進化論と創造論についての掲示板ログ175

2003年09月06日〜2003年09月11日
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saniku-aiki さんへ質問です  投稿者:ぽん 投稿日: 2003年09月11日22時46分

>決定的なことは、進化論を受け入れると言う
>ことはアダム以前に生物の死を認めるので、キリストによる救いを否定すること
>になるからです。

この教理は聖書のどの箇所を根拠にされているのか、ご教示ください。
もちろん、私とsaniku-aikiさんとの解釈は異なると思いますが、
(そして、それを議論するつもりはありませんが)興味があるので知りたいのです。
差し支えなければ、教えてください。


それも違います  投稿者:ゆん 投稿日: 2003年09月11日22時41分

>>「信じる」「信じない」の二極では無く、その中間の「信じもせず、信じなく
>>もせず」と言う態度が有り得る
>そうでしょうか。進化論者は神(6日間で創造した神)がいるという前提で
>ものを考えようとは決してしません。「信じもせず、信じなくもせず」ならば、
>その神がいるという前提で考えても良いのでありませんか。なぜ、神の不存在を
>前提にすることが正しいと考えるのでしょうか。神の不存在は真実ですか?

私は神の不存在を前提とはしていません。
人の考えていることを自分勝手に妄想しないように。
それはとても不愉快だと言ったはずです。

神がいるかいないか私には判断がつかない以上、自分にとってはそれが
いるともいないとも扱わないという「不可知」と言うスタンスはご理解
いただけませんか?

# この問答は前の「信じる」「信じない」話と全く同じ構造を繰り返して
# いるだけですな。面白いくらいに噛み合ってないや。


とりあえず一言だけ  投稿者:クハ72 投稿日: 2003年09月11日22時35分

信じると支持するは違うんですけど……。


では、  投稿者:RYU_TI_SYU 投稿日: 2003年09月11日22時21分

>それは、進化論は聖書の創世記に書かれてある天地創造の記事と矛盾するからです。
>それは種の起源の問題ではありません。決定的なことは、進化論を受け入れると言う
ことはアダム以前に生物の死を認めるので、キリストによる救いを否定することにな
るからです。キリスト信仰の本質を真っ向から否定するから批判するのです。
>信仰を否定しないのなら、とやかく言わないと思います。

貴殿の信仰を「否定」するものは、仏教、イスラム教等々、色々あるがな、
そこらの寺院に乗り込んで
「君たちは間違ってる」
って言うんじゃな。
お忙しいことじゃ。


とりあえず返答します  投稿者:saniku-aiki 投稿日: 2003年09月11日22時12分

RYU_TI_SYU さんへ

>どうして、「進化論」だけを「キリスト教徒」だけが批判するのが目立つのじゃろうか?

それは、進化論は聖書の創世記に書かれてある天地創造の記事と矛盾するからです。
それは種の起源の問題ではありません。決定的なことは、進化論を受け入れると言う
ことはアダム以前に生物の死を認めるので、キリストによる救いを否定することにな
るからです。キリスト信仰の本質を真っ向から否定するから批判するのです。
信仰を否定しないのなら、とやかく言わないと思います。

クハ72 さんへ

>これらを支持できるだけの証拠はありません。

聖書に書いてあるという証拠だけでは不足と言うことですね。
それでは、クハ72さんのお立場は、「聖書のみを信じる」立場では
ないと理解しても差し支えないでしょうか。


おずおずさんへ

>saniku-aikiさんが天国へ行ったら、そこで出会ったのはイエス・キリストで
はなくてお釈迦様だったということになる可能性もあり、てことですね?

私の書き方が悪かったようで、誤解を与えたことをお詫びします。
そうではありません。くどいようですが、もう一度書かせていただきます。
「ほかのだれによっても、救いは得られません。わたしたちが救われるべき名
は、天下にこの名のほか、人間には与えられていないのです」(使徒言行録4:12)
とあり、救いはキリストによって得るしかありません。天国にお釈迦様もいるか
もしれませんが、それは独力で救いを得たのではなく、キリストによって救われ
たお釈迦様ということになります。仏教徒の方はこれを読んでご不快になられる
と思いますが、これが私の聖書理解です。

ゆんさんへ

>「信じる」「信じない」の二極では無く、その中間の「信じもせず、信じなく
もせず」と言う態度が有り得る

そうでしょうか。進化論者は神(6日間で創造した神)がいるという前提で
ものを考えようとは決してしません。「信じもせず、信じなくもせず」ならば、
その神がいるという前提で考えても良いのでありませんか。なぜ、神の不存在を
前提にすることが正しいと考えるのでしょうか。神の不存在は真実ですか?

3ETさんへ

誤解していないでしょうか。
創造論者は神の存在を前提にして、「目の前の証拠のみを見て考えよう」
としている立場です。同じ証拠を見ても前提が違うので、進化論者とは
結論が全く異なるのです。「証拠を無視しよう」ではありません。
近代科学の父と言われるニュートンも創造論者でしたが、彼は目の前の
証拠を見て、万有引力を発見したのです。

wadjaさんへ

>sanikuさんの言う「神」は、極めて狭義なものだと思われます。
進化が事実であれば、彼の信じる神は、真実では無くなるのだそうです

wadjaさんが私の意見に反対しているのは承知していますが、私の主張を
ほぼ正確に把握してくださっていることに感謝します。ただ「狭義」とは
私は思いません。


創造科学論者に関する提案  投稿者:tema 投稿日: 2003年09月11日21時59分

 創造科学論者と科学について議論する際、以下の注意をした方が良いと考えています。
[前提]
 創造科学論者は
  1. 心の支えが必要である
    (現在、聖書が絶対の真理であることを心の支えとしている)
  2. 科学を否定する事ができない
という特色を持っていると思われます。
[注意点]
 創造科学論者は「創造科学は科学では無い」と論理的に示すだけでは納得しません。なぜなら、その事だけを認めると「心の支え」と「科学」の間で矛盾が発生するからです。しかし、創造科学論者の「心の支え」を「聖書が絶対の真理である」から他のもの(例えば「神は絶対である」)に変える事ができれば矛盾は解消する可能性があります。
 具体的な例としては、
  a. 神が絶対であっても人は絶対では無い。聖書を書いた人は神の御心全てを受け取って記述した訳ではなく、その人なりの表現となってしまっているのではないか?
  b. 理神論、有神論的進化論であれば、「神が絶対である」という事と現在の科学に矛盾は無い。
とういう2点を同時に示す事で納得する可能性があります。

 無論、全員にこのような考えを持って欲しいとは思っていません。議論も生物界も多様性が重要です。この提案を「そうかも知れない」と思った方、頭の片隅に置いてみて下さい。


re:はじめましてtemaさん   投稿者:tema 投稿日: 2003年09月11日21時58分

wadjaさんへ

 はじめまして。早速のresありがとうございます。
> 長谷川さんが嘘つきだと主張しているようにしかとれません。
 について、最初に弁解させて下さい。temaは決して長谷川氏を非難しようとして名を挙げたわけではありません。最後の一葉の画家、または一切れのパンのラビと同様の理由により、進化論に対してあのような言動を取っているのでは無いかと考えました。
 しかし...言われる通り、「嘘つき」と言ってますね。確かに。
 しかも、長谷川氏の信仰を疑う内容になっております。
 申し訳有りませんでした。お詫びの上、訂正させて頂きます。>長谷川殿
 文末を、以下の通り訂正させて下さい。

この時、上記の考えを持って行動している指導者が居た場合、指導者が信者の心の安定を保つためには、以下の行動を行う必要があります。
 a. 信者の目に触れさせないようにする
 b. 外部からの話は嘘・誤解であると言う
 例えるなら、死の病に倒れ金がない為に助けられない患者に対して、
 A. 「あなたこのままじゃ助からないよ」などと言う人を寄せ付けない
 B. もし、聞かれてしまった場合「彼は素人で判ってないんだ」と言う


NATROMさんへ

 はじめまして。
 本来、temaの興味(創造科学を信ずる人について)から言えば創造科学の掲示板で討論に参加すべきですが、少々怖いのでこちらで発言させて頂きます。
>という指摘こそまさに的を射たものです。
 と言っていただき、ありがとうございます。
 この説は、(創造科学を信ずる人が意識しているか無意識の内に考えているかはともかく)かなりいいセン行ってるんじゃないか?と思っています。心の問題であるため、立証できない(かつするべきではない)と思いますが。

 この説がいいセン行ってる、という前提で一つ提案させて頂きます。
(続く)


はじめまして  投稿者:ドラゴンスライム 投稿日: 2003年09月11日21時13分

になったとする。(ねずみざん式に増えるからすぐ)そのいくつかの中には、コピーに失敗して、少し違うのがいくつか生まれる。1000回に一回の割合で失敗すれば
(0・1%)その中には、失敗して出来た約100万個?の少し変わった物質が出来るだろう。(突然変異みたいなもの)たいてい、失敗だから、少し性質もしくは形が違うだけの、ある程度似た物質になる事が多いと思う。(突然変異もそう)その中で、たまたま、(100万個あれば、ある程度の偶然は起こると思う)前のものよりも効率がいいものができる事もあるだろう。特に、こういう風に出来た(生まれた)物質は、前の性質をある程度持っている事が多い。その効率がよくなった物質は、前の物質よりもその名の通り、
よく増えるだろう。これは、前に出来た、自分をコピーすると言う偶然にさらに、その効率がよくなったと言う偶然が、積み重なった事になる。
そういうことが、繰り返される事により、より効率がいい物質(もしくは運がよかった物質)が残っていくようになる。わかりやすく言うと、いきなり、そこから10年後に行ったとしたら、その地球には、まだ残っている物質しかない(←当たり前)と言う事は、
残るのに効率がよかったか、もしくは運がよかったかと言う事になる。運がいいのには限界があるから、何1000年も続けば、効率がいいものが生き残っている事になる。
さらに、それが続いたため、今のように複雑(効率がいい)になっていったのだと思う。

僕がこういう考えをし始めたのは12〜13歳ぐらい(とはいっても、そのぐらいの年齢だから、進化の理由程度をなんとなく)です。きっかけは、葉っぱにものすごく似ていた昆虫をテレビで見た時に、なぜここまで似ているのかなあと思ったからです。
その時に、今のようにに考えたのです。

その昆虫も、効率がいいものもしくは運がいいものだけ残ります。と言う事は、より葉っぱに似ているものは、鳥などに見つかりにくく、生き残りやすいのです。
突然変異で、真っ赤になれば、、目立って食べられるかもしれません。緑になれば、
見つかりにくく、生き残るかもしれません。その時の形や色は、そのように目的によって、偶然のなかの当てはまるものを、選び抜いていくのです。緑の昆虫は、色だけでなく、形。模様。さらに複雑な形と言う風に、限定されていったのだと思ったのが、きっかけでした。

偶然とは、数と時間の考え方により、当然な結果とも言えるのです。


はじめまして  投稿者:ドラゴンスライム 投稿日: 2003年09月11日21時12分

はじめまして!いろいろ検索しているうちにここに偶然たどり着きました。
僕は、はっきり言って神は信じていません。
僕は、なぜ生物が存在するのか考えた事があります。(中1ぐらいだったから2〜3年ぐらい前から)その結果、生物とは、ただの複雑な物質で、今まで存在し続けているものだという結論になりました。そこら辺にある石がなぜあるのかを考えるのと、実は同じような事だと言う事が理解できたのです。
宇宙はものすごく広く、その中には原子がいくつあるかを考えてもわからない程ある。
なんせ一つの星にどれだけあるかを考えてみても、その星が、さらにものすごくたくさんあるのだから。
その膨大な数の環境(温度など)、そこにある膨大な数の物質の中には、核融合や化学変化などでいろいろな性質の物質が出来る。その物質が、偶然(と言っても、この膨大な数の物質があれば、1000000000000分の1の確率の偶然も当たり前のように起こる)大きな分子など、いろいろな性質の分子(またはその集合)が出来る。
その中には、電気を通すと縮んだり、光を当てると動くような性質の物質なども生まれるかもしれない。宇宙には、さらに、膨大な「時間」がある。星で10秒で起こる確率が1億分の1という偶然があれば、1000億個星があれば100分の1秒でその偶然はどこかで起こる。1秒あれば100回起こる。1億年あれば???
もうとんでもないぐらいその偶然が起こるのです。
そういう偶然で生まれた性質を持ったいろいろな物質(複雑と言える)は、膨大な数、存在していただろう(今も)。しかし、そういうものは、たいてい時間がたてば、燃えたり、壊れたり、してなくなってしまう。人間のように複雑になるには、いくら、偶然がたくさん起きてもそう簡単にはなかなか出来ない。なぜ出来たのか。それは生物が(地球上の)いくつもの偶然を積み上げる事が出来るような性質を、持っていたからだと、僕は考えた。ここにいる生物は、自分をコピーする性質を持った物質だったのだと、思う。
普通の偶然で、前に言ったような電気を通すと縮んだり、光を当てると動くような性質の物質が出来たとしても、しばらくするとなくなってしまう。と言う事は、宇宙のどの時間でもいいが、「その時」に存在するそのような物質はさっき生まれた物質、もしくは、前に生まれてまだ存在しているものと言う風に簡単に言うとそう分けられる。
すると、何億年もすれば、その中には、何らかの性質で、何年も存在し続けている物質も当然あるはずである。(偶然で生まれた物質の中でさらに、偶然にもそういう性質を持っていた物質。)さっきも言ったように、人間のように複雑になるにはいくつかの偶然を、
積み重ねなければなかなか出来ない。(偶然の中でも桁が違うような確率のため)
偶然が起こるには単純に、時間もしくは、数があればいい。(時間だけでは偶然を積み重ねるのはまず不可能)例えば、そのコピーする事が出来る物質が、コピーを続けて10億個


ママンのスカートの中は安心じゃ  投稿者:RYU_TI_SYU 投稿日: 2003年09月11日19時28分

>私は神の言葉を代弁しているつもりはなく、聖書の説明をしているに過ぎません。

>侮辱する意図はありません。これは私の考えではなく、
>ただ聖書にそう書いてあるので、そのまま説明したということです。

とりあえず、都合が悪けりゃ聖書のせいにしてしまえと・・・

聖書の中の人も大変だな


世界は奇跡に満ちている♪  投稿者:ぽん 投稿日: 2003年09月11日18時24分

>では、奇跡が起こったのですね。奇跡が起こるのだから、
>やっぱり神はいると言うことになるのではないでしょうか。

2年前の今日、アルカイダのメンバーが大規模なテロを決行しました。
FBIやCIAの目を潜り抜けて、綿密な計画が長年かけて練られ、テロが実行できたのは
ある意味「奇跡」だと言えるでしょう。
実際、ビンラディン氏は、テロの成功を受けて、「神」を称え、より深く自分の「信仰」
自信を持ったようです。
ブッシュがアメリカの大統領になれたことも「奇跡」かも(選挙結果に疑念は残るものの)。

ちなみに、どちらの「奇跡」も、私にとっては神の存在の証明にはなりません。


私達の目の前に  投稿者:3ET 投稿日: 2003年09月11日13時56分

100万もの証拠がころがっています。
それを理解するための手引きも、さまざまな文献として存在します。
もちろん誤りもあるでしょう。だけれど、絶えず検証-修正されていっています。

目の前にある証拠、それのみに基づいて世界を理解しようという試み。これが科学です。


今回、この板で議論の参加させていただき、あらためて認識できたことは
「信じている人は盲目である」
です。言い古されておりますが、実感できました。収穫、と思っております。


saniku-aiki様
>進化論を受け入れることは、キリストによる救いをその土台から否定することになると考えています。

そうなると、残念ながら(確認できる)すべての証拠が、救いがないことを指し示していることになります。
もちろん、あなたの信仰へはなんの影響もないとは思いますが。


おせっかい2  投稿者:PDX. 投稿日: 2003年09月11日13時01分

 リンク先のページで、グールドの言葉が引用されてはいたけど、別に彼は兜を脱いでなんかいな
くて、あの後に「しかし」とかそういう文章が続くんじゃないかなぁ。
『進化論裁判』あたりでいくつか言及されていたけど、創造論者が進化論者の言葉を引用するとき
には『前後の文脈を無視した部分的な引用』『途中の単語の省略』が行われることがしばしばあり
ますから。

 それ以前に、グールドが断続平衡説を主張していることを考えれば、あの言葉も「あぁグールド
らしいや」ってだけのものでしかないけど。


おせっかい  投稿者:GOA 投稿日: 2003年09月11日12時49分

おせっかいさん

公共の掲示板で独り言をいうのはみっともないので言わない方がいいですよ。
そういうのは夜中にこっそり日記帳にでも書きましょう。
信じられないものは信じない方がいいでしょう。おせっかいさんは正しい選択をしたと思います。

以下は読む必要ないよ...。
1.始祖鳥が現生の鳥類の祖先であることについては疑義が出されているのはよく知られたことである。
2.アウストラロピテクスについてはトゥルカナ・ボーイが発見されたのが84年だから70年代の議論はあまり意味がないように思われる。
3.DNAや化石の記録によってネアンデルタール人→クロマニヨン人という直線的な進化はすでに否定されている。ネアンデルタール人が高度な文化を持っていても何も不思議はない。
4.特徴が中間的でどこに分類していいのか分からない化石は多く発見されている。


ひとりごと…  投稿者:おせっかい 投稿日: 2003年09月11日11時55分

http://tak0719.hp.infoseek.co.jp/qanda/missgl.htm

あ〜あっ、上の記事を読んだらもう進化論なんて信じられなくなってしまったよ。
一体どうしたら良いんだろう…?
あっそうだ。明日から創造論を信じよう!
それから聖書を読んでみる事にするか、うんうん。


大文字ナン さんへ   投稿者:saniku-aiki 投稿日: 2003年09月11日10時13分

>あくまで人間である教徒の皆さんが、理解の足りない人の言葉で救いを説いたとしても、逆に誤解されてキリストを信じられなくなる人が増える

私はそうは思えません。なぜなら、もしそうならイエス・キリストが人間になられた
意味が無くなるからです。イエスがマリヤとヨセフの子供として生まれた目的は
神が人とともにいることでした(マタイ1:23)。ヨハネ14:10「 わたしが父の内に
おり、父がわたしの内におられることを、信じないのか。わたしがあなたがたに言
う言葉は、自分から話しているのではない。わたしの内におられる父が、その業を
行っておられるのである。 わたしが父の内におり、父がわたしの内におられると、
わたしが言うのを信じなさい。もしそれを信じないなら、業そのものによって信じ
なさい。」これはキリストが弟子の一人に語った言葉です。キリストは人間の
姿を取り、人間の言葉によって、神を正しく伝えようとされたのです。誤解する人も
いるでしょうが、多くの人は神を正しく知るようになるのです。

>弟子たちが行った布教や、教会が行った様々な過ちは、キリストの教えとは根本
的に対立することばかりだ

 教会が行った過ちというのが、魔女狩りや宗教裁判や十字軍などのことを指すの
でしたら、おっしゃることはわかります。しかし、「弟子達が行った布教」がキリ
ストの教えと対立していたとは考えられません。なぜなら、キリストの教えがどんな
ものかは新約聖書の福音書を見ればわかりますが、その新約聖書の使徒言行録には
弟子達の布教も書かれており、使徒言行録に書かれてある弟子の教えと、福音書に
書かれてあるイエスの教えとが根本的に対立しているとは、とても読めないからです。
どんな点がそうなのか教えてください。

>こんな馬鹿げた話に納得する高校生がいたら奇跡です。

では、奇跡が起こったのですね。奇跡が起こるのだから、
やっぱり神はいると言うことになるのではないでしょうか。

>saniku-aikiさんは完全に「神の言葉を代弁」しています。それはとてもとても恥ずかしいことだと思えませんか

私は神の言葉を代弁しているつもりはなく、聖書の説明をしているに過ぎません。
しかし、聖書は神の言葉なので、その意味では、神の言葉を代弁していると言え
るのかもしれません。それは恥ずかしいよりも、畏れ多くて、身が引き締まります。
「あなたがたのうち多くの人が教師になってはなりません。わたしたち教師がほか
の人たちより厳しい裁きを受けることになると、あなたがたは知っています。」
(ヤコブ3:1)とあるからです。

>その小さな親切が相手にとって迷惑だった時はどう思うのですか?さきほど、
滅びるのも神の愛と言っておいて、でもやっぱり干渉するのですか?

干渉と取るか親切と取るかは人によって受け止め方は違うでしょう。迷惑に思う
かもしれないが、それでも救いのチャンスは与えるべきだというのが私の思いです。
「キリストはわたしたちがまだ弱かったころ、定められた時に、不信心な者のため
に死んでくださった」(ローマ5:6)のであり、キリスト教大嫌いという人のために
いわば要らぬお節介をしたわけです。お節介と思っていたが、実はすごい親切だった
とわかる日が来ます。その日のためにクリスチャンはキリストを伝えるのです。


返事が遅くなりました  投稿者:saiku-aiki 投稿日: 2003年09月11日 9時38分

北海道に3日間行っていましたので、返事が遅くなりましたことをお詫びします。

3ETさんへ

>聖書を信じることと、進化論を「受け入れる」ことは両立します。
ヨーロッパ・アメリカの科学者にとっては普通のことだと思いますが?

「聖書のみ」の信仰者はそうではありません。何度も書いてきたことなので
詳しくは書きませんが、進化論を受け入れることは、キリストによる救いを
その土台から否定することになると考えています。ですから、私のような
創造論者にとっては、進化論と聖書のみの信仰は決して両立しないのです。
進化論をうけいれるクリスチャンは、「聖書のみ」の信仰ではないか、
進化論の持つ意味に気付いていないからだと思います。


wadja さんへ

>「救いはキリストにしかありません。」という発言が、異教徒に対する侮辱にも脅迫にもなりうるからだと思います。

侮辱する意図はありません。これは私の考えではなく、
ただ聖書にそう書いてあるので、そのまま説明したということです。

>一般的な聖書の解釈として、「囲みの外にいる羊(異教徒)も、神は救う」
で正しいのですか

一般的かと言われれば、私の立場は進化論を否定するので、おそらく一般的な
クリスチャンとは異なるでしょう。ここの解釈を他の教会の人に聞いたわけで
はないのでよくわかりません。この箇所を理解するに当たっては、見える教会、
見えない教会という概念を導入すると良いと思います。見える教会というのは
電話帳で調べられる教会であり、見えない教会というのは神様にしかわからな
い教会で、見える教会には属していなくてもキリストから与えられた光に従って
いる多くの人々を含みます。教派、宗派に無関係で、仏教徒も無神論者も含ま
れている教会です。それはイエス・キリストについて知る機会が無かったにもかか
わらず、自然界を通して神を知り(ローマ1:20)、聖霊(良心)の命じるままに
神の「律法の命じるところを自然に行う」(ローマ2:14)人々です。
キリストは、キリストを知らない人々の中にも救われる集団を持っておられます。
それはキリスト教への改宗が条件なのではなく、そのまで救ってくださるのです。
それなら、何も布教しなくてもいいではないか、と言われそうですが、布教は
見えない教会から見える教会へと導くことにより、救われる民がともに交わり、
励まし合い、教えあうためです。クリスチャンだけが救われるとは私は考えて
おりません。


はじめましてtemaさん  投稿者:wadja 投稿日: 2003年09月11日 0時31分

>いかがでしょ?

ときかれたので思わず答えてしまいます。本当はtemaさんのカキコに細かく反論する時間がないので、無責任にレスを付けるべきではないのですが。

目的はともあれ、長谷川さんが嘘つきだと主張しているようにしかとれません。少し長谷川さんに対して失礼だと思いました。

広島負けて、阪神M3。ダイエー変わらずM12!!!


創造科学の有用性  投稿者:NATROM 投稿日: 2003年09月11日 0時26分

To: temaさん

面白い解釈ありがとうございます。ご指摘のような側面は確かにあり、temaさんの意見は概ね正しいと私も思います。もともとは創造科学は、アメリカ合衆国の公立学校で創造論を教えたいがためにできたものです。公立学校では宗教を教えてはいけないことになっていますので、「これは科学だよ、宗教じゃないもんね」という理屈で、こっそり宗教を教育の場に持ち込もうとしたのです。心の安定の他に、布教という側面もあったのではないかと私は思いますが、「創造科学を示したい相手は科学者では無く信者です」という指摘こそまさに的を射たものです。科学者を相手にしたいのであれば、創造科学者たちは、教育の現場ではなく、科学の議論の場に自分達の仮説を披露したはずだったからです。長谷川氏の対応についてもほぼ同意ですが、「信者の心の安定を願って」いるのではなく、長谷川氏自身の心の安定を願っているものだと私は考えています。

高度な教育を受けたはずの人に創造科学を支持する人がいるのは、「2の選択肢は、現代社会にて科学の力を利用している市民として選択し難いものがある」と部分に関係してくるでしょう。「科学なんて知らん。とにかく、聖書に書いてあるから創造論は正しい。進化論は間違い」と言うのであれば、私としては何も言う事はありません。科学に関する教育を中途半端に受けたがゆえ、科学の力を無視するわけにはいかず、創造科学のような一見科学的に見える理屈を必要とするのでしょう。同様の現象は、創造科学に限らず、他の疑似科学にも共通して見られると思います。「マイナスイオン」なんて、その最たるもので。


量子論の使い道  投稿者:diamonds8888x 投稿日: 2003年09月10日21時09分

 量子論の場合は自分たちの教義に都合良く解釈して理論的支柱に使う場合が多いようですよ。 >>宗教家さん達

 進化論は結論ははっきりしすぎてごまかしようがないのでしょう。量子論は結論さえ正確には広まっているとはいえませんから、適当に都合良く解釈しても間違いを指摘されない。


根源的ナン  投稿者:大文字ナン 投稿日: 2003年09月10日20時53分

To ぽんさん

ガキの頃からへそ曲がりのハネっかえりで、いつの間にやらヤケに理屈っぽい不良中年になってしまった(笑)私ですが、10年ほど自営業を営んできて思うことは「あ〜、たまに給料とかもらいたいなぁ、あとボーナス!」って感じです(涙。でもまぁ、憎まれッ子世にはばかる、の喩え通りに生きてる気がしますね(謎。

閑話休題。

私が言ってるのは量子論というか、不確定性原理です。神がサイコロを振る、というアレです。この世の根源的な部分で決定論が成り立たない、というものですが(いわゆるコペンハーゲン解釈とも言うそうです)量子論が正しいことがほぼ確定である以上、預言の類いがすべてマヤカシであることもこの世の基本的な規則なんですよ、みたいな主張です。
 #つまり予知能力はすべて否定されちゃいます。なぜなら、予知が出来るならあらゆる可能性が否定されて、時間は決まったひとつの方向にしか向かわないことになるからです。

 今ある仏教はかなり歪曲されたものですが、原始仏教の思想には私も(意味深)実は系統する面があります。神秘的なことを考えず、今を生きることに着目した思想ですが、なんでそれが「拝めば救われます」みたいに歪んでしまったか、というと、やっぱり布教という名の征服欲が絡んじゃったせいなのでしょうねぇ・・・


はじめまして  投稿者:tema 投稿日: 2003年09月10日20時32分

 はじめまして。temaといいます。
 どちらかと言えば、進化論より創造科学(及び、それを信じている人)に興味があり、ここのログを読ませてもらっていました。なかなか興味深いものがあります。
 さて、挨拶変わりにtemaの考える創造科学の有用性を記述したいと思います。
 御感想など頂けたら幸いです。

 宗教の役割の一つに「人の心を安定させる」があります。
 唯一絶対神が存在し、その神が語った絶対の真理として聖書が存在する。迷いが有れば聖書を基に判断すればよい...という状況は、心が安定するものです。
 ところが、近代の科学からは聖書の記述と異なった解釈が出てきました。じゃんじゃんと。これは「聖書は絶対の真理である」という考えに矛盾します。
この時、通常考えられる選択肢は以下の2通りです。
 1. 聖書が間違っていると考える
 2. 科学が間違っていると考える
ここで、1を選択すると心の安定が得られないため選択できません。かといって2の選択肢は、現代社会にて科学の力を利用している市民として選択し難いものがあります。そこで、1も2も否定する選択肢3を作り出します。
 3. 「聖書は絶対の真理である」を公理とし、それに基づく科学体系を構築する
 これが創造科学です。創造科学は、上記の矛盾を感じ迷っている人の心を安定させる事ができます。なぜなら「創造科学は科学である」という前提を置けば、上記に示した矛盾が解消するからです。逆に、この前提を置くために創造科学は科学を名乗る必要があるのです。
 すなわち、創造科学は「科学である」と名乗る事によって成り立つ宗教です。創造科学を示したい相手は科学者では無く信者です。故に科学的でなくとも、矛盾があろうとも、信者が納得し、心が安定するのであれば有効なのです。
 ところが外部から「科学では無い」「矛盾がある」という事を言われた場合、信者の心の安定が危なくなります。この時指導者は信者の心の安定を保つためには、以下の行動を行う必要があります。
 a. 信者の目に触れさせないようにする
 b. 外部からの話は嘘・誤解であると言う
 例えるなら、死の病に倒れ金がない為に助けられない患者に対して、
 A. 「あなたこのままじゃ助からないよ」などと言う人を寄せ付けない
 B. もし、聞かれてしまった場合「彼は素人で判ってないんだ」と言う
 時々、名前が出てくる長谷川氏は信者の心の安定を願って、上記a.b.の
対応を行っている可能性があります。

 いかがでしょうか?


レスありがとうございます  投稿者:ぽん 投稿日: 2003年09月10日 9時05分

大文字ナンさん
>#あ〜こりゃ食えん、と私はフリーになってしまいましたが♪
フリーになる勇気と能力に自信のない我が夫は現在お悩み中です。
自由を愛するぽんですが、いま私が自由に好きなことができるのも、サラリーマンで
頑張ってくれてる夫のお陰なので、悪いなぁ、と思いつつ、二人ともぷーみたいに
なっちゃったら(財政面から)かなり不自由になるんだろうなぁ、、、
と不安になってみたりする今日この頃。。。
理想と現実、ってやつですかねぇ。

ところで、
>創造科学系の疑似科学に傾倒するなら、生物の進化ごときでなく、
>量子論に矛先向ければいいのにねぇ、

量子論は一般人には難しすぎるのです〜
進化論が創造論と矛盾するのはわかっても、
おバカな私には(私は一般人以下かもしれないが)量子論が何をどうやって
ぶち破るのかさっぱり分かりません〜

RYU_TI_SYUさん、PDX.さん、おずおずさん
神とか死後の世界とか、「分からないもの」を「信じ」なければ(しかも他人の言った通りに!)、
人生の目的も、人間の素晴らしさも罪深さも、自然の神秘も素晴らしさも恐ろしさも
感じることができないという自分を、いま一度見つめ直したらいかが?
もしかしたらそっちの方が不幸なのかもしれませんよ?と、
クリスチャンに布教(?)してみたいと思ったことがあります。
カウンセラーじゃないし、使命感もないからやめたけど。


だってしょうがないじゃない -和田 アキ子-  投稿者:GOA 投稿日: 2003年09月10日 8時36分

>量子論に矛先向ければいいのにねぇ、

進化論の詳細はともかく進化という考え方や自然選択説についての基本が理解ができないのですから、量子論を相手にするなんてとても無理なのでしょう。(笑)


そしてループ♪  投稿者:大文字ナン 投稿日: 2003年09月10日 3時43分

 いろんな場所で言われてることですけど…創造科学系の疑似科学に傾倒するなら、生物の進化ごときでなく、量子論に矛先向ければいいのにねぇ、とは、このサイトを知った初期から私が強く思うことです。なんたって「この世の根源的な原理」を表してるんですから、聖書どころかあらゆる預言書の類、機械的無システム論をぶち破るもんねぇ(笑。

 神は万能である、と説いておいて、結局は小さな小さな人間のモノサシ(もしくはただの都合)で「自分にとって喜ばしいことは、他人にとっても喜ばしいに違いない」というジャイア○顔負けの思い込みで突き進むのですねぇ。まぁ言い方を変えると、自分にとって都合の悪いことは神さまを引っ張ってきて「神の御業だから正しい」と自己正当化(もしくは大義名分化)してるだけなのよ、客観視すると。

 それさえも、信念とやらで美しく飾れるのだけど…そしてループは続く
 #ζζζ〜♪


そだよ  投稿者:wadja 投稿日: 2003年09月10日 0時20分

RYU_TI_SYUさんへ

>と、wadja殿にいってもしょーがないな

その通り。というか、sanikuさんはRYUさんに不満を持っている訳ではなくて、進化論が一般的に妥当な科学的仮説として受け入れられていることが不満な訳で、自らの信念に基づくレジスタンスを続けておられるのですな。

あれ?マジック対象チームは広島じゃなかったっけ?なんでマジック減るんだろう?ま、いいや。とにかくタイガースマジック4!ホークスもついでにM12!


(無題)  投稿者:遠藤 投稿日: 2003年09月10日 0時04分

>科学的な考え方がお気に召さなければ理科を教えなければいいのだ。

>確か今は亡き「進化論をめぐる教育の問題」でも
>「科学の授業に創造科学を教えている」
>ことが問題になったはず・・・

>と、wadja殿にいってもしょーがないな。

たしかwadjaさんも参加していたはずです。理科を教えなくてもいいけれど、理科教師であればまずいでしょーな。自衛隊に入った隊員が「自衛隊は違憲」といっている感じかな。


レスありがとう  投稿者:RYU_TI_SYU 投稿日: 2003年09月09日22時40分

>>saniku-aiki殿はなにがご不満なんじゃろうか?

「wadja殿のお答え」
>自分は信じていないが、自分の教え子に進化論をあたかも正しいかのように説くのはやめて欲しい、ってところでしょうか。saniku-aikiさんの教育(救い)の、邪魔をしないで欲しいと。

わしゃsaniku-aiki殿の生徒に説教をした覚えはないぞ。

科学的な考え方がお気に召さなければ理科を教えなければいいのだ。

確か今は亡き「進化論をめぐる教育の問題」でも
「科学の授業に創造科学を教えている」
ことが問題になったはず・・・

と、wadja殿にいってもしょーがないな。

「ぽん殿のお答え」
>神を信じている人、死後の世界を信じている人は、なぜだか分からないけど、
>神を信じてない人、死後の世界を信じてない人は
>人生の目的を見つけられずに不幸である(たとえ本人が気づいてなくても)に
>違いないと信じ込んでることが多いと思います。
>だから、幸せにしてあげたいのです。「福音」を教えて、共に幸せになりたいのです。
>実際、それでお互い幸せになるパターンもあるわけですから、それ自体は
>そんなに悪いことではないと思いますが、、、

お互いとてつもなく不幸になることもあるんできをつけにゃならんな・・・
これは自戒の意味も込めてじゃ


続、そう言えば  投稿者:おずおず 投稿日: 2003年09月09日19時25分

神が存在しないのなら人は人を愛せない。
神が存在しないのなら倫理も正義も存在しない。
神が存在しないのなら人生に目的は存在しない。

...ここまで並べるとなにか見えてくるような...。

要するに多分、
「彼らの教義では、それらは全て神が人に与えたものだから、その枠組みの中で考える限り、
神がいないのならそれらは全て存在し得ない...。」
だけのことなんだ...。

...ま、まさかそんな単純な発想じゃないよね...。


そう言えば  投稿者:PDX. 投稿日: 2003年09月09日17時22分

To ぽんさん

>神を信じている人、死後の世界を信じている人は、なぜだか分からないけど、
>神を信じてない人、死後の世界を信じてない人は
>人生の目的を見つけられずに不幸である(たとえ本人が気づいてなくても)に
>違いないと信じ込んでることが多いと思います。

 そう言えば、2ちゃんねるのオカルト板に、
『死後の世界を信じない方は鬱になりませんか?』
というタイトルのスレがありましたな。
 なんて思い出したり。


ぽん的解釈によれば、  投稿者:ぽん 投稿日: 2003年09月09日 9時07分

RYU_TI_SYU 殿
>saniku-aiki殿はなにがご不満なんじゃろうか?
神を信じている人、死後の世界を信じている人は、なぜだか分からないけど、
神を信じてない人、死後の世界を信じてない人は
人生の目的を見つけられずに不幸である(たとえ本人が気づいてなくても)に
違いないと信じ込んでることが多いと思います。
だから、幸せにしてあげたいのです。「福音」を教えて、共に幸せになりたいのです。
実際、それでお互い幸せになるパターンもあるわけですから、それ自体は
そんなに悪いことではないと思いますが、、、

3ET殿
>>#神は本当に人間の自由を愛しているのだろうか?
>愛していないと思いますよ。私の主観ですが。

ぽんの主観では、聖書の神を考え出した人々は、
(少なくとも初めは)自由を愛していたと思います。
食うには困らなかったエジプトで奴隷として働き続けることを善しとせず、
(「エジプトの肉鍋」を捨てたことになっている)自由を求めて荒れ野に出て行った話
を書いているところを見ると(出エジプト記)。
そして、実際に原始民主体制を短期間ながら実現していたようです。
しかぁし、、、その自由を求めていた人々がだんだん力を持つようになって、
国を持つようになると、組織の維持のため、軍事力増強のために、権力を集中
させざるを得なくなり、それに伴って、建国の精神が崩れ、国が内部崩壊していきます。
建国の精神(自由・平等・民主)に反した政策をとった権力者を
「神に背いた」「だからイスラエルは滅びた」と書いています。(サムエル記、列王記、いわゆる預言書群)
いや、歴史は繰り返すと言うか、人間というのは進歩しているようでしていないというか・・・
現代のアメリカ、イスラエルなんかを見て、そう思っている人は結構多いようです。
しかし、まぁ、確かに答えの出ない難しい問題(個人の自由を尊重したまま、国力増強できるのか)だとは思いますが・・・


神とは裁くものなのか!  投稿者:3ET 投稿日: 2003年09月09日 0時01分

by 阿修羅王。

wadja殿、
>#神は本当に人間の自由を愛しているのだろうか?

愛していないと思いますよ。私の主観ですが。
ユダヤ/キリスト/イスラムのような人格?のある神がいるのならば意見責めにしたいところ。


RYU_TI_SYU 殿  投稿者:wadja 投稿日: 2003年09月08日23時46分

wadja的な解釈におじゃるが、

>saniku-aiki殿はなにがご不満なんじゃろうか?

自分は信じていないが、自分の教え子に進化論をあたかも正しいかのように説くのはやめて欲しい、ってところでしょうか。saniku-aikiさんの教育(救い)の、邪魔をしないで欲しいと。

と、思われ。

#神は本当に人間の自由を愛しているのだろうか?


踏み絵と神秘主義  投稿者:大文字ナン 投稿日: 2003年09月08日22時47分

 ぽんさん(ぴこたんもかわいげでいいと思いますがw)ありがとうございます。

 そうですね、古くからある言い回しを使うと「踏み絵」ってことですね。社会生活を営むにあたって、私たちはどうしても妙な選抜試験に遭遇する局面を迎えます。研究者の皆さんは、教授の意向に沿わねばならないし、会社組織の中では上司やスポンサーの意向で人生が動いてしまうことさえあるのが、私たちの世の中なのでしょう。それが理不尽さを伴わなければ問題ないですが、大抵の場合、かなりアホ臭い理不尽さをベットリねとねとに塗りたくった感じです(笑。
 #あ〜こりゃ食えん、と私はフリーになってしまいましたが♪

 ところで、文さん関係とか、そっち方面てのは、どうしてこう無理やりな理屈で押してくるんでしょうねぇ。健康食品な皆さんも、いつ顔見ても「自然だ、自然だ」のひとつ覚えでかなりウンザリします(笑。どうせならもっと迫力だけで押してくるとか、きちんと酔っ払えるくらいのパフォーマンスを見せてくれればいいのに、とさえ思います(笑。
 まぁ芸としてお粗末だから、理屈に走るしかないんだろうなぁ。スペック馬鹿がカタログ集めに走るのと似ている気がする。


新手の詐欺  投稿者:Kosuke 投稿日: 2003年09月08日22時28分

だんだん手がこんできたようですね。
ダーウィン進化論を持ち上げておいて、自分たちの教理に都合が良いように曲解するという。

>リンク先に文鮮明の名が……

いかにも彼らがやりそうなことだ。


読んでいない。ながめただけ。  投稿者:NATROM 投稿日: 2003年09月08日20時40分

>すべての生き物は、一つのDNAから派生してきたことがわかりました

わかってない。


どうも怪しいなと思ったら  投稿者:クハ72 投稿日: 2003年09月08日19時45分

リンク先に文鮮明の名が……


読んでないだろう  投稿者:GOA 投稿日: 2003年09月08日19時15分

>ドーキンスの「ブラインド・ウォッチメイカー」をこのページの著者さんはお読みになった上で書いているんでしょうかね?

「ダーウィン進化論からの考察」で本人は「読んだ」と言ってますが、読んでないでしょうね。
おせっかいさんもわざわざこうしたHPを引っ張り出したりせず、そっとしてあげればいいのに。(笑)


おなじみのパターン  投稿者:PDX. 投稿日: 2003年09月08日18時45分

To おせっかいさん

 そのURLで示されるページの記述の中で、生物の複雑な構造が自然淘汰では実現できないと
断定していますが、ドーキンスの「ブラインド・ウォッチメイカー」をこのページの著者さんは
お読みになった上で書いているんでしょうかね?
 というか、ダーウィンの「種の起源」もこのテーマには言及しているし、自然淘汰説の登場以
来延々と語られてきて、そして未だに完全に否定されてはいない話題なのですが。
 議論の水準としてはダーウィンのいた時代程度の内容ではないかと思います。


おじゃまします  投稿者:おせっかい 投稿日: 2003年09月08日18時38分

進化論者のみなさんへ。
ここを読んでみませんか?

http://member.nifty.ne.jp/mru/go/page21.htm


ある種の選抜試験??  投稿者:ぽん 投稿日: 2003年09月08日 9時05分

大文字ナンさんへ

>ええと…はっきり言います。こんな馬鹿げた話に納得する高校生がいたら奇跡です。神の業に違いありません。こんな馬鹿なことを言うから、キリスト教にだけは入信しないと私は誓うのです。

キリスト教に限りませんが、様々な宗教がわざと「馬鹿げた話」を「信じる(納得する)」ことを信者に要求するのは、その「馬鹿げた話」を信じるか否かで、ある種の選抜試験をしているのではないでしょうか。
どのような団体(企業・学校など)でも、自分たちのニーズに合った仲間を選んで募集しますから。
神は誰でもお救いになると言いつつ(信じつつ)も、まぁ、大文字ナンさんのような方
には教会にはいらしていただかない方が嬉しいのだと思います。
教会ではなぁんにも考えずにみんなで仲良く癒されたいと言う信者にとって、
ものを考えて意見を言うような人間はちょっと要らないかなぁ、
ということになるのではないでしょうか。
教会の指導者・幹部にとっても、「馬鹿げた話」を「信じる」という「選抜試験」を
突破できて入ってきた信徒の方が、組織の維持にはありがたいし、組織力を使って
何か活動をしようと思うときに都合が良い、というのがぶっちゃけた本音じゃないかな、
と思います(意識的かどうかはともかく)。


火宅のたとえ  投稿者:うだうだ 投稿日: 2003年09月08日 7時46分

禁を破り書き込みする事が非常に心苦しいのですが、おずおずさんが以前おっしゃっていた火宅のたとえに関する、HPをどうしても紹介したくて現れてしまいました。

http://www.petronius.biz/data/kataku.html


まだまだ皆様に進められた本などを読んでいない為、僕は議論には参加できませんが、心静かにROMを楽しませてもらっています。(きっと句読点間違っているだろうな、早く本を買わなくては・・・)


妥当?進化論さんへ  投稿者:大文字ナン 投稿日: 2003年09月08日 2時42分

>極論をいうと、「何となくだが進化論は正しくないと思う」と書かれたら、「進化論を正しいと思う人のことを考えていますか」と返事されていることと同じことだと私は受けてしまいます。

 確かに、そういうコミュニケーション不全はあるでしょうね。
 科学理論と信仰を混同すると、そういうエラーが起きます。科学理論は信じるとか信じないではなく、暫定的に採用するかしないかというものだ、とプレゼンテーションするのは、なかなか難しいことなのでしょう。
 #それさえきちんと踏まえられれば、無駄な議論はほとんどなくなる、とも言える気がする。


wadja殿へ  投稿者:RYU_TI_SYU 投稿日: 2003年09月07日23時20分

>ここでsanikuさんの言う「神」は、極めて狭義なものだと思われます。進化が事実であれば、彼の信じる神は、真実では無くなるのだそうです。
だったら、「進化が起こったと言う事実」を「信じなければ」いいと思うんじゃが・・・

あ、saniku-aiki殿も信じてないのか・・・

わからんようになったな・・・
saniku-aiki殿はなにがご不満なんじゃろうか?


お釈迦様には陳謝  投稿者:diamonds8888x 投稿日: 2003年09月07日18時41分

 確かに、ご本人の話を伺ったのではありませんから。


saniku-aiki さんへ  投稿者:ぽん 投稿日: 2003年09月07日14時58分

ぽん(=ぴこたん)です。

書き込んだ後、余計なおせっかいだったと反省しました。
失礼いたしました。

>進化論の前提条件は、神の不存在です。進化論は神はいないと「信じて」いるのです。
saniku-aikiさんが、こう言い切る理由は、
「創造論の前提は神の存在です。創造論は神はいると「信じて」いる」
からではないでしょうか。
創造「科学」論者が、上記について、(進化論者と同じように)
「それは違います。創造科学は、神の存在を前提としません。
創造科学は神はいると「信じている」のではないのです。
神がいるとかいないとかいう前提条件抜きで、こういう証拠と
こういう批判分析の結果、進化論よりも創造科学のほうが
理にかなっていると思っているだけです。また、他の証拠などが
でてきたら変わるかもしれませんが」
と言えたときに初めて進化論と同じ土俵に乗れるのではないでしょうか。
そうでない限り、同じ土俵に乗って議論を交わすのは、無理があると思います。
別に、「同じ土俵に乗って議論に勝たなければ神の存在が否定される」というわけ
ではないのですから、ムキになる必要もないし、使命感を感じる必要もないと思います。


妥当?進化論さんへ  投稿者:GOA 投稿日: 2003年09月07日12時58分

>それが正しいと思っているだけだと思います。もちろんその自分の書いた考え方を他人へ強要する考えもないし、他人の考え方を否定する気もないと思います。

私は信仰と科学を両立することについての一般化した発言だと捉えました。
ここのように議論が行われている掲示板では特別な但し書きがない限りそのように解釈しないと、いちいちその発言が正否を問わない述懐であるのか確認するという手間が必要となり煩雑になるからです。


信仰と科学  投稿者:Kosuke 投稿日: 2003年09月07日12時52分

>進化論の前提条件は、神の不存在です。進化論は神はいないと「信じて」いるのです。

 進化論は神の不存在を前提とはしていません。神の存在を前提とはしないことと、
神の不存在を前提とすることの間には、深くて大きい溝が有るという事を理解できて
いますか?

 ユークリッド幾何学の公理体系において、神に関する記述は出てきませんが、
数学は神の不存在を前提にしていますか?神について何も言明していませんよね、
それと同じ事です。

 生物が長い年月の間に環境との関わりの過程で変化してきた、という観測事実が
明らかになり、その変化のメカニズムを解明したのが進化論です。
 進化論の記述に神は出てきませんが、その変化のメカニズムを創造した存在として、
神を想定することは進化論を否定する事にはなりません。最初から現在見られる種を
そのまま創造した「神」は存在しませんが、単一の生物から多様な種が生み出される
メカニズムを創造した神は存在すると信仰しても一向に差し支えありません。

 このような神を信仰する科学者の考えに立って原理主義者たちを見てみましょう。
神が否定されていると原理主義者たちが感じるのは、彼らが神の働き−自然のメカニ
ズム−を正しく理解していないからです。

 物体の落下に関する例
 鉄の玉と羽が落下する速度が違う現象を見た人は、鉄と羽はそもそも異なる速度で
落下するように神は創造されたのだ、と考えるかもしれません。そういう事を前提とした
「聖書」を書き上げるかもしれません。ところが真空中ではどちらも同じ速度で落下す
る観測事実を知った後では、それは誤りだと気付くでしょう。空気抵抗の存在が落下
速度の違いを生じているということに。
 さらにいろいろ研究を進めた結果、鉄の玉と羽にかかる引力はその質量に比例して
大きくなること。またさらに驚くべき事に、物体の加速度はその質量に反比例して小さく
なっている事も明らかにされるでしょう。一見単純に思える、重い物も軽い物も落下速度
が一定であることの裏に、大変不思議な法則が存在しているのです。
 正しい信仰を持った科学者は、神は物体の運動をこのように驚くべきメカニズムとして
創造されたのだと、信仰の内容を修正し「聖書」を書き改めるか、解釈の仕方を変える
でしょう。それこそが人知を超えた神に対する誠実な態度だと考えて。
 一方「聖書」の記述は一字一句そのまま正しいとする原理主義者は、聖書の記述に
反するからと、その力学は神を否定していると感じるかもしれません。さて、この原理主
義者は正しく神を捉えているでしょうか。

 信仰と科学が両立するということに懐疑的な方もいらっしゃるかもしれませんが、私は
両立するだろうと思います。それどころか科学に対する正しい理解は、正しい信仰の
必要条件だろうとすら考えます。誤った原理主義に陥らないために。


老婆心ながら  投稿者:wadja 投稿日: 2003年09月07日12時45分

別にsanikuさんの信じる神を理解しているわけでも無いし、sanikuさんの弁護をしようと言うのでもないのですが、

>進化論の前提条件は、神の不存在です。進化論は神はいないと「信じて」いるのです。

ここでsanikuさんの言う「神」は、極めて狭義なものだと思われます。進化が事実であれば、彼の信じる神は、真実では無くなるのだそうです。

#だからといって、進化論を妥当な仮説だと考えることで、あたかも「全ての神の存在を否定」しているかのような批判をされることは、確かに不快ですけどね。


Re:返答3  投稿者:3ET 投稿日: 2003年09月07日11時41分

すでに何名もの方が指摘しておりますが……

>進化論の前提条件は、神の不存在です。進化論は神はいないと「信じて」いるのです。

1.不存在を前提とすることと、2.神はいないと信じること。
この二つの距離がわかりませんか?

1.は、目の前の証拠のみを見て考えよう、です。

2.は、目の前の証拠は全部無視しようです。
(否定肯定に係わらず、信じるとはそういうことです)

私自身で言えば、神については否定も肯定もしません。
進化論は、示された証拠を見るに、ありそうなこと、として受け入れております。
もちろん多少の疑問は残りますが、おいおい、勉強していきたいと考えております。

ちなみに、先日、文庫で「ワンダフルライフ(スティーブン・グールド著:早川文庫)」入手しました。
これから読んでみたいと思っています。


余談  投稿者:ゆん 投稿日: 2003年09月07日10時37分

>進化論の前提条件は、神の不存在です。進化論は神はいないと「信じて」いるのです。

自分が「信じて」いない物を、他人にあなたはそれを「信じて」いるんだって
言われるのってすごく不愉快です。露骨に不愉快であることを表明する事自体
が、相手にとっては私がその対象を「信じて」いる事の揺るぎない証拠として
受けとられるため、普段はあまり口にしませんが。
# このsaniku-aikiさんの発言は私に向けたものではありませんが、進化論を
# 支持している人間全般に向けたメッセージになってると思います。

「信じる」「信じない」の二極では無く、その中間の「信じもせず、信じなく
もせず」と言う態度が有り得るということは理解してもらえないのかしらん。


そこまでは  投稿者:妥当?進化論 投稿日: 2003年09月07日10時22分

>>神は非科学的な存在だと思いますから、進化論に神を関係させたら、それは信仰と両立させたことになる、と思います。

>それで満足する人はいるでしょうが、そうでない信仰を持っている人や無神論の人の気持ちはどうなるのでしょうか?踏みにじっても構わないのですか?

以前私も同じようないわれ方をしたので気になったことなので。これは思ったことに対して自分はそう考えているし、それが正しいと思っているだけだと思います。もちろんその自分の書いた考え方を他人へ強要する考えもないし、他人の考え方を否定する気もないと思います。(もちろんカンタスさんが そうではない いえば引っ込むことですが)
極論をいうと、「何となくだが進化論は正しくないと思う」と書かれたら、「進化論を正しいと思う人のことを考えていますか」と返事されていることと同じことだと私は受けてしまいます。

私の発言で皆様に様々な反論を受けたときに、気になったことであり、カンタスさんも同じ気持ちになっていたらと、よけいな勘ぐりをして書き込ませていただきました。

よけいなことながらと失礼いたしました。


理解してないのはお互い様  投稿者:RYU_TI_SYU 投稿日: 2003年09月07日 9時50分

>神は非科学的な存在だと思いますから、進化論に神を関係させたら、それは信仰と両立させたことになる、と思います。

そうであるならば、ご随意に・・・


ちょっと視点をずらせば...  投稿者:おずおず 投稿日: 2003年09月07日 9時18分

> 仏教徒にも、イスラム教徒にも、無神論者にも、むろん進化論者の中にも
救われるものがいると私は理解しています。説明が滑稽に思われるかもしれま
せんが、仏教徒がお釈迦様を信じて天国に行ったら、そこで出会ったのはお釈
迦様ではなくて、イエス・キリストだったということなのだろうと私は思います。

saniku-aikiさんが天国へ行ったら、そこで出会ったのはイエス・キリストではなくてお釈迦様だったということになる可能性もあり、てことですね?


今市  投稿者:GOA 投稿日: 2003年09月07日 9時01分

カンタスさん

>神は非科学的な存在だと思いますから、進化論に神を関係させたら、それは信仰と両立させたことになる、と思います。

それで満足する人はいるでしょうが、そうでない信仰を持っている人や無神論の人の気持ちはどうなるのでしょうか?踏みにじっても構わないのですか?


思うに...  投稿者:おずおず 投稿日: 2003年09月07日 8時58分

>以下より、わしの疑問
>「進化論」に限らず、あらゆる「科学理論」がどこかの宗教の教義を否定すると思うんじゃが
>どうして、「進化論」だけを「キリスト教徒」だけが批判するのが目立つのじゃろうか?

聖書の記述と進化論があまりにも明確に対立するからでしょうね。
「種は主が造られた。(従って、変化しない)」

にしても、人の精神活動は非物質である「魂」の働きであって、「魂」は体が死んでも存在し続ける、という、多分あらゆる宗教に共通する考え方は「大脳生理学」で否定される(少なくとも相当な矛盾を生じる)と思うんですけど、輸血を否定する宗教はあっても、大脳生理学に異を唱える宗教が存在しないことは不思議です。

言語野を破壊されたら、魂の内、言語関係の部分だけ先に天国に行くのだろうか?
少なくとも地上にいる患者さんの魂からは言語作用の一部は完全に昇天しているように見える...。
口だけの魂が天国の門をくぐったら、神様も閉口するだろうな...。


いまいち  投稿者:カンタス 投稿日: 2003年09月07日 8時28分

ちゃんと理解できていませんが、
おそらく「そういうこと」と答えて問題ないと思います。
神は非科学的な存在だと思いますから、進化論に神を関係させたら、それは信仰と両立させたことになる、と思います。


3ETさんのご指摘通りです  投稿者:クハ72 投稿日: 2003年09月07日 7時39分

「罪の支払う報酬は死である」「イエスは肉体を伴って復活された」……これらを支持できるだけの証拠はありません。証拠がない→否定も肯定もできない→だから信じる、これが信仰ではないでしょうか。従って3つ目のご質問は無意味です。まあ僕はルターではなく英国国教会にルーツを持つ年末の鍋で有名な某団体の所属ですが…。
前者2つに関してですが、僕個人の信仰に限定される問題なので回答は困難ですし、もしかしたら不可能かもしれません。

ところで
>科学は神の存在も不存在も証明できないので、神については信じるか信じないかのどちらかです。
仰る通り!ですから進化論に限らず科学には神が出てこないんです。


相変わらずわかってないのう  投稿者:RYU_TI_SYU 投稿日: 2003年09月07日 7時14分

>進化論の前提条件は、神の不存在です。進化論は神はいないと「信じて」いるのです。
進化論に限らず、あらゆる科学理論は神の不存在を前提としとるんじゃがのう・・・
神を前提にしてしまえば、
「全ては神のみ業」で終了じゃな。

>神はいないという前提で考えれば、私も進化論は正しいと思います。
>科学は神の存在も不存在も証明できないので、神については信じるか信じないかのどちらかです。
そうじゃが・・・

以下より、わしの疑問
「進化論」に限らず、あらゆる「科学理論」がどこかの宗教の教義を否定すると思うんじゃが
どうして、「進化論」だけを「キリスト教徒」だけが批判するのが目立つのじゃろうか?
まあ、ここの掲示板が進化論の掲示板ということもあるんじゃろうが・・・


ああ、なるほど!!  投稿者:RYU_TI_SYU 投稿日: 2003年09月07日 6時50分

>信仰と進化論が両立するということなのでは?>RYU_TI_SYUさん
そういうことかぁ



そういうことなのか?>カンタス殿

昨日は西武にいやぁな負け方


返答3  投稿者:saniku-aiki 投稿日: 2003年09月07日 6時33分

3ETさんへ

>進化論の話ですが、これを「支持」しても「信じて」いるわけではないと思いますよ。

進化論の前提条件は、神の不存在です。進化論は神はいないと「信じて」いるのです。
神はいないという前提で考えれば、私も進化論は正しいと思います。
科学は神の存在も不存在も証明できないので、神については信じるか信じないかのどちらかです。

おずおずさんへ

>「火宅の人」の教えを読まれたことは?
ありません。 ほかの宗教の人が家に来たことはもちろんありますが、
私は断りました。

ぴこたんさんへ

貴重なご意見ありがとうございます。
せっかくご心配してくださってありがたいのですが、
私は逆のようです。創造論を巡る問題で、自分の信仰が試された結果
聖書を勉強し直した結果、前よりももっと自分の信仰に確信を持つよ
うになりました。聖書を学べば学ぶほど、神様の愛の深さを知るよう
になりました。私としては聖書を鵜呑みしているつもりはなく、
自分なりに考えた結果ですので、びこたんさんのご経験は大変残念なことだと
思いました。


(無題)  投稿者:カンタス 投稿日: 2003年09月07日 5時03分

すみません;
2人ではなく3人でした・・。
本当にありがとうございました。。


返信有難うございます。  投稿者:カンタス 投稿日: 2003年09月07日 1時16分

返信くださったお2人、ありがとうございました。
自然選択について、全く無知な自分に気づかされました。
また、勉強して疑問に思うことが出てきたらお邪魔しますね。
ありがとうございました。


自己矛盾  投稿者:大文字ナン 投稿日: 2003年09月07日 0時53分

saniku-aikiさん、返答ありがとうございます。

>自然界を通して神の存在を知り、イエス・キリストの名前を知らずに、礼拝する
>ようになると神はいうのです。私が進化論に強く反対するのは、進化論が本来神を
>指し示すはずの自然界を通して、私から言わせれば誤った道へと導くからです。

納得のいく信仰です。しかし、そう思うのでしたら、布教など必要ありませんね。というより、あくまで人間である教徒の皆さんが、理解の足りない人の言葉で救いを説いたとしても、逆に誤解されてキリストを信じられなくなる人が増える、とは思えませんか?

私はキリストの行いは(今風に言うと♪)リスペクトされて然るべきだった、とは思います。しかし一方、その後に弟子たちが行った布教や、教会が行った様々な過ちは、キリストの教えとは根本的に対立することばかりだ、と思っています。
 #宗派が違うからこの批判は妥当じゃない、なんて逃げ口上はやめてくださいね。

>彼にとって、酒がない天国にいて
>永遠に神と顔をあわせるのが拷問に等しいのなら、神の愛は彼を天国で拷問の苦
>しみにあわせるよりも、地獄で滅ぼすことを良しとするのです。

ええと…はっきり言います。こんな馬鹿げた話に納得する高校生がいたら奇跡です。神の業に違いありません。こんな馬鹿なことを言うから、キリスト教にだけは入信しないと私は誓うのです。saniku-aikiさんは完全に「神の言葉を代弁」しています。それはとてもとても恥ずかしいことだと思えませんか?

>小さな親切をしたとき、何と
>も言えない心の喜びがわき上がらなかったでしょうか。

揚げ足をとるつもりはありませんが、その小さな親切が相手にとって迷惑だった時はどう思うのですか?さきほど、滅びるのも神の愛と言っておいて、でもやっぱり干渉するのですか?大きな矛盾ですね。滅ぼすことも神の愛=親切の一種であるなら、この考え方も成り立たないではありませんが…要するに大国の首脳と同じことを言っているだけですね。


Re:返答1   投稿者:Kosuke 投稿日: 2003年09月07日 0時37分

深夜につき、取り急ぎ御返答。

貴方の誠実さは伝わっております。
後ほどじっくり議論させて頂きましょう。


Re:進化論+創造論??   投稿者:大文字ナン 投稿日: 2003年09月07日 0時29分

To カンタスさん

創造科学は擬似科学であり、批判されて当然ですが、創造論そのものを否定するつもりは(あまり)私にはありません。またそこが、信仰と科学が両立出来る接点だと思うのです。進化の根本にあるのは「偶然」であり「不均一」であり「無軌道」ですが、人間が信仰を抜きに考えても、想像を絶する確率でしかあり得ない「自然選択」という仕組みがあること、あるいはもっと原点に戻って、原始宇宙に生まれたほんの僅かな密度の偏り(=ゆらぎ)が、恒星を生み、惑星を生み、やがて地球を育てたことなど、そういう背後に「神がいるのだ」という意見を、私は否定しません。なるほどそういう考えも十分に成り立つ、と私は思います。
 #もっとも、私に信仰はありませんが。


仏教  投稿者:ぽん 投稿日: 2003年09月07日 0時25分

たんぽぽさま
>いや、本当に、だれだか、ぜんぜんわからなかったですよ。
いやはや、ボケボケで失礼しました・・・

diamonds8888xさん、おずおずさん

>お釈迦様自身はdiamonds8888xさんが失望したくなるような人ではないと、ボクは思っています。
私もおずおずさんのご意見に同意します〜。
多分、聖書の「幼子」の表現が曲解されて伝わってしまったのと同じことが起こったのではないでしょうか。
私は、お釈迦様のことは知らないんですが、親鸞と法然の運動のことをテレビでやってるのを見たことがあって、本当に素晴らしいと心から感激したことがあります。
それでも、キリスト教から仏教に転向しないのは、思想と運動の核心にはあまり違いがないと思ったので、わざわざ転向することもないかな、と思ったわけです。
聖書のことなら、子どものころから聞いて育ってるけど、仏教のこととなると、一から勉強しなくちゃなりませんから面倒だしね。
それに、聖書が生まれたパレスティナの地に何かと関わりのある人生なので、これも縁かな(←仏教用語?)ってかんじで。

>仏教思想もちと知ろうかと英訳対照の本を呼んだのですが、いきなりこういう話がでてきてその先を読む気を無くしました。お釈迦様(シッダルタ)にも失望した。

きっと、キリスト教会も、クリスチャンも(私も含めてだけど、)同じようなこと(人を失望させるような教義を振りまいたり)をさんざんしてるんだと思います。
聖書自体の思想、イエスが実際にやった運動の素晴らしさが、キリスト教の普及率に比べてあんまりにもいきわたってない現実は、キリスト教会とクリスチャンの最も大きな「罪」を示してますね。
いや、本当に、まじでそう思いますよ。

遠藤さま
>しかしだからといって、聖書の主張がまったく分からなくなるほどひどいものでは無いようです。
私も同意します。
私は聖書もキリスト教もどんどん批判されるべきだと思っていますが、それは、否定するのとは違っていて、「現代人のまっとうな批判精神に耐えうる価値があるはずだ」と思っているから、と言えるのかもしれません。
その意味では、「聖書を信じている」ということになるのかなぁ。

>聖書を一字一句正しいと認めるか、それとも単なる人間の創作物と見なすか、
私自身は、聖書は人間が書いた人間の書であると思いますし、「全知全能の神」という擬人化された神は人間が創り出した概念だと思っています。
でも、それでも、「全知全能の神」を規定(仮定?)した上で創り出された聖書の主義主張、理想、世界観、人間観は、本当に素晴らしいものだと思っています。
このような思想を創り出しうる人間を創られたのは、神だ、創造主である神がいるはずだ、とおっしゃる方にはあえて異論を唱えません。
私自身は、いるのかいないのか「分からない」という立場を大切にしたいと考えているのですが・・・。


???  投稿者:wadja 投稿日: 2003年09月07日 0時22分

To:sanikuさん

大文字ナンさんが、

>「私の信じる限り、救いは〜」などと表現するべきではないでしょうか? 

と言ったのは、「救いはキリストにしかありません。」という発言が、異教徒に対する侮辱にも脅迫にもなりうるからだと思います。

さらに質問です。

>ヨハネ10:16「わたしには、
この囲いに入っていないほかの羊もいる。その羊をも導かなければならない。
その羊もわたしの声を聞き分ける。こうして、羊は一人の羊飼いに導かれ、
一つの群れになる。」

この部分は、異教徒をクリスチャンに改宗させる(イエスの言葉だから、クリスチャンにとういのは不正確かもしれないけど)という決意表明にとれるんですけど。一般的な聖書の解釈として、「囲みの外にいる羊(異教徒)も、神は救う」、で正しいのですか?


カンタスさんが言いたいのは  投稿者:wadja 投稿日: 2003年09月07日 0時04分

信仰と進化論が両立するということなのでは?>RYU_TI_SYUさん

To:カンタスさん

進化論は、偶然に起こる突然変異のみを、進化の仕組みだと考える説ではありません。カンタスさんの進化論の理解には、自然選択という重要な概念が欠落しているように見えます。進化論に興味があるのなら、一度この掲示板の管理人さんのHPを読むことをお勧めします。

しかし、進化の根本には、偶然という要素があるとの理解は間違っていないと思います。その偶然に神の意思が介在するのかしないのかという問題は、自然科学や進化論の領域を超えるもので、否定も肯定もできるものではありません。仮に、実際に現れる突然変異に神の意思が働いていると信じたとしても、科学や進化論がそれを否定することは無いと思います。

阪神昨日(は、ヘロヘロに酔っていたのでさよならホームランを見逃したが)とマジック変わらず。それでもM6ぅー!


返答2  投稿者:saniku-aiki 投稿日: 2003年09月07日 0時03分

大文字ナンさんへ

>>救いはキリストにしかありません。
>あなたの信じる教義においてはそうなのでしょう。しかし、ここは様々な信条を持つ方が集まる場所ですから「私の信じる限り、救いは〜」などと表現するべきではないでしょうか? 

 聖書はこういっています。
「ほかのだれによっても、救いは得られません。わたしたちが救われるべき名は、
天下にこの名(注:イエス)のほか、人間には与えられていないのです。」使徒行伝4:12
ですから、キリスト教ではたとえばお釈迦様によって救われるとは教えていません。
あくまでキリストによる救いです。しかし、同時に知っていただきたいのですが、
キリスト教徒だけが救われるとも教えていません。ヨハネ10:16「わたしには、
この囲いに入っていないほかの羊もいる。その羊をも導かなければならない。
その羊もわたしの声を聞き分ける。こうして、羊は一人の羊飼いに導かれ、
一つの群れになる。」
 仏教徒にも、イスラム教徒にも、無神論者にも、むろん進化論者の中にも
救われるものがいると私は理解しています。説明が滑稽に思われるかもしれま
せんが、仏教徒がお釈迦様を信じて天国に行ったら、そこで出会ったのはお釈
迦様ではなくて、イエス・キリストだったということなのだろうと私は思います。
これは、何を信じていても救われるという意味ではありません。キリストを信じ
る以外に救いはないのですが、キリストを知らない(信じないではない!)人々
に対しては、神様はその事情を考慮してくださって、救われる場合があるという
見方です。たとえば、1549年以前の日本人はキリスト教を知らないわけですが、
だからといって神は1549年以前の日本人をみな滅ぼすとは私は信じていません。
「世界が造られたときから、目に見えない神の性質、つまり神の永遠の力と神
性は被造物に現れており、これを通して神を知ることができます。従って、彼ら
には弁解の余地がありません。」ローマ1:20
 自然界を通して神の存在を知り、イエス・キリストの名前を知らずに、礼拝する
ようになると神はいうのです。私が進化論に強く反対するのは、進化論が本来神を
指し示すはずの自然界を通して、私から言わせれば誤った道へと導くからです。

>もちろん信者が一人もいなくても、とにかく救うのが愛ではないでしょうか?

以前高校生からも同じようなことを言われました。理解していただくのが
難しいかもしれませんが、救わないのも神の愛の表現だと私は思っています。
もちろん神は全ての人を救うことがおできになります。でも、そうすることが
一部の人にとっては苦痛になるのです。天国と言うところは、人間が何でも好きに
できるところではないでしょう。「酒はうまいし、ネーチャンはきれいだ」とか
昔歌がありましたが、天国に酒はたぶんないと思います。すると、大酒のみで
酒が好きでたまらない人はその状態のまま天国に行っても何の楽しみもなく
苦痛になるのではないでしょうか。天国になんかいたくないから、早く酒がある
地球?に戻してくれ!と言うことでしょう。彼にとって、酒がない天国にいて
永遠に神と顔をあわせるのが拷問に等しいのなら、神の愛は彼を天国で拷問の苦
しみにあわせるよりも、地獄で滅ぼすことを良しとするのです。それは
彼の望みでもあるからです。ですから、私は滅ぼされる人さえも、神様滅ぼして
くれてありがとうというとさえ思っています。
大切なことは、天国に行くかどうかは、人間の選びだと言うことです。神様を信じない人を救わないのは、本人が救いを望まないからなのです。天国は
人間の王国ではなく、神の王国です。神に従えない人は、そこに住むのが苦痛
になるのです。私たちがキリスト教を伝えるのは、その人が天国に行っても
苦痛に思わないように、この地上にいるときから神の国に住む経験をしてもら
いたいからでもあるのです。

>神が救うのか、人が救うのか、これでは分かりません。あるいは、神の領分の救いを人が成せるということでしょうか?

 救いはあくまで神様のわざです。人は神様の働きを手伝うことが許されています。
人を救う喜びを神は人間に与えてくださったのです。小さな親切をしたとき、何と
も言えない心の喜びがわき上がらなかったでしょうか。そうした喜びの経験を
神は独り占めしないで、人間にも分けてくださったのです。こんな所にも神の深い愛
を私は感じます。互いに助け合うように、人間同士の愛を深めるチャンスとして
神は人間に役割をお与えになったのです。


横レスですが……  投稿者:3ET 投稿日: 2003年09月06日23時20分

saiku-aiki様。
>なぜ、聖書と科学を信じる立場を取られるのですか。

科学は信ずる物ではありませんよ。信仰の対象ではないのです。
なので、聖書を信じることと、進化論を「受け入れる」ことは両立します。
ヨーロッパ・アメリカの科学者にとっては普通のことだと思いますが?


ご意見、ご要望がございましたら、掲示板か、 e-mail:natrom@yahoo.co.jpへどうぞ。


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