進化論と創造論についての掲示板ログ95

2002年04月22日〜2002年04月26日
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考える葦さんへ  投稿者:ハッター 投稿日: 2002年04月26日 7時17分

 私の質問にはお答えいただけませんか?

>神は人類を中心的存在に造っているようです。

とおっしゃるのは考える葦さんの支持なさる宗教的な考えにおいてであって、科学的に人類の位置を考える場合は生命の進化の過程で生じた一グループに過ぎないのが今のところ妥当かもと思って差し支えないんですよね。

私個人の宗教的信念としては神は人類を中心的存在に造っているとかんがえています。

という風に発言するわけにはいかないんでしょうか。


創造分類学と全知全能  投稿者:伊勢田 投稿日: 2002年04月26日 4時11分

NATROMさんへ
>私が切り捨てたのは、分類学者が作り上げた分類体系ではなく、
>「目内の形態的変化はありえても、綱内の形態的変化は
>ありえない」という根拠のない主観的な主張です。
神という科学者さんの議論のテクニックにも問題はありますが、
NATROMさんのつっこみかたもちょっと変なんじゃないですか?
神という科学者さんの言っていることをわたしなりにパラフレーズすると、
「本質的種というものがあるのは確かだが、それがどういうグルーピング
なのかは調べてみないと分からない、作業仮説としては分類学者のいう
目あたりが本質的種の候補になるのではないか、ただし分類学者はヒトに
関しては大幅に勘違いしているようだ」というようなことでしょう?
つまり、創造科学はまったく新しい分類学を作ろうとしていて、そのための
単なる足がかりとして既成の分類学を利用する、という話なわけです。
それに対して「「目」を恣意的に特権化している」とか「ヒトの話の時だけ
基準が違うのは恣意的」とかいう趣旨の批判をするのは弾がそれてしまうと思います。

ついでに。神の全知全能については神学や哲学で長い長い論争の歴史があります。
「神は矛盾律に縛られるか」というのもその論争の一つのトピックです。
全知全能がいろいろ矛盾した帰結につながるのはよく知られていますが、
ある立場によれば、それは単に論理法則そのものも所詮被造物にすぎず神様自身を
拘束することはできないということの証拠でしかありません。


全知全能でないかもしれない??  投稿者:たまごちゃん 投稿日: 2002年04月26日 1時40分

こんばんは
世種亜さん、いい味出していますねぇー。ソクラテスみたいで。

神という科学者さんへ、
>神は天地創造において、無秩序な「なんでも可能的な」神ではなさそうだということを表現したかったのです。

「何でも可能的な」ことを通常、「全知全能」って言うんだと思いますよ。

私個人としては、この世界の不完全さを見ると、こんなものを創った奴がいるとしたら、そいつは「全知全能」でないか、「善なる存在」でないかどちらかだろう、キリスト教やユダヤ教の神は旧約聖書を(字面だけを追っ て)読んだかぎりでは、「全知全能」でも「善なる存在」でもない、と、思っています。これは私の個人的な印象で、このような科学的な発言が求められているサイトで披露すべきものでないことは十分承知しています。し かし、神という科学者さんの、「神の全知全能性」に対する微妙な発言を読んでいるうちに、披露して、神という科学者さんの反応を見てみたいという衝動を抑えられなくなってしまいました。わたしは、神の「全知全能性 」や、「善性」を疑うような発言は、ほぼ全てのクリスチャンの反感を買うものだろうと考えていましたが、もしかしたら神についてのわたしの印象は、クリスチャンの強い反発を招くとは限らないのですか?

ところで、神様はなぜ、まだ「善悪を知る木」の実を食べていない善悪を知らない人間に、実を食べないこと(善悪の判断をし、自由意志によって善いことを選択すること)をお求めになったのでしょう。また、自由意志を 尊重してくださっているならなぜ、神様に従わなかったら罰をおあたえになるのだろう。「Aをしてもしなくてもあなたの自由だけど、もししたらぶっ殺す。」というのは、事実上、Aの禁止と変わらないと思うのですが? もし、神様にアダムとイヴが「知恵の木の実」を食べることが前もって分っていたわけでないのならば、もしかして、「知恵の木の実」を食べる前に「生命の木の実」を食べないという確信もなかったのでしょうか?もし、 「知恵の木の実」の前に「生命の木の実」を食べてしまうと、人間は永遠に生きてしまって神様の計画丸つぶれな気がするのですが・・・。  
と、失楽園ネタになると、クリスチャンにうかがいたいことはたくさん有るのですが、どれも、このサイトで尋ねるべきことでは有りませんね。神という科学者さん、不信人者にも親切で素朴な疑問に答えてくれるキリスト 教のサイトを教えてはいただけませんか?進化論vs創造論の流れとはまた別に、旧約聖書を主な材料にして話をしてみたいです。


超人的な  投稿者:ノリリン 投稿日: 2002年04月26日 1時37分

行き当たりばったりに書き散らかされた文章を聖書にまとめた司祭超人的能力こそ
全知全能
その力業こそ奇跡
人として真に崇めるべきは、紙の上の神ではなく、そのような人の起こす奇跡であろう
・・・
と、思うのだが、これは儂の個人的な信条にすぎんな。
それより、これも今となっては推測しかできんが、多神教→一神教と恣意的に作り上げていった
ユダヤの司教達は本当に神を信じていたんだろうか?儂はそうは思えないんだが・・・
と、夜更けに非科学に関する思考をしてみる。
貴方は神を信じますか?


全知全能?それとも行き当たりばったり?  投稿者:クハ72 投稿日: 2002年04月26日 1時01分

 創世記6章5−6節を読む限り全知全能とは言えないわけで、その場の思い付きで万物を創造したんじゃないかとさえ思えます。で結局洪水で滅ぼさざるを得なくなったと。


無知無能マシーン  投稿者:ピクミン@復活有り難う 投稿日: 2002年04月26日 0時38分

なるほど、
その条件下での思考であってそれを超えた神がどのような「能力」の存在か
は不確かで私達にははっきりとは知れないという限界性があると思います。

なるほど、神はどんなものかは分からない。どんな意図を持つ可さえ分からない。それとなく、
罠を仕掛けて陰からそっと見てると。まるで息子のベッドの下になにがあるのか知らない振りを
しているおかあさんのようなものだと言いたいわけですね。
それにしては神という科学者さんは神さんのありようについてあれこれ推測が過ぎるような気が
しますが・・・


神様の能力ははっきりしない  投稿者:世種亜 投稿日: 2002年04月25日22時10分

神という名の科学者さんへ

私は誤解しているでしょうか?私は神という名の科学者さんの言葉を言い換えただけなのですが。

>もし、アダムとエバが必ず堕落を選択するということを神がはっきり分かっていたのなら、そんな創造は最初からなされていないはずです。

未来に何が起こるか分かっていなかった。つまり神様は全知全能ではない。ということですよね。


>その条件下での思考であってそれを超えた神がどのような「能力」の存在かは不確かで私達にははっきりとは知れないという限界性があると思います。

つまり、神様はどのような「能力」を持っているかはっきりしない存在ということですね。「全知全能」だなんて誰が言い出したのでしょう?不思議です。


偶然じゃないの?  投稿者:GOA 投稿日: 2002年04月25日20時48分

考える葦さん

>うわさをすればなんとやら、というのがありますよ。

「噂をすれば影がさす」ですね。それって科学的に証明された事実だったんですか?
噂話をしていて当人が来ることより来ないことの方が断然に多いと体験上感じているのですがどのような調査結果があるのでしょうか?

「人のうわさも七十五日」なんていうけど、調べた人がいるのかな?

とにかく神という科学者さんも考える葦さんも未知の現象が実在すると言うのなら、まず信頼出来る調査結果を提示してください。ギャグでやっているわけじゃないですよね?


祈りの力  投稿者:考える葦 投稿日: 2002年04月25日20時03分

GOAさんへ
 うわさをすればなんとやら、というのがありますよ。関心を持つことは、祈りに似たパワーがあり、ひょっこり遭遇ということがままあります。仏教では、縁起といいますが、祈ることで縁が喚起されることがあります。 わら人形で祈り殺すというのはいただけないですが。
 愛を持ってよく祈る人を霊性の高い人というのでしょう。


共通の主  投稿者:考える葦 投稿日: 2002年04月25日19時11分

NATROMさんへ
 特別意識は、誰でも持っているのではないでしょうか。自分は、他人とは違う、特別なんだという意識。個別意識とでもいいましょうか。個性あるものには必然ですね。加えて、皆同じなんだという全体意識というものも あります。
 愛のない個別意識が差別意識になり、偏見になります。全体意識とバランスをとらなくてはなりません。創造論から個別意識だけが生まれるというのは偏見で、全体意識も生まれます。神は、共通の主(あるいは親)なの ですから。


Re:神は全知全能ではない  投稿者:神という科学者 投稿日: 2002年04月25日18時38分

世種亜さんへ
>つまり神様は全知全能ではない。未来に何が起こるかはご存知ない。ということでよろしいでしょうか?
それなら人間の自由意志も努力も意味があると思います。

前回の表現「神はやみくも的に無秩序的に全知全能ではない」が誤解を皆さまに与えたようです。もちろん私の考えであることは断りましたが、この文で私が表現したかったことは、神は「ある原理」をもって創造されてお り、あくまでも「人間の自由意志」を尊重しておられるようだということです。

神は天地創造において、無秩序な「なんでも可能的な」神ではなさそうだということを表現したかったのです。

ですから、神はエバとアダムの間違った選択(堕落)に対して、それをあえて止めようとされなかったのだと思います。(「ピクミン@復活おめでとう」さんへ:聖書の中でアダムとエバが取って食べたのはリンゴではなく 「善悪を知る木」の木の実です)

伊勢田さんも触れておられましたが、因果律も時間も空間も神が創造されたものだとすれば、その条件の中で私達も思考せざるを得ないと思います。その条件下での思考であってそれを超えた神がどのような「能力」の存在 かは不確かで私達にははっきりとは知れないという限界性があると思います。

ですから、私は神を外から上から中から観察できる存在ではありませんので、神(創造主)は全知全能であるかないかはもちろん私には断言できません。繰り返しますが、先回は神は人間の自由意志を尊重なさるのだという ことが言いたかったことなのです。


いるのか?  投稿者:GOA 投稿日: 2002年04月25日17時17分

>ここで私のいう「霊性」とは人間の物質性(肉体)を超えた能力(感覚)の存在のことです。人は喋らなくても他人の気持ちを感じることができたりします。あるいはその人が「嘘」をついていても、その本心を感じたり することも出来ます。

表情やしぐさから相手の感情を察知するのは人間に限らず他の動物でも行っていることでしょう。しゃべらなくても他人の気持ちを感じるというのはそうしたものを介してのことではないですか?
例えば目隠しと耳栓をされた被験者Aとを仮定します。そしてAの前にBという人間をおきます。BはCから質問を受けますがそれについては答えません。
このときAはBがウソをついていることを見抜く確率はどの程度でしょうか?
もし霊性が実在するなら偶然の確率より高くなると予想されますが、そのような実験結果はあるのでしょうか?
簡単な実験と思われますので神という科学者さんが実際にやってみてはいかがでしょうか?
(多少厳密性には欠けるかもしれませんが)

>あるいは遠く離れた目に見えない人の感情を強く感じたりすることがあります。そんなことを経験された方もおられるでしょう。あるいはそれは人間生活における日常茶飯事のようにも思いますが。

こんな経験をもつ人が果たしているのか疑問です。
遠くにいる目に見えない人の感情の起伏を読み取ることができる人間がいればまさに超能力者ですが、公認されたそのような能力を持つ超能力者はいるのでしたらあげてください。
遠くにいる恋人に電話をして「君の声が聞きたかったんだ」「私もそうなの」とかいう話を元に「心が通じ合っている=霊性が実在する」などと言っているのではないですよね?
「虫のしらせ」なんていうのも「たまたま(悪い)予感が的中してそれが記憶に残っている」という以上に確からしさを確立しているとは思えませんが。
とにかく具体的な現象に触れないと判断のしようがありません。


リクイグアナの霊性  投稿者:NATROM 投稿日: 2002年04月25日10時24分

>もちろん人為的ですが、動植物の分類を分類学の碩学たちがそれなりの原理と妥当性によって時間をかけて作り上げたものでしょうから、一言「人為的なものだ」で切り捨てるような発言はいかがなものでしょうか。

私が切り捨てたのは、分類学者が作り上げた分類体系ではなく、「目内の形態的変化はありえても、綱内の形態的変化はありえない」という根拠のない主観的な主張です。現代のどの分類学者も、綱、目、科、属といった分 類は人為的なものであり連続的であり、地球上のすべての生物が共通祖先を持つことに同意するでしょう。


>神による創造論を科学的に理論的に立証する為に研究者グループが今後結成されることと思いますが、今のところは創造論者の意見は日本ではそれぞれの個人的見解に過ぎないので、諸説がいろいろと生じるのは過渡的現 象だと思います。それは進化論における諸説の存在と同じだと思います。

進化論には諸説ありますが、大意においての合意はなされています。創造論と一緒にすべきではありません。また私の指摘「創造論者は恣意的な判断基準を持っている」は、複数の創造論者がそれぞれ異なる判断基準を持っ ているという意味ではなく、ある一人の創造論者の中で恣意的な判断基準があると言っているのです。

つまり、「すべてのカエルは基本的な一つがいのカエルから生じた。サルは基本的な一つがいのサルから生じた」という創造論者やらと、「さまざまなカエルは個別に創造された。さまざまなサルも個別に創造された」とい う創造論者やらがいるのであれば、「諸説がいろいろある」と言えますが、ある一人の創造論者が「すべてのカエルは基本的な一つがいのカエルから生じた」ということを認めている一方で、「ヒトはヒトであり、原人とは 個別に創造された」などと主張しているのであれば、その創造論者は恣意的は判断基準を持っていると言えます。

神という科学者さんはどうなのですか?目内の形態的変化がありえるのであれば、テナガザルやチンパンジーやヒトが共通祖先から変化してきたことも認めるはずなのですが、今度は「人間の霊性」とやらを持ち出します。 結局、「人間だけは特別だ」という人間中心主義的な考えを肯定するために恣意的は判断基準を持っているのではないですか?

#これも以前言ったけれども、リクイグアナの創造論者は「リクイグアナ」独自の能力は進化論で説明できないとしてリクイグアナは神に似せて個別に創造されたと考えるだろう。ウミイグアナのような下等な生物と祖先を 共有しているなどと考えるはずはない。しかし、一方では、リクイグアナの創造論者は、サルでひとくくりされる生物は共通祖先からの形態変化はありえるとする。テナガザルもチンパンジーもヒトも本質的種に含まれるの だ。これは著しく「リクイグアナ中心主義的」な考えだが、人間の創造論者の主張を考えると、リクイグアナの創造論者だけを責めるのは酷だろう。


地球が丸いとする説では説明できない  投稿者:NATROM 投稿日: 2002年04月25日10時23分

>人間の霊性はどこから? 投稿者:神という科学者  投稿日: 4月24日(水)17時23分11秒
>ここで私のいう「霊性」とは人間の物質性(肉体)を超えた能力(感覚)の存在のことです。

神という科学者さんは、いわゆるテレパシーやら、テレキネシスやらの存在を信じていらっしゃるのですか?もちろん存在が証明されていないだけで、本当は存在するかもしれませんが、人間に特異的な能力であるとは限り ません。いわゆるESPを信じていらっしゃる方の中には、動物も超能力を持つと主張する人もいます。超能力ではなく、

>喋らなくても他人の気持ちを感じることができたりします。あるいはその人が「嘘」をついていても、その本心を感じたりすることも出来ます。

といった意味での「霊性」であれば、存在を否定するつもりはありませんが、いったいなぜ進化論に不利な証拠になるのでしょう。ちょっとした仕草や表情から相手の感情を読み取る能力は自然淘汰の対象になります(#) 。過去において、相手の感情をうまく読み取ることのできない個体はライバルと比較して、子を残すのが下手だったでしょう。そもそも、こういう能力を「人間の霊性」と呼ぶこと自体が人間中心主義的です。神という科学 者さんは犬を飼ったことがおありですか?犬が飼い主の感情を読み取る能力は、平均的な人間以上だと思います。あるいはチンパンジーでもいいです。

#感情を読み取る能力に遺伝的な背景が存在しうることについては強力な証拠がある。他人の感情を読み取ることが困難である疾患があり、その原因の一つに遺伝的な背景があることははっきりしている。つまり、遺伝的に 、感情を読み取ることがうまかったり、下手であったりするのだ。これらの現象を、創造論ではどのように説明するのでしょう。


>この点が進化論の第3番目の弱点(私流には説明不可能)であると考えています。

感情を読み取る能力、あるいは愛情や憎しみといった感情が進化論で説明不可能だと神という科学者さんが考えるのは、単に神という科学者さんが進化論をよく知らないからなのではないでしょうか。「進化論ではこれこれ のことは説明不可能だ」と断言できるほど、進化論のことをご存知なのでしょうか。


いくどか挙げた喩え話ですが、創造論者が「進化論ではこれこれのことは説明不可能だ」と言うのは、地球は球ではなく大地が平らだと信じている人が「地球が球であるはずがない。なぜなら、地球が球だとすれば、裏側に いる人たちは落っこちてしまうはずではないか。地球-球説では、ブラジルにいる人たちが落っこちないことを説明できない」と言うようなものです。もちろん、創造論を信じようが、大地が平らだと信じようが、それは自 由ですが、科学的仮説に反論しようとするならば、その仮説についていくばくかの知識は必要であると考えます。


RE:それは人間の問題  投稿者:世種亜 投稿日: 2002年04月25日 7時08分

GOAさんへ

その通りと思います。


科学自体は権威主義ではない  投稿者:世種亜 投稿日: 2002年04月25日 7時03分

谷庵さんへ

>プリオン説は批判に耐え、今では多くの研究者に受け入れられています。これは科学が権威主義ではないことの証明だと思っているのですが。

そうですね。その通りですね。科学自体ではなく人間側の問題ということでしょうか。丸山工作氏はプルシナーの説が怪しげだと書き、人格攻撃もしていましたが、ノーベル賞をもらった現在はどう思っているのだろうか、 と思います。


神様は全知全能ではない  投稿者:世種亜 投稿日: 2002年04月25日 6時44分

神という科学者さんへ

つまり神様は全知全能ではない。未来に何が起こるかはご存知ない。ということでよろしいでしょうか?

それなら人間の自由意志も努力も意味があると思います。


RE:マイ神様  投稿者:世種亜 投稿日: 2002年04月25日 6時34分

考える葦さんへ

「マイ神様」は本の受け売りですが、いい考えだと思います。一人一神様。
各人が自分の考えでそれを深めていく(進化させる)ことが大切と思います。

記憶が不正確なのですが仏陀は次のようなことを言ったそうです。
「教えとはイカダのようなものである。川を渡るには必要なものだが、渡りきったら不要になる。不要になった教えは捨てなさい」
「私の教えが未来永劫正しくあり続けるなどということはありえない。」

ひとつの考えに固執してしまってはダメということですね。常によりよく更新しないと。


無矛盾かも  投稿者:世種亜 投稿日: 2002年04月25日 6時13分

ピクミンさんへ

>全知全能の存在は自己矛盾するからあり得ないと結論が出たんじゃなかったっけ?

過去ログ見てみました。ありました。ありがとうございました。面白い議論でした。しかし、よく考えてみると自己矛盾していない気もします。


日本経済  投稿者:世種亜 投稿日: 2002年04月25日 6時08分

ヘルメス☆さんへ

>まさに日本の経済を指し示しているような気が・・・
>努力しても資産を残せない、がんばって儲けても税金に消えるんじゃ、働く気にもならんだろう。

私の使ったたとえがあまりよくなかったかも・・・。早く景気が良くなってほしいですね。これからは日本もアメリカ式競争社会になるのだろうか。


いじけちゃないけど  投稿者:最近革離さんに苛められ気味のwadja 投稿日: 2002年04月25日 1時05分

苛められることに喜びを感じ始めてたりして(W

誤解の無いよう追舗:

「the older is the better」はやみくもに、用いるわけではありません。

1.安全性に関する情報が不十分な時(新発売は大抵これにあたってたりして)
2.情報開示はあっても、信用できない時(○印食品とか...Amen!)
3.情報開示はあっても、考えるのが面倒なとき。
4.情報開示はあっても、味の好みに一致しないとき。

は、older is betterで行きます(キッパリ)。

wadjaはタバコ吸いますけど、タバコが安全だとは決して思ってない。河豚ちりの白子を食べる時は、それなりの覚悟はあるもんね。

#でも、虫はあんまり食いたくないなー。>食品会社の皆様

>それで人間始祖が堕落する可能性もあったし、堕落しない可能性もあった。

神という科学者さん。全知なれば、可能性なんて検討する必要ないでしょ。ピクミンさんにかぶるけど。


無秩序な全知全能  投稿者:ピクミン@復活おめでとう 投稿日: 2002年04月24日23時40分

私の考えでは神はやみくも的に無秩序的に全知全能ではないということです

そりゃ面白い考えですね。
儂ですら、エバがリンゴを食べて、アダムが尻馬に乗る事は容易に予想が付きますが・・・
そんな事が分からなければ、全知全能どころか無知無能ですな。

となれば、全知全能を僭称してる神さんか信者さんかのどちらかか、両方が嘘つきという事にな
りますね。

というか、アダムとエバがリンゴを食べて”堕落した”というのはかなり幼稚な解釈のような気
がしますが、原理主義的にはそれでいいんですか?


Re:全能の神は人間の自由意志を否定するか?  投稿者:神という科学者 投稿日: 2002年04月24日18時02分

世種亜さんへ
>神様が全知全能だとしたら、ある人間の将来というのも全てご存知なわけです。つまり未来に何が起こるか決まっているわけです。ということは、人間が何をしようとも変えられないわけです。

私の考えでは神はやみくも的に無秩序的に全知全能ではないということです。何故ならば、その証拠は人間始祖は堕落してしまったからです。神は人間に自由意思を与えたのです。それで人間始祖が堕落する可能性もあった し、堕落しない可能性もあった。しかし、人間始祖は自由意志で堕落の道を選択したのです。それは神が人間に自由意志と自由行動を与えていたからです。
もし、アダムとエバが必ず堕落を選択するということを神がはっきり分かっていたのなら、そんな創造は最初からなされていないはずです。

>また、人間の全ての行動は神様が知っている通りに全てが進むとしたら、人間の自由意志というものは否定されてしまうのではないでしょうか?確かに自分の意思で選択したと思っても実はあらかじめ決まった通りの選択 なのです。

神は人間の自由意志を尊重されるのです。その選択肢はいろいろご存知でしょうけど、そのどれを選択するかは最愛の子たる人間の自由意志に任されているのだと思います。そうでなければ人間は神のロボットになってしま います。それでは神が人間を自分に似た創造性のある子として創造した意味がなくなると思います。(生物の中で唯一人間だけが自由な創造性を持っている。)

>このように、全知全能の神の存在を想定してしまうと、人間から努力する意味を奪い、自由意志を否定することにはならないのでしょうか?

マタイ伝第7章の中で「求めよ。そうすれば、与えられるであろう。捜せ、そうすればみいだすであろう。門をたたけ、そうすれば開けてもらえるであろう。…悪い者であっても、自分の子供にはよい贈り物をすることを知 っているとすれば、天にいますあなたがたの父はなおさら、求めてくる者に良いものを下さらないことがあろうか。」イエスはここで人間の自由意志による努力を認めておられます。神は人間に自由意志を認めたが故に、逆 にこの世にまだ神の国(天国)が訪れていないのです。もし、ロボットのような存在であったら、それなりの「天国」はとっくの昔に地上に実現していたことでしょう。人間が自由意志と創造性をはっきして神の国を創って いかなければならないと思います。


人間の霊性はどこから?  投稿者:神という科学者 投稿日: 2002年04月24日17時23分

NATROMさんへ
>オランウータン、チンパンジー、ゴリラ、テナガザル、ヒヒ、ヒトは同じ目に含まれますが、これらの形態変化は「長い時間の間の遺伝子的組換えで有りうるかもしれない」とお考えなわけですね。別に「神が原人の胎を 借りて関与した」などと考える必要はないのでは。

「考える葦」さんのこの「原人の胎を借りる」という考え方は聖書の表現どおりに身体を「土のちり」よりアダムとエバ(人類の最初の男女)を創造したという創造説よりは受け入れやすいアイデア(解釈)だと思います。

これは考える葦さんが以前指摘されたように人間に「霊性」を持たせるためには、ある時点ではっきりと原人と最初の男女を区別しなければならないという意味合いからの表現であると理解したらよいのではないでしょうか 。

ここで私のいう「霊性」とは人間の物質性(肉体)を超えた能力(感覚)の存在のことです。人は喋らなくても他人の気持ちを感じることができたりします。あるいはその人が「嘘」をついていても、その本心を感じたりす ることも出来ます。あるいは遠く離れた目に見えない人の感情を強く感じたりすることがあります。そんなことを経験された方もおられるでしょう。あるいはそれは人間生活における日常茶飯事のようにも思いますが。

これらの現象は人間を空間的に限定された「物質の塊」と考えていたらかなり説明しにくいことではありませんか。それは個人の思い過ごしだといわれる人がいるかもしれませんが、しかし、それはとにかく自分とは何か違 う意識(目の前の他人の意識や遠く離れた他人の意識、あるいは何か違う別の霊魂のようなもの働きか?のどちらか)が自分に働き伝わるということを、はっきり認識することが出来る場合が私にはままあります。

人間の愛情と憎しみはどちらもとても強い感情ですが、特にこれらの感情は人間を物質的肉体的な側面だけだと考えては説明できないような空間を超えた力と時間を超えた力(影響力)を持っています。一般には第6感(シ ックスセンス)とかテレパシーとか言ったりもしますが。

人間の霊魂(霊性)や霊界の存在を信じる人もこの世には多いのですが、これらの存在を、進化論ではどのように説明するのでしょうか。

この点が進化論の第3番目の弱点(私流には説明不可能)であると考えています。

>#ゆんさんが的確に指摘しているが、綱、目、科、属といった分類は人為的なものだ。

もちろん人為的ですが、動植物の分類を分類学の碩学たちがそれなりの原理と妥当性によって時間をかけて作り上げたものでしょうから、一言「人為的なものだ」で切り捨てるような発言はいかがなものでしょうか。

>「目内の形態的変化はありえても、綱内の形態的変化はありえない」と考えるに足る合理的な理由はないように見える。神という科学者さんがどうだかはわからないが、一般的に創造論者は「神」の関与なしにどこまで生 物が変化しうるかについて、きわめて恣意的な判断基準を持っている。

神による創造論を科学的に理論的に立証する為に研究者グループが今後結成されることと思いますが、今のところは創造論者の意見は日本ではそれぞれの個人的見解に過ぎないので、諸説がいろいろと生じるのは過渡的現象 だと思います。それは進化論における諸説の存在と同じだと思います。


補足  投稿者:ハッター 投稿日: 2002年04月24日17時14分

1999年12月号を見てください。


ノーベル賞のこと2  投稿者:ハッター 投稿日: 2002年04月24日17時12分

 PDX.さんがおっしゃった事に近い調査についてかかれています。

http://www.nikkei.co.jp/pub /science/page_2/magazine/index.html

これによると科学者は無神論に傾いているが、宗教との対立も好まないということですね。


神様の真意はわからない  投稿者:ハッター 投稿日: 2002年04月24日16時54分

 横からチャチャを入れるようですみません。考える葦さんに私が言いたかったことは伝わったのでしょうか。

>神は人類を中心的存在に造っているようです。

とおっしゃるのは考える葦さんの支持なさる宗教的な考えにおいてであって、科学的に人類の位置を考える場合は生命の進化の過程で生じた一グループに過ぎないのが今のところ妥当かもと思って差し支えないんですよね。

私個人の宗教的信念としては神は人類を中心的存在に造っているとかんがえています。

という風に発言するわけにはいかないんでしょうか。
ほんとにしつこくて申し訳ないんですけど。


謙虚になるべき  投稿者:考える葦 投稿日: 2002年04月24日16時32分

NATOROMさん、wadjaさんへ
 確かに、神は人類を中心的存在に造っているようです。神のごとき愛と創造性が賦与されていますので。しかし、そうであればあるほど人類は謙虚にならねばなりません。かつての選民思想のように傲慢になってはいけな いわけです。
 イエスも「仕えられる者より仕える者になりなさい」と言っています。


マイ神様  投稿者:考える葦 投稿日: 2002年04月24日13時02分

世種亜さんへ
 イエスは、思いを尽くし精神を尽くし主なる「あなたの神」を愛しなさい、と言っています。イエスは自分の神観を強要していないことが分かります。まず各人が抱く神様を愛しなさい、としています。だからマイ神様は とても重要です。


ちょっと論旨とはずれますが  投稿者:PDX. 投稿日: 2002年04月24日12時17分

 誰の言葉だったか、

「科学の世界に権威なんていない。専門家がいるだけだ」

という言葉が好きです。
(そうであるべきだ、とか、そうであって欲しい、という意図の言葉かもしれませんが)

 目にしたのはたぶんグールドの本だと思うんですけどね。


 グールドといえば「ダ・ヴィンチの二枚貝」を今読んでいます。
 第14章「重ならない教導権」で、アメリカでの創造科学の活動についてフランスやイタリアのイエズス会の司祭らがグールドに「どうなっているのか」と尋ねたというエピソードが書かれているのですが、なんとも(汗 )


それは人間の問題  投稿者:GOA 投稿日: 2002年04月24日10時00分

世種亜さん

科学そのものが権威になったり、人間が先入観を捨てきれず必ずしも合理的に振舞わないからと言って「科学的思考は権威によらない」ということへの反証にはならないように思えます。それを用いる人間の問題ではないで すか?
あとは谷庵さんのご指摘のとおりだと思います。


権威主義?  投稿者:谷庵 投稿日: 2002年04月24日 8時13分

>世種亜さん
>「どのような権威にも依らない」ことはすばらしいことですが難しいことかもしれません。科学自体が権威になっていたりして。プリオンでノーベル賞をもらったプルシナーは、「感染性のタンパクなんてありえない」「 インチキ野郎」みたいなことを言われてイヤな目に合ったらしいです。

これはむしろ、当初トンデモだと思われたことでも真実であると証明されれば認知されると言うことを表しているのではないでしょうか。それまでの定説をひっくり返すような説が批判を受けるのは当然のことで、それに耐 えられない説は消え去ります。プリオン説は批判に耐え、今では多くの研究者に受け入れられています。これは科学が権威主義ではないことの証明だと思っているのですが。


あれ?全知全能  投稿者:ピクミン@復活おめでとう 投稿日: 2002年04月24日 7時23分

全知全能の存在は自己矛盾するからあり得ないと結論が出たんじゃなかったっけ?


それって・・・  投稿者:ヘルメス☆ 投稿日: 2002年04月24日 5時09分

>世種亜さんへ
>例えば、努力すれば金持ちになれると思って努力するわけです。いくら努力しても怠けても未来は変えられないとしたら努力する意味はなくなります。

まさに日本の経済を指し示しているような気が・・・
努力しても資産を残せない、がんばって儲けても税金に消えるんじゃ、働く気にもならんだろう。
知り合いが言っていたけど、今の就職難は「企業が欲しい人材がいなさ過ぎる」のだそうだ。

気合の入った若者が少ないのかなぁ。
と、爺むさいことを言う自分・・・


話は違うかもしれませんが  投稿者:ヘルメス☆ 投稿日: 2002年04月24日 4時11分

知恵の伝承に関連するかな?
今日の読売新聞にありました。


http://www.yomiuri.co.jp/04/20020423ic43.htm


全能の神は人間の自由意志を否定するか?  投稿者:世種亜 投稿日: 2002年04月24日 0時28分

神様が全知全能だとしたら、ある人間の将来というのも全てご存知なわけです。つまり未来に何が起こるか決まっているわけです。ということは、人間が何をしようとも変えられないわけです。

例えば、努力すれば金持ちになれると思って努力するわけです。いくら努力しても怠けても未来は変えられないとしたら努力する意味はなくなります。

また、人間の全ての行動は神様が知っている通りに全てが進むとしたら、人間の自由意志というものは否定されてしまうのではないでしょうか?確かに自分の意思で選択したと思っても実はあらかじめ決まった通りの選択な のです。

このように、全知全能の神の存在を想定してしまうと、人間から努力する意味を奪い、自由意志を否定することにはならないのでしょうか?


ありがちな質問かもしれませんが、どう思われますか?


RE:アダムの教育  投稿者:世種亜 投稿日: 2002年04月24日 0時09分

猿のイモ洗いの例で考えますと、最初の猿が川にイモを落としてしまった。これを引き上げてみると泥もついていないので食べやすかった。それを見ていた他の猿がまねをしてみた。これはいいということになって群れ全体 に広がった。改良版も生まれた。海で洗うと塩味がきいていてうまかった。こうして猿のイモ洗いは代々伝わることになった。
これを人間にあてはめればイモ洗いはやがて、科学になり宗教になり、教育になったのではないでしょうか。


科学的思考  投稿者:世種亜 投稿日: 2002年04月23日23時48分

GOAさんへ

仰ることはよくわかります。あえて少し違うところを書いています。

>科学的思考と民主主義は「どのような権威にも依らない」ということで共通しています。と言うより民主主義がなければ科学的思考は芽生えなかったでしょう。

「どのような権威にも依らない」ことはすばらしいことですが難しいことかもしれません。科学自体が権威になっていたりして。プリオンでノーベル賞をもらったプルシナーは、「感染性のタンパクなんてありえない」「イ ンチキ野郎」みたいなことを言われてイヤな目に合ったらしいです。


神様は個人的なもの?  投稿者:世種亜 投稿日: 2002年04月23日23時24分

考える葦さんへ


>事実か比喩か比喩ならば何を意味するのか。基本的には各人の祈りにゆだねられています。

各人が祈った結果にゆだねられているということは、その結果が各人によって違うこともあるということですね。宗教というのは個人性が高いものなのですね。宗教は「各個人が自らどう生きるか」という問題なのでそうな るのも当然ですね。個人個人が「マイ神様」を持っているということになるでしょうか。


>生命の連続性という観点で、仰るように原人は猿人の胎を借りて創造された考えます。

そうなると猿人は原始猿類の胎を借りて創造され、原始猿類は原始哺乳類の胎を借りて創造され、原始哺乳類は原始爬虫類の胎を借りて創造され、ついには単細胞生物までたどりつくのでしょうか?それとも、どこかに超え られない壁があるのでしょうか?
私にはこれはまさしく進化論ではないかと思えます。


wadjaっちへ    投稿者:革離@隆行 投稿日: 2002年04月23日23時17分

>「最近使われ始めた物よりは、古くからあるものを」に落ち着きそう

そうですかあ〜
タバコなんか特にお勧めでございますなあ.

「古き良き時代症候群」は危険だと思う革離でございました.
新しけりゃ良いわけでも無論ありませんがね.

>素人が調べだすと、情報の取捨選択が結構難しい。あきさんのように化学式見ただけで、大体その性質を判断するなんて、素人には無理だし。

そのためにはあきさんが少し前に書きこまれておられましたように詳しい情報後悔が一番なのでしょうが,
これね↓
>製造業者からの可能な限りの情報開示はしてもらいたいものです

ごく普通の原料の安全性の証明が一番難しいのですが・・・・どうやればよろしいんでしょう?


たまごちゃん様へVOL2  投稿者:革離@隆行 投稿日: 2002年04月23日23時10分

実は『植物の種分化と分類 飯岡亜緒著 養賢堂』は10年くらい前に大学の授業で使っていた本です.今だ持っているのが不思議なのですが・・・・・大学の図書館等に置いてあるとは思いますので見かけたら借りられた らいかがでしょうか?
さて私の場合10年くらい前の大学の知識を食いつぶしながら書きこんでいますので,書いている内容が古くかつ不正確だったりします.あとどうしても植物に知識が偏っているのですよねえ〜〜.
要約も不得手だったりしますので,情報源の著書やリンク先を載せることで対処していたりするわけです.

元々条件<1><2>を持ち出したのは,神による創造を信じている人達とのやり取りで根本の神の存在を論じても全く話が先に進まないということ及び,そうした神を信じている方々はおうおうにして『神が生物が作った 』という説明だけで満足してしてしまいその後の繁殖方法及び(一度に放ったので無ければ)既にある生態系へのリリースの方法についてあまりに無頓着であるため一度質問が必要であろうと思って持ち出しました.
多分管理人さんの方がもっと上手く質問されると思いますよ.

P.S.ライトトラップ
工場に設置されるライトトラップとフェロモントラップですが,害虫の発生状況の確認及びそのデータを利用しての駆除計画立案用に置かれることが多いです.無論トラップで虫を取り除く,製品混入を防ぐという目的もあ りますが,実際に生息している数に対して捕まる数がずっと少ないため結局駆除する場所をチェックするのに使われる感じとなります.
理想の状態は工場のなかには虫はいない,というのですが現実に昆虫生息数を皆無にするのは不可能です.というよりそういった工場で作っている製品を私は食べたくないなあ〜〜
なぜ皆無が無理かと言うとぱっと思いついて三点
<A>使用原料が穀類とかだとそれに卵が入ってくる場合がある.卵は微小なのでちょっとでも粉塵が舞うと死角に落ちる場合がある.
<B>工場というのは大体が工業団地にあるが,そこでは緑地帯を何%とか敷地に作ることが義務付けられていることがほとんどである.そして緑地帯にも害虫は結構存在する.原料搬入口等工場にはどうしても開口部があ る.大抵害虫の混入を防ぐ工夫はなされているが,彼らはほんのちょっとした隙をつけばよいのだ.
<C>機械やダクトは複雑な構造をしている.一度住みついた害虫が隠れる場所は幾らでもあるのだ.

ということで皆無とはいきません.ちなみに全くトラップにかかっていないのに虫のクレームが返ってくることもあるのです.

ではでは


原人に失礼?  投稿者:wadja 投稿日: 2002年04月23日22時35分

>生命の連続性という観点で、仰るように原人は猿人の胎を借りて創造された考えます。

キリスト教において、人間が神に似せて作られた特別な生き物であることを知っていれば、理解できないことはないのですが...。やっぱ管理人さんと同じく「人類中心主義」と感じてしまう。

ところで、表現や目だの網だのの区切りはともかく、考える葦さんはご自身の考えと進化論をどう区別しているのだろう?不思議だ。

#私的感想としては、「進化は、生物の優劣を測る尺度ではない」と言い切る進化論の方が良いな。


お仕事ご苦労さんです  投稿者:wadja 投稿日: 2002年04月23日22時26分

>あとは自分であたって下されwadjaさん。

ま、冷たい。でもお仕事中にもかかわらず、ありがとうございます。

素人が調べだすと、情報の取捨選択が結構難しい。あきさんのように化学式見ただけで、大体その性質を判断するなんて、素人には無理だし。つーことで、素人はやはり「最近使われ始めた物よりは、古くからあるものを」 に落ち着きそう。

#とか言いながら、サッカリンの「弱い発癌性」も、使われ始めてから百年以上たって明らかになったりする。

そうそう、過剰に取りすぎるのも良くないんでしたね。

#酒減らすか。景気も悪いし。


ノーベル賞のこと  投稿者:PDX. 投稿日: 2002年04月23日20時43分

To 考える葦さん

>現にノーベル賞受賞者の多くがユダヤ・キリスト教系の人が多いですね。

 これはいささかアンフェアな基準なのでは?
 ノーベル賞受賞者の多くが欧米人だというだけのことではありませんか?

 平和賞とかならともかく、理化学系のノーベル賞を得た人々の多くは欧米の大学で学んだ人たちであり、欧米に生まれたことで、そうでない人々(途上国に生まれた人々)に比べて地理的にも経済的にも有利だったという だけのことではないでしょうか?

 ノーベル賞受賞者の中に占める欧米人の中で、ユダヤ・キリスト教系の人とそうでない人の割合を求めて、それを欧米人全体でのユダヤ・キリスト教系の人とそうでない人の割合と比較するべきではないでしょうか?


そうですね  投稿者:GOA 投稿日: 2002年04月23日20時42分

考える葦さん

>近代から現代の民主主義の発展の原動力となったのは、中世カトリックに対するプロテスタンティズムです。信仰の自由を求めた運動に起因しています。

私はそのような流れを否定する気はありませんし、そのように述べてもいません。
たびたび引用されるニュートンも熱心な信仰者であったことも事実でしょう。
そのように科学的手法による事実追及が信仰と対立しないにも関わらず、あたかも科学が信仰を否定するかのように喧伝されていること、そして証拠に基づかない主張を行うことを問題視しています。
大勢いるノーベル賞受賞者の中のただ一人でもいいですから神の存在を前提としたあるいは根拠を示さずに理論を発表したり発見を行った人はいるでしょうか?

創造科学者は聖書の記述に矛盾しなければ証拠もなしにどんな滅茶苦茶な理論も平気で唱えます。考える葦さんの名付け親の方はそのような態度をとってましたか?


自由な発想の源  投稿者:考える葦 投稿日: 2002年04月23日20時07分

GOAさんへ
 近代から現代の民主主義の発展の原動力となったのは、中世カトリックに対するプロテスタンティズムです。信仰の自由を求めた運動に起因しています。
 神の観念は、信仰しない人にとっては束縛のように感じるかもしれませんが、実は自由な発想の源になっています。見えないものを見る力が養われるのでしょう。現にノーベル賞受賞者の多くがユダヤ・キリスト教系の人 が多いですね。さらに音楽の父バツハとか教育の父ペスタロッチも熱心な信仰者です。
 ちなみに私の名付け親も科学の世界で業績を残しました。生涯リンゴを食べなかったというのは行き過ぎでしたが。


革離@隆行 さんへ  投稿者:たまごちゃん 投稿日: 2002年04月23日19時28分

種の増加ネタへのレスありがとうございました。とりあえずすすめて下さった本を書店で探してみます。

ところで、引用して下さった表に非常に見覚えがあったため。大学の生態学や進化、分類学関係の授業でもらったプリントをひっくり返してみました。すると、(ほぼ)同じ内容の表が4つも出てきました。(さがせばもっ とあるのかも。)内1つは表の名前が 表6ー1でした。もしかすると、そのプリントの表の出所も、『植物の種分化と分類 飯岡亜緒著 養賢堂』だったのかもしれないですね。
ちなみに、たまごはマイアーのファンですが、異所的種分化以外の種分化も支持しています。


ちがう  投稿者:ゆん 投稿日: 2002年04月23日19時12分

>報告者である神父

神父じゃなくて牧師でしたね。
失礼。


狼少女カマラ  投稿者:ゆん 投稿日: 2002年04月23日19時11分

そうそう、本題とは全然関係ないですが

>オオカミ少女の例にあるように、人間は教育されて
>人間らしくなるところが他の生物に比べて著しく違
>うところの一つだと思いますが、進化論ではどのよ
>うに説明されますか。聖書では、天使の関与が推測
>されるのですが。

この狼少女というのは有名な「カマラ」の事だと思いますが
実はこのカマラが狼に育てられたというのは報告者である神
父のでっち上げであるとかそんな話を最近どこかで見かけま
した。どこかWeb上で見かけた覚えがあるのですがうっかり
Bookmarkをし忘れたのでちょっとすぐにはURLを出せません。
見つけ次第また書き込みます。

そんなわけで、狼少女の例を教育によって人間が変わる事の
例として持ち出すのはちょっと不適切かも知れないのでした
(もちろん、考える葦さんの議論の本筋には影響無いです)。


Re ささいなことですが  投稿者:たまごちゃん 投稿日: 2002年04月23日19時10分

> ここのところここの掲示板でもマル数字とか使用されていたので(^_^;
 ちなみにマル数字の1,2,3…はMacの標準フォントだと(月)、(火)、(水)と読めてしまいます(笑)

ズバリ、私の書き込みですね。マック使用者の皆さんごめんなさい。ちなみに、あの書き込みをしたときはたまたまWindowsでしたが、普段はマックを使っているので、自分で入れたまる文字で自分も被害を受けてい ます・・・。


アダムの教育  投稿者:考える葦 投稿日: 2002年04月23日19時03分

 オオカミ少女の例にあるように、人間は教育されて人間らしくなるところが他の生物に比べて著しく違うところの一つだと思いますが、進化論ではどのように説明されますか。聖書では、天使の関与が推測されるのですが 。


たった3日で  投稿者:たまごちゃん 投稿日: 2002年04月23日18時58分

たった3日来なかっただけでこんなに大量の書き込みを読む羽目になる。根本的に、自分が来なかった間に書き込まれた内容を全て読もうという発想自体が、このような活発な掲示板では間違っているのでしょうか?新しい 話に入っていく元気が少し無いので、私に対して書かれた内容にだけレスをします。書いて下さった人達自信が、すでに忘れていそうで少し怖いけど・・・。

谷庵さんへ

>横レスで申し訳ないのですが、

そんなこと全然無いです。ご忠告ありがとうございます。

>ただ、ダブルスタンダードという便利な言葉がありますので、そちらを使った方が簡単だと思います。

確かにその通りです。実は、ダブルスタンダードという言葉は用いようかとも思ったのですが、無意味に使う単語の数を増やすのもなぁ・・・、と思って、結局止めてしまいました。やはり、使った方がよかったですね。た だ、ダブルスタンダードという言葉を使っても、私の書き込みの文字数自体はおそらくそんなに減らせなかったと思います。詳しい説明をせずに、例えば、「進化論を支持する側も、ダブルスタンダードは避けなければなら ない。」とだけ書いたとしたら、どなたかから必ず、「ダブルスタンダードなのは創造論者の方だろう」と、言うようなつっこみを受けてしまうでしょうから。

>少々変換ミスが多いのではないでしょうか。

本当に仰るとおりだと思います。出来るだけ気を付けるようにはしているのですが、以後、ミスを減らせるように頑張りますね。


これで解決  投稿者:tomohiro 投稿日: 2002年04月23日16時40分

 受験の悩み、進学の悩みお母さま方どうしていますか。
一度相談してみませんか、悩み解消します。医学部
大変ですね。
 (^ニ^) (^○^) (^◇^) >^_^< (*^_^*) \(^O^)/
 バイクもいいね。ボロバイク125cc/走行65000キロ
エンジンまだ快調。


本質的種  投稿者:NATROM 投稿日: 2002年04月23日16時35分

>世種亜さんへの回答 投稿者:神という科学者  投稿日: 4月22日(月)19時09分20秒
>つまり、同じ「目」内の形態的変化はあれでも長い時間の間の遺伝子的組換えで有りうるかもしれない。それは連続的な変化によって可能性が有るかも知れない。

オランウータン、チンパンジー、ゴリラ、テナガザル、ヒヒ、ヒトは同じ目に含まれますが、これらの形態変化は「長い時間の間の遺伝子的組換えで有りうるかもしれない」とお考えなわけですね。別に「神が原人の胎を借 りて関与した」などと考える必要はないのでは。

#ゆんさんが的確に指摘しているが、綱、目、科、属といった分類は人為的なものだ。「目内の形態的変化はありえても、綱内の形態的変化はありえない」と考えるに足る合理的な理由はないように見える。神という科学者 さんがどうだかはわからないが、一般的に創造論者は「神」の関与なしにどこまで生物が変化しうるかについて、きわめて恣意的な判断基準を持っている。例えば、同じ科に含まれるアウストラロピテクスがホモ・サピエン スに変化することは認めないのに、すべてのカエル目の生物はノアの箱舟にのせられていた一つがいのカエルからわずか4500年で変化したなどと主張する。
#人類中心主義的ですな。


生命の連続性  投稿者:考える葦 投稿日: 2002年04月23日10時52分

世種亜さんへ
 聖書には、絶えず祈りなさいとあります。事実か比喩か比喩ならば何を意味するのか。基本的には各人の祈りにゆだねられています。イエスも全きものになりなさい。と言われています。人は誰でも神のごとき者になれる ということです。
 人間は、時代の恩恵を受けながら心霊と知能を発達させてきています。幼いときには、喩えを多くして表現されたと思います。
 生命の連続性という観点で、仰るように原人は猿人の胎を借りて創造された考えます。かつて厳しい地球環境で恐竜やシダ植物ががんばっていたお陰で今があると思います。さらに彼らは死んで化石になってからも私たち のために燃料を提供してくれているのですから。


仕事中だからこれだけ!!  投稿者:革離@隆行 投稿日: 2002年04月23日 9時38分

GOOGLEで『添加物 認可 チクロ』で検索かけました↓

ht tp://www.google.com/search?q=%93Y%89%C1%95%A8%81@%94F%89%C2%81@%83%60%83N%83%8D&hl=ja

あとは自分であたって下されwadjaさん


進化論だけとは限りません  投稿者:GOA 投稿日: 2002年04月23日 3時14分

世種亜さん

>心配も尤もだと思います。しかし、世の中に出て、進化論や創造論が役に立つという場面というのはあまりないかもしれません。

もちろん進化論そのものが世間で役に立つ場面は限られています。ただ、私が心配しているのは同様の論法が他の場面でも用いられるという可能性です。
例えば日本でも陪審員制度に似た市民が裁判に参加できる制度が検討されています。
そのような中で「はじめに結論ありき」で、それにあわせて証言の一部を本来の意図とは外れていても取り上げる(創造科学が用いる手段)ような人間が存在することは危険だと考えます。
科学的思考と民主主義は「どのような権威にも依らない」ということで共通しています。と言うより民主主義がなければ科学的思考は芽生えなかったでしょう。
すなわち科学的思考を否定するような創造科学に染まってしまった人間が増えることは民主主義社会の危機であると私は憂いているのです。

ここまで説明しなくてもご理解いただけるとは存じますが、この機会に私見を述べさせていただきました。


人類の進化  投稿者:世種亜 投稿日: 2002年04月23日 1時39分

神という名の科学者さんへ

ご回答ありがとうございます。

>つまり、同じ「目」内の形態的変化はあれでも長い時間の間の遺伝子的組換えで有りうるかもしれない。それは連続的な変化によって可能性が有るかも知れない。しかし、「目」を超えるとこれは根本的に遺伝子上の設計 図を書き換えなければならない。それで、この辺の形態的違いをもたらす遺伝子上の書き換えはもう偶然には生じ得ないものだと思われます。

私の個人的な感覚では、科を超えるとだいぶ違うものになっているように思われます。「目」内まで進化で変異できるものならついでに「目」や「綱」が違っても進化できるような気がしてきます。

ところで人間は霊長目に属します。他には、チンパンジー、ゴリラ、ヒヒ、キツナザルなどが属していますが、やはりこれらの生物も共通の祖先から進化してきたことになるわけですね。


実は聖書はあまりよくわかっていなくて、ヨシュアはアイルランド出身のロックグループU2のアルバム「ヨシュア・トゥリー」からなんとなくつけています。アメリカの砂漠の植物だそうです。


批判  投稿者:世種亜 投稿日: 2002年04月23日 0時41分

GOAさんへ

>私は創造論の中身以上に科学的創造論者の手口(進化論者の発言の意図的な歪曲)や論法の方に危機感を抱いております。
そのようなやり口を教え込まれた子供たちが社会に出てまともに生きていけるのか心配です。

仰る通り進化論を批判するときは正々堂々と科学的に批判してほしいと思います。もし進化論を否定できる論文ができればnatureやscienceは喜んで掲載するでしょう。natureでは「我々は永久機関の存 在を否定する論文よりも、その存在を証明する論文の方を喜んで採用する」と言っています。

心配も尤もだと思います。しかし、世の中に出て、進化論や創造論が役に立つという場面というのはあまりないかもしれません。


事実と比喩  投稿者:世種亜 投稿日: 2002年04月23日 0時09分

考える葦さんへ

お答えありがとうございます。質問ばかりでどうもすみません。

>キリストの奇跡は、比喩でなく事実だと思います。

この点勘違いしていました。すみません。事実だとしたらすごい超能力ですね。だからこそ奇跡と呼ばれるのですね。聖書を読んでいて、ここは事実、ここは比喩だという区別をする指針はあるのでしょうか?
私は事実だと思っていたことが比喩だと言われたりして、ちょっと混乱してしまいそうです。
自分で決めればいいことなのでしょうか。


>進化論では突然変異と言っていますが、神からみれば必然変異ということです。ゆえに原人から進化したというのは、人間からみてそう見えるだけで、あくまでも胎を借りたのであり、神は構想に基づいた意味のある新し い組み合わせを施し、創造したと考えます。

必然変異というのは興味深い表現ですね。つまり神は「原人から人間を創造された」というわけですね。それを人間から見ると原人から人間に進化した、となる。
そうするとやっぱり原人は猿人の胎を借りて、創造されたものということになるのでしょうか。


過保護な母親を、チクロママと呼んだ時代もあった  投稿者:wadja 投稿日: 2002年04月22日23時22分

To:あきさん

>サッカリンのほかにチクロというのもありましたよね?

サッカリンは弱い発癌性を持ち、チクロは発癌性を持つようです。サッカリンについては、弱い発癌性より肥満防止効果の方が大きいとのことで、アメリカでは(日本は?)再度市民権を得たようです。チクロは日本でもア メリカでも未だ使用禁止だと思います。詳しくはかくりさんお願い。

wadjaが参考にしたのは、下記薬品開発会社のHPです。

h ttp://www4.famille.ne.jp/~eucrasia/alternate_sweet.files/aspartame.files/aspartame.html

>過剰とはアスパルテームを代謝できないほど摂取してしまうのでしょうか?
>それともメタノール中毒になるくらい摂取するのかな?

上記のHPで、メタノールによる影響に言及した論文があることまでは分かるのですが、過剰に摂取した場合に生じる頭痛・眩暈・幻覚が具体的に何に起因するのかまでは書いてなかった。専門家Help!

分解されるとフェニルアラニンもできるので、フェニルケトン尿症の人は、あまりアスパルテームを取らないほうが良いというのは別のHPに書いてありました。

改めて検索すると、

http://www.mitomo.com/doc/diet.htm

のようにアスパルテームを徹底的にこき下ろしているHPも見つかりました。自然食品会社のHPですけどね。


考える葦さんへ  投稿者:ハッター 投稿日: 2002年04月22日22時34分

 ちょっときつすぎる言い方だったかもしれません。いやな思いをされたことでしょう。申し訳ありませんでした。私は神様がいらしてもかまわないし、信仰を持つことを否定したりしません。そして考える葦さんが進化や 宇宙に対して宗教的なアイデアを持つことも悪いこととは考えていませんし、面白いアイデアだと思うところもあります。そういう心の自由なひらめきをわざわざ科学という杓子定規に当てはめなくていいと思うのです。な ぜなら考える葦さんの投稿されている考えを誰でもが検証できるものではないのですから。死ななければわからない世界のことを生きているわれわれ誰もが確認することは不可能ですね、だから科学的に考える葦さんのおっ しゃることを判断できないのです。たとえ考える葦さんにとって疑うべくもなく客観的で合理的であると思われる考えであってもです。きっとこのあたりを考える葦さんに理解してもらえなかったのかなぁとおもっています 。しかし、考える葦さんのおっしゃる世界観に苦しみを救われる方がいればそれは科学的でなくても大変価値のあることだと私は思います。また、有名な科学者が何かの宗教の敬虔な信者であってもいいと思います。科学を 科学的に取り扱うことができれば問題がないんじゃないでしょうか。


疑わなくても  投稿者:GOA 投稿日: 2002年04月22日21時49分

>疑えば、そういうことも考えられるでしょう。

疑おうが疑うまいが既知の知識で同じようなものが作れるのなら、それは証拠としての能力に乏しいのです。
「100mを15秒で走る超能力」なるものを披露した人が「それは筋力で走ってるんじゃないの?」と突っ込まれて「疑えば、そういうことも考えられる」って言ったところで説得力は皆無です。別の証拠を出すべきでは ?


逆に言えば  投稿者:ゆん 投稿日: 2002年04月22日21時34分

># そうならこれ結局また「それはあなたの『感想』以上でも以下でも
># ありませんね」で終わってしまうのですが。

逆に言えば目より上と下を分ける明確な物理的条件(決して目以上の
分類を超えて進化は起きないという機構が遺伝子に組み込まれてる
とか)を見つければこれは創造科学の強力な証拠になるんですよね。
(つーかその時点で既存の進化論はほとんど崩壊する)。創造科学者は
もっとそういう方向の突っ込んだ研究をするべきだと思うな。


えーと  投稿者:ゆん 投稿日: 2002年04月22日21時23分

> つまり、同じ「目」内の形態的変化はあれでも長い時間の間の
>遺伝子的組換えで有りうるかもしれない。それは連続的な変化に
>よって可能性が有るかも知れない。しかし、「目」を超えるとこ
>れは根本的に遺伝子上の設計図を書き換えなければならない。そ
>れで、この辺の形態的違いをもたらす遺伝子上の書き換えはもう
>偶然には生じ得ないものだと思われます。

そもそも「目」やら「属」やらは人間が都合のよいように作り出した
分類学上の概念で、それぞれに対応する物理的な区切りがあるわけで
はありません。聖書に書いてある用語でも無いし。そうした概念上の
抽象的な用語を持ち出して

>しかし、「目」を超えるとこれは根本的に遺伝子上の設計図を書き
>換えなければならない。

と仰られてるのは、「神という科学者さんの感覚では、だいたい『目』
を超えるくらいの複雑さになると根本的に遺伝子上の設計図を書き換え
なければならないように感じられている」という風に翻訳してよろしい
でしょうか?
# そうならこれ結局また「それはあなたの『感想』以上でも以下でも
# ありませんね」で終わってしまうのですが。


きついこと  投稿者:考える葦 投稿日: 2002年04月22日20時39分

ハッターさんへ
きついですね。たとえば、霊界のことは、死んだら分かります。神様は霊界の太陽だそうです。もし、霊界に行って太陽があったら、神様はいたんだと思ってくださいね。


疑えば  投稿者:考える葦 投稿日: 2002年04月22日19時45分

GOAさんへ
 フェニキア人は、ノアの長男セムの子孫のようですね。旧約聖書は、モーセがまとめたそうですが、疑えば、そういうことも考えられるでしょう。


世種亜さんへの回答  投稿者:神という科学者 投稿日: 2002年04月22日19時09分

世種亜さんへ  
>>その放散した個体群が異なった環境に隔離され適応して「属」そして
「種」へと変化していったのだと考えます。その過程では自然選択が
もちろん働いたことでしょう。
集団遺伝学が推論する種集団内の遺伝子の変遷や形質変化による
集団全体の変移をわたしは否定するつもりはありません。
>この発言は立派な進化論だと思うのですが。いかがでしょうか。
例えば、イヌ科の祖先の生物から、イヌ属、タヌキ属、キツネ属
(の祖先の生物)が生じ、イヌ属(の祖先の生物)から「種」
であるイヌやジャッカルが生じたということでよろしいでしょうか。

 同じ「目」の中の動物達は(私の観察では)形態的にそれほどの大きな差はなく、かなり共通点があります。しかし、「目」の違いからは形態的にかなりの違いが生じます。個人的見解としては、同じ「目」内の多様性は 集団遺伝学的変移によって環境への適応としてあれでも「進化」しうる可能性を考えることがまだできますが、違う「目」さらに「綱」の違いへとは「進化の総合説」によるところの進化論では説明しきれないように考えら れます。つまり、何かの意図的な介入(遺伝子操作)がなくして生じることが出来ないように思えます。

 つまり、同じ「目」内の形態的変化はあれでも長い時間の間の遺伝子的組換えで有りうるかもしれない。それは連続的な変化によって可能性が有るかも知れない。しかし、「目」を超えるとこれは根本的に遺伝子上の設計 図を書き換えなければならない。それで、この辺の形態的違いをもたらす遺伝子上の書き換えはもう偶然には生じ得ないものだと思われます。

 もちろん、いつも主張していますように、世代交代のシステムを持つ生命の起源が偶然に発生することはない(不可能)と思っていますが、次の大きな「不可能」がこの綱や目の違いの発生です。

 ところで、世種亜さんて、エリコ城陥落の折に指揮者として活躍されたあの英雄のことですよね。


閑話――  投稿者:tamo2 投稿日: 2002年04月22日14時45分

 新種「目」の昆虫が発見されたとか。
 こういう話を聞くと、予想もつかないようなデザインを想像してしまうが、それでガッカリしても私のせいなのだろう・・・
 外見はカマキリモドキのようだが、特徴はナナフシに似たところがあるらしい。
 そこらへんから目の命名が決定したみたいだが、それがこの目の奇形的な存在であることが、後々の発見で判明すると面白い、とか不謹慎に想像する。
 
 目の名前は決定されたが、種の名前は載ってなかった。
 やっぱり発見者が命名するのだろうか?
 


箱舟を運ぶね2  投稿者:ハッター 投稿日: 2002年04月22日13時11分

>そもそもどれだけの動物とその食料を積載していたのか不明なため、吃水の深さを特定することができず、本当に安定していたかどうかは分かりません。

ついでに言えば平積みしていたのか船内が階層化していてどの層に何を積んでいたかでGMがわからなければ安定していたかはわかりません。


考える葦さんへ:再度  投稿者:ハッター 投稿日: 2002年04月22日13時08分

だいぶ前の投稿をもう一度書きます。

 抽象的であったり比喩的である宗教などに出てくる創造の話と科学である進化論とに相似があるように解釈したとしても創造論が科学であるという話にはなりません。同じことを言っているように見えても科学的な過程を 踏んで導かれたものでなければそれを科学とは呼べないでしょう。根拠もなく偶然でも何でもいいから答えさえあっていればいいと言う事ではないのです。
 
ですから考える葦さんのめざす和解というものは私にとって意味を成さない。

 きついことを書きます。考える葦さんの創造や進化に関する科学的な検証可能性がないままのアイデアをどんどんどんどん書き綴られても多くの人にとってはどちらかというと”困ったこと”ととらえているのではないで しょうか。SFとしてなら楽しいかもしれませんよ、でもここで科学的に話をしようとしているなら私には読むに耐ええません。


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