進化論と創造論についての掲示板ログ367

2006年07月07日〜2006年07月11日
このファイルは、掲示板巡回ソフトのログファイルを元に再構成したものであり、投稿時の状態(フォントサイズ、文字の色、リンク等)をすべて反映しているわけではありません。いくつかの書名にアマゾンのアソシエイトのリンクを張らせてもらいました。
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質問1  投稿者:ユエ 投稿日: 2006年07月11日10時18分

初めまして、私は創造寄りですが進化論も知りたくなり疑問に感じる事を質問させてください。
Q&Aからの質問。
自然選択に批判的な科学者の主張は証拠がない擬似科学でしょうか?
自然選択によりこの先、進化しそうな種は全種ですか?また近い将来、起りそうな予測は立ってますか?

歴史に由来する不完全性について
不必要な例を上げてますがそれは不便とゆのが確定してるのでしょうか?        種の利点を上げ他種に採用されてないのは不自然=不完全の定義にあたるのでしょか?

生物と生物のDNAを比較すれば類似性、断続的が証明でき進化の仮説が立つ所と書いてありますがそれが証明できたらどうして進化の仮説になるのですか?
又、それにそぐわないオーパーツなどはどのように説明できるのでしょか?
原理的に進化論は反証可能だが現在、反証が出てない例は他にありますか?

創造論者が「進化は科学的に正しくない」に上げる例は全て間違いなのでしょうか?
また進化論に疑わしい所は一つもないのでしょうか?

このサイトは全部、読みましたが理解してない所があるので質問の答えはサイトの中にあるモノ、私の勘違いなど上げてください。


Re:癌にも  投稿者:大文字ナン 投稿日: 2006年07月11日10時10分

>癌の治せるAWG照射の機械

治せない場合、どぉなるかな。

>会員になれば誰でも

会員にならなきゃダメなのか。つまり口封じと口裏合わせをしたら、毒電波を浴びてもいいよ!っちゅぅことかな。「怪しい」を通り越してるなぁ。


当然言ってはいけない  投稿者:JA50 投稿日: 2006年07月11日10時00分

癌に効くと言うためには、臨床試験を経て、厚労省に申請し、なんとかいう審査会(薬事審査会だったかな?)から認められないといけない。
それをせずに「何々に効く」と言ったら、薬事法に反する犯罪行為。
もし、医師以外の者が人に使ったら、それが効果があろうがなかろうが、医師法に反する犯罪行為をしていることになる。

近頃、テレビCMでも、ちゃんとというべきか逃げ口を作っているというべきか、画面の下の方に小さな字で、個人的な感想ですとかなんとか書いてあるのは、こういう法律違反を逃れるためです。


雉も鳴かずば撃たれまい  投稿者:RYU_TI_SYU 投稿日: 2006年07月11日 6時43分

>千島学説やソマチッドなどから生まれた機器です

tomo殿はマゾの方なんじゃろうか?

簡単に「ガンに効く」なんて言っちゃっていいんじゃろうか?


癌にも役立つサイト  投稿者:tomo 投稿日: 2006年07月11日 0時26分

癌の治せるAWG照射の機械が横浜の治療研究所にあります
松浦先生の開発した機械です
千島学説やソマチッドなどから生まれた機器です
そこの会員になれば誰でも実際に治療を受けることができるんです

http://www.nihonelec.com


眠いなー  投稿者:wadja 投稿日: 2006年07月10日 0時06分

diamonds8888xさんの教えてくれた、
http://www.dumbo.ai.kyutech.ac.jp/hirata/research/research.html
のアブダクションの説明から、

***********************************
薬剤耐性菌が突如現れる
もし進化が真であれば、薬剤耐性菌は当然のことだ
故に進化が真だと考える理由がある

化石記録は現存していない生物が存在したことを示している
もし進化が真であれば、化石記録の有様は当然のことだ
故に進化が真だと考える理由がある

古い時代の生物は、現代の生物と類似点を持ちながらも構造が単純だ
もし進化が真であれば、古い時代の生物と現代の生物との類似の仕方は当然のことだ
故に進化が真だと考える理由がある


生物を観察して得られる事象は、全て進化が真ならば当然のこととして説明できる
よって、進化が真である蓋然性は高い
************************************
とwadjaは考えるんだけど、これじゃダメなのかな?

因みに、諸説はあるものの、ダーウィンは信仰のある人だったとwadjaは思う。種の起源の末尾にこんな言葉がある。

あまたの力をそなえた生命が最初<造物主>によって少数の生物あるいは一つの生物に吹き込まれたのだという見方、そして、この地球が重力の法則に従って回転してきたあいだに、かくも単純な発端の生物から、きわめて美しく驚異に満ちた無数の生物が進化し、現在も進化しつづけているという見方は、いかにも壮大である。(C.ダーウィン,R.リーキー編「新版図説 種の起源」P.269)


窯変 科学進化論  投稿者:えめ 投稿日: 2006年07月09日20時25分

>御返事ありがとうございます。
>はっきり言ってチンプンカンプンです!

解りやすい、というか自分の解る範囲で背伸びをしないように「相手に解ってもらおう」と書いているんですが…
「自分だけが解る文章」になっていたなんて
                     orz

そういえば訂正
誤(RNAであれアミノ酸であれ) 正(RNAであれタンパク質であれ)


ワヤさん  投稿者:よう 投稿日: 2006年07月09日18時55分

★☆信ずるということはその辛さを放棄すること。庶民がenergyを蓄えて思考努力を放棄して宗教に走るのは理解できる。☆★

「宗教に走る」と言うのは「現実逃避」だ、と言う事ですね。そう理解します。しかしね、「信ずる」と「宗教に走る」は意味が違いますね。信仰と宗教はきちんと定義して区別しないと、また「オウム」みたいなことになってしまいます。

「信ずる」事をしない人間は果たして存在するでしょうか。どんな人間にも「願い」があります。願いがかないます様に、と。その願いを科学的論理的に突き詰めてもなお、100%の確率などとは考えないでしょう。
更に、一口に宗教は<現実逃避>とするのは甚だ乱暴ですね。宗教にもいろいろですから。
人間もいろいろなように。

ガリレオ、ニュートンなど信仰深い科学者をも貶める言い方、慎まれますように。


生命発生の研究の本質的な困難さ  投稿者:ゆん(♂) 投稿日: 2006年07月09日17時49分

うう、一度書いた文章が投稿に失敗して消えてしもた…。
もっかい書きます。

生命発生の研究って、生命進化の研究に比べて本質的な困難さを持っていますよね。

生命進化、すなわちDNAの自己複製は、実際に生命の細胞で起こっていることが観察できます。それは安定した、とても「再現度の高い」現象です。

それに比べて生命発生は、そうした「再現度の高い」現象である必要性がまったくありません。もちろん、前提条件としてDNAが自己複製しやすい土壌が成立している必要はあります。地球の海が有機物のスープでドロドロになっているとかそんな感じで。でも、その前提条件さえ満たしていれば「最初のDNAの発生」は、「地球全土で10億年に1度っきり」くらいの極端にありえないくらい確率の低い現象であってもかまわないわけです。

もし、「生命の発生」が本当にそこまで確率の低い現象であるなら、人類が生きている内にその現象を実験室の中で再現できる確率は皆無でしょう。

個人的には、それではあんまりに寂しいので、私の生きているくらいの間には実験室で確認できるような「ありふれた現象」であってくれたらなあと思っています。まあ、相手は自然現象。「そうあってくれたらいいと望んだらそうなる」という物でもありません。今後の研究の進展を、若干の期待をこめつつ見守って行こうと思います。


diamonds8888xさん  投稿者:よう 投稿日: 2006年07月09日17時37分

「示した」のは私であって貴方ではない。貴方は解説しただけ。論証の実戦家ぶりも示していない。

発見方法がひらめきや夢のお告げであっても「仮定条件」としては論理学的にOKだ、とサモンは言っている訳さ。

さて、進化論のアブダクション立論に於いての「仮定条件」を示す事が出来るかね?特称命題の一つでも挙げて「枚挙的帰納法」を使えるかね?

熟読しても使えないなら、そんな道具は「宝の持ち腐れ」と言う。


蓋然性の高さの違いも  投稿者:wadja 投稿日: 2006年07月09日17時27分

生命の起源を進化論に含めない一つの理由ではないでしょうか?

地動説と同じくらい蓋然性が高いと例えられる進化のメカニズムの話と、ハッキリした定説が今までのところ存在するとはいえない「化学進化」と、ごっちゃにすると何かと混乱しますから。特にこんな掲示板で議論している立場だと(殴


端的に言えば、研究領域が違います  投稿者:ゆん(♂) 投稿日: 2006年07月09日17時14分

現在、一般に「進化論」というと「ダーウィン進化論」の事を指します。これは主に「DNAの自己複製のメカニズム」に関わる研究領域です。つまり、現在でも実際に生命の細胞の中で起こっているメカニズムの研究です。

対して「化学進化」と言った場合、これは「生命の発生」、つまり「最初のDNAの発生のメカニズム」に関わる研究領域です。こちらは数十億年前に1回だけ起こったとされ、現在進行形では確認のしづらいメカニズムの研究です。

同じく「進化」の名を冠しているし、強く関連する研究領域ではありますが、取り扱うメカニズムや研究のやり方が大きく異なるので、いっしょくたにはしないことが多いようです。ちなみにこの掲示板の題名「進化論と創造論」で指しているのは、前者の「ダーウィン進化論」の事になります。

「進化論では生命の発生は扱っていませんよ」という発言は、おおむねそんなような意味を持っています。


えめさん  投稿者:ミニヨン 投稿日: 2006年07月09日16時02分

御返事ありがとうございます。
はっきり言ってチンプンカンプンです!

でもイイの
相手して貰えたから
サンキュ


(^o^)/ドクターペッパーとジンジャエールを飲んで 。ポンポン気持ちイイの

変かな?

アンギャ。


生命の起源と進化  投稿者:diamonds8888x 投稿日: 2006年07月09日14時46分

 進化論もしくは進化学という言葉が異なるものを指していることがあるために混乱が起きることがあるのです。
 変異と自然選択を基本とするダーウィン進化論は、生物が進化して来たことは前提としてそのメカニズムを論じています。この場合、生命発生の過程は範囲外です。
 一方、生物が歴史的にどのように変化してきたか明らかにする古生物学等もまた進化学の一部です。この場合は生命の起源も連続した歴史の一部であり研究の対象です。そして生物の進化のみならず、地質学や天文学も含めて歴史が明らかになるのです。


RE:生き物のとらまえ方  投稿者:diamonds8888x 投稿日: 2006年07月09日14時25分

 自然発生説について時系列は次のようになります。Wikipediaをザクッと見ると参考になります。
   1809 ラマルク『動物哲学』
   1859 種の起源、初版
   1861 ルイ・パスツール『自然発生説の検討』
   1872 種の起源、六版

>生き物という概念自体が進化論、創造論含めて現代とは違うのだろうな

 ラマルクが「動物哲学」で述べていますが、従来は事物は動物、植物、鉱物に分けられていたのだが、動物と植物を生物としてまとめたのは自分の業績だと述べているようです。ようです、というのは今手元になくて記憶に頼っているからですが。たぶん第二部第一章「無機物と生物との比較、動物と植物との比較対照を付す」にて。
 つまりそれまでは植物は動物と鉱物の中間みたいに思われていたらしいのですが、それもむべなるかなですね。小さい子は今でもそうですから。

>創世記の記述の概念とは違う実際(世間)の生物観に矛盾を感じた人はいなかったのかな。

少し、ここで話してました。結論は出ませんでしたが。
http://members.jcom.home.ne.jp/natrom/board060430.html


一応意図を  投稿者:diamonds8888x 投稿日: 2006年07月09日14時23分

>サモンの「論理学」を熟読するなど並じゃないのだがね。私はもう一度読めと言われても断る(笑)。

 なるほど納得。だからサモンの本さえ十分には理解していないのですね。私が先に3つの用語を解説したのは、「帰納法には「アブダクション」「枚挙的帰納法」「アナロジー」の3つがある」という発言がはずれずと言えども正しくはないから補足したのです。ようさんの発言だから完全に間違ってれば無害ですから放置しておけば済みますが、はずれずのところもありますから、そこまで間違いだと考えられるとまずいのでね。
 日々論証を使っている実戦家にとっては、帰納法といえば枚挙的帰納法なので他の種類の帰納法があると言うと「嘘だろ」となりがちです。たがら他の帰納法も示しておいたのです。


生命の起源  投稿者:うだうだ 投稿日: 2006年07月09日13時48分

そういえば、子供の頃読んだ生命の起源って実験が最近胡散臭いとなってきている。電撃放射ピカピカどかーんってものである。

http://www.sci-museum.kita.osaka.jp/news/text/2001/a010203.html

最近の流行は宇宙起源だそうだ。生命の起源と言うより生命の材料の起源ですけど。

http://www.astroarts.co.jp/news/2001/12/20panspermia/index-j.shtml

これは糖類。

http://pbs.sci.hiroshima-u.ac.jp/Study/origin_of_life/

アミノ酸。


Re:えめさん  投稿者:えめ 投稿日: 2006年07月09日12時40分

化学進化は非生命から生命が発生するまでの過程に関する仮説です。
自然に発生した自己複製子が(RNAであれアミノ酸であれ)原始的な生命に至るまでの経過(推定)についての考察ですが、その中で自己複製子の複製の効率”競争”にダーウィンの進化論が(部分的に)適応できると言う意味でしょう。
そもそもの自己複製子がどうやって出来たか等は進化論とは関係ないですからね。

化学進化に於いてダーウィンの進化論が適応される部分があるとするなら
1.同じような組成(アミノ酸で出来た)をした数種の自己複製子があるなら、より多く自己を複製出来る複製子が数を増やすだろう。
2.複製子は複製の過程に於いて以前と違う状態になる時もあるだろう
3.上記1と2は繰り返されていって複製子は自然に複製の効率を上げて行ったのだろう。
と言う所ですか。

進化論とは生命が変異と淘汰の中で多様化してきた。と言う説です。
何故生命が存在するのか、は必ずしも必要とはしません。

丁度眼前のサッカーを見ていてそのルールを推察し、勝ち負けを理解するのに
どうやってサッカーなる競技が出来上がったかを必ずしも必要としないように。

生命が変異と淘汰の中で多様化してきた→進化論
多様な非生命物質から変異と淘汰を繰り返してただ一つの生命が生まれた→化学進化と考えると
同じ概念を扱いながら結果が真逆と言うのも面白いっちゃ面白いかな。


※生命の発生と進化論が必ずしも直接的な関係を持たない事はここでは以前にも何度か話題になったのですが
 過去ログを掘り返す気力がなかったので自分の考えを書き込みました。
 ひょっとして知らずに表現が被っている所があるかもしれません。
 又、上記の比喩で化学進化や進化について誤りがあるならば自分の誤解によるものです。


科学を認める理由  投稿者:tema 投稿日: 2006年07月09日 9時22分

ようさん、はじめまして。temaと申します。

>(前略)一般の多くの人々が、科学を認め期待を寄せる思いと言うのは必死の努力のドラマを見たからである。

 そうでは無いでしょう。
 科学を認め期待を寄せるのは、科学が役に立ったからだと思います。
 なぜ役に立ったかと言えば、科学理論が事実に沿うことが多かったからです。

 いくら立論し、演繹を行っても、事実による検証を行わないのであれば、何でもアリでしょう。事実に沿わない理論がいくらでも作れます。
 一方、立論が多少ワヤであろうが、事実による検証が行える仮説ならば、事実に近づいていくことができます。

 このためtemaは、科学という方法論に於いて「事実による検証」に一番重きを置いています。
 さまざまな事象に対し、「絶対に間違い無い」という立論が行えるのなら話は別ですけれど、そんなことは現実世界では無理でしょう。


えめさん  投稿者:ミニヨン 投稿日: 2006年07月09日 9時20分

それは変です。
化学進化で生命の発生と起源を説明しているじゃありませんか。実証は不可能ですが

えめさんの言いたい事も判ります。つまり 原始地球において何らかの作用で 最初の生命の兆しが現れ
それは どうして存在したのか説明できない何らかの サムシング・グレート神の存在によるものか 否か

でも 素人からすると、進化論者は生命の起源を化学進化で説明されているようにおもいますが、

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%94%9F%E5%91%BD%E3%81%AE%E8%B5%B7%E6%BA%90

http://www.s-yamaga.jp/nanimono/seimei/seimeinotanjo-01.htm


ようさんへ〜〜〜  投稿者:ワヤ 投稿日: 2006年07月09日 8時13分

>私の主張を後押ししているだろう?論理学は。
「進化したに決まってる、それ以外に無いだろう。だから信じる」以外に何が言えるのか是非答えて欲しい。

  *********
  この発想は感覚的で論理ではない。 論理の展開には多くの知識と解析力が伴う。脳の発達には学習し選りすぐれたコンピュータ化する努力を絶えず必要とする。それだけのenergyを必要とする。生存のためにenergyを蓄えて思考努力を継続することが進化した脳を持つ生物の進化だ。

 しかし、energyを集めることは自然の流れ、エントロピィ増大の流れに反する。辛い事。

 ★☆信ずるということはその辛さを放棄すること。庶民がenergyを蓄えて思考努力を放棄して宗教に走るのは理解できる。☆★

  ということで、私が現状の進化学について感ずることは
 進化論学者間に関心のあるテーマには門外漢ですが、 考古学者の採取したサンプルと分子生物学で並べたDNAの変化に相関がありそうという程度。

 進化と、DNAの長さに相関がある。 何故、短くなるののはないのか?
 何が進化のドライビングフォースになっているのか?
 生物の進化レベルと生物の持つenrgy量との関係は?

 還元的手法以外でもマクロなデータグラフ化し、その勾配や切片から論理的展開を期待したい。

  生命思考の進化は、条件反射、〜〜〜、情緒的感覚的進化に、そして一部の人々が、やっと論理的思考レベルに進化しつつある。

  論理思考はenergyを要する辛い仕事だ。 頑張ろう!!


くどいようですが  投稿者:えめ 投稿日: 2006年07月08日22時34分

>monさんへ
生命の発生については進化論では扱いませんよ。


何が「語るに落ちる」か分かりませんが  投稿者:wadja 投稿日: 2006年07月08日22時24分

ってタイトル書いてからやっと分かった。「ようさんが進化論を理解できないのは、進化論の説明が悪い->この掲示板の連中は進化論をちゃんと理解してない」ってことですか。あれあれ、他の人の解説で納得がいかないところがあるのなら、個別具体的に礼を尽くして質問してみたらどうです?みんな丁寧に答えてくれると思うんですけどね。

>「仮定条件無し」は幾らなんでも論理を無視し過ぎだし、科学と言えなくなる。

本当に仮定条件がないならそうなんでしょうね。でも、diamonds8888xさんの紹介してくれたリンク先の、バースの「アブダクション、演繹、帰納(観察->仮説->結論->経験的検証)」の流れで言うと、

1.意外な事実 C が観察される.
 (種内の多様性、地理的な種の多様性、絶滅種の存在、化石と現存生物の類似と相違etc、etc)
2.もし A が真であれば, C は当然のことだ.
 (共通祖先からの進化が起こったとすればCは当然だ)
3.ゆえに, A が真でないかと考える理由がある.
 (ゆえに,進化が真ではないかと考える理由がある)

で、この後に続く科学者達によって、果てしない経験的験証が、反証の試みも含め続いているのですね。
違います?

そう言えば道田先生の文書、リンクを貼るのを忘れてましたね。

http://www.cc.u-ryukyu.ac.jp/~michita/works/2005/cics.html

続きを引用せず、リンクを貼らなかったので誤解されても仕方ないのかもしれませんが、道田泰司氏の文章はなにも仮説演繹を無批判に「なんでもありで受け入れるべし」ってものじゃありません。従って、「すり替え」はやや的外れな批判だと思います。

比較的最近提唱されたらしい考え方(昔からあったかどうかはwadjaには判断できかねますが)として、「批判的思考」を提唱しているので、興味があるようなら一度終わりまで読んでみてください。仮説演繹で得られた仮説は、暫定的な推論に過ぎないので、常に客観性を保つ為に批判的思考(他者を批判するだけではなく、自分自身も批判する)が必要だという主旨の論文ですが、その批判的思考が働き難い場合として

・知識や経験があまりない分野で考えなければいけない場合
・議論や考慮すべき状況が単純でない場合
・いつもやっていることで、こうすれば多くの場合はうまくいくと思っている場合
・感情や思い入れが出やすい話題の場合

を挙げてますね。結構的を射てるなって思ったw


やれやれ、やっとですか  投稿者:Kitkat 投稿日: 2006年07月08日20時35分

>進化論者の持つ膨大なデータは・・・・・

ここまで来て、やっと、ようさんが上記の点を認めたことは、とても喜ばしいことです。
私が進化論を支持する理由は「進化論者の持つ膨大なデータ」により検証され続けていることにつきます。
そして創造論は、ようさんも認めているように、それを検証するデータを持っていません。
検証するデータを提示出来ないことこそが創造論の致命的な欠陥なのですから。


ついでついで  投稿者:大文字ナン 投稿日: 2006年07月08日19時49分

>しかし、そういう手法は「煽情」と言って何事の解決にもならないのだ。歴史を勉強して欲しいものだ。

うん。あのね、この掲示板の、とてもみじかい歴史でね、問題はね、解決しているんだよ。
ようくんはね、みんなのね、おもちゃなの。わかる?これが解決した答えなの。ありがとね。
#ようくんで遊んだあとは、手を、よく洗って、うがいをしましょうね。


ををを!!!  投稿者:大文字ナン 投稿日: 2006年07月08日19時46分

>ミジンコに対して失礼ですよ!

陳謝いたします。平伏いたします。土下座して謝罪いたします。私がわるうございました。
心の底からはらわたの底から謝ります。どうか許してください>ミジンコ(リアル)様。

こ、これでよろしいですか? ま、まだ足りませんか?…ついつい勢いでミジンコ様の尊厳を踏みにじり、(おそらく)人類代表最強知的怠惰魔人を同列に並べてしまいました。まったくもって私の落ち度です。申し訳ありませんでした!


大文字ナンさんひどい  投稿者:クハ72 投稿日: 2006年07月08日19時39分

ようさんがミジンコだなんて。

ミジンコに対して失礼ですよ!

謝れ。


ん?  投稿者:大文字ナン 投稿日: 2006年07月08日19時36分

を?ミジンコ、まだいたんだ。


ミジンコ研究者へ  投稿者:よう 投稿日: 2006年07月08日19時30分

共産主義運動家、市民運動家は論理に詰まると最後は「ヒューマニズムたっぷりの情感への働きかけ」をする。お見事だ。言わば「泣き落とし」だ。人間は情に弱いからな。
「善意」ねぇ・・・(笑)
しかし、そういう手法は「煽情」と言って何事の解決にもならないのだ。歴史を勉強して欲しいものだ。

進化論保持→論理性の欠如の指摘→指摘主唱者の排除
構図が共産主義的労働運動と一緒だねぇ。だからサヨクは馬鹿にされるんだよ。

必死で「感情」を乗り越える事こそ「人類の叡智」であり「人間の理性」なのであって、一般の多くの人々が、科学を認め期待を寄せる思いと言うのは必死の努力のドラマを見たからである。

進化論者の持つ膨大なデータは「宇宙人飛来説」にも十分当てはまる。立論しない「仮説」出良いなら、何でもアリだ。


「語るに落ちる」と言うが如し  投稿者:よう 投稿日: 2006年07月08日19時11分

>wadjaさん
>昔からよく言いますよね、分かって無い奴は説明も下手だってw

私は今でも、「進化論」の合理的説明、判りやすいモデルを求めている。

さて、引用の道田泰司氏の文章であるが、進化論者の弁解と読めなくも無い。私の主張に対する進化論者の解答、と言っても良いと思われる。そうだとするならば、科学哲学の簡単な流れを示しておきたい。

近代科学が帰納法によって、科学技術が目覚しい発展を見せ、帰納法による学説が百花繚乱の様相を呈した。近代科学が勃興したのだが、反面「仮定条件」の規定がない為、つまりアイディア、ひらめきなど、何でもアリ、になってしまった事へポパーは異論を唱えた。しかし、実証主義や形式論理学の厳格さでは「近代のスピード」についていけないのだ。

故にポパーの異論は理解されながらも仮説演繹法(近代科学の手法)は退けられず、現在も主流なのである。しかし反省として、「何でもアリ」はいかがなものか、となった。
仮説の妥当性を高める努力、仮定条件はより「公理」へ近づける努力を重視しようと言う事になった。

道田氏の論には「すり替え」がある。彼の研究は形式論理学的に見ればダメになるが、結構正しいんですよ、と言う訳だ。彼は形式論理学に攻撃されている、と言う事を言っているがそれは違う。ポパーの論争はすでに終わって、「正しいかもしれないし、正しくないかも知れない結論だけど、論理性、妥当性を高める努力をしようね」と言う内部倫理規定みたいなところで落ち着いたのだ。

仮定条件が何でもアリ、だからと言って「仮定条件無し」は幾らなんでも論理を無視し過ぎだし、科学と言えなくなる。

>diamonds8888xさんの説明はいつも分かり易い

彼はインストラクターの才能は十分お持ちのようだね。数学のオペレーションにも強そうだし。しかし本質を見抜く洞察力、獲得した道具(論理)の応用についてはその片鱗すら見せない。サモンの「論理学」を熟読するなど並じゃないのだがね。私はもう一度読めと言われても断る(笑)。


(無題)  投稿者: 投稿日: 2006年07月08日18時58分

最後の一文は消し忘れです。


ようさんへ  投稿者: 投稿日: 2006年07月08日18時57分

>その法則は却下され捨象されるの。

却下されてなんで捨象されるのですか?
捨象の意味わかってないんじゃないです。
『捨てる』の高級な表現と思ってらっしゃいますか?
捨象=抽象 どちらもabstractionの日本語訳なんですね。
意味も解らずわざわざ難しい表現を使って誤用ですからイヤー恥ずかしいですね。

自作の数学的帰納法もこう考えるのがすじとか言って披露されてますが、
完全に間違ってます。

たんぽぽさんの書いてらっしゃることが正しい。

>たんぽぽさんへ
初めまして。晋と申します。勝手に引用させていただきました。

これは厳密に言葉の定義の問題ですからすじもなにもないです。
日本語をもっと勉強してくださいね。
言葉の意味を一義的にしないと話が混乱しますんで。
後、最近聖書を演繹することに関する質問が完全スルーですが
進化論のハードルを上げすぎて肝心の聖書のディフェンスがきついんですね。
スルーする質問からどこが痛いところかよく解ります。

枚挙的帰納法は進化論には使えない。と仰ってましたが、
帰納的に立論を皆に命じてきたからには、何か別の帰納法で
立論可能なんですよね。
もしかして自分では不可能だと思ってることを延々要求してきたのですか?
そうではないのならようさん流帰納法を実際の例を挙げて
明示してください。


はじめまして、勝手に引用させていただきました


diamonds8888xさんの説明はいつも分かり易い  投稿者:wadja 投稿日: 2006年07月08日16時23分

昔からよく言いますよね、分かって無い奴は説明も下手だってw

さて、

確率論的帰納法に興味があったので、いろいろ検索してたら、琉球大学教育学部の道田泰司先生の文章に行き当たりました。確率論的帰納法の詳しい説明は無かったけれど、なかなか良い文章だと思うので引用しておきます。

一般に実証研究においては、「ある仮説が正しければ、これこれこのような事実が観察される」と考え、その事実が実際に観察されるかどうかを、実験その他の方法を用いて観察する。仮説演繹法といわれるものである。そのような形を研究者が意識しているかどうかは別にして、自然科学の基本的な方法は、このように定式化できる、と一般的にはいわれている(岩田・坂口・柏原・野家、1993)(科学の方法論を確率論的帰納法とみなす考えもあるが(内井、1995)、ここではそこまでは論じない)。そして、科学哲学者ポパーが指摘するように、この論理を用いてある仮説を検証することは、論理学的には「後件の肯定の誤謬」、すなわち論理学的には妥当でない推論、すなわち非論理的な推論になってしまうのである(反証する場合は、原理上その限りではない)。とはいってもそれは、形式論理学的な論理を念頭に置いたときの話である。しかし研究や日常における推論では、このような状況で「それなりに」論理的な推論を行うことができるし、実際に我々はそういうことを行っている(道田泰司 2005.06 「批判的思考から研究を考える」、日本化学会情報化学部会誌、23, 54-60)

進化論における、共通祖先問題も同様ですな。

いくら生物の類似点を基準にして、絶滅種を含めた生物の系統樹を作成したところで、形式論理学的には共通祖先問題を証明したことにはならない。長大な時間の壁に阻まれ直接観察できない以上、共通祖先問題の証明は無理ということになる。

しかし、ほかの多くの現象(e.g.古い地層から見つかる生物は現存の生物と類似点を持つがより単純、現在観察される地理的な環状種の存在etc、etc)をより広範に観察し、進化論で説明できることが発見されれば、進化論に矛盾する事象が出てこなければ、進化論の蓋然性は確実に増している。

従って、ようさんの言葉を少し変形するなら、

>「進化したに決まってる、それ以外に【生物を観察して得られる無数の事象を、これ以上良く説明できる説は、今のところ】無いだろう。だから信じる」(【】内はwadja)

になるんじゃないかな?もし、より良く全てのの事象を矛盾無く説明できる理論が登場すれば、進化論なんか捨てればよいってことですな。

あ、でもID論はだめだよ>monさん(はじめまして。)
だってその論法だと、創造主の存在確率は0%以下になりませんか?

ところでようさん。

>(リンク貼り、引用文は極力避けるべき、と考える)

いい手ですよね。例え自分の誤読や誤解があったとしても、誰にもばれないから。
ひょっとしたら、それが理由で読んだ本の名前教えてくれないんですか?


お約束  投稿者:クハ72 投稿日: 2006年07月08日16時19分

進化論はわかりやすく言うと「突然変異という偶然」と「自然淘汰という必然」で説明されます。
突然変異で他よりも適応した個体がより多くの子孫を残せる、ということです。したがってmonさんの

>【ゴミ山をハリケーンが襲ったら東京タワーが自然発生した】と言っているようなもの。

というのは自然淘汰を全く考慮に入れていない極めて初歩的な誤解です。
ゴミ山で部品を適当に組み合わせて(突然変異)、
少しでも東京タワーの一部になれば保存しならなければ分解して組み直す(自然淘汰)。
それを繰り返せば東京タワーになるでしょう。

200兆年あってもウンコが人間になることはあり得ません。
そのように淘汰圧が掛かるとも考えにくいですし、
仮に人間そっくりで同じ能力を持つ生物へと進化しても分類上人間とは言えません。


創造論は正しい  投稿者:mon 投稿日: 2006年07月08日15時05分

例えば、ウンコには大量の細菌が含まれています。1グラムに1000億個の。
無生物状態の地球の海にウンコを沈めておけば、40億年後ウンコ中の細菌が、奇跡的な偶然を何度も何度も繰り返し、進化して人間になるということを進化論者は信じているということなんです。ウンコを40億年放置したら人間になってた。そんな話を信じられますか?自分は200兆年あってもウンコが人間になるのは無理だと思います。

最初の生命が自然発生するなんてのはありえなくって、現在考えられているもっとも簡単な生物でもATGC4つの塩基が500個あるんですね。この最も簡単な生き物が、偶然発生する組み合わせの確率は1/4の500乗ということになります。つまり、進化論者はこんな確率ゼロに近い偶然の組み合わせが長い時間の中で起きたと主張しているわけで、この確率ゼロのものを信じそれを科学的だと言い張る。

例えるなら、
【ゴミ山をハリケーンが襲ったら東京タワーが自然発生した】と言っているようなもの。
何兆回ハリケーンが襲ってもそんな偶然無いということはおわかりでしょう。

つまり、科学が進歩したからこそ生命の複雑さが解明されて、どんな簡単な単細胞でもとても創造主なしでは完成できるものではない。生命の自然発生の確率がゼロなのだから、創造主の存在が必然的に導き出せる。科学的にも創造論が自然なんです。


生き物のとらまえ方  投稿者:えめ 投稿日: 2006年07月08日10時54分

そう言えば思い出したんだが、中世から近世にかけてある種の生物は自然発生すると一般には思われていたんじゃなかったかな。
例えば汚れたシャツと小麦を一緒にして置くとハツカネズミが出来るとか
ちょっと違うが羊が草から生る(14世紀のヨーロッパの博物誌よりスキタイの羊)など
創世記の記述の概念とは違う実際(世間)の生物観に矛盾を感じた人はいなかったのかな。

生き物という概念自体が進化論、創造論含めて現代とは違うのだろうな


ミジンコ観察(3)  投稿者:大文字ナン 投稿日: 2006年07月08日10時26分

>「進化したに決まってる、それ以外に無いだろう。だから信じる」以外に何が言えるのか是非答えて欲しい。

これまで膨大な量のレスが、善意によってミジンコ脳に寄せられたのだけど…すべては徒労に見えてしまう。でも大丈夫。よう、と名乗る「バカを通り越してキチガイ」にいくら絶望しようとも、ミジンコ脳に「なにか、少しでも分かってもらおう」と提示された知的行為は、きちんと多くのギャラリーの皆さんに伝わっているから。

さて、これも「繰り返されてきた作業」だけれど、ミジンコ論理を蹴飛ばしておこう。

■進化のアイディア
→聖書的、あるいは前時代的生物観では、イキモノはその発生(創造)から未来に至るまで、そのままの姿で変化しないもの、と考えられていた。ところが18世紀後半から19世紀初頭にかけて、ラマルクや他の学者たちが、生物はなんらかの手段で「変化してきた」のではないか?と考えるようになる。これは、
 ・現在存在しない生物(種)の化石が発見された。→種は不滅ではないらしい。
 ・痕跡器官の発見→生物には未発達もしくは発達の過程を逆行するような構造がある。
 ・骨格や関節構造の類似性→もともとはひとつの設計が変化したのではないか。
などという様々な観察事例に支えられている。また、生物が変化してきた、という考えからは、異種間にまたがる広範囲な「共通祖先」が存在したであろうことを導ける。つまり、進化のアイディアとは、
 『生物(種)は変化するのではないか』
 『生物(種)には、共通祖先が存在するのではないか』
という、大雑把に分けて二つの「問いかけ」に統合できる。

■進化のメカニズム
→ダーウィンをはじめとする博物学の発展によって、同種間でも生活様態や食性の違いによって生き物の形態に変化があることが観察された。また、この変化は親から子へ「遺伝」することも観察された。これら観察事実から類推されるのは、
 ・生物は環境に応じて変化してきたらしい。
 ・生物に発生した変化は子孫に遺伝するらしい。
ということである。これは、なんらかの「情報伝達手段」が生殖の過程で親から子に受け継がれていることを示唆している。つまり、進化とは、親から子に伝達される「情報の変化」ではないだろうか、と考えることができる。

■進化の検証
→ある生物と別の生物を「つなぐ」リンクは、化石標本の収集によって得ることができた。しかし、化石は必ずしも残るものではなく、すべての生物が共通祖先を持つだろうことの、動かしがたい証拠とは云えなかった。(ある生き物と別の生き物ならば、証拠になる)

観察技術の発達により、ついに「遺伝子」の存在が発見されると、事態は一変する。なぜならすべての地球上の生物は、ATGCというたった4つの塩基からなる「共通の言語」によって構築されていたことが判明したからである。また、体細胞における変異は子孫に伝達されず、生殖細胞における変異だけが子孫に伝達されることも確かめられた。これらは、
 ・生物は変化する。
 ・生物は共通祖先を持つ。
という「進化のアイディア」を、強固に支持している。遺伝子(分子)の観察はリアルタイムに行うことが可能であり、ミトコンドリアDNAを観察し「変異の蓄積」を調べれば、ある生物の地質年代的な「変化の履歴」さえ、現在では知ることができる。

〜以上、できるだけ「自分のことば」で、URLなどを参照・引用することなく書いてみました。大半を記憶に頼って書いていることと、自然選択についての言及は「別」にし(はしょって)、あくまで「生物は変化する(だろう)」ことのみを説明しているので、進化論全体を説いたものではありません。


一応  投稿者:谷庵 投稿日: 2006年07月08日 9時35分

「進化したに決まってる、それ以外に無いだろう。だから信じる」というのは、言葉が稚拙、かつ不正確なだけで、あながち間違いじゃない。

多くの証拠から、進化したという考えはもっとも妥当な推論である。
もっと妥当な推論が出てくるまでは、進化を科学的事実として扱おう。
このように翻訳すれば、決して間違いじゃない。
そして多くの専門家は、もっと妥当な推論が出てくるとは思っていないだろう。


困惑  投稿者:谷庵 投稿日: 2006年07月08日 9時23分

「彼」は言う。
>「進化したに決まってる、それ以外に無いだろう。だから信じる」以外に何が言えるのか是非答えて欲しい。

今までにたくさんの人が答えているのだが、理解力のない「彼」には分からない。
仕方がないので
「XXに決まってる、それ以外に無いだろう。だから信じる」以外に何か言える様な例を「彼」の方から出せと、みんなは言う。
そうすれば、同じ論法で進化を説明して見せようと、みんなは言っているのだ。

でも、どうあっても「彼」は例を出せない。
目的はただ単に、進化論を否定することであって、理屈など無いからだ。
元々理屈なんて理解できないし!


diamonds8888xさん  投稿者:よう 投稿日: 2006年07月08日 6時28分

それで?

私の主張を後押ししているだろう?論理学は。
「進化したに決まってる、それ以外に無いだろう。だから信じる」以外に何が言えるのか是非答えて欲しい。


たんぽぽ とやらへ最後通告  投稿者:よう 投稿日: 2006年07月08日 6時21分

まだ、笑ってるね。
宜しいか、友達の言葉を鵜呑みにしないで自分でちゃんと考えるんだ。2度は言わないぞ。

法則でも良いが、論理学一般では「説明原理」と呼ぶ。でもたんぽぽへの説明の為に例題として法則を使う、いいね。

枚挙的帰納法・・・・幾つかの観察事実(幾つかの特称命題と言う事)「カラスは黒い」→
          →「全てのカラスは黒い」(全称命題)とする。
アブダクション・・・・観察事実→仮定条件→推論、結論。

結論(法則と考えても良い)に照らして検証作業を行う。法則なのだから当然検証結果は法則を裏付けるはず。検証作業の前に「法則どおりだろう」との「予測」が立つ、と言う事。予言できる。

結論した後を「演繹法」と呼ぶんだよ。結論付ける前、つまり「立論」するのは帰納法以外に無いの、当たり前でしょ。故に、演繹していても検証によって矛盾が生れたりすると、その法則は却下され捨象されるの。そしてまた帰納法から立論をしなおすんだよ。判るかな?
しかし、その矛盾によってはその法則をより強化する事もある。

*帰納→演繹→検証→帰納→演繹→検証
と言うサイクルで成り立っているのが近代科学。

次に引用のお馴染みの「和の公式」だけどね。形は殆ど先に上げた「枚挙的帰納法」と同じ形になっているでしょ? 1+1=2、1+2+3=6、1+2+3+4=10
と言うように一つ一つは「特称命題」。これが大きな数字になってもこの公式で解ける(全称命題)。

観察事実がもっと複雑になってきて、枚挙出来ない時はある仮定条件を要請して推論・結論するんだ。この時、仮定条件によって推論・結論が導き出されるのだから、観察事実+仮定条件よりも情報が増えた結論になるはずだね、判るかな。だから帰納法の証明は必ず「新しい情報」が含まれる事になるの。これが帰納法の特徴。
演繹の特徴は「前提(説明原理、法則)が正しければ結論は必ず正しい」・・真理保存性。

ここでの私の主張は、「進化論は帰納法で立論されていない」といっている訳。進化が在ったもの、として演繹してきただけだ、とね。

>(外観が帰納法に似ているから、そういう名前なだけであり、
本当の帰納法ではないので、「数学的」とつけたのだと思いますよ。)

思いますよ?  いい加減な事で人を笑いものにするな。
近代科学は何年前から?和の公式なんかはギリシア時代にすでに成立してるんだよ。
しかも科学の発展は数学が引っ張ってきたの。だから、「数学は科学の王」と呼ばれ、各学問分野の法則は「数学的」に表現する事が最良とされるわけさ。

まず数学的帰納法が在って、他の学問分野で帰納法の立論をし始めて、枚挙的帰納法を使い始めた。でも白いカラスが発見されておじゃん。でもまぁまぁ、「殆どのカラスは黒い」で行きましょう、と言う事になる。それで「不完全帰納法」と呼び、元の数学的帰納法を「完全帰納法」としよう・・・・とこう考えるのがスジだろう。

世界史、特に政治思想史を見ろ。「論理」なんだよ。論理で戦争が始まり、宗教が起こり、文化が形成されるんだ。科学も勿論同様に。
しかし、正しい論理と論理のはきちがえなんかはざらにある。マルクスは「資本主義社会では失業者が必ず生れる」と当時の経済学理論に反論したんだ。古典派経済学理論には失業者はいないから。
労働運動はマルクスに飛びつく。「失業者を失くせ!」→「資本主義打倒」となった。
それではマルクスは「資本主義を打倒すれば失業者は無くなる」と言ったか?言っていない。「資本主義社会は失業者を生む」と言っただけ。

実に恐ろしきは「論理」なり、だね。
あ、たんぽぽを食すなら、ナマで行け。52.4℃に達すると酵素が死ぬ。


アナロジー(類推)  投稿者:diamonds8888x 投稿日: 2006年07月08日 5時23分

 通常の意味では根拠の弱い方法なんですが、サモンの本(文献2)ではもう少し根拠の強い方法をアナロジーと呼んでいます。形式化すると、
   種類Xの事物が性質G,Hその他をもつ
   種類Yの事物が性質G,Hその他をもつ
   種類Xの事物が性質Fをもつ
  (以上の前提から次のことを推論する)
   種類Yの事物が性質Fをもつ

 例として、ネズミの実験から人間への発ガン性を推定する、という例を挙げています。この場合は性質G,Hがネズミとヒトに共通する生理的性質、性質Fは対象物質の発ガン性です。

 形式をよく見てみると、これは事物を分類する論理そのものとも言えますね。そもそもある個体がネズミであるかどうかを推論する論理も上記のアナロジーと言えるでしょう。ある個体がヒトであるかどうかを推論する論理ならもっとアナロジーの語感に近くなりますね(^_^)。

 また形式をよく見てみると、これは枚挙的帰納とも言えます。
   分類Gに属する性質G1、G2・・・Gnは種類Xの事物と種類Yの事物に共通である。
   ゆえに、分類Gに属する全ての性質は種類Xの事物と種類Yの事物に共通である。


abduction  投稿者:diamonds8888x 投稿日: 2006年07月08日 5時18分

 いやあ確かに通常の辞書だと「誘拐」の意味しかありませんねえ。

 CABINさんの示されたサイトにも書いてありますが、哲学者パース(Peirce, C.S.)が提起した概念が、現在よく使われているabductionであるようです。
http://www.dumbo.ai.kyutech.ac.jp/hirata/research/research.html
http://www-kasm.nii.ac.jp/papers/takeda/02/sakai02ds.pdf
http://home.att.ne.jp/surf/taku/study/p/emp_sci_and_probab.html

 発見のプロセスの方法という意味合いが強く、最も人間的、創造的なプロセスを指しているようですね。となると狭義の演繹のように具体的手順があるはずもありませんが、むしろその人間的プロセスをなんとか人工知能で再現できないものかという問題として、コンピューター分野で意識されているようですね。

 ですからabductionはまさに「原因候補や法則を見いだし定式化する」過程に使われるものです。というか、その過程そのものを指していることもありそうですね。


帰納法も色々  投稿者:diamonds8888x 投稿日: 2006年07月08日 5時17分

 まず、いかなる推論であれ次の過程を経て究明されます。この2つの過程のどちらに適用する方法なのかという点は重要です。
1.原因候補や法則を見いだし定式化する(はっきりした言明にする)
2.定式化された言明を証明する

 これはサモンの本(文献2)では以下のように区別されています。定式化された言明を証明することを「論証」、法則を見いだし定式化することを「発見」として、論理学で扱うのは「論証」だとしています。
   推論=発見+根拠付け  (p15)
   論証=立言の根拠付け  (p12)

 少し考えればわかりますが、根拠付けの方法には正しい方法というものがありますが、発見については、夢のお告げだろうが突然のひらめきだろうが、何でもありで結果オーライです。ただよき発見の確率を高くする方法というものはありそうです。

 さて、帰納法と呼ばれるものは提唱者により異なるいくつかのものを含んでいますので、どの帰納法を指しているのかに注意する必要があります。

 まず、演繹の対立である帰納は個別から全体を導く方法で、狭義には「枚挙的帰納法」と呼ばれるものです。「今までに観察したカラスは黒かった。ゆえに全てのカラスは黒い」という論証方法です。ここでの演繹と帰納は、上記2の論証過程での話です。

 より広義での帰納としてはJ.S.ミルにより定式化されたものを指し、次の5つが含まれています。
   一致法、差異法、一致差異併用法、剰余法、共変法

 しかし詳しく見ればわかりますが、これら5つは実は発見と根拠付けが混じっています。ミルの言う「帰納法」はF.ベーコンにより「(権威や通説からではなく)経験から真理を導く」という新しい意味づけを与えられ、「仮説を作らず」と述べたニュートンに科学的方法として採用されて、ハーシェル、ミル、ヒュウエルらにより定式化され整理されたものです。そしてまたハーシェル、ミル、ヒュウエルの3人でも少しずつ見解が異なるとのことです(文献3)。

参考文献
1)内井惣七「シャーロックホームズの推理学」講談社現代新書(1988)
2)W.C.サモン「論理学:三訂版」培風館(1987)、初版は1967年
3)内井 惣七 「科学哲学入門―科学の方法・科学の目的 」世界思想社(1995)


ちょっと深刻  投稿者:てら 投稿日: 2006年07月08日 4時40分

 はじめまして。
 私は最近、地球環境や温暖化について考えるエッセイを書いていますが、その深刻さに我ながら驚いています。 一人でも多くの方に、そのことを知って頂きたいと思って、声をかけさせて頂きました。
 また、生命の尊重や、生きる意味などについて考えるエッセイもあります。宜しかったら、ぜひ一度いらしてみて下さい。

http://www2.odn.ne.jp/seimei/


(無題)  投稿者: 投稿日: 2006年07月08日 2時22分

で、進化論の瑕疵を執拗に探そうとしている御仁も、聖書の検証をなさろうとしないようですね。
そろそろ、聖書の検証を始めてはどうですか?

代表的な聖書の記述を書き出して、みなさんで科学的に正確であるかどうか検証しましょう。


(無題)  投稿者:前方後円墳 投稿日: 2006年07月07日23時07分

>>ゆん氏へ
始めまして。私の事は全部書くと面倒ですし、適当に省略して呼んで下さい。

>ミッシングリンクが現在進行形で埋まって言っている実例が多数存在しています。
はい、カクレクマノミシにも指摘いただきまして、単純に私の知識不足です(汗)
誤解ではなく、知らなかったと言う辺りで目も当てられない訳でして…
失礼しました(汗汗)


>>よう氏へ
>私の論理学の知識で間違っているところは無いはずです。
凄い自信ですね。それが本当にしろ勘違いにしろ、余り過信なさるのはどうかと
思いますよ。自己批判は大切な事だと私は考えます。

言葉とは相手に自分の意思を伝える手段であり、議論とは相手の見解を理解する為の
手段だと認識してます。その為に、両者が最も納得しやすいように、互いに理解しやすく
する作法として論理と言う物があるのだろうと考えてます。
ですので、論理(作法)は大切ですが、より大切なのは相手の見解(真意)を正しく
理解しようと勤める事。自分の見解が正しく伝わるよう努力する事だと考えます。

私の目には、よう氏は自身の見解を伝える事に一生懸命で、相手の見解を理解
しようと勤める事を怠ってしまっているように見えます。その逆も。
理解出来ない相手が悪いのではなく、理解してもらえよう説明できない文章を自分が
書いている可能性があると自己批判するのは大切ですよね?そう見えてしまう私に
バイアスが掛かっているのかも知れないですが、よう氏も今一度考慮されてみては
如何でしょうか?


>>たんぽぽ氏へ
はじめまして。私の事は全部書くと面倒ですし適当に省略して呼んで下さい。

>化石なんて言わなくても、現存生物の中にも、
>ダカダカいらっしゃると思いますけど...
あっ、すみません、私は逆に考えてたんですよ。
現存している生物より、淘汰された生物の方が圧倒的に多いのですから、化石
として形成されるのが珍しいといっても、もぅ少し種類が出てきても可笑しくないの
では?っと考えてたんですね。
っで、現在ダカダカ出てきてるそうですので、本当、失礼しました(汗汗汗)


(無題)  投稿者:谷口和成 投稿日: 2006年07月07日22時40分

>数学的帰納法で導かれた定理は、ほかの証明方法で
>導いたものと同じく、すべてのn対してS(n)が成り立ちます。
>つまり、厳密に正しい定理であり、反例は存在しないですから、
>実態は「演繹法」ということになります。
>(外観が帰納法に似ているから、そういう名前なだけであり、
>本当の帰納法ではないので、「数学的」とつけたのだと思いますよ。)


なるほど……。

確かにそうだと思いますよ。

http://wiki.livedoor.jp/fukuoka_bengoshi

http://plus-1.hopto.org/soc


(無題)  投稿者:たんぽぽ 投稿日: 2006年07月07日22時32分

ようさま

>論理学の最強はアリストテレスの形式論理学です。

おおー、出ましたね、アリストテレス。
これで、聖書が書かれているとか、言うのでしょ...?

>(リンク貼り、引用文は極力避けるべき、と考える)

なにが言いたいのか、ちーっともわからないです。

カモノハシ、肺魚、ミドリムシには、リンクも引用もぜんぜんないですけど...?
(どこにレスしているのか、はっきりさせるために、
前方後円墳さまの投稿を、書き抜いたところを除く。)


メビウスさま

>頓珍漢な「皮肉」をようさんは本当に言いそうで怖いです。

わたしも、なにを言い出すかと、センセンキョウキョウとしていたんだけど、
リンクはどこにもないのに、リンク貼りはさけるべき、なんて、
べつの意味で、とんちんかんなことを言っているだけなので、
さしあたって、安心しています、はい。


それとあと、「アホらしい」さまと、「匿名」さま(漢字のほう)は、
おなじかたかな...?


Re: 返信  投稿者:たんぽぽ 投稿日: 2006年07月07日22時28分

ようさま

>オチを理解しないヤツが爆笑するか(笑)。[7月 7日(金)01時43分]

やっぱり大笑いですよ。(笑)


「演繹法」とは、一般的な法則から、個別の現象を予測することです。
数学の定理は、すべて演繹法によって導かれ、
正しいことが証明されると、例外なく厳密になりたち、
反例をあげる余地は、なくなってしまいます。

「帰納法」は、個別の現象を観察して、そこから一般的な法則を導くことです。
科学理論は、すべて帰納法によって得られるので、
反例をあげる余地が、残ることになります。

科学理論でも、法則性がきわめて高いと、
例外がほとんどまったく見つからなくなるので、
理論から個別の現象を予測することが、できるようになります。
(このプロセスだけ見ていると、演繹的に導いていることになるでしょう...)


それから、「数学的帰納法」は、(i) n=1で成り立つ、
(ii) n=kで成り立つとすると、n=k+1でも成り立つ、
のふたつを示すことで、すべてのnについて証明する方法です。

たとえば、おなじみの公式、
S(n) = 1+2+3+...+n = n(n+1)/2 を、数学的帰納法で証明すると、
(i) n=1のとき、S(1) = 1(1+1)/2 = 1 で成り立っている。
(ii) n=kで成り立つとすると、
S(k) + (k+1) = k(k+1)/2 + (k+1) = {k(k+1)+2(k+1)}/2 = (k+1)(k+2)/2 = S(k+1)
となるから、n=k+1でも成り立つ。
よって、(i)と(ii)から、すべてのnに対してS(n)=n(n+1)/2が成り立つ、
というふうになります。

数学的帰納法で導かれた定理は、ほかの証明方法で
導いたものと同じく、すべてのn対してS(n)が成り立ちます。
つまり、厳密に正しい定理であり、反例は存在しないですから、
実態は「演繹法」ということになります。
(外観が帰納法に似ているから、そういう名前なだけであり、
本当の帰納法ではないので、「数学的」とつけたのだと思いますよ。)


まだ横からですが;ようさんへ  投稿者:ギャラリー@勉強中 投稿日: 2006年07月07日20時43分

>他人の尻馬に乗って嘲笑する事、恥と心得るべし。

あなたのことです。


また横からですが;ようさんへ  投稿者:ギャラリー@勉強中 投稿日: 2006年07月07日20時38分

>誰が見ても「進化」と言わざるを得ない現象が幾つも発見されれば、立論などお呼びでは
>ない。科学においては、理論、法則の上に「事実」があるのです。

事実とは何か、については村上陽一郎「新しい科学論」で学習されていたのでは?
「理論が事実を作る」と。理解できませんでした?


本当にありそうな怖い話  投稿者:メビウス 投稿日: 2006年07月07日20時27分

たんぽぽさん
>化石なんて言わなくても、現存生物の中にも、
ダカダカいらっしゃると思いますけど...>

現存生物の中間形態なんて言うと、「チンパンジーからヒトに進化しつつある動物がどうしてみつからないのか。進化論者、何やってんだ、ああ、待ち遠しいなー」などと頓珍漢な「皮肉」をようさんは本当に言いそうで怖いです。


検証について よう さんに質問  投稿者:AH1 投稿日: 2006年07月07日20時22分

前に聞きましたが、再度。

「(聖書に記述のある)大洪水については検証されつつあると言っていいでしょう」
とは、誰が、どのように、検証しつつあるのですか。

また、このような検証は意味のあることなのだと考えているから、このように述べておられたのですね?


返信  投稿者:よう 投稿日: 2006年07月07日19時31分

>晋さん
>一番大事なのは物的証拠なんですか。

誰が見ても「進化」と言わざるを得ない現象が幾つも発見されれば、立論などお呼びではない。科学においては、理論、法則の上に「事実」があるのです。

>CABIN 大文字
>まぁ、私的には、ようさんが踊り続ければ満足であり、納得させよう等とは思っていませんけどw

引っ込んでろ。

>メビウスさん
>帰納法とは事実を一つ一つ積み重ねてAという仮説、命題の確度を高める作業です

これは帰納法の説明としては、必要十分ではない。演繹にも同じ事が言える。しっかり定義を覚えてもらいたい。

>それでも進化論の有力な証拠となりうる中間形態の化石を持ち出されると

なりうるであろう、もしくはなるかも知れない、なって欲しい証拠と言うべきだ。
断定的に言うのは「虚偽」である。

>マジ飽きた

それこそ、真に「思考停止」と言うが如し。

>えめさん
>「中間期と推定される生物(化石を含む)の写真及び解析特集」

正しい表現だ。理性的で良心的であります。しかし、彼の入っているのは「断定的で決定的な証拠」の事であるのは脈絡上明らかであります。ゆえに貴方の書き込みは「誤解」を招きやすいと思う。

>たんぽぽ、とやら
>化石なんて言わなくても、現存生物の中にも、
ダカダカいらっしゃると思いますけど...

断定的に物を言う虚偽、理解してもらえるかね?自分で咀嚼した言葉、考えで「自分の意見」をいう事が肝腎である。(リンク貼り、引用文は極力避けるべき、と考える)
他人の尻馬に乗って嘲笑する事、恥と心得るべし。


アブダクション  投稿者:EzoWolf 投稿日: 2006年07月07日12時45分

アブダクションは仮説推論とか発想推論とういう意味もあるのを初めて知りました。

最初この単語見たとき、てっきり円盤に拉致されて電波を受信...じゃなくて
偉大なる知性からの啓示を受けた方の話かと思いましたよ。

#だから言ってることが凡人には理解できない。


クレクレタコラ〜♪  投稿者:えめ 投稿日: 2006年07月07日 9時35分

とくめいさんへ
>だったら画像で見せてください。山ほどあるんでしょ?
進化に興味を持った上での書込みならば、まず自ら図書館に足を運んでみたらいかがでしょうか。
「生物」の棚にいけばあると思いますよ。
ただし「中間期と推定される生物(化石を含む)の写真及び解析特集」などと言う都合の良い本はないので
進化や生物に関する様々な本を読む事になりますが、その上で見つからない場合にUAL先の提示などをお願いしてみてはどうでしょうか。

自分のオススメの本は
小学館の図鑑NEO 大むかしの生物
鯨類や鳥類の中間化石だけでなく、学名の由来や特徴、最新の学説などがたいへんわかりやすく書かれていて、とても参考になりますよ。(尤も他の図鑑は持っていないんですが…)

そういや去年開かれた「恐竜博2005」と言うイベントは恐竜から鳥への移行の様子を化石や復元図で展示していましたなぁ。


マジ飽きた  投稿者:メビウス 投稿日: 2006年07月07日 9時00分

ようさん
>決定的に「進化」を示す観察事実、物的証拠があれば、論理もへちまも無いのです。>

これまでようさんは、科学においては帰納法による立論が必要だと強調されてきました。帰納法とは事実を一つ一つ積み重ねてAという仮説、命題の確度を高める作業です。そこで多くの方がそれを示すと、ようさんは決まって「それは進化論から演繹しているのであって、それ以前に帰納法による立論がなされていないではないか」と繰り返してきました。

その論法だと、仮説を立てた瞬間にそれを説明原理としていることになり、一つでも証拠を示せば「帰納法による立論がなされていないのにいきなり演繹している」となります。つまりようさんは科学の手続きにおいて誰にもできないことを要求しているのです。

それでも進化論の有力な証拠となりうる中間形態の化石を持ち出されると、帰納法は差し置いて虚偽だと決め付けるのです。もしこれらの化石が中間形態の動物ではないのなら、その根拠を示してもらえませんか。

>本当に罪深い。
どなたに対して罪深いのですか。


(無題)  投稿者:とくめい 投稿日: 2006年07月07日 8時39分

>列挙すればキリがないくらい、高次分類群の移行形態は山ほど見つかっています。

だったら画像で見せてください。山ほどあるんでしょ?


それぞれに〜  投稿者:CABIN 投稿日: 2006年07月07日 5時51分

>匿名 さん

万能の神様が地球の周りを太陽が周る様にお創りになられた、かな?

>アホらしいさん

「平和的な解決」の定義による。演出上、大袈裟に欠点を指摘しているかもしれないが、
根拠は示されているし、向こうは根拠を明示していないようです。
「1+1=3」であるという間違った回答の責任が誰に帰結するか?を考えてみれば、相手の
責任になる。
科学が信仰になるかどうかは、その人の考え方による。

以上でどうですか?w


(無題)  投稿者:アホらしい 投稿日: 2006年07月07日 5時26分

創造論FAQの間違いを読みましたが、何というか、このサイトは平和的な解決は目指していないんでしょうか?相手の言っていることになんくせつけてるようにしか見えないんですけど。まぁ向こうでも同じ事やってるんでしょうけどね。

「自分は正しい相手が間違ってる」全部相手のせいですか。科学という名の信仰ではないでしょうか?


(無題)  投稿者:匿名 投稿日: 2006年07月07日 5時10分

「創造論者のようなやり方を使えば、天動説が正しいというような主張も可能ですが」

どのように可能なのでしょうか?色々考えてみましたがしっくりこないため、具体的な回答をお願いいたします。


古墳さんへ  投稿者:うだうだ 投稿日: 2006年07月07日 3時52分

先ほどクハさんから紹介がありました場所に引っ越します。

この掲示板の人間のやる事はどれもこれも気に入らないが、ただ確かにずれてきているのは認めます。ただ私だから追い出すのが目的なのが気に入らない。と言いつつ目的は帰納演繹アブダクションについてだから、おとなしく引っ越します。

それでは。ようさんも暇があったら覗いてね。


ミジンコ脳の恐怖  投稿者:大文字ナン 投稿日: 2006年07月07日 3時11分

>決定的に「進化」を示す観察事実、物的証拠があれば、論理もへちまも無いのです。

脳のかわりにへちまを神経細胞に流用している「誰か」こそ、進化の証拠だな。
と、「今日の感想」を記しつつ…へちまの遺伝子でも観察すれば?と
進化を示す観察事実および物的証拠を提示したところで、ミジンコくんは踊り続けるのでありましょう。(いいね、ありましょう。アリマ賞って感じか)


17へぇ〜  投稿者:CABIN 投稿日: 2006年07月07日 2時44分

>進化論を立論しやすいように枠を広げてあげてるのが判らないのだね。ゆる〜くゆる〜くしてあげてもなお立論できないんだよ。
貴方もオチが判らないで爆笑しないように気をつけないとな。

その割にはミケさんの投稿(立論されているかはともかく、立論しようという行為そのもの)に対して、

>>力作だけどね、何度も引用する貴方の文章。ゴミ箱へ捨ててしまいなさい。嘘でも美しい文章なら保存する意味もあるが

という罵倒に終始していて、どの部分が間違っているのかすら指摘していませんが、これが果たして、論理的態度と言えるのでしょうか?

まぁ、私的には、ようさんが踊り続ければ満足であり、納得させよう等とは思っていませんけどw


中間の生物  投稿者:たんぽぽ 投稿日: 2006年07月07日 2時31分

前方後円墳さま、はじめまして。

>緩やかに進化が進んでいるのであれば、
>中間の化石がダカダカ出てきてもよさそうな物なのに

卵を産むほ乳動物「カモノハシ」(このサイトにも書いてあるけど)とか、
肺で呼吸するお魚「肺魚」とか、動物と植物のあいの子の「ミドリムシ」とか、
化石なんて言わなくても、現存生物の中にも、
ダカダカいらっしゃると思いますけど...


ようさんに追加で質問  投稿者: 投稿日: 2006年07月07日 2時09分

物的証拠は具体的にどんな証拠ですか?

みなさんが挙げられているものも普通に考えれば物的証拠といえますが。
物的証拠の概念をはっきりさせてください。


あれ  投稿者: 投稿日: 2006年07月07日 2時03分

>論理もへちまも無いのです。
ようさんへ

今まで論理的に立論て延々言ってたのはなんだったんです。
一番大事なのは物的証拠なんですか。

言ってる事がころころ変わって発言に信頼性がまったくないですね。
物的証拠が無ければ立論できないのですか?
物的証拠が無くても立論できるのですか?

皆さんへ

ここ最近の議論大変勉強になりました。
勝手にお礼をのべておきます。


ゆんさん、  投稿者:よう 投稿日: 2006年07月07日 1時51分

貴方のご発言は虚偽であります。

決定的に「進化」を示す観察事実、物的証拠があれば、論理もへちまも無いのです。

そういう誤魔化しまやかしはお止めください。本当に罪深い。

中間形態と「思しき」化石、もしくは中間形態のものであって欲しい化石、でしょう。


返信  投稿者:よう 投稿日: 2006年07月07日 1時43分

>前方後円墳さん

私の論理学の知識で間違っているところは無いはずです。近代科学は帰納法で露ツ論されます。
論理学の最強はアリストテレスの形式論理学です。同一律、矛盾律、排中律があります。背理法は帰謬法とも言われ、矛盾律から発展した証明法です。非ユークリッド数学は背理法で証明された、とあります。

>たんぽぽとやら
>「数学的帰納法」を帰納法の一種だと思い込んで、
自分は帰納法と演繹法がわかっていると言わんばかりに、
いばり散らしている姿は、爆笑ものですね...

オチを理解しないヤツが爆笑するか(笑)。数学的帰納法から始まってるんだ。数学以外で帰納法を使うようになってから、数学の方を「完全帰納法」、数学以外を「不完全帰納法」と呼ぶんだよ。外国人の言葉が理解できないのに笑うなよ、日本人全体の恥になるから。

お前、いい友達を探せ。失笑、苦笑、冷笑、いろいろあるな。主張も無いヤツがおちょくりだけで出てくるから、大恥を書くことになる。進化論者、どうなってるんだ一体、え?

>CABINさん
>ようさんは帰納法と数学的帰納法をごっちゃにしちゃうほど、概念を広義にしちゃう方ですから、あんまり鵜呑みにしない方が良いかとw

進化論を立論しやすいように枠を広げてあげてるのが判らないのだね。ゆる〜くゆる〜くしてあげてもなお立論できないんだよ。
貴方もオチが判らないで爆笑しないように気をつけないとな。


簡潔に  投稿者:ゆん 投稿日: 2006年07月07日 1時39分

前方後円墳さんの疑問はどちらも基本的には、『化石標本はとっても珍しい』ことの反映と考えられています。

まずひとつに、生物の死骸が化石になるのはごくごくまれな現象です。また、地面に埋まっている化石が、掘り出しやすい形で露頭に見つかるのもごくごくまれな現象です。以上の二重の理由によって、化石というのは本来とても見つかりにくいものなのです。よって、中間形態の化石はそもそも見つかりにくいものだと考えられています。

上記の仮説の強力な傍証として、「新たな化石が発見されて化石記録が豊富になるに
連れ、中間形態の化石が次々見つかって、ミッシングリンクは埋まって言っている」という観察事実が挙げられます。鳥とその祖先種、クジラとその祖先種など、近年になるほど化石記録が増えてミッシングリンクが現在進行形で埋まって言っている実例が多数存在しています。


ご意見、ご要望がございましたら、掲示板か、 e-mail:natrom@yahoo.co.jpへどうぞ。


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