進化論と創造論についての掲示板ログ282

2004年11月26日〜2004年11月28日
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私が見た血液型TV  投稿者:ハッター 投稿日: 2004年11月28日17時36分

血液型別に子供たちをグループに分けて街の地図を作らせるという番組を見たことがあります。A型は歩数を図って生真面目に一軒一軒書き込み、O型はいきなり海にいって遊ぶ、B型は食べ歩きをはじめ、AB型は観光地図を見て地図を作る…。という様な内容でびっくりするほど血液型で性格が違うようなつくりでした。


To 送った側さん  投稿者:大文字ナン 投稿日: 2004年11月28日17時23分

 ごめん、悪いンだけどその議論はすでに収束していますから、私はその議論から撤収します。また別の機会でお話できれば、と思います。


進化論は非トートロジー  投稿者:大文字ナン 投稿日: 2004年11月28日17時20分

 『少数の単純な生物が長時間かけてさまざまな生物に変化すること』

 ↑は、ダーウィニズムだけを説明したものではなくて、広範な「進化論」について述べたものですが、どう見てもトートロジーには見えません。進化論、と呼ばれるような知識が広まりつつあった時代背景においては(というか、現代においてさえ)、生物はほとんど今と変わらない姿でそのまま「創造主」によって生み出され、変化しない、という考え方と価値観が主流をなしていたのであり、進化論が唱えた「変化」は、よほど確かな証拠を提示して「検証すべき実体」を示すことがなければ、たちまち「拒否」されていたのではないか?と私は思います。
 #ニュートン力学の場合は、「落ちる」ことは物質そのものの性質である、と考えられていたのを、「引力があるから、落ちる」と延べ、それを実証した。

 次に、ダーウィン以降の「ダーウィニズム」が示したものは、広範囲な進化論をさらに精密に記述しようとした「試み」であり、ひとつの定理系ですから、その前提とする公理には当然トートロジーを含みます。これは人ぞれぞれの解釈にも委ねられる問題ですが、私は「適者生存」は前提のひとつだろう、と考えますから、これがトートロジーであってもなんら問題はなく、適者生存のトートロジー性を批判したとしても「ダーウィン進化論への批判」にはならないだろう、と思うのです。

 それでは、なにがダーウィン進化論の「中心」なのだろうか?という問題ですが、生物が変化してきたらしいことは、すでにダーウィン以前から議論されており、これもひとつの「前提」かと思います。
 これを一歩進めて、『すべての生物が、共通の祖先からスタートした』と、慎重に唱えたこと、あるひとつの生物が「ランダムに変異し(多型を持ち)、自然選択されていく機構」を洞察により述べたこと、以上の2点がダーウィン進化論の「それまでにはなかった考え方」ではないでしょうか。そしてもちろん、これらは実証を待たなければ科学的命題として生き延びることは出来ません。ダーウィン進化論が現代まで、その中心的定理を存命させている理由は、まさに検証を経て生き延びてきたからであり、当たり前のことを同語反復したからでは、ない、と私は考えています。

 #ところで「突然変異」という言葉だけは、確かに不適切なのかも知れないな、と最近思います。じゃぁどう言えばいいのよ?と突っ込まれると困るんですが(笑)変異はいつでも起きているので「偶発変異」とかじゃ…ダメかな?とか言ってみます。


ともあれ  投稿者:送った側 投稿日: 2004年11月28日16時44分

『物体は外から力が加わらなければ、いつまでも速さと向きを変えない。』

 を

『外部から力が働かない限り、内部から力は出てこない』

 などという言い換えをしておいて
 意味が同じであると読むのが当たり前
 などと主張する投稿が姿を消したようなのは僥倖だと思います。


大文字ナン  さん  投稿者:送った側 投稿日: 2004年11月28日16時41分

>>「外部に力が働かない限り、内部から力は出てこない」

> これはもう、表現が書き換えられています。論題となっている命題とは、違う意味にしかとれませんよ。


↓それでは、あなたのこの投稿はナンだったのですかか?
    私のは、たしか、この辺についてレスしたのだったと思うけれど。



横レス:力学 投稿者:大文字ナン  投稿日:11月26日(金)05時57分1秒

>1.物体は外から力が加わらなければ、いつまでも速さと向きを変えない。

 という命題について

>>これは「外部から力が働かない限り、内部から力は出てこない」と言う言明であって、

 という解釈が存在することは、まさに明らかだと思うんですが(笑。




もしかして、大文字ナンさんて2人いるの?
最近ここを知ったので、分からないんだけれど。


どこまでも馬鹿なおずおず  投稿者:doutakunooomikami 投稿日: 2004年11月28日15時17分

>>>
「環境に適したもの」が、「より多く生き残る。」
んじゃ、「環境に適したもの」とはどんなものか、
端的に言えば、「より多く生き残るもの」である。

これは「同義反復」であり、多くの人が「進化論はトートロジーだ。」というのは、この意味で言っていると思います。
>>>


そうではない、
生き残る とか より多く 
ということ自体が定義できないんだよ。

食物連鎖でも見るんだな。

食物連鎖に入らないのが進化か
食物連鎖に入るのが進化か定義しろ。

できんだろうが。

進化論は無意味なんだ。
生き残ったのが現在に至る種だという
あたりまえ=無意味な言説だ。
トートロジーとはそういう意味だ。


んなこた分かってるって?  投稿者:谷庵 投稿日: 2004年11月28日14時43分

書き込んでから↓は分かり切ったことだったと気がつきまして、責任とって調べました。
Websterによりますとギリシャ語だそうです。tauto=same だそうです。


tautology  投稿者:谷庵 投稿日: 2004年11月28日14時28分

一応英和辞書に載ってます。
語源までは分からないけれど。


たとえ話2  投稿者:たまごちゃん (^-^)ノ 投稿日: 2004年11月28日14時14分

先のたとえ話があまり適切でなかったようなので、また別のたとえ話をしましょう。

1の目が1/5の確率で出るように重心を細工したいかさまさいころと、普通のさいころを作りました。
そしてそのいかさまさいころと普通のさいころを10回振って見ました。

いかさまさいころの目は「6,3,5,5,2,4,6,3,6,2」でした。
普通のさいころの目は「2,1,4,6,1,3,1,5,2,4」

さて、1の目の出やすいさいころはいかさまさいころと普通のさいころのどちらでしょう?
1の目が出ることが有利となるような環境下で「適者」ということができるのはいかさまさいころのどちらでしょうか?


トートロジーって何語?  投稿者:たまごちゃん (^-^)ノ 投稿日: 2004年11月28日14時11分

タイトルと内容関係ないです。ふと疑問に思ったもので。なんか語感が英語っぽくないなぁと思って。元々何語なんだろう?いや、英語かもしれないけど。

流木さん、レスをありがとうございます。

話しの本筋に入る前に、他の方もおっしゃっていることですが「適者生存」を「適者多産」と言い換えるのはちょっと問題があるように思います。
言い換える意図は分からなくもないです。「適者生存」と言う時の「生存」は、「単に生きながらえること」ではなく、「繁殖年齢まで生きながらえ、繁殖し、より多くの子孫(繁殖年齢まで生きながらえ繁殖できるような子孫)を残す」ことを意味するのですから。それを単に「生存」と言ってしまっては誤解を招く要素があるというのはその通りですね。

でも、「生存」を「多産」に言い換えたところで、あんまり事態は改善されないように思います。
普通、「多産」と言ったら「単に産む子供の数が多いこと」を指して、「繁殖年齢まで生きながらえる子供の数の期待値がどれだけか」についてには何も述べないですから。

結局、「適者生存」と言っても「適者多産」と言っても、「生存」とか「多産」っていう言葉の一般的な用法からは少しずれる「繁殖年齢まで生きながらえ、繁殖し、より多くの子孫(繁殖年齢まで生きながらえ繁殖できるような子孫)を残す」という意味に、「生存」なり「多産」という語を用いなければいけないという点では同じです。だったら、わざわざ「適者多産」という新しい語を用いるよりも、「適者生存」と言う時の「生存」はこういう意味なのだと言う注釈つきで「適者生存」という既存の単語を使った方がよいように思います。

それに、朱雀さんも以前に指摘されていたように「多産」という語は生態学や進化生物学の分野では「r戦略とk戦略」の文脈で「多産多死、少産少死」とかっていう風に「単に産む子供の数が多いこと」をさす用語としての使われ方が確立されているので、それを他の意味で用いるのはあまりよくないように思います。

ふぅ。思ったよりも長くなってしまった。
さて、本論。

> ただ、いくら環境に巧みに適応していても、その個体が子孫を残さなかったら、その個体の遺伝子は集団の中に広まりようがありませんので、進化とは無縁となります。すなわち、進化のメカニズムを説明する際に登場する「適者」ではあり得ません。

もし運悪く(例えば寝ているときに脳天に隕石が直撃したりして)子孫を残すさずに死んでしまったとしたら、確かにその個体の遺伝子は集団中に広まりえないし進化とも無縁になります。しかし、その個体が環境に巧みに適応していたのなら、実際に子孫を残していようがいまいが、その個体は「適者生存」と言う時の「適者」であると私は考えます。
適者であるにも拘らず運悪く生存繁殖できなかったってわけです。

>進化にとって肝心なのは、ある個体が子孫を残し、その多寡によって集団内での遺伝子頻度が変化するということでしょう。その意味においては、「適者」とは結果的に多産だったものであり、ある個体がどの程度「適者」といえるかは事後的にどれぐらい子孫を残したかで測られるのではないでしょうか?

違うと思います。
進化と言ってしまうと中立進化なども含みますのでダーウィニズムについて。
ダーウィニズムにとって肝心なのは、個体の生まれ持った性質(ダーウィンのころには分かっていなかった後付の説明で言えばどのような遺伝子を持っているか)によって、どれだけの確率で生き残りどれくらいの数の子孫を残すかの「期待値」が違うということだと思います。さらに、その期待値が違うがゆえに、(子は概して親に似る傾向があるので、)集団内での個体の形質の分布(あと付けの説明でいえば遺伝子頻度)が変化するということだと思います。
「適者」とは結果的に多くの子孫を残したものではなく、残す子孫の数の「期待値」が高いものです。
ある個体がどの程度「適者」と言えるかは、原理的には事前に計算できるはずの類のものだと思います。しかし、環境側にも個体側にも変数となるものが多すぎるので実際には計算できないというだけのことでしょう。


こんどこそ明確に...  投稿者:おずおず 投稿日: 2004年11月28日13時12分

「環境に適したもの」が、「より多く生き残る。」
んじゃ、「環境に適したもの」とはどんなものか、
端的に言えば、「より多く生き残るもの」である。

これは「同義反復」であり、多くの人が「進化論はトートロジーだ。」というのは、この意味で言っていると思います。
そして、進化論はまさに、この意味で「適応」と言う言葉を使っているのです。
ここまでの段階「だけ」では、確かに進化論は「トートロジー」なのです。ニュートンの第2法則が、ある段階まではトートロジーであるのと同じです。

では、なぜニュートン力学は、トートロジーから脱することが出来るのでしょうか?(実は永遠に脱しないとおもいますけど。)

「力」という全称名詞の範疇に入る、「観測可能なもの」を、一つ一つ定義していくことによって、観測によって真偽の判定が可能な命題にくっつけていく事によって、です。
「力」全体については科学は決してトートロジーから抜け出られません。未知の原因によって物体の運動が変化すれば、物理学はこの原因のことを「未知の力」として研究を進め、そのうち「○○力」という名称をその原因である何かに与えるでしょう。少なくともそれをニュートン力学の範疇に取り込むとしたら...。(アインシュタインが「引力」を「空間の曲がり」である、と言っても、引「力」という言葉は死語にはならなかった。)

同じことが進化論に対しても言えるのじゃないか、というのがボクの主張なのです。

「適者」であるとは、どういう「観察可能な形質」を持っていることを意味するか、つまり、
「○○の形質を持っている生物は、「適者」である。」
という命題になれば、この命題は科学的命題になる。つまり、○○という形質を持っていることが、生き延びることにつながっているかどうかは、観察により決定出来る。
魚を陸にほうり上げたらなぜ死ぬか、を観察すれば、「エラを持つと言う形質」は水のない環境には適応していないことがわかる。観察してみなけりゃわからない。エラは、「どんな状況下でも適応を出きる」訳じゃないから、トートロジーにはならない。

温泉の熱湯の中で生きている生物を発見しても生物学者たちは、「この生物がここに生息出来るなにか(適応を可能にしている形質)があるはずだ、ということを疑うことは決してない。なぜならばそのことはトートロジーにより保証されている。生きてるんだから、生きてる理由があるんだろさ♪
そしてそのうち必ず、例えば分子シャペロンのような、「観察可能な、なにかの機構」を見いだすことになる。これは「科学的成果」であって、トートロジーじゃない...。

と、思うんですけど...?


カトリック教会とは  投稿者:元カトリック信徒 投稿日: 2004年11月28日11時51分

http://theology.doshisha.ac.jp:8008/kkohara/essay.nsf/0/be27ae98f54ffc1149256bbe0069883a?OpenDocument


おずおず惨敗  投稿者:doutakunooomkami 投稿日: 2004年11月28日10時17分

もうギブアップか。
これで3連敗だな。

結局自分で転んでピンボケ解釈を懺悔したんだな。

で、肝心の
進化論はトートロジーというのは
あきらめたんか?


TVと言えば  投稿者:えめ 投稿日: 2004年11月28日 9時51分

NHKの「地球大進化」のノリで創造論の地球をCGでやってくれねーかな。
事の真偽は脇においといて、地殻が割れて水が吹き出る所とか映像で見てぇ


ああ血液型もTVも  投稿者:えめ 投稿日: 2004年11月28日 9時45分

 血液型、星座、干支、民族…結局人は、自らを含めて人間を何かにくくったり、くくられたりしたい生き物なんでしょうかねぇ…        ふ。

         とか悟った様な事を言っても始まらない。
 最近の血液型を扱った番組の数は異常です。
しかもその証明たるや陳腐で子供だましばっかり、何とかなならんのかあーゆーのは。
俺は見ないが、家族は見るんだ。んで俺の説明は説得力がなくて、特に義母なんかはもう信じてる。おまえ等ちょっとは自分の脳で考えろって言っても、何回も同じ事やってりゃだんだん信じちまうだろう。まるで新興宗教の洗脳と一緒、堂々やっているだけ質が悪りぃ。
(説得力についてはプレゼンの差だと確信しています。決して自分が普段からホラばかり吹いているからではないと…思いたい)

 どうせ視聴率が稼げなくなった頃に「血液型を斬る」とか言って否定番組を作るつもりかも知れんが。
   
『当番組はテレビ局とスタッフの独断を元に作製されており、番組内で使われた映像及びデータは当番組スタッフにより一部編集されております(つまりシャレです)。尚、学会では現在血液型と性格との相関は認められておりません』
 くらいの文句を番組の初めと終わりに出させたほうが良い。


 


Re:血液型  投稿者:いど 投稿日: 2004年11月28日 9時01分

谷庵さん
わたしのサイトにも最近「嫌いな血液型 AB型」「嫌い B型」「太りやすい血液型」などのキーワードでGoogleなどの検索サイトからやってくるお客さんが増えてます。

…流行なんですかねぇ?


あぁ勘違い  投稿者:いど 投稿日: 2004年11月28日 8時54分

当初のわたしの書き込みの動機は以下のようなものでした

(1)「おずおずさんの書き込み無いようにたいする誤解(*1)」
(2)「おずおずさんの書き込みの目的が読みきれなかったための疑問」

(1)は徐々に感じ始め【混乱に終止符を... 投稿者:おずおず  投稿日:11月28日(日)04時59分56秒】で解決をみました。(2)に関しては当初ぼんやりとしか解っておらず(1)があったために漠然とした違和感だけが残っていたのでした。それを反映してわたしの書き込みも、なんだか奥歯に詰まっているような(議論を発散させてしまうような)書き込みになってしまいました。申し訳ありません。

たまごちゃん (^-^)ノやwadjaさんの書き込みを読んで、ほぼ自分の誤解していることの確信が持て、おずおずさんの書き込みの主旨を把握できたんですがおずおずさんご本人からの書き込みをまって書き込ませて頂きました。

(*1:「物体に加速度を与えるものが加わると加速度が加わる」という「言い換え」が「慣性の法則を言い換えたもの」であるという誤解)


血液型  投稿者:谷庵 投稿日: 2004年11月28日 6時51分

私は見ていないのですが、相当ひどい番組だったようですね。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20041127-00000054-mai-soci

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20041127-00000054-mai-soci


混乱に終止符を...  投稿者:おずおず 投稿日: 2004年11月28日 4時59分

まず、ニュートンの3法則の解釈について
1.物体は外から力が加わらなければ、いつまでも速さと向きを変えない。
2.物体に起こる運動量の変化は力Fに比例し、力Fの方向に生じる。
3.作用、反作用の法則(ここでは触れない)

1.の命題からは、
外から力が加わらなければいつまでも速さと向きを変えない。
速さと向きが変わったのであるなら、外から力が加わっている。
外から力が加わったならば、速さと向きを変えるか変えないかは(元の命題からは)規定されない。
(これは、もとの命題のAならばBという論理式からくる結論。AならばB、という命題は、Aが偽であるときにはBが真であろうと偽であろうと真となる。)

ところが、2.の命題からは、力Fと運動量の変化maの関係はF=maであり、それ以外の値を取らない、という結論が出てくる、
内部応力を考慮に入れた場合、例えば右からF1,左からF2(F1>F2)の力がかかる場合、F2の力は弾性変形等に使われ、F1−F2の力のみが運動に使われるわけで、その意味ではF1<>maとなる(F1−F2=ma)。第2の命題はこのことを想定していないのは明らかだから、これら3法則は、動力学のみを想定していることになる。
したがって、第2の命題の定式的な意味としては、「物体に外から力が加われば、(必ず)速さと向きが変わる。」となる。机の上の本が動かないのは、本に働く重力と机から本に働く反力が釣り合って合力としては0になるから。

従って、机の上の本についての解釈はyebisu500さんの説明が正しいです。失礼しました。


次に、匿名希・望さんの発言について。(以下はボクの解釈であり、匿名希・望さんの発言の意味はそうでないかもしれませんが、)

「物体は外から力が加わらなければ、いつまでも速さと向きを変えない。」という命題は、トートロジーではない。なぜならば、力が加わらなくても速さと向きが変わることがあり得るから。
というのが匿名希・望さんの主張です。

>これは「外部から力が働かない限り、内部から力は出てこない」と言う言明であって、
>検証されるべき実体を持ってます。
>その限りにおいてこれはトートロジーではありません。
という発言で匿名希・望さんが言いたかったことは、
「外部から力が働かなくても、内部から力が働いて、自然に動き出すことがあるかも知れない。そのような現象があるかどうかは観察により確かめなければ結論は出ない。」ということだったようです。

で、そういう意味だと理解できていれば、このことにボクは別に反論するつもりはなかったのです。

前記命題の「力」に、「物体の速さと向きを変える何か」を代入して、
「物体に外から、「物体の速さと向きを変える何か」が加われば、速さと向きが変わる。」
とすると、トートロジーになります。

この命題と匿名希・望さんの主張は矛盾しません。なぜなら、この命題は、「物体の速さと向きを変える何か」が加わる」という前提が正しいときには必ず「速さと向きが変わる。」という結論が正しい、といっているだけであって、
前提が偽の場合は結論が真でも偽でも良いからです。(AならばB、の定義から。)
つまり、「物体の速さと向きを変える何か」が加わらなくても、速さと向きが変わる。」という命題が真であることは、上記トートロジーとは矛盾しません。

また、匿名希・望さんも、「物体に外から、「物体の速さと向きを変える何か」が加わっても、速さと向きが変わらない。」ことがあり得る(論理的に)とは主張されないと思います。もしそれが正しいなら、その何かは「物体の速さと向きを変えることが出来ない何か」でしかないからです。

おさわがせしました m(__)m

なお、匿名希望さんのもう一つの主張、
>それにトートロジーは科学的な主張として無意味なのであって、
>語義の定義としては無意味ではありません。
については、ボクも同意します。
たまごちゃん (^-^)ノの説明のとおりなのです。まさにそのことを言いたかったのです。
>「適応度=生存率×繁殖率」という定義の元で、「適者生存」がトートロジーになるっていうのも、同じように当然だと思います。
>「適者生存」が正しいという仮定の元にトートロジーになるように「適応度」を再定義しなおしたのだから。


いど さんへ

上記の通りです。つまり、第2法則で言われている内容のなかの、「力」を、「物体の速さと向きを変える何か」に置き換えると、トートロジーになる。


こいつも馬鹿だ  投稿者:dotakunooomikami 投稿日: 2004年11月27日22時35分

>>>
なお、多産な個体の遺伝子が集団の中でシェアを高めたとしても、「変異体は総て淘汰され、生物の多様性はなくなり、均一化する」わけではありません。突然変異は偶然に起きる遺伝子の写し間違いですから、変異体は産まれ続けます。そして、ある変異体の遺伝子もその個体の多産の程度に応じて集団内に広まっていきます
>>>


”多産”を”伝染”に変えれば正解だよ。
多産と伝染とどっちが証明可能かな?


「適者」へのありがちな誤解  投稿者:流木 投稿日: 2004年11月27日22時17分

 適者生存はトートロジーという議論をする人たちは、「適者」という字面に基づいて、「適者とは環境に最もよく適応したものだ」と自己流の解釈を下すわけです。例えば、

>御一同様江8  投稿者:Temporal 投稿日: 2004年11月05日15時14

>生き残ったモンが、最適者であると言う保証はおまへン。
そもそも、適者と言う概念が、外環境が継時的に常に変動する以上、論理的におかしいでッしゃろ。
いかなる環境変化にも対応できるモンが最適者だとすると、変異体はすべて淘汰されてしまい、生物の多様性は無くなり、均一化してしまいマヘンか?
まあ、適者と言うモンが、最適者ではなくて、適当者であるンなら、話は別でンがね。
σ( ̄。 ̄)

といった具合に。まぁ、この方の場合、進化論の入門書も読んだことがないと公言されたわけですから、こういう基本的な部分での誤解があるのは当然ですけどね。

 多産な個体を「適者」と呼べば、多産な個体の遺伝子はその個体が属する種の中に広まっていきます。ある個体がどの程度「適者」なのかは、その個体がどの程度多産なのかで測られます。

 なお、多産な個体の遺伝子が集団の中でシェアを高めたとしても、「変異体は総て淘汰され、生物の多様性はなくなり、均一化する」わけではありません。突然変異は偶然に起きる遺伝子の写し間違いですから、変異体は産まれ続けます。そして、ある変異体の遺伝子もその個体の多産の程度に応じて集団内に広まっていきます。

 「適者」を「環境に適応したもの」のように通俗的に捉えるならば、「適者が生存するなどという話は当たり前であって、そんなのは無内容だ」といった意見が出るのは自然の成り行きです。「トートロジー」云々は、ある記述がトートロジーか否かに焦点があるのではなく、恐らくは「内容的に判り切っており、何かを説明したことにならない」といった点を問題としているのでしょう。


(無題)  投稿者:たまごちゃん (^-^)ノ 投稿日: 2004年11月27日20時31分

元々ここに書くために用意したんだけど、気が変わって他の場所(どこかはひ・み・つ)に投稿した文章を、やっぱりここにも上げようっと。


物理学を学んでいない人でも、つまり、ニュートン以前の世界に住む人でも、力学的な意味での「力」ていうのがどういうものなのか、大体のところは知っています。
どんな風に知っているかというと・・・、

止まっている荷車を押して力を加えたら荷車は徐々に動き出す。
動き出した荷車を一定の速度で動かし続けようと思ったら、一定の力を加え続ける必要がある。
でも、その時の力は荷車を動かし始める時に加えた力と比べたらほんの少しでもOK。
動いている荷車に力を加えるのをやめたら、しばらくはそのまま進むけど、徐々に遅くなってとまってしまう。
動いている荷車を無理やり止めるには、進んでいるのと反対の方向に力を加えてやればよい。
そのときに必要な力は、止まっている荷車を動かすのに必要だった力とほとんど同じくらい強い力が必要だ。
止まっている荷車を動かすのにどれだけの力が必要かは、荷車にどれだけの重さの荷物を積んであるかに関係がある。
軽い荷物しか積んでいないときにはちょっとの力しか必要ないし、重い荷物がつんであるときはいっぱい力が必要。
すごく重い荷物を積んである時には非力なたまごちゃん (^-^)ノではいくら力を入れて押しても荷車を動かすことができない。
その時たまごちゃん (^-^)ノが加えた力はどうなったかって?うーん・・・どっかに消えちゃったんじゃない?

と、こういうふうに「力」というものを知っています。
この「力」はニュートンが「すべての物体は、それに加えられた力によってその状態が変化させられないかぎり、静止あるいは一直線上の等速運動の状態を続ける」とか、「ある物体が力を受ける時、その物体には受けた力と比例した加速度が生じる」って述べる時の「力」と同じ、「力と呼ばれるなにか」を指しています。

だけど、ニュートン以前にはその「力と呼ばれる何か」が加速度と比例するなんてことはまったくもって考えられないことでした。
「等速直線運動している物体は、力を加えられないと徐々に速度が落ちて止まってしまう」とか「止まっているすごく重いものは、かなりの力を加えてもまったく動かないことがある」っていうことが常識だったのです。

等速直線運動している荷車には、地面との接触面で運動方向とは逆向きの「摩擦力」という「私達が力と呼んでいる止まっている荷車を動かすために加えている何かと同種のもの」が生じ、そいつによって加速度が加えられることによって徐々に止まる。
重たい荷車を押した時、荷車と地面との接触面で押している力と反対方向の「摩擦力」が生じ、こいつが荷車に生じさせる加速度とたまごちゃん (^-^)ノが押している力による加速度が拮抗している
から荷車全体としては動かないのだ。でも、たまごちゃん (^-^)ノの押す力は確かに荷車に加速度を生じさせているのだ。
ってな事は知られていなかったからです。


んで、私が何がいいたいかというと、
第二法則は、ニュートン力学以前から人々にどんなものであるか大体知られていてニュートン力学を用いなくても記述できる「力と呼ばれる何か」が、物体にそれと比例する加速度を生じさせる。といっているのであり、それはトートロジーではないように思う。ってことです。

いったん、第二法則が正しそうだということになれば、その仮定の元に、「力」という言葉を「物体にそれと比例する加速度を生じさせるもの」として再定義することが出来ます。
んで、その定義の元では第二法則はトートロジーの形になるって言うのは当然のことだと思います。そうなるように「力」を再定義したわけですから。

「適応度=生存率×繁殖率」という定義の元で、「適者生存」がトートロジーになるっていうのも、同じように当然だと思います。
「適者生存」が正しいという仮定の元にトートロジーになるように「適応度」を再定義しなおしたのだから。


混乱に拍車を(笑  投稿者:wadja 投稿日: 2004年11月27日20時02分

最初に、おずおすさんが引用した

>1.物体は外から力が加わらなければ、いつまでも速さと向きを変えない。
   この物体の速度を変える働きをするものを力といい、力とは物体に
   加速度を与えるものです。

は、一行目は第一法則の記述そのものですが、二行目以降は力の定義です。二行目以降は、それだけでみればトートロジーですが、匿名希・望さんの言う通り、定義なのでそれはそれで意味があります。

一行目の命題と二行目以降の定義が合わさってトートロジーを形作るには、論理形式上は二行目以降の記述が

この物体の速度を変える働きをするものを全て力といい、・・・

と、定義の部分に下線部を加える必要がありませんでしょうか?

では、物体の運動を変えるものは力の他に何があるのでしょうか?
ありません(笑

ニュートン力学以降は、力以外に物体の運動を変化させるものは否定されています。しかし、ニュートンがプリンキピアを著した時代の人々は、「物体が等速運動を続けるためには、外力を与え続ける必要がある」と信じており、力以外にも物体の運動を変化させるものを想定していたのではないかと思います。

実際、馬車が等速運動を続けるには馬が仕事を続けることが必要です。馬が仕事を続けることは目に見え分かりやすいけれど、それ以外に馬車に働いている、空気抵抗や摩擦は目に見えませんから、そう誤解していたのも無理はないでしょう。馬が走る努力を止めれば、ブレーキをかけなくても馬車はいつか止まります。多分「運動している物体は、力を加えるのをやめればいつかは停止する」ことの方が常識だったわけで、それは多分質量を持つ物質の普遍的な性質と考えられていた筈です。匿名希・望さんの言う「内部からの力」であり、おずおずさんの言う「ニュートン以前の、ものの持つ自然な性質」というやつですね。

ニュートンの第一法則は、この「ものの持つ自然な性質」の存在を否定してるわけですねよ?


馬鹿なおずおず  投稿者:doutakunooomikami 投稿日: 2004年11月27日19時39分

「物体に外から力が加わる」→「物体が速さと向きを変える」
というのとその対偶の
「物体が速さと向きを変えない」→「物体に外から力が加わっていない」
は同じ意味だ。

「物体に外から力が加わらない」→「物体が速さと向きを変えない」
とその対偶の
「物体が速さと向きを変える」→「物体に外から力が加わっている」
も同じ意味だ。

しかし
「物体に外から力が加わらない」→「物体が速さと向きを変えない」
という命題が真理かどうかは関係無い。

ビッグバンなんて言うのは
それは真理ではない証拠だな。


間違いは認めるよ  投稿者:大文字ナン 投稿日: 2004年11月27日14時10分

>「加速度」は、運動量の変化の割合ではありません。
>速度の変化の割合です。

 おっと、それは私の間違いですね、失礼しました。


激しく脱力した後に  投稿者:大文字ナン 投稿日: 2004年11月27日13時55分

 この議論には二度と参加したくない、と思うけど、他で取り上げるのもナンなのでもう一度だけ答えておきます。

>厳密に言えば私の言い換えは間違っています。

 厳密に言わなくても、激しく、間違っています。

>そうすればニュートンさんのすばらしさが見えてくる

 ニュートンさんのすばらしさ、は議論とまったく関わりがありません。おずおずさんの理解が「激しく脱力を起こさせるほど」間違っています。しかし、もしもおずおずさんが無謬であり、明らかに正しいのであれば、それは「おずおずさんのすばらしさ」の証明にはなるかも知れませんが、ニュートンの業績とは関係のないことです。

>第1法則は、「物体に外から力が加わる」という命題と「物体が速さと向きを変える」という命題の関係を記述したものです。この二つの命題を、前者を命題A、後者を命題Bとすると、(notA)ならば(notB)、つまり「Aで無いならばBで無い」というのが第1法則の論理式です。

 そんな「くだらない形式論理」の関係を記述したのがニュートンの第一法則なのですか?「外力が加わらなければ、物体はその運動状態を維持する。(ウィキペディアによる定義より) 」というような論理構造を持つ命題なら、ほかにいくらでも見つかります。しかもなお、この式の後段において述べられているように、維持されるのは「運動状態」であることが明らかに示されています。

>でも下の本は動かない(正確に言えば、速度も向きも、そのことによっては変わらず、地球と共に移動し続ける。)。

 「静止」について、私は最初のレスで示しています。机の上に置いた本は、机の「位置エネルギー」と釣りあっているから、静止している、と観測されるのです。また、エネルギーと仕事は等価であり、言語としての用法が違うだけの概念です。

>「力は、物体の運動には影響を与えない」けれどその代わりに、「物体そのものに影響を与えている」のです。

 はっきり言います。あきれました。
 ここでいう、物体そのもの、とはナンですか?つまり「外形」ですか?あるいは「組成」かな?もう何度でも言います。ニュートンの法則は、ニュートン力学の体系の下では正しいです。しかし、おずおずさんの主張は、ニュートン力学を理解していないので正しくない。ここで明確になるのは、おずおずさん、もしくは私が間違っているということであって、ニュートン力学とは関係ありません。

>ボクなりの友情で、忠告(忠心(まごころ)から、言葉を発すること)させていただきますが、

 議論において、時々「勝ち負け」を意識するのは当然のことです。しかしそれは常にあるものではないし、増してや「必ず」意識するものでもありません。また私は、自分の主張の明確な誤り、不適切な引用、誤謬などを明確に示していただき、それを「認めない」ことが「まったくなかった」とも思いません。残念ながら、その時点で自己の誤りを認められるだけの知識ベースまたは理解が足りなかったこともあるからです。

 しかし一方、おずおずさんの議論は、一見形式論理に根ざしているように見えて、実は「思い込み」「感情移入」「美化」などの価値観に拘泥した主観的主張を根幹に据えた「理想追求論」に見えることが多々あります。それは時に「頑固」とか「一途」に見える美徳的行動規範かも知れませんが、議論の停滞をもたらすものでもある、と私は考えています。
 
>そこで最も大事なことは、「誰が間違ったか」ではなく、「どの命題が間違っているか」です。

 その通りです。そこで私は「おずおずさんの主張は間違いだ」と述べています。おずおずさんの行動規範が間違っている、とは述べていません。それを指摘しているのは、おずおずさん「だけ」であり、他の誰でもありません。おずおずさんは首尾一貫して矛盾のない行動と発言をしていますか?無論、この議論の限りにおいて、でけっこうです。ニュートンのすばらしさ、は「虎の威」に過ぎないのではありませんか?

>運動量は、質量×速度です。それ以外の記述は、「間違っている」のです。「勇み足」ではないのです。

 その記述法で書くなら「運動量=重さ×移動量/単位時間」でしょう。
 #通常の(相対論だとか熱力学だとかを包括しない)範囲であれ、重さ(力)は重力に依存する相対的なモノなので、この(力×速度)という表記を使いました。
 #「質量×速度」で記述されるのは、慣性質量であって、これも運動量には違いないけれど、ある慣性質量を持つ物体の運動量は、重力に依存しています。


最後にもう一つだけ...  投稿者:おずおず 投稿日: 2004年11月27日13時10分

「加速度」は、運動量の変化の割合ではありません。
速度の変化の割合です。

あなたにとってはいらぬおせっかいだろうけど...ま、だれかが間違って理解するのを防ぐために。


もうやめた...  投稿者:おずおず 投稿日: 2004年11月27日13時06分

力が釣り合って無になるのなら、弾性変形は何が原因なのですか?

でももうほんとうにいいです。本題に戻ってください。

...疲れた。


ほれ、おずおず  投稿者:doutakunooomikami 投稿日: 2004年11月27日12時21分

早く床屋を済ませて、
あっちの檻に帰れ。

邪馬台国はあと11時間で
回答無し=逃亡
とみなし2連敗になるぞ。


うわ…  投稿者:大文字ナン 投稿日: 2004年11月27日12時06分

>「運動」は変化しません。その代わり、重力によって本の厚みがわずかに縮みます。重力により圧縮を受け弾性変形したのです

 激しく脱力しました。けっこうです、今後も論戦を張ってくださいまし。

>大文字ナンさんの発言には時々、議論を「勝ち負け」と意識しているように見受けられることがあります。

 さようなら。


泥沼?  投稿者:yebisu500 投稿日: 2004年11月27日10時08分

>「物体に外から力が働いても、その物体の向きも速さも変えないことがある。」からです。

 これは違いますよ。

>例えば机の上に載っている本にもう1冊本を重ねた場合、下の本には上の本の重力が加わります。
>でも下の本は動かない

動かないのは机から押し上げる力がかかっていて、上の本からの力と釣り合っているからですね。


あ、...  投稿者:おずおず 投稿日: 2004年11月27日 9時28分

>そうすればニュートンさんのすばらしさが見えてくる。(どうにもどなたもまだ見えていないようなのだ...。)

という発言は不適切でした。
訂正
(どうにも(どなたも、を消去)まだ見えていない(人もいる、を追加)ようなのだ...。)


第1法則について>大文字ナンさん  投稿者:おずおず 投稿日: 2004年11月27日 9時20分

>>1.物体は外から力が加わらなければ、いつまでも速さと向きを変えない。
>>この物体の速度を変える働きをするものを力といい、力とは物体に加速度を与えるものです。

> 違うデス。力とは、物体の「運動」に作用し、運動量を変化させるものです。そして運動量の変化する「度合い」を表現したものが、加速度でしょう。加速度は、力を加え続けない限りただちに消滅して、再び等速直線運動を開始します。

違います。
力とは、「物体に作用する」ものです。

厳密に言えば私の言い換えは間違っています。但しそれは私なりに議論を見えやすくするために行ったショートカットであり、大文字ナンさんを含め誰もそのことには触れていないのだから、そのテクニックは間違っていないと今でも思っているのですけど。ただ、大文字ナンさんの上記主張を否定するために、この際そこも含めて第1法則を見直してみましょう。そうすればニュートンさんのすばらしさが見えてくる。(どうにもどなたもまだ見えていないようなのだ...。)

第1法則は、「物体に外から力が加わる」という命題と「物体が速さと向きを変える」という命題の関係を記述したものです。この二つの命題を、前者を命題A、後者を命題Bとすると、(notA)ならば(notB)、つまり「Aで無いならばBで無い」というのが第1法則の論理式です。
単に、否定的に、消極的に、裏返した形で「物体に力が外から働けば速さと向きが変わる」というポジティブな表現をひっくり返しては居ないのです。

私の言い換えは間違っています。
「物体に外から力が働いても、その物体の向きも速さも変えないことがある。」からです。

例えば机の上に載っている本にもう1冊本を重ねた場合、下の本には上の本の重力が加わります。
でも下の本は動かない(正確に言えば、速度も向きも、そのことによっては変わらず、地球と共に移動し続ける。)。

第1法則を正確に言い換えるなら、BならばA、です。つまり、「速さと向きを変える」ならば、「物体に力が加わる」です。日本語的にはこの種の言い換えはおかしな文章となりますので、言い換えると、
「速さと向きが変わる」ならば「物体に、外から力がかかっている」
が正解です。

さて、下側の本には何が起こるのか?
「運動」は変化しません。その代わり、重力によって本の厚みがわずかに縮みます。重力により圧縮を受け弾性変形したのです。つまり、
「力は、物体の運動には影響を与えない」けれどその代わりに、「物体そのものに影響を与えている」のです。
「力が物体の「運動」にしか影響を及ぼさない」のなら、この現象をどう説明しますか?

物体の「外から」働く力、というきじゅつも、ニュートンさんのえらいところです。
もちろんニュートンさんは、無駄な言葉は一つも使いません。

物体の「内から」「外に向かって」働く力は、第3法則で述べられています。
物体の「内だけで働く」力のことをニュートンさんはちゃんと意識していました。

例えば箱の中に猫を一匹入れておきます。んでこれを自由落下させます。
猫は手足を突っ張りジタバタしますので、箱はジタバタしながら降りてきます。
...でも箱(猫と箱)の、「重心」は、まっすぐ落ちてきます。「外から」力が働かない限り、「物体の、全体としての速度と方向には変化がない」のです。

もっともっとたくさんの事例が、この一見単純な第1法則の記述に、もれなくあてはまります。(アインシュタインの議論を別にすれば)


>同様にして、上記の議論も「ニュートンの命題」の中だけで話をすることに(私的に)疑問符だったので、
>速度を変化率(速度とは、単位時間あたりの移動率なのだから)に置き換えてみたのです。
>ただ、これはいささか勇み足だったと思います。

そうだとすれば、大文字ナンさんにとっては、運動量=力×速度、となります。これも、もちろん間違っています。
「勇み足」ではなかったのです。「間違っていた」のです。

大文字ナンさんを誤解していたらすみません。でも、
ボクなりの友情で、忠告(忠心(まごころ)から、言葉を発すること)させていただきますが、

大文字ナンさんの発言には時々、議論を「勝ち負け」と意識しているように見受けられることがあります。

議論は互いに互いの理解を補い合いながら、より正しい理解を得ていくプロセスです。
そこで最も大事なことは、「誰が間違ったか」ではなく、「どの命題が間違っているか」です。
運動量は、質量×速度です。それ以外の記述は、「間違っている」のです。「勇み足」ではないのです。

そのことを受け入れられなければ、より正しい理解には到達できないのではないかと、ボクは、危惧しています。

今日は歯医者さんと床屋さんに行かなければならないので、しばらく...。


この論戦  投稿者:JA50 投稿日: 2004年11月27日 8時56分

この論戦、最初から興味深く読んでいます。

というのも、、、
>私はニュートン力学(の、或る部分)が、トートロジーで「ある」といっているのです。
>そして、その構造が、「自然選択」という表現がトートロジーで「ある」と言われるのと同じ構造だと思っているのです。

私も同じことを疑ったことがあるんですが、「思う」とまでの確信を持てなかった。
その意味でもこの論戦が深まってほしいと期待しています。
水掛け論やツリーへの移行とかにならないように祈ってますが、さて、、、


もう一個ついで  投稿者:大文字ナン 投稿日: 2004年11月27日 4時20分

>「運動量」は、力×変化率(なんの変化率なんだろ?)「ではありません」。
>質量×速度、です。ナンさんの定義はもちろん、「力積」「でもありません」。

 少なくとも私は、「ニュートンの法則」について議論しているのではなくて、おずおずさんの「トートロジー議論」について反論しているのです。ですから、ニュートンの業績を持ち出すことなく、それは反証されるでしょう、と述べています。(なぜなら最初の言い換えを行ったのはおずおずさんであり、その言いかえが間違っているのだから)

 同様にして、上記の議論も「ニュートンの命題」の中だけで話をすることに(私的に)疑問符だったので、速度を変化率(速度とは、単位時間あたりの移動率なのだから)に置き換えてみたのです。ただ、これはいささか勇み足だったと思います。


送った側 さんへ  投稿者:大文字ナン 投稿日: 2004年11月27日 3時59分

>「外部に力が働かない限り、内部から力は出てこない」

 これはもう、表現が書き換えられています。論題となっている命題とは、違う意味にしかとれませんよ。


To おずおずさん  投稿者:大文字ナン 投稿日: 2004年11月27日 3時54分

 もう、支離滅裂な状況だネぇ(笑。
 なので、私も「ふりだし」に戻ろうかな。

>1.物体は外から力が加わらなければ、いつまでも速さと向きを変えない。
>この物体の速度を変える働きをするものを力といい、力とは物体に加速度を与えるものです。

 違うデス。力とは、物体の「運動」に作用し、運動量を変化させるものです。そして運動量の変化する「度合い」を表現したものが、加速度でしょう。加速度は、力を加え続けない限りただちに消滅して、再び等速直線運動を開始します。
 
>つまり、物体に加速度を与えるものが加わると加速度が加わる。
>これって、トートロジーですよね。

 上記が、慣性の法則を「言い換えたもの」であるならば、論理的に間違ってます。
 『ある物体に力を加えると、その物体には(力が与えられている間だけ)加速度が与えられ、運動量が変化し、再び一定の運動を続ける。』でしょ?

 つまり、最初の「言い換え」に失敗したのはおずおずさんだよ、ということ。
 そしてこれは、当然トートロジーではありません。


確認させてください>おずおずさんへ  投稿者:いど 投稿日: 2004年11月27日 1時26分

今更申し訳ないんですが確認させてください。

**************************以下引用部分****************************
1.物体は外から力が加わらなければ、いつまでも速さと向きを変えない。
   この物体の速度を変える働きをするものを力といい、力とは物体に
   加速度を与えるものです。

つまり、力とは物体に加速度を与えるもの、であり、物体に外から力が加わると加速度が加わる。

つまり、
物体に加速度を与えるものが加わると加速度が加わる。

これって、トートロジーですよね。んじゃ、これは無意味な記述なのでしょうか?
**************************以上引用部分****************************

>これって、トートロジーですよね。んじゃ、これは無意味な記述なのでしょうか?

という記述の「これ」というのは、力に関する説明部分(*1)を指しているのでしょうか?

>私はニュートン力学(の、或る部分)が、トートロジーで「ある」といっているのです。
>そして、その構造が、「自然選択」という表現がトートロジーで「ある」と言われるのと同じ構造だと思っているのです。

これはつまり

「力に関する説明」はトートロジーであるが、ニュートン力学(の運動の第一法則)自体はトートロジーではない。これは「自然選択」という表現がトートロジーで「ある」と言われるのと同じ構造である。

ということですか?

(*1:「この物体の速度を変える働きをするものを力といい、力とは物体に加速度を与えるものです。」という記述の部分)

#ちなみにわたしは上記の「これ」が指すものが
#ニュートン力学の第一法則をさしているのかと思い
#その考えを前提に
#以前の書き込みをしました
#また、「物体に加速度を与えるものが加わると加速度が加わる。」
#というのは第一法則の変形だという主張かと思っていました
#しかし今はなんか自分の勘違いだったような気がして
#確認の書き込みをさせて頂きました


送った側 さんへ  投稿者:おずおず 投稿日: 2004年11月27日 0時43分

>詳しく読んでないけれど そういう動機だということは分かったよ
>どういう風に両者のトートロジー性を付きあわせるのか もうやったのか
>は、ちよっと忙しいのでロムできないけど

略式には書いたつもりでした。
んでも、「つもり」と、「実際にそうである」こと、とは、相当違いますから...。

やりなおします...。


(無題)  投稿者:送った側 投稿日: 2004年11月27日 0時30分

>私はニュートン力学(の、或る部分)が、トートロジーで「ある」といっているのです。
>そして、その構造が、「自然選択」という表現がトートロジーで「ある」と言われるのと同じ構造だと思っているのです。
>そうでなければこんなところで唐突にニュートン力学を提示したりしません。

詳しく読んでないけれど そういう動機だということは分かったよ
どういう風に両者のトートロジー性を付きあわせるのか もうやったのか
は、ちよっと忙しいのでロムできないけど


話題変わったのかも知れませんが・・  投稿者:送った側 投稿日: 2004年11月27日 0時15分

さっきは仕事中だったので失礼
整理しておきます


簡単な論理の問題なんです


全体{外部 ,内部}

× 「外部に力が働かない限り、内部から力は出てこない」
〇 「外部から力が働かない限り、どこからも力は働かない」

ベン図を書くなりなんなりすればすぐ分かるでしょう
というか、そんなもの書かなくても歴然だけど


参考例

全体(惑星群){ 惑星A ,惑星B}

惑星Bには生物がいないと分かっている、というかそれを主張する言明

×「惑星Aに生物がいないかぎり(いなければ)、惑星Bには生物はいない」
〇「惑星Aに生物がいないかぎり(いなければ)、(惑星群の)どこにも生物はいない」


科学の理論の命題を 「言い換えた」
と言ってるわけなんだから、
論理的に正しい表現をしていなければ、批判されて当然ではないかな。

==========
自分は、そもそもの発端を知らないので、なにゆえにそのような言い換えをしたのかには関知してません 従って意味の妥当性には関知しません
私の書いていることは、
言い換えを許容している人たちが主張している その意味を表現するのには
「外部に力が働かない限り、内部から力は出てこない」
これは、はっきりと、論理的に妥当でない
ということです。


無駄だな  投稿者:doutakunooomikami 投稿日: 2004年11月26日23時43分

自然選択がトートロジーであるのと
ニュートン力学がトートロジーであるのとは
何も関係が無い。


匿名希・望さんへ  投稿者:おずおず 投稿日: 2004年11月26日23時36分

#私はニュートン力学がトートロジーでは「ない」と言っているのであって、

私はニュートン力学(の、或る部分)が、トートロジーで「ある」といっているのです。
そして、その構造が、「自然選択」という表現がトートロジーで「ある」と言われるのと同じ構造だと思っているのです。
そうでなければこんなところで唐突にニュートン力学を提示したりしません。

#第一法則をどのように記述するかという問題には興味がありません。

第一法則を「間違った記述」していいのか、という問題には、私は大変興味があります。

>どのように記述するかという問題には興味がない

のでしたら、なぜわざわざ、

>外部から力が働かない限り、内部から力は出てこない。

と、言い換えたのですか?

失礼ですが、あなたは、自分の言ってることが、論理的にどんな意味を持ってるか、判っています?
少なくとも、首尾一貫してるかどうか...。


おずおずには難しいな  投稿者:doutakunooomikami 投稿日: 2004年11月26日23時28分

力を実体と思っているんだおずおずは。

だから当分理解は無理だ。


そんなに判り難いかな?  投稿者:匿名希・望 投稿日: 2004年11月26日23時13分

・おずおずさん
別に第一法則と第三法則を併せて表現しても問題ないでしょう。
それぞれに意味のある言明なのだから併せても意味があるのは当然です。
#私はニュートン力学がトートロジーではないと言っているのであって、
#第一法則をどのように記述するかという問題には興味がありません。

>1.物体は外から力が加わらなければ、いつまでも速さと向きを変えない。
>この物体の速度を変える働きをするものを力といい、力とは物体に加速度を与えるものです。
>つまり、物体に加速度を与えるものが加わると加速度が加わる。
>これって、トートロジーですよね。

この最初の投稿に於いて「物体に加速度を与えるものが加わると加速度が加わる」は、
第一法則を完全に記述していないので、これをトートロジーと言っても意味がないと言っているのです。
その不足分が「外部から力を与えない限り、物体は運動を変化させない」
つまり「物体を外部からの力なしに動かすような内部からの力は存在しない」と言っているのです。
#勿論、作用反作用の法則によって内部からの力は生じますがそれはその物体自体には作用しない。


逆は必ずしも真ならず  投稿者:流木 投稿日: 2004年11月26日22時58分

*たまごちゃん (^-^)ノさん(たとえ話 投稿者:たまごちゃん (^-^)ノ  投稿日:11月26日(金)03時30分57秒)

 こんにちは。レス、ありがとうございます。

>例えば、優れた論文は他の論文で頻繁に引用される傾向があるため、特定の雑誌がどれだけ優れているかの尺度にインパクト指数が広く用いられています。
でも、論文の質の良し悪しは他の論文での引用回数によらず内容自体によって判断ができるもので、良い雑誌というのは「内容が優れた論文の載っている雑誌」のことであって「インパクト指数が高い雑誌」のことではないですよね?

 長野敬さんの『進化論のらせん階段』だったかに、「インパクトのない三流研究者の書いた論文をまとめて引用している論文があって、調べてみたら、同じ著者の最新論文だった」という話が載っていたように思います。確かに、引用回数の多い論文が優れた論文とはいえませんが、優れた論文であれば引用回数が多いだろうということはできますね(過去には、優れた業績が長い間埋もれてご本人の没後に再発見されたなんてこともありましたが)。ある研究者にとっては「優れた論文かどうかは内容で判断できる」でしょうが、それだけでは単にその人の主観的な評価に過ぎません。多数の研究者がその論文を読んで、「なるほど、これは優れた論文だ」と認めることで、その論文の社会的な評価が定まってくるわけですね。

 まぁ、学者の世界というのはタコ壺みたいなところがありますから、同じ「○○学」の研究者であっても、分野が違うと何やってるのかよく分からない面もあるんですけどね(教科書レベルの知識はともかく、その分野の最先端の話題に門外漢がついていけるとは思えませんし)。そういう実態からいえば、ご本人や仲間内以外からどれぐらいその論文が引用されているかは、その論文の社会的な評価を知る上で簡便な方法ということができるでしょう。つまり、「引用回数が多い論文=内容としても優れている論文じゃないか」という見方をされがちであるといえます。

>その環境で生存繁殖するのに適した形質を持つ個体は、より高い確率で繁殖年齢まで生存しより多くの子供を残す傾向があるため、ある形質がどれだけ適したものであるかの尺度として「生存率×繁殖率」を用いることができる。しかし、適者とは「その環境で生存繁殖するのに適した形質を持つ者」のことであって、「生存繁殖した者」のことではない。

 子孫を残す前に死んでしまえば、その個体の遺伝子は集団の中に広まるどころか、そこで終わりです。多産である前に、まず生殖可能な状態まで成長しなければなりません。成体になるまで生き延びることは前提条件だといえるでしょう。ただ、いくら環境に巧みに適応していても、その個体が子孫を残さなかったら、その個体の遺伝子は集団の中に広まりようがありませんので、進化とは無縁となります。すなわち、進化のメカニズムを説明する際に登場する「適者」ではあり得ません。

 進化にとって肝心なのは、ある個体が子孫を残し、その多寡によって集団内での遺伝子頻度が変化するということでしょう。その意味においては、「適者」とは結果的に多産だったものであり、ある個体がどの程度「適者」といえるかは事後的にどれぐらい子孫を残したかで測られるのではないでしょうか?ある個体の持つ「形質」がどの程度その個体の置かれた環境に適していたかは、結局のところ実際にどれぐらい子孫を残したかでしか測りようがないものだと思います。

 いずれにせよ、グールドの『ダーウィン以来』が近々手元に届く予定ですので、読んでみて考えを整理します。


ニュートンさんの3つの法則  投稿者:おずおず 投稿日: 2004年11月26日22時13分

一つ目は、「力」と「運動」の関係です。
二つ目は、「質量」と「力」(と「運動」)の関係です。
三つ目は、「力」と「力」の関係です。

この3つの命題の、完成され尽くしたハーモニーを味わうために、最も大切なことは、

...なにも足さない、なにも引かない...。


あ!♪  投稿者:おずおず 投稿日: 2004年11月26日21時59分

送った側 さん、分かった!

いやーどうもどうも!気がつくのが遅れて申し訳ありませんでしたm(__)m

議論そのものを楽しみたい人にとっては、ここは他にない、すばらしいところです。

ののしり合い、や、議論に勝った負けた、という、どうでも良いことを忘れて、
議論の中身を楽しんで、教えてもらう(知的に、儲ける)ために、

ここで、たくさ〜ん、お話ししましょ♪


ぴさしぶり さんへ  投稿者:おずおず 投稿日: 2004年11月26日21時51分

了解しました。


(無題)  投稿者:ぴさしぶり 投稿日: 2004年11月26日21時47分

なんか誤解されてるような

私は 彼らの言い換えが悪い 
と言っているのです


↓名前間違えた  投稿者:投稿者: 投稿日: 2004年11月26日21時46分

珈琲ぱんは、私


おずおず  さん  投稿者:珈琲パン 投稿日: 2004年11月26日21時45分

ごめんいれちがいでしたね

>外部から力が働いた場合、どこかから力が出てくる(働く)」ということですか?
>その、「どこかから出てくる力」って、外部から働いた力のことではないですよね。

いえ、その外部の力自体のことです。
それしか、力(の結果、仕事?)は生じない
という意味ですから


お願いですから...  投稿者:おずおず 投稿日: 2004年11月26日21時42分

ニュートンの、「元の記述」を、じっくり読んでみてください。
その上で、1字1句、別の表現に変えることにより、改良する余地が果たして、ほんのわずかでも、
あるかどうか、じっくり考えてみてください。

アインシュタインの立場にたつのは反則ですよ♪
今は19世紀...。


ごめん  投稿者:送った側 投稿日: 2004年11月26日21時41分

>「外部から力が働く以外には、力が働くことはない」
>「外部から力が働かない限り、力が働いたような結果は生じない」

これはダメだわ  すません 「生じる」は必要みたいだね。


(無題)  投稿者:送った側 投稿日: 2004年11月26日21時39分

>(運動量は保存される)。しかし、もし変化したならば、それは「物体内部」から力が発生し、仕事が生じた、ということである』
> という意味である、と私は解釈しているのですよ。

そういう意味なのは考えれば分かるけれど
表現自体は「当然でしょう」みたいに威張れる表現じゃないと思う


試案

「外部から力が働く以外には、力が働くことはない」

「外部から力が働かない限り、力が働いたような結果は生じない」


大文字ナンさんの言葉を使えば

「外部から力が働く以外には、仕事が生じることはない」


送った側 さまへ  投稿者:おずおず 投稿日: 2004年11月26日21時37分

>「外部から力が働かない限り、どこからも力は出てこない(働かない)」

ということは、
「外部から力が働いた場合、どこかから力が出てくる(働く)」ということですか?
その、「どこかから出てくる力」って、外部から働いた力のことではないですよね。
しかも、「反力」でもないんですよね?

なぜならば、「反力」は、第3法則で記述されている...。


表現  投稿者:送った側 投稿日: 2004年11月26日21時29分

>>1.物体は外から力が加わらなければ、いつまでも速さと向きを変えない。

> という命題について

>>>これは「外部から力が働かない限り、内部から力は出てこない」と言う言明であって、

> という解釈が存在することは、まさに明らかだと思うんですが(笑。

少なくとも
「外部から力が働かない限り、どこからも力は出てこない(働かない)」

の方が誤解されにくい、ましな表現ではないかと。


おずおずには無駄だな  投稿者:doutakunooomikami 投稿日: 2004年11月26日20時13分

さっさと宿題の邪馬台国位置に戻れ。

もう1日しかないぞ。

しょせん力が何かわからんものに
トートロジ−と真理の違いはわかりはせんのだ。


これ以上の議論は、  投稿者:おずおず 投稿日: 2004年11月26日19時43分

ツリーの方に行くべきだろうと思っています。

こんな議論は面白くないだろうし。

ボクが試みているのは、「ニュートン力学」という、きわめて論理的に記述されている科学法則の体系の中から、「トートロジー」の部分と「実験、観察」によってのみ真偽の判定の出来る、「科学的命題」の部分とを、明確に分けてみたい、ということなのです。

自信が無くなってきましたけど...(-_-;)


ニュートンさんは、...  投稿者:おずおず 投稿日: 2004年11月26日19時26分

ユークリッド幾何学の記述形式を出きるだけ踏襲しようとしたひとです。彼の、「元の」運動の3原則は、実に厳密に論理的に書かれていて、とても「自然言語」のようなあやふやな解釈の出きる物ではありません。

>『ある物体に対して外力を加えていないならば、運動量(力×変化量)が変化することはない(運動量は保存される)。しかし、もし変化したならば、それは「物体内部」から力が発生し、仕事が生じた、ということである』

「運動量」は、力×変化率(なんの変化率なんだろ?)「ではありません」。
質量×速度、です。ナンさんの定義はもちろん、「力積」「でもありません」。

ニュートンが、「あれがなければこれは絶対におこらない!...んでも、もし万が一それが起こったんなら、こんなことでもあったんだろさ♪ま、世の中何があるか分からないから...。」なんて言ってる、っていうんですか?
大先生への侮辱ですよ。


単刀直入にお答え下さい。  投稿者:おずおず 投稿日: 2004年11月26日17時56分

>「外部から力が働かない限り」、「内部から力は出てこない。」

という命題が真であるならば、

「外部から力が働けば」、内部から力が「出てくる」、のですか?「出てこない」のですか?

これは、或る命題が何を表しているか、という問題です。論理演算の問題です。

なお、運動量保存の法則は、
ニュートンが表現した「元の命題」の中には、ちゃんと記述されています。


Re:運動量の保存  投稿者:大文字ナン 投稿日: 2004年11月26日17時33分

>という表現法で第1法則を説明しているURLがありましたら、教えて頂けません?

 なんだったら該当するURLを私が「つくります」が?(URLを示すことは、それだけで証明や検証にはならないでしょうね)
 今のところ、上記表現をそのまま用いて「慣性の法則」を説明したWEBサイトは見当たりません。が、慣性の法則が「運動量保存の法則」の重要な一部であることを示した、わかりやすいサイトならば、ココなんてどうでしょうか。
 http://homepage2.nifty.com/eman/dynamics/momentum.html

 次…
>外部から力が働かない限り、内部から力は出てこない。
>ということは、
>外部から力が働けば、内部から力が出てくる。

 なんで「そこだけ」にこだわるのかな?それじゃ循環論になるでしょうに。ある科学の定理には様々な言い回しがあって、その「自然言語的な言い回し」を変えていることに対して、あるひとつの「文」だけを拘泥するのは、議論を無駄に長くするだけだ、と私は思うんだけど。質問と感想だけを連ねないで、レスに対するレスを望みますヨ。

 それと、おずおずさんが空回りしている(ように私には見えている)原因は、おずおずさんは「第一法則だけ」を指して議論をしているつもり、言い換えると、「物体は外から力が加わらなければ、いつまでも速さと向きを変えない」という命題から、運動量保存の法則は「その一部さえも」見出すことは出来ないと思い込んでいるのではないか?と私は思います。しかし実際には、慣性の法則(第一法則)と作用・反作用の法則(第三法則)を包括したものが運動量保存の法則であって、ある物体だけを対象に運動量の変化を論じた場合には、第一法則だけでも「運動量の保存」が定理として導かれる(言い回しを変えられる)ことに着目していない、と見えているのです。

 で、あらためて書きます。
 「外部から力が働かない限り、内部から力は出てこない」
 これを展開すると、
 『ある物体に対して外力を加えていないならば、運動量(力×変化量)が変化することはない(運動量は保存される)。しかし、もし変化したならば、それは「物体内部」から力が発生し、仕事が生じた、ということである』
 という意味である、と私は解釈しているのですよ。


わけわかめ...  投稿者:おずおず 投稿日: 2004年11月26日16時30分

外部から力が働かない限り、内部から力は出てこない。
ということは、
外部から力が働けば、内部から力が出てくる。
...これって、どう考えても作用反作用の法則のことだよな...。
他の解釈、あるんだろうか?

同じ意味の命題を二つ書く、って...?


ますます本題から遠ざかる...  投稿者:おずおず 投稿日: 2004年11月26日15時43分

んじゃさいごにもう一つ。

「外部から力が働かない限り、内部から力は出てこない。」

という表現法で第1法則を説明しているURLがありましたら、教えて頂けません?
ボクにはこの文章は全く意味不明なので。


大文字ナンさんへ  投稿者:いど 投稿日: 2004年11月26日15時42分

はい、そのとおりだと思います。エスタロンモカを飲んでも猛烈に眠い状況で書いたので(補記したにもかかわらず)なんだか自分でも良く解らん事になってたりします。(;_;)
議論を無駄に発散させてしまったのかも。申し訳なかったです。

#エスタロンモカ = 眠気覚ましのお薬


なにを聞かれたのかな?  投稿者:大文字ナン 投稿日: 2004年11月26日14時59分

 To おずおずさん

>んじゃお聞きしますけど、大文字ナンさんにとって「力」って、なんですか?

 ここでいう力とは「物体の状態を変化させ得るナニか」であって、それをきちんと定義するなら「変化量を生むモノ」がこの「議論の中」でいう『力』でしょうね。つまりそれは、ある物体になんらかの「仕事」をさせる「ナニか」です。端的にいうと「外力」かな。

>ニュートンの第1法則を「外部から力が働かない限り、内部から力は出てこない」と、
書き換えてしまった場合について、お答え下さい。

 ・外部から力を与えない限り、物体は「運動量(位置、速度、向き、スピン)」を維持する。
 ・しかし、物体が「外力」を与えていないのに関わらず、運動量を変化させたとするのならば、それは物体の内部的に生じる「なんらかの力」によるはずである。
 ・現在のところ、そのような「外力に依存しない運動量の変化」と「内力」は観察されていない。

 ※ところで、いどさんへ 投稿者:大文字ナン  投稿日:11月26日(金)14時36分31秒 の中の「エネルギーは保存」は、「運動量は保存」の間違いでした、すみません。


いどさんへ  投稿者:大文字ナン 投稿日: 2004年11月26日14時36分

 基本的に「公理」はトートロジーなので、ある科学概念の要素には必ず公理系を含むから、それを抽出した場合にトートロジーに見えるのは自明です。
 http://c-faculty.chuo-u.ac.jp/~schmidt/Nyumon/2002Nyumon/Kogishiryo/04nyumon.html
 #公理→証明するまでもなく成立する前提。アプリオリ。自明であるもの。
 #定理→証明された命題。公理をもとに定理を構築して、それを証明するのが数学の手続き。アポステリオリ。

>「力を加えると(条件によっては)速さが変化する」とか「加速度を与えると速さが…」というのは見かけるけど、あんまり「力が加わると加速度が加わる」という言い方ってしませんよね?

 「ナニに」力を加えると「ナニが」変化するのか/しないのか?
 というのが、議論の焦点ではないか、と思います。
 「物体に」力を加えることにより、「速度と向き」が変化する。
 が、もともとの「議論の対象文」ですから、これを展開・置き換えする場合、「加速度」は「力を加える」の部分(前段)に位置してます。
 また、
 物体に力を加える「行為」によって、どんな「結果」が生まれるか?を明らかにすれば、因果律が発生して、それが「自明であるのか、検証によって定まるのか?」を示せば、この議論は収束するはずです。そして、「力を加える(加速度を与える)」ことは、要するに「位置」および「速度と向き」(ついでにスピンもあるけど)を変化させる…この逆に、「力を加えない」ならば、位置、速度、向きなどの状態変化が自発的に生じることはない(エネルギーは保存される)ということを命題は意味していて、これらはすべて検証を経ないで正誤の判定が成り立つものではないから、トートロジーではないし、むしろ「科学知識」としての情報を含み、有用である、ということでしょうね。


否定形は状況をはっきりさせるため  投稿者:おずおず 投稿日: 2004年11月26日14時28分

です。

んじゃお聞きしますけど、大文字ナンさんにとって「力」って、なんですか?
力がかかれば物体はどうなるのですか?
ただし、ニュートンの第1法則を「外部から力が働かない限り、内部から力は出てこない」と、
書き換えてしまった場合について、お答え下さい。
 


Re:否定形  投稿者:大文字ナン 投稿日: 2004年11月26日14時06分

>という命題の否定形は、

 否定形?否定形について言及してたの?
 形式論理の手順だけで恒真式(トートロジー)であるかないかを調べても、それが知識として有用であるかないかの判定にはならないですよ。それは単に、議論のレトリックに過ぎないでしょう。

>外部から力が働かない限り、内部から力は出てこない という命題も、
>外部から力が働かない場合、内部から力が出てくる  という命題も、
>どちらも何らかの意味のある命題とは全く思えないのですけど...。

 どうして?上記には「検証すべき実体」があるでしょう。(2段目を提示する理由はさっぱり分からないけど)

>ニュートン以前は、

 ニュートン以前とか以後とかには関係なく、経験(命題の外部にある検証)を経ないと真であるのかないのかが判定できない式は、トートロジーとは定義されませんね、というだけのことでは?


Reさいたま  投稿者:谷庵 投稿日: 2004年11月26日10時04分

>さいたま市と埼玉県の違いのことじゃない?

まあ、その通りなんですが。
以前レッズがJ2に落ちたときには、レッズとアルディージャのホームタウンは浦和市と大宮市だったわけです。
で、今回アルディージャが昇格してくる現在は、合併してどちらもさいたま市となったわけでして。

関東勢は釣れなくても、九州勢や北海道勢は釣れるかなと期待したんですが、この板の魚はすれているようで。


やっぱり話が拡散してしまった...  投稿者:おずおず 投稿日: 2004年11月26日10時03分

ニュートン以前は、
重いものは「自然に」下に落ちる。火、とか、ぬくめられた空気、は「自然に」上に上がる、
と考えられていたのでは?つまり、ものの持つ「性質」。
つまり、「力」という概念は、少なくとも「遠隔力」は当たり前じゃなかった。


ご意見、ご要望がございましたら、掲示板か、 e-mail:natrom@yahoo.co.jpへどうぞ。


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