進化論と創造論についての掲示板ログ191

2003年11月16日〜2003年11月19日
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イスラエルの気候  投稿者:たんぽぽ 投稿日: 2003年11月19日17時23分

この世は仮の世さま


>現在のイスラエルの気候も2000年前の
>イスラエルの気候も知らないので私には何ともいえません。

2000年前はいざしらず、
現代のイスラエルの気候でしたら、簡単に調べられることですよ。
(この程度のことなら、ちょっとした旅行ガイドにも、
出ているんじゃないかな...?)
http://www.israel.co.jp/general/general.html

|季節は大きく分けて二つ、4月から10月の夏(乾季)と11月から3月の冬(雨季)です。

|冬の間は雨が降りますが、雨量は地域により差があります。
|また毎日雨が降るわけでもなく、晴天の日もけっこうあります。
|エルサレムなどの高地ではかなり寒くなって、雪が降ることもあります。
|それ以外の地域は比較的温暖です。
|死海やエイラットは冬でも雨が降ることはほとんどなく
|暖かいので泳ぐこともできます。


...というふうに、こちらのみなさまが
おっしゃっていることは本当だと、すぐに確かめられるのでした。


議論の方法  投稿者:トトロ 投稿日: 2003年11月19日17時12分

この世は仮の世さま、矢継ぎ早に書き込みを行う失礼をご容赦ください。
貴方の書き込み(と言うかレス)には主張はあるのですが根拠がありません。
主張のみの書き込みでは、議論が成立せず、威圧的な批判のみの応報となってしまいます。私はこれまでの対応からこの世は仮の世さまは非常に律儀な方だと感じておりますのでひょっとするとご自分の書き込みの問題点に気づいておられないだけかも知れません。
お節介とは思いますが、”地下に眠るM様”の書き込みに於いて何が問題であるかを解析してみたいと思います。

> 周りの人が大川先生の予言を嘘だと断定したのを私が今更反論しても始まらないと思います。

私を始めとする予言はウソとの指摘に対する貴方の答えです。しかし、結論が曖昧です。この文章では反論できるけどもしないのか、反論できないのかがわかりません。故にこの文章は読む人によっては、挑発的と捉えられます。

> 納得してもらえないでしょう。

この文章で反論を諦めたようにみえますが、正しい、正しくないレベルの話を納得する,しないのレベルに変換(?)しています。予言はウソでしょう?という議論に対して納得するしないの結論は変です。ゆえに議論を持ちかけている方々にとっては、議論内容がかみ合っていないように感じられます。

> 私は予言は的中したと思います。

貴方の結論です。が、議論を持ちかけている方々に対して何故”予言は的中したと思”うのか説明がありません。証拠を突きつけられたときに反証せずに証拠を無効とするのは黙秘するより相手を挑発する行為です。そして掲示板のような形式の議論では、相手に対して失礼な行為であると私は考えます。もし、貴方が相手の書き込みを読んだ上で尚、”予言は的中した”と思うのならばそれなりの理由があるはずです。きちんと反論してください。
もし、その理由が宗教的なものである場合でも、それを公表すれば、この掲示板ではそれ以上追求されることは無いでしょうから・・・

> 大川先生は虚言屑ではありません。

ダメ押しです。この文章は議論相手を挑発する以外の効果はありません。この一文は貴方が思考停止状態にあることを明言しているように私には思えます。

単なる雑談ならともかく、掲示板上の議論ではお互いが根拠(証拠)を述べた上で主張を展開し議論を進めます。この世は仮の世さまにはこの基本を理解していただいたうえで議論に参加いただければより有用な対話が成立するのではないかと考えます。

乱文につき失礼いたしました。


幸福の科学の信者だから、よけい、、、  投稿者:JA50 投稿日: 2003年11月19日17時04分

>どうして「大悟の法」などの書物がある宗教の信者がこれを知らないのかな?(確か中学校の歴史の時間に習った覚えもあるし)

幸福の科学の信者だから、よけい知らないんですよ。

それと、幸福の科学の信者に、事実や論理などを持ち出しても無駄。
言っていることが事実と違っていようが、前に言ったことと矛盾していようが頓着しない人達なんだから。


横レス  投稿者:トトロ 投稿日: 2003年11月19日16時31分

この世は仮の世さま  横レスですが

> ブッダの時代なら悟った人を一人でも多く出して、ブッダの説法を伝えて人々を救済することです。

この世は仮の世さまは原始仏教(ブッダの時代の仏教)や小乗仏教をご存じないのかな?ブッダの時代の仏教は、”ブッダの説法を伝えて人々を救済すること”ではなく、自ら悟りを開いて悲苦から解放されるという教えです。”人々を救済する”というのは大乗仏教の考え方です。
大乗仏教は紀元前後ごろ、従来の正統学派(部派仏教)が限られたエリート層のみの救済にしか目を向けなくなったことに対する反動として、広く大衆一般の救済を目的に説かれた、一種の社会・思想運動です。

どうして「大悟の法」などの書物がある宗教の信者がこれを知らないのかな?(確か中学校の歴史の時間に習った覚えもあるし)


侵攻と盲信  投稿者:通りすがり 投稿日: 2003年11月19日15時43分

信仰:教義を信じること
盲信:教祖を信じること

でどうでしょうか?


Re.信仰の定義  投稿者:トトロ 投稿日: 2003年11月19日15時37分

この世は仮の世さま こんにちは

> 宗教の教えを学ぶということは宗教の教えを検証することにもつながると思うので、トトロ様の信仰の定義「信仰したい対象を無検証かつ無批判に信用すること」は間違ってると思います。

検証することと学ぶことは違います。”宗教の教えを検証する”というのはどのような方法によって行うのでしょうか?
もし、この検証が、我々の知っている物理的あるいは化学的な証拠によって実施されるのであれば、神(または仏)の存在は肯定できないことは明白です。その代わりに否定することも出来ません。だから、科学は神の存在を論外に置いてきたのです。
これが、私の定義の無検証の理由です。

> 新興宗教に対する偏見が強い昨今、新興宗教を無検証かつ無批判に信用する人はそうそういないと思います。

行動面から考えると、信仰は、教祖や教義を信用することから始まります。それらについては、先に述べたように検証できない事象です。もし、宗教を無検証かつ無批判に信用出来ないならば、その人は信者とは呼べないでしょう。

> 私も新興宗教に対しては距離を置いてました。検証といっても人によって様々であり、科学でいうほど本格的なものではないかもしれませんが・・・

まずは、この世は仮の世さまの考えている検証の方法を教えていただかないと返事できないのですが・・・

> また、トトロ様の信仰の定義は「盲信」に当たるのではないかと思います。盲信も信仰ですが、信仰とはちょっと違います。盲信の定義をどうなさるおつもりですか?

私は信仰者に於いても思考の自由はあると考えています。思考の自由とは、信仰を保ったまま与えられた情報を判断する能力を指しています。例えば、理性のある(ほとんどの方ですが)キリスト教信者に於いては、その信仰自体は無検証かつ無批判なものでしょうけれども、現実の事象と聖書の記録の乖離を理解し、”創造科学は科学的に正しい”とか”進化論は間違っている”という結論には至りません。
しかし、宗教の信仰者には時折、自らの思考を停止させている方がいらっしゃいます。私はこのような方を指して「盲信者」と呼びたいと考えます。


虚言屑は虚言屑  投稿者:地下に眠るM 投稿日: 2003年11月19日14時49分

>周りの人が大川先生の予言を嘘だと断定したのを私が今更反論しても始まらないと思います。

「周りの人」は、それぞれ根拠を挙げて論理的にウソと断定したのだにゃ。

>私は予言は的中したと思います

その根拠たる事実は?
ここにいる面子は、事実と論理整合性に対して誠実だにゃ。

チミはね、反論をしないのではなくできないんだよ。
虚言の虚言たるゆえんは、まるで根拠がにゃーことにあるのだにゃ。
O川センセイがどうしようもにゃー虚言屑であることを、チミはすでに知っているのさ。


反論しても始まらないと思うなら  投稿者:GOA 投稿日: 2003年11月19日14時40分

>周りの人が大川先生の予言を嘘だと断定したのを私が今更反論しても始まらないと思います。納得してもらえないでしょう。私は予言は的中したと思います。大川先生は虚言屑ではありません。

他人がちゃんと理由を挙げて説明したのに「私が今更反論しても始まらないと思います。」と逃げて回ってばかりですか?
反論しても始まらないと思うならこんな掲示板に書込みなどせずに自分の世界に浸ればいいじゃないですか。

あなたが一生現実から逃げ回って敗残者として惨めな一生を送ることについては私は何も関心を持ちませんが、みなさんが差し伸べてくれた最後の親切を踏みにじったかもしれないということだけは覚えておいてください。


では  投稿者:大文字ナン 投稿日: 2003年11月19日14時39分

 そこで、私もきちんと反論してみることにした。

 http://www.j-world.com/usr/sakura/buddhism/okawa.html
 ↑において、佐倉哲さんは仏陀と大川センセイの文言の違いを列挙しています。特に「信仰について」の部分が端的に両者の差異を現しているので、取り上げます。

 ■仏陀
 ヴァッカリやバドラーヴダやアーラヴィ・ゴータマが信仰を捨て去ったように、そのように汝もまた信仰を捨て去れ。そなたは死の領域(死王が支配する世界=悲苦にさいなまれる煩悩の世界)の彼岸にいたる(超克する)であろう。ピンギヤよ。
 (スッタニパータ 1146、中村元訳『ブッダのことば』岩波書店)

 ■大川隆法
 私は信仰の大切さを説いてきた。いつの時代においても、この信仰というものは大切である。もし、あなた方の生命の安全と信仰とのどちらかを選べ、と言われたならば、迷わずに信仰を取れ。・・・信仰心を失い、そして師への罪を犯した者たちは、地上を去った後、どれほどまでの苦しい、苦渋に満ちた魂生活を送ったかということを、あなたがたは知っているだろうか。・・・信仰より重いものはないということを知りなさい。
 (『仏陀再誕』323〜326頁)

 イエスの誕生日とか、マリアがお出かけする理由などは、確かに(百歩以上譲れば)『こんな記述だけを根拠に「『内村鑑三霊示集』は嘘をついている」というのは早計かと思います。』(佐倉哲氏のサイトについて 投稿者:この世は仮の世  投稿日:11月17日(月)15時31分28秒 )と言う主張に耳を傾けることも出来なくはない。しかし仏陀が述べた「信仰について」の様々な主張は、仏教という巨大宗教の体系の中で、多数の文献に繰り返し出てくる「確かなもの」と言えます。ただし、原始仏教や仏陀の原典に触れる人が、かなり少ないことから、仏教を勘違いしている人は多く、一般的ではある。しかし、だからと言って、仏陀の霊に直接会って(霊を下ろして)語っていると称する大川センセイなのだから、こんな基本的な部分で食い違うはずなど、あり得ない。要するに大川センセイは仏陀のことを「何も知らない」し「嘘をついている」としか思えない。もちろん彼が仏陀の生まれ変わりだとか、仏陀の霊が語っているなどと主張するすべては、ペテンに過ぎない、と私は思う。

 というか…そもそも仏陀は死後の世界だとか霊だとか転生だとか、そういうことについて「一切語らない」人だったことが知られているのです。まぁ、死んだ後に思い違いに気付いて大川サンの口を通じて間違いを正している、というのがコレに対する「幸福の科学的反論」だと思うけど、それならそれで、仏陀自身で「かのように私は説いたが、実はこうなのだ」と逐一述べてもらわないと、論理として辻褄が合わないのです。

 『現在のイスラエルの気候も2000年前のイスラエルの気候も知らないので私には何ともいえません。』(佐倉哲氏のサイトについて 投稿者:この世は仮の世  投稿日:11月17日(月)15時31分28秒 )

 ↑と、コレも先ほどの発言からの引用だけど「間違いかも知れないけれど、私は知らないから分からない」のであれば、きちんと確かめれば良いのです。それこそ、きちんと信仰を「検証する」という姿勢でしょう。あなたが信じる人が、嘘つきなのかそうではないのか、確かめようとしないのなら、それは「盲信」と言われて当然なのですよ。


地下に眠るM様  投稿者:この世は仮の世 投稿日: 2003年11月19日14時19分

周りの人が大川先生の予言を嘘だと断定したのを私が今更反論しても始まらないと思います。納得してもらえないでしょう。私は予言は的中したと思います。大川先生は虚言屑ではありません。


一見すると  投稿者:大文字ナン 投稿日: 2003年11月19日14時10分

 きちんとした反論に見えるから不思議だねぇ>この世は仮の世さん

>盲信も信仰ですが、信仰とはちょっと違います。盲信の定義をどうなさるおつもりですか?

 って、自分でIセンセイとかA教祖をこきおろして、どう見ても同列かそれ以下にしか評価「されていない」O川選手のアカンタレは信じられるっつぅんだから、どんなバイアスが働いてるのか興味さえ覚えるなぁ。霊媒師に対する批判については、佐倉さんが言う「うっかり地上のことを語ってしまう」ことから、いくらでも突けるはずなのだが、そこには目が行かない状態を「盲信」と評されるのは当然だろうに。


信仰の定義  投稿者:この世は仮の世 投稿日: 2003年11月19日13時56分

トトロ様こんにちは
宗教の教えを学ぶということは宗教の教えを検証することにもつながると思うので、トトロ様の信仰の定義「信仰したい対象を無検証かつ無批判に信用すること」は間違ってると思います。宗教団体で長年活動されてる方が教えに疑問を感じて宗教団体をやめる場合もあると思います。新興宗教に対する偏見が強い昨今、新興宗教を無検証かつ無批判に信用する人はそうそういないと思います。私も新興宗教に対しては距離を置いてました。検証といっても人によって様々であり、科学でいうほど本格的なものではないかもしれませんが・・・
また、トトロ様の信仰の定義は「盲信」に当たるのではないかと思います。盲信も信仰ですが、信仰とはちょっと違います。盲信の定義をどうなさるおつもりですか?


虚言屑  投稿者:地下に眠るM 投稿日: 2003年11月19日13時49分

O川ダイセンセイと、I田T作クン・麻原ショウコウクンはたいしてかわらにゃーよな。
彼らはみんな、虚言屑だにゃ。

この世は仮の世クンも、虚言屑を信じちゃっているだけあって、立派な虚言屑にゃんな。
O川センセイが、予言と称して虚言を弄し、はずれた予言を削除して平気でいるのと同様に
この世は仮の世クンも、トトロの詳細な議論に対してなにもいえずに、実質的なシカトを決め込んでどうとも思わないようだにゃ。
ウソを指摘されて一言もいえにゃーチミは、間違いなく虚言屑だにゃ>この世は仮の世クン

いいかい、この世は仮の世クン
幸福の科学がチミの脳みそにフィットした代物であることは他人がどうこういうことでもにゃーが
ウソツキは馬鹿にされ、蔑まれるのはアタリマエだということは認識しにゃーとダメだにゃ。
O川センセイは、間違いなく虚言屑であり、馬鹿にされ、さげすまれて当然の人物だにゃ。

しかし、自由ミンシュシュギ社会には、愚行権があり、虚言を信じて馬鹿にされる自由だってあるのだにゃ、よかったね>この世は仮の世クン


(無題)  投稿者:この世は仮の世 投稿日: 2003年11月19日13時12分

トトロ様
腎臓結石との戦いのなかレスいただきありがとうございます。ゆっくりと養生してください。
おずおず様
「崇高な目的」と「ユートピア建設」とは意味が重なります。「神のため」も「真理のため」も・・・
リンカーンの時代なら「崇高な目的」と建設すべきユートピアとは奴隷が解放されたアメリカです。
エジソンの時代なら電球を発明して世の中を明るく照らすことです。
幸福の科学なら愛し合い、睦み合い、信じ合う世界をつくることです。
ブッダの時代なら悟った人を一人でも多く出して、ブッダの説法を伝えて人々を救済することです。


宗教差別  投稿者:この世は仮の世 投稿日: 2003年11月19日10時58分

sci98様こんにちわ
宗教差別って何でしょう?私にはわかりません。池田大作も麻原彰晃も悪い方の実績で既に有名になってると思います。名前を出してもかまわないと思います。インターネットで検索したり、図書館に行って創価学会批判関連の本を読まれるといいと思います。藤原弘達とか・・・月刊「ペン」事件とか・・・盗聴事件とか・・・東村山市議転落死事件とか・・・


教祖の悪口  投稿者:JA50 投稿日: 2003年11月19日 9時45分

教祖の悪口(あるいは批判)を言うのが宗教差別になるかなぁ、、、

自分たちへの批判をするマスコミへ、すぐ宗教差別だと持って行く論法は、オウムもやっていたし、創価学会は今もさかんにやっている。
でも、それって論理のすり替えです。

教祖の名前も持ちだしているんだから、その教祖への悪口や批判であって、それをすぐ宗教差別だ、だから下品だ、下劣だとするのは論理のすり替えじゃないの?


この世は仮の姿さんへ  投稿者:sci98 投稿日: 2003年11月19日 1時26分

>世の中には池田大作や麻原彰晃のような人間もいますが、
>人間を偉大にしているのはブッダやキリストのような過去の偉人達だと思います。

私、このようなあからさまな宗教差別(というか宗教侮辱)をする人の神経が理解できないんです。
おそらくこの世は仮の姿さんも、ご自身のこの記述が、他人からは品性下劣な最低レベルの発言にしか見えない事は自覚しておられる事と思います。
で、創価学会会員でもなければオウム真理教信者でもない私としては別に抗議する気は無いのですが、
なぜこのような下品で下劣な発言が出来てしまうのかについてちょっと興味あります。
差し支えなければ、どのおゆな理由で下品なご自身を正当化されているのか教えていただけますでしょうか。


この手の物  投稿者:ベレアの人々の末裔 投稿日: 2003年11月18日22時39分

 この手の新興宗教家とは割りとこんなのが多いようですよ。私の書き込みは「この世〜」様一連をただはしょっただけですが。{この世〜」様、ス、スミマセヌ!


進化論教育についての研究会  投稿者:佐倉統 投稿日: 2003年11月18日22時21分

東大情報学環の佐倉と申します。進化論と社会の関係を研究しています。はじめての投稿ですが、こちらの掲示板はときどき拝見しています。

研究会のお知らせです。進化生物学擁護の立場から、アメリカの公教育における進化論教育について考える会です。ふるって御参加ください。参加無料です。終了後、簡単な懇親会を予定しています。鵜浦裕さん(文京学院大教授)による通訳が付きます。演者のスコットさんは、アメリカの公教育における進化教育擁護の第一人者です。
参考→http://www.natcenscied.org/

なおこの研究会はわりと専門色の強い内容と議論を想定しています。もう少し一般向けの方を希望される方は、同じスコット博士の11月29日(土)の講演会の方にも御参加ください(http://www.csij.org/ →めざす情報は下の方です)。

おおまかな人数を把握したいので、出席を希望される方は佐倉まで御一報いただけると助かります。

繰り返し確認しますが、この研究会は進化生物学を擁護し、創造論に反対する立場のものです。創造論を信奉される方の参加を拒むものではもちろんありませんが、冷静かつ建設的な議論をしていただけるよう、お願いいたします。

*******************************************************
日時:12月1日(月) 17時〜19時

場所:東京大学社会情報研究所(本郷キャンパス) 2階講義室
   地図→http://www.isics.u-tokyo.ac.jp/

講師: Eugenie C. Scott 博士
    National Center for Science Education, Inc.

タイトル:アメリカ公教育における「創造論vs生物進化論」論争

要旨 20世紀後半の創造論が生物進化論を非難する論点は3つある。第1に「生
物進化論はひどい科学」、第2に「生物進化論は宗教と相容れない」、第3に「生
物進化論と創造論の両方を教えるのがフェアーである」という論点。これらの主
張はアメリカに固有の歴史や価値観にもとづくため、一般大衆から支持されやす
い。州によっては、創造論を公立校に導入するための法案を提出または成立させ
ようとしたところもある。このようにアメリカでは生物進化教育が絶えず危険に
さらされているため、それを護るための努力を続けていかなければならない。
*******************************************************


不思議?...>ベレアの人々の末裔さま  投稿者:おずおず 投稿日: 2003年11月18日22時07分

就職したての頃、はじめて作った数ページに渡る積算書に先輩のハンコを押してもらおうと持っていったら、
ほんのちょっと表紙を眺めただけで、「間違ってる!もいちど検算しろ!」
んで、まさかと思いながら検算したら、確かにいくつもミスが...。

先輩ってすごいな〜、と尊敬してたら、数年後、
「ん?普通この程度の積算書には必ず、一つや二つ間違いがあるはずなんだ。ましてお前は入り立てだし、集中力がなさそうだし。...もし一つもミスがなかったら、句読点にでも難癖をつければいい...♪」

今度あなたの知人に言ってあげてください。「まず、「何のことですか?」と、具体的に聞きなさい。」って。

だれでも一日の内に、めでたいことも悲しいことも一つや二つはある。ましてこの場合、知人なんだから、相手が反応しなければ、「順調に出産に向かってるんだろ♪」とでもいえば済む。


+αレス?  投稿者:tako 投稿日: 2003年11月18日22時05分

科学の領域に土足で入ってくる、又は、科学の権威を拝借しようとするオカルトさんを批判するとこだと思うので、神の存在証明など神学的な(^^;話は範疇外でしょう。

科学は万能ではありませんが、科学の範囲内であればオカルトを割り込ませるほど脆弱ではありません。


読むのなら  投稿者:Kosuke 投稿日: 2003年11月18日21時56分

> 「種の起源」を読もうと思います。ダーウィンは動物に詳しいらしいので得るところもあると思います。

 「新版・図説 種の起源」チャールズ・ダーウィン(著) リチャード・リーキー(編)が、素人にも読み易く
オススメです。進化論を受け入れる・受け入れないに関わらず、一読の価値が有ると申せましょう。
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4487761662/ref%3Dlm%5Flb%5F10/250-9065551-3322622
(でも、高価だからまずは図書館で借りましょう!)

 ダーウィンはビーグル号での航海で、ガラパゴス諸島の鳥(ダーウィン・フィンチですな)の多様性を観
察し、自然淘汰のアイデアを思い付いた、と単純化して伝えられていますが。なかなか、そんな生易し
いものでは無い事はこの本を読むと良く解ります。ダーウィンの博識(恐ろしいくらいの多種類の動植物
の生態や形態を実際に目で確かめて知識にしている)と、他の生物学者の研究に対する深い洞察力に
は舌を巻くばかりです。そういう分厚いバックボーンを基に自然淘汰説が導き出されてきたという事に、
私は深く感動しましたです。

 特に、わざわざ丸々1章を当てて自分の学説が抱える問題点を鋭く追及している事は、あまり世間では
知られていないようです。


不思議  投稿者:ベレアの人々の末裔 投稿日: 2003年11月18日21時37分

 今晩は。この世は仮の世様
自分の知人がO氏に請われて某教授を抜けて@科学講師になったのですが、この知人の夫人が出産したあくる朝、まだ誰にも知らせてないのにいきなりO氏に「君、おめでとう」と言われたそうです。ガクガクブルブル 氏はエドガー・ケーシーばりにアカシック・レコード(神の記録帳?!)を見てくることが出来たのでしょうか?!


嘘つきの言葉は信じない  投稿者:GOA 投稿日: 2003年11月18日21時22分

この世は仮の世さん

>学校でも科学番組でも人間は猿から進化したとしか言ってないのに・・・おかしいなあ・・・

あなたはすでに嘘をついた実績があるんだから誰もあなたの言い分を信じないでしょう。


n行レス?  投稿者:大文字ナン 投稿日: 2003年11月18日21時19分

 真実とは、個々の認識に帰するし、事実とは、ニンゲンが認識しようとしまいと、ほっといても立脚してるモノではないか、と。神は存在する、と誰かが言うなら、そりゃ確かにいるのでしょう。だけど他人にそれは検証不可能。真実とはそういうもの。同様に、神は存在しない、と誰かが言うなら、やはり神はいない。どっちにせよ、検証できない。
 神がニンゲンを創ったのなら、ニンゲンなくして神を存在せしめることも不可能であり、神の存在はニンゲンの認識に依存してしまう。どっちにせよ、科学はそういう真実を相手にする体系じゃなく、事実しか見ない。そういうものなのです。


(無題)  投稿者:この世は仮の世 投稿日: 2003年11月18日20時46分

マコト様はじめまして
私は幸福の科学信者の端くれですが神どころか霊すらも認識できません。「神の存在は真実だ」とはどういう意味でしょうか?「神は存在する」ということでしょうか?
以前ここで進化論を批判しましたが、「進化論をわかっていない」と逆に言われました。
学校でも科学番組でも人間は猿から進化したとしか言ってないのに・・・おかしいなあ・・・
「種の起源」を読もうと思います。ダーウィンは動物に詳しいらしいので得るところもあると思います。


事実と真実  投稿者:地下に眠るM 投稿日: 2003年11月18日20時06分

「僕(あなた、彼、彼女)にとっての真実」ちゅう言い方はありえるけど
「僕(あなた、彼、彼女)にとっての事実」ちゅう用法はおかしいように思えますにゃ。
つまり
各々のニンゲンの判断と無関係に「真実」はありえにゃーのだね。
一方、ニンゲンの判断とは無関係に「事実」は存在しうるのではにゃーかと。
(哲学的にみれば、だいぶ唯物論に傾いた記述にゃんが)

進化論をはじめとする自然科学は、事実に基づいた判断体系にゃんな
信仰の問題は、真実に関するお話だにゃ。

ここは、事実と真実をごっちゃにするのはやめとこうね、ちゅう場所にゃんな


一行...より長いレス?  投稿者:たんぽぽ 投稿日: 2003年11月18日19時48分

マコトさま、はじめまして。

>例えば、僕が、「神の存在は真実だ。」と言ったら、僕に、何と言いますか?

「たんぽぽは、『神さまが人間を作ったのではなく、
人間が神さまを作ったのだ。』と思っている不信心ものだけど、
こんなわたしとも、ぜひ仲良くしてくださいね。」


凸(▼▼ メ) あぁ?!  投稿者:たまごちゃん(^-^)ノ 投稿日: 2003年11月18日19時45分

>ここは、進化論を肯定してるんですか?
>それとも、創造論を肯定しているんですか?

あぁ?!誰に向かって口をきいとるんじゃ?人に物を尋ねる時には自分から名乗らんかいっ?! 凸(▼▼ メ)


・・・・・・うそです。
このサイトのHPです。HPとNATROMさんのプロフィールを読んだらこのサイトの趣旨は大体分かっていただけると思います。
http://www.meken.med.kyushu-u.ac.jp/~tosakai/


マコトさんへ...  投稿者:おずおず 投稿日: 2003年11月18日18時57分

>ここは、進化論を肯定してるんですか?
>それとも、創造論を肯定しているんですか?

不用意にここに来てそんなことを尋ねる人を、暗〜い森の中へ迷い込ませるところなんだ...


一行レス?????  投稿者:たまごちゃん(^-^)ノ 投稿日: 2003年11月18日18時50分

マコトさん
>例えば、僕が、「神の存在は真実だ。」と言ったら、僕に、何と言いますか?

「 (  ̄д ̄)ノ"Ω へぇー、へぇー、」


この世は仮の世さまへ  投稿者:おずおず 投稿日: 2003年11月18日18時48分

takoさんにひとつ言われてしまったから、残りを...。

崇高な目的って具体的には何なんでしょうか?

ユートピア、と聞いてボクがイメージするのは、

寝転がって手を伸ばすだけで美味しい果物をお腹一杯食べられ、争いはなく、談笑したり、歌を歌ったり竪琴を弾いたりしながら毎日を過ごす。食べ残した果実はいつの間にか美味しい果実酒になっていて...♪

こんな環境を作り上げることなら、「人類の崇高な目的」ということについて特段異論は無いです。
...「崇高」と呼ぶこと以外には(^_^;)


一行レス????  投稿者:谷庵 投稿日: 2003年11月18日18時26分

マコトさん
>例えば、僕が、「神の存在は真実だ。」と言ったら、僕に、何と言いますか?

「ねえねえ、どうして分かったの? 教えて」


ご返答  投稿者:大文字ナン 投稿日: 2003年11月18日18時25分

>ここは、進化論を肯定してるんですか?
>それとも、創造論を肯定しているんですか?

 創造「科学」論という『疑似科学』を否定しています。


答え  投稿者:GOA 投稿日: 2003年11月18日18時10分

>ここは、進化論を肯定してるんですか?
>それとも、創造論を肯定しているんですか?

誤った論理を否定して正しい論理を肯定しています。


一行レス???  投稿者:tako 投稿日: 2003年11月18日17時52分

マコトさん
>例えば、僕が、「神の存在は真実だ。」と言ったら、僕に、何と言いますか?

「あ、そう」

>ここは、進化論を肯定してるんですか?
>それとも、創造論を肯定しているんですか?

上のほうに掲示板の趣旨が書いてありますが何か。


一行レス??  投稿者:トトロ 投稿日: 2003年11月18日17時37分

マコトさん
>例えば、僕が、「神の存在は真実だ。」と言ったら、僕に、何と言いますか?

「それで?」


質問  投稿者:マコト 投稿日: 2003年11月18日17時15分

ここは、進化論を肯定してるんですか?
それとも、創造論を肯定しているんですか?


一行レス?  投稿者:大文字ナン 投稿日: 2003年11月18日17時11分

マコトさん

>例えば、僕が、「神の存在は真実だ。」と言ったら、僕に、何と言いますか?

 「そのとおり!」


いいんじゃないの  投稿者:GOA 投稿日: 2003年11月18日17時07分

マコトさん

>例えば、僕が、「神の存在は真実だ。」と言ったら、僕に、何と言いますか?

「言うのはタダ!」


初めまして  投稿者:マコト 投稿日: 2003年11月18日16時44分

皆さん、こんにちは。僕は、進化論・創造論、にとても興味が有ります。
そして、他のサイトで議論をしています。
例えば、僕が、「神の存在は真実だ。」と言ったら、僕に、何と言いますか?


偉人が偉いのは  投稿者:tako 投稿日: 2003年11月18日15時48分

同じ人間であるのに、他の人にはできないことを成し遂げたからだと思います。この見方からすると他の動物との比較が出てくる時点でナンセンスです。

しかし、「神が人に似せて創られた」というのであれば、まあ王権神授説みたいなもので、神が人の偉大性を保障するというのもむべなるかなという感じです。


おずおず様へ  投稿者:この世は仮の世 投稿日: 2003年11月18日13時48分

レスが大幅に遅れました。お詫びします。
>なぜ動物と人間をことさらに分けるのでしょう。あなたの言う「違い」のなかに価値観を感じてしまうのです。「人間て偉いんだぞ」とでも言ったような不合理な感情を

世の中には池田大作や麻原彰晃のような人間もいますが、人間を偉大にしているのはブッダやキリストのような過去の偉人達だと思います。動物と人間の違いを際だたせているのがニュートンやリンカーンのような過去の偉人達だと思います。現代は偉人というものを見失った時代だと思います。人間も動物も神の被造物という点では同じと思います。偉人達は崇高な目的のため神のため真理のためユートピア建設のために命をかけて自分の仕事をしたのだと思います。人間というのは崇高な目的のため神のため真理のためユートピア建設のために命をかけられる生命体だと思います。「人間が神に似せて創られた」というのは人間は崇高な存在であることを意味していると思います。人間は崇高な目的のため神のため真理のためユートピア建設のために存在してるともいえます。


ありがとうございます  投稿者:秋月 投稿日: 2003年11月18日13時02分

マルチレスで申し訳ありませんが

たんぽぽ様、GOA様、なな様、temaさま、ぼん様、たまごちゃん(^-^)ノ
 ありがとうございます。母子ともに健康で明日にも退院してきます。それまでは父子家庭を楽しんでます。

ぼん様
 私は覚えていないのですが姉が幼稚園児の私にエビフライ(頭尾っぽ付き)は蓑虫のように海の中でもあの姿で泳いでいると信じ込ませたそうです。
 結局、幼稚園で真実がばらされたのですがそんなものを信じていた私っていったい…。


たまごちゃん(^-^)ノ
 実際にやった人がいるとはすごい…。やっぱりこんな事に興味をそそられるのは私だけじゃなかったんだ。
 でも、その試験が『めでたし、めでたし』の結果に終わって人ごとながら安心してます。でも誰がやっても、そこまで鬼にはなれないのでしょうね。
 そういえば、私の長男も『蚊に食われた』と母親が言うのを聞いて『カニさん?』とおかしな顔をします。特に訂正もしていないので今でも思っているかも。それにしても詩的なご兄弟ですね。

tema様
 次男が生まれて思うのですが、ほんの赤ん坊なのに顔つきや仕草に長男とは違った個性が感じられます。『性根はもってうまれてくるんや』と、私の母が言うように基本的な個性はもって生まれてくるのかも?やっぱりロックな奴は育てるのではなくて内からわき上がる衝動なのでしょうね。

ななさま
 初めまして。いろいろ情報ありがとうございます。やっぱり次男の笑いは『新生児微笑』というのですか、特定の対象を持たない笑いのようです。これは、自分が気持ち良い状態にあるから物理的に自然と出て来るのでしょうか?
 むしろ逆に、それを微笑んでいると捉えるのは、我々の方が(こいつは笑っている)と、そう感じているのですかね。
 


Re.ベツレヘムと羊飼いと雪  投稿者:トトロ 投稿日: 2003年11月18日10時10分

ぼんさま。
こんにちは。トトロです。

> 私は12月から3ヶ月間ベツレヘムに滞在したことがあるんだけど(5年前)、
> 羊も羊飼いもいっぱいいたし、雪も何度か降りましたよ。
> 冬が「短い雨期」にあたるのだと説明を受けました。

そうでしたか。私はWebで調べた後、フィンランドに住むレバノン人の友人(仕事上の付き合いですが)に確認してみたのですが、冬が「短い雨期」にあたるというのは同じ事を言っていました。ただ、彼の情報によると「年内に雨は降らない。1月下旬頃から降り始めて3月以降は降らない」、「雪は見たこと無い」とのことでしたのであのように書き込みいたしました。

従って、先の私の書き込み「現在、容易に入手できる情報からは、雪が降り積もったという記述は誤っていると判定できます。」は撤回させていただきます。この世は仮の世さまにはお詫びをさせていただきます。ぼんさま、ありがとうございました。


Re.黄金の法について2/2  投稿者:トトロ 投稿日: 2003年11月18日 9時55分

それでは、阪神大震災と予言を比べてみましょう。(意地が悪いですか!)引用符(>)が付いているのが原文(予言)です。

> 西暦2000年。世界の人々は、前年の夏に起きた衝撃的な悪夢からまだ立ち直れないでおります。
・阪神大震災は1995年2月23日、予言では1999年の夏となっており完全に外れている。
・阪神大震災が直接影響を及ぼしたのは神戸を中心とする中国地方〜近畿西部まで、”世界の人々は〜まだ立ち直れない”などということは無かった。よって予言は外れ。

> この頃まで世界の中心だったニューヨークは、その機能をほぼ壊滅的なまでに失っているでしょう。
・阪神大震災がニューヨークの機能を止めたという事実はありませんから外れです。

> 中近東は、仮死状態です。中国では政変が起きて、共産主義体制が急速に崩壊していきます。ソビエト? その名は、死を意味しています。大きな死体が横たわっているのと同じです。
・何れも外れていますね。

> 日本は――日本は、全国各地で復旧作業が続いているでしょう。

確かに関西〜中国地方では復旧作業がなされましたが1995年のことです。2000年ではありませんし、”全国各地”でもありません。よってこの一文も外れです。

> 自衛隊員が、ミミズのように分断された新幹線の線路工事に、玉のような汗を流しているでしょう。
・新幹線の線路工事に自衛隊が駆り出されたという事実はありません。山陽新幹線の復旧はJRの手で行われました。よってこの予言も外れですが、たとえ全国レベルの災害があったとしても自衛隊が新幹線の線路工事を行うことはないでしょう。これが幹線道路ならば、救援物資輸送の必要性から自衛隊が出動することはあるかも知れませんが・・・常識の問題ですな。

> 日本各地で、政府主催の合同慰霊祭が行われて、
・阪神大震災の合同慰霊祭が日本各地で行われる必然性はありませんし、行われてもいません。各種団体や大学が慰霊祭を行ったことは多く報告されていますが政府主催で慰霊祭が行われたという確認はできませんでした。故にこの点も外れです。公的な慰霊祭としては阪神・淡路大震災犠牲者神戸市合同慰霊祭(H7.3.5)がありました。

> その読経の声が低く流れております。
・あのなぁ〜〜〜と叫びたくなります。政教分離の原則はどうなっているのでしょうか?例え、政府が慰霊祭を催したとしても”読経の声が低く流れ”ることだけは無いと考えます。その事実もありませんので当然、外れです。

よってほぼ全文外れですので、やはり予言は間違いと断言いたします。

> ただ私は予言がはずれてもかまわないと考えています。悪い方の予言は主に警告のために出されたのだと思います。予言は地上人の努力ではずれさせることができると思います。もし人類の運命が最初から決まっているならば努力してもしなくてもそういう運命が来ることになります。運命は自助努力によって変えられると教えられています。天は自ら助くる者を助く、といいます。神々が地上人の努力を見て助けてくださったのだと思います。西暦2000年の予言が削除されたのは西暦2000年を過ぎて「予言」でなくなったからだと思います。

大川氏のあらわした書は数多くの矛盾を含んでいますが、大川氏を信じる者は、それらの矛盾は「見かけ上の矛盾」にすぎず、実際は矛盾がないのだ、と考えざるを得ません。このような考えにしたがって、記述のつじつまを合わせて、自らを欺いているのです。上記の文章にはそれが如実に表れています。
宗教家の予言は、教祖に予言の能力(言うまでも無く超能力)があることを見せて、教祖の地位を築き信者を隷属させるためのものです。それ故、当たる必要があるのですが、もし、外れたとしてもこの世は仮の世さまのように考えるならば教祖にとっては都合の良い信者ということになります。


Re.黄金の法について1/2  投稿者:トトロ 投稿日: 2003年11月18日 9時54分

この世は仮の世さま、こんにちは。

> 黄金の法最新刊を持ってないので何ともいえないのですが・・・予言が削除されてるんですか?

私が見たのは「黄金の法」幸福の科学出版の2000年4月7日 改版 第1刷発行 です。予言が削除されています。

> 私が持ってる黄金の法は1995年7月初版のものです。あなたのご指摘の西暦2000年の予言の箇所は残っています。「予言が的中した」ことが付け足してあります。

私が引用した予言は、2000年(災害発生は1999年)の予言です。1995年7月版では、予言の期限前ですので削除されずに残っているのでしょう。阪神大震災と予言のこじつけも行っているようですが、下記のとおり、阪神大震災を予言したというには無理がありすぎるので、予言の成就自体を引っ込めたと見るべきです。

> まず、ソ連邦の崩壊です。「黄金の法」原著の書き下ろし5年後の1991年に崩壊したと書いてあります。それから次の予言も的中しました。

もし、ソ連の崩壊を予言していたのならば以下の予言文の中で”ソビエト? その名は、死を意味しています。”と記しているとは矛盾しています。本当に予言していたのならばロシアとかCISとか書かれていなければならないでしょう。
予言は1999年の夏に災害が生じ(ノストラダムスに便乗した?)、2000年の時点のものです。


ベツレヘムと羊飼いと雪  投稿者:ぽん 投稿日: 2003年11月18日 9時40分

私は12月から3ヶ月間ベツレヘムに滞在したことがあるんだけど(5年前)、
羊も羊飼いもいっぱいいたし、雪も何度か降りましたよ。
冬が「短い雨期」にあたるのだと説明を受けました。
ま、クリスマスっぽいって言えばクリスマスっぽい情景だったかな。

でも、聖書学者の間では、イエスが生まれたのは
本当はベツレヘムじゃなくてナザレだったっていうのが定説らしいですけどね。
(ベツレヘム生まれという伝承は、旧約聖書との整合性
(預言の成就という主張)をつけるわざわざ作った「お話」だそうで。)


Re:いたずら  投稿者:ぽん 投稿日: 2003年11月18日 9時32分

たまごちゃん(^-^)ノ へ

おもわず何度も吹き出しながら読みました。
たのしい兄弟ですねぇ。
確かに、仕掛けるより、勝手に信じ込んでくれるほうがおもしろいかも。


Re.佐倉哲氏のサイトについて2/2  投稿者:トトロ 投稿日: 2003年11月18日 8時38分

3)イエスの誕生日について
> イエスの誕生日が本当のところ、いつかなんて誰も知らないと思います。2000年前のことですから。「イエスの誕生日がクリスマスではない」などと言い始めたのは誰なのか、何を根拠に言ったのかわかりません。また、「イエスの誕生日がクリスマス」だと言ったのも誰で、何を根拠に言ったのかわかりません。

”いつかなんて誰も知らない”ということですので、少し調べて見ましょう。調べ方?、Googleで”クリスマスの歴史”というのを検索するだけです。貴方が行おうとしている進化論の検証と比べたら微々たるものです。こんな記述が見つかりました。なお、記述は一部を抜粋してあります。

ローマ帝国は自らクリスチャンとなったコンスタンチヌス帝によって313年にキリスト教を公認しました。
12月25日には太陽神ミトラの誕生が祝われ、農業神サターンの世俗の祭りもこのころ行われていたのです。
これは当時の教会にとって大きな脅威でした。そこで、教会はこの古い大衆的な祭りをキリスト教化し、当時の世界宣教に役立てようと画策しました。また同時に都をローマからギリシャのコンスタンチノープルに移し、人心一新を図り自らの政権基盤を確立するために、古いローマの宗教と決別し、人心統一政策を進めていたコンスタンチヌス帝にとっても好都合でした。
このようにしてまだ当時ははっきり定められていなかったクリスマスを12月25日に祝う事が取り決められたのです。

同様に調べていくと、上記の説にはローマ時代のかなりの文献が残されており、信頼性が高いとのこと。また、聖書研究者の間ではよく知られた説であるとのことでした。ミトラ神(サトゥルヌス神とも)の降誕祭は冬至とも関係があったようです。

> 羊飼いのことはよく知らないので私には何ともいえません。ニュージーランドやオーストラリアのように冬のあるところでも羊を飼ってるそうです。福音書の記述は断片的なのでこれだけですべてを判断するのは早計かと思います。
現在のイスラエルの気候も2000年前のイスラエルの気候も知らないので私には何ともいえません。
福音書の記述も「内村鑑三霊示集」の記述もイエスの誕生に関して断片的にしか語ってないので私には判断できません。こんな記述だけを根拠に「『内村鑑三霊示集』は嘘をついている」というのは早計かと思います。

それでは、現在のベツレヘム周辺の気候を調べてみましょう。それによると、この地域は、半乾燥地帯で、短い雨季と長い乾季という季節を持っており、冬季の間は相当に寒いらしいが、乾燥しているとのことです。調べた範囲では12月にこの地域(高山は別)に雪がふることはありえないとのことです。

イエスが生まれた日は春という説と秋という説があるそうです。この地域では雨季明けの春に羊の放牧を開始することから聖書の記述とあわせて春という説が唱えられています。

”福音書の記述も〜私には判断できません”とのことですが、現在、容易に入手できる情報からは、雪が降り積もったという記述は誤っていると判定できます。また、内村鑑三は聖書研究者だったので、当然12月25日がキリストの誕生日ではないという説をしっていたはずです。従って「『内村鑑三霊示集』は嘘をついている」という主張は十分説得力があると考えます。


私の主張は、この世は仮の世さまを論破することでも、幸福の科学から改宗させることでもありません。幸福の科学の主張を解釈するときと進化論の主張を解釈するときでは基準が相当に異なっているのではないかということです。
もし、ダブルスタンダードで解釈に挑むのならば、解釈の結果は科学的事実を反映したものではなく、この世は仮の世さまの望む結果を手に入れることができるでしょう。私はご自分の信仰の範囲内であるならば、どのような結論に至ったとしても第三者がとやかく言う問題ではないと考えるのですが、この掲示板のような所で意見を発表するのならば、問題があると考えます。


Re.佐倉哲氏のサイトについて  投稿者:トトロ 投稿日: 2003年11月18日 8時37分

この世は仮の世さま、こんにちは。
ご返事が遅れしたことをお詫びいたします。昨日は腎臓結石の検査(DIP検査というらしい)と激痛のため、掲示板を見ることができませんでした。ちなみに結石はほぼ膀胱の近くまで降りてきており、破砕することも出来ない(骨盤が邪魔するらしい)とのことで、当面痛みに耐えて自然排出を待つようにという無慈悲な判決でした(イテテ・・・)。

> 聖書が禁じていることは天使ではない普通の人の死者に伺いを立てることを禁じてるのだと思います。内村鑑三は死者とは言っても天使にはいる人なのでこの人の霊示を出すことは聖書の教えに反していないと考えます。

問題は聖書の教えに反しているかどうかではなく大川隆法の霊示が正しいかどうかです。霊示を授けたとされる内村鑑三は「聖書の研究」を創刊した人手です。無教会主義などを実践した人物ですが聖書に関しても深い造詣を持った人物でした。
さて、”聖書が禁じていることは天使ではない普通の人の死者に伺いを立てることを禁じてる”という主張には証拠がありません。少なくとも聖書には、〜してはならないという文言で締めくくられており、例外を設けてはいないからです。また、”内村鑑三は死者とは言っても天使にはいる人”という主張に対しても大川氏以外の論証はありません。

> 幸福の科学ではアラーの神もヤーウェも同一神と言うことになっているので矛盾はしていません。

幸福の科学ではそうでしょう。しかし霊示は大川氏を借りて内村鑑三が述べたとされていることです。言うまでも無く内村鑑三はキリスト教徒であっても幸福の科学ではありません。キリスト教徒は自ら信じる神をはアラーの神と呼んだり同一視することがあるのでしょうか?
私はこの世は仮の世さまの書かれた”幸福の科学では〜略〜矛盾はしていません。”という文章について強く賛同いたします。つまり、霊示は幸福の科学の教祖である大川氏の言葉であり、内村鑑三云々は嘘ということです。


Re:いたずら  投稿者:たまごちゃん(^-^)ノ 投稿日: 2003年11月18日 7時13分

別にわざわざいたずらを仕掛けなくても、子供っていろんなことを信じ込んでしまって、そっちの方が大人が仕込んだいたずらなんかよりもよっぽど笑えると思うのは私だけでしょうか?

妹は2年前までクリスマスはサンタさんの誕生日だと信じていたし、弟は「イエス・キリスト」と「ノー・キリスト」の二人がいると信じていました。彼らの姉(私)は、ある日突然、サンタクロースの正体は義賊ロビン・フッドであるということに気がつきましたが、ロビンが捕まらないようにその秘密は祖母にしか明かしませんでした。しかし、なぜか数週間後には親戚中がその事実を知っていました。
詩人な弟は、工場の煙突から煙が出ているのをみて、「雲はあの工場で作っているんだね。」と述べたし、もっと詩人なその姉は、ビールを見て、「お父さんのジュース、上向きに雨が降っているね♪」とのたまわったらしい。あんまり詩人ではない末の妹でさえ、トトロによく似た姉の高校の化学教師(男)に、「赤ちゃん、いつ生まれるの?」としつこく尋ねて、姉を半泣きにさせる程度には才能豊かでした。
弟は歯のことを「ハガ」、蚊のことを「カニ」だと信じ込み、「ハガが痛い」「カニにかまれた」と言っては泣いていました。鯨の写真や絵を見るたびに、弟が「哺乳類なんだよ」と教えこんでいたため、妹は長い間、鯨のことを「ほにゅうるい」という名前の魚だと信じていました。兄弟の中で一番思い込みの激しいたまごちゃんは、なぜか海苔の佃煮の正式名称は「ぷんぷんぱ」だと信じ込み、誰も指摘してくれなかったものだから、成長した後スーパーの店員に「ぷんぷんぱはどこですか?」と訊いて「ハァ?!」と訊き返されてしまいました。
そんなたまご家の兄弟にとってお父さんの次に恐ろしいものは、お風呂に入ったあとすぐにパジャマを着ないと来る「ユザメ」という妖怪です。

♯ NATROM家のご子息は、グラビアの綺麗なオネィサンはくいしんぼんではないという、現代社会の厳しい現実にも真正面から向き合える大人の男に成長してくれたのでしょうか?人事ながら心配です。


Re:いたずら  投稿者:ぽん 投稿日: 2003年11月17日21時22分

>「ふつうの牛乳は白黒の牛から採れるのだけれど、コーヒー牛乳は茶色の牛から採れるのだよ」というのはどうでしょう。

私は小さいころ、お好み焼きを食べるときに、
「かつお節というのは、実は仮死状態の魚(魚に見えないけど、実は
一つ一つの欠片が一匹ずつの魚なんだと)なのだよ、
だからお好み焼きの上に乗せるとあったかくなって目を覚まして苦しむんだ。
ほぉら、残酷だねぇ〜」
と兄に教わりました。一瞬だけ信じたけど、横で母が笑ったので嘘だと解りました。

私の友人はもうすぐ子どものトイレトレーニングを始めるのだけど、
トイレの中で何か儀式(例えば、用を足す前に必ず便器に5回お辞儀をしなければならないとか)をしなければならない、ということを信じ込ませようとたくらんでます。
彼曰く、「トイレの中だと個室だから、人に見られることもないから、結構大きくなるまで信じてるぞ。」ということで、期待しています。
あとで解ったときに大笑いできるような、おもしろい儀式と
信じ込ませるためのもっともらしい理由を現在考え中みたいです。
でも、実際にトイレトレーニングをする奥さんにそんな余裕あるのかな?


脱線レス(Re: いたずら)  投稿者:PDX. 投稿日: 2003年11月17日19時36分

To 谷庵さん

>「ふつうの牛乳は白黒の牛から採れるのだけれど、コーヒー牛乳は茶色の牛から採れるのだよ」というのはどうでしょう。

 なんか、「うる星やつら」の竜之介ちゃんの父君的ノリですな(^_^;
 血汚冷吐のエピソードとか。


イエスの誕生日  投稿者:たんぽぽ 投稿日: 2003年11月17日19時21分

この世は仮の世さま、はじめまして。

>また、「イエスの誕生日がクリスマス」だと言ったのも誰で、
>何を根拠に言ったのかわかりません。

わかってますよ。
(こちらは、記録が残っているみたい...)


イエスの誕生日が12月25日、というのは、冬至と関係があります。

言うまでもなく、冬至は、北半球では、1年でいちばん昼が短くなります。
つまり、これから、だんだん昼が長くなっていく日なので、
太陽が力を取り戻しはじめる、と考えて、
これは、「正義の太陽」「世の光」と言われていた、
イエスの誕生日にふさわしいと決められました。

4世紀の教会が定めたものです。

http://www.family.gr.jp/christmas/keyword/keyword.htm


名無し  投稿者:そうなのだけれど 投稿日: 2003年11月17日18時36分

ヤフの掲示板に幸福の科学関係のトピがある。以前ちょっと覗いたら「昨晩アメリカ霊界で久しぶりに向昔の知人とあって話しをした」というような会話で盛り上がっているのを読んでたまげた。

こうてう人達が会員ににるのでしょう。


いたずら  投稿者:谷庵 投稿日: 2003年11月17日18時22分

>ぽんさん
>私は、面白くて無意味なことを信じ込ませる、「いたずら」がしてみたいなぁ、と思ったのだ。

「ふつうの牛乳は白黒の牛から採れるのだけれど、コーヒー牛乳は茶色の牛から採れるのだよ」というのはどうでしょう。


おめでとうございます  投稿者:GOA 投稿日: 2003年11月17日17時17分

秋月さん

お子様のお誕生をお祝い申し上げます。


大外れ  投稿者:GOA 投稿日: 2003年11月17日17時14分

>「日本は−日本は、全国各地で復旧作業が続いております。自衛隊員が、ミミズのように>分断された新幹線の線路工事に、玉のような汗を流しているでしょう。」
>これは1995年の阪神大震災で的中しました。

阪神地方は“日本全国”ではない!しかも1995年の出来事なら2000年の情景ではない!

こうした盲信がインチキ教祖をのさばらせ、多くの被害者を生むことに信者は注意深くなければなりません。
自分が信じる教祖の正しさを主張するなら、批判的態度で常に検証を行うべきだと私は考えます。

>もし人類の運命が最初から決まっているならば努力してもしなくてもそういう運命が来る>ことになります。運命は自助努力によって変えられると教えられています。

こう言えばたとえ予言が外れても自分の権威を失墜することはありませんからね。
運命が自助努力によって変えられることをどのように証明するのか大川氏に聞いてみると面白いかも?


黄金の法について  投稿者:この世は仮の世 投稿日: 2003年11月17日16時00分

黄金の法最新刊を持ってないので何ともいえないのですが・・・予言が削除されてるんですか?私が持ってる黄金の法は1995年7月初版のものです。あなたのご指摘の西暦2000年の予言の箇所は残っています。「予言が的中した」ことが付け足してあります。
まず、ソ連邦の崩壊です。「黄金の法」原著の書き下ろし5年後の1991年に崩壊したと書いてあります。それから次の予言も的中しました。
「日本は−日本は、全国各地で復旧作業が続いております。自衛隊員が、ミミズのように分断された新幹線の線路工事に、玉のような汗を流しているでしょう。」
これは1995年の阪神大震災で的中しました。
ただ私は予言がはずれてもかまわないと考えています。悪い方の予言は主に警告のために出されたのだと思います。予言は地上人の努力ではずれさせることができると思います。もし人類の運命が最初から決まっているならば努力してもしなくてもそういう運命が来ることになります。運命は自助努力によって変えられると教えられています。天は自ら助くる者を助く、といいます。神々が地上人の努力を見て助けてくださったのだと思います。西暦2000年の予言が削除されたのは西暦2000年を過ぎて「予言」でなくなったからだと思います。


佐倉哲氏のサイトについて  投稿者:この世は仮の世 投稿日: 2003年11月17日15時31分

1)「死者に伺いをたてることは聖書の教えにはんする」ことについて
聖書が禁じていることは天使ではない普通の人の死者に伺いを立てることを禁じてるのだと思います。内村鑑三は死者とは言っても天使にはいる人なのでこの人の霊示を出すことは聖書の教えに反していないと考えます。
2)アラーの神について
幸福の科学ではアラーの神もヤーウェも同一神と言うことになっているので矛盾はしていません。
3)イエスの誕生日について
イエスの誕生日が本当のところ、いつかなんて誰も知らないと思います。2000年前のことですから。「イエスの誕生日がクリスマスではない」などと言い始めたのは誰なのか、何を根拠に言ったのかわかりません。また、「イエスの誕生日がクリスマス」だと言ったのも誰で、何を根拠に言ったのかわかりません。
羊飼いのことはよく知らないので私には何ともいえません。ニュージーランドやオーストラリアのように冬のあるところでも羊を飼ってるそうです。
福音書の記述は断片的なのでこれだけですべてを判断するのは早計かと思います。
現在のイスラエルの気候も2000年前のイスラエルの気候も知らないので私には何ともいえません。
福音書の記述も「内村鑑三霊示集」の記述もイエスの誕生に関して断片的にしか語ってないので私には判断できません。こんな記述だけを根拠に「『内村鑑三霊示集』は嘘をついている」というのは早計かと思います。


悪魔の実験  投稿者:たんぽぽ 投稿日: 2003年11月17日13時57分

秋月さま、次男のご誕生、おめでとうございます。
(レスも、はじめまして、かな...?)


悪魔の実験(というより、花鳥画の大家)を見て、
わたし、エリエゼル・ベン・イェフダを
思い出してしまったのですが...

イェフダは、死語化していたヘブライ後を
日常語として復活させた人です。
(なんて、ご存知のかたも多いかな...?)

それで、そのためなんだけど、エリエゼルの息子、ベン・ツォインは、
ヘブライ語以外のことばに触れないよう、
注意深く育てられたのね。
おかげで、ベン・ツォインは、本を読むことも、
おともだちとお話もできず、いつもひとりぼっちで
つらい思いをしていました。


そんなベン・ツォインは、3年生のとき、
フランス語を習ってから、がらりと変わるのでした。
おともだちの中に入って、会話も楽しめたし、
おもしろい本を読むこともできるようになったからです。

同じクラスのほかの子たちにとっては、
フランス語は、単なるめずらしい外国語でした。
しかし、ベン・ツォインがフランス語を習ったときのよろこびは、
それとは、まったく違っていました。

しかし、フランス語の本を読んでいるところを、
父に見つかると、ものすごく叱られるので、
ベン・ツォインは、隠れて読んでいたんだけど...


ヘブライ語を現代語として復活させたのは、偉業だったけど、
(いったん死語になったことばの、ネイティブを
再生させるのは、ふつう不可能ですから...)
そのために、こんなふうに使われてしまう子どもは、
じつに悲惨ではありますね...

(おめでたいお話から、いきなりこんな重苦しいお話に
移ってしまって、なんとも恐縮ですが...)


手乗り  投稿者:ベレアの人々の末裔 投稿日: 2003年11月16日22時52分

 手乗りインコや文鳥なども、早くから親から引き離されるため子育て苦手なようです。
卵産みっぱなしで十姉妹などの仮母が必要です。ましてや家禽化されてない珍鳥などは三代目発現は極めて難しいものとなります。
 ちなみに、悪魔の実験には遠いのですが、知人の友人、上村淳@と云う花鳥画の大家は、幼い頃より社会から隔絶され当たり前の学校にも行かされず、絵を学ばされたようですが今は美大の副学長をしてるようです。これは一種の平均回帰?!


diamonds8888x さんへ  投稿者:ぽん 投稿日: 2003年11月16日22時00分

>そんなことは世界中で大昔からほとんどの親がやっているではありませんか。

うんにゃ。
殆どの親が信じ込ませてることは、害(もしくは益)があるか、面白くないか、どっちかでしょう。
私は、面白くて無意味なことを信じ込ませる、「いたずら」がしてみたいなぁ、と思ったのだ。


赤ちゃんの微笑み返し  投稿者:なな 投稿日: 2003年11月16日20時29分

久しぶりのカキコです^^;

秋月さん、はじめまして、次男のご誕生おめでとうございます。

> ふと、思うのですが、このままこの子を一切の人間と隔離して育てた場合
> どのような部分が発達しないのでしょうか、笑えるのでしょうか、涙を流して所謂悲しい顔をして泣けるのでしょうか?(長男を観察した限り笑うのは生得的なように思えます)

生まれて間もない新生児の微笑みは、いわゆる『新生児微笑』と呼ばれているものですが、これが生後数ヶ月を経ると、「親子が互いの顔を見つめ合い、微笑み合う」といった、よりコミュニケーション性の強いものになり、『社会的微笑』と呼ばれるものを身につけていくと言われています。

これらの『微笑』は人間が生得的に持っているスキルというか能力だと、発達心理学や進化生物学的な立場からは考えられているようですが、アヴェロンの野生児の例などに見られるように、言語の獲得と同じように無条件に発動するというものではなく、社会的環境の中でそれは獲得され発現していくものだと言えるのでしょうね。

ただ、子どもの精神発達の問題に関しては、自閉症やアスペルガー症候群の問題が「学校教育の崩壊」や「少年犯罪の増加」などという言説と相まって社会的にクローズアップされている昨今にあっては(例えば「長崎の男児殺害事件」では加害児童のアスペルガー症候群との関係が家裁から指摘、公開されました)、子どもの生得的な精神発達能力とそれを妨げる因子、環境や要因の問題について語る際には非常に慎重な物言いが必要になってくると思います。

> おっと皆様ご安心下さい、私も子供の前にでるとデレデレのただのオヤジでこんな実験のことなど忘れ去ってしまってますから

この、乳児の前では我々大人の誰もが思わずなってしまう“デレデレ”にも、進化心理学的な見地から見れば、遺伝的基盤があるのかも知れません(笑)

色々と異論や反論をお持ちの方もおられるかと思いますが、あくまで参考として、いくつかWeb記事を紹介させていただきます。

チンパンジーは進化の隣人:まなざしとほほ笑み

赤ちゃん:生後まもなく母国語を認識 日立製作所などが解明

脳を育む−脳科学の新たな課題


re:日常的信仰は不滅です  投稿者:tema 投稿日: 2003年11月16日20時24分

diamonds8888xさんへ

> こういう日常的信仰はあまり廃れているようにも見えないんですけど。(後略)
>(中略)
> ということで「今の日本には信仰をなくした現代人が大量出現している」という話には簡単には賛成できません。もしかしてこれは単に「今の日本には道徳心をなくした現代人が大量出現している」と言いたかったのではありませんか? んで、「道徳心を無くしたのは信仰を無くしたからだ」と短絡してると。「昔は良かった」ていうのはどんな時代にも言われてたことらしいですけどね。

 もし、この世は仮の世さんに対するレスであったら、横レスになってしまいますが...
 temaは文中の「信仰」を「既存の(伝統的な)宗教に対する信仰」という意味で使っていました。ですので、人々の信仰心が無くなったとまでは考えてません。ただ、昔は同じ神様を崇めていたが、現在は個々人で別の神様を崇めているような気がします。そのように変わることがイカンというわけではなく、それで人間は大丈夫なのかということが不安だったのです。
 道徳心については考えていませんでしたが、確かに昔のような道徳心は弱くなっていると思います。ただし、今なりの道徳心は強くなっていると思います。どちらの道徳心が良いかはわかりませんが、temaは今なりの道徳心の方が気に入ってます。

 ただ..ああ、車や機器のデザインは昔の方が良かった。なんで今、こんなデザインになっちゃったんだろう。きっと技術の神様に対する信仰が薄れたせいです!


お誕生おめでとうございます  投稿者:tema 投稿日: 2003年11月16日20時16分

秋月さんへ
 まずはお子さん誕生おめでとうございます。今度こそロック好きな児童になるよう育ててください。
 秋月さんがお子さんを抱いている時に好きなロックを聞き、奥さんがお子さんを怒っている時にドラえもんを流すようにすれば、三歳になる頃には..

> でも、やっぱり人間もまだまだ自然を怖がってるのかも、自然保護すら『壊れてしまったらどうしよう』って言う恐怖心の現れに思うのですが、どうでしょう?
 temaは東京に住んでるのですが、ここで暮らしていると自然(人工物でないという意味の自然)が弱々しく感じられ、守らなくてはならない..という気になります。一方、バイクで山の中に入っていくと周りの自然に圧倒されます
 多分、集団としての人間にとっては(特に都市在住者にとっては)自然の恐さはあまり感じられなくなっているのだと思います。一方、個人としての人間に対しては、未だに自
然は強大であり、恐ろしい存在なのではないでしょうか?


人の子育て  投稿者:diamonds8888x 投稿日: 2003年11月16日20時02分

>  あんまり害がなくて、なんか面白いこと信じ込ませるいたずらできませんかね?

 そんなことは世界中で大昔からほとんどの親がやっているではありませんか。日本の例だとサンタさんの話とか、月にはウサギがいるとか。害のあることだっていくらでも信じ込ませてますよね。害のある例で最もわかりやすいのは差別かな。

>  と、言うわけで乳児の微笑みは生得的なもののようですが、続けているとどうなって
>いたんでしょうね?泣いても親がそれに反応しないと、赤ん坊は徐々に泣かなくなるってよく言いますよね?

 そりゃあ、微笑み返されることが少なければ笑わなくなりますし、「泣くな」としつければ泣くのをがまんしちゃう子になりますよ。かわいそうですね。でも親に余裕がなかったりするとね。だからしっかり可愛がってあげてください。

 類人猿でも子供と付き合った経験がないと子育てができなくなるという話です。いわんや人間は。


Re: 悪魔の実験  投稿者:たまごちゃん(^-^)ノ 投稿日: 2003年11月16日14時46分

秋月さん、おめでとうございます。

悪魔の実験ですが、実際に行ったという話を聞いた事があります。本当かどうかは知りませんが・・・(私は本当だと思っている)。
赤ん坊の笑いかけは生得的なものなのか、親の笑いかけなどに反応して起こるものなのかを確かめるために、生まれてすぐの赤ん坊を誰もいない部屋に隔離する実験が行われました。授乳やオムツを換えるなどの世話は決まった時間に覆面をした人間が行うようにし、話しかけず、赤ん坊の泣き声などにも一切反応しないようにしました。
それでも、生後数週間経つと、赤ん坊は微笑み反射をするようになりました。さらに数週間後、他の場所ではなく、実験者の顔のある位置に向かって微笑みかけるようになりました。それでも実験者は無視をし続けたのですが、数日後、その微笑のあまりのかわいらしさに我慢できなくなって、覆面を取って赤ん坊に微笑み返してしまいましたとさ。めでたし、めでたし。
非人道的な実験なのになんだかほのぼのとしてしまいます(w

と、言うわけで乳児の微笑みは生得的なもののようですが、続けているとどうなっていたんでしょうね?泣いても親がそれに反応しないと、赤ん坊は徐々に泣かなくなるってよく言いますよね?


おせっかいさんへ  投稿者:おずおず 投稿日: 2003年11月16日13時36分

見てきました。
>「動物の赤ん坊も人間の赤ん坊も価値は同じだ」と語っていました。この人に子供が産まれたときに、この発言どおり子育てができるのか見てみたいと思いました。

もちろん人間は人間の赤ん坊を動物の赤ん坊よりも大切に育てるでしょう。
んで、動物はもちろん、動物の赤ん坊を人間の赤ん坊よりも大切に育てるでしょう。

試しに子育て中のライオンのおりに人間の赤ん坊を入れてみればいい。神様が保証したとおりに動物が作られているなら、人間の子供にミルクを与えるでしょう。決して子供ライオンのエサにするわけがない。ライオンは人間に支配されるように、神様によって作られているはずだから。

つまり、実際に見られることは、あくまでも人間は人間中心に行動し、動物は動物中心に行動するということだけです。動物にも人間にも当てはまる汎宇宙的な価値観なんてない。

その意味で、この人の、「動物の赤ん坊も人間の赤ん坊も価値は同じだ。」という発言は、人間中心に陥っていない、開かれた物の見方だと思います。

>聖書に従って価値を決定することによって、人間は、動物と混同されることなく、しかも、動物を大切にすることができます。

ヒンズー教だって仏教だって無神論者だって、人と動物の区別をつけながら、しかも動物を大切にしています。
聖書に従う必要はない。


おずおずさんへ  投稿者:おせっかい 投稿日: 2003年11月16日13時01分

>その間に他の方から書かれてしまいましたが、「動物と人間は互いに違ったところを持っている。」ことは当然だと思います。ただ、「犬と人間」「鳥と人間」「犬と鳥」はそれぞれ違ったところを持っていますが、その中でなぜ「動物と人間」をことさらに分けるのでしょう?
なんとなく、あなたの言う「違い」の中に、価値観、を感じてしまうのです。「人間ってエライんだぞ!」とでもいったような、不合理な感情を...。

横レスで失礼します。下記をお読みください。
http://www.path.ne.jp/~millnm/no12.html


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