッチに適応して、同じような形質を進化させる現象(収斂進化)を見ればわかります。たとえば、鳥と同じような飛行能力は、節足動物の昆虫も進化させることができました。
グールドは、どの系統が生き残って繁栄し、どの系統が衰退して滅びるかについての偶発性を強調しています。しかし、彼はどのようなニッチが占められるかについての偶発性にはほとんど注目していません。
つまり、脊索動物門脊椎動物亜門哺乳綱霊長目ヒト科ヒト属ヒトが生じたかどうかは偶発的ですが、だからといって何かしらのヒト的生物が生じたかどうかまで偶発的だとはいえない、ということです。
もっと強く言えば、ヒト的生物が占めるべきニッチは必ずあるのだから、生命のテープを何度再生しても、別の系統からヒト的生物が進化してくるはずだ、という考えもあります。この立場は、サイモン・コンウェイ・モリスなどが採っているものです。また、地球外に知的生命が存在しているという考えも、この立場に近いといってよいでしょう。

僕は、コンウェイ・モリスにおおむね賛成していますが、ヒトのようにかなり特殊なニッチを占めている生物については断言できないと思っています。

…と、大文字ナンさんの意図を勝手に解釈して長々と書いてしまいましたが、もし意図と違ったらご指摘ください>ナンさん

ついでに、僕としては、「ワンダフル.ライフ」は名著ではあるものの、間違いもあって問題の多い本だと考えています。(行動学でいうところの、ローレンツ「攻撃」みたいなものかな。)
なので、一読の価値はあるにしても、コンウェイ・モリス「カンブリア紀の怪物たち」やドーキンス「虹の解体」「悪魔に仕える牧師」「祖先の物語」(祝邦訳!)、フォーティ「三葉虫の謎」「生命40億年全史」などの反論も併読することをオススメします。


RE:分化方法、分化方法JOQR  投稿者:yebisu500 投稿日: 2006年08月15日 8時11分

tema さんへ

ご質問の趣旨とはずれますが、こちらに面白いインタビュー記事があります。

http://www.moriyama.com/netscience/Yamato_Masayuki/index.html

 組織培養→移植っていうのは、ヒトではうまくいかない、でどうするか、といった内容ですが、   No.08 のところで胃壁の上皮細胞だけを膀胱のものに変えて、膀胱再建を行う、といった研究に触れられています。


徒然なるままに  投稿者:sci98 投稿日: 2006年08月15日 8時08分

仮説演繹法についてですが、ようさんがどこを勘違いしているか考察してみました(まあ、全部想像ですが)。

「PならばQなり、Pなり、ゆえにQなり」仮言三段論法で、もちろん演繹法なんですが、ようさんはここで「前提が真(公理等)あるいは真である蓋然性が高いならば本来の演繹法、真偽不明(仮説)ならば仮説演繹法」と考えているんじゃないでしょうか?
(「本来の演繹法」なんて言葉はまず使いませんけど、ようさんは「仮説演繹法は演繹法の一種で、仮説でない(本来の)演繹法と仮説演繹法がある」と考えておられるようなので、それに合わせた言葉にしています。)
もちろんそれは誤りで、前提の真偽は健全さを左右するのみで、演繹法か否かには関係ありません。

ただ、たとえば前提に恒偽式を持ってきた論証は、常に妥当になりますが、なんの力もありません。演繹法が力を発揮するのは前提に真なる命題を持ってきたとき(健全な論証のとき)です。
なので、たとえば社会学者の書いた一般書などでそこらへんがすごく強調されていたりすると、ようさんあたりは勘違いしてしまうのかもと思います。さらに、そういう勘違いをしているものだから、仮説演繹法という言葉を聞いて、「本来の演繹法は前提が真または真の蓋然性が高いのに対し、前提が仮説のとき仮説演繹法というんだな」と勘違いしたのではないかと。

なんてことを
>本来の演繹法と言うのは「一般的説明原理」の妥当性が高い、正当性が認められる、
(byようさん)
という一文を読んで思いました。


re:自然選択→最適化  投稿者:yebisu500 投稿日: 2006年08月15日 7時58分

通行人A さん

 ずいぶんと間があいてしまいましたが、以前のご質問にお答えします。

> yebisu500さん
> この場合のパラメータの最適化とは、具体的に何を言っているのか、また、どこまで進むと考えておられるのか、教えていただけないでしょうか。

 パラメータの最適化といっているのは、遺伝的アルゴリズムで解こうとしている問題のことです。思いつきの例で申し訳ありませんが、例えば、飛行機の翼の形状を設定しようとしたとき、縦横比、断面形状、翼端の形状、後退角、などなどを数値化されたパラメータとして定めます。そして、あるパラメータが与えられたとき、成田-ニューヨーク間の燃費が計算できます。いわば、この燃費が適応度になる訳です。そして、燃費最小のパラメータを求めれば良い訳ですが、そこに活用できるのが遺伝的アルゴリズムです。
 個々ののパラメータのすべての組み合わせを試せば、最適解が求められる訳ですが、それでは膨大な時間がかかってしまうので、いくつかの組み合わせからスタートして、より最適に近い組み合わせを見つけよう、というものです。

 どこまで進むか、は、当然ながらどこまで計算するかにかかっています。うまく条件を設定すれば、短時間で最適解が求められることもあるでしょうし、条件がまずいといつまでも凖最適解から抜け出せないでしょう。しかしながら、多くの実用的な問題は「今よりよければ OK」なので、かならずしも「最適」である必要はありません。このあたりも生物の進化に似ていると思います。


通行人A さんへ  投稿者:ミケ 投稿日: 2006年08月15日 7時34分

横レスですが、なんでミケに訊いてくれなかったのか。

さて、先のあなたの投稿には自然選択の母数の過小評価がみられますね。
参照
http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/study/5329/1154233566/2

たとえば大腸菌などは、500塩基/秒で複製します。
生命発生当時の「自己複製分子」はそれよりもう少し複製効率は悪いでしょうが、
これが細胞になるまでに何回複製し、いくつの分子が生まれたと思います?
また、最初の細胞から多細胞生物に至るまで、
あるいは最初の単純な多細胞生物から臓器を持った複雑な多細胞生物に至るまで、
何個体の生物が現れたと思います?

生物というのは複数個体(数百からときには数万以上)の個体群として成り立っていることを忘れてはいませんか?


あと、「個々に無数の選択が必要」についてですが、
仮にある遺伝子Aが最適化(*)されるのに10兆世代、
ある遺伝子Bが最適化されるのに10兆世代かかるとしましょう。
AとBが共に最適化されるには何世代かかるでしょう?10兆+10兆で20兆世代?
いいえ、答えは10兆世代です。
自然選択は各遺伝子に対して独立に、しかし同時に働くことを忘れてはいけません。
ちなみに各遺伝子が協調的に進化するならば、もっと短くなる場合もあります。

もしあなたが、純粋に学問的興味から質問されているのであれば、
↓こちらに質問してくだされば、ある程度難しい内容でもお答えするつもりですがどうでしょう。
http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/study/5329/1154233566/
ココを勧める理由は最初の投稿に書いてあります。

(*)最適化なんてほとんど幻想である点には注意が必要。この世に完全なものなんてないのだ。


皆さん書き込みも盆休みですか  投稿者:メビウス 投稿日: 2006年08月15日 4時30分

大文字ナンさん ツリー式掲示板 2005年3月11日 (6839)
>何度地球の歴史を繰り返しても(生物が生まれる、という前提に立つなら)進化は起きるでしょうし突然変異と自然選択によって複雑で多様な自然を形成することでしょう。しかし、人類が生まれたり、アリが生まれるかどうかは分かりません。いえることは「だいたい似たような生物が繁栄するだろう」ということです。>>つまり、私たち人間が人間であることは、河川が地図に描かれたように形成されることとほぼ同義であると思います。少しばかり地盤の様子が違えば、別の歴史では数キロはなれたところを川が走るでしょう。>>

この認識はゆるやかな定向進化観と言っても良いのではないでしょうか。

しかし、「ワンダフル.ライフ」でグールドはカンブリアの爆発以降、進化のテープを再生すれば毎回異なるものになるだろうと言っています。大文字ナンさんも同書の魅力の1つとして『単細胞生物が多細胞生物になりやがては人類に「至る」一本の道を描くという、重大な「誤解」への明快な回答。』を指摘されています。

これは冒頭で引用した発言とほとんど逆ではないかと思うのですが。もちろん、意見が変わることそれ自体をとやかく言うつもりはありません。そんなことを言ったら、私なんかどれほど「誤爆」(無鉄砲に論戦を挑む)、「迎撃」(論破される)、「戦後復興」(意見を修正する)を繰り返したか数え切れません。

ただ、進化観に変化があったのか、もしないのなら冒頭の発言と「ワンダフル.ライフ」についての一見食い違っているように見える発言が、どのように首尾一貫しているのかご説明願えませんか。

なお、私への返答は通行人Aさんへの返答の後でかまいません。


自然選択→最適化  投稿者:通行人A 投稿日: 2006年08月15日 3時13分

大文字ナンさん
前回は、私の疑問の内容がわからなかったようですので、もう少しわかりやすく書いてみたいと思います。コドンとアミノ酸の関係が構築されるまで、回数的にどのくらいの選択が行われたのか。特定の組織に特定のタンパク質が最適化されるまで、どのくらいの自然選択が回数的に行われてきたのかを考えてみます。アミノ酸の配列は無限で、その中から、一組織に一種類のタンパク質を最適化していく過程は、回数的に無数の自然選択が必要になってくると思います。そして、その組織と関連している組織のタンパク質の最適化も無数に存在することになります。なぜなら、組織と組織の関連付けは、組織同士が関連付けようとして、触手を伸ばしているわけではないからです。遺伝情報の塩基配列という偶然がたまたま、関係を持たせるに至ったに過ぎないので、過去の経験に関係なく、ゼロからスタートして自然選択が行われることになると思います。人の場合、タンパク質の種類は、5万種以上あるようですが、それらすべてが最適化されるには、天文学的確率どころではないと思います。
また、リボソームのような翻訳機やモータータンパク質、あるいは臓器といった精密機械的なものになると、その形が作られるまで、回数的に相当な選択が行われる必要があると思います。形が作られてからさらに機能を持たせるに至るまでにも、回数的に相当な選択が必要になってくると思います。それに、リボソームは、mRNAやtRNAと関係を構築していくにも、その機能がうまく働くまでは、回数的に相当な選択が必要になると思いますし、また、特定の物質を人間が歩くのとまったく同じ格好で歩いて運んでいるモータータンパク質なども、ただ、発着点だけでなく、その機能的な歩き方を身につけるだけでも、回数的に相当な選択が行われなければならないと思います。そして、遺伝情報の塩基配列が人体のすべてを決めている関係上、無数の組織は、他と何の関係も持たず、個々に無数の自然選択が必要になってくることを考えると、これは、不可能以外の何者でもないような気がするのですが。ということを聞いていたわけです。


「ワンダフル・ライフ」  投稿者:大文字ナン 投稿日: 2006年08月15日 1時44分

はやしさんへの直接的なレスではありません。

カンブリア紀の化石標本、あるいは、先カンブリア紀〜カンブリア紀の「大爆発」について興味があるなら、なにを置いてもグールド著「ワンダフル・ライフ」をお奨めします。
この本は、ダーウィニズムをどう捉えるかなど「抜き」にしても、進化、あるいは、地球上の生物の歴史、について興味があるのだったら、必ず一読の価値があります。

・生物が「多細胞」になるまで、どれだけの時間を要したのか。
・単細胞生物が多細胞生物になりやがては人類に「至る」一本の道を描くという、重大な「誤解」への明快な回答。
・これまで一体どれだけ多数の「種」が絶滅し、生物学的な「デザイン」に膨大なバリエーションが存在していた驚き。
・科学の営みとは「訂正・修正」の連続であることと、その具体的な物語。
・節足動物または「体節」を持つ生物学的デザインによる進化の検証。

など、とても要約しきれるものではありませんが、とにかく読んで「おもしろい」と唸れる一冊です。


カンブリアの爆発と眼の進化  投稿者:メビウス 投稿日: 2006年08月14日13時25分

はやしさん
>なぜカンブリア紀とされる地層から突如として膨大な化石が現れるのかという謎、に誰か答えてもらえませんでしょうか?>>

これについては、
A.パーカー「眼の誕生--カンブリア紀大進化の謎を解く」(草思社)がおすすめです。

太陽の光が海中にも届くという外的環境の変化が引き金となって、眼がよく見える動物が生存闘争で有利になりました。その連鎖で、まず三葉虫、そして節足動物、さらにほとんど全ての動物が眼を進化させました。捕食/被食という生物間相互作用が進化の動因として強く作用するようになりました。結果として、硬組織をはじめとしていろんな形質が進化し、また、いろんな形の動物が誕生しました。

「進化論は帰納法で立論されていない」という人との論争の最中にある方が何度か眼の話をしようしましたが、その論争が落ち着いたので、やっと眼の話ができるようになりました。

カンブリアの爆発に関してはさまざまな意見があるかと思いますが、少なくとも前記の本の要約はこれで間違いないですよね。


「進化論に疑問あり」について  投稿者:NATROM 投稿日: 2006年08月14日 3時01分

進化論に疑問あり」、リチャード・ミルトン著は、主に若い地球の創造論をネタ元にしており、ダーウィン進化論のみならず地質学、天文学、放射性同位体による年代測定法まで批判の対象にしています。内容は信頼できません。ネタの多くはFAQであり、私のサイトをはじめとして、日本語のサイトでもけっこう回答を得られます。とりあえず、はやし様があげられた「問題点」とやらに回答します。


>シベリアの凍土に生き埋めになっている何千万頭のマンモス(だけではないですが)の謎

ええと、何千万頭も生き埋めになっているんですか?そもそも事実確認の時点で誤認がありそうです。何千万頭ではないにせよ、複数のマンモスが発見されていますが、それぞれの個体に推定年代はバラバラです。斉一説の問題点どころか、一度の激変によるものではなかったことを示す証拠となります。「胃の中に温帯地方にしか生えていない青草が!」と話もありますがガセです。比較的寒い地方で、たとえば泥沼に落ちて溺死したりした場合に、冷凍状態で保存されることは容易に予測できることです。過去ログではこの辺。

http://members.jcom.home.ne.jp/natrom/board041126.html#0411241121
http://members.jcom.home.ne.jp/natrom/board041126.html#0411240918


>グランドキャニオンの広大な堆積地層の謎

広大な堆積地層がなぜ斉一説の問題点になるのでしょう?普通に長時間かけて堆積したとは考えないんですか?私のサイトのコンテンツの一つの「洪水地質学とはなにか?」で詳しく論じています。以下に、専門家による言葉を引用します。

そこでわれわれの主張はというと、たとえばアンデス山脈のような場所では堆積岩が何千メートルもの厚さに達しているかと思うと、(北アメリカ大陸の核岩である花崗岩をかつては覆っていた少量の堆積物も浸食によって取り除かれてしまったカナダ中部のように)まったく存在しない場所もあるという記録を、どう説明するかというものである。そのような、いうなれば不均一な堆積物の分布を、地質学者は堆積作用と浸食作用がふつうのしかたで作用した結果として説明する。堆積は海が陸を覆っていた場所で起こるし、浸食は地殻の岩石が大気にさらされた時点で起きるのである。それを科学的創造論者たちは、そうした系列全体は一回の激変的な洪水の産物であると考えている。(エルドリッジ 1991 P152)
http://members.jcom.home.ne.jp/natrom/flood.html


>先カンブリア紀の地層とカンブリア紀の地層がなぜ不連続なのか

どこでも不連続なんですか?もちろん、不連続である場所もあるでしょう。現代の地質学が正しければ、不連続である場所もあれば、そうでない場所もあると予測します。ていうか、年代を考えれば、不連続である場所が多くて当たり前。「カンブリア紀」「不連続」でググったら、以下のサイトを見つけました。

万国地質学会のワークショップが1995年に中国で開かれた時、カンブリア紀とそれ以前プレカンブリア紀の境界の模式的な地域として、この澄江が選ばれたのです。その理由は、ここの地層には、プレカンブリア紀とカンブリア紀の時代境界部が連続的に堆積しているからです。他の地域にも、この時代境界の地層はあるのですが、断層や不整合などと呼ばれる不連続な境界であるために、時代境界で何が起こったかを調べるのには不適切な素材なのです。澄江では、境界部が連続的に残されているので、何が起こったかのかを研究するには最適なのです。
http://www1.tecnet.or.jp/earth/4Travel/4_06.html


>なぜカンブリア紀とされる地層から突如として膨大な化石が現れるのかという

現在では、先カンブリア紀の地層からも、それなりに化石が発見されています。カンブリア紀に急に多くなったように見えるのは、生物のサイズが大きくなったことと、骨格を持ち化石に残りやすくなったことで説明がつきます。


他にも疑問点があればどうぞ。一つだけアドバイスしますと、「ダーウィニズムが立脚する斉一説にはそれ以上にいろいろと問題があります」という結論に達する前に、進化生物学や地質学について一通りの勉強をすることをお勧めします。進化生物学について全くの無知であれば、間違ったことしか書いていないインチキ本に騙されることだってあるでしょう。


「進化論に疑問あり」について  投稿者:はやし 投稿日: 2006年08月14日 0時18分

十年以上前に出版された本ですが「進化論に疑問あり」という日本語タイトルの本をつい最近読みました。この本の内容について、ご存知の方がおられましたら、ご意見をお伺いしたいと思います。ちなみに、この本を読むまでのわたしは斉一論の支持者でしたが、これを読んでからは斉一論より創造論の方にむしろ説得力があると感じております。もちろん創造論にもいろいろ問題点があることは承知のうえですが、ダーヴィニズムが立脚する斉一説にはそれ以上にいろいろと問題があります。但し、創造論とはいってもわたしは聖書の記述をそのまま信じる必要はないと思っています。とりあえず斉一論の問題点として、特にシベリアの凍土に生き埋めになっている何千万頭のマンモス(だけではないですが)の謎、グランドキャニオンの広大な堆積地層の謎、先カンブリア紀の地層とカンブリア紀の地層がなぜ不連続なのかという謎、またなぜカンブリア紀とされる地層から突如として膨大な化石が現れるのかという謎、に誰か答えてもらえませんでしょうか?他にもいろいろと聞きたいことがありますが、それはおいおいこの場で議論を深めていければよいと思っています。


くそぅ…  投稿者:大文字ナン 投稿日: 2006年08月13日21時56分

>分化方法JOQR

 「JOQR」という「センモンテキナナニカ」があるんだ、と思ってました。
 しかし数分前…

 負けた気がしました。


分化方法JOQR  投稿者:tema@話の流れは気にしない 投稿日: 2006年08月13日 9時26分

 皮膚細胞から万能細胞を作ることに成功した、とニュースになってました。
http://www.asahi.com/science/news/TKY200608100477.html

 分化された細胞から万能細胞を作る方法は色々研究されているようですが、万能細胞を分化する方法についてはどの程度研究が進んでるのでしょうか?

 想像ですが、たとえば万能細胞に肝臓内を流れるホルモンを与えれば、肝細胞に分化するように思います。もしそうなら、それらのホルモンまで特定されているのでしょうか?

 教えてエライ人。


長くなった  投稿者:sci98 投稿日: 2006年08月13日 7時33分

>>どのような名前がついていようと関係ありません。
>ここまで言っちゃうと「暴力」だよ、ファシズム(笑)。

「仮説演繹法という名前がついているから演繹法なんだ!」というほうがよほど乱暴です。


>一冊読んで勉強したのはエライがね。

一冊?それであんなこと書くわけがないでしょう。高々一冊の本しか読まずにあんなこと書く人がこの世にいるんですか?


>引用の文章は「特徴」を示したに過ぎないんだ。

「必ず備わっている特徴」というならその通りですが、それが何か?
「演繹的論証は、基本前提がすべて真ならば帰結も真である」
「帰納的論証は、基本前提がすべて真であっても帰結が真とは限らない」
以上は理解できますよね。
逆に言うと(論理学的には対偶というべきだが)、
「ある論証が、『基本前提がすべて真であっても帰結が真とは限らない』ならば、それは演繹的論証ではありえない」
わけです。論証というのは演繹か帰納しかありませんから、演繹でありえないなら帰納ということになります。


>よく考えてくれ、演繹法と言うのはすでに仮説理論が「在る」って事。
>帰納法は既存の仮説理論がないときに新しく「立論」する時に使うんだ。

「演繹法では弱い結論(前提に含まれる結論)しか出せない、強い結論(前提に含まれない新しい結論)を出すには帰納法による」のはその通り。
で、実は仮説演繹法は、強い結論(前提に含まれない新しい結論)を出すときに使うんです。これからみても、仮説演繹法が帰納的論証であることがわかります。
上記の記述が信じられないなら、一度仮説演繹法の論証について、論理記号を使って論理式にしてみましょう。せっかく論理学には論理式という強力なツールがあるのですから、論理学の話をしているときに使わないと損です。


>だから「もし〜がこうだとすると」という仮定条件(又は公理)が付くの、
>帰納法には。

演繹と帰納を条件の付く付かないで区別することはできません。

たとえば「もし〜がこうだとすると」というのが付いている
((P⊃Q)∧Q)⊃P
は帰納的ですよね。しかし同じく「もし〜がこうだとすると」というのが付いている
((P⊃Q)∧P)⊃Q
は演繹的です(まさか上記論理式は両方とも帰納的だとはいいませんよね)。

私が前回の発言で引用した本は「例題で学ぶ」というタイトルが付いているんですが、それに載っている例題で、「次の各論証を演繹的なものと帰納的なものに分類せよ」というのがあります。たとえば以下。
-------ここから-------
1.雨が降っているときはたいてい降っている
 いま雨が降っている
∴いま曇っている
2.ある豚には翼がある
 翼のあるものは皆歌う
∴ある豚は歌う
3.もし核戦争が起こったならば、文明は破壊されるだろう
 核戦争は起こるだろう
∴文明は核戦争によって破壊されるだろう
-------ここまで(前掲書籍「例題で学ぶ〜」 P31より引用)-------
ようさんにこれが解けますか?


>どんな文章であれ、今までにない事を説明するには「帰納法的に立論」する以外に方法はないでしょ?
>そこんところよく考えて。
>科学的な文章じゃなくても、先行き何が起こるか判らない時に何事か決断するでしょう?
>毎朝の出勤のような「ルーチンワーク」的なものだったら(経験的な事柄)
>「昨日もこうやった、だから今日もこれでやる」と言うのは「演繹法」。

誤りです。
「昨日8:00発の電車に乗って遅刻しなかった。今日も8:00初の電車に乗れば遅刻しないだろう」
「昨日太陽が東から昇った。今日も太陽が東から昇るだろう」
「昨日は8月12日だった。今日も8月12日だろう」
以上はすべて帰納的論証です。


>でも非日常的な事柄(同じ経験がない)に直面した時、
>今までの全人生の個別の経験からいろいろな情報を持ってきて、
>似たような状況を考えて推論するでしょう?そして何事か決断(結論、立論)する訳です。
>こう言う思考方法は帰納的、と言う事。
>そして次に同じような事柄に出くわせばその時の決断の成果によって判断するのですよ、
>それはつまり演繹法なんですよ。

どこからそんなガセネタ持ってきたんでしょうか?


>「仮説演繹」と言う言い方は、
>本来の演繹法と言うのは「一般的説明原理」の妥当性が高い、
>正当性が認められる、と言う事ですが、

誤りです。
1.麻原の教えは絶対善である
地下鉄サリン散布は麻原の教えに基づくものである。
∴地下鉄サリン散布は善行である。
2.3は偶数である。
偶数の2乗は奇数である。
∴9は奇数である。
3.犬は魚である
 魚は温血である。
∴犬は温血である。
以上はすべて演繹的論証です。


#ちなみに、ようさんの文章の「妥当性」は「蓋然性」の誤りですね。
#論理学において「妥当」「非妥当」は前提と結論の関係を指す性質です。
#(論理学概論 近藤洋逸/好並英司著 岩波書店 P78参照。)


>生産性の問題から妥当性の高低は兎も角、検証に耐えうるか否か、
>と言う事でやってきてるという事です。

さて、「演繹法では弱い結論しか出せない」のはその通り。しかし結論(仮説演繹法は演繹法である)は誤りです。
演繹法では弱い結論しか出せないので、強い結論を求めるなら帰納法を用いることになります。しかし、帰納法は結論は強いものの、論証が非妥当である、という欠点があります。そこで帰納法において、仮説から予測を引き出すときに演繹定理を用いることによって、そこの健全性を確保したものが仮説演繹法なのです(「仮説」に「演繹定理」を用いているから仮説演繹法)。
もちろん、仮説から予測を引き出すときに演繹定理を用いているだけなので、仮説演繹法自体は非妥当です。

|この仮説演繹法は、実は、妥当な推論ではない。
|たしかに、PとP⊃Qからは前件肯定規則によりQが導き出されるが、
|だからといってP⊃QとQがともに真であることからPを導くのは論理的には誤りである。
|P⊃QとQからPを結論する推論は「後件肯定の誤謬」と呼ばれる。
(論理学入門 P53〜54より引用 三浦俊彦/日本放送出版協会)


というわけで、長文になりましたが最後に再掲。

・次の各論証を演繹的なものと帰納的なものに分類せよ
 1.雨が降っているときはたいてい降っている
  いま雨が降っている
 ∴いま曇っている
 2.ある豚には翼がある
  翼のあるものは皆歌う
 ∴ある豚は歌う
 3.もし核戦争が起こったならば、文明は破壊されるだろう
  核戦争は起こるだろう
 ∴文明は核戦争によって破壊されるだろう

・仮説演繹法の論証を論理式にせよ

以上を試しにやってみて下さい。おそらく、自分がどこが間違っていたかわかるでしょう。


人類にとってマルクス主義とは何か  投稿者:メビウス 投稿日: 2006年08月13日 3時34分

>「マルキシズムは科学じゃない」っていうポパーの出発点だけだな。>>

思い出話、ちょっとだけ聞いてもらえますか。
私の大学時代は、今はどうか知りませんけどマルクス主義の先生が多かったです。英書研究のテキストなんかレーニンの「帝国主義論」ですよ。原書がロシア語の本の英語版をプリントして小冊子にしていました。岩波文庫や国民文庫などから翻訳が出ていて、初回の講義でわざわざ先生が日本語版を買っておくように指示していました。

英書研究っていうのは、英語の勉強も兼ねているはずなのに、これでは意味ないですよ。結局その先生は英語なんかどうでもよくて、英書研究に名を借りて「帝国主義論」をしたかったんです。

それは私にとってはいいことでもあったんです。先生の党派性を見極めて、マルクス主義者だとわかれば、学年末試験の時に「資本主義の矛盾はもはや限界に達している」と書いて「マルクス.エンゲルス.レーニンたちは****という著書ですでにこのような状況を予測していた」と先生の党派に迎合する答案を書いておけば優か良を取れましたから。

商学部.経済学部の学生のこの感覚は理系出身者には想像しがたいかもしれませんが。


(無題)  投稿者: 投稿日: 2006年08月13日 2時02分

 進化を実験的に再現あるいは検証することが難しいので、しばしば進化学は「お話」のようにいわれることがある。しかし、現在、進化学は様々な方法で仮説を検証していくことのできる学問になっている。様々な方法が可能であるので、これからまだまだ独創的な手法を生み出していける余地がある。
 また、進化は目の前でみることのできないものではない。グラントらは、ガラパゴスでのここ20年の間のフィンチの進化を記載・解析している(ワイナー『フィンチのくちばし』早川書房は是非読んでみるべきだ)。フィンチのくちばしやサイズは環境の変化にともなって、目にみえる速度で進化をしているのである。また、エイズウィルスや大腸菌なども新しい変異体を進化させ、人間などのホストに対抗しているのである。さらに、最近では、遺伝子の組み替え技術などをつかって、実験的に進化を検証しようとする動きもある。進化学はこれからますます面白くなる分野である。


ポパーの主張を無視しているのは誰?  投稿者:NATROM 投稿日: 2006年08月13日 0時59分

カール・ポパーは、(考えを変えて最終的には)ダーウィン進化論も検証可能であり科学であると認めたんだけど、ようさんはポパーの主張を「無視」しますか?


ようさんへ  投稿者:ギャラリー@勉強中 投稿日: 2006年08月12日22時22分

ポパーの反証主義、徹底的な懐疑は、あなたの「聖書=一般的説明原理」と、どう折り合うんでしょうか。

思うに、「マルキシズムは科学じゃない」っていうポパーの出発点だけだな。違いますか?(ようさんの頭の中ではマルキシズム=進化論=イデオロギー)。困ったものです。


それと、  投稿者:AH1 投稿日: 2006年08月12日20時07分

>カール・ポパーの主張なんかは「無視」しますか?

こういう事を述べるのであれば、ポパーの文献から引用して(そしてどの文献かを他人にわかるように示して)、「ポパーの述べた**の記述に反する、だからおかしい」
と述べて下さいね。

で、「洪水については検証されつつあると言っていいでしょう」のソースは?


だから聞いたのに。  投稿者:AH1 投稿日: 2006年08月12日19時59分

要するに「種分化は特殊なんだ、帰納的に推論できるような他の事例はない」ってのがあなたの言い分だろ?

「非日常的な事柄(同じ経験がない)に直面した時、今までの全人生の個別の経験からいろいろな情報を持ってきて、似たような状況を考えて推論するでしょう?そして何事か決断(結論、立論)する訳です。」
ってあなた自身が言ってる。
なのに「種分化は特殊だから品種改良からの推論を認めない」と言い出すわけだ。
私が「科学の首を絞めている」と言ったのはそういう理由だよ。


そこにいる進化論支持者諸君。  投稿者:よう 投稿日: 2006年08月12日19時40分

>一般的なアブダクションによる仮説検証であれば、仮説は思い付きでもなんでもいいの。ダメだというなら、近代科学のほとんどが崩壊します。

(AHI、「アブダクションによる仮説検証」って言い方がオカシイのに気がつけよ。お前に返信したくないのはこういういい加減さなんだ。こう言いたいのだろう?「アブダクションによる仮説を演繹法で(又は、科学的手法)で検証するのであれば・・・」)

こんな事言わしておいていいのかな?ゆんさん、diamondさんたちは少しは論理学を理解しているのでしょう?カール・ポパーの主張なんかは「無視」しますか?


ついでにsci98へ
>どのような名前がついていようと関係ありません。

ここまで言っちゃうと「暴力」だよ、ファシズム(笑)。一冊読んで勉強したのはエライがね。引用の文章は「特徴」を示したに過ぎないんだ。
よく考えてくれ、演繹法と言うのはすでに仮説理論が「在る」って事。帰納法は既存の仮説理論がないときに新しく「立論」する時に使うんだ。

だから「もし〜がこうだとすると」という仮定条件(又は公理)が付くの、帰納法には。
どんな文章であれ、今までにない事を説明するには「帰納法的に立論」する以外に方法はないでしょ?そこんところよく考えて。
科学的な文章じゃなくても、先行き何が起こるか判らない時に何事か決断するでしょう?
毎朝の出勤のような「ルーチンワーク」的なものだったら(経験的な事柄)「昨日もこうやった、だから今日もこれでやる」と言うのは「演繹法」。

でも非日常的な事柄(同じ経験がない)に直面した時、今までの全人生の個別の経験からいろいろな情報を持ってきて、似たような状況を考えて推論するでしょう?そして何事か決断(結論、立論)する訳です。こう言う思考方法は帰納的、と言う事。

そして次に同じような事柄に出くわせばその時の決断の成果によって判断するのですよ、それはつまり演繹法なんですよ。

「仮説演繹」と言う言い方は、本来の演繹法と言うのは「一般的説明原理」の妥当性が高い、正当性が認められる、と言う事ですが、生産性の問題から妥当性の高低は兎も角、検証に耐えうるか否か、と言う事でやってきてるという事です。
それは検証のテクノロジーが発達して安価で可能になった、という背景があるでしょう。
四の五の考えているより「実験しちゃえ」となり易い、となった訳です。しかし、カール・ポパーが批判したように、「なんでもアリ」で良いのか、と反省したんですよ。

幾ら「仮説」でも論理的で無矛盾な「立論」は欠かせないでしょう。アブダクションの方法を用いてもです。


推論してみた  投稿者:sci98 投稿日: 2006年08月12日15時12分

>>ようさんは、聖書そのものが科学的に検証可能だと考えているのですか?まさかね。wadjaでもそんな馬鹿なことは考えませんから。
>ええ、考えています。検証可能に決まってるでしょう。演繹法ですから、当たり前です。
>貴方は、未だに論理学、科学的手法について理解が十分ではないね。

ためしに聖書における創造論を検証してみます。ちゃんと論理学の手法と観察事実を使って。
(以降、「創造」というのは聖書の文理解釈における「神による天地創造を指す」)

前提1 聖書には創造が記述されている
前提2 聖書の記述は正しい
結論  創造は正しい

これを論理学記号で書き表すと、

(P⊃Q)∧P⊃Q

となります。
いわゆる前件肯定規則の形です。この推論は妥当です(ようさんのいう通り、演繹法です)。
これの対偶をとると、

〜Q⊃〜(P⊃Q)∨〜P

の形になります。

さて、Qにおいて、「顕花植物は哺乳類より先に誕生した」と主張しています。しかし、観察事実は逆です(顕花植物は哺乳類の後に出現している)。つまり、〜Qです。
となると、

〜(P⊃Q)∨〜P

が成り立つことになります。
あとは〜(P⊃Q)なのか〜Pなのか、あるいはその両方か、ということですが、これは論理学の手法ではでてきません。
つまり、論理学の手法と観察事実からいえるのはここまでということになります。

ちなみに、非キリスト者は〜Pと考える人が多いようです(P⊃Qは聖書の文理解釈から成り立ってしまうので)。
キリスト者は〜Pとは考えないため(キリスト教における大前提。〜Pならばキリスト教が成り立たない)、〜(P⊃Q)と考えます。この場合の考え方は色々あって、たとえばカトリックでは「創世記は比喩的に解釈するもので、文理的に解釈するのは誤り」となります。
この場合、比喩的に解釈した「創造」をQ’とおくと

(P⊃Q’)∧P⊃Q’

となるのですが、比喩的解釈を観察事実に合うように行えば、〜Q’は成立しないので、Q’が成立して(Q’∨〜Q’なので)めでたしめでたしです。

なお、上記で「キリスト者は」と書きましたが、これはもちろん〜Qか成り立つことをちゃんと知っている人に限られます。
(P⊃Q)∧Pを主張する人がいたとしたら、〜Qが成立することを知らないか(科学的知識の不足)、〜Q⊃〜(P⊃Q)∨〜Pであることを知らないか(論理学的知識の不足)、ということになります。
たとえば現在までの地質学や生物学における膨大な観察結果を知らなければ、〜Qか成り立つことが理解できないため、(P⊃Q)∧Pが成立すると誤解することができます。例として、創造科学支持者がこれにあたります。

まとめると、
1. (P⊃Q)∧P⊃Q ⇒ 〜Q⊃〜(P⊃Q)∨〜P
2.  〜Q
∴  〜(P⊃Q)∨〜P
ということになります。

#私は論理学には疎いので、上記式に誤りがあれば指摘お願いします。

最後に、やってはみましたけどこの結論に意味があるとは思えません。
聖書を科学的に検証することに意味を見出せないもので…


どんなんだといわれても  投稿者:sci98 投稿日: 2006年08月12日12時20分

>「一種」だからどうなんだ?或いは「同種」だとしてもどうなんだよ?

ようさんは「進化論は論理学的に間違っている」って主張していましたよね。
「進化論は論理学的に間違っている」かどうか判断するためには進化論と論理学の両方の知識が必要になります。
ようさんに進化論の知識がないことはすでに示されていたのでそれだけでもよかったのですが、今回さらに「論理学の知識もないこと」が明らかになってしまいました。
(なにしろ、仮説演繹法を「演繹法だ」って主張していたんですから、論理学の知識がないのは明らかですね。)
なので、ようさんの「進化論は論理学的に間違っている」という主張の蓋然性は、これまで以上に(これより下がないぐらいに)低くなりましたね、ということです。

まさか、「俺は仮説演繹法を演繹法だと勘違いしていたが、論理学について詳しいのだ」などという馬鹿なことはいいませんよね。


新幹線ひかり号は高々250km/hしか出ない  投稿者:sci98 投稿日: 2006年08月12日11時55分

>・仮説演繹法は帰納法の一種である
>・数学的帰納法は演繹法の一種である
>と、大山鳴動してネズミが二匹、ちゅうのがこの騒動の収穫にゃんな。
>ネズミと呼ぶには不適当かもしれにゃーな。目から鱗ではある。

確かに、「仮説演繹法」という名前がついていながら「実は帰納的推論です」というのはわかりにくいな。
まともな資料も読まず(たとえばエントロピーの法則についてリフキンを読むとか、論理学について小室を読むとかしてしまう人)、自分の頭で考える力のない馬鹿が勘違いして、公開の掲示板とかでデタラメ垂れ流したらどうしてくれる(笑)。


演繹と帰納  投稿者:sci98 投稿日: 2006年08月12日11時43分

>自然科学の特定の分野では作業的な類似性を持って「仮説演繹」と称する、と。
>しかし幾ら帰納と演繹が密接な関係であっても「仮説帰納」とは呼ばない。
>帰納法は帰納法であり、演繹法はあくまで演繹法である。

「演繹」とか「帰納」とかの言葉の意味を理解していないようですね。

|論証は、その帰結が基本前提から必然的に導かれるか否かによって、
|演繹的と帰納的のふたつのカテゴリーに分類できる。
|演繹的論証は、もしすべての基本前提(仮定)が真であるならば
|その帰結が真でなければならないような論証である。
|(中略)
|これに対し、帰納的論証は、そのすべての基本前提を承認しても
|帰結は必然的ではないような論証である。
(例題で学ぶ現代論理学1 P30より引用
 J.ノルト、D.ロハティン著/加地 大介訳/マグロウヒル出版)

以上のように、その論証が演繹的か帰納的かは、その帰結が基本前提から必然的に導かれるか否かによって決まります。どのような名前がついていようと関係ありません。
ちなみに、仮説演繹法になんでこんな(「○○演繹法などという」)名前がついているかというと、演繹定理を用いているからでしょう。

|仮説演繹法は、仮説から予測を引き出すときに演繹定理を用いているが、
|全体としては、非妥当な後件肯定の推論に基づいた帰納なのである。
論理学入門 P56より引用 三浦俊彦/日本放送出版協会)

なお、演繹定理というのは
「ある前提狽ノ命題Pを付け加えた場合、妥当な論証によりRが導けるならば、
 狽前提としてP⊃Rを結論する論証は妥当である」
という推論規則で、演繹法のことではありません。

#補足しとかないと、「演繹法」と「演繹定理」をごっちゃにして語る馬鹿が現れかねないので…


本当に自分の首を絞めているんだな  投稿者:クハ72 投稿日: 2006年08月11日18時52分

>進化論は帰納法で立論しなくても良いのか?

進化論が帰納法で立論されていない事は帰納法で立論しなくても良いのか?


進化というアイデアを思いついた人  投稿者:JA50 投稿日: 2006年08月11日17時00分

進化というアイデアを思いついた人は誰なんでしょう?

ラマルクやダーウィンでないのは明か。
彼らは、進化のメカニズムを思いついた人であって、進化というアイデア、そのものを思いついた人ではない。

ある個人にきせられるものじゃない?


異議?アリ  投稿者:谷庵 投稿日: 2006年08月11日16時31分

>科学の首を絞めてるんだよ。

自分の首を絞めているんだと思う。


ひらきなおってどうするよ  投稿者:AH1 投稿日: 2006年08月11日14時41分

>「一種」だからどうなんだ?或いは「同種」だとしてもどうなんだよ?

「それは帰納」「それは演繹」と断定し続けて来た、あなたの論理学とやらが大間違いだ、ということですな。

>進化論は帰納法で立論しなくても良いのか?

上記のように、あなたの論理学の理解が全く一般的でない(普通の言葉で言えば、「間違い」)であるので、あなたの主張する「帰納法で立論せよ」には根拠が認められません。

>イキナリ「進化は在った」から演繹し始めるのが良いのかね?

上記により「帰納法で立論しなければ仮説ですらない」という主張は通りません。一般的なアブダクションによる仮説検証であれば、仮説は思い付きでもなんでもいいの。ダメだというなら、近代科学のほとんどが崩壊します。

>イキナリ「お前が犯人!」それから状況証拠揃えるそして状況証拠だけ。

それ以外のものがあったら観察事実だけで十分だよ。要するにあなたは「オレ様が認める証拠以外は根拠にするな!」「たとえ現実に適合する仮説でも手順を踏んでなきゃ認めん!」「オレ様の手順に従ってさえいれば、事実と全く合わなくても構わない!」と言ってるんだ。
科学の首を絞めてるんだよ。

違うと言うなら、せめて「洪水については検証されつつあると言っていいでしょう」のソースを持っておいで。


連投  投稿者:うだうだ 投稿日: 2006年08月11日 9時24分

前から思うんだが、ネットに蔓延する知ったかぶりにはなんとかならんかと思う。

このHPなんて医者の巣窟だそうだが、悪い噂みたいの話し合ってるのほとんど見たこと無い。得が無いんだよな。だから言う人間って部外者が多いと思うんだが。

まあようさんが何か知ってて言ってるとは言って無いけど、その相手に対して「」で!つけて発言形式になってるのは不味いと思うな。「」内が頭の中なら何か問題あるのかさっぱり分からない。私が無知なのかな?


そうなの?  投稿者:うだうだ 投稿日: 2006年08月11日 9時20分

> イキナリ「お前が犯人!」それから状況証拠揃えるそして状況証拠だけ。

「お前が犯人かな?」

じゃないかな。後いちいちそんなこと言わないでしょ。

私は警察の内情に詳しくないから分からないけど。


携帯なんで  投稿者:wadja 投稿日: 2006年08月11日 8時05分

一言。
谷庵さん、OKです(笑


判定  投稿者:tema 投稿日: 2006年08月11日 7時35分

>今度はどうだ。

 O.K.です。


楽しかったです。  投稿者:メビウス 投稿日: 2006年08月11日 7時00分

どなたの発言か忘れてしまって恐縮なのですが、
リンクを張るなとか自分で表現してみろなどと食い下がることにうんざりして
「私に『種の起源』を書けとでも?」とおっしゃった方がいます。ウケました。

これまで寡黙な印象の強かった谷庵さんが、赤い大きな文字で突っ込んだり、エコーっポイ感じを出そうとしてみたり、お茶目な一面を見せていただきました。

個人的にはとても楽しかったです。まじめに相手をされていた皆様にはホントに不謹慎な発言かもしれませんが。


終わったと言うより  投稿者:谷庵 投稿日: 2006年08月11日 4時57分

私にゃあ、何にも始まってない気がしますな。
「彼」は
>お前らこれから「科学」を語るなよ。
てなこと抜かしとりますが、自分自身語ったことは一度としてない。
慣性の法則でもボイル・シャルルの法則でも良い、それらはこのように科学だと言ったことはない。

動機がもう一つ分からないのだけど、すべては「彼」の進化論への憎悪と科学哲学への無知に始まり、そこから一歩も進んでいない。
終わったと言えば終わったのだけど、最初から終わっていた気がする。

私も
これで最これで最後だ!!
  これで最後だ!!
    これで最後・・・
     (エコーはね)

今度はどうだ。

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・・・・・。  投稿者:よう 投稿日: 2006年08月11日 3時58分

>終わったことにいつまでも食い下がるのは

終わった?終わったてのは・・・・

>・仮説演繹法は帰納法の一種である
・数学的帰納法は演繹法の一種である

この事か?これで終わらせるのは何ら構わんよ。
「一種」だからどうなんだ?或いは「同種」だとしてもどうなんだよ?

進化論は帰納法で立論しなくても良いのか?イキナリ「進化は在った」から演繹し始めるのが良いのかね?
イキナリ「お前が犯人!」それから状況証拠揃えるそして状況証拠だけ。
東京地検特捜部のやり方そのまんまだな。捕まらないように気をつけろよ。

お前らこれから「科学」を語るなよ。


終わったことにいつまでも食い下がるのは  投稿者:wadja 投稿日: 2006年08月11日 0時19分

往生際が悪いと日本語では表現します。

>仮説形成の後に演繹法で検証する、これが仮説演繹法。あくまで仮説形成(帰納法による立論)があって初めて演繹できる。この事を良く腑に落とし込む事だ。

ちゃんと人の説明を消化して下さいね。

>ややもすると横暴・傲慢・慢心に繋がりやすい、と言えるだろう。

自分の不確かな知識に拘泥して、なんら学び取ろうとしない態度のことですか。確かにそうですね。今日は酔っ払っているので、鶏さんの意見に賛同しておきます。

>谷庵さん

改行<
>をお忘れのようです。


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