進化論と創造論についての掲示板ログ303

2005年03月31日〜2005年04月15日
このファイルは、掲示板巡回ソフトのログファイルを元に再構成したものであり、投稿時の状態(フォントサイズ、文字の色、リンク等)をすべて反映しているわけではありません。いくつかの書名にアマゾンのアソシエイトのリンクを張らせてもらいました。
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こんばんは。  投稿者:ニコデモ 投稿日: 2005年04月15日 2時19分

 *谷庵さん こんばんは。^^

僕が言いたいのは、科学というメガネで世界を見ると進化があったと見えるということ。
そういう仕組みになっていると思っている、ということです。
僕の考えはこうです。あくまで個人的な考えです。

 実際には進化はなかった。
 しかし科学というメガネで見れば、進化があったことは確実なことだと見える。
 僕は神があえてそのようにされたと考えています。
 つまり神は6日間で天地を創造しましたが、
 人の目にはあたかも何百億年もかけて宇宙ができ、何十億年もかけて地球ができ、
 進化があったように見せている、ということです。
 それは科学によらず、人が神を探し見つけるようにさせるためです。

こういう考えは科学に疎い馬鹿者のいうことなのでしょうか・・・。

 *パラドックスさん はじめまして。こんばんは。^^

僕の場合、科学の法則も常に神が支えていると考えています。
決まった仕組みをおいておくのではなく、
持ち上げた物が、手を離したときに落ちることも絶えず神が働いておられるからだと、
そういう風に考えています。全知全能の神さまだということです。
その目どこにでもあり、自分の息よりも近いところにおられると信じています。
理神論ではなく、神には人格があるというか、感情ある方だと信じています。
つまり、神の奇跡も啓示も信じています。
感情のない神に感情豊かな者を生み出すことはできないと思うわけです。
聖書のことばを用いるなら「神は愛」です。
科学の話から随分それてしまいました。すいません。

http://plaza.rakuten.co.jp/iljpage/


そうでもないかも  投稿者:wadja 投稿日: 2005年04月14日22時57分

>匿名希・望さんの指摘されたのはその通りなんですが、そこまで徹底した考え方をすんなり理解することのできる人はなかなか少ないのではないでしょうか?

さかのぼってニコデモさんの発言を拾うことはしませんが、認知論を突き詰めて行くと、科学は何も言えなくなることをニコデモさんは直観的に(?)理解しているように思います。あと、科学と不可知論の境界もね。


科学カガクと騒ぐじゃないよ  投稿者:diamonds8888x 投稿日: 2005年04月14日20時12分

 科学、常識のなれの果て。科学的思考法とは健全な常識的思考法をさらに研ぎ澄ましたものに過ぎません。

 多くの方には言わずもがなのことですが、私がとても簡単な2つの例を挙げているのは、「科学的方法というのは、いわゆる学問しての自然科学だけの専売特許じゃなくて、日常の事実判断に使うべき方法なんだよ」ということを強調したいためです。

 その際の指針で大切なひとつは、「人の言葉や書いたものには嘘がある可能性があるから、きちんと観測された事実を重視しようよ」と言うことです。これが最も初歩的な懐疑主義ですが、懐疑を徹底してデカルト並みに押し進めると、自分の目をも疑うとか、明日も手放した物は落ちるということも疑うとか、現在と過去との連続性も疑うとか、まあおもしろいぬかるみもありますけど。

 でも創造論だとある時点で現在と過去との連続性が途絶えているという仮説を想定するんですよね。


再現論再び  投稿者:diamonds8888x 投稿日: 2005年04月14日20時10分

>現に実験できる事でも疑おうと思えばいくらでも疑える訳で、

 匿名希・望さんの指摘されたのはその通りなんですが、そこまで徹底した考え方をすんなり理解することのできる人はなかなか少ないのではないでしょうか? ましてニコデモさんのように「科学に疎い」とおっしゃる人向けには、確からしさのレベルを分けた上で説明するのがわかりやすいと私は考えます。ま、御本人にはどう理解していただけたかですが。

 一応は御指摘の点も考慮して、「ほとんど誰もが」と留保条件を付けてましたけどね(^_^)。現実問題としても、量の違いは質の違いとなる、というのは「確からしさのレベル」にも通じますし。

>過去に起こった事実を探求する科学の仮説では、説明すべき観測結果が化石だったり、歴史書だったりするというだけで。
>実際に実験をできるものは観測結果の量が多いから信頼度が増すというだけで、質的に違う事をやってる訳ではないです。

 これはそう単純ではないでしょう。原理的に1回しか観測できない事象と、回数の多寡はともかく原理的には何度も観測できる事象との間には、1回と無限回の差があります。過去の探求に置いては、例えば次ぎのようになるでしょう。
  1回のみの仮説=織田信長が16世紀に実在した
  再現可能仮説=現存する古文書に織田信長が16世紀に実在したと書いてある
 後者は何度でも検証できる仮説です。でも疑い出せば「明日見たら違うことが書いてあるかも知れない」とだって言える。

 落体の法則(手放せば下に落ちる)は仮説自体が再現ということを自明のこととして含んでいます。何度手放しても下に落ちるよ、というのがこの仮説の主張です。将来、何度手放しても落ちるよ、とも主張してますから、そもそも将来の予言を述べているのです。けれど、1回限りの歴史的事象に関する仮説は、再現も予言も述べてはいません。

 「諸々ある観測結果を一番矛盾なく説明でき、かつ検証可能な説」とおっしやいましたが、この
『検証』の具体的作業も、再現可能仮説と歴史的事象に関する仮説とでは違いがあります。再現可能仮説の検証は、文字通り再現実験を指します。では1回限りの歴史的事象に関する仮説の『検証』とはどんな作業でしょうか? その仮説に矛盾がありそうな観測結果をひたすら求めて、そんなものは見つからないことを確認していく作業ということになりますよね。反証の努力というやつです。これは再現実験とは異なります。


訂正  投稿者:匿名希・望 投稿日: 2005年04月14日19時56分

「進化論」じゃなくて「進化論の科学的な確さ」ね。


つーかそもそも  投稿者:匿名希・望 投稿日: 2005年04月14日19時43分

ニコデモさんは進化論を、信仰を根拠に否定はしてないよね。
否定に傾くバイアスは信仰に基づいているかもしれないけど。


信仰と科学  投稿者:パラドックス 投稿日: 2005年04月14日19時17分

ニコデモさん、はじめまして。

>>僕自身、科学は物質の世界において正しい基準だと考えています。こうやって僕がインターネットを使えるのは科学の賜物ですし、その中で科学の法則に遵っていろいろな働き、現象などがあると思っています。僕個人はその法則も神が必要に応じて整えられたものだと信じているということです。>>>>>>>

それは理神論的世界観と理解してよろしいでしょうか。神様が世界をお創りになったときに全部を面倒見切れないから自然界に一括してさまざまな力を与えたんですよね。そして神から与えられた自然の力が個々の現象を操作していて、科学の世界でそれらの現象をまとめて理論とか法則とか言っているのも実は根本には神の力が宿っているというのが、ニコデモさんの世界観だと思ったんですけど、どうでしょうか。
 
もしそうなら、進化論を考える時にそのさまざまな事象の奥にある法則とは何だろうかと、昔に起きた出来事を示す証拠を科学的に検証しながら考えを深めていくことは可能ですよ。いきなり、全部結局は神がおやりになったんだといって思考停止せず、現実の事象(ここでは進化論)について神はどのようなメカニズムを使ったのだろうかと考えてみることは、決してニコデモさんの信仰に反しないと思います。


(無題) への横レス  投稿者:谷庵 投稿日: 2005年04月14日 5時52分

>僕個人はその法則も神が必要に応じて整えられたものだと信じているということです。
 基本的にここ(神を信じるか否か、どの神を信じるか)が違うだけだと思っています。

この最後の部分を読む限り、創造論的進化論に落ち着くんじゃないかと思います。
つまり、生物の進化は事実だが、それを行ったのも神だというものです。
でもニコデモさんの考えは(他人に押しつける気はないとしても)進化はなかったというものですよね。

そうすると(無題) の肝は↓にあるのでしょうか。
>僕自身、科学は物質の世界において正しい基準だと考えています。

つまり、「物理や化学は正しいが、生物学は正しくない。生物は物質じゃないから」と(言いたいのではなく)思いたいのでしょうか。

たとえ議論をするつもりはなくても、書き込む限りは反応があります。
書いたことに対する「感想」を述べるだけでも、穏やかな議論になることは了承されていますよね。
(なんか詰問調だけど、そんなつもりはありません。犬の散歩の時刻なのでこのまま投稿)


(無題)  投稿者:ニコデモ 投稿日: 2005年04月14日 1時42分

 *RYU_TI_SYUさん こんばんは。

 そういう意味じゃないですよ。誤解を招くような書きかたですみません。
 僕は納得していますが、僕と同じ創造論者(場合によっては創造科学支持者)なら、
 科学に対して納得できない!という人が多くいると思ってそう書いたんです。
 そういう人でも科学のことを認めるしかないということです。
 僕自身、科学は物質の世界において正しい基準だと考えています。
 こうやって僕がインターネットを使えるのは科学の賜物ですし、
 その中で科学の法則に遵っていろいろな働き、現象などがあると思っています。

 僕個人はその法則も神が必要に応じて整えられたものだと信じているということです。
 基本的にここ(神を信じるか否か、どの神を信じるか)が違うだけだと思っています。


うーーーん  投稿者:RYU_TI_SYU 投稿日: 2005年04月14日 0時15分

ニコデモ殿の文章を読んでいると、

ミカンジュースを差し出してるのに、
「リンゴジュースは飲めません」
と言われてる気がするんじゃな。

差し出されてるのがミカンジュースだと理解された上で、
「ミカンジュースも飲めません」
と、仰られるのであれば、ええんじゃが・・・


汝自らを疑え  投稿者:キンシャチ 投稿日: 2005年04月13日20時43分

筋道だって考えること。疑うことの大切さ。客観性や反証可能性。そういった「科学とは何か」をまず教えるべきなのかもしれませんね。まず授業を疑おう。


科学の仮説っていうのは・・・  投稿者:匿名希・望 投稿日: 2005年04月13日20時10分

「諸々ある観測結果を一番矛盾なく説明でき、かつ検証可能な説」な訳です。
再現実験っていうのはこの「観測結果」を得る手法の一つに過ぎない、と考えれば良いのです。

過去に起こった事実を探求する科学の仮説では、説明すべき観測結果が化石だったり、歴史書だったりするというだけで。
実際に実験をできるものは観測結果の量が多いから信頼度が増すというだけで、質的に違う事をやってる訳ではないです。

現に実験できる事でも疑おうと思えばいくらでも疑える訳で、

>『手に持った物を手放せば下に落ちる』という命題はほとんど誰もが『確かに証明された真実』と言うのではないでしょうか?

これだって、将来に下に落ちない可能性は否定できません(w
もしそうなれば今まで落ちてた物とどう違うのか、今まで落ちていた物はなぜ落ちていたのかを、
改めて矛盾なく説明する仮説が必要とされるでしょう。


再現不可能な一説  投稿者:diamonds8888x 投稿日: 2005年04月13日19時30分

 みなさん、お久しぶりです。

 Kosukeさんの表現を借りれば、「『進化論は一説』というのは確かにそうなんだけど、それを言ったら、理科の教科書で全ての説に「これは一説である」と注釈を付ける事になりますよ(それはおかしいでしょ?)」ということなんですが、私はむしろ、「それを言ったら、歴史の教科書で全ての説に「これは一説である」と注釈を付ける事になりますよ」と言いたい。

>「科学の実験などで確かに証明されたことだ、と教えないならかまわない」

 ということですから、ニコデモさんの考えでは例えば落体の法則などは確かに証明された範疇に入るのでしょう。法則などと難しく言わずとも敢えて科学的な証明とは言わずとも、『手に持った物を手放せば下に落ちる』という命題はほとんど誰もが『確かに証明された真実』と言うのではないでしょうか? 『落下距離は手放してからの時間の二乗に比例する』となるとちょっと証明が面倒になりますけどね。

 でもこれが例えば、『ニコデモさんは自分が誕生日だと思っている日に生まれた』となるとどうでしょう? 『確かに証明すること』は可能でしょうか? また、『織田信長は本能寺で明智光秀の軍に殺された』という命題はどうでしょうか? もしくは『16世紀に織田信長という人物が実在して、日本統一に乗り出した』という命題は?

 進化の範疇に入る命題であれば、『数億年前に恐竜という生物達が繁栄していたが、6500万年前に絶滅した』といったことですね。ニコデモさんの考えでは、この命題は『少々怪しい一説』なんでしょうか?

 ぶっちゃけた話が、再現実験の不可能な命題を『実験などで確かに証明する』というのは不可能なことは御理解いただけると思います。それでも、より確からしい説を求めることはできるのです。とはいえ、その確からしさを求めるための方法論とか仮定で同意が得られないと、互いに納得するのは難しいかも知れません。


はじめまして。  投稿者:ニコデモ 投稿日: 2005年04月13日16時40分

 *temaさん はじめましてこんにちは。

そういってもらえるとありがたいです。(^^
自分の存在が不快に感じる原因になっていないかと少々心配していました。(^^;
こちらの比較したサイトを見ての感想、わからないことの質問くらいしか
書けないと思いますが、よろしくお願いします。(^^


掲示板天気予報  投稿者:tema@風邪で本日休み 投稿日: 2005年04月13日15時53分

ニコデモさん、はじめまして。temaと申します。

>このままだとこちらの掲示板が荒れてしまいそうに感じるので・・・。

 この状況で荒れる事は無いでしょう。むしろ小春日和です。

 この掲示板に頻繁に書き込む人は、科学志向が強い人が多いと思います。また、創造論を否定する人は少ないと思いますが、支持する人も少ないでしょう。
 このような環境なので、ニコデモさんは貴重な存在なのです。
 環境には多様性が高い方が望ましい、と考えます。今後、荒れたとしても「こちらに書き込まない」などと言わず、末永くお願いします。


(無題)  投稿者:ニコデモ 投稿日: 2005年04月13日 3時39分

 誤解があるといけないので、僕の考え、立場を説明しておこうと思います。
 このままだとこちらの掲示板が荒れてしまいそうに感じるので・・・。
 僕はクリスチャンです。僕は創造論を支持しますが、創造科学は支持しません。
 以前は、科学を追及すれば、進化は否定されるのではないか、と考えていました。
 個人の内的なことでいろいろあって、科学には疎いですが創造科学には否定的です。
 もちろん創造論を押し付けることもありません。

 こんな感じで説明しておけば、いいでしょうか、みなさん?
 荒れたり、誰かが不愉快な思いをすることはないと思います。
 もしあれば、最終的に僕がこちらに書き込まないということで回避できると思います。
 科学のことは個人的な感想しか書けないので。

 下にURLが記載されていますが、科学の話に関係ないので気にしないでください。
 他の掲示板で書き込んだものがそのままになっているというだけでこちらのミスです。


こんばんは。  投稿者:ニコデモ 投稿日: 2005年04月13日 3時24分

 *とんからりんさん はじめまして。

 そうですか。了解しました。

 *大文字ナンさん こんばんは。

 そうですね。
 流木さんの考える「信仰」或いは
 「クリスチャンの、若しくはニコデモの信仰」がわからない以上、質問に対して、
 「はい」には「はい」、「いいえ」には「いいえ」としか答えられません。
 説明を求められた場合はなるべく噛み砕いて説明するしかできない状態です。

 *ミケさん はじめまして。

 了解しました。

 *RYU_TI_SYUさん こんばんは。

 僕が科学を知らない以上、科学に精通されている皆さんが、そうだと仰るなら、
 僕が納得できなくとも、そのことについては素直に取り下げるしかありません。

http://plaza.rakuten.co.jp/iljpage/


科学ってなんだろう?  投稿者:RYU_TI_SYU 投稿日: 2005年04月12日23時07分

ニコデモ殿

>僕が挙げた部分、
>「科学の実験などで確かに証明されたことだ、と教えないならかまわない」
>このことについて皆さんの意見を聞いたまでです。
>あくまで今の僕はこう思いますという主張です。

わしの意見としては、
「科学の実験などで確かに証明された」科学理論はないんじゃから。
進化論に限らず他の理論(梃子の原理、オームの法則等々)も
「科学の実験などで確かに証明されたことだ、と教えちゃいけんよね」
ということじゃな。

>それが間違った科学の教育なら自分の質問したことを素直に取り下げるつもりです。

うーん、もし、わしが、
「間違ってるに決まってる」
って言ったら、素直に取り下げるのか?
で、それで納得していただけるんじゃろうか?


大文字ナン殿

>ほとんどの場合は科学的思考法のプロセスをすっ飛ばして、一種の「押し付けや暗記の一種」として刷り込まれるものであろう、と私は思います。

> これはつまり、進化論やその他の科学理論のあり方に問題があるのではなく、科学そのものの「取り扱い方」というメタなプロセスが普及していないことに起因する問題で、ここで繰り広げられているような「進化論VS創造論」という問題も、根底にはそれがるのだ、と思っています。

激しく同意。

今度の検定でも覚える事を増やすより、ポパーやクーンのさわりくらいでもを教えることを検討してもらいたかったな。


「科学的な」証明  投稿者:ミケ 投稿日: 2005年04月12日21時33分

こんにちは、ニコデモ さん。

>僕の言いたいことは「科学的な」証明があるかないかという点でそう思うだけです。

ちょっと本筋とズレるかもしれませんが、自然科学において「証明」という言葉を使われるのにはやはり違和感があります(たぶん他の皆さんも)。
「証明」というと、どうも「絶対に覆らない」イメージがあって。絶対に覆らないものなんて科学じゃないし。
ニコデモ さんは、そんな意味で使ってはいないとは思いますけども。

で、ニコデモ さんの言うところの「科学的な証明」は十分あると思いますよ(その「科学的な証明」が具体的にどういうことかを示してもらえれば、より詳しく示すことができると思いますが、今の段階では「科学的な証明」部分に誤解があるかもしれないので一応「思います」ってとこで保留。。。)。


Re:確かに証明  投稿者:大文字ナン 投稿日: 2005年04月12日21時28分

>「科学の実験などで確かに証明されたことだ、と教えないならかまわない」
>このことについて皆さんの意見を聞いたまでです。

 学校教育に限ったことではありませんが、一般に広く容認された科学理論というものは「実験で確かに証明された理論」として広まっているのも事実でしょう。これは、この掲示板に集まる皆さんほど科学哲学や科学的思考法に精通されていれば誤解なく受け入れられるものですが、ほとんどの場合は科学的思考法のプロセスをすっ飛ばして、一種の「押し付けや暗記の一種」として刷り込まれるものであろう、と私は思います。

 これはつまり、進化論やその他の科学理論のあり方に問題があるのではなく、科学そのものの「取り扱い方」というメタなプロセスが普及していないことに起因する問題で、ここで繰り広げられているような「進化論VS創造論」という問題も、根底にはそれがるのだ、と思っています。


Re:共有可能性  投稿者:大文字ナン 投稿日: 2005年04月12日21時15分

>科学が第一義とするのは共有可能性であって「真実」じゃない。

 同意します。
 たとえば私が「私の見解では、いまの重力理論は間違っていると思う」だとか「〜気がする」といったところで、それが「私」の範疇に納まる限りは問題ないでしょう。しかしその主張を普遍化し、証明しようとするときには、厳しい検証が待っているだけです。

 検証の結果、私の主張が「誤」と判定されれば、それは共有されません。しかしローカルである私の中では、あり続けるかも知れない。これは「真実」の多面性といえるかも知れません。あるひとの「真実」と別のひとの「真実」は、まったく違うものであってもかまわない、ということです。

 アインシュタインが量子力学を最後まで受け入れなかったのは有名ですが、彼は量子力学を理解できないのでも、事実を認めないのでもなく、その意味する「真実」について容認できなかったのだ、と私は理解しています。


科学と事実  投稿者:匿名希・望 投稿日: 2005年04月12日20時50分

科学は事実を扱う手法の「一つ」だけど、事実についての主張が全て科学という訳ではないよね。
科学が第一義とするのは共有可能性であって「真実」じゃない。
例えば検証しようがない事象は科学で扱えないけどそれは間違っている事を意味しない。
なんか流木氏は科学が「真実」を扱うものと思ってないかな?


進化  投稿者:とんからりん 投稿日: 2005年04月12日18時01分

>「科学の実験などで確かに証明されたことだ、と教えないならかまわない」
>このことについて皆さんの意見を聞いたまでです。

進化という現象そのものは実験でも実際の観察でも確認されて「証明された」事実でしょう(もちろんここで言う「証明された」は「地球には重力が働いている」といった程度の確からしさですが)。

ただ、原初の生命から現在の生命に至るまでの正確な進化の過程は知られていませんし、現在知られている進化のメカニズム以外の働きが存在する可能性や現代の理論より優れた進化論の存在は否定できないと思います。


こんにちは。  投稿者:ニコデモ 投稿日: 2005年04月12日16時09分

 *流木さん こんにちは。

> ところが、ニコデモさんはそのようなご主張の一方で
>「聖書の記述と科学とが一致したら、信仰が強まる」
>というご趣旨のお話もされたわけです。
>それはおかしくありませんか、そんなことは必要ですかと申し上げております。
>何の物的証拠も必要としない信仰が、物的証拠がなければ崩れ去る科学上のあれこれの
>仮説によって補強されるなどということがあり得るのでしょうか。
>そんなことは余計なこと、いらないことではないのでしょうか。
>そういう疑問を述べております。

神は物的証拠もそうでないものをも愛する者たちのために益としてもちいられます。
さまざまな出来事、出会い、環境など、すべてを神が用いてくださるということです。
物的証拠も信仰の肥料になりうるということを言っています。
物的証拠が信仰を成長させるということではありません。


こんにちは。  投稿者:ニコデモ 投稿日: 2005年04月12日15時50分

 *谷庵さん はじめまして。こんにちは。

ご指摘ありがとうございます。
僕の言いたいことは「科学的な」証明があるかないかという点でそう思うだけです。
事象の単なる証明、といえば、人間は何ひとつ証明できないだろうと思っています。
地球が丸いのも人の目にはそうみえるだけだ、となってしまいますから。
科学の勉強は嗜み程度に徐々に学んでいこうと思っています。
進化論というテーマで質問することはあるでしょうけど、議論するつもりはありません。
知っていてもらいたいのは、僕は、公教育が進化論を教えることは悪いことだと思っていないということです。

僕は個人的には、進化はなかったと考え、判断しています。
科学の判断と違うから、問題があるとは思いません。
ただ、そういう考えをしてはいけない、と強制されるなら問題だと思っているだけです。
そういう意味で書きました。
もちろん科学的に見て「進化はない。」と判断すれば、間違いです。
僕は聖書から進化はないと判断しているということです。

僕が挙げた部分、
「科学の実験などで確かに証明されたことだ、と教えないならかまわない」
このことについて皆さんの意見を聞いたまでです。
あくまで今の僕はこう思いますという主張です。
それが間違った科学の教育なら自分の質問したことを素直に取り下げるつもりです。

 なんだか流れのおかしい文章ですみません。


ここが問題と思うピョン  投稿者:たまごどん 投稿日: 2005年04月12日13時38分

流木ピョンはちょいと熱くなりすぎるタイプだピョンな。ニコデモピョンは「理科教育で創造科学を教えること、ルターの見解を支持すること、地球の自転・公転が止まったこと」について、何も主張していないピョン。いや彼はむしろ否定的なように感じるピョンな。創造科学の心棒者が、このサイトをお気に入りに入れるとは思えないピョン。

ニコデモピョンの主張は、
>ただ聖書的な立場にたって科学的に解明していこうということは悪いことではありません。【中略】(しかし)それで聖書を証明しようというなら間違いです。そう考える人は全てが証明されなくては本当に信じる信仰を得ることができないからです。(久しぶりです。  投稿者: ニコデモピョン 投稿日: 4月8日(金)04時34分18秒 カッコは補足だピョン)

ということだピョン。こうであれば、流木ピョンの

>ただ、その手の裏返しの科学万能主義が根強いように思います。「科学の研究成果と聖書の記述とが一致していたら、信仰が強まる」というのも、その一種ではありませんか。(聖書と天動説  投稿者: 流木ピョン  投稿日: 4月8日(金)22時41分42秒)のカギカッコの主張は誰だピョンか?少なくともニコデモピョンのことではないと思うのらが。

そんでね、流木ピョンが論破しているつもりのお方は、たまごどんの見たところ現実のニコデモピョンじゃなく、流木ピョンの脳内にいるニコデモピョンのような気がするピョン。

ニコデモピョンの投稿に不明確なところがあるのは認めるピョンが、全体の流れは一貫しているのだ。流木ピョンが主張を読み違えていて、トンチンカンに噛みついているようにみえるのら。流木ピョンは、もちっと落ち着いて投稿を読み直すが吉だピョンピョン。


地動説に負けるかなぁ、、、  投稿者:JA50 投稿日: 2005年04月12日10時32分

地球が太陽の周りを回っているって、誰も見た者はいない。
天動説でも、アドホックなやり方がOKっていうのなら、現在の精密な観測にも合うようにできるんじゃないですか。

証拠の多さ、確からしさ、さらにその仮説のシンプルさということから言えば、進化があったということの方の進化論は地動説より上じゃないでしょうか。


追加  投稿者:流木 投稿日: 2005年04月12日 7時14分

*(ぱ)さん

> キリスト者の信仰のあり方はこうあるべきだ、なんてことを、キリスト者でもない流木さんが言ったら、反発を買ってあたりまえだと思います。

 仮に、私が「べき」といったからといって、ニコデモさんはそれこそ痛くも痒くもないはずですよ。反発をされているようにも思えません。

 私は私の理解した範囲で「信仰のあり方というのはこうではありませんか」と述べております。それが的外れな勘違いの類であれば、それはそれでご指摘いただけばよいわけです。ニコデモさんに私の理解した範囲での信仰のあり方を強制するつもりもありませんし、当然ですが、強制することも不可能です。


何が問題?  投稿者:流木 投稿日: 2005年04月12日 7時02分

*(ぱ)さん

> ニコデモさんが「裏返しの科学万能主義」だったとして、何か問題が?
 ニコデモさんが科学を勉強したら、聖書の記述と科学は一致しないことに気付くかもしれない。

 聖書の記述と現在の科学の定説とが一致しないなんてことは、「気づく」以前の問題でしょう。イエスが水の上を歩いたり、死者を甦らせたりしたことが現代の科学で可能とされていないことは、ニコデモさんは百も承知のはずです。

 仮に、地球の自転速度は赤道付近では時速1500kmぐらいになる計算ですから、自転が急に止まったとしたら、地上には大災害が起きていたはずです。しかし、そんな災害が起きたという記録はないし、地上にはそのようなカタストロフの痕跡も見つかりません。科学的にいえば、自転の停止があったとは認められないでしょう。ですが、これは、全知全能の神様がなさったことというのであれば、地上に災害をもたらすことなく自転を止めることなどいくらでもできるでしょうし、ニコデモさんのおっしゃるように地球の自転も公転も止めることなく地上から見たら太陽が止まっているかのように見せることもできるでしょう。つまり、そのように信じることにあれこれの証拠は必要ありません。そして、信仰を持たない人間にはそうした話は全く理解不能となります。信仰は理解するものではないと申し上げているのはこういうことです。

 ところが、ニコデモさんはそのようなご主張の一方で「聖書の記述と科学とが一致したら、信仰が強まる」というご趣旨のお話もされたわけです。それはおかしくありませんか、そんなことは必要ですかと申し上げております。何の物的証拠も必要としない信仰が、物的証拠がなければ崩れ去る科学上のあれこれの仮説によって補強されるなどということがあり得るのでしょうか。そんなことは余計なこと、いらないことではないのでしょうか。そういう疑問を述べております。

 キリスト者の信仰のあり方はこうあるべきだ、なんてことを、キリスト者でもない流木さんが言ったら、反発を買ってあたりまえだと思います。


よく知らないのなら  投稿者:谷庵 投稿日: 2005年04月12日 5時43分

ニコデモ さん、初めまして。谷庵ともうします。
ちょっと気になるところがありましたので、一言。

>僕は科学そのもののことは詳しくないので、なかなか説明しにくいところです。

たぶん御自分でも意識はしていないのでしょうが、なかなか大胆な発言だと思います。
つまり『「進化論を教えてもかまわないが、教えるなら留保付きで教えるべきだ」と言う私の主張自体は正しいのだが、残念ながら科学そのものには詳しくないので、きちんと表現できない』と言っていると受け取れるからです。
どの分野の専門家であろうとも、「よく知らないけどあなたは間違っている」と言われたら、普通は怒りますよね。

たとえ間違ったことを言っても、悪意がなければ暖かく迎えてくれる人がいるのがこの掲示板の良いところですが、それに甘えず、まともな本で勉強することをおすすめします。今後も進化論について発言したいのであればの話ですが。

どこが一言じゃい、と言うつっこみは却下。


確からしさ  投稿者:(ぱ) 投稿日: 2005年04月12日 1時59分

>つまり、科学の実験などで確かに証明されたことだ、と教えないならかまわないということです。

 ここでは何度も出てきている話ですけど、科学上の説ってのは究極的には全部仮説なんですよね。確からしさに差があるというだけで。
 んで、実験室で何度も再現できて、直接観測できる事象に比べ、進化論のような、繰り返して観察することが難しい説は、確からしさが減ずるように思えるのはもっともだと思います。
 でも、それを言うなら地動説だってビッグバンだってそうであるわけで。

 進化論の確からしさがどの程度の位置づけであるかといえば、細部はともかく「進化が起きた」という点に関してだけ言えば、
 「地動説には微妙に負けるかもしれないがビッグバンには圧勝」
 ぐらいに私は思っています。


信仰のあり方  投稿者:(ぱ) 投稿日: 2005年04月12日 1時53分

>また、ニコデモさんのご発言で当方が納得できないのは「聖書の記述と科学的な知見が
>一致したら、信仰が強まる」というご趣旨のご発言についてです。
>私は、信仰と科学的な知見とは別物だと考えますので、両者が一致したからといって
>信仰が強まるというのは、裏返しの科学万能主義とでも呼ぶべきお立場ではないのですか
>とお尋ねしております。

 ニコデモさんが「裏返しの科学万能主義」だったとして、何か問題が?
 ニコデモさんが科学を勉強したら、聖書の記述と科学は一致しないことに気付くかもしれない。そのときニコデモさんは今ほど聖書を信じられなくなるかもしれないけれど、そりゃニコデモさんの問題であって、外野がとやかく言うことではないのでは?

 キリスト者の信仰のあり方はこうあるべきだ、なんてことを、キリスト者でもない流木さんが言ったら、反発を買ってあたりまえだと思います。


こんばんは。  投稿者:ニコデモ 投稿日: 2005年04月12日 0時33分

 *RYU_TI_SYUさん はじめまして。

実験で確認できるか、否か、観測できるか、否か、という言い方がいいのでしょうか。
僕は科学そのもののことは詳しくないので、なかなか説明しにくいところです。


ご挨拶を忘れてた  投稿者:RYU_TI_SYU 投稿日: 2005年04月11日23時35分

ニコデモ殿はじめまして。


証明ってなんだろう?  投稿者:RYU_TI_SYU 投稿日: 2005年04月11日23時34分

>つまり、科学の実験などで確かに証明されたことだ、と教えないならかまわないということです。

うーん、この一文で、皆様が「不安モード」に突入しちゃうんじゃなかろうか?
数学の証明みたいに【証明】された科学理論なんて一つもないということは理解されておられるんじゃろうか?

これとは、別に、
「あらゆる証拠から考えて、彼が○○氏を殺したことが『証明』された」
というような使われ方の『証明』であれば、進化論は『証明』されたと言っていいんじゃなかろうかな。


見下す  投稿者:流木 投稿日: 2005年04月11日22時48分

*大文字ナンさん(Re:信仰?  投稿者: 大文字ナン  投稿日: 4月11日(月)18時09分38秒)

 フラストレーションがたまっておられるのは、あなたの方ではありませんか。人を見下す云々も。ご自身のお書きになられたものを改めてお読みになられた方がよいように思いますね。

 なお、他人を見下すというのは、例えば、

http://www.geocities.co.jp/Bookend-Ohgai/6832/syk_sb4.html

に登場するジェームズボンドのような言辞をいいます。ご自分の書かれたものと似てませんか。


遺伝研でのお話  投稿者:かくり 投稿日: 2005年04月11日21時37分

基本的に自分の興味のあることしか見てこなかったし,質問してないので案内の人は困ってたかもしれない.

例1:キイロショウジョウバエを用いて,DNA構造を調べてた部屋にて
「その遠心分離機いくら?」
「ショウジョウバエを遠心分離かけるときに逃げる時ない?」
ちなみに溺れさせてから,遠心分離にかけるので飛んで逃げることは無いです.

例2:イネの野生種を展示しているところにて(ここは女性の方が案内されてました)
「イネ?ってタケ科だよね?」
イネはやはりイネ科だそうです(イネ科を現在2つに割るグループもあり,1つは禾本科(イネ科),もう一つはタケ科になります.イネはタケに非常に近い植物なので,タケ科と思ってたんだけどなあ〜)
タケには地下茎があって違うでしょと言われました?
「んじゃ,地下茎があるのがタケ科なの?」

女の子をいじめてはいけません
よくわかんなかったみたいです

例3:NORTON3rdさんの投稿にも出た,斉について
どうも2500年前(晏子が死んだ頃ですか?)と2000年前(前漢末期)では住んでいた民族が違うらしい
んで2500年前の墓から出た遺骨からDNAとって見たら現代のヨーロッパのに近かったと
「2500年前と2000年前と同じ所の墓からサンプリングしたん?」
サンプリングした墓の位置が違うようです

全般こんな感じ
せっかく遺伝研に行ったんだけど,ほとんど遺伝関係の質問をしていない


遺伝研の講演  投稿者:NORTON3rd 投稿日: 2005年04月11日21時15分

「救世主は出現するか?」ものすごい名前だなあと思ったら、中身は、観察機器の発達により膨大になって俯瞰することすら困難になってきた種々のたんぱく質の構造や性質に関する知見を、どういう風にしたら、そこから理論的/体系的なものを見出すのに役に立てるために、「ロジェのシソーラス」をヒントにして、どう見やすくしていくか、というハナシ(なんじゃないでしょうか?汗)
テーマとしては面白くないことはないんだけど講師の方があがってて、もたもた気味、お終いがけははしょっちゃった

地下猫様が言語学的手法との相関(じゃないかな?)について質問したときは、ひょっとして、猫さんのソシュール論でも聞けるのかとわくわくしたんだけど、猫さんもうまく考えがまとまっていなかったみたいでちょっとすべった。

つづいてtema様のド鋭い質問はストライク!講師の方が「壮大な知見のツリーを作っても、つかえねーじゃんという可能性はあります」と認めた


遺伝研の展示  投稿者:NORTON3rd 投稿日: 2005年04月11日20時48分

それにしても”ストーンコールド”たまごどんの記憶力はすごいなあ。小生なんかヨッパで自分の言ったことすらちゃんと覚えてはいない

遺伝件の展示は、各研究室を利用してテーマごとになされていて、難しいものもわかりやすいものもあったけど、一番最後に見た展示が確か進化をテーマ名に入れていました

「淘汰圧は形質ごとに算出できる」(た、単位はなんだろう?1ゲリーか1ハナゲか?)「有害な突然変異は人の場合3個/人・世代」「3とは実は1かも100かもしれないが0.1ではない」「有害な突然変異が蓄積されても閾値を超えねば実質有害ではない」「32世代たって始めて発現する遺伝だってある」「木村資生的優生学批判」(地下猫さんが”優生学”というキーワードを出しただけで説明員のアンチャンが見事に釣られた)

「春秋時代の斉人は北ヨーロッパ人?」「母集団数の影響モロな遺伝的浮動」

この掲示板で勉強したおかげで話の筋くらいは理解できました


個人的なことなので  投稿者:大文字ナン 投稿日: 2005年04月11日19時05分

http://cgi.members.interq.or.jp/wild/nan/cgi-bin/wforum.cgi?no=1578&reno=no&oya=1578&mode=msgview&pa ge=0

↑私のサイト内の掲示板に書きました。


Re:信仰?  投稿者:大文字ナン 投稿日: 2005年04月11日18時09分

>個人が個人の信仰とされるものを批判できないわけではありません。

 笑った。キミは子供か???

>それは申し訳ありませんね。で、あなたが不愉快だから、どうしろと? 

 そんなことも分からないデスか?
 分からないだろうと思って書いたが、やっぱり分からないんだ(笑。

>ニコデモさんのご発言で当方が納得できないのは「聖書の記述と科学的な知見が一致したら、信仰が強まる」というご趣旨のご発言についてです。私は、信仰と科学的な知見とは別物だと考えますので、両者が一致したからといって信仰が強まるというのは、裏返しの科学万能主義とでも呼ぶべきお立場ではないのですかとお尋ねしております。

 ↑キミのウザったい攻撃衝動がよく現れてるじゃん。流木くんはぁ、自分の納得がいかない理由でぇ、どこの誰かも分からない誰かがぁ、どこの誰かも分からない誰かの範疇の中でぇ、信仰だとか神様がいる感じだとかが深まったりぃ、なんとなく納得するってぇのがぁ、とにかく気に食わないんでしょ。

 いいよ、それで。
 そういうキャラなのね、としてキミを見るだけだから。


こんにちは。  投稿者:ニコデモ 投稿日: 2005年04月11日17時56分

 *Kosukeさん はじめまして。こんにちは。

>これは社会に対するアピールですから、イエローカードを上げたいです。

ご指摘ありがとうございます。
一説であれ、進化論は最有力説なのでそのまま最有力説だということを踏まえて教えればいいと僕は思っています。
つまり、科学の実験などで確かに証明されたことだ、と教えないならかまわないということです。
科学が教育の場面で何を教えるか、というのは僕(の信仰面?)においてはあまり重要だとは考えていません。

 *流木さん こんにちは。

>比喩や象徴はないのですか。

一切ないわけではありませんよ。

>信仰と科学的な知見とは別物だと考えますので、
>両者が一致したからといって信仰が強まるというのは、
>裏返しの科学万能主義とでも呼ぶべきお立場ではないのですかとお尋ねしております。

神はすべてのことを益として働かせてくださるということです。


あ〜あ  投稿者:Kosuke 投稿日: 2005年04月11日15時11分

wadjaさんのHN間違えちった。
スミマセン


(無題)  投稿者:Kosuke 投稿日: 2005年04月11日15時08分

私は、ニコデモさんは一貫してご自身のお考えに限定して話をされている、と思っています。つまり個人的な信仰信条を一般化しているようには受け取れません。宗教の側から科学の世界を侵そうとしているとは思えないんですわ。

却って、流木さんの彼に対するネチネチ(失礼な表現ですネ、ゴメンなさい。でも私にはそう見える)は、はたで見ていてもあまり気持ちの良いものではありません。逆の、科学の宗教に対する越権行為のように思えるのであります。
流木さんにそのような意図は無いとは思いますけれど・・・。

>個人が個人の信仰とされるものを批判できないわけではありません。

それは流木さんの自由でしょうが、そんなことは当事者同士でやって下さい。
個人の信仰を批判しようとするのには、この場は不適切なのでは?
というよりも、そんなこと掲示板でやる事なの?

wajaさんwrote
>信仰者がどのように信仰を形成するのか、科学にとってとやかく言う筋の話ではないような気がする。

激しく同意。


私としては、ニコデモさんの発言で引っかかるのは

>ただ、このことに触れるなら、進化論は一説として教える方がいいかなぁとは思います。

このところだけですね。これは社会に対するアピールですから、イエローカードを上げたいです。

その後何人かの方からの、「科学の説は全て結局は仮説である」という指摘をどのようにニコデモさんが受け取られたか、気になっております。
「『進化論は一説』というのは確かにそうなんだけど、それを言ったら、理科の教科書で全ての説に「これは一説である」と注釈を付ける事になりますよ(それはおかしいでしょ?)」という事を皆さん仰りたいのだ、ということはお解かりですよね?


信仰?  投稿者:流木 投稿日: 2005年04月11日12時59分

*大文字ナンさん(流木さんよぉ  投稿者: 大文字ナン  投稿日: 4月11日(月)02時30分13秒)

> あなたってさ、どぉしてそう他人の信条信仰に噛み付きたいわけ?

 信仰の自由は、国家による侵害から個人の信仰を守るものですね。個人が個人の信仰とされるものを批判できないわけではありません。

 また、ニコデモさんのご発言で当方が納得できないのは「聖書の記述と科学的な知見が一致したら、信仰が強まる」というご趣旨のご発言についてです。私は、信仰と科学的な知見とは別物だと考えますので、両者が一致したからといって信仰が強まるというのは、裏返しの科学万能主義とでも呼ぶべきお立場ではないのですかとお尋ねしております。

>わりぃけどムカつくわ。

 それは申し訳ありませんね。で、あなたが不愉快だから、どうしろと? 


なるほど  投稿者:流木 投稿日: 2005年04月11日12時49分

*ニコデモさん

>考え方の次元を変えてください。つまり、神は1=2にも=3にもできます。
自転も公転もそのままに地球から見て太陽が沈まないようにすることができます。

 要するに、聖書の記述は反証が一切不可能だということですね。

>肉の目で見えるものだけを聖書が示しているわけではありません。

 比喩や象徴はないのですか。

>水を与えたり、肥料を与えるのは人かもしれませんが、成長させるのは神です。

 分かったような分からないようなお話ですね。

>別ですが、その知識が成長のための肥料になることもあるといっています。

 まあ、そうなることもあるかも知れませんが、一般論としては、両者には直接の関係はないわけですね。あなたの「聖書の記述が科学の研究成果と一致していたら、信仰が強まる」というご趣旨のご発言は「そういうこともあるかも知れない」という程度のお話なのですか。


おはようございます。  投稿者:ニコデモ 投稿日: 2005年04月11日 5時00分

 *流木さん

>となれば、太陽ではなく、地球の方を止めたと考える以外になさそうですが、
>他の考え方があり得るのでしょうか。

考え方の次元を変えてください。つまり、神は1=2にも=3にもできます。
自転も公転もそのままに地球から見て太陽が沈まないようにすることができます。

>「およそ」ということは、例えば、比喩や象徴と解釈すべき箇所もあるというご認識なのですか。

聖書には過去の出来事を描いたものがありますが、
預言書などの当時から見て未来の事象を描くものもあります。
肉の目で見えるものだけを聖書が示しているわけではありません。

>それで「学べる」わけなのでしょうか。

学ぶ環境が与えられていることも「恵み」です。
信仰は神の恵みですが、プレゼントのようにポンッともらうとは限りません。
聖書ではよく、信仰を芥子種に喩えます。
種をもらうわけですが、芥子種はとても小さいものです。しかし大きく育ちます。
さまざまなことを通して成長します。
水を与えたり、肥料を与えるのは人かもしれませんが、成長させるのは神です。

>知識と信仰とは別物ではないのですか。

別ですが、その知識が成長のための肥料になることもあるといっています。
神はすべてのことを益として働かせてくださるということです。


流木さんよぉ  投稿者:大文字ナン 投稿日: 2005年04月11日 2時30分

 あなたってさ、どぉしてそう他人の信条信仰に噛み付きたいわけ?上からひとを見下ろすもの言いとか、相手が言ってもない修辞をつけたす挑発とか、わりぃけどムカつくわ。フラストレーションたまってんなら、ネットはかえって毒だぜ?


聖書の「正しさ」とは何か  投稿者:流木 投稿日: 2005年04月11日 0時42分

*ニコデモさん

>   神が地球の自転と公転を停止させられたのかどうかはわかりません。

 あなたは「天動説は堕落した聖職者が勝手にいったことで、聖書にはそんなことは書かれていない」「聖書には地動説ととれる記述もある」という趣旨のお話をされてきたわけですね。そして、その延長線上で、ヨシュア記の記述は、神が地上から見て太陽が止まっているようにされたとおっしゃったわけです。となれば、太陽ではなく、地球の方を止めたと考える以外になさそうですが、他の考え方があり得るのでしょうか。

>   映像のように写実的かどうかはわかりませんが、僕はおよそはそうだと思っています。

 「およそ」ということは、例えば、比喩や象徴と解釈すべき箇所もあるというご認識なのですか。

>    これは、神の「恵み」がどのような形で与えられるのかということが問題になります。

 それで「学べる」わけなのでしょうか。聖書を読み、キリスト教のあれこれの教義に詳しくなったとしても、その先に信仰の門が待っているわけではありません。例えば、三位一体の教理が「キリスト教がそれによって立つか倒れるかを決める重要なもの」だとしても、三位一体説を学んだ上でキリスト者になるわけではないでしょう。知識と信仰とは別物ではないのですか。


遺伝研オフ会レポートだぁ〜ピョン!  投稿者:たまごどん 投稿日: 2005年04月11日 0時02分

三島駅に着いたら、すでにtemaピョンが待っていたのら。ちょっと遅れてかくりピョン、NORTON3rdピョン、wadjaピョンとそろい、地下猫ピョンもキター!!!のら。猫というより○○だピョンな。みな「こういうツラの野郎が、こんなことやあんなことを書いているんや〜」と、自分のことは棚に上げて思っていたんだピョン。

遺伝研へ向かうシャトルバスの最後部を占拠するオッサン達は、家族連れで花見を楽しむつもりの家族連れとは一線を画していたのだピョン。バスでのお題は「猫女房と子猫、ジーコは神、掲示板の怒涛の流れ、お医者とトンデモの相関、tema妻さんは?、斉の国の民族構成、○△さん(複数)を考察すると、卵は一日一個まで」

ほっかいどーオフ会でtemaさんが人物評を作っていたのが面白かったんで、たまごどんも作ってみたんだピョン。テキトーなことを好き勝手に言ったわりに、好評だったみたいなのら。自分がどんなことを書かれていたのか知りたいピョンか?そいつは教えてあげないのら♪

遺伝研はかくりピョンも書いていたけど、桜は満開だったんで、家族連れがわらわら居たんだピョン。遺伝研は汚い建物だったピョンが、研究者にも見学者にもうら若き女性が多くて、オイラのコスモが熱く萌えたのら。ヒドラの研究、集団遺伝シミュレーション、木村のNature論文、マウスで遊ぼう、とっても面白かったピョン。

お昼になって庭で飯を食うことにしたピョン。お日様ポカポカ、チューハイごくごく、すっかり気分が良くなったたまごどんに、「午後からの講演に『救世主は生まれるか』ってのがあるよ」と誰かが囁いてくれたんだピョン。なんて香ばしいタイトルなんだろう!神様、ありがとうございますぅ!

講演に向かうと満席で、高校生がいっぱい居たピョン。講演後の質問で、猫ピョンとtemaピョンがグレイトな質問をしたんだピョン。我々はやるときにゃやるのだ。オイラ?チューハイが効いて、もちろん熟睡中だったピョン。

遺伝研から三島駅まで戻り、そこからオイラとwadjaピョンの車で駒の湯へ向かうことにしたピョン。wadjaピョン号には猫ピョンとNORTON3rdピョン、オイラの横浜流星号にはかくりピョンとtemaピョンが乗ったのら。お宿はなかなか風情があったピョンな。5時半に飯をかっ込んで、風呂へGO!なのら。露天も室内もよかったピョン。野郎6人で熱く語ったお題は、「HNの由来、たまごどん秘話、猫語完成まで、阪神首位、デイリースポーツは一字一句正しい、どうやってNATROMさんとこに辿り着いたの?、掲示板の年齢構成、愛知博はトヨタ博、金融機関のリストラとは、虫がお菓子をダメにする、昆虫求めて東奔西走、井川が完成するまで」

PEPEピョンが来るのはまだ先ということで、当然ながらガソリン補給して待つことにしたピョン。オイラは地酒とハチノコと鯉、temaピョンは名酒「猫又宗」、NORTON3rdピョンはウイロウと赤福がお土産なのら。ビールやらチューハイやら日本酒やらをカックライながらダベるのは最高だピョンな。「×○ピョンの動機、猫女房とのなれ初め、ヘコヘコの理論で向かってこられても、あきピョンは神、掲示板最大の風雲児、大文字ナンピョンの文体、うだうだ言わせろ掲示板とは何だったのか、アトピーとステロイド、著作権と一通のメール、秋刀魚賛歌、親馬鹿は三日やったら止められない、後藤寿庵ピョンの漫画」

PEPEピョンついに到着。しかし我々はいろいろな意味で出来上がっていたんだピョン。野郎六人のハイテンションにおどおどするPEPEピョンには、正直すまんかったのら。婚約者ピョンは可愛かったピョン。大事にするのが吉だピョンピョン。ちなみに「私は誰でしょうクイズ」で、彼の正解は一問だったピョン。確率いくら?
オイラとwadjaピョンは先に眠ったけど、午前1時半までダダイズムとシュールリアリズムについて語ったらしいピョンよ。よくやるピョンな。

朝起きて、NORTON3rdピョンとプロレス談義になったんだピョン。「ラッシャー木村とジョージ・ゴーディエンコ、ルー・テーズとの握手!、あなたも「夢の架け橋」に!、キラー・コワルスキー伝説を検証する、全女崩壊と松永兄弟、ストーンコールド・スティーブ・オースチンに魅せられて、四天王プロレスを懐かしむ、梶原一騎による地下プロレス伝説、ビル・ロビンソンの悔し涙、プロモーターとしての馬場正平、流智美ピョンは神、ドン・レオ・ジョナサンとジャンボ鶴田の共通点、ノリリン閣下のHP」はっきりいって、オイラじゃ歯が立たないのら。

猫女房と子猫(8ヶ月・雌)とに会い、柿田川公園に行ったピョン。鴨がいたり、水がコポコポ湧いていて楽しかったピョン。wadjaピョンはフットワーク軽く写真を撮っていたのら。○○歳に見えないコンテストでもいけそうだピョン。

最後に食事。猫ピョン推薦の鰯料理屋ですぺしゃるな料理を頂いたのら。オイラは舞い上がったから、結構高いセットを頼んだんだピョン。そしたらおかずが出るわ出るわ、「こんなに食べれるピョンか?」と思ってたら、最後の一品、鰯の塩焼き(二尾)が来て、さすがに笑えなくなったピョン。しかしそこは男の子、ベルトを緩めて頑張ったピョン。

追伸
島本和彦原作の「逆境ナイン」が、夏に実写映画として公開されるピョン。「男球ぁ」に熱く痺れる予感があるピョン。男の子なら必ず見るべし!っだピョン。


マルチレス@オフ会帰り  投稿者:wadja 投稿日: 2005年04月10日23時45分

パラドックスさんへ

レス遅れて申し訳ありません。
やっと「ドーキンスvs.グールド」は入手したんですが、週末のオフ会なんぞでまだ殆ど読めてません。パラドックスさんの仰った13章は読んだんですが、もう少しお待ち下さい。

大文字ナンさんへ

>ところで私はニコデモさんを「創造科学論者」とは思ってないんですが、なにか微妙な展開(笑)になっていて戸惑われてないだろうか?と、ちょっと心配してみたり…

wadjaも心配。別に信仰者がどのように信仰を形成するのか、科学にとってとやかく言う筋の話ではないような気がする。


Re:金になるならどこへでも    投稿者:えめ 投稿日: 2005年04月10日13時26分

いい番組、おかしな番組全部ひっくるめて結局は
「観られてナンボ」の世界ですからねぇ

見る側もそれは知ってるんだけど、でもまあ只だから「お互いにナアナアで付き合って来た」果てが最近の世相(ホリエモン)かいなと じじ放談


(無題)  投稿者:ニコデモ 投稿日: 2005年04月10日 4時46分

流木さん、こんばんは。というか、もう朝なのかな。
おはようございます。

>要するに、地球の自転と公転とを神が停止させたという解釈をなさるわけですか。

神が地球の自転と公転を停止させられたのかどうかはわかりません。

>ヨシュア記に限らず、聖書の記述は歴史的な事実をあたかもビデオ・カメラで撮影したかのように写実的に述べたものだとお考えですか。

映像のように写実的かどうかはわかりませんが、僕はおよそはそうだと思っています。

>信仰は学ぶものですか。恵まれるのではないのですか。

これは、神の「恵み」がどのような形で与えられるのかということが問題になります。


同じ穴のムジナ  投稿者:流木 投稿日: 2005年04月10日 1時57分

*ニコデモさん

>ヨシュア記の、『日よ、ギベオンの上に留まれ、月よ、アヤロンの谷に安らえ。』という箇所はイスラエル人の目から見て、太陽にそうあるように命じられたのだと思います。

 要するに、地球の自転と公転とを神が停止させたという解釈をなさるわけですか。ヨシュア記に限らず、聖書の記述は歴史的な事実をあたかもビデオ・カメラで撮影したかのように写実的に述べたものだとお考えですか。

>あらゆることを通じて学ぶということです。

 信仰は学ぶものですか。恵まれるのではないのですか。

>クリスチャンなら科学に対して「真理」という言葉は使わないと思います。

 実際のやりとりは、当方のサイト内のコンテンツ

http://www.geocities.co.jp/Bookend-Ohgai/6832/kgh_sb3.html

にも載せてありますから、ご参照下さい。


金になるならどこへでも  投稿者:RYU_TI_SYU 投稿日: 2005年04月09日23時10分

>世界・ふしぎ発見!がオーパーツ特集してます。
>グラハム・ハンコックマンセーの時から何も変わってないのね。

この調子でホリエモンのノッポン放送買収についてしたり顔で報道するんじゃからな。
へその茶が沸騰するのう。


TBSよどこへ行く  投稿者:クハ72 投稿日: 2005年04月09日21時16分

世界・ふしぎ発見!がオーパーツ特集してます。
グラハム・ハンコックマンセーの時から何も変わってないのね。


サンダーーーーショーーック!!  投稿者:RYU_TI_SYU 投稿日: 2005年04月09日17時46分

から復活!!

この前の日曜、近所ですんごい落雷があってな。
そのとばっちりで、さっきまでネットが不通じゃった。

正直、地震よりもビビッタな・・・


Re:科学という枡  投稿者:大文字ナン 投稿日: 2005年04月09日 9時39分

 ニコデモさん、こんにちわ。

>ただ科学という枡で神の創造を測ることができないということ。

 神の創造にしろ、自然の「すべて」であるにしろ、人間の力とか科学の行き着く先にはおのずと限界があるだろう、という考え方でしたら同意します。この場合、私の立場でいう「自然」は、必ずしも人間を肯定し続けるものではない、つまり人間にとって「有用」であるとは限らないものを指します。宗教的な立場でいう神はこれとは対極的かも知れません。

 ところで私はニコデモさんを「創造科学論者」とは思ってないんですが、なにか微妙な展開(笑)になっていて戸惑われてないだろうか?と、ちょっと心配してみたり…

 表題、そしてニコデモさんのレスにある通り、科学は「枡」です。信じたり信じなかったりするものではありません。使うか使わないか?という類のものです。
 宗教的立場に立つとき、湖の水は決して枡で汲み尽くすことは出来ない、と考え、神の業によって「水はそこに(無限に)あり続ける」と信じるのではないでしょうか。
 一方、科学の作法によると、行為の限界はあるだろうが、とにかく「やってみる」それでうまくいかなくなったら次のやり方を試してみるのですが、これは何かを信じているからではなく、単に「水と枡があるからでしかない、という大きな違いがあるように思います。


こんばんは。  投稿者:ニコデモ 投稿日: 2005年04月09日 4時14分

地動説らしいことが書いてあったのは、ヨブ記あたりだったと思います。
明確には記されてはいなかったと思いますが。

ヨシュア記の、『日よ、ギベオンの上に留まれ、月よ、アヤロンの谷に安らえ。』という箇所はイスラエル人の目から見て、太陽にそうあるように命じられたのだと思います。

>「科学の研究成果と聖書の記述とが一致していたら、信仰が強まる」というのも、その一種ではありませんか。

それだけによって信仰が強められるということではありません。
そういうことを通じても信仰を得ることもあるといっているまでです。
あらゆることを通じて学ぶということです。
また真理を科学(しるし)で根拠付けているというわけでもありません。

>「科学では真理とされたことが変わるが・・・

クリスチャンなら科学に対して「真理」という言葉は使わないと思います。


人権擁護法案「反対運動」に反対  投稿者:クハ72 投稿日: 2005年04月09日 2時46分

 僕自身この法案には賛否を保留していますが、2ch上で言われている反対意見には否定的です。
 マスコミはちゃんと報道してまいす。少なくとも僕が見たNHKニュースでは自民党内からも反対意見が出ていることを言っていました。

と、コピペにマジレスしてみるテスト。人権擁護法案については↓のようなサイトもあることを紹介しておく。

http://news.2log.net/nwatch/


危険な「人権擁護法案」  投稿者:ルル鉄 投稿日: 2005年04月09日 1時15分

 私は先日、「人権擁護法案」という法案について、インターネット上で知りました。一見するとよさそうな法案に見えますが、内容は全く異なります。
 その内容ですが、大まかに言うと、人権委員会が、人権侵害やそれを誘発・助長する恐れのある発言や出版などに対し調査する権限を持っていて、事情聴取等の協力を拒否した場合には、罰金等の処罰があります。もし人権を侵害していると認められた場合、当該行為をやめるよう「勧告」され、従わない場合には氏名等の個人情報を含む勧告内容が「公表」されてしまうのです。
 この法案の問題点は第一に「人権侵害」の定義があいまいなため、恣意的な拡大解釈がまかり通ってしまう点です。また、人権委員会の行動を監視する機関などがないため、人権委員会の権力があまりに強大な点も問題です。
 さらに実務をこなす人権委員の人数は5人(常任は2人)と十分な人数とは思えません。この人権委員と実際の調査などを行う下部組織の「人権擁護委員」(2万人以内)には国籍条項もありません。委員の人選の仕方も不透明です。
 しかし、一般マスコミはなぜこのことを報道しないのでしょうか。数年前、同じような法案が話題になりましたが、それはマスコミに対する規制があったからであり、今回の法案はその条項が「凍結」されました。マスコミが報道しない理由について、法案が可決されればネット上の掲示板、ブログ等の情報などが規制され、テレビなどでの情報操作がしやすくなるから報道をしていないという説まであります。
 この法案によってやろうとしていることは、「人権擁護」なのではなく、「言論弾圧」です。小説や映画などにも影響が出るでしょう。この法案は成立させるべきものではありません。皆さんにこの問題を知っていただければと思い投稿しました。この法案が廃案になることを切に願っています。


科学と仮説  投稿者:流木 投稿日: 2005年04月09日 0時50分

*ニコデモさん

>ただ、このことに触れるなら、進化論は一説として教える方がいいかなぁとは思います。
進化論に並び立つ説がないというだけのことです。

 進化論に限らず、科学上の学説は仮説です。どの程度、反証テストに耐え抜いてきたかの違いはあるにせよ、仮説は仮説ですから、明日にでも何かの証拠が挙がって、覆るかも知れません。

 また、ある仮説が支配的な学説となっているのは、ありとあらゆることが説明できるからでもありません。ニュートン力学で説明できない現象が観察されても、ニュートン力学に替わるだけの仮説が示されるまでは、ニュートン力学は支配的な学説でしたし、今日でも、一定の範囲においてはニュートン力学で考えても何の問題も生じないわけです。アインシュタインの相対性理論でもうまく説明できていない現象はありますし、理論的にはそうなると予言されていても、まだ証明できていないこともあります。心霊スポット番組などでは「科学では説明のつかないことがまだまだあります」とかいってしめくくるのが常ですが、そんなことは当たり前です。科学で森羅万象が何もかも分かっているなどというのは、科学に疎い人でしょう。

 「科学では真理とされたことが変わるが、聖書に書かれた神様の真理は変わらないから、私は神様の真理を信じます」とか信仰表明をして、自己陶酔する方もおられますが、もともと全くの別物なのですから、並べて論じている時点でピント外れだといわざるを得ません。万有引力の法則を信じようが信じまいが、ビルの屋上から飛び降りれば、我々は地上に激突するしかないのです。

 まして、その神様の永遠不変の真理なるものを、永遠でも不変でもない科学上の学説で根拠づけようとか試みるに至っては、矛盾という他ありません。それは滑稽でしょう。


聖書と天動説  投稿者:流木 投稿日: 2005年04月08日22時41分

*ニコデモさん

 こんにちは。

>天動説と地動説の話ですが、たしかに教会は天動説を主張していました。
これは聖職者の考えであって聖書の教えではないということです。
教会史には詳しくないですが、堕落が続いた時期もあるということです。
必ずしも聖書に立脚した教理だということではありません。
実際聖書には天動説の話はなかったと思います。

 どうですかね。ヨシュア記(10:12−14)には、

「主がアモリ人をイスラエルの人々に渡された日に、ヨシュアはイスラエルの人々の前で主に向かって言った、『日よ、ギベオンの上に留まれ、月よ、アヤロンの谷に安らえ』。民がその敵を撃ち破るまで、日は留まり、月は動かなかった。これはヤシャルの書に記されているではないか。日が天の中空に留まって、急いで没しなかったこと、おおよそ一日であった。これより先にも、後にも、主がこのように人の言葉を聞きいれられた日は一日もなかった。主がイスラエルのために戦われたからである」

とあります。太陽がもともと動いていないのなら、太陽に「留まれ」ということは無意味になるでしょう。だから、太陽が地球の周りを回っているのであって、逆ではないというのが、ルターが地動説を批判した際の根拠です。

 なお、天動説が支配的な学説であったのは、キリスト教会の影響力によるものではありません。古代の地動説では、天動説からの批判に十分に答えられなかったからです。今日、天動説を正しいといいはることは正当化できそうもありませんが、当時はもっともな理由があったのです。今日の知識に基づいて「地動説は正しく、天動説は間違い」と簡単に片付けるのは必ずしも正しくありません。

>ただ聖書的な立場に立って、科学的に解明していこうということは悪いことだとは思いません。
それが別の分野も含め、新しい発見をしたり、科学の発展に繋がるかもしれません。

 過去にはそうでしたが、今日ではどうでしょうか。少なくとも、創造科学のような立場は、科学上の新たな知見に寄与しそうもありません。最初に、彼らの解釈に基づく聖書の記述があって、その結論に合うような「証拠」をかき集めてきて、批判されると、最後には「聖書に書いてあるから正しい」と開き直るのでは、何の証明にもなっていません。「聖書は(信仰の書物として)正しい」というのであれば、あれこれの証拠など不要でしょう。証拠を必要とすることが自らの信仰についての自信のなさの現れだと思います。

「パリサイ人たちがやって来て、イエスに議論をしかけ、天からのしるしを求めた。イエスをためそうとしたのである」「イエスは、心の中で深く嘆息して、こう言われた。<なぜ、今の時代はしるしを求めるのか。まことに、あなたがたに告げます。今の時代には、しるしは絶対に与えられません>」(マルコ8:11-12)

>それで聖書を証明しようというのなら間違いです。

 そうですね。ただ、その手の裏返しの科学万能主義が根強いように思います。「科学の研究成果と聖書の記述とが一致していたら、信仰が強まる」というのも、その一種ではありませんか。


横レス失礼します  投稿者:com 投稿日: 2005年04月08日12時18分

こんにちは。お久しぶりです。

ニコデモ初めまして&横レス失礼します。

まず、皆さんが読みやすいように、区切りのいいところで改行するようにしましょう。

一点のみ指摘を。

>ただ、このことに触れるなら、進化論は一説として教える方がいいかなぁとは思います。

科学で正しいとされるのは、現時点で集められた証拠からより正しいと考えられる学説(もっといい表現があるかもしれません)のことです。将来的に現在の進化論が補正される可能性もあります。

そういう意味では、「進化論」は単なる「一説」に過ぎませんが。
#もっとも、現時点で一番正しいと考えられる「一説」ですが。


つまりこういうこどだな  投稿者:JA50 投稿日: 2005年04月08日 8時39分

創造論と進化論の話ですが、たしかに教会は創造論を主張していました。
これは聖職者の考えであって聖書の教えではないということです。
教会史には詳しくないですが、堕落が続いた時期もあるということです。
必ずしも聖書に立脚した教理だということではありません。
実際聖書には創造論の話はなかったと思います。
(創世記の部分ではそのようなものがあったかもしれません。)
聖書にはむしろ進化論を示すような記述があります。
教会の説いた創造論は、当時の世界観のものに過ぎなかったということです。

ブルーノやガリレオに対し罪を犯した教訓は、こういうことだ。
宗教が科学に首をつっこむな。
分を守れと。


久しぶりです。  投稿者:ニコデモ 投稿日: 2005年04月08日 4時34分

*大文字ナンさん お久しぶりです。(^^;
「信条」という言葉の捉え方でしょうか?
温度差というか、そういう感じのものがあると思います。
言葉で説明するのは難しいのですが、これが誤解を生むのだと感じます。
別に創造科学を肯定しているということではありません。
ただ科学という枡で神の創造を測ることができないということ。
それを僕は信じているということです。
*流木さん はじめまして。レスありがとうございます。(^^)
僕は創造科学を支持しているわけではありません。
創造論を支持しているだけです。(^^;
ですから学校の教科書云々については特に首を突っ込んで言うつもりはありません。
ただ、このことに触れるなら、進化論は一説として教える方がいいかなぁとは思います。
進化論に並び立つ説がないというだけのことです。
天動説と地動説の話ですが、たしかに教会は天動説を主張していました。
これは聖職者の考えであって聖書の教えではないということです。
教会史には詳しくないですが、堕落が続いた時期もあるということです。
必ずしも聖書に立脚した教理だということではありません。
実際聖書には天動説の話はなかったと思います。
(ヨセフの見た夢の部分ではそのようなものがあったかもしれません。)
聖書にはむしろ地動説を示すような記述があります。
教会の説いた天動説は、当時の世界観のものに過ぎなかったということです。
>進化生物学を否定しなければ、創造説が成り立たないかのよう・・・、
創造論にはいろいろな形がありますが、僕は進化があったとは思っていません。
もちろん科学的な根拠はありません。
また進化の有無をどう捉えるかというのは信仰とはあまり関係ないことも確かです。
この点は大文字ナンさんの仰ることに相当します。
>創造科学を支持するキリスト者は、ご自身の信仰に自信が持てないのでは・・・。
そういう人は「ダヴィンチ・コード」を見ただけでも猜疑心を持つと思います。
ただ聖書的な立場に立って、科学的に解明していこうということは悪いことだとは思いません。
それが別の分野も含め、新しい発見をしたり、科学の発展に繋がるかもしれません。
それが公正な判断を欠くものであったり、それで聖書を証明しようというのなら間違いです。
そう考える人は全てが証明されなくては本当に信じる信仰を得ることができないからです。
また仮に全て証明されたとしても、それを信じることは信仰ではないわけです。


>ネタ振り寝たふり  投稿者:EzoWolf 投稿日: 2005年04月07日12時41分

>祝中学校教科書に進化論復活

二次方程式も復活してますな。まずは目出度い。

>歴史教科書は・・・まぁいいや(^^;)

教科書がどうというより、近現代史は時間切れの学校が大部分というほうが
問題でしょうね。

しかしたまごちゃん (^-^)ノ の妹と我が娘が同学年とは。


ネタ振り寝たふり  投稿者:たまごちゃん (^-^)ノ 投稿日: 2005年04月05日20時22分

http://news.www.infoseek.co.jp/topics/society/education.html?d=05kyodo2005040501001636&cat=38

最近マターリしているからネタ振り。
祝中学校教科書に進化論復活。
個人的には、うちの妹(春から中学生)は脱ゆとりに間に合ってよかったよかった。小学校までゆとり教育できたから、ギャップに多少苦しむかもしれんが、進化論もイオンも知らないまま中学校卒業するよりはずっとまし。
私とか弟(春から高三)は外れくじを引いちゃったよなぁ。(まぁ、私とかはゆとり教育始まりかけのころだからまだましなんだけど。)

歴史教科書は・・・まぁいいや(^^;)
うちの妹の学校はどこのを使うんだろう。扶桑社じゃありませんように・・・。


おしらせ  投稿者:地下に眠るM 投稿日: 2005年04月05日19時38分

ツリーのほうに遺伝研花見オフについて最終確認レスをいれたので、よろしくね


亀レスです  投稿者:wadja 投稿日: 2005年04月02日10時44分

To:パラドックスさん

レスが遅くなって申し訳ありません。wadjaは木曜日この掲示板にはアクセスできなかったのですが、時間帯によっては書き込みできたんですね。

>K.ステルレルニー「ドーキンスVSグールド」(筑摩書房、ちくま学芸文庫)「第13章 論争を要約してみれば」を読んでください

今日にでも本屋にいって捜して来ますので、しばらくお待ち下さい。

#人に本を薦める割には、この本を読んでないので気になっていたのであった。


啓蒙主義的資質と懐疑主義的資質の両方を社会は必要としていると思います。  投稿者:パラドックス 投稿日: 2005年03月31日20時50分

wadjaさんへ

>ドーキンスとグールドの個別の進化論に関する理論の違いは、その根本に科学に関する啓蒙主義と懐疑主義があるように思います>>>>
*************
の根拠が、「あの本のあの辺りなんかそうだよ」って部分でもあればお願いします。
*************

R.ドーキンスの啓蒙主義的資質が端的に示されている言説。

//私は進化に基づいた道徳を主張しようというのではない。私は、単に物事がどう進化してきたかを述べるだけだ。......われわれが利己的に生まれついている以上、われわれは寛大さと利他主義を教えることを試みてみようではないか。われわれ自身の利己的な遺伝子が何をしようとしているかを理解しようではないか。そうすれば、少なくともわれわれは遺伝子の意図をくつがえすチャンスを、......つかめるかもしれないのだから。/////
R.ドーキンス「利己的な遺伝子」紀伊國屋書店、邦訳1991年版、P.18
--------------
S.J.グールドの懐疑主義的言説
(いずれも、S.J.グールド「ダーウィン以来」早川書房、ハヤカワ文庫、から)

//私はこれまで、科学者が説く「真理」はその時代に支配的な社会的.政治的信条からヒントを得た偏見でしかないことがよくある、という一般論を強硬に言いつのってきた。//
(P.66)
//理論が変更されるのは、新しい発見から生ずる単なる派生的な結果としてではなく、その時代の社会的.政治的な力に影響を受けた創造的な想像力の働きの結果としてである。
(P.302)

このような二人の科学に対する接し方の違いがどのような理論の違いに及んでいるかは、
K.ステルレルニー「ドーキンスVSグールド」(筑摩書房、ちくま学芸文庫)「第13章 論争を要約してみれば」を読んでください。


ご意見、ご要望がございましたら、掲示板か、 e-mail:natrom@yahoo.co.jpへどうぞ。


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