進化論と創造論についての掲示板ログ294

2005年01月06日〜2005年01月08日
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迷惑メール  投稿者:(ぱ) 投稿日: 2005年01月08日23時46分

 谷庵さんが既に答えておられますけど。

>インターネットカフェからアドレスが漏れるということはあるんでしょうか。

 谷庵さんが挙げておられるように、キーロガーとかもありますから、可能性はゼロではないですが、あまり高くはないと思います。
 私のところにもたまに「メールアドレス買いませんか」という宣伝メールが来ますが、100万件で1万円とか、そんなもんです(今探したら、『メールアドレスデータ(ドコモ120万件/PC700万件)』に配信ソフトやら掲示板URL(2万件)やら各種の儲ける方法を加えて¥19000ってのがありました(笑))。
 ネットカフェでちまちま収集しても、費用対効果で割に合わないと思います。

>複数の方に同じメールを送信された場合、他の方のアドレスも、
>私のパソコンに表示されます。といことは、別の方のパソコンにも、
>私のアドレスが表示されているのでしょうか。

 これは当然表示されています。けれど、そんなところから、メールアドレス販売業者にアドレスが伝わるものでしょうか。可能性はゼロではないですが、あまり疑心暗鬼になるのも精神衛生上よろしくないのではないかと。

 メールアドレスは、個人ごとに固有なのは@の前の部分だけですが、そこに「辞書にある単語を片っ端から当てはめて送信する」という手口もあります。

参考ページ:
http://www.clubbbq.com/spaminfo/medium.html

>それと、リモートホスト名というのは、HPのオーナーじゃなくても
>解析できるのですか。

 この掲示板(teacupにより提供されています)は「誰にでも丸見え」状態で、HTMLのソースを開けば参照可能です。Internet Explorerを使っておられるのなら、「表示」メニューの「ソース(C)」でソースを開けば、こんな感じで書いてあります(以下は私の)。


 リモートホストを公開しちゃう掲示板はteacup以外にはそうそうないと思うのですが、別にリモートホストがばれたってそれで迷惑メールが届くわけでも、コンピュータに侵入されてひどいことをされるわけでもないので、さほど気にする必要はないと思います。リモートホストで識別できるのは、プロバイダのコンピュータであり、基世さんの自宅のコンピュータではないからです。
 teacup以外の掲示板だと、リモートホストは、管理者以外知ることができないようになっているところが多いと思います。

>パスワードとハンドルネームは同一にしないほうがいいのでしょうか。

 何のパスワードかわかりませんが、一般的に言って、そりゃそうでしょう。


遅まきながら  投稿者:長谷川寿紀 投稿日: 2005年01月08日23時31分

謹賀新年

創造論(創造科学)に反対するというスタンスをとりながら、さりげなく
聖書の創造論の普及に貢献してくださる主催者と参加者の皆さんに感謝申
し上げます。
May God (Hashem) bless you.

http://158.teacup.com/kenko/bbs


はじめまして  投稿者:てつお 投稿日: 2005年01月08日22時44分

sci05 様

はじめまして。
>私も信仰を持つものとして、絶対の真理を知っていますが、
理由を聞かれても「真理だから」としか答えられません。

差し支えなければ、どのような信仰をお持ちか、お聞かせ下さればと思います。


循環栄和  投稿者:sci05 投稿日: 2005年01月08日22時35分

#あ、タイトルの変換間違った。

>> 「聖書は正しい。なぜなら、聖書に『聖書は正しい』と書いてあるからだ」
>> これは循環論法ですが、信者には十分でしょう。

> そこまであからさまな主張はされないのではないでしょうか。

でも、突き詰めるとそこに行っちゃうでしょ?
私も信仰を持つものとして、絶対の真理を知っていますが、
理由を聞かれても「真理だから」としか答えられません。

「・・・は絶対の真理である。なぜなら、絶対の真理だからだ」

私は堂々とそう主張します。


> 1 神の言葉(を記録したもの)だから。
> 2 教祖様が言ったから
> 3 (私が)信じるから
>  4 そうでないと救われないから

> といった理由付けで説明されているようです。これら(の一つ)が十分な
>理由付けになるかどうか、信仰者とそうでない者の間に決定的な断絶がある
>のではありませんか?

非信者にはどれも理由にならんですからね。
たとえば、聖書&1のパターンで行くと、
「聖書が神の言葉を記したものである根拠は?」と問えば、
最終的には「聖書に書いてあるから」と答えるしかないでしょう。

で、その理由は、
私のように聖書が御伽噺でありヤーウェは実在しないことを知っている人間には通用しないのだな。

もちろん、逆のパターンでも同じことが言えて、
真実の聖典(固有名詞も通称もないのでこう記す)が御伽噺であり、
真実の神(固有名詞も通称もないのでこう記す)が実在しないことを知っている人間
(たとえばキリスト者)には、
「・・・は絶対の真理である。なぜなら、絶対の真理だからだ」
という主張は通用しません。


絶対の真理と価値規範  投稿者:sci05 投稿日: 2005年01月08日22時20分

>おお、僕も忘れてたにゃ。ご丁寧にアリガトさんですにゃー
>せっかくなので、レスを返すにゃ

いえいえ、読み落としてまして、すみません。

#アテネのせいだな(笑)。


>そうかもしれにゃーね、にゃっはっはっはっは。
>ここの板では宗教擁護にまわることの多い僕だけど、
>正月に近所の神社の前で初詣客を相手にクソ馬鹿キリスト教徒が
>テープを大音量でお下劣な説教を流しつづけていたのには
>正月から血圧が上がったにゃんよ。ありゃどこの宗派だろ?

本人は良かれと思ってやっていることなんでしょう。
初詣は一般行事と化しているから、参拝者の中に神道信者は少ないだろうけど、
それにしても礼儀ってものがあるだろう。
私は無礼なキリスト者を見てもいまさら驚かないけど、
免疫のない人は驚いたかもしれないね(笑)。


>これは興味深い!
>宗教とテツガクをわけるのは、規範性だと僕は思っていたからにゃ。

確かに、この部分はA教とA教以外の宗教の一番の相違点かもしれない。


>というわけで、A教は興味深いにゃ。
>宗教でいう真理であるからには、それは仮説ではにゃーと思われますにゃ。

はい。絶対の真理であり、仮説ではありません。


>そうした真理が価値規範とまったく別個に存在しえるとはいかなる事態か?

実は深く考えたことがなかったので、ちと考えてみた(笑)。
表面上の理由としては「善悪や正邪に関する真理を有しない」ですね。
A教の教義は多くの真理から構成されていますが、
「・・・は正しい」とか「・・・は善である」という真理はないのです。
で、その本質的理由は、「人間は、副産物(ゴミ)である」という部分でしょうか。
絶対の真理が、ゴミの行動規範に結びつくことは、普通ありえないでしょ?
ゴミでない生物からしたら、「ゴミはゴミらしくしていろ」と言いたくなるんだろうけど、
この主張はゴミには通じないので。


RE:迷惑メール  投稿者:キンシャチ 投稿日: 2005年01月08日21時51分

基世さん

基世さん。こんにちわ。
迷惑メールについては、以下のサイトが判りやすかったです。御参考になれば。
『新・変なメールを受け取ったら』
http://www.kumat.com/hennamail/index.htm

失礼などと思いもしませんでした。御安心下さい。
それに、弱いものいじめ発言は基世さんではありません。


迷惑メール  投稿者:谷庵 投稿日: 2005年01月08日17時59分

私はあまり詳しくないのですが、間違っていたら誰かが訂正するでしょうからお答えします。

>最近メールに、迷惑メールが頻繁に入るようになりました。
インターネットカフェからのメール交換をしている人が一人いますが、どうもその時期と重なるんですが、インターネットカフェからアドレスが漏れるということはあるんでしょうか。

インターネットカフェではキーボード操作の履歴を盗まれることがあります。
ただし、目的はネットバンクへの侵入ですから、迷惑メールとは関係ないでしょう。たぶん。

>複数の方に同じメールを送信された場合、他の方のアドレスも、私のパソコンに表示されます。といことは、別の方のパソコンにも、私のアドレスが表示されているのでしょうか。

その通りです。
ですから、仲間内でない人に同時送信する場合には、宛先を自分にしてBCC機能を使うべきです。

また、@以下が決まり切ったアドレスにはよく迷惑メールが来ます。
受け取り拒否の返信をすると、実在するアドレスであることが知られてしまうので削除するだけにしましょう。

>それと、リモートホスト名というのは、HPのオーナーじゃなくても解析できるのですか。

この掲示板では誰でもリモートホスト名を見ることが出来ます。


基世さんへ  投稿者:てつお 投稿日: 2005年01月08日13時52分

基世さん。
あなたはキリストを立派に「証し」しています。
信仰は与えられたこと自体、恵みであり、奇跡なのだ、と言った、私の言葉を本当に良く、理解してくださいました。「証し」は、自分の言葉や論理によるのでなく、まさにあなたのような柔軟な態度にこそあらわれているものなのでしょう。「進化論と創造論」掲示板ではあるけれど、皆さん、言葉にこそ出していませんが、感じていることと思います。
あなたの優しい言葉と、馬カガク主義への私の挑発と、どちらが人の心に届くものか、明らかですね。
「論理学者たちの間で怠惰な論理と呼ばれるもの、つまり詭弁でさえ、ケルソスの判断に基づく限り詭弁ではないが、健全な論理によれば詭弁なのである。・・・オリゲネス」
四福音書はイエスの周辺にいた弟子たち、またその口伝をもとに書かれました。その後、ローマにも福音が広がったので、ケルソスという哲学者がばかげた「福音」を書いたのですが、ひとつ言えることは、だれもケルソスの福音によって、善いものは何ひとつ求められなかったということだけです。およそ、信仰を持った人で、こんなものを相手にすることはありません。オリゲネス自身、ののしられてもののしり返さず、自らは沈黙を保ち、弁明すらしようとしなかったイエスの姿を心に置きながらも、なぜこんな馬鹿げた対話をしなければならないのかという気持ちで、この哲学者と議論したのだろうとは思います。


誤字の話じゃなかったのに…  投稿者:(ぱ) 投稿日: 2005年01月08日13時15分

ああ、もう。

>想像→創造
>でした。飲み過ぎです。すみません

私はこの誤変換には気付いてもいなかったので、

>「この宇宙を創造した神様なんているわけがない」

誰も(少なくとも今年に入ってからは)こんな主張はしてませんよね?

ということで再確認させてください。


訂正と補足。  投稿者:基世 投稿日: 2005年01月08日13時14分

(どなたか教えてくだい。)→さが抜けてます。どなたか教えてください。

あと、私は携帯電話は使用してません。(この町で、私だけかも・・・)


信仰の話じゃないから。  投稿者:基世 投稿日: 2005年01月08日13時04分

(もう十分だ!」と叫ぶべきときだ 投稿者:(ぱ)  投稿日: 1月 7日(金)20時27分55秒 )

>>どうしてそんなにこだわるのですか。

> 別に、こだわるわけじゃないでしょう。
 誰かが、日本史や民話の掲示板なりで、「桃太郎の鬼退治は歴史的事実だ」と主張すれば、「根拠は?」という反応があるのが当たり前ではないですか? 

(P)さんへ、
そのとおりでした。ご指摘ありがとうございます。
私も、キリスト以外の人が復活したと主張する人がいたら、益があろうがなかろうが、話を聞いてみたいと思うかもしれません。私には、キリスト以外にはないだろうと思うから、どうでもよく見えるのですよね。
相手の立場全く尊重してませんでした。キンシャチさんには、また失礼なこと書いてしまいました。改めてお詫びします。

>これが「弱い者いじめとほとんど大差ない」んですか?

「弱い者いじめとほとんど大差ない」などとは思ってませんし、発言もしてませんので、こちらで訂正させていただきます。

ここからは、掲示板のパソコン得意な方へ(どなたか教えてくだい。)

最近メールに、迷惑メールが頻繁に入るようになりました。
インターネットカフェからのメール交換をしている人が一人いますが、どうもその時期と重なるんですが、インターネットカフェからアドレスが漏れるということはあるんでしょうか。
複数の方に同じメールを送信された場合、他の方のアドレスも、私のパソコンに表示されます。といことは、別の方のパソコンにも、私のアドレスが表示されているのでしょうか。
同じ教会の姉妹なのですが、あまり親しくもないので、言い出しかねてます。
Yahoo!とcyberbb いつも女性名で、件名がなんか開いてみたいような文句なのです。

それと、リモートホスト名というのは、HPのオーナーじゃなくても解析できるのですか。
パスワードとハンドルネームは同一にしないほうがいいのでしょうか。

ホームページ安全講座というのを読んでみましたが、よく理解できませんでした。
(著者に聞くのが一番とか言われそうですが、)よろしくお願いします。


馬カガク主義もいらして下さい  投稿者:てつお 投稿日: 2005年01月08日12時18分

谷庵さん、ありがとうございます。馬カガク主義のお二人も来て下さい。以下の内容の返信も、お待ちいたしております。地下猫さん。Goodです。

マルチン・ルターは、実に哀れでした。実際、「科学とか証拠とかの客観的なツール」を使わずに、キリストとその復活を信じていたのですから。馬カガク主義の私としては、実にあきれたものです。
さらに、彼の聖書に対する態度は、「循環論法」そのものです。「聖書以外」の権威を信仰において、認めていないのですから。根拠も何も、あったものではありません。幾らルターに聞いても「聖書に書いてある」としか、答えないでしょう。なので、「キリスト者の自由」は、一種の詭弁に満ち満ちています。現代の著名な神学者カール・バルトも、「聖書に書いてある」、もしくは、せいぜい、「聖書のなかの隠れた神」に、聖霊によって示されたとでも言うくらいです。「循環論法」の番人は、こうして、「科学とか証拠とかの客観的なツール」が流入するのも、流出するのも、防いでいます。キルケゴールも、思弁哲学の水際で、土嚢を築きあげました。「実存」と言ってしまえば、暴力的に沈黙を押しつけることができるからです。この「沈黙」は、ウィトゲンシュタインも情熱をかけて、擁護したほどです。
アッシジのフランチェスコになると、それはそれは目も当てられません。現代のような科学的な態度であれば、フランチェスコとて、ああは貧しくはならなかったでしょう。
そもそも、イエスその人は架空の人物なのですから。デッチ上げの福音書に、何の意味がありますか?聖書の巻末に、「これはすべてフィックションです。いかなる団体、人物名の呼称も架空のものです。」と明記しなければなりません。出エジプトもなかった。洗礼者ヨハネや、ペテロやパウロも実在の証拠はあるのですか?彼らは「歴史的事実だ」と信じているだけです。私はすべてフィックションだと信じています。だれも、イエスが復活した瞬間を見ていません。私は復活はあり得なかったと信じています。
「科学とか証拠とかの客観的なツール」により、宗教を吟味する必要があります。罪を告白して赦されたとか、愛とか、生きること死ぬこととか、あるいは「いのちを得ようとする者は、これを失い、いのちを捨てる者が、これを得るのです」だなんて、そんな話しの類いで、馬カガク主義の私は、キリスト教を考えたことなどありません。というか、知りません。手品を暴くことに興味があるだけです。私は馬カガク主義だからです。キリストの復活は「桃太郎の鬼退治は歴史的事実だ」と同程度のことだと信じています。なので、馬カガク主義上「根拠は?」と尋ねても、当然なのです。
人は自らを病いある者として、告白し、その苦悩によって信仰に近づき、かつ信仰が強められるのではなく、「科学とか証拠とかの客観的なツール」が足りないのに、まちがって入信しまったとしか、私には思えません。
 ノアは、神の使信を受ける以前に、「科学とか証拠とかの客観的なツール」を使って、洪水からの救済を検討すべきでした。現代はそれが出来ます。空を越えて、ラララ、宗教のない世界へ。私たちは、科学の子です。

こうなるのでしょうか?

http://otd9.jbbs.livedoor.jp/915865/bbs_plain


す、すみません  投稿者:えめ@今起きた 投稿日: 2005年01月08日10時39分

>「この宇宙を想像した神様なんているわけがない」ってのも同じくらいの「非科学的」主張だと思うけどねぇ
想像→創造
でした。飲み過ぎです。すみません


想像しちゃった  投稿者:谷庵 投稿日: 2005年01月08日 9時47分

>「この宇宙を想像した神様なんているわけがない」ってのも同じくらいの「非科学的」主張だと思うけどねぇ

そうか、この世界は神様の想像なのか。
私も時々エッチな想像をしたりするけど、世の中でアンナことやコンナことが起こっているのは、そうか、そうなのか。
でも、私は残虐な想像というのはしないけど、神様は結構Sなのか。
なんちゃって。

宗教スレ、ツリーの方に作りました。


昨日のミケによる投稿の解説  投稿者:ミケ@同居人のパソコン 投稿日: 2005年01月08日 7時32分

もしも、「優れているもの/良いものが生き残ってきている」ことが事実だったとしても、
「優れているもの/良いものが生き残るべきだ(生き残ってよい)」とはならないんです。

進化の過程で[悪に見えるもの]が重要な役割を果たしてきたことが事実であっても、
その[悪に見える行為]をしても良いということにはならないってことです。

つまり、侵略行為が(少なくとも倫理的に)正しかったかどうか述べる根拠として、
科学的事実を持ってくることは、科学的態度ではないよねと言いたかったわけです。


たまごちゃん (^-^)ノ の発言についてですが、
上のことを念頭に置いた上で読めば、「1個体」にしようと「数万個体」にしようと、
彼女の言っていることは筋が通ると思います。
たまごちゃん (^-^)ノ の指摘は、救キリスト狂信者さん の態度に関するものであり、
生物学に関する科学的事実とは無関係に成立します。(<野暮かなぁ?)


Re:世界は  投稿者:(ぱ) 投稿日: 2005年01月08日 3時27分

えめさんはわかってておっしゃってるんだろうと思いますが、念のため。

>「この宇宙を想像した神様なんているわけがない」

誰も(少なくとも今年に入ってからは)こんな主張はしてませんよね?


試練なのです!  投稿者:えめ 投稿日: 2005年01月08日 3時05分

yebisu500 様
試練です!これは貴方への試練なのです!!
教祖様がウンチ、あまつさへオシッコとは!
はしたない姿を想像してしまった貴方!今すぐ懺悔なさ〜いっ! 


RE:循環論法  投稿者:yebisu500 投稿日: 2005年01月08日 2時32分

 普段は ROM なのですが、ここのところの流れの激しさには目が回ってしまいます。

# NECの…では無かったんですね、「98」。

 別に、sci05 さんのご意見が特にどうだ、という訳ではありませんが、

----投稿者:sci05  投稿日: 1月 7日(金)23時03分23秒
> 「聖書は正しい。なぜなら、聖書に『聖書は正しい』と書いてあるからだ」
> これは循環論法ですが、信者には十分でしょう。

 そこまであからさまな主張はされないのではないでしょうか。

 1 神の言葉(を記録したもの)だから。
 2 教祖様が言ったから
 3 (私が)信じるから
  4 そうでないと救われないから

 といった理由付けで説明されているようです。これら(の一つ)が十分な
理由付けになるかどうか、信仰者とそうでない者の間に決定的な断絶がある
のではありませんか?

 そこで、「たまごは1日1個まで」はなぜか、とうかがいたいのですが。
私の中では当然のことと理解できるのですが、どうもカガク信者には理解
しがたいようです。

 ちなみに、これは事実であるはずがありません。永遠の17歳教祖様が
そんなこと!

----投稿者:たまごちゃん (^-^)ノ  投稿日: 1月 4日(火)13時15分18秒
> もし平成元年2月3日午前4時5分にたまごちゃん (^-^)ノは実はトイレでおしっこ
>していたけど、本人も含め誰もそのことを覚えていず、全く証拠がない場合、
>その時刻たまごちゃん (^-^)ノがおしっこしていたということは歴史的事実と
>いえるのか言えないのか。

#今日は yebisu1000


世界は  投稿者:えめ 投稿日: 2005年01月08日 2時10分

神様が拘わっているかも知れないし、いないかも知れない
「まあ、神の意志以外に理由がつくのならそこの部分までは神様が拘わっていなくても良い事にしましょ、後は『まだ解らない』にしましょうか」と言うのが「科学」だと認識しています。随分と牧歌的な言い回しですが…
ですから究極的な問い「神様っているの」の科学的な答えは「解らない、ただ今ン所存在は証明されていないねぇ」が正解だと思うけど
「この宇宙は神が創造したに決まってる」と同様に「この宇宙を想像した神様なんているわけがない」ってのも同じくらいの「非科学的」主張だと思うけどねぇ
「神」がいないと言う論調をきちんと主張出来るなら聞いてみたいな
 ただ「神」と言う概念についてのチューニングが必要だろうけど。


それは興味深い  投稿者:地下に眠るM 投稿日: 2005年01月08日 1時55分

おお、僕も忘れてたにゃ。ご丁寧にアリガトさんですにゃー
せっかくなので、レスを返すにゃ


>では、統一教会会員の言動で、キリスト教の教義に反している部分ってなに…
>確かに、一般社会の基準で「悪」とされる行動を支持しているのは確かだけど、
>それを「キリスト教の教義に反している」と言ってしまうと、
>この世にキリスト教会なんてなくなってしまうような。

そうかもしれにゃーね、にゃっはっはっはっは。
ここの板では宗教擁護にまわることの多い僕だけど、正月に近所の神社の前で初詣客を相手にクソ馬鹿キリスト教徒がテープを大音量でお下劣な説教を流しつづけていたのには正月から血圧が上がったにゃんよ。ありゃどこの宗派だろ?


>A教では、いわゆる道徳律には一切触れていないのです。
>多くの宗教にある、「殺すなかれ」とか「盗むなかれ」とかいう教義も存在しない。
>だから、どのような豚行為をしようと、A教の教義に反することはあり得ないのです。

>A教信者の要件はただひとつ「真実を知っていること」。
>だから、真実を知ってさえいれば、そいつが人殺しであろうが泥棒であろうが
>A教信者であるといえてしまうのです。

これは興味深い!
宗教とテツガクをわけるのは、規範性だと僕は思っていたからにゃ。

事実と価値の寸断はヒュームのギロチンといわれるにゃん。
このヒュームのギロチンが、自然科学の価値中立性を形式的に成立させているわけにゃんが、宗教においてはそもそもこのギロチンが成り立たにゃーのではにゃーかと。事実と価値が寸断されてしまったら、信仰者は首を落とされたのと同じにゃんからね。
言い方を替えれば、宗教とはそもそも事実と価値という異なる二者を結びつけるという誤謬を基礎に成り立っているといういい方もできるにゃ。というよりは、ニンゲンの意識には目的論的志向性があるので、どうしてもその「異なる二者」が結びついてしまいがちなのですけれどにゃー。
「真理」を扱う自然科学者には、「価値」について発言したくなる誘惑と常に闘いつづけることすら要求されるよにゃ。自然科学の真理というのは、原理的に常に仮説にとどまるので、そこから簡単に価値へ言及されては困るというところもあるんだけどにゃ。木村の優生学なんかは、仮説としての真理(かどうかはわからにゃーが)から価値への流出だにゃ。

カガクのように、仮説としての真理、ではなく、永遠の真理、なるものがあったとしたら、それが価値に影響を及ぼさにゃーことが想定しがたいにゃ。

というわけで、A教は興味深いにゃ。
宗教でいう真理であるからには、それは仮説ではにゃーと思われますにゃ。
そうした真理が価値規範とまったく別個に存在しえるとはいかなる事態か?

ま、このネタは僕としてはあくまで遊びなので、おみゃーさんの気分で好きに扱ってね>sci05


まあ、それにしても、例えば悟ってしまった禅坊主なんかは、虫1匹殺さにゃー気もするし、平気で人をぶっ殺しそうな気もしにゃーでもにゃー。僕は決して悟ることはにゃーだろうからよくわからにゃー。


愛ゆえに(とか書いてみる)  投稿者:いど 投稿日: 2005年01月08日 1時34分

う、う〜ぅん
宗教論争に関してキンシャチさんに質問して回答まで頂いたにもかかわらず、あまりにも思うところが多すぎるので傍観に徹することにしました。というか「もやぁ〜」としてて何度下書きしても納得できるものが出来上がらなかった。

ただ一つ、ふと思ったことは

>信じていなかった人をも信じさせるものは何か。僕は聖書を読んでも入信しませんでしたし、奇跡を信じもしませんでした。どこがちがうのか、二人の差は何か。それが知りたかったのです。

基世さんには信じれるがキンシャチさんには信じれない。その理由は、わたしの愛する人間を他の人が愛するとは限らない。それと大差ないようにわたしには思えます。


目に見えないものを信じること  投稿者:流木 投稿日: 2005年01月08日 0時49分

*たまごちゃん (^-^)ノさん(Re:信仰といえるのか? 投稿者:たまごちゃん (^-^)ノ  投稿日: 1月 6日(木)16時14分42秒)

 こんにちは。

>  「「ロバが喋った」という話は、ビデオに映像と音声とで記録されるような意味で、つまり、比喩や象徴ではなく、写実的な記録として喋った」と、彼が彼個人の信仰ゆえに、自分自身の目では見ていなくて証拠もなくても、信じているんじゃないんですか?

 話の流れでご理解いただきたいのですが、あの方が横レスをつけてきたとき、「信仰上の事実と歴史的事実」とを対比して話をしていたのです。そこへ「ロバが喋った。その通りのことがあった。笑われても構わない」とおっしゃったのです。当方は、あの方がロバが喋ったという話を「信仰上の事実ではない」とご主張になったものと理解しました。

 まぁ、転居通知に「お近くにおいでの際は、是非お立ちより下さい」と書いたら、本当に「お立ち寄りに」なられて憤慨したというところでしょう。「笑われても構わない」は、当方には相当に挑発的言辞と映りましたよ。

>  しろうとさんはロバがバラムに向かって喋ったのを実際に自分で見聞きしたから信じているわけではないでしょう?

 「目に見える」は比喩的な言い回しです。聖書には「信仰は見えないものを信じること」ともありますね。

 ビデオ録画されたものなら、信仰を持たない私のようなものでもロバが喋ったか否かが確認できます。もちろん、当時、ビデオ録画の技術はありませんし、仮にあったとしても、都合よくロバが喋る場面を記録できたとは限りません。しかし、ロバが喋ったという話が写実的な事実であれば、それは信仰者でなくても確認できる性質のものでしょう。

 ところが、ロバが喋ったという話を「写実的な事実」としつつ、その根拠は「主がロバの口を開いた」云々にどうやら求められているご様子です。「ネイティヴ・アメリカンの先祖はユダヤ人」という検証可能な主張をしつつ、「DNAを調べると、そうじゃない」といわれると、「神様がDNAも変えてしまわれたからです」と得意顔で語るモルモン教会員とその論理の構造においてどこが違うのでしょうか。「神様は地球の自転を止めたが、それにともなう大災害が起きないようになさった」という説明とどこが違うのでしょう。

>  流木さんもロバがバラムに向かって喋らなかったのを実際に見聞きしたわけではないでしょう?

 それは当然ですね。アダムですら1000歳までは生きていませんから。そもそも、バラムという人物が実在したのかどうかも定かではありません。


年末年始に読んだ本  投稿者:ハッター 投稿日: 2005年01月08日 0時18分

 ”モーセを愛した女”というのを読みました。モーセの奥さんの物語なのですがフランスで聖書の中の女達という三部作の1つで大ヒットしたものと解説にありました。神のみ業や奇跡や聖人を賛美するのではなく、どこまでも人間の業の深さを描き、だからこそ精神の救済が必要であるのでしょうが、それはお話の深く深いそこに沈ませてある感じです。なかなか良いお話でした。
 以前”赤い天幕”という創世記にちょっとだけでてくる女性の一生を描いたものも読んだのですが、これも素晴らしい作品でした。


地下に眠るMさん、ごめんなさい。  投稿者:sci05 投稿日: 2005年01月07日23時25分

#すーぱーうるとら浦島フォロー。
#思いっきり読み落としてました。

すでに終わった話のようなものですが、きちんとした反論をいただいた以上、
こちらも返信しないと…

#流木さんのも読み落としてました。
#後日、きちんと返信しますね。


>>しかし、その人が私の信仰する宗教(仮にA教としておきます)の信者たる要件を満たしているのなら、その人がA教信者であるという事実は動かせません。
>>私としては、同じA教信者にそのような人がいるのは非常に気に入りませんし、同じA教信者として恥ずかしいですが、だからといってその人を「A教信者でない」と言うのは、「自分の気に入らないことは受け入れない」という、どこかの創造科学支持者と同じになってしまいます。
>この辺がちょいとわからにゃーのよ。
>ある宗教の信徒としての「要件」というのは、「言動」なのではにゃーかと僕は思うのだにゃ。「口だけ」って要件になるの?

いや、私も「言動」だと思いますよ。
では、統一教会会員の言動で、キリスト教の教義に反している部分ってなに…
確かに、一般社会の基準で「悪」とされる行動を支持しているのは確かだけど、
それを「キリスト教の教義に反している」と言ってしまうと、
この世にキリスト教会なんてなくなってしまうような。

>A教の教義に対して、口を開けば教義のことばかりペラペラしゃべるくせにその行動はまったくその教義を裏切ることばかりの奴と、口ではあまり教義のことはいわないがその行動は見事に教義通りの奴がいたとして、前者はA教を信じていることになるのかにゃ?

ならんでしょうけど、この場合は例が悪いです。

|sci98が何の神様を信仰しているか知らにゃーけどさ、
|どっかの豚野郎がおみゃーさんの信仰している神様や教義を引き合いに出しながら
|豚行為をすることだってありえなくはにゃーだろ?
|豚の卑劣さには限度がにゃーしね。

A教では、いわゆる道徳律には一切触れていないのです。
多くの宗教にある、「殺すなかれ」とか「盗むなかれ」とかいう教義も存在しない。
だから、どのような豚行為をしようと、A教の教義に反することはあり得ないのです。

A教信者の要件はただひとつ「真実を知っていること」。
だから、真実を知ってさえいれば、そいつが人殺しであろうが泥棒であろうが
A教信者であるといえてしまうのです。


>ある宗教の信徒である要件は、その教義に対する言動の一致だと僕は考えるにゃ。

この部分は大いに同意できます。
はっきりいって、口ではなんとでも言えるからね。


循環論法  投稿者:sci05 投稿日: 2005年01月07日23時04分

>循環論法について的確なご指摘、ありがとうごさいます。助かりました。
>「種の起原」の検証に、「盲目の時計職人」持ってこられたら、どうします。
>距離が長いだけで循環していますね。

科学の学説の場合、最後は科学的事実(検証事実、観測事実)に行き着きますから、
循環論法にはなりません。
つうか、科学的事実に行き着かない学説は、どのような論法を使おうともダメダメです。

宗教ならば、別に循環論法でも問題ないと思います。
「聖書は正しい。なぜなら、聖書に『聖書は正しい』と書いてあるからだ」
これは循環論法ですが、信者には十分でしょう。


今年用のハンドルだったりして  投稿者:sci05 投稿日: 2005年01月07日23時03分

#なんで7年も変えてなかったんだろう…

>私はご飯はちょっと硬めが好きです。

私は第25回の天下一武道会あたりですね。


>そうですか?
>私は、「いったん死んだイエスが生き返るくらいなら、
>神がロバの口を開かれたならロバが喋っても不思議はない」とは思うけど、
>「いったん死んだイエスが生き返るくらいなら、ロバが喋っても不思議はない」とは思えないです。

それはどうでもいいんです。
要は、たまごちゃんの反論は、「口を開かれた」を比喩的に解釈し、
「言った」を逐語的に解釈した上でないと成り立たない、ということです。
で、それが非常に有力な解釈なら反論として成り立つけれど、
さして有力でない解釈なら、反論としては成り立たないですよね。


基世さんへ  投稿者:キンシャチ 投稿日: 2005年01月07日22時11分

なんども引っ張りだしてしまってすいません。
ROMに徹していていただいてよかったのですよ。
僕はあなたを含む、キリスト者を批判するつもりはありません。
基世さん個人のお話を伺いたかっただけです。むしろお詫びをするのは僕の方ですね。
ツリーに行かれるのでしたら、トップページにリンクが張ってありますのでそちらから。
クハ72さんの掲示板も時々のぞいていますので、呼んでいただければ書き込みますよ。


馬カガク主義とは  投稿者:地下に眠るM 投稿日: 2005年01月07日22時03分

馬カガク主義とは
「背理に価値を認めない精神の貧困のあらわれである」
とでもいってみようかにゃー


不合理ゆえに我信ず  投稿者:地下に眠るM 投稿日: 2005年01月07日22時01分

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三位一体というが、一は三に等しいか? どうして三が一になりえるのか? 母親が処女でありうるか? まだいろいろあるがこれくらいにしておこう。
すなわち宗教上のあらゆる表現は論理的矛盾や原則的に不可能な主張を含んでいるのである。いやそれこそまさに宗教的主張の本質をなすものである。一体いつになったらこのことに気づくのだろうか。テルトゥリアヌスはこう告白しているではないか。
「かくして神の息子は死んだ。このことは、まさしくそれが不合理であるゆえに信じられる。かくして彼は埋葬され、復活した。このことはまさにそれが不可能であるがゆえに確かなことである」
もしキリスト教徒がこのような矛盾を信じるよう要求するのであれば、この他に若干の背理(パラドックス)を認めようとする者を非難できないのではないだろうか。わけても背理は、極めて貴重な精神的財産の1つである。
これに反して一義性は、弱さのしるしである。従ってもし宗教が、その背理性を失ったり弱めたりするようなことがあれば、それは内面的に貧困化し、背理性が強められる場合にはそれは豊かになる。というのも充溢せる生をおおよそ捉えうるのはひとり背理のみであって、一義的な明白さとか矛盾のなさとかいうものは物事の一面にしか通用せず、従って把握しがたいものを表現するには不向きだからである。
誰もがテルトゥリアヌスの精神力を持っているわけではない。テルトゥリアヌスは明らかに背理に耐えることができたし、それどころか背理は彼の場合、その宗教的確信の最高の根拠でもあった。精神的に脆弱な大多数の人々は背理を、まともに受け止めれば大怪我でもするかのように危険なものに仕立て上げ、これを回避しようとする。
ユング「心理学と錬金術」P30より 引用者が適時改段
*******************************************

と、以上は去年の正月にここに引用した文章そのものだにゃ。

不合理であることを理由に信仰を否定しようとすることの馬鹿馬鹿しさがわからにゃーちゅうのは問題にゃんぜ。


レスいろいろ3  投稿者:キンシャチ 投稿日: 2005年01月07日21時53分

JA50さん。こんにちは。
循環論法について的確なご指摘、ありがとうごさいます。助かりました。「種の起原」の検証に、「盲目の時計職人」持ってこられたら、どうします。距離が長いだけで循環していますね。

(ぱ)さん。いつも僕の意図を読み取ってくれてありがとうございます。「循環論法」は(ぱ)さんが言い出したのですよね。ちょうどよかったので、使わせていただきました。
信仰の自由というのは、信仰しない自由でもありますよね。(少し話しずれたかな)


とりあえず、お詫びです。  投稿者:基世 投稿日: 2005年01月07日21時41分

キンシャチさん、すみませんでした。とりあえず、お詫びしようと思い出てきました。

お返事はしますが、EzoWolf さんのおっしゃるように、創造科学論ならともかく、信仰の話は興味のない人には退屈だと思いますので、これ以降あるようでしたら、ツリーか、1月6日に、てつおさんが紹介していた、管理人クハ72さんの掲示板という所に移りませんか。(ツリーの行き方は不明ですが、管理人さんがしてくれるのかな?)

ところで、キンシャチさんの中で、神の有無については解決してますか。

キンシャチさんの質問に、神によって信仰を与えられたからと答えましたが、それで納得できないということは、神は存在しないという立場だと推測されますが、そうなると、立場が大きく違うことになります。私には証明することはできません。お手上げです。

前回の発言は、聖書を聖書で説明していますから、循環論法といえばそうでしょう。
しかし、聖書は神の霊感によって書かれたものですから、著者は聖霊さまです。
キリスト教界は、聖書のひとつひとつを定義し、分かりやすく教えようとしますが、この世の原理で考えられることではありません。聖書を理解させるのは、聖霊の働きです。
ですから、聖書は聖書をもって理解するしかないのです。
どの書籍でも同じですが、読んでみて理解できないことは、著者に聞くのが一番です。
イザヤ書34:16を読んでみてください。聖書の不明な箇所の答えは、聖書の他のどこかに必ずあるということです。


「もし、あなたの口でイエスを主と告白し、あなたの心で神はイエスを死者の中からよみがえらせてくださったと信じるなら、あなたは救われるのです。」(ローマ10:9)

キンシャチさんは、無意識なのでしょうが、キリストの救いの鍵を探しておられるようです。
人は誰でも死んでいきますので、キリストの十字架の死は受け入れやすいものですが、自然の摂理に反する復活については、疑問があって当然でしょう。

しかし、この文の中には「神が」とあります。神が存在し、神に不可能はないという立場に立てば、神がイエスを復活させ、イエスは墓を出たと信じることは容易です。ロバと同じことです。

「主は、私たちを引き裂いたが、またいやし、私たちを打ったが、また包んでくださるからだ。主は二日の後、私たちを生き返らせ、三日目に私たちを立ち上がらせる。」(ホセア6:1−2)

このように、旧約と新約は互いに補い、互いに証明しあうものです。

キリストは、金太郎からアーサー王にランクアップしましたが、伝説と歴史的事実の狭間にいるような不確かな人ということでしょうか。キリストがそういう位置付けなら、納得させられるような説明はやはり無理です。
仮に、キンシャチさんが納得するような説明に出会ったとしても、不確かな人が蘇ったという証明が何の益になるのでしょう。それは奇跡ですね〜で終わりではないでしょうか。

少し聖書から探してみましたが、聖書では納得できないんですよね?
納得できなのであれば、キリスト教は虚偽で愚かな宗教だと判断してもいいと思います。そういうものだと書かれていますから。(逆ギレじゃないよ。)

いつか変ることもあると思いますので、後はキンシャチさんのアプローチに任せるしかありません。たくさんの復活否定論がありますから、ひとつひとつ検証されてみてはどうでしょうか。

ユダヤの宗教指導者たちは、お金や策略をつかって、イエスを十字架にかけました。(決してユダヤ人のせいだと言っているのではありませんので、誤解のないように。)あとは、預言の三日目まで、あらゆる手段を使ってイエスの復活を阻止すればよかったのです。そうすれば、キリスト教は三年半で終わってました。復活は彼らにとっては大問題ですから、実際そうしたと思いますが、どうしても阻止できなかったみたいですよ。

サルトルは、「人は神を必要としている。しかし、神はいない。そんな世界は残酷だ。」と言いました。彼は、否定しながら、どこかで神を求めていたと思います。そういう気持ちが少しでもあれば、神は近づいてくださる方です。

佐倉哲さんのHPを読ませていただきましたが、自分と同じような人がいるというのは、ある意味安心です。私も、牧師にあーでもないこーでもないと質問している厄介者です。違う点は、彼は棄教したそうですが、私は、自分でも不思議なのですが、それだけは出来ないということです。きっと、佐倉さんは真摯な方なのだと思います。

お役にたてなくてすみません。まともなキリスト者に出会えますようお祈りします。


桃太郎  投稿者:地下に眠るM 投稿日: 2005年01月07日21時40分

「君、いい歳ぶっこいてイリアスなんてマジに信じちゃってるの? ぷ」
などといわれていた偉い人がいましたよにゃ。シュリーマンとかいったっけ。


桃太郎伝説についても、例えば「サル、イヌ、キジ」はそれぞれ「知仁勇」のシンボルだよにゃ。桃から生まれた、というのも、中国の仙人譚の影響は明白にみられるものの、いわゆる「異常誕生譚」だにゃ。この、異常誕生譚というのは、英雄の神格化のためによく使われるものにゃんね。キリスト、聖徳太子、老子(母の胎内に72年いて、生まれたときには老人だった。また、母のワキから生まれた)、ゴータマなどや、戦国武将なんかにも見られるものだにゃ。また、異常誕生譚とは「是正されるべき悪しき秩序」があり、主人公がそれに対して戦うことを読み手に予感させるものともいえるのだにゃ。

また、キビダンゴをわけ与えたというのは、飢饉のことを示しているのではにゃーかといわれているにゃんね。同様の物語構造はインドネシアにも北米原住民にも見られますにゃ。
で、桃太郎でいう「鬼」というのは、同様の構造を持つインドネシア民話では「悪しき太陽」。つまり、異常気象の原因ということみたいだにゃ。

神的な出自を持つ主人公が、知仁勇を兼ね備え、飢饉に際して人々に食料を施して、異常気象とたたかった話、と読めるわけにゃんね<桃太郎


神話や民話を解釈するためのアプローチには、心理学的なものと歴史的なもののふたつが主にあると思われますにゃ。神話や民話は結構いろいろと事実を含むものにゃんね。
シュリーマンの場合のように、歴史的事実そのものを指していることもあるわけだにゃー


レスいろいろその2  投稿者:キンシャチ 投稿日: 2005年01月07日21時23分

てつおさん。こんにちは。


>あるいは、あちらこちらのデーターからツギハギして検証しなければ、信仰を持つに至らないということであれば、そのようなデーターを十分、駆使できるだけの高度な教育を受けない限り、信仰は持てない。そのような信仰は欺瞞的なものなのでしょうか?

僕はそのようなことは、書いておりません。基世さんの信仰の動機についてお訊きしているだけです。

>聞きたいことはまだまだあります。

>>死んだ人間は生き返りません。残念ながらこれが現実です。

>そうでしょうね。だからこそ、キリストは復活したということは、驚くべきことなのです。
>ところで、キリストの復活が、福音書のフィクションか、(もとの出来事があったとしたら)トリックか勘違いだ、ということは、どのように立証されますか?意見は尊重しますが、循環論法、堂々巡りにならないお返事を期待します。

てつおさんが引用された僕の文章をもう一度読み返してください。
驚くのはかまいませんが、てつおさんが堂々巡りに陥っているのではないですか。

>なるほど。では、「キンシャチさんは、宗教の内容を検証するために宗教を持ってくるのは、循環論法だ、とお考えですか?」に訂正しましょう。つまり、科学的でなければ、この「循環論法」から超えることはできないのだ、とお考えですか?

循環論法は一種の詭弁であって、超えるも超えないもないのですが。宗教の説話や教義を譬え話以上のものとして解釈を望めば、科学は有効な道具になるでしょう。

> Re意地悪な質問1のお答え 投稿者:キンシャチ  投稿日:12月29日(水)19時54分6秒より
>>信仰を持って「神の国」に臨む場合、信仰者には客観的な判断ができなくなると思われます。
>>信仰するというのは、文字どうり「信じる」ことですから。
>>信仰を持たない者が客観的に検証できない以上、「神の国」は地上に存在しないと考えます。信仰しないと入れない。信仰すると検証が不可能。ジレンマですね。

>人が「信仰」を持つとき、主体的実存の応答が必要と思われます。信仰するというのは、文字どうり「信じる」ことですから、聖書が語る、イエスの招きに応じて、主体が受け入れ、「信じる」ことでなくてはなりません。また、「信じたい」という願いを起こすことも必要です。
>真の宗教に科学的なものが不要である以上、「信仰」は科学の延長上にないと考えます。

おっしゃるとおりです。科学と信仰は別です。

>科学的な説明は宗教に不要、もしあり得るとすればそれはすでに疑似科学。疑似科学的な態度でしか、キンシャチさんは宗教を検証できない。ジレンマですね。

くりかえしますが、僕は基世さんに「科学的」な説明を求めてはいません。僕の書いてもいないことで非難なさっても無駄ですよ。

JA50さん、(ぱ)さん、横レスありがとうございます。ツリーに行こうと思いましたが、つぎからにします。
diamonds8888xさん、
> キンシャチさんの周囲ではキリスト教者よりもムスリムに人格者が多いとのことですが、それは米国がキリスト教国であるからという可能性が強いと思います。日本において仏教の僧侶と牧師さんを比較するようなもので、ちと不公平かも知れませんよ。

僕はそんな書き込みしておりませんよ。お間違いではありませんか。今後ともよろしくおねがいします。


レスいろいろ、遅くなりました  投稿者:キンシャチ 投稿日: 2005年01月07日21時22分

いどさん、てつおさん、こんにちは。仕事から帰ってきたらずいぶん流れていてびっくりです。
さて。いどさん。はじめまして。

>一つお聞きしたいのですがキンシャチさんが知りたいことは
> ・なぜ無信仰者から信仰者になったのか
> ・無信仰者をも納得させるだけの、キリスト復活の根拠
> のどちらでしょうか?

これは、僕と基世さん双方の投稿を読み返していただけると分かりますが、基世さんは「キリストの復活」を聖書で読んで、信じて入信したのです。どちら、と訊かれたら両方と答えざるをないです。

> またキンシャチさんは「死んだ人間は生き返りません。残念ながらこれが現実です。」と思っているのですよね? つまり「無信仰者をも納得させるだけの、キリスト復活の根拠」を基世さんが提示するのは不可能だと思っているのですよね?
> 信仰者である基世さんにそのような要求をする意図はなんでしょうか?

「無信仰者」である基世さんが何を根拠に信じ、「信仰者」になったのか。身近にこのような人物がおりませんので、お話を伺いたかっただけです。信じていなかった人をも信じさせるものは何か。僕は聖書を読んでも入信しませんでしたし、奇跡を信じもしませんでした。どこがちがうのか、二人の差は何か。それが知りたかったのです。

>わたしが読み違えていたり、読み飛ばしているのであれば該当個所を指摘していただきたいのですが、議論の中で基世さんが「進化論は聖書の記述と矛盾している。聖書にかかれている内容は全て事実であり聖書と矛盾する進化論は間違っている」等という事を主張していたのでしたっけ?

僕が読んだ限りにおいても、そのような主張はみえませんね。


キンシャチさんへ  投稿者:diamonds8888x 投稿日: 2005年01月07日21時01分

 はじめまして。

 キンシャチさんの周囲ではキリスト教者よりもムスリムに人格者が多いとのことですが、それは米国がキリスト教国であるからという可能性が強いと思います。日本において仏教の僧侶と牧師さんを比較するようなもので、ちと不公平かも知れませんよ。

 移民で母国の宗教をそのまま持ち込んだ人は別として、欧米で敢えてムスリムや仏教に帰依するような人は、それなりの思いがあることが多いでしょうから。


てつおさんへ  投稿者:(ぱ) 投稿日: 2005年01月07日20時49分

(ぱ)さん、キンシャチさん 投稿者:てつお  投稿日: 1月 6日(木)10時00分42秒
>しかし、自分の生活、自分の生き死にがかかっている問題について、他人のサイトを
>用いて代弁させる事自体、ナンセンスだ、と言っても差し支えないですね。

 私は別にキリスト教に生活も生き死にもかけちゃおりませんが…
 ていうか自分はウィトゲンシュタインの言葉を引用しといて、人の引用は非難するとは、なかなか素敵なダブルスタンダードですね。

 もともと私が佐倉さんのサイトを引用したのは、むしろ流木さんへのレスのつもりでした。流木さんは、ロバの話を文字通りに解釈する人を原理主義者と言ってるようだけど、そうじゃない主張もある、ということで。
 だいたい、土塊から人を作るような神様を仮定するなら、ロバがしゃべるくらいどうってことないわけで、ロバがしゃべることが「常識からしておかしい」のなら、その他もろもろも全部「常識からしておかしい」でしょう(だから奇跡なのだ、という反論は可能ですよ。もちろん)。

>あなたが明日、死ぬと分かっていたら、腰を据えて、じっくり「科学とか証拠とかの
>客観的なツール」を使って、自分がどの宗教で死のうか、考えることはないでしょう。
>ま、せいぜい疑似科学に引っかかるくらいでしょう。

 これは、私に対し、「おまえは疑似科学に引っかかるような奴だ」と言明しているわけでしょうか?
 だとすればその根拠を教えてください。根拠があるなら、批判または忠告として受け入れるつもりです。
 根拠がないんなら、単なる中傷ですな。


RE:あれ?  投稿者:diamonds8888x 投稿日: 2005年01月07日20時28分

あれ? まだ誰もてつおさんに教えてないなあ。

>  >2.もう既に似たようなこと成し遂げている人がいるから。J氏のことです。
>
>  って、何のことですか?

 そりゃあ、ジーザス・クライスト氏のことでしょう。


「もう十分だ!」と叫ぶべきときだ  投稿者:(ぱ) 投稿日: 2005年01月07日20時27分

キンシャチさんじゃないですが。

>フィクションなら、キリストは金太郎や桃太郎といっしょで、

 まったくその通りだと思います。

>どうしてそんなにこだわるのですか。

 別に、こだわるわけじゃないでしょう。
 誰かが、日本史や民話の掲示板なりで、「桃太郎の鬼退治は歴史的事実だ」と主張すれば、「根拠は?」という反応があるのが当たり前ではないですか? これが「弱い者いじめとほとんど大差ない」んですか?

 そこで、
 「桃太郎の絵本にそう書いてあるから事実なのだ」
 「私は桃太郎を深く信仰しているから事実なのだ。桃から子どもが生まれたことはともかく、鬼退治は、私の信仰の原点だから譲れない」
 と主張したら、やっぱり循環論法と反論されることでしょう。

 「私は子供の頃はいじめられていたが、桃太郎を読むことで強くなろうと決意した。桃太郎に救われた。だから桃太郎は正しい」
 とも言えないし。
 「救いの経験がない方には、循環論法、堂々巡りに見えるのだと思います。」
 と言ってみますか?

 内心の自由は保証されるべきだと私は思いますが、公開の場で、それも「歴史的事実」だとして表明した以上、ツッコミは避けられないと思います。

 いったいぜんたい、我々は、何を根拠に、いったいいつまで、「宗教」というシロモノを「腫れ物に触るように」扱わなきゃいけないんですかね?


Re:地獄の黒サンタ  投稿者:diamonds8888x 投稿日: 2005年01月07日20時20分

 以下のサイトの「ナックルズ」というのがその一人です。

http://homepage1.nifty.com/ta/sfw/westlake.htm


高次宇宙サンタ!  投稿者:大文字ナン 投稿日: 2005年01月07日18時15分

 ん〜宗教論は宗教論で興味深いですが、個人の信条と普遍的な通念とは区分しておかないと紛糾しそうですねぇ。というわけで、私はサンタとか超越者について。

 「空想科学大全」とかありますが、なんていうか発想が貧困だなぁ、と思うのです。今の流れのサンタ論も然り。せっかく「超越的存在」で、「人智を超えている」のですから、きっちり斉一性の彼方から来訪してもらいたいな、というのが私の感想(笑。

 そんなこんなで、つらつら考えると…二次元の平面人には「高さ」の概念がありません。平面に描かれた迷路は、必ず迷路を通過してでしかゴールに着くことは出来ず、「壁」を乗り越えたり穴を掘って近道するというわけにはいかないのですね。
 空間的には三次元の広がりを持つこの世界の場合…やっぱり光速だとか時間の矢という問題に阻まれて「科学常識的に」考えるなら、サンタの実在を説くには複数説だとか超高速説という裏付けを必要とするのでしょう。でも、でもですよ…せっかく宇宙論では「高次宇宙」だとか「並行宇宙」なんてのが提唱されているんですから、サンタさんにも「高次元の存在」になっていただきましょう。

 私たちが平面を見下ろし、そのどこにでも自由にポインタを置けるように、高次の存在であれば我々の時空のルールに少しも束縛されることなく、想像もつかない(というか出来るわけがない)方法でこの世界のどこにでも「出現」することまでは可能としましょう。なにしろ高次宇宙には過去も未来もなく、私たちを束縛するような空間的制約もないものと考えられるのですから。

 しかし、そんな高次元宇宙の住人であったとしても、私たちの宇宙に出てきちゃったあとはこの世界のルールに従うほかないでしょう。サンタがそのひとであったのなら…何万キロを移動するにはいったん高次宇宙に戻った方が都合良さそうですが、10キロ100キロを移動する分には、この世界なりの移動手段を用いたほうが合理的に思えます。そこで「トナカイのソリ」です!そりゃぁもう「すごい超越科学」で出来たソリでしょうから、かなりのモンです(笑。
 でもそれにしたって、サンタがたくさんいないと一遍に何億人にプレゼントを配れないだろうって?いえいえ、そんな狭い了見では超越存在を語れません。とにかく一度「あっちの世界」に戻ってしまえば、この世界の因果律なんか無視していくらでも時計を「巻き戻し」できるんですから、サンタはたった一人しかいなくても、同時に何億回もの仕事をこなせるのです。

 そんな「なんでもアリ」な説は受け入れられない!とするのは、科学的なようでいてそうではない、と私は断じます。相手は神だとかサンタだとか、とにかく超存在なのですからなんでもアリでいいのです。それは「ビッグバン以前」だとか「ブラックホールの内部」を私たちに許された方法で観測できないことと同意です。それらはこの宇宙がこの宇宙である限り、考えても仕方がない領域です。そして分かることは、とにかくそこに「この宇宙」はない、ということ。この宇宙じゃない場所の住人が、私たちと同じ制約を受ける必要はどこにもないのです。

 #もちろん私は、サンタクロースが超越存在として実在する、とは思っていません。年始でもあるし、ちょっと遊んでいるだけです…が、超越存在というからには「これくらいじゃないと困る!」と思うのも確かです。


信じやすい体質  投稿者:会計士の卵 投稿日: 2005年01月07日18時04分

 最近、キリストの生涯を描いた『パッション』(たぶん公開は去年だった)というハリウッド映画を観ましたが、聖書に書かれてある、いわゆる「奇跡」をも忠実に再現していました。アメリカでは、これを見て、おばあちゃんがショック死したり、殺人者が後悔して自首したりしたそうです。アメリカではやっぱりキリスト教の存在感が強いみたいですね。

 わたしは高校生ぐらいの頃、イエス・キリストがとても好きだったし、どうもキリストの復活さえ信じていたようですが、「キリストの復活は事実か否か?」という問題で頭を悩ませた覚えはありません。「聖書に書いてることを事実だと信じる」というプロセスではなくて、十字架上のイエスという強烈なイメージ、教会のステンドグラス、モーツァルトのレクイエム、バッハのマタイ受難曲などの西洋音楽、そういった諸々が組み合わさって、キリストのことを思うと、ときどき「頭の中で意味が鳴り響く」という状態になっていました。

 ミーム(文化遺伝子)という言葉を使えば、キリストに関する諸々の言葉やイメージが結びついて、その全体が強烈な「ミーム複合体」として、頭の中に住み着いていたような気がします。何かの拍子に、それらがバーッと音楽をかき鳴らすような感じになって、「頭の中に意味が鳴り響く」という状態になっていました。
 これは認知心理学や脳科学なんかをひっぱりだしてくれば、かんたんに説明がつくような現象なんでしょうが、こういう風になりやすい人間がいることは事実で、僕は大部分、僕の体質の問題だと思います。僕は「神秘的なこと」を信じやすい子供でした。「何かを信じやすい人」「だまされやすい人」のサンプルの一つとして、私の経験を書いてみました。
 


お礼  投稿者:会計士の卵 投稿日: 2005年01月07日17時43分

 血液型や細木数子への対応の仕方にご返事くださったみなさま、どうもありがとうございました。参考にさせてもらいました。
 「複数サンタクロース巡回問題」のページに、私もちょっと感動いたしました。
 「幼稚園の頃好きだったサンタクロースとは何か?」という問題設定のもとに、レヴィ・ストロースの『サンタクロースの秘密』やモースの贈与論、折口信夫のマレビト論などを読んでいた、無謀と無為の自分の大学生時代ががなつかしく思い出されます(私は中退しましたが農学部でした)。


白熱しているようなので  投稿者:EzoWolf 投稿日: 2005年01月07日17時32分

ツリーに移ったほうがよいのでは。

個人的には信じることが要の宗教と、疑うことが重要な科学では噛合わないと思いますが。


う〜ん、ん、  投稿者:てつお 投稿日: 2005年01月07日17時26分

キンシャチさんの「聖書」という概念が、どかまで中身がないかによると思います。
本人の回答を待ちましょう。

ただ、これほど露骨に嫌味を言うのは、いどさんがご指摘のように、キンシャチさんのキリスト教批判が、弱い者いじめとほとんど大差ないことをキンシャチさん自身に考えて欲しいためです。

>またキンシャチさんは「死んだ人間は生き返りません。残念ながらこれが現実です。」と思っているのですよね? つまり「無信仰者をも納得させるだけの、キリスト復活の根拠」を基世さんが提示するのは不可能だと思っているのですよね?
信仰者である基世さんにそのような要求をする意図はなんでしょうか?


循環論法>てつおさん  投稿者:JA50 投稿日: 2005年01月07日16時58分

宗教論争に立ち入ろうとしているわけではないんで、そこんところをどうか、、、

私は、「聖書を検証するのに聖書を持ってくる」には「種の起源を検証するのに種の起源を持ってくる」、「宗教を検証するのに宗教を持ってくる」には「科学を検証するのに科学を持ってくる」が対応するのでは?、と指摘しただけです。

ところで、「種の起源を検証するのに種の起源をもってする」ってのは、少なくとも科学という領域においては、そりゃないよと言われるんじゃないかなぁ、、、
宗教では「聖書を検証するのに聖書をもってする」ってのもありなんかもしれないけど。


Re:ミケさんへ   投稿者:ミケ 投稿日: 2005年01月07日15時45分

ミケの発言は
「〜である」から「〜すべきである/〜であることはいいことだ」
を導くのはどうなのよ?という意図です。

例えば、
同族殺しは自然で普通に見られますが、人殺しは犯罪です。

さらに突っ込んだ解説が必要ならまた後ほど。


世紀末後版聖書のすすめ  投稿者:救キリスト狂信者 投稿日: 2005年01月07日15時36分

もう21世紀にもなったことだし、新しい聖書が必要なのでしょう。旧約聖書から新約聖書に改ざんされたのが2000年も前、広辞苑だってもっと速いペースで改定してます。
例えば、動物と人間を分けた理由は実は、肉食民族が作った宗教なので、隣人を愛せよといった矢先にビフテキ食えない、だから分けただけ。人間も動物の一種である。
話の始まりにいきなり途中からはじめられない、従って、アダムとイブの話を昔の人は考え付いただけである。人間は太古からの様々な種の進化の結果であって、46億年もかかった。
地球は太陽の周りを回っている惑星だ。宇宙には膨大数の恒星があり、その付随する惑星もさらに膨大だ。従って宇宙人の存在はある、しかし、その宇宙人がこの地球に辿り着けるかどうかは、また別の話だ。
ニュートン力学と量子力学と電磁力学が一つになったその時、本当の神が現れる。
等いろいろ最新情報を入れて欲しいものだ。
とにかく現行の聖書はギネスブックにでも載せて、引退した方がいいと思います。


ミケさんへ  投稿者:救キリスト狂信者 投稿日: 2005年01月07日14時48分

>ある現象が「自然の摂理であること」と「悪であるかどうか」とは、分けて考えたほうがいいです。
>この掲示板でよく出てくる例として、飛行機の墜落事故(現象)と万有引力の法則(自然の摂理)の関係があります。

なんか全然ずれた観点なんですけど。進化において侵略なりなんなり一見悪いように見えるものも、それに対して強くなれるかそのまま侵略されるかの繰り返しで、人類はより良くなってきているのです。先端技術も軍事産業から生まれてくるものも多々あることですし。
そういうことをいいたいのですが、悪であることをどうして分ける必要があるのですか?
そもそも絶対悪などありえないのですから。白人の侵略も今にして思えばよかったねともとれるし、将来やはりしっぺ返しが来たじゃないかともなるかもしれないし、白人からしてみれば善もインディアンからしてみれば悪、また逆もしかり。


>ついでですが、1個体云々のところ。
たまごちゃん (^-^)ノ の発言 (投稿日: 1月 6日(木)16時18分39秒) の中の、
「1個体」の部分を「数個体(あるいは数万個体でもいい)」に変えたところで、
発言内容の本質は変わりませんよ。

?????何故本質が変わらないのか全然わかりませんが?????

解説が必要ですね。

ある個体数以下になると絶滅の方向に向かうのをご存知ですか?

チーターのDNAの触れが少なくなってきていて、すなわち絶えず近親相姦状態、絶滅を危惧しなければいけないのをご存知ですか?

最初の何世代かは近親相姦で、それが黒人や白人や黄色人種に変化したと思っているのですか?

キリスト教って近親相姦は許されているのでしょうか?

アダムとイブの後の数世代は確実に近親相姦でしょうし、ノアの箱舟以降もしかり。


救キリスト狂信者さんへ  投稿者:てつお 投稿日: 2005年01月07日14時29分

>ところが私はアメリカに住んで12年になりますが、ここ最近この善い人であるはずのキリスト教信者は全然善い人ではなく単なる傲慢なあほな人としか目に映らなくなってきたのです。・・・

救キリスト狂信者さんの批判は、だいたいは当たっていると思います。
真剣に考えていかないといけない、キリスト者としても、人間としても。私もそう思います。
救キリスト狂信者さんの憂いは、イエスも嘆いていることと思います。
イエスは罪や病いの重圧に打ちひしがれ、悩んでいる人々には、解放の喜びと慰めを与えましたが、信仰者の偽善には、あくまで攻撃してきました。
私としても、「クリスチャンは、本当はそうでない。」などと言うつもりは、毛頭にありません。むしろ、私の内にもそういったことはあり得るのだと、私の内にもある偽善を見つめて行きたいと思います。「救い」は、より悩むために、与えられたものかも知れません。悩める姿が、真実のキリスト教徒だと思います。


遅ればせながら  投稿者:ミケ 投稿日: 2005年01月07日14時06分

あけましておめでとうございます。
ちょっとチャチャ入れますね。

救キリスト狂信者 さんへ。
アメリカインディアン考(1月 6日(木)17時41分0秒)の発言で、

>別にいまさら侵略が悪いとかいっていません。これもまた自然の摂理ですから。それに私自身恩恵をこうむって、広い土地に住んでいるのですし。

とのことですが、
ある現象が「自然の摂理であること」と「悪であるかどうか」とは、分けて考えたほうがいいです。
この掲示板でよく出てくる例として、飛行機の墜落事故(現象)と万有引力の法則(自然の摂理)の関係があります。

ついでですが、1個体云々のところ。
たまごちゃん (^-^)ノ の発言 (投稿日: 1月 6日(木)16時18分39秒) の中の、
「1個体」の部分を「数個体(あるいは数万個体でもいい)」に変えたところで、
発言内容の本質は変わりませんよ。


Re:地獄の黒サンタ  投稿者:PDX. 投稿日: 2005年01月07日13時41分

 それって「なまはげ」と大差ないのでは……(笑)


RE:循環論法  投稿者:てつお 投稿日: 2005年01月07日13時21分

>キンシャチさんは、科学の内容を検証するために科学を持ってくるのは、循環論法だ、とお考えですか?

JA50様より、
>なお、「科学を・・・」というのなら「宗教を・・・」であるべきでは?

なるほど。では、「キンシャチさんは、宗教の内容を検証するために宗教を持ってくるのは、循環論法だ、とお考えですか?」に訂正しましょう。つまり、科学的でなければ、この「循環論法」から超えることはできないのだ、とお考えですか?

Re意地悪な質問1のお答え 投稿者:キンシャチ  投稿日:12月29日(水)19時54分6秒より
>信仰を持って「神の国」に臨む場合、信仰者には客観的な判断ができなくなると思われます。
>信仰するというのは、文字どうり「信じる」ことですから。
>信仰を持たない者が客観的に検証できない以上、「神の国」は地上に存在しないと考えます。信仰しないと入れない。信仰すると検証が不可能。ジレンマですね。

人が「信仰」を持つとき、主体的実存の応答が必要と思われます。信仰するというのは、文字どうり「信じる」ことですから、聖書が語る、イエスの招きに応じて、主体が受け入れ、「信じる」ことでなくてはなりません。また、「信じたい」という願いを起こすことも必要です。
真の宗教に科学的なものが不要である以上、「信仰」は科学の延長上にないと考えます。
科学的な説明は宗教に不要、もしあり得るとすればそれはすでに疑似科学。疑似科学的な態度でしか、キンシャチさんは宗教を検証できない。ジレンマですね。


サンタは複数か!?  投稿者:救キリスト狂信者 投稿日: 2005年01月07日12時06分

なんか当たり前の答えのようですね、加速装置説とかないのですかね。
とにかく、サンタも複数Jesu(s)も複数形か!
神様も複数居てどこが悪いのだろう?
キリスト教徒の言うように神様がもし一人とします。そして、その神様が一人ずつ一秒間面倒見るとします。たとえば信者が100万人位のときは11日で一巡しますが、10億人も見るとなると、31年に一度一秒間だけ面倒みてくれることになります。
要するに生まれるときと結婚式と死ぬ時なのでしょうかね。
またサンタの話に戻りますが、もしサンタでものすごく速いのであれば、音速を軽く超えているでしょうから、衝撃波ももの凄いでしょうね。そこら中の家の窓ガラスが超音速の物体から発せられる衝撃波により破壊されるのでしょうね。


ちろちろと考えた  投稿者:えめ 投稿日: 2005年01月07日11時55分

神の存在は人が哺乳類である「業」ではないか?
人間の精神はどこかで絶対的な存在(拠り所)を求める構造になっていて
これは哺乳類が幼いとき養育者の保護を必然とする繁殖方法に対する
「適応」の結果ではないか?
 
俗に子は親を選べないと言うが、生物として自立していない期間(「授乳期」と生存の為の手法を学ぶ「学習期」のある時期)幼体は生存する為に、無条件に「保護者」の存在を受け入れなければならない。被保護衝動とでも言うべき本能はいわば「無色の衝動」として発現する。
 
もう一方、被保護に対応する衝動も有る。当たり前の話だがしかし被保護行動に対して保護行動は必ずしもストレートに発現するわけではない。それは保護行動が生物として有る程度自立した後に必要とされる行動である為であろう。
保護本能は学習、経験によって「色づけされた後に」発現されていく。脳が発達し、被保護期間が長くなる程その傾向は大きくなる。

ならば被保護への衝動も、個体が自立したからと言って消失するのではなく「色づけ」され、以前とは違った形で発現するようになるのではないだろうか。
 
2つの衝動は脳(精神)の中に「仕組み」としてあらかじめフォーマットされているのではないか
 
 オオカミ・サルなど「組織的な群れ」に存在する原理も、根っこの部分は「被保護」ともう一つの「保護」二つが深く拘わっていると考えれば、保護被保護の精神構造が成体になっても行動原理の中心部分に根を下ろしていると考えても不自然ではないと思うが、どうだろうか。勿論発現の程度はそれぞれの種や生態において相違が見られるとしても、基本原理は二つの衝動の「差」にすぎないのではないか?丁度赤から紫を経て青に至るグラデーションのように

ここで種としてのヒトである。今までは飛躍する利他的衝動(自分はこれを利他行動の暴走と呼んでいる)ばかりに目がいっていたのだが、被保護衝動も又、飛躍するのだろうか。精神の絶対軸として自らを超越する存在(どんな名前の神でも、仏でもあるいは親や何かの「信念」でも)への一体感を希求するのもヒトが哺乳類として生きている「業」だ
ろうか。更に穿った見方をするならば、「神から与えられた使命」を多くの人に与える活動は、上記二つの衝動を同時に充足させ得る「行為」なのであろうか。

(ざらざらな文体、こんで三日がかりだ)      
追記 
正月が明けたばかりと思うていたらサンタとは…ホンに年を取ると1年立つのが早いのう

 


地獄の黒サンタ  投稿者:Sigurd 投稿日: 2005年01月07日11時13分

先日、サンタは黒サンタと二人で来るのだと某番組で放送していました。

一人のサンタは私達の知っている良い子にプレゼントを配っていくサンタ。

もう一人は悪い子に動物の内臓をプレゼントしたり、お仕置きをしたり、地獄へ連れて行くサンタです。

うろ覚えですが、この黒サンタは、トナカイが牽くソリの後を徒歩で歩いて来る?だったような。


話が変わりますが、ピーターパンの居るネバーランドに大人が居ないのは、子供が成長するとピーターパンが殺してしまうからだそうです。これは作り話、というよりピーターパンの原作者がそのように設定していということです。

何事も「善悪」の両面があるようです。


RE:サンタは複数いる  投稿者:NORTON3rd 投稿日: 2005年01月07日10時21分

>このサイトでは、「果たしてサンタは一人なのか?」 という問題提起にはじまり、サンタ複数説を導き、そして最後には本当にサンタがいるという結論となります。

管理人様、とても素敵なサイトの紹介ありがとうございます。つーか、最近歳のせいもあり、涙腺が弱くなっているので、最後のところでホロッときそうになりました(不覚)

小生は子どもの頃(幼稚園まで)、サンタに来て貰ったにもかかわらず、自身はサンタになり損ねましたが、、、、


サンタは複数いる  投稿者:NATROM 投稿日: 2005年01月07日 9時56分

サンタが街にやってくる - 複数サンタクロースの巡回問題 -
http://www.hirax.net/dekirukana2/xmas/

このサイトでは、「果たしてサンタは一人なのか?」 という問題提起にはじまり、サンタ複数説を導き、そして最後には本当にサンタがいるという結論となります。


循環論法  投稿者:JA50 投稿日: 2005年01月07日 9時42分

「聖書を検証するのに聖書を持ってくる」というのに「科学を検証するのに科学を持ってくる」というのをもってくるのはおかしい。
「聖書を・・・」というのの例えなら、「種の起源を検証するのに種の起源を持ってくる」というくらいにすべきでは?

ただし、「種の起源」にしろ「聖書」にしろ、その中に論理的な矛盾があればその時点でおかしいけど。
なお、「科学を・・・」というのなら「宗教を・・・」であるべきでは?


三田さん  投稿者:いど 投稿日: 2005年01月07日 9時05分

こんにちはtemaさん
「宗教と血液型への対応 投稿者:tema  投稿日: 1月 7日(金)07時04分9秒」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B5%E3%83%B3%E3%82%BF%E3%82%AF%E3%83%AD%E3%83%BC%E3%82%B9
どうもサンタさんは本当に複数人いるらしいですね


キンシャチ殿へ 質問   投稿者:てつお 投稿日: 2005年01月07日 7時55分

>あなたの論拠は、聖書に立脚しているように見受けられますが、いかがですか。聖書の内容を検証するために聖書を持ってくるのは、やはり循環論法だと考えます。

キンシャチさんは、科学の内容を検証するために科学を持ってくるのは、循環論法だ、とお考えですか?聖書の内容を検証するために、科学やその他の資料を持ってこないと、納得できない、というご主張と見受けられますが。
あるいは、あちらこちらのデーターからツギハギして検証しなければ、信仰を持つに至らないということであれば、そのようなデーターを十分、駆使できるだけの高度な教育を受けない限り、信仰は持てない。そのような信仰は欺瞞的なものなのでしょうか?

聞きたいことはまだまだあります。

>死んだ人間は生き返りません。残念ながらこれが現実です。

そうでしょうね。だからこそ、キリストは復活したということは、驚くべきことなのです。
ところで、キリストの復活が、福音書のフィクションか、(もとの出来事があったとしたら)トリックか勘違いだ、ということは、どのように立証されますか?意見は尊重しますが、循環論法、堂々巡りにならないお返事を期待します。


宗教と血液型への対応  投稿者:tema 投稿日: 2005年01月07日 7時04分

 会計士の卵さん、はじめまして。temaと申します。

> みなさんは、家族や友人が宗教を信仰している場合、あるいは「お前はAB型だけど、いい加減な性格だからB型寄りのAB型だな」とか言われたりした場合、どういうふうに対応していますか?

 宗教を信仰しているだけ(迷惑がかからない場合)であれば、特に話題にもしません。信仰は批判や否定すべきものでは無い、と考えます。信仰は論理で判断するものでは無く、心で感じるものである、と思っているからです。
 一方、家族が「御利益がある高価な壺」など買おうとすれば、当然止めます。ただし、これは宗教だから止めるのでは無く、迷惑(詐欺)だと思うから止めるのです。

 血液型性格判断については、批判や否定しても良い、と考えています。性格を判断するための(多分誤った)手法だからです。このため、批判したいと思ったら、喧嘩にならない範囲で批判します。

 ちなみに、サンタクロースはものすごく速いわけでは無く、ものすごく大勢いるのです。その証拠に、Santa Clau(s)と複数形です(嘘)。


時間の観念について  投稿者:救キリスト狂信者 投稿日: 2005年01月07日 2時35分

6000秒はどれだけか計算してみてください。
1、000、000秒も同じく
そして最後に46臆秒を計算してみてください。
それ等の違いに気がつきますか?
計算の仕方が分からない人や、違いが分からない人は、あまりにも頭が悪すぎるので、そのまま創世記論を信じてください。


風水について  投稿者:救キリスト狂信者 投稿日: 2005年01月07日 0時45分

占いはわたしも信じがたいのですが、風水は、基本的には生活の知恵を一般の人に脅しとして、分かりやすくしただけだと思っています。たとえば通路に物を置くとマンが悪いとか、言うのは、実際にあたったり躓いたりして危なかったりするからですし、いわば、キリスト教と同じようにある特定の人に分かりやすくしたものだと思っています。
どこの世にも神秘的にしないと理解できない人が多いようですね。


意図が知りたいです  投稿者:いど 投稿日: 2005年01月07日 0時41分

今年初の書き込みです 明けましておめでとうございます
おめでたくない方には 寒中見舞いもうしあげます

横レス失礼いたします
はじめましてキンシャチさん
「RE:これで最後にしたい・・・ 投稿者:キンシャチ  投稿日: 1月 6日(木)21時04分40秒」
>僕が訊きたいのは、基世さんがなぜ無信仰者から信仰者になったのか、その理由です。無信仰者をも納得させるだけの、キリスト復活の根拠です。

一つお聞きしたいのですがキンシャチさんが知りたいことは
・なぜ無信仰者から信仰者になったのか
・無信仰者をも納得させるだけの、キリスト復活の根拠
のどちらでしょうか?

またキンシャチさんは「死んだ人間は生き返りません。残念ながらこれが現実です。」と思っているのですよね? つまり「無信仰者をも納得させるだけの、キリスト復活の根拠」を基世さんが提示するのは不可能だと思っているのですよね?
信仰者である基世さんにそのような要求をする意図はなんでしょうか?

わたしが読み違えていたり、読み飛ばしているのであれば該当個所を指摘していただきたいのですが、議論の中で基世さんが「進化論は聖書の記述と矛盾している。聖書にかかれている内容は全て事実であり聖書と矛盾する進化論は間違っている」等という事を主張していたのでしたっけ?


Re:死んだ人間は生き返りません。  投稿者:救キリスト狂信者 投稿日: 2005年01月07日 0時30分

>死んだ人間は生き返りません。残念ながらこれが現実です。
確かにそうだと思います。ところが死んだと周りが思った人は生き返るかも知れませんね。

こないだの津波で、遺体室から生き返った(?)子供が居たらしいですが、そういうこともあるのでしょう。

しかし、今回の津波に対していろいろと活動をしている、キリスト教徒や仏教徒の涙ぐましいい活動は、すばらしいと思います。


会計士の卵さんへ♪  投稿者:えめ 投稿日: 2005年01月07日 0時26分

初めまして
他人とは思えんくらい状況が似ています
>「生まれた日で人の運命が決まるなら、インドネシアの地震で亡くなった15万の人たち
>は、同じ生年月日に生まれたの? 同じ水星人だったりしたの?」
ウンウン、自分の場合は姓名判断についてで、阪神淡路震災と日航機事故でした。(相手は義母ですが)今は血液型ですね。
 
 私が達した結論を言いましょう。貴方の御母堂に限らせていただけば、ですが
考えを変えるのはまず不可能です。精神構造(信じる、信じない等の基準)が違い更に、年齢を考えれば修正も非常に困難でしょう。ウン
 もしどうしても御母堂の考えを変えたいので有れば、御母堂がもっとも影響を受けている人物に信頼する手法を用いて説得するより他は有りません。例えば
「細木数子」女史に「六星占術」で説得してもらうなどどうでしょう?

 私事ですが、最近は年のせいかそのような話でも昔ほど話を合わせなくなってきました。
もう廻りの雰囲気など、どうでも良かとです。
口癖は「少しは自分で考えろ」になり、時に「心の中じゃ嫌われてるなぁ」と
思うときも有ります
 どぉーでも良かとですよ、自分の気が晴れるンなら


「情報はどこから来たか?」  投稿者:ゆきお 投稿日: 2005年01月07日 0時24分

All Complex life forms point to an Intelligent Designer.

▼「どの生命組織でも機能するには、まず情報が必
要です。生命の起源を有意義に説明するには、先
に情報とは何か、情報がどこから来たかを説明しな
けれならない。」

(ドイツ連邦物理技術研究所・ダイレクターWernerGitt博士)

P.S.
■ヒトの体は60兆個の細胞の集合体、その謎を解くDNA情報ですが、ヒトの場合はこれが30億文字の 組織化された情報量、 ヒトをつくる手順がすべてこの 小さなところに詰まっていると言われている。

★「初めに言葉があった。言葉は神とともにあった。言
葉は神であった。」聖書



http://www.聖書を知ろう.com


RE:これで最後にしたい・・・  投稿者:キンシャチ 投稿日: 2005年01月06日21時04分

基世さん。レスありがとうございます。投稿のタイミングが重なってしまい、無理に引っ張りだしたみたいで申し訳ありません。以下の文章は読み流してくださってけっこうです。

>>あなたはどういう根拠で「キリストは復活した」と考えていらっしゃいますか。信仰は尊重しますが、循環論法、堂々巡りにならないお返事を期待します。

> 信仰を神から与えられたからです。キンシャチさんの期待通りの答えにはならないかもしれませんが、こうしか答えようがありません。

僕の言葉足らずでしたね。基世さんは、受洗する前は、信仰していなかった訳でしょう。そういう方が、なぜキリストの復活を信じるようになったのか、そこが知りたかったわけです。

>あえて言うなら、キリストの復活後の弟子たちの変化です。十字架の時、弟子たちはみんなキリストを裏切って逃げたのです。しかし、復活のキリストに出会った弟子たちは「キリストはよみがえった」と言って、死も恐れず全世界に出ていったのです。ある人たちは、そのために死んでいきました。人は嘘だとわかっていることに命をかけれるでしょうか。ばかばかしいと思うはずです。

あなたの論拠は、聖書に立脚しているように見受けられますが、いかがですか。聖書の内容を検証するために聖書を持ってくるのは、やはり循環論法だと考えます。

> >僕は、キリストの復活は、福音書のフィクションか、(もとの出来事があったとしたら)トリックか勘違いではないか、という立場です。

>「キリストの復活は、福音書のフィクションか、(もとの出来事があったとしたら)トリックか勘違いではないか」というその根拠は何ですかなどとは、キンシャチさんをはじめ誰にも聞くつもりはありません。

死んだ人間は生き返りません。残念ながらこれが現実です。

>キンシャチさんが、聖書全体をフィクションとみなしているのか、はっきりはわからないのですが、フィクションなら、キリストは金太郎や桃太郎といっしょで、その辺にほっぽといてもいい存在ではないですか。どうしてそんなにこだわるのですか。否定したいためなら、信仰を尊重してるとは言えませんよ。

聖書全体は、実在の人物をモデルに民間説話なども取り込んだ「アーサー王」伝説のようなものだと捉えています。

僕が訊きたいのは、基世さんがなぜ無信仰者から信仰者になったのか、その理由です。無信仰者をも納得させるだけの、キリスト復活の根拠です。僕の文章を信仰否定に受け取られたのなら謝罪します。しかしはっきりと書いておきますが、誰がどのような信仰を持とうがそれは自由だ、と固く信じております。テロ、犯罪などの根っこに宗教が絡むことは少なくありませんが、罰せられるのは行為のみです。同時に、信仰による善行でも、讃えられるのは行為のみです。


Re:血液型その他  投稿者:大文字ナン 投稿日: 2005年01月06日20時11分

 会計士の卵さん、はじめまして。

>みなさんは、家族や友人が宗教を信仰している場合、あるいは「お前はAB型だけど、いい加減な性格だからB型寄りのAB型だな」とか言われたりした場合、どういうふうに対応していますか?

 そうですね、その場の雰囲気によって判断しています。それがまったくのヨタ話であれば流れに合わせますし、価値判断の要因にそれを求めるようなら注釈をいれます。しかし、ただ「血液型性格判断は信用ならない」と述べるだけでは説得力がありませんし、ただの「イチャモン」ととられる懸念もあります。ですのでまず血液型とは何であるのか、抗原とはどんなものか?などといった話が出来る場であれば、出来る限りの説明をします。そのうえで、やはり血液型性格診断を採用し続けたい場であれば、あとは知ったこっちゃない(笑)というスタンスです。

>ドーキンスみたいに、堂々と娘にサンタクロースがいないことを言って聞かせるような、科学的態度というか、合理主義者のクソ度胸というか、そういうのが私にはありません。

 ドーキンスの本は私も愛読していますが、なんでもバッサリ斬ることが是なのかな?と思うことは多々あります。特に子供に対しては、夢想的な物語を持つ自由さも失って欲しくありません。しかし相手が大人となると、占いや風水、ジンクスなどに傾倒する姿勢には必ず口出しをしたくなるのも正直なところです。たとえば占いですが、一種の人相見についてはトレーニングを積めばかなりの確度で相手の「おおよその傾向」を「さも曖昧ではないように」言い当てる話術があることを示します。これは私のような(半分以上)サービス業従事者にとっては必要なスキルとも言えるでしょうし。

 ただ、相手がそれをことのほか信じていたり、依存しているような場合、真っ向から否定したり批判することは考え物です。相手が信じているモノを尊重しつつ、それが軽信ではないのか、もう少し考察の余地があるのではないか?と、少しずつ「材料」を与えられるように心がけたい、と考えています。

 以上、参考になりますでしょうか。


REこれで最後にしたい・・・  投稿者:てつお 投稿日: 2005年01月06日18時21分

わかりました。でも、私の発言に、目を光らせてチェックしてくださいね。
遠慮なく、入ってください。
で、以下に、もうひとつ「進化論と創造論」掲示板、紹介します。
管理人クハ72さんは、クリスチャンです。創造論では、ないです。

http://members.at.infoseek.co.jp/kuha_72/bbs.html


ペニシリンが神経保護  投稿者:谷庵 投稿日: 2005年01月06日18時17分

マウスでの実験ですが、ペニシリン系抗生剤に神経保護作用があるようです。
ALSにも効果があるようなので、ホーキング博士には朗報かな。

http://dp54020279.lolipop.jp/res-hypoxia/archives/2005/01/post_232.html


ご意見、ご要望がございましたら、掲示板か、 e-mail:natrom@yahoo.co.jpへどうぞ。


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