進化論と創造論についての掲示板ログ36

2000年10月10日〜2000年10月16日
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Re:生き残る可能性>wadjaさん 投稿者:JA50  投稿日:10月16日(月)16時10分24秒

>この掲示板の議論の中で論じられている「変異」は、その子孫には遺伝するもの、遺伝子の発現として表現型に現れると自然淘汰にかり、変異の「生き残る可能性」に差が生じると思っていたのですが。おかしいですか?

いや、言われることはその通りなんですが、どう説明したらいいんだろう、、、

「進化と人間行動」には自然淘汰の働く条件として4つ挙げられています。
1)生き残るより多くの子が産まれる
2)変異がある
3)変異の中には、生存や繁殖に影響を及ぼすものがある
4)そのような変異の中には、親から子へと遺伝するものがある
この4つが満たされれば、「生存や繁殖に有利な変異が集団中に広まっていくでしょう」(と
「進化と人間行動」には書かれています)。
満たされなければ、自然淘汰は働かない。

で、私が問題にしたのは、「変異の中には、生存や繁殖に影響を及ぼすものがある」その影響
というのは100%でないといけないのか、「そのような変異の中には、親から子へと遺伝す
るものがある」という遺伝も100%じゃないといけないのか、ということなんです。
私は、100%である必要はないし、ほんの少しでもあれば条件を満たすと考えています。
(NATROMさんはある程度以上でないとダメだとされているようです)

wadjaさんは、「広まっていくでしょう」という部分を、私が質問しているととったのではない
でしょうか?
「生存や繁殖に有利」であれば、その変異は100%の確率でで広がるのか、それともある確
率で広がるのかと私が質問しているのだととったのではないでしょうか?

私は、この「広まっていくでしょう」という「でしょう」はどうなのかまだ確信を持てないの
ですが、たぶん推測型じゃなく未来型だと今は解釈しています。これらの条件が満たされたら
100%の確率で広がる、というかそれが自然選択説そのもの。
ただし、固定するかどうかはまた別です。適応度というのはいつも一定であるわけはない。固
定したものでみれば、その固定期間の平均の適応度は必ず1以上でないといけないはずですが、
そうじゃないものでは、時には適応度が1以下になり、中には固定せずに消滅することもある
(例えば天変地異など)。


Re:理論の適用範囲の限界とか>PDX.さん 投稿者:JA50  投稿日:10月16日(月)16時07分04秒

>適応的な形質が進化する理由が、自然選択「だけ」とは限らないと
>思っているからです。適応的な形質に対して一番大きな影響力を持つ
>のが自然選択説だろうとは思っていますが。

なるほど、、、

自然選択説は、適応的な形質の進化を説明する理論である(非適応的な形質については対象外)
上に、その適応的な形質の中にさらに別の進化メカニズムが働いてできたものもあるというこ
とですね。

ところで、その適応的な形質の中の、自然選択じゃなく別のメカニズムで進化したものと、自
然選択が働いて進化したものとを、どうやったら区別可能なのでしょうか?
適応的かどうかはどちらも同じですから、これでは区別できません。
もし何かでこの2つを区別できないと検証が不可能じゃないでしょうか。
それと、別のメカニズムが働いて進化した適応的な形質(器管とか行動様式など、何か具体例)
はあるのでしょうか?

>適応的な種であっても、突発的な天変地異で絶滅、という可能性は
>JA50 さんも納得していただけますよね? 確か以前そんな事をおっしゃっ
>ていたように記憶しています。

言ってました。恐竜の話。
恐竜が滅んだのは、非適応的だったから滅んだわけじゃない。哺乳類との競争に敗れたとかい
うのじゃなく、天変地異による、全くの不運のためじゃないかと思っています。
ただし、哺乳類も、それはそれで適応的だったはずです。だからこそ、長い恐竜時代を生き抜
けたし、白亜期末の大災害も乗り切れた。

亜種についてですが、亜種AとBには何かの形質に違いがあるから、両者を区別できるのです
よね。
具体例を挙げます。その方が私は考えやすいので。
ニホンザルとタイワンザル(この両者は交配可能ですので亜種、正確には半種になるのかな?)
では、尾の長さという形質に違いがある(タイワンザルの方が長い尻尾を持っている)という
ようなそういうちょっとした違いで亜種に分けられているのだと思います(なお、もしかした
ら交配可能だが別種とされているかもしれませんが、ここでは亜種とします)。
で、たまたま日本沈没し、ニホンザルが全滅したとしたら、残るのはタイワンザルだけになる
し、それはたまたまという偶然そのものによる。絶滅した責任はニホンザルには全くない。
しかし私に疑問なのは、そのたまたま滅んだり生き残ったことがどうのということじゃなく、
そのタイワンザルの尾の長さというのは、何の役にも立ってないとは思えないということなの
です。タイワンザルはたまたま生き残った、ニホンザルはたまたま絶滅したが、タイワンザル
の尾(ニホンザルとタイワンザルを分ける形質です)は中立でもないしましてや有害だとはと
ても思えない。それにそもそも脊椎動物の尾というのは、脊索動物からの長い進化の歴史(変
化を伴う由来)があるじゃないですか。時には何の役にも立っていない時期もあったでしょう
が、最初は有益だったから進化しえたし、ほとんどの時期には有益だったから維持もされてき
たのじゃないでしょうか。
というのが私の解釈なんですが、しかし、中立とか有害な形質も進化しえるのなら、そのタイ
ワンザルの尻尾が中立だろうが有害だろうが進化しえることにはなります。

>赤い花、青い花、というだけの喩えだと、それは単一の形質の中の
>変異であるという解釈が出てきますけどね。私の場合。

私も、花の色という単一の形質の中の変異としているつもりですが、、、

やはり、形質とか変異というのにどこかお互い解釈の違いがあるようですね。

ある植物の花がどうやって進化してきたのかというのは、どういうように説明されるのでしょ
うか?
これこれを形質とし、これは変異として、それを使って自然淘汰でどういうように説明するの
か、何か具体例を挙げてやってもらえると、PDX.さんがどういうように解釈しているのか
ある程度推測できると思うのですが、、、
なお、またまたごちゃごちゃ横から言っている人がいますので、不必要でしょうけど註を入れ
ておきます。私が形質の定義で言っている器管とか行動様式を植物の花にあてはめれば、器管
というのは花そのものや花の形、色、花弁の数など形態上の特徴あるいは性質のこと、行動様
式というのは、その花がいつ開くのか(春かとか日中かなど)とか開く条件(一冬越さないと
いけないというようなこと)などの機能と言ってもいいような面についての特徴のことです。


Re:独特>masayukiさん 投稿者:JA50  投稿日:10月16日(月)16時05分47秒

>1)適応度と適応、適応的を混同して使っている。JA50さんは適応度の高い個体は必ず適応的だとしている。

適応とか適応的という用語の意味は非常に不明確です。成書によってその意味が違うなどとい
うこともある。
しかし、適応度というのはかなりな程度に厳密な定義があります(しかし、それでもまだ専門
家の間でさえ意味の取り方に違いがあるようです)。
私は、適応的という用語を、適応度を高める(生存や繁殖に役立っている)というような意味
で使っています(ただし、そうじゃない場合もあるかもしれません)。
しかし、そうじゃなく適応的というのを、何かの機能を持っているとか、人から見て「よくで
きている」とかいう意味で使っているのじゃないかと思える人もいます。私は、そういう人間
の価値観を入れて、自然選択に適応的という用語を使うのには違和感を覚えます。機能を持っ
ていないように見えてもそれがまだ分かっていないだけかもしれないし、よくできていなくて
もそれが生存と繁殖に役立っておればいいことですから。

masayukiさんは、適応度や、適応とか適応的というのはどのように使っているのでしょうか?

>2)形質と形質の変異を区別する。形質の変異も形質であることをなぜか無視する。元の形質とその変異は自然選択の上でも対立する形質である。JA50氏自身そのように使っているのに、自分の論に都合悪い場合、形質と形質の変異を区別する。

「元の形質とその変異は自然選択の上でも対立する形質である」という文の意味がよく理解で
きませんが、私は形質と、その形質について個体間に見られる差つまり変異とは全く別の概念
と解釈しています。これを区別しないで自然選択説を論じられるとは思えません。
masayukiさんは、形質とか変異をどういう意味で使っているのでしょうか?

>3)遺伝的浮動(偶然的浮動、確率的浮動)の普遍性について全く理解してないことによって、これが分子進化でしか適用できないと思いこんでいる。

これも何を言われたいのかよく理解できないのですが、私は次のように突然変異遺伝子の偶然
的浮動を理解しています。
分子レベルの進化(その速度や多型など)は、そのほとんどが中立な突然変異遺伝子の偶然的
浮動によっている。そして、この仮説(理論)は検証をくぐり抜けることができて、今のとこ
ろはたぶん正しいだろうとされていると。
一方、表現型レベルの進化については、そもそもこの仮説(理論)をそのまま適用できるとし
ている専門家を私は知らないし、そのためそういうことを検証したという文献も知りません。
masayukiさんは、そういう研究者とか文献をご存じですか?
もしご存じなら教えて下さい。


RE:絶滅@科学的創造論 投稿者:ゼンジー  投稿日:10月16日(月)14時36分32秒

NATROMさん、早速のご教示ありがとうございます。
化石を神の失敗作あるいは習作とみなすという、
あまり神の名誉にはならない考えが実際にあるというだけでも、
とても勉強になりました。

いずれもっと勉強して創造論のサイトでも質問したく思います。



絶滅@科学的創造論 投稿者:NATROM  投稿日:10月16日(月)11時37分45秒

ゼンジーさんようこそ!

>絶滅した動植物に関しては科学的創造論に於いて、
>どのように定義されているのでしょうか?
>神の失敗作?人間への試練の一環?

現在の科学的創造論においては、すべての地層は一度にできたと考えており、絶滅した動植物の化石を、神の失敗作やサタンが人をまどわすために創ったものとは考えていないようです。本当に科学的創造論における絶滅生物についての意見を知りたいのであれば、ここではなく、創造論のサイトで質問されるのがよろしいでしょう。

一番下からリンクしたサイトでは、箱舟に乗れなかった水棲の動物はノアの洪水のときに絶滅したものもあったと考えているようです。恐竜については「中世ヨーロッパで14、15世紀まで細々と生き残っていた」ものもあったそうです。(ただし、イグアナを「恐竜の子孫」などと思っている、恐竜が何であるか理解していない人の主張であることに留意してください)

蛇足ですが、化石を神の失敗作あるいは習作とみなす考えは、ただ一度きりの世界規模の洪水の証拠がないことに気付いた創造論者によるものです。幾度かの激変がありその度に大規模な絶滅がおこり、ノアの洪水は一番最後の激変に過ぎず、聖書には最後の激変の記述のみがあるというわけです。創造論者は、現代の創造科学者のように証拠から目を背けて聖書を盲信するか、あるいは証拠とうまくあうように聖書には書かれていない出来事を仮定するかのどちらかの立場をとるようです。

http://members.nbci.com/norih/creationFAQ.htm


Re: カテゴリ分類は難しい 投稿者:LucifeR  投稿日:10月16日(月)11時35分48秒

"カテゴリ分類は難しい" NATROM wrote:
> http://www.kakikomi.com/cgi-bin/kaki/kaki.cgi?mode=kt&kt=07_12_01
>
> 書き込みドットコムでの当サイトの位置
>
> ホーム > 科学と技術 > 超常現象 > 超古代文明
>
> 適当なカテゴリがないのはわかるが、超常現象はともかく超古代文明というのはいかがなものか。

ありゃりゃ、そりゃセンス無いですなあ。ホントは

科学と技術 >科学論 >疑似科学

等があればいいのでしょうが、そうでなくても

科学と技術 > その他総合 > その他
http://www.kakikomi.com/cgi-bin/kaki/kaki.cgi?mode=kt&kt=07_15_99

科学と技術 > 生物科学
http://www.kakikomi.com/cgi-bin/kaki/kaki.cgi?mode=kt&kt=07_10

芸術と人文 > 教育 > その他
http://www.kakikomi.com/cgi-bin/kaki/kaki.cgi?mode=kt&kt=06_13_08

とかに入れたほうが超古代文明よりは数段マシですね。


科学的創造論に於いて 投稿者:ゼンジー  投稿日:10月16日(月)09時38分38秒

はじめまして。
最近、科学的創造論なるものの存在を知りまして、
ふと疑問に思ったのですが、
絶滅した動植物に関しては科学的創造論に於いて、
どのように定義されているのでしょうか?
神の失敗作?人間への試練の一環?
単なる私の勉強不足と思いますが、
どなたかお教え頂ければ幸いです。


Re)JA50氏の最終目的 投稿者:クリス  投稿日:10月16日(月)09時12分23秒

PepperMyst さん。
すると遠い将来、地球上には最も適応度が高い生物のみが生き残って、他の種(適応度が低い種)は全て絶滅するわけですな?
いやー、目からうろこです。すばらしい。
きっとその生物はJなんとかっていうんじゃないでしょうかねえ?生命力というかしぶとさは抜群だから。


適応度>JA50さん 投稿者:wadja  投稿日:10月15日(日)23時39分47秒

>適応度の差を問題にしているのではないので、「対立遺伝子よりも相対的に高ければ良いので
>はないでしょうか」というのがよく分かりません。

どうもJA50さんのご質問の意味を理解していないようです。申し訳ありません。単純に「生き残る可能性」のことだと勘違いしていました。「変異の一部は遺伝する」というのも、私には良く分かりませんし、「ほとんど0といってもいいような一部であっても自然淘汰は働くのか。」の、ご質問の主旨も良く分かりませんでした。この掲示板の議論の中で論じられている「変異」は、その子孫には遺伝するもの、遺伝子の発現として表現型に現れると自然淘汰にかり、変異の「生き残る可能性」に差が生じると思っていたのですが。おかしいですか?

>最初から「遺伝子の広まる確率」(表現型レベルのです)が分からないのであれば...

「「単純化したモデルで予測される確率」は、現実の世界でサンプルから観察される「確率」に完全に一致することは無いだろう」、という意味で申し上げました。それでも、「概矛盾しない」程度の結果が得られることも有るのではないでしょうか。こんな記述はどのようにお考えになりますか?「今回検証できたサンプルの数と遺伝的浮動の可能性を考慮にいれれば、得られた結果は、モデルから予測されたものと概矛盾して無いと言える」。いろんな論文に出てきそうな気がします。ポパー流にいえば、価値の無い論文になってしまうのかも知れませんね。

>(計測不能な真の)適応度というのは形而上学になってしまわないでしょうか?

一般的には、真の値が求められないでも近似値が求められる限りにおいては、形而上のものだとは思いません。

下のPepperMystさんの発言にも出てきますが、「ダーウィン適応度」というのは極めて抽象的な概念で、そのままでは形而下で扱うことが難しいし、数学的モデルに組み込めないからこそ、「平均的な子孫の数で表すことが適当である」とされるのでは、無いのですか?そこを「適応度は平均的な子孫の数で定義される」としてしまうと、議論がかみ合わないような気がします。


JA50氏の最終目的 投稿者:PepperMyst  投稿日:10月15日(日)23時23分18秒

> 適応度というのは子孫がどれほど増えたかというのを数値化したものの
> はずです。その理由は問いません。虫によろうが、鳥によろうが、あるいはなぜだか分からな
> かろうが、赤い花の子孫が増えておればその適応度は青い花の適応度より高いんです。
というのがJA50式適応度の定義らしい。ということはJA50式自然選択説
> 「適応的な形質のみが進化しえる」、「非適応的な形質が進化することはない」
は(JA50式定義を使う限り)完全に正しく、反証可能性は0。なぜなら完璧なトートロジーだから。
かくて
> 私の最終目的は、自然選択説は反証不能、ないし、非常に反証可能性の低い
>(ほとんど不可能な)仮説であるということを明らかにすることです。
というJA50氏の最終目的は彼にしか受け入れられない形で達成されたのだった。
めでたしめでたし。


訂正 投稿者:安賀須若人  投稿日:10月15日(日)14時48分39秒

誤)  u=(1−exp)/(1−exp(−4Ns))

正)  u=(1−exp(−2s))/(1−exp(−4Ns))



突然変異遺伝子の固定確率について 投稿者:安賀須若人  投稿日:10月15日(日)14時44分32秒

木村資生の論文集"Population Genetics, Molecular Evolution, and The Neutral Theory"
の381-387に収録されている論文に
「集団中の突然変異遺伝子の固定確率について」
(原題"On the probability of fixation of mutant genes in a population",Genetics 47,713-719(1962))
というのがあります。この中(p.715)に例の「生物進化を考える」にも出てきた

  u=(1−exp)/(1−exp(−4Ns))

という式があり(Nは集団中の再生産される個体数、sは有利さです)、次のページにかけて、|s|が小さいと仮定したときには

  u=(2s)/(1−exp(−4Ns))

は良い近似で、フィッシャーとライトによって得られた結果と一致する。
また、s→0で中立遺伝子に対する結果として知られている

  u=1/(2N)

が得られるとあります。
ここで、固定確率「u」についてどう定義しているか見ると"the probability that allele A will be fixed (i.e. its frequency becomes 1)..."(対立遺伝子Aが固定する(すなわちその頻度(注1)が1になる)確率)です。単に対立遺伝子(allel)と書かれていることからわかるように分子レベルとか表現型レベルとかの限定はしていません。
また、言及されているフィッシャーとライトの論文はそれぞれ1930年(注2)と1931年(注3)にでています。これらの論文の書かれた年代は、ワトソン&クリックのDNAの2重らせん構造に関する1953年の論文(注4)はおろか、遺伝物質がDNAであることを示したエイブリーらの1944年の仕事(注5)よりも前、さらには遺伝子が酵素をコードしていることを示して「1遺伝子=1酵素説」を確立した
1941年のビードルらの仕事(注6)よりも前です。このことから、突然変異遺伝子の固定確率に関するフィッシャーやライトの仕事やそれを近似として導出することができるとしている木村の仕事においては分子レベルの話をしているのではなく、単に「メンデル遺伝をする形質」を担う因子としての遺伝子について考えられていることはいうまでもありません。



注1)蛇足と思いますが、ここでの頻度は相対頻度のことです、念のため。

注2)Fisher,R.A.,"The distribution of gene ratios for rare mutations",Proc. Roy. Soc. Edinburgh 50,204-219(1930)

注3)Wright,S.,"Evolution in Mendelian population",Genetics 16,97-159(1931)

注4)Watson,J.D., & Crick,F.H.C.,"A structure for deoxyribose nulceic acid",Nature 171,737-738(1953)

注5)Avery,O.T, MacLeod,C.M., & McCarty,M.,"Studies on the chemical nature of the substance inducing transformation of pneumococcal types",J. Exp. Med. 79,137-158(1944)

注6)Beadle,G.W., & Tatum,E.L.,"Genetic control of biochemical reactions in Neurospora",Proc. Nat. Acad. Sci. USA 27,499-506(1941)

# NATROMさんへのお願い
先程の投稿はタグの使い方が間違っていて読みにくくなっていますので、書き直しを投稿しますので先程の分は削除していただければ幸いです。


理論の適用範囲の限界とか 投稿者:PDX.  投稿日:10月14日(土)23時13分48秒

To JA50さん

> え、「必ず」じゃないんですか?
> 自然選択説は、適応的な形質が進化するという説なのに、なぜ「必ず」
>じゃないんでしょう?

 適応的な形質が進化する理由が、自然選択「だけ」とは限らないと
思っているからです。適応的な形質に対して一番大きな影響力を持つ
のが自然選択説だろうとは思っていますが。
(適応度がさほど大きくないうちは、自然淘汰の影響力も小さいので
偶然等、他の要因の影響力を排除できないと思います)

> 自然選択説が対象とする形質で、自然選択説で説明できないというのにはど
>ういうのが考えられるのでしょうか?

 自然選択説の対象となる程度に自然淘汰に大して中立的でない形質
であっても、偶然という要因をどこまで無視できるかというのはある
と思います。
 適応的な種であっても、突発的な天変地異で絶滅、という可能性は
JA50 さんも納得していただけますよね? 確か以前そんな事をおっしゃっ
ていたように記憶しています。
 であれば、同じ程度に適応的であるがゆえに集団中で拮抗していた
亜種AとBがいて、たまたま一方の中心的な生息域が天変地異に見舞
われてこの両者の比率が大きく変わり、数で太刀打ちできなくなった
一方は次第に減っていき集団中から失われた、ということがあれば、
残る一方が主流たりえたのは、滅びた一方より適応的だったからでは
なく、たまたま生息域が違ったからだという説明が可能だと思います。
(無論、集団中で失われない程度に適応的だったから、という言い方
もできますがね)

> 種が異なる例を持ち出すのは、例として不適当だと思いますので、
>NATROMさんが出してくれたこの赤い花、青い花というのがいいのじゃ
>ないかと思うのです。これを具体例として、PDX.さんの形質と変
>異のイメージを解説していただけるとありがたいです。
> 自分はこういう場合にこれを形質とし、これを変異とするとやって
>いただけると、理解しやすいのではないかと。

 赤い花、青い花、というだけの喩えだと、それは単一の形質の中の
変異であるという解釈が出てきますけどね。私の場合。


 私が未だに JA50 さんの意図を汲み取りきれないのは、JA50さんが
用いる「進化」という言葉の意味かなぁ…。


傲慢 投稿者:クリス  投稿日:10月14日(土)20時54分11秒

とにかく発想や姿勢が傲慢ですよね。

これこれこういう(反証可能性の低い)仮説や学問は価値が低いとか。
人様の意見や考え(思考実験)などに「頓珍漢な考え」とか勝手に評価を付けるとか。
この本を読んで下さいとお願いしたら逆切れするし。


誤字 投稿者:クリス  投稿日:10月14日(土)20時48分16秒

>#しかし、医師が器官を「器管」なんて言うかい? ちょっとあり得ない気がするが。

単純な誤字やスペルミスは誰にでもあることです。
あまり責めても仕方ありますまい。
無視というかだんまりを決め込むその姿勢や態度は確かに見苦しいですが。

支持者が1人もいないのに「勝手に鏡に吠えていなさい」とは道化以外の何者でもありませんが。
そういえば優性思想は優生思想が正しいですよね?
それ位有意義な指摘はできないもんでしょうか。


都合の悪いものは無視 投稿者:クリス  投稿日:10月14日(土)20時42分01秒

都合の悪いものは無視というのはもう嫌になるほど繰り返されてきたことです。驚く気もしない。
また自分の発言が頓珍漢なのを人のせいにするのもお馴染みです。

普通の人「あなたの言っていることは、こういうことになるからおかしい」
JA50氏「何を言っているのか理解できない。頓珍漢なことを言うな」

ここに集まっている平均以上に生物学や進化論に知識があり、理論的かつ知的な人物の中で「どうして自分の主張は認められないのか?」考えているとはとても思えない。
ただの1人もJA50氏を支持する人はいないんですから。
自分の説明が悪いとか、自分の理解も浅いから、とかは考えついても「間違っている」という可能性はこれっぽっちも持たないんでしょう。
それはそれで典型的なトンデモさんではあります。


変異と形質(再) 投稿者:  投稿日:10月14日(土)20時35分56秒

器管君(注.「器官」を「器管」と言い張ったJA
50医師)の定義では、

変異についての適応度を求めることはできるが、
形質についての適応度を求められない(というか
定義しようがない)。「適応的な形質」ってどん
なものか、というのも具体的に考えようがない。

なんとかならんかね?


#しかし、医師が器官を「器管」なんて言うかい? ちょっと
#あり得ない気がするが。


独特 投稿者:masayuki  投稿日:10月14日(土)20時30分41秒

私はこの一連の議論の中で改めて自然選択や遺伝的浮動について考察することができ理解を深めることができたと思う。JA50さんにはそう言う意味では感謝します。
最初に感じたJA50 さんの独特な用語法についてまとめてみます。
1)適応度と適応、適応的を混同して使っている。JA50さんは適応度の高い個体は必ず適応的だとしている。
2)形質と形質の変異を区別する。形質の変異も形質であることをなぜか無視する。元の形質とその変異は自然選択の上でも対立する形質である。JA50氏自身そのように使っているのに、自分の論に都合悪い場合、形質と形質の変異を区別する。
3)遺伝的浮動(偶然的浮動、確率的浮動)の普遍性について全く理解してないことによって、これが分子進化でしか適用できないと思いこんでいる。

とりあえず、いつも気になっていたものをあげてみました。他にもあるかもしれません。
JA50さんは、私のような素人の論など信用しないだろうと、専門家の書いたものを引用(なるべく彼本人が引用しているものを選んで)してきましたが、ことごとく独特な論法で否定されました。
JA50さんは「生物進化を考える」や「進化と人間行動」は自分の論の根拠には使えませんね。

私のレスを無視しているのか、忘れているのか?ひとつとんでますよ。


赤い花、青い花の話>PDX.さん 投稿者:JA50  投稿日:10月14日(土)19時11分13秒

>>花の色(これを形質とする)に赤と青という変異が存在し、その2つにほとんど適応度の差が
>>なければ、たぶんその形質は長く多型でありつづけると思います。

こう言うと、たぶんPDX.さんは、偶然で赤という変異が増加したらどうなるんだという質
問をされるのじゃないかと思います。

以下、自問自答になりますが、、、

これは「偶然で」ということが何を意味しているかになると思います。
適応度に差がないのに、ある変異が増加した場合をさして「偶然で」というのであれば、それ
は矛盾した言明です。適応度というのは子孫がどれほど増えたかというのを数値化したものの
はずです。その理由は問いません。虫によろうが、鳥によろうが、あるいはなぜだか分からな
かろうが、赤い花の子孫が増えておればその適応度は青い花の適応度より高いんです。
ある変異が増えたのに適応度は同じというのは、適応度の定義と矛盾しています。
赤という変異に適応度を高める機能があるのか分からない場合もあると思いますが、まだ見つ
かっていないからといってないとは限らない。赤という変異には適応度を高める機能はないと
いう言明は証明不能な言明なんです。適応度を高める機能が見つかっていないから偶然だとす
るのは、証明できないものを持ち出して説明していることになります。


Re:優性思想>クリスさん 投稿者:JA50  投稿日:10月14日(土)19時03分41秒

ほんと、どこからこういう頓珍漢な考えを思いつくのだろう、、、

勝手に鏡に吠えていなさい。


Re:自然選択説の解釈2>NATROMさん 投稿者:JA50  投稿日:10月14日(土)19時02分52秒

>ところで、ある化石種の性質(たとえばパンダの下肢の種子骨の化石が発見されたとでもしましょう)が形質かどうか、どうやって判断するのでしょうか?

え?
これは非万能論者にも同じことが言えますよね?

万能論者はそれを形質と仮定します。つまり前提としてそれが一部遺伝によっているとします。
そうだという前提に立って、その進化を自然選択説で説明することになります(適応的だとい
う仮定は万能論者には不要)。
しかし、非万能論者は、それが形質だという仮定をした上にさらに、それが適応的だという仮
定も置かないといけないはずです(さらにNATROMさんは、その遺伝的影響以外のものの程度が
ある一定上あるといけないという条件さえクリアしないといけないんですから、さらにもう一
つ仮定をおく必要がある)。
非万能論者は、それを形質だとどう判断し、さらにそれが適応的だったとどうやって判断する
んでしょうか?

>専門家が認めなくても、イモや花の例を想像すれば、あてはまらないことがあるのは自明に思えます。

イモや花の例とは何でしょうか?

私の主張に反論しているのですから、形質とか変異という用語は、私流の解釈に則ってくださ
いね。
下肢の種子骨の大きいことなどというのを形質にしないで下さい。

それと専門家の文献ですが、私の書き方が間違っていました。
へちさんにやったのと同じことをやってしまった。
「上の公式があてはまらないこともある」ということを、詳しく説明した文献を紹介してほし
いんです。
なお、できれば、私のような者にも分かる、分かりやすいものがいいですが、それは高望みと
いうものでしょう。適当なものがあればよろしくお願いします。


Re:自然選択説の解釈1>NATROMさん 投稿者:JA50  投稿日:10月14日(土)19時00分20秒

>私は、自然選択説が適用できないほど遺伝的影響以外の影響が強い可能性もあると思っています。


ということは、形質の進化に自然選択説を適用していいかどうかに、さらに一つ条件が加わる
ことになりますね?

自然選択説が適用できなるほど強い程度というのは、どの程度なんでしょうか?
その基準がはっきりしないと、自然選択説を適用していいかどうか分からない。

>自殺行動が自然選択説で説明できないのは同意いただけると思います。

自然選択説は個々の個体の行動を説明するものではないのはご存じですよね?
それは形態についても言える。
しかし、「人間の」というような見方をすれば、自殺行動を自然選択説で分析できます。
たしか、そういう論文があったような記憶がありますので、もし見つかったら紹介します。

>河田は「あらゆる性質に機能があると仮定し、それを適応的に説明しようとする」試みを批判しているのであって、「形質でないものを形質として適応的な意味を求めている」試みを批判しているのではありません。

前者は後者を含んでいると思いますが、、、

NATROMさんは、下肢の種子骨の大きいことを、適応的な意味はないと仮定し、上肢の種子骨の
遺伝子が支配していると仮定して話を作っている。その仮定にたてば、下肢の種子骨の大きい
ことという性質には、機能など無い(そう仮定したんだから)し、さらに形質でもない(そう
仮定したんだから)。

それはスパンドレルに適応的な意味を求めようとすることと同じく、無意味です。
機能もないし、形質でもないのに、それを適応的に説明しようとしてもナンセンスです。
私は、そういうことはしていないのに、あたかもしているとして批判するのは、勝手にカリカ
チュアを作って、そのカリカチュアを批判していることになると思います。

「下肢の種子骨と上肢の種子骨が同一の遺伝子で支配されているならば、上肢と下肢の種子骨
両者を一緒にして形質とすべき」というのは、NATROMさんの仮定に立てばという話です。
脳とリンパ球について、その両者に、種子骨の大きいこと(NATROMさんの言う形質)のような
共通の性質があり、それが同一の遺伝子で支配されているのなら、その性質は形質になると思
います。ただし、その共通の性質というのが私には思い浮かびません。
また、「下肢の種子骨と上肢の種子骨の両方に作用している遺伝子もあれば、下肢および上肢
にそれぞれ特異的に作用する遺伝子もあった場合、上肢と下肢の種子骨両者を一緒にして形質
とすべきですか?それぞれを形質とすべきですか?」ですが、前者の遺伝子が支配している性
質とは何で、後者の遺伝子が支配している性質とは何なのでしょうか?

化石種の適応度のことですが、グールドが書いているようなことを非万能論者(NATROMさん流
の解釈をしている人のことです、以降、こういう注はしませんのでよろしく)がしていいんで
しょうかと尋ねているのですが、、、
自然選択説は適応的な形質にしか適用しないんでしょう?
ある機能があったかもしれないと推測して、さらにその機能がその個体の適応度を高めていた
だろうなどとしていいんですか?
推測の上にさらに仮定を上乗せしてしている。


Re:表現型の固定確率>NATROMさん 投稿者:JA50  投稿日:10月14日(土)18時55分24秒

>私は議論をしたいのです。
>私「メンデル遺伝する表現型であれば分子進化の式が適用可能だ。」

そこまで言われるのなら、私が理解可能かどうか分かりませんが、その「分子進化の式」なる
ものを出していただけますか?
どういう数式なのか、興味はあります。
ただし、「生物進化を考える」にあるような式を持ち出して、そこの「突然変異遺伝子」とあ
るところを勝手に「形質とか表現型レベルにおける変異」に置き換えられては困りますよ。

>遺伝学を2年半学んだ大学院生の意見であれば提供できます

とのことですので、もしできるのであれば、よろしくお願いします。
ただし、理解できるかどうかは分かりません。たぶん無理の可能性が強い。

>引用しましたよ。へちさんによれば「〜」とのことですが、というのは引用にはなりませんか?

この部分ですよね?
>へちさんによれば「もともと表現型を対象としたもの」とのことですが、それを踏まえた上での発言でしょうか。

こんな引用はダメだというのは、さんざ前に議論したことじゃなかったのでしょうか?

>表現型に現れないのに微弱有害とはこれいかに?

「前提です。」

そういう前提をおいて得られた結論を自然に適用して、その真偽を判定することになりますよ
ね。中立説はそれに、今のところ合格している。
一方、NATROMさんの思考実験の方はどうなんでしょうか?
50個体で測定したsの誤差を0だとするような無理な前提を置いて得られた結論なのに、と
いう思いはあります。


Re:「生物進化を考える」に書いてあった>masayukiさん 投稿者:JA50  投稿日:10月14日(土)18時54分20秒

その部分は、木村がこういうことも考えられると書いている部分だと思いますが。
木村は、分子レベルの表現型レベルの進化メカニズムを統一的に理解できる法則がないかと努
力されたようです。

「既に述べたように、分子レベルの進化と表現型レベルの進化との間にはきわだった違いが存
在する」。その間の橋渡しをどやったらできるのか、、、
こういうのはどうだろう、これはどうかといろいろ考察された。


不可知論の認識論に毒された人間のたわごと>tomiさん 投稿者:JA50  投稿日:10月14日(土)18時51分42秒

>つまり、科学というのは、単なる約束事であって、確固不変たる真理に基づいて科学を定義することなどできないのだ、と。
>これは、不可知論の認識論に毒された人間のたわごとである。
>「人間は、絶対的な真理に到達できると宣言してはならない」というのが、近代の人間中心主義の認識論哲学が辿り着いた、致命的な欠陥である。

ここでは「確固不変たる真理に基づいて科学を定義することはできない」、「人間は絶対的な
真理には到達できない」というのは「不可知論の認識論に毒された人間のたわごと」だとtomi
さんは言っているのですから、「科学は確固不変たる真理に基づいて定義できる」、「人間は
絶対的真理に到達できる」と主張されていることになりますよね。
その他、同じ様なことを繰り返し書かれている。

でもそうなら、それは「実際に科学は絶対的な真理を獲得できるのだ」などと言う者になって
tomiさんの言う「デカルトの幻想から抜け出ていないオメデタ理性信仰者」ということになる
のじゃないですか。
自分で自分を「オメデタ理性信仰者」と宣言しているように見えます。

>「科学に正しい定義も、間違った定義もないのだ。それは単なる約束事に過ぎないのだから」というような者は、「それじゃあ、どうして正しい定義、間違った定義があるという主張が間違いであると言えるのか」との質問に答えることはできないのである。

約束事だから真偽の判定ができるのだと思います。
こういう場合に真とし、こういう場合には偽とするという約束事をしているから、これを真、
これは偽とできる。
何が科学かというのは、そういう約束事じゃないでしょうか。
それも神とかいうわけの分からない存在がしている約束事じゃなく、人が勝手に作った約束事
ですから、そのルールは誰でも理解できる。

その約束事に入らないものなら、科学とは言わず、別の何か違った呼称をすればいいのじゃな
いでしょうか?
何が科学かというのは人が勝手に作った約束事に過ぎないんですから、科学という言葉を後生
大事に奉る必要はないと思います。

「神の不在」を証明することは不可能です。
だから、もし「神の不在」を証明しろという人がいたら、そいつは馬鹿です。
「神の存在」を反証することも不可能です。
だから、もし「神の存在」を反証しろという人がいたら、そいつも馬鹿です。
できないことを他人に要求するなんてのはナンセンスです。
しかし、「神の不在」を反証すること、「神の存在」を証明することは可能なんですから、そ
れを主張する人は、もしそれらを要求されたら真摯に答えるべきです。
科学は、神の不在とか神の存在とかについて、証明も反証も求めていないし、主張もしていま
せん。ですから、科学は馬鹿でもないし、真摯に答える義務もない。


Re: 理論の適用範囲の限界とか>PDX.さん 投稿者:JA50  投稿日:10月14日(土)18時48分57秒

反証されたということの意味の取り方に、PDX.さんと私で違いがあるように思えます。

私の解釈では、ニュートン力学は、水星の動きの予測に失敗した段階で反証されたんです。
しかし、これこれの場合にはという条件をつければ正しいものであるのは、その前も後も変わ
りません。自然の予測に、その限界を知っておれば、十分役立つ。この地上における物の落下
予測に一般相対論を使うのはどうかしています。
古典力学は黒体輻射の予測に失敗した段階で反証された。しかしそれは今も有用です。

アドホックな修正というのは、これこれの場合は成り立たないとかいうその場合だけの条件を
入れることです。そういう修正をすることを許せば、仮説の反証は不可能になります。大きさ
仮説というのが惑星や衛星のプレートテクトニクスに関する理論なのに、イオでは成り立たな
いのなら、その仮説を棄却し、近傍に巨大重力源があっても成り立つようなより一般化された
仮説に修正すべきです。そして近傍に巨大重力源がない場合はその近似解になればいい。この
場合は反証可能性がより高くなりますので、アドホックな修正じゃない。

これは全ての科学の仮説に言えますので、中立な形質が進化した例が見つかったら、それは自
然選択説の例外だとしては、アドホックな修正になります。そうじゃなく、それらも含むより
一般化した仮説に修正すべきです。
ただし、自然選択説が最初から適応的な形質を対象にしている仮説だというのなら話は別です。
その場合は、この批判は成り立たないです。

>かなりの割合でそうだと思います。
>ただ、『必ず』と言いきれるかどうか。

え、「必ず」じゃないんですか?
自然選択説は、適応的な形質が進化するという説なのに、なぜ「必ず」じゃないんでしょう?

分からなくなりました。
PDX.さんの解釈する自然選択説は、自然選択により適応的な形質が進化するであり、そし
てその自然選択説の対象とする形質とは適応的な形質だけなんですよね?
適応的じゃない、つまり中立とか有害な形質は自然選択説の対象じゃないんですよね?
それなのになぜ「必ず」じゃなくなるんだろう、、、
自然選択説が対象とする形質で、自然選択説で説明できないというのにはどういうのが考えら
れるのでしょうか?

>『種』にとっては、特定の形質の中の変異でしかなくても、特定の
>地域集団の『亜種』にとってはその小集団の中で寡占状態を占めて
>いれば形質と言っていい状態かもしれませんし。
>多型の問題もありますし。
>一つの形質について、生存に対して有利なピークが2つ以上存在
>しても不思議ではないですよね?

私の解釈では、「種」であろうと「亜種」であろうと、形質は形質です。
亜種になろうが、寡占状態であろうがなかろうが、形質は形質だし、変異は変異です。
花の色という性質を指して形質と言うのであれば、それが種のレベルであろうが、亜種のレベ
ルであろうが、形質であることに変わりはありません。種のレベルでは、赤とか青というよう
な個体間の変異が存在し、亜種になると赤い花しかなくなっても、花の色という形質は形質で
す。種のレベルでは形質に赤と青という変異が存在していたが、亜種では赤という変異しかな
くなったということになります。
そして、「赤さ」という特徴を形質とするのなら、種レベルと亜種レベルでも「赤さ」という
性質が形質であるのは同じです。そしてその「赤さ」という形質に、濃い赤とか薄い赤という
ような個体間の違いがあれば、それが変異です。

花の色(これを形質とする)に赤と青という変異が存在し、その2つにほとんど適応度の差が
なければ、たぶんその形質は長く多型でありつづけると思います。

種が異なる例を持ち出すのは、例として不適当だと思いますので、NATROMさんが出してくれた
この赤い花、青い花というのがいいのじゃないかと思うのです。これを具体例として、PDX.
さんの形質と変異のイメージを解説していただけるとありがたいです。
自分はこういう場合にこれを形質とし、これを変異とするとやっていただけると、理解しやす
いのではないかと。


優性思想 投稿者:クリス  投稿日:10月14日(土)14時55分55秒

「適応的な形質のみが進化する」とする自然選択万能説は、当然「非適応的な形質は淘汰されて消滅する」ということを意味します。
ここから「非適応的な形質は淘汰されて消滅す『べきである』」とか「非適応的な形質は消滅させなければいけない」という時代錯誤な悪しき優性思想までは紙一重でしかありません。

Rhマイナスという血液型はRhプラスに比べて、別に適応度が低くはなかったでしょう。昔は。
しかし現代では適切な輸血療法を受ける機会が少ないということから適応度は低くなっていると言えます。
すると遠い将来、Rhマイナスという血液型は消滅してしまうのですよね?自然選択万能論では。


CM 投稿者:クリス  投稿日:10月14日(土)14時43分29秒

熱い議論のように見えて実は堂々巡りの空回りが続いているようですが。
もういい加減、どうして私や舞さん、PepperMystさんらが立腹していたか、お分かりでしょう?
結局、JA50さんは相手の意見を聞くつもり(能力?)なんてないんですよ。
TVのCMと同じです。自分の言いたいことを言っているだけ。
コミュニケーションとか議論をしようとしているのではありません。


Re: 理論の適用範囲の限界とか 投稿者:PDX.  投稿日:10月14日(土)01時46分20秒

To JA50さん

> その仮説が「堅い表面を持つ天体」のプレートテクトニクスを説明する仮説
>なのだとしたら、イオは反証になると思います。
> 近傍に巨大な重力を持つ天体がある場合にも成り立つように仮説を修正しな
>いといけない。
> その仮説は、近傍に巨大な天体がある場合も、ない場合も成り立つようにす
>べきで、その場合は、近傍に巨大な重力を持たない場合にしか成り立たない最
>初の仮説より、反証可能性が高くなります。これはアドホックな修正じゃない
>です。

 大きさ仮説で考慮されていたのは、天体の質量と表面積の比の違い
により、小さな天体(月、水星)はプレートテクトニクスが起こるよ
り先に冷えきってしまい、比較的大きな天体(地球)はプレートテク
トニクス維持できる程度に地熱を維持できた。両者の中間のサイズの
天体(火星)は、火山がかつて存在した程度には地熱を維持できたが、
マントル対流で移動するには地殻が厚すぎた(それだけ冷えるのが速
かった)という点です。
 イオの場合は、サイズだけから計算すれば月と同様に冷えきった天
体である筈だったのですが、木星から潮汐力をうけて衛星全体が歪む
ことで巨大な摩擦熱を得て、表面から逃げていく熱との収支が釣りあっ
た結果、活発な火山活動が維持されています。

 私風の解釈だと、これは大きさ(天体自体の質量と表面積)のみを
考慮して解釈してよい場合はこの仮説は十分に正しかったが、それま
で考慮していなかった要素の影響が大きい場合は説明できなくなった、
ということで、理論の適用範囲の限界を出た範囲では反証されたとい
うことになります。
(当初想定していた要素だけであれば矛盾はないのですから、全否定
されたとみなされる程の反証とは思えません)

 そして、木星からの影響は木星から遠くなるほど小さくなります。
 木星の衛星は全てがイオのように活発なわけではなく、遠いもの
ほどその影響は減り、そうなると大きさ仮説による説明の方が妥当
となります。
 複数の影響力の相互作用で説明すべきことであって、どちらか一方
の仮説が完全に反証・否定されたわけではない、というのが私の解釈
です。

 そして、自然選択による増加(ないし減少)と、中立な変異のラン
ダムな増減の場合、この2つの影響力は、その形質が適応的か否かの
程度によって変わってくると考えられます。
 単純な仮説が all or nothing にどちらかだけが正しいというので
はなく、複数の要因の相互作用を考慮した方が、自然をより適切に説
明できる、と。
 その形質が自然選択のチェックにかからないような中立的なものの
場合、自然選択による増減の度合いよりもランダムな事象の影響の方
が大きくなっても不思議ではなく、自然選択「だけ」を考慮して観察
結果を解釈すると、自然選択が反証された、とみなされてしまうかも
しれませんが、それは自然選択説で説明されるべきではない事象かも
しれないということです。


>形質には、自然淘汰にかかる適応的なもの(非適応的なものは自然淘
>汰により消えてしまう)と、それにかからない中立なものがある、そ
>してその中立な形質というのは、自然淘汰ではその進化を説明できな
>いんですよね?

 そうですね。
 自然淘汰以外の影響を考慮すべき問題だと思います。
(自然選択説が完全な間違いだという解釈はしていません)

> もしそうなら、自然淘汰説の対象である形質(適応的な形質)は、
>必ず自然淘汰説で説明できるということになります。

 かなりの割合でそうだと思います。
 ただ、『必ず』と言いきれるかどうか。

>PDX.さんのイメージされている形質とか変異はどういうものなん
>でしょう?

 正直、簡単に言ってしまうのは難しいと思っているんですけどね。
『種』にとっては、特定の形質の中の変異でしかなくても、特定の
地域集団の『亜種』にとってはその小集団の中で寡占状態を占めて
いれば形質と言っていい状態かもしれませんし。
 多型の問題もありますし。
 一つの形質について、生存に対して有利なピークが2つ以上存在
しても不思議ではないですよね?
(ヒトコブラクダとフタコブラクダは明らかに違う種であり、両者
を分ける形質はコブの数であるけど、どちらが有利というほどの差
はないのだと思います。これは形質なのか同じ形質の変異なのか?)


科学の正しい定義はない?2 投稿者:tomi  投稿日:10月14日(土)01時31分13秒


 有神論者は、「人間は、自分の認識能力を超えたことがら(物事の意味、本質、個物と普遍、霊的存在など)であっても、全知の神の啓示によって知ることは可能である。」という前提を立てるから、事の正邪を告げることができる。つまり、今回の例で言えば、「○○は正しい科学、△△は間違った科学」と定義することができる。

 しかし、不可知論者は、そのような神を前提とした認識論を受け入れることは間違いだ、だから、その神の啓示によって得られた知識を受け入れるわけにはいかない、と言うのだが、けっして「じゃあどうして神を前提とした認識論を受け入れることは間違いなのか」について説明はできない。

 「科学に正しい定義も、間違った定義もないのだ。それは単なる約束事に過ぎないのだから」というような者は、「それじゃあ、どうして正しい定義、間違った定義があるという主張が間違いであると言えるのか」との質問に答えることはできないのである。

 無神論者、相対主義者には、絶対のものさしなどない。

 だから、ものさしを持つことそのものが彼らから見れば異端(例えば、擬似科学っていうレッテル)になるのだ。

 しかし、なぜそれが異端であるかは説明できない。

 ものをつきつめて考える習慣のない人間は、最後には「だって〜、神が創造したわけじゃないんだから〜、絶対的な基準なんてこの世界には存在しないでしょ〜。」とわけのわからないことを言い出す。

 「神の不在」をどうやって証明するのか?もし、それがそもそも挙げてはいなけい疑問であるならば、それでは、なぜそのような答えを得られないような疑問をあたかも万古不変の土台であるかのようにして、「絶対的な基準なんてこの世に存在しないのだ」と堂々と主張できるのか。


科学の正しい定義はない?1 投稿者:tomi  投稿日:10月14日(土)01時30分09秒

 「何が正しい科学であって、何が正しくない科学か」という定義ができないのが科学だ、と言う者がいる。
 つまり、科学というのは、単なる約束事であって、確固不変たる真理に基づいて科学を定義することなどできないのだ、と。

 これは、不可知論の認識論に毒された人間のたわごとである。
 「人間は、絶対的な真理に到達できると宣言してはならない」というのが、近代の人間中心主義の認識論哲学が辿り着いた、致命的な欠陥である。
 事実、厳密な経験論は、人間理性から出発すれば、確実な知識はどのようなものでも絶対に得られないと結論せざるを得なかった(例えば、個物を観察し考察したことが、類を観察し考察したことになる、と証明できない。目の網膜に映った像について考察したことが、その実物を考察したことになる、と証明できない、など)。もしこの厳密な不可知論を受け入れるならば、科学の土台が崩壊するので、観念論などが救済を試みたのだが、実質的には、単なる主観主義に陥ってしまって、実質的な解決を得ることはできなかった。つまり、近代哲学はデカルトから100年も経たないうちに行き詰まりを迎えたわけである。

 科学が得られるあらゆる知識、そして、科学の定義すらも、それは客観的、明晰かつ判明に、得られたと言うことは不可能であり、それらは単に人間の観念が生み出し、構成した約束事でしかないのだ、というのが、理性への反省を経た現代という時代の真のヒューマニズム認識論である。もしそうではない、「実際に科学は絶対的な真理を獲得できるのだ」などと言うものがいるならば、デカルトの幻想から抜け出ていないオメデタ理性信仰者である。しかし、事実、進化論者には、こういった輩が多いから困ったものなのだ。

 人間の認識力の限界をこのように見据るのが真摯な科学者である。
 そして、そういった真摯な科学者は、けっして自分の領域を越えようとはしないし、また、自分が持っている知識を絶対不変のものだなどと考えない。なぜならば、彼は「人間理性だけが知識獲得の手段である」という前提を立てているからである。人間理性だけが知識獲得の手段であるという前提を立てれば、当然、「人間理性には限界があるから、絶対に確実な知識など得られない」と結論する以外にはない。

 そこで、科学は、ドグマを知識の土台にすることはできない、ドグマを知識の土台とするものは擬似科学だ、ということになるのであるが、そんなのは、不可知論を基にして定義した科学から見ているからであって、不可知論を基にして定義することそのものが正しいかどうか不明なのであるから、「擬似科学」もへったくりもないのである。

 不可知論に基づく認識論を金科玉条のごとく崇め奉っている狂信者は、あらゆるドグマを科学から排除することにやっきになるだけではなく、あらゆるものに正邪の判断をつけることを拒否するのである。

 彼らは、「○○は正しい。△△は間違っている。」という判断は誰も行えないのだ、と言うことが、どのような場合においても言えると主張するのだが、そういう主張そのものが正しいことを少しも説明できないのである。


変異と形質(再) 投稿者:  投稿日:10月14日(土)00時39分18秒

器管君はこの問いに答えられないのかな。
都合が悪いからって無視してりゃいいってもんじゃない。
(以下再掲)

キリンの首について、J定義だと          
「首の長さ」=形質
「長い首(といわず2mの首といおう)」「短い首(同じく1mの首)」=変異(variation)
ここまではacceptableだ。

では、
もし淘汰によって2mの首のキリンだけになった場合、
「2mの首」は変異なのか?(1種類しかないからvariationじゃないよねぇ) 
 それとも形質なのか?(さっきは、形質は「首の長さ」という抽象的概念だったよ)
 それとも「表現型」なのか? (笑)
 (以下略)

PDX.さんの問いにも答えてないね。

>で、「花の色」というのが「形質」だとすると、「適応的な形質」
>というのがどういうものかよくわかりません。

適応的な「花の色」と置きかえると、器管君のいう「変異」と同じ
ことになってしまう。「適応的な変異」と「適応的な形質」は具体的
にどう違うのでしょう?

以下、器管君の文章

>私はその花の色という性質が形質であり、青と
>か赤という個体間の違いを変異とします。
>さらに、その下層の性質についても同じことが言えると思います。青い色という性質にも、濃
>い青とか薄い青、少し紫がかった青、緑がかった青などいろいろな個体間の違いがあるでしょ
>う。私は青い色という性質に注目するのならそれを形質とし、その個体間の違いを変異としま
>す。
>また、より上層の性質に注目すれば、何が形質で何が変異かというのも変わってきます。例え
>ば、花全体に注目すれば、大きいの小さいの、赤いの白いの、長いの短いのいろいろな個体間
>の違いがあると思います。この場合は、花全体が形質であり、その中の個体間の違いを変異と
>します。

前半は良い(対立遺伝子の概念から言えば、あまり正しいとは言えないが、
少なくとも諒解可能)が、後半が支離滅裂。
器管君の定義に沿うならば、「大きいの小さいの」は「花の大きさ」、同じく
「長いの短いの」は「花の長さ」を形質とすべきでしょ。「臨機応変」に「定義」
がすりかわるんだね。

対立遺伝子とか遺伝子の発現という概念を、「教科書」(分子生物学のが
好ましい)でお勉強なさってから出直した方がよろしいですよ? >器管君 
中立説についてのでたらめな理解も飛び出して来ちゃったし >器管君

>集団遺伝学が専門ではないですが、遺伝学を2年半学んだ大学院生の意見であれば提供できま>す。大学院生の意見が信用できないのであれば、機会があれば集団遺伝学の専門家に質問しま>す。

こういう言明をしなくてはならないとはホント悲しいです。





「生物進化を考える」に書いてあった 投稿者:masayuki  投稿日:10月13日(金)21時56分17秒

形質の進化と限定した進化理論?そう言うのは記憶にないな〜と「生物進化を考える」をペラペラめくっていたら、
p254〜p255に新種の形成について書いてあった、ここは表現型レベルに限定した説明をしているページであるし、特に形質と言うことに限定してないが、種の形成と言うことで、JA50さんにも納得して貰えるのではないかと思うけど、どうでしょうか。
「新種の形成の根本的な要因は「隔離」である。(中略)新しい遺伝的変異が偶然的浮動や地域的な適応(淘汰)によって固定されてゆく。(中略)新しい種としての特性が生まれる。・・・・」


自然選択説の解釈 投稿者:NATROM  投稿日:10月13日(金)21時28分10秒

>もしかしてNATROMさんは自然選択説というのは、遺伝的影響以外の影響(文化にしろ他のにしろ)
>の方が強かったら、自然選択説は適用できないとされているのですか?

私は、自然選択説が適用できないほど遺伝的影響以外の影響が強い可能性もあると思っています。自殺行動が自然選択説で説明できないのは同意いただけると思います。


>スパンドレルは形質でないものを形質としてそこに適応的な意味を求めています

河田は「あらゆる性質に機能があると仮定し、それを適応的に説明しようとする」試みを批判しているのであって、「形質でないものを形質として適応的な意味を求めている」試みを批判しているのではありません。


>私は、形質でないものに自然選択で進化したのしないのと言ってはいません。

JA50さんいう形質は奇妙に思えます。「下肢の種子骨と上肢の種子骨が同一の遺伝子で支配されているならば、上肢と下肢の種子骨両者を一緒にして形質とすべき」とのことですが、例えば、ある遺伝子が脳とリンパ球に発現していれば脳とリンパ球を一緒にして形質とすべきなのですか?また、下肢の種子骨と上肢の種子骨の両方に作用している遺伝子もあれば、下肢および上肢にそれぞれ特異的に作用する遺伝子もあった場合、上肢と下肢の種子骨両者を一緒にして形質とすべきですか?それぞれを形質とすべきですか?


>化石種の適応度ってどうやって調べるのですか?

アイデア次第です。グールドだったと思うのですが、昆虫の羽の起源を、さまざまな体の大きさ及び羽の大きさのモデルで説明しようと試みた研究を紹介したエッセイがありました。実験の結果、「飛ぶのには役に立たないが、落下のときの姿勢制御に役立った」とかいう推測は立てられます。ところで、ある化石種の性質(たとえばパンダの下肢の種子骨の化石が発見されたとでもしましょう)が形質かどうか、どうやって判断するのでしょうか?


>「上の説明にあてはまらないこともある」と言われることが実際に見つかれば
>私は反証になるという主張だし、NATROMさんはそうじゃないとされているんですよね?

「すべての形質は自然選択によって進化した」というJA50流の自然選択説であれば反証されるでしょうし、実際に反証されているというのが私を含むここのほとんどの参加者の意見です。実際には下で引用するように、集団のサイズが小さい場合などにはあてはまらないことは専門家も認めています。専門家が認めなくても、イモや花の例を想像すれば、あてはまらないことがあるのは自明に思えます。


>自説を曲げるかどうかは、内容次第です。
>ただ、専門家がそう言っている文献があれば、是非、紹介してください。

河田雅圭「進化論の見方」P40、強調は引用者
たとえば自然選択の一つの公式は次のようにいえる。「集団内の個体の間に適応度の差があり、その適応度の差が遺伝する個体の性質の差に依存する場合、他の条件がそろえば(例えば集団のサイズが十分に大きいとき)、高い適応度に貢献する性質は集団中に増加する」(中略)しかし、自然界では必ずしも適応度に差がある性質ばかりがあるわけではないし、適応度に差があっても、集団のサイズが小さいと、上の公式があてはまらないこともある。


表現型の固定確率 投稿者:NATROM  投稿日:10月13日(金)21時24分22秒

>その中には、私に判定可能なものもあるでしょうが、たぶんほとんどその可否の判定は私には
>無理だと思います。

私は議論をしたいのです。
私「メンデル遺伝する表現型であれば分子進化の式が適用可能だ。」
JA50さん「(理由を述べず)とにかく慎重であるべきだ」
私「なぜ?」
JA50さん「分からない。私には可否の判定は無理だ」
議論になりません。

「これこれこういう理由で適用不可能だ」という指摘を望むのです。分からないのであれば、主張を訂正するかひっこめてくれれば不毛な議論はしなくてもすむのですが。


>自己責任の上にきちんと引用してやって下さい

引用しましたよ。へちさんによれば「〜」とのことですが、というのは引用にはなりませんか?


>例えば「集団中に出現した突然変異遺伝子A'が既存の野生型遺伝子Aに対し・・」といような
>数学モデルを指して、もともとは表現型を対象としたものだなどと言ってもナンセンスでしょ
>う。

なぜ?中立説におけるいろいろな式は、淘汰係数sがゼロ以外の場合も扱っています。もともとは表現型における式であったとしても不思議ではありません。よってへちさんを引用しました。


>表現型に現れる突然変異遺伝子を対象にすると、中立説はなりたたなくなる。
>微弱な有害突然変異遺伝子も、中立と見なし得るとして、理論を立てたものが中立説だと私は
>理解しています(まぁ、素人がそう考えているというのですので、そりゃ違うだろうと言われ
>るのは重々承知しています)。

そりゃ違うだろう。表現型に現れないのに微弱有害とはこれいかに?


>50個体で測ったsは、数学モデル上であっても、その誤差範囲は非常に大きいのじゃないですか。

思考実験上でもSは測定しません。前提です。


>科学は信じるものじゃないです。
>NATROMさんらしくないですね。

10月 7日(土)19時55分41秒のJA50さんの投稿によると「専門家が証明したんなら、同義としていい」とのことでしたので、JA50さんは「理解はできなくても、専門家が証明したのであれば信じる」と思ったのです。それとも専門家が証明したのであれば理解できるのでしょうか。


>もし、中立説を表現型レベルの進化(「メンデル遺伝する表現型」と限定したものでも結構で
>す)に適用できるとしている専門家の文献があれば教えて下さい。

集団遺伝学が専門ではないですが、遺伝学を2年半学んだ大学院生の意見であれば提供できます。大学院生の意見が信用できないのであれば、機会があれば集団遺伝学の専門家に質問します。


Re:ダブルスタンダード>NATROMさん 投稿者:JA50  投稿日:10月13日(金)19時35分12秒

NATROMさんの主張されている科学の条件は何なのでしょう?
以前、お聞きしたのですが、答えていただいてないので。
ポパーの名でよく創造論者に出しておられるので、それでいいのだろうとは想像しているので
すが、もしそうじゃないというのなら、以下のようなレスは全く頓珍漢なことになりますので、
確かめてからと思っていたのですが、、、

>1)から3)を否定する一方で、2)を支持する立場がダブルスタンダードなのでは。

一つの根拠で、2)を支持し、3)を否定しているのではありません。

自然選択説が、適応的な形質の進化の説だと対象を限定することを問題にしているのではあり
ません(そういう主張に私が同意しているわけじゃないですよ)。科学の仮説が、これこれに
ついての説だと対象を限定するのは当然のことです。進化論は、進化についての説であり、生
命発生についての説じゃない(というのは前にも書いた)。

なぜ3)が科学の仮説たり得ないのかというのは、それが存在言明だからです。
自然選択説が適応的な形質の進化を対象としている説だということ自体を問題にしているので
はなく、そうすればそれは存在言明になってポパー流の科学の仮説の条件に入らなくなると言
っているのです。

自然選択説は、適応的な変異が広がるという説であり、その結果として適応的な形質ができる
というのはNATROMさんも私も同じ。さらにNATROMさんは、中立な形質も進化し得て、それは自
然選択説で説明できないとされている(これも私もそう考えます)。
違うのは、その中立的な形質の進化というのが自然選択説の対象範囲外かどうかじゃないです
か。
私はそれも自然選択説の対象範囲内であり、もしそういう例が存在すれば自然選択説は反証さ
れるとしているが、NATROMさんはもしそういう例があっても(実際にもあると言われてもいる
んですよね?)、それは仮説の対象範囲外だから反証にはならないとされている。


Re: 理論の適用範囲の限界とか>PDX.さん 投稿者:JA50  投稿日:10月13日(金)19時33分13秒

>この例では、大きさ仮説は反証されてしまって、all or nothing
>で判断して科学的仮説ではない、ということになってしまうのでしょ
>うか? イオの例を特殊な例外として適用範囲外とするのはアドホッ
>クな修正なのでしょうか?

どうも言われたい意図が理解できないのですが、、、

それに、プレートテクトニクスの活発さの違いについての仮説というのもよく分からないの
で頓珍漢なレスになるかもしれません。

その仮説が「堅い表面を持つ天体」のプレートテクトニクスを説明する仮説なのだとしたら、
イオは反証になると思います。
近傍に巨大な重力を持つ天体がある場合にも成り立つように仮説を修正しないといけない。
その仮説は、近傍に巨大な天体がある場合も、ない場合も成り立つようにすべきで、その場
合は、近傍に巨大な重力を持たない場合にしか成り立たない最初の仮説より、反証可能性が
高くなります。これはアドホックな修正じゃないです。

>私がこの例を持ち出したのは、偶発的な事象が、自然選択説よりも
>大きな影響を与えてしまい、非適応的な変異が多数派の座に収まる可
>能性を示すことで、複雑な過去の経緯を持ちうる自然を説明するには、
>単純なモデルだけでは説明ができないこともあることを例示したかっ
>たからです。

これも上の説明と同じことなります。
私がPDX.さんの意図を正しく理解していないのかもしれませんが。

単純なモデルで、自然の複雑な事象が説明できないとしたら、その単純なモデルは自然を説明
するモデルとして不適切だというだけの話になるのじゃないでしょうか。

>以前にも主張したとおり、その形質が増えるにしろ減るにしろ、自然
>淘汰という篩を用いて説明する以上、その篩にかからない変異について
>は説明できない仮説だと思っています。

すみません、確かめさせてください。
形質には、自然淘汰にかかる適応的なもの(非適応的なものは自然淘汰により消えてしまう)
と、それにかからない中立なものがある、そしてその中立な形質というのは、自然淘汰ではそ
の進化を説明できないんですよね?

私が問題にしているのは、その自然淘汰にかからない中立なものがあれば、それは自然選択説
という仮説の反証になるのかどうかということです。実際に自然界に中立な形質があるのかど
うかは分かりません(存在証明は反証不能ですので、ないとは言えない)。それを私は問題に
しているのではありません。

中立な形質の進化は説明できないというのが、自然選択説の対象範囲外だというのなら、反証
にならないというようにとれますが、そうでしょうか?
もしそうなら、自然淘汰説の対象である形質(適応的な形質)は、必ず自然淘汰説で説明でき
るということになります。

>「適応的な変異」「非適応的な変異」はバリエーションとしてあり
>えても、「花の色」という「形質」が「(定着しなかったので)存
>在しない」状態が想像できないのです。

なるほど、、、

私もうまく言葉で表現できないんですが、そういう場合はどういうことになるんだろう。
そもそも存在していないものを、どういう状態かと尋ねられても、どう答えていいか。

PDX.さんのイメージされている形質とか変異はどういうものなんでしょう?
花について、どれを形質としどれを変異としますか?
具体的なものにあてはめてこれがこうというように言っていただくと、私もイメージできるかもしれない。


Re:自然選択説の反証可能性>wadjaさん 投稿者:JA50  投稿日:10月13日(金)19時31分54秒

>100%ではないという意味であれば、その通りです。

100%でないといけないなどというのは誰も考えていないはずです。
私が問題にしているのは、0%に近い方の話です。
例えば、少子化の例で言えば、文化的影響によるのが50%以上あったとしたら自然選択説は
適用できないとか、99%文化的影響だったらダメだとか、、、

>固定した値を挙げることは出来ません。飽くまで表現型での話としても、対立遺伝子よりも相対的に高ければ良いのではないでしょうか。

ここの意味がよく理解できません。
適応度の差を問題にしているのではないので、「対立遺伝子よりも相対的に高ければ良いので
はないでしょうか」というのがよく分かりません。

>この当たりが私の理解とは完全に食い違います。

私の主張は、あくまでもポパー流の科学の条件を受け入れている場合に限ります。ですので、
「科学的仮説というのを反証可能性というので線引きするのなら」と書いています。
私は、ポパー流のプリミティブな条件設定が好みですが、そこは人それぞれでしょう。

>単純化したモデルを用いて、現実の世界において正確に遺伝子の広まる確率を求めることは不可能ですが、「理論が正しければ、こういった傾向が出るはず」、あるいは「こういった傾向が出るのなら、理論の間違っている可能性が高い」ということを判断するのには、役立つのではないでしょうか。

もちろん、言われる通りだと思います。
現実の世界では100%なんてあり得ないんですから、95%というような信頼水準をおいて
判定するしかない。
しかし、最初から「遺伝子の広まる確率」(表現型レベルのです)が分からないのであれば、
そういう検定さえできない。「広まる」という言明なら、実際に実験や観察で95%がそうだ
ったから、その仮説は正しいだろうとできますが、そうじゃない不明な確率の場合にはどうし
たらいいんでしょう?

>現実の世界で、無制限な時間・無制限な環境の中で母集団を計測することは不可能ですから、どのような計測を行っても誤差は生じます。

これはその通りと思いますが、、、

>突き詰めていけば「(計測不能な真の)適応度が1でも、3人の子供が生まれることは起き得るし、適応度が1を超えていても、絶滅する場合もあります。さらに適応度が1より小さくとも、その変異が集団に固定する」ことはありうると言いたかっただけです。

(計測不能な真の)適応度というのは形而上学になってしまわないでしょうか?
そういうものを前提とした主張は、科学じゃなくなるのではないかと。


自然選択説>どらどらさん 投稿者:JA50  投稿日:10月13日(金)19時30分27秒

こんにちは。

私もやっているんであまり大きな顔はできないんですが、「適応的」という用語の意味の取り
方に私と他の方に違いがあり、そのために話がかみ合わない原因があるのかもしれないと、ど
らどらさんのメッセージを読んで感じました。
また、逃げるのがうまい、下手というのは抽象的で、判定基準があいまいなのも、結論に矛盾
が出た原因じゃないかとも思います。

>ある形質について個体1の変異は、個体2の変異よりも適応的だとしましょう。

適応的だというのは何で判定するのでしょうか?

私は適応度で判定するとしています。
逃げるのがうまいのと下手なのでは、一見、うまい方が適応的に見えるけど、適応度を測って
みたら下手な方が高かった(遅い方の子孫が多かった)、というのもあり得ますよね。
その場合は、下手な方が適応的だとしないといけない、と私は考えいます。
しかし、どもどもさんはうまい方が適応的だとするんですよね。そうでないと以下のような結
論にはならないはずですから。

>でも次に襲われたのは個体1で、たまたま捕食されてしまった。
>その後個体1はなんとか子孫を残すことができ、この集団では適応度の低い
>変異が固定された。

私の適応的ということの解釈では、個体2の方を適応的とします(なぜなら適応度が高いから)
ので、適応的な変異の方が固定されたとなります。
うまい方が適応的だとするのは、人の先入観にならないでしょうか?


Re:自然選択説の解釈>NATROMさん 投稿者:JA50  投稿日:10月13日(金)19時29分44秒

>遺伝的影響も一部受けているけれども、文化的影響の方が強いため少子化現象は動物行動学を適用できないという可能性は考慮しなくてもいいのですか?

どうも言われたい意味が理解できないのですが。
そんなことはないと思うのですが、もしかしてNATROMさんは自然選択説というのは、遺伝的影
響以外の影響(文化にしろ他のにしろ)の方が強かったら、自然選択説は適用できないとされ
ているのですか?

>かといって、一見して機能のわからないような性質に対して、それをうまく適応的な性質として説明してしまう仮説が乱造されるような状況は好ましくないとは思いませんか?
>適応的な性質でないかもしれない、と言う可能性も考えるべきです。

適応的な性質でないかもしれないという可能性を考えないといけないのは、非万能論者です。
万能論者は、それが形質であり(NATROMさんの定義で)、自然選択説が成り立つなら、そこに
適応的な意味があるはずだとして、その意味が何かと研究することになります。
ただし、「うまく適応的な性質として説明してしまう仮説が乱造される」というのを竹内久美
子のようなことを想定されているのなら、それは言われる通りですが。

>河田はJA50さんのような妙な形質の定義(下肢の種子骨と上肢の種子骨が同一の遺伝子で支配されているならば、上肢と下肢の種子骨両者を一緒にして形質とすべき、など)をしていましたか?

スパンドレルは形質でないものを形質としてそこに適応的な意味を求めています。NATROMさん
は、下肢の種子骨の大きいことを、適応的な意味のないものと仮定し、さらに形質でないもの
を形質として、それは何の役にも立っていない形質だという例だとしています。どちらもカリ
カチュアを作っているのは同じです。
私は、形質でないものに自然選択で進化したのしないのと言ってはいません。

>なぜいけないのでしょうか。
>「この形質は役立っていたのか?」(万能論者はそもそもこんな問いはできない)、「役立っていたとしたのならば、一体何に役立っていたのか?」という問いは妥当なものです。この問いに対する仮説を提案してなぜいけないのでしょうか。

「この形質は役立っていたのか?」という問いは万能論者もしますよ。
もし役立っていないのに進化したとしたら、それは自然選択説の反証になるんですから、万能
論者にとってはこれほど根本的で重要な問いはない。
そして、化石種については、そういう現存種で検証されたこと(形質は適応的だったから進化
しえたという仮説)を基礎にして、こういう機能をはたしていたはずでそれは適応度を高める
ことに役立っていたはずだという推測をすることになる。中立とか非適応的な形質が進化して
くることはないとしているんですから、そうするしかない。

しかし、非万能論者はそうじゃないんでしょう?
中立とか、中には非適応的であっても進化しえるとさえしている人もいるんですから、それが
役立つものであろうがなかろうが、進化しえるのはどちらも同じじゃないですか。
それなのになぜ、推測するしかない化石種の形質について、これこれの機能をはたしていたは
ずでそれはその個体の適応度を高めていたはずだ、なんていう万能論者がする、いわば苦しい
説明を、しなくてもいい非万能論者がするんでしょうか?

それに、非万能論者は、ある形質がどういう適応的な意味があるのかと苦しい説明をする万能
論者を揶揄の対象にさえしているのじゃなかったですか。
それなのに、化石種については、これこれの適応的な意味があったはず、それで自然選択によ
り進化したんだというような説明を、非万能論者がやっていいんですか?

>化石種であったとしても、原理的にその仮説が検証不可能というわけではありません。アイデア次第でしょう。

化石種の適応度ってどうやって調べるのですか?

>しかし、自然界では必ずしも適応度に差がある性質ばかりではないし、適応度に差があっても、集団のサイズが小さいと、上の説明があてはまらないこともある、というのが私の主張です。

NATROMさんの主張はそれでいいんで、問題なのは、その「上の説明にあてはまらないこともあ
る」と言われることが実際に見つかれば(そういう実例があれば)、その上の「自然選択説の
説明」の反証になるのかということです。
私は反証になるという主張だし、NATROMさんはそうじゃないとされているんですよね?

>これも誰か専門家がそう言えばJA50さんはお信じになるのでしょうか?
>あるいは「尊重する」だけでやっぱり自説を曲げない?

前のメッセージでも書きましたが、NATROMさんから「信じるか」という問いが出るとは驚きま
した。

自説を曲げるかどうかは、内容次第です。
ただ、専門家がそう言っている文献があれば、是非、紹介してください。


Re:表現型の固定確率>NATROMさん 投稿者:JA50  投稿日:10月13日(金)19時28分05秒

>メンデル遺伝する表現型の場合は分子進化の式が適応可能という私の議論に対する具体的な反論がないので、「メカニズムの違いです」というのでは理由になりません。

「メンデル遺伝する表現型の場合は分子進化の式が適応可能」かどうかは、分子進化の式なる
ものが具体的に何を指しているかで判定されるでしょう。
その中には、私に判定可能なものもあるでしょうが、たぶんほとんどその可否の判定は私には
無理だと思います。

>根拠は?へちさんによれば「もともと表現型を対象としたもの」とのことですが、それを踏まえた上での発言でしょうか。

すみませんが、他人のメッセージで相撲を取るのは止めていただけませんか。
それを自分の主張とするのなら、自己責任の上にきちんと引用してやって下さい。

なお、中立説におけるいろいろな式のことを私はイメージしていました。
具体的には「生物進化を考える」や「分子進化の中立説」の中に出てくる式です。
例えば「集団中に出現した突然変異遺伝子A'が既存の野生型遺伝子Aに対し・・」といような
数学モデルを指して、もともとは表現型を対象としたものだなどと言ってもナンセンスでしょ
う。

>ここにJA50さんの主張のおかしい点が集約されています。sが0ではない突然変異遺伝子は、必ずなんらかの表現型を発現しています。何も表現型の差を発現しない突然変異遺伝子(例えば同義置換)のsはゼロです。「突然変異遺伝子はAという表現型を生じる」という一文を挿入しただけで、この命題の意味は変化しません。

いや、違うと思います。
sが0でない突然変異遺伝子は何らかの表現型を発現している可能性が高い(必ずじゃない)
というのはその通りでしょうが、表現型に現れる突然変異遺伝子を対象にすると、中立説はな
りたたなくなる。
微弱な有害突然変異遺伝子も、中立と見なし得るとして、理論を立てたものが中立説だと私は
理解しています(まぁ、素人がそう考えているというのですので、そりゃ違うだろうと言われ
るのは重々承知しています)。

>だから、sは測定するものではなく、前提なのです。数学モデル上のものです。中立説も理解されていないように見えます。

数学モデル上の思考実験だというのは分かっています。
50個体で測ったsは、数学モデル上であっても、その誤差範囲は非常に大きいのじゃないで
すか。それとも、思考実験だから、誤差範囲を0というような実際上はあり得ない値に無理矢
理してしまうとうことなんでしょうか。

>も何度でも言いますが、メンデル遺伝する表現型であれば適用可能であるという私の議論の欠点をJA50さんは指摘できません。

これは言われる通りですね。
それほどの数学能力は私にはないし、NATROMさんがどういう式を想定されているのか分かりま
せんが、それを現実の実験や観察で追試するということも、私は専門家ではりませんのででき
ません。

>誰か別の権威ある専門家が「メンデル遺伝する表現型であれば適用可能」とでも言えば、信じるのでしょうか?

科学は信じるものじゃないです。
NATROMさんらしくないですね。

>それとも「専門家の意見として尊重」するけれど、やはり納得しないのでしょうか?

もし、中立説を表現型レベルの進化(「メンデル遺伝する表現型」と限定したものでも結構で
す)に適用できるとしている専門家の文献があれば教えて下さい。
非常に興味があります。

そんな文献などない、などと言っているのではないですよ。
クリスさんが言ったのなら信用しませんが、NATROMさんはクリスさんじゃないんだから。
私も中立説が分子進化だけじゃなく、表現型レベルの進化にまで拡張されるとしたら、それは
すばらしいことだと思っていますので。


カテゴリ分類は難しい 投稿者:NATROM  投稿日:10月13日(金)19時17分55秒

http://www.kakikomi.com/cgi-bin/kaki/kaki.cgi?mode=kt&kt=07_12_01

書き込みドットコムでの当サイトの位置

ホーム > 科学と技術 > 超常現象 > 超古代文明

適当なカテゴリがないのはわかるが、超常現象はともかく超古代文明というのはいかがなものか。

http://www.kakikomi.com/cgi-bin/kaki/kaki.cgi?mode=kt&kt=07_12_01


科学の仮説の適用範囲 投稿者:へち  投稿日:10月13日(金)07時59分46秒

> これこれの形質は適用範囲外だとするのはアドホ
> ックな修正だと思います。適応的な形質の進化は自然選択説で説明できる。しかし、非適応的
> な形質の進化は説明できない。それは適用範囲外だというのでは、私は科学の仮説たり得ない
> と思うのです。



> これこれの突然変異は適用範囲外だとするのはアドホ
> ックな修正だと思います。非適応的、中立的な突然変異の進化は中立説で説明できる。しかし、適応的
> な突然変異の進化は説明できない。それは適用範囲外だというのでは、私は科学の仮説たり得ない
> と思うのです。


ダブルスタンダード 投稿者:NATROM  投稿日:10月13日(金)07時52分59秒

>1)私は、科学の仮説というのは本質的に all or nothing でないといけないと思います。
>2)自然選択説は進化の全てを説明する仮説ではない。あくまでも形質の進化についての説だと私は考えています

1)と2)がダブルスタンダードであるのではなく、

3)「自然選択説は形質の進化のすべてを説明する仮説ではない。あくまでも適応的な形質の進化についての説」

1)から3)を否定する一方で、2)を支持する立場がダブルスタンダードなのでは。


Re:少なくとも 投稿者:PepperMyst  投稿日:10月13日(金)06時52分40秒

wadjaさん>
> PDX.さんの引用された、JA50さんの直近の書き込みには続きが有って、
PDX.さんの発言からの孫引きなどではありませんよ。ちゃんと一次発言もその前も見てますって。

> と書かれているので、少なくとも私はそう理解しています。
引用をずっとたどっても理論の適用範囲の話題しかないんですよ。
それなのに突然確率的命題を批判?・・・やりかねないなあ。
その場合は文脈など役に立たないってことですけどね。

> 表現型として発現しない分子レベルの変異に、自然選択が直接働くような場合ってあるんですか?
ないでしょう。というより、自然選択が働くようなら表現型と呼ぶ資格は十分でしょう。例えそれがDNAそのものであったとしても。


少なくとも>PepperMystさん 投稿者:wadja  投稿日:10月13日(金)00時16分58秒

PDX.さんの引用された、JA50さんの直近の書き込みには続きが有って、

>科学の仮説はこれこれのことはあり得ない、こういうもの
>はあり得ないという言明でないといけないと私は思っています。これは all or nothing その
>ものでしょう。

と書かれているので、少なくとも私はそう理解しています。

>ちなみにAは機種依存文字なので出来るだけ避けましょう。

知りませんでした。以後気をつけます。

ついでにお尋ねしていいですか(立ってる者は親でも使え的発想でスミマセン)?以前それとなくみんなに聞いたのに、誰も答えてくれなかった疑問です(T.T) 表現型として発現しない分子レベルの変異に、自然選択が直接働くような場合ってあるんですか?


Re:ダブルスタンダード 投稿者:PepperMyst  投稿日:10月12日(木)23時37分54秒

wadjaさん>
> @私は、科学の仮説というのは本質的に all or nothing でないといけないと思います(確率言明は本質的には反証不能だから、科学の仮説とするべきではない)。

ん?そういう意味なのかな?確率の話とは別スレッドですよ。まあ何を言い出すかわかんない人ではありますが。
↓のことだと思ったし、少なくともこれと2番はダブルスタンダード。

> これこれの形質は適用範囲外だとするのはアドホ
> ックな修正だと思います。適応的な形質の進化は自然選択説で説明できる。しかし、非適応的
> な形質の進化は説明できない。それは適用範囲外だというのでは、私は科学の仮説たり得ない
> と思うのです。

> A自然選択説は進化の全てを説明する仮説ではない。あくまでも形質の進化についての説だと私は
> 考えています(分子進化を説明する仮説ではない)

#ちなみにAは機種依存文字なので出来るだけ避けましょう。


ダブルスタンダード>PepperMystさん 投稿者:wadja  投稿日:10月12日(木)21時52分07秒

私はPepperMystさんの、シニカルな切れの良い議論のファンです。全くの横レスで、大きなお節介なのは重々承知です。

でも、

@私は、科学の仮説というのは本質的に all or nothing でないといけないと思います(確率言明は本質的には反証不能だから、科学の仮説とするべきではない)。



A自然選択説は進化の全てを説明する仮説ではない。あくまでも形質の進化についての説だと私は
考えています(分子進化を説明する仮説ではない)

とで、ダブルスタンダードと言うのは、PepperMystさんにしてはキレがないと思えるし、JA50さんには気の毒だと思うのですが...。気を悪くされたら、謝ります。


絵に描いたようなダブルスタンダード 投稿者:PepperMyst  投稿日:10月12日(木)17時57分38秒

>私は、科学の仮説というのは本質的に all or nothing でないといけないと思います。
>自然選択説は進化の全てを説明する仮説ではない。あくまでも形質の進化についての説だと私は考えています


Re: 理論の適用範囲の限界とか 投稿者:PDX.  投稿日:10月12日(木)09時04分36秒

To JA50さん

> 私は、科学の仮説というのは本質的に all or nothing でないと
>いけないと思います。

 なるほど…以前、『共生説は自然選択説を完全に打ち負かしていな
い』とかそんな意味のことを主張されていたのでもしや、と思ってい
たのでしたがやはりそうですか。

> しかし、形質の進化を説明する仮説なのに、これこれの形質は適用
>範囲外だとするのはアドホックな修正だと思います。適応的な形質の
>進化は自然選択説で説明できる。しかし、非適応的な形質の進化は説
>明できない。それは適用範囲外だというのでは、私は科学の仮説たり
>得ないと思うのです。

 ここで、以前も出した話題に戻るわけですが、堅い表面を持つ天体
(地球、火星、月)のプレートテクトニクスの活発さの違いを、表面
積と体積の比率の違いからくる熱の逃げやすさの違いだけで説明しよ
うとした仮説(大きさ仮説、とします)についてはどう思われますか?
 地球、火星、月、および水星に対してこの仮説を適用すると、かな
りうまく現実を説明できます。
 ところが、イオについては、その表面が活発な火山活動を持ってい
る理由を天体の大きさだけでは説明できず、近傍に存在する巨大質量
(木星)からの潮汐力による影響を考慮しないといけません。

 この例では、大きさ仮説は反証されてしまって、all or nothing
で判断して科学的仮説ではない、ということになってしまうのでしょ
うか? イオの例を特殊な例外として適用範囲外とするのはアドホッ
クな修正なのでしょうか?

 天文学に関しては門外漢であるグールドがこの話題を自分のエッセ
イに取り入れているのは、(生物に比べれば)決定論的な物理学で説
明できると思われがちな天体ですら、単純な仮説だけでは説明できず、
複数の要因がどのように影響したかの歴史を考慮しないと現実を説明
できない例として適切だと考えてのことでしょう。そして、天体より
は複雑な存在とみなされている生物について語るには、単純化された
モデルでの説明には限界がある、と。

>AとA1の喩えは意味が理解できません。

 私がこの例を持ち出したのは、偶発的な事象が、自然選択説よりも
大きな影響を与えてしまい、非適応的な変異が多数派の座に収まる可
能性を示すことで、複雑な過去の経緯を持ちうる自然を説明するには、
単純なモデルだけでは説明ができないこともあることを例示したかっ
たからです。
(天体の例で言えばイオよりもガニメデだかエウロパあたりだかの方
が適切かなぁ…あの天体がその大きさにそぐわぬ荒々しい地表をもっ
ているのは、一度バラバラに砕け散って再度固まった結果であろうと
説明されていて、大きさ仮説だけでは説明できない)

> PDX.さんはどう思われますか?
> 適応的な形質についての理論でしょうか?

 以前にも主張したとおり、その形質が増えるにしろ減るにしろ、自然
淘汰という篩を用いて説明する以上、その篩にかからない変異について
は説明できない仮説だと思っています。
 つまり、対して適応的でも非適応的でもない、中立とみなされる表現
型については、自然選択説の影響は小さすぎて、ランダムな増減の影響
の方が大きくても不思議はないであろうし、少しばかり不利な変異が、
かなり有利な変異と同じ染色体に乗ってしまったことで集団中に拡がり
定着したりすることもありえるだろうと考えています。
 このあたりは何度も主張しているとおもいますが。

> PDX.さんはこれらについて、何を形質とし、何を変異とされますか?

 うまく言い表せないのですが、JA50 さんの変異と形質の定義は、
私の思っているものより抽象的という気がします。
「花の色」がどんなバリエーションがあったとしてもそれは「変異」
で、「花の色」というのが「形質」だとすると、「適応的な形質」
というのがどういうものかよくわかりません。
「適応的な変異」「非適応的な変異」はバリエーションとしてあり
えても、「花の色」という「形質」が「(定着しなかったので)存
在しない」状態が想像できないのです。


Re:偶然と必然>JA50さん 投稿者:masayuki  投稿日:10月12日(木)03時37分11秒

>「小さな集団で、有利(生存と繁殖に有利ということ)な変異がたまたま偶然に消失してしまい、残ったほぼ中立な変異のみが広がる」というのは自然選択説じゃないですよね。
少なくとも、あの「進化と人間行動」に書かれている自然選択説の定義とは異なるものです。ここで書かれている説が、masayuki説というような独自の説なのか、それとも誰か専門家による説なのか分かりませんが、その説の適否が今問題になっているのではありません。
自然選択説の解釈の適否です。

例の文は、私の理解の範囲内でJA50氏の用語法に沿って、表現型の遺伝的浮動を説明したものです。JA50氏の書いた自然選択説の説明文と対応するように表現したつもりです。
JA50氏は生物の表現型進化は自然選択説によってだけで説明されると言う主張ですね。それ以外の表現型進化メカニズムがあるとすれば、自然選択説が反証されてしまうことになるとも言ってます。
私の主張は「表現型の進化は自然選択と、遺伝的浮動が同時に働いている。」というものです。この掲示板の他の方々の主張も同じだと考えます。これは私独自の説ではなく、いわゆる定説だと理解しているのです。

>それと、ここにある「有利な変異」というのは、観察者から見て有利に見えるというのと、実際その集団で計った適応度で言う「有利な変異」というのを混同していると思います。

「有利な変異」はJA50しの想定しているモデルと同じものです。また、環境も同一としました。ただし集団は小さなものと条件を付けただけです。

>もし、ある変異が、何かの理由で結果として(この「結果として」というのは重要ですよね、もしかすると偶然かもしれない)、集団中に広がり、ついには固定されることがあったとしても、観察され、測定された適応度は高いはずです。一見、有害に見えても、それが広がり固定しているんですから、測定しそれで求めた適応度は、逃げるスピードが速い変異を持つ個体よりも、遅い個体の方が高いはずです。
私が不思議でしかたないのは、表現型レベルの進化について話しているのに、有害な(つまり適応度が低い)変異を持つ個体が増え、ついには固定するなどというのがなぜあり得るのかなんです。
逃げるスピードという形質について、速いと遅いという変異について長期間観察して見たら、遅い変異を持つ個体の方が、増えていたとします。
この適応度はどちらが高いんでしょう?
私は、遅い変異の方が適応度が高いとしますが、masayukiさんはどうされますか?
有害な変異が広がった例としますか?
 
逃げるスピードと、スピードに応じて状況を把握する知能及び反射神経とのバランスが適応度決めると思います。サラブレッドが故障しやすいように骨格的な構造にも最適があると思います。
従って、逃げ足の差だけでは適応度を決められないと考えます。
子の数の頻度が適応度としたら、遺伝的浮動も適応度に影響しています。この場合の適応度は適応的とはっきり区別して使わなければならないと思います。進化における隔離の概念はJA50氏も知っていると思います。ある種の小集団がたまたま元の集団と隔離してしまい亜種になったとすると、その原因はその集団が小さければ小さいほど遺伝的浮動が影響します。遺伝的浮動は適応的な個体にもそうでない個体にも同等に働きます。もちろん、自然選択も同時に働いているのです。

ヒトのように巨大で安定化淘汰している集団では、新しい変異が(たとえそれが有利なものでも)元の形質と置き換わるには、巨大な時間が必要でしょう。ヒトは自ら環境を整備し、有害な変異も中立化して、ますます遺伝子の多様化が進んでいくだろう。重要な機能を持つ形質は維持されるだろうし、この先多様な形質の変異は100%固定される可能性は少ないだろう。(環境が激変しない限り)
それでも、ある程度広まった形質の変異は、進化したとは言えないのだろうか。
アルコールに強い形質、弱い形質、中間の形質を決める遺伝子は見つかっているそうですね。肥満も獲得形質ばかりではないようだし。O型のヒトは胃潰瘍になりやすいことが分子的に説明できるそうだ。こういうことも実際の生活には結構影響があるし、適応度に差が出る原因にもなりそうだが、頻度を見るとほぼ中立な形質なのだろう。JA50氏はこれらのことは変異としてみて、形質と区別しているようだが、これらの形質の変異が過去において適応的だったこともあるかもしれないが、対立する変異も相変わらず残っている。ほぼ中立な形質の変異はこのように存在するしかないのではないかと思う。形質と形質の変異を区別する意味が私には理解できないのです。


ミツバチの社会性をめぐる分子生物学 投稿者:  投稿日:10月12日(木)01時23分10秒

という題、そして「昆虫の社会性の進化にどのようにアプローチ
するか」という副題のついた、非常に興味深い総説が「蛋白質核酸
酵素」(出版社忘れました)2000年7月号25ページに出て
おります。

ミツバチは高度な社会性を獲得した昆虫だそうで、その特徴として
「ダンス言語」というコミュニケーションの手段を持っていたり、
また、働き蜂が羽化後の加齢に伴って分業をするようになる(齢差
分業)んだそうです。
これらのことには当然、分子的基盤があり、その元となる遺伝子を
同定するのが著者らの研究目的です。
そのために、カーストや分業依存的に脳で発現する遺伝子や、加齢
分業に伴っておこる各「器官」の生理状態の変化を裏付けるような、
発現の変化する遺伝子、門番蜂の利他行動を裏付けると考えられる、
門番蜂の脳でのみ発現している遺伝子、エトセトラエトセトラ、を
追及しているようです。
すでにいくつかの候補遺伝子がつかまっているようです。これから
遺伝子産物の機能が調べられるのでしょう。


>日本科学哲学会及び科学基礎論学会...
おお〜。こういう分野って、いったいどんな論文を書くのでしょう?
多分ちんぷんかんぷんだろうなぁ〜


Re:自然選択説の反証可能性>JA50さん 投稿者:wadja  投稿日:10月12日(木)00時57分55秒

>「生き残る可能性」の「可能性」というのは、「変異の一部は遺伝する」とか「変異の中には
>一部、生存や繁殖に影響するものがある」などの「一部」というのと同じ意味とも言えるかも
>しれないですね。

100%ではないという意味であれば、その通りです。

>じゃ、その一部ってのは、どれくらいの割合なのか

固定した値を挙げることは出来ません。飽くまで表現型での話としても、対立遺伝子よりも相対的に高ければ良いのではないでしょうか。

>確率言明というのは、本質的には反証不能な言明です

へちさんが言ってくれる程私は論理学には詳しくないので、確率言明の正確な定義は知りませんが想像はつきます。おっしゃるとおり本質的には反証不能な言明だと思います。でも、JA50さんはある意味厳格過ぎて、この本質的な部分にこだわりすぎているように思われます。所詮仮説の域を越えて、本質的に真理とはなりえない学説を扱っているのであれば、信頼水準95%でも80%でも、命題を棄却できるのであれば、一般的には反証可能として良いのだと思います。

>何々があるという言明が科学的仮説であるためには、それは同時に何
>々でないものはないという言明でないといけない。

この当たりが私の理解とは完全に食い違います。科学の仮説といっても、「何々の傾向が強い」「必ず何々である」「何々な場合もあり、是々の場合もある」と、いろんな性質のものがあって良いと思います。反証可能性とは、別な側面だと思えるのですが。

>もし、こういう結果が出たら、真の適応度がいくらか、などという議論はナン
>センスじゃないでしょうか。

真の適応度は、現実の世界においては計測不能ですから、「適応度がいくらか」だけを議論するのは、おっしゃる通りナンセンスです。しかし、それを単純化したモデルに組み込み、予測を行う事はナンセンスではありません。単純化したモデルを用いて、現実の世界において正確に遺伝子の広まる確率を求めることは不可能ですが、「理論が正しければ、こういった傾向が出るはず」、あるいは「こういった傾向が出るのなら、理論の間違っている可能性が高い」ということを判断するのには、役立つのではないでしょうか。

ラッキーな子供の数は、少子化の話と紛らわしかったですね、サンプル数を極端に減らして個体にまで落とせば、このような事象もありうるとの例です。現実の世界で、無制限な時間・無制限な環境の中で母集団を計測することは不可能ですから、どのような計測を行っても誤差は生じます。突き詰めていけば「(計測不能な真の)適応度が1でも、3人の子供が生まれることは起き得るし、適応度が1を超えていても、絶滅する場合もあります。さらに適応度が1より小さくとも、その変異が集団に固定する」ことはありうると言いたかっただけです。


ポパー哲学について 投稿者:安賀須若人  投稿日:10月11日(水)22時55分01秒

日本科学哲学会及び科学基礎論学会の正会員としての発言です。

ポパーの古典的な反証主義および科学と非科学に関する境界設定条件について
何の修正もなくそのままの形で受容している科学哲学者は今日誰もいないでしょう。
(そのままの形で受容している自称科学哲学者がいたら専門性を疑います)
クーン、ラカトシュ以降の科学史を踏まえた科学論においては、
科学における理論交代の実際はポパーの反証主義の理論とは一致しないというのが
学界の常識です。

ポパーの科学哲学の理解には
最小限度の現代論理学(フレーゲ以来の述語論理学を含む)の知識が不可欠です。
また、タルスキーの真理論の概略(古典的対応説)に関する理解なしに
ポパーの議論を理解できるのか非常に疑問です。

ポパーを正確に理解したとしても、それだけに基づいて
科学についての哲学的議論を展開するのは専門性のある議論ではありませんし、
そのような論文が専門誌に載ることはないでしょう。

#忙しいのレスはしばらくできませんが、悪しからず。


自然選択説>JA50さん 投稿者:どらどら  投稿日:10月11日(水)20時19分33秒

こんにちは。初めて投稿します。

極端な例を考えると分かりやすいのではないでしょうか。
JA50さんが出しておられた2個体の例で考えてみます。

ある形質について個体1の変異は、個体2の変異よりも適応的だとしましょう。
またその他すべての形質は全く同じだとしましょう。
個体1は適応的で、捕食者から逃げるのがうまい。
今まで何度か襲われたが、余裕で逃げ延びた。
個体2は適応度が個体1より劣り、逃げるのが下手だ。
今まで何度か襲われ、そのたびに冷や冷やだが何とか逃げ延びた。

でも次に襲われたのは個体1で、たまたま捕食されてしまった。
その後個体1はなんとか子孫を残すことができ、この集団では適応度の低い
変異が固定された。


後に学者がその形質について個体2の変異はどこが個体1の変異より優れていたか
探しても見つかることはないでしょう。なぜならたまたまだからです。


JA50さんの考える自然選択説はあくまで、無限の個体数で言えることであり、
大数の法則に支えられたものだと思います。

いかがでしょうか。


Re:分子時計再び>wadjaさん 投稿者:JA50  投稿日:10月11日(水)17時46分11秒

結局、分子進化の一定性というのがなぜもたらされるのか私はよく分からないというのが結論
になってしまいます。
あのk=vという結論を導いた程度の数学は理解できますが、本来はもっと難解な方程式を使って
いるのだと思います。あれは、私ら素人にも分かるように簡略化したものなんでしょう。

分子時計の話は、これ以上になれば、私の知識の範囲を越えています。
もし、インターネット上なり紙の文献なりで、何か興味深いことを見つけたら教えて下さい。


Re: 理論の適用範囲の限界とか>PDX.さん 投稿者:JA50  投稿日:10月11日(水)17時44分02秒

>その割には、JA50 さんの反証の方法は、前提として自然選択に対して
>all or nothing な評価を下そうとするもののように私には感じられてし
>まうんですよ。

私は、科学の仮説というのは本質的に all or nothing でないといけないと思います。
wadjaさんへのレスに書きましたが、科学の仮説はこれこれのことはあり得ない、こういうもの
はあり得ないという言明でないといけないと私は思っています。これは all or nothing その
ものでしょう。
ですから、私が all or nothing な評価を下そうとしているというのは、その通りだと思いま
す。

自然選択説は進化の全てを説明する仮説ではない。あくまでも形質の進化についての説だと私
は考えています(表現型レベルの話です)。
しかし、形質の進化を説明する仮説なのに、これこれの形質は適用範囲外だとするのはアドホ
ックな修正だと思います。適応的な形質の進化は自然選択説で説明できる。しかし、非適応的
な形質の進化は説明できない。それは適用範囲外だというのでは、私は科学の仮説たり得ない
と思うのです。

AとA1の喩えは意味が理解できません。
私がイメージしている形質と変異をPDX.さんはまだ分かって下さっていないためかもしれ
ない。また私もPDX.さんのイメージしているものを分かっていないこともあるようです。
私からすれば、たとえ小集団だろうと、極端に言えば2個体しかいなくとも、その2個体で形
質の違いがあればそれを変異とします。

>ですから、中立的な形質が親から子に受け継がれても不思議はないし、
>それが実際の生物で観察されても不思議はないと思うのです。
>そして、それが見つかるからと言って自然選択説が反証できるとも思
>えないのです。

私は、最初から、現在何の役に立ってなかろうが、あるいは有害だろうが(これらももちろん
遺伝するでしょう)、過去において適応的であれば、自然選択説の反証にはならないと言って
います。
私が言っているのは「非適応的な形質は進化しえない」です。現在「非適応的な形質は存在し
ない」と言っているのではありません。過去と環境が変わり、過去においては適応的だった形
質が非適応的なものになってしまうことはありますし、何の役にも立たなくなるというのも、
洞窟内の動物の目など多数の例があります。それは自然選択説の反証じゃありません。

>かつてはそのような万能論が幅を利かせていたけど、反証されて「そ
>れだけではない」という認識が取り入れられてきたのが現代の進化論な
>のではないでしょうか?

PDX.さんの言われるかつての万能論というのがよく分かりませんが、対抗論に万能論とい
う呼称をつけるのはよくやられています。
万能論が問題なのではないです。
それが何を指し、その主張のどこが科学的仮説として不適切なのかじゃないでしょうか。

適用の限界というのはその通りです、前にも言いましたが。
なんでもかんでも形質としそこに適応的な意味を見ようとする(これも万能論の一種でしょう)
のは間違っています。
自然選択説がいったい何についての仮説なのかだと思うのです。
PDX.さんはどう思われますか?
適応的な形質についての理論でしょうか?
私は、全ての形質についての理論だと認識していますが、ここらあたりも認識の違いなんでし
ょうね。

>集団中にじゅうぶんひろがって定着してしまったら形質たり
>えませんか?

青い花が99%以上を占めている集団において、赤い花が突然変異で出現し、その赤い花が後
に99%以上を占めるまで増加したとします。私はその花の色という性質が形質であり、青と
か赤という個体間の違いを変異とします。
さらに、その下層の性質についても同じことが言えると思います。青い色という性質にも、濃
い青とか薄い青、少し紫がかった青、緑がかった青などいろいろな個体間の違いがあるでしょ
う。私は青い色という性質に注目するのならそれを形質とし、その個体間の違いを変異としま
す。
また、より上層の性質に注目すれば、何が形質で何が変異かというのも変わってきます。例え
ば、花全体に注目すれば、大きいの小さいの、赤いの白いの、長いの短いのいろいろな個体間
の違いがあると思います。この場合は、花全体が形質であり、その中の個体間の違いを変異と
します。
そして、これら何を形質としても、それらは適応的だったから進化しえたというのが自然選択
説だ、というのが私の認識です。

PDX.さんはこれらについて、何を形質とし、何を変異とされますか?


Re:自然選択説の反証可能性>wadjaさん 投稿者:JA50  投稿日:10月11日(水)17時43分12秒

>ここで、「生き残る可能性が出てくる」=「子孫に遺伝子を伝えられる可能性が高くなる」ですから、「その有利な変異(遺伝子)が広がる確率が大きい」としても、必ずしも間違った解釈ではないと思います。

なるほど、、、

「生き残る可能性」の「可能性」というのは、「変異の一部は遺伝する」とか「変異の中には
一部、生存や繁殖に影響するものがある」などの「一部」というのと同じ意味とも言えるかも
しれないですね。

じゃ、その一部ってのは、どれくらいの割合なのか。
90%でいいのか、30%でいいのか。それともほとんど0と言ってもいいような一部であっ
ても自然淘汰は働くのか。

wadjaさんはどう思われますか?
(なお、表現型レベルの進化の話です)

確率言明というのは、本質的には反証不能な言明です(95%の確率で起こると言って起こら
なかったら、5%の起こらないという確率の方が起こったと言い逃れできる、なおこれは有意
検定の話じゃないです)。その上、可能性とか一部と言いながらそれがどれほどの割合なのか
というのを言わないのですから、「広がる確率が大きい」という言明が反証可能になりえると
は思えないのです。
ポパーは確率言明にεを持ち込んで、いろいろ書いているんですが、残念なことに私の理解範
囲を越えている、、、

>しかし、「どんなに検証しても、不利に見える」ことはありますよね。

その通りだと思います。
非存在言明は証明不能ですから。
以下、これに関連して私の反証可能性についての考えを書きます。
まだ、十分にこなれていないので穴があると思いますので、ご指摘よろしく。

「適応的な意味はない」という言明は証明不能です。適応的な意味をどうしても見つけられな
くても、実はあるのにまだ見つけていないだけなのかもしれないですから。
しかし、反証はできる。適応的な意味をそこに見つけたらそれで反証になる。
科学的仮説というのを反証可能性というので線引きするのなら、このようにその仮説は非存在
言明でないといけない。何々があるという言明が科学的仮説であるためには、それは同時に何
々でないものはないという言明でないといけない。何々でないものについて否定も肯定もしな
いというのでは、その仮説は存在言明ということになり、証明はできるが反証は不能です。
自然選択説は適応的な形質があればそれは自然選択によるもので非適応的な形質については否
定も肯定もしていないというのは、存在言明です。証明はできる(適応的な形質の存在を示し
それは自然選択によると言えばいい)が反証はできない。

>ここが私と理解の違うところです。たしかに、固定した事実から推定されるその期間の適応度は1以上です。しかし、推定誤差もありうるため、「1以上のはず」とまでは言いきれないと思います。適応度が「1個体が次世代に残せる子供の数の平均値」だとしたら、真の適応度が0.99であっても、推定値が1となるような観察結果となる可能性はありますよね。

推定される適応度というのは、観測結果から計算された値という意味ですよね?
それに誤差があるというのは分かります。
そこには必ず誤差が存在し、それはサンプル数が少なければ少ないほど大きくなるし、また個
々の測定値の分布(分散?)が広いほど大きくなる(ですよね?)。
ですから、A±BのAが0.99であっても、Bが0.5とかいうこともあるだろうというの
は分かります。もし、こういう結果が出たら、真の適応度がいくらか、などという議論はナン
センスじゃないでしょうか。適応的な形質のみが進化しえるという仮説の検証には、こういう
のは役に立たない(証明にも反証にも役立たない)。

>であるなら、「適応度が1なのに、子供が3人も出来てしまった。ラッキー」ということもあるのではないでしょうか。

私がwadjaさんの意図を誤解しているのかもしれませんが、、、

少子化でも、中には子供を5人、10人と産んでいる人もいます。
ある特定の個体のことは自然選択説では議論の対象じゃないはずです。


絶望感ただようなあ 投稿者:へち  投稿日:10月11日(水)13時25分49秒

Re:表現型の中立進化>NATROMさん 投稿者:JA50  投稿日:10月 4日(水)18時53分24秒
>いえ、中立あるいは微弱有害の表現型が集団に固定したとしたら、それは自然選択説の「有利な変異が広がる」ということの反証です。

に対して、論理学をよく知っている方から

数学的モデルの限界>JA50さん 投稿者:wadja  投稿日:10月 7日(土)02時41分44秒
>自然選択説を「有利な変異のみが広まる」と定義した場合、確かに「広まっているが有利では無い変異も存在する」ことは、自然選択説の反証になります。しかし「全ての有利な変異は広まる」と定義した場合の反証は、「広まらなかった変異の中に有利なものがあった」(対偶の否定)になるのではなかったでしたっけ。「不利な変異も広がる」(裏)※も、「広がる変異は有利である」(逆)も、元の命題の真偽を判定するのには、役に立たないはずでしたよね?

※「有利でない変異は広がらない」の誤りだと思います。「不利な変異も広がる」も元の命題の真偽の判定には役立たないという意味では同じことですが。

つまり、中立あるいは微弱有害の表現型が集団に固定したとしても、それは自然選択説の「有利な変異が広がる」ということの反証にはならない、という指摘があり、それに対して

Re:数学的モデルの限界>wadjaさん 投稿者:JA50  投稿日:10月 7日(土)19時57分07秒
>私は、命題論理ならなんとか理解できるのですが、述語論理になるととたんにあやしくなります。

と、自分は論理学に疎いと言っておきながら、

Re: 理論の適用範囲の限界とか>PDX.さん 投稿者:JA50  投稿日:10月10日(火)20時09分19秒
>私が主張しているのは、自然選択は有利な変異が「集団中に定着する」という説だから、そういう変異の累積でできている形質が、中立とか有害などということで進化するはずがない、そういう存在を否定している理論(仮説)なんだということです。

と、またも論理的に間違った、指摘される前と同じ主張を繰り返している。
その神経には頭が下がる思いです(これは皮肉です)。

NATROMさんとの中立遺伝子の固定確率についての議論など、最近の議論の傾向として
JA50「私の主張は正しい」
反論者「その主張は間違っている。なぜならば〜だからだ」
JA50「その反論は私には理解できない。でも私の主張は正しい」
というのがありますね。
要するに、私の主張を論破したければ、私が理解できるレベルで反論してくれ、ということなんでしょうか。
しかし、これは無理です。
反証可能性の議論には論理学の正しい理解が必須ですし、集団遺伝学についての議論には遺伝学の対象としている遺伝子がどのような概念であるか正確に知っておかなければいけません。
さらには、もし仮に「自分の主張と合わない理論はわからない」ことにされた場合、その主張を論破するのは不可能です。
JA50さんは自分が理解できていない部分をもう一度勉強し直してから出直してくるべきでしょう。


Re:表現型の固定確率 投稿者:へち  投稿日:10月11日(水)13時00分59秒

>>また最初の数学モデルも、形質とか表現型レベルのことを想定して組み立てたものではないはずです。あくまでも突然変異遺伝子ということで組み立てていると思いますが。

>根拠は?へちさんによれば「もともと表現型を対象としたもの」とのことですが、それを踏まえた上での発言でしょうか。

遺伝子という概念は
(i)抽象的なメンデル因子
(ii)実存的な染色体上の座位、
(iii)化学的なDNA構造
の3つがありますが、このうち最初の数学モデルはもともと(i)を対象にしたものです。
このメンデル因子というのはメンデル遺伝する表現型を形作る因子という意味なので、表現型とは不可分です。
ですから、

>あくまでも突然変異遺伝子ということで組み立てていると思いますが。

というのは必ずしも間違いではないのですが、

>また最初の数学モデルも、形質とか表現型レベルのことを想定して組み立てたものではないはずです。

というのは間違いです。


自然選択説の解釈 投稿者:NATROM  投稿日:10月11日(水)10時26分00秒

>子を何人産み育てるかという行動様式が文化的影響を受けていないなどとは言っていません。

私も「JA50さんは子どもの数についての行動様式が文化的影響を受けていないと言っている」などとは言っていません。


>遺伝的影響も一部受けているはずだというのが、少子化現象に動物行動学を適用する前提です。

遺伝的影響も一部受けているけれども、文化的影響の方が強いため少子化現象は動物行動学を適用できないという可能性は考慮しなくてもいいのですか?


>私が言っているのは、もし、非適応的な形質が進化しえるとしたら、動物行動というか社会行
>動というか、そういうものに適応的な意味を見つけようとする研究は意味を著しく減じるとい
>うことです。何の役にも立っていないのに進化しえると言われたら、ワーカーが子を作らない
>でせっせと働くのは、包括適応度から見れば適応的なんだと苦労して示す必要はないです。

かといって、一見して機能のわからないような性質に対して、それをうまく適応的な性質として説明してしまう仮説が乱造されるような状況は好ましくないとは思いませんか?適応的な性質でないかもしれない、と言う可能性も考えるべきです。


>河田の批判する万能論者は、形質でないものを形質とし、そこに適応的な意味を見つけようと
>する人のことであって、形質は適応的なものだけが進化しえるという意味の万能論(これが私
>の立場)じゃないです。

それはJA50さんの解釈にすぎません。河田はJA50さんのような妙な形質の定義(下肢の種子骨と上肢の種子骨が同一の遺伝子で支配されているならば、上肢と下肢の種子骨両者を一緒にして形質とすべき、など)をしていましたか?


>私がどうしても疑問なのは、実際に役立っていたかどうか分からない形質に「これこれに役立
>っていたんだろう」としていいのかということです。

なぜいけないのでしょうか。「この形質は役立っていたのか?」(万能論者はそもそもこんな問いはできない)、「役立っていたとしたのならば、一体何に役立っていたのか?」という問いは妥当なものです。この問いに対する仮説を提案してなぜいけないのでしょうか。化石種であったとしても、原理的にその仮説が検証不可能というわけではありません。アイデア次第でしょう。


自然選択説の解釈についても議論されているようですが、「集団内の個体の間に適応度の差があり、その適応度の差が遺伝する個体の性質の差に起因する場合、高い適応度に貢献する性質は集団中に増加する」というのが自然選択の説明になると思います。しかし、自然界では必ずしも適応度に差がある性質ばかりではないし、適応度に差があっても、集団のサイズが小さいと、上の説明があてはまらないこともある、というのが私の主張です。これも誰か専門家がそう言えばJA50さんはお信じになるのでしょうか?あるいは「尊重する」だけでやっぱり自説を曲げない?


表現型の固定確率 投稿者:NATROM  投稿日:10月11日(水)10時22分00秒

>同義でないとしてはいけない理由は、既に何度も書いたように分子レベルと表現型レベルの進
>化メカニズムの違いです。

メンデル遺伝する表現型の場合は分子進化の式が適応可能という私の議論に対する具体的な反論がないので、「メカニズムの違いです」というのでは理由になりません。


>また最初の数学モデルも、形質とか表現型レベルのことを想定して組み立てたものではないは
>ずです。あくまでも突然変異遺伝子ということで組み立てていると思いますが。

根拠は?へちさんによれば「もともと表現型を対象としたもの」とのことですが、それを踏まえた上での発言でしょうか。


>>「ある突然変異遺伝子の淘汰係数がsとする。sが負であってもNe×sの絶対値が1以下であれば、その遺伝
>>子が集団に固定することはありえる」という命題は認めますか?
>あり得るでしょう。ほとんど0に近いが、無視しえるほど0ではない。
>これを認めないと、中立説は成り立たないと思います。
>>では、「ある突然変異遺伝子の淘汰係数がsとする。その突然変異遺伝子はAという表現型を生じる。sが負
>>であってもNe×sの絶対値が1以下であれば、その遺伝子が集団に固定することはありえる」という命題は
>>認めますか?
>これは問題です。
>表現型レベルに現れる場合には、よほど慎重でないといけない、何度も言っていますが。

ここにJA50さんの主張のおかしい点が集約されています。sが0ではない突然変異遺伝子は、必ずなんらかの表現型を発現しています。何も表現型の差を発現しない突然変異遺伝子(例えば同義置換)のsはゼロです。「突然変異遺伝子はAという表現型を生じる」という一文を挿入しただけで、この命題の意味は変化しません。


>思考実験ですが、50個体で測ったsで、中立説を持ち出すような小さなsに意味があるんで
>しょうか?

だから、sは測定するものではなく、前提なのです。数学モデル上のものです。中立説も理解されていないように見えます。


>それを実際の表現型レベルの進化に適用していいかどうかというのは別問題です、何
>度も言っていることですが。

私も何度でも言いますが、メンデル遺伝する表現型であれば適用可能であるという私の議論の欠点をJA50さんは指摘できません。「分からない」あるいは「(理由を述べず)とにかく慎重であるべきだ」以外に具体的な指摘がありません。誰か別の権威ある専門家が「メンデル遺伝する表現型であれば適用可能」とでも言えば、信じるのでしょうか?それとも「専門家の意見として尊重」するけれど、やはり納得しないのでしょうか?


進化論をめぐって揺れる米国の科学教育 投稿者:ゆん  投稿日:10月11日(水)02時22分23秒

HOTWIRERD JAPANより。

http://www.hotwired.co.jp/news/news/culture/story/20001010207.html


変異と形質 投稿者:  投稿日:10月11日(水)02時09分10秒

キリンの首について、J定義だと
「首の長さ」=形質
「長い首(といわず2mの首といおう)」「短い首(同じく1mの首)」=変異(variation)
ここまではacceptableだ。

では、
もし淘汰によって2mの首のキリンだけになった場合、
「2mの首」は変異なのか?(1種類しかないからvariationじゃないよねぇ) 
 それとも形質なのか?(さっきは、形質は「首の長さ」という抽象的概念だったよ)
 それとも「表現型」なのか? (笑)

皆さんはなんとします? 「固定された変異」=「形質」 ? (笑)
「変異」の蓄積で「形質」ができる、とか言っているひともいたなぁ (→「器管」氏)


補足と訂正 投稿者:へち  投稿日:10月11日(水)00時15分29秒

>実際、進化速度は一定ではないし、年当たりの生殖細胞を生ずる分裂の回数も一定ではありません。

と書きましたが、正確には
実際、年当たりの進化速度は種によらず一定ではないし、年当たりの生殖細胞を生ずる分裂の回数も種によらず一定ではありません。
です。

また、矛盾は生じません、と書きましたが、(分子レベルの完全に中立な)突然変異率と表現型レベルで検出される可視突然変異や劣性致死突然変異率は一致しません。
矛盾を生じない、というのはちょっといきすぎた表現だったかもしれません。
ですから、「DNA塩基の置換を生ずる分子レベルの突然変異は、従来研究されてきた表現型的にはっきり効果を表す可視突然変異や致死遺伝子の出現率と違って、ほぼ物理的時間に比例しておこっているはず」というのは前半分(〜と違って)は当たっていて、後半分(ほぼ物理的時間に〜)は外れたことになるかもしれません。


Re:分子時計再び 投稿者:へち  投稿日:10月10日(火)23時18分42秒

>前にも書いたと思いますが、「突然変異率は単位時間(年)あたりの、生殖細胞を生ずる分裂の回数に比例し」ているとしたら、年当たりの進化速度が一定となるのは当然だと思います。ただし、そうだとすると矛盾が生じることになります(これについても木村は既に考察しており、その該当個所は「生物進化を考える」から引用しました)。

上記仮説が正しければ、進化速度は単位時間(年)あたりの、生殖細胞を生ずる分裂の回数に比例するだけであって、進化速度は年当たり一定とは限りません。
実際、進化速度は一定ではないし、年当たりの生殖細胞を生ずる分裂の回数も一定ではありません。

>「劣性致死突然変異が物理的時間に比例して生じるとしたら、ヒトではショウジョウバエでの突然変異率の1000倍すなわち、毎代遺伝子あたり1%という異常な高率で起こることになり」、こんなことはあり得ないことです。

ですから、「劣性致死突然変異が物理的時間に比例して生じる」という仮定は成り立たないので、矛盾は生じません。
ツリー掲示板、読みました?


分子時計再び 投稿者:wadja  投稿日:10月10日(火)22時26分03秒

To NATROMさん

下の同じ題名の書き込み。お手数ですが、削除をお願い致します。間違ってEnterを押してしまいました。申し訳無い。

やはり「生物進化を考える」でしたか。納得。

結局のところ「表現型レベルで検出される可視突然変異や劣性致死突然変異については、出現率が異なった生物の間で、年あたりでなく、世代あたりでほぼ一定であるという観察事実」もあるものの、一方で表現型に表れない分子レベルの変異の出現率が、年あたり一定な観察結果に対する答えは今のところ無い、ということですか。


Re: 理論の適用範囲の限界とか 投稿者:PDX.  投稿日:10月10日(火)22時12分33秒

To JA50さん

>私も自然選択が進化の唯一の原因だなどとは言っていません。

 その割には、JA50 さんの反証の方法は、前提として自然選択に対して
all or nothing な評価を下そうとするもののように私には感じられてし
まうんですよ。

 自然選択以外の考え方を導入しないコチコチの自然選択万能論は、中立
的な変異が定着し形質となることで反証され、中立論の考え方を取り入れ
て、自然選択説と併用しているのが今風の進化論だと私は思っています。
(マーギュリスの共生説にしてもそう。中立説も共生説も、自然淘汰説を
全否定はしていない)

>「平均的な個体とは異なる形質」というのは、形質じゃなく変異ですよね?

 その個体が少ないうちはそうでしょうね。
 解釈が難しくなるのは、ある種Aが広く分布していて、その分布域の
片隅の小集団で、A全体の平均的な個体とは異なる形質を定着させた亜
種A1がいるような場合でしょうか?
 A全体として見れば、少数派のA1の形質など変異とみなせますが、
A1全体でみれば定着してしまっていて形質とみなせますよね?
 変異と形質を識別するにも、このような視点の問題があるかと思いま
す。特にグールドのような、新種は隔離された小集団の中で分化が急速
に進行する、というシナリオを推している人の場合はこの視点は無視で
きないと思います。
(そして、なんらかの天変地異でAの平均的な集団が滅びてしまって、
かろうじて少数のA1が生き延び、その後A1が適応放散でもしようも
のなら、A1のもつ形質を全ての個体が受け継ぐわけで、その形質が特
別有利でなかったとしたら…?)

>役立たないと仮定しても、それが遺伝するものであるのは当然だと思
>いますが。

 そうですよね?
 ですから、中立的な形質が親から子に受け継がれても不思議はないし、
それが実際の生物で観察されても不思議はないと思うのです。
 そして、それが見つかるからと言って自然選択説が反証できるとも思
えないのです。

> 私が主張しているのは、自然選択は有利な変異が「集団中に定着す
>る」という説だから、そういう変異の累積でできている形質が、中立
>とか有害などということで進化するはずがない、そういう存在を否定
>している理論(仮説)なんだということです。

 all or nothing で否定しているのでしょうか?

 かつてはそのような万能論が幅を利かせていたけど、反証されて「そ
れだけではない」という認識が取り入れられてきたのが現代の進化論な
のではないでしょうか?
(無論、JA50 さんは進化論を反証しようとしているのではないと承知
しています)

 既に反証された自然選択説を、その当時の理論のままで再度反証して
も、同じ結果が出てくるのは当然かと。
 ただし、上で書いたように全否定という意味での反証ではなく、あく
まで自然選択説には適用の限界があると認識されただけのこと。中立説
の考え方を取り込んで、all or nothing で考えるのではなく、適用の
限界を考慮すれば、有利な形質は、中立的な形質よりも定着する確率が
高い、という考え方になっていくと思うんですけどね。

>>中立な形質が、それ自体は対して有利でもないのに、他の有利な形質
>>に「引きずられて」広まる可能性を示唆する判りやすい例だと思います
>>が。
> でもそれなら、それを形質としていいんでしょうか?

 集団中にじゅうぶんひろがって定着してしまったら形質たり
えませんか?



自然選択説の反証可能性>JA50さん 投稿者:wadja  投稿日:10月10日(火)22時11分17秒

>PDX.さんへのレスでも書いたのですが、「有利な変異は広がる確率が大きい」というのは
>あの自然選択説の定義からどうやって導けるのでしょうか?

http://www.primate.gr.jp/yasuda/18.html

の「集団遺伝学講座」によると、ダーウィンの「種の起源」で定義される自然選択とは

"複雑でしばしば変化する生活環境条件の下で、どんなにわずかであってもその個体にとって有利な変化があるとその個体は生き残る可能性がでてくる。いわば自然に選択(淘汰)されるのである。遺伝の原理によりその選択された変異は子孫に受け継がれ集団の中に広がって行くであろう。"

だそうです(相変わらず原著に当たる時間の無いことを言訳しておきますが、引用の引用です)。

ここで、「生き残る可能性が出てくる」=「子孫に遺伝子を伝えられる可能性が高くなる」ですから、「その有利な変異(遺伝子)が広がる確率が大きい」としても、必ずしも間違った解釈ではないと思います。

>一見不利なように見えても、よく見直したら、これこれの適応的な意味があったというのは沢
>山あるし、よく見直しても適応的な意味を見いだせないような例もあるかもしれない。

これには同意致します。「明らかに普遍的に不利」という言葉は不用意だったかもしれません。わたしも、「有利・不利は」短絡的に結論すべきではないと思います。しかし、「どんなに検証しても、不利に見える」ことはありますよね。

>ある突然変異(表現型レベルでも分子レベルでもいいです)が出現し、ある期間がたってその
>集団に固定したとしたら、その期間における平均の適応度は1以上のはずです。

ここが私と理解の違うところです。たしかに、固定した事実から推定されるその期間の適応度は1以上です。しかし、推定誤差もありうるため、「1以上のはず」とまでは言いきれないと思います。適応度が「1個体が次世代に残せる子供の数の平均値」だとしたら、真の適応度が0.99であっても、推定値が1となるような観察結果となる可能性はありますよね。

再び上記HPからの引用になりますが、

"(ダーウィン適応度とは)遺伝子型の個体が次の世代を構成するのにどの程度貢献するかを表わす尺度である。これには1個体あたりの子どもの数で表わすのが妥当であろう。"

であるなら、「適応度が1なのに、子供が3人も出来てしまった。ラッキー」ということもあるのではないでしょうか。


化石種のおける形質の進化に自然選択説を適用していいかどうか>NATROMさん 投稿者:JA50  投稿日:10月10日(火)20時18分02秒

化石種における形質の進化に自然選択説を適用する問題ですが、私はこれに一番興味がありま
す。

自然選択説は、適応的な形質がなぜ進化してきたのかを説明する仮説であり、非適応的な形質
が進化しえるかどうかについては何も言っていない。また、中立とか非適応的な形質も進化し
得て、その場合には自然選択とは別の何らかのメカニズム(ランダムドリフト進化説でもいい
です)が働いたとする。つまり、ある形質について、それが適応的なら自然選択説を適用し、
それが何の役にも立っていないとか有害な場合には、自然選択説じゃなく、別の進化メカニズ
ムを適用すると。
また、形質は全て適応的なものであるはずだから、一見非適応的に見えても、隠れた適応的な
意味があるはずだとして、適応的な意味を捜すような研究は、万能論であり価値はない。

NATROMさんは上記のような解釈をされているという理解でいいですよね?
もし間違っているようなら、訂正をお願いします。

>「これこれに役立っていたんだろう、それで進化したんだろう」というのは許されますが「これこれは役立っていたに違いない。なぜならすべての形質は適応的だったからだ」と結論付けるのは許されないと言ったのです。「適応的でなかったかもしれない」という可能性を頭にいれておかないと、河田の批判する「万能論者」のようになってしまうからです。

まず、本論とは違うことですが、河田の批判する万能論者は、形質でないものを形質とし、そ
こに適応的な意味を見つけようとする人のことであって、形質は適応的なものだけが進化しえ
るという意味の万能論(これが私の立場)じゃないです。

で、本論。
私がどうしても疑問なのは、実際に役立っていたかどうか分からない形質に「これこれに役立
っていたんだろう」としていいのかということです。

現存種でも、その形質の適応的な意味が分からないものはある。一見、こんな形質は有害だと
しか思えなかったものもある。しかし現存種の場合には、それを研究することはできます。ワ
ーカーなんてその典型でしょう。血縁淘汰を持ち出さないと、その適応的な意味を説明できな
いほどなんですから。
ところが、化石種ではその研究さえできない。
そういうものに、「これこれに役立っていたんだろう」とNATROMさん流の解釈をする人(非万
能論者)がやっていいのかと。
ある形質が進化する上で「これこれに役立っていたんだろう」とする必要自体さえないのに。
非適応的な形質も進化しえるとしているんだから。


ご意見、ご要望がございましたら、掲示板か、e-mail:natrom@yahoo.co.jpへどうぞ。


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